(今回のタイトルを「握手」と言ったり「シェイクハンド」と言ったり両方を言ったりしているが「握手」にしておいた)
シェイクハンド。
これをまな板の上に置いた。
だが、三年間近く禁じられた仕草、挨拶。
この「握手」のみを取り扱ったという一冊が見つかって。
エラ・アル=シャマヒー(著)。
ちょっと男女のアレが分かりにくいのだが、草思社から出ている「人はなぜ握手をするのか」。

(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
この方、ちょっと男女のいずれかはわからないが。
この方がアラブ世界とか、東洋・西洋を見比べながら「シェイクハンド」「握手」とは一体何であろうか?ということを調べてゆくという。
なぜ握手なるものがあるのか?という問い。
というのは、これもコロナ・パンデミックによって世界が真っ先にやめた習慣が握手。
医療も握手を激しく禁じたワケで。
「病院の先生が言うぐらいだから握手は悪いんだろう」ということで。
今はゆっくり開き始めたが。
あの頃を思い出しましょう。
もの凄く激しく否定された。
特に西欧社会に於いて、ヨーロッパに於いては握手が禁止された。
それでもパンデミックの波が引いていくと、まず再開したのが握手であったという。
いかに深く根付いた習慣なのかというのはわかる。
握手という挨拶。
その歴史とその心理、そしてそこに残された様々な握手にまつわる出来事を二週間に亘って取り上げようというふうに思う。
イギリスに於いては2020年3月、日々の暮らしの中から握手が追放された。
COVID-19(新型コロナウイルス感染症)が世界中に蔓延し、パンデミック(感染爆発状態)が発生したためだ。(15頁)
一番最初に医学界が言ったのは「握手はやめてくれ」と。
ウイルスが移るということに関して、医学が禁止したのだが。
前々から言っているが当番組(「今朝の三枚おろし」)は「そもそも何だったのか?」というここのラインに入っていこうと思う。
握手は何故、西欧社会の中では習慣となったのか?儀礼となったのか?
握手にまつわる俗説に、自分が武器を持っていないことを示し、相手を安心させたのが握手の起源だというものがある。かつては、手のひらを開き、手を上下に振って袂に何も隠していないと知らせるのが安全と信頼の証であった。(15頁)
お相撲さん。
土俵に入って蹲踞(そんきょ)した時、手を広げる。
横綱も土俵入りで(手を)広げる。
あれは何か?
「何も持ってません」ということ。
「何も持ってない」ということがもの凄く重大。
「我、寸鉄も身に帯びず」という。
「鉄のかけらも持っていない」というので両手を広々と上げて脇の下まで見せ、しかも締め込み一本だけ。
そこが大相撲の儀礼、挨拶になっているワケで。
握手が行なわれるようになったのはネアンデルタール人が登場するはるか以前、遅くとも700万年前だと思う。(32頁)
チンパンジー、ボノボ、ヒトの最後の共通祖先が生きていたのは、およそ700万年前だ。したがって、この共通祖先だけでなく、その子孫であるチンパンジー、ボノボ、ネアンデルタール人が握手をしていたことは十分に考えられる。−中略−
系統学は生物の進化に伴う系統関係について研究する学問で、この関係を示した図は「系統樹」と呼ばれる。(34頁)
人類の始め、握手は互いに匂いを嗅ぎ合うという動作だった。
人間の発するケモシグナル(動物が発する科学的信号のことで、他の個体に何らかの情報を伝達するもの)(38頁)
握手という形へと発展させた理由は、(ハグやキスと同じく)握手が匂いに関連した実用的かつ生物学的な意図をもつからかも知れない。握手には接触が伴うが、この接触がさまざまなケモシグナルの伝達システム、つまり経路となっている可能性がどうやら高そうなのだ。(42頁)
「接触儀礼」といって相手の体を触ることによって儀式を交換するという。
これはどうしてかというとストレスホルモンのコルチゾールというホルモンがあるが、これは臭い。
人間は臭いというか危険を感じる。
逆にセロトニンという分泌物の匂いは平和な気持ちになる。
それ故に握手をしながら相手の匂いを嗅ぐという。
握手というのは、以外と深いもの。
(握手をしながら)相手に近づいて、その近さの中でお互いの匂い(を嗅ぐ)。
もう私達は嗅覚がダメになっている。
昔はもっと敏感だった。
その敏感なアレで相手の体臭を嗅いで「危険ではないな」ということをお互いに知らせ合ったという。
皮膚というのは全ての主要組織に繋がっている。
「肌」と呼んでもいいが医学的には「皮膚」ということなのだろう。
人体に好もしい影響を皮膚は及ぼす。
脳は接触によって心地よさ、共感、安心、希望、愛情を生み出していく。
皮膚に触られることによって皮膚から脳に伝わるメッセージが「心地よい」「共感」「安心」「希望」「愛情」。
実はそれは脳が決定するのではなくて、皮膚がジャッジしたことを脳がそんなふうに解析する。
「肌が合う・合わない」は日本人の付き合いに於いては絶対。
「理屈ではない」ということ。
「あの人とは肌が合わないの」と言ったら、もうどんなに説得しても無理ということ。
肌というか皮膚というものはセンサーとしてもの凄くよくできているそうで、触るだけでわかるもの、伝わるものはある。
泣いている子供をギューッと抱くとあの安堵感というのは・・・
違う人に抱っこされると全然泣き止まなかったりとか、子供もやっぱりわかっているのだなと思う水谷譲。
そういう直感というのは凄いもの。
だから「肌が教えるもの」というのは実に優れた感覚で、時として頭の中にある考える力を追い越す。
だからやっぱり朝から申し訳ない。
品の悪い表現だが、男女というのは肌をもの凄く敏感にしておいて「肌が合う」かどうかで・・・
ハッキリ言って、抱き合う。
それもなるべく全裸で。
武田先生の言い方は乱暴でロマンチックでなくてごめんなさい。
そうするとその全裸から伝わってくるものがあって、その中に僅かでも「希望」とか「確信」とか「安心」とか「共感」があれば、「この人と一生に」という。
これが「肌が合う」。
何でここまで強調するかというと、武田先生の説。
実験の結果、マッサージを受けた人が自分を信頼してくれた人に返金した金額は、マッサージを受けなかった人に比べて243%高いことが明らかになった。どうやら、身体的接触の影響で、自分の利益を犠牲にして他者と分かちあおうという傾向が強まったようだ。(46頁)
水谷譲も服を着ておられる。
皮膚、肌を今、服で覆って。
当たり前。
全裸でいるワケがない。
文化放送は銭湯ではない。
だが、そもそもの話、水谷譲も遡れば祖は全身毛だらけの立ち上がったサルだった。
サルは二本足で立って歩き始めた。
すぐに全身の毛を抜いている。
毛があった方が有利。
暑さもあれば寒さもある。
犬や猫に訊いてください。
犬も猫も絶対に嫌がる。
だが、毛だらけのサルは脱いだ。
それは皮膚を感覚器にする為に。
全身をセンサーにする為には毛を身にまとっていては鈍いばかりになってしまう。
そこで裸になる。
裸になって生きていると様々なものをセンサーで感じるようになる。
それが毛を脱ぎ捨てたサルの選択だった。
それで人類になっていく。
そして東アフリカの恐らく海岸線だろうが、そこから旅立って世界中に散らばってゆく。
北の方に行ったら寒くて寒くてたまらない。
そこで衣服を考える。
そうやって考えてみると毛を捨ててまで肌というセンサーを感覚器にした。
その行為の中で「手を繋ぐ」ということによってグループの結束を感じるというのはチンパンジーはあるらしい。
あれの中で弱ったものに手を伸ばして助けるという行為がある。
それからなだめる時に肩に手を置いたり。
握手は−中略−
私たちのDNAにプログラムされたものだと思う。(17頁)
これを考えると握手というのは深いもの。
そこには実は深い人類の英知が握手の中にあったというその名残ではないか?
話を拡げて、手のひらから今度は皮膚へ肌へという話になった時に大谷翔平、或いは羽生結弦、それからテニスプレーヤー・大坂なおみ。
こういう人達は筋力が優れているというよりも、皮膚が優れているのではないか?
センサーとしての皮膚が非常に優れている、そういうものがこの人達を世界的なプレイヤーにしたのではないか?と思ったらピンときた。
何がピンときたかというと、今挙げた人達はことごとく北国出身が多い。
大坂なおみ選手はお父様がバハマでお母様は日本の方。
(父はハイチ系アメリカ人らしい)
大坂なおみ選手のお母様は根室出身。
あの子のもの凄い才能は、恐らくお父様の熱帯のエネルギーとお母様の北方の皮膚の感度が強かったのではないか?
そうやって考えると武田説はなかなか面白い。
このへん、屁理屈を言わせると武田先生は天下一品。
これは何でこんな話に立ち寄ったかというと、皮膚、肌に興味が湧いてきたので今、お勉強をしている。
そのセンサーとして、ものを感じる能力として皮膚は凄いようだ。
それはまた三枚におろすとするので、今回の場合は「シェイクハンド」「握手」に絞っていく。
ここまで話が来たのはよかったのだが、さて困った。
これは本の著者のアル=シャマヒーさんという方もおっしゃっているのだが、西洋では握手というのが重大な繋がりを表した。
ところが、世界の中に接触を嫌う儀礼の国がある。
接触をいっさい伴わない挨拶文化も数多く存在する。−中略−
日本では、挨拶は敬意を示す行為として文化的に重視されている。(110頁)
とにかく西洋の人が驚くのが日本の「バウ(bow)」お辞儀。
この「非接触」ということをアジアで探すとタイがそう。
インドのナマステやタイのワイは、どちらも合掌して軽くお辞儀をする。(110頁)
それから中国は面白くて自分で握手をして頭を下げるという。
これも非接触。
何で非接触を礼儀としたのか?
これがアルさんの面白い指摘。
おそらく極東の触れない文化は、−中略−
古代に今と同じような疫病の流行があり、それに対する文化的反応として始まったのではないか。(54頁)
「むやみに触ってはいけない」という礼儀を通して、お辞儀をDNAの方に深く刻み込んだのではなかろうか?ということ。
新渡戸稲造という人の「武士道」を読んでいて、新渡戸稲造が指摘したことなのだが、西洋は挨拶の言葉が全部神への祈り。
「神様、よい朝を」というのが「Good morning」の意味。
日本は「おはよう」と言う。
相手も「おはよう」と言う。
それは「お互い、早い時間から頑張ってますね」という意思の交換。
同じ時刻を共有している。
それが接触の最初の儀礼、儀式であるという。
このへんが武田先生は面白くてならない。
とにかく握手をする、今度は手のひらの方の話題に移っていく。
人類の進化は二足歩行で、自由になった手を持ったことで加速する。
普通の動物に言わせると、二足歩行はもの凄く不安定。
「よく立ってんな、人間は」みたいな。
だが、歩きながら自在に手が使うことができるというので、どんどん文明は。
それで人と話をする時も武田先生はとにかく手を動かす。
面白いことは「世界中でだいたい指一本一本に込められた意味が同じだ」という。
例えば親指を立てたら「大丈夫」。
「あまり良くない。アナタには共感したがい」と言ったら親指をひっくり返せばいい。
これはだいたい世界中で通じる。
小指一本の場合は「ちょっと意味ありげな異性関係」。
人差し指と親指で丸を作ると「OK」或いは「お金」。
それで中指を立てると小バカにしているという。
こういう意味合いがだいたい世界中で通じるので、握手が儀礼の挨拶だとすると指一本一本に関してはそれぞれに隠した意味を持つ言葉になり得る。
フランスのペックメルル洞窟にある斑点のある馬の壁画は、−中略−
周囲に手形が描かれている(65頁)
壁面いっぱいに手形や手形ステンシル〔手を壁面に当て、上から顔料を吹き付けるなどして手の輪郭を写し取ったもの〕を描いた作品は(64頁)
もの凄い数ある。
それはやっぱり懸命に何か大きな意味合いを絵に込めた。
それが洞窟の中に残っているという。
誰が見ても握手だとわかる最古の記録が描かれたのは、古代メソポタミアの2大強国、バビロニアとアッシリア帝国が存在した時代のことだ。イラク北部のニムルド遺跡で発見され、−中略−
紀元前9世紀作のレリーフには、新アッシリア帝国の王、シャルマネセル3世とバビロニア王のマルドゥク・ザキル・シュミ1世とが握手する様子が描かれている。(70頁)
握手というのは、アラブ世界、中東で起こった文明の中で王様達の挨拶だったようだ。
王のみが握手で王に挨拶したという。
そこから庶民の間に広がって「アンタと俺は対等」とか「お互い平等だね」という意味合いを込めて。
挨拶が世界的に広まったのはアメリカ。
キリスト教の一派、クエーカー教徒。
当初のクエーカーの思想は、−中略−
平等主義への徹底的なこだわりだ。クエーカーの世界観において、握手が重要な役割を担うようになったのは何ら不思議ではない。−中略−
クエーカーが、上下関係と無縁な挨拶を追求する中で握手にこだわってきたのも頷ける。(82頁)
また、アメリカでは握手を拒むと拒絶ということになる。
「人間関係を断ち切る」というジェスチャーにもなる。
だから重大な意味を持つ。
相手の手を遠慮会釈もなく強烈な力で握りしめる男性や、握った手を荒々しく振る男性には、この無礼な行為をなす機会が再び訪れようはずがない(136頁)
適当な強さで握り合って、そして柔らかく上下に振るという。
著者はここからもう、ずっといろんな国の握手のことを書いているが、申し訳ない。
武田先生はあまり面白くなかった。
朝から何だが、この方が書いてらっしゃるので。
接触儀礼というのはいろんな方法がある。
これは皆さんもお試しになったし、テレビなんかでもご覧になった。
握手が禁じられたのでゲンコとゲンコを軽くぶつけ合うとか、エルボー(肘)でやったり。
世界には様々な接触儀礼があるが、朝の話題にはあまりふさわしくないが
しっかりとペニスを握る挨拶というものが存在し、オーストラリアのワルビリ族が儀式の一部として行っているという。(114頁)
極地方の一部やニューギニア島西武のパプア地方の村でかつて行われていた。訪問者は挨拶の印として、村の首長の妻の乳房を軽く吸わなければならない。(113頁)
それのことがずっと書いてあるのだが、あんまりくどくど話すと「朝から何だ、オマエは」と言われてしまうので、もうここまでにしておく。
著者はこのあたりで気づくのだが、アラブ世界にルーツを持つ人のようで、アラブ世界では違う仕方がある。
アラブ世界は抱擁で頬を擦り合う?
イメージがない。
西洋人を迎える時、ヨーロッパからお客さんを迎える時は握手をしておられる。
頬を擦り合って軽くキッスの音をさせるというようなのがあるが、その後に握手もある。
アラブ世界というのはバウしない、頭を下げない。
だからアラブ世界で武道をやる方が少ない。
これは好みもあるだろうが、武田先生が通っている道場でお聞きしたのだが、アラブ世界の方はもの凄く抵抗があるそうで。
日本では「道場に入る時、一礼をしてください」という。
そうしたら血相を変えて「誰にするんですか」。
「神社の鳥居をくぐる時は軽く一礼して歩き・・・」「誰にするんですか」
アラブ世界ではお辞儀をする人はただ一人「アラー」のみ。
(武田先生の道場の先生は)サラッとおっしゃった「すぐ帰ってもらいました」。
これは決して冷たくしているのではなくて、その方には別の国の武道が向いているから日本武道はお断りした。
一回裁判になった。
柔道だったが。
バウを、お辞儀を強要したというので「尊敬もしていないし何もしていないのに何で頭を下げなきゃいけないんだ」とか、いわゆる「宗教儀式の強制である」という。
パワーハラスメントであると訴えられたことがある。
日本側は一切譲らなかったようで「だったらもう、来ないでください、道場には」という。
それはちょっと・・・
この間も女子駅伝を見ていたが、日本人選手はフラフラになってもゴールを飛び込んだ後、走ったコースに向かって一礼する。
ジーっと見ていたが。
そのあたりが我々のDNAに刻まれた、「バウ」というのは儀礼の仕草。
著者はここから歴史に残る握手をずーっと探し出して書いてある。
それが面白かった。
握手も様々あるのだが、ここからは握手の名場面を思い出していただこうかなというふうに思う。
この握手が世界を変えた。
そういう握手がある。
これは「なるほどなぁ」と思った。
歴史に残る名握手。
エイズ禍が最高潮に達していた1987年、一般大衆は接触によってHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染すると信じ込んでいた。その結果、人々は誰であれ感染者をひどく恐れるようになった。誤った情報のせいで、感染者に対する許しがたい偏見と差別が生まれた。−中略−
「息子がエイズだったら俺が撃ち殺す」(『ザ・サン』紙)。当時のタブロイド紙には、こんな煽情的な見出しが並んだ。−中略−
HIV感染者の隔離に50%の人が賛成していた。(141頁)
ダイアナ妃が訪れたのは、ロンドンのミドルセックス病院に設けられた、初のHIV専用病棟だった。当時エイズがネガティブに報じられていたことから、最初患者たちはカメラの前でダイアナ妃と握手するのを拒んでいた。ようやく、瀕死の男性患者が握手に応じることになった。ダイアナ妃という特権階級の人物が手袋なしでこの男性と交わした握手は、社会的公正さとは何かを最も端的かつ最も衝撃的に示す行為として、現代人の記憶に刻まれることになる。(142頁)
たった一度のダイアナ妃の気遣いが、世界中のエイズに対する偏見を変えたという。
この握手はイギリスだけでなく全世界に衝撃を与える。
この瞬間、エイズについて「接触は少しも怯える必要はなく、彼等を励ます為には触ってあげましょうよ」。
ダイアナ妃のそのただ一回の握手が全世界の人々に偏見を弾き飛ばす、或いは偏見を恐れない人々を一瞬のうちにして作ったという。
著者は言っている。
「たった一つの握手で世界を変えた人は何人もいない。間違いなく奇跡に近い一瞬であった」という。
ダイアナさんも恋物語があったりしたが、ダイアナ妃の握手と、それから黒人の飢えた子を抱いておられる姿と地雷のあるところを平然と歩いておられる姿というのは世界を変えた。
イギリス人がこのダイアナ妃に関して今でもその人気No.1はこれ。
こういうダイアナ妃の立ち振る舞い。
この本の著者曰く、世界でNo.1。
握手というのはいっぱいある。
人に感動を与える握手から、もしかしたらその握手で世界が変わっていたかも知れないという握手があるし、わざとらしい握手もある。
歴史に残るわざとらしい握手はある。
それは来週、一つずつ物語ってゆこうかなと思う。
今日は後味よろしく、世界で衝撃を与えた、感動を与えた握手の一例としてダイアナ妃の握手を取り上げてみた。
この続き、様々な歴史に残る握手については来週のお楽しみ。