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2018年12月31日

2018年11月12〜19日◆ゴッドハンド

これの続きです。

これは前に考古学ブーム、そして旧石器ブームを巻き起こした学者さんたちの戦いを語ったが、やがてそれは一人の男の出現によって旧石器の研究がすっ飛んだというスキャンダルになってしまうという。
その顛末をみなさんにお話ししたいと思う。
一番最初に杉原さんという登呂遺跡なんかやってらした方。
それで芹沢さんという方。
これは東北大学の教授。
この方が旧石器に目覚めて。
そして相澤(忠洋)さん。
縄文土器を見つけた方。
これはアマチュアの方なのだが、この方のおかげで教科書が変わったというくらいの大発見があったのだが、その後、一大スキャンダルで先人たちの功績というのがすっ飛んだという、その顛末。

発掘狂騒史: 「岩宿」から「神の手」まで (新潮文庫)



前に話したのは杉原さん、東北大学に行かれた芹沢さん、相澤さんの感動的物語だったのだが、この『発掘狂騒史』の中で1990年代後半になって藤村新一(番組中「本には『一郎と書いてあるので』」ということで「一郎」と言い続けているが、本の中でも「新一」)という青年が登場する。
ついた名前が「ゴッドハンド」。
この青年が一地点を指差して「出たぞー!」と叫ぶと日本を揺るがすような旧石器の発見が相次いだ、という。

何かの雑誌で読んでびっくりした話。
1997年(平成9年)にこのゴッドハンドは山形・宮城県境約30kmも離れた2地点からピッタリ接合する一つの石器を発見している。
これは石器の半分と石器の半分が遠いところにあったのだが、その両方を発見して「ほら、ピッタリ合いますよ」というので奇跡を呼んだ。
そしてテレビ、雑誌メディアのスターと彼はなった。
その頃にかつて日本の考古学をけん引した相澤さんが60代半ばで病死され、この相澤さんの後釜として藤村というアマ考古学ボーイは発掘の星となった。

この藤村新一くんはこんなインタビューを残している。
子供の頃から土器に興味があり、近所の空き地から土器を見つけて先生に見せると大発見だと褒められてうれしかった。
仕事が終わると芹沢先生の宮城県内での考古展を見に行き、親切な芹沢班の人に特別に毎日見せてもらった。
自分もその人のおかげで石器へのロマンを持った、という。
感動的なお話なのだが。
これは彼が憧れた考古学ボーイが話した話と一緒。

相澤忠洋のコピーだ。日中は履物屋の丁稚をして苦学していた相澤が、露天商から手に入れた石斧を通っていた夜間中学に持っていき、先生に褒められて得意になったエピソードとほとんど同じだ。ただ石斧が土器になっただけである。(266頁)

 藤村の捏造事件を、最初に世に知らしめるきっかけとなったのは、発掘調査会社アルカ代表角張淳一だった。(278頁)
 
この方は長野の人で旧石器を学び、私財をなげうってアマ考古学チームを自らの手で立ち上げた、という。
この方が藤村の相次ぐ世界的な発見、日本史を揺るがすような旧石器の発見に「ちょっとおかしいんじゃないか?」と。
あまりにも大発見が集中しすぎている。

 そして捏造が発覚する歳、二〇〇〇年(平成一二)二月には、ついに埼玉県秩父で五〇万年前とする住居跡までが藤村らによって発見される。これら東北も含めた一連の発見は、発掘チームによって「原人は男女を現わすように石器を埋めた儀礼や、埋葬などの宗教活動も行っていた」と発表された。もはや世界の考古学はもちろん、人類学にも大きく影響する、驚愕すべき事態になっていた。(300頁)

そういう世界的な大発見をすればするほどアマ考古学の角張さんは発見が「どう考えても、これは藤村が自分で石を埋めているとしか思えない」と。
その嘘を告発することで、考古学そのものを深く傷つける恐れゆえに、アルコールでごまかして耐え忍んだという。

そして角張さんに続いて藤村の発見に疑問を持った人で竹岡俊樹さんというアマの方が出てくる。
この二人が「どうも藤村はおかしい」と心を痛めるようになった。

 事件が発覚する約三ヶ月半前の二〇〇〇年七月二四日、ついに角張は自らの会社アルカのHP上で「前期・中期旧石器発見物語は現代のおとぎ話か」と題して、藤村の捏造を指摘する起爆剤≠ニなった論文を一般に公開する。(303頁)

「面と向かって『考古学を売りやがって』と言われたこともありました。『神の手を疑うのか』という雰囲気で、何かの新興宗教みたいでしたね」(304頁)

藤村はというと、考古学界の一大スターだからテレビ、活字メディアで大活躍。
ところがよく見るとやっぱり変。
この捏造というのは科学的発見でもなんでもそうだが、よく見ていると変。
藤村は一人であれほどの発見を重ねながら論文を一本も書いていない。
(本には「正式な論文がほとんどなかった」と書いてあるので「一本も書いていない」ということではなさそう)

捏造はこの間もあった。
ナントカ細胞。
STAP細胞問題とは何だったのか? | ハフポスト
あの時も大騒ぎになったが、やっぱりよく見ていると変。
ノーベル賞を貰った先生が言っていた。
あの先生は頭から疑っている。
「論文がおかしい」と。
鋭い方には見抜ける。
だから藤村の捏造に関しては角張さん。
それからもう一方、竹岡さんという方が「おかしいぞ」ということで見ていた。
しかし、このへんがまた不思議。
前の細胞の捏造(STAP細胞)の時もそうだが。
この藤村の後ろ盾には東北大学の芹沢さんという大教授がついている。
その芹沢さんはとのかく前期旧石器に燃えている人なので、藤村の発見がありがたくて、わくわくして仕方がない。
考古学を引っ張っているのは日本ではとにかく芹沢さんの権威なので、誰も文句を言えない。
前の細胞の捏造の時もそうだった。
くっついている人がすごい人なので、つっこめないし質問できない。
でも竹岡さんと角張さんは心の痛みを隠しながら捏造というのを内部告発する。

毎日新聞北海道支社の根室通信部にいた本間浩昭記者は、「藤村の発掘はおかしい」という一本の電話を受け取る。(304頁)

本間は本社報道、あるいは新聞報道に強い疑問を持つ記者だった。
この記者は大学の権威のまま、素人の発見を新聞で報道してしまう大手新聞というものに関して、すごい疑いを持っていた。

 さらに本間は新聞記者として、ジャーナリズムの欠点も承知していた。
「やっぱり記者は『最古』のとか『初』ものに弱い。大本営発表をそのまま書いてしまう。
−中略−彼の発見の多くは、そうした科学的な裏付けを欠いていた。非常に雑だと感じた」(306頁)

STAP細胞もそうだった。
割烹着で大騒ぎし、ビーサンで大騒ぎし、本質はちっともついていなかった、という。
「教科書を疑え」とノーベル賞の先生がおっしゃったが、「新聞も怪しげだ」とどこかで思っていないといけない。
これは記者さん自らがおっしゃっている。

ビジネスの安全と成功のために、当たり前や常識を疑え (1/3) - ITmedia ビジネスオンライン

 本間は、毎日新聞社北海道支社の真田和義報道部長に「藤村氏の石器はおかしい。もしかしたら一面トップを狙えるかもしれない」というメールを、疑惑の根拠も添えて送る。(306頁)

毎日新聞北海道支社の六人の取材チームは、連日会議を重ね、北海道新十津川町、埼玉県秩父市、宮城県築館町と約二ヶ月、計一四日間の張り込み、約一〇〇〇万円もの取材費をついやして藤村を追い続けた。(308頁)

目撃情報だけでは駄目で、写真は絶対条件だ。しかし広い発掘現場での、薄明かりの下での望遠レンズを使った撮影は困難を極めた。取材班は実際に藤村が埋めにきた現場にも居合わせたものの、そのシーンの撮影は失敗の連続だった。(308〜309頁)

藤村が石器を埋めているのは間違いないからその瞬間をとらえてほしい、それがジャーナリズムの責務だと言ってね。それと恐らく夜に埋めてるだろうから、ナイトスコープでの撮影も提案した。まさか朝になって堂々と埋めてるなんて、このときは思ってもみなかったからね」(308頁)

「大スクープもこれまでか」と危ぶまれた一〇月二二日早朝、取材班はついに、藤村新一が石器を埋めている決定的瞬間を鮮明な映像で捕えたのだった。(309頁)

でも、この油断を見てもそうだが、藤村という人は子供っぽさがあって、余り深い計算とか悪意がなかったのではないか?という。
写真を撮った後、取材班は彼を追いつめていく。
まずは連続写真でしっかりと埋めている行動を撮り、藤村の上司役にあたる芹沢班の責任者たちを呼びつけて、これを突きつけた。
「ゴッドハンドなんて呼んでますが、朝、こんなことやってましたよ?」と。
(といった記述は本の中にはない)

 取材の総仕上げとして、藤村に実際にこの映像を見せ、この事実を本人に当てなければならない。インタビューは極秘のまま一一月四日、仙台市内のホテルのスイート・ルームで行われることになった。−中略−
「藤村氏はアポをとっても、すぐにドタキャンすることで有名だった。しかし相手が若い女性だと受けることがわかっていたので、当日は若い女性に同席してもらうように手配し、万全を期しました」
(309頁)

(番組では「美人記者」と言っているが、本には美人だったとは書いていない)
美人記者を先頭にしておいて五人(とは本には書いていない)。

「当日は藤村氏が自殺しないよう、部屋の窓を家具でふさいだりしたよ。(310頁)

(番組では隣の部屋に奥さんを呼んでいたと言っているが本にはそのような記述はない)
美人記者に旧石器を発見するコツなんかをしゃべらせといて、突然男性記者に変わって、連続写真をバァーン!と。
「あなた埋めてるでしょ?これ。何を埋めてるんですか?」
「この日、あなたこれとこれを発見したと言いましたね?」
「あなた、発見したこれを朝、何時埋めてたんでしょ?」
突きつけられた瞬間に藤村は旧石器捏造を認めた。
(このあたりも本の内容とはかなり違う)

藤村が捏造を認めると、すぐに東京本社へゴーサインがいき、予定原稿が次々に入稿されていった。(310頁)

許可を出してNHKにも。
NHKも動いていた。
もう毎日(新聞)がつかんでいるので「毎日より先に出さない」ということで。
(本にはNHKが動いていたことは書いてあるが、そういった取決めがあったようなことは書いていない)
一面が終わった後のニュース報道のフィルム回しはNHK。
日本考古学界の大混乱は凄まじかったようだ。
今のスキャンダルと全く同じ。
芹沢班は激しく責められ、検証委員会は藤村を呼び出し、藤村を考古学界から追放した。

 藤村は捏造発覚後、精神科医から「鬱」や「解離性人格障害」などと診断されていたので、聞き取りには必ず、鎌田が紹介した医師が立ち会っていた。(318頁)

本当にお気の毒だが、藤村を応援し続けた芹沢もまた、弟子たちがブワーッと離れていく。
そして寂しさの中で死んでいったという。
最初の告発者の角張さんもアルコール中毒になり、この報道の後、体を壊し絶望のうちに死んでいったという。
そして芹沢班に集められた日本の考古学、旧石器の研究者であった大学講師、准教授の人たちも東北大学からほとんど追放同然で。
この毎日(新聞)、それからNHKのテレビ報道によって日本の旧石器研究というのは完膚なきまでに、きれいに爆破されていった、という。

「あなたは事件当時、相澤忠洋になろうとしてましたよね。最初に石器と出会った話から、旧石器の展示に何度も通った話も、相澤さんの真似をした」(324頁)

「アマチュアの星である相澤になりたかった」という単純な動機こそが巨大な捏造を生んだのではないだろうか?という。

捏造が毎日新聞のトップ一面を飾って、すぐにNHKが全国放送でこの捏造事件「ゴッドハンドは嘘だった」というのを報道する。
東北大学の旧石器研究チーム、主催をしていた芹沢さんから研究者から、告発した角張さんというアマチュアの方なんかも孤独と絶望のうちに、数年のうちに亡くなられている。
しかしその中でも首謀者である藤村は生きていた。
自殺防止のために駆け付けた(という事実はなさそうだが)奥さんとはその後離婚。
それでも藤村は別の女性と再婚をしている。
そしてひそかに福島南相馬で生活をしていたという。

これは何がすごいかというと、この本の著者である上原善広さんは最近、藤村さんの所にインタビューに行っている。
「最近」と言っても○年前。
その事件が人々の記憶からない頃、このルポルタージュをお書きになった上原さんだけは「神」と呼ばれたかつての男にインタビューを。
何度も何度も彼の家の扉を叩いて、その扉が開いて、藤村はインタビューに応じている。
著者曰く「藤村は神であったことを無邪気に著者に語り続けた。核心に触れる質問をすると『幻覚とか幻聴に導かれて石器を発見した』などという神がかった発言を平然とする」という。
そして手のひらを「触っていいですよ?」と言いながら、著者が手のひらを触ると「神の手ですよ」と言いながら笑ったという。
著者曰く藤村の様子を、インタビューも含めて「全部芝居してるのかもしんない」と。
(このあたりも本の内容とは大幅に異なる)

この藤村の捏造事件に相対して協力した角張さんという方がいらした。
この方はアルコール中毒で無念の思いで亡くなられた。

 竹岡は「自分が参加していれば、もっと違った結果が出ていた」と断言する。−中略−藤村の石器には、実は本物も混じっているんだ。(315頁)

この竹岡さんというのはヨーロッパで地層の研究をなさって、科学的知識を持った考古学者だった。
それで半分以上嘘かもしれないが、もう一回調べてみないとわからないというのを必死になって世間に訴えるが、もう捏造事件があるから「全部破棄」。
もう捏造スキャンダルの威力は凄まじくて「戦後の考古学のすべてを吹き飛ばした」という。
いわゆる「捏造あばき」というのはパワーを持っているが「もしかしたら」とこの竹岡さんが無念がってらっしゃる。

ひたすら藤村は批判で罵られ、彼を守った芹沢も激しく疑われ

 そして二〇〇六年(平成一八)、芹沢はついに倒れる。(345頁)

享年八六歳。(346頁)

芹沢教授が発掘していたという遺跡も全部捨てられた。
藤村と一緒に研究に関わった人々は非常に無残な人生を送られた。

竹岡さんというのはクール。
この方は捏造スキャンダルの破壊力で無残に崩れ落ちた「石の塔」とおっしゃっている。
(本によると「石の塔」というのは竹岡さんが言った言葉ではないようだ)
「象牙の塔」ではなくて。
研究者が積み上げた旧石器という石の塔は無残にも、という。
間違いなく旧石器の後期はあった。
そういうものも全部いっぺんに壊れた。
このむなしい話の中から何かをみなさん、見つけ出しましょう。
そしてスキャンダルが暴かれて正義が見えた瞬間「その正義と同時にとても大事なものを失う」ということがありうるということを少し考えましょう。

今、日本中から旧石器に関する研究はもうほとんど消えていると思われているが、竹岡さんは頑張ってやってらっしゃるようだ。
健闘を祈りたい。

4万年以上前の前期旧石器。
日本にはあるのかないのか?
その頃、日本はあちこち火山が噴いていて、人が住めるような所ではなかったというのが通説。
しかし氷河期で今より氷が厚かった。
北海道と大陸がつながった関係が冬の間だけできるので、マンモスを追って原人は来たのではないか?と。

間宮海峡に立ったことがある武田先生。
仕事でロシア側と樺太のあそこの海峡に船で行ったことがある。
引き潮の時にあそこの海峡は降りられる。
長靴で水が入ってこない。
そんなに浅い。
船を深みのところに置いておいてあそこを歩いたことがある。
間宮海峡はそんなに浅い。
ロシアの人はその海峡のことを「タタール海峡」と呼んでいる。
そこが氷が張っているワケだからマンモスは当然やってくる。
まだ津軽海峡が浅い。
10mぐらいしかない。
そんな時代。
原人がこの列島にやってきて住み着いたことは間違いない。
その証拠が捏造をやったかも知れないが、藤村の発見の中に一つか二つあったかも知れない。
でもそういう調査は一切行われず、毎日新聞の報道の後、全部ただの石ころとして処分されてしまった。
竹岡さんという研究者は、相澤から杉原、芹沢が命をかけて積み上げた石の塔が藤村の捏造ですべて引っくり返され、賽の河原のようになった日本考古学界にありながら、その石を一つずつ拾いながら、もう一回積み上げている。
だから大発見がこの竹岡さんたちのグループでできるかもしれない。

ここでもう一回くどいが、毎日新聞のスキャンダルというのは60年の研究が壊れた。
「文春砲」とか「新潮」とかがあるが、スキャンダルというのはやっぱりむごい。
スキャンダル発覚から10年以上経って主犯の藤村はおどおどと地方の小さな村で幻聴幻覚に悩まされながら生きている。

 私はふと「いっそ刑事事件として罰せられた方が、彼にとって楽だったのかもしれないな」と思った。(326頁)

犯罪ではないから。
捏造スキャンダルで暴かれた瞬間から手足を縛られたまま、水の中に突き落とされるような生涯を藤村は過ごしている、と。
今もスキャンダルに縛られて顔を晒されて、手足を縛られたまま水の中で生きるが如く、アップアップしながら浮き沈みを繰り返し、息だけしている。
そういう人たちもいるのではないか?という。

藤村を責めつつも、捏造スキャンダルがどのようにして生じ、その藤村の心が澱んでいったか、腐っていったか。
それをちゃんと見ようとするこの本の著者の目が実に優しいと思う武田先生。

人生をスキャンダルで棒に振った人たちをさらに追い詰めて、さらに鞭打つような正義はない。
この「神の手」と偽ったこの男に対してノンフィクションの手法で著者は手を優しく差し伸べていると思う武田先生。
この著者は優しいと思う。
やっぱり懸命に藤村の今後を心配してらっしゃる。

この上原善広さんの『発掘狂騒史』というノンフィクション。
この一作こそ「神の手を持った男を描く、人の手のぬくもりを持った正義の一冊」である。
何が言いたいかというと、スキャンダルメディアの方、スキャンダルを暴かれる時にその「人の手のぬくもり」をお持ちになってくださいと、こう言いたい。


posted by ひと at 11:22| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年9月3〜14日◆スキャンダル 突き落とされた人々(後編)

これの続きです。

アマチュア考古学者、相澤忠洋の人生を辿っている。
この人の人生を辿ると、その後の捏造事件の深い真相なんかも見えてくる。

一生懸命働くよい少年だったのだろう。
上野のそのお店が彼に自転車を貸してくれたそうで。
(本によると自転車は浅草の履物屋のもの)
その自転車に乗り小豆沢に出かける。
それで一生懸命スコップで掘っていくという。
だからやはりその頃の日本は、いい人ばかり住んでいたのだろう。
夕暮れになると少年が土をほじくり返しているので近所のおばさんが来て「兄ちゃん何やってんの?ああ、土器探してんのかい?お腹空いたろ?ほら」といいながらサツマイモをくれたり。
(本によると道に迷って小豆沢にはたどり着けず。近くにあった民家に水をもらいに行ったところ、サツマイモを出された)
だんだん「あの子は土器を探してるんだよ」というのがその板橋区小豆沢あたりで有名になった。
(ということはない)
そのうち別のおばさんが「うちの庭掘ってごらんよ。うちの庭だ、何だか知んないけどさー、貝殻がボロボロボロボロ出てくんだよ」。
「そうですか。じゃあ掘らしてください」と言いながら、おばちゃんの所の庭を掘る。
貰ったイモか何か喰いながら。
(番組では上記のように「別のおばさん」となっているが、貝殻が出ると言ったのは最初にサツマイモをくれた人)
土器片をいくつも発掘していく。
その土器片を教えてくれたあの博物館の考古学に詳しいお兄さんのところに駆けて行って「これはこの間、小豆沢で見つけたんです!」と言うと、そのまた学芸員をしていたお兄さんがよい人だったのだろう。
「今度○○博士がやってくるから訊いてみるよ、これ」
(最初の時点で小豆沢にはたどり着けていないので、小豆沢で掘るようになったのは「おばさん」とは別件。最初に親切にしてくれた人は学芸員ではないし、この時に行ったという記述はないし、この後の文章も大幅に本の内容とは異なる)
そうしたら何とこれが、大変な土器の発見につながっていった。
もうただのおばさん家の裏庭じゃなくて、土器片、石器片の発掘が相次ぐ。
相澤少年は誘導灯に誘われるがまま、土の中の遺跡を掘る青年になっていくという。
後に兵隊にとられ苦労はするものの、戦争が終わると桐生横山町というところに住んで、戦後は一人暮らし。
闇市の物品を仕入れて手売りで歩くという商売をしながらも、そこでも「あそこには土器が出るぜ」という噂を聞くとスコップを持って土をはぐという日々を過ごす。
でもこの熱心さは一種、健気すぎて一直線すぎて布団も綿がなくなっちゃって。

「布団といっても、中の綿が飛び出したすごい布団です。布団の綿は土器が壊れないように包むのに使っていたので、中身が少なくなっていました。私はその少なくなっていた綿を出して包まり、堀越さんは布団の皮≠体に巻き付けて寝てた。(57頁)

もう極貧生活。
ところが二十代の前半の時、そのいつも通う稲荷山の切り通しで発見した黒曜石が日本の石器時代を発見するということで、彼は考古学界の大ヒーローになる。
そして大発見の人生を抱え込むことになる。
ところが岩宿遺跡の発見者は誰かという問題が相澤と杉原の間でわだかまる。
杉原さんは中途まですごくいい人なのだが、だんだん発見が重大になっていく。
そうすると杉原さんがあんまり相澤さんのことを言わなくなる。
「私が見つけた手斧は」ばっかり語るようになり、二人の間にわだかまりが。
だから難しい。
相澤の黒曜石は文化財の扱いを受けない。
でも杉原が発見した石斧は重要文化財の指定を受ける。
メディアは相澤のことを「アマチュア考古学者」とのみ伝えるワケで。
(相澤の名を掲載せず「アマチュア考古学者」と発表したのは毎日新聞のみ)
さらに朝日は相澤を「岩宿の発見者」とし「旧石器の発見者は杉原とする」という。
(本には朝日には「東京考古学会会員で桐生市在住の相沢忠洋氏」と書いてあったという記述のみ)
メディアでも扱いが変わってくる。
この二人のわだかまりに芹沢は「すべては相澤と知り合った自分から大発見が始まった」と思うようになる。
ところが杉原は発見のすべてを牛耳っているというような感じになり、芹沢は師である杉原に、わだかまりを持つようになる。
芹沢さんも学者さんになっていくが、どの論文でも杉原を無視するようになるという。
人間関係というのはなかなか難しい。
このあたりが実は考古学の根っ子にあるという。
これは今も変わりないのではないか?
スキャンダルの裏には実はその前に深い病巣というか、根っ子があるのかもしれない。
だからただ単純に「あの人はいい人で、この人は悪い人」と言われないのがスキャンダル。

相澤忠洋というアマチュア考古学者がいる。
彼の紹介の元でまた別の石器を発見した大学教授、明大の杉原教授がいる。
この二人が「旧石器を発見したのは自分である」という。
そこにこだわり始めると「それは相澤さんが気の毒だ」と思う考古学ボーイが出てくる。
これが芹沢さん。
ちょっとややこしい。
杉原さんのお弟子さんが芹沢さん。
アマチュアの相澤さんがいる。
相澤さんの導きで旧石器の発見があった。
その相澤さんを横に置いておいて自分を売り出そうとする杉原という先生が教え子の芹沢さんは気に入らない。
そういうことも黙って耐えているアマチュアの相澤さんのことが好きになって、好きになった分だけ師匠の杉原さんが許せなくなってしまうという。
人間の感情は動く。
芹沢さんは夢を見る。
それは何かというと、相澤と組んで岩宿から杉原という先生を圧倒する大発見をすること。
それが自分の生きる道ではないかと思うようになる。
この芹沢さんは自分の学問をさらに深めるために明治大学に居残らない。
「先生と違う所に行った方がいいんだ」ということで東北大学。
そこに居を構え、足場を作る。
芹沢には仮説があった。
それは何かというと、杉原の石斧は旧石器後期のもの。
杉原を打ち倒すために芹沢が夢見たのは後期ではなくて前期。
さらに古い時代の石器を見つけること。
芹沢は相澤を先頭にし、相澤さんがいるとたくさんのアマチュア考古学者が集まってくる。
そういうアマチュアの力を結集し「共に掘ろう」ということで。
旧石器、それも前期の発掘に燃える。
この芹沢という人はアマチュアをものすごく大事にした。
自分のところの杉原教授が冷たかったから。
そのかわり芹沢は何としても自分の師匠である杉原を打ち倒すためにも狂気の如く「前期の旧石器を探す」ということに命を懸ける。
(このあたりの内容は本とはかなり趣が異なる)

人間らしい葛藤で、悲しみも含めて、世紀の大発見の後にはこうなってしまうのだろう。
長野県から情報が寄せられる。
これはやはり情報一つ。
「何かあのあたり出るみたいですよ」と言うので由井茂也くんという少年か青年がいて「矢出川という河原で旧石器みたいなものが出るんです」ということで、冬場、雪が降る中、全員で発掘に行っている。
そしてそこで黒曜石で細刃の刃を発見する。
この執念は凄い。
泥と雪、霜柱で、小さな石の刃の石器を見つけても見分けがつかない。
水で洗いたくても水をかけると凍って、今後抜けなくなってしまう。
「破損してしまう」ということで由井くん他の仲間たちに大声で叫び声を上げさせながら、その採石場の掘り出しに芹沢は燃えた、という。
何で大声で叫ばせたか?
熊が出現する。
だから数人が叫んで「その間に掘るように」ということで熊よけの叫び声を弟子たちに叫ばせながら。
(本によると叫んだのは熊をよけるためではなく「吹雪の中で黒いものが動いていると、熊と間違えて撃ってくる者がいる」から)
芹沢はもう、地に伏せて黒曜石で作ったカミソリ刃を固い霜柱の立った地面から引き出そうとする。

 とにかく出てきたものを確認するために必死だった芹沢は、雪の上に泥にまみれた石器を置き、その上から自分の小便をかけて洗った。(180頁)

(本には上記のように書いてあるが、番組では弟子にも命じて叫び声を上げながら辺り一面に小便をかけたと言っている)

芹沢は当時、「旧石器時代の終末期には、ユーラシア大陸と同じようにきわめて小さな石器、細石器の盛行した一時期があるにちがいない」という仮説を打ち立てていた。
 そんな自らの仮説を証明した第一歩が、この矢出川の細石刃発見だったのである。
(181頁)

つづいて向かった新潟県荒屋遺跡では四〇〇を超える後期旧石器を発掘した。また北海道では荒屋と同型の石器と、舌のような形をした茎部を持つ有舌尖頭器を発見している。−中略−
 芹沢は相澤と共に長崎県福井洞穴から、当時日本最古とされた土器を掘り出していた。芹沢はこの土器の古さを測るため、炭素一四年代測定法を使うことにした。
(182頁)

 当時の常識では、土器は約八〇〇〇年前に中近東で発見され、その後、世界各地へ広がったとされていた。−中略−
 しかし自然科学の炭素一四年代測定の検証によって、芹沢が発掘した土器は、約一万二〇〇〇年前という結果が出た。つまり、極東の果ての日本で、「世界最古の土器」が出土したということになる。
(183頁)

この発見は日本史どころではなく、世界史を揺るがす大発見ということになる。
中東から土器が始まったのではなくて、土器は日本から始まったんじゃないかという仮説も成り立つ。
これはひっくり返る。
これは大騒ぎになる。
縄文時代というのが、日本人が思っているより遥かに古い、長い年月を持っていた。
1万2千年前から一万年も続いた。
その時代が日本にはあったというふうに日本史が書き換えられた。

東北大学芹沢助教授は考古学界の台風の目になった。
これに対してかつての恩師、杉原は「負けてなるか!」というので岩宿遺跡にこもって再度発掘を進めて旧石器を発見する。
もう二人のケンカ腰の発掘合戦になる。
この物語の主人公である相澤さんは気がいい。
杉原教授に付き添っていらっしゃる。
杉原さんから頼まれると、相澤さんは「嫌」と言えなくて。
それでちょっとむごいことだが、この時の発掘した物は、これは読み間違いがあるかも知れないが、ほとんど杉原教授の発見ということで博物館に置かれた。

芹沢率いる東北大学のメンバーにより−中略−岩宿遺跡の再発掘調査が行われた。−中略−
 再発掘は一九七〇年(昭和四五)三月から一ヶ月間行われ、芹沢はそこで多数の珪岩製石器を発掘する。珪岩とは「チャート」と呼ばれる硬質の石のことで
(215頁)

芹沢はこれをもって「前期旧石器」ということにした。
これは大発見。
もう歴史はさらに3〜4万年以前から始まるという証拠を発見したという。
これに対して杉原は何と言ったかというと「それは石器ではない。礫である」。
(本によるとこれを言ったのは杉原ではない)
「自然の石だ」と言った。
外国に鑑定を頼もうということだったが(このあたりのページにはそういった記述は見つからない)前期旧石器と折り紙が付けられるのか、日本考古学界は「日本の地層を把握せずに、その結論は出せない」ということで芹沢長介さんの発見は強く否定される。
つまり「石器かどうか」というよりも石器が出た地層そのものをもう一回ちゃんと調べなおさないとわからないということで棚にあげられる。
対立する杉原らは芹沢の前期旧石器発見を「長介石器」と称して、からかい始める。
ここに二人の対立は深く根を持つことになる。

学者さんが「○○時代の土器発見」「石器発見」と言うと私たちはすぐに信じてしまう。
「へぇ〜そんな古いヤツなんだ」と思ってしまう。
断定はできない。
特に石器は自然物で「握りやすい形に丸まった斧らしきもの」とかというのは河原を探せば出てくる。
だからそれまで地層環境というのをよく把握せずに「発見発見」で騒いでいたのだが、実は芹沢さんも含め、日本の旧石器に関しては「かなり怪しいのではないか」と。
だが、国内ではこの芹沢一派と杉原一派というのは東北大学と明治大学で学閥で激突する。
その激突のさ中、芹沢さんは「負けてなるか」となお、全国のアマチュアに向かって「集まれ〜!」と声をかけるその一人にゴッドハンドの藤村が混じっていたという。

旧石器発見という、それも前期旧石器発見という日本の歴史を、いや、世界の歴史を塗り替える発見というのが1960年から70年に続く。
それはそれなりに武田先生も「これはすごいなぁ」と思っていた。
日本の考古学界は世界中から注目を一旦浴びた。
ところが冷や水を浴びせられる。
大学の学閥同士の激突が学会で始まった。
それは「片一方の学閥をやっつけよう」。
そのために東北大学、芹沢という人は日本中のアマチュアに声をかけて。
アマチュアに声をかけると様々な人が寄ってくる。
なにせヒーローがいるから。
相澤さんという日本の歴史を塗り替えたような人がアマチュアでいるワケだから。
だからやっぱりみんな憧れで集まってくる。
ところが人を集めているのは難しい。
そこに相澤さんにあこがれ続ける少し夢見がちな藤村という青年が混じっている。
この青年が芹沢さんの教えの元、土器石器を発掘し始める。
スキャンダルというのは不思議なもの。
この純朴な北の青年の藤村が、やがて考古学界に一大捏造事件を引き起こす。

スキャンダルというのは突風のごとく突然巻き起こるものではない。
人の感情があり、その人の感情が激しく行き交いし、渦巻き、絡み、波打ち、澱みができ、やがて思いもよらぬ人影によって一挙に破局にもっていくスキャンダルのうねりが生まれる。

ただ、事の真相を聞くとガックリくる時がある。
武田先生が人間ドックで行っている病院とよく似た名前のお医者さんを作る大学が「女の子の点数引く」と。
東京新聞:順大「女子、浪人差別」認める 医学部入試、2年で計165人不合格:社会(TOKYO Web)
失礼だ。
「科学的に物を見る」という医者。
医者を選抜する試験というのはそんなものなのか?
しかもお役人のエライさんの坊ちゃんは加点してくれる。
汚い。
京都で例の役(水戸黄門)を演っていた時に、何人もすれ違う人から「やっつけてください」と本当に言われた。
助と格を連れて乗り込もうかと思った。
テープを聞いたか?
「合格は予約ということで・・・」
あんなのは「越後屋」「代官」。
ところが「どこの大学でもこれやってんじゃねぇか」と。
何でかというと女の子が入ってくるのはいいのだが、病院の大看板であるところの「外科手術をやる医師がいなくなるんだ」という。
それはやはり「男の性」と「女の性」は違う。
子供の頃は人形を大事に抱きしめて寝ていた水谷譲。
ネコのぬいぐるみとかフランス人形っぽい柔らかいドレスを着ているようなお人形とか。
男の子にその人形を与えると、まずスカートをめくる。
「分解癖」というのは男の子の本能。
分け入る。
男の子のほとんど本能。
とにかく男の子は何かを見ると分解する。
ボールペンとか。
何でもバラバラに一回しないと気が済まない。
でも、そのことによって外科医が全然いなくなったら大変。
それだったら最初からそんなふうに言え。
女の子でどこを希望するかによって、外科医選ばないんだったら○と○というところで「女の子同士で戦ってください」とか。
「裏から入れてくれ」と頼んだ「はいはい、いいですよ」と言った大学の学長もいい加減でお医者さんになるには、また国家試験受けなきゃいけないので「だから入れるんだ」と。
とにかく、ささやかな人間関係のもつれとか澱みとか絡みが大きなスキャンダルに結び付く、という。

1972年(昭和47年)まで時は進んだ。
仙台東北大学の芹沢班、芹沢グループは県内のアマチュア考古学者に必死で情報を求め続けた。
「長介石器」と言って東京の方で自分の発見を嘲笑っている人がいる。
「どんどんオレが発見して叩きつけてやる!」と芹沢教授は燃えた。
前期旧石器発見。
これが彼の野望。
県内で石器を並べてしきりに考古学展を開く。
(本には古川市民会館で一週間の予定で「宮城県考古展」が開かれたということしか書いていない)
熱心に芹沢教授がやっていくうちに、そこにものすごく熱心に通ってくる男がいる。
22歳、藤村。
芹沢グループに座散乱木という地名の宮城県内の情報を持ちこんだ。
鎌田くんというのがいて、藤村と一緒に旧石器を座散乱木に探す。
藤村が「鎌田さん、鎌田さん。あすこらへんに何かあるような気がするんですよ」と指をさして鎌田がそのあたりを掘ると何かにあたる。
掘ってみると後期ではあるが石器に間違いないものが出る。

 座散乱木には一本の農道が通り、それが岩宿のように、地層に深く切り込んだ切り通しになっていた。そこでは旧石器時代の目安となる火山灰のローム層が露わになっていた。鎌田が早速、露出しているローム層を削っていくと、移植ゴテに堅い物が当たる感触があった。
 出てきたのは、地層からいって旧石器と思われる物だった。鎌田は郷里で初めて後期旧石器を掘り出したことに感動し、藤村と手を取り合って「バンザーイ」と喜んだ。
(269頁)

 七五年に鎌田が発表したレポートには、「発見した旧石器時代の遺跡は六ヶ所に達した」と記された。もちろん、そのほとんどに藤村は関わっている。(272頁)

今まで他の所を一生懸命掘っていた芹沢教授も乗り出して座散乱木の発掘に力を出す。
ここでなんと驚くなかれ、芹沢自身の手により藤村の「あそこに何かあるんじゃないですかね」という一言に導かれ、掘った所に4万年以前の前期旧石器の発見。
(藤村に言われて芹沢自身で掘ったという記述は本の中には発見できず)
これは学会が無視した石器とは違って、礫岩ながらはっきりと剥離面が確認され、しかもほとんど石を含んでいない地層から出ているワケだから人工的。
誰が見ても間違いない、ジャスティスを秘めた石器。
この発見は岩宿の発見より衝撃的発見ということでバァン!と地元新聞に大ピックアップとなり、何と藤村はこの時、アマチュア考古学界のゴッドハンドという名前をもらう。
芹沢は藤村が発見現場に立つと頼もしくなる。
何気なく藤村が「芹沢さん、あそこ」と言ってそこを掘ると出てくる。
この時期、相澤さんはもう60代半ばで体調を崩しておられた。
芹沢さんと藤村くんのコンビは頼もしくて、杉原が主張する3万年以前を否定し、必ず芹沢が4万年以前の石器を発見し、日本史の1ページ目の決着をつけるに違いない。
そう確信するようになったということ。
ゴッドハンドというニックネームがついたこの二人が「出たぞー!」というたびに奇跡的発見が続々と次ぐ。

 この報告書が発表された八三年(昭和五八)、一人の考古学者がひっそりと亡くなっていた。「考古学の明治」を一代で築きあげた、杉原荘介だ。(274頁)

芹沢はついに日本の考古学界の先頭に立った。
ところがこのゴッドハンドとトップオブリーダー。
このペアが日本の旧石器の記録を塗り替えている時点で、同じ芹沢班の中で「あまりにも出すぎるんじゃないか」と不安になった人が出てきたという。
これも人間の絡みとか澱みとか、そういうものなのだろう。
これが後の旧石器捏造という大スキャンダルになる。

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2018年9月3〜14日◆スキャンダル 突き落とされた人々(前編)

78歳のご老人が「○○が金メダル獲ったのはオレが裏で動いたせいた」と言ってバァン!と胸を張って、テレビがウワーッと詰めかけていって。
山根会長、村田諒太の批判に反論「生意気」「1人でメダルを取れる力はありません」― スポニチ Sponichi Annex 格闘技
その人が右往左往しているうちに同じ78歳が、たった30分で山に姿を消した子供を見つけ出して「助けてくれたお礼に食事でも」と言ったら「いや、それはいただけんのですわー」と言いながら別のボランティア活動に出かけていって。
2歳男児救助のスーパーボランティア・尾畠春夫さん、「お金かかる?」に「お金は余分にいらない」 自宅から生中継「とくダネ!」で : スポーツ報知
同じ78。
様々な78歳を、という。

今日、まな板の上に置いたのは、この番組らしく、平成12年(西暦2000年)のスキャンダルの中心人物。
18年前。
毎日新聞のスクープで日本中が大騒動になった。
旧石器捏造事件。
「ゴッドハンド」という摩訶不思議な人がいて、この人が「この辺にあるんじゃないかな〜」と言って掘ると旧石器が。
あの「大判小判がザクザク」ふうに見つかるというので、ついたあだ名が「ゴッドハンド」。
もう日本の歴史教科書の1ページ目が「この人が全部書きかえるんじゃないか」という大騒動に。
それが毎日新聞がこの人がしゃがんで埋めているところの白黒写真を撮って「発掘じゃない。埋めて掘りくり返してるだけだ」というので。
でもあのときに思わなかったか?
「よく毎日新聞わかったな」と。
物陰に隠れてあの写真を撮っているワケだから。
だから「あのへんに穴掘って埋めるぞ」というのを前夜からわかっていた新聞記者なのだろう。
この大騒動でこのゴッドハンドの人は叩き落されて引きずり出されて。
この方の人生そのものは突き落とされても続いている。
その人物の所に行ってあの時の事情を訊いたルポルタージュの記者がいる。

時々自分の運命をそうやってジイッと足元を見つめたことがある武田先生。
神様は突き落とすためにわざと登らせることがある。
何回も見てきた。
ちょうどいい高さになるとポーン!と後ろから背中を押す。
そうすると闇空間に人の絶叫が聞こえて。
途中で岩を登っているヤツの真横を悲鳴がサーッと下へ流れ落ちていく、という。
億稼ぐタレントが、とあることをきっかけに次の日からピッタリとテレビに出なくなる。
もう今、いくらでもあるワケだから。

そんな意味でこのスキャンダルに突き落とされて運命の底まで落ちた人。
その落ちた人を追跡調査して「なぜ、あなたはその細道を登ろうとしたのか?」を問い直すという。

発掘狂騒史: 「岩宿」から「神の手」まで (新潮文庫)



上原善広さん。
新潮文庫。
(『石の虚塔: 発見と捏造、考古学に憑かれた男たち』の改題)

実に奇妙な訪問からこの本は始まる。

 インターホンがないので、私が玄関のガラス戸を叩きながら「すみません、すみません」と呼びかけた。ガラス越しに、大きな男が立ったのがわかった。
 男は「なんですかあッ」と大声でこたえた。
「新一さんですよね」
 藤村新一は姓を変えていたので、私は下の名前で彼を呼んだ。
「そうですけど、おたく、どなた」
「相澤さんと芹沢さんについて、お話を聞かせていただきたいのですが」
「……帰ってけろ。病気で何も覚えてないんだから。幻覚、幻聴。うつにもなったからッ」
(10頁)

その男は今、姓を変え、福島の海辺に住んでいるらしい。
その男のところへこの記者は訪ねていって例の捏造事件をインタビューする。
「あなたのことじゃないんです!芹沢さんと相澤さんのことを私に教えてください」
この一言が通じて、その人物がインタビューに応じるという。
ということはゴッドハンドのその先に「相澤」という別の男の歴史があったということで。
スキャンダルはただ一回の出来事ではなくて、前哨として深い根を持つというのがこの『発掘狂騒史』の面白いところ。

平成12年(西暦)2000年のこと、「旧石器捏造事件」というスキャンダルがあった。
毎日新聞のスクープでゴッドハンドとまで謳われたアマチュアの遺跡発掘名人が実は石器を埋めていたという。
その埋めている姿を写真に撮られたことで、ゴッドハンドから詐欺師ということになり、毎日新聞が一面に全国に報道した。
このゴッドハンドが名前は藤村さんと言うのだが、その人の捏造をひっそりとシャッターを押し、ドカーン!と全国紙に載せてゴッドから詐欺師へ突き落した毎日新聞。
それは痛快かも知れないが残酷な気もした。

小学校でそういう目に遭ったことがある武田先生。
小学校の女先生。
あえて学年は言わない。
「みなさん、お顔を伏せてください。学校の備品である○○が昨日の夕方なくなりました。今、正直に言う人を先生は責めません。盗んだ人は手を挙げてください」
「武田くんでしたー」という。
汚いやり方。
そういうのがある。
無邪気な子供が巧みな先生の罠にはまるという。
そのやり口を思い出した。
もちろん藤村という人も嫌い。
やったことは悪い事。
だけど物陰に隠れてシャッターを切って「ウソつきー!」とかというのは「あ、正直に手を挙げました。武田くんでした」。
教師としてやることが何かあるのではないか?
小学校低学年だったがそう思った。

その突き落とされたスキャンダルの主。
その主人公である藤村氏は「捏造」という鎖で縛られたまま姓を変えて、大震災前の福島の海辺の町に再婚をして密やかに生きていたという。
ある意味でその後、本当に壮絶に悲惨な人生を送ってらっしゃる。
しかし著者はここで、ひどく気になる一文をこの本の中で書いている。

 藤村が起こした事件は、この相澤忠洋の人生を模倣した結果だと言われている。(12頁)

