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2020年01月11日

2019年6月3〜14日◆街場の天皇論(後編)

これの続きです。

天皇論を語っている。
日本国の天皇という存在が非常に世界の歴史の中でも独特の形態。
しかも日本国の天皇は神話の彼方からやってきたという、もの凄い長い歴史を持っている天皇家、ファミリー。
その天皇だが、戦中戦前の陸海軍のてっぺんに立っているという権力者であった。
そして敗戦。
天皇は自ら人間宣言をした。
それで戦後の民主主義はスタートした。
この本の著者である内田樹氏。
日本国憲法を認めたのは裕仁天皇である。
この人から民主主義が始まったんだ。
その順逆を忘れてはいけない。
日本国民がいて、天皇を象徴にしたのではない、と。
天皇自らが象徴になるということを認め、日本国民を作り上げたのだ。

天皇はいたわり、慰めの声はかけられるが、国民から声をかけられても返事をしてはいけないという立場が憲法7条である。
ある意味で天皇にとって、この日本国憲法は民主的ではない。
彼には発言を認めないという。
それが平和憲法なのだ、ということ。
とてもショックなのは、内田さんがおっしゃっている。
昭和の軍人さんたちが日本の中枢、政権を乗っ取るために天皇を利用したという。

自分たちの行動を批判した昭和天皇に対する怒りと憎しみを隠しませんでした。磯部は「天皇陛下 何と云ふ御失政でありますか 何と云ふザマです、皇祖皇宗に御あやまりなされませ」という「叱責」の言さえ書き残しています。(42頁)

天皇は権力者にとっての「玉」に過ぎない、統治のために利用する「神輿」でいいと、そう思っている。−中略−彼等はただ国民の感情的なエネルギーを動員するための政治的「ツール」として天皇制をどう利用するかしか考えていない。(24頁)

これはドキッとするが、内田さんはこうおっしゃっている。
昭和の陸海軍のエリートコースの軍人たちは明治維新の時の薩長をまねて昭和維新を名乗った。
この昭和維新というのは300万人以上の死者を出し、帝国陸海軍はセンシン(と言ったように聞こえたが、何を言っているかは不明)の大敗北。
みっともないぐらいの敗北を喫し、原爆を二つも落とされ東京裁判にかけられて。
A級戦犯の者は28人死罪になっている。
東条英機、板垣征四郎。それから陸軍指導者であった石原莞爾。
この人たちは軍人たちの軍閥内の権力抗争が明治からの国家を灰にした、と内田氏はおっしゃっている。

戦後、昭和天皇は心のうちを語る方ではない。
問いかけても「ああ、そう。ああ、そう」と返事をなさったという方で。
象徴の務めを模索なさった方。
昭和天皇は巡幸を繰り返し、各地で働く人々を励まし続けられた。
それが彼なりの戦争の責任の取り方だったのだろう。
そして懸命に戦争で死んだ方の鎮魂をなさっておったのであろうと。
園遊会に功労者やスポーツ功績者、芸能人が招かれるよう、これは裕仁天皇自らがお声をおかけになったという。
そういうことで武田先生たち芸人も園遊会に招かれるということが多くなった。
多くの人たちが余りにも天皇が側に来られるので、国民主権という考え方を取り間違え、誤解し、まるで我々が天皇を人間の位置に戻してあげたというような、主権の座の取り間違いが生じている。
それが数々の天皇に対する粗相になっているのではないだろうか、と内田氏がおっしゃっている。
だから決して非難しているワケではない。
上皇が側におられるのに手紙を渡そうとした国会議員の方がいらっしゃった。
もらった勲章をコンサートでお客さんに見せたという方もいらっしゃった。
それから上皇に向かって「今度はぜひあの国に行ってください」と注文を付けた方もいらっしゃった。
またこれはもう報道で流れたので名前を出すが、安倍総理。

 2013年に開催された政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」で、天皇と皇后が退席されようとした際に、安倍首相をはじめとする国会議員たちが突然、予定になかった「天皇陛下万歳!」を三唱し(41頁)

これはやってはいけない。
粗相。
なぜならば天皇はそのことに反応してはいけないということが決まっている。
私達が平気で憲法を破り、天皇のみが懸命に7条の中に座っておられる、という。
その粗相は勘違いから出たこと。
誰でもがあることだと思う。
私達も昭和天皇に対しては気やすく「天ちゃん」と呼んだり、そんなことだった。
でも戦後は昭和天皇の「憲法を受け入れる」という受諾から戦後日本がスタートした、と。
そのことを絶対に私達は忘れてはならない、という。
これは内田先生の熱き思い。

武田先生は昭和という時代に生まれた。
昭和34年のこと。
武田先生は小学校4年生、10歳だった。
1959年、博多の町はずれの貧しい家。
タバコ屋だった武田先生の家。
なんでこんなにクッキリ思い出せるのか?
鉄工所から帰ってきた父親が丸いちゃぶ台を前にして座り込み、焼酎を飲みながらとんでもないことを口走った。
「テレビば買うぞ」
父親がとんでもない高い商品を買うと言い出した。
テレビなんていうのは遠い夢のこと。
「母がまた、吠えるように泣きながら反対するなぁ」と武田先生も覚悟した。
内職の針縫い仕事をやっていた母は、一瞬針は止めたものの、そのまま黙々と針を動かしていた。
テレビは我が家にとって縁のない「未来」。
それがやってくるという。
おそらくもの凄い負担だっただろうと思う。
6万円ぐらいだった。
父の給料が(当時)1万円。
どんでもなく遠かった。
テレビを買うということは負担を背負うこと。
旋盤工であった父はどうしてもテレビを買う、と。
なぜか?
それは皇太子殿下と美智子様がご結婚なさる。
その中継をテレビで見るんだ、と。
それぐらい皇太子様と美智子様のご成婚というのは、本当に大きな出来事だった。
武田先生は本当に忘れない。
父はご成婚パレードをテレビで見ることを夢見ている。
我が家についにテレビがやってきた。
テレビを点けると白黒の画面に「カラー」と書いてあるのだが。
白黒テレビが4〜5万(円)で買えたのだが、カラーテレビはその当時「×10」だった。
50万円ぐらい。
だから白黒で武田先生は幸せだった。
やっぱり父親は自慢だったのだろう。
テレビが来てからはまっすぐ工場から帰ってくるようになった。
テレビを点けるとご成婚のニュースが次々と流れる。
その白黒の画面の中に「正田家をお出になる美智子様」というカットがあった。
ご家族、品のいい方がズラーッと石塀のところに並ばれて、美智子様が肩をショールか何かで覆われて出てこられるのだが、武田先生はまだ忘れない。
「世の中にこんな綺麗な人が遠い街にいるのか!」
あの美しさは忘れない。
その時に小学校4年生の武田先生に焼酎を飲みながら父親がつぶやいた言葉。
「鉄矢、見て見ろ美智子様をば!こん人は日本で一番偉か人ぞ。豊臣秀吉がなんか?あ〜天下取ったところで所詮、太閤たい。一般庶民から出て美智子様は今度、皇后になられるとぞ」
父は天皇を神と信じていた。
そのことは決して口外しなかったが、彼は軍人勅諭と歴代天皇を諳んじている、全て言えるということが得意の人だった。
帝国陸軍で二等兵で終わった父だが。
天皇について初めて発言したのは皇太子殿下御成婚の夜だった。
武田先生は10歳だったが日本は学校で「間違った戦争をし、日本はアメリカに負けてやっと正気に戻りました」と、そう教えられた。
だから父の天皇についての発言は全て間違いであると武田先生は思っていた。
しかし美智子様のおかげでテレビが我が家にやってきたという、この事実だけは頭にクッキリと。
今でも覚えているが父親が美智子様の映像を見ながら涙を拭いていた。
それで涙を拳で拭いた父親が「日本はようなるぞ」と。
あの戦争に負けて死ななかったその父親から、あんなに明るい言葉がこぼれていたのを初めて目撃した。
それはもう本当に奇跡のような昭和の一日。
日本が戦に破れて14年。
その戦争の一兵士であった父がこの惨敗の国の中に14年生きて、初めて希望を感じたのは美智子様だった。
それで武田先生の家は(テレビの代金)6万円の借金を背負った。
これは返すのに2〜3年かかる。
ところがたちまち返した。
1年ぐらい経つと父の給料が上がり始めた。
経済が成長した。
その時にダミ声の宰相が叫んだ。
「所得倍増!」
倍増まではいかなかったが。
日本はゆっくり豊かになっていく手応えが、あのご成婚から始まったのだ。
それが武田先生が天皇に触れた初めての出来事。

皇太子殿下と美智子様のご成婚の模様。
武田先生は10歳だったが忘れない。
武田先生の誕生日が4月11日でご成婚が4月10日。
コマツ先生のクラスだった。
式の模様を見たらホームルーム、学級会は「印象を語れ」という。
コマツ先生が「昨日はご成婚ば見て、どげなふうに思うたか、一人ずつ語ってください」。
頭が悪い鉄矢君は真っ先に手を上げて「仲がよかったと思います」なんか言いながら。
やっぱりあのあたり。
昭和34年4月10日。
あのあたりから本当に日本は明るくなっていく。
それに東京には東京タワーが出来たと言う。
それで次の年ぐらいか。
テレビを見ると面白いおじさんたちが出てくる。
「ちょっこらちょいと、ぱーにはなりゃしねーえ」(調べてみたが何の歌かわからなかった。「スーダラ節」の一部っぽいがそういう歌詞はなかった)というのがあって。
「ほーら、スイスイスーダララッタスラスラスイスイスイー」というのがあって。



笑った笑った。
同じテレビを見ていたらニキビだらけのお兄ちゃんが「上を向〜いて」。



昭和。
好きな女の子が初めてできた。
オグラスミエさんという方だった。
その人の顔を思い浮かべながら小学校6年生。
顔の大きな小学生だった武田鉄矢、菜の花畑を歩いていた。

著者である内田氏も武田先生とだいたい同じ。
武田先生は10歳だが内田先生は9歳。
そしてこの内田先生が天皇制理解に関しては「かなりこの人は劣っている」と叱ってらっしゃる安倍晋三。
昭和34年は5歳。
粗相を週刊誌に叩かれた例のミュージシャンはまだ3歳だから、その年齢差ではどうしても・・・
武田先生はテレビの一件があるものだから、上皇后を見る度に、その日にフィードバック(「フラッシュバック」と言いたかったのかとも思うが、フラッシュバックでも意味は合わないが)するものだから。

自分の人生の中でまたすごいこともあった。
武田先生は何十年も麺類のコマーシャルをやっている。
そこの社長さんがお得意さんを集めてゴルフのコンペをやり、参加した。
それで「鉄ちゃん、この人と回って」と会長に頼まれたものだから「はいはい」とかと言って。
長身の方で、すごく品のいい方で、武田先生の前に来て「粉屋でございます」とかと言って頭を下げられる。
「あ〜そうですか」
「はい、原料買っていただいておりますんで、感謝しておりますよ。東洋水産さんには」と言う。
どこかで見たことがある。
3ホールぐらい回って気づいた。
あの玄関に立ってらした詰襟の青年。
正田家のご長男さんだった。
(長男は正田巌氏なのだが、日清製粉を次いでおられるのは次男の正田英三郎氏。巌氏も何か会社に関わっていて、武田先生とお会いになったのが巌氏という可能性も無くはないけど、多分次男の英三郎氏。)
ズキッときた。
この後、武田先生は美智子様ともお会いできるという。
本当にカーッとなるというか。
嬉しかった。

我々は子供の頃から「日本の未来、憧れはアメリカである」と、そういうふうに教えられた。
戦後日本はアメリカというバーをいかに飛び越えるか、くぐるか。
はたまた、そっと目を逸らすか。
内田氏はこの中で凄まじいことを言い始める。
これは驚く。
内田先生は日本人の魂の一番奥底に尊王攘夷があるんじゃないか?とおっしゃる。
天皇制とはアメリカなどというバーとは比較にならないほどの力がある、という。
その力こそ内田氏は「天皇が持つ霊性」スピリチュアルとおっしゃっている。
と、言われても「霊性」というような力があるだろうか?と思いつつ、胸に手を当てて思い返すと、実はしっかり目撃している。
その時にそう感じているのだが、言葉で表す能力がないから、見て「あ〜」とかという感じで終わっている。

2011年3月11日。
あの東日本大震災の時、菅直人という総理がいた。
その時に日本国民の中で誰もが腹の中で思ったこと。
「役に立たねー!」
もう本当に菅さんに申し訳ないが、そう思ってしまった。
イライラ八つ当たりなさったり、東京電力の職員たちを並べておいて「何やってる!早く消せ!」という態度。
あの時の日本の不安と不満というのはもの凄かった。
誰の胸の中にもきっとあったと思う。

「この国はこのまま滅びるんじゃないか?」
現実に滅びる一歩手前だったのかも知れない。
あの時に我々は何を希望としたか。
これは内田氏の指摘だが、指摘されて武田先生も思い当たる。
あの時、間違いなく日本を支えたのは天皇であった。

上皇と上皇后様が被災地に行かれて被災者を励まされているという、その風景に接した時に、上皇上皇后に続いて自分たちも慰めねば、励まさねばと、そう思った。
上皇、そして上皇后がともに体育館に訪れて励まされた。
あの図が実は天皇の霊性を私達に見せた、ということ。
どこの被災地の体育館かわからないが、お二人が体育館の入り口にいらっしゃった時のそのシーンを今でも覚えている水谷譲。
「良かった」とテレビを見ながら思った。
上皇后が被災に遭われた娘さんに声をかけられて「大変だったですね」とおっしゃる。
心理学者の話から聞いたら、天皇皇后両陛下がいらっしゃって、その方が「大変だったですね」と言うと「泣いていいんだ」と思う。
市長さんとか町長さんはスリッパを履いているのに、上皇上皇后両陛下は履いていらっしゃらない。
そのことに後で気づく。
上皇上皇后両陛下が「大変でしたね」。
それは全然響きが違う。
「泣いていいんだ」という。
泣くところから復興が始められる。
天皇皇后両陛下がもしいらしていなかったらずっと我慢して内にこもってしまう。
ワーン!と泣けるところが、という。
それはやっぱりこの内田先生が言うところの「スピリチュアル」なのではないか。
「天皇には霊的なパワーがある」と、そんなふうに解釈した方がいいのではないか?
泣くことで「浄化」される。
神聖な気持ちになれる。
心理学の人が言っていたが「泣く」ということが悲しみの中でものすごく大事。
その涙を存分に流させてくれる「装置」いわゆる「スピリチュアルな仕掛け」として天皇皇后両陛下というのは「最高のペアなんだ」と言う。

そして武田先生は別個の意味でまたすごく思ったのだが、三陸の海に向かってお二人が深々・・・
もちろんそれは彼らの眼前には津波にあって被災した打ち砕かれた街がある。
でも、上皇上皇后両陛下が頭をお下げになった時に、その街の向こう側に向かって頭を下げているような。
「海の神様に祈願しているんじゃないか?」という。
「この方々は大事な民である。我が名にかけて彼らにこれ以上の責め苦は与えないでください。海よ静まれ。大地よ静まれ」
陸と海に向かって何かを願う、という。
そういう力を持った人は天皇家しかない。
それを内田氏は「スピリチュアル」という「霊性」と考えていいのではないだろうか?という。
それはもうまさしく「神話」。
ヤマトタケルにも出てくる。
海が荒れる時にヤマトタケルの奥さん(弟橘媛)自らが海に飛び込むと、海神(ワダツミ)が収める。
天皇家には歴代『古事記』『日本書紀』に伝わるがごとく、その手の霊性が宿っている。
だから上皇上皇后というのは象徴というポジションをそこまでお考えになっていたのではないだろうか?

更に彼らの慰霊の旅は続いて、あのご高齢で本当に「もうよろしいのに」と言いたくなるのだが、サイパンにも行かれ、パラオにも行かれ。
パラオでも高崎の兵隊さんだったと思うが「オレンジコースト」という海岸があって。
つまり日本兵の血がそこで染まっていたというから、その名前が付いている。
その海岸に向かって上皇上皇后が深々と頭をおさげになる。
生き残った兵隊さんが見て、泣きながら「死んだ戦友が喜んでおります」と。
死者を喜ばせる霊力を持った人は彼らしかいない。

──戦後70年の戦没者慰霊のため、天皇、皇后両陛下が2015年4月上旬、旧日本兵1万人が全滅した激戦地、パラオのペリリュー島を訪れて献花した、という報道がありました。(76頁)

「きっと喜んでいると思います」
平成を惜しもう。
よくやってくださった。
最後の最後まで本当にありがたい。
天皇というのはそのようにして「霊性」というのを持っている「スピリチュアル」というものを持っているという存在で考えていったらいかがかなぁとも思う。
そういう提案。

『街場の天皇論』
内田樹氏がお書きになった。
これはなかなか考えさせられる。
1ページ目から読むのはしんどかったので240ページほどの本なのだが、逆に逆さに読んでいくと非常にわかりやすかった。
日本の歴史全体に関して、まだ他に書いてある。
「天皇家をどう理解するか」というようなことが。
だが、バッサリとそのへんを落として。
元号も変わったところで。
平成を運んでくださった上皇上皇后に対する敬意をこめて、本とはちょっと飛躍しつつお届けしている。
ただ、内田氏が言う「天皇というものに対しては霊性があるんだ」と。
そういうことを平成の世に我々はたくさん見た。
パラオでフィリピンでグアムでサイパンで。
そして沖縄で。
このお二人は本当に沖縄を大事になさっている。
初めて訪れた時、洞窟の中に隠れ潜んでいた過激派の学生から火炎瓶を投げ付けられたというお二人。
浮足立つことなくキチンと行事を。
そして沖縄に対する格別の思いというのは歌にまで詠まれたという。
昭和天皇が出来なかったことを上皇は「やらねば」と。

とにかく天皇というものが世界のどの国にもない。
日本的霊性の中心にお立ちになっておられる。

陛下は「象徴天皇には果たすべき具体的な行為があり、それは死者と苦しむものの傍らに寄り添う鎮魂と慰藉の旅のことである」という「儀式」の新たな解釈を採られた。(16頁)

上皇はこの象徴である天皇というのは一体どうすればいいのかというのを本当に命を削るようにして考えておられた。

「おことば」にある「即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました」というのは、陛下の偽らざる実感だと思います。(19頁)

これは官僚の文章では書ける言葉ではない。
上皇はどれほど思いつめて天皇制についてお考えになられたのか、自ら告白なさったという。
そんな一語に感じられて仕方がない。
戦後70年、古代の制度を抱え込んだ、ある意味では非常に矛盾している「國體(こくたい)」国の形。
しかし天皇制と立憲君主制。
この矛盾している、それを巧みに両立している国など世界にはない。
これは内田氏の言。
その内田氏が断言なさることは、天皇皇后の努力によって「國體」国のイメージはかなっているんだ、と。

80歳を超えられて大変だろうと思う。
上皇と上皇后が平成の最後の方で噴火か何かで非常に苦しんだ鹿児島県の小さい島に行かれた。
これは島民が数百人。
それでも行かれた。
「漏らすことのないように」ということなのだろう。
そのわずかな数百人の島民のために遥々と上皇上皇后は足を運ばれた。
喜んだ島民が夕刻、お泊りのホテルの前で提灯行列でお二人を歓迎した。
上皇と上皇后が受けるのではない。
お二人も提灯を持って振られた。
つまり「見事だなぁ」と思うのは、自分の思うところ、行動できるところは全部行動して。
つまり「提灯行列を見下ろす天皇皇后であってはならない」と。
「提灯行列をしてくれる民がおるならば、共に提灯を持ってそこに立とうではないか」という。
これは上皇、上皇后がお決めになったことで。
我々はその好意に甘えてはいけない、と武田先生自身もそう。
天皇制というものに関して考えが浅く。

令和の時代になった。
天皇皇后両陛下はまたいろんな所を旅なさると思うが。
スマートフォンで写真を撮ってもいい。
写真を撮ってもいいし、手を振られてもいいし。
「徳仁様〜」とか「雅子様〜」とかと呼びかけるのもOK。
だけどみなさん、スマートフォンで写真を撮る時、一礼だけはしませんか?
一回だけ会釈で頭を下げませんか?
天皇が持っている霊性というものに、私達も自らも霊性を感度高く受けるために。
どこかお二人を名前で呼ぶ、それか写真を撮るというその一つ前に、日本人らしい行動を、決して忘れぬ日本国民でありたいとは思いませんか?
そういうことを思う武田先生。

一番最初に話が戻るが、三島が言っていた「舐めてはいけない」「天皇というのは霊性を持っているんだ」。
もちろん天皇自らがそのことを自分で振りかざすことはないのだが。
しかし、日本国民の本性の中に天皇の霊性に対する敬意みたいなもの、このことをきちんと持っていることが、日本国民たる証拠ではないだろうか?

posted by ひと at 10:55| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年6月3〜14日◆街場の天皇論(前編)

(今回も本の内容とかみ合わない感じの部分もある)

武田先生が尊敬している思想家で合気道家の内田樹先生の本。

街場の天皇論



これは「街場」シリーズ。

増補版 街場の中国論



街場の教育論



その中でこの内田先生がフランス哲学構造主義の頭で「天皇」というものを考えてみよう、という。
これはだいぶ前に用意していたが、ずっと寝かしていた。
一つは平成の世の中において、上皇様自らが「退位をしたい」ということをおっしゃって「時代」が変わった。
もう今日(番組収録時点)で一か月だが。
そういう出来事が起こったものだから、これは「ちょっと事が落ち着いてから取り上げた方がいいのかなぁ?」と思って寝かしていた。

天皇を語るというのは大変。
緊張する。
「天皇」という一語に触ると、もの凄くたくさんの言葉を用意しないと、語ることなどできない、という。
これは内田先生もそう覚悟してらっしゃるのだろう。
ただし、内田氏は武道で鍛えた思索家、思想家だけあって実に腰の据わった天皇論が語られている。
これで天皇というものを考えていただくと、令和の世の中にも役に立つのではなかろうかと思う。
本自体は240ページほどの本で、内田師範が「象徴天皇とは一体何なのか?」という。
自ら語り出す。
内田先生も言葉を尽くして語ってらっしゃるのだが、この方も思想家なので敵対する思想を持つ人に関しては実に過激な発言が。
それをラジオ(この番組)で喋ろうか喋るまいか。
「喋らないと(内田)先生に怒られちゃうんじゃないか?」とかといろいろ思っていた。
そういう思いで途中でくたびれてしまった。
天皇の持っている「影の力」と言うか。
例えば職能芸人とかと深く結ばれておられる。
流浪の芸人さんたちの集団が室町期にものすごく強く結ばれていたとか。
天皇とある村の人々が強く結ばれているとか。
古代がかったものがどんどん出てくる。
八瀬童子(番組では「はせのどうじ」と言っているが「やせどうじ」「はせどうじ」などと読むようだ)。
(天皇が)お亡くなりになられた時に籠を担ぐということで、そのことを職能とする、自分たちの特権となさって天皇家に仕える人たちがいる。
みんなそれは天皇家に仕える人の職能、仕事。
みんな技を持ってかつて天皇家に仕えた、という。

三島由紀夫の死はショックだった。
武田先生が二十歳の頃。
異様な事件。
ノーベル文学賞を貰うかも知れないという人が、自衛隊の基地に突入していって「一緒に革命を起そう」と言って割腹自殺。

三島由紀夫が佐世保闘争の1年後に、全共闘の学生たちに向かって、「天皇という言葉を一言彼等が言えば、私は喜んで一緒にとじこもったであろうし、喜んで一緒にやったと思う」と言ったのは決して唐突なことではなかったのである。(238頁)

そこまで発言した三島由紀夫の言葉に、内田師範も囚われながら天皇というものを考えてらっしゃる。
『街場の天皇論』というのはもちろんみなさんにぜひ読んでいただきたいのだが、なかなか説明しにくい。
そこで武田先生は逆さまから読んだ。
頭から読んでいくと政治論が出てくるので。
武田先生は弱いので、反対に「あとがき」(「あとがきにかえて」ということで書かれている「『日本的情況を見くびらない』ということ」)から読んだ。
なんとなくケツから読むと武田先生でもわかりやすかった。
その「あとがき」で内田師範はこんな言葉をつぶやいてらっしゃる。
武田鉄矢がズキリとした一語。
「日本的情況を見くびらない方がいい」
「日本的情況」とは何か?
天皇。
「『天皇』というものをあんまり軽く考えないほうがいいよ。実は『天皇』という二文字の中に重大なものが込められているんだ」という。
その一言を謎の一言にしてずっと逆から読みあがっていった。
その「日本的情況」というのを考えてみたい。

自分の胸に手を当てて考えてみると、武田先生たち戦後世代、日本が戦争に負けて育った団塊の世代というものは、天皇という「日本的情況」をはっきり言ってかなり見くびっている。
武田先生もそれを認める。
内田さんが実に鋭いところを突いてきている。
こんなことがあった。
天皇皇后両陛下のお側近くにいるという立場を利用して。
宴で春秋おやりになる(園遊会)。
あれの時に手紙を渡そうとした人がいた。
山本太郎氏、天皇陛下に直訴 園遊会で手紙を手渡し 請願法違反の可能性も | ハフポスト
それから天皇と会話をする時に天皇の好みを訊いたり。
「お好きですか?」とか訊いて。
それから「ぜひよければ中国に行ってあげてください」とか注文をつけている。
それからご褒美で勲章をいただいたのだが、それをコンサートで歌っている最中、お客さんに見せびらかすという。
サザン桑田が「紫綬褒章」パフォーマンスを謝罪 |東スポWeb
そういうこともあった。
はっきり言って武田先生たちの世代、団塊の世代のこの前後は天皇を近しく感じることが民主主義だと思っている。
人として天皇と会話ができると思っている。

これで思い出したこと。
武田先生には三人の姉がいて、一番下の姉というのは卓球が上手だった。
ダブルスの国体で優勝するほどの腕前だった。
彼女は国体に出る度に貴賓席に座っておられる天皇皇后両陛下に対して、家に帰ってくると「ああ、今回も『天ちゃん』ば見てきた〜」。
そんなことを言っている。

 私が記憶する限り、戦後間もない時期が最も天皇制に対する関心は低かったと思います。−中略−冷笑的に「天ちゃん」と呼ぶ人もいた。−中略−東京育ちの私の周囲には、天皇に対する素朴な崇敬の念を口にする人はほとんどいませんでした。(26頁)

それはいい。
「そういう呼び方は失礼じゃないか」と言わないから。
こういう天皇皇后両陛下の立場にある方に対する出会い。
例えばどこかの駅でお降りになると大声で名前を呼んだり叫んだりという。
そういうことに対して内田氏が「しまった!」という思いを込めておられる。
自分たちが大学生の頃「君たちが一言、天皇のためにと言えば、私達は君たちと共闘しよう」と言った三島の言葉に対して。
三島はわかっていた。
俺たちはわからなかった。
理解していなかった。
その三島の残した謎の言葉から天皇制というものが日本人にとって「感性」。
そして天皇というのは「霊性」も持っているんだ。
「霊性」というのはスピリチュアルということ。
つまり天皇というのは日本人の霊性を宿しているんだ。
内田氏は用心深い方なので本を読むときちんと自分のことをおっしゃる。

これらを一読して私を「還暦を過ぎたあたりで急に復古的になる、よくあるタイプの伝統主義者」だと見なして、本を投げ捨てる人もいるかも知れない。たぶん、いると思う。こういう本を編めば、そういうリスクを伴うことはよく承知している。(244頁)

なぜならこの天皇制という民族的資料はその参考になるものがどこにもない。
内田氏が何をおっしゃっているかと言うと、天皇という存在を持っている国が世界にない。
日本だけ。
だから日本人は宿命として考えざるを得ない。
先例がない。
いや、イギリスにあるじゃないか?
皆さん、歴史が違いすぎます。
イギリスは確か、フランスから渡ってきた一族のうちだった王国がイギリスという国になる。
日本の天皇というロイヤルファミリーは神話からやってきた。
神話と言えばギリシャにゼウスの末裔の方がいるというような。
ギリシャは、ゼウスの末裔の方とかいらっしゃらない。
だから(日本の皇室は)神話の彼方からやってきたファミリー。
いつも「イギリスのロイヤルファミリーみたいに日本ももっと親しくなればいいのにな〜」と思っていた水谷譲。
それは無理。
その分のことを自覚しておられるのは天皇家の皆様だけ。
日本の天皇は違う。
彼ら一族は神話の闇の彼方からやってきた。
その淵源、源を知ることはできない。
その126代目の天皇は今、東京都に住んでおられる。
その不思議さの中に天皇制の深さがある。

日本の天皇はイギリスともタイともオランダとも違う。
何が違うか?
彼らは歴史的事実の中からロイヤルファミリーを立ちおこしてきた。
日本は違うんだ。
神話から来ているんだ、と。
そう言われてみると日本の天皇というのは神話の闇の彼方からやってきた。
神武から始まったワケだから。
ウガヤフキアエズ(鸕鶿草葺不合尊)とか、海彦山彦。
何か「民話」。
「日本昔ばなし」の中からやってきた人が今、末裔として東京都に住んでおられる。

この方は姓をお持ちにならない。
姓は日本では古舘(伊知郎)さんも番組をやってらっしゃるが。
ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ! - NHK
この間、エレベーターの中で会ったが。
姓を辿っていけば、どこの地方に生まれ、どんな仕事をやっていたかというのが姓でわかるようになっている。
そんなふうにして系譜を辿れるが、天皇は違う。
天皇はただ一人の人だから「名」しか持たない、という。
そういう存在。
例えば中国では世の移り変わりを姓で呼ぶ。
あれは「姓」。
「殷」「周」「秦」「漢」「元」「明」「清」
その国名、時代名はその時代を呼び寄せた人の姓。
支配者が変わると時代の姓が変わる、名が変わる。
その移り変わりのことを「易姓革命」と言う。
それが中国。
今は中国は中華人民共和国だが、中国の歴史に沿って語ると、今は「習」の時代。
「殷」「周」「漢」「元」「明」「秦」・・・いろいろあって「習」という時代。
習金平という人が今、中国という家に住んでいる。
この人の力がなくなって倒れれば別の人の姓になるという。
日本は違う。
日本は平成から令和の世に変わっても天皇の座は渡っていく。
こんな国は世界のどこを探しても無い。
私達にとっては参考にする国がない以上、日本的情況というのを宿命として考えなければならない。
日本人は絶えず天皇と自分というものを考えるというポジションにあるんだ、と。
アメリカには民主主義がある。
フランスには共和制。
中国は共産主義。
ロシアは連邦大統領独裁制。
イギリスは立憲君主制。
日本はそのどれも採用しなかった。
むろん「立憲」。
しかしその立憲民主を担保しているのは「天皇」。
これは内田氏が鋭いところを突いてきている。
日本国憲法。
安倍さんが変えたくて今、うずうずしてらっしゃるが、これは戦勝国アメリカの指導の下「日本国民がこの憲法を作った」ということでスタートしたのだが。
何をおっしゃる。

 憲法前文が起草された時点で、憲法の制定主体となりうるような「日本国民」は存在しなかった。いなくて当然である。憲法施行の前日まで全日本人は「大日本帝国臣民」だったからである。憲法を確定するほどの政治的実力を有した「日本国民」なるものは、権利上も事実上も、憲法施行時点では日本のどこにも存在しなかった。(113頁)

マッカーサーと戦後日本を民主国家へ歩ませるという方角に一番最初に一歩目を踏み出した人がいる。
その方は誰か?
昭和天皇。
昭和天皇が「この憲法を守る」と誓ったところから日本国憲法が発動した。
多分聞いてらっしゃらないと思うが一応呼びかけだけ。
「ね?そうですよね麻生さん」
麻生太郎という方がいらしゃるが、お祖父さまがその前後を担当した吉田茂という方。
この方は書面で己のポジションを記す時、「臣 吉田茂」と書いた。
「天皇の家来の吉田茂」と書いた。
当時の決まりではなく彼自らが自発的に。
つまり戦後民主主義をスタートさせたといわれている吉田茂という宰相は、「天皇の従者である」ということを生涯の名乗りとした。
つまり天皇の臣が戦後憲法を作ることに参加し、その天皇がこの憲法を私が守ると誓ったところから平和憲法は成立した。
我ら戦後世代は我らが憲法を考え、我らが占領軍と交渉し、この憲法を作ったと教えられ続けた。
しかし違う。
この憲法を認めて了承した第一人者は実は昭和天皇だった。
そう考えてみると天皇の存在は実に重大。

進駐軍が戦後やってきて敗戦国日本。
その日本に対して平和憲法にした。
その平和憲法は「国民がこの憲法を作ったんだ」ということを宣言したが、「天皇がその憲法を認めた」ということによって日本国民になれた。
理屈っぽいかも知れないが、この理屈は大事。
戦後日本の戦闘に立ち、歩き始めたのは他ならぬ124代裕仁天皇であった、と内田氏はこう指摘する。
戦後の平和憲法の日本というのは、まず天皇によってはじめられた。
この事実から日本人は逃げてはいけない。

では天皇制とは一体何か?
わかりやすく内田氏は「天皇制とは古代です」と言っている。
古代。
全部公表されていないが、月のうち半分ぐらいはお祈りをされている。
天皇家独自の真っ暗い闇の中で祈りごとをしたり、田植が始まる時は農耕を始めるので、天皇自らが田んぼに籾殻を蒔いたり。
刈り入れをやってちゃんと先祖伝来、自分の先祖に向かってお米をあげたりという、そういうことをなさっている。
だから忙しい。
そういう「宗教行事としての天皇」というのをやってらっしゃる。
それは古代から儀式。
古代である天皇制と欧州型の立憲民主制が、とりあえず齟齬なく、何とか噛みあって、古代と近代、その混ぜたもので国を成立させている国。
そういう国は世界のどこにも無い。
日本だけ。
その矛盾みたいなものを我々はよく自分たちて噛みしめていないので、天皇というと向こうが親しくしてこられるので、こっちも親しくしていいと思っている。
もちろん親しくしていいでしょう。
しかしその親しさの中にプライベートで手紙をこっそり宴の途中で渡そうとしたり、いただいた勲章を人の前で見せびらかしたり。
後に問題になったことだが、天皇から声をかけられた瞬間に「○○の国、私大好きなんですが、ぜひ行ってくださいよ」なんて注文をつけた。
また問題にこれもなった。

 2013年に開催された政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」で、天皇と皇后が退席されようとした際に、安倍首相をはじめとする国会議員たちが突然、予定になかった「天皇陛下万歳!」を三唱し(41頁)

それは余計なこと。
粗相。
そういう「個人的な讃辞を送ります」ということは言ってはいけない。
なぜならば天皇はそれに答えてはならないと憲法に書いてある。
天皇には聞いてはいけない。
向こうが聞くから答える。
憲法にそう書いてある。
そのことを昭和天皇が守るとおっしゃったから戦後民主主義はスタートした。
最初の言葉に戻るが「日本的情況を舐めてはいけない」と。
平和憲法成立時の天皇の働きがあったればこそ、日本国民は誕生した。
勝者としてやってきたマッカーサーの横に立ち、人間宣言をしてくれた。
そして内田氏は言う。
人間宣言をした天皇として歩み始めたのだが、天皇がやれることは「鎮魂」と「慰藉」。
亡くなった方の魂を鎮めることと、傷ついてらっしゃる方を慰め、いたわること。

 憲法第7条には、天皇の国事行為として、法律などの公布、国会の召集、大臣や大使などの認証、外国大使や公使の接受などが列挙されており、最後に「儀式を行ふこと」とあります。(15頁)

憲法7条を守ることで「象徴」というポジションに天皇自らが就かれた。
だから日本憲法は成立した。
内田氏は言う。
慰めといたわりの声をかけられるが、国民から声をかけられても返事してはいけないというのが日本憲法の第7条。

『昭和天皇物語』という劇画があった。

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そういうシーンが出てくる。
昭和天皇が進駐軍に会って命令される。
「民主主義を勉強してもらいます」と日本語のわかる米軍人から言われる。
その時に漫画の中で、天皇が小っちゃい声で「民主主義は知っておる」とつぶやく。
それはそうだ。
明治憲法に書いてあった。
五箇条の御誓文。
「上下議政局ヲ設ケ」
(「上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フべシ」のことか?)
これからは合議で語り合いによって国を運営していく、と。
明治憲法にもう合議制というか、立憲。
それをアメリカ軍人から偉そうに「民主主義を」と。
知っていた。
「それがかなわなかったから今度の大戦に引っ張り込まれたんだ」という無念みたいなものを天皇が語る一言がすごくよくて。

五箇条の御誓文は坂本龍馬が作った。
船中八策。
坂本龍馬が日本を近代国家にするために8つ策を考えた。
その中にある。
「上下議政局ヲ設ケ」
公議に、国の方針は公の議論によって決定すべき。
坂本龍馬は偉い。

その小さなつぶやきがジーンときた武田先生。
とにかく日本は大戦でコテンパンにアメリカに負けた。
これほどみっともない負け方はないぐらい。
原爆を二発落とされた。
死者300万人。
その無念の中で天皇は自ら人間宣言をする。
そして日本国民の存在を認め「私がその日本国民の象徴となりましょう」と。
彼のポジションは憲法7条を守ることで象徴的行為とされたワケだが、その象徴的行為の中に、彼自身が慰めの声をかけたりすることはいいけれども、国民から声をかけられたら返事をしてはいけない。
だから日本国民が、もし天皇に対してそういう思いがあるんだったら、悪口を言いたかったら言っていい。
でもアンフェアなのは天皇は言い返せない。
それはアンフェア。
つまり日本国憲法というのはある意味で、天皇一人にとっては実は民主的ではない。
「民主的ではない」というポジションを天皇は受け入れることによって平和憲法は成立した。
まるで自分で考えているみたいに言っているが。
このへんの内田氏の指摘は深い。

日本の歴史の中で天皇を最高権力者にして得をしたいとたくらむ人がいた。
大正、昭和を経るうちに陸軍の暴走というのが、天皇を巧みに利用することで日本国を大戦に引っ張り込んでしまったというのが実情。

日本の歴史で天皇を政治利用しようとした人々のふるまい方はつねに同じです。天皇を担いで、自分の敵勢力を「朝敵」と名指して倒してきた。倒幕運動のとき、天皇は「玉」と呼ばれていました。
 二・二六事件の青年将校たちは天皇の軍を許可なく動かし、天皇が任命した重臣たちを殺害することに何のためらいも感じませんでした。そのひとり磯部浅一は獄中にあって、自分たちの行動を批判した昭和天皇に対する怒りと憎しみを隠しませんでした。磯部は「天皇陛下 何と云ふ御失政でありますか 何と云ふザマです、皇祖皇宗に御あやまりなされませ」という「叱責」の言さえ書き残しています。
(42頁)

つまり「天皇陛下のため」と言いつつ彼らは言うことを聞かなければ本当に天皇自らがおっしゃっているのだが、「その生命も」というようなところまでいっている。
彼らは完璧に維新史を勘違いしている。
薩長というものが天皇という錦旗の御旗を手に入れて、それを振りかざし、佐幕藩の会津を先頭にして東北をさんざ痛めつけた。
だから天皇に巻きつき「天皇さえ利用すれば日本を動かせる力が俺たちに手に入る」と思ったのが昭和の軍人。
お気を付けあそばせ。

posted by ひと at 10:41| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする