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2021年01月11日

2020年3月16〜27日◆力み(後編)

これの続きです。

老いてからの「力み」というものをまな板の上に載せている。
これは先週お話したように武田先生は本当にゴルフが下手。
もう「何十年やってるんだ」「なんで下手なんだ」と。
それでいろいろ考えていくうちに「もうゴルフ辞めようか」「合気道に進もう」。
合気道を趣味にしたら、何とゴルフも合気道も同じ欠点を指摘されるという。
それは何かというと「力み」。
肩に力が入る、腕に力が入る。
その「力み」が武田先生を下手にくくりつけているんだ、と。
この「力み」がどこから来たんだ?ということを一生懸命探していて、見つけた本が

からだの無意識の治癒力 ?身体は不調を治す力を知っている



その本の中に、一体武田先生の力みはどこから来たのかというのを懸命に探した。
先週一週間を通して山口教授の話をご披露したのだが、最後にやっとテーマが出てきて、力みは武田先生の内臓から来ている、筋肉の動きから来ている。
武田先生の肩に宿っているこの「力み」の正体は何か?
それは「教えたがる」。
教わっているのにもう教えようとするから、どうしても力んでしまう。
ゴルフも確かにそう。
これから打とうとしているのに、打った後に解説することを考える。
「今、軽く打ったオレ」とかと言う。
「右、木あるけどあれは見えないものとしてオレ左打っちゃった」とかと言う、その「終わってもいないことを終わったとする前提」そのものに力みがにじんできているんだ、と。

筋肉と心は不即不離の関係にあるといえるでしょう。(162頁)

心理が動きを決定するんだ、と。

 情動は英語で“emotion”といいますが、この中の“motion”が動きを示していることからもわかります。(163頁)

つまり武田先生は「懸命に努力をする」とか、「今、一生懸命頑張っているんだよ」ということを相手に見せたいがため、相手に教えたいめに肩に力が入っている。
俳優の時はそれがセールスポイントになった。
必死になって道を説く「金八先生」、ハンガーを握りしめ、悪と闘い悪を憎む「片山刑事」、「アナタを愛しています。ボクは死にません」と絶叫する中年男。
全部肩に力を入れて表現した。
快調。
自分でもうっとりするような見事な・・・
エモーションが武田先生のモーションを支配している。
考えてみれば、なるほど最初に水谷譲と話した合気道というのは見事。
「モーションをエモーションで作れ」というワケだ。
ケンカ腰になっている相手に対して、まるで天から落ちてくる水滴をすくうような手の動き、花咲爺が満開の桜を眺めるような手のかざし方。
そういう力の抜けた動きをしなさい、という。
こういうことになる。
心と体が結びついているため、情動のパターンが筋肉そのものを緊張、弛緩させてしまう。

筋肉に不必要な緊張があれば、当然その信号が脳幹に送られ、脳幹は興奮します。そして、その興奮が感情の脳である大脳辺縁系に伝達され、イライラしはじめます。(164頁)

スポーツが要求しているのは、心と脳をどうリラックスして使うかがスポーツの主目的。
二月のことだったが、あれは見事だった。
韓国であった羽生結弦のショート(プログラム)。
もちろんミスが続いた。
それでもあの子は別次元だから。
ショートは終わった瞬間に自分にうっとりしていた。
出来がいいと、あの子は自分にうっとりする。
ドヤ顔をする。
あのショートの時、羽生結弦は完璧に神がかっていた。
ショートの演技が終わった後、役が抜けずにゾーンのまま。
しかも今回「音にこだわっていた」という不思議な言い方をしていた。
「今回、僕は音になりきれた」と言った。
「音になりきる?」というのが神がかっていると思った水谷譲。
神がかっているところにあの子はいってしまった。
もちろん後半の長い方は気に入らなかったと思うが、あのショートのフィギュアスケートを見た時に、この子は完璧にゾーンだと思った。
ファンの方が言ってらっしゃるから、武田先生がガタガタ言う必要はないのだが。
あれは指先まで全部動いている、波打っている。
何一つ止まっているところがない。
あれは見ている人は何を感じるかというと「リラックスしている羽生」を見る。
あそこで緊張していいハズ。
だが、緊張するところでリラックスをしている羽生を見ると、こっちも同期する。
羽生の動きには同調させる響きがあった。
スポーツが要求しているのは、緊張という瞬間にいかに弛緩、和やかさ、ゆるみを引き付けるか?
その技術ではなかろうか。

人間の体に宿る「力み」について懸命に考察をしている。
武田さんはゴルフを辞めて合気道に打ち込もうとする。
だがその合気道からも指摘されたのはゴルフと同じ欠点。
力みすぎ。
「一体『力み』というのはどこから来ているんだ?」とアラ古希の武田先生は懸命に考えて、体の中にその「力み」、「固いモーション」は「固いエモーション」から来ているのでは?ということを学んで。
ゴルフあるいはスポーツが要求しているのは、心をリラックス状態で、判断の視野をいかに広く取っているか?
これがスポーツが要求しているものなのだろう。
集中とは言うが、その集中の中には「広い視野の判断」ということもある。
ファインプレーとは何か?
ファインプレーとは「伸びやかさ」。
伸びやかさは縮んだ筋肉からは生まれない。
その伸びやかさをどう保つか?
武田はどうしたか?
力を抜いて伸びやかにするためにはどうしたら手に入るか?
何かヒューマン関係、人間関係でもいい。
「うまくやりたい」とか「伸びやかにやりたい」。
ゴルフも伸びやかにやりたい。
合気道も伸びやかにやりたい。
どうしたらいいか?
いろいろ考えてみたが、この本の著者も同じことをおっしゃっている。
身体心理学の山口創さん。
無意識というものを活発に使うためにはどうしたらいいか?

「型」から入るのです。(164頁)

筋肉の緊張を打ち消す訓練。
それは型を繰り返すこと。
水谷譲の坊ちゃんもやってらっしゃる合気道。
この合気道という武道はいろいろ流派もあるが、基本的に試合をやらない。
「見取り稽古」といって、お師匠さんが技を見せてくれる。
それを見ながら「受け」「取り」に別れ、見せてもらった技を繰り返す。
これは実に単純。
本当に見るともうすぐにできそう。
右手と右足を前に出して半身に構えておいて、引いた方の足を一歩前に踏み出して回転するだけ。
これがずっと練習を積んでいくと、いかに難しいかがわかる。
「練習すればするほど難しさが難しくなってくる」というのがすごいと思う水谷譲。
武田先生の指導者の高段位の人が言ったが、不思議なことを時々言う。
まだ忘れないが、凍ってツルッツルに滑りそうな橋の上があった。
「まいったな〜。この靴じゃ滑っちゃうかも知れないな」と思った。
それで半身に構えておいて回転を繰り返しながら橋の上を渡っていったら転ばなかった。
重心の置き方が極意に達してらっしゃるのだろう。
この「型を繰り返す」というのが武道としてはいささか「強い」「弱い」というのがはっきりしないかも知れないが、合気道は「強い」「弱い」を否定する。
「強くて何かいいことあんの?弱くて何か困ったことあんの?」と問い返してくる。
考えてみれば、合気道をやっている外国の方もいっぱいいらっしゃるが、なぜいいかというと「型を繰り返す」このことが訓練としては筋肉の緊張を打ち消す最高の訓練なのではないか?
だから日本の文化は型稽古が多い。
能狂言、日本舞踊、歌舞伎、禅、そして武道。
これらを支配している稽古は「型稽古」。
この同じパターンを繰り返すことによって無意識を動かしてゆく。
以前、武田先生が「弓」の話をした時も似たような話だった。
『弓と禅』あたりの話)
「型」から無意識を動かしていく。
例えば幸せな人生を送りたいと思うなら、まずアナタが幸せなふりをするところから始まる、という。
いくらでも人生に転用が効くような。
深い深い話になればと思いつつ繰り広げておく。

「力み」からどんどん話が深いところに。
(番組冒頭の「街角の声」の)街角の青年に向かって「人格は変わるんだ」と言ったが、水谷譲がエラく褒めてくれたが、武田先生は自分が言った「いい言葉」に気づかなかった。
完璧に今「力み」がなかった。
力みがない時の方が名言が残る。

桜美林大学の山口教授の面白いところは、こういうことをおっしゃっている。

現在、脳トレなど脳を鍛えることが流行っていますが、身体の状態や動きを無視していたら、その効果はまず期待できないでしょう。(164頁)

脳トレは格別にやってはダメなのだ。
これを言うと困る人もいるので、あんまり強く言うといけないかも知れないが。
山口先生に覆いかぶせるが、武田先生もすごく納得がいく。
脳トレをクイズ形式でやるテレビ番組があるが、あれは脳トレには全く効果がありません。
脳が発達してうまく筋肉を動かしたのではない。
筋肉が動くことでゆっくりと脳は発達した。
つまり、座って答えるということが脳のトレーニングにはならない。
では、脳を鍛えるためには何をするか?
動くこと。
動きながら。
武田先生が一回だけ見たことがあるが、ヤワラちゃんが男の人をおんぶして階段を上っていく。
その間に二桁の足し算をやり続けさせられる。
あれは、動きながら他の考え方をする無意識を作るため。
東大生まで総動員してやっているテレビ番組があるが、あれは脳トレでやりたかったならおよしなさい。
それだったら歩きながら「今日は一句作ろう」とか、「菜の花や」とか「桜咲く」とかという歌を二〜三個作るほうがよっぽど脳トレになる。
人間はじっとして考えられる生き物ではないんだ、と。
人間はなぜ脳が発達したか?
これは獲物を追いかける、獲物を待つ、罠を仕掛ける、その場所を記憶し、穫れた獲物、それを仲間と一緒に分ける。
いずれにしても考えることに全部動きが入っていた。
走るにしても人は脳を使うことで長く走る。
人間というのは。
ヒョウとかチーターとかは凄く速いかも知れないが、マラソン大会には絶対出ない。
自転車に乗る動物は他にもいる。
サルもいればクマも自転車に乗る。
しかし、サルもクマもアップダウンをわざとつけた坂をジャンプしながら飛び出るというようなのはやらない。
まして空中でその自転車を一回転させて降りてくる。
オリンピックは凄い。
あんなことをやるのは人間しかいない。
なぜ人間はあんなことをやるか?
人間は新しい動きが好き。
とにかく人というサルは「動くことが好き」+「新しい動きが好き」。

人間は−中略−動きながら考える」のだと思います。(169頁)

頭をかく、腕を組む、あるいはコーヒーを飲む。
手のひらで口を覆う、椅子に座っていても脚を組み替えたり、人は必ず動く。

人間は−中略−動くことで考えることができる(169頁)

動かなくなると人は考えなくなる。
ここからこの先生、この教授はまた面白いことを言う。
これはやってらっしゃる方はたくさんいらっしゃるかも知れないが、整形美容。
整形美容のある意味での危険さでもあるのだが。

 アメリカの脳科学者キム・ジャスティンたちのグループは、実験参加者の眉間にボツリヌス菌を注射して、他者のいろいろな表情の写真を見せたときの、偏桃体の活動を測定しました。(170頁)

副作用がある。
それは何と怒りっぽくなる。
怒っているのだがシワが寄らないので、そのことでイラッとするらしい。

 するとボツリヌス菌を注射すると、偏桃体の活動が大幅に低下することがわかったのです。(170頁)

整形美容手術は脳と表情の動きが切れる。

自分の感情の表出が少ない人というのは、他者の表情の理解にも困難を示すようになることがわかっています。(171頁)

他人の表情と自分の表情が一致しない。
みんなが「えっ?」と驚いているのに筋肉が動かないから一人だけぬいぐるみみたいに笑っている。
そうするとだんだんと人の気持ちを理解する能力が低下するそうだ。
脳に影響があるそうだ。
整形美容は表情筋に異物を挿入し、美しい型に仕立てて固める医術。
最初から顔の表情が動くことを否定している。

そして、非常に便利なツールであるスマホ。
これもそういう意味で危険、と山口教授はおっしゃる。
「歩きスマホは危険です」は当然。
スマホの危険は「人の動きを固定する」。
スマホを見ている人は姿勢でわかる。
「スマホ姿勢」というのがあまり人間の健康のためによくない。

人の頭の重さは、だいたい5キロ程度ですが、スマホをやっているときの姿勢は、首を下に向けるので頭の重さが首にのしかかり、頸椎にかかる負担は25キロにもなるのです。(173頁)

これが首から肺を圧迫し、肺炎等々を呼び込みやすい姿勢になってしまう。
そしてこれが面白い。

人は元気がなかったり落ちこんだりすると、自然に頭を下に「うなだれる」のです。すると、別にうなだれているのでなくても、うつむき加減の姿勢をとっていると、本当に元気がなくなって落ちこんでくるのです。(174頁)

サッカーの時に「下を向くな!」と言う。
あれは下を向くと「負け」に入ってしまう。
スマホというのは「負け」の姿勢。

筋肉や筋膜で知覚した感覚(緊張していたり弛緩している感覚)が脳に届いて、脳に影響を与え、それは心にも大きな影響を与えているのです。(176頁)

スマホをじっと動かずにやり続けていると、悪い影響は身体面ばかりではなく心理面にも出てくるといえるでしょう。(176頁)

落胆している姿勢をすると、心理が落胆してしまう、という。
わかりやすい。

だから武田さんの肩から力を抜くというのが、だんだん具体的になってきた。
一番大事なのは自分、語っている武田先生。
やっぱり上を向かないとダメ。
それと「教えてもらう」という気持ちで挑むこと。
どうしても「教えてやろう」というのが働くものだから肩に力が入って。
飛ばないし寄らないというみじめな。
ゴルフというのは本当に激しく自分を傷つけるスポーツ。
パターが入らないしOBを打ったりする。
その瞬間に自分に対する怒りが凄まじい。
ジェントルマンで経済界のお爺ちゃんがおられて、その方と一緒にゴルフを回っている時、その人が30cmぐらいのバーディを入れると4点ぐらい貰える。
パーで2点。
4点あったら武田先生たちはそのプロアマ戦のトップに踊れる可能性があったので励ました。
「ファイトー!」とかと言いながら。
「私は入れますよ!これでも海軍の生き残りだ!」とかとその方が言っていた。
そうしたらそれを外した。
その時にその経済界の大物のジェントルマンが叫んだ言葉「老いぼれ〜〜〜!」。
自分に向かってそうののしられた時に「これほど自分を傷つけるスポーツはない」と思った。
さあ、傷つけられないためにどうするか?

