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2018年11月07日

2018年7月16〜20日◆植物は未来を知っている(後編)

これの続きです。

植物というのは記憶力を持っている。
これは間違いないんだ、と。
植物は視覚を持っている。
見てるんだ、と。
そう言われてみると桜がバーッと一斉開花するという日本独特の風景があるが、あれなんぞ見ていても桜がやっぱり周りを見ながら「あ、さくら咲くの?」みたいな感じで次々咲いていくという。
そういう会話をしているんじゃないか、という。
そしてこの方が次におっしゃっているのが、ちょっと日本では類例をみられないかも知れないから首をひねられる方もいらっしゃるかも知れないが「植物の擬態」。
カマキリが蘭の花に化けたりというようなのを擬態というが、これが「植物にもある」と。

ボキラ・トリフォリアータは、チリとアルゼンチンの温帯林で成長するつる性植物でボキラ属の唯一の種でもある。(68頁)

樹木に巻きついているどのボキラも、見事な擬態能力でそれぞれの宿主≠フ葉をまねしていたのだ。実際、宿主となりうる植物は一種類ではなく、ボキラはずうずうしくも、じつにさまざまな葉をそっくりコピーしていた。(69頁)

同じ森の中の10種類以上の植物の葉をマネするそうだ。
(とは本には書いていないが)

擬態能力は何らかの形で《役者》に利益をもたらす。この場合《役者》に当たるのはボキラだ。では、自分の葉を変化させ、宿主の葉を模倣することで、ボキラはどのような利益を手に入れることができるのだろう? 第一の仮説は、有害な昆虫から身を守れるということだ。たとえば、ボキラがまねしている葉が草食性の昆虫にとって有毒な植物だとしたら、そして昆虫自身もその葉を避けることを学習していたなら、ボキラはその植物に紛れこむことによって身を守れる。(70頁)

実はこの本を読んでクイズ番組で10万円を稼いだ武田先生。
アフリカのどこかの自然動物園か何かで草ばっかり喰うツノの曲がった鹿みたいなピョンピョン跳ねるヤツ。
あれが大量に死んだ。
それを追求していって出た結論が「植物が殺した」。
その葉っぱを喰うという鹿みたいな動物がいる。
そいつから喰いつくされることをおびえた植物は新芽の段階で毒を用意した。
それで全滅はさせないまでも2/3ぐらいを殺した。
減ったら毒を新芽から消した。
(番組は『世界まる見え!テレビ特捜部 謎を解け!ミステリークイズ2時間SP!動物3000頭ナゾの大量死』。アカシアが自分の身を守るために大量のタンニンを生成し、それを食べて消化ができなくなったクーズーが死んだ)
だから完全犯罪でどこかのドンファンみたいな話。
特集:紀州のドン・ファン 不審死 - FNN.jpプライムオンライン
植物の世界にもそういう「一服盛る」というのがあるそうで。
我々が食べている野菜だってそう。
ジャガイモだってそう。
ジャガイモの芽は毒。
あれもスタンバイしている。
ただジャガイモが今のところおとなしいのは全滅させられる可能性がないから。
そういう「動物に全滅させられてたまるか」と思った葉っぱは擬態によって他の葉っぱに化けて「私はボキラじゃないもん」とかって言う。
この辺はすごい。

二つの仮説を示している。一つ目は、ボキラは大気中に放出された揮発性物質を近くして、模倣すべきモデルが何かを決定しているというものだ。(72頁)

とにかく環境を目で見てマネしているとしか思えない、と。
動物の視覚とは全く違うしくみを植物は視覚として持っているのではないか。
葉っぱはとにかく光を探す。
根っこはひたすら闇を探す。
考えてみれば「視覚がないとできませんぜ?」という。
この好日と、いわゆる「闇を好む」という二つの性格。
この辺、植物はやっぱり動物的。

(著者の)ステファノさんがおっしゃっているのは、人類が解決しなければならない謎の一つ「秋の紅葉」。
これは謎の現象。

秋の森を彩る赤、オレンジ、黄の色の爆発は、数年まえまでは葉緑素の減少による当たり前の結果と考えられていた。葉緑素がなくなれば緑色で覆い隠されていたほかの色が現われてくるというわけだ。ところが、実際はもっと複雑な何かを示しているのではないか、という疑問が生じてきた。なぜなら、いくつかの種は、大事な資源を使ってまで葉を色づかせるための分子を製造していることがわかったからだ。しかも、葉が落ちてしまう数日もしくは数週間まえに。すぐに失ってしまうような明らかに無益なものに貴重な資源を投資するのは、いったいどうしてなのだろう?(80頁)

コストパフォーマンスが悪い。
全山紅葉するのは「じゃ、なにゆえなんだ?」と。
「わぁ、キレイだね」と言っているのは人間だから人間を喜ばせる投資になると言う水谷譲。
特に日本はもう、秋の紅葉というのは大事にする。
人間にとって楽しみではあるが、果たして他の動物にとって紅葉は楽しみかどうか?

二〇〇〇年、オックスフォード大学のビル・ハミルトンが亡くなる数か月前に提示した理論が、この謎を解き明かしてくれた。彼の研究によれば、秋に葉を華麗に色づかせる樹木は、いわゆる誠実な信号≠送っているのだという。つまり、紅葉は植物のもつ力をアブラムシ(アリマキ)に向けて誇示するメッセージというわけだ。(80頁)

「緑だから葉っぱでも喰おうかなぁ」とかと思って「これから寒くなるんでいっぱい喰おうかなぁ」とかと思って張り切っている時に真っ赤になるワケで。
「何!赤じゃん!」みたいな。
虫を弾き返す、寄せ付けないために紅葉させているのではないだろうかと。
そういう考え方がある。
一種、植物から動物への示威行動として。
炎のような色を見せつけて虫を脅し、自らの生命力を誇示する森の木々の「デモンストレーション」。
それが実は紅葉なのではないか、と。

 たとえば、一頭のライオンが視界に入っても、逃げようとせずにその場でバネのように飛び跳ねているガゼルの群を見たことがあるだろうか? 一見、ガゼルたちはエネルギーを浪費するだけのむだな行動をしているように思えるかもしれない。しかし、実際はライオンに向かって、「私がどれほど力強く頑丈なのかを見よ。捕まえようとしても、おまえは時間とエネルギーを浪費することになるぞ」というメッセージを送っているのだ。同じように樹木も濃く色づくことによって、秋のあいだに移住の頂点を迎えるアブラムシに対して、自らの強靭さと生命力を誇示する信号を送り、ほかのもっと楽な宿主を探すようにうながしている。(81頁)

かつて楽園があった。
どこにあったのか?
どうもやっぱり中東の方にあったんじゃないか?
そこで初めて人間の文明が立ち興ったという。
その文明とは何か?
メソポタミア地方。
学校で習う。
農業。
農業が興ったということがものすごく重大なことで。
ここで人間は集団で生きる。
そして農業を基礎にするという社会を作ったワケで。
あたりには森と草原があったはずで。
この人間を人間らしく集団にまとめたのは「植物」。
植物がなければ農業は始まっていないから。
その人間をまとめた植物は何か?
麦。
わずか1万2千年前の出来事。
麦という植物が育つことによる人間の文明があったという。
そこが今は森も緑もなくなって。
文明とは何かと問えば、文明とは定住生活。
もう移動しない。
人間の定住は何によって可能になったかというと「農業」によって。
農業は穀物によって支えられている。

今日、三種類の植物──コムギ、トウモロコシ、コメ──だけで人類の摂取するカロリーの約六〇%がまかなわれ、そのかわりにこれらの植物は、世界じゅうどこでも広大な土地を使って栽培され、地球全土へ拡散され、ほかのライバルたちを圧倒している。(82頁)

たとえば、コムギかコメが病気に襲われたら(すでに起こっているが)大参事になるだろう。(83頁)

人間がある植物の特徴に注目して栽培すると、ほかの植物がそれを擬態し、予想もしない結果をもたらすことを最初に指摘したのだ。(88頁)

ジャガイモからサツマイモ。
更にタロイモ、キャッサバなどが食べられるようになった。
とんでもない事をこの人は途中から言い始める。
それは人間がコムギ、トウモロコシ、コメを喰いだす。
植物が考えて「アイツらのマネをすればいいのか」というので、他の植物がコムギ、トウモロコシ、コメのマネをし始めた。
コムギ、トウモロコシ、コメの立場になって考えましょう。
この人たちは毎年、秋になったら人間に喰われちゃうワケだが、春にちゃんとまたタネを蒔いて育ててくれて「滅びる」ということがなくなった。
コムギ、トウモロコシ、コメというのは。
そうすると植物もバカではないのでこのコムギ、トウモロコシ、コメを見ていたヤツが「あいつらのマネすりゃ、一部喰われたにしても俺たちは永遠の命と共に生きることができる」と。
やっぱり見ている。
それでジャガイモがマネをした。
ジャガイモがいったらすぐサツマイモが「よぉーし!俺もジャガイモのマネしよう!」って言いながらパーッと膨らんだ。
タロイモがマネをして、今、アフリカあたりではキャッサバがそれをマネしているという。
コムギもすぐにコムギの擬態が始まった。
コムギ畑の中にコムギそっくりのヤツが増える。
この人(著者)曰く「これがライムギだ」と。
だから人間に喰われるかも知れないが、喰われることによって大変なアドバンテージを手に入れる。
有利になる。
アドバンテージを彼らも手に入れたかったのではないか?
それはなぜかというと、人間に喰われることによって来年の春は育ててもらえるということともう一つ、植物にとって絶対に不可能なことが可能になった。
それは移動できる。
世界中に広がることができる。

この除草剤の使用について不安を誘うデータがある。一九七四年、農業用に使用されたグリサホートは、アメリカ合衆国だけで三六万キログラムだったが、二〇一四年には一億一三四〇万キログラムに達した。つまり四十年のあいだに、三百倍以上にも増えたのだ!(91〜92頁)

(番組では「30倍」と言っているが上記のように「300倍」)
あぜ道の雑草はグングン耐性をつけている。
人間にすり寄ってくる植物について、すべてが悪いものと断定するのは早計であるぞ、と。
もしかするとその雑草の中に第二、第三のカラスムギ、ライムギの仲間がいるかも知れない。

花以外の蜜の働きは長いあいだ謎に包まれていた。ダーウィンは、花の外に現れる蜜は、捨てるべき余分なものだという意見だった。いいかえれば花外蜜腺は、もともと何らかの理由でつくりすぎた物質を外に吐きだすための排泄器官だということだ。−中略−
 デルピーノは、このダーウィンの理論にまったく同意できなかった。植物がこれほど甘い物質、つまりエネルギー価の高い物質をむだ遣いするなど、彼には考えられなかったのだ。これほど糖分の多い生産物が余剰物≠ノされるなどありえない。植物がこうした貴重な資源を捨てるのなら、そのかわりに何か自然の利益≠得ているはずだ。つまり、花以外で分泌される物質も、花の蜜と同じ働きをもっているにちがいない、と考えたのである。
−中略−
 数年の研究のあと、デルピーノが見つけたその理由は、《ミルメコフィリア(好蟻性)》
−中略−というおもしろみのない名前で知られるようになった。−中略−好蟻性とは、花外蜜腺を使ってアリを引き寄せ、そのかわりにほかの虫や捕食者から身を守るための性質だ。−中略−捕食者から守ってくれるお返しとして、甘い蜜がアリに提供されるのだ。(127〜128頁)

ネソコドン・マウリティアヌス
桔梗の花に似ている花。
その桔梗の花に似た花の内側から、花びらに向かって蜜を流す。
(本によるとヤモリをおびきよせて受粉させる)

 一例は、アフリカや南アメリカ原産のアカシア属のさまざまな樹木とアリの関係だ。アカシアはアリを養うために独特の実をつけ、樹木の内部に特別な場所も提供する。−中略−アカシアはアリに対して、食べ物、宿泊所、さらには花の外で分泌する蜜というフリードリンクまで提供する。かわりにアリはアカシアに害を与える恐れがある動物や植物──それがどんなに攻撃的な相手でも──から宿主を守りぬく。−中略−よこしまな考えを抱いて近づこうとするほかの昆虫を遠ざけるだけでなく、自分より数十億倍も大きな体の動物にも果敢に立ち向かう。アリがゾウやキリンのような巨大な草食動物に噛みついて、木に近づくのを思いとどまるまでけっして離そうとしないのも珍しいことではない。(129頁)

蜜は糖だけでできているわけではない。ほかのさまざまな化学物質、たとえばアルカロイド、γ−アミノ酪酸(GABA)のような非タンパク性アミノ酸、タウリン、β−アラニンなどもふくまれている。こうした物質には、動物の神経系を制御する重要な作用があり、神経の興奮をコントロールして行動を支配する。−中略−蜜にふくまれているアルカロイドは同じアルカロイドの仲間(あるいは類似物質)であるカフェイン、ニコチン、ほかの多くの物質のように、アリ(または、蜜を採取して花粉を運ぶ他の昆虫)の認知能力に影響を及ぼすだけでなく、蜜への依存を引き起こす。
 アカシアの樹木もほかの好蟻性の植物と同じように、花の外の蜜にふくまれるこれらの物質の生産を調整して、アリの行動を変化させられる、ということが最近の研究でわかった。つまりこうだ。狡猾な麻薬密売人のように、アカシアはまずアリを引き寄せ、アルカロイドが豊富な甘い蜜で誘惑し、アリが蜜への依存症に陥ると、次はアリの行動をコントロールし、アリの攻撃性や植物の上を移動する能力を高める。
(131〜132頁)

コロンブスが最初の中央アメリカ遠征から戻るときに、トウガラシはヨーロッパにもたらされた。(139頁)

ここからトウガラシの世界制覇への旅が始まった。

世界中でこれほど多くの人がトウガラシの辛さを好んでいるのはなぜか? カプサイシンはほかの植物性アルカロイド(カフェイン、ニコチン、モルヒネなど)とはちがった形で脳に影響を及ぼすが、どちらも最終目的は同じである。つまり、依存症を引き起こすことだ。(145頁)

舌で痛みを近くすると、脳に信号が届き、脳は痛みを緩和するためにエンドルフィンを製造する。
 エンドルフィンとは、モルヒネに似た、痛みを鎮める生理学的な特質をそなえた神経伝達物質だが、その効果はモルヒネ以上だ。
−中略−
 エンドルフィンが依存症を起こすというのは、奇抜な発想ではない。それどころか、よく知られたランナーズハイもここから来ると考えられる。
(145頁)

だから一回辛さに耐えると、もっと辛いものが欲しくなるという。
モルヒネ、キニーネ、アヘン、シャブ、マリファナ。
こういうものが全部植物由来であるのと同じように、植物が滅びたくないために人々を支配するという。
これはすごい。

 植物は、私たち動物に似たものを何一つもっていない。植物と動物の共通の祖先は六億年まえまでさかのぼる。その時代、生命は海から出て陸地をも征服しようとしていた。−中略−植物は新しい環境に適応し、地面に根を下ろし、太陽が放射する無尽蔵の光をエネルギー源として利用した。(158頁)

地球に暮らす全生物の総重量の少なくとも八〇%は植物が占めている。(158頁)

一番最初に話した藤子不二雄先生の漫画ではないが、海から一番最初に上陸して、地面で光合成によって地球上に生きること、それを始めたのは実は植物。
植物がしっかりと世界を作った後、招かれるようにして爬虫類が海から上がってきて両生類となり・・・という。
(本にはそういうことは書いていないし、進化の方向性を考えると両生類→爬虫類)
そうやって考えると、植物がまず地球を拓いたパイオニア。
動物は生存について問題が生じるとまず移動した。
すこし言葉をきつめに言えば動物の特徴は何か困難に出くわすと逃げ出すことである。
そう。
絶えず逃げてきた。
今でも変わらない。
とにかく何か困難に遭遇すると大臣以下みんな逃げる。
「やってない」「会ってない」とか。
「知りませんでした」とか、そういうことを言いながら。
植物だけが逃げない。
動物はあくまでも逃げて己を守る。
植物は逃げない。

植物は、じっと動かないことを選択した結果、並外れて優れた感覚を発達させた。環境から逃げられなくても生き延びられるのは、ひとえに、数多くの化学的・物理的なパラメーターをいつでも緻密に知覚する能力をそなえているためだ。パラメーターとは、たとえば、光、重力、吸収できるミネラル、湿度、温度、力学的な刺激、土壌の構造、空気の成分などだ。植物は、そうした力、方向、時間、強さ、刺激の特徴を、そのつど識別する。さらに、ほかの植物との距離、その植物の正体、捕食者や共生者、病原体の存在を伝える《生物的シグナル》(ほかの生物が発する信号)についても、植物はたえずインプットしつづけ、つねに適切にその信号に対応する。(165頁)

ライムギの個体一つは、数億本もの根端を伸ばすことができる。(167頁)

森林のわずか一平方センチメートルの土地には、数千もの根端が存在するといわれているが(167頁)

植物とは非中枢的生き物。
そういう意味で「植物的である」というのは大事な才能なのではないか?
高層ビルなども考えてみれば箱の積み重ね。
上の人の床が下の人の天井になっている。
失礼。
樹木においては、あれほど葉っぱがありながら、上の人の床を天井にすることはない。
わずかにズレてすべての葉っぱが太陽の光を吸収しているワケだから。


posted by ひと at 11:24| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年7月9〜13日◆植物は未来を知っている(前編)

これの続きです。

植物は〈未来〉を知っている―9つの能力から芽生えるテクノロジー革命



この本を選んだ動機。
芸能でお足をいただいていて生計を立てている武田先生。
ドラマではいろんな所に引っ張りまわされる。
あるドラマで海沿いの山道を登り、丘の上に登った。
その丘の上での撮影だった。
これがすごい丘で、伊豆半島。
いきなり山が高くなっている。
ミカンの丘が広がっている。
どのくらいの急傾斜かと言うと、ミカンの実がコトンと落ちると下200mぐらいにある県道まで転がり続けるというような急傾斜のミカン段々畑だった。
そこでキャメラを向けたのだが、片平さんと演っていたお芝居。
(内容的に多分TBSの『リバース』。「片平さん」というのは片平なぎささんのことだと思われる)
金曜ドラマ『リバース』|TBSテレビ
ドラマというのは右から撮れば左からも撮るという二つポイント。
ところがそのドラマに関してだけは海を見下ろす角度からしか撮れない。
逆の海側から山へ向かってのキャメラサイドはないのかなぁ?というふうに思っていたらキャメラマンがブスーっとふくれて「撮れるワケねえじゃん!」とふくれっ面。
「何でこんなにこの人は機嫌が悪いんだろう?」と思って「どうした?」と言うと気になる方角を彼が指差した。
ハゲ山。
そのハゲ山なのだが、金属の板がズラーッと並べられている。
太陽光パネル。
ミカン農園を営みながら死んだ息子の敵を討ちたいと思っている母を問い詰めた刑事の武田先生。
それ(太陽光パネル)の光り方が情感が出てこない。
何だか果物ナイフを横に並べてキラキラキラキラ振り回しているような。
つまり、はっきり言って殺された息子の思い出を語る時に後ろ側で金属片が光るとドラマにふさわしくない。
しかしすごい。
本当に「緑をはがされた」と言っていいほどの山。
かつては果樹園が、ミカン園が並んでいたそうだ。
そのあたりにロケハンにやってきてディレクターは気に行った。
ところが一年も経たないうちにそこに来てみるとも一山、全山。
一方方向だけのキャメラワークということだったのだが、通りかかったミカン農園の方が「あれ、外資と結んでる太陽光発電会社なんですよ」と。
「私どもも反対してるんですが、言うこと聞かないんですよ」と。
外国資本が一枚入っていて、権利関係が出来ているので「景観なんか関係ない」と。
ただ、ミカン畑であんなふうに全部木を切ってしまうと「山が崩れて、ということもあるんでねぇ」と言いながら不安そうだった。
茫然とその太陽光発電のパネルの並んでいる景色を眺めたのだが、どうにも日本の景色にはなじまない。
太陽光パネルというのは、例の福島での原発事故があって、日本人が急激に興味をもって。
水力、火力、そして太陽光、それから風車等々で何とか、といったのであるけれども。
圧倒的に不安定らしい。
それで外資の方はと言うと外から入ってきた資本なのだが、中国は太陽光パネルはもう強気で、国土が広いものだから「いくら並べても」という。
ところが日本みたいに角度の決まった丘の上に、時間にならないと太陽が昇ってこないような地形で、またもう一山買ってパネルを並べないと黒字にならないと言って買占めが・・・という。
申し訳ないがあんまりいい噂を聞かない。
前から言っていることだが、あのデザインは何とかならないのか?
太陽光(パネル)のデザインそのものをもっと考えられないかと。
つまり並べれば景色として美しくなるような太陽光パネルというのがあるんじゃないだろうかと。
そんなふうに思う。
樹木は葉っぱが太陽光パネル。
パッと目が合ったら「ああ・・・ホッとする。太陽光パネル」みたいな。
「植物と共に未来を眺める」という今週の始まり。

(番組の最初の街頭インタビューからの話の流で「イケメン」という表現が失礼に感じるという話が続く)
フランス語で美女を褒める時に「mannequin(マヌカーン)」と言う。
(調べてみたが「mannequin」にそういう意味があるかどうかがわからなかった。辞書にはなくても俗語としてそういう表現があるのかも知れないけど)
「マネキン」と。
服を着てずっと立っているだけ、という。
「おお、マヌカーン!」みたいな。
「イケメン」には同じ響きを感じる武田先生。

植物を見る時に、動物の私たちは、私たちと全く違う生き物と見ている。
植物は動物のように環境に適応し、己の姿を変化させ、それを動物と同じく「進化」と呼ばず「順化」と呼んで別の扱い。
「適応した」という。
しかし植物の順化は経験を記憶し、自らの組織構造と代謝を修正し己を変化させる。
生物とは一体何かというと、己の姿を変化させることによって生き延びようとするもの。
考えてみれば進化も順化も同じではないか、というのがこの本『植物は〈未来〉を知っている』のテーマ。
(番組では植物の「順化」を「進化」と同列に説明しているが、本の中では「順化」は「記憶力」と同じ種類のものというような説明)

例えばフルーツトマト。

高糖度フルーツトマト「太陽のめぐみ」 (無選別1kg)



本当にうまいのがある。
武田先生が好きなのは高知県のと熊本の八代。
ここのトマトは美味しい。
これは凄く面白いことに八代は「塩害」。
あれは潮風が入ってきて。
土佐の高知も台風で塩水を浴びた畑のトマト。
武田先生が感動した話。
フルーツトマトは一体どこから生まれてきたかというと、塩害の被害から出てきたのがフルーツトマト。
塩害で塩が畑まで来て全滅した。
植物が全部枯れてしまうから。
その中でよく見ると実を小さく実らせている。
塩で縮んでしまってチビになっている。
それで「こんなものは市場には出せねぇ」とその畑の人が喰ったら甘いの何の!
「これはベジタブルじゃない。フルーツだ」と。
それで、それからはわざと地面に塩を撒いてトマトに激烈な苦労をさせて。
実を小さくしても甘味を。
何で甘味が付いたか?
トマトが「俺は死ぬんだ」と思った。
その時に「生きたい」という思いが、地面から実は小さくても甘味を吸い上げる。
糖分を持っていれば糖分の栄養で生き延びられないかと決心した小柄なトマトがフルーツトマト。
この種からは続々フルーツトマトができてくる。
一回塩でつらい目に遭ったということを「フルーツトマトは記憶している」ということ。
そうすると発想を変えないとダメ。
この著者曰く「植物、記憶を持ってる」ということ。

オジギソウ。

可愛らしいオジギソウ 先生へのプレゼントに 感謝のしるしとして 教室で植物を育てましょう くすぐると葉を閉じて枝を下に向けます少し変わったプレゼントで先生はきっと笑顔に



黒胡椒みたいな小っちゃい種を撒いて観察日記で子供がやっていたという水谷譲。
子供だったら必ずやる。
大人だってやる。
ペロッと触る。
シュルシュルシュルシュルーと葉をたたんでしまう。
やり続けるとどうなるか?
やり続けると閉じなくなる。
やったことがある武田先生。
触って葉を閉じていたら風が吹くたびに閉じなきゃいけない。
風が吹いてももう閉じなくなる。
それが「記憶」「学習してる」ということ。

鉢に植えたオジギソウを、約一〇センチメートルの高さから繰り返し落下させる。落差の距離が刺激の大きさを表している。−中略−何度か落下を繰り返すと(およそ七、八回)、植物は葉を閉じなくなり、無視するようになったのだ。−中略−つまり、植物は過去の経験を記憶する#\力をもっているのだ。
 ところでその記憶力はどのくらい持続するのだろう? この疑問に答えるために、実験でちがう刺激を区別できるようになった数百のオジギソウを、何も刺激を与えないままに放置し、学習したことをどれぐらい記憶しておけるのかを調べてみた。すると、予想をはるかに上回る結果が出た。オジギソウは四十日以上ものあいだ記憶を持っていたのだ。これは多くの昆虫の標準的な記憶の持続時間よりはるかに長く、高等動物の記憶に匹敵する。
(30〜32頁)

(番組では落とした回数が40と言っているが本によると40は日数)

樹木にとってその枝先に花を付けるか、これは重大な決定。
桜はよくあれだけ揃って開くと思う。
気象予報士の森田(正光)さんが言っていた。
あれは太陽光を足し合わせたのと、ぶり返す寒さが何回目かを桜がカウントしている
合計の温度が○度に達すると開花する、という。
(渥美清ふうに)しかし森田さん、アンタ本当かい?
そうではなく、水谷譲ふうに言えば「あったまいいんじゃないの〜?」というような言い方の方が的確で。
桜はやっぱりきちんと記憶力を持っている、と。
動物が持っている記憶力とは全く違う種類の記憶力を植物が持っているのではないか?と。
これが最近、研究が進んでいるそうだ。
わけわからないがゾクゾクするぐらい面白く思える武田先生。

 最近、MIT(マサチューセッツ工科大学)の生物学部のスーザン・リンドクイストが指揮する研究グループが、ある仮説を打ち出した。それは、少なくとも開花の記憶のようなケースにおいては、植物はプリオン化したタンパク質を利用している可能性があるというものだ。プリオンは、アミノ酸配列が誤ったやり方で折りたたまれたタンパク質で、近くにあるタンパク質すべてに対して、この異常形成されたタンパク質をまるでドミノ倒しのように増殖させる。動物にとってプリオンは有益どころか、害にしかならない。たとえば、BSE(牛海綿状脳症)やクロイツフェルト=ヤコブ病は、プリオンが原因だ。でも、植物では、プリオンが独特な記憶方法をもたらしているのかもしれない。(34〜35頁)

何十年も前のこと、アトランタで取材をやったことがあってジミー・カーターさん(アメリカ合衆国第39代大統領)とお会いしてお話しをするという企画があった。
世界平和について。
ただ話を聞いているだけだったが。
ガードマンの人がマシンガンを持っているのが怖かった。
そのカーターさんが武田先生に会っていただけたのは、ある日本企業の協力があったから。
ファスナーで世界メーカーのYKK。
それがアトランタのカーターさんをずっと州議員の時から応援し続けた企業がYKKさんだった。
だからすごくカーターさんはYKKさん経由でアレすると連絡が簡単に付く。
そのお礼もあってアトランタのYKKの工場に行った。
富山方面から来ていて、その方々は松の木と桜の木を見せたがる。
ところが工場長。
日本人の方。
笑ってらっしゃったが。
松はあっちこっちから針金で引っ張って遮二無二枝が曲げてある。
「がんじがらめですね、この松は」と言ったら「ええ、もうね、アトランタで松育てるとまっすぐ伸びやがって」という。
風とかがあまりなくて気候がいいものだから「Pine Tree!」って言いながらまっすぐいっちゃう。
日本人は松の風情は風雪に耐え、枝をくぅ〜と曲げながら「生きております!常緑樹」みたいなのがある。
日本人ならではの。
だから大変。
あれを美しいと思いだすと、まっすぐの松はつまらない。
「おめぇ、芸ねぇな」みたいな感じになってしまう。
それでもう一つが桜の木だった。
あくまでもその時に聞いた話。
この桜がバカで。
立派な木。
大木になっている。
計算できないらしくて、もう何だか二月に咲いたかと思ったら九月にまた咲きやがって。
もう全然季節を守らない。
それで「何とかしなくちゃ」というので日本の庭師さんに富山の方は「四月の後半ぐらいに咲くようにならんですかね?このバカ桜」という。
そうしたら庭師さんがすごく面白いことを言って「四月ぐらいにここで咲く花は何ですか?」。
その手のスミレ草があるらしい。
そうしたら庭師さんが「じゃ、この桜の木の周りに四月に咲くスミレの花をいっぱい植えてくれ」と。
「そしたらだいたい桜も四月に咲きますから」と。
「そんなことあるんですか?」と訊いて「ええ、ええ。あのね、桜ね、仲間がいたり同じ時期に咲く花がいないとカウント間違えちゃうんだよ。見てっから桜」。
「あ、アイツ咲いたな」と思うと咲く。
「(渥美清ふうに)さくら、アイツ咲いたな?よし、咲くか」
バーッと咲く。
何で判断しているか?
目は無い。
見ているわけではない。
「見る」と言ったら「目」と言う。
だからこの作家さんが「違う」と言っている。
それでそれ以来四月にきちんと咲くようになったというふうに言われてもう一回、日本の桜の情景を見渡したら桜並木は一斉。
咲く時も散る時も。
「オマエ、咲いたな?さくら。散るのか?さくら。じゃ、俺も散っちゃおうかなー」
きれーいに揃える。
審議定かならずなれども、この著者によれば植物はやっぱり人間とは全く違うシステムの目を持っているのではないか、ということ。

人間はとにかく自然に学んできた。
ケモノをマネしたり鳥をマネしたり魚をマネしたり。
そうして動物の中でも他の動物を出し抜いて様々なものを人間は獲得してきた。
しかし現代はいよいよ植物から学ぶ時が始まったと著者は言う。
「インターネット」とういのを図式化すると植物の根と同じ。
構造としては植物の根と同じであり、植物的発想は未来へのヒントを含んでいる。
いよいよ人間は植物のテクノロジーを学ぶ時代が来た、と。
こうおっしゃっている。

私は、植物が新しいロボットの製作に大きなインスピレーションをもたらす可能性に魅了され、二〇〇三年に《プラントイド》(植物型ロボット)のアイデアをふくらませはじめた。(53〜54頁)

これは欧州宇宙機関では火星探査に関してアメリカ型の動物型ロボットをやめたそうだ。
動物型ロボット。
つまり自走。
自分で走って掘り起こして石とか土を持って帰ってくると言う。
これは「犬」。
犬型のロボットだが、これじゃない、別のロボットのタイプを開発しようというので、植物型ロボットを今、ヨーロッパでは懸命に考えているそうだ。
「これはすごい」と思った武田先生。
火星探査。
空気の薄いところにポンと降ろして箱がカタンと開くとその中から犬型のロボットが出てきて走って掘り起こして土を取って持って帰ってくるみたいな。
ヨーロッパが今、考えているのはそうじゃない。

無数のプラントイドを火星の大気中まで送り込むことを想定した。送り込まれたプラントイドたちは、火星上にまき散らされる。それぞれのプラントイドは約一〇センチの大きさで、赤い星の地表に姿を消すと、ただちにその体から根を土壌に差しこむ。この根が火星の地下を探索するいっぽう、表面に並んだ葉のようなものが光電池(太陽電池)を使ってエネルギーを補給する。−中略−プラントイドは、種子のように大気中ではじけて広範囲に散らばっていく。そしてその場でじっとしたまま、お互いに、さらには地球とも連絡をとりあい、土壌の成分についてのデータを地球に送信する。(57頁)

それでもう一つ。
「集合する能力」というのを与える。
集まる能力を与えておく。
そうすると「森」ができる。
(という話は本の中には発見できず)
とにかく植物を発想にして探査型のロボットを作るという。
これはやっぱり面白い。
夢のSFの世界。
これはもう現実に進行している。
生き物のマネではなくて植物のマネをして、これからは火星の探査をやるという。

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2018年7月2〜6日◆バナナがなくなる前に

これの続きです。

世界からバナナがなくなるまえに: 食糧危機に立ち向かう科学者たち



自然は決して人間に従うことはない。
自然を従えていると思い込んでいる者に、自然は実に自然に復讐をする。
南沙諸島の問題は大丈夫なのか?
天気予報を見てください。
あそこはバンバカ台風が来ている。
サンゴ礁を平地にして、遮二無二にそこに船とか飛行機を置いている。
あれは飛ばされる。
そんなことを思うと人間というのは自然を従えているつもりかも知れないが、自然には基地とか何とか一切関係ない。
そんなつもりでぜひ聞いて欲しい。

アメリカ自動車王のヘンリー・フォードさん。
この人の夢は一体何だったのか?
この人は何を革命を起こしたかと言うと大量生産。
同じものをいっぱい作るというシステム作りで成功した人がフォード。
これのおかげで車がガン!と安くなったのだが。
ヘンリー・フォードさんは車の大量生産で革命を起こした人なのだが、この人は実は農業にも手を出した。
車は工業製品。
ところが一か所だけ農業がうまくできないと、できない部品がある。

 自動車は石油と鉄鋼を必要とする。−中略−自動車にはゴムも必要だ。−中略−それはアマゾン川の南方の熱帯雨林地域を原産とするパラゴムノキ(Hevea brasiliencis)という木から採取される。(191頁)

だがパラゴムノキは、食物としてより重要であった。種子は食用になる。−中略−しかし一七七〇年、(やがて酸素を発見する)進取の気質に富むイギリスの科学者ジョセフ・プリーストリーが、凝固したゴムの樹液で鉛筆のなぐり書きを消せることに気づく。−中略−
 しかし二つの発明によて、すべては変わる。一つはレインコートだ。チャールズ・マッキントッシュは薄いゴムのあいだに繊維をサンドウィッチのようにはさむことで、防水性の布地や、のちにはコートを製造できるようにした(それゆえ「レインコート」は「マッキントッシュ」とも言われる)。もう一つは加硫法(Vulcanization)である。
−中略−加硫法は、貧困にあえぎながら大きな夢を抱いていたチャールズ・グッドイヤーによって一九三九年に考案された。彼はゴムの耐久性を向上させようと何年も苦心していた。ある日、ゴムと硫黄を混ぜ、ストーブの上に置いてみた。−中略−グッドイアー(原文ママ)は、硫黄によって弾力性と抵抗力が加わり、ゴムがより安定したと理解した。加硫法の発明により、さまざまな製品に、やがてはタイヤにゴムを使えるようになったのだ。(192頁)

ゴムというのは最初食物だったが消しゴムになってカッパになって靴底になってタイヤになったという。
でも、これは繰り返し言っておくが食物。
このゴムというのがまた西洋列強にとってはムカッ腹立つことに、イギリス辺りではできない。
アメリカでもできない。
暖かいところじゃないと。
これは「もってこい」ということでイギリスはアジア支配をする中で90%のゴムを独占した。
だからイギリス辺りからお金でゴムを買わないと、マレーシア、インドネシアのゴムが手に入らなかった。

 ヘンリー・フォードは、自動車の製造のために熱帯アジアに依存することを好まず、生産過程をコントロールしたかった。(195頁)

一九一二年の時点では、アジアのラテックスの生産量は八五〇〇トンであった。それが一九一四年には七万一〇〇〇トン、一九二一年には三七万トンに増大している。(194〜195頁)

ちょうどその頃、イギリス経由でゴムを買っていたアメリカの自動車王フォードはゴムを買うことをよしとしなかった。
全部自分のところで作って純益の嵩を上げたいという。
もうアジアに出て行く隙間がない
イギリス、フランス、オランダ。
いろんな所が、列強が植民地にしているから。
アジアはダメだ、と。
そこでフォードが狙ったところがアマゾン。
アマゾンの熱帯雨林にフォードのゴムノキ生産農場を作った。
このスケールがすごい。

一〇〇万ヘクタールの土地が開墾された。(195頁)

1ヘクタールが1万平方メートルだから3025坪。
だから何坪になるかというと30億2500坪。
その1辺の距離を車でだいたい60〜70キロで行くと世田谷〜成田。
1辺行くのに1時間20分ぐらいかかる。
それぐらいの広大な土地を手に入れて。
フォードはやることがすごい。

二〇万本の木を種子から育てるために二〇〇〇人以上の労働者が雇われた。−中略−要するに、ミシガン州の自動車工場の組み立てラインをモデルにフォードランディアを建設しようとしたのだ。(195頁)

フォードが雇った二〇〇〇人の労働者は、家屋やバラックで暮らしていた。プランテーションは、最終的に一万二〇〇〇人を抱える。コミュニティの健全性を保つために、飲酒や喫煙は禁じられ−中略−食事は無料で提供されたが、食糧はトウモロコシやダイズではなくコムギやジャガイモが、ブラジルではなくアメリカ中西部から調達された。余暇は、教会、レクリエーション施設、ゴルフコース、図書館で過ごすことができた。現地に一度も足を運ばなかったフォードは、雇用者のうちゴルフをする者は誰もおらず、ほとんどが名ばかりのキリスト教徒であり、多くの人が文盲であることを知らなかったらしい。(196〜197頁)

王国を支配するのはフォードが派遣した植物学者。
と言ってもこの人たちは、やっぱりエンジニアとビジネスマン。
植物のことを知るよりも、いかに早くゴムを生産するか、という。
(番組では上記のように名ばかりではあっても植物学者を派遣したように言っているが、本によると植物学者を現地に送っていない)
こういうことはやっぱり一事が万事ある。
このフォードのゴム工場の最大の欠点は順調な計算はすぐできるが、失敗を予想できない。
何を計算していなかったかというとゴムノキの病気に関して対策の手を打てる専門家が一人もいない。

南米葉枯病(Pseudocercospora ulei)と呼ばれる子嚢菌である。−中略−農園労働者は南米葉枯病について聞いてはいた。それは太古の怪物で、熱帯雨林の奥深くに潜む、説明不能なジャングルの悪魔であった。(198頁)

アジアのプランテーションをマネしているから、フォードさんはずっとゴムノキを並べる。
プランテーションはもう一面同じ木。
このゴムノキをザーッと世田谷から成田まで並べたという。
全部同じ木。
これがまず間違い。
これは一番、ゴムノキが嫌う植え方。
このあたり、植物の復讐がゆっくり始まる。

フォードがアマゾンの密林に作ったゴムの生産工場。
ゴム畑の話。
70万本に達したゴムノキは順調に成長した。
1934年まですべてが順調だった。
そしていよいよゴムノキからラテックスというゴムの汁が流れ落ちる収穫直前の1935年、一本の木に突然葉枯病が出現。

緑の葉は黒ずんであばたのようになり、やがて腐って地面に落ちた。−中略−木は再度成長しようにも、若枝の発育は阻害され、小さな葉をつけることができるだけだった。しかもその葉も、黒ずんでしおれた。葉枯病は古木から若木に、さらには苗木床の小さな木や苗にも拡大していく。(200頁)

すべての葉が落ちきって70万本全部が死んだ。
もうまったくラテックス一滴も採れないという。
(このあたりの話はかなり本とは異なる。「70万本」はフォードランディアの失敗の後に新設されたより大規模なプランテーションでの数。ラテックスは一滴も採れないということはなくフォードランディアもそのあとのプランテーションでもラテックスは生産できていた)
何でこんなに病の広がりが速いのかというと、並べて植え過ぎ。
これはやっぱり問題がある。
牛を飼うにしてもニワトリにしても「たくさん飼う」というのはこの病に関してはものすごくもろい。
ゴムノキ自身はそのことを知っている。
だからゴムノキは100m以内は同じ木になりたくない。

ゴムノキの果実は乾燥すると、ねじれてはける。それによって、種子は最大で一〇〇メートル先まで飛ばされる。川に落ちた種子は、さらに遠くまで数十キロメートルほど運ばれる。(199頁)

それくらい葉陰を嫌う。
葉陰になるとたちまちそこから葉枯病が成長するという。
この葉枯病の残忍さは葉っぱを食べるために育ちきってから一斉に病気になる。
ところがフォードはあきらめない。

一九三六年、彼はプランテーションを別の場所に移す。熱帯雨林を伐採し、フォードランディアよりさらに広い敷地を確保したのである。(201頁)

このことを踏まえて50万本を植えて。
(本によると苗木が500万本、生育した木が70万本なので「50万本」がどこから出てきたのか不明)
土地改良とアメリカお得意の農薬で育て上げたという。
これは焦るのもわかる。
1936年。
これはヨーロッパにヒトラーが出現して、欧州は戦場になりつつあり「車の需要がものすごく必要」という。
そのためにも彼は、ゴムを自らの手で生産し、ゴムタイヤを輸出したい。
そして、この1936年から苦労して何年か待った後、いよいよラテックス収穫の時かと思ったらまた災難が襲ってくる。

今回は(少なくとも最初は)葉枯病ではなく、害虫の突発だった。グンバイムシ、アカムシ、コナジラミ、ヒメアリ、ゾウムシ、ヨコバイ、ツノゼミ、ガなどの害虫が襲ってきて、プランテーションの端から端までゴムノキを食い尽くしたのである。数千人が動員され、手で害虫をつまみ取った。魚類の毒素を成分とする新たな殺虫剤が撒かれた。(201頁)

それをやれとフォードがニューヨークでテーブルを叩いて絶叫する。
「儲ける戦争がすぐそこまできてるんだ!やれー!」と言う。
とにかく朝から晩までとりあえず効きそうな農薬は撒く。
フォードのゴム農園はまるで一日中霧がかかった状態だったという。
(このあたりは本にはないので想像か?)
これでやっと虫が落ちて死に始めた。

そうこうしているうちに、葉枯病が舞い戻ってくる。再びゴムノキから葉が失われ、今回は二度と生えてくることがなかった。(202頁)

アマゾンのジャングルというのは病原菌に関しても最高の天国。
あまりに虫、葉枯病が交代で襲ってくるので「ここは呪われている」という噂が広がって従業員たちが逃げ出しはじめた。
(という話も本にはない)
彼の経営はニューヨークではもう万能。
しかしジャングルでは実に無力で役に立たなかった。

フォードはもう撤退する。
でもここはアメリカのまた「アメリカ魂」というか、ゴム作りに挑んでいく。
それで化学的なゴムを作ろうということで合成ゴムの研究に乗り出す。
この合成ゴムの完成が戦争にすごく役に立った。
その合成ゴムで爆撃機とか戦闘機、車両等々をアメリカ軍は山ほど作る。
その機器を対日本戦に合わせて合成ゴムで乗り切ったという。
だからやっぱり戦争は空母とか戦闘機とか言うが、底辺にあるのはねじの一個とかタイヤの原材料のゴムとかのこと。
この合成ゴムというのは石油生成。
石油から作っていく。
だからアメリカのお得意はお得意。
それでこの合成ゴムで天然ゴムの需要は減ると思われたが、ゴムの戦いは永遠と続く。

 一つの問題は、一九七三年に産油国がアメリカに対して石油輸出禁止措置をとったために引き起こされた石油危機に起因する。天然ゴムも輸送や加工の工程で石油を必要とするが、合成ゴムの石油への依存度はそれとは次元が違う。だから石油危機が到来したとき、合成ゴムの価格は、絶対的にも天然ゴムと比較しても劇的に高騰したのである。そのときには、天然ゴムの使用量が増えている。産油国の石油輸出禁止措置が解除されれば、天然ゴムの使用量は減ってもおかしくはなかったが、そうはならなかった。理由はまったく意外なものであった。ラジアルタイヤの登場である。(204頁)

ラジアルタイヤは、車のタイヤの素材として十分な強度を確保するために、その側壁に天然ゴムを使用しなければならなかったことである。(205頁)

それでまた天然ゴムが必要だということで天然ゴムを欲しがるようになって、ゴム戦争はいまだに続いている。
大戦中から戦後までアマゾンに入りゴムノキの種を探し続ける「シードハンター」。
これは新しいゴムノキが欲しくて探し続ける人がいる。
彼はアジアとは違う品種を探して。
また、掛け合わせることによって廉価で提供できるゴムノキをとにかく見つけたい。
葉枯病に強い木でないとダメなんだけれども、現状では強いゴムノキもあるのだが、それはラジアルに向いていなかったりする。
この辺は実に難しい。
未だに続々とそのアマゾンなんかのジャングルに入り、新種のゴムノキを探す人というのが山ほどいる。
私たちは何となくだが、戦争とか何とかと言うとすぐ兵器を連想するけれども基礎の材料というものがなければ何もできない。
その植物に関して無知であるということがいかに危険か。
そういうことを防衛力を上げるためにも必要だ、という。
逆の意味で言うと「核を持つ・持たない」。
日本の周りはほとんど核を持っているワケだから。
極論を言うと「核を持った方がいいんじゃないか」とかいう人がいるが、でも、そんな武器を持つよりも逆に「何か」を持てば、そこに日本の生きる道が。
「まさかそういう兵器とか戦争というところにゴムとか植物とかは『関係ない』と思っている」という水谷譲。
ところがとんでもない。
やっぱり自然から学ぶというのはたくさんあると思う。

(最終日は次に紹介する本の予告編)

植物は〈未来〉を知っている―9つの能力から芽生えるテクノロジー革命



植物というと「自分たちとはあまり関係のない」というか、同じ生物でも生き物のごとく植物を見ることはない。
何もやっていないのに玄関の横のミニバラが5月にちゃんと咲いたり、アジサイが何もしていないのに毎年花を咲かせたりするのを見ると「この人たちすごいな」と思う水谷譲。
6月のこと「梅雨だ梅雨だ」というワリにはさっぱり雨が降らない関東地方。
武田先生の家の近所にアジサイの並木道がある。
そこがものすごくきれいな色を付けている。
天気はピーカン。
だからコイツらもちょっと天気予報の何かお兄さんとかおじさんたちの言うことを聞き過ぎじゃないか?
世の中で枯れているアジサイぐらい無残なものはない。
「来年、これ咲かないだろうな」というぐらい枯れている。
でもちゃんと咲く。
ちょっと仕事で何日か転々と歩いて、夜タクシーで帰ってくる。
そこの遊歩道を通る。
フッとそのヘッドライトに照らされたアジサイの小路を見ると不気味なぐらいアジサイが青々と。
あまりにも色鮮やかなアジサイを見てギクッとしたりなんかして、次の朝、雨音で目覚めたりなんかすると「昨日のアジサイは雨、待ってたんだ。だからあんな顔色になったんだ」という「生き物扱い」をしてしまう。
何か植物が生き物に見えてくる瞬間というのがある、という。
そういう時に出くわしたのが『植物は〈未来〉を知っている』という本。

藤子不二雄先生の漫画が大好きな武田先生。
『ドラえもん』の先生。
確かタイトルが『緑の街』。
(調べてみたところ『みどりの守り神』という漫画のようだ)
そういう漫画があった。
昔読んだがいまだにその漫画が忘れられない。
どういう漫画かというと戦争か何かで世界が消えた後の街なのだが、人間が戦争で消えた街に一番最初に戻ってきたのが緑。
緑の木々とかツル、花の植物が、人間のいない街にバーッと咲いている。
そこに生き延びた人間が植物の下とかで寝たりなんかすると、目を覚ますとその人間の脇に木の実が置いてあって食べると美味しかったりする。
どこに行っても木の実とか花の実とか。
それから喉が渇くとツルを切ると水が出てくる植物にバッタリ会ったりなんか。
その時にその主人公が「植物のヤツが意識を持っている」と言う。
彼らもまた人間が吐く二酸化炭素がないと生きていけないので「人間を増やすつもりなんだ」という。
そうすると巨大な木から握手を求めるが如くツルが人間の手に巻きつくという。
それで「もう一度初めから君たちを世界を作ろう」というところでエンドマーク。
その「プラント」植物が意識を持って、人間が農業を育てたように植物の方が人間を育てていて吐く息を待ちかねるという、逆サイドから見たものの見方は面白い。
そのことのバランスが人間という動物の歴史を作ったんであって、この動物の歴史は動物のみではできなかった。
そうやって考えていくと実は、案外植物は「人間の未来をコントロールする力を持っているのではないか」という。

posted by ひと at 11:07| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

グアテマラで殺害された女性はエホバの証人(追記あり)

ニュースにもなっていた事件だけど、テレビで見た限りでは一言も「エホバの証人」ってのが出てきていなかったので知らなかった。
どうやら布教のために行っていたらしい。

↓よく見かける「エホバの証人」という文字列を含まないニュース。

グアテマラ邦人2人殺傷、死亡はフルート奏者の木本結梨香さん TBS NEWS
6日22時15分


 中米グアテマラで、日本人女性2人が殺傷された事件で、死亡したのは神奈川県茅ヶ崎市出身のフルート奏者、木本結梨香さん(26)であることが分かりました。

 4日、グアテマラの北部ペテン県で、日本人女性2人の家に何者かが押し入り1人を殺害、もう1人に重傷を負わせた事件で、死亡したのは茅ヶ崎市出身のフルート奏者、木本結梨香さん(26)であることが家族への取材で分かりました。

 木本さんは3年前から友人と共にグアテマラに移り住み、宗教活動を行っていたということです。地元メディアによりますと、木本さんは、最近、男から嫌がらせを受けていると近隣住民に話していたということです。この住民はこのことを警察に伝えましたが、警察がすぐに動くことはなかったといいます。

 「本人の意志で現地の人を助けたいという気持ちで行った。(最後の連絡は)亡くなる前日。『元気だよ』という簡単な。『私はいつも祈ってるよ』って。何事にも一生懸命で本当に立派な子だった」(木本結梨香さんの母親)

 政府は在グアテマラ日本大使館から職員を現地に派遣し、情報収集などを行う方針です。


茅ヶ崎か。
同じ会衆の人で「この人知ってる」みたいな人も出そうだな。
「友人」っていわゆる「パートナー生活」ってのをやっている相手ってことだろうな。
国内でもそうだけど、独身の信者は同性の信者と二人でアパートなんかに住んでいるパターンが多い。
「現地の人を助けたい」っていっても何等かの援助的な話ではないよな。
あの人たちは「信仰があるかないかが命に係わる(永遠に生きる望みがぁ)」って本気で思っているので、「命にかかわる大事な使命を持ってるんですよ!」的な考えで人助けをしているつもりなんだろうな。

↓はっきりと「エホバの証人」って書いてあるニュース。

グアテマラで日本人女性が殺害される 犯人は同じ村の複数の男か - ライブドアニュース
2018年11月6日 15時38分

中米・グアテマラでおきた日本人女性殺傷事件で、地元警察は5日、「容疑者は同じ村の複数の男で、強盗目的ではない」との見方を示した。

この事件はグアテマラ北部ペテン県で4日、現地に住む日本人女性木本結梨香さん(26)が殺害されているのが見つかったもので、地元メディアによると、モロサワ・チエさん(28)も重傷を負ったという。2人はキリスト教系宗教団体「エホバの証人」の信者で布教活動を行っていたという。

地元警察の幹部は5日、NNNの取材に対し、容疑者について、「同じ村の複数の男だとみている」と述べた。また犯行の動機について「住宅からは何も盗まれておらず、強盗目的ではない」との見方を示した。
一方、重傷を負ったモロサワ・チエさんの容体については「危機は脱しており安定している」と語った。


この報道に対して「日本人がこんなところで布教してるの?」みたいな話が出ているけど、やってる。
同様に二人一組で海外に渡っていろんなところで布教をしているし、国内でもそういう形式でやってる。
大勢がやっていることなので、この手の事件がいつ起こってもおかしくないし、報道されていないだけで実はすでにたくさんあるかも知れないけど。

以前、日本でもエホバの証人が殺害された事件があったけど、あの時もテレビなどではエホバの証人であるってことは報道されなかったな。
もちろんご冥福はお祈りしない。
「楽園で復活」するそうなので。
楽園など到来しないのだけど。


追記

この件に関して「あさチャン!」という番組内でインタビューなどが放送されたようです。
あさチャン!|TBSテレビ
詳細は↓
悔しい!あさチャン | たもさんのカルトざんまい

カルト宗教信じてました。 「エホバの証人2世」の私が25年間の信仰を捨てた理由



posted by ひと at 08:16| Comment(0) | エホバの証人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする