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2018年11月29日

元エ○バの証人の方は寄付金を取り戻すことができるそうです

《拡散希望》寄付金 取り戻せます! | たーの部屋

組織への寄付金は取り戻せるそうです。
お願いするつもりで元の会衆名と調整者の名前を付けて受領書のコピーを添えて振込場所を指定すると速いそうです。


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2018年8月20〜31日◆おーい、中(なか)の人(後編)

これの続きです。

(街角の声のクールビズの話題から引き続いて)
今年の7月のあの猛暑の中、時代劇(水戸黄門)の撮影をしていた武田先生。
しきりにテレビが「暑さ対策」を語る。
でもその言葉づかいの中に、このジイサンの気持ちをカチーン!と逆なでする、お天気お姉さんの発言がある。
「不要不急な外出はお控えください」
それは言われたくない。
失礼だ。
その暑い盛りの中で、仕事で太陽の下に行く人は日本の経済を回すため、自分の人生のために必要。
そうしたら太陽の下で働いている人は「不要不急」な仕事をしているのか?
注意喚起というのが最近メディアでちょっと威張り過ぎている。
ちょっと煽り過ぎ。
だから「それを聞かなかった人が熱中症で倒れた」と、その文章にみんな当てはまる。
ご老人が部屋の中でクーラーを付けずに倒れていた。
それはクーラーを使わないからだ。
それから街角のおバアサンから出た言葉だが「クーラー好きで入れないんじゃないんだよアンタ。かけちゃあ神経痛が痛むんだよ!」と。
歳を取ると武田先生もそうだがクーラーが強すぎると肩が痛む。
そういう人たちに対して、たった一つの答えしか用意せず「適度にクーラーを使いましょう」とか「不要不急の外出はとりやめましょう」とかというのは何か親切でどこか冷酷。
人を「ワン切り」しているというか、一断面しか見ていない。
だんだん腹が立ってきてしまった。
確かに亡くなった方は熱中症で亡くなった方は人数が出るが「本当に熱中症だけで亡くなったのか」というのはわからないということもあると思う水谷譲。
さも重大な結果みたいに後付けをする。
それがジイサンとしては、割とカチンとくる。
(「水戸黄門」の撮影現場で)製作の人間が塩飴と麦茶、水を勧めに来る。
それで2時過ぎにアイスキャンディを喰う。
「はぁぁぁぁ〜〜!」とかと言いながら。
それなりにやっぱり喜びがある。
一本のガリガリ君を悲鳴をあげながら、60〜70代の高齢者スタッフと、孫のようなスタッフがタオルで汗を拭きながら木陰で「カァ〜!」と言いながら喰っているというのは楽しい職場。
でもそういう言葉づかいのことでも「おーい、中の人」と言いたい。

例えばこういう言葉づかいがある。
普段の言葉づかいだが、人を責める時「オマエが本当に反省しているなら、そんなことはできるはずだ」。
これは二重構造。
二重課題になっている。
ダブルバインド。
人を縛る、動かせなくなる言葉づかい。
「反省してます」という返事をすると「なら、なぜできない?」と。
逆に「できるはずだとおっしゃるんだったらば、できないのはなぜですか?」と切り返すと「反省してないからだ」と言う。
こういうダブルバインド。
とあるコンサートでチーフが使っていた言葉で、今でも覚えている。
「オマエたちはそこ並べ。このままでいいと思ってんのか?」
これは完璧なダブルバインド。
「このままでいいのか?」
「いいえ」と言えば「なぜやらない?」、「はい」と言えば「なぜできない」と、こうなる。
お母さんがたの子供を叱る時の言葉づかいで、よく連発される言葉。
「私が心配しているのに、どうしてあなたはわからないの!」
「わかってるよ」と言えば「いいえ、わかってないから心配してるの!」と、こう来るワケで。
「心配しないで」と言うと「どれだけ心配してるか、まだわかってない」と。
女の人はこういう「ダブルバインド」「相手を動けなくさせる」というのはうまい。
逃げ場をなくす、追いつめる。
これは「二重課題」。
このダブルバインドというのは夫婦関係などでもよく使われるる言葉。
武田先生の奥様もこれはもの凄く多い。
今も逆らう力も夏バテしているので、ない。
この言葉づかいで来る。
これは、ある意味では問い詰める悪魔の技術。
この一環として、ついこの間の話題だが「相手を潰せ」という発言が出てきたのではないか?
日大アメフト選手が会見 「監督の指示に従った」  :日本経済新聞
あれはやっぱり「悪魔の二重課題」。
「やらないと意味がないからな」
それは反則をやる。

人間というのは無意識のうちに行動をしてしまう。
それでその無意識というのを不思議なことに縛る言葉があるんだ、と。
無意識を動かす言葉がある。
それはあまりいい意味では使われないという。
そういうことを話している。
夫婦関係で女房の口癖とか、お母さんが子供を強く叱る時の言葉とか。
あるいは悪意ある他人への誹謗中傷。
そういうのは一種の無意識を縛る悪魔の技術ではないだろうか?
あまり頑張りすぎる商品の売り込みというのは、はっきり言ってこのダブルバインド話法が比較的使われやすい。
「お肌のシミ、気になりませんか?」
これは明らかに言葉づかいとしては危機意識を煽る。
気になる。
別に気にしなくてい。
テレビに出ているアンタから言われる筋合いはない。
「梅雨時のジメジメ、嫌ですね〜」
好きな人もいる。
「ジメジメ好き〜」という人はいる。
そのような人の否定というのが二重課題をさして初期設定されてしまう。
これに対抗するために私たちは無意識をどんなふうに操ればいいか?
それは「それを認めない」という動作そのもの。

首を上下に振らせるだけで、無意識のうちに相手に対して賛同・同調する効果を聞き手に持たせることができてしまうのだ。まさに、無意識のうちに心を操る、マインドコントロールである。(170頁)

「アメリカをもう一度、偉大な国にしましょう!」
誰でも「はい」と言うに決まっている。
ずっと「はい」の返事をさせていくうちに、とんでもないことを言う。
「十代の少年たちを鍛え直すために、みんな軍隊に入ろうよ!」。
思わず「はい」と言ってしまう。
肯定の「はい」を繰り返させることによって、相手のマインドをコントロールする。
逆の意味で言うと、とりあえず横に首を振る人がいる。
「いやぁ、それはもう・・・」
誰が何と言おうと、まず一回首を振るところから始める人。
この人は何を言っても相手に賛同しない。

6月のワールドカップ。
点数を入れられたキャプテン長谷部(誠)。
「下を向くなー!下を向くなー!」
あれは下を向いて敗者のポーズをとると、パフォーマンスが落ちていく。
上を向く、前を向くと、気分が高揚してくる。
これは脳を騙すテクニック。
それから、その人の意見が間違った意見でも頷いてあげる。
そうするとその間違った意見の中にいいものが見えてくる。
そういう動作が脳を動かしていく。
これは面白いこと。

柔道も相撲もそうだが、合気道というのはこれから戦う人に向かって頭を下げる。
その時に「私はあなたを尊敬してます」というポーズをとることによって、そのポーズが卑怯なことをさせない。
水谷譲のご子息も合気道をやっているが寒稽古をやっている。
何で寒稽古をやるか?
あれは体の方から脳に命令する。
寒いのを我慢してやる。
そうすると「我慢」という行動様式が無意識に宿る。
そうすると寒さ以外に「理不尽なお母さん」「ワガママなお母さん」の無理難題でも、わりとおっとりと受けていくようになる。
そうすると環境に支配されない「耐える」という力が他の部分でも芽を一斉に吹き始める。
それが貧しさに耐えたり、苦しさに耐えたり、寂しさに耐えたりする。
「むかつく上司には頭を下げろ」
静かに笑う。
そして大きく頷いて認めてあげる。
そのことによって自分の心を強くする。

武道にはいくつも耐えることが用意されている。
寒さに耐えるとか苦しさに耐えるとか。
すると「耐える」というしぐさが無意識に身につき、別の苦しさ、寂しさ、貧しさに耐えるという心理そのものが技になっていく。
これは「脳」ではない。
無意識は耐えることを習慣とすることができる。
これから戦う。
相手をなんとしてでも潰したいと思う。
乱暴なことだけど。
でもその相手に向かって深く一礼するという習慣を持つと、無意識の方から無限の武道的力を汲みだすことができる。
それが武道の神髄。
スポーツにはすべてそういうものがある。
これから戦う相手、自分が競わなきゃならない場所に対して一礼するという不思議な動作がある。
だから後ろからタックルするのはダメ。
「敵を本気で憎む人があるか!」という。

長距離ランナー。
例えば青学の選手が自分の区間を走り終えてゴールした瞬間に、ふらふらになって産まれたてのバンビみたいになりながら走った距離に対して一礼をする。
空間全体に対して。
でもそのことによって無意識を動かす。
それからピッチを降りてきたサッカー選手とか。
それから相撲における一礼。
だから一礼をやっぱり疎かにする相撲の人というのは強くならない。
手を叩く。
相撲は必ず手のひらを見せている。
「武器は隠し持っていない」という。
白鳳とか、きれいに手のひらを見せる人が2〜3人いる。
あれは「寸鉄も帯びず」「私はもう、ひとかけらの鉄も持ってない」という。
「この肉体であなたと戦うのです」という。
こういうこと。
だから礼儀作法とかっていうのが、いかに無意識を動かすか。
考えてください。
それからどんな人でも結構だから朝の挨拶「おはよう」、帰り際の「お疲れ様」。
こういう声をかけておく。
これは「単純接触効果」と言って、無意識のうちにパワーがだんだん宿る。
人間を動かす力になる。
だからテレビコマーシャルとかラジオコマーシャルもそう。
毎日そのコマーシャルを流すことによって「単純接触効果」。
「お疲れ様」とか「おはよう」とかという声と同じように聞こえて好感を持ってしまう。
それからまた別の意識の動かし方。
これはある前提を、ある基準を設定しておくと、その設定が相手を動かし続けるという心理行動。

「日本で双子が生まれるのは、夫婦三〇〇組に一組よりも、多いでしょうか、少ないでしょうか?」
 このように問われた時、我々は無意識のうちに「三〇〇組という数がおそらくは、妥当な値なのだろう」と思ってしまわないだろうか。心理学では、この無意識の想定をアンカリング効果と呼んでいる。実際には、二〇〇九年のデータでは、双子は五一組に一組の割合で生まれるという結果になっており、三〇〇は明らかに大きすぎる値だったのだ。
(186頁)

「平成二五年度の、男性の喫煙率は一五パーセントよりも高い、低い?」
 正解は、「高い」であり、三二.二パーセントであった。この三二という値を聞いて「え!? 意外と高いなあ」と感じた人は、一五パーセントという数字のアンカリング効果を受けていると言える。
(189頁)

これは近頃のクイズ番組なんかで年がら年中やられている。
このアンカー効果は例えばある問題が出た瞬間に画面の隅に「東大生正解率50%」。
それからまた別の横の方に「小学生正解率5%」と出ると「あ、難しい」「あ、易しい」と思ってしまう。
それからテレビショッピングでよくある特別セールの呼びかけ。

 当時のアメリカでキャンベルスープの正規価格は八九セントだったが、特売品として七九セントで売り出した。そして、売り出しのコピーに三条件を設定した。「お一人様四個まで!」「お一人様一二個まで!」そして「お一人様お好きなだけ!」という三つのコピーを別々の日に付けて販売した。−中略−
 その結果、「お好きなだけ!」条件ではトータルで七三缶売り上げた。「四個まで!」条件では、それが一〇六個までに大幅に伸びた。さらに「一二個まで!」条件ではなんと一八八缶という驚きの売り上げをたたき出した。つまり、一二個までという極端に大きい数であっても、それがアンカリング効果を産み出しうるのである。
(192頁)

テレビの「歯を磨いて歯垢を落とす」「歯の汚れを落とす」というコマーシャルをよく見ている。
よく見ると少し残っている。

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洗剤でも、バーッと水が流れていくというイマジネーションがあって、その拡大図にまとわりついた油汚れみたいなのが流れていくのだが、少し残っている。
排水口とかもそう。
「お風呂の壁掃除○○」と言うが「ほら、こんなにきれい」と言うが、少し残っている。
「真っ白」にはならない、と。
誇大広告にしない意味で、少し汚れを残しておくうちにコマーシャルを終わらせる、という。
あんまり綺麗にすると誇大広告になる。
だからアメリカは大変。
今はあまりやらなくなったが昔、焼きそばのコマーシャルで空飛ぶ円盤みたいに。
それで宇宙人が戦ったりするのがあった。
焼きそばの器がUFOに似ているので、そういう商品名を付けたが、それが星空からバーッ!とやってくるという。
ああいうのも最近、ダメになってきたようだ。

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焼きそばは星空を飛ばない。
それからイメージコントロールに関してうるさくなってきたようで、アメリカはもう徹底している。
もの凄い高級車が夜空を飛んだりする。
「車は飛ばない」
日本でもたまにそういうCMがあっても小っちゃく「イメージ上の映像です」みたいに書いてある。
そのあたりは厳しくなってきたということ。

著者があとがきで書いている。
有名な「吊り橋効果」。

 被験者は一八歳から三五歳の八五名の男性であった。橋は、カナダはノース・バンクーバーのカピラノ川にかかっていた二つを用いている。一つは木製で、上下左右に揺れがちな橋であり、橋から下の様子が透けて見えるものだった。橋は水面からの高さが二三〇フィート(およそ六九メートル)も上方にあるものだった。−中略−
 女性のインタビュアーが、橋の真ん中に立っていて、
−中略−アンケートの紙を一部破いて(実際にこのように論文に書いてある!)被験者に渡そうとするのだが、そこには女性のものであろう電話番号と名前が書いてあったのである。ちなみに、この実験では男性のインタビュアーの条件も用意してあったのだが、このことを知っている人は非常に少ない。
 さて、結果である。まず揺れる吊り橋で、女性のインタビュアーから電話番号の紙を受け取った男性被験者は二三名中一八名であった(五名が受け取りを固辞した)。このうち、実際に電話をした被験者は九名いた。
(202〜203頁)

これが有名な吊り橋効果と言われて。
吊り橋の上を歩くというハラハラが恋のドキドキと勘違いされて、無意識に「恋をしてる」と自分を思わせてしまうという。

男性インタビュアーの条件では、実際に電話したのは揺れる吊り橋で二名(203頁)

「これは面白いな」と思った武田先生。
まことに残念ながらこの本はここで終わっている。
このハラハラ・ドキドキの吊り橋効果というのは「男性優位であり、女性には効かない」という。
だから「片一方の実験もちゃんと取り上げるべきだ」ということで終わっているが、何でこの差が生まれたかに関しては著者は触れていない。
男女の性差の中に「誤解力」という力があって、男女で差があるのではないか?と。

8月の頭まで暑い京都にいた武田先生。
朝早く、遠い村までロケに出たりする。
江戸時代に見えるような村なので一時間以上かかる。
そこで武田先生の事務所の社長が気を利かせて「これ聞きませんか?」というのでラジオ番組を聞いていた。
その番組は『今朝の三枚おろし』。
これがびっくりするぐらいいいことを言う。
ちょうどその時にこの本(『脳は、なぜあなたをだますのか』)を三枚におろしていた時に、その京都で聞いたKBSの朝の『今朝の三枚おろし』という番組で「男女が恋するためにはバケモノが必要だ」と、あるアニメ映画を取り上げながら言っている。
(2018年6月18〜29日に放送されたアニメーション映画「この世界の片隅に」の件かと思われる)
「これはすごい一言だ」と思ってハガキを書こうと思ってしまった武田先生。
「吊り橋効果」
その吊り橋を渡る時のハラハラが恋をしていた時のドキドキと勘違いをして、ハラハラを恋のドキドキに脳の方が理解してしまうという勘違い。
この吊り橋の効果のハラハラ・ドキドキの男女の大きな差は何かというと、おそらくこの差こそ武田先生が探し求めていた「誤解力」ではないだろうか?
どういうことかというと「誤解力は男性について高く、女性に関しては低い」。
短く言えば、比較の差がその力との差となったのであろうと。
男性は誤解したがる。
男はハラハラとドキドキしたがるもの。
女性は何かというと、これはわずかな言葉の差だが、ハラハラ・ドキドキ「させたがる」。
女性にとって「誤解させている」という自信こそが「女の力」。
これはもう名言。
男にとって誤解することこそが生命力。
女性にとって誤解させることが生命力。
真実は意味がない。
そんなのは脳の後付け。
ゆえに別れの女性の言葉は決まっている。
「あなたのこと、わかったわ」
そして男性は「おまえ、そんな女だったのか」。
これは「別れの言葉」で「真実を知った悲劇」ということではない。
両者ともに「誤解させる力」がなくなった、「誤解する力」がなくなった。
だから真実を見た男に対する女性の最高の呪いの言葉は「見たな〜!」。
そういう怪談話が多い。
ずっと女の方。
男というのは何でも誤解する。
ツルを見て絶世の美女に見える。
『タニシ女房」はタニシを女と思ったとか。

ここからちょっと社会性を帯びるが「誤解するのも生命力なんだ」ということを考えると、今年の6、7月のこと、気象庁があれほど豪雨警報を繰り返しながら、自宅にとどまる方が多かった。
これは警報の出し方に「訴える力」がない。
「正確に言えばいい」と思っている。
その「正確に言おう」とする態度が「チェンジする」「逃げ出す」という力を産まない。
「この3日間で7月に降った雨量の3倍の豪雨がこの1日で降りました」
こんな言い方をされたのでは、何を言っているかわからない。
女性の方が「誤解させる力」があるのだから、今、足りないのは「正確な物言い」よりも誤解力を起動させる女子アナの声。
だから本当にお気の毒だが、自分の家、家庭でも「実は危険な場所である」という、その誤解を持っていないと。
だから「家庭が一番安心」みたいなことを言う。
台風が来たら「まっすぐおうちに帰りましょう」と言う。
「家が一番安心だ」と思っているから、本当に気の毒な犠牲者が何人も出た。
家ですら危険。
「いい意味で誤解させる」
そういう何か技を持たなければいけない。
日本は地震、台風、豪雨。
とにかく吊り橋のような国に住んでいる。
だからたくましき誤解をする力「誤解力」を持つことこそが大事なのだ。

「三枚おろし」を通じて同年代の方に呼び掛けたいと思う。
おーい、私の中の人。
さあ、しっかり誤解してゆこう。
一生現役。
最後の恋はある。
というワケで今日も一日頑張りたいと思う。


posted by ひと at 11:26| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年8月20〜31日◆おーい、中(なか)の人(前編)

「中の人」は誰かというと「私の内側に誰かもう一人、人が住んでるんじゃないか?」という。
小さい武田鉄矢。
そいつが時々「何を考えてんのかわからない時がある」ということで「おーい、中の人」。
「オマエは何を考えてるんだ?」ということでこういうタイトルを。

掴みは趣味でやっている合気道から話を始める。
面白い武道で日々発見がある。
高段者、有段の人から指導を受けている。
もう来年70歳になる武田先生だが、その歳になっても指導している高段者は時としてものすごく不思議なことを言う。
合気道は「見取り稽古」と言って「取り」と「受け」という二つに分かれて稽古を繰り返しする。
一番最初に師範が前に出て「こういう技をやりなさい」と技を見せてくれる。
これがそんなに難しそうに見えない。
相手が掴んでくるところを正面から相手の首を絞めるような恰好で倒すとか、単純に見える。
ところが、やり始めると、どうしていいかわらかない。
「あの動きは何だったのか?」という。
技をかける人、かけられる人に分けて取り掛かるのだが、自分が技をかける人になった場合、かけられる人に向かって「たしかこういうふうに動くんですよね?」と相談する。
相手が同じぐらいの腕前の人だと「え?そうでしたっけ?」「上から取りました?下からじゃなかったですか?」。
ところが高段者、五段六段の人になると「こうでしたよね?」と相談すると「考えてはいけません」と言われる。
それで向こうが仕掛けてくるので掴みに来る。
どうしていいかわからないが「考えずに動け」と言う。
「考えずに動け」と言われても、どう動いていいかわからないのに。
ところが3〜4年やっていると、何となく動くようになってくる。
はずれることもあるが半分ぐらい「そう。ほら、覚えてるじゃないですか」と言われてしまう。
とにかく武道というものの不思議さ。
師範、あるいは高段者の方がおっしゃる名言は「体に任せるんです」。
体に任せるっていっても?
「これは一体どういうことなのかなぁ?」と思って本屋さんに入ったら『脳は、なぜあなたをだますのか』という本に出くわした。


これは知覚心理学。
「人が心に抱く意志は錯覚である」という。
「錯覚」だってよ?
脳というのはことごとく錯覚する。
錯覚で世界を作っている。
例えば「ベクション現象」。
これは脳が特有の錯覚を起こした現象。

 坂道で車を停車させている時に隣の車が発進すると、自分の車が下がっていると錯覚してしまい、あわててブレーキを踏むという経験をしたことがあるだろうか。(29頁)

これは視覚情報で身体の移動感覚が誤作動する。
脳というのはかくのごとく、いとも簡単に誤作動を引き起こしてしまう。

また激しく流れる川をジイッと・・・
水谷譲は男か何かで悩んで、橋の上から見つめたことがあるのではないか?
そうすると不思議なことに、その流れと反対側に向かって自分がものすごく動いているような錯覚が。
これも「ベクション」脳の錯覚。

映画『スター・ウォーズ』のワープのシーンでは、画面中央に向って光る点が周囲に向かってすごい速さで通り過ぎていくが、それがまさにオプティカルフロー刺激である。(32頁)

これも脳の錯覚。
これらベクションは視神経に刺激を置くよりも、周辺を覆うように提示すると強いベクションを引き起こす。
つまり真ん中になるべくこう、注意を向けるような飾り付けにすると。

今までは視覚だったが聴覚にもある。

頭の周りに三六〇度ぐるりとスピーカーを並べて、その円を回転するように音を連続に提示する。すると、はじめは音が頭の周りをぐるぐると回転しているように聞こえるのだが、これを聞き続けると、回転しているのが自分自身のように感じられるようになるのだ。
 他にも、キューテニアス・ベクション(皮膚感覚ベクション)というものが報告されている。目隠しをして、乗馬型フィットネス機具に乗り上下左右に激しく揺らされた状態の被験者に、一方向から大型扇風機によって強い風をあて続ける。すると被験者は風が来る方向に自分の体が進んでいるように感じるのである
(40〜41頁)

THRIVE(スライヴ) 乗馬マシン ロデオボーイ FD-017



このベクションはなぜ引き起こされるのか?
これは入ってきた感覚について脳が「こんなふうなんじゃない?」と考えて世界を作っている。
これが私の「体の中にいる人」の感覚。

例えば電車が動いた。
「あ、今のは地震だ」
「あ、ドォン!と俺にぶつかりやがったな。コノヤロー!」
「いかん、めまいだ」
とか。
その理由を脳はいちいち付けたがる。
この間も関西方面であったのだが、道を走っていたら車の揺れか地震なのかわからない。
特に車に乗っている時はそう。
車に乗っている時の地震は、高架の橋みたいな所で揺れたので「これは地震だな」と判断したという水谷譲。
普通はちょっとわからない。
この間、震度4だったか。
ピンときたのは街路樹の揺れで「車の揺れと違う方角に揺れてるから地震だ」という。
こんなふうにして考えると「脳によってジャッジする」というのは、かなりやっぱり難しい。

この番組で繰り返すことになると思うが、脳はあまり賢くない。
それはもの凄いところもある。
でも、もの凄い間抜け。
今、そういうのを勉強中の武田先生。

言われてみるとそうだが、自転車を描けない。
私たちの身の回りの物で、80%ぐらいは描けない。
脳はすごく深いことを考えているみたいだが、意外と。
今度いつか正式に(番組で)やるが、トイレの水が何で流れるのか?
つまり私たちはいっぱい説明できない。
脳は「わかった気」になっている。

今、共演者と盛り上がっている話。
バットとボールで合計のお値段が1100円。
バットはボールより1000円高い。
では、ボールはいくらでしょう?
「100円」と言ってしまいそうだと思う水谷譲。
それを女子力だと思う武田先生。
(ボールが)100円だとバットは900円になってしまう。
二つ合わせて1100円にならなければいけない。

脳というのはそんなにあんまり頼りにならない。
跳び箱を飛ぶ。
ボールをシュートする。
飛んできたボールを打つ。
そういう行為を人間は平気でやっている。
スポーツ中継を見ていてもそれは一種、そうやって見ている。

刺激がはじまってから〇.五秒経たないと、我々はその刺激を気づくことができないのである。−中略−
 では、なぜそんなズレがあるにもかかわらず、我々は生きていけるのだろうか。なぜ適切に跳び箱が飛べるのか。なぜ野球でボールを打つことができるのか。〇.五秒ものズレが環境と意識の間にあるのに、我々はどうして環境に対して適切に行動ができるのだろうか。
(73〜74頁)

脳が遅い。
つまりボールが飛んでくるから打つ。
あれは「打とう」と思ってバットを振ったのではもう遅い。
あれは振った後に「打とう」と思っている。
そんなふうにして体と脳がズレていく。
その0.5秒の差のことを武道では「考えるな」と言う。
武道は体験としてそのことを知っていた。
人間はなぜ「打とうと思った」「シュートしようと思った」「跳び箱を飛ぼうと思った」と考えるかというと、記憶として残すため。
そうやって考えると、この私たちの「無意識」という「中にいる人」というのは、「何考えてんのかなぁ」と思わず呼びかけたくなるという。
人間のすべての行動は体が動いている。
その後、頭が「そうしよう」と思った。
「動いたからそう思った」のであって「思ったからそう動いた」のではない。

もの凄いことを途中でこの著者は言い始める。
知覚心理学の妹尾武治さん。
意志、意識は行動の決定に何の意味も持たない。
「この人が私の本当に愛する人かどうか、私、何べんも考えたの」
科学上では「嘘」。
これらの意志、意識は何のためか?
これは思い出として包み込み、しまうために脳が整理整頓。
選挙でもマニフェストをしこたま読んで、よく検討して清き一票を入れた。
「選挙民が自由意思によってあの人を選んだ」なんて言っているが、著者はすごいことに「人間に自由意思などない」。

アメリカの実際の選挙(上院下院)の投票結果を用いた実験をした。−中略−
 顔だけを見て競争力があるとして選ばれた方の人物が、実際に選挙で当選していた確率が七一.六パーセントにも達したのである。
(88〜89頁)

 次に、子供を被験者にして行った、これと非常に似た実験を紹介したい。−中略−二人一組の顔写真を子供に呈示し、どちらが選挙で勝ちそうかを予測してもらった。年齢は五歳から一三歳−中略−子供が顔写真だけを見て予測した結果の正答率は、なんと七七パーセントもの高さとなった。つまり、子供がちょっと見ただけであっても、選挙の合否はとても正確に予測が可能であったのだ。(92頁)

人はみんな印象派。

被験者は二人の顔写真を見せられる。ここでは、左右の手に二人の女性の顔写真が呈示されている。男性の被験者は、この二人のうち、いずれがより魅力的であるかを判断する。
 さまざまなペアの顔で、この判断を何度も繰り返して行ってもらう。その後、実験者が「先ほど選んだ顔は、どうしてあなたの好みに合致しているのか? その理由を聞かせて下さい」と被験者に問いかける。
−中略−
 ここにトリックがあり、数枚に一枚の頻度で実際には選ばなかった方の写真を被験者に見せて、選んだものとして理由を尋ねたのである。数枚に一枚の頻度であるため、被験者もすっかりだまされてしまって、自分が選んだ方だと思い込んで理由を述べたのだった。
(95〜97頁)

 好きだという理由はほとんど嘘であるということが、ここからもわかるだろう。(97頁) 

人は決して合理的な意志を持って恋をしているワケではない。

 ノーベル賞を受賞した彼の研究テーマは、「プロスペクト理論」と呼ばれるものだった。非常に簡単にこの理論を説明してみたい。今、一〇〇パーセントの確率で七〇〇〇円をもらえるのと、九〇パーセントの確率で一万円もらえるという二つのうち、どちらかを必ず選択せねばならないという状況になったとして、みなさんはどちらを選択するだろうか。多くの人は、確実にもらえる七〇〇〇円の方を選ぶのではないか?(103頁)

(本の中では上記のように「七千円=100%、一万円=90%」と言っているが、番組では「五千円=100%、七千円=80%」と言っている。この後の説明も本とは異なる)
これは何かと言うと、無意識のうちに期待値「もらえる金額×失う見込みの金額」7000×0.8=5600円
わずか600円を損する可能性から5000円を選ぶのである。
とにかく「二人でも落っこちるのであれば、そっちの方には行かない」と。
それより低い値段でも。
これが実は経済に影響している。
これは経済で人の心理を支配する法則。

 二〇万円の借金は、一〇万円の借金の二倍不幸に感じられるかもしれないが、二億の借金は一億の借金の二倍不幸かと言われると、おそらくそうはならないのである。(107頁)

(番組では10万円と一億は「罰金」としているが、この本によるとそういう内容ではない)

 告白するという選択をした場合の帰結は、大きく三つあるだろう。
1 恋人になれる
2 「友達のままでいたい」と言われる
3 友達以下の存在として煙たがられる
(110〜111頁)

これも「友達」でいい。
人間は真ん中を取りたがる。
だから「告白しない」が圧倒的に増える。
こういう傾向を心というか無意識は持っているという。
(このあたりを本には詳しい数式で紹介しているが、番組で言っている内容とは異なる)

人は万が一の成功よりも負の期待値が低い方がいいんだ、と。
つまり平凡でもいいから安心して得られる方法を選んでしまう、という。
そういう行動をとりやすい生き物だということ。
これを「プロスペクト理論」という。

内田樹先生がおっしゃる中で、ギクッとした話。
「恋がうまくいっている時ほど、相手に意外な一面を発見すると、男女はそれを裏切られる予感としてカウントする」という。
「二人ともうまくいっているんだけども、ある瞬間だけその子が期待した行動と違う行動をとる」という。
手をつないで歩いている時に、その子がちょっと手を離した瞬間に「違う男の臭いが」みたいな。
「お付き合いしている人がいたとして、何か『ん?』て、一瞬でも『違う』て思った瞬間があったら、結婚する相手じゃないかも知れない」と母から教えられた水谷譲。
そういうことが比較的おきなかったから、その人を選んだのだろう。

内田さんから言われて本当に思ったこと。
武田先生の家では特にそうなのだが「高価で割れやすい美しいガラスは、高いところに飾る」。
普段使いのものは低いところに置いて、蹴ったにしても「一枚も割れてない」みたいな。
でも高いものは上の方に、「上部に置きたがる」という。
逆だった方がいいのに。
こういう不思議な理論を心は持っている。

「モンティロール問題」という数学の問題がある。まずはこの問題を紹介したい。
 閉じられた扉が三つある。このうち、どれか一つだけ扉の向こうに正解のご褒美がおいてある。被験者には三つの扉のうちから一つを勘で選んでもらう。正解は一つなので、もし被験者が正解の扉を選択しているとすれば、選ばれなかった二つの扉の向こうにはご褒美は置いていないことになる。また、もし被験者がはずれの扉を選んでいる場合には、残された二つの扉のうち一つの扉は、はずれであり、向こう側にご褒美が置いていない。
 そこで、ゲームのマスター(仕切り人)が「今選ばれなかった扉のうち、一つは確実にはずれですから、私が開いてしまいます」と宣言して、一つの扉を開く。
 ここで、ゲームのマスターが被験者に問いかける。
「正解の扉は残り二つのうち、どちらでしょうか? はじめの選択のままステイしてもいいですし、残りのもう一つの扉に変更(スイッチ)してもいいですよ」
 このとき、被験者はステイするべきか、スイッチするべきか? みなさんはどう思われるだろうか。
(128頁)

可能性は33%。
33%がそれぞれ可能性がある。
その中から意図的に一枚をはずした。
ということは確率は66%に上がる。
それで「選べ」と言うと変えない(ステイ)。
設定そのものが変わったワケだから、可能性も変わっている。
科学的に見ても変えるのが常識。

最初の選択において被験者は三三パーセントの確率にかけており、その他二つの扉の正解の確率は合計で六六パーセントとなっている。今、この六六パーセントの正解率はそのまま保たれた状態で、一つが「はずれ」であることを教えてもらったので、閉まったままの残りの扉、つまりスイッチする対象の扉が正解である確率は二つの扉の合計分の六六パーセントになっている。これが数学的に正しい考え方なのである(128頁)

同じことを鳩にやる。

 鳩は、初日のセッションでは人間と同じく七割近くがステイを選ぶ−中略−しかし、最終日の三〇日目−中略−にはほぼ一〇〇パーセントの確率でスイッチを選択するようになったのである。(134頁)

(番組では「100回繰り返すと」と言っているが、本には「最終日には1日100回」なので、トータルで100回より遥かに多い)

武田先生が何を思いながら「三枚におろそうかなぁ」と思っていたかというと「避難してください」と呼びかけても、動かない人がいる。
チェンジとステイが、実は災害避難等々の場合に70%がステイを選んでしまうことを考えると、人間社会の中の「注意喚起」という意味で、その呼びかけ等々に関して、人間はステイを選んでしまうという常識を、ちょっと国民全体で共有するというのはいかがか?
「最初の自分の決断を信じたい」という心理が働いてしまうのだろうと思う水谷譲。
ニュースで一番ショックだったのだが、7月の事、息子さんがもう腰まで水に。
それで飛び込んで行くと親父が「おい、オマエも手伝え!」という。
日テレNEWS24 日テレNEWS24 「逃げなくても大丈夫」避難拒む父に危機が
お父さんのインタビューが後から出て「こんなことは初めてだから」。
「息子に言われて初めて」という。
ああいうステイを思わず選んでしまう。
それは自分の経験に照らして「その直感は間違っていない」と思う、という。
そいういう直感というのが総崩れの時代にきているんじゃないか?
こういうふうにして結びつけると鳩との比較なんかも面白い。

 心理学において、重要な概念に注意資源というものがある。人間の心の動きには、燃料が必要なのである。何か考えるにしても、脳が燃料を使う。なにかに集中し注意を向ける。つまり、なにかの課題を適切にこなそうと思ったら、注意の力が必要なのだ。
 この注意の燃料のことを、心理学では「注意資源」と呼ぶ。
(146頁)

たった一回入ってきた情報の方が人間はチェンジを選ぶ。
絶えず「お気をつけください」ばっかりを繰り返されると人間は気を付けなくなる、という。

 今、ある人の注意資源の最大値が一〇〇だったとしよう。かけ算に五〇の資源がもっていかれ、バスケットボールをつく課題に六〇もっていかれる状況だと、トータル一一〇の資源が必要になる。しかし、この人物の限界は一〇〇である。すると、どうなるか。
 答えは簡単で、かけ算がいつまでたっても解けないか、バスケットボールを突き続けることができず
−中略−
 同じ課題を、注意資源の最大値が二〇〇の人物が行えば、二つの課題は適切にこなされることになる。
(147〜148頁)

また加齢に対する衰えもあって、ボールをつきながらかけ算をやるというのは高齢者に難しく、運動神経が鈍い方はさらに難しく、練習した事のない人はさらに難しくなるという。
だから練習していない、あまり運動神経がない、歳を取っている。
こういう方々はステイに関して、もの凄く注意深くなった方がいい、ということ。

オレオレ詐欺に引っかかってしまうのも、まさに二重課題による注意資源の搾取が原因である。
 オレオレ詐欺では、息子と名乗る人物が矢継ぎ早に自分の困難な状況と、それを救うための金銭的な条件を電話越しに伝えてくる。聞き手、つまりその息子の母親や父親などの、オレオレ詐欺の被害者は、まず電話越しのやりとりを無難にこなすという課題を完遂せねばならなくなってしまう。つまり、自称息子が電話越しに伝えてくる中身を正しく理解するというタスクが課されているのである。
(157頁)

詐欺師なんかが使うのは「二重課題」。
「こつこつやる人よりも倍のスピードで動く人は、上達も倍になる」
「食べても痩せられる」
よく考えるとあるワケがない。

posted by ひと at 11:17| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする