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2017年03月28日

2017年2月27日〜3月10日◆その島のひとたちは、ひとの話をきかない(後編)

これの続きです。

武田先生がちょっとうれしかった話。
何週間か前に京都に行った。
京都の裏側で「歌うたい」があった。
京都の町を通過したらちょうど中国の春節とぶつかった。
京都はもう中国の方があふれていた。
日本に興味があって来てくださる。
新幹線に乗っかって東京まで戻ってくる仕事の帰りの旅なのだが、品川を過ぎて降りる準備をスタッフがしていた。
西洋の老夫婦が武田先生の後ろにいた。
何気なく世間話で「Where are you come from to Japan?」「From New York」。
「いかがですか?日本は」と聞いたら、やっぱり「京都が良い、京都が良い」と仰っていて、お金持ちなのだろう。
ご夫婦で、シンガポール行って、マレーシア行って、上海行って日本。
京都はもう特に「good impression」としきりに繰り返されていた。
何てことないのだが、ちょっと話すと、何か話したかったのだろう。
京都の素晴らしさを一生懸命ご夫婦そろって話される。
競い合うようにして。
話しやすさ。
「そういうのがコミュニケーション能力って言うんじゃないかなぁ」と思って。
コミュニケーション能力というのは「異国の言葉ができる」とかっていうことをしきりに言う人がいるが、コミュニケーション能力というのは、そこで話題を作れる人のことが「コミュニケーション能力が高い」ということ。
「スピークイングリッシュ」はそんなに重大な要件ではないんだ、と。
人間は身ぶりや手振りだけでも十分にコミュニケーションは結べるんだ、という。

 青森県の中で統計的にも自殺で亡くなるひとの数がかなり少ない地域のひとつが旧平舘村だ。−中略−
 旧平舘村も平成の大合併にによって町(外ヶ浜町)になっている。
(90頁)

「この町は、バスはバス停以外にも止まる。としよりが乗ることが多いから。としよりはバス停まで来られない」(105頁)

 バスはゆっくりと走っていた。それはバスを待つ老人を見つけるためである。老人を見つけて、ゆっくり乗せて、ゆっくりと動いて、ゆっくりと目的地にたどり着く。誰のためのバスかをよくわかっている。(105頁)

「この地域のひとは、困っているひとを放っておけないかもしれないね」
私たちはヒッチハイクに応じてくれた男性の次のことばを待った。
「困っているひとがいたら、できることはするかな」
と言った。私はそこで、できないことだったら?と聞いた。男性は少し間を置いて、
「ほかのひとに相談するかな」
と言った。
(98頁)

このあたり、やっぱり「人間の受け入れ方が広いなぁ」というふうに思う。

著者は都市と町との比較をしている。
体の不自由な方のためにバリアフリーを望む声というのがたくさんある。
歩行に障害のある人はバリアフリーの設備がないから出歩かないのではない。
出歩いてしまうと一人になる。
人の目が気になるから出歩かない。
その問題がまずあるんじゃないか、という。
だからやっぱり「簡単に人に頼めるエリア」というところがあれば。
バリアフリーという設備が優先するんじゃないんだ、という。
東京新聞:盲導犬男性が転落、死亡 JR蕨駅 ホームドアなし:社会(TOKYO Web)
目の悪い方がやっぱりSOSを非常に出しにくい。
だからやっぱりバリアフリーよりも、SOSを出しやすい環境みたいなもの、そういう関係みたいなものがあれば。
それから駅に別の施設を作るよりも、もっと人間だけの関係で転落事故等々防げるのではないか。
そして、そういう人間関係がいとも簡単にパッと結べるところは、一つまた町の特徴が大きくある。
そのことに気付いた著者は、本の中でそのことを報告している。
その自殺希少地帯の研究をするフィールドワークで歩き回っていると、ひと目で「あ、ここは人間との関係が結びやすいな」と思う特徴が見つかる。

 旧村と町の間で一番感じた違いは、トイレの借りやすさかもしれない。(107頁)

トイレが借りやすいエリアというのは、本当に自殺が少ないそうだ。
「トイレちょっと貸していただけますか?」と言うと、いかな家の戸口も通過できるという。
今、コンビニでトイレが助かる。
この森川さんがおっしゃっているのだが「人助け」というのも「求められて」ではない。
転落事故等々もそうだが「自発的である」という。
もう「こっち側から声を掛ける」という。
「手、引きましょうか?」とか「ご案内しましょうか?」とか「方角一緒ですから。これ私の手です」とか。
そんな声を自ら掛ける。
それは「あなた自身が人助けに慣れることだ」。
この「人助けに慣れる」というのはすごく重大な条件。
やっぱりみんな慣れていない。
だから慣れさえすれば簡単にできることが、ちょっと言えなかったりする。
武田先生が今、個人的にやっている人助けは「泣きわめく子を泣きやまさせる」という。
ちょっと言葉の分かる子じゃないとダメ。
ちょっと失敗した例もある。
子供から怒られたのは「あっちいけ!」と言われたこともある。
すっごい声で泣いている子がいる。
その時には寄っていってお母様に「お手伝いしましょうか?」と先に声を掛ける。
その許可を頂いてから、その子に声を掛ける。
「何で泣いてらっしゃるんですか?おたくは」っていうのを聞く。
「理由があったら私に教えていただけますか?警察でも呼びましょうか?」とかっていろいろ言っているうちに子供がふっと泣きやむ。
泣いている子供は母親と自分の関係だけで泣いている。
そこにおじさんが割り込んでくると「自分の泣き声は社会的信号として受け取る人がいるんだ」と。
その人が全然とんちんかんなことで「警察を呼びましょうか?それとも救急車ですか?」とかって聞いてくるっていう。
そういう「社会を発見させる」という意味合いで、通りすがりのおじさんはむやみに子供に絡むっていう。
そういう「むやみに絡んでくるおじさん」って昔いた。
よく福岡で冗談で言うのだが、昔のおじさん(九州のおじさん)はちょっと体格のいい子を見ると口癖「相撲取りにでもなるとか!?得意技は何か?下手投げやろ?」と大きい声で。
今はもう、お母さんが嫌な顔をするし「ちょっと怪しいんじゃない?」って思ったりされる。
ちっちゃいおじさんで女の子に向かって「おっきいねぇ。牛乳飲んだの?おっきいねぇ」。
これはだからそういう者に対する「慣れ」。
その「慣れ」っていうのがちょっと尋常じゃない人を見分けるための触覚でもある。
昔のお侍さんは帰り道を変えなかった。
いつも同じ道をお侍さんが通って帰った。
それでそこにちょっとでも妙な気配があると「あ、この人危ない」とかってわかったという。
だからやっぱり「気配から人を見抜く」という能力が必要なのではないかなぁという。

先に書いたお好み焼き屋さんでのことである。−中略−
 あまりにも親切だったから、私は、お店の売り上げupに貢献できたらと思って、お好み焼き屋さんの暖簾を写真に撮ってツイートしようとした。それで写真撮っていいですか?と聞いたところ、お店から店員さんが出てきて暖簾の前でピースをした。暖簾を獲りたかったんだけどなと思ったのだが、それはそれでとてもいい写真になった。
(144〜145頁)

 ああ、ひとが、中心なのだ、と。
 ひとが、大事なのだ、と。
 写真を撮るにおいて、ひとが入るのがこの地域ではおそらく常識なのである。
(145〜146頁)

森川すいめいさんの文章の中で、ちょっと気になったというか惹きつけられたのは、老人施設がある、あるいは役場。
そこには行政の職員たちがいるわけだが、この本で探っている自殺希少地域にはそういうところの共通点があって「公」の立場にある人、例えば施設の職員さん、あるいは役場の職員さんたち。
みんな楽しそう。
そこがやっぱり自殺が多いところと全然比較にならない。
なぜなら住民と対話している。
その施設の役員の方とか行政の職員の方が。
対話そのものが無茶苦茶長い。
行政、あるいは住民サービスの成果というものがすぐ数字で求められる。
そうではなくて、このエリアは住人と話していること自体が成果。
もう話しているだけで。
一番重大なことは「住民を幸せにすることが行政の務めであるならば、その行政を支えているスタッフたちも幸せでなければならない」。
行政に対する不満で一番多いのは一体何かというと「役所は説明はするけど、相談には乗ってくれない」。
解決しなくてもいい。
相談に乗ってくれるだけで、もうそれは行政の成果。
(本によると「行政が相談に乗ってくれない」ということではなく「行政が相談をしてくれない」)
だから小池さん(小池百合子都知事)にも本当に早く幸せになっていただきたい。
小池さんがまず幸せにならない限り、東京都民は幸せにはなれない。
そう発想したらどうか?
現代というのは自分が幸せになるっていうことを横に置いておいて、他人を幸せにしようとする無理が全体を暗くしているのではないか。
トランプさんも大統領になったばっかりに自分を犠牲にして人を幸せにしようとするから・・・。
バロン君(バロン・ウィリアム・トランプ)が心配な武田先生。
あの子は何となくあの『ホーム・アローン』の主人公(マコーレ・カルキン)に似ている。

ホーム・アローン (字幕版)



何か線の細さが似ている。
バロン君は本当にお金はある。
あの子は心配。
トランプさん以上にバロン君が心配。
大理石とガラスで作ったおうちに住んでいる。
底冷えする。
コタツもないのに、バロン君は震えると思う。
広い部屋なんか住むもんじゃない。
暖房入れたところで全体が暖まるのにどれだけ時間がかかる?
バロン君のおうちは窓が開かない。
周り全部防弾ガラス。
それはやっぱり不幸。
地上階に住んでいるから開けっ放しでOK。
だからやっぱりバロン君の環境はこの本でいうところの自殺多頻発地帯の真ん中に住んでいるような少年期。
トランプさんはもうそんな、この倍生きるワケじゃないんだから、働けるにしたって4年が限度。
早死にする典型の体型。
インドに生まれていたら罰金を取られる体型。
「肥満税」の導入検討 ジャンクフードの普及でインド政府
歳を取ってタンパク質を摂るバカがどこにいるか。
武田先生だったら物差しで叩かれてしまう。
「どの手だ、どの手だ!肉を食べたのはどの手だ!」って言いながら。

フィンランドで成果を収めた精神の病気の回復法。
お薬とかそういうのは全部やめて人間関係、そういう「人との会話の中で病気を治していく」という。
そっちの方が回復というのが可能性が高い。

「ひととひとの関係の中で病は発症する」(159頁)

回復するためにはやっぱり人との関係が大事であるという。

伊豆七島の船がたどり着く最終地に神津島(神津島村)がある。(154頁)

 人口約二〇〇〇人の島なのだが、住む集落はひとつで、そこにひとが密集している。(155頁)

ここはもう自殺希少地帯、非常に自殺者が少ない島。

「この島のひとたちは、ひとの話をきかない」(162頁)

もちろん陰口、それから噂話もある。
そういうことはちゃんと世間にはあることはある。
ただ、人に引きずられ同調するということがこの島の人たちにはない。
二千の島人は生きやすい環境について同じ目標を持っている。
母子家庭が多い。
東京に出て行った娘たちは離婚すると必ずと言っていいほど神津島に帰ってくる。
何でかっていうと東京なんかより遥かに神津島の方が子どもが育てやすい。

「この島では、子どもを外に出しておけば誰かが面倒をみてくれる」(166頁)

精神病の回復訓練でもそうだが、グローバリズムになると「世界的に競う」という時代。
必死になって人が競争するという時代。
この競争がはたして人間のためにいいのかどうか。

 神津島のそのカフェはNPO法人が運営していた。
「おとしよりの会話をする場になればと思って」
(167頁)

 特養と障がいをもつ施設は隣り合わせだった。(168頁)

「特養でひとが死ぬことになったとしても、それをほかのおとしよりに隠すことはしません。みんなで見送ります」(171頁)

だからやっぱり人を迎えて、知り合って、見送る、ということを島全体でやっているもので「死別の悲しみ、それはとにかく島全員で共有しよう」という。
厳しい自然に対して生きてきた島人たちは、はっきり考えを持っている。
それはどんな考えかというと

「なるようにしかならない」(175頁)

投げやりにも無力にも聞こえるかも知れないけれども「なるようにしかならない」というのはある意味見事な覚悟ではなかろうかと森川さんはおっしゃる。

武田先生の考え方。
この時代、人を苦しめているのは全てある一つの出来事、その「一瞬で世界を変えよう」という、そういう人間の野望、それが人間を苦しめているのではなかろうか?
それから最近思うのが、強力なリーダーが国を引っ張っていくっていう「トップオブリーダー」。
一人のリーダーがいて、モーゼのごとく民を率いるっていう、そういう集団の有り方がパワーをなくしている。
それのいい例がアメリカのトランプさんじゃないか?
トランプさんはトップオブリーダーではない。
では彼は何者か?というと「フォロワーズリーダー」。
ビリッケツの人たちを後ろでまとめている人。
しんがりっていうのは戦国時代の退却戦の物語で、軍勢のビリッケツを追いかけてくる敵と戦いながら逃げる。
「しんがり」っていうのが実は今、時代のトップではないか?
それがトランプさん。
つまり、もうアメリカの時代は終わった。
退却戦が始まっている。
その退却戦のリーダーがトランプさんなのではないか?
『三枚おろし』で武田先生がいいことを言っていて、自分で自分に感動して「うまいこと言うなぁ、この人は」と思った。
トランプさんの顔は「根性の悪いサンタクロース」。
今までプレゼントを世界中にばらまいていて、景気のいいサンタクロースが、何か人の家に寄って「ギフトを奪っていく」みたいな。
「逆の構造のサンタクロース」がトランプさんなのではないか。
つまり「アメリカの退却が始まった」ということで。

神津島の人たちのつぶやき。
「なるようにしかならないのだ」
これは決して絶望の言葉ではないような気もする。
それは立派な覚悟だ。
自分の思うようになそうとする人っていうのはどこか無理がある。

今、中国がサンゴ礁を埋め立てて飛行場を作ったりしている。
本当にあれは、軽い津波でも起これば全部消えてなくなる。
そんなに簡単に飛行場にはならないような気がする。

著者は自殺希少地帯を歩きながら対話する「オープン・ダイアローグ」こそが人を自殺から救う、ただ一つの道であると、そう発見する。
やっぱり「会話する」ということがいかに大事か。
八割の方が他人との対話で精神の病が治るそうだ。

 呼吸しなければ、ひとは死んでしまう。
 この呼吸と同じように、ひとは対話をする。
(179頁)

 しかし、ひとは対話しなければ死んでしまう。(180頁)

「対話というのは、自転車に乗るようなものだ」
と言ったひとがいた。自転車に乗れるようになったときに自転車の乗り方をことばで教えることはできない。対話も、どうしたら対話になるのかをことばで説明したとしても、対話できるようにはならない。
(180頁)

「相手は変えられない、変えられるのは自分」(181頁)

できることは助ける。
できないことは相談する。
そしてその人に関わり続ける勇気を持つこと。
それが人を心の病から救う道。
つまり自殺者を少なくする一本道なのだ、と。
これは当たり前のことなのだが大事。
内田樹さんの本を読んでいても、何かそのことがしきりに書いてある。
「人と人とが助け合う」という共同体を戦後日本はずっと壊してきた。
それがいかに人間にとって必要なものかっていうのを、もう一回考え直すべきだというのを本で読んで深く考え込んだ。
この精神科医の先生がやってらっしゃるのは、これもやっぱり新しい世界の見方。

ありものの世間の知恵をどう組み合わせて生きづらさを削っていくか。
それが人間の暮らしにとって、ものすごく重大なことである。
あえて申し上げることは、指摘することは失礼にあたるのでしないが、やっぱり日本には自殺が非常に少ないエリアと、自殺が非常に多い地域がくっきりとあるという。
それを「そこは多い、ここは少ない」そんな比べ方じゃなくて、少ないところを見つめて「一体何がうまくいっているから、自殺者が少ないのか」っていう。
そういう町の見つけ方、見分け方というのを身につけるべきだっていう。
前から武田先生が思っているのは、お祭りを持っているとか花火大会があるとか、そういう町というのは共同体の「帯」みたいな「絆」みたいなものを持っているような気がする。
水谷譲のご主人の出身地は神奈川県の三浦。
お祭りがあって、若衆がみんな「木遣り」を歌う。
みんなができる。
お祭りの時は歩いている子供に普通に「はい」ってお小遣いをあげる。
それをみてちょっとびっくりして「都会と全然違う」と思った。
「コミュニケーション力が全然違うな」とその時思った水谷譲。

武田先生が弘兼憲史さんや別の人からも教わった話。
新潟の長岡の名物は花火大会。
ものすごくデッケェ花火を打ち上げる。
ここの若い人たちがあることを思いついた。
何を思いついたかというと「この花火をハワイ真珠湾で上げたい」。
それで苦労して花火を運んでハワイで上げている。
何年か前(調べてみたら2012年かららしい)。
キー局は報道してくれない。
こんな素晴らしいローカルニュース。
それを映画で記録にした人もいる。
「長岡の大花火が真珠湾で上がった」っていう。

この空の花 -長岡花火物語 (DVDプレミアBOX版)



何で上げたか?
それは若い人のアイデアだが、真珠湾攻撃を指揮した軍人さんが長岡出身だったから山本五十六の生まれた町。
それゆえにかえって真珠湾で上げた。
首相が行く前にローカルはそれくらい歴史にきちんと向き合った行動をとっている。
「花火一つが世界を結ぶ糸口を見つける」という。
そういう意味で、自殺者に限ってはいるが、この方がやってらっしゃるフィールドワーク。
新しい人間関係、新しい共同体の関係づくり、そういうものになるのではないかなぁと思って紹介した武田先生。

2017年2月27日〜3月10日◆その島のひとたちは、ひとの話をきかない(前編)

その島のひとたちは、ひとの話をきかない――精神科医、「自殺希少地域」を行く――



この本の副題にギクリとして手を伸ばした武田先生。
精神科医、「自殺希少地域」を行く
いろいろ地域社会の探り方があると思うが、自殺が多発するエリアと自殺が少ないエリアが日本にある。
多発するところはちょっと発表しにくいし言いにくい。
だったら逆に自殺が非常に少ないところを実際歩いてみよう、と。
案外そこに地域コミュニティ、共同体の何か秘密があるのかもしんない、と。
一カ月ぐらい前にこの本を読売新聞がコラムでほめていた。

こういう研究をなさっている方がまた他に精神科医で岡檀(おかまゆみ)さんという方が調査をなさって「自殺希少地帯」というのをピックアップしてある。
それに精神科医の森川すいめいさんが、現実に足を運んで「希少地帯とはどんなところなのか」ということを調べてらっしゃる。
自殺の問題は人を鬱陶しくさせるが、森川さんあたりはもう一歩突っ込んで「多いところと少ないところがある。多いところは横、置いといて、少ないところはとにかく一回行ってみよう」と「何かあるかもしんない」という。
「自殺」に「地域差がある」。
「南の島は少ないんじゃないかな」というイメージを持つ水谷譲。
「気分に希少が影響する」ということもあるだろうが、結論から言うと森川さんがその自殺希少地域を歩くと「共通点」があったという。
その自殺希少地域の共通点は何かというと「人の話を聞かない」。

 私は生きやすさとは何かを知りたかった。(9頁)

自殺者が少ない。
そういう島とか村とか浦とか字には多発地帯が見逃した何かがありそうな気がする。
自殺を予防する因子とは何なのか?
頭をよぎるのは、やっぱり共同体として相互扶助の繋がりが非常に強いんじゃないか。
助け合いが。
しかし事実はそう簡単ではない。

 岡さんの、近所付き合いの意識に関する調査項目では、希少地域では、隣近所との付き合い方は「立ち話程度」「あいさつ程度」と回答するひとたちが八割を超えていて、「緊密(日常的に生活面で協力)」だと回答するひとたちは六パーセント程度だった。一方で、自殺で亡くなるひとの多い地域は「緊密」と回答するひとが約四割だった(23頁)

つまり、ここに私達が見落としている何かがあるのではないか?
「浅い付き合いしかしないですよ」というところの方が自殺が少ないという。
著者はフィールドワークとしてその地域へ歩く。

 徳島県に自殺で亡くなる人が少ない地域(以下、自殺希少地域)があると聞いて、私はいてもたってもいられなくなって現地の旧海部町(二〇〇六年に合併し現在は海陽町)に行った。(16頁)

旅館でお茶とお茶菓子の接待を受ける。

 用意されたお菓子に、まだ癒しを期待して、それを食べようと思って手にした。
 ただ、なんとなく雑な感じがしたからか無意識にお菓子の裏側をみたところ賞味期限が切れていた。
「すみません、なんか、賞味期限が切れているみたいで」
と聞いてみた。ところが職員さんの反応は予想を大きく外れたものだった。
「へっ?」
と、びっくりしていた。私はてっきり期限が切れていることにびっくりしたのだろうと思ったわけだが、そうではないとすぐに気付かされた。
「ほお。ほうかほうか。さすが若いひとやね。若いひとは、そういうの気にすんのやね。ほうかほうか」
−中略−
 ちなみに後でもってきたお菓子は、職員さんがたぶん家からもってきたものだと思う。
(17〜18頁)

「おおらかなものだなぁ」と思いながら、森川すいめいさんの自殺希少地帯の旅が始まる。

自殺対策を予防と防止に分けて考えるのだ。
 防止というのは、自殺の具体的な手段から遠ざかる方法である。例えば、ビル屋上のフェンスの高さを何メートル以上にすると飛び降りるひとがいないとか、地下鉄などでホームドアなどがあげられる。
−中略−
 予防は……これはさまざまだ。例えば、飲酒は、一日四〇グラム以上のアルコール(日本酒で二合程度)を毎日摂取すると、そうではないひとに比べて自殺で亡くなるひとの割合がぐっと増えるといった研究は予防につながっていく。
(25〜26頁)

著者は「自殺者を減らしたい」という社会的願望を解決を急ぐあまり、この「予防」と「防止」をかえって混乱させているんじゃないか?と。
大きな声で叫ぶ人の意見にどうも世論というのはミスリードされている。
声の大きな人に任せではいけない。
声の大きい人が、今なんかもう「勝つ」世の中。
何かいろいろ政府の方針に文句があってもいいのだが「死ね日本」とかっていうのを世論として取り上げていいのかどうか。

2016年11月初め、大きな広告代理店で新入社員の若い娘さんが荷重の労働で自殺をなさった。
上司への恨みを書いた電子メモを画面にいくつも残していたという。
社長さんが交代した。
電通の石井直社長が辞任表明 高橋まつりさんの過労自殺問題の責任を取る【ライブ中継】
そこの巨大なビルは何と、夜の10時から以降は働けないようにビルの明かりを全部消したという。
電通、10時に消灯 深夜残業を防止  :日本経済新聞
それが解決策になるのだろうか?
いかにも「働いてません」のアピールの方が強いのではないだろうか?

著者は自殺予備の観点からとりあえず四つの点を予防因子としてあげてみたい。

A 疲労が蓄積している
B 孤立している
C 気分転換がない
D やり方がわからないで悩んでいる
(29頁)

(番組では自殺の予防因子と言っているが、本によると「こころが疲れた支援者のタイプ」)
その因子の分析は静かな声でやったほうがいいと。

著者の自殺希少地域の旅は続く。
その海部町で町を歩きながら、町を観察する。
そうすると、治安がよくてどの家もカギをかけていない。
そういうところが今でも日本ではある。
ただし、この旧海部町「泊まりでどっか遠くへ出かける時は、必ずカギをかける」。
なぜか?

「外泊するときは鍵を閉めたほうがいい。数日後に帰ってきたら、部屋の中に腐った魚があって、においがとれなくて大変なことになったなんてことがある」
 釣れた魚はみんなでおすそ分けする。もらう側の意向は関係ないから、あげたいと思ったひとがあげたいひとに魚を届ける。そのひとが、家のひとが不在だと知らなければそうなる。
(32〜33頁)

(番組では「魚の水揚げの何%かは必ず町全体に配られる」と言っているが、そういう事情ではない)
だからこの自殺希少地帯というのは「裏切る何か」がある。

「赤い羽根共同募金の寄付率はとても低い」
といった紹介もあった。自分が寄付したいと思うところにする。みんなが寄付するからするといった思考にはならない
(33頁)

プライバシーの概念が低く、互いの家族の不幸なども町中の人が知っている。
これはちょっとギクッとする。

 個人情報を保護しなくてもよい地域が生きやすいということなのかもしれない。(34頁)

習慣として「個人情報は町中が共有する」という。

希少地帯のもう一つの特徴。
ベンチの数が多い。
バス停等々、ちょっと見晴しのいいところに必ず小さな屋根付きのベンチが置いてある。
バス停にも屋根付きの小さなベンチが置いてあるが、ほとんどバス利用者じゃない。
近所の老人がそこに、年がら年中座っているという。
バスが止まると「行っていい、行っていい」という。

世田谷に住んでいる武田先生。
武田先生が歩く遊歩道は寄付金でベンチができるようで、例えば定年退職のお祝いとか孫が生まれた記念とかで自分の気に入った場所にベンチを。
背中のところにちっちゃく「寄贈」と書いてある。
そのベンチを寄贈した人が座りたかった場所だから、何かいい風景がある。
だから何気なくても春先、その周りに沈丁花の花がバーっと咲くとか、そういうのを見るとベンチ一つ残してこの世を去っていくというのは小粋。
武田先生が約束しているのは大船渡の知り合い。
今、一生懸命公園を作っているのだが、この公園ができたらベンチを一個寄付しようと思っている。
この「ベンチの効用」というのはどうもあるようだ。

この自殺希少地帯、非常に自殺が少ないエリア。
そのバス停なんかに座っている老人と話す。
そうすると、とにかくその老人たち、おじいちゃんおばあちゃんたちが嘆く。
娘の心配、息子の心配。
それから人口がドンドン減っていって、村が町が浦が痩せていくという心配。
をれをバーっと嘆く。
それでさんざん嘆いて「じゃ、時間になったから私帰るけ」って言いながらスッと帰る。

「病、市に出せ」
 この地域には昔から大事にされているこのことばがあると事前に聞かされていたから、私はなるほどと納得した。
 内にためず、どんどん市、自分の住む空間に出しなさいという教訓。
(42頁)

言うだけで楽になるというのはある。
それは気分転換、ストレス発散になる。
嫌な事を全部友達に話してスッキリさせるという水谷譲。
その手のものは一種、女の人の強み。
男はできない。
男性の方も溜めこまずにこの老人たちを見習って、とにかく「市」に並べた方がいい。
武田先生は九州の田舎、町の外れのタバコ屋の小倅。
本当に嫌になるぐらいおばさんが集まる家。
そのおばさんたちが大きな声で、もうありとあらゆる不幸を語っていく。
「父ちゃんが浮気した」とか何とか。
それを母親が縫い物をしながら聞いている。
でも、それは考えてみたらいわゆる「病は市へ出せ」という、そういう姿があった。
武田先生がおばさん臭いのはそういう生まれた環境。
おばさんたちは「自分の不幸をいかに飾り立てて人に報告するか」だから、火事に遭って家が全焼したっていう非常に不幸なおばさんがいた。
そのおばさんが自分の不幸を語る時の名言が「下駄の片一方も残らんかった」っていう。
何もかも焼けてしまって下駄の片方だけ、それも残らなかったという。
そういう表現の比べあいっこになる。
武田先生が芸能人でそこそこ喰えるようになった時に「よかったね、鉄ちゃんが大当たりで」と言った時に母親が言った名言。
「あんたも子供だけはいっぱい産んどきなっせい」と若い奥さんに。
「五人産んどきゃ、どれか当たりますばい」という。
この何か「パチンコの台」みたいな言い方。
そういう言い方の中で、子育てが思い通りにいかない不幸を母親は笑ったのではないかなと思う武田先生。

私は親不知を抜いたばかりで糸がまだ口に残っていた。そして痛みを感じ始めていた。(43頁)

2006年のこと(「2006年」というのがどこから出てきたのか不明)だが、歯医者は遠くて82km先。
(この後、ちょっと本とは内容が異なる説明が続く。番組では「歯医者の元看護婦さん」が歯医者の小道具が入ったカバンを貸してくれたということになっているが、本によると「元看護師さん」から道具を借りた)
この著者はまた町をブラブラ歩いて「自殺の少ないこの町の特徴は何だろうか?」と探している最中、町ですれ違うほとんどの人から「痛みは治まったかね?」。
(本によると、声をかけられまくったのは、歯の処置をする前)
つまり中居さんが人を探す時に、町中の人に症状とか痛みの具合とかを全部話しているものだから「あの旅館に泊まっている旅人のあの人」ということで、町中の人がもう全部知っていた。
「プライバシーの保護」というのがこの町では全く意味をなさないという。
私共は「プライバシー保護」っていう名目で意外と「苦しみ」とか「痛み」みたいなものを人に伝えきれないでいるのではないだろうか?
これは面白い。
物事の「価値観」なのだろう。
徳島県の旧海部町なのだが、ここに「特別支援学級を作ろう」という行政からの提案があった。
支援の必要な子供たちがいるので特別支援学級を作ろうとした。
ところが反対が多く成立しなかった。
(本には反対が多かったことは書いてあるが「成立しなかった」とは書いていない)

 障がいをもつひととそうでないひとを子どものころから分けると、お互いにお互いのことがよくわからなくなってしまう。どういうった場面でどういった助けが必要なのか、それを自然にできるようになるためには日常の中にお互いがいなければならない。(50頁)

自分家の子が帰ってきて「今日、二回も転んだけど、ちゃんと自分で立ったよ」とかって言うとその子に会うたんびに「今日立ったんだって?偉かったね」って言いながら褒めてあげられるし、転んだら「あの子だ」というのでコミュニケーションがとれるから学級を分けるのはやめてくれっていう。
これが本来の「姿」であって。
ここでは心理的に緊密ではないが、お互いに近い関係を保っている。
人間関係は深くなくとも軽く。
しかも彼らはコミュニケーションに慣れている。
「コミュニケーション能力」というのはこういうこと。
英語が話せることでもなんでもない。
これはよく調べると「歴史」がある。
ここは小さな町で400年も前に互助、「お互い助け合う」という組織がある。
「朋輩組」と呼ばれている組織が生きている。
冠婚葬祭などの助け合い、金銭、離婚、病の相談まで、困りごとについては町中で語り合うという。

「問題が起こらないように監視するのではなく、問題が起こるもんだと思って起こった問題をいっしょに考えて解決するために組織がある」(62頁)

人生はしばしば困ったことが起きる。
このことを前提にして近所がいつでも薄くお互いに結び合っているという。
弱い繋がりからお互い助け合う。
「お互い助け合う」というのは、この日本では生きていく技術の一つ。
地震は多いし、夏は夏で台風が来る、冬は冬で雪に苦しむ。
そういう自然の災厄から逃れるためには結びつくしかなかったという。

 海部町の駅のそばに、山がのっかっていないトンネルが立っている。(66頁)

「山があったから行政が、まあトンネルを作ろうってことになったわけですわ」
 税金が動くことだから町民全員にかかわる問題である。そしてトンネルができた。
「ところが、じきに、嵐が来て山がもってかれたんですわ」
 そこに在ることを教えてもらうまで気づかなかった「トンネル」を見ると、確かにそれはトンネルだけしかなくて上になにもないことにびっくりする。
「ふつうは、行政何やってんだって、怒ったりもするんだと思うんですわ」
 しかし町民は怒らなかったという。
「それどころか、トンネルの上に植物植えるひとまで現れた」
(67〜68頁)

今、「政治の責任」とか何とかってしきりに言う。
武田先生がすごく好きだった、人がお書きになった文章。
本の中で一番ショッキングだったのは「国民の義務」という。
「納税」と「勤労」という「税金を納めてしっかり働く」という。
「この二つをこなさない限り、おまえは国民ではない」ということを書いた本があって、結構シャキッとしたのを覚えている。
「仕事うんと楽にやってエンジョイする暇なんか作っちゃって、税金はわりと納めないぞ」っていう「そういうヤツは国民じゃねぇ」という。
アメリカ大統領も税金は納めなきゃダメ。

(ここから本とは無関係な話になるので割愛)

2017年03月26日

◆RSP56◆マンナンライフ◆蒟蒻畑ララクラッシュ◆18◆

次にご紹介するのはマンナンライフ様の蒟蒻畑ララクラッシュです。

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ブースはこんな感じでした。

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サンプルバッグにも一袋入れていただきました。
この「マンゴー味」と「パイナップル味」は3月6日発売だそうです。

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中はこんな感じ。
一個たったの6kcal!
でも食べた感じは普通の美味しいマンゴーの味のゼリーって感じで、甘味もしっかり感じます。
これならダイエット中でも安心して食べられそうですね。
口の中でほどけるので、私みたいに歯が悪くても安心♪

【 2016 秋・冬 Ver 】 [トクホ] マンナンライフ 蒟蒻畑 ララクラッシュ 最新アソート5種<マスカット味・ぶどう味・りんご味・オレンジ味・杏仁ミルク味>× (各24g×8個) 合計5袋(40個)



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◆RSP56◆協同乳業◆メイトー ミルクde水素◆17◆

試飲もさせていただいた協同乳業様のメイトー ミルクde水素をご紹介します。

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サンプルバッグにも一本入れていただきました。

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ブースはこんな感じ。
ブースでも試飲がありました。

商品名に「水素」っていうのが入っているので、最近流行っているすぐに抜けちゃって無意味な水素を入れてあるだけの無駄な商品かな?と思ってしまいましたが、これは全然違う内容でした。

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「水素」って書いてあるのに、何と水素は入ってない!!!!
「え?どういうこと?」って感じですね?

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牛乳を飲むと水素ができる!
全然知らなかった!!!!
だったら水素を摂取したければ牛乳を飲めばいいのでは?って感じですが、何しろこれは「腸内フローラ」ってのが関係しているので、人によって腸内環境はいろいろですので、たくさん水素が作られる人がいれば、あんまりできないって人もいるワケで。
そこでこの商品の登場ですよ!
これなら腸内フローラの都合であんまり水素ができないタイプの人でも水素ができちゃう!
しかも水素の持続時間が約10時間と、とっても長い!
ということで、水素をとりたいけど、水に水素を溶かし込んだだけのじゃあ無意味だろうしな・・・とお悩みのアナタにもオススメの商品!

肝心のお味ですね。
飲んでみた感じは、甘味を感じる味なんだけど脱脂粉乳の甘味に似ている感じかな。
もっと牛乳っぽい味なのかな?と思ったけど、牛乳ぽくないってほどではないけどちょっと違う感じ。
飲みやすい味だとは思うけど。

ミルク de 水素【200ml×24本】常温保存可能



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コイケヤ ポテトチップス 九州うまくちしょうゆ味

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湖池屋から九州限定製品が2品登場! 『コイケヤポテトチップス 九州うまくちしょうゆ味』 『カラムーチョチップス 柚子こしょう味』新発売
このたび、九州での限定製品発売にあたり、地域特性のある『しょうゆ』に着目しました。
九州では、比較的『甘み』や『旨み』のあるしょうゆが好まれており、地域特性をより高く訴求するため、九州でなじみの深い『フンドーキン醤油株式会社』のしょうゆ「ゴールデン紫」を使用。
なじみの深いしょうゆを使用することで、『しょうゆのおいしさ』がはっきり感じられる、九州うまくちしょうゆ味に仕上げました。
■フンドーキン醤油について■
大分県臼杵市にある『フンドーキン醤油株式会社』は、1861年(文久元年)の創業以来、味ひとすじ・純正をモットーに、しょうゆ、味噌をはじめとした多くの調味食品を製造・販売しています。先人の知恵と技を受け継いでつくられたしょうゆはコクがあり、風味豊かな味わいです。

フンドーキン ゴールデン紫 1L×3本



2010年4月26日発売なので新発売ではないけど、九州沖縄地区限定商品。
内容量60g。
スーパーで98円(税抜)で購入。

醤油っていうから、結構ガッツリ醤油のしょぱさが強い味なのかな?と思ったら、結構甘味がある。
九州の醤油は甘いっていうから、そういう甘い味の醤油の味なのかと思うが、九州の甘い醤油の味は知らない。
味付けは濃い目な感じだけど、食べやすい方かな。



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2017年03月24日

ファミリーマート さくらあんまん(もち入り)

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さくらあんまん(もち入り) |商品情報|ファミリーマート
香り豊かなオオシマザクラの葉をあんに混ぜ込み、中心に餅を入れることで、桜の風味・餅の食感が楽しめます。

3月21日発売。
100円(税込)。

家から近いファミリーマートで買ってきたんで冷めきっちゃう前に喰えるかなと思ったけど、お茶も一緒に飲もうと思ってお湯とかわかしたりいろいろしてたら、若干冷めて見た目もちょっとシワシワな感じに。
表面は綺麗なピンク色。
中にはこしあんとモチが入っている。
あんまんはあんまんなんだけど、何だか和菓子っぽい感じの味だなぁと思ったけど、中のモチとかアンに混ぜ込んである桜の葉の影響かな。
それほど桜の葉の味は感じないんだけど。


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2017年03月23日

◆RSP56◆合同酒精◆鍛高譚の梅酒◆16◆

次は合同酒精様の鍛高譚の梅酒です。

鍛高譚の梅酒の紹介|鍛高譚

合同酒精 鍛高譚の梅酒 瓶 500ml



サンプルバッグにこれを一本入れていただきました。

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ブースはこんな感じ。
ブースでは試飲もさせていただきました。
試飲で凍らせた梅酒をいただいたんですけど、夏場にこれは危険だなと。
冷たくて美味しいので、どんどん飲めてしまうけどアルコールなのにうっかりたくさん飲んでしまいそう・・・。

国産梅100%使用だそうです。
香料・着色料無添加!
味ももちろん飲みやすくて美味しいけど、この商品の素敵なところは色ですね
すっごく綺麗な赤い色です。

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◆RSP56◆森永乳業◆クラフト無垢◆15◆

次は森永乳業様のクラフト無垢

クラフト 無垢 大人の熟成ゴーダ味 | チーズ・バター | 商品紹介 | 森永乳業株式会社

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ブースはこんな感じ。

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試食もいただきました。
「雑味のない本来のうまみが楽しめるおつまみ」ということで、クセもなくチーズらしい味で食べやすくて美味しかったです。
小さくて個包装なので、食べたい分だけ手軽に食べられるのも魅力。

「無垢製法」というので作られているそうなんですけど、無垢製法っていうのは何かっていうと、チーズのうま味を最大限に引き出すため、濃縮レモン果汁を使用して、おだやかに混ぜ合わせるそうです。
そうすると
なめらかな食感奥行のあるうま味を感じる大人のチーズおつまみが完成!
とのことです。

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2016年10月24日〜11月4日◆実技、嫁に来ないか(後編)

これの続きです。

内田樹先生は前の奥様と離婚なさって、赤ちゃんを引き取って自分で育てたという。
合気道をやりながらフランス哲学を研究して、子育てをやってらしたというのが何かいいと感じる武田先生。
華麗なばかりでなく、悲哀も感じるという師の前半生。
そこで実に不思議な体験をなさる。

レヴィナスというフランスの哲学者の研究が僕の専門で、子どもが小さい頃はずっとレヴィナスの『困難な自由』という本の翻訳をしていました。レヴィナスというのは難解で知られた哲学者で、読んでもさっぱりわからない。−中略−
 それをそのまま押し入れにしまって、2年間ほど寝かしておきました。
−中略−
 そして、ずいぶん経ってから出版社の編集者に「あれ、どうなりました?」と訊かれて、「あ、そうだ」と押し入れから引っ張り出してみてぱらぱら読んでんみたら、今度はわかったんです。「わかった」というより「わかるところがいくつかあった」くらいですけれど、それでも「まったくわからない」ところから「少しはわかる」というレベルになった。僕自身が変化したのです。
 この変化に一番大きな影響を与えたのは育児の経験だったと思います。
(147〜148頁)

困難な自由―ユダヤ教についての試論




このことに関して師ははっきり文章の中ではおっしゃっていない。
しかしわが子を「私がいなければ死んでしまう」という存在。
それを懸命に育てているうちに、自分の心の内に、このやっかいな生き物、面倒臭くて、突然泣いたり熱を出したり、他者を振り回すしかない「赤子」という生き物を愛せるようになっていた。
愛せるような「技」をいつの間にか習得していた。
「愛」というものはかくのごとく他者を経由しないと手に入らないものである。
赤ん坊が「他者」。
水谷譲は「ひどい」と言っていたが、母ちゃん(奥様)の顔を見た瞬間に「これでもいいか」。
「これでもいいか」というのは、ものすごく身にピッタリくる言葉。
「これでもいいか」というのは「これでいいんだ」ということだし「これしかない」ということ。
「君しかいない」といういい方を「これでいいか」という言い方にしている。
極寒の吹雪の中でオーバーを着て「これでいいんだ」と思って立っているのと同じ。
柄とかデザインとか一切気にせず「もういいじゃん、これで」とか「暖かいんだし」とか。
それをあえて言うと「愛」と呼べるのではないか。

二人の間には千里の隔たりがある、それを一生かかって七〇〇里までに縮めたいな、と。(166頁)

この夫と妻というのは、愛していなくても、もう平気で「愛してる」と言えるようになっている。
平気で抱き付いたりなんかする。
そういうことが「技」としてできるようになっている。
若い時は「何すんの」「大きい声だすよ」とかって言われたことがある武田先生。
ところがそれが平気になっている。
「それが夫婦ではなかろうか」というのが内田師範曰く。
「他者」として遠くに置きながら、それでも触れている関係。
この矛盾を達成した夫婦こそ夫婦なのではあるまいか?
私共は不思議なことに、その手の夫婦を街に日常いっぱい見つける。
「支え合わないとどっちかが倒れる」という夫婦は、本当に後姿を見ると「愛の形」に見える。

人気のない観光地。
静かな夕暮れの湖があって、何だか夕日がとても綺麗に見える断崖絶壁。
そこに妻を立たせて「もう少し下がってごらん、もう少し下がってごらん」と言っているうちに妻が静かに笑いながら言った一言。
「あ、殺そうとしてる」という。
殺意をもジョークで言い合うという。
それが夫婦ではなかろうか?
君が毎日飲ませてくれるサプリを飲むと、何だか最近胸が息苦しくて。
いつも奥様が出してくれたサプリを飲む武田先生。
これが実は夫婦なのではなかろうか。

武田先生が感動した私的な体験。
伊勢神宮の参道を杖をついておじいちゃんとおばあちゃんが手を繋ぎ合って、本殿を目指している。
あれを見た時に何か「じいさんとばあさんっていいなぁ」と思った。
つまり愛し合った時に繋ぎ合った手ではない。
「どっちかが離すと倒れる」という関係で繋ぎ合っている、おじいちゃんとおばあちゃんの手繋ぎ姿。
それから車いすの女房を黙って押している、白髪のおじいちゃんの機嫌のよさそうな顔。

 結婚生活にかぎらず他者との共同生活を適切に営む上でいちばんたいせつなことは「機嫌がよい」ということです。(168頁)

「機嫌がよい」というのは大事。
逆の意味で言うと、機嫌の悪い人は不幸な人。

 「エコロジカル・ニッチ」という生物学の概念があります。一定の自然環境の中で複数の動植物が共生するためには、生活のかたちを変えるしかない。夜行性と昼行性、肉食と草食、地下生活と樹上生活、そういうふうにライフスタイルを「ずらす」。相手がいないときに、相手がいない場所で、相手がしないことをする。それが生物に備わった共生の知恵です。結婚生活も基本はそれと同じだと思います。(175〜176頁)

奥様がいる時は奥様の邪魔をしないようにじっと家の隅でおとなしく。
出ていったらやりたいことを全部やる。
これが野生の知恵「エコロジカル・ニッチ」。
お互い、どっちかが出かけていった時の解放感を家の中で感じるという水谷譲。
「やったー!」「自由だ!」「バンザーイ、バンザーイ!」
それからもう一つ。
奥様の目を逃れて隠れて何かやる喜びはすごい。
ガレージで車を入れて「食べちゃいけない」って言われている揚げイカ。
揚げイカ一枚とビール一缶を四分ちょっとで両方胃の中に入れる。
「カッ!ペロペロペロペロ・・・」って言いながら。
ガレージで明かりを消して。
この時の、夏場の暑い時なんかタイミングがいいと、もうビールが吼えるほど美味い。
揚げイカが美味い時がある。

なとり ジャストパック いかフライ 6枚入×10袋



つまりこの前提になっているのはエコロジカル・ニッチ。
「女房の目が届いていない」という喜び。
水谷譲も「亭主が出て行った瞬間、万歳したくなる時がある」。
でも亭主が死んでしまうとその解放感が無くなる。
本当に「女房いてこそ」だ。
このエコロジカル・ニッチなんていうのは、生き物にとってものすごい喜びを与える。
直訳すれば「ずらす」。

起きるのが大体6時前後の武田先生。
時として5時半ぐらい。
バテた時は7時まで寝ている。
その5時半〜8時、奥様は絶対に寝室から出てこない。
「起きているんじゃないかなぁ」とは思っている。
本能的にずらしているのだろう。
その間に武田先生がいろんなものに触って汚したりするのだが「それは後で叱るとして」ということで。
それで武田先生が勉強部屋に行くと、奥様が階下から上がってくる。
ものの見事にすれ違うようにアレする。
武田先生夫婦がやっと茶の間に揃った時は、子供たちが起き出してくる。
子供たちもそれまで来ない。
やっぱり「ずらしあい」。
よく離婚の理由として「すれ違い」と言うがあれは嘘。
「すれ違い」は楽しい。

「俺が出て行く時に、女房が帰ってくる」という道で、あの時の夫婦の機嫌のよさはたまらない。
「よぉ!」なんて。
「今から行ってくらぁ」「じゃあ気をつけて!」とかって言いながら。
近所の目を意識して、うまくいっている夫婦を演じているのだが、何か妙な「はずみ」がある。
あれは「すれ違いの躍動感」みたいなのに溢れている。

一緒にいるときはできるだけ相手の邪魔にならないようにする。(176頁)

家族というものは一日に一回、一時間ほど集まって何もせず、その時間がやってくるとやがてバラバラに部屋に散る。
それぞれに家族は口では言えぬ秘密を持ち、またその秘密を薄々知りながら口に出さない。
それで立派な家族なのだ。

本の中に「問題のある家庭」のチェックポイントがあり、そこに「家族の間に秘密がある」という項目がありました。僕はそれを読んで、どういう人間がこんな質問票を作ったのか考え込みました。
 家族の間に秘密があるなんて当たり前じゃないですか。
(178頁)

