カテゴリ


2019年03月18日

2018年12月3〜14日◆フォッサマグナ(後編)

これの続きです。

大陸移動説。
昔、ユーラシア大陸の東の端にあった地形がある。
それが千切れてやがて太平洋、海のほうに泳ぎ出し、その千切れた隙間に昔は池ぐらいの小ささだったのが今の大きさに広がって日本海が出来て、離れ離れになった二つの島は海上でピタッとくっついて日本列島の本州が出来た、という。
それでロシア方面から千切れた島がやってきて北海道になり、フィリピンの沖にあった小さな島が関東の下の方にぶつかって伊豆半島になり、沖縄の向こう側にあった端っこがプカプカまた浮いてきて九州になった、四国になった、という。
これは1920年代になってやっと認められた大陸移動説によって立てられた、謎を解く一つの説。
ほぼこれは間違いないんじゃないか、と。
地球の一番深い所にはマントルという火の塊がある。
そこからはマグマが上昇してプルームという、おそらく「火の鳥」。
それが上の島を千切っちゃった。

地球のほとんどの大陸が合体してできた超大陸パンゲアは、約2億年前にはとてつもなく巨大なスーパープルームによって再び引き裂かれて、移動を始めていました。(『フォッサマグナ』176頁)

だから世界中の陸地をバーッと集めると千切れた形にピタッとくっつく。
それで地質学者の人が千切れた所の土砂を調べたら同じ。

 地球上では、大陸が集まって「超大陸」をつくっては分裂して離散する、ということが繰り返されています。プレートテクニクスによって動き回る大陸は、いずれはほかの大陸にぶつかって合体し、どんどん集まって、一つにまとまります。これが超大陸です。諸説ありますが、過去には19億年前から1億年ほど前までに7〜8度、超大陸が形成されたようです。(『フォッサマグナ』176頁)

超大陸パンゲアがバラバラになると、プレートの残骸は海溝に沈み込んで「メガリス」と呼ばれる重い岩石の塊となります。それらはあまりにも重く、そして大量なため、地下670kmのラインを越えて下に沈み込み、2900kmのところにまで落下します。すると、その反流で、そこにあった大量のホットプルームが上昇を開始したのです。
 上昇したホットプルームはスーパーホットプルームとなって、1億2000万年前頃に、南太平洋で「地球史上最大」といわれる火山活動を引き起こしました。大量のマグマを海底に噴き出して、オントンジャワ海台を形成したのです。その面積は約200万km2で日本の約5倍。厚さは約30km、流れ出た溶岩の総量は富士山の溶岩の5万倍に相当するというすさまじさでした。
 この途方もないスーパープルームは、枝分かれして地下のマントル内を移動します。その一部は北上し、フィリピン海にさしかかります。そして、およそ6000万年前(60Ma)頃に西フィリピン海盆を南北に拡大させ
−中略−このフィリピン海プレートの沈み込みの開始にともなって、15Maに伊豆・小笠原弧が現在の位置へと移動してきて、本州に衝突したことは、すでに繰り返し述べてきたとおりです。(『フォッサマグナ』176〜177頁)

一番大事なことは、今、やや収まりつつあるのはその火の鳥が1億5千万年をかけてゆっくり冷えていくので潜りだす。
だから姿が消えてなくなってまたどこかの地表に出てくるということ。
だから近寄ってくることは間違いない。
考えたらすごい。
とにかくいろんな千切れたものが一点に集まって来てできたのが日本列島。
これを考えるとやっぱりすごい。

ユーラシア大陸の東の端っこにあった海岸線。
これがプレートの火に焼かれて千切れる。
上の島(東日本)は時計と逆に回っていく。
西日本は時計回りに動いてくっついた。
千切られたのだが。
海へ海へと泳ぎだした島はここでくっつく。
二つに千切れた島は現在のロシアから富山までを泳いできたわけだが、何と700kmの海上を年間35cm動いたという。

新潟糸魚川から静岡清水にかけて日本を横断する深い溝「フォッサマグナ」について話している。
それはかつてここで日本列島は合体したんだ、と。
それが1500万年前のこと。
その後100万年前の頃にフィリピンの沖から泳ぎ始めた伊豆・小笠原諸島がぶつかったという。
そしてこれは伊豆半島になって。
伊豆半島はいまだに本州を押しまくっている。
このことによって丹沢から赤石山脈は押されつつ今も隆起が繰り返され、その中ほど平野部にはマグマを噴き出すためのいわゆる「呼吸する穴」としての富士山があるわけで。
山が毎年爪先立ちしていくというのが列島の山々。
かくのごとくプレートに乗っかって島は集まる。
例の東日本の大地震を起こした沈み込みが、プレートが岩手沖にある。
あれと大陸側は日本列島を千切ったプレートがあって。
だから東北地方は右と左から押されている。
日本列島は左右から押されているというのは事実。

日本列島の反対側には海溝三重点という強大なアンカー(錨)が存在しているため、日本列島そのものが形を変えていくということはありませんでした。(『フォッサマグナ』195頁)

それがずっと持っているから1500万年前の風景のまま列島はある。
そこが引っ張っているから。
そういう意味では「奇跡の地形」。

合気道をやっている道場の先生から誘われて伊豆の先端、下田の温泉に行った武田先生。
行く時はよかったが、帰ってくる時に武田先生の奥様が天城峠を越えた後に下り始めたら気持ち悪くなった。
「高いとこ上って低いとこ行ったからかなぁ」とかと言っていたのだが。
その時の奥様の気持ちの悪がり方が神がかっていた。
原因がまったくわからない。
奥様は「気持ちが悪いの」という。
何か「気持ち悪い」には出てくるワケで。
吐き気がするとか下痢をしそうだとか。
でも、ただひたすらお腹を押さえて痛がるだけで。
そこを通過して東名に乗った瞬間に「あ!治った〜」とかと言う。
その土地の境目を越える時の、その病というのが武田先生には「この人のお腹を痛がらしたのは、生き物としてではなくて、もっと地の底から湧いてくる一種何か『磁力』とか、そういうものではないか」という。
「磁気はある感じがする」という水谷譲。
そのへんから「伊豆半島て変だなぁ」と思うようになった武田先生。
あの山の険しさは無い。
高速道路といっても伊豆半島に行くとループで降りて行くのだが、螺旋階段で車を降ろさないといけないぐらい高低差のある高さからいきなり。
それにあそこは「落石注意」が多すぎる。
いたるところに「落石注意」。
落石は注意しようがない。
よく考えてみたらあの半島はいまだに動いているから落石が多いのではないか?
そんなふうに考えると、私たちはその手の「ジオ」という、火の鳥の背中で生きているということはもう間違いないことで。
そういう意味では朝鮮半島にお住まいの方、あるいは中国大陸、ユーラシア大陸にお住まいのロシアの方、中国の方とは自然に対して全く違う感性を持っているのではないだろうか?と。
そんなふうに思う。

(奥様が)「気持ち悪い」と言うので武田先生は「助手席じゃなくて、後ろで寝とけ」と寝かせた。
時々跳ね起きる。
ルームミラーに青ざめた奥様の顔を映るたびに叫びたくなった武田先生。
地球の地下、この地面の下には火の鳥が住んでいるというふうに思ったほうがいいのではないか?
我々は火の鳥の翼の上で生きている、という。
とにかく地震というのは地下に住む火の鳥が巻き起こす現象。

『日本書紀』には、天武天皇13年10月14日(西暦684年11月29日)に大地震があり、土佐では田畑50万余頃(「頃」は当時の面積単位、50万余頃は約12平方キロメートル)が海中に没し、加えて津波が来襲したという記録があり、これは南海トラフ巨大地震による地殻変動の最初の文書記録です。
 南海トラフの巨大地震では、室戸岬など岬の先端部が大きく隆起し、内陸側に向かって隆起量は徐々に減少し、さらにその奥では逆に沈降する地域が出てきます。
(41頁)

更に西暦870年。
これはものすごく有名だが貞観の大地震。
これがマグニチュード8.3以上と言われている。
津波が発生し、富士山が大爆発。
貞観という時代も大変だった。
そして千年の時を挟んで江戸期。
宝永大噴火。
更にマグニチュードはこれも9以上で慶長大地震。
これは秀吉も聚楽第か伏見にいて体験している。
大地震と津波など私たちはもうありありと日本史の中で「火の鳥の狂乱」という爪痕を歴史の中にたくさん持っている。
そのたびに人が亡くなっているワケで。
地面の下に火の鳥がいる。
その火の鳥の背中に列島は乗っているんだ、ということを絶えず思いを馳せながら生きていかなければならないのではないかと。
そのあたり、地面に対する感覚が日本人は何か独特な大地感を持っている。
中国には風水みたいなことがある。
「家の向きをどうするか」という。
でも地面に関する思いというのは、ものすごく日本人の感覚にある。
漢字の中にもある。
地面にそもそも悪しき霊が棲んでいて、それが憑りつくんだ、という。
(結局何という漢字かというのは、番組中にはわからず)
昔の人たちは「この地面の下に何か悪いものが宿っている」となると、ナイフで刺した。
武田先生の奥様が天城越えをする時に気持ち悪くなったが、そういう土地を過ぎて別の土地に入った時に、そこの地面の下の神様の種類がコロッと変わると悪さをすることがある。
その悪さをさせないために女の人は髪にかんざしを挿した。
花が魔除けになる。
それがかんざしのいわれ。
その花で魔除けにならなかった場合は刺す。
その攻撃の武器として「かんざし」という。
かんざしが尖っていて凶器のようだから「ここまで尖らせなくてもいいのに」と思っていた水谷譲。
いわゆる「魔に対する自衛力として」というようなことがあるように。
昔、芭蕉とかもそうだが、越境して他のエリアに入る時は男でも、ちょいと花をかざしたそうだ。
それから古代からの土地に関する怯え。
古代の中国は持っていた。
土地褒め。
旅をしてその土地に入った瞬間、その土地のことをべた褒めに褒める歌を作らなきゃいけない。
だから万葉集なんかすぐに土地を持ってくる。
「大和し美したたなずく」とか「吉野山」とか。
(「大和は 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる 大和し 美し」のことか)
「風に舞い散る黄葉ばは」とか。
(「風吹けば 黄葉散りつつ すくなくも 吾の松原清くあらなくに」のことか)
あれはそこの土地にいるからじゃなくて、その土地の神様に悪さをして欲しくない祈りを込めて、土地の名を呼びだして絶賛してご機嫌をうかがう。
土地神様を持ち上げる。
武田先生の考え。
最近ちょっと地震が多いのは、その手の歌が今、歌謡曲界では無い。
乃木坂とかAKBとか。
だからちょっと地震が多いんじゃないか?
昔は歌謡曲にあった。
北島三郎さんなんか土地褒めばっかり。



「は〜るばる〜きたぜ函館ぇ〜♪」とかと函館が喜んで「地震はやめとこう」とかと言う。



「女、港、気仙沼〜♪」とかと低い人(低音の意か?)が歌っていたが今はやらないから。
というようなことを言う人がいる。
だから「土地褒め」というのはまんざらではない。

大陸から千切れて東日本・西日本が今の位置でくっついた。
そして伊豆半島等々がぶつかり、四国なども寄って、九州も北海道も大陸から千切れてプレートに乗っかってここまでやってきた。
この島々を引っ張ったというエネルギーは今、千葉の房総沖の一点にある。
これは三点何とか(海溝三重点)と言う。
これで杭が打たれたみたいに今、列島は動かなくなっているという。
これとよく似たことが近い将来起きるのではないか?と言われている深い溝がある。
これは巨大で、また千切れるんじゃないかと。
大陸から千切れて流れ出すんじゃないかと言われている候補に挙がっている所。

「巨大地溝」として最も有名なのは、人類の発祥の地と考えられた東アフリカリフトゾーン(東アフリカ大地溝帯)でしょう。幅35〜100km、総延長は7000kmに及ぶ巨大な地溝帯には、実は三重点が存在します。(『フォッサマグナ』156頁)

これは日本と同じ。
日本もそう。
ユーラシアプレート、北米プレート、フィリピンプレート。
そういう三枚。
ここも三枚。
三枚ないと千切れない。

「アファー三角地帯」と呼ばれるところで、ここでは紅海、アデン湾そして東アフリカリフトを境界とする、アラビアプレート、ソマリアプレート、ヌビアプレートという3枚のプレートが1点で交わっています(『フォッサマグナ』156頁)

リフトの中ではホットプルームがマグマとなって、ケニア山やキリマンジャロなど、巨大な火山をつくりだしています。「火の気」は十分です。
 今後、リフトにさらなるマグマがつぎ込まれれば、やがて拡大が起こって、アフリカ大陸は二つに分かれてしまうでしょう。もしもそのとき、そのどこかに島弧が衝突するようなことがあれば、まさにフォッサマグナができるのではないかと考えています。
(『フォッサマグナ』156頁)

この不思議な説を聞いた時に、たまらなく興奮した武田先生。
この何千年か前にここはへこんで草原が出来る。
とにかくアフリカの東側が一旦ボコーンとみんなへこんだ。
昔はアフリカ全部がジャングルだったのに、ここがへこんだお陰で地形が変わって草原になった。
ジャングルに住んでいたヤツがいきなり草原で暮らすことになったので、めっちゃ困ったサルがいる。
そのサルは樹木で生活していたのだが、草原に暮らさなければいけない。
そうしたらもうヘビとかライオンとかトラのエサになってしまう。
どんどんサルは死んでいくのだが「仕方ねぇ」というので(周囲が)草なので遠くを見るために「まずは立ち上がって様子を見よう」というので、とあるサルが四つ(足)から立ちあがった。
これが原人のスタート。
それで原人の後に旧人。
それから30万年〜20万年前に新人。
そしてその新人から人類へ進化した。

証明できなかったのだがすごい仮説があって、それでドキドキした武田先生。
このボコンとへこんだ盆地、窪みがある。
そこは「スーパープルーム」というマグマの炎の地面の底が焼かれる。
焼かれると何かというとマグマは自然の放射線を持っている。
放射能、放射線は遺伝子の配列を変えたりする。
とある人が「このアフリカから出てくるサルの種類があまりにも多すぎる」と言う。
もしかすると「地の底に棲む火の鳥の輝きの中に放射線があって、その放射線が遺伝子組み換えをやってるんじゃないか?」という。
ものすごい話。
その新種のサルが生み出されるポイントが一か所じゃなかったかという説があがった。
ところが仮説が崩れた。
ちょっと期待していたのだが。
だが、間違いないことは、人類はこの窪地で生まれた。
フォッサマグナの底で生まれたのがサルから始まった人類。
そのフォッサマグナという窪地を日本は信州に持っている。

今、数百億年を振り返り、大きな大地の動きを説明している。
千切れて漂う二つの島。
そこへいくつもの島が集合し、日本列島というジャポネシアを作った。
しかもプレート3枚が重なり合う。
これは異例。
地震が多いのは。
でもみなさん、耐えよう。
何かある。
アフリカの3枚重なり合ったアフリカ大地から人類が湧いて出てきたように、奇跡のような地勢地形、ジオの中に生きているということは、何かここに住まねばならぬ理由があるからで、今日明日出る答えではないが、千年の時をここにかけましょう。
貞観の地震が起きようと宝暦の大噴火が起きようと、富士山が爆発しても関東に人は住み続けたワケじゃないですか?
そのことを思ってこの島にしがみつく力にしましょう。

三つのプレートが一点で交わる房総沖海溝三重点があります。実はこれは現在の地球上では唯一の海溝三重点です。(『フォッサマグナ』131頁)

これがまとめているので列島は平衡を保っている。
地面の下に住む火の鳥の残した仕事をちゃんと地形にとどめているのは、世界中でここだけ。
そのことにもう、興奮しよう。
太平洋側の沈み、これが三陸沖の大地震になった。
日本海側からもユーラシア大陸から日本を千切った沈み込み、プレートの沈み込みがある。
だから東と西から圧縮が続いている。
これで赤石山脈などは3千m級の山になった。
散らばった島をプレートに乗っけて引き寄せているのも日本という、この「海溝三重点」。
素晴らしいじゃありませんか?
地面は高くなるが、島は呼び寄せている。
日本の南アルプス、北岳、赤石岳、甲斐駒ケ岳等々は、今も高くなっている。
日本列島が生きている。
大地が動いている。

 千島海溝と日本海溝はいずれも、太平洋プレートが北米プレートに沈み込むことで形成されています。2つの海溝の会合点には、襟裳海山が差しかかっていて、その先、つまり日本列島寄りには、沈み込んだカデ海があります。北海道はこのプレートの沈み込みによって、東西のブロックが中央の日高山脈で衝突してできたとも考えられています。(『フォッサマグナ』150頁)

ここも海溝三重点の可能性がある。
この辺りの沈み込みの影響で、ついこの間の地震が起きた。
東から北海道を押すプレートと、西から北海道の根室側に向かって押すプレートと、その真下に本州に向かって押すプレートの3枚の1点が襟裳岬の先にある。
それがどうも暴れたらしい。
だが、そのことにみなさん耐えましょう。
きっとこの不幸を幸運に変える何かが地面の下で起こっています。

安倍首相に言いたい。
北方領土、大丈夫。
プーチンさんと妙にお金なんかで買い戻したりなんかしないでください。
あれは武田先生のカンだが(北方領土は)こっちに来ている。
もうすぐ北海道に国後も択捉も全部めり込んでくる。
ジオはそう動いている。
その時にめり込んだら「うちのもんだよね?」という。
それは誰が考えてもわかる。
島だったら戦争で勝ったのだからいい。
でもめり込んだら、向こうからこっちに来たワケだから、アンタたちが出て行ってください。
さあ、やめましょう、北方領土交渉。
あれは大丈夫、来ます。
これは間違いないです。

太平洋プレートも毎年9.5cmずつ日本列島に近づいていますので、太平洋プレート上のハワイ諸島もおよそ5000万年も経てばやはり日本列島にくっついてしまうでしょう。(『フォッサマグナ』150頁)

ハワイに行かなくていい。
来るんだ。
あれは来ている。
こっち側にゆっくり。
時間さえかけりゃ、みんな寄ってくるのだから大丈夫。
そうやって考えれば、時間さえかければカリフォルニアだって日本のもの。

 それまでの日本には伊能忠敬がつくった地形図しかなく、それには等高線が記されていなかったため、地形図を補完しながら地質調査を進めるという大変な作業を強いられた末、ついにナウマンは北海道を除く日本すべての地質図(20万分の1)を完成させました。1885(明治18)年のことです。−中略−ナウマンが10年で、概略とはいえこれを仕上げたのはおそるべき速さだったのです。(『フォッサマグナ』21頁)

日曜日か何かで、横浜の地面をナウマン君が掘っていた。
そうしたらビックリした。
小型の象の骨を発見してしまった。
(調べてみたが、どうやら横浜ではなく横須賀で発掘されたようだ)
昔、大陸と日本が繋がってていた時にユーラシア大陸に住んでいた小型の小象が海峡を越えて日本に入って。
津軽海峡も繋がっていたので。
それで横浜の草を喰っていた。

 ナウマンゾウの名前は、明治の初めにドイツから招かれた地質学者E・ナウマンの名前から付けられました。彼は本州中部の「フォッサマグナ」という大地溝帯の名付け親でもあります。(59頁)

フォッサマグナがなぜできたかはナウマン君は知らない。
これは後の研究でわかったが。
でもここが深い地溝帯であるということを発見したナウマン君。

当時の学生たちは、同じ年恰好の若いナウマンの横柄な態度に業を煮やしてもいて、ナウマンとの間ではトラブルが絶えなかったようです。(『フォッサマグナ』20頁)

だが、ナウマン君の大冒険のおかげで私たちは古代史に、それも超古代。
地勢、ジオに関してこれほど敏感な国民になった。


posted by ひと at 20:30| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月3〜14日◆フォッサマグナ(前編)

(今回は一週目の途中で次の本に移行する。本ごとに分割しようかと思ったけど、それだと後半がすごく長くなるし、別の本からの引用も登場したりもするので、いつも通り一週間分ずつ区切る)

フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体 (ブルーバックス)



フォッサマグナ。
小学校の時に教科書に出てきて「わ!こんなのがあるんだ」と思った水谷譲。
その時は「日本を割ってる線があるんだな」みたいな感じだった。
糸魚川から静岡にかけて。
この正体は一体何だ?ということ。
このフォッサマグナを語る時に、どこから始めるかと言うと、西南戦争からまた話を始める。
西南戦争とフォッサマグナ。
この「地質の話が何で結びつくんだ?」というところを聞いていただければ語り手のよろこび。

 1875(明治8)年の夏、文明開化の波押し寄せる日本の横浜港に、一人のドイツ人の青年が降り立ちました。(18頁)

武田風に言うと坂本龍馬が死んでまだ7年ぐらいしか経っていないという日本。
この明治8年の日本というのは6〜7週に渡って(この番組で)語り続けた、西南戦争の外交問題で日本政府の陸軍大将西郷隆盛と内務卿の大久保、そして参議の木戸孝允の対立が明治8年、激しくなってきた。
そんな時代。

 青年の名はエドムント・ナウマン。(18頁)

象みたいな名前。

 エドムント・ナウマンは1854(嘉永7)年9月11日に、ドイツ・ザクセン王国の陶器で有名な町マイセンに生まれました。ミュンヘン大学に学び、20歳で博士の学位を受けると、恩師のギュンベル教授とともに地質調査事業に従事して、地質図を作成していました。とくに輝緑岩という変質したドレライト(粗粒玄武岩)の化学組成の研究をしていましたが、やがて教授から、「日本に行って地質学の教授にならないか」という話をもちかけられます。日本の新しい政府が、西洋文明の取得のために外国人教師を招聘しているというのです。いわゆる「お雇い外国人」です。
 ナウマンは二つ返事で、輝緑岩の分析も何もかも放り出し、2ヵ月後には日本に到着しました。
(18〜19頁)

武田先生の直観では「大久保利通がいるのではないか?」と。
大久保も忙しい。
考えたら気の毒なほど。
大親友の西郷さんと朝鮮半島問題でケンカをしながら、鹿児島県の扱いに関して桂小五郎さんとケンカしながら「ドイツから学者ば呼ばないかん」「日本は進歩せんばい」と思った。
何でドイツか?
理由は簡単。
大久保さんはドイツが大好き。
この人は2〜3年前にドイツ旅行をして、ドイツの一番偉いさんが会ってくれている。
その人の名前がビスマルク。
「鉄血宰相」と呼ばれたこのビスマルクさんが「アンタ方の国はドイツに学ぶとよかたい」とかと言われている。
大久保さんはもうドイツが大好きになった。
ドイツのようにガッチりした官僚で国家を創り、その官僚のエリートたちが庶民を指導するという官僚体制を大久保さんはイメージした。
これが桂さんとの大ゲンカ。
桂さんはフランスが好き。
「ショボーン」とかと言いながら。
西郷さんはまた両方が嫌い。
フランスも嫌い。
ドイツも嫌い。
ロシア大嫌い。
「島乗っ取りに来るっちゃけん。ロシアは」
五島列島が危なかった。
一回ロシアが住み着いている。
それを西郷さんが叩き出している。
ロシア人はまず住み着く。
みなさん、歴史から学びましょう。

ナウマン君は夏に到着している。
ドイツから二か月半くらいかかったか。
たどり着いたナウマン君。
降りた瞬間に、この日本列島の石が好きになった。
風雲急を告げる明治8年から10年にかけて、このナウマン君は日本の珍しい石を集めて信州方面を歩き回った。
突然明治史、西南戦争の頃合いに紛れ込んだナウマン君の青春やいかに?

大久保はドイツから学ぼうと官僚システムを東京政府に作ろうとしている。
明治8年のこと。
西郷隆盛は南下してくるロシアに対して「あんヤツばここに住まわせてはいかん!必ず島ば乗っ取って住み着いて『おがもん』て言うったい!アイツらが」。
やり口はほとんど変わっていない。
桂さんは桂さんで「選挙たい!大統領ばつくるったい!」。
もうバラバラ。
そんな風雲急を告げる明治8年。
二年後には西南戦争という大戦争が始まる。

 さて、ここでナウマンが来日した1875(明治8)年に時間を戻します。
 この年の11月4日、ナウマンは早くも、最初の地質調査旅行に出かけていました。それは従者と通訳を従えただけの単独行でした。
 馬車で東京を出たナウマンは、高崎から碓氷峠を越えて中山道を下り、追分(現在の軽井沢町)の宿場を数日滞在して、浅間山へ登っています。
−中略−
 その後、現在のJR小海線に沿って千曲川沿いに進み、鉄道最高点のある野辺山に至ると南下して、獅子岩を超えて平沢という小さな集落に泊まります。
(23〜24頁)

平沢という村に来た時に「ダシテンタルケン!(でたらめな薩摩弁風のドイツ語)よか仕事ばしとらすごたるですな」というような。

宿としたのは、古い民家でした。
 その夜は、嵐に見舞われました。木の板だけの壁はガタガタと揺れて、いまにも壊れそうでした。
(24頁)

(以下、本の内容とは無関係な武田先生の想像)
食べ物といっても、カリカリに焼いたトーストとかはない。
「焼き米」とか。
保存食用の米。
薄く焼いてある。
それにちょっと砂糖がまぶしてあって、それを口いっぱい頬張ると。
昔の戦国時代の呼び方では「干し飯(ほしいい)」とかという。
お腹の中に入ると水っ気を含んで膨らむ。
そんなのを喰っていたのだろう。
あるいは水で溶かして喰ったか。

ろくに眠れないまま一夜を過ごしたナウマンは、夜が明けるとともに宿を出ました。風は止み、青空がのぞいていました。そして峠から南西を見下ろしたとき、ナウマンは言葉を失いました。
 彼の目に飛び込んできたのは、はるか眼下に釜無川の流れる平坦な大地の向こうに、2000m以上もの高さのある南アルプスの鳳凰や駒ヶ岳が、ちょうど壁のように突っ立っている姿でした。そして、その南東の奥には富士山がさらに高く威容を見せつけていました。
「こんな光景がこの世にあるのだろうか。こんな大きな構造は見たこともない」
 ナウマンは言い知れぬ感動を覚えたといいます。と、同時に、なぜいきなりあんなに高い山が聳え立っているのか、なぜこのように大きな構造ができるのだろうか、という疑問も抱いたに違いありません。そして彼は、いま自分が立っているのは地面にできた巨大な溝のような場所ではないかと考えたのです。
(24頁)

1876(明治9)年からだが、西南の地、鹿児島、薩摩辺りで風雲が立ち興り、(明治)10年には何と西南戦争が勃発する。
ナウマン君には関係ない。
「石ばっか見て歩く」という。
これは面白い。
西郷や大久保や桂が命がけで戦っているのに、ドイツ青年ナウマン君は地面の石ばっかり見て歩いたというのが「何ともはやおかしい」と思う武田先生。
彼は西南戦争が起こった年も信州を歩き回っている。
そして赤石山脈、関東山地、丹沢。
その地形が彼にとってはもう不思議で不思議で仕方がない。
「おかしかばい!」
ドイツ弁でそう言いながら。
彼はますます日本のジオに惹かれていく。
(番組中「ジオ」という単語に別段説明がされないが、本によると「大地の」の意)
彼が最も惹かれたのが赤石岳という。
これは赤石山脈。
何に一体彼は驚いたか?

ドイツから明治8年にやってきたエドムント・ナウマン君。
九州の方では西南戦争という戦争が勃発するが一切注意も向けず。
ナウマン君は日本の地形が面白くて面白くて仕方がない。
山脈を調べていくとギョッとするような発見がある。
彼は玄武岩の研究家。
玄武岩というのは地底の奥深い所でできる石。
これは後の発見でもあるが、赤石山脈でナウマン君がひっくり返る。
「ウソぉ!」

赤石山脈という名前のもとになったのは、赤い「チャート」です。チャートとは、遠洋の深海底に棲む放散虫(プランクトンの一種)の死骸が体積して岩石となったもので(89頁)

(番組では「珪藻とかサンゴのかけら」と言っているが本によると赤いのは放散虫)

海のない場所でこうした海洋生物の化石が出てくることは、それらが伊豆・小笠原弧の衝突によって深海から陸に乗り上げ、付加したことを物語っています。(90頁)

彼はそういう発見をしながら日本の地質に惹かれていく。
とにかくあれが忘れられない。
あの信州で見た南アルプスの光景が。
駒ヶ岳の光景が彼は忘れられない。
このナウマン君はずっと歩く。
南アルプス、北アルプス。
その間を。
そこで彼が発見したのは「西南の日本から続いてきた古い地質が新潟糸魚川から静岡清水で本州を横断するように深い溝がある」という。
「その深い溝が松本等々の盆地になっているんだ」
松本辺りのその山脈と山脈の間にある窪地は掘っていくと岩石が出てくるはず。
掘るが、到達できないぐらい深い。
ということは、これはどんなことが想像できるかというと「山」。

フォッサマグナ地域の東西では約1〜3億年前の古い岩石が分布しているのに対し、フォッサマグナ地域の内部は、約2000万年以降の新しい岩石でできているのです(34頁)

ラテン語の「Fossa Magna」に変更しました。(29頁)

そのジオ、地勢に名前を付けた。
この巨大な溝は現代で言うと糸魚川から静岡清水までの250km。
この溝は両岸の山々から少なくとも250万年ほど前の時をかけ、土砂が流れ込んできたわけで土砂の川底を目指している。

現在ではボーリング調査によって、フォッサマグナは地下6000m以上もの溝であることがわかっています。(34頁)

だから一番最初にその溝ができた時からの風景を想像すると、松本の6千mの下から見上げると南アルプスはヒマラヤを超える1万mの山になる。
1万mの山と山。
松本はそれに挟まれている。
今で言うとインドの平野からヒマラヤが両側に立っている。
この巨大な溝。
ラテン語で「巨大な溝」という「フォッサマグナ」とは何だったのか?
こんな地形は世界中、ナウマン君の予感通り世界に一つしかない。
これは面白い。
そんな所に住んでいる。

この間ちょっと温泉に行った武田先生。
飛騨の方の温泉に行くために松本でレンタカーを借りた。
山越えをして日本平、飛騨、穂高に行った。
その時にちょっとこれを勉強していたものだから「今、フォッサマグナの上を走っているんだ」と思うと、何かものすごく不思議な気がした。
あんなことは行くと何も考えないものだが、やはりこの手の本を読むとハッとする。
そのたどり着いた温泉の露天風呂の脇に「このあたりからよく貝殻の化石が出ます」とあるのだが「あ!赤石山脈と同じか!」とか。
それから女将と話したが、穂高はまだ山が伸びるらしい。
押してきている力があるそうだ。
だから何cmかずつ伸びている。
私達はそういう所に住んでいる。
もしかすると日本列島は「ひょっこりひょうたん島」かも知れない、という。

特に今年(2018年)は秋口に気が滅入って仕方がない武田先生。
それはなぜかと言うと「この列島に住んでいる」ということが時々嫌になることがある。
別にこれは政治的なグチでもなんでもない。
この列島は天災が多すぎる。
2011〜2018年で福島、岩手、福岡、熊本、長野、北海道、大阪。
水害では本当に言いたくもない福岡、岡山、広島。
台風は宮崎、高知、沖縄。
その上に火山の爆発。
どうしてもムカッ腹が立って。
本当に許せない。
木曾の御嶽山は卑怯。
ずっとレベル1ぐらいでおとなしくしていて、たくさんの人がとても気持ちよくてっぺんを極めたらいきなり水蒸気爆発。
やることが卑怯。
今年もまた追悼の式典か何かのニュースに触れるとハラワタが煮えくり返る。
もうオレは許さない!
やり口が汚い!
「オマエそれでも山か!?」とアイツに向かって言いたい。
本当に憂鬱がたまる。
台風がいっぱい来た。
台風が来る度に思う。
「まっすぐ行けよ!」
何で沖縄からカックーン!と上に上がっていく。
狙っているのではないか?
本当に「オマエそれでも熱帯性低気圧か?」と言いたい。
お百姓さんの茫然たる顔なんか見ているともう本当に「どこか大陸の隅っこに住みたくなる」というふうに思う。

『水戸黄門』でよく頑張ったので夏休みに家族旅行で穂高方面、飛騨の方に旅行に行った時「この国に住むことが嫌になるなぁ」というのを車の中でつぶやいたら上のお譲さんが「それは違うんじゃないの?パパ」「何でだ?」「ここ生きてんのよ、地面が。私達は地面が生きてる所に住んでるのよ」と言われて、ふっと「そうか。オレたちは『ひょっこりひょうたん島みたいな所に住んでんだ』と思った時に「え?ということは・・・ここは『ひょっこりひょうたん島』みたいに泳いでるのか」と思った。



これがすごい。
日本列島は泳いでいる。
ここで本を乗り換える。
(と言っているが、妙に前の本からの引用が多が、ここから先は『日本列島100万年史』からの引用はいつも通りにページ数のみ『フォッサマグナ』からの引用はいちいち『フォッサマグナ』と記して区別する)

日本列島100万年史 大地に刻まれた壮大な物語 (ブルーバックス)



この一冊から教えて頂いたこと。
この『日本列島100万年史』曰く、沖縄八重山から北海道歯舞色丹まで、この島は何と大陸に住むのが嫌でここまで泳いで来た。
泳いで集まったのが日本列島。
(という文章は本の中には発見できず)
日本列島は「ひょっこりひょうたん島」だった。
「ひょっこりひょうたん島」に住んでいることが火山列島であるし地震大国であるし、そういう地の特徴というのは「泳ぐ島」だったから。
これはウェゲナーの大陸移動説。
ここからすごい話になる。
今日一番のニュース。
違うニュースで一番という方がいらっしゃるかも知れないが。
1900万年前、日本は大陸の東端にあった海岸だった。
ユーラシア大陸の隅っこにあって、朝鮮半島もロシアも中国もべったりくっついていた。
明らかな事実。
100万年前まで遡ると、山崎博士、あるいは久保博士によると日本はユーラシア大陸の端にあった。
生き物で言えばヒラメのエンガワ。
そういうのがペロンとくっついていて、そのペロンが日本だった。

アルフレート・ウェゲナー(1880〜1930)が大陸移動説を提唱したのは1912年のことで(『フォッサマグナ』69頁)

1900万年前、日本は大陸の東端にあった海岸であった。
それが千切れて1500万年前に今の位置まで泳いできた。
当然のように大陸から千切れてやって来るには原動力がいるが。
ここからが「ジオ」。
これは例えて言うと「神様」と呼ぼう。
「ジオ」という名前の「ジオ神」というのがこの地表の下に住んでいると思ってください。
地球の一番深い所に「マントル」という神がいる。
マントルは対流する。
炎の海が真ん中にあるが、それが燃えながらゆっくり動いている。
横にも動くし、縦にも動く。
この真っ赤に焼けたマントル。
これが冷えると潜る。
熱くなると浮かび上がってくるという、「対流」という運動を繰り返している。
このマントル対流は浮かんできたマントルが地下670kmの浅いところで地面の底を焼く。
地面の底を火が焼いている。

丸い形の餅を焼くところを思い出すと、イメージしやすいと思います。餅は真ん中がふくらんで、そのあとひび割れができてきます。大地が裂けるときも、このようなひび割れが等間隔に3本できるというのが、オラーコジンという考え方です(『フォッサマグナ』174頁)

オラーコジンでは3本のリフトは「T字形」に「進化」していくそうです。2本は一直線につながり、もう1本が直交する形です。私は日本海の拡大に寄与したのはつながった2本のリフトで、もう1本のリフトが南へと延びていき、日本列島の真ん中を貫いて北部フォッサマグナをつくったのではないかと考えています。−中略−
 日本海の拡大とともに、東北日本側のリフトは反時計回りに回転し、西南日本側のリフトは逆に時計回りに回転しました。
(『フォッサマグナ』180頁)

(ここで番組では時計回りを逆に説明しているが、後で訂正される)
フォッサマグナというジオ、地形に関しては世界でただ一つ。
今、「マントルの火が焼いた」と言った。
マントルの火の炎のことを武田先生は「火の鳥」と例える。
その日の鳥が溶接機の炎のように切った。
それで千切れてピタッとくっついた。

日本列島の島弧の方向が、フォッサマグナのところで逆「く」の字に曲がっているのは、これで説明できると考えます。(『フォッサマグナ』180頁)

 西南日本の沖合にあるフィリピン海プレートの海底岩盤は、伊豆・小笠原弧を載せたまま北上して、南海トラフや相模トラフで本州の下に沈み込んでいます。1年間におよそ4cmの速度で北上し、ついに本州に激突しました。伊豆・小笠原弧の「北上」は、その後も続きます。プレートに押され、本州の下に沈み込んでいったのです。しかし、伊豆・小笠原弧の地殻は20km以上の厚みがあったので、上層部は沈み込めずにはぎとられて、本州に押し付けられるように付け加わります。これを「付加体」といいます。こうして伊豆半島ができました。(『フォッサマグナ』82頁)

地球の真ん中にマントルという炎がある。
そのマントルは時々ブァーッと炎をあげて、地表に向かって火の鳥を飛ばす。
火の鳥は地面の底を焼き、エネルギーが無くなって冷えたら潜っていく。
炎は冷えたら潜っていく。
炎は熱くなったら上がってくる。
このことを覚えると日本はプルームという火の鳥が作った諸島。
島の連続衝突によってできた非常に珍しい、世界にただ一つの地勢、地形。

posted by ひと at 20:15| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする