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2023年01月25日

もの凄い数の続きものっぽいスパム

メールを放置していたら100件を超えたが、99%がスパムメール。
ということで削除する前に晒す。

差出人の名前が転送すると消えてしまうのでいちいち調べて載せるのは面倒だが、基本的に本文の一行目と同じっぽい。
で、件名が本文の二行目と同じヤツは件名を割愛する。
本文がURLしかないヤツは件名も載せる。
本文の後半は「▼続きをご確認ください」か「↑続きはこちら」と配信停止がどうとかみたいなのとURLとかなんで、それも割愛。
同じ内容のがダブっているヤツも割愛。

1通目

藤森 新様より

過去にも差し引きによる支援案件を何度も行ってきていますが、色々な支援方法の中でも僕は一番に差し引き方法を推奨しています!



2通目

件名:こんにちは?!同じINVITATION会員仲間の益子恵美と言います。よろしくね!


3通目

件名:サイトのせいで借金を背負ってしまったってお話しましたが、情けない事に、ここ数年は本当に暗黒時代でした(;´Д`)


4通目

澤けんと様より

今も仕事中だし、明日の朝7時から受付って言うことなので、仕事終わり次第もう一回じっくり内容を読んで手続きしたいと思います!



5通目

下田(初めてです)様より

僕の会社、それはそれはもう超絶ブラックでして。



6通目

藤森 新様より

手続きが差し引かれてるにも関わらず受け取れないなんて事はあり得ないですから!大丈夫ですよ。



7通目

澤けんと様より

知ってましたか?INVITATION会員として支援を成功させることができれば、INVITATION会員でいる限りは、ずっと手続きを差し引いて受け取ることができるそうです!



8通目

件名:今回藤森 新さんから支援を受ける事になってる皆さんとはもうお話しましたか?(*^^*)


9通目

藤森 新様より

明日の時間や手続き差し引きに関する問題はないと考えていますが大丈夫ですよね?



10通目

件名:以前使ってたサイトで仲良くしてくれた人にZOOMを紹介してもらったというわけなのね。


11通目

澤けんと様より

982万円+これからどの案件も手続きは全部差し引きで受け取れる。最高じゃないです?



12通目

下田(初めてです)様より

藤森さんが僕ら5人をINVITATION会員にしてくれたおかげなんですよね!



13通目

藤森 新様より

朝早くに失礼します。藤森 新です。



14通目

件名:前のサイトで何度も何度も騙されてきたから反省しないといけないよね。


15通目

澤けんと様より

なんか…手続きこんなに簡単でいいんですかね?(汗)下田(初めてです)さんが一番手で受け取ったってさっきメールありましたけど



16通目

藤森 新様より

ちなみに僕自身の経験だけではなく、過去に支援を成功させた方の統計を見ても早いに越した事がない事がデータとして残っています。



17通目

件名:え?ちょっと早すぎない??


18通目

澤けんと様より

本当は午後にでもって思ってたんだけど、早く1000万円が受け取りたいから、手続き終わらせちゃいました(笑)



19通目

藤森 新様より

14時55分までしか総務部送金係:平岡 葵さんが待って下さらない事はご存知の通りです。



20通目

件名:さっきけんとさんも手続きを終わらせたって担当の平岡さんから連悪きいたんですが、伺ってます?


21通目

下田(初めてです)様より

送金時間が近づいてます!!時間は大丈夫ですか?



22通目

藤森 新様より

期限を迎えてしまったのでこのまま案件終了を覚悟していたんですが延長申請が通ったようです!



23通目

澤けんと様より

先程1000万円を僕の口座へ振り込んでもらえました!



24通目

件名:14時55分の期限過ぎてしまったみたいですけど、延長になったんですね♪


25通目

件名:SPGuestさんのほうは調子どう?実はなんだけどね、報告したいことがあるのよ♪


26通目

藤森 新様より

素晴らしい!笹本未希子さんも無事に手続きを完了させたそうですね!



27通目

件名:益子恵美さんが手続き終わらせたって連絡がありました♪やっぱり、間違いないんですね!


28通目

件名:よかったじゃない!受付時間が延長になって!


29通目

藤森 新様より

明日の10時25分…今回も平岡さんより許可を頂いて延長できました!



30通目

澤けんと様より

次に1000万円を受取るのはSPGuestさんかみーなさんの番ですよ!



31通目

件名:出来る事なら今すぐにでも1000万円を受取りたいのが本音なんです。


32通目

■総務部よりご連絡

■メール閲覧・手続き費用も0円■送金にかかる費用は1000万円の特別招待金より全額差し引かせて頂きます!信じてないけど…案内を読んでみるだけ。それでも結構です!



33通目

藤森 新様より

きっとまたしても手続きがあるのではないかという疑問があるから手続きを進められずにいるんじゃないですか?


それぞれに何か関連しあっている感じではあるが、かといって面白い進展もなく。
つまらんな。
二度と送ってくるな!

世界金玉考



2023年1月9〜20日◆握手(後編)

これの続きです。

エラ・アル=シャマヒーさん。
この方は進化人類生物学者。
学者さん。
ただ片一方ではタレント業もやっておられて、女性の方だと思うのだが違っていたらごめんなさい。
アラブ世界の方らしくて、その方がイギリスで出された本。
シェイクハンド、「人はなぜ握手をするのか」。
コロナパンデミックのお陰ですっかり悪者にされた握手だが、握手にも深い歴史があるのだよという。
握手が巻き起こした出来事というか、握手の歴史を振り返ってみようという。
先週の締めくくりは、ダイアナ妃のHIVの患者さんとの握手が世界的に衝撃を与えて、差別とか偏見があったHIVの患者さんに対してダイアナ妃が率先して握手したことによって新しい潮流を作り始めたという握手。

今日はこれをいってみようかなと思って。
水谷譲はお若いからあまりよく覚えていないか。

マルコムXとマーティン・ルーサー・キングは、共にアフリカ系アメリカ人で、公民権運動をリードした巨人である。ただし、アメリカで人種的平等をいかにして実現するかについては(控えめに言えば)必ずしも意見が一致していなかった。−中略−
 1964年3月25日、
−中略−マルコムXは、人種差別に関する上院の公聴会を傍聴するため議会を訪れた。するとそこに、マーティン・ルーサー・キングの姿もあった。マルコムXはキングに近づき握手をすると、こう言った。「私は公民権運動の渦中に身を投じるつもりです」。2人の次の会談は1965年2月に予定されていたが、キングが仲間とともにセルマで逮捕されたため、実現することはなかった。そして、2月25日、マルコムXは暗殺された。(148頁)

(番組での説明は本の内容とは若干異なる)
実らなかった握手だが、本当に悔しい、惜しむべき二人の握手であったという。
果たせなかったのは無念だが一つの握手がこれ程の歴史を変えるかも知れないというような一瞬であったというところに、我々は希望を見つけていこうというふうに思う。
握手はかくの如く西洋社会に於いては重大なる接触儀礼。

「握手」で、今週は歴史に残っている名握手、珍握手を取り上げていこうかなと思う。
昨年のことだがお亡くなりになったエリザベス女王。
この方の名握手はもう何といってもイギリスの方は忘れないだろう。
IRA(アイルランド共和軍)。
これはもう大英帝国とこのアイルランドは仲が悪かった。
歴史的にも凄い対立があって。
ところが偉大なる儀礼だが

2012年のイギリス女王エリザベス2世と元IRA司令官(当時はシンフェイン党副党首)マーティン・マクギネスの握手は「過去を水に流す握手」の際たる例と言えるのだ。(149頁)

これは女王と握手だから、イギリス社会にとってもの凄く重大。
去年もちょっと騒ぎになっていた。
ポール・マッカートニーのお嬢さんがエリザベス女王の前に行ったらあがってしまって、エリザベス女王と握手してしまった。
(正式には)エリザベス女王の前に行ったら右手を胸に置いて、目線を伏せてちょこんとかがむ。
それなのだが「女王だ」というので緊張し過ぎてしまって、(女王が)出てきたら何もかも忘れて握手をしてしまって。
あの女王は人当たりは抜群の人だから(女王も握手を返した)。
ポール・マッカートニーのお嬢さんはもっとあがってしまって、現代っ子だったのでエリザベス女王に抱き着いてしまった。
やってはいけないことを全部やったというので。
だがもう、おどおどなさっているのがはっきりわかっているので、もの凄く彼女の愛嬌になったというような。

重大であるといえば、これは映画の名場面を見ているような気がする。
1995年のこと、南アフリカに重大な政局の変化がある。
というのも、ずっとアパルトヘイトで黒人を差別してきた南アフリカ、そこにネルソン・マンデラという黒人の大統領が誕生したという。
これは大変なもの。

 そんな中、ネルソン・マンデラが、ヨハネスブルグで開催されたラグビーワールドカップ決勝戦の会場に現れた。(151頁)

ラグビーは白人のスポーツであり、南アフリカ代表チーム、スプリングボクスは人種差別主義政権の象徴的存在であった。(150頁)

この人種差別の国、南アフリカ。
その会場にマンデラ大統領がやってくる。
もうそれだけで場内騒然という感じ。
ところが会場に現れたマンデラを見て観衆は喝采と歓声で彼を迎えた。

グリーンのスプリングボクスのユニフォームとキャップを身に付け−中略−キャプテンのフランソワ・ピナールは(151頁)

 その試合で南アフリカはニュージーランドを破り、優勝を決めた。試合後、表彰台でネルソン・マンデラはフランソワ・ピナールと握手を交わし、優勝トロフィーを手渡した。(151頁)

「ありがとう、フランソワ。君たちがこの国のために成し遂げたことに感謝しているよ」。私は飛び上がって彼にハグしたい気持ちを抑えて、こう言った。「−中略−
あなたが私たちの国のためになさったことに感謝しています」
(151頁)

できたばかりの新しい国家だが、この握手一発で南アフリカは国としてまとまったという。
武田先生の言い方は品がない。
「一発で」
(握手ではなく)バウではダメ。
バウでは何かが伝わらない。
この「握手であった」という。
しかもマンデラさんは白人ラグビーチームのユニフォームを着ておられた。
その白人ラグビーチームのユニフォームに付いた

背番号は代表キャプテンと同じ6番だった。(151頁)

集まった観客−中略−誰もが強い感銘を受け、スタンドから「ネルソン、ネルソン」のシュプレヒコールが沸き起こった。(151頁)

一国をまとめあげた一つの握手。
アパルトヘイトなんていうのは大変な問題を抱えるのだが、このへんに人種問題の根深さがあるが、アメリカにもこういう日々が来るといい。
作者のアル=シャマヒーさんがおっしゃっているのはシンプルな握手というジェスチャーで、これ程多くの人々を感動させる動作、仕草、儀礼はこの世にはない。

 1936年、ナチスの支配下で行なわれたベルリンオリンピックは、−中略−
 アフリカ系アメリカ人選手のジェシー・オーエンスは4つの金メダルと獲得したが
−中略−
 オリンピック初日、ヒトラーは金メダルを獲得したドイツ人選手とフィンランド人選手とは握手をしたが、アフリカ系アメリカ人で同じく金メダルを獲得したコーネリアス・ジョンソンとは握手をしないまま競技場を後にした。
(161頁)

(番組では初日にヒトラーが握手をしなかった相手をオーエンスであるように説明しているが、本によると上記のように別の選手)
ヒトラーは握手をする代わりに何をしたかというと、ナチス式敬礼をして彼の前を通り過ぎたという。
ここから人種問題はややこしい。
このヒトラーをオーエンスは決して恨まなかった。

この握手拒否問題に関して、ジェシー・オーエンスが次のように述べている点だ。「ヒトラーは私を無視してはいない。無視したのは(アメリカの)ルーズベルト大統領だ。大統領は電報の一本もよこさなかった」。(162頁)

 ニューヨークでは彼の勝利を祝してパレードと祝賀会が催されたが、オーエンスは自分の祝賀会に出席するというのに、会場となったホテル、ウォルドルフ=アストリアでは業務用エレベーターを使わなければならなかった。アフリカ系アメリカ人が同ホテルの正面玄関を使うのは禁止されていたからだ。(162頁)

ジェシー・オーエンスは4個の金メダルを獲った方なのだが、ヒトラーよりもルーズベルトを激しく批判し続けたという。
それにつけても握手というのは波紋を広げる。

虚しい握手もある。

 1972年、当時のアメリカ大統領ニクソンが、25年にわたる米中の対立に終止符を打ち、新たな外交関係を構築する第一歩として、空路中国入りした。滑走路でニクソンを迎えたのは周恩来首相であった。(156頁)

固い握手。
もうあの瞬間に「敵対する国はソ連だけだ」というような感情になった。
決定的な瞬間。
「もう世界平和は80%以上完成した」そう世界中の人が思った。
だが米中対立は少しも治まらず対立したまま。
ではニクソンと周恩来のあの握手は何だったのか?

 つまりこういうことだ。周恩来は首相であって、中華人民共和国の最高指導者ではない。最高指導者は毛沢東主席だったのだから。(157頁)

周恩来というのは二番手の人なので中国との握手にはカウントされない。
だが国家というものが握手というものを平和条約を結んでハンコを押すよりも強く激しく感じているところなのだろう。
見ているとわかるが、皇室は握手をしない。
天皇陛下は握手をしない。
それは「国政ではない」ということ。
外国からお客様が来て宮中晩餐会が開かれる
日本は料理はフランス料理。
その時はシャンパンで乾杯。
武田先生は知らなかったが、グラスをぶつけてはいけない。
国際的な礼儀で、グラスを接触させない。
フランス料理はグラスをぶつけない。
カチンと言わせない。
そういうことは品がない。
会釈するだけ。

悲劇の握手というのもある。

 アメリカ大統領ウィリアム・マッキンリーは、「マッキンリー握り」という超効率的な握手で知られている。彼はこの握手のおかげで、選挙遊説中、1分間に50人と握手ができたという。(170頁)

1901年9月6日まで続いた。この日、ニューヨーク州バッファローで開かれていた博覧会を訪れた彼は、レオン・チョルゴッシュという男に撃たれてしまう。チョルゴッシュは握手をするふりをしてマッキンリー大統領に近づいたのだ。(170頁)

午後4時7分にチョルゴッシュが右手をハンカチでくるんで近づいたとき、マッキンリー大統領は彼が怪我をしていると思い、暗殺者の左手を取ろうと手を伸ばした。チョルゴッシュは大統領に向かって2度発砲した。(171頁)

マッキンリーは握手をするのだけで人気を得た人で、最も得意技で死んでしまったという。
しかし、お気の毒な。
暗殺がその頃、多かったのだろう。

2020年の始め、握手はコロナにより危険な習慣とされ公衆衛生の為、世界で禁止された。
人の命を脅かす握手はヒステリックに否定された。
しかし、握手が否定されたのは歴史上、これが初めてではない。

紀元541年から542年に発生したユスティニアヌスのペストでは2500万人から1億人の死者が出たと言われ、−中略−
 現代人の記憶に(かすかに)残るものとしては、1918年のスペイン風邪があり、全世界で5000万人以上が死亡した。
(174頁)

2020年3月、ドイツのアンゲラ・メルケル首相とホルスト・ゼーホーファー内務大臣のこんなやり取りがカメラに収められた。最初、首相は握手をしようと手を差し出したのだが、大臣は少し戸惑ったような表情でこれを拒んだ。(176頁)

オランダのマルク・ルッテ首相は、全国的に握手をやめるという方針を発表した直後に、そばにいた保健当局者と握手をしてしまった。(176頁)

やっぱりそれぐらいナチュラルな儀礼。
それをやっぱり「コロナだから禁止する」というのはやっぱりむごい気がする。

 気の毒なのはデンマークで市民権を申請した人々だ。彼らは申請が正式に認められない状態でいつまでも待たされることになった。というのも、デンマークでは帰化を認めるセレモニーで握手をすることが法的に求められているからだ。(177頁)

向こうの人達にとって「握手」という接触というのは、もの凄い重要なことで、

 システィーナ礼拝堂にあるミケランジェロの有名なフレスコ画、『アダムの創造』は、神とアダムが今まさに指先を触れあおうとしている場面を描いている。(67頁)

「神との接触から人間は生まれた」という、そういう文明と宗教を持っていると「接する」というのがいかに重大か。
我々はバウの国に住んでいるので、ヨーロッパではやっぱり握手できない息苦しさというのは・・・

二週に亘って握手の文化史というか歴史を振り返りつつ、いろいろとよもやまの話をした。
かつて握手は700万年前の人類も握手の習慣を持っていたという。
恐らく、サルの時代、類人猿の時代から人々は手と手を握り合うという仕草を仲間内で持っていたのだろう。
理屈は様々あるかと思うが、これはもう人間の生き物としての証のような儀礼ではないかというふうに思う。
ただ、スタートは2019年(末)でいいのか、中国から始まったコロナ・パンデミックによって接触というのが凄く嫌われて握手は禁止になった。
拳と拳を合わせたり肘と肘で軽く触れあうとか、そういうことが大ヒットしたのだが。コロナが弱毒性になると、まず西洋社会が取り戻したのが握手。
西洋の文化の中にこれがないと成立しないのだろう。
ウクライナに攻め込んだロシア。
昨年のクールなプーチン大統領が大宴会場の端と端で話すみたいな。
長いテーブルの先に部下を置いて。
これは何を意味しているかというと、やっぱり接触。
移されるのが怖くて、そういう体制をなさったのだろう。
コロナもそうだし、人をあまり近くに寄せたくないという「狙われている」とか恐怖心みたいなものがあるのではないかと思う水谷譲。
武田先生がプーチンさんでよく覚えているのが、安倍さんのところに遅刻してこられたことがある。
わざと遅れて。
本当に人を待たせるのが平気な素晴らしい人だった。
武田先生達はその時丁度、山口のあのあたりを歌でブラブラ歩いていた。
何が凄いかというと、プーチンが通った国道がある。
脇に竹藪とか茂みとか一切なかった。
「どこからか茂みに隠れて」というのを警戒して。
あれは要求なさったのだろう。
山口県の茂みを全部切ってしまったようだ。
自分の安全に関してはもう凄いナーバスな。
だから側近に会う時でさえもテーブルの遥か向こう側に座らせて。
ところがあれほど孤高の人だったのだが、そのプーチン氏が男たちと肩を組んで握手を連発する。
去年のこと。
ドネツク、ルハンスク、ザポリージャ、ヘルソン、4州をロシアに編入した時。
「編入賛成が約87〜99%」ロシア、ウクライナ4州を併合手続きへ 国際社会の理解は得られず:東京新聞 TOKYO Web
その四人の州知事というか一番偉いさんを呼んで「これからロシアになります」と彼等が宣言したその中央にプーチン大統領は立っていて「これからその州はロシアのものだ」という時にその知事達と固い握手をなさって、もう肩を抱き寄せ合ってフラッシュを焚かれておられた。
よっぽど嬉しかったのだろう。
その4州もいまやガタガタ。
「ウクライナが取り返した」とは言わないが、この4州に関して世界のどの国もロシアのものと認めていない。
だが、あのあたりの興奮でプーチンさんはカーッと血が昇ったのだろう。
以外と小男。
大男の多いロシアの人々の間でプーチンさんは小男。
今まで気づかなかった。
体をがっちり鍛えていることばかり強調されて。
ところがザポリージャとかヘルソン州のデッカい知事に囲まれると。
うち一人は交通事故で死んでしまったが。
何で死んだのだろう?
あのグループは死にまつわる話題が多すぎる。
だがあの大男に囲まれると「ああ、小男だなぁ」という。
その「並ぶと小男に見える」という見た目さえも忘れるぐらいあの時にプーチンさんは高揚なさっていて、接触も厭わず握手を繰り返されておったというのは、ある意味冷静さを失った。
「あの接触を大嫌いな方でさえも」という。
とにかく儀礼として握手が取り上げられたヨーロッパ世界というのがいかに大きく揺れたかというのはわかったろうと思う。
様々な出来事を引き起こす、それは握手。
その握手がやめられないというのは人類の遺伝子の中に深く刻まれた接触に対する本能というか。
そうやって考えると「危ない」とか「感染症の元だ」とおっしゃるかも知れないが、ウィズ・コロナの時代、ウイルスやバクテリアと共に人類も生きてゆくのだという意味で握手というのは大事な習慣ではなかろうか。
接触は人類にとって、それほど大事な感覚であるという。
そのことをクルクル話を回しながら終わった今週。


2023年1月9〜20日◆握手(前編)

(今回のタイトルを「握手」と言ったり「シェイクハンド」と言ったり両方を言ったりしているが「握手」にしておいた)
シェイクハンド。
これをまな板の上に置いた。
だが、三年間近く禁じられた仕草、挨拶。
この「握手」のみを取り扱ったという一冊が見つかって。
エラ・アル=シャマヒー(著)。
ちょっと男女のアレが分かりにくいのだが、草思社から出ている「人はなぜ握手をするのか」。

人はなぜ握手をするのか: 接触を求め続けてきた人類の歴史



(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
この方、ちょっと男女のいずれかはわからないが。
この方がアラブ世界とか、東洋・西洋を見比べながら「シェイクハンド」「握手」とは一体何であろうか?ということを調べてゆくという。
なぜ握手なるものがあるのか?という問い。
というのは、これもコロナ・パンデミックによって世界が真っ先にやめた習慣が握手。
医療も握手を激しく禁じたワケで。
「病院の先生が言うぐらいだから握手は悪いんだろう」ということで。
今はゆっくり開き始めたが。
あの頃を思い出しましょう。
もの凄く激しく否定された。
特に西欧社会に於いて、ヨーロッパに於いては握手が禁止された。
それでもパンデミックの波が引いていくと、まず再開したのが握手であったという。
いかに深く根付いた習慣なのかというのはわかる。
握手という挨拶。
その歴史とその心理、そしてそこに残された様々な握手にまつわる出来事を二週間に亘って取り上げようというふうに思う。

イギリスに於いては2020年3月、日々の暮らしの中から握手が追放された。

COVID-19(新型コロナウイルス感染症)が世界中に蔓延し、パンデミック(感染爆発状態)が発生したためだ。(15頁)

一番最初に医学界が言ったのは「握手はやめてくれ」と。
ウイルスが移るということに関して、医学が禁止したのだが。
前々から言っているが当番組(「今朝の三枚おろし」)は「そもそも何だったのか?」というここのラインに入っていこうと思う。
握手は何故、西欧社会の中では習慣となったのか?儀礼となったのか?

 握手にまつわる俗説に、自分が武器を持っていないことを示し、相手を安心させたのが握手の起源だというものがある。かつては、手のひらを開き、手を上下に振って袂に何も隠していないと知らせるのが安全と信頼の証であった。(15頁)

お相撲さん。
土俵に入って蹲踞(そんきょ)した時、手を広げる。
横綱も土俵入りで(手を)広げる。
あれは何か?
「何も持ってません」ということ。
「何も持ってない」ということがもの凄く重大。
「我、寸鉄も身に帯びず」という。
「鉄のかけらも持っていない」というので両手を広々と上げて脇の下まで見せ、しかも締め込み一本だけ。
そこが大相撲の儀礼、挨拶になっているワケで。

握手が行なわれるようになったのはネアンデルタール人が登場するはるか以前、遅くとも700万年前だと思う。(32頁)

チンパンジー、ボノボ、ヒトの最後の共通祖先が生きていたのは、およそ700万年前だ。したがって、この共通祖先だけでなく、その子孫であるチンパンジー、ボノボ、ネアンデルタール人が握手をしていたことは十分に考えられる。−中略−系統学は生物の進化に伴う系統関係について研究する学問で、この関係を示した図は「系統樹」と呼ばれる。(34頁)

人類の始め、握手は互いに匂いを嗅ぎ合うという動作だった。

人間の発するケモシグナル(動物が発する科学的信号のことで、他の個体に何らかの情報を伝達するもの)(38頁)

握手という形へと発展させた理由は、(ハグやキスと同じく)握手が匂いに関連した実用的かつ生物学的な意図をもつからかも知れない。握手には接触が伴うが、この接触がさまざまなケモシグナルの伝達システム、つまり経路となっている可能性がどうやら高そうなのだ。(42頁)

「接触儀礼」といって相手の体を触ることによって儀式を交換するという。
これはどうしてかというとストレスホルモンのコルチゾールというホルモンがあるが、これは臭い。
人間は臭いというか危険を感じる。
逆にセロトニンという分泌物の匂いは平和な気持ちになる。
それ故に握手をしながら相手の匂いを嗅ぐという。
握手というのは、以外と深いもの。
(握手をしながら)相手に近づいて、その近さの中でお互いの匂い(を嗅ぐ)。
もう私達は嗅覚がダメになっている。
昔はもっと敏感だった。
その敏感なアレで相手の体臭を嗅いで「危険ではないな」ということをお互いに知らせ合ったという。

皮膚というのは全ての主要組織に繋がっている。
「肌」と呼んでもいいが医学的には「皮膚」ということなのだろう。
人体に好もしい影響を皮膚は及ぼす。
脳は接触によって心地よさ、共感、安心、希望、愛情を生み出していく。
皮膚に触られることによって皮膚から脳に伝わるメッセージが「心地よい」「共感」「安心」「希望」「愛情」。
実はそれは脳が決定するのではなくて、皮膚がジャッジしたことを脳がそんなふうに解析する。
「肌が合う・合わない」は日本人の付き合いに於いては絶対。
「理屈ではない」ということ。
「あの人とは肌が合わないの」と言ったら、もうどんなに説得しても無理ということ。
肌というか皮膚というものはセンサーとしてもの凄くよくできているそうで、触るだけでわかるもの、伝わるものはある。
泣いている子供をギューッと抱くとあの安堵感というのは・・・
違う人に抱っこされると全然泣き止まなかったりとか、子供もやっぱりわかっているのだなと思う水谷譲。
そういう直感というのは凄いもの。
だから「肌が教えるもの」というのは実に優れた感覚で、時として頭の中にある考える力を追い越す。
だからやっぱり朝から申し訳ない。
品の悪い表現だが、男女というのは肌をもの凄く敏感にしておいて「肌が合う」かどうかで・・・
ハッキリ言って、抱き合う。
それもなるべく全裸で。
武田先生の言い方は乱暴でロマンチックでなくてごめんなさい。
そうするとその全裸から伝わってくるものがあって、その中に僅かでも「希望」とか「確信」とか「安心」とか「共感」があれば、「この人と一生に」という。
これが「肌が合う」。
何でここまで強調するかというと、武田先生の説。

 実験の結果、マッサージを受けた人が自分を信頼してくれた人に返金した金額は、マッサージを受けなかった人に比べて243%高いことが明らかになった。どうやら、身体的接触の影響で、自分の利益を犠牲にして他者と分かちあおうという傾向が強まったようだ。(46頁)

水谷譲も服を着ておられる。
皮膚、肌を今、服で覆って。
当たり前。
全裸でいるワケがない。
文化放送は銭湯ではない。
だが、そもそもの話、水谷譲も遡れば祖は全身毛だらけの立ち上がったサルだった。
サルは二本足で立って歩き始めた。
すぐに全身の毛を抜いている。
毛があった方が有利。
暑さもあれば寒さもある。
犬や猫に訊いてください。
犬も猫も絶対に嫌がる。
だが、毛だらけのサルは脱いだ。
それは皮膚を感覚器にする為に。
全身をセンサーにする為には毛を身にまとっていては鈍いばかりになってしまう。
そこで裸になる。
裸になって生きていると様々なものをセンサーで感じるようになる。
それが毛を脱ぎ捨てたサルの選択だった。
それで人類になっていく。
そして東アフリカの恐らく海岸線だろうが、そこから旅立って世界中に散らばってゆく。
北の方に行ったら寒くて寒くてたまらない。
そこで衣服を考える。
そうやって考えてみると毛を捨ててまで肌というセンサーを感覚器にした。
その行為の中で「手を繋ぐ」ということによってグループの結束を感じるというのはチンパンジーはあるらしい。
あれの中で弱ったものに手を伸ばして助けるという行為がある。
それからなだめる時に肩に手を置いたり。

握手は−中略−私たちのDNAにプログラムされたものだと思う。(17頁)

これを考えると握手というのは深いもの。
そこには実は深い人類の英知が握手の中にあったというその名残ではないか?

話を拡げて、手のひらから今度は皮膚へ肌へという話になった時に大谷翔平、或いは羽生結弦、それからテニスプレーヤー・大坂なおみ。
こういう人達は筋力が優れているというよりも、皮膚が優れているのではないか?
センサーとしての皮膚が非常に優れている、そういうものがこの人達を世界的なプレイヤーにしたのではないか?と思ったらピンときた。
何がピンときたかというと、今挙げた人達はことごとく北国出身が多い。
大坂なおみ選手はお父様がバハマでお母様は日本の方。
(父はハイチ系アメリカ人らしい)
大坂なおみ選手のお母様は根室出身。
あの子のもの凄い才能は、恐らくお父様の熱帯のエネルギーとお母様の北方の皮膚の感度が強かったのではないか?
そうやって考えると武田説はなかなか面白い。
このへん、屁理屈を言わせると武田先生は天下一品。
これは何でこんな話に立ち寄ったかというと、皮膚、肌に興味が湧いてきたので今、お勉強をしている。
そのセンサーとして、ものを感じる能力として皮膚は凄いようだ。
それはまた三枚におろすとするので、今回の場合は「シェイクハンド」「握手」に絞っていく。

ここまで話が来たのはよかったのだが、さて困った。
これは本の著者のアル=シャマヒーさんという方もおっしゃっているのだが、西洋では握手というのが重大な繋がりを表した。
ところが、世界の中に接触を嫌う儀礼の国がある。

 接触をいっさい伴わない挨拶文化も数多く存在する。−中略−
 日本では、挨拶は敬意を示す行為として文化的に重視されている。
(110頁)

とにかく西洋の人が驚くのが日本の「バウ(bow)」お辞儀。
この「非接触」ということをアジアで探すとタイがそう。

 インドのナマステやタイのワイは、どちらも合掌して軽くお辞儀をする。(110頁)

それから中国は面白くて自分で握手をして頭を下げるという。
これも非接触。
何で非接触を礼儀としたのか?
これがアルさんの面白い指摘。

おそらく極東の触れない文化は、−中略−古代に今と同じような疫病の流行があり、それに対する文化的反応として始まったのではないか。(54頁)

「むやみに触ってはいけない」という礼儀を通して、お辞儀をDNAの方に深く刻み込んだのではなかろうか?ということ。
新渡戸稲造という人の「武士道」を読んでいて、新渡戸稲造が指摘したことなのだが、西洋は挨拶の言葉が全部神への祈り。
「神様、よい朝を」というのが「Good morning」の意味。
日本は「おはよう」と言う。
相手も「おはよう」と言う。
それは「お互い、早い時間から頑張ってますね」という意思の交換。
同じ時刻を共有している。
それが接触の最初の儀礼、儀式であるという。
このへんが武田先生は面白くてならない。

とにかく握手をする、今度は手のひらの方の話題に移っていく。
人類の進化は二足歩行で、自由になった手を持ったことで加速する。
普通の動物に言わせると、二足歩行はもの凄く不安定。
「よく立ってんな、人間は」みたいな。
だが、歩きながら自在に手が使うことができるというので、どんどん文明は。
それで人と話をする時も武田先生はとにかく手を動かす。
面白いことは「世界中でだいたい指一本一本に込められた意味が同じだ」という。
例えば親指を立てたら「大丈夫」。
「あまり良くない。アナタには共感したがい」と言ったら親指をひっくり返せばいい。
これはだいたい世界中で通じる。
小指一本の場合は「ちょっと意味ありげな異性関係」。
人差し指と親指で丸を作ると「OK」或いは「お金」。
それで中指を立てると小バカにしているという。
こういう意味合いがだいたい世界中で通じるので、握手が儀礼の挨拶だとすると指一本一本に関してはそれぞれに隠した意味を持つ言葉になり得る。

フランスのペックメルル洞窟にある斑点のある馬の壁画は、−中略−周囲に手形が描かれている(65頁)

壁面いっぱいに手形や手形ステンシル〔手を壁面に当て、上から顔料を吹き付けるなどして手の輪郭を写し取ったもの〕を描いた作品は(64頁)

もの凄い数ある。
それはやっぱり懸命に何か大きな意味合いを絵に込めた。
それが洞窟の中に残っているという。

 誰が見ても握手だとわかる最古の記録が描かれたのは、古代メソポタミアの2大強国、バビロニアとアッシリア帝国が存在した時代のことだ。イラク北部のニムルド遺跡で発見され、−中略−紀元前9世紀作のレリーフには、新アッシリア帝国の王、シャルマネセル3世とバビロニア王のマルドゥク・ザキル・シュミ1世とが握手する様子が描かれている。(70頁)

握手というのは、アラブ世界、中東で起こった文明の中で王様達の挨拶だったようだ。
王のみが握手で王に挨拶したという。
そこから庶民の間に広がって「アンタと俺は対等」とか「お互い平等だね」という意味合いを込めて。
挨拶が世界的に広まったのはアメリカ。
キリスト教の一派、クエーカー教徒。

当初のクエーカーの思想は、−中略−平等主義への徹底的なこだわりだ。クエーカーの世界観において、握手が重要な役割を担うようになったのは何ら不思議ではない。−中略−クエーカーが、上下関係と無縁な挨拶を追求する中で握手にこだわってきたのも頷ける。(82頁)

また、アメリカでは握手を拒むと拒絶ということになる。
「人間関係を断ち切る」というジェスチャーにもなる。
だから重大な意味を持つ。

相手の手を遠慮会釈もなく強烈な力で握りしめる男性や、握った手を荒々しく振る男性には、この無礼な行為をなす機会が再び訪れようはずがない(136頁)

適当な強さで握り合って、そして柔らかく上下に振るという。

著者はここからもう、ずっといろんな国の握手のことを書いているが、申し訳ない。
武田先生はあまり面白くなかった。
朝から何だが、この方が書いてらっしゃるので。
接触儀礼というのはいろんな方法がある。
これは皆さんもお試しになったし、テレビなんかでもご覧になった。
握手が禁じられたのでゲンコとゲンコを軽くぶつけ合うとか、エルボー(肘)でやったり。
世界には様々な接触儀礼があるが、朝の話題にはあまりふさわしくないが

しっかりとペニスを握る挨拶というものが存在し、オーストラリアのワルビリ族が儀式の一部として行っているという。(114頁)

極地方の一部やニューギニア島西武のパプア地方の村でかつて行われていた。訪問者は挨拶の印として、村の首長の妻の乳房を軽く吸わなければならない。(113頁)

それのことがずっと書いてあるのだが、あんまりくどくど話すと「朝から何だ、オマエは」と言われてしまうので、もうここまでにしておく。

著者はこのあたりで気づくのだが、アラブ世界にルーツを持つ人のようで、アラブ世界では違う仕方がある。
アラブ世界は抱擁で頬を擦り合う?
イメージがない。
西洋人を迎える時、ヨーロッパからお客さんを迎える時は握手をしておられる。
頬を擦り合って軽くキッスの音をさせるというようなのがあるが、その後に握手もある。
アラブ世界というのはバウしない、頭を下げない。
だからアラブ世界で武道をやる方が少ない。
これは好みもあるだろうが、武田先生が通っている道場でお聞きしたのだが、アラブ世界の方はもの凄く抵抗があるそうで。
日本では「道場に入る時、一礼をしてください」という。
そうしたら血相を変えて「誰にするんですか」。
「神社の鳥居をくぐる時は軽く一礼して歩き・・・」「誰にするんですか」
アラブ世界ではお辞儀をする人はただ一人「アラー」のみ。
(武田先生の道場の先生は)サラッとおっしゃった「すぐ帰ってもらいました」。
これは決して冷たくしているのではなくて、その方には別の国の武道が向いているから日本武道はお断りした。
一回裁判になった。
柔道だったが。
バウを、お辞儀を強要したというので「尊敬もしていないし何もしていないのに何で頭を下げなきゃいけないんだ」とか、いわゆる「宗教儀式の強制である」という。
パワーハラスメントであると訴えられたことがある。
日本側は一切譲らなかったようで「だったらもう、来ないでください、道場には」という。
それはちょっと・・・
この間も女子駅伝を見ていたが、日本人選手はフラフラになってもゴールを飛び込んだ後、走ったコースに向かって一礼する。
ジーっと見ていたが。
そのあたりが我々のDNAに刻まれた、「バウ」というのは儀礼の仕草。

著者はここから歴史に残る握手をずーっと探し出して書いてある。
それが面白かった。
握手も様々あるのだが、ここからは握手の名場面を思い出していただこうかなというふうに思う。
この握手が世界を変えた。
そういう握手がある。
これは「なるほどなぁ」と思った。
歴史に残る名握手。

エイズ禍が最高潮に達していた1987年、一般大衆は接触によってHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染すると信じ込んでいた。その結果、人々は誰であれ感染者をひどく恐れるようになった。誤った情報のせいで、感染者に対する許しがたい偏見と差別が生まれた。−中略−「息子がエイズだったら俺が撃ち殺す」(『ザ・サン』紙)。当時のタブロイド紙には、こんな煽情的な見出しが並んだ。−中略−HIV感染者の隔離に50%の人が賛成していた。(141頁)

 ダイアナ妃が訪れたのは、ロンドンのミドルセックス病院に設けられた、初のHIV専用病棟だった。当時エイズがネガティブに報じられていたことから、最初患者たちはカメラの前でダイアナ妃と握手するのを拒んでいた。ようやく、瀕死の男性患者が握手に応じることになった。ダイアナ妃という特権階級の人物が手袋なしでこの男性と交わした握手は、社会的公正さとは何かを最も端的かつ最も衝撃的に示す行為として、現代人の記憶に刻まれることになる。(142頁)

たった一度のダイアナ妃の気遣いが、世界中のエイズに対する偏見を変えたという。
この握手はイギリスだけでなく全世界に衝撃を与える。
この瞬間、エイズについて「接触は少しも怯える必要はなく、彼等を励ます為には触ってあげましょうよ」。
ダイアナ妃のそのただ一回の握手が全世界の人々に偏見を弾き飛ばす、或いは偏見を恐れない人々を一瞬のうちにして作ったという。
著者は言っている。
「たった一つの握手で世界を変えた人は何人もいない。間違いなく奇跡に近い一瞬であった」という。
ダイアナさんも恋物語があったりしたが、ダイアナ妃の握手と、それから黒人の飢えた子を抱いておられる姿と地雷のあるところを平然と歩いておられる姿というのは世界を変えた。
イギリス人がこのダイアナ妃に関して今でもその人気No.1はこれ。
こういうダイアナ妃の立ち振る舞い。
この本の著者曰く、世界でNo.1。
握手というのはいっぱいある。
人に感動を与える握手から、もしかしたらその握手で世界が変わっていたかも知れないという握手があるし、わざとらしい握手もある。
歴史に残るわざとらしい握手はある。
それは来週、一つずつ物語ってゆこうかなと思う。
今日は後味よろしく、世界で衝撃を与えた、感動を与えた握手の一例としてダイアナ妃の握手を取り上げてみた。
この続き、様々な歴史に残る握手については来週のお楽しみ。