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ドニー・アイカーというノンフィクション作家(ドキュメンタリー映画作家)が書いた河出書房の一冊。
9人のウラル工科大学の学生さんが1959年のこと、ウラル山脈のホラチャフリ山、ディアトロフ峠でテントを引き裂き、ほとんど裸足で−30℃の吹雪の夜に全員死亡した。
なぜ彼らはテントを切り裂いて外へ飛び出したのか?という謎の遭難事件。
UFOが絡んでいるのでは?
あるいは秘密兵器の基地があるんじゃないか?とか。
それからウラル山脈なのでウランか何かを発掘している国家の陰謀みたいなものに巻き込まれたのではないか?
様々な憶測がなされるのだが、このディアトロフ事件、今も実は解決していない。
そのことに関してこのドニー・アイカー、アメリカの作家が、その真相を自分なりに解決する思いで、その事件現場に同じ季節に行ってみようということで思い立つ。
9人の学生さんが死亡しているのだが、実は10人だった。
一人、ユーリさんという方。
これはロシア人の方だが、その人が70いくつで生きているという。
「もし神に
ひとつだけ質問できるとしたら、
あの夜、友人たちに
ほんとうはなにが起こったのか
訊きたい」
──ユーリ・ユーディン(10頁)
そんなことを言われ、彼は同じ旅程で現場に立つ。
これは写真もなかなかこの本は豊富で、彼らの日記とか弾いた楽器とか、それから雪の上に散らかったテントとか、死体まで一部写っている。
ぼかしてあるが。
その中でも特に印象的なのは風景写真があって彼ら自身が彼らを撮っているのだが、このディアトロフ峠の下の方に「ブーツ岩」という岩がある。
これが本当に奇怪な岩。
えぼし岩とかがあるが、あれとよく似たヤツで。
長靴をひっくり返して置いたみたいな。
雪原にポツンと一個あるのだが。
そのブーツ岩のわりと近いところに9人はテントを張っている。
このあたり、犯人捜しの材料になっていくから覚えておいてください。
これは目印になるので、見つかったご遺体はブーツ岩の影に置かれたのか?
ということで、このドニーさんがその場所に立つのだが、ブーツ岩が風が吹くたびによく鳴る岩。
風をブーツ岩が切るもので「ヒュゥ〜ウゥゥゥゥ〜」という。
そういう音を立てる。
ドニーはその音がテントにワリと近いので、あの−30℃の吹雪の吹く日、この岩は50年前とはいえ、相当異様な音で鳴ったのではないだろうか?と推測するという。
いよいよ第一歩が始まる。
更に春先やっと見つかった四遺体があった場所では、衣服を脱ぎ、それもナイフで切り散らかして衣服を脱ぎ、木の枝を辺り一面に敷き詰めている。
そして舌のないリュダの遺体があった。
この娘さんは21歳だったか(享年20歳)。
その人はもう腐乱が始まって舌が無かった。
川床の雪と泥にまみれた死体。
この川床のすぐ近くには森がある。
そこでドニーは森の中に何か気配を感じる。
何の気配か?
どうも生き物がいる、と。
キツネのようなテンのような寒さに強い。
そうすると、舌がないというのは非常に異様なのだけれども、厳しい寒さの中で生き物の気配がするということは、リュダ(番組では「ドニー」と言ったが当然これは「リュダ」だろう)の舌というのは頬を食い破ってその小動物が肉としてかじり取ったのではないか?というふうに推測する。
(本には「小動物のしわざという説もあるが、遺体は融けた雪のなかに数週間も横たわっていたのだから、水中の微生物によって、最も柔らかい部分が先に分解されたと考えるほうが妥当ではないだろうか」となっている)
ドニー君はなかなか冴えている。
クール。
UFOとかそういうものに惑わされないで事実を見つめてゆく。
そしてドニーは案内人の二人と共にそのディアトロフ峠、9人のテントのあった場所に立つ。
ここで彼は何とテントを全く同じ場所にテントを張る。
(三人で登った時、ホラチャフリ山でキャンプをせずに夜には村に戻るという条件で行っているし、本にはテントを張ったという話は出てこない)
あの夜、何が起こったか?
これを懸命に推理する。
雪崩の統計データは信じられないほど説得力があった。−中略−それがいちばん可能性の高い説ではないだろうか。キャンプ地のうえの雪が崩れて恐ろしい音を立てるのを耳にして、トレッカーたちはパニックを起こしてテントから逃げ出したのだろう。(200頁)
という推測を立ててみて、同じ季節に行ってその現場に当てはめる。
驚いたことに、ここの斜面は思っていたほどきつくないようだった。−中略−この斜面の「見通し角」、つまり雪崩がどこまで到達するかを決める角度は、斜面のてっぺんからテントの場所までは一六度だった。一六度では、雪崩がかりに起こったとしても、サッカー場の幅の半分も流れることはほぼ不可能であり、これほど平坦な表面を流れてテントに到達するとは考えにくい。(263〜264頁)
「もっと他に」ということで彼は推理を巡らせる。
50年の歳月を挟んで向かい合うという。
構造が面白い。
ドニー君は現場まで行って、その日を振り返る。
一九五九年二月一日からの周辺の天候を調べたところ、かれらが斜面を下ってヒマラヤスギの林に逃げ込んだときは、毎秒一八メートルもの強風に直面したはずだという。二月一日の月は三三パーセントの下弦の三日月だから−中略−月が出るのは午前四時以降──九人のトレッカーがテントを出たと思われる時刻より、四時間から六時間もあとだ。マイナス三〇度という現在の条件は、ディアトロフ・グループが一九五九年に経験した条件に近い。(264〜265頁)
なのに服も着ず、靴下だけでなぜ飛び出したのか?
私たちは暖かい服を着込み、最新の装備をそなえているにもかかわらず、ここでは八〇〇メートル歩くだけでゆうに一時間はかかった。(264頁)
ドニーは考え続ける。
なんらかの兵器、おそらくは核兵器がキャンプ地の上空または近くで爆発し、それでトレッカーは負傷し(284頁)
トレッカーたちの皮膚が暗い色、つまり「オレンジ色」に変色していたのは、放射線被ばくよりも重度の日焼けと考えるほうが当たっているだろう。(284頁)
そして今までの仮説を彼は一つずつ消してゆく。
「どんなミステリーより面白く、ここからよく整理されています。全体はちょっとしつこいです」というのが武田先生の(この本の)感想。
328ページあるこの大作の287ページまで「くどい」と。
「残り40ページを残したところから急に面白くなる」と(武田先生のメモに)書いてある。
こういう本がある。
でもこの(最後の)40ページが(読んだ)甲斐がある。
まさにミステリー。
ドニーはサーフィンをやってフロリダでいつも遊んでいるものだから。
遥か沖合からこっち側に打ち寄せてくる「波」というものに関して敏感。
サーファーが謎を解いていく。
サーファーならだれでも知っているように、沖合で激しい気象現象、たとえばハリケーンとか低気圧が発生すると、それによって生じた大波は長期間持続し、それが海岸に達して絶好のウェーブになるのだ。(287頁)
そして走る波には音がある。
彼はここに目を付けた。
二〇〇〇年の『フィジックス・トゥディ』誌に掲載された論文で、タイトルは「大気の作用で生じる超低周波不可聴音について」、著者はドクター・アルフレッド・J・ベダード・ジュニアとトーマス・M・ジョーンズだった。(287頁)
サーファーなのだが、やっぱりちゃんと勉強していた。
超低周波というのは超音波の逆で、人の可聴域の下限である二〇ヘルツより周波数の小さいものを言い、いっぽう超音波のほうは、上限の二万ヘルツより大きいものを言う。(287頁)
20ヘルツ以下では耳では聞こえない音というのが存在する。
これが「超低周波」と呼ばれている音で。
超低周波音は、鼓膜を通じて内耳の有毛細胞を振動させる。その結果、その音はふつうの人には「聴こえない」かもしれないが、興奮した内耳の有毛細胞は信号を脳に送るので、その乖離──なにも聴こえていないのに、脳はそれとは異なる信号を受け取っているという──から、身体にきわめて有害な影響が及ぶことがあるというのだ。(288頁)
パニックはこういうことで起こるらしい。
その時にドニーの頭にバッ!とひらめいた。
超低周波を起こす。
それは何だ?
彼は言った「ブーツ岩が超低周波を!」。
(ブーツ岩と言い出したのはヴラディーミル・プルゼンコフ)
さあ、いよいよ謎が解けるか?
ドニーはあのブーツ岩に駆け出したのである。
9人の人が自らテントを切り裂いて、−30℃の吹雪の夜に飛び出したあのディアトロフの遭難事件。
これにアメリカの青年ドニー・アイカーは「超低周波が絡んでいるのではないだろうか?」と見た。
ここで240ページまで行って現地の探索は終わる。
いきなりフロリダに行ってしまう。
そして彼は超低周波関係の謎を解くべく、アメリカの大学を転々とする。
彼は推理と自分の調査資料を持って自国へ帰る。
超低周波音技術が最も早く応用されたのは、冷戦時代の五〇年代前半のことだった。アメリカはこのころから、ソ連の核実験によって生じる超音波音を測定しはじめたのだ。−中略−二〇〇九年にも、北朝鮮での「事件」がこの超低周波音の測定によって明らかになったが(295頁)
これは同盟のイギリスと組んでアメリカは超低周波で世界を探るというのはやっていた。
超低周波音曝露の症状を調べていたロンドンの研究者は、サウス・ロンドンのコンサートホールの裏に「超低周波音発生機」をひそかに設置した。そのうえで、七五〇人の被験者に同じような現代音楽を四曲聴いてもらったが、かれらには知らせずに、うち二曲には超低周波音発生機で生成した音波を含めていた。−中略−その結果、一六五人(二二パーセント)が超低周波音の部分で寒けを感じたほか、不安、悲しみ、緊張、反感、恐怖などの奇妙な感情を覚えたと答えている。(296頁)
(番組では上記の実験はイギリスとアメリカがやったと言っているが、本には上記のように「ロンドンの研究者」としか書かれていない)
これは22%だから敏感な人でなければダメなのだが。
このあたりから「超低周波というのは人間を苦しめる武器になるぞ」ということで注目されるのだが。
公害として超低周波が出てきてしまう。
カナダ国境の町(ミシガン州デトロイトと、デトロイト川をはさんで向かいのオンタリオ州ウィンザー)の住民は「ウィンザーのハム音」に悩まされ−中略−工場の機械が超低周波音の発生源だと考える人は少なくない。(296〜197頁)
皆さんも風力発電の風車はご存じだろう。
「ゴットン、ゴットン」という。
しかも超低周波音を聞いていると幽霊を見たりする。
「イスラエルでは、群衆の暴発を抑えるために利用されています」(297頁)
ドニーはこの超低周波をテントから1kmばかり離れたあのブーツ岩。
何でかというと構造物で、ある程度の対称性を持ったもので、風が移動するとカルマン渦という渦を発生させる。
このカルマン渦が低周波音を生み出す。
これはかなりの確率で人間がパニックを起こすらしい。
例えばローレライの伝説。
人魚が岩の上にいて、船人がその岩の上の人魚の歌声に引きずり込まれたり。
それからもう一つある。
たとえば、ジブラルタルの岩に強風が吹きつけると強力な渦が発生し、この海峡を通る船が転覆する原因になると考えられている。そしてこの危険な渦には、超低周波音という双児の危険がつきものなのだ。(299頁)
そういう季節の風、低気圧が吹くことによって自然界が奏でるカルマン渦による超低周波音が、人間をパニックに陥れるのではないだろうか?
これは鋭い。
私はデイヴィッド・スカッグズ研究センターと呼ばれるNOAAのビルに到着した。(291頁)
超低周波音を研究しているベダード博士に、あのブーツ岩で収録した音を聞かせる。
(音を聞かせたという記述は本にはない)
謎が解けるか?
ブーツ岩はアメリカ人、ロシア人が見るとブーツに見えるかも知れないが、私たちが見るとゴジラに見える。
海の中を歩いていて海面に上半身を出したゴジラに見える。
その岩が20m前後の吹雪でものすごい超低周波を発生させて、すぐ近くにテントを張った9人の若者をパニックに追い込んだのではないか?というのでドニー・アイカーさんは「これが原因じゃないですか?これが超低周波を起こしたんではないですか?」とベダード博士に見せる。
ベダードらはそのあいだも、私が広げた写真や地図を調べつづけていたが、かれらがとくに関心を示したのはブーツ岩の二枚の写真だった。−中略−
やがて、ベダードは顔をあげてこちらに目を向けた。「ブーツ岩は、さまざまな周波数のかすかな唸りを立てることはあるでしょう。しかし……」と言って、きっぱりと首をふった。「これではカルマン渦は生まれません」。−中略−「ブーツ岩は奇妙な形をしていますから、これのせいだと考えたくなるのはわかります。しかし、これは無害な岩です。(299〜300頁)
それに言うまでもなく、ブーツ岩からは一、二キロも離れていたんですから、その音も大して聞こえなかったはずです」(300頁)
「なぜなんだ〜!」とドニーは自分の推理がガタガタと音を立てて崩れていくのを見る。
ドニーさんも努力の全てをベダード博士から否定されたワケだから、必死になってホラチャフリ山の伝説を伝えた。
「ウラル山脈……つむじ風が起こると、山ではさまざまな音がします。獣が吠えるような、人間の苦悶の叫びのような、恐ろしい不思議な音がするんです……その場で聞いているとぞっとしますよ。初めて聞いた人は何事かと思っておびえるかもしれません」
また、テントのあった場所の画像も何枚か送ったが(302頁)
「ブーツ岩のせいではなく、この山の丸い頂のせいだったんですよ」。雪をいただく山のてっぺんを指でなぞりながら、彼は言った。「まさに左右対称の、ドーム形の障害物です」(304頁)
ホラチャフリ山の山頂の向こうに、ディアトロフたちの最終目的地だったオトルテン山の頂も見える。この山の名を「行くなかれ」という意味だと訳している人もいるが、これはまちがっている。(303頁)
(番組では「行くなかれ」説を肯定してしまっているが本によると上記のように間違い)
ベダード博士は二つの山を見て「ブーツ岩じゃない。現地の人が言う通りだ。この山二つがカルマン渦を発生させ、超低周波を発生させているんだ」。
(本を読んだ限りでは二つの山によってカルマン渦が発生したのではなく、ホラチャフリ山の丸い頂の形状が原因だったようだ。そもそも手前のブーツ岩が「遠すぎる」と言っているのに、さらに向こうの山が原因のワケはない)
この山頂の左右対称の円蓋のような形状も、またテントの場所に近いという点からも、カルマン渦の発生する条件がそろっていたのはまちがいないと彼は説明した。(304頁)
カルマン渦列──そのなかの渦が超低周波音を生み出す(304頁)
地表との摩擦で風の剪断が起こり、風が山を登って高度があがるにつれてそれが強まり、丸まって、水平方向の渦すなわち竜巻が発生する。−中略−水平の渦がドーム形の山頂を転がりつつ超えるにつれて、回転が上向きになり、また強度も増して、ふたつの垂直の竜巻すなわち渦が発生する。−中略−ふたつの渦は点との両面を通過し、そのまま斜面を下って消滅する。(306頁)
それが生き物のように大気を巻き込み、やがて吠える。
その風の吠える音が脳にしか聞こえない。
実は「死に山」と「行くなかれ山」この二つがカルマン渦を発生させ(違うけど)、あの9人をパニックに追い込んだ。
カルマン渦を起こす形状というのは科学的にもう突き止められているので、超高層はカルマン渦を発生させない構造で建てないと許可されない。
構造計算というのはそういうこと。
1959年代にはカルマン渦に関する知識がなかった。
(この番組で)夏場に話した。
ここに結び付く。
八甲田山。
あの時にマタギの人と軍人の人が吹雪の夜、恐ろしい幻を見た、と言った。
(この放送より以前の「山彦の子ら」の中で八甲田山のことが取り上げられている)
あれは行くとわかるが、八甲田はもしかするとあの吹雪の夜、カルマン渦が発生した可能性がある。
しかも雪女が登場したり火の玉が飛んだり、雪男が現れるというような一種奇怪な幻覚はこのカルマン渦が、という。
そうやって考えると「山の怪奇」というものが見えてくる。
そうすると9人がいともたやすくパニックになるというのはありうるし、このカルマン渦は現実に今、都市でも起こっている。
だから風力発電も塔をあまり近づけてはいけない。
近隣にわりと、2km離れていれば大丈夫だが、すぐ足元なんかはカルマン渦が発生する可能性がある。
そうやって考えると・・・
このドニーは最後の章で、あの夜の9人のパニックを推理する。
世界一不気味な遭難事故、ディアトロフ事件。
最後の章になった。
最後も鮮やかなもので、このドニー・アイカーさんは実に気持ちのいい終わり方を。
一番最後、9人の遭難した学生さんたちのその日の行動を推理している。
これは読んでいるといい。
今まで気持ちが悪かった事件がスーッと腑に落ちてくる。
(ここからの事件の経緯は本の内容に沿っているけれども、かなり間違っている箇所がある)
1959年2月1日夕から2日早朝にかけての遭難事件。
午後4時半、ホラチャフリ、そこへテントを張った彼ら9人。
彼らはここでココアを飲み、ビスケットの簡易食でお腹を満たした。
彼らはしっかり着込み、横になった。
やがて夜がやってきた。
吹き下ろす風は強くなった。
男性陣は二人の女性をテントの中央に寄せてあげて、風の吹き込む端は男性たちが防いだ。
風はふたつの渦列となって山頂から吹き下ろしてきていた。−中略−これらの渦は轟音をあげて時速六〇キロでトレッカーたちの横を駆け抜けていく。内側の回転速度は毎時一八〇キロから二五〇キロに達し(319頁)
超低周波がまずやるのは9人の内臓をゆさぶる。
じっと横になっているのだが、細かく内臓が揺れる。
この震えは不快から恐怖を感じる。
人間というのは「悲しいから泣く」のではなく「泣くから悲しい」という理屈があるのと同じで、震えているワケだから脳そのものは「恐怖だ」と思う。
その「恐怖」が逃避反応をとらせる。
誰かが「逃げよう!」と叫ぶ。
9人はパニックになってテントの入り口に殺到する。
これは間違いない。
テントのファスナーに手をかけるのだが、この寒さでファスナーが凍り付いて開かない。
開かないことがさらにパニックを呼んで、誰かがもうほとんど夢中でテントを内側から切り裂いた。
靴は入り口の内側にあって9足そろえてあったが、靴を考える余裕はなかった。
超低周波によるパニックなど、彼らの時代、誰一人として知識がなかった。
まさに未知の不可抗力に彼らは襲われた。
月はまだ出ておらず、周囲は漆黒の闇だ。−中略−風を背に受けて斜面を下っていたときには、周囲の轟音のせいで言葉を交わすのはほとんど不可能だった。(320頁)
またかれらは三つのグループに分かれていた−中略−このまま風を背に受けて森の奥へ進み、日の出まで生き延びることに集中することだ。しかしこれは、その前に低体温症で倒れずにすめばの話だ。そしてその症状はすでにあらわれはじめていた。(320〜321頁)
あの川底の死体の一因は、超低周波から逃れた。
これは間違いない。
彼らが考えたのは一人21歳の女の子がいるので「この子は何とかして助けたい」ということで川底へ。
そこに飛び込んだためにそれぞれ骨折してしまう。
骨折しながらもヒマラヤスギの麓まで逃げ切った時に、誰かがライターを持っている、あるいはマッチを持っていることに気がついた。
そこで女の子を守るために何か燃やすものを。
それで自分の着ているものを切り裂いて火元にし、まわりのヒマラヤスギの小枝を折ってかけた。
そんなふうにして火をなんとか点けようと頑張った。
必死になって雪洞を作り、火も起きたらしい。
焼け焦げの跡はその跡。
ほんの僅か、火が川底で風を逃れて起こったのだが。
重度の低体温症にかかった人が急に熱に接すると、「アフタードロップ」現象の危険がある。−中略−いきなり火にあたったせいでふたりは強烈な眠気を催し、そのまま深い無意識状態に陥ってしまったのだ。(323頁)
必死になって彼らは女の子を守ろうとするのだが、ついに倒れ込み、眠って凍死したという。
グループは三つに千切れる。
でも友のために必死になって誰か生き残るための努力を気を失うまでやり続けたという。
その勇気と忍耐はトレッキング第三級の称号を得るにじゅうぶんだった。ついに勝ち得ることはできなかったが、かれらにはその栄誉を受ける資格がある。(324頁)
これが実は『死に山 世界一不気味な遭難事故』の模様。
これはもうネタばらししてしまったので、本当に卑怯なことかも知れないが。
こんな恐ろしい事件でありながら、一番最後に懸命に火を起こす若者たち、女の子を守ろうとする清らかな潔い青年たちの姿が見えてきて、これは映画になりそう。