ゴルフの下手さから、内臓に宿った心、内臓よりも先に「オレが考えたんだ」と出しゃばってくるというような人体の構造。
そして筋肉が感情を作るんだ、というようなところまでいって、武田の肩から力みを抜くため今、掴んだ答え。
結論ではない。
今、少なくとも「そういうことなんだ」「力みを取るためにはこういうことをやった方がいいんだな」ということを一冊の本から得たのでご報告したい。

 抗重力筋(図13)は重力に対してはたらいています。人類の祖先が森林からサバンナの草地に出て二足歩行をするようになった進化の過程を考えてみると、最も支障になったのは重力です。(178頁)

 セロトニンは、先にあげた抗重力筋に対し、運動神経のレベルを上げるはたらきをしています。ですから、セロトニンが活性化されているときには、背筋がピンとしていて、顔にもハリがあるのです。(179頁)

そのことがサルを人にしたのだ。
だから真っ直ぐに立って上を見て、穏やかな表情でいる。
これが何よりも重大だ、と説く。

最後の方だが、ハッとするページに遭遇する。
それは右手と左手というのがもの凄く脳のために大事で、気分のためにも大事。

身体の情報が脳に入っていくとき、身体の左右の情報は、反対側の脳半球に入っていきます。つまり、身体の右半分の情報は左脳に入って処理されるわけです。−中略−左脳はやる気のように行動を生み出すときに活動するのに対して(181頁)

チャンピオンが勝った時に挙げられる手は右手。

右脳のこの部分は不安や恐怖、悲しみのように行動を抑えるときに活動することがわかっています。(181頁)

だからやっぱり右手で攻めて左手でかばうという。
これが右脳左脳の使い方なのだろう。
すごく感動したのだが、武道の本で読んだのだが、武道というのはすごくわかりやすくて、右手と左手に違う仕事をさせる。
チャンバラごっこで刀が左腰にあって、抜く。
上段に構えておいて降ろす。
この瞬間に誰でもこの脳の使い方ができる。
日本刀を振り下ろす。
その時に右手と左手が違う仕事をしている。
右手はより遠くへ行こうとする。
左手は手前に帰ってこようとする。
右手の言うことを全部聞くと自分の足を切る可能性もある。
それを左手でカバーしている。
これが日本刀に於ける大上段から構えた袈裟切りの構え。
日本人はこれが自然のうちに身に付いた武道の精神で、右手と左手に違う役割をさせながらコンロールする。
だから右手と左手を同じように使うことがミスを招く。
力みを産む。
これはゴルフをおやりの方は考えてみてください。
ゴルフの握り方と日本刀の握り方は同じ。
面白い。
何かの運動をする時は反対側もやりなさいよ。
王(貞治)選手は左バッターだった。
あの王さんはゴルフは右でやってらした。
「バランスが悪くなる」とおっしゃって。
王さんというのはそういう人。
そういうきちんとした理づくめを持っている人。
右手と左手の使い分けをきちんとすると体が納得して、アナタの思いのままにゴルフスイングができるかも知れない。
あるいはなかなか上達しないアナタの合気道もヒョイっと上達するかも。
合気道は武道だから右と左がある。
だが、時々やっぱり高段者から指摘されるが利き腕の罪というのがある。
みんなやっぱりどっちか得意がある。
「右の方が得意です」とか「左の方が得意です」とか。
合気道は認めない。
「両方ともできないとダメ!」という。
そういうこと。
そして究極ではあるが、力み過ぎ、肩から力を抜く方法だが、とにかく普段からゆったりと弱い力で大きく動くこと。
これが力みを消す最善の方法ということ。
出た結論はここまで。


posted by ひと at 14:59| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年3月16〜27日◆力み(前編)

水谷譲を前に大風呂敷を広げながらいろんなことを語っている。
人生について語ったり、奇怪な事件について語ったり、漢字の大元について語ったりと毎日忙しくお話をしているが。
年齢と共に武田も傾向と対策が変わって。
最近、傾向と対策を変えたのは「自分にちょっとでもひっかったらそのことについて考えよう」と。
「ひっかかりがない」というのは絵空事になってしまうから。
自分が問題意識を持った、今の(番組冒頭の「街の声」の)青年の言った通り。
自分が「これは」と思う「ひっかかりを感じたら」という。
正直に我が身から問題を『(今朝の)三枚おろし』のネタを紡ぎ出したということで。

忘れもしない、それは2017年、正月冬のこと。
武田先生は2017年1月1日から辞める気でいたゴルフクラブを握り直した。
辞めようと思っていた。
何でかというと、武田先生はゴルフが全然上達しないというのと、どんどんスコアが悪くなっていくという。
それで違う何かを始めた。
その「何か」とは何かというと合気道。
合気道をやり始めて三年ぐらい経ってから「ゴルフはやっぱり辞めよう」と「合気道のほうがいいや」と思ったのだが、この合気道に入れ込むつもりで合気道を一生懸命やっているが、三年経っても指摘される武田先生の欠点。
それが「力み」。
もう何回やっても肩を叩かれて「武田君、肩に力が入ってるよ」「武田さん、力みすぎですよ」。
自分よりも段位が上の三段、四段の方にそのことばかり注意される。
これはどういうことかというと、これはわからなかったらわからないで結構だが、合気道の場合は見取り稽古で、二人が「取り」と「受け」にまわり、お互いに技をかけあう。
「受け」は技を受ける人、「取り」は技を取る人。
一番最初の「初手」というのはだいたい決まっていて、相手が半身に構えておいて、手を伸ばして、取りの手首をガッと掴む。
そこからすべてが始まる。
その握られた手を外しながら技をかける。
その握られた手を外す瞬間、武田先生はもう力が入っている。
「武田君。それじゃあどう反撃してくるか全部読まれてしまうよ。何気なく、何の力みもなくフッと握らないと、手のひらの強さで自分がこれから何をするか全部相手に教えてしまっとる」
これができない。
水谷譲の息子も(合気道を)やっている。
「力抜け。力抜け」ばっかり。
四方投げとか小手返しとかという技に入るのだが、時々鋭い先輩がいて、今は有難くなったがいじわるをする人がいる。
相手が手首を握ってきた。
それを武田先生が技に入ろうとした瞬間に上から押さえつける。
動けない。
それはある技が進歩していく途中で、そういうことをやってくれる先輩がいる。
それで技の純度を確認する。
相手が握ってきた。
技に入ろうとすると、相手がギュッと上から押さえつると動けなくなってしまう。
それで「またぁ〜力んでるから。わかるもん、武田君」という。
面白いもの。
その時に力を抜いてフッと手を上げる。
そのことで相手の力をそらすのだが、絶妙のことを言う人がいる。
これからが禅問答のよう。
「桜の花を片手で額に当てて眺めるように相手が手首を押えているのにこちらは花見になぞらえてヒョイと上げる。それができたら技に入れる」という。
何だかわかるようなわからないような。
それから「屋根の下から一滴、雨のしずくが落ちてくる。その雨のしずくを手で受けるようにスッと」。
あくまでも技というのは何気ない、全く力の入っていない動きから、という。
水谷譲も子供の合気道の稽古をたまに見に行く。
すごく静か。
「はい次〇〇」
二人で組んでサッ・・・サッ・・・サッ・・・
穏やかな空気が流れていくというか「合気道は不思議な世界だな」と思う水谷譲。
技のタイトルを言うだけで「相手半身、片手取り」と言うと、その技に入る。
気合も何も入れない。
普通は武道だと「ウェァァァァァ〜〜〜!」とか。
言わない。
流れる水のごとく。
「風のようにやりなさい」
それを武田先生は「ヨシ!来いや!」と言うから、デンマーク人の女の子から「うるさい」と言われて怒られたことがある。
とにかく相手が手首を掴んだ。
その瞬間に「そうはさせじ」と力むことが、これから何をするかを全部読まれるという諸動作になってしまう、という。
「力みすぎ」と「どこかで言われたなぁ〜」と思ったら、二十年ぐらい前、夏目雅子さんの弟さんのプロゴルファー小達(敏昭)さんから「武田さん。グリップ強すぎ。力みすぎ」と言われた。
「あれぇ?」と思った。
ゴルフがうまくならないのと、合気道がうまくならない。
案外同じ原因「力み」ではないかと思って、力む自分を振り返るようになった、というのがこの『三枚おろし』のネタの始まり。

我が体に残った妙なクセ「力み」。
合気道をやっていてしばしば先輩連から指摘を受ける。
「武田さん。また力んじゃってダメですよ」
館長、武田先生を指導してくださる最高の責任者の方がいらっしゃるが、この人がおっしゃる。
「相手が武田君の手を掴んで来た。『掴まれた!負けてたまるか!』じゃなくて、その瞬間力を抜いて掴まれた手と一緒に沈みながら自分の片手をゆっくりと上げて、親指を吸いなさい」
親指を吸う。
これは不思議なポーズ。
70過ぎて親指を吸うというのは。
だが、親指を吸うと力が抜けている。
相手をうつぶせにして、腕をねじり上げる技がある。
その時に館長の名言は「大事なお子さんを抱くように相手の腕を抱いて、ゆっくりねじってあげなさい」と。
ヨシヨシをするように。
これが効くの何の。
肩ごとねじ切られるぐらい。
その全てが相手に殺気を感じさせない受けの柔かさ。
肩と肩がぶつかっただけで「何だこのやろう!」とケンカになる。
ボーンとぶつかった。
「この野郎」と思うからカチンとくる。
一回転するためのエネルギーだと思えば「どうもすみませ〜ん」と言いながら振り返って礼を言いながらまた歩き出せる、という。
「力を抜く」ということは、武道の始まり「極意」なんだ。
これが抜けない。
そこで何を考えたか。
「何で俺はこんなに力むようになったんだろう?」と思った。
その時にフッと我が人生を振り返ると、あっちこっちに力みすぎの思い当たる節がある。
「あすこでも力み過ぎた」「ここでも力み過ぎた」
そうです皆さん。
武田鉄矢、力み過ぎの人生。
荒川の土手を歩く中学校の先生役から

3年B組金八先生 第1シリーズ 初回限定BOXセット [DVD]



ハンガーで闘う刑事役

刑事物語2 りんごの詩



トラックの前に飛び出して「ボクは死にません」と絶叫する失恋男。

101回目のプロポーズ [DVD]



武田先生の俳優としての「売り」、セールスポイントは「力み過ぎ」。
あれは力まなくてよかった。
あれは力んでよかったと思う水谷譲。
とにかく武田先生は「力みすぎ」をセールスポイントにしてきた。
それが還暦を過ぎて古希になったのに、まだ余熱として残っている。
これから続く自分の人生があるならば、この力みを一種障害として乗り越えた人生を歩きたい。
そこで、何を考えたかというと、一所懸命合気道をやってみよう。
合気道で得た知識を活かして肩から力みが取れた証明をゴルフで明かすか、という。
人生半ばもとっくに過ぎているから、力みすぎ「それは取れませんでした」でパスしても許される、アラ古希世代。
ただし、武田先生はだんだん合気道が面白くなっていた。
フツフツとたぎるものがある。
そこで願掛けに似た気持ちで「力み」というヤツととことん闘ってみようと思った。
そういうワケで2017年1月、雪の臭いのするお正月の風に吹かれながら50ヤードアプローチの練習場に行き、ゴルフの練習を開始し、早三年の歳月。
上手くなったかどうかは横に置いて、力みはどこから来たのか、まだ考えていて、そんなときばったり出会った本が『からだの無意識の治癒力』という。
(番組のホームページの方では本のタイトルが『体の無意識の治癒力』となっているが、正確には「体」はひらがな)

からだの無意識の治癒力 ?身体は不調を治す力を知っている



桜美林大学、(専攻は)身体心理学、山口(創)先生。
(発行所)さくら舎という。
この本のタイトルの「無意識」という一語に惹かれた。
何でかというと、「力み」は無意識から来ている。
だから、武田先生の力みは無意識の中に住んでいるんじゃないだろうかと、こんなふうに思った。
この一冊、この先生の本の面白いのは「心があって体が反応して動く」そんなことではないんだ、という。
「どこへ行こうか考えて自転車を漕ぐ」ではなくて「漕いでからどこへ行こうかと考えている」ようなものだ、と。
脳が考える前に指はもう動いている。
そうでなければピアノなんか弾けない。

 私たちのしている行動というのは、そのほとんどは潜在意識でやっていて、意識はそれを傍観者のように眺めていて、必要があればその行動を実行する前にそれを拒否することができる程度であるという主張もあります。(49頁)

困ったことにこの時間差を意識は認めず、さも「私がそう決心したから体はそう動いている」という順序を逆にして記憶として残す。
私を操っている主役は脳ではなくて体の方で、武田先生の力みも脳にあるのではなくて体に宿っている。
ではもう一度、体に向き直そう。
アラ古希として。

体というのは不思議なもので「力んではいけない。力んではいけない」と思いながらついつい力んでしまう。
ゴルフなんかやっているとつくづく感じる。
「体というのはこんなに動かないもんなんだ」という。
すごく面白いのは、私たちは頭の中で考えて、その頭、脳が体を操って動かしていると思っているが、どうもそうではないんだ、と。
体が動いて、脳が動きにつれてそれを記録し「俺が考えた」と途中で割り込んでいるのだ、と。
面白いことをこの本は書いている。

実験では、参加者に動かす手をランダムに選ばせました。そのとき密かに、磁場を用いて脳の異なる半球を刺激してみます。すると、右利きの人は実験期間の60パーセントの間、右てを動かすことを選び、右脳が刺激されている間は、実験期間の80パーセントの間、左手を選んだそうです(右脳は身体の左半身を、左脳は右半身を統括しています)。
 この場合、実際には動かした手の選択は磁場の刺激といった外的な影響によって起こっていたにもかかわらず、参加者は「自分は手の選択を(外的影響とは独立に)自由にしたことを確信している」と報告しているのです。
(49頁)

実は体自体が考え事をして、考え事をした結果、脳に伝えている。
ところが脳自身はそれを認めない。
「なんとなくそうしたかった」とか、そういうことを言っている。
脳が見て、判断して「危険が」で慌てて逃げる。
その間に死んでしまったら大変なので、人間は体がまず動くようになっていくらしい。

目の前にパソコンがあると思ってください。
勘で結構なので好きな方を答えてください。
アナタの目の前にはパソコンのキーボードがある。
そこでアナタの好みを答えてください。
「あか」と「いみ」どっちが好き?
「いみ」だと思う水谷譲。
「うえ」と「うつ」どっちが好き?
「うつ」だと思う水谷譲。
「おと」と「おん」どっちが好き?
「おと」だと思う水谷譲。
「FV」と「FJ」どっちが好き?
「FJ」だと思う水谷譲。
何の参考にもならない。
「あか」だと片手で済む。
「うえ」は「あいうえ」で。
「おと」の方がすぐ近くにある。
「ん」は端っこにある。
アルファベットのキーボードを打つには「FV」と「FJ」では「FJ」。
四問出して二問は罠にはまったが、あと二問は・・・
(本の中には「FV」と「FJ」しか出てこないし、この設問は意味が不明)
キーボードを見ていて探しやすいものと探しにくいのがある。
そういうのを体の方が知っているのではないか?

何を好むかといった判断は、身体レベルで無意識のうちに行っているのです。(54頁)

自分の心拍を正確に感じることができる人ほど、直感が正確だったことがわかりました。(55頁)

内臓全体が気力に深く関わっていることは十分知られているが、その内臓のためにきちんと空腹を感じることが大切なのだ。

奥様からさんざん言われて少し従うようになった。
奥様はこの間パーティー会場でけつまづいて足を捻挫した。
もう飯を喰わなくなった。
「何で喰わねぇんだ」と言ったら「喰うと回復力が落ちる」という。
そんなふうには思えないのだが。
奥様はその一点張り。
「喰うと消化する方に神経が全部行ってしまって、治す方に手を抜く」
入院中の大食いというのはまずい。
武田先生のスタッフのイトウ社長が喰わない。

 私はむしろ空腹感をきちんと感じられることが大切だと思うのです。(56頁)

 人は空腹なときには、脳で脳由来神経栄養因子−中略−というたんぱく質がつくられて、記憶力がよくなることが実験で確かめられています。(57頁)

 空腹感は脳がつくりだすもので(59頁)

身体はこれを防ぐために肝臓を内臓のまわりにある脂肪を糖に変えることで血糖値の低下を防ぐようになります。だから、適切な運動のタイミングは、空腹感を感じたときなのです。(59〜60頁)

空腹でいると−中略−直感が鋭くなり創造力が高まるといった効果が確認されています。(58頁)

皆さん、腹が減ってから飯を喰いましょう。
当たり前のことだが。
我々は最近は以外と時間で飯を喰う。
「そろそろお昼だな」みたいな。

脳と体の神経回路が活性化される。
それが人間が賢くなれる唯一の方法なんだ。
「よくよく考えてみなさい」とこの本の著者は言っておられる。

 長く走るためには体温を低下させなければいけません。そのために肌の毛をなくして、汗をかいて熱を蒸散させるように進化しました。(65頁)

我々の先祖だが、立ち上がったサルは腸を進化させた。

腸は入って来る食べ物の成分を分析し、膵臓や肝臓、胆嚢に司令を出します。たとえば、すい臓にたんぱく質や脂肪を分解する酵素(膵液)を分泌させ、それを腸に送りこませます。−中略−腐ったものなどの有害な物質が入ってきたときは下痢を起こして水分を大腸から吸収させず、毒物を体外へ排泄するようにします。−中略−
 また口から吐いて有害な物質を出すときにも、腸のセンサー細胞が腸に入ってきたものを有害だと判断すると、セロトニンという神経伝達物質を出します。
(71〜72頁)

(このあたりの話は番組では「人間が進化した結果獲得した」という感じの話になっているが、本には「人間限定」ということは書いていない)
吐くとか下痢をするというのはものす凄く大事な内臓を守るための本能。
異物が入ってくるとすぐに感じる。
脳と腸を活発にしましょう。
腸は生命にかかわる判断力でサルを人に進化させた。

 脳と消化管をつないでいるのは、脳幹から下に伸びる迷走神経です。−中略−迷走神経は広く消化管に分布していて、その9割は内臓の情報を脳に伝達するはたらきをしているのです。(73頁)

「何かお腹が重っ苦しい」とか「喰い物が美味しくない」とか、それはやっぱり腫瘍で大きい手術を受けた海援隊の中牟田(俊男)が言っていたが「何か予兆(兆し)はあったか?」と言ったら「何喰うても美味うなかったぁ〜」とかと言う。
中牟田に関して「大丈夫かいな」と思ったのは隠れてゲップをしている。
そのへんで「コイツ大丈夫かいな」と思った。
もしかすると食道の方の腫瘍が引っかかって吐こうとしていたのかも知れない。
それが吐けなかったというところから、だんだん重い病に、という。
今は元気になった。
日本人というのは非常に面白いことに「内臓が気分を動かしてるぞ」「操ってるぞ」ということを気づいたのだろう。

たとえば「腹黒い」「腹が立つ」「腹の内を探る」「腸が煮えくり返る」。ほかにも「吐き気をもよおす」「虫酸が走る」「飲めない(話)」「喰えない(奴)」など、消化器の言葉を使った感情表現は、日本語にたくさんあります。
 また「むかつく」というのも内臓の感覚です。
(70頁)

だから、申し訳ないが隣の大きな国の方、何でも食べちゃダメ。
選ばないと。
「内臓と結びついた身体言語を日本は持っているんだ」と。
事実として腸を中心とする消化管は神経組織を持ち、セロトニンなどという神経伝達物質、こういうものを分泌して気分を作っている。

 近年、腸は免疫をつかさどる器官としても注目されています。(72頁)

何回も話しているが。
心というのはおそらく脳と共に腸で発達した現象であろう、というふうにこの山口創先生も認めておられるが、『(今朝の)三枚おろし』で取り上げたことのある三木茂夫さん。
このあたりで紹介している)
この方がおっしゃっている。
「一本の消化管から生命は発達していった」という。

 解剖学的には、顔の表情をつくっている表情筋は、腸が伸びてできたものだと考えられています。(84頁)

腸の一番端っこが、水谷加奈の顔になっている。
その表情というのが、何のことはない、内臓の活性を相手に見せている。
「私、ムカついてんのよ」といったら顔もムカつく顔になる。
だから腸の一部が表情を作っている。

さて、最初に問題を置いた武田先生の「力み」。
力みを抜くヒントをこの一冊に懸命に探した。

この本をずっと読み進めていて、その本のタイトルである「身体心理学」「体の心理学」で、『無意識の治癒力』というこの本が気に入ったワケで、何とか武田先生の力みもこの本の中に「治す方法はないかな」と思って探した。
そうしたらそれに近いような答えがあった。
この中に「皮膚から癒す(第3章)」というページがあった。
この桜美林(大学)の先生はその本の中で皮膚の重大さを繰り返し説明しておられる。
虐待児、拒食、うつなど。

 近年、認知症の高齢者が増加しています。そして彼らは皮膚感覚に問題があることが明らかになっています。(132頁)

身体深部体温の上昇。
これはもう、武田先生も身に覚えがあると書いているが、夜にトイレに起きるというのもあって目が覚める。
体の芯がものすごく熱くなって眠れなくなる。
冷や汗とか嫌な汗をかきながら、はっきり言うが本当に不安になってしまう。
ゴルフに挑もうかという話だったが、明日ゴルフに行く深夜なんかも「ゴルフやりたくねぇな」とか「練習の成果が出なかったらどうしよう」とか、何かこないだまで楽しかったことまでが不安になる。
このへんは年寄りというのは大変。
やっとお袋が言っていたのがわかった。
夜、お袋が電話してくる。
すでに亡くなっているが。
「どげんしたとね」
「いや、何かオマエのことが気になって電話したったい」
「なんば気にしとっとね」
「オマエ、近頃はテレビの本数が減っとりゃせんか」
「それなりに一生懸命やりようけん、いいやない。もうはよアンタ寝なっせぇ。こんな時間よ」とか叱ると「ああ、何か眠られんで心配ごとばっか思いついてなぁ」「心配せんでよかと言いよろうが」と言うと「心配するとが年寄りの仕事たい」と言う。
その時に「何てバカな」と思ったが今はちょっと意味がわかり始めた。
加齢というのと心配事というのは。
同じような年の方が(この番組を)聞いておられたら同病相憐れむで「お互い様ですよ」ということで行きましょうや。

アラ古希の方はよくおわかりだろうと思うが、この年齢になると「肌が合う」「合わない」がある。
「何か嫌いな人」というのは・・・
昔はやっぱり才能で見たり、点数化できたが、年を取ってくると肌で人を見るようになる。
だから簡単に詐欺師にひっかかる高齢者の方がいらっしゃるが、(詐欺師は)肌を合わせるのが上手なのだろう。
そういう「皮膚感覚」ということで、脳が全てを支配しているのではなくて、人は皮膚や感覚、内臓からのセンサーを使って外界を探査している、調べている生き物なんだ。
我々はそういう生き物なんですぜ。

筋肉の動きが感情を作る、人体に於いて有りうることで。
重苦しいものがあったり、夜中にカーッと眠れないことがあったら、昼間なるべく機嫌のよい顔をしましょう。
笑うことがなかったら、まず自分でおかしくもなくても笑ってみること。
そうすると笑うようなことがアナタの周りに起き始める。
武田先生の力みは、どうもこのへんではないかという気がしてきた。
何で武田が力むか?
アラ古希になって初めて気がついた。
人に教えたがる。
自分の人生の半分くらいをウソで「先生先生」と呼ばれた男の作用・反作用。
あるいは副作用。
「人に教えよう」と思うところが肩の力みとなって教えられているという。
先生役で鳴らした武田さんにとって今、一番大事な動きは何か?
よき生徒になること。
教えられる側になること。
わからないことがあったら、ちゃんと質問する。
「わかったふりをする」というところから力みが来るとしたら、アラ古希の皆さん、「力み」というのは今までの自分に対するこだわりが無意識のうちに染み込んでいるんじゃないか?という。
体を通して、この『(今朝の)三枚おろし』を続けたいと思っている。

posted by ひと at 14:48| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする