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2020年09月07日

2019年10月21日〜11月1日◆ケーキの切れない非行少年(後編)

これの続きです。

政治資金規正法違反の罪で栃木県の黒羽刑務所に服役した元衆議院議員山本譲司氏の著書『獄窓記』(新潮文庫)にも詳しく書かれています。刑務所の中は凶悪犯罪者ばかり、と思っていた山本氏が実際に目にしたのは、障害をもった沢山の受刑者でした。
 おそらく刑務所にいる受刑者は、軽度知的障害や境界知能をもった人たちがかなりの割合で占めていると思われます。法務省の矯正統計表によりますと、2017年に新しく刑務所に入った受刑者1万9336人のうち、3879人は知能指数に相当する能力検査値(CAPAS)が69以下でした。つまり、約20%が知的障害者に相当すると考えられます。
−中略−矯正統計表から軽度知的障害相当や境界知能相当を併せると、新規受刑者の半数近くに相当することになるのです。(115頁)

この1万9336人だが、彼らのうちの95%が信じられないぐらい凄惨ないじめを体験しているという。
(本では95%が凄惨ないじめを体験しているのは性加害を行う少年)
相当いじめられている。
半端ないじめられ方ではない、動物以下みたいな体験が人生の中であるらしくて。
ここで間違いなく言えることは「いじめられた者は必ずいじめ返す」ということ。
非常に歪んだ病理ではあるが事実として「いじめというのはいじめ事件を誘発する大元だ」という。
そう記憶をしておいたほうが「いじめ」というものに関してはわかりやすいのではないかと。

宮口さんは前向き。
この子供たちをどうするのか。
とにかく少年院、あるいは少女院に収監されている若い青少年たち。

子どもへの支援としては、社会面、学習面(認知面)、身体面の三方面の支援が必要です。(157頁)

この三つを基礎にしておいて、対人スキルからマナー。
それからコントロールする。
それから問題解決力を身に付けていく。
そういうものがないと生きていけない。
本当に同感だが、宮口先生はおっしゃっている。
社会性さえあれば何とかなる。
社会性だけは身に付けておかないとダメだ、と。
こんなふうにおっしゃっている。

水谷譲は「お母さん」。
子供の社会性は気になる。
教えなくても「あ、何でそんなことをわかってるんだろう」ということが非常に多いので、あえて教えなくてはいけないということはあまりなかった気がする水谷譲。
その社会性に火が点いたのも水谷譲の教育のお陰。
「おはよう」「ただいま」「おやすみ」「いただきます」「ありがとう」。
最低限でも5〜6ぐらいの言葉で誰かとつながるという言葉を持っていれば、その子の未来は拓けるもの。
だからやはり武道はいい。
受け売りするかも知れないが、もしよかったら誰かに話してください。
武道は結局、頭を下げるコツみたいなヤツ。
頭を下げるタイミングがいい子は殴られない。
暴力事件はタイミング。
それこそ武道の奥義。
ケンカをするために身に付けてもいい。
柔道でも空手でも合気道でも。
でも一番いいのは武道は殴り合いになる前に丸く収める能力がつく。
(子供に)合気道をやらせて数年が経つ水谷譲。
何か人から受け取ったりする時に必ずちょっとした時に会釈をする。
人の前を通る時とかもちょっと会釈をする習慣が付いているのを見て「合気道のお陰かな」と思う水谷譲。
もうそれだけで殴られない。
やがて青春の頃、男の子は乱暴な時期がある。
その時に水谷譲のお子さんはしみじみ思うはず。
武道のシステムはよくできていて、自分が武道によって他人を傷つける能力というのが上がっていくと、他人との接触が上手くなる。
そういう意味で武道というのは大事で。
この先生がおっしゃる社会性。
これさえ学べば何とかなる。
そういうものがないと生きていけない。
希望は意外とすぐ近くにある。

(冒頭は「街の声」を受けてのスマホ決済の話題)

かつて飛び込み自殺が多かった札幌の地下鉄のホームに鏡を設置したところ、自殺者が減った、といった報道がありました。−中略−鏡で自分の姿を見ると自己に注意が向けられ、「自殺はよくないことだ」という自己規範が生じ、自殺者は減るだろうと考えられるからです。(151頁)

こういうことがその少年院の中で現実のドラマとしてあったらしい。
宮口幸治先生の本の中に書いてあった。
その少年院で授業を受け持ち、懸命に勉強を教えていた宮口先生。
その中でどうしても言うことを聞かない、ふざけてばっかりの悪ガキがいた。
どこにでもそんなヤツがいる。
ムカッ腹が立つ若いヤツが。
何度注意しても学習に集中しない。
悪ふざけをする。
それからチャイムが鳴ると「もう終われ、終われ」で急かせるというような、実にカリカリくるようなできの悪いヤツ。
軽蔑語を使いたくないが「できの悪い」と言った方がいいだろう。

とうとう私は、教えたり問題を出したりするのを止め、文句を言っていた少年たちに「では替わりにやってくれ」と彼らを前に出させ、私は少年側の席に移りました。−中略−とても楽しそうに皆に問題を出したり、得意そうに他の少年に答えを教えたりし始めたのです。(155頁)

この宮口先生は「これは面白いな」と思って、それから何時間かその子に担当させるようになったら懸命に次の時間まで考えるようになった。
この時に宮口先生は、人間というのは「教わる」ということも楽しいが、「教える」ということもその子を変えてしまう力があることに気づいて。
ある日のこと、チャイムが鳴っても止めず、クラス全員でその問題に取り組み続けたという光景を目撃する(ということは本には書いていない)。
その時に著者は、この宮口先生は、これこそが札幌のホームで自殺者を減らした、あの鏡と同じなんだ、という。
やっぱり自分の姿を見ることによって自分の評価が反転し、自分の持っている社会性「これは明日までにやっとかないとみんなが困るから」という言葉が理解できたんだろうということ。
自己評価の反転、社会性への気づき、そういうものがここで見つかったという。
著者はそこで教育には治療教育があると思いつく。
少年院の子らはまず漢字が読めない、計算が苦手、黒板が写せない、文字をひと塊で読めない。
教育に入る前にもうすでに実は躓いているんだ、と。
それから少年院でやるお勉強というのは、勉強で躓く前の勉強。
「漢字を読む」「計算する」「黒板を写す」「文字を数行ごと読める力」
そういう脳の使い方を練習することである、と。

では、教育に入る前の治療教育とはどういうことか?
これがなかなか面白い。
不良少年のためにだけ使うのはもったいないぐらい。

ワーキングメモリを含む認知機能向上への支援として有効な、「コグトレ(認知機能強化トレーニング)」についてご紹介したいと思います。−中略−
 コグトレは、
−中略−「覚える」「数える」「写す」「見つける」「想像する」の5つのトレーニングからなっています。(160〜161頁)

社会性を芽生えさせたり、それを強化するための基本的な動きということ。

・写す:「点つなぎ」
 点と点で結ばれた見本にある図形を見ながら同じように下の枠に写していきます。
−中略−写す側の台紙が回転している「くるくる星座」、見本の図形は鏡面、水面ではどう見えるかを想像しながら写す「鏡写し」などがあります。(161頁)

・覚える:「最初とポン」
 出題者が3つの文章を読み上げ、対象者に最初の単語だけを覚えてもらいます。但し、動物の名前が出たら手を叩きます。
例)サルの家には大きなツボがありました。
  大急ぎネコはそのツボの中に入ろうとしました。
  ツボを壊そうとイヌが足で蹴りました。
   答え(サル、大急ぎ、ツボ) 傍線:サル、ネコ、イヌで手を叩く
(161〜162頁)

こういうふうにして二つの記憶を捕まえる。
これで認知の能力が伸びるらしいから、このクイズはきっといいのだろう。
すごく頭を使う。
これを一時間の勉強の中でやるのだが、これはクイズ形式なので生徒のノリもいいらしい。

・見つける:「同じ絵はどれ」
 複数の絵の中から同じ絵を2枚見つける課題です。
−中略−
・想像する:「心で回転」
 ある図形を正面から見た場合と、右側、反対側、左側から見たらどうなるかを想像する課題で
(163頁)

よくある。
サイコロを開いて「畳んでサイコロになるのはどれでしょう?」とか。
ああいう簡単なヤツからゆっくりランクを上げていく。
そうすると45分間の授業なのだが、たちまち終わることができる。

 新しいブレーキをつける方法
・数える:「記号さがし」
 例えば色んな果物のマークが横一列に複数並んでいる、複数段からなるシートがあります。その中でリンゴだけの数を数えながら、できるだけ早くリンゴに✓をつけます。ただしリンゴの左側にある決められた果物のストップ記号(例えば、ミカン、メロンなど)がある場合には数えず✓もつけません。
(164頁)

これは採点方法も簡単。
正解を重ねておいてその子のヤツを置くと、できているかできていないか一発でわかる、という。
後ろにメロンがあった場合はその前のミカンに×をしてはいけないという「ブレーキゲーム」。
いわゆる幼稚園とか小学校のお受験の問題にすごく似ている。
小さい子にやらせるような問題。
だからこれは認知能力。

武田先生もちょっと「ホントかいな?」と思いつつ「いや、そうなのかも知れない」と思わず頷いてしまったのだが。
この問題を中身を変えて繰り返し繰り返しやっていた。
そうしたらある犯罪を犯した少年にテキメンに効果があった。
これはもう想像もつかないと思うが「殺人を犯した」という子。
この子はクセが悪いことにこの教官の宮口さんと二人きりになると、宮口さんがいい先生だから「本当に反省してるな?」とかと言うとニカッと笑って「もう一回だけ人、殺したいな」と言うような子だった。
この子がこのゲームで人間が変わってしまった。
(本にはトレーニングをさせていることは書いてあるが、結果に関しては書いていない)

禁止事項の学び。
メロンが後にある場合、ミカンに✓を入れてはいけない。
「いけない」を守ること。
「いけない」を守ることが犯罪を繰り返さないという心理と結びついたらしい。
これは効果があるかどうかは宮口さんもはっきりおっしゃっていない。
だが、この程度のことで改善がみられるのであれば、全ての少年や少女にこの認知教育をやるべき。
この宮口さんが開発なさった認知力を鍛える治療教育というのをやるべき。
一日5分程度でも、ものすごく効果があるんだ、ということ。

綿棒を使って指先の細かい運動をトレーニングする「綿棒積み」です。2人でチームとなり、できるだけ高く井型の綿棒タワーを作るのですが、90秒という時間制限があります。(170頁)

90秒でどのぐらいの高さができるかというのを毎日やらせた。
そうしたら粗暴がゆっくり収まる。
結局彼ら、あるいは彼女たちは「不器用」ということに関して克服する能力がない。
ハリウッドスターの電気製品の扱いみたいなもの。
いつも思うが荒い。
スピルバーグの映画に出てくる少年の冷蔵庫の開け方。
それからブラッド・ピットのお皿の扱い方の乱暴さ。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を見ても、缶詰の中にあるドッグフードをひっくり返してイヌにやるのだが。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド (字幕版)



ブラピ!汚ねぇ!
とにかくアメリカ映画は基本的に道具の扱いが乱暴。
あそこからは宮大工は生まれない。
プレゼントを貰ってもビリビリビリ!と破くような。
「プレゼントの包装紙を破かずに開く指の美しさ」とかというのは学ばないとダメ。
上手にテープをはずして。
何か乱暴。
あの人たちはちょっとやっぱり何か・・・
乱暴じゃない人もいるのかも知れないが、イメージはある。

 今から53年前の1966年、米国テキサス大学の塔の上から銃を乱射して17人を射殺し負傷者32人を出した凶悪殺傷事件がありました。容疑者のチャールズ・ホイットマンは当時25歳の青年で、事件の前日に手紙をタイプしていました。そこには恐怖と暴力的衝動に苛まれており激しい頭痛にも悩まされていたこと、自分の死後、遺体を解剖して何か身体的な疾患がないか調べて欲しいこと等が記されていました。遺体の解剖の結果、脳の深部に胡桃大の悪性腫瘍が発見され、それによって暴力的衝動を抑制する能力が阻害されていた可能性が浮かび上がったのです。(171頁)

福島章は、精神鑑定で行った殺人犯48例の脳のMRIや脳CT検査(コンピュータ断層撮影)などの画像診断の結果をまとめ、半数の24名に脳の質的異常や量的異常などの異常所見を確認しました。更に被害者が2人以上の大量殺人に限っては、62%に異常所見を認めたのです。(173頁)

犯罪を、それを法で裁くだけでなく、教育と医学も悪、あるいは犯罪に参加してくれ、というのが宮口先生の高い望み。
性犯罪にしても、女性の方は聞きたくないかも知れないが、痴漢、強制性交、押さえつけてセックスを迫る。
それから本当に困ったもので、親たちの恐怖の的だが小児性愛。
それから下着窃盗。
これを「犯罪ごとに分けて脳障害を探る」という、そういう構えができないかというのが宮口先生の立場で。
これは深く深く納得した。

これは宮口先生という医療少年院で長く教壇に立たれた先生の願い。
犯罪のことは法とか少年院とか刑務所に任せないで、教育と医学も参加してくれ、と。
悪に向かってくれ、と。
反省、謝罪。
そればかりを追い求めて法的に犯人を追い詰めるというのは挫くことになるんだ、と。
だから医療、教育。
この二つの面で悪に立ち向かってくれないだろうか?とおっしゃっている。

武田鉄矢が書いている。
強姦、あるいは痴漢を企む青年がいる。
これは「性」というものをつかまえられない。
だからしっかり「性」というものを繋ぎ止める技術を。
武田先生は「性」というのは技術だと思う。
だから相手の人との協力がないとエクスタシーが来ない。
痴漢は相手が困っている姿を見て、自分だけエクスタシーを感じると思う水谷譲。
違う。
困った顔を別のコミュニケーションだと思っている。
性に関するコミュニケーションの言葉というのは、もっと深く理解しないと解けないような謎。
謎に立ち向かっていこうという気力がないと性の快感は得られない。
という話を「深そうに見えてただのエロ話」な気がした水谷譲。

 自分が変わるための動機づけには、自分に注意を向け、見つめ直すことが必要です。(152頁)

 現在、刑務所にいる受刑者を一人養うのに、施設運営費や人件費を含め年間約300万円かかるという試算があります。−中略−刑事施設の収容人員は平成29年末では5万6000人でしたので、逆に単純計算でも年間2240億円の損失です。−中略−これに殺人や傷害、性的暴行などの被害額を併せると、年間の犯罪者による損害額は年間5000億円を下らないはずです。いかに犯罪者を減らすことが日本の国力を上げるために重要か、お分かり頂けるかと思います。(179頁)

だからアメリカはかかっているカネがすごい。
簡単に「監視社会」とか言うが、中国も大変。
犯罪者のためにカメラが3億台。
いかに犯罪というものが国家の経済を削っていくか。

 私が本書を書こうと思ったきっかけは、本文中でも引用した元衆議院議員の山本譲司氏の著書『獄窓記』(新潮文庫)を読んだことでした。さまざまな障害を抱え、本来なら福祉によって救われるべき人たちが、行き場がないがゆえに罪を犯して刑務所に集まってしまっている──。(180頁)

武田先生のアイデアだが、総合病院と同じ。
さっき痴漢の話をして、水谷譲が武田先生に楯突いたが、大学病院と同じようなことを考えればいい。
つまり病の種類によって分ける。
刑務所もそうすればいい。
あおり運転をやった人は全部「あおり運転」というところに集める。
東名で家族を巻き込んだあおり運転をやった青年と、降りてきて女のおばさんと一緒に殴りつけた人と、それからエアガンで撃ちまくっている人と、三人が相部屋になって、しみじみあおり運転について語り合ってもらおうじゃありませんか。
つまり同じ病を持つ人をお互い見せあった方が、自分がやった犯罪の種類がわかる。
「ああ、俺はここに欠陥があるなぁ」ということが。
あの三人が同じ部屋になったら「この人たち危ない」とかと思うのだろう。
そういう人たちを集めた方が「気づき」が多くなる。
発見が多くなる。
だからそういうことを考えて「悪」というのを病理として扱う。
そういう意味では病院のシステムを刑務所に。
刑務官には教育者の資格をというふうに考えると、少し前が見えてくるような気がする。

 それに加え『反省させると犯罪者になります』(新潮新書、私が現在勤務する大学の前任者である故・岡本茂樹立命館大学教授による著作タイトル)という以前に、少年院にはもっと深刻な反省以前の少年たち≠ェいっぱいいることも伝えたいと思いました。(180〜181頁)

反省させると犯罪者になります (新潮新書)



反省だけを求めると人間は逆に犯罪者になってしまう。
その犯罪からいかに、何を学び取るか。

親鸞の言葉『歎異抄』の言葉だが「悪をおそるるなかれ」という。
私たちにもそのようなものが心の内にあるということ。
そのことを構えつつ、社会の悪に対してしっかりと見つめるべきではなかろうかとお送りした今回。

posted by ひと at 10:43| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月21日〜11月1日◆ケーキの切れない非行少年(前編)

ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)



私は2009年から法務省矯正局の職員となり、医療少年院に6年、その後、女子少年院に1年余り、法務技官として勤務してきました。(17頁)

これはどういうことかというと、少年院、あるいは女子少年院なんかに収容されている18歳未満の子たちに対して更生のお勉強をさせるという、そういう仕事。
教え子の子供たちというのは、少年も少女もだが

窃盗・恐喝、暴行・傷害、強制猥褻、放火、殺人まで、ほぼ全ての犯罪を行った少年たちがいます。(17頁)

その子たちにこの宮口さんがお勉強を教えるのだが、教えながら宮口さんが発見したことがある。
窃盗とか恐喝、暴行・傷害、強制性交、放火、殺人。
最近の少年は殺人もある。
この子たちはどうしてその罪を犯したのか?
「これはわかりやすいかなぁ」と思って本を切り取った武田先生。

 ある粗暴な言動が目立つ少年の面接をしたときでした。私は彼との間にある机の上にA4サイズの紙を置き、丸い円を描いて、「ここに丸いケーキがあります。3人で食べるとしたらどうやって切りますか? 皆が平等になるように切ってください」という問題を出してみました。(32頁)

120度ずつに切ろうとすると思う水谷譲。
4人分だったらいいのだが、丸いケーキの三等分というのは難しい。

図2-1.png

図2-1

図2-2.png

図2-2

これが大半の少年院に来ている少年諸君の三等分にしたケーキの跡。
三つには分けているけれども、等分にするという気持ちがない。
はっきり言って等分にするという知恵がない。
丸いケーキがある。
少年院、少女院(女子少年院)に行った子たちで問題児たちは、まず三人ということを頭に入れ、とりあえずケーキを真っ二つに最初に切っている。
それからあと一人分をどうやって切るかに苦慮して、半円を縦に切ったり横に切ったりしているのだが、全く三等分になっていない。
三つには分かれている。
丸いケーキは360度あって、角度で言えば「120度が1個なんだ」というのはない。
宮口さんのお考えは「この子たちは三等分する知恵がないんだ」と。
「二等分」は理解できる。
真っ二つに切ることは。
でも三等分はできない。
宮口さんはもしかすると少年犯罪というのは、非常に激しい言葉を使うがわかりやすいのであえてはっきり言う。
知的障害かも知れない。
窃盗・恐喝、暴行・傷害、強制猥褻、放火、殺人。
そんなことを犯した少年や少女たちは、良心のどうのこうのと言う前に(丸いケーキの)分割という、社会的行動という、単純な、基本的な知的能力がない。
だから宮口さんがおっしゃるのは「彼らに対して必要なのはお勉強じゃないか?」という。
これはギクッとする。
とにかく丸いケーキを三等分にすることができない。
宮口さんは次々と子供たちを相手に図形の問題をやらせるのだが、これがアッと驚く答えを出してしまう。
ちょっと常識では考えにくいのだが。
そういう非行少年たち、ケーキが切れない非行少年たち。
その中に本当に犯罪の大元があるのではなかろうか?という提案。

激しい言葉遣いになるので、ひどく気分を害された方がいらっしゃったら申し訳ない。
しかし、この宮口幸治さんという方がお書きになった新潮新書『ケーキの切れない非行少年たち』というのは、深々と頷かせる強力なる力を持っている。
やっぱり犯罪を犯した少年たちと毎日顔を突き合わせながら、その子たちの更生を懸命に切り拓こうとする方だから、言葉遣いも気取ってはいられない。

昨日水谷譲にお見せしたのは非行少年が三等分したケーキ。
何のことはない。
ケーキを三等分できない。
丸いケーキを三等分するには、まず中心の一点を探し出して、なるべく一角が120度になる角度で切り割ることが大事なのだが、非行少年たちにケーキを切らせるとまずは真っ二つにしておいて、残り半分を縦、あるいは横に切るという。
これで三等分したと思っている。
これは知的障害ではないか?
つまり少年たちが犯している犯罪の大元は認知力障害なんだ、という。
そういう風に考えた方がいいのではないかと宮口先生はおっしゃる。

「では5人で食べるときは?」と尋ねると彼は素早く丸いケーキに4本の縦の線を入れ、今度は分かったといって得意そうに図2-3のように切ったのです。(33頁)

図2-3.png

図2-3

図2-4.png

図2-4

これはどう考えても360度を割るという計算ができない、という。
更に宮口先生は彼らの知的能力を疑う。

いつも少年たちへの面接では簡単な計算問題を出します。具体的には「100から7を引くと?」と聞いてみます。正確に答えられるのは半数ぐらいでした
 多いのが「3」「993」「107」といったものでした。「93」と正しく答えられたら次は、「では、そこからさらに7を引いたら?」と聞いてみます。すると、もうほとんどが答えることができません。
(35〜36頁)

引き算ができない。
これを犯罪とかと言っている場合じゃないんだ、と。
これは知的な障害なんだ。
こういうふうに考えた方がいいのではないか?

 ある殺人を犯した少年も、「自分はやさしい」と答えました。(41頁)

「何かやってみたいことはある?」と言うと、「もう一人殺してみたい」と言う。
殺人に強い憧れを持っている子なのだが、自分の性格は「優しい」と言い切るという。

 また多かったのが、アダルト動画に影響されてしまうケースです。−中略−アダルト動画で最初嫌がっていた女性が後になって喜び始めた¥齧ハを見て「強姦は実は喜んでいるんだと思った」と自分の非行理由をいう少年もいました。(45〜46頁)

・認知機能の弱さ……見たり聞いたり想像する力が弱い
・感情統制の弱さ……感情をコントロールするのが苦手。すぐにキレる
−中略−
・対人スキルの乏しさ……人とのコミュニケーションが苦手
(47〜48頁)

だから知能的な問題と情緒的な問題と社会的な態度。
それらがいずれも非常に劣っているという、能力の問題が犯罪を起こしているのではないだろうか?と。
著者は「反省をさせるよりも認知力を向上させる方が大事なのではないか?」。
つまり「勉強させることなんだ」という。

感情の統制ができないのも性格ではなくて大脳。

 人の感情には、大脳新皮質より下位部位の大脳辺縁系が関与しているとされています。五感を通して入った情報が認知の過程に入る際に「感情」というフィルターを通りますので、感情の統制が上手くいかないと認知過程にも様々な影響を及ぼします。(57頁)

更に「怒り」という感情に直情の行動をとってしまうのは、これは自信のない証拠で。
こういう人はいる。
いるというか、今年(2019年)はこういう人が活躍した年だった。
突然バス停に並んでいる児童を襲う、その学校には行けなかったあの犯罪者。
犯行はわずか十数秒、無言で19人を襲う 川崎死傷事件 [川崎の19人殺傷事件]:朝日新聞デジタル
そしてガソリンを持ち込んで、「火を点ければどうなるか」なんて考えればわかることなのに、自分の足元にガソリンを撒いて火を点け、自分も火だるまになったという犯罪者。
京アニ放火殺人事件、容疑者を逮捕 2019年7月、36人が犠牲 | 事件・事故 | 福井のニュース | 福井新聞ONLINE
これは「悪がなせる業」というよりも、知的能力が極端に劣っているという犯罪ではないのか?
彼らの問題点は無知ゆえではなかったか?と考えて、私たちの社会に蔓延する「悪」というものと向き合ってみたいと思う。

読みながらつくづく感じるところがあり、思い当たるところがあるという。
宮口さんがおっしゃっているのは少年院で会った少年や少女たち。
この子たちはまあ「悪」。
法律で許されないことをして反省をするというために、少年院の中に収監されているワケだが、宮口さんはこの子たちは悪のどうのこうのというよりも、知的に問題があるんだ、と。
そのことをきちんと社会全体も認めるべきで、この子たちに必要なのは「自分を見つめる」というお勉強をまずするところだ、という。

武田先生もそうだし、このラジオ(『今朝の三枚おろし』)をお聞きの方も皆、そうだと思う。
許しがたい通り魔犯罪、あるいはあおり運転。
これは「認知力の問題ですよ」と。
激しい言葉遣いになるので気分を害された方がいらっしゃったら申し訳ない。
皆さんはさんざん見せられただろうから、まだありありと覚えてらっしゃるだろうが、あおり運転をした人がいた。
あのあおり運転で車を蛇行させて脅しにかかる人の運転。
あの人は「自分を大事にしていない」ということをアピールしたい。
だからオラオラ運転ができる。
それからすり寄ってくる。
だから走っている車にわざと飛び出すというような金髪青年が映っていたが、特徴は全部わかる。
ヘラヘラしている。
これはどういうことかというと「私には常識がない」とか「認知能力が極端に劣っている」ということを相手に伝えるために無知を表情にしている。
そして彼らの最大の特徴は声量のコントロールが効かない。
声量のコントロールが効かないということはもう、認知能力が劣っている。
時々遭遇する武田先生。
突然近くまでやって来て、完璧に武田先生が警戒する距離までやってきて、必要もないぐらい大声で話す人。
声量のコントロールが効かないということはどういうことかと言うと、空間の広さに応じて的確な声量が判断できない。
だからむやみに大きい声を出す。
これは一種「粗暴」。

それからあおり運転をやった男。
あれは「結構いい大学出てたなぁ」とかと思ってらっしゃる方がいるだろう。
だが、この宮口さんが問題になさっているのはそうではない。
この方がおっしゃっている「知的能力に問題がある」というのはIQではない。
この方がおっしゃっているのは脳機能障害。
だからこの中にはIQが高いまんま脳機能障害を持つ人がいる。
常磐道「あおり運転」、強要容疑で男を再逮捕=悪質性に異例の適用−茨城県警:時事ドットコム
蛇行運転をして帽子をかぶってツカツカとやって来て若者を殴りつける。
あの殴り方は、それはものすごい殴り方。
あれはもう本当に悪ければ相手を殺してしまうぐらいの。
つまりその判断ができない。
しかもお巡りさんから囲まれたら、情けないことに仲良くしているおばさんに「手を繋いで○○署まで行って欲しい」と哀願する人。
これはIQが高いままの脳機能障害で。
やはりあの声の大きさはおかしい。
やっぱり脳機能障害。
そんなふうに考えると気づくことが多い。

今週武田先生がどうしても言いたかったこと。
赤ちゃんを抱っこ紐で前で抱っこしていて、後ろからスーッと寄って来た中年のいい男が、突然下りエスカレーターか何かで、若いお母さんのアレ(抱っこ紐のバックル)を外す。
後ろで外れるようになっていて(外すと)紐が取れる。
もう、赤ちゃんを落としてしまう。
それが面白いというのは「悪」というよりもやっぱり「脳機能障害」。
よく「そういうこをしたらどうなるかという、想像力がないんだよ」と言うが、そういう問題でもないと思う水谷譲。
だから逆の意味で脳機能障害と思った方が、事が進めやすい。
武田先生が何でこれを言いたいかというと、それをされそうになったお母さんが、人混みに行くのが怖くなって、振り返って見た男の顔を思い出す。
そいつがシレーッとした顔をしている。
人間に対する怯えが出てくる。
でも、それをされそうになった奥さんは覚えておいてください。
脳機能障害。
そう思うとスッキリしませんか?
だから対策を考えましょう。
「何を考えてるんだ?」とか「あの人には両親がいないのか?」とか「娘さんがいて、子供を産んでも同じことをするのか?」とかと。
そんなことではない。
この人たちは脳機能障害なのだ。
そう考えた方が私たちにはまだ打つ手がいくらでもあるような気がする。
宮口先生はそのことをおっしゃっている。

「悪の根本にあるのは無知ではないか?」ということで考えてみよう。
よく犯罪があった時にコメンテーターの人たちが「社会的疎外感を感じてるからだ」とか「何かストレスを発散したかったんだろう」とか言うが、絶対にそういう言葉だけで解決できるものではない。
武田先生が今おっしゃっている見方をしないと解決できない気がしてきた水谷譲。

昨日抱っこ紐の話をしたが、その奥さんがすごく怯えてらっしゃる。
赤ちゃんを落としそうな、そんないたずらをされそうになった屈辱というのがたまらなかったらしくて。
でも(その奥さんが、この番組を)聞いていることを祈るが、武田先生たちも(そういうことが)ある。
福岡のとある街の商店街でロケをやっていた。
商店街の人たちはテレビに映ることをローカルに行くとものすごく喜んでくれて。
商店主は張り切ってインタビューに答えてくれる。
その真ん中をものすごく不機嫌なおばさんが「なんばしよっと、アンタたちは!みんなに迷惑かけとるが!何でわからんとね!」と言いながら。
ちょっと考えこむ。
子供が楽しそうに祭りの太鼓を打っている練習風景を武田先生が覗いてからかう、という。
それは確かにアーケードだから邪魔かもしれないが、そこまで言うことはないじゃないか?
その時に「俺たちそんなひどいことしてるのかなぁ?」とかと考え込む。
若いD(ディレクター)は「何しよっとね!」とおばさんがヒステリーを起こすと「すいません。すいません。すいません」と言い続ける。
今の若いヤツは要領がいい。
それで別の場所へ行って別の取材をやっていた。
(番組は)二本撮りなので、後半の方をやっていたらまた来る。
ダダ降りの雨の日、別の商店街へ。
同じ人が傘をさして来ている。
同じことを言う。
「何しよっとね、アンタたちは!みんなに迷惑かけてるの、わからんと!出ていって、この街から!」とかと言う。
その時にディレクターが大きい声でそのおばさんがツカツカと来た時に「いらっしゃいました〜!どうそ皆さん、道開けてください!」とかと。
同じことを言ってそのおばさんは去っていったのだが。
その時に「あの人は私のこと・・・」。
武田鉄矢が嫌いな(人は)それはいる。
芸能界でも武田先生のことをものすごく嫌ったり憎んだりしている人はいる。
決して評判のいい男ではないし、わかっている。
武田先生の顔を見るのも嫌いだという人もいるだろうし、武田先生がテレビに映った瞬間「アイツが出てるんだったら見ない」という人もいるだろう。
だが「街のみんなが楽しんでるのに」と武田先生が思うから、心がフッと仄暗くなるが。
二度目にそのおばさんが来た時に「あ、これは病気だ」と思った。
病気の人に向かっていちいち反省しても(抱っこ紐を外された)奥さん、仕方ないじゃないですか?
奥さんの背中に手を伸ばしたおじさんは脳機能障害。
そんな人に向かって「何で人間としてあんなひどいことができるんだろう?」と。
そこに答えを探すと答えは落ちていない。

透明な細長い円筒の中にコルクが入っています。その隣には真ん中に小さな穴が開いた蓋が被さった水の入ったビーカーが置いてあります。そして手元には先の折れ曲がった針金、透明の円筒状の筒と蓋が置かれています−中略−。ルールは、手元の針金と透明の円筒状の筒と蓋の3つだけを使って、コルクを取り出すこと。ただしコルクの入った筒や、ビーカーは手で触ってはいけません。
 この問題に対する答えは以下の通りです。まず、透明の円筒状の筒と蓋でコップを作ります。次に先の曲がった針金でビーカーの蓋をあけ、コップを使って水を汲みます。そしてその水をコルクの入った筒に入れてコルクを浮かせて取る、という手順です。
−中略−
 しかし融通が利かない非行少年たちはどうするかというと、いきなり針金でコルクの入った長い筒をつつき、コルクを撮ろうとします。
−中略−コップを作る筒や蓋でコルクの入った長い筒をぺたぺた叩いたりして、制限時間が過ぎてしまいます。(69〜71頁)

「これとこれを合わせて」という計画が立てられない。
できなければ人に聞くというスキルがない。
そしてそういう子は不適切な発言が多い。

これでは、悪友に悪いことを誘われたら躊躇なくやってしまう訳です。(71頁)

褒められる、あるいはおだてられると、どんなふざけた行為も平気でやる。
いっぱいいた。
SNSに上げる。
人が飲む水槽の中で平泳ぎをやってみたり、それを(SNSに)上げればどんな目に遭うかわかる。
これから扱うお肉を一旦ゴミ箱の中に捨てて、悪ふざけで笑って見せるとか。
それで少年院の中には便器の外にわざと大便をこぼして笑い続けている子がいる。
これがSNSにいたずら動画を上げる青年たちと同じ。
精神ではない。
脳機能障害を持った子たちなのだ。
彼らに必要なのは実は学習ではないかと著者は叫んでいる。

(番組冒頭の「街の声」を受けてカジノの話題がしばらく入る)

この宮口さんの目が新しいのは、あの悪党の人たちは脳の機能に障害があるのだ、と。
つまり痴漢の人、それから小さい子供、幼児にいたずらする子。
それから立派な放送局に勤めながら帰り道で綺麗な女の人に抱き着いて逮捕されたヤツ。
犯罪の動機を聞くと「好きなタイプで」。
当たり前。
そんなものは好きなタイプの人だったら武田先生だってやりたい。
そこでやる人とやらない人の違いは何?ということ。
それは脳機能障害。
そんなものはやらないに決まっている。
叫び声をあげられるに決まっている。
この宮口さんの目が新しいのは、これほど脳機能障害とかと罵倒なさっているのだが(罵倒している内容ではないのだが、武田先生はそう解釈したようだ)この人の考え方の真ん中にあるのは「障害が見える人はいい」という。
それは申し訳ないが言わせてください。
障害があって見える人。
例えば足が不自由、手が不自由、目が不自由。
でもこの人たちは、耳が不自由な人も含めて、可能性としてはパラリンピックが待っている。
しかも世界中の人が見て喝采をしてくれる。
では、目に見えない障害を持っている人はどうか?
支援を受けられない。
あるいはこれはよくあることらしいが親が隠してしまう。
それで非行を起こして犯罪を起こす。
認知機能の弱さに気づいてもらえない。
「お前、なんべん言ったらわかるんだ!」
何にもわかっていない。
「なんべん言ったらわかるんだ!」と叱られて。
また社会に出てもその障害に気づいてもらえず再犯を犯してしまう。
それが現状じゃないか?とおっしゃる。
だからこの宮口さんのおっしゃっているのはすごいこと。
目に見える障害の人には道が準備された。
いろんな道に進める。
それに雇用促進法が励ましてくれて「雇わなきゃダメですよ」と。
ところが障害が見えない人たちは野放し。
捨てられているる。
その捨てられている人たちを何とかしなければ、というふうに思う。

本当に人ごとではない。
芸能人の息子で悪さをするヤツが何人もいる。
立派な女優さんとか立派な男優さんの、だいたいせがれが多いが、犯罪を犯して。
武田先生の仕事仲間もそのことを苦悩にしている人がいる。

IQについてもはっきり言う。
おんぶ紐(「抱っこ紐」のことを指していると思われる)をいたずらされそうになったお母さんも聞いてください。
その手の、つまりあなたにとっては変な人かも知れないが、脳機能障害。
その人はだいたい人口の14%。

IQ70〜84のかつての軽度知的障害者は14%もいた、という計算になります。(107頁)

二割はいかないが一割強。
10人人が集まると1人いる。
これは人数が生む病。
もう認めましょう。
その上にこれらの人たちというのは親から虐待されたという可能性が非常に高い。
この人たちは愛情が理解できない。
愛情が理解できない認知機能の障害者。
激しい言葉遣いで気分を害された方がいらっしゃったら申し訳ない。
でも奥さんがお子さんを抱えてらっしゃるように、じいっと抱いてもらえているという幼児期間の記憶がないから、人の(抱っこ紐)を外して面白がるという脳機能障害に陥った。
これはもう事実として認めましょう。

ある国会議員が選挙違反で逮捕されて服役した人がいる。
刑務所の中で見たことが自分が思っていたこととあまりにも違うので「再犯率を下げるためにはどうしたらいいか」と活動なさっている方がいらっしゃる。
その方のご意見など、来週このあたりから話を始めてみたいと思う。

posted by ひと at 10:30| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする