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2018年10月04日

2018年4月9〜20日◆甦れ日本(後編)

これの続きです。

この方は「アジアから学ぼう」と。
シンガポールや中国にだって学ぶところがあるんだから「しっかり勉強しましょうや」と。
それから韓国、いや、北朝鮮にだって学びましょう、と。
学ぶところがあるのだから。
そういうところに学びつつ、とにかく手を結ぶ隣国を一つに絞り込みましょう、と。
「仲良くする国は一つありゃいいじゃないですか」と。
「インドには日本の未来がある」と。
これは武田先生も何年か前から思っていた。
あと、仲良くするとよさそうなのはベトナム。
気質が合う。
それから旅先で出くわすタイの人というのは機嫌がよくていい。
そんなふうにして仲良くする国ときちんと手を結んで、きちんと商売をやれば、日本はますますと。

 たとえば、今のインドは江戸時代の日本に一番似ています。士農工商と同じようなカースト制度があって、そのカーストが自由経済とうまく折り合いをつけている特殊な事例です。インド型社会は精神性という点で、日本に一番適合しているかもしれません。(58頁)

勝海舟が「朝鮮にも清朝にも必ず外国が攻めてきたら西郷隆盛のような者が現われる」と予言した。
でも何年経っても現れない。
そのことを突っ込まれた晩年の勝海舟は小さい声で「おっかしいなー」と言ったらしい。
でもインドにはいるかも知れない。
西郷隆盛が、あるいは坂本龍馬が。
なぜならば「カーストがあるからだ」と。
面白い発想。
その坂本龍馬や、今やっている『西郷どん』の西郷隆盛、吉田松陰らはどこの階層から出てきた?
これはもちろん「士農工商」の「士」からも出てきているが、ほとんど「農」に近い人たち。
非常に身分の低いお侍さんたち。
そういう人たちがものすごく立派な志を持つことができるんだ。

「農」の中心は百姓です。百姓とは、単なる農民ではありません。言葉のとおり、百姓とは生業が100個ある人たちです。いわば、自営業者、マルチクリエーターです。農業もする人もいれば、木工をする人もいる。文章を書く人もいれば、祭りを取り仕切る人もいる。一般的に、医術も百姓の生業のひとつであって、医者も農に属していました。要は、100ぐらいの職のバリエーションをポートフォリオマネジメントしてきたのです。(76頁)

松前船。
あれは全部、土地を持たない次男坊が船に乗っかって「北前船を操った」というような。
だから士農工商の「農」というのは百姓。
様々な「姓」を持つ人々。
この様々な姓の中から大村益次郎(村田蔵六)とか関寛斎。
こういう医学を志す人も生まれてきている。
日本はこの「百姓の力で近代化を成し遂げた」という。

士農工商の中で、「商」は一番序列が低いというのは正しいのです。(77頁)

浮世の商業というものに関しては、あまり尊敬は払わなかった。
なぜならば「商は価値を作れる職業ではない」。
価値を回転させることはできるが「物を作る」という実体経済には参加していない、と。

AIが普及すると、「商」のホワイトカラーの効率化がどんどん進みます。(77頁)

眠らずに世界中から情報を集めて、その中で一番の利得はどこだというのは。
人間の直観や知識よりもAIを鍛えた方が、たちまち。
AIというのはかくのごとくして人々からいわゆる「職業」を奪っていくだろうけど「百姓」のランク、クラスにはAIが立ち入れない仕事が宝のごとく渦巻いている、という。

「20世紀は二人のアメリカ人によってつくられた時代です」という。
だからまだアメリカは威張っている。
その二人のアメリカ人とは誰か?
もう言われれば頷く。
20世紀をつくったアメリカ人。
エジソンとフォード。

 20世紀は、エジソンが電気製品をつくって売り、フォードが自動車を大衆化しました。これこそが、僕は一番大きな社会変化だと思っています。この2人が20世紀を決定づけたと思っています。(102頁)

20世紀とは何かというと「電気製品と自動車の時代」。
この二つを大量生産を可能にし、アメリカは100年間、世界を支配してきた。
この大量生産のために一つの課題に対応する商品がベストセラー。
例えば車。
走る。
それだけ。
他には何にも使えない。
一つの課題に対応する商品がベストセラー、ヒット商品になり時代に君臨した、と。
だから「車欲しい、車欲しい、車欲しい」ということ。
グローバリズムとは「絶えずマイノリティを差別した」ということ。
だから世界基準というのは「少数をイジメてイジメてイジメ抜く」という正体を持っている。
グローバリズムとは何かというと「平均以外は排除していく」という。
特に主導するアメリカングローバリズムは数少ないデザイナーが数少ない生産品のデザインを決定し、大量均一商品を世界にあふれさせることに成功した。
ほんの数人の人が考えたデザイン。
少ない人たちが握って、作る時はブワーッと作らせて最大のお客に掴ませるという。
これがアメリカングローバリズム。
グローバリズムの言語。
これが英米語。
英語。
ところがあれだけ「英語、英語」「バイリンガル、バイリンガル」と騒いでいたが、これはものすごい勢いで今、自動翻訳機が・・・。
「別に、もう勉強しなくていいんじゃねぇか?」という。
間違いないことは、もう日常会話に関して時間がどんどん短くなってきている。
だからもう間もなく、同時通訳ぐらいの感じに入れるのではないか?
そうすると申し訳ないが英語教育というのが、これは「もうAIに任しといた方がいいんじゃないか」と。
それよりもっと重大なことは日本語の学びを深めて日本語でいくつもの言い回しが出来るような、そんな日本語を仕込むことの方がAIを完璧に使いこなせるのではないか?と。

 たとえばLINE翻訳だと、「今日、一緒にご飯に行きませんか?」の場合、「ご飯」が「rice」と訳されるから誤訳になってしまう。しかし、「今日、一緒に夕飯に行きませんか?」と直せば、ちゃんと翻訳してくれます。このように繊細な言葉選びができれば、スムーズに自動翻訳できます。(113頁)

 僕は、英語は字幕がつけば、ネイティブと同じ速度で話すことができます。だから、聞き取れない単語があっても、スカイプの画面を開いておいて、リアルタイムで字幕がついていれば、それで意味を理解できます。(117頁)

マイクロソフトというのは急成長しているらしい。
もう間違いなく2020年の東京オリンピックは人間ではなくて翻訳機が、もういっぺんに進化するんじゃないか、と。
東京オリンピックを境にして、全く「英語教育何だったの?」という。
そしてもう一つ、この若い人たちの持っている「未来を解くカギ」。

サービスを伴わない車の職業運転手は、昔のエレベーターガールのような存在に近くなるでしょう。(118頁)

「え?タクシー、人が乗ってたんですか?」と言われる時代がもう来るのではないか?

 自動運転と同じく、未来に大きなインパクトをもたらすのが、次世代通信システムの5G(第5世代移動通信システム)です。(124頁)

今も日本は、4Gの接続率がすごく高い。−中略−モバイル通信に関して、日本は世界の中でもとても進んでいます。
 なぜ日本ではこれほど普及率が高いかというと、テレビが強いからだと思っています。
−中略−日本はすでに携帯電話網が全国に広がっているので、うまくインフラ投資を行えば5Gが全国に一気に広がります。−中略−
 とくに5Gで重要なのは、遅延がほとんどなくなることです。5Gになると、たった1ミリ秒の遅れで情報通信ができるようになります。
(124〜125頁)

ホロレンズ(マイクロソフトのRMデバイス)のようなMRゴーグルをかけていれば、3次元で中継をリアルに見られるようになります。(129頁)

世界は「デジタルネイチャー(計算機自然)」へ向かっていくはずです。(133〜134頁)

 CGの解像度が上がるにつれて、水槽の中の本物の金魚とCGの金魚は、きっと区別がつかなくなっていくでしょう。(136頁)

多分エンターテイメントの方から入ると思うけれども、たとえばボクシングの選手の頭のところに小さなキャメラが付いて、まるで対戦相手のパンチを受けるようなすごい中継ができる。
あるいは野球選手のバッターボックスからの情景等々が放送できるようになるということが可能になった段階で「遠隔医療」という。
これはすごい。
優秀なお医者さんをどこか県庁所在地の一点に集めておいて機材さえ持ち込めばその優秀なお医者さんの指先が完璧に再現できるという。
そうしたらそれはやっぱりかなりの方が・・・。

 リアルとCGが融合していくのはモノや生き物だけではありません。我々人間もバーチャルや機械と融合していきます。(137頁)

水槽の中に本物の魚とCGが一緒に泳ぐという。
そういうのが出来ると人間の生活にも影響がでてくる。
機会と人間が融合していくんじゃないか、と。
「耳」から「目」。

昔、聾唖学校の先生になろうと思った武田先生。
聴覚の障害のある方のことを昔「ろうあ児」と言った。
そこの先生になるつもりだった。
でももう今、補聴器の発展がすごい。
音をわずかでも聞けるようになった。
それと同じ。
この数十年で目、耳、手、足などの障害。
それがメガネをかける気楽さで機械に代わってもらうという。
あのパラリンピックを見てもすごい。
あれはもう、個人の努力もあるが、でもやっぱり。
一本足スキーを可能にした、あの機材の発達。
あれはささやかな発明だが、彼ら(障害者)に与えた「自由」というのは大きい。
障害者の方が雪山を100何キロで滑れる。
これと同じ事が社会にも起こって。
おそらく機械による介護、寝たきり老人等々の介護が可能。
あるいは、親戚にも「うまく歩けなくなっちゃった」というのがいるが、ロボットスーツさえ着込めば「朝の散歩は可能」という驚くべきところに進んでいる。
だから「ブロックチェーン化」。

これからの日本はすべてをブロックチェーンにして、あらゆるものはトークンエコノミーであるという考え方にしていかないといけません。(166頁)

となるといわゆる「金融経済」そのものが変わる。
「仮想通貨」という単位で経済が回り始めるのではないか?と。

プラットフォーム企業がわからない。
ブロックチェーンがわからない。
トークンエコノミー。
これもよくわからない。
トークンエコノミー。
カッコして「法定通貨だけではなく、交換したいものをクーポンにして交換する」という金融経済。
(本の注釈は「ここでは貨幣経済に対して、法定通貨のみならず価値交換に用いるこのとのできるトークンの発行に依拠した経済の意味で用いています」)

武田先生の解釈。
トークンエコノミーというのはビール券みたいなヤツ。
「ビール券4枚」みたいなので、それでビールが買えるワケだから。
それがドンドン広がっていったら、それは今言う仮想通貨になるのではないか?

この方が一生懸命わかりやすく書いてらっしゃるのだが、わかりやすく書いてあっても「わからない」という。
この方はこんなことをおっしゃっている。

PASUMOも仮想通貨のひとつです。(169頁)

武田先生が考えるに「仮想通貨とは『質札』のようなもの」。
この人の書いてらっしゃるのを見ると「質草」。
物とお金の交換だけでなく、物を質札にして、ネット上で手に入れて物と交換できる。
たとえばプラットフォーム企業とかビットコイン、リップルなどは質屋みたいなものか?
「悪質な質屋」のようなものとか、別何か個に形容詞を付けないと・・・。
やってみないとわからない。
この間、楽屋でボソッと話した時、興味半分に松ちゃん(松本人志)がやっている。
松ちゃんは「俺やってるでぇ」。
結構盛り上がっていた。
「いやぁ、遊び、遊び」
それで同じことを言っていた。
「やらんと何か、わからへんやん。浜田(雅功)やるかい!あいつは現金主義や!」と言っていた。
中国では電子マネーとして急成長している。
日本でもトークンエコノミーの流れは「もう後戻りはできない」と著者は言っている。
これはどんどん広がっていくのだろう。
もう間もなく東京オリンピック前後ぐらいから現金で物を買う人は覚せい剤か「オレオレ詐欺」の受け子か。
もう「持っているだけで逮捕」みたいな。
そしてこの仮想通貨からもう開発が始まっているが、人口減少と高齢化のための労働力不足、人手不足によりロボット技術化、無人化商店街が急速に日本で成長し始めている。
これはコンビニはできている。
カゴの中にバーッと入れて、もういっぺんにテーブルの上に置くと計算してくれる。
カードをピッ!と当てて支払いを済ませるから、やっぱり現金を持っていると「覚せい剤を買おうとしている人と間違えられる」という時代は、もう今すぐそこに来ている。
「この無人化等々が急速に日本では勢いづくだろう」と。
クビになる店員さんがいないから。
今やコンビニがそう。
TSUTAYA。
10回以上かかって、まだ一人でできない武田先生。
あの広大なTSUTAYAのレンタルの棚の中で、従業員の方が5〜6人。
武田先生が利用している店舗はわりと大きいので。
あとは誰もいない。
それで何を借りるか自分で決めて。
自分で機械の前に行ってカードを突っ込んで。
だからあのカードのこともやっぱりあれは仮想通貨なんだろう。
「値上がり、値下がりする」というのだけがわからない。

人間ドックも込みで、心臓の手術(二尖弁の手術を受けた)で大きいのでお薬、定期点検に行かなければならないので「病院会計」。
これも今、オール無人化。
これはもうすぐに駅、空港等々も全部「無人化になるんじゃないか」と。
東京駅で駅員さんはもう箱の中にしかいない。
昔、ズラーッと並んで(改札鋏を)カチカチ言わせていて。
いちいち(切符を)切っていた。
もう今、誰もいない。
そこに何の違和感も感じない。
空港の方も2020年に向かって「顔認証が進むだろう」と。
駅、空港、改札カウンター、手荷物チェック等々で、すべて人間が消えていく可能性がある。
今、銀行に人がいない。
この方角に向かって日本は進むが、それが日本をどのような未来に導くか?

プラットフォーム企業、ブロックチェーン化、ビットコイン、リップル、仮想通貨等々。
トークンエコノミーとか。
響きはいいが意味がまったくわからない言葉がズラーッと。
だけどこの若い方のご意見を聞いていると心から日本の未来に向かって「頑張っていけよ!」と叫びたくなる。

今は、2060年ぐらいに日本の人口は8000万人ぐらいまで減ると予想されていますが−中略−それでも、機械化によって一人当たりの生産を増やしていけば、労働力と購買力が減少してもGDPを成長させることは可能です。(160頁)

考えてみれば昔は駅に全部駅員さんがいて、切符をカッチンカッチン切って、乗降客何万人をさばいていた。
定期(券)はちゃんと見ていて「ちょっと待って!切れてる!」「期限過ぎてるよ!」みたいな。
エラい。
切符を切りながら「期限切れてる」という数字まで。
ところがもうそれが全部今、無人化で済むようになった。
その無人化にすることによって職業を無くす方々が無人化に反対するかといえば、今までなかった。
スーッと無人化の方角へ日本は。
だから「この先に未来があるんだ」と著者は言う。

今は、2060年ぐらいに日本の人口は8000万人ぐらいまで減ると予想されていますが(160頁)

ここで完全に日本は高齢化社会を通過する。
もうすぐ終わる。
武田先生たちが死に絶えて「高齢化社会」と問題視されたものが少子化とともに終わる。
ここから大きな国が次々と高齢化に入っていく。
最大は人類始まって以来の巨大な高齢者の層を持つ中国。
半端ではない。
70歳以上が1億を超えるという。
「一人っ子政策」をとっているから、下の世代が細い。
この時に中国が喉をかきむしるが如く欲しい技術が「ロボット技術」。
これはもう輸入に頼るしかないという。
今、中国は着手できない。
中国は人を使わないと経済が回らなくなる。
映画の撮影で行った友人から聞いた話。
日本でテレビのクレーン車はキャメラマンが上に乗っかって一人操る人がいる。
あれは中国で十何人いる。
機械は機械のまんまだが、遮二無二人間がくっつけてある。
働く場所がない。
だからクレーン車があるのだが、全部車で運ばない。
途中で必ず降ろす。
それでみんなで押す。
その時に「10人いる」というような態勢で空海映画とか作っている。
映画『空海−KU-KAI−美しき王妃の謎』公式サイト
そこに労働を作っている。
労働をたえず作っておかないと。
職の無い人だけでも1億人ぐらいいる。

そして日本の本当の敵はどこにいるか?
実はカリフォルニアに住んでいる。
グーグルやアップルという巨人。

 すでにカリフォルニア州は、GDPでいうと世界6位の規模にあります。イタリア経済より大きいのです。(178頁)

我々の周りにアメリカ製品はほとんどない。
戦争に使う道具以外。
でも「アメリカは豊かに」というのはいわゆるグーグル、アップルが持っているショバ代。
これがガッポガッポと入ってくるから「トランプさんでもOK!」。
この状況を終わらせるのがブロックチェーン化による・・・。
そういうことだと思う。
真ん中に中央の偉い司令塔があるんじゃなくて、いろんな所に司令塔があるという。
そういう「経済的元締め」を置かずに「非中枢的」な情報の貯め方。
スマートフォンでも情報を引きずり出す。
あれは誰が答えているのか?
たとえば武田先生が日本語で日記を書いて「英訳せよ」と言ったら英訳してくれる。
「はいはい、はい。はい日本語」
「誰がやってるんだアレ」と考える時点でそこがもうお爺さんの考え。
「スマートフォンの向こうに誰がいるんだ?」という。
「はいはい、武田さんですね。わからないことがあるの?」
無着成恭みたいな人が何十人も並んで「はいはい」とスマートフォンでやっているのか。
そうではない。
非中枢。

日本の多くの大企業は、でかくてのろい恐竜みたいになってしまいました。この状況を打開するためにも、「どうやって哺乳類型の小さくてフットワークの軽い企業をたくさん創り出して、恐竜型のでかい企業とつなげて、これまでと違うイノベーションを起こせるか」を考えなければなりません。(226頁)

posted by ひと at 10:13| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年4月9〜20日◆甦れ日本(前編)


武田先生がなぜこの本を取り上げたかというと、本の腰帯の著者の写真。
まるでジャニーズのタレントさんのよう。
堂本剛くんを細く小顔にしたような青年。

落合陽一(おちあいよういち)
1987年生まれ。メディアアーティスト。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了(学際情報学府初の早期修了)、博士(学際情報学)。筑波大学学長補佐・准教授・デジタルネイチャー推進戦略研究基盤長、大阪芸術大学客員教授
(カバーのそで)

(今は)平成30年だからやっと30歳の若者。
「客員教授」というのを務めてらっしゃるので頭はいいのだろう。
肩書きは「メディアアーティスト」。
(「今朝の三枚おろし」の)スタジオ中はジジイ・ババアしかいない。

特にきっかけは平昌オリンピックだった。
女子のスピードスケートなどを見ていて「確実に自分たちの時代は終わった」と。
もうとっくに終わっているのだが、ああいうのを見せられるとアリアリと感じる。
ジイさんたちは銅像の「何とか像」で揉めているのに。
金メダルを獲った女子選手のところに韓国の選手が来て抱きつくのだから。
若い人も楽々と乗り越えてきているのではないかと。
ああいうメダルを獲った人、あるいは獲れなかった人もそうだが、もう違う。
ちょっと今まで自分が持っている日本人の範疇から外れている。
つまり、ちょっと「若い人の意見」というのを、我々は相当聞かなければならないという。
そういう時代に入ったのではないか、と。
年寄りがよく言う「このままでは死ねない」。
はっきり「いつ死んでもいい」武田先生。

この幻冬舎から出ている『日本再興戦略』。
日本をリフレッシュ、リアゲイン。
「もう一回よみがえらせよう」という計画を持った学者さんの名前、メディアアーティストの名前は落合陽一さんという名前で。
この人が「日本は世界に先駆ける唯一の希望の国だ」と言っている。
これだけメディアが「絶望の国だ」と言っているのに、この若者はあえて日本を「希望の国だ」と呼んでいる。
ツカミのところの文章を読んでみると「日本はダメだ。○○を見習え」。
そんなフレーズで日本が元気になるはずがない、と。

吉田松陰は29歳で亡くなっていますが−中略−吉田松陰が残した「狂え」というメッセージは、当時の時代の変化が今の我々の対面している計算機時代と同様、並大抵のものではなかったことを示しているようです。(13頁)

狂え 吉田松陰の遺書とされている留魂録という書物に出てくる一文「諸君、狂いたまえ」から。(24頁)

「狂うほどの基準を自分で持ちなさい」と。
この「狂うほどの基準」こそが幕末から明治に至る変革。
これを「狂」で乗り切った長州藩。
尊王攘夷から、叶った瞬間、突然文明開化になる。
「異人を追い出せ」と叫んでおいて、明治維新が成ったその瞬間から「学ぼう、異国に」という。
若い方にはこんなことができる。
この著者曰く、やがてその欧州をまねて近代国家を作った。
その欧州をまねて近代国家を作って欧米と戦うことになり、日本はコテンパンにアメリカに敗れた。
そうしたら凄いことに日本はどうしたかというと「アメリカに学べ」と。
負けた敵を学ぶのだからこの国は凄い。
それが明治から現在に至る日本の150年。
欧州を見習い、欧米と戦って負けるとすぐに「欧米に学ぼう」という。
このざっくりとした掴み方が乱暴でいい。
絶えず日本は基準を変えつづけた。
だから「異人を殺せ」と叫んでいながら、逆に異人に学び、西洋を呪いつつ西洋にあこがれる。
日本は自分の基準を変えることで世界を変えてきた。
だから300万人という戦争による被害者を出しながら、敗北するやいなや、その殺した側のアメリカを基準にして国家を作ってしまう。
そしてなんと、それから十数年後に高度経済成長をやり遂げる。
考えてみたら変わった国。
手のひら返しがすごい。
考えたらこんな国はちょっとない。

 結局、高度経済成長の正体とは、「均一な教育」「住宅ローン」「マスメディアによる消費者購買行動」の3点セットだと僕は考えています。つまり、国民に均一な教育を与えた上で、住宅ローンにより家計のお金の自由を奪い、マスメディアによる世論操作を行い、新しい需要を喚起していくという戦略です。(15〜16頁)

「でもここからは?」というのがこの若い学者さんの提言。
では、次なる日本人の目標は何なのか?

日本は高度経済成長を戦後果たすワケだが、そのためには均一な教育とか「家一軒持てば幸せ」という基準。
それからマスメディアによるいわゆる「冷蔵庫、洗濯機、何とか」とか(1950年代後半の「三種の神器」である「白黒テレビ」「洗濯機」「冷蔵庫」のことを言っていると思われる)「手に入れると幸せ」とか、それが高度経済成長を支えたが「もうそれは終わったんじゃないか?」と。
これからは何が日本を動かす原動力になるのか?という。
この落合さんという学者さんがおっしゃるには「儲かる会社ではなく、役に立つ会社を作る必要があります」という。
それからその役に立つ会社、あるいはその会社に勤めている人は「日本の文化を深く理解することです」。
この二つを挙げておられる。

家族そろってテレビを見ながら食事をする武田先生の家。
その時は個人に走らず「穏やかな番組を見よう」というのでテレ東のジャパニーズもの『YOUは何しに日本へ?』(YOUは何しに日本へ?:テレビ東京)『和風総本家』(和風総本家 | TVO テレビ大阪)。
その中で外国で日本に興味を持った人を日本に招く。
例えば「宮本武蔵が好きになった」とか。
先々週ぐらいに見たヤツはドイツ人のかわいらしい娘さん。
大根の漬物にシビレちゃう。
シビレるというかイカレちゃう。
金髪のドイツのかわいらしいお嬢さん。
それが宮崎県の大根畑まで行く。
それでどうやって作っているかを見て、大根干しに感動する。
この人は何でも好き。
しば漬けから何から。
それで「グレート」とか「美味しいです」とかっていうのを連発。
だから田舎にドイツ娘を連れて行くものだから、タクアン製造会社の社長が大歓待するものだから、最後、金髪のお譲ちゃんは泣いちゃう。
日本人は凄い。
自分の職種を理解してくれる・・・。
『和風総本家』で見たヤツで若い人で宮大工にあこがれる人が多い。
宮大工に憧れる高校生の就業体験...|テレビ東京の読んで見て感じるメディア テレ東プラスこれかと思われる)
そのドキュメンタリーを見ていて驚いた。
十代で、もう弟子入りしているから中学を卒業して入っている。
それでその高3の年齢の子が高2の子に教えている。
それで高2の子は工業専門学校か何かに行っている。
「いい宮大工になるためにはどうやればいいんですか?」と言うと、その18(歳)の子が「自分の道具を大事にして、使い終わったら研げ」と言う。
「特にノミは」
毎日ノミを研ぐ。
ノミを研ぎながら「そんなんじゃダメだよ。立つまで研げ」と。
ノミを研いで綺麗な平面になると、手を離すと立つ。
ある角度を持って(ノミが立つ)。
武田先生がショックなのは17(歳)と18(歳)の子が話している。
それで18(歳)の子が「お宮さんを一軒仕上げ終わった時の気持ちっつったら、そりゃいいもんだよ」と言う。
一切言葉にしない。
態度で。
そういう若者がやっぱり「クールジャパン」。
そんな日本を今まで知らなかった。
だって宮大工は滅びゆく職業かと思っていた。
タクアンに興味を持つドイツ娘。
それから宮大工に興味を持つスケボーが似合うような若者たち。
そういうものを見ながらもやっぱり「日本人が日本をもっとよく知る」とか「学ぶ」とか、そういう時代が来ているんじゃないだろうか、と。
この落合さんが言う。
問題は、この国の何が日本を日本たらしめているのか。
それを自分で探る、そういう時代に入ったんだ、と。
「日本を教える人ではなく、日本を学ぶ人が唯一日本を変えられるんです」という。

若い方が広げる「大風呂敷」。
著者はこれから日本人が目指すべき基準を呼びかけている。

「ポジションを取れ。批評家になるな。フェアに向き合え。手を動かせ。金を稼げ。画一的な基準を持つな。複雑なものや時間をかけないと成し得ないことに自分なりの価値を見出して愛でろ。あらゆることにトキメキながら、あらゆるものに絶望して期待せずに生きろ。明日と明後日で考える基準を変え続けろ」と、以前Twitterに書きました。(253〜254頁)

これはもうジジイにはできません。
時々トキメくことはあるが、もうやっぱり日ごと夜ごとにトキメくというのは無理。
著者の若さが、今日いろんな論客の方がいらっしゃるが、この方々には無い、若者らしい提案をたくさんしている。

この方の日本人の掴み方が面白くて「なるほどなぁ」と思った武田先生。
「日本人は公平にこだわるが平等にはこだわらない」
もっと頭のいい人から別のたとえ話で聞いたことがある武田先生。
「資本が外国にある会社」というのがある。
それが成功する確率が高いのは日本。
ジョンソン・エンド・ジョンソン。
あそこはアメリカの会社。
「日産」にしてもそうだが、外国人社長でもうまくいく。
これは長い歴史があって九州の唐津とか松浦あたりに昔、海賊がいた。
「松浦党」とか呼ばれる海賊なのだが、社長が中国人。
給料を公平に分けてくれればいい。
「オマエはよく働いたからこれだけ」
「オマエは今月働いてないね?これだけ」
そんなふうにやると一切日本人は文句を言わずに「民族が違う」とか言い出さない国民。
日本人は公平にこだわるが平等にはこだわらない。

日本人は、センター試験でカンニングなどの不正が起きると怒るくせに、公教育に地域格差があったり、教育機関の差がある人が同じセンター試験を受けることに対しては無頓着です。(33頁) 

だって東大は東京にしかないワケだから。
でも「福岡県に東大を作れ」とは言わない。
何でかと言うと、東大は合格すればどこからでも行けるから。
これが「公平」にこだわっている。
東京の人だけしか行けない大学だと怒るが「試験パスしたら誰でも入れますよ」という東大はいいと思っている。

 平等という点では、日本人に合わないのは「男女平等」です。日本ほど男女格差がある国は珍しいと思います。男女が合コンに行ったり、飲み会に行ったりすると、当たり前のように男性のほうが女性より多く払いますが、あれは性意識の平等感に反します。(34頁)

 もうひとつ欧州発で日本には向いていないものがあります。それは「近代的個人」です。(35頁)

西洋社会というのは個人が神と直に結ばれている一対一の関係。
日本人は神と結ばれていない、と。
日本人はグループと結ばれている。
集団と結ばれている。
「個人主義」というとちょっと「ワガママ」のニュアンスが入ってくる。
「あの人ちょっと個人主義よね」と。

個人に平等に権利を与えて、全員が良識ある判断をすると仮定して、一人一票を与えたものの、選挙をしてみたら、全員にとって価値のある判断にはなりませんでした。集団の中で個人はそんなに正しく判断できないのです。ポリティカルコレクトネスのひずみやポピュリズムの台頭は西洋個人主義の限界点を示しているようです。(38〜39頁)

「僕個人にとって誰に投票するのがいいか」ではなく、重層的に「僕らにとって誰に投票すればいいのだろう」「僕の会社にとって、誰に投票するのが得なんだろう」「僕の学校にとって、誰に投票するのが得なんだろう」と考えたらいいのです。個人のためではなく、自らの属する複数のコミュニティの利益を考えて意思決定すればいいのです。(39頁)

一人に一票を与えたことがポピュリズム「人気につられて」という世界的な混乱を今、招いている、という。
現実に本当に招いている。
暗めに語ると、ヒトラーが出てきてもおかしくないような。
ヒトラーはものすごい「力」で出てきた人ではない。
あの人は民主主義で選挙で立場に立った人。
難しいもの。
この落合さんという方は個人として「誰々を選ぼう」とかって判断すんのやめましょう、と。
自分で集団を作れ。
コミュニティー、グループ。
まず個人の判断を捨てて、ある人数を集めよう、と。
「○○さんに入れる人、あーつまれ」みたいなことで。
だから自分のジャッジでアレじゃなくて、コミュニティとかグループとかそういう人たちで「誰々がいいんじゃない」ということを決定して投票に行けばいいんだ、と。
こうすると世界とかものの見方が変わるぞ、という。
これはやっぱり若い人らしい。

今は、ワークライフバランスという言葉が吹き荒れていますが、ワークとライフを二分法で分けること自体が文化的に向いていないのです。日本人は仕事と生活が一体化した「ワークアズライフ」のほうが向いています。(40頁)

昔からストレスが少なく、生活の一部として働いていたのです。(40頁)

これはドキッとする。
今、一番まずいのは「会社が社会になっている」という。
だから会社が勤まらないと社会の中でも「生きていけない」と思ってしまうというような早合点する人が出てくる、と。
そうじゃないんだ、と。
会社は何かと言うと「ギルド」。
ギルド制。
同業者の組合のこと。
だから日本風に意訳すれば「会社というのは『藩』ではないんだ」と。
「三菱」というと「三菱藩」という感じ。
会社というのは「そうじゃないんだ」と。
会社というのはギルドなんだ。
だから日本風にいうと、会社とは「海援隊」あるいは「新撰組」あるいは「伊賀」「甲賀」「才賀」。
つまり「ある技術を持った人たちの集団です」ということ。
「それが会社なんだ」と。
それでどんどん「業種が増えれば千切れて行った」と。
だから今の会社が楽しくないのは、かつての藩を守るために様々な藩主たちが犠牲になったのと同じで、他藩と付き合わずに藩内に閉じこもっているからだ、と。
だから海援隊だったり新撰組だったりすると、己の職能を持っているものだから、たとえば海援隊だと航海術で黒船を動かす技術だから「その技術を持った人とは誰と付き合ってもいい」という。
そういう伸びやかさが社会全体を活き活きするんだ。
そして己の職業の能力についてもいくつもの文化を持ち、様々な情報を取り込みながらどんどん複雑化できる。

「複雑化する」というのは「大人になる」ということ。

たとえば、仮想通貨のビットコインは中央機関がなく、プログラムによってルールが決められるという特徴がありますが、地形や自然というルールが多様な日本はとてもブロックチェーン的です。地方分権による意志決定が向いているのです。(48頁)

武田先生が考えるブロックチェーンという言葉の意味。
地方にあるアンテナ。
だから文化放送の電波を届けるために、どこどこ山とどこどこの山にアンテナ塔が建っている、という。
そのアンテナ塔に送ると、そこら全体が「ある放送局の声が聞こえる」というような。
そういうアンテナのことをブロックチェーンと言うのではないか。
その「ブロックチェーンが効いている世界だ」とこの著者は言う。

例えばレンガ職人がいる。
中国で。
あるいは韓国で。
このレンガ職人。
この方々は「技術者」。
それはどんな技術かというと「レンガを積む」ということ。
中韓では技術は一つでいい。
「レンガを積む」ということ。
ところが日本ではそうはいかない。
東京と長野では積み方を変えなければならない。
大阪と高知でも積み方を変えなければならない。
なぜならば、地方によって気候が全く違うから目指しているものが違う。
東京では頑丈さが求められるかも知れないが、長野では「雪対策」というものを考えておかなければならない。
大阪ではOKかも知れないが、土佐の高知では「台風と雨に強い」ということが一番の目標になる。
そうやって考えると沖縄から札幌まで気象が違う。
日本人はここらあたりに対応しないと「画一的なものを作るだけ」というのは「腕が悪い」と言われてしまう。
この辺がその「日本が独特の文化の中で生きている」という。

今、もっとも現実的で効果のある策は、「ローカルの発見」に力を入れていくことです。(49頁)

「日本の中にある田舎をもう一回見つめなおしなさい」という。
地方自治から日本の「リアゲイン」「よみがえり」を考える時に今は来ています、と。

すでに、その萌芽はあって、つくば市や福岡といった面白い市が生まれてきています。(50頁)

その故郷があればこそ、300万人の死者を出すという、ほとんど国が滅びた状態から日本はよみがえることができた。
何でよみがえったか?
それは「地方から先に芽を出した」と。
芽を出した地方が東京にやってきて、東京をよみがえらせたという。
東京は地方を吸い込むことにより、中央集権による工業生産様式を徹底させた。
様々な地方が東京に送り込むことによって、消費の循環がこの国を再生させた、という。
こういう話を聞くと、もうむやみに感動するし、むやみに思い当たる。

広島の小さな漁業メーカーがいる。
小魚なんかの仲卸をやっている。
船を持っていたのだろう。
ある時のこと、小エビばっかり獲れる。
それでこの小エビを何とか加工して「お菓子できねぇかな?」と言って小エビのカルシウムにビタミンか何かを混ぜて作った駄菓子がカルビーの「かっぱえびせん」。
そういうのを聞くと感動する武田先生。
「○○が大量に生まれたんで、それをうまいこと、日本スケールのスナック菓子にしていく」とか。

湖池屋のポテトチップス。
北海道で採れたジャガイモと九州で採れたジャガイモを循環させる。
それで美味しいポテトチップスを作るためには賞味期限を作らないとダメ。
「油もん」だから。
何か月かで商品を「オール引き揚げ」。
何か月か置いておくと美味しくなくなる。
韓国でポテトチップスの偽物が結構出回っている。
もうパッケージもそっくり。
「訴えたりしないんですか?」と訊いたら「ええ、大丈夫です」。
「どうしてですか?」
「美味しくないに決まってますから」
韓国に行って食べて「日本と味、違う」と思ったことが何回かある水谷譲。
あれは循環していないから。
作りっぱなしだから。
自分たちは循環させているので、いつも品質が一定で「パリッ!」とくる。
「偽物にはとてもマネできません」とはっきりおっしゃった。
「だからもう、食べてもらえばわかるから、別に裁判沙汰にしなくてもいいんですよ」と。
この余裕が「ローカル」。
「ローカルを使いまわす」というか。
そういう、地方で作り東京で消費の循環を巡って、この国はゆっくり再生し、高度成長までもっていったんだ、と。
今や第二、第三のイノベーションということか「改革の時が来てるのだ」ということ。

この人はやっぱり若いからドキッとすることを言う。
「お手本は多極化しています」と。
「日本人は学ぶとき、最高のパワーを発揮する」と。

学ぶべきは、シリコンバレー型、シンガポール型、中国深圳型のようなスピード感です。(54頁)

そして、これらの国に学びながら、手を結ぶべき大国はたった一つ。
インド。


posted by ひと at 09:55| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする