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2017年03月28日

2017年2月27日〜3月10日◆その島のひとたちは、ひとの話をきかない(後編)

これの続きです。

武田先生がちょっとうれしかった話。
何週間か前に京都に行った。
京都の裏側で「歌うたい」があった。
京都の町を通過したらちょうど中国の春節とぶつかった。
京都はもう中国の方があふれていた。
日本に興味があって来てくださる。
新幹線に乗っかって東京まで戻ってくる仕事の帰りの旅なのだが、品川を過ぎて降りる準備をスタッフがしていた。
西洋の老夫婦が武田先生の後ろにいた。
何気なく世間話で「Where are you come from to Japan?」「From New York」。
「いかがですか?日本は」と聞いたら、やっぱり「京都が良い、京都が良い」と仰っていて、お金持ちなのだろう。
ご夫婦で、シンガポール行って、マレーシア行って、上海行って日本。
京都はもう特に「good impression」としきりに繰り返されていた。
何てことないのだが、ちょっと話すと、何か話したかったのだろう。
京都の素晴らしさを一生懸命ご夫婦そろって話される。
競い合うようにして。
話しやすさ。
「そういうのがコミュニケーション能力って言うんじゃないかなぁ」と思って。
コミュニケーション能力というのは「異国の言葉ができる」とかっていうことをしきりに言う人がいるが、コミュニケーション能力というのは、そこで話題を作れる人のことが「コミュニケーション能力が高い」ということ。
「スピークイングリッシュ」はそんなに重大な要件ではないんだ、と。
人間は身ぶりや手振りだけでも十分にコミュニケーションは結べるんだ、という。

 青森県の中で統計的にも自殺で亡くなるひとの数がかなり少ない地域のひとつが旧平舘村だ。−中略−
 旧平舘村も平成の大合併にによって町(外ヶ浜町)になっている。
(90頁)

「この町は、バスはバス停以外にも止まる。としよりが乗ることが多いから。としよりはバス停まで来られない」(105頁)

 バスはゆっくりと走っていた。それはバスを待つ老人を見つけるためである。老人を見つけて、ゆっくり乗せて、ゆっくりと動いて、ゆっくりと目的地にたどり着く。誰のためのバスかをよくわかっている。(105頁)

「この地域のひとは、困っているひとを放っておけないかもしれないね」
私たちはヒッチハイクに応じてくれた男性の次のことばを待った。
「困っているひとがいたら、できることはするかな」
と言った。私はそこで、できないことだったら?と聞いた。男性は少し間を置いて、
「ほかのひとに相談するかな」
と言った。
(98頁)

このあたり、やっぱり「人間の受け入れ方が広いなぁ」というふうに思う。

著者は都市と町との比較をしている。
体の不自由な方のためにバリアフリーを望む声というのがたくさんある。
歩行に障害のある人はバリアフリーの設備がないから出歩かないのではない。
出歩いてしまうと一人になる。
人の目が気になるから出歩かない。
その問題がまずあるんじゃないか、という。
だからやっぱり「簡単に人に頼めるエリア」というところがあれば。
バリアフリーという設備が優先するんじゃないんだ、という。
東京新聞:盲導犬男性が転落、死亡 JR蕨駅 ホームドアなし:社会(TOKYO Web)
目の悪い方がやっぱりSOSを非常に出しにくい。
だからやっぱりバリアフリーよりも、SOSを出しやすい環境みたいなもの、そういう関係みたいなものがあれば。
それから駅に別の施設を作るよりも、もっと人間だけの関係で転落事故等々防げるのではないか。
そして、そういう人間関係がいとも簡単にパッと結べるところは、一つまた町の特徴が大きくある。
そのことに気付いた著者は、本の中でそのことを報告している。
その自殺希少地帯の研究をするフィールドワークで歩き回っていると、ひと目で「あ、ここは人間との関係が結びやすいな」と思う特徴が見つかる。

 旧村と町の間で一番感じた違いは、トイレの借りやすさかもしれない。(107頁)

トイレが借りやすいエリアというのは、本当に自殺が少ないそうだ。
「トイレちょっと貸していただけますか?」と言うと、いかな家の戸口も通過できるという。
今、コンビニでトイレが助かる。
この森川さんがおっしゃっているのだが「人助け」というのも「求められて」ではない。
転落事故等々もそうだが「自発的である」という。
もう「こっち側から声を掛ける」という。
「手、引きましょうか?」とか「ご案内しましょうか?」とか「方角一緒ですから。これ私の手です」とか。
そんな声を自ら掛ける。
それは「あなた自身が人助けに慣れることだ」。
この「人助けに慣れる」というのはすごく重大な条件。
やっぱりみんな慣れていない。
だから慣れさえすれば簡単にできることが、ちょっと言えなかったりする。
武田先生が今、個人的にやっている人助けは「泣きわめく子を泣きやまさせる」という。
ちょっと言葉の分かる子じゃないとダメ。
ちょっと失敗した例もある。
子供から怒られたのは「あっちいけ!」と言われたこともある。
すっごい声で泣いている子がいる。
その時には寄っていってお母様に「お手伝いしましょうか?」と先に声を掛ける。
その許可を頂いてから、その子に声を掛ける。
「何で泣いてらっしゃるんですか?おたくは」っていうのを聞く。
「理由があったら私に教えていただけますか?警察でも呼びましょうか?」とかっていろいろ言っているうちに子供がふっと泣きやむ。
泣いている子供は母親と自分の関係だけで泣いている。
そこにおじさんが割り込んでくると「自分の泣き声は社会的信号として受け取る人がいるんだ」と。
その人が全然とんちんかんなことで「警察を呼びましょうか?それとも救急車ですか?」とかって聞いてくるっていう。
そういう「社会を発見させる」という意味合いで、通りすがりのおじさんはむやみに子供に絡むっていう。
そういう「むやみに絡んでくるおじさん」って昔いた。
よく福岡で冗談で言うのだが、昔のおじさん(九州のおじさん)はちょっと体格のいい子を見ると口癖「相撲取りにでもなるとか!?得意技は何か?下手投げやろ?」と大きい声で。
今はもう、お母さんが嫌な顔をするし「ちょっと怪しいんじゃない?」って思ったりされる。
ちっちゃいおじさんで女の子に向かって「おっきいねぇ。牛乳飲んだの?おっきいねぇ」。
これはだからそういう者に対する「慣れ」。
その「慣れ」っていうのがちょっと尋常じゃない人を見分けるための触覚でもある。
昔のお侍さんは帰り道を変えなかった。
いつも同じ道をお侍さんが通って帰った。
それでそこにちょっとでも妙な気配があると「あ、この人危ない」とかってわかったという。
だからやっぱり「気配から人を見抜く」という能力が必要なのではないかなぁという。

先に書いたお好み焼き屋さんでのことである。−中略−
 あまりにも親切だったから、私は、お店の売り上げupに貢献できたらと思って、お好み焼き屋さんの暖簾を写真に撮ってツイートしようとした。それで写真撮っていいですか?と聞いたところ、お店から店員さんが出てきて暖簾の前でピースをした。暖簾を獲りたかったんだけどなと思ったのだが、それはそれでとてもいい写真になった。
(144〜145頁)

 ああ、ひとが、中心なのだ、と。
 ひとが、大事なのだ、と。
 写真を撮るにおいて、ひとが入るのがこの地域ではおそらく常識なのである。
(145〜146頁)

森川すいめいさんの文章の中で、ちょっと気になったというか惹きつけられたのは、老人施設がある、あるいは役場。
そこには行政の職員たちがいるわけだが、この本で探っている自殺希少地域にはそういうところの共通点があって「公」の立場にある人、例えば施設の職員さん、あるいは役場の職員さんたち。
みんな楽しそう。
そこがやっぱり自殺が多いところと全然比較にならない。
なぜなら住民と対話している。
その施設の役員の方とか行政の職員の方が。
対話そのものが無茶苦茶長い。
行政、あるいは住民サービスの成果というものがすぐ数字で求められる。
そうではなくて、このエリアは住人と話していること自体が成果。
もう話しているだけで。
一番重大なことは「住民を幸せにすることが行政の務めであるならば、その行政を支えているスタッフたちも幸せでなければならない」。
行政に対する不満で一番多いのは一体何かというと「役所は説明はするけど、相談には乗ってくれない」。
解決しなくてもいい。
相談に乗ってくれるだけで、もうそれは行政の成果。
(本によると「行政が相談に乗ってくれない」ということではなく「行政が相談をしてくれない」)
だから小池さん(小池百合子都知事)にも本当に早く幸せになっていただきたい。
小池さんがまず幸せにならない限り、東京都民は幸せにはなれない。
そう発想したらどうか?
現代というのは自分が幸せになるっていうことを横に置いておいて、他人を幸せにしようとする無理が全体を暗くしているのではないか。
トランプさんも大統領になったばっかりに自分を犠牲にして人を幸せにしようとするから・・・。
バロン君(バロン・ウィリアム・トランプ)が心配な武田先生。
あの子は何となくあの『ホーム・アローン』の主人公(マコーレ・カルキン)に似ている。

ホーム・アローン (字幕版)



何か線の細さが似ている。
バロン君は本当にお金はある。
あの子は心配。
トランプさん以上にバロン君が心配。
大理石とガラスで作ったおうちに住んでいる。
底冷えする。
コタツもないのに、バロン君は震えると思う。
広い部屋なんか住むもんじゃない。
暖房入れたところで全体が暖まるのにどれだけ時間がかかる?
バロン君のおうちは窓が開かない。
周り全部防弾ガラス。
それはやっぱり不幸。
地上階に住んでいるから開けっ放しでOK。
だからやっぱりバロン君の環境はこの本でいうところの自殺多頻発地帯の真ん中に住んでいるような少年期。
トランプさんはもうそんな、この倍生きるワケじゃないんだから、働けるにしたって4年が限度。
早死にする典型の体型。
インドに生まれていたら罰金を取られる体型。
「肥満税」の導入検討 ジャンクフードの普及でインド政府
歳を取ってタンパク質を摂るバカがどこにいるか。
武田先生だったら物差しで叩かれてしまう。
「どの手だ、どの手だ!肉を食べたのはどの手だ!」って言いながら。

フィンランドで成果を収めた精神の病気の回復法。
お薬とかそういうのは全部やめて人間関係、そういう「人との会話の中で病気を治していく」という。
そっちの方が回復というのが可能性が高い。

「ひととひとの関係の中で病は発症する」(159頁)

回復するためにはやっぱり人との関係が大事であるという。

伊豆七島の船がたどり着く最終地に神津島(神津島村)がある。(154頁)

 人口約二〇〇〇人の島なのだが、住む集落はひとつで、そこにひとが密集している。(155頁)

ここはもう自殺希少地帯、非常に自殺者が少ない島。

「この島のひとたちは、ひとの話をきかない」(162頁)

もちろん陰口、それから噂話もある。
そういうことはちゃんと世間にはあることはある。
ただ、人に引きずられ同調するということがこの島の人たちにはない。
二千の島人は生きやすい環境について同じ目標を持っている。
母子家庭が多い。
東京に出て行った娘たちは離婚すると必ずと言っていいほど神津島に帰ってくる。
何でかっていうと東京なんかより遥かに神津島の方が子どもが育てやすい。

「この島では、子どもを外に出しておけば誰かが面倒をみてくれる」(166頁)

精神病の回復訓練でもそうだが、グローバリズムになると「世界的に競う」という時代。
必死になって人が競争するという時代。
この競争がはたして人間のためにいいのかどうか。

 神津島のそのカフェはNPO法人が運営していた。
「おとしよりの会話をする場になればと思って」
(167頁)

 特養と障がいをもつ施設は隣り合わせだった。(168頁)

「特養でひとが死ぬことになったとしても、それをほかのおとしよりに隠すことはしません。みんなで見送ります」(171頁)

だからやっぱり人を迎えて、知り合って、見送る、ということを島全体でやっているもので「死別の悲しみ、それはとにかく島全員で共有しよう」という。
厳しい自然に対して生きてきた島人たちは、はっきり考えを持っている。
それはどんな考えかというと

「なるようにしかならない」(175頁)

投げやりにも無力にも聞こえるかも知れないけれども「なるようにしかならない」というのはある意味見事な覚悟ではなかろうかと森川さんはおっしゃる。

武田先生の考え方。
この時代、人を苦しめているのは全てある一つの出来事、その「一瞬で世界を変えよう」という、そういう人間の野望、それが人間を苦しめているのではなかろうか?
それから最近思うのが、強力なリーダーが国を引っ張っていくっていう「トップオブリーダー」。
一人のリーダーがいて、モーゼのごとく民を率いるっていう、そういう集団の有り方がパワーをなくしている。
それのいい例がアメリカのトランプさんじゃないか?
トランプさんはトップオブリーダーではない。
では彼は何者か?というと「フォロワーズリーダー」。
ビリッケツの人たちを後ろでまとめている人。
しんがりっていうのは戦国時代の退却戦の物語で、軍勢のビリッケツを追いかけてくる敵と戦いながら逃げる。
「しんがり」っていうのが実は今、時代のトップではないか?
それがトランプさん。
つまり、もうアメリカの時代は終わった。
退却戦が始まっている。
その退却戦のリーダーがトランプさんなのではないか?
『三枚おろし』で武田先生がいいことを言っていて、自分で自分に感動して「うまいこと言うなぁ、この人は」と思った。
トランプさんの顔は「根性の悪いサンタクロース」。
今までプレゼントを世界中にばらまいていて、景気のいいサンタクロースが、何か人の家に寄って「ギフトを奪っていく」みたいな。
「逆の構造のサンタクロース」がトランプさんなのではないか。
つまり「アメリカの退却が始まった」ということで。

神津島の人たちのつぶやき。
「なるようにしかならないのだ」
これは決して絶望の言葉ではないような気もする。
それは立派な覚悟だ。
自分の思うようになそうとする人っていうのはどこか無理がある。

今、中国がサンゴ礁を埋め立てて飛行場を作ったりしている。
本当にあれは、軽い津波でも起これば全部消えてなくなる。
そんなに簡単に飛行場にはならないような気がする。

著者は自殺希少地帯を歩きながら対話する「オープン・ダイアローグ」こそが人を自殺から救う、ただ一つの道であると、そう発見する。
やっぱり「会話する」ということがいかに大事か。
八割の方が他人との対話で精神の病が治るそうだ。

 呼吸しなければ、ひとは死んでしまう。
 この呼吸と同じように、ひとは対話をする。
(179頁)

 しかし、ひとは対話しなければ死んでしまう。(180頁)

「対話というのは、自転車に乗るようなものだ」
と言ったひとがいた。自転車に乗れるようになったときに自転車の乗り方をことばで教えることはできない。対話も、どうしたら対話になるのかをことばで説明したとしても、対話できるようにはならない。
(180頁)

「相手は変えられない、変えられるのは自分」(181頁)

できることは助ける。
できないことは相談する。
そしてその人に関わり続ける勇気を持つこと。
それが人を心の病から救う道。
つまり自殺者を少なくする一本道なのだ、と。
これは当たり前のことなのだが大事。
内田樹さんの本を読んでいても、何かそのことがしきりに書いてある。
「人と人とが助け合う」という共同体を戦後日本はずっと壊してきた。
それがいかに人間にとって必要なものかっていうのを、もう一回考え直すべきだというのを本で読んで深く考え込んだ。
この精神科医の先生がやってらっしゃるのは、これもやっぱり新しい世界の見方。

ありものの世間の知恵をどう組み合わせて生きづらさを削っていくか。
それが人間の暮らしにとって、ものすごく重大なことである。
あえて申し上げることは、指摘することは失礼にあたるのでしないが、やっぱり日本には自殺が非常に少ないエリアと、自殺が非常に多い地域がくっきりとあるという。
それを「そこは多い、ここは少ない」そんな比べ方じゃなくて、少ないところを見つめて「一体何がうまくいっているから、自殺者が少ないのか」っていう。
そういう町の見つけ方、見分け方というのを身につけるべきだっていう。
前から武田先生が思っているのは、お祭りを持っているとか花火大会があるとか、そういう町というのは共同体の「帯」みたいな「絆」みたいなものを持っているような気がする。
水谷譲のご主人の出身地は神奈川県の三浦。
お祭りがあって、若衆がみんな「木遣り」を歌う。
みんなができる。
お祭りの時は歩いている子供に普通に「はい」ってお小遣いをあげる。
それをみてちょっとびっくりして「都会と全然違う」と思った。
「コミュニケーション力が全然違うな」とその時思った水谷譲。

武田先生が弘兼憲史さんや別の人からも教わった話。
新潟の長岡の名物は花火大会。
ものすごくデッケェ花火を打ち上げる。
ここの若い人たちがあることを思いついた。
何を思いついたかというと「この花火をハワイ真珠湾で上げたい」。
それで苦労して花火を運んでハワイで上げている。
何年か前(調べてみたら2012年かららしい)。
キー局は報道してくれない。
こんな素晴らしいローカルニュース。
それを映画で記録にした人もいる。
「長岡の大花火が真珠湾で上がった」っていう。

この空の花 -長岡花火物語 (DVDプレミアBOX版)



何で上げたか?
それは若い人のアイデアだが、真珠湾攻撃を指揮した軍人さんが長岡出身だったから山本五十六の生まれた町。
それゆえにかえって真珠湾で上げた。
首相が行く前にローカルはそれくらい歴史にきちんと向き合った行動をとっている。
「花火一つが世界を結ぶ糸口を見つける」という。
そういう意味で、自殺者に限ってはいるが、この方がやってらっしゃるフィールドワーク。
新しい人間関係、新しい共同体の関係づくり、そういうものになるのではないかなぁと思って紹介した武田先生。

2017年2月27日〜3月10日◆その島のひとたちは、ひとの話をきかない(前編)

その島のひとたちは、ひとの話をきかない――精神科医、「自殺希少地域」を行く――



この本の副題にギクリとして手を伸ばした武田先生。
精神科医、「自殺希少地域」を行く
いろいろ地域社会の探り方があると思うが、自殺が多発するエリアと自殺が少ないエリアが日本にある。
多発するところはちょっと発表しにくいし言いにくい。
だったら逆に自殺が非常に少ないところを実際歩いてみよう、と。
案外そこに地域コミュニティ、共同体の何か秘密があるのかもしんない、と。
一カ月ぐらい前にこの本を読売新聞がコラムでほめていた。

こういう研究をなさっている方がまた他に精神科医で岡檀(おかまゆみ)さんという方が調査をなさって「自殺希少地帯」というのをピックアップしてある。
それに精神科医の森川すいめいさんが、現実に足を運んで「希少地帯とはどんなところなのか」ということを調べてらっしゃる。
自殺の問題は人を鬱陶しくさせるが、森川さんあたりはもう一歩突っ込んで「多いところと少ないところがある。多いところは横、置いといて、少ないところはとにかく一回行ってみよう」と「何かあるかもしんない」という。
「自殺」に「地域差がある」。
「南の島は少ないんじゃないかな」というイメージを持つ水谷譲。
「気分に希少が影響する」ということもあるだろうが、結論から言うと森川さんがその自殺希少地域を歩くと「共通点」があったという。
その自殺希少地域の共通点は何かというと「人の話を聞かない」。

 私は生きやすさとは何かを知りたかった。(9頁)

自殺者が少ない。
そういう島とか村とか浦とか字には多発地帯が見逃した何かがありそうな気がする。
自殺を予防する因子とは何なのか?
頭をよぎるのは、やっぱり共同体として相互扶助の繋がりが非常に強いんじゃないか。
助け合いが。
しかし事実はそう簡単ではない。

 岡さんの、近所付き合いの意識に関する調査項目では、希少地域では、隣近所との付き合い方は「立ち話程度」「あいさつ程度」と回答するひとたちが八割を超えていて、「緊密(日常的に生活面で協力)」だと回答するひとたちは六パーセント程度だった。一方で、自殺で亡くなるひとの多い地域は「緊密」と回答するひとが約四割だった(23頁)

つまり、ここに私達が見落としている何かがあるのではないか?
「浅い付き合いしかしないですよ」というところの方が自殺が少ないという。
著者はフィールドワークとしてその地域へ歩く。

 徳島県に自殺で亡くなる人が少ない地域(以下、自殺希少地域)があると聞いて、私はいてもたってもいられなくなって現地の旧海部町(二〇〇六年に合併し現在は海陽町)に行った。(16頁)

旅館でお茶とお茶菓子の接待を受ける。

 用意されたお菓子に、まだ癒しを期待して、それを食べようと思って手にした。
 ただ、なんとなく雑な感じがしたからか無意識にお菓子の裏側をみたところ賞味期限が切れていた。
「すみません、なんか、賞味期限が切れているみたいで」
と聞いてみた。ところが職員さんの反応は予想を大きく外れたものだった。
「へっ?」
と、びっくりしていた。私はてっきり期限が切れていることにびっくりしたのだろうと思ったわけだが、そうではないとすぐに気付かされた。
「ほお。ほうかほうか。さすが若いひとやね。若いひとは、そういうの気にすんのやね。ほうかほうか」
−中略−
 ちなみに後でもってきたお菓子は、職員さんがたぶん家からもってきたものだと思う。
(17〜18頁)

「おおらかなものだなぁ」と思いながら、森川すいめいさんの自殺希少地帯の旅が始まる。

自殺対策を予防と防止に分けて考えるのだ。
 防止というのは、自殺の具体的な手段から遠ざかる方法である。例えば、ビル屋上のフェンスの高さを何メートル以上にすると飛び降りるひとがいないとか、地下鉄などでホームドアなどがあげられる。
−中略−
 予防は……これはさまざまだ。例えば、飲酒は、一日四〇グラム以上のアルコール(日本酒で二合程度)を毎日摂取すると、そうではないひとに比べて自殺で亡くなるひとの割合がぐっと増えるといった研究は予防につながっていく。
(25〜26頁)

著者は「自殺者を減らしたい」という社会的願望を解決を急ぐあまり、この「予防」と「防止」をかえって混乱させているんじゃないか?と。
大きな声で叫ぶ人の意見にどうも世論というのはミスリードされている。
声の大きな人に任せではいけない。
声の大きい人が、今なんかもう「勝つ」世の中。
何かいろいろ政府の方針に文句があってもいいのだが「死ね日本」とかっていうのを世論として取り上げていいのかどうか。

2016年11月初め、大きな広告代理店で新入社員の若い娘さんが荷重の労働で自殺をなさった。
上司への恨みを書いた電子メモを画面にいくつも残していたという。
社長さんが交代した。
電通の石井直社長が辞任表明 高橋まつりさんの過労自殺問題の責任を取る【ライブ中継】
そこの巨大なビルは何と、夜の10時から以降は働けないようにビルの明かりを全部消したという。
電通、10時に消灯 深夜残業を防止  :日本経済新聞
それが解決策になるのだろうか?
いかにも「働いてません」のアピールの方が強いのではないだろうか?

著者は自殺予備の観点からとりあえず四つの点を予防因子としてあげてみたい。

A 疲労が蓄積している
B 孤立している
C 気分転換がない
D やり方がわからないで悩んでいる
(29頁)

(番組では自殺の予防因子と言っているが、本によると「こころが疲れた支援者のタイプ」)
その因子の分析は静かな声でやったほうがいいと。

著者の自殺希少地域の旅は続く。
その海部町で町を歩きながら、町を観察する。
そうすると、治安がよくてどの家もカギをかけていない。
そういうところが今でも日本ではある。
ただし、この旧海部町「泊まりでどっか遠くへ出かける時は、必ずカギをかける」。
なぜか?

「外泊するときは鍵を閉めたほうがいい。数日後に帰ってきたら、部屋の中に腐った魚があって、においがとれなくて大変なことになったなんてことがある」
 釣れた魚はみんなでおすそ分けする。もらう側の意向は関係ないから、あげたいと思ったひとがあげたいひとに魚を届ける。そのひとが、家のひとが不在だと知らなければそうなる。
(32〜33頁)

(番組では「魚の水揚げの何%かは必ず町全体に配られる」と言っているが、そういう事情ではない)
だからこの自殺希少地帯というのは「裏切る何か」がある。

「赤い羽根共同募金の寄付率はとても低い」
といった紹介もあった。自分が寄付したいと思うところにする。みんなが寄付するからするといった思考にはならない
(33頁)

プライバシーの概念が低く、互いの家族の不幸なども町中の人が知っている。
これはちょっとギクッとする。

 個人情報を保護しなくてもよい地域が生きやすいということなのかもしれない。(34頁)

習慣として「個人情報は町中が共有する」という。

希少地帯のもう一つの特徴。
ベンチの数が多い。
バス停等々、ちょっと見晴しのいいところに必ず小さな屋根付きのベンチが置いてある。
バス停にも屋根付きの小さなベンチが置いてあるが、ほとんどバス利用者じゃない。
近所の老人がそこに、年がら年中座っているという。
バスが止まると「行っていい、行っていい」という。

世田谷に住んでいる武田先生。
武田先生が歩く遊歩道は寄付金でベンチができるようで、例えば定年退職のお祝いとか孫が生まれた記念とかで自分の気に入った場所にベンチを。
背中のところにちっちゃく「寄贈」と書いてある。
そのベンチを寄贈した人が座りたかった場所だから、何かいい風景がある。
だから何気なくても春先、その周りに沈丁花の花がバーっと咲くとか、そういうのを見るとベンチ一つ残してこの世を去っていくというのは小粋。
武田先生が約束しているのは大船渡の知り合い。
今、一生懸命公園を作っているのだが、この公園ができたらベンチを一個寄付しようと思っている。
この「ベンチの効用」というのはどうもあるようだ。

この自殺希少地帯、非常に自殺が少ないエリア。
そのバス停なんかに座っている老人と話す。
そうすると、とにかくその老人たち、おじいちゃんおばあちゃんたちが嘆く。
娘の心配、息子の心配。
それから人口がドンドン減っていって、村が町が浦が痩せていくという心配。
をれをバーっと嘆く。
それでさんざん嘆いて「じゃ、時間になったから私帰るけ」って言いながらスッと帰る。

「病、市に出せ」
 この地域には昔から大事にされているこのことばがあると事前に聞かされていたから、私はなるほどと納得した。
 内にためず、どんどん市、自分の住む空間に出しなさいという教訓。
(42頁)

言うだけで楽になるというのはある。
それは気分転換、ストレス発散になる。
嫌な事を全部友達に話してスッキリさせるという水谷譲。
その手のものは一種、女の人の強み。
男はできない。
男性の方も溜めこまずにこの老人たちを見習って、とにかく「市」に並べた方がいい。
武田先生は九州の田舎、町の外れのタバコ屋の小倅。
本当に嫌になるぐらいおばさんが集まる家。
そのおばさんたちが大きな声で、もうありとあらゆる不幸を語っていく。
「父ちゃんが浮気した」とか何とか。
それを母親が縫い物をしながら聞いている。
でも、それは考えてみたらいわゆる「病は市へ出せ」という、そういう姿があった。
武田先生がおばさん臭いのはそういう生まれた環境。
おばさんたちは「自分の不幸をいかに飾り立てて人に報告するか」だから、火事に遭って家が全焼したっていう非常に不幸なおばさんがいた。
そのおばさんが自分の不幸を語る時の名言が「下駄の片一方も残らんかった」っていう。
何もかも焼けてしまって下駄の片方だけ、それも残らなかったという。
そういう表現の比べあいっこになる。
武田先生が芸能人でそこそこ喰えるようになった時に「よかったね、鉄ちゃんが大当たりで」と言った時に母親が言った名言。
「あんたも子供だけはいっぱい産んどきなっせい」と若い奥さんに。
「五人産んどきゃ、どれか当たりますばい」という。
この何か「パチンコの台」みたいな言い方。
そういう言い方の中で、子育てが思い通りにいかない不幸を母親は笑ったのではないかなと思う武田先生。

私は親不知を抜いたばかりで糸がまだ口に残っていた。そして痛みを感じ始めていた。(43頁)

2006年のこと(「2006年」というのがどこから出てきたのか不明)だが、歯医者は遠くて82km先。
(この後、ちょっと本とは内容が異なる説明が続く。番組では「歯医者の元看護婦さん」が歯医者の小道具が入ったカバンを貸してくれたということになっているが、本によると「元看護師さん」から道具を借りた)
この著者はまた町をブラブラ歩いて「自殺の少ないこの町の特徴は何だろうか?」と探している最中、町ですれ違うほとんどの人から「痛みは治まったかね?」。
(本によると、声をかけられまくったのは、歯の処置をする前)
つまり中居さんが人を探す時に、町中の人に症状とか痛みの具合とかを全部話しているものだから「あの旅館に泊まっている旅人のあの人」ということで、町中の人がもう全部知っていた。
「プライバシーの保護」というのがこの町では全く意味をなさないという。
私共は「プライバシー保護」っていう名目で意外と「苦しみ」とか「痛み」みたいなものを人に伝えきれないでいるのではないだろうか?
これは面白い。
物事の「価値観」なのだろう。
徳島県の旧海部町なのだが、ここに「特別支援学級を作ろう」という行政からの提案があった。
支援の必要な子供たちがいるので特別支援学級を作ろうとした。
ところが反対が多く成立しなかった。
(本には反対が多かったことは書いてあるが「成立しなかった」とは書いていない)

 障がいをもつひととそうでないひとを子どものころから分けると、お互いにお互いのことがよくわからなくなってしまう。どういうった場面でどういった助けが必要なのか、それを自然にできるようになるためには日常の中にお互いがいなければならない。(50頁)

自分家の子が帰ってきて「今日、二回も転んだけど、ちゃんと自分で立ったよ」とかって言うとその子に会うたんびに「今日立ったんだって?偉かったね」って言いながら褒めてあげられるし、転んだら「あの子だ」というのでコミュニケーションがとれるから学級を分けるのはやめてくれっていう。
これが本来の「姿」であって。
ここでは心理的に緊密ではないが、お互いに近い関係を保っている。
人間関係は深くなくとも軽く。
しかも彼らはコミュニケーションに慣れている。
「コミュニケーション能力」というのはこういうこと。
英語が話せることでもなんでもない。
これはよく調べると「歴史」がある。
ここは小さな町で400年も前に互助、「お互い助け合う」という組織がある。
「朋輩組」と呼ばれている組織が生きている。
冠婚葬祭などの助け合い、金銭、離婚、病の相談まで、困りごとについては町中で語り合うという。

「問題が起こらないように監視するのではなく、問題が起こるもんだと思って起こった問題をいっしょに考えて解決するために組織がある」(62頁)

人生はしばしば困ったことが起きる。
このことを前提にして近所がいつでも薄くお互いに結び合っているという。
弱い繋がりからお互い助け合う。
「お互い助け合う」というのは、この日本では生きていく技術の一つ。
地震は多いし、夏は夏で台風が来る、冬は冬で雪に苦しむ。
そういう自然の災厄から逃れるためには結びつくしかなかったという。

 海部町の駅のそばに、山がのっかっていないトンネルが立っている。(66頁)

「山があったから行政が、まあトンネルを作ろうってことになったわけですわ」
 税金が動くことだから町民全員にかかわる問題である。そしてトンネルができた。
「ところが、じきに、嵐が来て山がもってかれたんですわ」
 そこに在ることを教えてもらうまで気づかなかった「トンネル」を見ると、確かにそれはトンネルだけしかなくて上になにもないことにびっくりする。
「ふつうは、行政何やってんだって、怒ったりもするんだと思うんですわ」
 しかし町民は怒らなかったという。
「それどころか、トンネルの上に植物植えるひとまで現れた」
(67〜68頁)

今、「政治の責任」とか何とかってしきりに言う。
武田先生がすごく好きだった、人がお書きになった文章。
本の中で一番ショッキングだったのは「国民の義務」という。
「納税」と「勤労」という「税金を納めてしっかり働く」という。
「この二つをこなさない限り、おまえは国民ではない」ということを書いた本があって、結構シャキッとしたのを覚えている。
「仕事うんと楽にやってエンジョイする暇なんか作っちゃって、税金はわりと納めないぞ」っていう「そういうヤツは国民じゃねぇ」という。
アメリカ大統領も税金は納めなきゃダメ。

(ここから本とは無関係な話になるので割愛)