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2023年09月06日

神戸屋 安納芋&バニラフランス

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安納芋&バニラフランス | YKベーキングカンパニー
安納芋味クリームとバニラ味クリームをダブルでサンドしたフランスロールです。

発売日不明。
フジスーパーで99円(税別)で購入。
内容量1個。
1個当りエネルギー308kcal。
フランスシリーズ。

袋に「期間限定」と書いてあるし、見たことがない商品だったから新発売だろうと思って買ったが違ったな。
先月ぐらいに発売になった模様。

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最近のパンとしては、比較的大きさがある方じゃないかと思う。

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普通の菓子パンよりも柔らかい感じの生地。
バニラ味クリームはバニラだな〜って感じに優しい甘さだし、安納芋味クリームも芋の風味がして美味しい。
クリームが結構端まで入っているし、甘さのバランスがいいんだと思うけれども、甘ったるくなくて美味しいパンだと思う。

焼き芋 冷凍 安納芋 2kg(500g×4袋) やきいも <電子レンジ対応袋入> 九州産 天然スイーツ



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セイコーマート ガラナサワー 350ml

エスポットに行ったら、業務スーパーのコーナーになぜかセイコーマートのガラナサワーとやらが唐突に置いてあった。
別段北海道フェア的な感じでもなく。
で、一本買ったんだけど、その後でフジスーパーにも同じものが売っていて、エスポットはかながわPayの還元率が10%でフジスーパーは20%だからフジスーパーで買えばよかったな〜って若干後悔。
エスポットでは157円(税別)だったが、フジスーパーも同じぐらいだった気がする。

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Secoma ガラナサワー 350ml 24本入 - セイコーマート公式通販
北海道のソウルドリンク「ガラナ」味のサワー。ガラナ独特の甘み・苦み・香りがクセになる。ガラナエキス・カフェイン配合。

アルコールが4%だからか、若干苦く感じた。
ガラナの味自体は薄いな。
キリンのガラナみたいな独特の甘い風味が全然しなくて、薄いコーラサワーみたいな味。

セイコーマート チューハイ ガラナサワー 350ml 24本入 350缶



posted by ひと at 18:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年6月12〜21日◆タッチT(後編)

これの続きです。

「触れることの科学」(著者は)デイヴィッド・リンデン博士。
この人間の皮膚、肌。
そこに様々な仕掛けがあって、その仕掛けを語っている。
今週、タッチはタッチでも「痛み」というのを少し。

 痛みを痛みとして登録する単一の脳領域というものは存在しない。痛みの知覚は脳の各所に分散している。(212頁)

この痛みには必ず感情が伴う。
感情と認知反応。
「不快である」という表情が作られる。
不快は出る。
これはもう人間の自動装置。

痛みの感覚と、「自分は安全なのか、危ないのか」「この痛みは予想通りか、意外だったか」「この痛みでこれからどうなるのか」といった状況についての情報が、ここで統合される。(213頁)

痛みという情報を感覚と感情を散りばめるという。
朝から何だが、いろんな脳の部分がちょこっとずつ関係して「痛い」というのを感じるのだが、感情が痛みには付いてくる。
混乱する。
それでよく考えると快感なのに、痛みと勘違いをしてしまう。
このへん本当に青少年には大人っぽい話で申し訳ない。
もの凄い性的な快感と激痛は同じ表情になってしまう。
人間は面白い。
これはどういうことかというと、いろんな脳の部分が参加するもので、ズバリ言うと色をいっぱい混ぜるとくすんだ色になるのと同じで、
性的快感と痛みというのを同じ表情にしてしまうそうだ。
快と不快というのはそれ故に似た表情になる。
この痛みというのはもの凄く不思議な部分があってまだしっかり解明されていない。
その不思議な痛みの中によくこの番組でも取り上げるが「幻肢痛」がある。

手や足を切断した人の約6割が、失った手足が痛むような慢性痛を経験するのだ。−中略−この現象が見つかった当初は、切断面の神経の損傷から生じる痛みだと考えられたが、手術をやり直しても、切断箇所に局部麻酔をしても痛みは消えなかった。(220頁)

脳が受け取る情報を勘違いして痛みとして本人に伝えている。
だから無い箇所なのにそこが痛むという。
心理的な痛みというのは、やはり肉体の痛みとして感じるそうだ。
心が折れるとかという言い方があるが、それはやはり一種、脳の中で痛みとして。
ショックなことを言われると本当に痛い。
無意識のうちに体が反応して「悲鳴を上げろ!」とかそんなことを脳が叫ぶらしい。

痛みに対する神経の発火を増やす「オン細胞」と発火を抑える「オフ細胞」がある。(225頁)

脳は脊髄後角にある痛み伝達ニューロンに対して、「もっと大きな声で」とか「黙って! 痛み情報のボリュームは下げろ」といった信号を送ることができるということである。(224頁)

 ケシの実から採れるアヘンと、そこから作られるモルヒネなどの薬物が痛みを抑える性質を持つことは、シュメール(現在のイラク南部)で遅くとも紀元前3400年には知られていた。−中略−
 モルヒネは、脳内に自然に存在するエンドルフィンやエンケファリンというオピオイド(アヘン様物質)と同じように働くことで作用する。
−中略−オン細胞が抑制されて、強力な痛覚消失作用が得られる。(227頁)

モルヒネそのものが消えてしまうと痛みはまた復活するというワケだが、痛みは不思議なもの。

触れること、タッチ、皮膚感覚の不思議を説いている。
何月だったか、4月、5月に入っていたか、WBCの戦いっぷりを栗山監督が語っておられた。
裏話を聞いても面白い。
その中で面白かったのは、日本の選手の中で滑り込みセーフで小指を折った選手がおられて、怪我をしているのだが全く痛みを感じない。
ヌートバーも足か何かをやったし、デッドボールも浴びている。
それで何かの時に体調に異変があったので栗山監督がヌートバーに対してだが「次の試合、休むか?」と言ったらしい。
そうしたらあの温厚なヌートバーがもう暴れんばかりに怒った。
「誰がわざわざ日本まで来たんですか!試合やりたいから来たんですよ!痛いなんて言ってる場合じゃない」
よくスポーツ選手が「痛いなんて言ってる場合じゃない」と言うが、そういうのはあり得るようだ。

 イラク戦争中の2003年、アメリカ陸軍実戦部隊の衛生兵ドウェイン・ターナーは、バグダッドの南50キロほどの暫定作戦基地で少人数の部隊とともに補給品の荷下ろしをしていたときに、敵襲を受けた。(221頁)

 ターナーの右足と太ももと腹には手榴弾の破片が刺さっていたが、動きは鈍ることはなく、何度もクルマの陰から飛び出しては、倒れた仲間を安全な場所まで引きずった。その間、2度撃たれ、1回は左足に弾が当たり、1回は右腕の骨が折れた。だがターナーは撃たれたことにほとんど気づかなかったという。(222頁)

誰かに「おい、血が出てるよ」って言われるまで全然分からなかった。−中略−
 ターナーはそのうち出血で倒れてしまうが、
−中略−ターナーの働きがなければ少なくとも12人の命がこの場で失われていたと考えられ、(222〜223頁)

(番組内では出血を指摘されたことにより倒れたように説明しているが本の内容とは異なる)
これが昨日お話したが、脳の中にあるものが痛みをオフにするという。
同じように悲観的な物事の発想とか不安等は痛みを倍加してしまう。
それは痛みの激しさというのは脳が決めるのだ。
神経とかそういうことではなくて、脳が「ダメだ」とかと言うので痛みがグッと増す。
或いは「そんな痛いなんて言ってる場合じゃない!アイツとアイツが倒れてるんだ。助けなきゃ!」とかと思うとスッと低くなってしまう。
だからなのだが、ふと思ったのだが時代劇で首を斬る。
それからギロチン。
考えてみると本人は全く痛みを感じない。
「感じるところ」が無くなってしまうから。
「でもそれ本人に訊いてみないとわからない」と思う水谷譲。
だがそれを訴えた死人はいないという。
死んでしまっているから。
脳が感じている痛みなので、脳さえ無くなれば死を通過できるという。
それからもう一つだが、心が痛みを決定するということに気づいた宗教が「禅」。
座禅、禅宗。
禅宗は痛みの解釈の仕方が違って、心を決定すれば痛みを制御できる、オン/オフできるという。
お坊さんが暑さを感じないという名言を残した。
「心頭を滅却すれば火も亦涼し」
火が涼しいのだから。
オン/オフを決定するのは脳なのだ。
そのことに気づいたのが禅宗で、禅宗は脳の中にあるオン/オフの操作の仕方を教える、練習するという。
痛みに向かう感情を認知を動かして痛みの脅威と不安を小さくする心理術。
それが実は禅宗ではないか。
宮本武蔵には沢庵和尚というのが出てきて、モンゴルを撃退した北条時宗。
彼もそうだが、ピンチになると静かに座禅していたという。
その禅の瞑想法でオン/オフというのを自分の力でおやりになるという。
そういうのが可能らしい。
訓練しなくてはいけない。
「歳とともにそういうのが芽生えるのかな」「悟りができるのかな?」と思ったら、自分もすっかりジジイになったが何も芽生えない。
悟りも何もない。
バタバタバタバタ・・・
「座禅をしよう」と思う武田先生。

一番最初、目標は凄く大きかったのだが、「性的快感は苦痛」とかだんだんそっちの方に話が下ってきてしまって。
痛みを感じるということがとても不思議な皮膚・肌の内側にある神経らしいのだが、まだよくわかっていないらしい。
その痛みに関して最も謎だと言われているのが「痒い」。
痒いなんて各段「凄い!不思議だ!」なんて自分で掻いたことはないのだが。
どこが痒いかわからないことがある水谷譲。
「ここじゃない」みたいな。
だが、当たった場合「そこそこ!」なんていう。
痒みは凄く変わった、皮膚にしか起きない不思議な現象らしい。
最初、「痒みというのは小さな痛みではないか」と言われていたのだが、痛みと痒みは違う。
痒みの不思議なところは掻けば気持ちがい。
お母さんから注意を受ける。
「掻いちゃダメ!掻いちゃダメ!」というのはもの凄い難題。
「掻くと痛くなるから」「広がっちゃうよ」とかと言われるのだが。
掻くと気持ちがいい。
掻くと気持ちがいい痛みなどこの世の中には存在しない。
だから「痒み」というのは独特。
痒みはどうも異質の触覚、タッチの感覚だという。
痛みとどこが違うか?

痛みは、皮膚、−中略−内臓と、全身で感じられるが、痒みが感じられるのは皮膚(242頁)

「なんかちょっと俺、大腸痒くって」とかと・・・ない。
痒みは特化した神経線維を持つ。
痒みは痒みだけを感じる為のセンサーが皮膚の中にあるのであろうか。
ではなぜ、掻きたくなるのか?
実験で最も快感を感じるのが背中。
何で掻くかといえば、皮膚に小さな虫が這っているという想定の行為。
その虫を払い落しているというのが掻くという行動。
これは痒いという触感が掻くことで小さな痛みを感じ、やはり掻くと痛い。
その小さな痛みを優先的に脳に送るので、その間は痒いという触感が消える。

 ヘロインやオキシコドンなどオピオイド(アヘン様物質)が強い痒みの発作を引き起こすことはよく知られている。(251頁)

どうもこれは脳内の快楽物質エンドルフィンの放出が誤作動で皮膚に痒みとして。
武田先生も先生シリーズをやっている時に覚醒剤をやった。
(「3年B組金八先生」第7シリーズを指していると思われる)
結構大変で。
遠い思い出だが、専門家の方に来てもらって指導してもらった。
幻覚というのはどういうものになるかとか。
その人のアドバイスの中に「体掻きますよ」。
それでよく覚えている。
ヘロイン系をやって後悔なさって今、それを辞める為に一生懸命施設に通いながらという方が指導に来てくださって。
「痒くなっちゃうんですよ」という。
だが「皮膚」、日本語ではもう一つ「肌」という言い方があるが、サルだった時、「もう俺は毛、いらないから皮膚でいこう」と思って毛を抜くのだが、よくもまあ抜いた。
本当にそれは生き物として一か八かの選択。
残す所は残して。
皮膚という感覚を磨き上げて、皮膚感覚で相手の思いを感じたりするという。
皮膚感覚、タッチというのは面白い。
人と人の接触によって私達の社会生活は保たれている。
皮膚と脳の間には感覚だけではなくて自律神経は感情的無意識まで皮膚で感じることができる。
この触感を鋭くする為に人は全身の毛を脱ぎ捨てたのである、と。

携帯電話使用者の68%が、着信がないのに携帯のバイブを感じることがあると回答した。(278頁)

それは「誰からか連絡ないかな」と思うと震えたような気がする。
現代では人間は幻の着信バイブを感じる。
皮膚で感じることが現代では少ないものだから、見ること、聞くことに大きく感覚は今、傾いているが、見ることと聞くことに特化すると悪さするヤツが出てきますよ。
老人を騙す詐欺なんか見てごらんなさい。
見ることと聞くことを利用して老人を騙す。
「そこにもう一つ皆さん、皮膚で相手を感じるとか思いを知るという習慣を持ちましょう。皮膚というのは素晴らしい感性なんですよ」という。
このことを繰り返してデイヴィッド・リンデン博士は触れることの科学を締めておられるが、今回のタッチに関してはこれでもうネタがお終い。
余った分は面白い話をするので請うご期待。

(この週は残りはタイトルを「エクストラ」と変更し、本とは無関係な短い話で構成している。それらはここでは割愛)

2023年6月12〜21日◆タッチT(前編)

(「タッチ」という同一のタイトルの回があるので、区別する為に便宜上こちらを「タッチT」、もう一方を「タッチU」としておく)
(番組冒頭で「ミトロジー」の時に「明和電機」を「昭和電機」と言い間違えた件を訂正)

ニュースバラエティ番組に出ていて、政治のこともわからないのに出てものを言ってしまうと反感も買うのだが、いろんなところに顔を出して世間の風を浴びていないとタレントとしての皮膚感覚が弱くなるような気がする武田先生。
「さらされる」というようなつもりでその手の番組も出ている。
そのニュースバラエディ番組に出演した折のこと、司会は東野幸治さん。
その横には兼近(大樹)君がいて、そして更に横にはカンニング竹山さんがいるという。
この時にも話が出た2月19日放送のフジテレビ系「ワイドナショー」を指していると思われる)
その日のゲストがこれがまた凄い。
格闘技ファンだったら胸が高鳴るだろうが、那須川天心さん。
少年の頃から極真空手で日本一になり、その後キックボクシングから総合格闘技、そして遂にボクシングで注目のスーパーバンタム級に挑むという格闘技に生きてきた方。
ただ、面白いことにこの方は威圧するようなオーラではない。
静かな青年。
顔の色艶の非常にいい方で、実に繊細な皮膚というか肌をしておられる。
武田先生がその番組の中で「那須川天心さんみたいな格闘技の天才は一体何故に天才になられたのか」というを司会の東野さんから振られたので「肌だ」と持論を。
この番組でおなじみの武田の持論を展開したが、東野さんからはたった一言「長いばっかりで意味わからへん」と言われて。
テレビのコメンテーターというのはそんなもの。
十秒以内で意味がわからないと・・・
だからラジオは本当に有難く思っている。
それで簡単に否定されたのだが、武田先生の胸の中には「違う!東野君、君は間違っとるよ」と。
「昨今の若い人達の活躍ぶり。大谷翔平、羽生結弦、佐々木朗希等々よく見てごらん。みんな北の人で皮膚が敏感そうだ。彼等の才能の素晴らしさは皮膚から、肌から来た才能だ」ということを言いたかった。
自説を裏付けるが如く、またそこから本屋さんに入って選んだ本がデイヴィッド・リンデンさんがお書きになった「触れることの科学」。
「タッチ」「触ること」を科学しよう。

触れることの科学 なぜ感じるのか どう感じるのか (河出文庫)



(この本は単行本と文庫本が発行されているのだが、番組内ではどちらとも言及していないので、ここでは全て文庫本のページ数で表記する)

人を見ての第一印象で「温かい人」「冷たい人」と、こういう表現をする。
これは洋の東西を問わず、「優しい」とか「謙虚」とか「寛容」とかと言わずに「温かい人」と言う。
それから客観的な人、こういう人達に対してはいい意味でも悪い意味でも「冷たい人」。
これは考えてみれば皮膚の出来事をその人の性格にあてはめているワケで。

 有意な結果として、ホットコーヒーを手に取った被験者は、冷たいコーヒーを手渡された被験者よりも、架空の人物を温かい人−中略−と知覚した。(27頁)

重いクリップボードを渡された人のほうが、求職者を有意に高く評価し、−中略−重いクリップボードという触覚経験が無意識のうちに働いて(28頁)

自分が持っている「皮膚感覚」で世界を見るという
生き物の本能が人間の皮膚、或いは肌の中にあるようだ。
(マイク・)トラウトという(ロサンゼルス・)エンゼルスの選手。
ごつい顔をして。
一番最後、WBCで(大谷翔平と)対決した時に。
あれは同じチームの人。
だがやはり大谷さんが温かそうでトラウトはクール。
トラウトは凄くいい人らしい。
後で聞いた裏話だがWBC、日米対決の決勝戦の時に、どこかの選手が大谷君の通訳の人に選手が頼んだようだ。
「俺、トラウトのファンなんだ」「明日試合なんだけどサイン貰えないかな?ボールに」
トラウトは温かい人。
大谷君の通訳の人がトラウトのところに行った。
「日本の選手の中にアンタの大ファンがいて、サインが欲しいって言ってるんだ」と言ったらトラウトが「いいよいいよ」と引き受けてくれて日本の選手全員に新しいボールを降ろして、全部サインをしてくれた。
そして「皆にあげて」と言った。
いい人。
「ヤッター!」とかと皆喜んだ。
大谷君がそれを見ていた。
それで決勝の朝になった時に「今日だけは憧れるのをやめましょう。憧れていると僕達は超えられません」。
そのシーンがあってのあの一言。
栗山監督から聞いた。
こうやって考えるとトラウトが温かくて大谷君がクール。
「今日一日だけ憧れるのはやめましょう。憧れていると超えられませんよ」というのはクールな人じゃないと言えない。
こんなふうにして「タッチ」「触ってみなければ人間はわからない」という今週。

(番組の冒頭で防犯アプリ Digi Policeが紹介され、その流れでスマートホンの話が少し続いたが割愛)
タッチ。
世の中は本当にワンタッチでコロリと犯罪に巻き込まれたり、新しい情報が手に入ったり、素敵な人と出会ったりするという。
もう指先の世界になった。
人間にとって「タッチ」「触れ合う」というのは実に微妙なもの
母子関係、お母さんとの間で触れ合いの多い環境に育つと穏やかになる。
これはネズミの実験でもわかる。
ところがこれが本当に不思議なところで、野生のネズミなんかで試してみると、お母さんとの触れ合いが少ないヤツの方がタフ。
社会に出た時に頑張って生き抜く力が。
皮膚というのは実に複雑な思考の機関、考えごとをする機関である。
しかも触覚による接触は感情に満ち満ち溢れている。
親友が肩を抱いてくれると友情を感じ、威圧的な人が肩を抱くと恐怖を感じるという。
これを研究したところがこの人は偉い。

公共の場での身体的接触に関して、文化的な影響が大きいことは言うまでもない。−中略−世界中のコーヒーショップで会話をする人々を観察した。−中略−プエルトリコのサンフアンでは2人の間の身体的接触が1時間に平均180回と最も多く、パリでは110回、フロリダ州ゲインズウィルでは2回(55頁)

(回数が明記されているのはコーヒーショップでの調査だが、番組では回数が明記されていない空港のラウンジでの調査と混同している。番組内で「日本での接触回数ゼロ」と言っているが、そういった記述は本の中にはない)
日本は特にバウ(おじぎ)のみ。
このカリブ海周辺は180回触り合うという。
これはある意味では日本人が接触によるコミュニケーションというのをもの凄く重大視しているところがあって、男女でも手と手を握り合っただけで大量の感情が伝わるという。
これは「面白いもの見たな」と思ったのだが、また話を大谷君に戻す。
大谷君はやはり接触に関して敏感。
5月だったか、大谷君がホーム球場に敵を迎えての試合でヒットを打つ。
一塁に出た後、大谷君は一塁から二塁へ盗塁する。
その時にキャッチャーが「行かせてたまるか」と送球した。
大谷君は頭から滑り込む。
セーフ!
それで二塁選手の靴を見たら自分が飛ばした砂埃が乗っていた。
それであの青年は手で払った。
そうしたらやられた選手が恐縮してしまって「いいよいいよ」と言いながら「起き上がってくれ」と。
それで目撃していた観客から大喝采が起きる。
接触に関して大谷君はもの凄く反応する。
大谷が打ったファウルがある。
それを小さい子供が取る。
取った後、子供がボールを握りしめてお父さんに抱き着く。
周りが一斉に拍手を送る。
その時に大谷が遠くから見ている。
そのまなざしが優しい、という。

皮膚感覚から世界を見てみましょう。
皮膚に埋め込まれているセンサー。
ここにまずは注目しましょう。
皆さん、よくできてると思いませんか。
日常何気ないしぐさを見ましょう。
コンビニに買い物に行く。
125円足りない。
その時にポケットに指をツッコんで「100円」「20円」「5円」を指先で感じて取り出すことが可能。
それができる機械なんて相当お金を出さないと作れないワケで、私達の指先にはその100円、10円玉2枚、そして5円玉1枚、それを指先のセンサーで感じ取ることができるという。
このへんは、本当に皮膚の感覚がいかに上手くできているか。

ではその感覚はどんな感覚か?

 メルケル盤は唇と指先の皮膚に非常に高密度で存在する。−中略−メルケル盤はごく小さな力にも敏感で、皮膚が0.05ミリほど押し込まれただけで反応する。(68頁)

唇は敏感。
だからキスをする。
どうしても口と口じゃないとダメという。
このへんが「タッチ」「触ること」の感情が伝わることの素晴らしさ。
そのほかにもまだまだタッチは深い。

その他にもマイスナー小体と呼ばれる神経があって、これは小さな震えを感じることができる。

 指先のマイスナー小体は、−中略−メルケル盤よりも皮膚表面に近い。そのため、マイスナー小体は物体の微妙な肌触りや細かい形や曲がり方などの情報を得るためにあると想像されるかもしれない。(70頁)

何が言いたいかというとピアノ。
ピアノのタッチを決めるのはこのセンサー。
その他にもパチニ小体というウチワのような形をしたセンサーがある。

微小な震動にきわめて敏感である。(73頁)

地震なんかを感知するのが、このパチニ小体。
更にシャベルを持って地面を掘っている。
ずっと掘っていって大きい石に当たったりなんかして「あ!石だ」と感じるのも実はこのパチニ小体。
それぞれの感覚器がタッチの中から選り分けてゆく。

離れたものの触覚情報を解釈する力は練習を積むほど向上する。その結果、バイオリニストの弓や、外科医のメスや、機械工のレンチや、彫刻家のノミは、事実上、身体の感覚器の延長となる。(74頁)

4番目の仕組みとしてルフィニ終末が登場する。皮膚の横方向の引っ張りの感知に関わる仕組みだ。(76頁)

この四つが「何なのか」というのを分類する。
当たり前のように感じているが、それが一個でも欠けると感じなくなる。
切なくなるが歳を取ると衰えてくる。
若い娘なんていうのはちょっと後ろから触っただけで「あ!もう!」とかと言う。
それが歳を取ると、触る「何?」。
それは気持ちの問題かも知れない。
感情が入ってしまっているのかも知れない。

 脳の中の触覚の世界というのは、−中略−判断をすること、記憶を形成すること、あるいは行為を始めることである。(102頁)

 プロやセミプロの弦楽器奏者で、−中略−バイオリンやビオラやチェロを弾いている人を見れば、そのことはよく分かる。このような楽器では、左手の指は常に弦を押さえ、ビブラートを生み出している。−中略−弓を持つ右手は、個々の指の動きも、触覚的フィードバックも、左手ほど大きくない。−中略−
 このような弦楽器奏者の脳をスキャンして1次体性感覚野の手に対応する部分の面積を測定してみると、左手の指が右手の指に比べて約1.8倍あることが分かった
(103頁)

こういう変化は後天的につくられるそうだ。

 人は誰でも成人の期間を通じて、ゆっくりと接触の喪失を経験する。というのは、20歳から80歳にかけて、メルケル盤とマイスナー小体の密度が3分の1に減っていくからだ(105頁)

メルケル盤とマイスナー小体から神経線維を伝って脳に送られるスパイクの速度は、若い頃は時速240キロほどだが、歳を取ると時速180キロほどに落ちる。(106頁)

可塑性が消えることはない。脳は生涯を通じて経験により変わり続ける。(107頁)

触覚は男と女でも差があり、

女性は男性よりも平均0.2ミリ狭い感覚の溝を識別できた。(107頁)

女の人の方が敏感
感覚のセンサー、識別するセンサーが女性の方が優秀だという。
(本によると性差とは無関係に指先の面積と相関関係が見られた)
これらが四つセンサーがあるのだが、皮膚の表面にびっしり。
その下の方に、もの凄く重要なセンサーがある。

C触覚繊維と呼ばれるその神経は、人と人との接触に特化した、いわば愛撫のセンサーなのである。(116頁)

C繊維を伝わる電気信号は遅い。時速3.2キロほどだから、人がぶらぶらと歩く程度だ。(115頁)

 C繊維は長い間、痛みと温度と炎症の情報だけを伝える神経だと考えられてきた(痛みといっても、−中略−ひりひり、ずきずきするといった、気持ちにのしかかるような鈍い痛みだ)(116頁)

もう一つ重大なのが「愛撫」。
これはとても感情的な触覚で。
このC触覚繊維で感じると触られることによって情報、相手の気持ちを感じ取る。
ただし、鈍感にできているからパッと反応しない。
おそらくこのC触覚は母と子の関係に於いて発達したようで、お母さんというのは赤ちゃんを抱きしめるといつもゆっくりさすっている、愛撫している。
これが信頼の基本になる。
この触れ合いだけで反応し、同じ感情を共有できるという。
だからお母さんから背中を撫でられている子を見ると他の子も「あんなふうにして欲しいなとかという欲求が沸き起こる。
そして当然のごとくだが、これは性の為のセンサーでもある。
性の時はゆっくりお互いの体を撫で合うというのは愛撫としてとても重要。
性の快感を感じるセンサーでもある。

昨日お話したのはC触覚繊維。
これは皮膚のやや奥の方にあるセンサーなのだが、「愛撫のセンサー」と言われていて、お母さんがゆっくり赤ちゃんの背中を撫でたりするとほっとするという。
「痛いの痛いの飛んでけ」なんて。
男女というのはまたお互いの体を撫で合う。
その時には何が目覚めるかというとこのC触覚繊維が目覚めている。
この本の著者、デイヴィッド・リンデンさんは、ここに相当力を置いていて、性行為についてずっと説明する。
「何でそれは気持ちがいいか」とか。
それは朝から話しにくい。
だから大幅カット。
面白いのだが、この人はもの凄い頑張り屋なので事細かに「こっち側じゃなくて、そっち側やると絶対気持ちいい。だってC触覚繊維いっぱいあるもん」とかと言うのだが。
だが、もうお爺さんはあまり使わない。
若い時は無我夢中で読んでいたと思うが。

凄い展開がある。
持論を展開なさるのだが飛ばす。
その次の面白いところにいってみたいと思う。
味覚。
この表現もまたホット&クール。

トウガラシは「ホット」、ミントは「クール」だろう。(171頁)

ここでもやっぱり寒暖。
クールなミント、ホットなチリ。

ミントと冷たさは、脳の中で冷たい感覚を担う同じ領域を活性化するがゆえに同じように感じられるというシナリオである。(174頁)

皮膚の表皮には、細胞膜の表面にTRPV1というセンサーを持つ自由神経終末がある−中略−このセンサーは1個のタンパク質分子で、熱にもカプサイシンにも反応してイオンチャネルを開く。(174〜175頁)

ゆったりとした温かさを検出できる。
何でゆったりとした温かさかというと、本能的に熱いと手をひっこめる。
ぬくもりはゆったりやらないとダメ。
熱いと思うと本能的に手を引っ込める。
温度差をたちまち皮膚、スキンは見抜くワケだから凄いもの。
まだこの他にも熱、或いは冷たさに別のセンサーが皮膚の中に潜んでいるようであるが、これはまだわかっていない。
だが、間違いなく言えることはクール&ホットを感じるセンサーの複雑さは動物のみで起こった現象ではなくて、植物の側からも「私はホット」「いいえクールよ」とかという選別を植物もしたのではないか?
どんなふうにして植物が「よーし!俺はホットになるぞ」「私はクールになるわ」と決めたのかというと、動物の好みがある。
トウガラシが辛くなったのは人間がカプサイシンのランクが大きいものを好む、そういうことでトウガラシが「よし!僕はもっと辛いトウガラシになろう」と思ったらしい。
人間の感覚にトウガラシが合わせてくる。
何でかというと栽培してもらえるから。
ミントもそう。
なぜ植物由来の物質を熱として感じるのか?或いは冷として感じるのか?
実は植物の方が好みに合わせようと進化している可能性がある。
この面白いのは鳥は平気でトウガラシを喰う。

鳥類はカプサイシンを感じることがなく、この物質が餌に交じっていてもまるで気に留めない(177頁)

何でかというと鳥はトウガラシを噛む歯がない。
鳥は噛み砕けないのでそのままでOK。
(鳥が辛く感じないのは、もちろんそういう理由ではない)

鳥には臼歯がなく、種子の大半はそのまま消化器官を通り抜ける。鳥が糞をすると、これまでとは違う場所に発芽可能な種子を播いていくことになる。鳥にとってもトウガラシにとっても都合のよい状況である。(177頁)

植物もそうであるように、動物も視覚・聴覚・触覚・味覚のセンサーで生きているのだが、それでも獲物を捕捉する為に

ガラガラヘビはピット器官で赤外線を感知できる。(189頁)

赤外線が出ているものが見えるので、それで「獲物だ!」と思って喰いつく。

山火事が起これば大半の動物は逃げ出すが、北アメリカに生息するタマムシの仲間−中略−は火事に引き寄せられる。−中略−このタマムシは火災が収まるとすぐにやって来て、まだ心地よく暖かい灰の中で交尾をするのだ。そしてメスは、焼けたばかりのマツの焦げた樹皮の下に卵を産み付ける。翌年の夏に幼虫が孵ると、その焦げた木を餌にできる(生きているマツの木は幼虫に食べられないような化学物質を出している)。(192頁)

1925年8月にカリフォルニアのセントラルバレーにあるコーリンガの町の近郊で起こったものだろう。石油タンクで大火災が発生し、非常に多くのタマムシが飛来した。−中略−タマムシは約130キロ離れたシエラネバダ山地の西麓から飛来したと考えられる。(192頁)

(番組では山火事のマツに飛んできたように説明したが、本によると上記のように石油タンクの火災)
植物の毒に関しては動物を絶滅させたりする。
植物が連絡を取り合っているのではないかという仮説が持ち上がっているのだが、アフリカのあるエリアで、ある害虫が大量発生した。
そうすると草原の草なんて丸裸にされると怯えていたのだが、これが一昼夜で全滅した。
何でかといったら、大量発生が始まると同時に植物が防衛体制に入って殺す毒をスタンバイした。
それで喰った後、もうすぐにダメになってしまって。
普段食べている野菜も皆、毒を持っている。
キャベツだって大根だって毒を出している。
それを炒めたり、煮たり焼いたりするものだから。
それと畑で作るというのを見ているようで、その情報が入ると毒を低めに抑えたりする。
それと繰り返すが、人間のスタートというのは東アフリカで立ち上がったサル。
その草原のサルが立ち上がって歩くことを覚えるのだが、二足歩行の次にやったのが脱毛。
何で人間は命を懸けてまで脱毛をしたか?
それは恐らく、皮膚の感覚というのを視覚・聴覚・味覚それ以外に「もう一つないと生きていけねぇや」と思ったヤツが毛を抜こうと思ったのだろう。
その触覚の重大さは何を人間に一番最初に芽生えさせたかというと、好きな人が触ってくれると気持ちがいいという。
非常に性に近い快感。
或いは母親が子を抱きしめる安心感みたいなものを。
考えてみたら人間は「この人の愛情が本当かどうか」と言葉でも見た目でも発見できない。
ただ一つ発見できるのは皮膚。
そうやって考えると尊いもの。
ちょっと用語が出てこないのだが、オンラインとかというのがあまりよい会議の方法ではないというのは肌が無いから。
これはまたネタを来週もやるが、武田先生は何遍考えても大谷や羽生結弦、佐々木朗希、菊池雄星、それからバスケットの八村塁。
ああいう人達は日本に於いて皮膚感覚を研いだから本場に行っても全然負けないという才能を開花させたのではないかなという気がする。
武田先生の説は意外と否定されてしまったのだが、何かこだわっていて、別の本に乗り移ってもう一回だけ。
だがこのデイヴィッド・リンデンさんの本も面白かったのでまだ来週も続けたいというふうに思っている。