(番組では「役所からの手紙のアンケート」と言っているが、本によるとアダルトチルドレン関連の本の質問票)
武田先生はこれに対して「本当、先生その通りです。私は『本当のことを言って』と妻にせがまれ、つい告白し、二度地獄をみたことがあります」。
本当に大変だった。
本当のことを言っちゃダメ。
大変なことになっちゃう。

 これから結婚生活を始めるお二人に私が申し上げたいのは、「結婚生活を愛情と理解の上に構築してはならない」ということです。(206頁)

「結婚っていうのをそんなに難しく語るから、しなくなる人がいるんだ」と。
結婚というのは誰でも手軽に参加できて、決心さえすればすぐに誰でも結婚できる。
これが結婚という制度なんだ。
「制度」というのはそういうものなんだ。

結婚というのは本来「配偶者に対する愛も理解もそれほどなくても十分維持できるし、愉快に過ごせる」ということをデフォルトして制度設計されたものです。(207頁)

「この人でよかった」など初期設定を振り返る。
そういう愚かなことをしてはいけません。
「この人かなぁ」と思ったらもう「していいんだ」「それで上手くいくんだ」と。
確かにその通り。
昔の人って見合いなんか滅茶苦茶。
全然会わずに結婚した人なんて山ほどいた。
それで全員が離婚したワケじゃない。
殆どの人がちゃんと最後まで結婚し続けて相手を送っている。
あんまり結婚というのを難しく「愛と理解」とか「永遠の愛を誓えるか」とか。
そんな厳密なものではないんだと。
グシャグシャになりながらも、何となくできるという。

武田先生の意見。
出会いの時、とても素敵に見えた。
「この人しかいない」と私は思った。
でも、この人はどこにでもいるタイプの人だった。
だけど、この人は積極的に私を裏切ったワケではない。
私の方がそう思ったのだから仕方がないだろうと。
そんな勘違いをした後、勘違いをする人がもう現れなくなった。
その人は最後の勘違いの人だった。
それだけで結婚するに値するのではないだろうかという。

10年前に結婚した水谷譲。
当時、ご主人は二人の子供を連れて『クレイマー、クレイマー』状態だった。

クレイマー、クレイマー (字幕版)



それを見て「私が何とかせねばならん!」という責任感が湧いてきたのがきっかけだった。
若い人、結婚前の人に伝えたいが「私がいないと、この人はもっと不幸になる」というような不幸を予感させる人じゃないと結婚する気にならない。
博多の公園で泣いて武田先生を見つめる奥様を見て憐れで。
「おらぁ不幸になってもいいから、この人を幸せにしたいなぁ」と思った。
でも今わかった。
この人はちっともかわいそうな人じゃなかった。
強い人だった。
大事な「勘違い」。
一度だけの勘違いというのが結婚の決め手になる。

男性はわりとものを置くときに記号的に配列する。−中略−でも、女性は、そのものが「何であるか」よりも「どれくらいの頻度で使うか」を基準にものを配列する傾向がある。(224〜225頁)

「自分の生理的利便性」が女を支配している。
武田先生の家の例。
居間にでっかいアラビア文字の数字の時計を奥様が掛けた。
もう、大きすぎる。
丸い時計で、お盆で。
アラビア文字で読みにくい。
普通の数字買ってこい!
(おそらくローマ数字の時計のことを言っているのだと思われる。アラビア数字は普通の算用数字だから)
それをボン!と置く。
でっけぇ時計が引っ掛けてあると、こっちも落ち着かない。
それで武田先生の家でもあるから「ちょっと時計、大きすぎんじゃないの」と一応言わせてもらった。
返ってきた言葉の鋭さがすごい。
「見にくいのよ!台所から」
台所から見るためにでっかいのを掛けている。
「リビングに来ればいいじゃん」と思う。
かくのごとく、女性というのは生理的利便性に従って物を並べる。
男は趣味に従って並べる。
大体ミニカーとか並べているのは男の人。
「そんな場所取るようなもの、何で買って集めるの?」というのが女の言い分。

お正月のおモチ。
当然だが、神様に近いところがいいから、なるべく高いところに置きたがる。
丸モチ。
神棚とかそのへんに置く。
そこに置こうとすると女は低い方の棚に置きたがる。
「棚じゃありがたみが無いだろう」「片づけにくいのよ!高いところ置いとくと」
「片付けることを考えて物を置く」という。
それはよくわからない武田先生。
女の方が実利的、実用的、現実的。

涙が滲みそうになりながら読んだ一行。
女房に逆らうな。
彼女の主観的秩序が我が家を支配しているのだ。
逆らわず、女房を鑑賞しなさい。
(本の中では女の人が物を置く秩序を「鑑賞」しなさい」という話になっている)
「(拍手をして)へぇ、お見事」って言いながら眺める。
「逆らわれると、どんな小さなことでもイラッとする」という水谷譲。

結婚すると人は変わる。
これは結婚40年50年のベテランだったらば身に染みて理解なさっているはず。
結婚して大いに人は変わる。
まず結婚すると、あなたの体の中に激変が起きる。
どういう激変か?
高嶺の花が少しもうらやましくない。

自家用ジェット機に乗ってる超富裕層の人なんか全然羨ましくないし、ドバイの超高層マンションのペントハウスで美女を侍らせたジャグジーでシャンペン飲んでるアラブの石油王なんかマンガにしか見えない。そういうのは羨望の対象にならない。(234頁)

結婚すると一体何がうらやましくなるか。
結婚をすると「ちょっと上」のヤツがうらやましくなる。

 家賃3万円の風呂なしアパートに住んでいるときには隣の家賃4万5千円の風呂付きアパートに住んでいる人が切実に羨ましい。(234頁)

イタメシ屋で妻と外食。
本日のサービス定食「サラダ付きトマトソース海鮮スパゲッティ」を頼んでいる。
これで充分、デートの時憧れた定食なのに、結婚したら横に座った夫婦者が定食に付いているサラダをわざわざ断って「気まぐれサラダ」を注文し、ピザをプラスした。
その時に「あ、こいつ『気まぐれ』頼んだ」っていう。
これが結婚しての変化。
やろうとすれば自分も手が届く範囲。
イタメシ屋なんかで二人で飯を喰う時に両方サラダ。
これはシェアするとして、ピザをもう一枚追加する。
絶対分量的にはピザを残す。
残すことを前提に頼むヤツにムカッとくる。
それだったらばドバイの空をヘリコプターで自分の運転で飛んで、まぐれで降りてシャンパン飲んでるヤツの方が許せるようになってくる。
バイキングでもそう。
山ほど取って残してるヤツを見るとムカッとくる。
(自分よりちょっと上をうらましく思ってしまう話は、本の中では「結婚をしたから」という内容ではない)

妻の理由の分からない不機嫌。
配偶者の不機嫌は夫婦にわずかなズレを感じさせる時、妻側から発せられる信号です。
ある意味ズレを修正させるべく取引のサインです。
「不快を耐えてオマエと一緒にいてやってるんだ。私の忍耐を、バッグを買うことで補え」という。
これは妻の不快。
女の人は不快を取引の材料に使う。

 配偶者との関係を穏やかで健全な状態に保とうと思ったら、まず「自分はどうすれば機嫌がよくなるのか?」について考える。
 この場合、配偶者のことは忘れてください。配偶者がどうあれば私は上機嫌になるのか、というふうに問題を立ててはいけません。
(239頁)

 倦怠というのは、申し訳ないけれど、自分で自分の人生に飽きている人間が感じることです。自分で自分の人生に飽きているのだけれど、それを認めてしまうと「後がない」ので、倦怠の原因を外部化して、「誰かのせいで人生に飽きている」というストーリーを作って、それにすがりついているのです。(242頁)

この倦怠は実は自分自身に飽き飽きしているもので、実は配偶者は何の関係もない。
ですから自分にもっと好奇心を呼び込みましょう。

自分の中にどんな「未知の資質」が眠っているのか、「未開発の資源」が埋蔵されているのか、それに対して真剣な好奇心を抱いている人は、まわりの人に「飽きたり」しません。(243頁)

「機嫌いい」ってものすごくいい言葉。
機嫌よく生きていきましょう。
最近「不機嫌を売り物にする」とかっていう人が多い。
視覚文化である代表のテレビはそう。
不機嫌な人を主人公に据えたがる。
それで飯を喰えている芸人さんなんかがいる。
でも、絶対にダメ。
あれは一生のマイナス。
とにかく「機嫌よく」。
あなたの機嫌よさを引き出してくれたのは誰か?
そうです。
「不機嫌な配偶者」です。
「ありがとう奥さん。本当にいい人生になっちゃった」
一生に一度そう思えただけで、その結婚は成功なのです。
そして「良かった」と思ったあなたは、この人類史の中で成熟を達成した成人として、そう、若き頃、押さえつけて遮二無二神前で誓わされたあの言葉「一生愛します」を成し遂げた奇跡の人になるわけです。
アナタは気づかないでしょうが、アナタの頭上には神からオリーブの冠が贈られるのです。

ご主人と結婚して「ま、こんなもんだろう」と感じる水谷譲。
やっぱり吹雪の中に立った時、毛布をかぶっていたら、その毛布の柄に文句を言っている暇はない。
「橙色が好きなのに群青色。嫌〜い」とかって、そんなことを言っている場合じゃない。
必死になって我が身に巻き付けておくという。
「とりあえず、これでいっか」ということ。
だから結婚はそういうことをつくづく教えてくれる。

2016年10月24日〜11月4日◆実技、嫁に来ないか(前編)

いつもは内田樹氏の文章には納得が行く部分が多いが、今回の本はちょっとな・・・って思いつつ読んだ。
結婚は自分次第で相手の資質をあまり問わない感じの内容だけど、この人は世の中には本気でクソな人がいるってのをご存じないのかな?って感じで。
まあ、そういうクソな相手しか選べないような人はそれ以前の問題だろって仰せなのかも知れないけど。

困難な結婚



高齢者の爆増とそれから少子。
そういうことで大変大きく揺れている日本。
「子供を増やさなければ」と叫ばれる政治のトップの方が、お子さんがいらっしゃらない。
それから東京の方で一生懸命仕切ってらっしゃる方も結婚は眼中にないという。
子が生まれないどうのこのうのは横に置いておいて、とにかく嫁に行かない、嫁を貰わないという男女がものすごい勢いで増えているという。
そいう時局にあって、武田先生が心より尊敬する哲学者の武道家、内田樹先生が『困難な結婚』という本をお書きになった。
内田先生お得意の「困難シリーズ」。
なぜ結婚は困難になったのか?
これを内田先生が口述筆記ぽく、ざっくばらんな言葉使いで「結婚という制度」を実に哲学的に、しかもわかりやすく説明して下さるという。
若い方への結婚をすすめつつ、倦怠期のご夫婦のためにも「なぜ夫婦であらねばならないのか」というのを懇々と説くという。

結婚のベテランのうちに入った武田先生。
ついこの間、奥様と喧嘩をした。
ムカッ腹が立っていろいろやっている。
でも、それもこれも込みでやっぱり「結婚」なのだ。
まずは結婚しない若い人へ。
この内田先生の御神託。
つづめて言うと「御託」をお聞きいただこうと思う。
内田師範曰く「『もっといい人』というのは、結婚を願う時、絶対にあなたの前に現れません」。
「もっといい人」
誰でも願う。
これは絶対に「もっといい人」は現れない。
このことをまず結婚前の方、結婚をまだ体験なさっていない方は考えて下さい。
時折芸能人でタレントさんあたりが「ビビッときたんです」っておっしゃる方もいらっしゃるがビビッとこない。
また逆の意味で言うと、ビビッとくる人と結婚してはいけない。
結婚とはそんなビビッという電気的なものではない。
これは武田先生が言っているのだが、内田先生も同じようなことをことをおっしゃっている。

結婚の実相、実態について最も正確に娘に伝えられる能力を持っているのは母親だ。
母親が背中越しに娘にボソッと言った言葉こそ結婚の実態だ。
「男なんてね・・・みんな同じよ」
これが最も男の本質を言い当てている言葉だと。

昨日の夜、帰りに渋滞だった武田先生。
もう本当にくたびれた。
富士山の見える湖あたりから車で、中央、東名両方とも混雑の中で、もうラジオばっかり聞いていた。
そうしたらNHKで結構いいのがやっていて、ホイットニー・ヒューストンの一代記をやっていた。
ジャズシンガーの人が彼女の一生を彼女のヒット曲と語りでずーっと。
大変な歌姫で。
でも本当に不幸。
本当に憐れなぐらい不幸な人で。
なぜホイットニー・ヒューストンという人は不幸になったのかというと、やっぱり結婚というものをあまりにも魔法のように考え過ぎた。
内田先生は何と言っているか。

「男なんてみんな同じよ」と言って結婚をせっついたものなんです。
 これはたしかに一理ある発言であって、男はもちろんピンキリなんですけれど、それはあくまで社会生活において際立つところの差異であって、家庭生活においてはそれほど劇的な差異は見られないのであります。
 だって、外ではけっこうややこしいネゴをまとめたり、てきぱきと会議を仕切ったり、複雑なアルゴリズムを解析したり、5ヵ国語を駆使して談笑できたりできるおじさんたちだって、いったん家に帰って、風呂上りにジャージなんか着て「げふ」とか言いながらビール飲んでると、外形的にはピンもキリもあまり変わらないでしょ。外で発揮していたような圧倒的な社会的能力の差異は家庭内では誇示されようがない。
(19〜20頁)

この意見には賛同できず、福山雅治さんとスギちゃんでは家に帰ったら違うと主張する水谷譲。
カッコイイかも知れないが、男は実態において家庭で見せる顔はだいたい同じだと絶対に思う武田先生。
でないと不幸。
福山くんが女性が憧れるような姿勢であの奥さんの前にいるのだったらば、不幸な結婚をしている。
能力がある、セレブであり会議を取り仕切り、5ヵ国語をゆうに使うことができる。
そういう男が家でその能力を発揮した時、その男は女房にとって暴力になる。
飯を喰った瞬間にフランス語で感想を言う。
能力のある男がその能力を家庭で表現しようとする時、女の人はものすごく不幸になる。

結婚とは一体何なのか?
何のためにやるのか?

結婚は「病気ベース・貧乏ベース」(22頁)

貧乏と病気に耐えるため、そのために二人は結婚する。
だから結婚というのは幸せを目指して歩くのではない。
結婚は病気になった時と、けつまづいて貧乏になった時のために結婚する。
病気の時、貧乏な時、人は一人では生きていけない。
病気の時がわかりやすいのだが、貧乏の時もそう。
これが男女というワンペアになると、意外と耐える、看病する。
遮二無二働くようになる。
だから「結婚というのは病気と貧乏という目標に向かってするものだ」という。
危機耐性。
危機に対する我慢強さみたいなもの、それが結婚に男女を誘導する。

では、どうすれば「この人はアンハッピーな時に私を助けてくれる人か」それがわかるのか。
簡単。
それは二人で比較的貧しい旅をすればすぐにわかる。
(本の中では「貧しい旅」ではなく「海外旅行」)
貧しい旅をすると、その男の貧乏くさいところと病気臭いところと両方ちゃんと見抜くことができる。
ハワイとかではなく、もっと貧乏旅行。
その時にそいつが「寒い?」と女の子が寒がっていたら「じゃ新聞紙破ってセーターの間に挟みな」とかって言って。
あれはけっこう暖かい。
破ってセーターの間に入れたりすると、十分な暖房になる。
やたら毛布を買って来たりセーター探してきてとか、そんな贅沢じゃない。
その時にその男に新聞紙を破る知恵があるかどうか。
新聞紙がうまく使える男の人を「この人、生きる力あるな」と思う水谷譲。
野菜を包んだりとか。
「こうすると腐らないよ」みたいな「キャベツ長持ちするよ」みたいな。
そんなことをいっぱい知っているヤツがいる。
そういうのが実は結婚にはもってこいの能力。
何も5ヵ国語とか必要ない。

そしてもう一つが「私にふさわしい相手だったらば、本当の私らしさを引き出してくれるはず」。
こんなふうに夢見ている人がいるかも知れないが、結婚してそんなことは人生に絶対起こらない。
「その人が私にふさわしい相手だったらば、私はもっと自分らしさを発揮できる。もっと元気になれる。もっと自己実現できる」
そういうことは人生には起こりません。
内田先生の説明が単純明快でわかりやすい。
栄養補助薬や薬を飲んで、健康を私は保っている。
「実はその薬のお陰だ」と信じている人はいませんか?
でも、その薬が効いているかどうかは確かめようがありません。
この世の中に「サプリを飲んでいないアナタ」はどこにもいない。
比較できない。
「確認しようがない」ということ。

 結婚が適切であったかどうかは、「この人と結婚しなかった自分」を連れてきて、それと比べるしかないんえすけれど、そんな人はどこにも存在しないんですから。(40頁)

内田師範曰く「コミュニケーション感度」。
アンテナみたいなもの。
そういう言葉を文章の中にポンと置いて。
他者の呼びかけに応答する能力。
これを塞いで自分の受け持つ仕事のみの効率を急ぐ時、自分の体が発信してくるシグナルを聞き逃す。
そういう構造になりえると先生はおっしゃる。
つまりこういうこと。
「誰を結婚すべきか」という問題に自分だけの正解を求めないでください。

「どういう仕事をすべきか」「誰を結婚すべきか」みたいな本質的な問いにシンプルな一般解なんかありません。そのつど唯一無二の特殊なケースなんですから、真剣に葛藤しないといけない。(51頁)

葛藤を経由しないと自分の身体が発するシグナルに鈍感になる。
その矛盾に耐えられないと免疫不全になってしまう。
一つの正解にとらわれてしまっていると自分の体の声を忘れてしまう。
この内田先生の言っている「自分の体のシグナルにもっと私達は敏感でなければならない」。
「誰と結婚したらいいんだろうか」というのではなく、体が発するシグナルに耳を向けて「何かアイツといるとホッとすんなー」とかっていう。
そういう「身体ベース」「体ベース」で結婚というのを考えたらいかがか。

内田師範曰く「他者の呼びかけに応答する能力、これを塞いで自分の受け持つ仕事のみの効率を急ぐ時、自分の体が発信してくるシグナルを聞き逃す構造になりえます」。
つまりこういうこと。
自分の体が発するシグナルに耳を塞いで、自分がやらなければならない仕事に追われるという性格にしてしまうと、過労死の危険性が出てくる。
この「過労死する人」というのは、その仕事を嫌っている体のシグナルを無視して「やらなければならない」と思うモチベーション、動機に引きずり回されてしまうという。
「給料はいいから頑張らないとダメだ」「バイトから一生懸命我慢してやっと正社員にしてもらったからここで頑張ろう」「立派な会社に入ったんだから、私には辞めることはできない」「何が何でも頑張るんだ」
一つの正解にとらわれてしまっていると、その仕事を嫌っている自分の体の声を忘れてしまう。
これは何でここで持ち出したかというと先月だったかにあった。
「死んでしまいたい」 過労自殺の電通社員、悲痛な叫び:朝日新聞デジタルこの件かと思われる)
ものすごく切なくて。
「何日もお風呂に入っていない」と。
女子社員なのに。
目が真っ赤に充血して会社に出て行ったら上司から「目なんか充血させるな」と言われて。
「私には目を充血させる自由すらないのか」とかという。
全身で仕事を拒否しているのだが、結局この女性は自殺に追い込まれてしまう。
ちょっとおじさんとしていらだつのは「辞めりゃいいじゃん」と思う。
内田先生の言っている「自分の体のシグナルに、もっと私達は敏感でなければならない」。
この時にこの手のことに関して内田樹先生が「体が嫌がっているという、もうどうしようもないことを頭でねじ伏せようとするから、体に矛盾が起きるのじゃないか」。
「そのためにみなさん、結婚って便利ですよ」と言う。
(そいう記述は本の中には見つからず)
内田先生は「体が葛藤している時にパートナーがいると実に便利です。妻が頭で一生懸命、自分の体の悩みを押しつぶしている時に、気付くのは夫です」という。
「張り切っているわりに君、会社に行く足取りが重そうだね」とかっていうことを指摘してくれるのはパートナーです。
(このあたりも本の中には見つからず)

総合診療医 ドクターG - NHK
この番組を見ていて武田先生がハッとしたこと。
心臓病なのだが「手術をしたらどうすればいい?」とか。
それを役者さんが再現ビデオに出てきて語り始める。
「胸の苦しさはいかがです?」と訊く。
そうすると旦那さんの方は「いや、そうでもないんだけど」と言ったら奥さんが「いえ、この人、秋口ぐらいからちょっと様子がおかしかったんです。階段を上る時、この人何度も足を止めたんです。そんなこの人を見たのは私、初めてでした」。
パートナーの方が相手の異変に気付きやすい。
旦那は乗り切れると思っているし「そんな大したことじゃない」と思う。
やっぱりお医者さんに行く時に足を向けるのは女房の一言。
朝に機嫌よくメシか何か喰っている時に、ボソッと「変な咳してたよ」とかって言われるとゾクッとする。
ああいう医者にも勝る言い方をしてくれるのはやっぱり・・・。
ということは、悩んだり心配事を揺さぶってくれる「元」。
それが夫であり妻。
それがいないと人間って自分の体のことに関して全く気付かずに、ずっと遊びまくっている。
「顔色悪いよ」とかって奥様から言われるとギクッとする。
他にもいろいろギクッとすることはあるが。
「どうしたの、この下着」とか。
そういう「女房がギクッとすること言うぞ」という。
他人は絶対言ってくれないようなことを言う。
結婚していなければ自分の体というものに関して、ほとんど人間は悩まずに自分の体を黙らしてしまうという。

武田先生の独り言。
人が人を好きになるというのは、本当に傲慢なものです。
たくさん異性がある中で「あの人でなければダメ」と泣きじゃくるわけですから。
相手と不釣り合いで、相手が既婚者であろうが、言葉が違おうが、別の宗教の人であろうが、貧乏であろうが。
希望が細ければ細いほど、恋は真っ赤に燃え上がるという。
恋に希望があるとつまらない。
「デートしよう」と言ってデートできない事情が複雑であればあるほどデートしたくなる。
何か障害とかがあった方が燃える。

人を好きになる、一緒にいたくなるという心情そのものの起源を誰も知らないからです。それは神さまの領域の出来事なんです。だから、結婚式では人間の人間性の起源について、人間は何も知らないという事実をもう一度思い出すために神さまを呼び出すのです。(97頁)

 われわれは誰もでもが「母語の習得」という仕方で、自分が「この世にそんなものがあるとは知らなかった秩序」のうちに参入しています。−中略−
 人間は成熟するために「いま・ここ・わたし」という閉域から外へ踏み出さなければなりません。
(100〜101頁)

この手順で人間は人生を積み上げていく。
私達は「私の価値観」や「倫理観」とは別の物差しで生きている、何か「大いなるもの」に向かって歩き出す時に何事かを誓う。
「神がかったもの」に向かって自分の成長とか成熟を誓う。
高校、大学、社会へと歩き出す時、私達は合格祈願などと言って神社に立ち寄ったり、あるいは無事に就職が決まると親子そろって墓参りをしたり、父母がしていたように花や水を石の墓碑に供し、手を合わせ、祈り誓う。
「この世ではないもの」そのものを呼び出す。
結婚も同じ。
「私」の理解も共感も絶した「他者」と一緒に暮らそうと決意した時、私達は神を呼び出して誓う。
嫁とは何か?
武田先生の立場から言うと「他者」。
本当にこれはいい言葉。
あれは「他者」。
だから「他者」嫁と結婚する時は武田先生も神を呼び出して誓った。
その「誓い」とは一体何かというと、結婚という出来事を「私」のことにしないで「公」のものにするということで誓った。
誓いはもう子供の時の誓いと同じ。
「嘘ついたら針千本飲〜ます♪」
教会で式を挙げた武田先生。
「富める時も貧しい時も病める時も愛を誓うや?」と言われた時に、本当は「ちょっと自信ないんですけど」と言いたかった。
それを押さえつけて「誓います」って言う。
むりくり言わせているからこそ、あの呼び出したものへの「誓約」というのは生きてくる。
あれが本音で「ちょっと今んとこ、自信ないんですけど」とかっていうと、あれは誓うことにならない。
「これは無理かもしんないな」と思うと、ずっと心の中にわだかまりができる。
それがずっと何十年かやっていくうちにフッと「守ろう」という気になっていく。
結婚の「三年目の浮気ぐらい〜♪」の時はダメ。
あの時は「あれ?こんな・・・チッ!もっといいやついたじゃん!」とか、いろんな素材がある。
互いにジジイとババアになると本当に。
奥様と喧嘩をする。
でも時折あの顔を見て「もうこれでいいか」と思う。
向こうもそう思っている。
こっち側だって睾丸は下がるだけ下がっている。
お互い重力で下がるものは下がっちゃって。
それが見つめ合った時にお互いに「これでいいか」とつぶやいた時、それは少なくとも「愛」と呼べるのではないか。

結婚をしたらどうするか?
ひたすら愛と共感に基づいて行動してください。
一番大事なことは「結婚は契約ではありません」。
契約行為ではありません。
あれは何せ神様を呼び出して誓ったわけだから「担保」とかもないし「月々いくら払う」とかそんなものも何も決まっていない。
だからいわゆる「契約」ではない。
連れ合いの欠点をいくつ見つけるか。
それが結婚生活。
それをあえてマイナスとしてカウントしてはいけません。
相手の欠点をマイナスでカウントせずに、逆に相手の優しくされたりなんかするという長所をプラスとして足すだけ。
そういう採点方法でパートナーを審査しなければなりません。
絶対に減点法はいけません。

モリタさんという歯医者さんから言われた名言。
車を初めて買う時、知ったかぶりの先輩は必ずアナタにこう言います。
「どうせ免許取り立てでさ、どっかぶつけるからさ、買う車はさ、中古でいいよ中古。少しバンパーぶつけたりなんかでへこんでるヤツ買った方が、もう安心してぶつけられるから」
このアドバイスを真に受けてはなりません。
世の中で一番恐ろしい言葉は「どうせ、ぶつける」。
これは呪いの言葉と同じです。
「どうせぶつける」という言葉を信じてしまうと、どこかにぶつけて「あ、やっぱぶつけた」とあなたはぶつけることに安心してしまう。
これが実は結婚と同じ。
結婚とは一生を賭けての大事業。
自身はバツイチである内田師範は、ゆえにストーンと胸に落ちるその言葉で私達に教えて下さる。
ぶつけないために全力を尽くす。
そのためにはどうしたらいいか?

だから初心者はぴかぴかの新車を買った方がいい。かすり傷ひとつつけちゃいけないという気持ちで運転するのが一番安全なんだ(120頁)

それが、水谷譲は人前で誓った、武田先生は神前で誓った、あの誓いの言葉。
あのむりくり言わされた「生涯愛します」という。
本当は全く自信もないくせに。
それは「絶対にぶつけるなよ」という。
ここで日本の素晴らしさは「結婚に契約を持ち込まない」こと。
アメリカの不幸は何かというと結婚に契約を持ち込む。
いい例がブラット・ピットとアンジェリーナ・ジョリー。
あれはもう結婚する時に決めている。
「遺産はどのようにして分ける」とか。
アメリカは合理の国だから。
でも結婚は合理じゃない。
神秘主義の人じゃないと結婚できない。
だから自信が全くないくせに「絶対ぶつけません」とかって言う。
そう言わないとぶつける。
これは本当に名言。
「むりくり言っておいてよかったなぁ」と思う武田先生。

 結局は結婚関係っていうのは、ある意味で「権力関係」なんだということをそのとき学習しましたね。どっちかが「ボス」なんですよ。そうじゃないと安定しない。(136頁)

 向こうが「ボス」で、僕が「手下」という関係のときは、それなりに安定していたんですけれど−中略−
 食わせてもらっていたときは何を言われても「はいはい」と従っていて、それで何の屈託もなかったけれど、こちらの方が家計の支え手になると、今度は妻にあれこれ指図されるのが「かちん」と来るようになる。
(135〜136頁)

離婚の果て、内田師範は赤子を一人背負い生きてゆかなければならなくなる。
彼はここで実に不思議な体験をする。
不思議な体験というのはやっぱり「愛」。