藤村が起こした捏造事件というのは、彼が師と仰いだ人のマネをした結果ではないか?
一体あの捏造の裏で何があったのだろう?
そして藤村が師と叫んだ相澤とはどんな人物だったのだろう?
これは相澤さんがひどく気になる。
掘りくり返している考古学の世界を逆に、堀りくり返してみよう、と。
詐欺師に突き落とされたその人にも何か深い事情があったはずで、案外人間の断層がそこに見え隠れするのではないか?と。

 藤村から「オレたちの神様」と呼ばれた相澤忠洋は、教科書にも掲載されるほど有名なアマチュア考古学者だ。(12頁)

 一九四九年(昭和二四)七月、群馬県新田郡笠懸村稲荷山切り通しの坂を、復員服を着た若い男が一人、自転車で上がっていた。−中略−
 男は坂の上で自転車から降りると、切り拓かれた稲荷山の断層に近づいた。断面上部は黒土だったが、その下に赤茶けた太い断層がぼんやりと残っている。
−中略−
 赤茶けた崖面の辺りを見つめていた男は、断面の切れ目に人の頭ほどの大きな石があるのを見つけた。
−中略−
「赤土の下部の粘土層から河原の石が出てくるなんておかしいな。
−中略−やがて小さく光るものが突き刺さっているのに気がついた。指で動かしながら抜き取ってみると、比較的大きな、尖った石片である。
 男は軽く震えながら、土や粘土にまみれた石片をじっと凝視した。
−中略−
 洗ってみると、半透明に黒い沸がもえている。長さ七センチ、幅三センチほどの細長いひし形をしており、一端は鋭くとがり、もう一端はナイフのようになっていた。
(26〜27頁)

 ガラスのような石片は黒曜石と呼ばれるもので(28頁)

これが古代史を一変させるという大発見にやがて繋がっていく。

相澤忠洋という23歳の若い青年。
この子はたった一つの趣味が考古学。
土器発見の喜びの人が、ある断層から黒光りする石を見つけた。
間違いなくそれは黒曜石である。
黒曜石というのは弥生縄文よりさらに上、石器時代におそらくそのあたりに住んでいたであろう旧日本人が使った道具ではないか?と。

 この石器が出た地点は、稲荷山の切り通し崖面の、関東ローム層といわれている赤茶けた地層だった。関東ローム層とは、約一万年以上前、主に富士山の噴火によって積もった火山灰のことだ。−中略−
 これら一連の噴火によって、約一万年以上前の日本列島は、関東以西にかけて一面を火山灰に覆われ寒冷化がすすみ、草木も生えず、動物や人も生きていけない「死の世界」だったと考えられていた。そのため当時は発掘調査で一万年以上前を示す赤土の関東ローム層が出てくると、「ここからは何も出ないから」と埋め戻されていた。
(28〜29頁)

生き物の影はその原野になかった。
その「死の地層」にケモノを殺すための刃としての黒曜石をくくりつけた道具を持って生き物を追った人たちの痕跡がある。
あるいは、捕まえた生き物の腹を割くための石のナイフがあった。
「これは死の世界ではなくて、人間が暮らしていた痕跡ではないか?」と相澤は夢見る。
でもその当時の常識からして、日本のそこにあってはならない石器だった。

 考古学という学問もまた、戦後になって一般に注目されるようになった。太平洋戦争中は「皇国史観」が信じられてきたからだ。(31頁)

それまで日本は神々とされたイザナギ・イザナミという大陸からの渡来した人々が土器を携えて渡ってきて稲作が可能になり、その稲作から国家が出来たという「史観」。
だからその前「人影はこの列島にはなかった」と。
それが戦後、その神々そのものへの興味が切れて考古学ブームが起きている。
戦争に負けて3〜4年で。
その考古学ブームを牽引したというか、大きな大流行にしたのが素人の青年たち。
とにかく遺跡さえ見つかればひっくり返るワケだから。
発見する喜びがある。
だからアマチュア考古学者というのは胸のときめく趣味。
もちろん日本の、いわゆる大学の方でも慶応、明治。
明治大学では芹沢。
慶応では江坂さんという方がいらして。
この方は大学をそれぞれ卒業した後も大学に残って考古学を勉強している。
そういうエリートたちもいる。
考古学は始まったばかりの学問なのでアマチュアも研究家も仲がよかったのだろう。
そこに迷い込んだのが闇市で懸命に働き、素人で一生懸命発掘している相澤という青年。
この相澤がその石片、黒曜石を手にして、これが石器時代の石器かどうかというのを迷う。
やっぱり専門家に訊かないとわからない。
彼はたまらなくなって慶応大学を訪ねている。
その時に対応に出たのが江坂くん。
まったくどこの大学に行ってもアマチュアなので「日本に旧石器なんかあるわけがない」と追い返される。
そうしたら江坂さんというのはよい青年だったのだろう。
「うちの先生に見せてごらんよ。君の見つけたもの」というので案内してやっている。
(本によると「江坂は以前から群馬の発掘調査で面識のあった相澤を、気軽に自宅に招き入れた」とあり、番組の内容とは異なる)
その時にその明大の芹沢もいて「先生を紹介した」という。
(番組ではその時に石器も見せているように紹介しているが、本によると別の日)

 応接室に通された相澤は、三年かけて稲荷山の赤土層から採取した石器を一つずつ机に並べ始めた。芹沢も一つ一つ石器を手に取り、注意深く見ていく。『満蒙学術調査研究団報告』など、大陸の旧石器について書かれた文献を出してきて、そこに掲載されている写真と、相澤が採取した小さな石器とを一つ一つ比較して、思わず唸った。
「これはすごい、うり二つだ」
 相澤が持ってきた細石刃は、モンゴルやロシアなどで発掘された旧石器時代のものと同じ形だった。
(42頁)

若い三人が「おぉい!」ということ。
(本によると江坂には内密にということにしてあるし、その場には二人しかいない)
「これが本物だったら日本の教科書の一ページ目は変わる」という。
「縄文から始まっていた歴史を石器時代から始めないといけない」という胸のときめき。
ついに先生の所に相澤は行く。

この考古学ボーイ(相澤)。
大学を卒業したその二人(芹沢・江坂)に導かれて、もの凄い人物に相澤くんは会うことになる。

 当時、明治大学助教授だった杉原荘介は、一九一三年(大正二)生まれの三五歳。−中略−静岡県の登呂遺跡発掘が国を挙げて行われると、杉原は自ら調査主任となって活躍した。(60頁)

日本の弥生式の時代を発掘するという。
この人の牽引で日本考古学界は機関車の如く進んでいる。
だから杉原という人は考古学界のトップランナー。
でもこの人は旧石器時代が予感としてあったのだろう。
そこに人間がいたのかどうかというのを何かで確認できないだろうか?と思っているような人だったのだろう。
二人の大学生がこの先生に「黒曜石発見」ということを知らせると杉原は登呂遺跡から飛んで帰ってきたという。
だからやはり「直感だ」という。
これで四人になった。
(この時点でも江坂には内密にしているので四人ではない。杉原は登呂遺跡から飛んで帰ってくるということもしていないので、相澤は杉原が戻ってくるのを何日も東京で待っていた)
杉原は相澤から黒曜石の砕石場を見せられる。
そして杉原はできればそこを自分の手で発掘し、同系の採石場が見つかれば石器時代まで日本の歴史は遡る、と。

 一九四九年(昭和二四)、九月一〇日午後二時。
 浅草駅で相澤は杉原荘介、芹沢長介、岡本勇の明大関係者らと落合、桐生へ一緒に向かった。
−中略−
 翌一一日午前八時過ぎ、杉原、芹沢を入れた明大関係者三名は、両毛線桐生駅から高崎行列車に乗った。
−中略−稲荷の切り通しへ向かった。
 同じ頃、地元の考古学ボーイである加藤と堀越の少年二人は、すでに自転車で現地について相澤たちを待っていた。相澤と付き合い始めてから数年がたち、中学生だった二人も、すでに高校生になっていた。
(63〜64頁)

 最初は六人が散らばって好き勝手に掘っていたのだが、何も出てこない。そこで相澤が槍先形石器を見つけた斜面を集中的に掘ることにしたて、六人全員が横位一列に並べられるように土を盛り、その上に乗って並んで斜面を削っていくことにした。(65頁)

(番組では先に横並びで掘って午後からバラバラと言っているが、本によると先にバラバラに掘っている)
スコップで辺りを一枚一枚、雲母の石片をはがすが如く赤土をはがすという作業に移っていく。
体力のこともあり五時を作業の刻限として削っていった。
ところがこの人数で削っても、相澤の示している地点からはなかなか出ない。
秋の気配のする場所なのだが、ついていないことに四時過ぎから雨が降り出す。

あと一〇分で午後五時になる。もはやこれまでかと、皆が思ったその瞬間、杉原のスコップにカチッという音がした。
 隣で掘っていた岡本勇が最初に気がつき、驚いて振り返ると、杉原はにやりと笑い「旧石器の音を聞けよ」と言って、さらに石をカチカチと叩いた。そしてゆっくりとゴールデンバットに火を付け、深く吸い込むと、仁王立ちになって叫んだ。
「出たぞー、石器が出たぞッ」
 みなが驚いて、杉原の元に集まってきた。
 杉原の手には、粘土にまみれた青っぽい石器が握られていた。楕円形のハンドアックス(握斧)と呼ばれるもので
(67頁)

縄文より古い旧石器の発見が日本の群馬県新田郡笠懸村稲荷山切り通しで発見されたという。
これはすごい。
相澤の黒曜石の砕石場と二つ重ねて、ここには間違いなく縄文以前の石器を使う原人たちの存在があったことは間違いない。
日本人のルーツは縄文ではない。
弥生でもない。
「旧石器まで遡ることができるのだ」という断言を彼は持ったワケで。
以降、その切り通しは岩宿遺跡という名前に取って代わる。
これは発見者がアマの相澤だったことがメディアでも珍しがられ、発見のプロデュースはすべて杉原が引き受け「自分の手柄」と言わずに「相澤の手柄」と言い続ける。
それで水谷譲が知るがごとく教科書の1ページ目に載る人物になる。
人によって発見者は扱いが変わる。
このあたりに考古学のいびつな人間関係がある。

相澤忠洋の黒曜石の砕石場と杉原が見つけた握り斧。
この二つが日本に石器時代があったことを証明し、手斧発見はアジアで初めて。
東洋史を揺るがす大発見になった。
ついこのあいだまで土器拾いの現場だった稲荷山の切り通しが「岩宿遺跡」となるワケだから。
風景が一変する。
しかし、考古学界ではこの杉原の発見も含めて「ちょっと先走りである」と。
後期旧石器の発見は激しく疑われた。

 やがて明治大学による翌年四月までのさらなる発掘調査により、岩宿には二つの時代にまたがる文化があったことが判明した。−中略−
 約二万年前の層から出た石器群は「岩宿U」と名付けられた。さらに岩宿の発見から一年半後の一九五一年(昭和二六)、ついに一六歳の少年である瀧澤浩が、東京板橋区の茂呂遺跡から旧石器時代のものと思われる石器を発見した。
(79頁)

板橋のど真ん中で石器が見つかる。
そうすると関東は富士山の灰が降っている死の世界ではなくて、人間が明らかにケモノを追って生きてたという、緑の沃野だったのではないかということで。
ついに文部省も態度を変えて日本史の1ページ目が全部書き換えられた。
1ページ目には岩宿遺跡の相澤忠洋。
彼が黒曜石を見つけたので旧石器発見への火が灯ったということで、サポートをしてくださった杉原という明大の教授さんもみんなお譲りになるものだから。
彼はマスコミの大ヒーローになる。
しかも独学の人。
日本人が一番好むタイプ。

今、よく言われる話。
金銭の差で「親がカネを持っているか持っていないかで子供の学力が決まる」とか。
バカじゃねぇか。
文科省か何かにお父さんが勤めていて、そこの家の息子が難しい医学の大学校に行ったらやっぱり「裏から手回したんじゃないの?」と思うのが世間。
現実にそういうことはあったし。
でもはっきりしているのは、世間はその子を「優秀」と認めない。
「勉強机も持っていないのにあの子は東大に入った」ということが「あの子は頭がいい」という。
親がカネを持っていて休みの日にポロンポロンピアノを弾いている家のお譲ちゃんが東大に行ってもそんなのは当たり前。
「タンパク質なんか摂ってないんだけど妙に頭がいい」とか。
鯛とかマグロを喰って作った頭じゃなくて「ジャコをかじりながら優秀な頭を作った」というのを「優秀」って言うんだろ?
「トンビがタカを産んだ」ということが偉いこと。
タカがタカを産んで何が面白いのか?

相澤忠洋さんにウワーッとメディアがたかるのは、戦争の時に兵隊にとられて勉強できなかった青年が、闇市でバイトをしながら遺跡発見に燃えて日本史を変えるような大発見をしたという。
こういう人こそがやっぱり「ヒーロー」。

 日本に旧石器時代があることを初めて証明した相澤忠洋は、一九二六年(大正一五)六月二一日、東京府羽田猟師町で生まれた。父忠三郎の一族は芸能一家で、とくに忠三郎は囃子方で笛(横笛)をよくした。(82頁)

ところが日中戦争から太平洋戦争の拡大で暮らしは窮迫し、11歳で浅草の履物屋へ丁稚奉公。
この貧しさよ。
休日は骨董屋の店先に並んだ古い物を見ると妙に胸がときめく。
ひそやかに夜間学校に通いつつ、自分が手にいれた石斧を「先生これは何ですか?」と聞いたりなんかすると、その先生が「オマエは珍しいものを持っているなー。それは縄文時代の石斧ではないか?」とかと言う。
そのうちに彼は考古学に魅せられていって上野の博物館に通うようになる。
その上野の博物館にもとっても素敵なお兄さんがいて。
上野の帝室博物館(現国立博物館)へ行くと土器石器が並んでいる。
見ているうちに若い館員さんが出てきて、戦前のことだから袴か何か履いていたのだろう。
「閉館だけど君だったらもう少し見てっていいよ」なんて優しい言葉をかけてくれて、親しくなったという。
(本によると声をかけてくれたのは「二〇代ぐらいの守衛」。「もう少し見ていっていい」とは言っていない)
このお兄さんが「だったらさ、○○へ行ってごらん?」と言って東京で土器が見つかる場所を教えてくれる。
地図を書いてくれる。
(本によると数野というこの人物が見せてくれた博物館の陳列目録に「板橋区小豆沢」から出土した土器片があることを知り、行ける場所だったので後日出かけた。「地図も持っていなかった」)
そこで相澤青年はそこへ丁稚奉公の休みのたびに小っちゃなスコップを持って出かける少年となった、という。
こういう人のことを「優秀」という。

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