(この週は金曜日から別の本なので木曜日までにした方が切りはいいけれども、いつも通り一週間分ずつにする)
(タイトルはずっと「冬支度」と言っていて最後の二回だけ「老い支度」と言っているのでどうするかなと思ったのだが「冬支度・老い支度」としておく)
今週だが「冬支度」。
これは前からやろうと思っていたが「高齢者の為の三枚おろし」としてお聞きいただければと思う。
若い方はまた面白いのをやるからちょっと待って、ただ聞いていてください。
何でかというと、あなた方も必ず歳を取るから。
昔はそんなことは思いもしなかったが、自分も歳を取っていく。
そのことを最近はしみじみ思い当たる武田先生。
若い方の為に「老い支度」というか「冬支度」を高齢者の方と考えてみたいと思う。
いい本が見つかった。
これは二冊扱う。
二冊とも、もう滅茶苦茶売れている本ではないか?
「70歳が老化の分かれ道」和田秀樹先生。
もう大注目の心の病の先生。
詩想社新書。
著者・和田さんは現役の精神科医。
1960年生まれだから武田先生達70代をいたわるように老いの手引きを記されたというのがこの本。
まさしく「冬支度」「老い支度」。
ところが、ちょっと困ったことがこの本の中にはあって、和田先生には勘弁していただきたいと思うのだが。
武田先生も人間ドックに通っていて、人間ドックの主治医が言うのだが、その主治医とは全く違うことをおっしゃる。
同じ病院の先生でありながら。
そのへん、全部寄りかかるのではなくてケースバイケースということにして、そんなふうにお聞きください。
とにかく70歳をもう過ぎているけれども、老いの分かれ道、人生の分かれ道に立っているということで参考としてお聞きください。
実に読みやすい文章で、スラスラ読める。
読むとわかるが、ドクター和田の老いへの独自案、独特の和田先生のお考えで。
その一つ、一瞬ギクッとした。
この一文句。
運転免許は返納してはいけない(97頁)
今、世を挙げて「70歳以上、免許を返納しろ」と。
と、言うのはこれはやっぱり昨今の交通事情、高齢者のアクセル・ブレーキの踏み間違いによる突っ込み事故、突撃事故が非常に多いので「返納しろ」と言うとある意味で喜ばれる。
武田先生も(運転免許証を)更新したのだが、更新する警察の建物の中に漂っているのは「まだやる?」みたいな、そんな感じだった。
「事故を起しそうな人は免許をあきらめて欲しい」ということだが、和田先生は「返しちゃイカンよ」とおっしゃっている。
愛知県の65歳以上の男女2800人を追跡調査しました。2006〜2007年時点で要介護認定を受けておらず、−中略−
運転継続と要介護認定との関係を分析したのです。−中略−
10年時点で運転をやめていた人は、運転を続けた人に比べて、16年には要介護となるリスクが2.09倍にもなったのです。(59頁)
和田先生は頑張る。
「免許を返納した人は、要介護リスクが高くなるんだ」と。
しきりに「高齢者は事故を起すぞ、事故を起こすぞ」とメディアは騒ぐが
もっとも事故を起こしているのは16〜19歳の年齢層で、約1489件。次いで20〜24歳が約876件と続きます。−中略−
高齢者でもっとも事故を起こしている年齢層は85歳以上ですが、それは約645件にしかすぎません。−中略−
70代に至っては、約500件前後で、その他の30〜60代の年齢層がおおむね450件前後なので、特別、事故率が高いとは言い切れません。(62頁)
(番組内で85歳以上を649件と言ったが、本には上記の通り645件)
珍しいからこそニュースにして騒ぐのである。
それが、あたかも高齢者だから事故を起こしたと言い過ぎるのではないか?
ブレーキとアクセルの−中略−
踏み間違えたのは、ペダルの区別がつかないからではなく、−中略−
慌てたからなのです。(63〜64頁)
パニックになるからで、認知の問題ではないんだ、と。
これは和田先生がおっしゃっている。
(本の中では薬による意識障害を指摘している)
だから免許返納で一番怖いのは世界が狭くなり、活動する積極性を失うこと。
「これが一番怖いんだ」とドクターはおっしゃるという。
名前を出してしまうとまずいかも知れないが、武田先生が乗っている車の点検に行く。
そこでこの本の話をした。
作業員の方、見てくださる方が「そういうことあるかも知れないですよ」とおっしゃるから「何かお聞きになったことありますか?そのような事例は」と言ったら「うちの親父ですよ。私がこういう会社勤めで車のメンテをやってるもんですから早目に70ちょっと過ぎてすぐ返納したんですけど、去年ぐらいからお袋に向かって『アンタ誰?』って言い始めましてね」と言われて。
その一件だけかも知れないから。
だが皆さん、とにかく人生チョイスだから選択しましょう。
とにかく70歳からにとって一番必要なのは変化のある生活。
前頭葉の老化を防ぐには、「変化のある生活」をすることがいちばんです。−中略−
単調な生活を繰り返していると、前頭葉は活性化せず、衰えてしまいます。(75頁)
前頭葉とは、−中略−
思考や創造、意欲、理性などにかかわっている部分です。(74頁)
これはやっぱり刺激を貰わないと。
「免許を返納して刺激ある生活をするのが一番いい」と思う水谷譲。
それがもちろんいいのだが、やはり車を運転するというのは本当にバランスのいい変化を老人達に与える。
だから運転免許で保っている人も相当いるはず。
こんなふうにして和田先生の弁、全部受け止めるのではなくて、自分の暮らしと比べつつご意見を聞いていただければというふうに思う。
前頭葉の萎縮は、実は40代からすでに始まっていて、−中略−
放っておけば萎縮はどんどん進んでいき、50代、60代くらいから、思い込みが激しくなってきた、頑固になってきた(75頁)
頑固とは何かというと、自分が変化できない。
そういうことで頑固老人が出来上がるというワケで。
暮らしの傾向が似てしまって昨日と今日の違いがわからないという。
このへんは武田先生も思い当たる。
武田先生は仕事をされているから刺激的なのではないかと思う水谷譲。
刺激もどんどん落ちてきた。
反応する力がない。
ここで名言。
40代くらいから脳の部位の萎縮が始まる。
それで70になると暮らしが平凡になってしまって毎日の違いがわからなくなる。
そうすると頑固老人が出来上がって「生き方一つ」というような老人が出来上がるのだが、今、近くにメモ用紙等々をお持ちの方はぜひ書きつけて。
「年老いたから変わらないのではない。変わらないから年老いたのだ」
これは内田(樹)先生の名言であった。
若い時はあんなにこなれたいい人だったのに、歳を取ると一徹頑固になる人がいる。
何人か体験したことがある。
「どうしたんだ?」と言いたくなるようなご老人に接したことがある。
それは「若い時のままだから」。
老いたら老いたで変わらないと。
歳を取って一番嫌なのは変わらないこと。
柔軟性。
何か学びたいことがあるなら独学はせず、スクールやサークルなど何人かの集まりに参加して学ぶほうが、まだ、前頭葉を使います。(79〜80頁)
本を読んでインプットする行為よりも、会話などのアウトプットの行為のほうが前頭葉は活性化され、老化の防止になるのです。(79頁)
「物知りな人」より、「話の面白い人」を目指すことが前頭葉の老化防止には効果的です。(83頁)
まるで武田先生のこと。
「(今朝の)三枚おろし」というのは自分で本を読んでアレをするわけだが、やはり「アウトプット」「入れて出す」という、それの毎日だから。
本当はこっちから文化放送にお金を出さなければいけないぐらいなのだが。
何十年も続けて・・・
でも、何かを学びたいなら一人で勉強するな、グループで勉強しろ。
合気道を始めたのはきっとこれ。
楽しい。
中学生に交じって練習していると、もうジジイだからゼイゼイいう。
だが「元気が回復する」で行きたくなる。
それはやはり中学生と仲間になれるからだろう。
それから「物知り」よりも「面白い人」を目指してください。
これは(武田先生のモノマネをする)三又又三が「三枚おろし」の印象を「みんな『三枚おろし』を教養番組で物知り番組だと思って聞いているけれど、あんなものは所詮、武田の騙り番組ですよ。正確かどうかわかりゃしない。武田が面白おかしく話すところが芸で、教養番組だと思ったら大間違いですよ」と一杯呑んで啖呵を切ったことがある。
武田先生は又三からそんなことを言われてギクッとした。
武田先生は物事を「語(かた)って」いるのだが、詐欺師が素人の人を騙すことも「騙(かた)る」と言う。
その真実と嘘も含めて武田先生にとっては「かたる」こと。
水谷譲が言うのも何だが、三又さんが武田先生にそういうことをおっしゃって武田先生が「何だ!その言い方は」と怒らずに「あ、そうかもね」と思える柔軟性を持っている武田先生はいい歳の取り方をしていると思う水谷譲。
安く使おうと思って持ち上げる。
仕事をいっぱい、安いのを運んでくる。
「物知りより面白い人を」と同じで「あなたの人生を分ける70代で最も重大なことは健康よりも免疫力だ。血圧がいいぞとか尿酸値がいいぞとかではない。免疫力があるかないかだ。食事はとても大事です」ともちろん和田さんはおっしゃっている。
重い病気を患っていて、どうしても制限しなければならない場合は我慢も必要でしょう。しかし、「ちょっとコレステロールが高いから」だとか、「尿酸値が気になるから」などといったくらいの理由なら、70代になったら、好物を我慢する必要など、もうありません。
暴飲暴食は身体によくありませんが、そうでなければ好きなものを我慢せず食べていいのです。(96頁)
食べたいものを我慢するという生活は、動脈硬化は防ぐかもしれませんが、免疫機能を低下させてしまうのです。(98頁)
食べたいものを食べること、おいしいと感じることのほうが、免疫機能を高めて健康のためになります。(99頁)
運動したほうがいいと勧められても、どうしてもしたくないのなら、やらなくていいのです。ストレスは老化の大敵ですから。(103〜104頁)
これはちょいと覚えておいてもいいかなと思う。
好きな物があればどんどん食べなさい。
ドクター和田はこうおっしゃる。
無理をして嫌々ながらにやっても、過度のストレスがかかって、あなたの免疫力を低下させたり、身体と心にダメージを与えてしまいます。−中略−
本当に嫌なことはなるべくやらない。これが、70代の生き方としては大切です。(104頁)
和田先生自らが自分の健康を数値できちんとおっしゃって。
凄い。
ドクター和田「病院でね、人間ドックとか行くと血圧、血糖値、やたらコントロールしたがる。結果を見て『あ!下がった』『お!上がった』
私は血圧も高く−中略−
薬を飲まないと220くらいですが、こちらも少々高めですが、170くらいに薬でコントロールしています。(112頁)
日本の医師は、長生きの専門家ではなく、自分が担当する臓器のスペシャリストにしかすぎないということです。(120頁)
日本には、長生きを専門とする医師はいないのです。人間の身体全体を見て、どうすることが身体によくて、どうすれば身体に悪いのか言ってくれる医師はほとんどいないでしょう。(121頁)
そもそも医学とは、不完全なものです。そのときどきの最新の研究結果が常識となっているだけで、数年後にはまったく役に立たなかったり、まったく逆の評価に変わることもよくあることです。(124頁)
医師は長生きの専門家ではありません。(126頁)
「心臓が得意」とか「糖尿担当」「腎臓専門」とかいらっしゃるが「長生き専門」というのはいない。
「私は長生き専門です」という医者はいらっしゃらならい。
医師の平均寿命は一般の人たちより短いのです。(126頁)
やはり激務だから。
100歳を過ぎても現役だった日野原重明先生のような医師に診てもらったら、元気に長生きをするためのアドバイスをしてくれるかもしれません。(126頁)
「70の人が、まだ50とか60ぐらいで医者やってるようなヤツを信用しちゃダメだ。ソイツはアンタが大学生の時、小学生だったんですよ」と。
「俺が中3の時、プーチン6年生」とか、そういうふうに考えると、たいしたヤツに思えなくなる。
私たちが長生きをしたいと考えたとき、何に頼ったらいいのでしょうか。私がまず頼りになると考えているのは「統計データ」です。(123頁)
100歳まで生きるような長寿の人は、どんな生活をしているのか、どんなものを食べているのか、その実態を調べています。(126頁)
「そう言やぁ、あの百歳の婆ちゃんは硬いもん好きでよく食べてたね」とかそれは信用する。
だが「『血圧は118だった』とか、そんな日々変化するもの、血圧なんていうものは」とドクター和田は言う。
ドクターはまだ60代。
ドクター和田のおっしゃりたいことは、我々70代が気にしなければならないのは、何よりも「免疫」。
これが高いかどうかの自分と、あともう一つが、これは武田先生はハッとした。
うつ。
老人性うつ。
心の病は−中略−
人口の3%、65歳を過ぎると人口の5%がうつ病だと言われています。(140頁)
和田先生が問題になさっているのは、放置すれば自殺率が高くなる。
「一番心配なのはうつなんだ」とおっしゃる。
「アルツハイマーとかあるかも知れないが。皆さん、平べったく考えてごらん。何もかも覚えている老人なんていうのは悲劇だよ。忘れた人もいるからこそ老人ではないか?」
認知症は、病気ではなく、老化現象の1つと考えたほうがいいと私は思います。(145頁)
少なくとも本人にとっては、うつ病で死ぬよりも、認知症で死ぬほうがよほど幸せだと思えます。(145〜146頁)
これは歳を取ると思い当たる。
いいコラムがある。
婆ちゃんがだんだんテンセイ語(天声語?)でいいのか、この世の言葉ではない言葉を使い出すことを、昔の人はそんなに嫌がっていない。
「婆ちゃん、どげんしたとな」と声をかけた。
婆ちゃんが振り返る
「いいや、さっき爺さんが来なはった」という。
何十年か前に死んだお爺ちゃんがそこにいたとかおっしゃる。
それから「あんた、びっくりしたばい。観音様がそこにおんなはるたい」と虚空を指す。
「松の木の上に観音様が足をブラブラさせながら私を見てる」とおっしゃるという。
それを「この世の言葉ではない言葉で婆ちゃんはこの世を語っている」と昔の人はそんなふうに言った。
「ああ、ボケた」とかそんな言い方はしなかった。
このあたり、面白いというふうに思う。
歳を取るといろんなところが悪くなる。
その悪くなる原因を追ってみたいと思う。
高齢者をよく診察していると、うつ病とまでは言わなくても、「セロトニン不足症候群」と言えるような人もかなりの数います。
セロトニンが足りなくなると、痛みの刺激に敏感になったり、不安感が高まったりします。そのため、四六時中不安感が強くて、あそこが痛い、ここが調子が悪いと、ひっきりなしに不調を訴えるようになります。(177頁)
よく覚えているが、王貞治会長と福岡に監督さんでいらっしゃった時に友だちと一緒にゴルフで遊んだことがある。
そうしたら本当に、にこやかにサラッとおっしゃる。
「昨日あんまり眠れなくてね」
ちょっと笑顔。
「どうなさったんですか?」と言ったら「いやぁ、古傷よ。もう何だか背中が痛くて眠れなかった」。
笑顔でおっしゃる。
その時に思ったのは「痛みに強い」。
「痛くて眠れない」というのはそれだけで恐怖で不安。
スポーツ選手は痛みに耐えながら眠る。
やはり今のトッププレーヤーを見てもそう。
とにかく歳を取ると痛みに敏感になる。
このことを忘れないでください。
みなさんにお勧めしたいのは「肉を食べる」ということです。(67頁)
粗食なんかやめてしまえ。
一日一度は部屋の外に出て、陽の光を浴びればそれでいいのです。一番手軽な方法は、散歩でしょう。(72頁)
独特な和田先生のお考えで。
食事のことを書いておられるが、ここではあまり触れない。
なぜか?
奥様から指導されている武田先生の食事とは余りにも違い過ぎるものだから。
やはり、触れるのはやめておこうかなと思って。
「動物性のタンパク質は老いの病を呼び寄せる」という考えを奥様は持っているので、武田先生としては奥様の納得に付き合って。
また人間ドックの先生も非常にいい先生なので、血圧・血糖、そういうのをうんと気にしながら。
グラフに書いている。
月に3〜4回血圧を測っている。
それも朝10時半と夕方の6時。
二回測って血圧を週1回、月に4回。
昔は血糖値も測っていたが、もう指に針で刺すのが嫌で、ちょっとやめてしまった。
「本当はそこまでしていただきたい」と言われているのだが。
和田先生は「一切しなくていい、そんなことは。数値眺めて健康になるか?」という、こういう方。
いいところだけ学ぼうというふうに思う。
おっしゃっていることはよくわかる。
誰が正しいと健康に関しては言えないんだ、と。
人はそれぞれに人生観もあるし。
武田先生がドクター和田の説で最も支持したいのは「70歳から人生で良いことは何か?」。
これはハッとした。
70になって何かいいことはあるか?
これはある。
これは武田先生にピッタリ合った。
一人でいても、だれも私をいぶかしいとは思わない。
70代の老人というのは一人遊びができる年齢だ。
これはわかる。
これは名言だと思った。
幼児・少年は一人で何かやっていると「何やってんの?」とかと。
思春期から青年は犯罪を疑われ、壮年期から中年は「よからぬたくらみを抱いている不審者」と見られることがある。
若い人だと「この人、友達いないのかな」となるが、70代の方は一人が当たり前で、それが凄くサマになっているというのがある水谷譲。
一人で遊ぶ姿が、いわゆる自由とイコールになっている。
例えば少年や子供達が川べりで釣りをしていると「お父さんとかお母さん、誰かにそばにいてもらいなさい」とか。
だが、爺さんが一人で座り込んで釣り竿を振っていると絵。
和田先生が最後におしゃっているのは一人で遊べる年齢になるまで人間は70年かかる。
これはいい言葉。
大変短いが、先生の素晴らしい本をお読みしてそれで三枚におろした。
「70歳が老化の分かれ道」和田秀樹先生、詩想社新書。
いろいろキュッと詰めるとだいたい木曜日でお終いぐらいの本。
非常に読みやすい本だから。
是非お読みになれば。
売れている本。
もう山積みにしてある。
金曜日は違うネタでいく。
これも無茶苦茶今、売れている本。
「和田先生の後を継いで語り継ぐにはいいかなぁ」と思って。
体に関係する本。
それも老いに関する本で。
和田先生はしきりに言った。
「うつにさせない為に老人の体内にセロトニンを。セロトニンの為にまず第一条件は太陽の光を浴び、その次に運動すること。そうすると70歳、健康に向かって歩きだす」
同じことをスウェーデン・ストックホルムの精神科の先生がおっしゃっている。
これもバカ売れ。
サンマーク出版「運動脳」。
この方は大ベストセラー作家で、そのほかにも「スマホ脳」「ストレス脳」と脳に関する問題を取り上げておられる。
今日扱うのは「運動脳」。
このアンデシュ・ハンセンさんはどんな人かといえば日本の和田秀樹ドクターにそっくりな方。
だいたい同じようなことを言っておられる。
この方の方が理屈っぽい。
ハンセンさんは精神を病む人々を診療・診断するという日々を送っておられる。
診療に当たっているうちに、精神科医としてある傾向に気づく。
それは認知機能、主体的に計画を立てて注意力を制御して日常を送っている人、認知機能がしっかりした人、そういう人というのがわかるようになる。
病院に来て初診の人が座る。
その人を見ていると「これが最後になる人」というのがわかる。
もう「帰ったらこの人、健康になるな」というのと、「この人は入院だな」というのがわかる。
それはその人の体が持っている一種オーラらしいのだが、そのオーラはどこから来ているかというと「この人はよく歩く人だ」という気配があるとだいたいそれきりで。
このハンセンさんのおっしゃっていることで凄く興味深いのは
運動によって脳は物理的に変えられる。(35頁)
「運動することによって脳を変えることができる」という。
彼の推論なのだが「物理が心理を動かすのでは?」という仮説を思いつかれたという。
体が持っている理屈が心理を動かしている。
心が体を動かしているのではないんだ。
「体が心を動かしているんだ」と。
この仮説が非常に面白いなと思って。
脳を操作しているのは私たちであって、脳が私たちを操作しているのではない。(44頁)
そう考えるべきで「脳」と「私」を混同してはいけない。
では脳の構造に分け入ってみよう。
繰り返す。
これはちょっとややこしいのだが、生存に欠かせない脳の部位・部品に扁桃体というのがある。
扁桃体は、側頭葉の奥深くにあるアーモンド形の部位である。扁桃体は2つあり、脳の左右に一つずつ備わっている。(67頁)
扁桃体はアラーム。
どこで発達したかというとサバンナを歩くサルとして活動している時に、草むらに伏せたライオンなんかに襲われる。
その時に「ライオンだ〜!」と警報が扁桃体。
その瞬間に副腎からコルチゾールというホルモンが分泌され、逃げるか闘うか、これを決定しなければならない。
この警報が鳴り止み、上手く逃げると海馬というタツノオトシゴのような部位のところに今の出来事が情報として送られ、海馬まで行くとコルチゾールの分泌がストーンと落ちる。
これはアラームが鳴っている最中に出てくる脳内ホルモンなので、どこかでほっとしないと出過ぎるとパニックが続く。
これがタツノオトシゴみたいな海馬に入ると「休め」という号令がかかり、コルチゾールのフタがキュッキュッと閉められる。
そうこうしているうちにその出来事を前頭葉という脳の部位に送り、もう二度と襲われない為に何をしたらいいかということを、ここから考え始める。
コルチゾールというのがなかなかの曲者で、これをきちんと閉めないといつでもパニックになっているような状態。
どうするか?
コントロールする為の練習があるか
これが運動。
筋肉を適切に動かすためには、より多くのエネルギーや酸素が必要なので、血流を増やそうとして心臓の鼓動は激しくなる。そして心拍数と血圧が上昇する。−中略−
運動が終われば、身体はもうストレス反応を必要としないので、コルチゾールの分泌量は減り、さらにランニングを始める前のレベルにまで下がっていく。(72頁)
定期的に運動を続けていると、運動以外のことが原因のストレスを抱えているときでも、コルチゾールの分泌量はわずかしか上がらなくなっていく。(73頁)
扁桃体がアクセルを、海馬がブレーキを踏んでいる状態である。(69頁)
このブレーキから判断してどうするかを考えるのが前頭葉。
「逃げてよかった」或いは「闘ってよかった」等々を考える。
この考える時に「こんなことは前にもあったなぁ」「あの時は逃げずに闘ったから今の俺があるんだ」とかといろいろ思い出を。
「前頭葉」「海馬」「偏桃体」この三つを上手に回ることがストレスのない生き方らしい。
ストレスによって萎縮するのは海馬だけではないからだ。前頭葉も、やはりストレスによって萎縮する。(77頁)
だから励まさなければならない。
励ますことのできる策は運動しかない。
体が脳を育てるのだ。
運動というのは歩くとかそういう運動でいいのかと思う水谷譲。
これがいろいろ条件付き。
来週もということになるが、「運動と脳」或いは「健康」「体」。
これを高齢者の方々の為に来週も引き続きやってみたいと思う。