(「タッチ」という同一のタイトルの回があるので、区別する為に便宜上こちらを「タッチT」、もう一方を「
タッチU」としておく)
(番組冒頭で「
ミトロジー」の時に「明和電機」を「昭和電機」と言い間違えた件を訂正)
ニュースバラエティ番組に出ていて、政治のこともわからないのに出てものを言ってしまうと反感も買うのだが、いろんなところに顔を出して世間の風を浴びていないとタレントとしての皮膚感覚が弱くなるような気がする武田先生。
「さらされる」というようなつもりでその手の番組も出ている。
そのニュースバラエディ番組に出演した折のこと、司会は東野幸治さん。
その横には兼近(大樹)君がいて、そして更に横にはカンニング竹山さんがいるという。
(
この時にも話が出た2月19日放送のフジテレビ系「ワイドナショー」を指していると思われる)
その日のゲストがこれがまた凄い。
格闘技ファンだったら胸が高鳴るだろうが、那須川天心さん。
少年の頃から極真空手で日本一になり、その後キックボクシングから総合格闘技、そして遂にボクシングで注目のスーパーバンタム級に挑むという格闘技に生きてきた方。
ただ、面白いことにこの方は威圧するようなオーラではない。
静かな青年。
顔の色艶の非常にいい方で、実に繊細な皮膚というか肌をしておられる。
武田先生がその番組の中で「那須川天心さんみたいな格闘技の天才は一体何故に天才になられたのか」というを司会の東野さんから振られたので「肌だ」と持論を。
この番組でおなじみの武田の持論を展開したが、東野さんからはたった一言「長いばっかりで意味わからへん」と言われて。
テレビのコメンテーターというのはそんなもの。
十秒以内で意味がわからないと・・・
だからラジオは本当に有難く思っている。
それで簡単に否定されたのだが、武田先生の胸の中には「違う!東野君、君は間違っとるよ」と。
「昨今の若い人達の活躍ぶり。大谷翔平、羽生結弦、佐々木朗希等々よく見てごらん。みんな北の人で皮膚が敏感そうだ。彼等の才能の素晴らしさは皮膚から、肌から来た才能だ」ということを言いたかった。
自説を裏付けるが如く、またそこから本屋さんに入って選んだ本がデイヴィッド・リンデンさんがお書きになった「触れることの科学」。
「タッチ」「触ること」を科学しよう。
(この本は単行本と文庫本が発行されているのだが、番組内ではどちらとも言及していないので、ここでは全て文庫本のページ数で表記する)
人を見ての第一印象で「温かい人」「冷たい人」と、こういう表現をする。
これは洋の東西を問わず、「優しい」とか「謙虚」とか「寛容」とかと言わずに「温かい人」と言う。
それから客観的な人、こういう人達に対してはいい意味でも悪い意味でも「冷たい人」。
これは考えてみれば皮膚の出来事をその人の性格にあてはめているワケで。
有意な結果として、ホットコーヒーを手に取った被験者は、冷たいコーヒーを手渡された被験者よりも、架空の人物を温かい人−中略−
と知覚した。(27頁)
重いクリップボードを渡された人のほうが、求職者を有意に高く評価し、−中略−
重いクリップボードという触覚経験が無意識のうちに働いて(28頁)
自分が持っている「皮膚感覚」で世界を見るという
生き物の本能が人間の皮膚、或いは肌の中にあるようだ。
(マイク・)トラウトという(ロサンゼルス・)エンゼルスの選手。
ごつい顔をして。
一番最後、WBCで(大谷翔平と)対決した時に。
あれは同じチームの人。
だがやはり大谷さんが温かそうでトラウトはクール。
トラウトは凄くいい人らしい。
後で聞いた裏話だがWBC、日米対決の決勝戦の時に、どこかの選手が大谷君の通訳の人に選手が頼んだようだ。
「俺、トラウトのファンなんだ」「明日試合なんだけどサイン貰えないかな?ボールに」
トラウトは温かい人。
大谷君の通訳の人がトラウトのところに行った。
「日本の選手の中にアンタの大ファンがいて、サインが欲しいって言ってるんだ」と言ったらトラウトが「いいよいいよ」と引き受けてくれて日本の選手全員に新しいボールを降ろして、全部サインをしてくれた。
そして「皆にあげて」と言った。
いい人。
「ヤッター!」とかと皆喜んだ。
大谷君がそれを見ていた。
それで決勝の朝になった時に「今日だけは憧れるのをやめましょう。憧れていると僕達は超えられません」。
そのシーンがあってのあの一言。
栗山監督から聞いた。
こうやって考えるとトラウトが温かくて大谷君がクール。
「今日一日だけ憧れるのはやめましょう。憧れていると超えられませんよ」というのはクールな人じゃないと言えない。
こんなふうにして「タッチ」「触ってみなければ人間はわからない」という今週。
(番組の冒頭で
防犯アプリ Digi Policeが紹介され、その流れでスマートホンの話が少し続いたが割愛)
タッチ。
世の中は本当にワンタッチでコロリと犯罪に巻き込まれたり、新しい情報が手に入ったり、素敵な人と出会ったりするという。
もう指先の世界になった。
人間にとって「タッチ」「触れ合う」というのは実に微妙なもの
母子関係、お母さんとの間で触れ合いの多い環境に育つと穏やかになる。
これはネズミの実験でもわかる。
ところがこれが本当に不思議なところで、野生のネズミなんかで試してみると、お母さんとの触れ合いが少ないヤツの方がタフ。
社会に出た時に頑張って生き抜く力が。
皮膚というのは実に複雑な思考の機関、考えごとをする機関である。
しかも触覚による接触は感情に満ち満ち溢れている。
親友が肩を抱いてくれると友情を感じ、威圧的な人が肩を抱くと恐怖を感じるという。
これを研究したところがこの人は偉い。
公共の場での身体的接触に関して、文化的な影響が大きいことは言うまでもない。−中略−
世界中のコーヒーショップで会話をする人々を観察した。−中略−
プエルトリコのサンフアンでは2人の間の身体的接触が1時間に平均180回と最も多く、パリでは110回、フロリダ州ゲインズウィルでは2回(55頁)
(回数が明記されているのはコーヒーショップでの調査だが、番組では回数が明記されていない空港のラウンジでの調査と混同している。番組内で「日本での接触回数ゼロ」と言っているが、そういった記述は本の中にはない)
日本は特にバウ(おじぎ)のみ。
このカリブ海周辺は180回触り合うという。
これはある意味では日本人が接触によるコミュニケーションというのをもの凄く重大視しているところがあって、男女でも手と手を握り合っただけで大量の感情が伝わるという。
これは「面白いもの見たな」と思ったのだが、また話を大谷君に戻す。
大谷君はやはり接触に関して敏感。
5月だったか、大谷君がホーム球場に敵を迎えての試合でヒットを打つ。
一塁に出た後、大谷君は一塁から二塁へ盗塁する。
その時にキャッチャーが「行かせてたまるか」と送球した。
大谷君は頭から滑り込む。
セーフ!
それで二塁選手の靴を見たら自分が飛ばした砂埃が乗っていた。
それであの青年は手で払った。
そうしたらやられた選手が恐縮してしまって「いいよいいよ」と言いながら「起き上がってくれ」と。
それで目撃していた観客から大喝采が起きる。
接触に関して大谷君はもの凄く反応する。
大谷が打ったファウルがある。
それを小さい子供が取る。
取った後、子供がボールを握りしめてお父さんに抱き着く。
周りが一斉に拍手を送る。
その時に大谷が遠くから見ている。
そのまなざしが優しい、という。
皮膚感覚から世界を見てみましょう。
皮膚に埋め込まれているセンサー。
ここにまずは注目しましょう。
皆さん、よくできてると思いませんか。
日常何気ないしぐさを見ましょう。
コンビニに買い物に行く。
125円足りない。
その時にポケットに指をツッコんで「100円」「20円」「5円」を指先で感じて取り出すことが可能。
それができる機械なんて相当お金を出さないと作れないワケで、私達の指先にはその100円、10円玉2枚、そして5円玉1枚、それを指先のセンサーで感じ取ることができるという。
このへんは、本当に皮膚の感覚がいかに上手くできているか。
ではその感覚はどんな感覚か?
メルケル盤は唇と指先の皮膚に非常に高密度で存在する。−中略−
メルケル盤はごく小さな力にも敏感で、皮膚が0.05ミリほど押し込まれただけで反応する。(68頁)
唇は敏感。
だからキスをする。
どうしても口と口じゃないとダメという。
このへんが「タッチ」「触ること」の感情が伝わることの素晴らしさ。
そのほかにもまだまだタッチは深い。
その他にもマイスナー小体と呼ばれる神経があって、これは小さな震えを感じることができる。
指先のマイスナー小体は、−中略−
メルケル盤よりも皮膚表面に近い。そのため、マイスナー小体は物体の微妙な肌触りや細かい形や曲がり方などの情報を得るためにあると想像されるかもしれない。(70頁)
何が言いたいかというとピアノ。
ピアノのタッチを決めるのはこのセンサー。
その他にもパチニ小体というウチワのような形をしたセンサーがある。
微小な震動にきわめて敏感である。(73頁)
地震なんかを感知するのが、このパチニ小体。
更にシャベルを持って地面を掘っている。
ずっと掘っていって大きい石に当たったりなんかして「あ!石だ」と感じるのも実はこのパチニ小体。
それぞれの感覚器がタッチの中から選り分けてゆく。
離れたものの触覚情報を解釈する力は練習を積むほど向上する。その結果、バイオリニストの弓や、外科医のメスや、機械工のレンチや、彫刻家のノミは、事実上、身体の感覚器の延長となる。(74頁)
4番目の仕組みとしてルフィニ終末が登場する。皮膚の横方向の引っ張りの感知に関わる仕組みだ。(76頁)
この四つが「何なのか」というのを分類する。
当たり前のように感じているが、それが一個でも欠けると感じなくなる。
切なくなるが歳を取ると衰えてくる。
若い娘なんていうのはちょっと後ろから触っただけで「あ!もう!」とかと言う。
それが歳を取ると、触る「何?」。
それは気持ちの問題かも知れない。
感情が入ってしまっているのかも知れない。
脳の中の触覚の世界というのは、−中略−
判断をすること、記憶を形成すること、あるいは行為を始めることである。(102頁)
プロやセミプロの弦楽器奏者で、−中略−
バイオリンやビオラやチェロを弾いている人を見れば、そのことはよく分かる。このような楽器では、左手の指は常に弦を押さえ、ビブラートを生み出している。−中略−
弓を持つ右手は、個々の指の動きも、触覚的フィードバックも、左手ほど大きくない。−中略−
このような弦楽器奏者の脳をスキャンして1次体性感覚野の手に対応する部分の面積を測定してみると、左手の指が右手の指に比べて約1.8倍あることが分かった(103頁)
こういう変化は後天的につくられるそうだ。
人は誰でも成人の期間を通じて、ゆっくりと接触の喪失を経験する。というのは、20歳から80歳にかけて、メルケル盤とマイスナー小体の密度が3分の1に減っていくからだ(105頁)
メルケル盤とマイスナー小体から神経線維を伝って脳に送られるスパイクの速度は、若い頃は時速240キロほどだが、歳を取ると時速180キロほどに落ちる。(106頁)
可塑性が消えることはない。脳は生涯を通じて経験により変わり続ける。(107頁)
触覚は男と女でも差があり、
女性は男性よりも平均0.2ミリ狭い感覚の溝を識別できた。(107頁)
女の人の方が敏感
感覚のセンサー、識別するセンサーが女性の方が優秀だという。
(本によると性差とは無関係に指先の面積と相関関係が見られた)
これらが四つセンサーがあるのだが、皮膚の表面にびっしり。
その下の方に、もの凄く重要なセンサーがある。
C触覚繊維と呼ばれるその神経は、人と人との接触に特化した、いわば愛撫のセンサーなのである。(116頁)
C繊維を伝わる電気信号は遅い。時速3.2キロほどだから、人がぶらぶらと歩く程度だ。(115頁)
C繊維は長い間、痛みと温度と炎症の情報だけを伝える神経だと考えられてきた(痛みといっても、−中略−
ひりひり、ずきずきするといった、気持ちにのしかかるような鈍い痛みだ)(116頁)
もう一つ重大なのが「愛撫」。
これはとても感情的な触覚で。
このC触覚繊維で感じると触られることによって情報、相手の気持ちを感じ取る。
ただし、鈍感にできているからパッと反応しない。
おそらくこのC触覚は母と子の関係に於いて発達したようで、お母さんというのは赤ちゃんを抱きしめるといつもゆっくりさすっている、愛撫している。
これが信頼の基本になる。
この触れ合いだけで反応し、同じ感情を共有できるという。
だからお母さんから背中を撫でられている子を見ると他の子も「あんなふうにして欲しいなとかという欲求が沸き起こる。
そして当然のごとくだが、これは性の為のセンサーでもある。
性の時はゆっくりお互いの体を撫で合うというのは愛撫としてとても重要。
性の快感を感じるセンサーでもある。
昨日お話したのはC触覚繊維。
これは皮膚のやや奥の方にあるセンサーなのだが、「愛撫のセンサー」と言われていて、お母さんがゆっくり赤ちゃんの背中を撫でたりするとほっとするという。
「痛いの痛いの飛んでけ」なんて。
男女というのはまたお互いの体を撫で合う。
その時には何が目覚めるかというとこのC触覚繊維が目覚めている。
この本の著者、デイヴィッド・リンデンさんは、ここに相当力を置いていて、性行為についてずっと説明する。
「何でそれは気持ちがいいか」とか。
それは朝から話しにくい。
だから大幅カット。
面白いのだが、この人はもの凄い頑張り屋なので事細かに「こっち側じゃなくて、そっち側やると絶対気持ちいい。だってC触覚繊維いっぱいあるもん」とかと言うのだが。
だが、もうお爺さんはあまり使わない。
若い時は無我夢中で読んでいたと思うが。
凄い展開がある。
持論を展開なさるのだが飛ばす。
その次の面白いところにいってみたいと思う。
味覚。
この表現もまたホット&クール。
トウガラシは「ホット」、ミントは「クール」だろう。(171頁)
ここでもやっぱり寒暖。
クールなミント、ホットなチリ。
ミントと冷たさは、脳の中で冷たい感覚を担う同じ領域を活性化するがゆえに同じように感じられるというシナリオである。(174頁)
皮膚の表皮には、細胞膜の表面にTRPV1というセンサーを持つ自由神経終末がある−中略−
このセンサーは1個のタンパク質分子で、熱にもカプサイシンにも反応してイオンチャネルを開く。(174〜175頁)
ゆったりとした温かさを検出できる。
何でゆったりとした温かさかというと、本能的に熱いと手をひっこめる。
ぬくもりはゆったりやらないとダメ。
熱いと思うと本能的に手を引っ込める。
温度差をたちまち皮膚、スキンは見抜くワケだから凄いもの。
まだこの他にも熱、或いは冷たさに別のセンサーが皮膚の中に潜んでいるようであるが、これはまだわかっていない。
だが、間違いなく言えることはクール&ホットを感じるセンサーの複雑さは動物のみで起こった現象ではなくて、植物の側からも「私はホット」「いいえクールよ」とかという選別を植物もしたのではないか?
どんなふうにして植物が「よーし!俺はホットになるぞ」「私はクールになるわ」と決めたのかというと、動物の好みがある。
トウガラシが辛くなったのは人間がカプサイシンのランクが大きいものを好む、そういうことでトウガラシが「よし!僕はもっと辛いトウガラシになろう」と思ったらしい。
人間の感覚にトウガラシが合わせてくる。
何でかというと栽培してもらえるから。
ミントもそう。
なぜ植物由来の物質を熱として感じるのか?或いは冷として感じるのか?
実は植物の方が好みに合わせようと進化している可能性がある。
この面白いのは鳥は平気でトウガラシを喰う。
鳥類はカプサイシンを感じることがなく、この物質が餌に交じっていてもまるで気に留めない(177頁)
何でかというと鳥はトウガラシを噛む歯がない。
鳥は噛み砕けないのでそのままでOK。
(鳥が辛く感じないのは、もちろんそういう理由ではない)
鳥には臼歯がなく、種子の大半はそのまま消化器官を通り抜ける。鳥が糞をすると、これまでとは違う場所に発芽可能な種子を播いていくことになる。鳥にとってもトウガラシにとっても都合のよい状況である。(177頁)
植物もそうであるように、動物も視覚・聴覚・触覚・味覚のセンサーで生きているのだが、それでも獲物を捕捉する為に
ガラガラヘビはピット器官で赤外線を感知できる。(189頁)
赤外線が出ているものが見えるので、それで「獲物だ!」と思って喰いつく。
山火事が起これば大半の動物は逃げ出すが、北アメリカに生息するタマムシの仲間−中略−
は火事に引き寄せられる。−中略−
このタマムシは火災が収まるとすぐにやって来て、まだ心地よく暖かい灰の中で交尾をするのだ。そしてメスは、焼けたばかりのマツの焦げた樹皮の下に卵を産み付ける。翌年の夏に幼虫が孵ると、その焦げた木を餌にできる(生きているマツの木は幼虫に食べられないような化学物質を出している)。(192頁)
1925年8月にカリフォルニアのセントラルバレーにあるコーリンガの町の近郊で起こったものだろう。石油タンクで大火災が発生し、非常に多くのタマムシが飛来した。−中略−
タマムシは約130キロ離れたシエラネバダ山地の西麓から飛来したと考えられる。(192頁)
(番組では山火事のマツに飛んできたように説明したが、本によると上記のように石油タンクの火災)
植物の毒に関しては動物を絶滅させたりする。
植物が連絡を取り合っているのではないかという仮説が持ち上がっているのだが、アフリカのあるエリアで、ある害虫が大量発生した。
そうすると草原の草なんて丸裸にされると怯えていたのだが、これが一昼夜で全滅した。
何でかといったら、大量発生が始まると同時に植物が防衛体制に入って殺す毒をスタンバイした。
それで喰った後、もうすぐにダメになってしまって。
普段食べている野菜も皆、毒を持っている。
キャベツだって大根だって毒を出している。
それを炒めたり、煮たり焼いたりするものだから。
それと畑で作るというのを見ているようで、その情報が入ると毒を低めに抑えたりする。
それと繰り返すが、人間のスタートというのは東アフリカで立ち上がったサル。
その草原のサルが立ち上がって歩くことを覚えるのだが、二足歩行の次にやったのが脱毛。
何で人間は命を懸けてまで脱毛をしたか?
それは恐らく、皮膚の感覚というのを視覚・聴覚・味覚それ以外に「もう一つないと生きていけねぇや」と思ったヤツが毛を抜こうと思ったのだろう。
その触覚の重大さは何を人間に一番最初に芽生えさせたかというと、好きな人が触ってくれると気持ちがいいという。
非常に性に近い快感。
或いは母親が子を抱きしめる安心感みたいなものを。
考えてみたら人間は「この人の愛情が本当かどうか」と言葉でも見た目でも発見できない。
ただ一つ発見できるのは皮膚。
そうやって考えると尊いもの。
ちょっと用語が出てこないのだが、オンラインとかというのがあまりよい会議の方法ではないというのは肌が無いから。
これはまたネタを来週もやるが、武田先生は何遍考えても大谷や羽生結弦、佐々木朗希、菊池雄星、それからバスケットの八村塁。
ああいう人達は日本に於いて皮膚感覚を研いだから本場に行っても全然負けないという才能を開花させたのではないかなという気がする。
武田先生の説は意外と否定されてしまったのだが、何かこだわっていて、別の本に乗り移ってもう一回だけ。
だがこのデイヴィッド・リンデンさんの本も面白かったのでまだ来週も続けたいというふうに思っている。