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2021年02月28日

京急急行の「コロナに負けるな!京急沿線商店街号」の中も見て来た

以前ご紹介した時は、通過するのを外から見ただけでさっぱり何も撮れていなかったけれども、今度はちゃんと・・・撮れてないけどな(鬱)。
ドアが閉まっていないと柄が途切れるラッピング電車が多いので、ホームでドアが閉まるのをずっと待っていたりしたけれども、これは別にドアとは関係なく柄が入っていたので、待っていないでどんどん写真を撮ればよかったんだなと、後から思った。
しかも、ホームで後ろに目いっぱい下がっても一両分まるごとは撮れないし、どうやったらうまく撮れるのかわからなかった。

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壁(っていう表現でいいのかわからんけれども)に掲示してあるのは全部これだった。
照明がどうやっても入り込んでしまうから、うまく撮れなかったけれども。

上の中づり広告(っていう表現でよかった?)が何種類あるのかわからないけど、できるかぎりいろんな種類を撮ってきた。
撮っている途中で同じものが二枚ずつ並べてあるって気づいて、両方が入るアングルじゃなくていいんだって思ったんで、途中からは一枚だけを撮ったけど、最初は気づいていなかったから端が切れたりだけれども。

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ということで、何枚かはドアが閉まる前にも撮影したり、動き出したヤツを撮ったり。

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鉄道まるわかり 001 京急電鉄のすべて



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2021年02月26日

2020年11月9〜20日◆コロナと共に(後編)

これの続きです。

コロナと共に人間は生きねばならぬ、という。
若い世代の呼び方も「ロックダウン世代」と呼ぶようにしようなんてアイデアが上がっているワケで。
何かニューヨークのニュースとかロンドンのニュースとかを見ると状況が(日本と比べて)きつい。
日本は抑えている感じはする。
人と人とが接することを「face to face」とか「皮膚感覚」とか言われた言葉が全部消し飛んで「ソーシャルディスタンス」「間合いを取れ」という、そんな時代だから「ロックダウン世代」という言葉も響きは悪いが当たっていないこともないな、という。
先週お話したのは「ソーシャルディスタンス」そんな横文字はやめよう。
家にいることを「ステイホーム」なんて言わない。
「巣ごもり」の方が的確。
このコロナと共に生きる自体。
「ソーシャルディスタンス」のことを武田先生は「間合い」と呼ぼう、と。
しかもこの「間合い」に関しては人からお説教をされることはない。
日本人というのは間合いの民族。
あまり「民族」という言葉は好きではないが。
間合いの民族と言ってもいいぐらい間合いに関してはデリケートである。
お話したのは渋谷のスクランブル交差点。
四方方向から人が流れ混んできて誰一人ぶつからず全員がすれ違うという。
日体大の名物みたいなもの。



「エネルギー」という物理量は、−中略−質量×加速度×距離ということになります。(「間合い」とは何か 14頁)

これを一瞬でやる。
2m以内に入る前にやってしまって、2m入った段階でもう避けている。
目測、暗算で測りだす人が非常にたくさんいらっしゃる。
それから日本人の独特なのだが

物理には「位置エネルギー」という言葉があり、−中略−位置が高ければ高いほど、位置エネルギーは大きくなります。(「間合い」とは何か 15頁)

こういう「位置エネルギー」にも敏感で、高いところからものを言うと「上から抑えつけようとするエネルギー」を感じる。
それが言葉になったのが「あの人の言い方、なんか高飛車!」「アイツ、上から目線なんだよね」。
この視線にしても、ものの言い方にしても、すでに間合いを取って威圧のエネルギーを感じる。
こうやって考えると日本人は「間合い」というものを日常から感じつつ自分というものを守っている。

先週言っていたが生きて行くということは「正しい答えを見つけるのではない。適切な答えを見つける」それが「頭がいいということなんだ」と。
ここにたどり着きたかった。
重大なことは、ぶつからない間合いを感じ取る。
二人称的な間合いを直感で思いつく。
それが大事なんだ。

繰り返しになるが、合気道をやっている。
「俺は強いぞ」と威張っているのではない。
合気道がいろいろなことを教えてくれる。
合気道の基本は簡単。
足を右左互いに出して、右足を前に出したら右手を前に出す。
それで引いた左足を一歩前に踏み出して一回転する。
回転の妙で敵を避ける。
その時に合気道の指導者は言う「指先に力を入れるな。指先に力を入れずに指先に蚊が止まっても感じる能力を持ちなさい。身体感度を上げなさい。そのことがあなた自身を守る武道になります」。
だから、日本の武道は、西洋のスポーツと違って、相手に存分のエネルギーを発散させることを目標にする。
その相手のエネルギーを使う間合いで上手さがある。
故に日本の武道には「相手の不調につけこむ」というようなやり方を「卑怯」と言って喜ばない。
武道には「油断をさせる」「裏をかく」「欺く」そういう戦術用語はない。
そこに達人の境地がある。
相撲。
世界でただ一つの特徴は何か?
スタートを自分たちで決められる。
西洋のスポーツは全部ジャッジする人がいて、スタートの合図はそのジャッジマンがやる。
ホイッスルを吹き、ピストルを撃ち鳴らし、掛け声を掛けて。
日本は違う。
見ていて「難しいだろうな」と子供の頃から思っていた水谷譲。
立ち合い。
だから凄く面白いことは、気が合わないと開始にならない。
敵と気を合わせないのが西洋のスポーツ。
相撲は二人がしっかり同じ気持ちで立たないと成立しない。
ああいうのは面白い。
相撲は両方の足の裏が天井を向いたら負け。
体当たりでビョーン!と相手を向こう側に突き出す。
その両足の裏側が天井を向いていたら負け。
一瞬、瞬間。
だがそれを見抜く。
白鵬の時にあった。
白鵬が負けになった。
足の裏を見せると負けになる。
間合いというもの「立ち合いの間」。
それを大事にする日本のスポーツと言うか興行だが大相撲がある。
立ち合いの間が合わないと開始にならないという。
そのへんが「間合い」。

そして、二人で間合いを作るというものの重大なスポーツ。
これは西洋からやって来たワリには日本人が大好きで人気スポーツの一つ。
野球。
大事なのは間合い。
野球の本質とは何か?ということ。
これがラジオではちょっと説明しにくいのだが、野球の試合進行はというとピッチャーが構えて投げて、投げられた球をバッターボックスのバッターが打つ。
これが野球の攻守になる。
ここのどこに「間合い」があるか?
これは単純に言うと投手はバッター、打とうとする人の間を外すことが名投手。
ボールを曲げたり落としたり横にずらしたり。
バッターはというと、投げられたその球を間合いを読んで遠くへ打つ。

攻撃動作と投球動作はまるで同じ構造をしていることがおわかりいただけると思います。投手が打者側ではない足で立つことと、打者が後ろ足に体重を預けることは、ともに体内に位置エネルギーを溜め込む行為です。次に投手は打者側に踏み出し、着地しますが、一方、打者も投手側に踏み出し、着地します。−中略−着地するや否や、投手は上半身の回旋と腕の振り出しを行い、打者は上半身を回転させながらバットを振り出します。−中略−投球と打撃は、ほぼ同じ原理で成り立っているのです。(「間合い」とは何か 43頁)

これも一種「間合い」。

打者が、投手に比べて、フェーズが一つずつ遅れて開始されているという関係にあることがわかります。まるで輪唱のように、打者は投手の動きを追いかけるのです。(「間合い」とは何か 44頁)

「間合いのズレ」を楽しむのが野球。
こういうのはたまらなく面白い。
間合いを自分で合わせなければ始まらないという相撲。
これも間合い。
投手と打者。
これも打つ、投げる。
この間合いをどう外すか。
それが勝負になってくるという。

それから、芸能に於いてもそう。
演技で要求されるのは「間」。
お芝居をしていて「コイツとは間が合わないな」というのがある。
もう決定的。
名優というのは間が上手。
誰と言っているのではない。
ただ、その人のドラマのお芝居を見ていて「何かこの人は嫌だな」と。
何に「嫌かな」と反応しているかというと「間」が嫌。
一番手に負えないのが自分の間だけでやる人。
やりにくい。
共演者と間を合わせること。
『3年B組金八先生』をやっていて向こうは素人。

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それをもの凄い高い次元のシェイクスピアみたいな芝居を子供の前でやっても間合いが合わない。
「何かあったか?ん?」
下手にやる。
下手さ加減を合わせるところにお芝居の間がある。
だから誰かがもの凄く高い次元でバーン!と出るとみんな付き合わなくてはいけないので、現場はみんなくたびれてしまう。
出てくる人がまずセリフでものを言わない。
まず目でものを言う。
つまり、静かなシーンは静かにやればいいし、騒がしいシーンは騒がしくやればいい。
驚くシーンは驚けばいい。
その方が見やすい。
驚くシーンで驚かない人が時々いる。
「ん・・・ん?何か?」
「何か」じゃねぇよ。
「大変だ」って言ってきてるんだから「大変だ」って顔しろよ。
誰と言っているワケではないが、ドラマだって演劇だって舞台だって「間」。
二人称的身体。
自分を作って相手に見せるのではない。
相手と一緒に自分を作っていく。
どんどん広がる。
ウィズ・コロナの時代。

ソーシャルディスタンスではない「間合い」。
日本の暮らしの中とか文化の中にある、人と人との「間」。
演劇にもあればスポーツにもあるというその「間」「間合い」を三枚におろしている。

例えば「間合い」。
日常会話に於いてもやはり「間合い」。
坂井田瑠衣さんという方がお書きになっているが。
会話に於いて最も重大なのが実は間合いなのである。

 日常会話を、「相手にかかわろうとするエネルギー」−中略−をさまざまなやり方で醸し出し合うことで、互いにとって心地よい間合いを絶えず形成し続けるプロセスである、と捉えてみましょう。(「間合い」とは何か 56頁)

共感とは、相手が見ている事物を相手の立場から捉え、相手が醸し出す訴えを感じ取ろうとすることだといいます。これが、「二人称的かかわり」です。(「間合い」とは何か 68〜69頁)

自分の主張を相手に渡すことではない。
「語りたいけれども上手く語れない」語りにくさへの共感。
言いたいことは何かというと「オマエが喋って私が聞いてる」というポジションではない。
「これ、何て言えばいいのかな?」「そうそうそうそうそう・・・そういうことを語る時、難しいんだよね」という、共感が生まれた時、会話は成立するという。
今度のコロナ報道が一番わかりやすかったのだが、事実を暗く語る方と、その事実の中から「語りにくさを語る」というアナウンサーの人がいた。
これも誰とは言わないが。
その人の声を聞くとほっとする。
それは局アナの人が「こう語りたいんですけども、語りにくいんですよね」という。
マスクをしている群衆がいる。
それに向かって「何人かしてない人もいますね。やっぱり気の緩みか」と責めるテレビ局の中で「たくさんの方が守ってらっしゃいます。お互いに注意したいですね」という、その語りにくそうに語るのを見ていて感じる時、もの凄くその人に共感する。
そして、会話に於いてその会話が順調にいっているなと思うのが、漫才でもそうだが

 会話には、ターンテイキング(順番交替)と呼ばれるシステムが働いています。(「間合い」とは何か 79頁)

それも「間合い」。
今は水谷譲は聞くのに忙しくて声にあまり出さないが、いわゆる「聞いている」というのを全身で表す。

会話の聞き手は、受動的に情報を受信するだけの存在ではなく、話し手の発話を受け止め、さまざまな反応を返す、という重要な役割を担っています。−中略−聞き手は相槌を打ったり、話し手に視線を向けたりします。話し手は、聞き手のそうしたふるまいの裏に、「あなたの話を聞いていますよ」というエネルギーを感じることで、スムーズに話し続けることができるというわけです。(「間合い」とは何か 57頁)

水谷譲も喋る時に、たえず自分がこう言った時に頷く聴取者の人の声が聞こえるがごとく語れた時にレジェンド女子アナになれる。
入社した時に「相手の間を絶対壊しちゃいけない」と言われた水谷譲。
その時は「『間』ってどういうものかな?」とずっと思っていた。
何でもそうだが「はい」という返事でさえも余りにも過剰だと侮辱。
誰とは言わないが、やたら相槌を打つ人がいる。
「ハイハイ。ハイハイハイハイ」
昭和のいる・こいるさんみたいに。

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つまり「はい」という返事でさえも「聞いてない」というふうな返事の仕方がある。
間合いがよくて思わず聞き惚れるというお手本がやはり「寅さん」など。
さくらと寅さんがラストでしみじみ「お兄ちゃん」「え?」という。

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あの時に日本人は心を広げて二人の会話を聞く。
それは聞いている人をあの名優二人が十分に察しながら語るから。
それからもう一つ。
いつも感心するが作品にもよるかも知れないが『となりのトトロ』に於ける宮崎アニメの会話の静けさ。

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あれはいい。
お父さんとお母さんの物言いを絶対に急がせない。
サツキとメイは子供だからテンポアップするのだが。
(サツキ)「何かお父さん、家の中で動いた」
(お父さん)「え?何が動いたのかなぁ?」
確かにどれを見てもお父さん、お母さんはすごく穏やかで静か。
あそこには日本人が最も好む会話の間合いがある。
それが映像、アニメになっても日本人は凄くそこから情感を感じてしまう。
このことを踏まえておいて「コロナと共に」の時代、人と話すスピードと間合いを考えましょう。

「喋り方の間合い」というのでコロナが教えてくれたというか、そういうものがあった。
街で見かけた風景で「コイツの喋り方は『コロナと共にの時代』まずいな」という喋り方がパッとわかるようになる。
それは何かというと、無我夢中で話している若い人の喋り方を見ると「危なぇな」と思う。
イラッとする。
感染のことをすっかり忘れて二人称的間合いを忘れて、自分の興奮だけを夢中。
「あっ!俺!ヤバくてさ!バァッ!」とかと言うと「考えろよ」とかという・・・
それがやっぱり我々にコロナが遠回しに教えていることなのではないかな、と。
接触の間合いというのはやはり学ばないとダメなのではないか?
この時代、知恵を絞る、その絞り方を探って行きたいというふうに思う。

一人でも間合いがある。

居心地というものごとも、実は、空間を構成する様々なモノとの間につくり出す「間合い」の結果であるということを論じたいと思います。(「間合い」とは何か 138頁)

例えば喫茶店に入り居心地のいい席に座る。
居心地のいい、その席はどんな席かというと右手の席が空いており、長いテーブルの先、ガラス窓があって遠くの景色が見える。
武田先生たちはスタジオで今、お送りしているが、今日は豊かなスタジオで、広いところを使わせてもらっているが、そんなふうになっている。
この時に何となく居心地がいい。

視線が外に抜けることで、内側の空間にいながらにして、閉鎖的な鬱屈感が軽減されます。(「間合い」とは何か 138頁)

今、このスタジオもそうだが、武田先生と水谷譲の間にはアクリル板、シールドがある。
「シールド」と言うと『スター・ウォーズ』を思い出して仕方がない。

スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け (通常版) (字幕版)



そのシールドがあって、お互いツバがかからない2m近い距離がある。
だが居心地がいい。
この「居心地がいい」というのは一人ではない。
この「モノに囲まれている」「他のモノに囲まれて私は居心地がいい」と感じている。
理想を言うと水谷譲と武田先生は向かい合っている。
お互いにシールドがあって、目を逸らすと遠くの浜松町の街が見下ろせる。
窓がある。
あの窓の手前か何かにちょっと綺麗な花が置いてあったりすると、さらに居心地がいい。
何でかというと伝うから。
視線というのは必ず、見るものを伝いながら遠くを見る。
遠くを見るまでにいろんな指標が点々とあると居心地がよくなる。
何かが仲介しているということ。
これがいわゆる二人称的身体というワケ。
視線は手前の風景「近景」から「中景」「遠景」これが三つ繋がるように物が置かれていると安定する。
「居心地がいい」ということでさえも何者かの協力がないと、環境がないとそう感じ取れない。
視線には「巡らす演出」がなければならない。

一人の居心地のよさを追求したのが何かというと、この本はそういうところの指摘が面白かったのだが、茶道。(というのは本の中に発見できず)
茶道は対面に人間を置かない。
茶を点てる人は釜の反対側だから横にいる。
だから、対面しない。
人の視線にさらされない。
そんなふうに人物が配置してあって、近くの壁に掛け軸があったり、花瓶に椿を一輪入れたり、視線をずっと這わせることができる。
そうするといかに狭い空間でも、もの凄く広々感じることができるという、これはもう茶道が持っている「間合い」。
これは名言。

「何だかわからないけど、この店入りにくな」とかということがある水谷譲。
それは「間合い」。
かくのごとく「間合い」というのは重大なもの。
コロナも後半の方になると20〜30代の方の陽性率が高かった。
それはその方々があまり日本の間合いをよく学び取ってらっしゃらなくて、アメリカとかヨーロッパの間合い「ハグ」とか「スキンシップ」とか「シェイクハンド」とか、そういう文化にたっぷり浸り続けたのではないか?
若い方にお説教ではない。
ただ、若い方もちょっと覚えておいて欲しいのだが、どうもコロナというヤツはそこに向かってNoを突き付けたようだ。
前にお話ししたが、芸能に於いて見せるもの、売り物は「間」である。
会話の「間」である。
もう一つ客と芸人の「間(あいだ)」。
その「間合い」も重大な芸だった。
お客さんとの間に「間(ま)」があればある程、輝くもの。
「コロナと共に生きる」ということは芸能界の商品と化した握手だったのだが、少なくともコロナはNoを突き付けたワケで。
「そういうものも見直していくべき」ということ。
そこから考えるとコロナが大きい声で「それは絶対に許さない」と叫んでいるものは明日発表する。

「ソーシャルディスタンス」という言葉。
これでは物事を正確に掴んでいないような。
それで、本屋さんに行って本を探っているうちに「間合い」という武道用語を手にいれて、いろいろ読んでみて「ソーシャルディスタンス」というよりも我々には「間合いを取る」「間合い」じゃないだろうか?ということで、本を読んで三枚におろしてみた。
間合いの取り方。
これが、ただ単に感染症の予防だけではなく、ゴルフも所詮間合い。
それからサッカー、野球、夫婦の在り方も間合い。
考えてみれば我々はソーシャルディスタンスのテクニックを相当やはり忘れている。
喫茶店に座り込むこと、佇み方、それも間合い。
「あおり運転」もそう。
間合いが取れない人。
何てことない間合いを「オレには危険だった」と怒るワケだから、間合いに敏感すぎる病の方。
間合いはありとあらゆるもの。
予告したので先に言っておく。
「握手会も許さない」と言うのだから、一体コロナは何を嫌っているのだろうか?
人と人が密に接触することをNoと言っている
ここからは本にも載っていない武田先生の考え。
コロナが登場することによって粉々に砕け散った人類の計画がある。
それが「一帯一路」ではないか?
「グローバルスタンダート」ではないか?
つまり、「一つの価値観で世界をまとめる」ということにコロナは「許さない」という。
「お互いに儲かるからいいじゃん」というのが、いわゆる「グローバルスタンダード」。
価値を一緒にしておいて、一つの価値観で世界を割り切る。
一帯一路。
中国を中心に世界を結び直すネットワーク。
「No!」
コロナはそれを叫んだ。
コロナがもしテレビ番組を見るとしたら何を見るか?
コロナが「面白いじゃん。オレ好き、こういう番組」。
報道番組は見ない。
日テレの『ケンミンSHOW』ではないか?
秘密のケンミンSHOW極
「へぇ〜。秋田県は芋煮会に牛肉入れるワケか」とか小さなエリア内の違い、そのあることの証明をコロナは「へぇ〜」とかと見るのではないか?
コロナはみんな同じ症状に突き落とすというのは「差異」「個体にはそれぞれの違いがある」ということがコロナは確認すると楽しいのではないか?
これが武田先生のだいたいの結論。

もう一つ。
一週間前、そんなことを喋っていたが「AI」。
正しい答えを知っているコンピューター。
膨大な量の。
それが、世界を支配するという。
コロナ対策でもAIに任せようとさんざん出てきている。
それからもう一つ、自動運転。
一種AI。
この本で一番面白かったところ。
AIが一番苦手にしているところはどこか?
AIが自動運転でできないことがある。
譲り合い。
AIはできない。
正面から来て、どっちかが道を曲がるとする。
その十字路が幅が同じぐらいでどちらが先行していいかわからない。
本線がわかりにくい十字路がある。
時々譲り合う時がある。
あの時に「お先にどうぞ」をやる。
あれが(AIには)読めない。
人間がやるしかない。

現在のAIは間合いを図ることはできません。(「間合い」とは何か 251頁)

譲り合いがAIはできない。
やっぱり難しい。
車をポッと抜いておいて、ある安全な車間に入って、二車線目に戻ってケツのランプを二回パカッパカッと後ろに「サンキュ!」と送る。
あれを「送るかな?」とAIが考えるとするとAIは凄く苦しむと思う。
それと、前に言った勝ちパターンを知れば知るほど、負けないというパターンを消失してしまうAIの限界。
あるいは「負けてもいい」という勝ち方がある。
「よーし!負けてもいいんだ」と思って打つという。
とにかく数で表現できない、この主観を一回忘れることで「間合い」というものを計算できるという。
これをちょっとやはり「ウィズ・コロナ」「コロナと共に」の時代に考えるとなかなか面白いのではないかなと。
理屈っぽい放送ではあったが、ちょっとやってみたかった。
来週はグッとわかりやすく「森の生き物」とかわかりやすいものをやる。

posted by ひと at 10:32| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月9〜20日◆コロナと共に(前編)

(公式サイトでネタ元として紹介されているのは『アクティブ・マインド―人間は動きのなかで考える』の、現在は発売されていないらしい新装版ではない古い方の本)

新装版 アクティブ・マインド: 人間は動きのなかで考える (UPコレクション)



(上記の本からの引用も何か所かあるのだが、ネタ元として紹介されていない『「間合い」とは何か: 二人称的身体論』から大量に引用されている)

「間合い」とは何か: 二人称的身体論



(因みに、このブログでは『アクティブ・マインド―人間は動きのなかで考える』はページ数などをネタ元で紹介されている新装版ではない方に従った。二冊の本からの引用が登場するので引用箇所はページ数と共に『アクティブ・マインド―人間は動きのなかで考える』は「アクティブ・マインド」、『「間合い」とは何か: 二人称的身体論』は「「間合い」とは何か」と表記しておく)

本当ならば「ウィズ(with)コロナ」というのだろうが、武田先生はこの「ウィズ・コロナ」をいろんな方が東京都知事も含めておっしゃるが、耳で「水コロナ」に聞こえる。
何か本当にイボを治療する時の塗り薬みたいな・・・というような響きで聞こえるものだから、敢えて「日本語で語った方が」という。
とにかくコロナという疫病、流行り病と共にこれからは生きて行かねば、ということで、一年ぐらいコロナのことを何かにつけて語ってみようかなと、そんなふうに企画したワケで。

本屋さんに行くと、コロナと共によく本棚に並んでいるのがAI。
その関係が凄い。
AIとはよくわからないがとにかく「人工知能」。
膨大な情報を持つコンピューターがどんどん知識を膨らませて、やがては人類を支配するのではないか?というような予言の書が結構並んでいるのだが、武田先生が手にした本は『アクティブ・マインド』という本で、その本を読みながら凄く考えた。
それをコロナのこの時代と重ね合わせると、どんなことが言えるのかな?というのが今週、来週に渡って語る「コロナと共に」。
まずは『アクティブ・マインド』という本の中から行ってみる。
序章によれば、一体、AIがいっぱい持っているという「知識」とは何であろうか?

「頭のいい人」というのは、頭の中に豊富な「知識」を持っている人のことだ、という考え方もどこか捨てがたい。−中略−
 ところが、
−中略−私たちが日常生活でいろいろなことが「理知的(intelligent)に」できるようになっていることの背後にあるのは、そのほとんどが、−中略−Knowing How(本章では〈やり方・知〉と呼ぶことにしよう)であって、それはさまざまな命題や規則の知識を所有しているKnowing That(〈事柄・知〉と呼ぶことにする)とは根本的に異なっているのだとした。(アクティブ・マインド 2〜3頁)

クイズ番組に最近、東大の(学生が)よく出てくる。
おじいさんだから「勉強しろ!この野郎!」と言いたくなる時がある。
「(クイズ番組に出ている東大生は)めちゃめちゃ頭がいい」と思う水谷譲。
そこをちょっと考えよう。
彼らは頭がいい。
だが、ここではっきりさせなければならないのは、「Knowing」「知識」「頭がいい」とはどういうことなのか?
とりあえずその頭の良さをAIに託してみよう。
AIは頭が抜群にいい。
それは認める。
クイズ番組に東大生が出てくる。
どんなにあがいても、あのAIには勝てない。
AIは知識量が膨大すぎる。
ということは「頭のよさ」はその程度のこと。
そのAIが全く役に立たない場面は何か?
テレビ番組で考えてもわかる。
東大生「AI的頭の良さを持っている人間」が活躍するのは番組としてはクイズ番組。
だが、テレビ番組はクイズ番組だけではない。
報道番組もあれば、ドラマもある。
バラエティもある。
決定的に東大の人はスポーツ中継には役に立たない。
プロ野球に行ってバッターボックスに立って頭の良さでヒットが打てるワケではない。
ということは、その手の頭の良さはスポーツでは全く役に立たないということ。
AIの持っている知識は。
これはなぜそうなるのかというと、スポーツには状況がある。
スポーツでは「正しい答え」ではなくて「適切な行動」が求められる。
三塁に同じチームのヤツがいれば、彼をホームに帰すことが適切な行動。
そんなふうにして、世の中は「正しい答え」というので正解を出すことと「適切な行動」というので答えを出すという、そういう世界もある。
一番大事なことは、世の中全体にとって適切に行動することが最も正しい答え。
野球でも今はAIが活躍していて「次の球種はこれじゃないか」という予想はいくつもしてくれるが、それを状況を見て選ぶのは人間。
つまり、今、コロナと共に求められているのは「状況の中で人間はどう行動しなければならないか」。
「頭のいい行動をとって欲しい」というのが「コロナと共に」の時代で、「正しい答え」はみんなテレビ番組に出てくるコメンテーターの病院の先生が言っている。
だが、五か月も六か月も同じことを言われると人間はくたびれてくる。
「正しい答え」というのは飽きてしまう。
「数が減って来た」と思って喜ぶ。
そうしたらワリとクールに「あ、今日は検査数が少なかったんです」。
わかっているが、とりあえず喜ぼう。
情報番組で人通りの多い通りを映す度に厳しい顔をした司会者が「かなりの油断が見られるようです」。
みんなマスクをしてそれなりに適切に行動している。
そのことを言おう。
誰かが言っていた。
「名言だな」と思ったが、秋の連休なんかがあった時に、100人中90人の人がちゃんとマスクをしている。
それはやっぱり「素晴らしいことなんだ」と。
10人を暗い顔で語らず、「90人はやってますよ」と伝えるのが報道ではないか?
本当にモノは言いようで「AI的モノの言い方」というのは、カチンとくる。
正しいから、なおさら腹が立つというのが人間にはある。

このコロナの時代、共に生きていく知恵をここで絞りましょう。

実は昨日から突然始めた「コロナと共に」は武田先生が前に話した「アフォーダンス研究」の一環。
アフォーダンス。
その環境と人間がどう折り合って行動していくかという心理学。
ご本家の(ジェームズ・J・)ギブソンという人。
この方が「アフォーダンス理論」を考えたのだが、この人が世界をどう見るかというと、「人間が考えて行動するのではない。人間は行動しているうちに考えるのだ」。

今度のコロナ騒動で男の人と女の人の違いがよくわかった。
男はちょっと「踊る阿呆に見る阿呆」みたいな阿呆なところがあって。
男は外に出たがる。
武田先生はいつも出ようとすると(奥様から)「どこウロウロするのよ!」。
だが、ウロウロしないと何も考えられない。
「あ、俺アフォーダンスだ」と思った。
女の人は考えてからウロウロする。
だが、男はウロウロしながら考えている。

それとシモ話になってしまうかもしれないが、つくづく思ったことなのでご報告しておく。
三日に一遍ぐらい(奥様が)「ゴミ箱のゴミを出せ」と凄い声で怒鳴る。
「ゴミ出して!ホラぁ!!!(怒」
それで自分のゴミを出すのだが。
男は自分が使ったチリ紙を必ずポケットに入れる。
チリ紙に限らず、ゴミなど「何でそれ出さないの?」ということがある水谷譲。
男はゴミを出すのはもちろんわかっている。
武田先生はティッシュを入れたまま忘れるクセがあるので洗濯のたびに「またぁ!」と怒られるのだが。
「何でか?」とコロナの時に考えたのだが、そこが男性と女性の心理の違い。
女の人は「決まった日に出す」。
男は「溜めてから出す」。
「一杯溜めてから出す」というのが男にとっては快感。
ゴミも山程溜めてから出したい。
何でもそう。
男はトイレに行くにしても、もう「あわや」というところまで一杯溜めてから行きたがる。
いちいち行かない。
習慣でそれはない。
そういう生理の違いがある。
そんなふうに思ってください。

J・ギブソンのアフォーダンス理論。
人間の心理学として大いに使える。
すごく面白いのは、この人間の行動の差異というのを民族まで拡大すると、またアフォーダンスが成立する。
日本人はお箸を自由に使うことが食事のマナー。
だから、日本人は食器を手にして箸を動かす。
日本人は旅館などに行って飯を喰う時、今度お出かけになったら確認してください。
宿屋の人がご飯を出して置いた時、日本人は食器の場所を変える。
かくのごとく「食器を入れ替える」ということに関して、日本人は平気だ。
マナー違反にはならない。
それは何かというと「箸を自在にふるえる」という。
基本的に日本人の食事の中で、さじ(スプーン)に対する「上から目線」。
スプーンは赤ちゃんに「食べにくいだろうからお箸じゃなくてスプーン、おさじにしましょう」。
赤ちゃんとお年寄り。
つまり箸が自由に使えない人に対しての補助食器としてのスプーン。
日本人はやっぱり箸一本でやりたがる。
そういうことが道具の種類を無闇に増やすという日本人の「工具の文化」に結びついているのではないか?
中華料理はフライパン一個。
あれは一個で作ってしまう。
ちゃんぽんも焼きそばもチャーハンも同じ鍋。
行きつけのちゃんぽん屋のオヤジがそれをやっていて、武田先生はそれを目の前で見たことがある。
だが、日本人は全部を変える。
いろんな種類の鍋やフライパンがある。
日本人の手工芸の最大の特徴は「道具をたくさん持っている」ということ。
このあたり「道具」対「人間」の関係が他の文化圏とは違うというところから話を突っ込む。

これは武田先生のノートに書いてあるのを今回は下敷きにしている。
これは『アクティブ・マインド―人間は動きのなかで考える』。
自分の考えと本に書いてあることを横糸・縦糸で織り込んでいるので、どこがどこまでとは今回はちょっと言い難い。
心というものは誠に不思議なもので、「心は一つである」なんていう、そういう言い方はできない。
だから心を一つにしている国家体制というのは非常に息苦しい。
やはり心はいろいろいっぱいあっていい。
構造からして心は複合体。
脳の中にいくつものエージェンシー群があり、ただ一つの意思に従って行為を為すものではなく、「ある行為」をすると「ある心」が動いていくという。
そういうものであるとJ・ギブソンは言っている。

 リーとアロンソンが「姿勢」の研究の対象としたのは、やっと歩きはじめた一三ヵ月から一六ヵ月齢の乳児である。乳児は、壁が床から切り離され、天井からつりさげられて、前後に容易に動く部屋に母親とともに入った。そして、彼らがちょうど壁の方を向いた時、実験者が乳児の視線の向かっている壁を奥の方向にわずかに押した。−中略−実際には部屋はAのように乳児から遠ざかるように動いた。−中略−八割以上の試行でどの乳児も前の傾く方向に「姿勢」を変化させた。乳児のからだは前方に揺れ、前のめりによろけ、前向きに転んだ。(アクティブ・マインド 97〜98頁)

自分が見ている前面が遠ざかっただけで「箱が前に進んでいる」と錯覚し、つんのめる。
時々駅で上り下りの列車が、その時に隣の列車が出発すると自分が前に進んでいるような気がする。
それと同じことが小さな子供では起きる。
つまり、自分が「進んでいる」「進んでいない」をジャッジしているのは「環境の変化」が「あ、俺は前に進んでる」という感覚をその人に与えている。
この辺が面白い。

ここからはアルトン・ベッカーが「自然について」というエッセーを書いている。
(アルトン・ベッカーの「翻訳を超えて──美学と言語記述」という論文の中で取り上げられているエマソンの『自然について』の一部)

 Crossing a bare common in snow puddles at twilight under a clouded sky,(アクティブ・マインド 200頁)

これは何が言いたいかというと「本を読むことの不思議さ」
水谷譲と武田先生の「読み」がちょっと違う。
水谷譲はよく言う。
アフォーダンス理論の本を読んでいて水谷譲は「武田さんが名言決めたんで、そんないいことが書いてあるんだと思って本を買って読んだら、そんなこと一行も書いてありませんよ」。
それは同じ本を読み方が違う。
その実験を今からやる。

以下の詩を読んでほしい。谷川俊太郎の「いるか」ということば遊びのうたの前半部分である。
  いるかいるか
  いないかいるか
  いないいないいるか
  いつならいるか
  よるならいるか
  またきてみるか
  一度読み終わったら、また読んでほしい。
−中略−さまざまな読み方をしてほしい。−中略−たとえば、「いるかいるか」を一字一字区切ってゆっくりと読むとそれは海のイルカを連想させる。しかし、「いるか」、「いるか」と全体を一単位として速く読むとそれは「居るか?」という音になる。−中略−しかし、どのように読むかによって作品の意味が異なって感じられることは明らかである。(アクティブ・マインド 242〜243頁)

「私(武田先生)には悪いクセがある。ラジオ番組の相手をしている加奈からよく指摘されるのだが、その本を読み、その本が感銘深ければ深いほど、私が最も感動したという文章、あるいは言葉が加奈が探すとその本のどこにもなくなることだ」
どこにも書いていないことを平気で「読んだ」という武田は一体何者なのか?というのは、明日。

武田先生が『(今朝の)三枚おろし』で本を取り上げておろすのだが、(水谷譲が)時々気に入った本があって本屋さんへ行ってその本を読むらしいのだが、武田先生がラジオで語った一番素敵な感銘深い一言が本のどこを探しても載っていない。
これを水谷譲から激しくなじられたことがある。
「全然一言もそんなこと書いてないじゃん!」と思うことがある水谷譲。
だが、武田先生は「書いてあった」と思って喋っている。
つまり武田先生は「行間を読んでいる」と思う水谷譲。
著者が書いてあることを読む人。
それから、著者が伝えようとしていることを推し量って読む人。

 第三の読みの姿勢は、作者を中心に置かない。作者は読者にとっては対話の相手の一人であるにすぎない。(アクティブ・マインド 256頁)

筆者・著者が書かなかったことを読んでしまうという読み方がある。
そこに書いていないのだが、書かれていないことを読んでしまったという読者が武田先生の中にいる。
武田先生の中の「本を読む人」の読み方。
ちゃんと著者が書いてあることを読んだつもりでいるが、武田先生の中の読み手が筆者・著者が「これが言いたかったんだ」というヤツ。
ある意味「演出をしている」ということ。
そういう本との対面の仕方、接し方をしている、という。
今、ものすごくわかりにくい時代で、番組の冒頭でも触れているが科学でコロナ対策をみんなが必死になって考えている。
だが、どこの番組に行ってもコメントがたいしてうまいことを言えなかったのだが「何かコロナの扱い方が違うのではないか?」という、「コロナに対して違う読みをする自分」を自分で励ましているところがある。
それで、本屋さんに行って本を探している。
コロナだけでは寂しいだろうからエボラ出血熱とかいろいろ読んだのだが三枚にはおろせなかった。
だが「コロナは何でこの時代、ここに来たんだろう?」というのが武田先生の謎。
「コロナがどんなウイルスで」とか関係ない。
「何で今来たんだ、オマエは?」というのがコロナに訊きたい。
だから、今大流行しているコロナ用語がある。
ソーシャルディスタンス。
「ソーシャルディスタンスって何だ?」と思う。
「ソーシャルダンス」だったら知っている。
「ソーシャルディスタンス」を日本語で言ってくれないか?
「ウィズ・コロナ」とかと言っても「水コロナ」に聞こえてしまって横文字だとわからない。
水谷譲は(ソーシャルディスタンスを)「社会的距離」「社会的間隔」と訳す。
今は1m。
一番最高時の時は児童遊園地などに貼ってあったのは2m。
「2m」と矢印が書いてある看板がある。
そこに若いのが二人立って向かい合った。
ソーシャルディスタンス2mを取っている。
アフォーダンス。
2mが持っている心理を刺激した2m。
刀を持って向かい合うサムライ。
あれが2m。
「ソーシャルディスタンス」を「間合い」と言えばいい。
「間合いを取ろう」だ。
「間合い」なんて日本人のお手のもの。
日本人は昔から間合いについては武道でさんざん稽古していた。
「それでは・・・間合いが遠い!」とか何とか言ったりなんかして。
『水戸黄門』から『雲霧仁左衛門』から、みんな「間合い」でやっていた。

あの頃映画 「雲霧仁左衛門」 [DVD]



そうすると「間合い」の研究をやればいい。
日本は間合いの名所がある。
日本で間合いの名所。

 外国人が東京にきて驚くことの一つは、渋谷駅前のスクランブル交差点だそうです。大勢の人が一斉に渡り出し、誰もぶつかることなく、実にスムーズに渡り終えます。−中略−渋谷のスクランブル交差点で皆が何気なくこなしていることは、まさに「間合いを形成する」行為に他なりません。(「間合い」とは何か 11頁)

「ソーシャルディスタンス」なんて、渋谷の交差点であんなに鍛えていたではないか?
このコロナの時代に、日本語に置き換えて「間合い」というもので、という。
「ソーシャルディスタンス」とは「間合い」のこと。
では、「間合い」を研究していこう。
コロナ前に社会心理学の本として出された本。

「間合い」とは何か: 二人称的身体論



様々な心理学の先生の論文を集めた本。
序章でこれをおまとめになられた諏訪(正樹)先生が日本人の暮らしの中にある「間合い」、この「間合いのセンスが独特である」ということを語ってらっしゃる。
「間合い」とは対人競技である武道、あるいは対戦競技である野球・サッカーなどに必要な技術である。
(間合いは)必要な技術だった。
別にコロナだからではなく「間合い」は必要。

 外国人が東京にきて驚くことの一つは、渋谷駅前のスクランブル交差点だそうです。大勢の人が一斉に渡り出し、誰もぶつかることなく、実にスムーズに渡り終えます。(「間合い」とは何か 11頁)

日本人はこのようにして「二人称の身体論」。
「私とあなたの距離感は今はこれでいいんだ」という、それを一瞬で決定するという風俗を持つという。
「交差点の雑踏を歩くのに身体論があるか?ちょっと大げさだな」と思われるかも知れないが、2020年からしきりに繰り返されるマナー用語「ソーシャルディスタンス」。
これも日本語に訳せば簡単で「失礼のない相手との距離を置くこと」。
二人称の身体論。
それを応用すればいいだけであって、コロナだからということではない。
間合いをこれほど好む人種はいないのだから。
曖昧な「ソーシャルディスタンス」よりも「間合い」という日本語のうちにコロナと共に生きて行く極意みたいなものがあるんじゃなかろうか?という。
外国の人が渋谷の交差点が不思議でしょうがない。
外国の人はうまくできない。
だからキャメラを持って撮影している。
と、いうことは何でぶつからないのか?
あそこを歩きながら、ぶつからない技術を発揮している。
その技術とは何か?

身体は、眼前に繰り広げられる思い思いの動きの兆候すべてを並列的に知覚し、それらを個々に感じ取るのではなく全体的に眺めた結果、「エネルギーのようなものの粗密場」を、そしてその移り変わりを感じ取っているのではないかと、私は思うのです。(「間合い」とは何か 14頁)

「エネルギーのようなもの」とは何を意味するのか?−中略−身体の大きな人や、大きな物体があなたに向かって猛然と進んできたら、あなたは圧力を感じるでしょう。(「間合い」とは何か 14頁)

そのエネルギーが「危険だな」と思った時、アナタは自然に避ける。
それが外国の人にはわからない。
我々は無意識にやっている。
その「無意識」が向こうの人には「技術」に見える。
日本人はその要領を言葉にはできないが、正面からやってくる全ての人に関してセンサーを巡らせ「スーツケースを引っ張ってるな」「顔つきがおかしい」「昨日遊んだな」と見抜きながら、その人のこっちに向かってくるエネルギー量を仕分けする。
赤から緑になった温度を測るヤツみたいに。
あれで危険を察知すると早目に避ける。
だから一直線に歩く人はいない。
外国の人は一直線に歩く。
歩く時に外国の人は正面だけを見る。
外国の人はそういう顔をしている。
何かやたらと彫りが深くて。
「Yes I can.Yes」
深々とした目で正面を見る。
正面を見れば見るほど周辺、周りを見る視覚が衰える。
日本人は真ん中を見ない。
周辺をぼんやり見ている。
視覚が広くなる。
人混みを歩く時、中央に焦点を持ってこない。
ぼんやりとルーズに眺める。
そのことによって危険なものを抽出し、「ソーシャルディスタンス」2m以内に入る前に避ける。
だからぶつからない。
もう一つ言えることは、スクランブル交差点で日本人は真っ直ぐ歩いていない。
どこかで蛇行している。
外国人は真っ直ぐ歩く。

どこにも焦点を合わさずに全体をぼわんと眺めていると、自然に、どこに疎の領域が存在するかを感じとることができ、そこに足が向き、結果的に軋轢を感じることなく、スイスイと気持ち良く泳ぎきることになるわけです。(「間合い」とは何か 25頁)

「しっかり正面を見る時」と「正面を見ない時」を区別していく。
これは面白い。
もう一つこの本の著者が言っているのは、日本人は対面する人々からのエネルギーのような圧力を探査する能力にあふれている。
これが「スクランブル交差点で日本人がぶつからない」という能力になっている。
この「間合い」の取り方というのがいろんなところに実はある。
その「間合い」の面白さ。


posted by ひと at 10:24| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月24日

NHK「あさイチ」コロナ禍で深刻化?大人の発達障害

今朝やっていたヤツね。
大体の内容は↓に書かれているけれども、見た感想なんかを。
コロナ禍で深刻化?大人の発達障害|NHKあさイチ

「コミュニケーションが苦手」「忘れ物が多い」「読み書きが困難」など、生まれつきの脳の特性によって日常生活にさまざまな生きづらさを抱える発達障害。大人になってからその特性に気づくケースが増えています。コロナ禍のいま、発達障害の特性がある人たちやその家族の悩みも深まっています。
発達障害の特性があるパートナーとのつきあい方に悩む人たち声を聞きました。どうすればうまくつきあえるのか、「気持ちを言語化」するなどの工夫を紹介しました。さらに、コロナ禍で働く場が失われて困っている発達障害がある人たちの声を聞き、働く場を維持するための企業や自治体の取り組みも紹介しました。


8時代は「大人の」っていうか、男の人で結婚している発達障害者が中心というか、その嫁(一般にカサンドラ症候群と呼ばれるタイプの)が中心みたいな感じ。
だから、私みたいに結婚していない人は関係ない。
前からカサンドラ症候群の人たちはかわいそうな部分もなくはないけれども、何か納得いかないなって部分もあったけれども、今回の番組を見ていてもどうにも納得がいかない部分が多々あり。

最初に紹介されたのが横浜市内で開かれた自助グループ。
発達障害特性のあるパートナーを持つ人たちの会「フルリール」。
パートナーに発達障害の特性があるのではないかと悩んでいる人たち。
毎回キャンセル待ちが出るぐらい人気だそうだ。
参加者「キッチンで包丁か何かで指を切ったときに『キャー』って言ったんですけど、聞こえているはずなのに(夫は)テレビを見続けていた。あれっ?どうして来ない?おかしいなと思うようになって」
うん。
何とも言えないな。
それって発達障害かどうかってこととは関係なく、単に嫁に興味がないだけって可能性もあるし。
なんでもかんでも発達障害って言われてもなって感じ。
というか、ちょっと包丁で指を切ったぐらいでギャーギャー言うような人だったら、旦那は「またかよ。鬱陶しいな」みたいな感じかも知れないなと思う。
そもそもよっぽど大けがならともかく(番組で見た限りでは怪我の程度は不明)、ちょっとしたことで悲鳴を上げるとか、そっちの方がどうかと思う。

夫が発達障害かなと思っている40代の女性。
夫が外で着た服と洗った服を別にしたいのに、嫁がうっかり隣に置いてしまったら「また洗わなきゃならないじゃいか!」と旦那がキレたと。
もちろん異常に神経質というか、変なところにこだわるのは発達障害の特性かも知れない。
でも「自分が気にする」んだったら旦那が洗えや!と思うが。
そういう「自分のこだわりなどで相手に過剰な手間をかけさせる」ことが発生する場合、自分でカタを付けるか、そもそも結婚に向いていないのだから結婚するんじゃ無ぇよと思う。
それは発達障害か否かに関係なくだ。

パートナーが発達障害かもしれない・・・と悩む人たち

発達障害への関心が近年高まったり、自粛生活でパートナーと一緒に過ごす時間が増えたりするに伴い、パートナーにはもしかしたら発達障害があるのかもしれない・・・と悩む人が増えているといいます。ある70代の女性は、結婚してから家庭のなかでの夫の「気持ちを察するのが苦手」「強いこだわりがある」といった言動に違和感を感じてきました。周囲に相談しても「いい旦那さんじゃない」「あなたがしっかりしなきゃ」と言われるなど孤立感を深め、精神的ストレスから15年前に精神科を受診した際に「夫に発達障害があるかもしれない」と指摘を受けました。女性はそこではじめて、中年以降の大人にも発達障害があることを知ったといいます。


一流大学出のエリートのご主人だそうです。
年齢を考えると発達障害なんていうのは知られていない時代だから、わからなかったのは当然だろうけれども。
家事のやり方に強いこだわりがあって米の炊き方の指示書を書いて「米の銘柄」「洗う回数」「水の分量」「つけ置き時間」などを細かく指定してきて、言われた通りにできていないと責めるそうな。
ウゼぇな。
自分でやれよ!
でも仕事ができるから、自分は一切困っていないから自分が変わろうって気はないし、嫁も下手なことを言って激怒させるのも嫌だしってことで。
結局悩んでいるのは嫁一人っていうことで。
発達障害か発達障害じゃないかに関係なく配偶者が悩んでいても「自分は困ってないから」って自分が変わる気がない人は結婚に向いてないと思う。
っていうか結婚するべきじゃないと思う。

ゲストの柳家花緑さん(落語家)「みんなが知らなすぎますよね。発達障害に対して。『大人でもあるんですか』というのは、最近は脳の特性だと言われているので生まれてから亡くなるまでずっとあるので、どの時点で知るのかっていうのは人によってあるんですけど」

この意見にネット上で賛同者多数だったけれども、世間なんてそんなものだよ。
テレビでも頻繁に「子供の発達障害」とかやってるんだから「子供の病気なんだ〜」みたいな。

真行結子さん(パートナーの発達障害に悩む人の会 代表)「相談に見える方のパートナーの多くは家庭や会社で困っていない。ですから受診動機を持っていない」

横浜に住む佐藤愛子さん(仮名・30代)・隆雄さん(仮名・30代)。
夫は6年前に自閉スペクトラム症とADHDの診断を受けている。
夫の発達障害の特性を理解するまで言動に違和感を持っていた。
食事中に夫が子供にご飯を食べさせている時に嫁が話しかける。
夫「ご飯中なので話しかけないでください」
妻「子供に食べさせながら愛情を共有するのが私は楽しいと思っていたんですけど、敬語ですし『なんでだろう?』と思うところがありまして『仲良くなりたくないのかな』」
発達障害の特性
2つ以上のことを同時にするのが苦手

いやいやいやいや!!!!
発達障害とか発達障害じゃないとかいう話じゃないだろ!!!!!
男は食べながら話とかできない人多いだろ!
自分は喋りながら喰えるから、他の人も全員喋るなら喰えるって決めつけてんじゃねぇよ!!!!!!!!!
部屋を散らかした夫に「なんで散らかっているの?」と注意したら「なぜかというと手帳を探していたからです」と理由を答えるのみで片付けようとしなかった。
注意してないじゃん!
謝ってほしけりゃ謝れって言えよ!
片付けて欲しけりゃ片付けろって言えよ!!!!!!!!
夫が発達障害だからっていう以前に、嫁が余りにも説明が足りなすぎだし「察してちゃん」すぎ。
今は夫の障害特性に合わせていろいろ工夫をしてうまく生活していますよっていうことで。
役に立ったのは同じ境遇の人たちからの具体的なアドバイス。
「散らかっているね」「散らかっているのはイヤ」「片付けて欲しいな」とバラバラに言うことで夫に伝わるようになった。じゃ無ぇよ。
そのぐらい夫が発達障害だろうが発達障害じゃなかろうがやれよ。
妻「心がないわけじゃないんだ」
失礼だな!(激怒)

認知症かと思ったら大人の発達障害
認知症と混同するケースも
認知症と発達障害をどう区別するか精神医学の世界でも注目が集まっている。

認知症と診断され施設に5年間入所していた男性が発達障害だった事例。

認知症と発達障害の違い
認知症     後から出てくる症状   進行する
大人の発達障害 子供のころからある特性 進行しない

どちらなのか悩んだ時は両方を診られる病院へ。

9時台は仕事について。

「周囲の理解」で発達障害の特性を力に

コロナ禍で、発達障害のある人の仕事にも影響が出ています。番組には「仕事をクビになった」「去年、発達障害の診断を受けたが、仕事が全く見つからなかった」といった声も届きました。そんななか、発達障害の特性に応じた就労の場を用意しようという取り組みも始まっています。静岡県富士市では、就労の相談に訪れた人に独自の聞き取りを行い、その人が「できること」に注目。市内におよそ130ある企業につなげています。発達障害のある男性が働く企業では、「急な指示に対応するのが苦手」な一方、「記憶力がいい」という男性の特性を全社員で共有。男性が力を発揮できるような職場環境をつくっています。新型コロナの影響で、発達障害に限らず多くの人が厳しい状況に置かれているのが現状ですが、ひとりひとりが生き生きと暮らせる社会の実現のためには、周囲の理解が不可欠です。番組では、発達障害に関することが原因で就労トラブルにあった場合や、就職先を探している場合の相談窓口もご紹介しました。


中高年発達障害者当事者会「みどる」
最近は特に仕事に関する悩みが話題になることが多い。


就労移行支援事業所 東京 品川(ジョブサ品川区)
障害がある人の就労支援をしている事業所では、新型コロナで当事者からの相談や問い合わせの数が約3倍に増加。

相談をきっかけに発達障害が判明した男性。
もっと早く動いていたらと思う。

静岡県富士市では相談に来た人に独自の聞き取りを行っている。
聞き取りで使うのは30項目のチェックリスト。
できることとできないことを明らかにして就労の機会を探る。
業務分解

コロナ禍でも職場の理解を得て特性を生かして働いている。
記憶力がいいので部品の名前を大量に覚えているが、急な指示は苦手。
苦手な部分をサポートするために全社員で資料を使って理解を共有。

内山登紀夫さん「発達障害の優れた特性を理解していく。それがとても重要だと思います。実際に社会とか会社に役立つ特性も多いので積極的な企業も増えているというのが現状だと思います」
そうかな?
役に立つ特性がないような人がすごく多いと思うのだが。

パートナーの発達障害に悩んだら・・・
・発達障害者支援センター
・同じ悩みを持つ人の会
・カウンセリング
・配偶者暴力相談支援センター


番組では認知症のことには触れたけれども、「夫がおかしいので病院に連れて行って検査をさせたら発達障害ではなくて人格が未熟なだけだった」っていうのもあったし「妻の性格が悪くなったなとずっと思っていたら脳腫瘍だった」ってのもあったので、まずは発達障害以外のことからキッチリ検査を受けるの推奨。
高給取りの旦那とカサンドラの嫁みたいなパターンが多い気がするんだけど「カネも稼ぐし、自分の気持ちもわかってくれる夫」なんていう贅沢を望むのやめろ。

大人の発達障害ってそういうことだったのか



posted by ひと at 21:27| Comment(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

サンヨー食品 サッポロ一番 ごま味まぜそば 辛口オイスター味

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サッポロ一番 ごま味まぜそば 辛口オイスター味 | サンヨー食品
「サッポロ一番ごま味ラーメン」を料理研究家リュウジさんがアレンジした、辛口オイスター味まぜそばです。
食べ応えのあるプリプリした食感で香ばしいしょうゆの香りと、しなやかさが特徴のめんに仕上げました。
チキンエキスをベースに香ばしいごま油の風味が特徴のしょうゆ味にコクのあるカキエキスを合わせたまぜそばのたれに仕上げました。
別添「切り胡麻」付きです。


2月15日発売。
イオンで88円(税別)で購入。
内容量(めん重量)101g(88g)。
1食当たり熱量459kcal。

店頭にはこっちしかなかったけれども「サッポロ一番 しょうゆ味油そば ガーリックバター風」も同時に発売になったらしい。
で、どちらも「料理研究家リュウジさん」とやらとのコラボ商品ということで。
誰?

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小袋は粉末のスープとやくみのごまと調味油。

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袋の裏に作り方が書いてある。
てっきり普通のインスタントラーメンだと思って買ったのだけれども、ホンコンやきそばみたいな感じなのかな?なんて思ったら甘かったね。

SB ホンコンやきそば 85g×30個




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先に器に「ゴマ味しょうゆラーメンスープ」と「調味油」を入れておけと。

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落っことしたのでちょっと砕けたが、まずはお湯を500ml沸かして麺を3分間茹でろと。
先ほどの器に入れたスープと調味油のところに、鍋のお湯を大さじ一杯入れて溶かせと。
まず、鍋から計量スプーンで1杯分すくうのがすげぇやりづらい。
しかも、こんなことのためにいちいち計量スプーンを使うのがなんだかなぁ・・・って感じがしてしまう。

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ザルでお湯を切って器に入れて混ぜて「切り胡麻」をかけて完成!ってザルだとぉ!?
鍋は仕方ないなと思うんだけど、ザルってね・・・。
結構な洗い物が増えるなという。
そう感じるのは私だけか?
野菜を入れるといいらしいが、どういう味なのか想像できなかったので、どんな野菜が合うのかもわからなかったし、そもそも野菜なんてないし。

味は「醤油入れすぎたか?」みたいな味。
かなり濃いというかしょっぱいというか。
野菜を入れるとちょうどいいのかも知れない。
ちょっと辛い味がするけれども、何が入っていて辛いのかは不明。
変にしょっぱいのと作るのに調理器具がたくさん必要なのとで、これはナシだな。
ザルごときで「調理器具がたくさん必要」とか思わない人にとっては問題がないのかも知れないけれども。

お手軽食材で失敗知らず! やみつきバズレシピ



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カルビー かっぱえびせんジャンボ めんたいマヨ味

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かっぱえびせんジャンボ めんたいマヨ味|カルビー
「お客様が食べたい味」の調査でみんなの食べたいNo.1「めんたいマヨ味」が​ジャンボになって登場!​​食べ応えの食感が楽しめます。
めんたいこのうまみにマヨネーズ風味の​マイルドなコクが加わった​やめられないとまらない味わいです。​


1月25日から一部のコンビニエンスストア先行で発売。
コンビニエンスストア以外では2月1日から発売。
3月中旬終売予定。
アピタで88円(税別)で購入。
オープン価格。
想定価格130円前後(税込)。
内容量65g。
1袋当たりエネルギー320kcal。

「サッポロポテトバーべQあじ ジャンボ バター醤油味」というのも一緒に発売になって、こっちも店頭にはあったけれども、大量にポテトチップスを買いまくっていることだし、これ以上買うのも・・・と思ってこっちだけにしておいた。

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比較対象物のない写真だと大きさがわかりづらいかな。
もともとエビの味がするものなので、そこに明太子が加わって一層魚介な感じの風味に。
マヨネーズの酸味は多少感じる。
まあ、不味くはないけれども、別にまた食べたいってほどでもないかなと思う。

カルビー かっぱえびせんジャンボ めんたいマヨ味 65g 12袋



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2021年02月23日

亀田製菓 無限エビ

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83g 無限エビ | 亀田製菓株式会社
殻ごと練りこんだエビの濃厚な味わい!
ついついクセになるサクサク食感!
一度食べたらとまらない、やみつき必至のおいしさ!!


2月22日発売。
イオンで138円(税別)で購入。
参考小売価格200円前後。
内容量83g。
1個包装当たりエネルギー25kcal。
1袋の目安18枚入り。

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袋にも描かれている、頭の上にエビを乗せているみたいなのが「エビ神様」とやらで、袋には「エビ神様のゆるっとお告げ」とやらが書いてある。

小さい煎餅が個包装で入っている。
エビの味のするあっさりした食べやすい味の煎餅。
美味しいと思うが、煎餅まで一袋当たりの量が減り始めたのかぁ・・・って感じだな。
煎餅の大きさは一口だとちょっとデカいかなと思うんだけど、一口で喰えないならもう一回りデカくてもいいかなと思うし、一口サイズならもう一回り小さい方がいいなと思うのだけれども。

無限エビスペシャルサイト | 亀田製菓株式会社

亀田製菓 無限エビ 83g ×12袋



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ロッテ ポテトチップス 梅ガム味

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2月15日発売。
全国のドン・キホーテ系列店舗とアピタ・ピアゴで販売。
数量限定、なくなり次第終了(2021年3月下旬頃想定)。
アピタで88円(税別)で購入。
オープン価格。
想定価格120円前後(税込)。
内容量50g。
1袋当たり推定値エネルギー280kcal。

ブルーベリーガム味と一緒に発売になったヤツね。
1976年から発売しているロッテの人気商品「梅ガム」の梅とシソの爽やかな和の風味を再現したポテトチップスということで、まあこれも美味しくはないんだろうなと思ったら想像以上だった(鬱)。
臭いはそれほどしないな。
味は梅の酸味と、何やら薄っすら甘い味。
ガムの味に似せて作っているハズなんだけど、あんまり梅ガムに似た味には感じない。
ポテトチップスの味としてはナシだな。

カルビーxロッテ  ポテトチップス 梅ガム味55gx12袋



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2021年02月22日

ドムドムハンバーガー メンチー

トピックス|ドムドムハンバーガー【公式サイト】
2月20日★黒毛和牛メンチカツバーガーが2種登場!「メンタマ」「メンチー」
2月20日(土)「メンタマ」と「メンチー」が販売スタート!!
九州産黒毛和牛を贅沢に使ったジューシーなメンチカツと、ドムドム特製「フォンドヴォーデミグラスソース」の風味を、2種のバーガーでお楽しみください♪♪


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2月20日発売。
単品430円(税込)。


二種類が発売になったのだけれども、何しろこれ一個だけでも一日分の食費の目標金額を超えておりまして、貧しいので一個だけ。
どっちを買おうかと思ったんだけど「メンチー」の方にした。

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「メンチー」はメンチカツ×チーズ!
濃厚なチェダーチーズがお口の中いっぱいにとろけます♪メンチカツ&デミグラスソースとの相性は最強!


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中にはメンチカツとチーズと生のキャベツとか。
メンチカツはデカいし肉の味がしっかりして、食べ応えもあるし美味しい。
キャベツが若干喰いづらいかな。
ソースの味の濃さのバランスもいいと思う。
私にとっては値段が高いけど美味しい。

雑誌掲載 鹿児島県産 無添加 おばあちゃんのゴロッケ 30個 / 九州産 お惣菜 無添加 手作り 黒毛和牛 コロッケ おうちごはん ホワイトデー ギフト 卒業 お祝い



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ロッテ ポテトチップス ブルーベリーガム味

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おかしな研究所 | Calbee × LOTTE
ロッテのあのガムの味わいがポテトチップスになって登場!
ガムの味の再現性にビックリするかも。どんな味わいなのかは食べてからのお楽しみ。おかしな研究所ならではのワクワク・ドキドキな商品を是非お試しください!


2月15日発売。
全国のドン・キホーテ系列店舗とアピタ・ピアゴで販売。
数量限定、なくなり次第終了(2021年3月下旬頃想定)。
アピタで88円(税別)で購入。
オープン価格。
想定価格120円前後(税込)。
内容量50g。
1袋当たり推定値エネルギー279kcal。

カルビーとロッテが共同でポテトチップス「ブルーベリーガム味」と「梅ガム味」を販売ってことで両方買ったのだけれども、先に食べたヤツから紹介する。
2020年4月にカルビーとロッテで共同設立した「おかしな研究所」の第4弾商品だそうな。
ということで、見てわかるとおりロッテの「ブルーベリーガム」を再現したポテトチップスということで。

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見た目は普通のポテトチップス。
「これ間違いないやつの味」よりも若干安いなと思ったら内容量も少ないんだな。
袋を開けた時点でブルーベリーガムだねぇって感じの臭いがする。
味も、ブルベリーガムっぽいんだけど、ポテトチップスの味としてはナシだな。
甘い味がするので、甘い味系のポテトチップスが好きな人には好まれるのかも知れないけど、その手の味のは嫌いなんだよね。
チョコがかかってんのとかは美味しいと思うんだけどな。

カルビー ポテトチップス ブルーベリーガム味 50gx12袋



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2021年02月21日

カルビー ポテトチップス これ間違いないやつの味

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発売日不明。
全国のドン・キホーテ&ユニーにて期間限定販売。
アピタで98円(税別)で購入。
内容量55g。
1袋当たり推定値エネルギー304kcal。



2月17日ぐらいに発売になったんだろうと思うんだけど。
カルビーもドンキもサイトを見てみたけれども情報を発見できず。
ドンキ限定ってことだったから、多分アピタに置いてるだろうなと思って行ってみたらあったんで買った。

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で、何の味かというと塩とごま油だそうで。

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ギザギザした感じのヤツ。
妙に小さいのばっかりだなと思ったら、普通に大きいのも何枚かあった。
味はまあ、塩とごま油だなって感じなんだけど、正直全然美味しいとは思わない。
すごく美味しいみたいな話もチラホラ見かけるので、美味しいと思う人も多いみたいだけど、コーヒーを飲みながら喰うのには合わないなと思いながら喰った。
袋には「ビールに激合い!」とか書いてあるから、菓子としてっていうよりも酒のつまみとして合うっていう種類のものなのかな。
酒を飲みながら喰わないしな。

【販路限定品】カルビー ポテトチップス これ間違いないやつの味 55g×12袋



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2021年02月19日

カルビー ポテトチップスクリスプ コク深いビーフシチュー味

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ポテトチップスクリスプ コク深いビーフシチュー味|カルビー
パリッとはじける食感をどこでも楽しめる、カルビーの筒型ポテトチップスです。
レストランの赤ワイン香るコク深いビーフシチューのビーフとオニオンの旨味が効いたソースの味わいを再現しました。


2月1日から全国のコンビニエンスストア以外の店舗で発売。
5月下旬終売予定。
クリエイトSDで158円(税別)で購入。
オープン価格。
想定価格税込235円前後。
内容量115g。
100g当たり推定値エネルギー509kcal。

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「ビーフとオニオンの濃厚ソースと赤ワインの風味が楽しめる」とのことなのだが、かなりトマトが主張するのだけれども。
激しくトマトが主張しているところにコンソメっぽいようなそうでないような味が付いている感じ。
スナック菓子の味としてはアリだなとは思うが。
若干クセは強めだと思う。

カルビー ポテトチップス クリスプ コク深いビーフシチュー味 115g ×12個



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2021年02月18日

マルコメ プラス糀 ヨーグルトソース いちご

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プラス糀 ヨーグルトソース いちご|マルコメ
糀甘酒のやさしい甘みが特徴のヨーグルトソースのいちご味です。オリゴ糖入りでヨーグルトとの相性も抜群です。

内容量150g
希望小売価格オープン価格。
100g当たりエネルギー163kcal 。

ヨーグルトソースということなのだけれども、パンにも合うということでまずはパンに塗ってみた。

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ジャムよりも水分が多い感じかな。
フルーティーな香りが広がってとても美味しそう。
糀甘酒が入っているので体にもよさげ。

六枚切りのパン二枚に挟んでみたけれども、思ったよりも甘味がソフトなのでもうちょっと多くかけた方がよかった感じ。
で、たくさんかけると傾けると溢れてくるので、パン全体にかけるんじゃなく、ちぎったパンに少しずつ載せるとかの方が食べやすいかも。

必要な量だけ出せるので使い勝手がいい。
封を切ったものは冷蔵庫で保存なのだけれど、場所を取らないから冷蔵庫の中でも邪魔にならないし。

マルコメ プラス糀 ヨーグルトにかけるフルーツソース ゆず 150g ×6個



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バンダイ ベルサイユのばら ハイドロゲル 目元パック

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ハイドロゲル 目元パック(3包入り) - creerbeaute

気分はマリー・アントワネット!な感じの目元パック。

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二枚ずつ入ったのが三つ入っている。

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見た目はよくある目元パックかなっていう感じ。

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ちょっとデカい感じがしたけれども、貼り方が違うのかな。
普通の顔の多さの人だとちょうどいいのかな。
貼った感触はひんやりしている。
貼った時だけひんやりするのかなと思ったけど、ずっとひんやり。
夏場などは気持ちいいかも。
10〜20分貼ってはがすということだったので、20ほどではがした。
今日はかなり乾燥していたけれども、別段乾燥しなかったので、それなりに潤ったのかな?と思うけれども、20分貼っただけなので劇的にすごく変わった!みたいな感じはなく。

ベルサイユのばら ハイドロゲル目元パック 2枚×3包



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「あさイチ」で大人の発達障害が取り上げられます

2月24日(水) 午前8時15分 〜 9時55分 総合
見過ごされてきた大人の発達障害|NHKあさイチ
「コミュニケーションが苦手」「忘れ物が多い」「読み書きが困難」など、生まれつきの脳の特性によって日常生活にさまざまな生きづらさを抱える発達障害。コロナ禍のいま、発達障害の特性がある人たちやその家族の悩みが深まっています。
発達障害の特性があるパートナーとのつきあい方に悩む人たちの相談会には、問い合わせが増加。在宅勤務によって一緒に過ごす時間が増えるなど環境の変化が理由だといいます。どういう悩みを抱えているのか、どうすればうまくつきあえるのか、さまざまな声と「気持ちを言語化」するなどの実践法をご紹介します。
コロナ禍で、発達障害がある人たちの仕事にも大きな影響が。就労支援窓口には相談が殺到、働く場が失われ困っている人、臨機応変な対応ができず悩む人、雇い止めをきっかけに発達障害に気づく人が増えているといいます。どうすれば働く場を維持できるのか。企業や自治体の取り組みを紹介します。
また最近の研究で、大人の発達障害が「認知症」と間違って診断され不必要な治療を受けるケースがあることがわかってきました。
コロナ禍で新たに見えてきた、発達障害の特性がある人たちとその家族の悩みに向き合います。


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2021年02月15日

2020年10月12〜23日◆つつまれるヒト(後編)

これの続きです。

先週に引き続いての「アフォーダンス理論」。
自分はそう思っていないのに引き出されてゆくという。
そういう人間の心理。
「本当に始めてよかったな」と思うのは始めて六年、合気道を教わっていて、教えてもらいながら、よく意味のわからないというか不思議な表現に接したりする。
相手が自分の手を押えにかかる。
その手に対して自分が反撃をするのだが、具体的な武道の技なので事細かに説明することができないが、相手がかけてきた技をやり返す時に、合気道は絶妙な言い方をする。
それは「相手の腕を栓抜きみたいに開けながら、武田君、逆の手を持ち上げろ」「いや、そんな力んじゃダメよ。自分の親指を吸うような動きを」という。
鬼でもやっつけるようにガーン!と殴るとか、バチーン!と打つとかではない。
「ふわっとやりなさい」とか。
そういう武道に相応しからぬ形容を以て技の力具合を諭してゆく。
最初はそれがすごく不思議で仕方がないし、ピンとこなかったが、ある段階を過ぎると「なるほど」と頷くことがあって、そのアフォーダンス理論というのがそういうことなのかな。

包まれるヒト?“環境”の存在論 (シリーズ ヒトの科学 4)



守備範囲が広くて子供の寝返りから車の運転、飛行機の操縦、スポーツに於ける心理から身障者の方の乗りやすい車イスまで。
その中に演技論もあって、水谷譲が一番興味がある。

ひとまずアフォーダンスによるところの「映画理論」というのにいってみる。
これは青山真治さんという方が書いた映画論。

映画は像(イメージ)ではなく、身振りである。(167頁)

人と違う動作、しぐさ。
「身振り」というと言葉が大きいが「しぐさ」ということなのだろう。
スクリーンに登場してあるキャラクターが物語のためでなく、小さく繰り返す物語とは関係ない身振りによって見る人は物語を感じる。
ちょっと合気道に似ている。
合気道の「やっつけるぞ!」という動きではなくて、「親指を咥える」とか「指の先から水が出るような感じで横へシュッと手を持っていくのよ」とかそういう喩え方をする。
「相手がアナタのことを引っ張っているんだったら、それはもう柳の木の枝のようにゆったりと引っ張られればいいじゃないですか」というような形容の仕方。
これとアフォーダンスというところの青山さんの映画論の中に「人はしぐさである」。
そのしぐさも物語に関係がなければないほど、なおさら人はそこに物語を感じるんです、という。
「しぐさ」ということなのだろう。
スクリーンに登場して、あるキャラクターが繰り返す物語とは関係のない身振りによって見る人は物語を感じる。
これは武田先生は確認したワケではないのだが、興味のある方はどうぞ確認してください。

フォード映画を代表すると言っていいだろう俳優ジョン・ウェインは、フォード以外の監督作品においても〈投げる〉という《身振り》を実践する。しかもそれらにおいても〈投げる〉という《身振り》は、《物語》という「目的」とは無縁に反復されるのだ。ウェインといいえば、カウボーイや職業軍人を演じる彼が、井戸や水道で手を洗ったあと必ずといっていいほど両手を振って水滴を掃いながら振り返り、ジーンズや軍服の太腿で濡れた手を拭きつつ行く手を睨みつけて歩きだすという一連の《身振り》を反復(列挙は避けるが)しているが、−中略−演じるウェイン自身にさえ意識されないかのように複数の監督を横断する《身振り》である。(168頁)

ジョン・フォード Blu-ray BOX 《初回限定生産》



そこにアメリカ人はダンディズムを感じる。
ハンカチを持っている男は武田先生たちの時代は「軟弱」だった。
『姿三四郎』は腰に手ぬぐいで撫でるだけだったし、小中高校まで、だいたいクラスのカーテンで手を拭いていた武田先生。

姿三四郎



女子から凄く嫌われたのを覚えている。
だが、太陽が乾かすからそれが一番清潔だと思っていた。

細かいことだが、こういうところから「コロナ後」を生きる知恵を何とか探りたいと思う。

 イングリット・バーグマンは、眩暈を起こして倒れそうになる瞬間、口元か額に手を当ててよろける。−中略−ロベルト・ロッセリーニやアルフレッド・ヒッチコックなど演出家の異なる複数の作品でそれを実践している。(168〜169頁)

「美女はクラッとくる」という。

 ルキノ・ヴィスコンティ『熊座の淡き星影』の冒頭近くにおけるクラウディア・カルディナーレの場合には〈髪をかき上げる〉という《身振り》が特権化されている。(169頁)

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食後に戸外に出て実弟と再会するときには、またしても風が吹き荒れ、実弟を抱擁を交わしながらスカーフを取ったカルディナーレの髪は、風に吹かれて靡くことになる。(170頁)

その身振り、しぐさを繰り返すことにより、セリフ以上の何かを伝えようとする。
俳優さんというのは像を描くのではなくて「身振り」「しぐさ」を演じるのだ、という。
そういわれるともう、次々に思い浮かぶ。
日本の俳優さんたちも記憶に残ってるのは「しぐさ」。
渥美清さんは演技の回転。
渥美清さんというのは顔をキャメラに映されている時に半回転して背中を向けておいてキャメラに顔が映っていない背中で驚いた顔を作って「えっ?おじさん死んじゃったのかい?」。
回転。
だから渥美清の演技の凄さというのは半分背中。
「見えていない」ということを「お客さんに見せない」ということを前提にして、その見せなかったシーンでの表情の変化をお客に感じさせる。

男はつらいよ 全50作DVDボックス



絶世の美女が「とらや」に遊びに来た。
寅さんがたまたま帰ってきて不機嫌なまま、ブスッと背中を向けて上の部屋に行こうとした時に(美女が)「寅さん!」と言うと、もう寅さんの顔が喜び満面の顔で「あいよ」と振り返るという、変わり際を見せないことでお客に見せるという。
勝新太郎さんもそう。
三船敏郎さんもそう。
この名優たちには全員、彼らにしかできない「身振り」があった。
三船さんの怒った時の視線の動かし方なんかそう。
相手をカーッと睨んで「お前達、百姓を仏様だとでも思ってたのかい!」と言いながら一瞬目を逸らす。
戻した時に彼の表情がさらに怒りに震えているという。
そういう身振りの中で像を作っていく。
ちょっと前にお話しした、俳優さんかコメディアンかアイドルかで動きが異なるという。
だからタッチが変わる。
それが上手くゆくドラマと上手くゆかないドラマの差になる。

芝居にとあるタッチがあるテレビドラマがある。
『半沢直樹』もアフォーダンス。

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みんな歌舞伎の人ばかり。
ということは、あの顔芸はどこから来ているか?
「見得」から来ている。
『半沢直樹』に於いては七三、花道の大芝居。
「何を言ってやがる!小悪党!」
そういう「見得を切る芝居」というのが歌舞伎の人は得意。
ある意味で陰影のない、ライト一本を浴びた時のお芝居。
それでタッチが整っている。
『半沢直樹』はみんな同じような顔になる。
「こうなれば・・・倍返しだ!」という。
あれは不自然。
あんな銀行マンがどこにいる。
信用金庫の人があんな恐ろしい顔はしない。
「来たか半沢!ハッハッハッハッハッ・・・」
行内のATMとかがある横で「ハッハッハッハッハッ・・・土下座するんだ!」。
それを花道芝居で見せるから。
だからタッチに流れがあるから、あの大評判になっているのではないか?

ここで面白い実例を見ましょう。
ここからは演技論からちょっと離れてキャメラワークという面白さ。
これも一種アフォーダンスに縛られて行く。

筆者はかつて講師を務めている映画美学校の授業で、実験を試みたことがある。
 授業は、試写室を教室代わりに使って行われたが、まず試写室に集った受講者らをいったん外に出し、再度試写室内のそれぞれの席に戻らせ、その様子を撮影する、というのがこの実験である。席に戻るには
−中略−階段を上がり、通路を通って左右にある縦十数列・横二十列ほどの席に、他の受講者の席の前を通過するなどする。−中略−任意の受講者にデジタルビデオキャメラと三脚を渡し、自分にしかるべき場所と思われるポジションから好きなようにその模様を撮影してもらった。(171頁)

(番組では二台のカメラを使用したように説明しているが、本を読んだ限りではカメラは一台のようだ)

 このとき択ばれた受講者は、スクリーンを背にして右端(つまり空間にとって入口ドアと対角線をなす位置)にキャメラを置いた。なるべく試写室全体がフレームに収まること(それは受講者全員がフレームに収まることも意味するだろう)を念頭に置いたようだった。−中略−残念ながらそこには「通路を通って座席に座る」という予定通りの「行為」より他の運動は生じず、−中略−ただ受講者全員の、照れや困惑といった「心的現実」を浮かべた顔が画面上に《像》として描かれるばかりだった。(171〜172頁)

 そのあと、−中略−キャメラマン・たむらまさきさんに、受講者と同じ条件での撮影をお願いした。−中略−たむらさんがキャメラ・ポジションとして択んだのは、先の受講者とは真逆の位置、すなわち入口ドアの脇にある、階段の上と同じ高さの狭いスペースだった。たむらさんは、そこからまずドアをくぐって階段を昇っていく受講者らを背後から撮影し、半分ほどの受講者が試写室内に入ったあたりからゆっくりとスクリーンへ向けてパン(軸を動かさずにキャメラを左右に回転させる撮影方法。パノラミック撮影の略称)を開始した。そののちに、最後のひとりが席に座る様子をフレームの左端に捉えつつ、白いスクリーンをほぼ完全に捉えたところで、パンを終わらせた。(172頁)

それで両者を比較する。
そうすると圧倒的にプロキャメラマンが撮った方が「さあ、授業が始まるぞ」という印象が残る。
さっき言ったパンで人を舐めておいて、一番端っこの人がそこに座る。
それがラストに見える。
ベルが鳴って教授が入って来るタイミングで座っているように見える。
だから撮影というのはカットが重要な意味を持って、学生さんたちが撮ったのは支離滅裂。
著者が言うが観客は隠されたものを見ようとする。
観客は見えているものは見ない。
人間というのは隠されているものを見ようとするという心理的アフォーダンスに入るという。
そして一番隅っこの女生徒が座るというのでパンが終わってカットがかかった。
それがいかにも、とある動作の終わりがとあるシーンの始まりに繋がりやすいカットになる。
ホラーとかサスペンスでも例えば女の人がいて、後ろに誰もいないのに、カメラワークで「後ろに誰か出てくるんじゃないか」というのがある。
ああいうのが不思議なのだがそういうこと。
山田洋次さんなんかがおやりになる、見事だと思うのは例えば二人の男女がいて、その女の人が去って行く。
その画面の中に男一人しかいないのだが、画角を変えない。
一人しかいないから寄っていけばいいのだが寄ってはいけない。
そのまま撮る。
二人映っていて一人が去る。
去って行く女の背中を映しておいて、キャメラを戻して、同じサイズで一人の男を撮る。
そうすると「去った人」というのがフレームの中に入ってくる。
寄りたくなってしまう。
それが、演出家の腕。
そういう目で黒澤明監督とか山田洋次監督を見ると凄いと思う。

幸福の黄色いハンカチ デジタルリマスター2010



武田先生が一番驚いたのは『幸福の黄色いハンカチ』に生まれて初めて映画に出た時に、十数年後に気づいて。
あれはずっと黄色が出てこない。
黄色が画面から外してある。
(花田欽也役の)武田先生は白のジャンパーに緑のジーンズを履いていた。
(小川朱美役の)桃井かおりはカーペンターのジーンズ(オーバーオールのことを指すと思われる)と赤いシャツか何かを着ている。
そして車が赤かった(真っ赤なファミリア)。
(島勇作役の)高倉健は黒ずくめで描いてあって、黄色を外してある。
健さんが、夕張の残した奥さんの思い出を話すと、奥の方に黄色い旗が揺れている。
凄い。
武田先生たちが夕張に向かうと追い越し車線の黄色がどんどんキャメラの真ん中に映ってくる。
つまり、あれは山田さんの「黄色いハンカチは上がっていますよ」というのを無意識の中に映像化していく。
ここまで人間の心理を、いわゆるアフォードを見抜くのかと思った時に、演出家というのは凄いと思った。

この本の中で青山真治さんが別の章の中に「顔」という章(「3「顔」の解放)を書いてらして、これは前に話した通り。
コメディアンの人、俳優の人、アイドルの人が混じって芝居をしていると、芝居の質が実は違う。
これは何かというと、これがまた顔。
俳優さんというのは心理を隠そうとする顔をなさる。
コメディアンの人は顔に全部出そうとする。
アイドルの人は一番いい顔をなさろうと努力する。
その顔に於ける表情の出し方のバラつきというのが上手くゆくときとゆかない時がある。
上手くゆかないのは敢えてどれとは言わないが。
「上手くいってるな」と思ったのは『おっさんずラブ』。

劇場版おっさんずラブ 〜LOVE or DEAD〜



映画版を見て、あれは受ける。
面白い。
あれも言えることは、それぞれが物語の中で持っている心理を画面上で隠そうとするから面白い。

才能ある映画作家たちは、ときとして「顔」を回避する。
 たとえばその顕著な例はロベール・ブレッソンである。ブレッソンはまず、心理を「顔」に表出しようとする俳優を使うことを自らに禁じ、正確な《身振り》と正確な台詞を言うこと以外を許されない、彼自身〈モデル〉と呼ぶ存在を使う。
(177頁)

これは顔に於ける表情というのがそのシーンを台無しにすることがある。

例外的状況以外では「顔」をフレーミングすることをやめる。「その本質において、常に、言語活動の内では把握されない」《身振り》のみで一本の映画を構築することが、ブレッソンの理想的な方法となっていく。(177頁)

だから下手な監督は寄るだけ寄る。
上手い監督はどんどん引いてゆく。
この両方をごったまぜにするのが勝新太郎『座頭市』。
名優が出てくるので驚く。
この間、感動したのが吉永小百合さんが出てきた。
(『新・座頭市T』第14話「雪の別れ路」)
旅芸人で林与一に騙される宿場女郎みたいな役で。
キャメラが寄るわ寄るわ。
だが、はっきり言って、ちょっと安っぽそうなロケでも立派に見える。
やはりそれは勝さんはよくわかっている。
林与一のスケこましから騙されても騙されても尽くす女郎を吉永さんがやる。
一番最後に与一は別の女に殺されるのだが、ひどい男だったから当然な報いで、その与一から貰った櫛を吉永小百合が雪の降りだした空にパーン!と捨てる。
そうするとアッという間に座頭市がその櫛を真っ二つに切る、という。
それを驚き見つめ、涙目の吉永小百合。
黙って背中を向けて「失礼さんでごさいます」と言いながら歩き出す勝新太郎。
バーッと引き。
そこに吹雪の雪がザーッと、崩れ落ちる吉永。
キャメラ寄らない。
寄ると安っぽくなる。
それでもうエンディングロール。
タイトルが上がってくる。
『幸福の黄色いハンカチ』
倍賞が映った。
高倉健が黄色い旗に向かって歩き出した。
大俳優・高倉健と倍賞千恵子の抱擁シーン。
だが、どんどんキャメラは引いていく。
明らかに倍賞は言っている。
「お帰り」
声が聞こえないぐらいキャメラは引いて、引いて引いて引いて見えるのはあの黄色いハンカチの旗の一列だけでエンディングを上げる。
日本人は寄りで泣かない。
引いて泣かせる。
このへんを映画作りの芸術家は知っている。
凄いなと思う。

これは今、語りの手法はアフォーダンス理論。
チコちゃんが「小さい子は何でブロック塀の高いところを歩きたがるの」から始まった。
水谷譲が今言っている「そんなことが想像つくと涙が出てくる」と言った、その心の動き。
「何でか知んないけど泣けちゃうなぁ」っていうこれがアフォーダンス。

生体心理学、アフォーダンスの舞台の広さ。
佐々木正人によるコラムがある。
ここで佐々木は実に興味深いテーマを置いている。
人間というものを見つめた場合、その「生態の面白さ」ということで、食事の食卓の高さについて触れている。
世界中にいろんな動物がいるけれども、食卓がないと飯が喰えないというは人間だけじゃないか、という。
ちょっと話が重なってしまうかも知れないが、東アジアの食事の習慣で独特なのが日本である。
中国、朝鮮・韓国あたりと食事を摂るマナーが違っている。
動物の食事を摂る姿勢、習慣を見ていると、視線の変化である。
これは面白い。
食事を摂る習慣には二つの視線がある。
一つは「肉食の視線」。
もう一つが「草食の視線」。
「肉食の視線」とは遠くにいる生き物を「あっ!シマウマだ。オレ喰うぞ」。
決めたライオンがバーッと追いかけていって喉か何かに噛みついて肉をむさぼる。
肉を喰う時、生き物は肉に視線を合わせる。
そういえば肉を見る。
喰いながらジーっと肉を見る。
魚でも何でもそう。
必ず見る。
口に持ってくる時、肉を見ながら口に入れる。
「お話をしながら肉を自然と持ってくる」というのはない。
一旦絶対、肉に視線を寄せている。
しゃぶしゃぶとかすき焼き。
集中している。
ところがこの「肉食の視線」に対して、もう一つ「草食の視線」というのがある。
ライオンさんがシマウマを食べる時はかぶりついている。
シマウマさんの肉を見詰める。
ゾウさんが草を見る時はどうか?
草食の視線。
口に運ぶ時、見ない。
なぜかというとゾウさんは次に食べる草を見ているから視線は上がっている。

ヒトの食卓には「肉食の視線」と「草食の視線」が共存している。(212頁)

(番組では日本人限定であるかのように言っているが本にはそのようには書かれていない)
これでわかった。
武田先生がポロポロご飯をこぼして何で奥様から怒られるか?
それは簡単。
ご飯は草系が多いから。
目を離している。
野菜が多いから見ない。
昔はちょっと肉が混じっていたらちょっと見ながら食べるのだが、今は口に入れるのは「ナスかキュウリかレンコンか・・・」というので。
イモを喰う時にイモは見ない。
さっきサツマイモをふかしたのをおやつで召し上がって床に落とした武田先生。
「イモか」と思うと見ない。
今まで生まれてきてケンタッキーフライドチキンを落としたことはない。
ちゃんと見ているから。
こうやって考えるとアフォーダンスというのはなかなか面白い。

一番最後に佐々木さんが絶妙なことを言う。
これは何かというと、人は環境からエネルギーを貰っているんだ。
これは環境がくれるエネルギーと自分の持っているエネルギーをかみ合わせて、環境の中に於けるエネルギーを作っていく。
それが人間だ、という。
もの凄くいいことをおっしゃっているなと思って驚いた。
何年か前に神と呼ばれた箱根のランナーたちがいるのを何人か思い出す。
名前も付けたり「山の神」。
よく考えるとすごく不思議。

山の「上がり勾配」も注意を引いたはずだ。なぜこの「傾斜」は同様に鍛えているはずの若者たちのこれほどの能力差をもたらすのか。(213頁)

箱根の坂道が箱根の坂道の神たちに力を与えたから。
彼らは坂道から力を与えられた。
これがアフォーダンス。
ちょっと冷たい言い方になるが、平べったいところで急に勝てなくなる。
そんなランナーが何人もいる。
不思議。
「坂道を上れる」というのは最強の証拠。
ところがこれが平塚あたりの平べったいところになるとあんまりいいタイムが出せないということは、勾配がくれるエネルギーで自分のエネルギーが出るという選手がいること。
これこそが実はアフォーダンスであるという。
そうやって考えると我々は環境に包まれて自分というものを決定しているんだな、と。
こう考えると面白い。

posted by ひと at 17:09| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月12〜23日◆つつまれるヒト(前編)

(公式サイトでは今回のネタ元は『今日から使える行動心理学』ということになっているのだが、実際にネタ元になっているのは別の本)

今日から使える行動心理学 (スッキリわかるシリーズ)



曖昧な表現だが「つつまれるヒト」。
こんなものをまな板の上に乗せた。
これは本のタイトルそのまま。

包まれるヒト〜“環境”の存在論 (シリーズ ヒトの科学 4)



2007年、岩波書店発行のいわゆる生体心理学というようなジャンルの一冊。
これはどういうことが言いたいのか?というと、環境の再発見のため21世紀の人間科学というものを追求しなければならない。
これはざっくり研究分野の名前で言うと、前にも一回触れた武田先生が今、興味を持って仕方がないという「アフォーダンス」。
行動心理学みたいなもの。
この間テレビを見ていたらびっくりした。
アフォーダンスという学問の名前、これが何と驚くなかれNHKのあの人気番組『チコちゃんに叱られる!』に出てきた。
(2020年8月21日放送分「なぜ子どもは縁石の上を歩きたがる?」72分拡大版▽肉じゃが▽夏の怖い話▽お地蔵さん - チコちゃんに叱られる! - NHK
「これはアフォーダンス理論ですね」と解説の先生が言う。
かなり前に武田先生がアフォーダンスは取り上げていた。
自分の興味を持っていることが「チコちゃん」と重なったという喜びがある。
「何で子供はブロックの上を歩きたがるの?」
そういえば、子供は放っておくと段差のある上を歩きたがって、そこを平均台っぽく歩くのが大好き。
これを「何で?」とチコちゃんが訊く。
それがアフォーダンス理論。
この「何で小さい子供はブロックの上を歩きたがるの?」を小さい子供の数年前、その子が幼児だった頃から振り返ると、アフォーダンス理論はすごくわかりやすい。
まず、生まれて人間が最初にやる行動。
「寝返り」からアフォーダンスが始まる。
人間の始まりというものをアフォーダンス理論は寝返りから、この敷いてあるお布団の上で寝返りを打つ場合と、お布団から少しはみ出して畳の上にゴロンと自分が四つん這いになると嬉しい。
一番最初に人間を支配する情熱、心理「回転」。
アフォーダンスはこの回転を中心に人間の行動を考えていく。
天井しか見えなかったものが、一回転すると別世界がある。
それが下の世界。
その寝返りを打った赤ちゃんが四つん這いになる。
これはもの凄い勢いで四つん這いになりたがる。
赤ちゃんは自分の体を回転させるためにブリッジをする。
倒れた亀みたいに頭を。
赤ちゃんは四つん這いになった瞬間に何をやるか?
ハイハイ。
この這っていく時に全神経を集中し、這っている土台の肌理、手触り、感覚を覚える。
這い出すとどうするか?
いろんなものに触れる。
這い続ける。
そしてついに発見する。
這うものの限界を。
「這うものの限界」というのはそこに壁とか遮断する柵がある。
その柵があると次のアフォーダンスに入る。
立とうとする。
そしてついに立つ。
立ったら次のアフォーダンスが始まる。
それが「歩く」。
これはそういう環境に包まれた生き物が、環境と一緒に「寝返りを打つこと」「這うこと」「立って水平なものを見つけたらそれを掴むこと」。
掴んで立ち上がる。
立ち上がった瞬間に今度は下しか見なかった視線が上に上がる。
そうすると全く見たこともない世界が広がっている。
そして歩き出す。

アフォーダンス。
人間が環境を探るために偵察しているうちに、それがいつのまにか立って歩く行為になってしまったので、それは環境と一緒に人間が作った行動。
それは今までは「人間が立った」と言っていた。
だが、「人間が立った」というのは正確な言い方ではなくて「立つような環境が彼(彼女)にあった」。
事の始まりがすべて寝返りを打って回転する。
そこから始まった。
だから「回転する」ということがもの凄く大事。
だからスポーツは回転が入ってくる。
スキーからフィギュアから体操・内村航平まで。
それは「寝返り」の体験。

寝返りを打ってハイハイをした。
ハイハイをして水平のものを発見すると、子供は無意識のうちにこれを掴む。
そして、それを支えにして立ち上がる。
立ち上がると全く違う視界の世界が広がって、今度は立ち上がった視界の果てを求めて歩き出す。
いずれにしても端っこに行きたがる。
これが人間を人間たらしめる二足歩行のスタート。
子供はなぜ、段の高いブロックの上を歩きたがるかというと、これは寝返りの時と同じ。
課題に思える。
宿題に感じてしまう。
ブロック塀を見た瞬間に子供は何を思うかというと、課題として「この上を落ちずに真っ直ぐ歩きたい」と思う。
そうやって自分の能力を高めたいと思う。
そのことに挑戦し、それが達成できた瞬間に「やった!」と。
この出された「環境からの課題」を解いて、「できるようになった自分」を快感とするという。
これは死ぬまで続く。
それが71歳になった武田先生が公園で今、練習しているリップスティックボード。

ラングスジャパン(RANGS) リップスティックデラックス ブラック



あの快感。
できることが、もの凄く気持ちいい。
この「世界を探りたい」という思いがなくなった時に人は本当に老いてしまうのではないか?

アフォーダンス理論は実に細かいことに触れている。
先週、お葉書で「腕に力が入る」という話をした。
(視聴者からの手紙で「力み」についての話があった)
何で力が入るか?
もの凄く短く言うと、そこしか自分が見えないから。
人間は自分の姿を自分で見ることができない。
見つめられる一番の自分は何かというと手。
だから「頑張ってるぞ」と表現したい時は手に力を入れる。
自分で確認できるから。
但し、「腕に力が入っている」ということは自分で納得できるかも知れないが、人はそれで納得しない。

夏の日テレのドラマを見ていたら志村さんの物語をやっていた。
柄本明・川栄李奈・A.B.C-Z 河合郁人・三浦?太「24時間テレビ」志村けんさんの物語に出演決定
番組で志村さんを再現するのだが、ジャニーズの若い俳優さんもいるし、柄本(明)さんみたいなベテランの俳優さんもいるのだが、それに交じってお笑いコンビがいっぱい出る。
その漫才をやっているコメディアンの人の動きと俳優さんの動きとジャニーズさんの動きが違う。
一番ナチュラルに動いているのは柄本。
彼はお芝居の体の動きをする。
「欧米か!」の二人(タカアンドトシ)が出ていた。
肩に力が入っている。
演技に於いて一番難しいのは手をどこに置くか。
ジャッキー・チェンは香港で東洋人なのだが、西洋の俳優さんのアクションスターの動き。
指を差すような。
ちょっとオーバーアクション。
両手の動きからナチュラルさが消える。
そういう人たちの表情がまた、リアルから離れてしまう。
手の動きの大きい人のお芝居は表情も大きくなる。
「おいおい!そんな言い方があるか!志村さん怒ったらどうすんだよ!」
人間はそんなふうに動かない。
そんなふうな動きをやるADがいるワケがない。
何でかというと、アフォーダンスに沿っていない。
「力を入れる」ということを本当に力を入れて表現しようとする。
こういうふうになると映画論になっていくから面白い。
感情を隠そうとするお芝居の中に、もの凄く多量の熱い芝居を感じる。
渥美清の泣いているような笑っているような、決して表情を読ませないという表情を隠そうとする演技の中に表情を感じる。
アフォーダンス理論はかくのごとく様々なものに広がって行くが、ナチュラルに動くということがいかに大変か。

「力み」がなぜ起きるか?
それは「頑張っている」と思うから力んでしまう。
頑張る自分を隠すのである。
これは最近の若い人にはなかなかわかってもらえないようで。
この間『ワイドナショー』で語っていたら東野(幸治)さんから「古い!」と一言。
ワイドナショー - フジテレビ
ただ、人間が歩行、二本足で歩くということに関して、他の動物と決定的に違うのは逆説。
歩くとはどういうことかというと不安定になること。
四つん這いの方が遥かに安定している。
だから、歩くというのは一歩一歩全部揺れているとうことで安定しないこと。
安定しないことが安定してできるようになった時に二足歩行は人間の中に定着していった。
二足歩行から始まって、バランスをどう取っていくか、そのバランスの取り方の上手さが成長することになる。
ということは、子供たちがちょっと高いブロックの上を歩きたがるのはわかる。
早くバランスの取れた大人になれるように。
というのは子供は見ただけで可愛い。
「可愛い」とは「可哀そう」なこと。
子供はバランスが悪い。
頭がデカすぎる。
だが、頭がデカいものを見ると我々は可愛く感じてしまう。
それは「可哀そう」だから。
ちょっと人間は複雑。
だから安定を求める時、人間は敢えて不安定になる。
これが面白い。

ゴルフで畑岡奈紗という女子プロがいるのだが、見ていると面白い。
この人はドライバーで打つ、そのアドレスに入る前にそこの場でずっとジャンプをする。
(ジャンプすることによって)全身を確認できる。

今地面の上で私がぴょんぴょん跳ねたら……。
 そうさ、君は君のからだがどんなかたちかを知ることができる。
(24頁)

ラジオ体操でも小さくジャンプするのがある。
あれは、あれで自分の全身が確認できるから落ち着く。
アフォーダンス。
自分を確認するためにはどうしたらいいか?
もう一つ確認する方法がある。
それは何か?
ジャンプの他に。
その場で一回転すること。
スポーツの中で回転競技というのがいくつもあるのは、実は自分をちゃんと確認しているということの証明でもある。
だから、何回転も回った方が点数が高い。
フィギュアスケートとか体操とか。
あの時にほんのわずかでも肩に力が入ったら転ぶ。
つまり、リラックスして回転できるか、これが問題になってくる。
自分のバランスを確かに持っているかどうか。
しかももっと面白いのは人間はこの前やった竹刀ではないが、長い棒を持たせると必ず振る。
長い棒を持って振りたくなるのは、重さを確認するためには振るのが一番。
だから「振る」という行為は、そのことで知ろうとする人間の意欲。
このへんは面白い。

(水谷譲の)一番下のお子さんは合気道をやっている。
合気道は回転運動。
クルクル回っている。
一番最初の基礎の練習が凄く単純で両腕を振る。
ラジオ体操にも「腰を大〜きく回して〜上体を大〜きく振る運動〜」というのがある。
あれは何かと言ったら肩から力を抜くため。
体を大きく振るためには肩から力を消す。
消すことによって手のひらが敏感になる。
人間は体を振って指をブラブラさせると、指先に神経が行って当たると直ぐわかる。
そういういくつかのアフォーダンスに導かれて「自分の動かし方」を人間は決めている。
そうやって考えると面白い。
ラジオ体操も動きに意味がある。

武田先生の体験なので皆さんにお教えする。
けん玉をやるとよくわかる。
けん玉がどんどん上手になっている武田先生。
三月からやっている。
けん玉、縄跳び、リップスティックボード。
この三本柱を今でもやっている。
今、相当上手。
玉の方を握っておいて、剣の方を空中に回して玉の穴に入れる。
何でそれができるようになったかというのは、肩に力が入っていない。
そこが極意だと思う。
けん玉をやる人で肩に力が入っている人はいない。
上手な人は楽にやっている。
あれは何かというと、自分の都合ではなくて、けん玉の事情に自分を合わせる。
でないと絶対できない。
けん玉というささやかなる道具は「私はけん玉で遊ぶ」のではなく「けん玉が私を遊ぶ」時、上手くいく。
人間は何でも自分でやっているつもりだけれども、実は環境と力を合わせて「私の行動」は決定されてゆく。

アフォーダンス理論。
人間は環境と一緒に自分の行動を決定している。
環境と抱き合わせることによって人間は行動していくのであって、単独で何かをやっていると思ったら大間違いだ、という。

今日のアフォーダンス理論は、日本のどこかにいらっしゃる野村寿子さんという方へのインタビューで始まっている。
(番組では野村さんを「作業療法士」と言っているが、本によると「元作業療法士」)

 佐々木 野村さんは四年前から−中略−脳性麻痺の方のための、オーダーメイドの椅子を作るお仕事をなさっています。その前は−中略−作業療法士をなさっていましたね。(31頁)

 野村 二歳のKくんです。−中略−仰向けで全身つっぱった状態でほとんど動けませんでした。(34頁)

(Kくんの写真は)「ベタッと横になっている幼児」という感じ。

 野村 次に、身体の左右が非対称に歪んでいる方の事例です。たとえば、このRさんの身体は本人から見て右に傾いていますが(41頁)

両者に共通しているのは苦しげ。
彼らにはこの手の椅子しか用意していない。
これをこの作業療法士の人がこの人たちに椅子を作ることによって、椅子だけで変わる。
Kくん、Rさんに野村さんが椅子を作る。
女の子の方(Rさん)は、くの字に体を折って座っていた子が、普通に明るく座っている。
先週から話していることだが、例えば上の写真は両方とも肩、背中に力が入っている。
(番組で「上の写真」と言っているのは本の35・41頁の合っていない椅子に掛けている写真)
そして下の方、作業療法士の人が作った椅子に二人が座ると、非常に楽な感じがする。
(番組で「下の写真」と言っているのは本の40・43頁のオーダーメイドの椅子に掛けている写真)
特に女の子の場合は思う。
一目見て「あ、身障者の子だな」とわかるような上の写真だが、下の写真はすれ違っても・・・
この二つの差異はどこから生まれてきたのか?
これもアフォーダンス理論。
これは面白い。
体で動かない場所が下の方の写真にはある。
上の方の写真はとにかく寝かせなければ・・・というのだが、下の方の写真で生き生きと動いているのは定まった部分がある。
腰が据わっている。
定位、動かない体の部分があるので、体の上の方が動くようになった。
びっくりするぐらい表情の違いを感じる。
痛々しい身体障害者の子が、違う椅子に座っただけで生き生きとした表情になって、周りを見たり、あるいは人に話しかけるような表情になっている。
これは何かというと、苦しそうな表情をしているのは椅子が「転ばないように」を前提に作ってある。
「転ばない」ということを前提に作ると苦しそうに座る。
生き生きと表情がしているのは、実は間違えて前につんのめると倒れる。
倒れる方が表情が生き生きとしている。
不安定の中で安定を見出す。
倒れることが自分の課題になっている。
(このあたりの話は本にはない)
そうすると「倒れないぞ」ということで自分の体を使うことがこの人たちに健康な少年らしい表情を与えていく。

これを見ながら何を考えたか?
ずっと晩飯を喰いながら(奥様から)叱られていた。
手の甲を物差しで叩かれるような声で叱られて。
何でか?
ご飯をこぼす。
それでずっと奥様から怒られる。
「ほらまた!チッ!もうボロボロボロボロこぼしてぇ!」
これはアフォーダンス理論で追及した。
「何で俺はご飯をこぼすのか?」
それはご飯を奥様の横で食べる時に体を硬直させているから。
それでこぼす。
力が入ってしまって。
そうするとこぼす。
こぼさないためにはどうするか?
背筋を伸ばしておいて、肩から力が抜けて自由に使えること。
これがこぼさず食べる方法。

身障の人たちに適合した椅子を作る。
定位、体の一部分をしっかり固定しておく。
ちょうどお尻の形が前後に揺れるようになっている。
この不安定さが実は人間にとってとても自由度を高めてゆくという。
合気道は姿勢の武道で、武田先生はすぐに背中を丸めてしまうが、それを何回も注意されている。
これは何かと言ったら前にお話しした、体の一部分を真っ直ぐに保持することによって肩から力を抜き、手の自由度を高めるという。
そういうアフォーダンスに従うためにはそういう動きがいい。
(水谷譲の合気道をやっているお子さんが)普段はちょっと猫背ぎみ。
だから「合気道をやって何かいい方向に行けばいいな」と思う水谷譲。
絶対いつか悟ると思う。
ベストにその技が効果的に効くためには、やっぱり背筋が伸びていないとダメ。
そういう意味では長い目で見てあげてください。

こういう発想が面白い。
人間は環境の中から自分を決定してゆく。
今まで環境を資源にしてきた。
「石油がありゃあ取りゃあいい」「畑作って喰い物を植えりゃあ高く売れる」「川見りゃあ魚を釣ってとにかく稼ごうぜ」という自然、あるいは環境を資源にしてきた。
だが、今はそうではない。
環境とどう折り合うか。
そういうことを考えると、もっと違う物事の発想が。

ここからさらに面白いことに気が付いた。
それはまたゆっくり話すとして、武田先生がずっと引っ掛かっていた言葉に「ソーシャルディスタンス」。
今はもの凄く叫ばれている。
「ソーシャルディスタンス」と昔はそんなことは言わなかった。
コロナ禍で出来た言葉。
親しみやすい方がいいから握手するアイドルとか、ハグし合う選手たちとかが高く評価されていたのだが、今、「ソーシャルディスタンスを取れ」と言う。
「そんなコロコロ変わっていいのかな?」と思って「ソーシャルディスタンス」を日本語で何と言おうかなと思って考えていた。
日本にあった。
こっちの方が遥かにいい。
間合い。
公園でソーシャルディスタンスの2mに立ったことがある武田先生。
2mの端に立つと同じ構えをする。
刀を構えて正面に置く構えになる。
宮本武蔵と佐々木小次郎みたいに。
あれがちょうど2m。
まさに間合い。
間合いによって生きるか死ぬか。
昔の人たちはとても巧みにソーシャルディスタンスをキープしていた。
べったり寄ってくる人なんかいない。
特にサムライはソーシャルディスタンス用に刀を差している。
それがカチンと当たったりすると大変なことになったワケで。
そうやって考えると、そこにはちゃんと持っている道具でのアフォーダンスがあった。
頬っぺたをチュッチュしたり撫でつけたりするうちにおかしくなってしまって。
西洋かぶれみたいな。
そうやって考えると「間合い」という問題から、いわゆるソーシャルディスタンスを考えていくと、そこにはちゃんとコロナに対抗すべき人間の生き方「アフォーダンス」があった。

人は自分の定位を定め、自分のサイズを確認する。
自分の重心を確認するために回転するのだ。
こうやって考えると面白い。
回転することで名を上げた時代劇スター。
勝新太郎『座頭市』。

座頭市 Blu-ray BOX



座頭市は回転。
ブルース・リーが勝新太郎さんと共演したかった。
それでカンフーの回転と居合切りの回転でアクション映画を作りたかったらしい。
観たかった。
つまり、回転するものは人を惹き付ける。
そうやって考えると、彼らを支えている「アフォーダンス」回転というのは実に興味深い理屈であるということ。

来週は「演技論」に行ってみようかと思う。
アフォーダンスは運動理論もあるが芸能理論でもある。
考えたら歌舞伎にしろ日本のお祭りにしろ、見せ場は回転。
回転することは興奮する。


posted by ひと at 16:43| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月14日

明星食品 明星 一平ちゃん夜店の焼そば 25種のスパイス香るソース味

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明星 一平ちゃん夜店の焼そば 25種のスパイス香るソース味 | 明星食品
ウスターソースをベースに野菜のうま味を加えたコク旨ソースに、厳選された25種類のスパイスを使用したふりかけとコク旨マヨで仕上げる、食欲そそる香り・刺激・あと引く旨さのソース焼そば。

2月8日発売。
イオンで108円(税別)で購入。
希望小売価格193円 (税別) 。
内容量119g (90g)。
1食当たり熱量522kcal。

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小袋は三つ。
(特製マヨ・ふりかけ・液体ソース)
お湯を入れて三分待つっていう普通な感じの。
小袋のは全てお湯を捨ててから入れろと。

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麺は細麺。
ソースは「ウスターソースをベースにトマト、オニオン、ガーリックでコクを出し、香辛料を加えた野菜の旨味が詰まったコクのあるソースです」とのこと。
かなり濃いめのソース味って感じだな。
かやくはキャベツがチラホラ入っている。
ふりかけは「25種類のスパイスを配合した、香りと刺激がクセになる特別なふりかけです」ってことで、これが辛いらしい。
一応全部かけたのだけれども、私の嫌いなサルサみたいな臭いがする。
だからサルサみたいな味がするかな?と思ったけれども、味は別段サルサっぽさは感じず。
写真を撮る都合上、ふりかけを真ん中へんに集中してかけたので、混ぜたつもりだけれどもうまく混ざらずに、局地的に辛いところができてしまった。
全体にうまいことかければ、それほど辛いってほどでもないかなと思う。

明星 一平ちゃん 夜店の焼そば 25種のスパイス香るソース味 119g



posted by ひと at 19:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ウワサの保護者会「発達障害 子どもを怒ってしまうとき」のアンコール放送があります(2月22日追記)

2月20日(土) 午後9時30分 〜 9時55分 Eテレ
ウワサの保護者会「発達障害 子どもを怒ってしまうとき」
発達障害のあるわが子に対して、思わず感情的になって怒ってしまう…という保護者の悩み。ソファーで飛び跳ねるのをやめてくれないとき、朝なかなか身支度をしてくれないときなど、どう子どもに接したらいいのか、尾木ママや星野恭子さん(小児神経科医)と共に考える。日常生活ですぐに取り入れられる接し方のコツを紹介。また、多く寄せられた睡眠のコントロールが難しいという悩みについても、アドバイスをもらう。

昨年の10月10日に放送されたものの再放送のようです。


追記

アンコール放送の再放送があります。
2月27日(土) 午後0時30分 〜 0時55分 Eテレ

家族そろってぐっすり眠れる 医者が教える赤ちゃん快眠メソッド



posted by ひと at 08:21| Comment(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月13日

ローソンストア100 ちぎれるふ和ふ和ぱん(つぶあん&きなこクリーム)

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ちぎれるふ和ふ和ぱん(つぶあん&きなこクリーム) | 新商品・おすすめ商品 | 商品・おトク情報 | ローソンストア100〜生鮮・100円・くらし支えるストア〜
つぶあんときなこの2種類の味が楽しめる和風パンです。ふわふわ食感でひとつずつちぎりながらお召し上がりいただけます。

2月10日発売。
本体価格100円(税込108円)。
販売地域全国 。
内容量1個。
1包装当たり熱量289kcal。
製造者山崎製パン株式会社。

とろ〜りチーズのブラウンシチューパンと同じ、今年度入社の新入社員18名が開発に携わった三種類のパンのうちの一つ。
これは「和菓子のようなパン」をイメージして開発しまそうな。
「女性にも食べやすいよう、小さくちぎって食べられるようにしました」っていうことなのだけれども、別に四分割じゃなくても小さくちぎって喰えるんじゃないかとか、四分割できるからもっと全体にデカいのかと思ったら小っちぇえじゃねぇかとか思う所存です。

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小さいけど厚みはある。
「ふ和ふ和ぱん」っていうぐらいだから、すっごくふわふわした食感なのかな?と思ったけれども、普通の菓子パンだねって感じの生地。

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黒糖生地の中につぶあん。
袋に描いてある絵よりも中身のあんこは少ない感じ。
でも食べていて「あんこが足りない!」みたいな感じはせず。
まあ、普通にアンパンだねって感じ。

DSCN1445.JPG

中は「きなこクリーム」。
きな粉の味がするクリームが入っているっていうそのまんまな感じ。
こっちも袋の絵よりもクリームが少ない感じはする。
味のバランス的には問題はないけれども。

パスコ ロングライフブレッド つぶあんパン 10個入



posted by ひと at 19:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする