これの続きです。
とにかく「脳を休ませる方法」というのでいろいろと悩み事のパターンなんかを三枚におろしているのだが、ネタ本があって、ご紹介した通り久賀谷亮さん、ダイヤモンド社から出ている『(世界のエリートがやっている)最高の休息法』という本。
ところが、お書きになった方が「あれ?あのこととあのこととあのことを全然話さないぞ、この人は」と思ってらっしゃると思うが、最高の休息法を求めて久我谷さんはマインドフルネスという瞑想という言葉を土台にして本を進めておられるが、申し訳ない。
当番組は「三枚おろし」なので、この久我谷さんの本から骨と頭は外してしまって身だけを三枚におろしているので「頭が無ぇぞ」「骨が無ぇぞ」とかとお思いかも知れないが、どうぞお許しのほどを。
とにかく三枚おろしなものなので、いいところばかりおろしてまことに申し訳ございません。
この本を読んでいてつくづく感じたのは、様々な過去が私達の体の中には残っている。
これは『(不思議すぎる)人体のしくみ図鑑』坂井建雄さんのご本によれば、私達は爬虫類の時代には頭のてっぺんに「頭頂眼(とうちょうがん)」と呼ぶ目玉があったという。
これは何に使ったかというと上から襲ってくる鳥類を警戒する為に見ていた。
それが塞がってしまって今は松果体というホルモン腺になっている。
これが何をやっているかというと「セロトニン」「メラトニン」という、ご存じの方も多かろうと思うが朝と夜を知らせるという役割が脳の中に残っているという。
私達は過去を体の内側に含んでいるという。
だから偏桃体、これは「逃げるか闘うか」ジャッジをするという。
瞬時に決めないといけないのでパニックを起しやすい。
逃げなくてもいいのに逃げたり、闘わなくていいのに闘ったりするという器官。
だから何かあると偏桃体優位になって、もの凄い不安を感じたり、もの凄く怒ったりということが人間の中にはある。
その後ろ側には前頭葉という「まあまあまあ」といいながら冷静に。
これが発達したから人間は人間らしくなったのだが、偏桃体と前頭葉の結びつきは関係が深い。
これは面白いことを表現しておられるが、偏桃体を落ち着かせる為に一番便利がいいのは「掛け声」。
例の「かかとを上げて〜高く〜大〜きく背伸びをする運動〜」ああいうのをかけると落ち着く。

今、動いている手足、或いは皮膚に集中を持ってきて、自動操縦はやめて自分をマニュアルで動かす。
この時に最も役に立つというか、仲裁に入って冷静さを取り戻すのに必要な器官が、本当に読みながら「なるほど」と思った。
仲裁に入るのは何か?
皮膚。
目で見たり、耳で聞いたりして感情がバーッと立ち起こっている時に、それに冷静さを取り戻す為に必要な感覚器官は「皮膚」。
これはここから(本を)乗り換える。
坂井建雄さん、『(不思議すぎる)人体のしくみ(図鑑)』によれば皮膚というのは動物の中でも一番古い感覚器官で「耳」「目」「舌」ではなく、一番古いのは「皮膚」だそうだ。
一番最初にミミズみたいなもので命を繋いでいる時、あの時は耳も目もなかった。
皮膚だけで私達は生きていた。
今の現代の社会の中で一番忘れやすいのはこの「皮膚」の感覚を忘れること。
痛みは別として触覚は順応性が高い。(「人体のしくみ図鑑」146頁)
マスクを付ける。
そうするとピタッとマスクがくっつくと、いつの間にかマスクをしていることを忘れる。
皮膚が忘れる。
皮膚は順応性が高いから。
だからマスクをしたままコーヒーを飲んだり、油断をすると顔を洗いそうになったり。
忘れてしまう。
そんなふうにして皮膚というのは「触れられている」という感覚を忘れてしまわないと生活がしにくいから。
触覚と同じく順応は早く、3秒ほどで慣れてしまう。(「人体のしくみ図鑑」150頁)
手袋をして「暖かい」と思うのは1分も2分も思わない。
もう何秒かの後には手袋をしているかしていないかも忘れてしまう。
しかし皆さん、皮膚の感覚を思い出しましょう。
皮膚には、触覚、圧覚、温覚、冷覚、痛覚がある。(「人体のしくみ図鑑」146頁)
これは重大な感覚。
中でも一番生き物にとって重大な感覚は「痛覚」、痛み。
アラームとして痛みというのは
二次痛は心拍数の増加、血圧上昇、瞳孔散大、発汗など、自律神経系の反応を伴うことが多く、障害が治癒するまで続く。(「人体のしくみ図鑑」152頁)
この皮膚の感覚で人間は危機を察知するという能力。
「現代では皮膚をあまり重要視しないから、ちょっと皆さん、皮膚に注目してみませんか?」という提案。
こういう提案は面白い。
「皮膚には実は重大な生存の為の様々な技があるんですよ」という。
合気道で道場通いをする為に、武田先生も「玉電」というか世田谷線に乗る。
地方の方はご存じないだろうが二両だけの小っちゃな電車がある。
皆見ている、スマートホン。
スマートホンの会社の人、ごめんなさい。
アレ(スマートホン)を見ていてはあんまり人間は賢くならない。
スマホで情報をゲットできる状態ではあると思う水谷譲。
アレは情報と呼んでもいいような情報だろうか?
何かそんな気がだんだんしてきて。
つい見てしまうので武田先生も偉そうなことは言えないが。
だが、あまり高いところに置かない方がいい。
「何でそんなことアンタ知ってんの!?」「いや、スマホでさぁバズってるから」というのは・・・
「だから何だ」と言われると返す言葉がないのだが。
「情報」と呼ぶにしては、!と?を付けておけば「何でも文字にしまっせ」みたいな。
それから文字が小さい。
自分の目がもう不適なのだ。
大きくすると読みにくい。
同じ位置に置いておいて指先で拡げたり閉じたり・・・
視覚情報というのがだんだんあてにならなくなる。
フェイクニュースというというのがそう。
人間の視覚を騙す。
いずれにしても見るということ、聞くということに対してどうも最近信じがたい、と。
これは人間の感覚器として重大な役割を果たせないではないか。
では後は何に頼るんだ?
ここで登場するのが皮膚。
これは恐らく生存の為に重大な役割を果たした感覚器だったのではないだろうか。
例えば侍の時代、彼等は敵の動きを気配で察した。
それほど皮膚の感覚が敏感であった。
それ故に今でもその侍達の持っていた感覚を学ぶ意味合いで「武道」「柔術」「柔道」スポーツ鍛錬に於いても皮膚感覚を鍛えるということが重大ではないか?
例えばフィギュアスケート・羽生結弦という人を取り上げてもそう。
空中で何回転もする。
あの回転しているというのを目や耳で確認しているとは思えない。
着氷する。
氷の上にタン!とスケート靴で降り立つ。
そうするとそのエッジという底があって、素麺の糸よりも細いその内側・外側で降りたみたいな感覚を足の裏の皮膚で感じているワケで「皮膚」。
もっとわかりやすく言うと、お相撲さん。
何故ふんどし一つの裸かというと、あれは皮膚の格闘技だからではないか?
全身皮膚にしておかないと相手を感じられない。
だから、お相撲さんには「覆面力士」は出てこない。
あれは皮膚を全部使わないとできないという。
そんなふうにして考えると、この皮膚というのは使い道があるという。
これは自分の話なのだが話しておく。
やっとわかり始めた。
また合気道の話。
相手がバッ!と衿を掴もうとした瞬間に掴んでくるというその腕の下をくぐる。
そうすると掴んだ衿が彼の手首に巻き付いて、そのくぐった人はその掴んで来た人の横に立つと腕がねじれて動けない。
その時に相手の手が武田先生の体に触っているとする。
それを指導者の人が「切るな」と言う。
敵が掴んでいる。
柔道をやっていたから敵が掴んでいるところを、はがそうとする。
それを合気道は「はがすな」と言う。
「敵の情報が手から入ってるんだ」という
それはまさに皮膚感覚。
合気道はもちろん手も耳も使う。
だが、くどく言われているのは「皮膚を使え」と言われている。
武田先生は水谷譲によく言った。
一番注意されるのは「武田君は握りすぎだ」。
ギューッと。
何でギューッと敵を握るとダメかというとギューッと握ると手の皮膚の感覚がなくなる。
そっと握っていると相手を感じることができる。
そうやって考えるとこの皮膚というのは面白い。
このあたりから脳がケンカをするという夜半の目覚め。
これを何とか防ぐ方法を探していこうかなと思う。
実は人間、皮膚は感覚器として優れている。
羽生結弦、平野歩夢、大谷翔平等々を見ていても彼等は皮膚が敏感。
皮膚という支えがなければ彼等のあの技は出てこないのではないだろうか、と。
この皮膚を手に入れる為に人間がどのくらい苦労したかを振り返ろうではないか。
人間はかつて木から降り、暑いサバンナで生き残る為に模索していた。
まずは直立歩行を始める。
かがんでいてはどうしようもないということで、立ち上がって辺りを見まわした。
そこからサバンナでの生き残りをかけて進化が始まる。
人間は体毛が薄くなったのか。主要な説は三つある。
ひとつは、木からサバンナに下りた人間の先祖が、サバンナの熱に負けないために体温調節として毛を薄くしたというもの。
二つ目は、幼児も体毛が薄いことからそのまま大きくなったとするネオテニー説。
そして三つ目が、もともと人間の先祖は水中生活をしていて、それで毛をなくし、水面から唯一頭だけ出していたので頭の毛が伸びたという説だ。(「人体のしくみ図鑑」157〜160頁)
ならば、何でアソコと脇に毛が残ったのだ。
不思議。
脇は血脈を守る為。
もう一か所濃く残ったところが不思議。
これは目立つためらしい。
ここだ!ということ。
とにかく海辺のサル、或いはサバンナで立ち上がったサル。
二足歩行を始めて、二足歩行と共に脱毛を進化させる。
これは一万年前のことだが、体毛を捨てようと決心したのは皮膚が大事と思ったから。
皮膚のセンスが大事だから「長い毛ダラダラ生やしてる場合じゃ無ぇ」「皮膚で何事かを感じるという生き物にならない限り、生き残れ無ぇぜ」という。
武田先生は今、合気道という武道で皮膚感覚というのを教わっている。
触覚というのはそのくらい大事なのではないだろうかなぁと。
これは人体図鑑の方に書いてあったのだが、同じことを脳の休息も二冊とも同じことを言っているのだが、前頭葉というのは理性で判断する。
偏桃体というのは敵か味方か、直感みたいなもの。
皮膚というこの感性を加えて認知のゆがみを見付けるという。
肌でもう一回、偏桃体が言っていることが正しいか、前頭葉が言っているのが正しいかを皮膚に任せるという。
だから、人間関係でも、よく話もして相性を決定するのは肌。
あれだけいろんなことを話し合っておいて、あれほどちゃんと姿を見て、最後に決定するのは肌の感性。
肌が合う合わない。
これが嫌悪というものを決定的に決めていくという。
何せ人間が手のひらと手のひらを握り合うだけで、この皮膚感覚だけで、何となく仲良くできるかどうかを探り合うという握手という瞬間。
そしてちょっと朝から激しい言葉になってしまうが、若い男女で一番最後はもう見ることも聞くこともなくなり、お互いに抱き合って愛撫、体を撫でまわすということで相性を確認しようとする。
「愛撫」とは凄い言葉。
性的に聞こえるかも知れないが、皮膚感覚からすると「この人を生涯愛していくかどうか決めよう」という時には頭で考えない。
皮膚で考える。
「この人、こんなに素敵な人なのに、何でダメなんだろう?生理的に受け付けない」というのは皮膚で考えている水谷譲。
目も耳もOKを出しても皮膚で最後にNOを出してしまうと、人間というのはそれ以上進めない。
考えてみると前頭葉・偏桃体という頭脳をもってしても、肌における相性というのがジャッジしていくということになると皮膚感覚というのは大事。
全く個人的なこと。
内田樹さんという方が昔、本で書いた言葉がもの凄くショックだった。
著述の文章だが。
人間が呪いを受ける。
呪いを受けた時、その呪いからはずれる方法が三つある。
「オープンマインド」「心は開いておきなさい」。
そして「寛容さを持ちなさい」。
最後が「身体感度をいつも上げておきなさい」。
そんなふうに書いてあった。
武田先生は「これは極意だ」と思った。
遠い遠い昔のことだが、何でこんなことを思い出したのか。
三好達治という人がいて、この人が不思議な詩を書いている。
50年前か。
二十歳をちょっと過ぎた頃にこの詩に触れて、何となくその時ぼんやり「この詩は覚えとこう。一生役に立つ」と思った詩がある。
短い詩なので頭の中にしっかり保管している。
どんな詩か?
前触れもなくそれが汝の前に来て
かかる時 ささやく言葉に信をおけ
「静かな眼 平和な心 その外(ほか)に
何の宝が世にあらう」(三好達治「冬の日」)
(番組で言った言葉とは微妙に違うが、上記の詩を指していると思われる)
何を意味しているのかはわからない。
ただ、もの凄く重大なことを言っているのではないかと。
「それ」とは何か?
「ある直感」
そんなふうに武田先生は訳した。
「『それ』がお前のそばにきて何かささやく。その言葉を信じろ。世の中で一番大事なもの、それは何か?とても静かな心、とても平和な眼、そのことの他に世の中に宝があるか?」という。
眠れなくなる時は必ず誰かを思い描いて「この人はいなくなったらいいのに」と思ってしまう水谷譲。
そうではなくて、そう思わないことによって直感が芽生えるのかな?とぼんやり考える水谷譲。
内田樹さんが繰り返し言っているのは、何かを思い返す時に呪いの言葉を使うな。
もし何かを思い出すのだったら、「あのひと言は有難かったな」というその思い出。
「(3年B組)金八先生」をやっていて、くたびれてしまった武田先生。

フラフラだった。
もう事務所はボンボコボンボコ仕事を入れやがって本当に腹が立つ。
だが、バッタリある日のこと、ロケが終わってクタクタにくたびれた武田先生が喫茶店で椅子にへたり込んだ時、横に武田先生を芝居をする世界に誘ってくださった山田洋次監督がおられた。
この山田洋次監督が疲れ切った武田先生の顔を見て、前を向くような言葉をくださった。
山田さんは「忙しくなったね、君も」とかおっしゃらない。
何とおっしゃったか?
達人、名人というのはこんなことをポコッと言いながら素人を励ましてくれるのだ。
山田洋次監督はテーブル席を立ちあがりながら「ねぇ、武田君。人間はさぁ、忙しい時どのくらい勉強するかで値打ちが決まっちゃうんじゃないかなぁ」。
これはバカだったが本当に考えた。
忙しい時に「売れてます」っていう顔をしてナンボの値打ちだよ、そんなもんは。
誰でもできる。
忙しい時にどのくらい勉強してるかで人間の値打ちが決まる。
「今、勉強するんだよ」「暇な時は本の1〜2冊も読むでしょう」という。
武田先生はその言葉をずっと何十年も信じて生きてきた。
「それ」というのはこういうこと。
「それが汝の前に来て(かかる時)ささやく言葉に信をおけ」
あの監督から貰ったあの言葉。
そういう直感のスイッチはどこで入るか?
@ オン/オフ切り替えの儀式を持つ(←特定の音楽を聴く、シャワーを浴びるなど。脳は2つを同時にできない。仕事モードと休息モードをはっきりさせる)
A 自然に触れる−中略−
B 美に触れる−中略−
C 没頭できるものを持つ(←好きなことに集中すると、報酬系が刺激される)
D 故郷を訪れる(「最高の休息法」143頁)
自分が故郷と思うところに帰りなさい。
これらを一つに集約すると、週に何回かでも息がはずむほどの運動をする。
40分ほどの有酸素運動(速歩)を1年続けたところ、記憶を司る海馬の容積が2%増加したというデータもあるわ。つまり、脳の年齢が1〜2歳は若返ったというわけ。(「最高の休息法」142頁)
脳を変えることはできる。
それが運動なのだ。
そして「think is skin」「皮膚で考える運動」。
これは武田先生もやった。
「皮膚の感度を上げろ」と書いてあったので上半身裸で歩いて。
女の人はあんまりお薦めできないのだが。
あれだけで変わるものだ。
天気のいい日に上半身裸で。
風邪をひかないという温度の時に本当に公園のお客さんには悪いのだが。
若々しい肌とかそういうことではない。
「皮膚で風を感じている自分」というのが無闇に。
もう水谷譲が気づいた。
人間、直感というものを磨く為にはどうするか?
オン・オフを切り替えようとかさんざん言ったが、直感を磨く為には故郷が必要。
今回のテーマが「近くの他人より遠くの親戚」とおっしゃっていて「いつこの内容にいくんだろう」と気になっていた水谷譲。
朝、復習をしてから行く武田先生。
自分が数か月前に勉強したヤツが半分忘れてしまっている。
読み返していて「何で故郷を訪ねようなんて言うのかな?」と思って。
そうしたら最後のページにそのことが書いてあったのだが。
普段だったら「遠くの親戚より近くの他人」というふうに言うが、この脳の話題に関しては「近くの他人より遠くの親戚」。
「そっちの方がアナタの直感は磨かれますよ」という設定で終りにした。
だから「近くの他人はどうでもいい」ということではない。
とにかく脳というのは悩むようにできている。
よくよく考えると悩むから我々は生き残った。
目の前に水谷譲がいる。
ここまで生きてこられたというのは水谷譲のご先祖様も死ななかったから。
水谷譲まで繋がったのは。
それは、逃げる時は逃げている。
つまんない年の暮れ、敢えて読んでみる。
世田谷玉線、三茶(三軒茶屋)と下高井戸を往復する電車がある。
深夜目覚めて眠れない時、不吉なことが心を掠める。
そんな時、脳を空ぶかしして考え込まないで、世田谷線、降りて歩けばいい。
何が言いたいのか?
最近、「歩くなら走れ」という本を研究している。
武田先生も歳だが、自分の体であんまり無責任なことを言えないから、確かめている。
ちょっと走り始めた。
「歩く」と「走る」は違う。
何が違うかというと、走ると情報の取り込みが忙しくなる。
一歩、二歩先に「くぼんだ妙な土地がないか」とか「足をひっかけそうなくらいの草が伸びてないか」とか。
二、三歩先のことを、歩きだと足元をそんなに見ない。
走ると急に見る。
見ながら走って自分の脳に命令し続けるというのは健康によいという。
とにかく若い時はカッとなりやすい。
偏桃体は外部からの過度の刺激を受けると、脳全体を乗っ取って暴走をはじめる。−中略−
じつはこれが怒りの正体じゃ。(「最高の休息法」164頁)
@ 怒りが起きていることを認識する(Recognize)
A 怒りが起きているという事実を受け入れる(Accept)
B 身体に何が起きているかを検証する(Investigate)
C 怒りと自分を同一視せず、距離を取る(Non-Identification)(「最高の休息法」165頁)
怒りとは何か?
ゆとりがなくなる。すると、そこから怒りが生まれる(「最高の休息法」167頁)
牧師になろうとしてる学生たちを対象にした実験を聞いたことがあるか? 学生を2つのグループに分けて、一方には『〇〇時までに次のクラスの教室に行きなさい』と伝える。もう一方のグループにも教室は教えるが、時間を指定しない。どちらのグループも、教室の移動中に困っている人に遭遇するようにしたところ、時間を指定されたグループのほうが手助けをしなかったという。(「最高の休息法」167頁)
「ゆとりのなさ」というのが人間から他者に対する優しさを引いている。
余裕とは何か?
それは「今」。
今を皮膚で感じることができれば、人間には余裕が生まれる。
少し拡大解釈する。
この本で自己への囚われを司る前頭葉の後ろにある帯状皮質という脳の部分があるが、ここを活性化する。
この活性の為には自己を消さないとダメ。
でないとエゴが暴れる。
エゴが暴れ始めるとストレスを引き起こす。
自分が大事なのだから、自分以外の人のことは考えなくなる。
「それじゃ、ダメなんですよ」という。
絶えず人のことを心配していると、アナタには力が付いてくる。
皆さん「ウソ」と思いたくなる。
だが、そうではない。
ウクライナの人が気の毒だったら心の底から「本当にお気の毒」と同情してあげましょう。
「ウクライナ頑張れ」「ウクライナ負けるな」と声援を送りましょう。
ここで大事なのは「ロシア負けろ」と思ってはいけない。
「ウクライナ負けるな。
それでいい。
そういう発想がアナタに「レジリエンス」「回復力」この力をアナタに授ける。
レジリエンスを高めるためには、どんな方法があるか、知っとるかな?」−中略−
「楽観性ですね。(「最高の休息法」180頁)
ポジティブ・シンキング。
明るく考えないと回復力というのが力を授けてくれない。
そしてもう一つ「(今朝の)三枚おろし」はいいことを言う。
老人の大事な役割。
それは「きちんと諦める」ということ。
「こんなこともあるよ」「いいじゃないですか」「仕方ないよ」
この時に老人の体の中にレジリエンスのスイッチが入る。
副交感神経が優位になるという。
武田先生が言っていると嘘八百を言っているようだ。
富山の売薬のような、置き薬のような二週間。
何かのお役に立てれば。