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2023年09月23日

ルッコラだけ発芽

9月17日に植えた水栽培のレタスとルッコラ。
昨日の夜に確認した時には全く変化がなく。
これは全滅?なんて思っていたのだが、今朝見たらルッコラが一本生えてきていた。

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他は沈黙な感じなのだけれども、容器のフチの方を見たら何やらカビっぽいものが見える。
ラップをかぶせているのもあって中がシケシケだったんだよな。
タネがカビちゃっているかも知れず。
とりあえず容器の中を洗浄し、水を交換。
で、ラップをかぶせないと部屋が湿気るしアブラムシが発生しても嫌だしとは思ったのだが、虫を捕る黄色いベタベタしたやつを立ててアブラムシ対策とし、湿気は諦めることにして、しばらくラップをかぶせないで置いてみることに。

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トップバリュ メープルのケーキ

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メープルのケーキ -イオンのプライベートブランド TOPVALU(トップバリュ) - イオンのプライベートブランド TOPVALU(トップバリュ)
メープルシロップのまろやかな甘味が楽しめるケーキ

9月13日発売。
本体価格98円(税込価格105.84円)。
内容量1個。
1個(50g)当たりエネルギー218kcal 。
製造所丸中製菓株式会社 。

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結構小さかったので一瞬買うのを躊躇したが、まあ5%引きの日だしなってことで買ってみた。
実際、これ一個だと足りない感じはしないでもない。
袋から出すとメープルだなっていう香り。
もっとパサついた感じかと思ったら、すごくしっとりというかねっちょりというか。
「まろやか」って表現なのかな。
甘いけれども、そんなにくどい感じもしなくて柔らかくて食べやすいケーキだと思う。

メープルプチケーキ 約700g (50個入) 12997



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2022年12月12〜23日◆冬支度・老い支度(後編)

これの続きです。

スウェーデンのストックホルムの精神科医であるアンデシュ・ハンセンさんがお書きになった「運動脳」。

運動脳



これを三枚おろしにかけている。
その前は「70歳が老化の分かれ道」詩想社新書、和田秀樹先生。
もう大注目の心の病の先生。
この両方の本とも、さすがお医者さんだけあって言っていることは同じ。
和田先生はザックリという感じだが、ハンセンさんはちょっと専門的。
人間の脳の方から考えておられる。
前頭葉、物事を考えたり出来事を比べたりする考え事の前頭葉。

 前頭葉や前頭前皮質など、ストレスを抑える脳の部位は、最後に完成する。−中略−25歳ぐらいになるまで完成しない。いっぽう扁桃体のようなストレスを生み出す部位は、17歳ぐらいでほぼ完成する。(88頁)

扁桃体を切除されたサルたちには、恐怖を感じたり警戒したりする様子がまったく見られなかった。
 それどころか、興味津々でヘビをつかんで振りまわし、おもちゃにしてあそんだのである。
(92頁)

この扁桃体が過剰に働き過ぎるとカッとなって闘い方を忘れて「相手の耳かじっちゃった」みたいなことをしでかしてしまうという。
とにかく脳というものは扁桃体・海馬・前頭葉この三者で共通の仕事をしており、ストレス、不安を耐えつつ生存の為にバランスをとる。
余りにも扁桃体にストレスがかかり過ぎると海馬も前頭葉もコルチゾールという脳内ホルモンが出て、縮みあがってしまって失敗を繰り返す。
だからあんまり叱られ過ぎるとかえって同じ失敗をするというのはこのこと。
このへん、叱る方も是非気を付けていただきたい。
叱られ続けるということは脳の萎縮を招くらしくて、認知機能に大きな影響を与えて、認知機能の衰えを早めてしまう引き金になる。
物は言いようなので、なにとぞ優しくご指導のほどを。
このコルチゾールというストレス濃度にブレーキを外からかけられる術。
それがスポーツ。
つまり運動をして動くことしかコルチゾールを減らすというブレーキ役は無い。
ではなぜ運動をするとストレスは減少するのか?
この例えがこの先生の面白いところで、
それはサバンナのサルの時代にまで遡る。
武田先生はこの「サバンナのサル」という言葉が好き。
アフリカの東海岸が草原になる。
その草原の中で森がら出てきたサルは生きなければならない。
だが彼には森が無くなったお陰で身を守る術がない。
牙もなければ爪もない。
ただ遠くを見渡す為にこのサルは立ち上がった。
それで立ち上がったところから進化が始まったという。
これはサバンナで立ち上がったサルの特徴なのだが、100mを数秒で走るケモノにはとてもとてもこのサルは勝てない。
ところが、ここから。
このサバンナで立ち上がったサル。
これは獲物を追いかけ始めると数日間、飲まず喰わずで追いかけることができたという。
このサルの脳の中に側坐核という豆粒代の脳内ホルモンの為の部位があり、追跡にくたびれるとそこから励ましの神経伝達物質が分泌される。
ランニングハイ。
(番組内ではずっと「ランニングハイ」と言っているのでそのまま記述するが、本では「ランナーズハイ」)
くたびれているのだが、スパーッと気持ちよくなる。
ランニングハイという現象なのだが、ドーパミンというのが脳内ホルモンで左右していて、苦痛が彼に逆に集中力を与え、充実感、心地よい達成感を与えてくれる。
だからサバンナで立ち上がったサル
これはドーパミンが出るので気持ちよくなって更に追いかけることができるという。
もうまさに「ランニングハイ」。
苦しければ苦しいほど気持ちよくなるという。
そして人間というのがこのへんから生まれてきたのだろう。
苦痛と快感が結びついてしまうという。
これは凄い特徴。
苦痛であればある程、ドーパミンの分泌量は増えるワケで、草原のサルは運動による苦痛を快感の始まりとした。
サバンナのサルはここから獲物の為だったらどこまでも追いかけて行こうと思ったという。
それがアフリカから歩き出した「旅するサル」に人間を変えたという。
サルを人間にしたという。
このドーパミンは歩くことにより増やせるが、簡単にもっと増やせる方法がある。
それがランニングハイ、走ること。
走るとドーパミンの分泌量が一挙に増える。
(このあたりの説明は本の内容とは異なる)
アンデシュ・ハンセンさんの「運動脳」を三枚におろしているワケだが、このアンデシュ・ハンセンドクターは走ることの素晴らしさを延々と勧め続けるという。
もちろん歩くと健康にいい。
だが「走るともっといい」というのがハンセンさんの言い分。
これは走るとなんでもっといいのかを確かめる為に、いつもの歩いているところを走ってみた。
「走る」と「歩く」。
「何が違うのかな?」と思って。
水谷譲はマラソンが苦手。
疲れるだけ。
歩くのは好き。
だが、「歩く」と「走る」はやはり違う。
これは自分の体で確かめたことで、何でこのハンセンドクターがこんなに勧めるのかと思うと、走るとわかるが歩くよりも注意力が必要になる。
これは自分でやってみたのだが、歩くよりも走ると集中力が必要で、視覚、或いは肌からの情報を取り入れ、解析していかなければ走れない。
「走れない」というのは極端だが、凸凹した野原とか道とか歩道とか全部を交えて走ると思ってください。
そこには傾斜がある。
季節によって路面も変わる。
そうすると歩いているとワリと目線が遠くを見る。
数十m先を見る。
あまり足元を見ない。
これが走ると足元に注意を向けておかないと次の4〜5歩先に何があるかというのを絶えず情報で入れておかないと、けつまづいたり、滑ったり、つんのめったり、高低差でたたらを踏んだり、それが出てくる。
ということは、注意力の鋭さが走りにはある。
その視覚情報、目で見るのは大事。
聴覚も。
車のブーブーの音が後ろから来たら「車、来るな」。
走っていると気になる。
もう一つ武田先生は「これがデカいんじゃないかな」と思う。
皮膚。
走っていると頬とか、夏場の季節のいい頃は腿とかをすり抜けてゆく大気に関して過敏になる。
この皮膚を感じることによって環境の情報を取り入れるということが、凄く人間の考える能力、前頭葉を刺激するのではないだろうか?
サバンナで狩りをするサル達。
それが前頭葉をどんどん膨らませたという。
前頭葉は考えなければならない。
何を考えるか?
獲物をこのまま追い続けるか、ここらへんで諦める。
その為には集中しなければならないので、このあたりで人間の脳が「情報をどう分析するか」の能力が高められた。
このハンセン博士の面白いところは、人間の捉え方がサバンナで立ち上がったサルとして捉えてある。
それでハンセン博士はこんなことを言っている。
現代の子供の中に集中力欠如の発達障害がある。
これは多動性障害と呼ばれる
最近よく話題になる。
これは現代では「発達障害」として扱われているのだが、ハンセン博士は発達障害ではなくて人間が持っていた能力をそのまま維持している人ではないか?という。

私達がADHDの症状だと考える特性、つまり衝動性は多動性は、迅速な決断が必要な活動的な環境で暮らす狩猟民族にとっては有利になるということだ。(153頁)

 歩きまわり、狩りをし、食べ物がなくなれば別の場所に移動するといった生活のなかでは、じっとしていられずに思いつきで行動することが、「行動力があって迅速に判断を下す」ことと同じ意味なのかもしれない。−中略−
 人類の歴史のほとんどで、私たちはそういった環境で暮らしていた。
(154頁)

人間はサバンナで立ち上がったサルの時から、全部同じにならないように一生懸命獲物を追うヤツもいれば、キョロキョロしながら新しい出来事を探すヤツもいるという。
いろんなタイプがいないと群れがキープできなかったという。
こういう発想は面白い。
人間が進歩していく上で必要な人ということ。
様々な能力というのを現代では一方だけしか使わないので。
でも、それは生き物として非常に危険。
「発達障害」と呼ばれているのも実は人間が生き残る為に用意された才能の持ち主であると考えると様々、人間がいるということの面白さがあるような気がする。

 人類は東アフリカを発祥の地とし、10万年かけて地球上に徐々に広がっていった。(154頁)

そのサルの時の記憶を持っているという。
今、その時代と比べて変わったのは定住が基本になっている。
昔は定住がない。
移動する為には様々な人がいなければならなかったという。
それが人類の面白さ。
私達が今、ここにきて肝に銘ずべきことは

私たちの脳は100年経っても1万2000年経っても、さほど大きく変化していない。(31頁)

だからサバンナのサルが爽快になることをやれば、私達も爽快になるという。
サルの如く生きるという。
このアンデシュ・ハンセン博士の言葉の中に「うつ病になって薬物を服用する。そんなことも現代社会ではあるかも知れんが、それだったらば歩いてみること。もっといいのは走ってみること」。
これはなかなか身に堪える。
それでもマラソンはやはり苦手な水谷譲。
どこかで思い切ってちょっと速足で歩き出す。
もの凄いのはダメ。
ちょっと速足でいい。
それで疲れたらすぐ止まる。
武田先生も(走ることは)始めたばかりだから
だが、走ることがいかにいいかどうかは、更に自分の体を使って勉強しながら皆さんにご報告したいと思う。

すべての人の脳は少しずつ縮んでいる。25歳ごろから、1年で約0.5%ずつ小さくなっているのだ。(187頁)

これが65を過ぎ、70を過ぎるとうつ状態が加速する。
これに対抗するのは運動しかない。
運動すると脳細胞が作れる。
これは凄い。
運動をする体は脳を作るそうだ。

 記憶中枢といわれる海馬は、ちょうど親指ほどの大きさで、タツノオトシゴに似た形をしている。海馬も、やはり年齢を重ねるにつれて縮んでいき(210頁)

縮むことが物忘れの元凶。
最近物忘れがとても多くなってきた水谷譲。
眼鏡を失くすのが嫌になる武田先生。
どこに置いたかわからない。
「さっきまでここにあったのに」が見えなくなる。
これはまさしく海馬。
海馬が縮んでいる。
海馬というのは「これちゃんと覚えときますか?」「それともすぐ忘れますか?」それを決定する部位。
「これを覚えとけよ」というとそこから前頭葉に行って記憶になって長期保存される。
「あの男への恨み」とか。
そういうことで記憶される。
海馬はとにかくすぐ忘れるかいつまでも覚えているかを選択するという。

BDNFの仕事は−中略−脳の細胞間のつながりを強化し、学習や記憶の力を高めている(184頁)

水谷譲が前に武田先生を叱りつけたハンガーの架け方。
武田先生はカギ棒のところを手前にしてしまう。
あれは「取り出す時に必ず逆になってしまうのでカギ棒を奥に向けて引っ掛けなさい」。
そんなのは男はわからない。
それと同じで海馬がそう行動するように条件付けしてある。
だから条件付けというのが一種の運動。

何か月か前になるが、そういう番組に出たのであの無念を忘れない。
クイズ番組がキツい。
「脳を鍛える」みたいな。
頭のいい国立に行っている大学生が考えたクイズをやらせる番組がある。
いじわるな二人組のコンビで回している。
あれに出た武田先生。
(「今夜はナゾトレ」を指しているものと思われる)
そうすると出題は歴史と漢字。
ずっと武田先生はトップ。
得意分野。
他のいわゆるお笑い芸人達が次々と転ぶ中、ずっと答え続けて。
武田先生は答えた問題が十問中間違えたのは一問も無かった。
全部当てた。
それにわからない人の時に、武田先生はわかったものだから手を挙げた。
そうしたら司会者の何とかというシワだらけの人(上田晋也を指していると思われる)が「クイズ番組ですよ。クイズ番組で自分がわかるからって手を挙げる人はいませんよ!番組のことも考えてください!」。
ジジイなのでわかると嬉しくて「ハイ!ハイ!ハイ!」。
違う人が答えなければいけないのだが、わかったものだから手を挙げてしまった。
それで最後に認知トレーニングの為の「脳トレ」とかというクイズができなくて。
最下位。
まあ、あのシワだらけの司会者が喜ぶ喜ぶ。
バカにするする。
トップだったのに。
この脳トレが果たして度忘れを防ぐ為のトレーニングになるかどうか。
これはアンデシュ・ハンセンさんが本の中に書いてある。

昨日ちょっと話を引っ張り過ぎたのだが、今、また本屋に行って(クイズ番組に)今度また呼ばれた時の為に番組の勉強をしようと思って。
脳トレの本を出る前に一冊丸ごとやっている。
それでもできない。
脳トレのクイズは難しいと思う水谷譲。
「あじさい」を「朝顔」と言うぐらいのバカ。
その誰かが見ただけで解く。
使っている脳の場所が違うということだと思う。
出される問題の意味がわからない。
問題はそこ。
問題の意味がわからない。
それを十人ぐらいのゲストがいてどんどん解いて、武田先生一人。
一番最後まで残ったのが高畑淳子。
それで向こうへ行ってしまって武田先生一人。
司会者がどれほど武田先生をあざ笑うか。
話はこれではない。
それはそれでしっかり自分で勉強する。

脳トレ関連のコンピュータゲームの売り上げは、年間で100億ドル以上にものぼるという。(244頁)

「コンピュータゲームが本当に脳の認知能力を高めるのか」という問いに答えが出たのである。(245頁)

 その答えは、容赦なく否定的なものだった。コンピュータゲームやアプリが提供する様々な認知トレーニングは、−中略−知能が高くなったり、集中力や創造性が改善されたり、あるいは記憶力が向上したりといった効果はないことがわかったのである(245頁)

本当に番組で叫びたい。
それはできない。
脳を生き生きと使う為には、視床下部という脳の部位があるのだが、情報のフィルターを強靭にして前頭葉に送るという。
脳が考え事をする時は、星座をつくるみたいに、何か一つ思いついたら、それが次々に結びついていって「ヒシャクの形をしている」という、そういう記憶で残ってゆく。
だから、脳は縮むのだが新しいアイデアは結び付きによって無限に広がってゆくので、結びつくように物事を発想していきましょうという。
ワケのわからない「脳トレ」で厳しく当たられても腐らずにその脳トレができない自分から脳をトレーニングしてゆくという、そういうことが大事。
ちょっと具体的に言いにくい。
「自分が広がってゆく」ということ。
「コッチ方面苦手だから」と避けないで。

 脳が急速に成長を始めたのは、わずか100万年ほど前だ。タンパク質の摂取量が増えて、栄養状態がよくなったからだろう。
 そして、たったの10万年前に、私たちの祖先の思考能力は飛躍的に進歩し──この時期は一般的に「認知革命」と呼ばれる
(331頁)

サバンナのサルがヒトという種になり、地球上のあらゆる場所へ旅立った。
その環境は厳しいものだったが、彼等は優れた旅人として自分を鍛えた。
ハンセン博士はおっしゃる。
「遠くへ行くほど認知力が増したんです」

遠くまで走ることができる動物の脳は大きいことがわかったのだ(338頁)

これは面白い。
ここに人間の原型がある。

 およそ1万年前、私たちの祖先は狩猟採集生活をやめて農耕生活に転じた。−中略−1か所に定住する生活に変わったのだ。−中略−狩猟時代ほどに動きまわることは少なくなったはずだ。−中略−わずか200年で、世の中は農耕社会から工業化社会に変わり、それがデジタル化社会に取って変わられ(339頁)

ここが200年前から(歩行距離が)50%も減っている。
歩くことに殆ど意味を見出さなくなったからだ。

 生物学的には、私たちの脳と身体は今もサバンナにいる。(344頁)

その為にはまず歩くことだ。
そしてもっとよいのは走ることだ。
これが人間を人間たらしめる動きなのだ、という。
これは考えさせられる。
ちょっと理屈っぽくなるかも知れないが、武田先生はハンセン博士の考えを文章にした。
座って動かないのは生き物として危険だ。
脳の萎縮が始まる。
動かないのが日常だと判断してしまうと脳を使わなくなる。
脳はなぜ考えるようになったかを考えよう。
簡単。
それは動く為。
だったら脳を鍛える為には動くこと。
コロナの「在宅」とかはあまりよくない。
たいして売れはしないのに出版社の人が声をかけてくださって「本を出しませんか?」と。

向かい風に進む力を借りなさい



その本を今、書いている最中なのだが、その方から注文を受けて「このことを書いてくれませんか」というので武田先生がどこかの文章で書いていたらしいのだが「今の人間、肌で考えるということがなくなったんじゃないか」という。
その出版社の方が「そういえば甲野善紀(番組では「コウノゼンキ」と言ったが「コウノヨシノリ」らしい)という武道研究家の方、それから武田先生が尊敬している内田樹先生も『肌で考える』とか『皮膚で感じる』とかと書いてらっしゃるし、それからブルー・スリーも『考えるな。感じろ』と言っている。その武道家が言う「肌」とか「皮膚」とかって何でしょう?」と。
それは「動いていることの自覚みたいなことなんじゃないかな」と思って。
これからまたゆっくり考えるが、フッとよぎったのは「肌じゃないか?」。

アンデシュ・ハンセンさん、「BRAIN」という原題だが「運動脳」。
これを「三枚おろし」にかけている。
当番組で繰り返したフレーズは、人間の体はサバンナで立ち上がったサルである。
そこに終始したように思う。
この三枚おろしで何を意識しているかというと「そもそも」。
それを意識している。
今、もの凄く忙しい時代なので「そもそも」が出てこない。
その「そもそも」をこだわってみようかなと思って。
もうちょっと落ち着いてからの方がいいかなと思うが、ウクライナというのは何なのだろう。
そもそもウクライナとは何か?
ゼレンスキーのあのロシアに対する怒りみたいなものは何だろう?
あの憎悪は凄い。
そもそもどういう歴史があったかということから我々は勉強しなくてはいけない。
今、少し勉強し始めたのだが、それぞれ思いがあるらしいのだがウクライナの人は「国としてでき上ったのはウクライナが先だった。その時、郡部だったのがモスクワだ」とおっしゃる。
でも、モスクワの人は「いいや。郡部はウクライナだった」という。
よくそれで殺し合える。
その分かれ道がどこになっているのか、その「そもそも」を探していこうかと。

今週と先週は何をやったかというと「人間というものはそもそもどこから始まったんだ」という。
ごめんなさい。
「そもそも」が好き。
また、そもそもを刺激する本によくめぐり合う武田先生。
一部はこの番組で扱ったことがあるのだが、このサバンナのサルが立ち上がった。
そして二足歩行を始めたところから人間になった。
これが進化論。
ところがアフォーダンス理論というのが。
これは繰り返し言っている。
「人間は環境に適応するうちに人間になった」という。
サバンナのサルは生まれた時、森でお母さんに抱かれていた
その時、上を見上げるとお母さんと空があって、それが全世界。
やがてそのサルが草原に置かれた。
上を見ているのだが、力がついてきたものだから、後ろを感じて一回転、クルッと回った。
そうすると水平の世界が広がった。
その水平の世界を這い始めた。
平面をずっと行ったら何かものにぶつかる。
ぶつかった時、この草原のサルがそのぶつかったものもハイハイしようと思った。
それで前足で手繰っていったら立ってしまった。
そこからキョロキョロしているうちに横の方にも水平のものがあるので、それを掴もうとした。
その瞬間に二足歩行が開始されたという。
凄く面白いと思う。
「そもそも」を聞いた時に感動する武田先生。
もう一つの説が「水生人類説」というのがあって。
サルだった。
それが東海岸に出てしまって、海がある。
水の中に入ってしまった。
そうしたら貝があったので喰っていた。
どんどん貝を求めて歩き回るうちに、海が歩行器になってしまって、二足歩行がもの凄く上手になったという。
海が彼を立たせたという「水生人類説」というのがあって。
そういうのをアレするともうワクワクする。
(新生児は)一番最初に寝かされていて、半回転してハイハイを始める。
記憶に残っている。
回転が好き。
(人間は)クルッと回るのが好き。
だから綺麗に回転する人を見ると尊敬する。
それが羽生結弦だったり。
それからハーフパイプで大きい円の中をスノーボードで回る人とか。
体操選手の内村航平とか全部回転。
回転が好きなもので、AKBもクルクル回るし、エグザイルも回るという。
回転に対する永遠の憧れ。
道具を回転させるのも好き。
大谷翔平とかバットを回転させてホームランを打ってしまう。
大坂なおみはラケットを回転させてボールを打ってしまう。
そういう回転するものに対する異様な興奮。
そこで(水谷譲の)倅がやっている合気道。
あれは回転技術。
そうすると人類がまず目覚めたのは回転からだ。
世界中の子供達で遊び道具が無い時に何をするかというと、一人で回り始める。
子供はクルクル回っている。
目が回るのが楽しい。
何でも回っていた。
ディズニーランドも回っているし。
何でも回る。
遊具も回る遊具がある。
そこにアフリカのサバンナで半回転したサルの興奮が。
これは鉄矢論。
寂しいもの。
奥様にも話すのだが「ハイハイハイ、回転ね、回転回転」。
無闇に長い話になって何なのだが、年末はまた、別の形でリラックスしていただこうと思う。




2022年12月12〜23日◆冬支度・老い支度(前編)

(この週は金曜日から別の本なので木曜日までにした方が切りはいいけれども、いつも通り一週間分ずつにする)
(タイトルはずっと「冬支度」と言っていて最後の二回だけ「老い支度」と言っているのでどうするかなと思ったのだが「冬支度・老い支度」としておく)

今週だが「冬支度」。
これは前からやろうと思っていたが「高齢者の為の三枚おろし」としてお聞きいただければと思う。
若い方はまた面白いのをやるからちょっと待って、ただ聞いていてください。
何でかというと、あなた方も必ず歳を取るから。
昔はそんなことは思いもしなかったが、自分も歳を取っていく。
そのことを最近はしみじみ思い当たる武田先生。
若い方の為に「老い支度」というか「冬支度」を高齢者の方と考えてみたいと思う。
いい本が見つかった。
これは二冊扱う。
二冊とも、もう滅茶苦茶売れている本ではないか?
「70歳が老化の分かれ道」和田秀樹先生。

70歳が老化の分かれ道 (詩想社新書)



もう大注目の心の病の先生。
詩想社新書。
著者・和田さんは現役の精神科医。
1960年生まれだから武田先生達70代をいたわるように老いの手引きを記されたというのがこの本。
まさしく「冬支度」「老い支度」。
ところが、ちょっと困ったことがこの本の中にはあって、和田先生には勘弁していただきたいと思うのだが。
武田先生も人間ドックに通っていて、人間ドックの主治医が言うのだが、その主治医とは全く違うことをおっしゃる。
同じ病院の先生でありながら。
そのへん、全部寄りかかるのではなくてケースバイケースということにして、そんなふうにお聞きください。
とにかく70歳をもう過ぎているけれども、老いの分かれ道、人生の分かれ道に立っているということで参考としてお聞きください。
実に読みやすい文章で、スラスラ読める。
読むとわかるが、ドクター和田の老いへの独自案、独特の和田先生のお考えで。
その一つ、一瞬ギクッとした。
この一文句。

運転免許は返納してはいけない(97頁)

今、世を挙げて「70歳以上、免許を返納しろ」と。
と、言うのはこれはやっぱり昨今の交通事情、高齢者のアクセル・ブレーキの踏み間違いによる突っ込み事故、突撃事故が非常に多いので「返納しろ」と言うとある意味で喜ばれる。
武田先生も(運転免許証を)更新したのだが、更新する警察の建物の中に漂っているのは「まだやる?」みたいな、そんな感じだった。
「事故を起しそうな人は免許をあきらめて欲しい」ということだが、和田先生は「返しちゃイカンよ」とおっしゃっている。

愛知県の65歳以上の男女2800人を追跡調査しました。2006〜2007年時点で要介護認定を受けておらず、−中略−運転継続と要介護認定との関係を分析したのです。−中略−10年時点で運転をやめていた人は、運転を続けた人に比べて、16年には要介護となるリスクが2.09倍にもなったのです。(59頁)

和田先生は頑張る。
「免許を返納した人は、要介護リスクが高くなるんだ」と。
しきりに「高齢者は事故を起すぞ、事故を起こすぞ」とメディアは騒ぐが

もっとも事故を起こしているのは16〜19歳の年齢層で、約1489件。次いで20〜24歳が約876件と続きます。−中略−高齢者でもっとも事故を起こしている年齢層は85歳以上ですが、それは約645件にしかすぎません。−中略−70代に至っては、約500件前後で、その他の30〜60代の年齢層がおおむね450件前後なので、特別、事故率が高いとは言い切れません。(62頁)

(番組内で85歳以上を649件と言ったが、本には上記の通り645件)
珍しいからこそニュースにして騒ぐのである。
それが、あたかも高齢者だから事故を起こしたと言い過ぎるのではないか?

ブレーキとアクセルの−中略−踏み間違えたのは、ペダルの区別がつかないからではなく、−中略−慌てたからなのです。(63〜64頁)

パニックになるからで、認知の問題ではないんだ、と。
これは和田先生がおっしゃっている。
(本の中では薬による意識障害を指摘している)
だから免許返納で一番怖いのは世界が狭くなり、活動する積極性を失うこと。
「これが一番怖いんだ」とドクターはおっしゃるという。
名前を出してしまうとまずいかも知れないが、武田先生が乗っている車の点検に行く。
そこでこの本の話をした。
作業員の方、見てくださる方が「そういうことあるかも知れないですよ」とおっしゃるから「何かお聞きになったことありますか?そのような事例は」と言ったら「うちの親父ですよ。私がこういう会社勤めで車のメンテをやってるもんですから早目に70ちょっと過ぎてすぐ返納したんですけど、去年ぐらいからお袋に向かって『アンタ誰?』って言い始めましてね」と言われて。
その一件だけかも知れないから。
だが皆さん、とにかく人生チョイスだから選択しましょう。
とにかく70歳からにとって一番必要なのは変化のある生活。

 前頭葉の老化を防ぐには、「変化のある生活」をすることがいちばんです。−中略−単調な生活を繰り返していると、前頭葉は活性化せず、衰えてしまいます。(75頁)

前頭葉とは、−中略−思考や創造、意欲、理性などにかかわっている部分です。(74頁)

これはやっぱり刺激を貰わないと。
「免許を返納して刺激ある生活をするのが一番いい」と思う水谷譲。
それがもちろんいいのだが、やはり車を運転するというのは本当にバランスのいい変化を老人達に与える。
だから運転免許で保っている人も相当いるはず。
こんなふうにして和田先生の弁、全部受け止めるのではなくて、自分の暮らしと比べつつご意見を聞いていただければというふうに思う。

前頭葉の萎縮は、実は40代からすでに始まっていて、−中略−放っておけば萎縮はどんどん進んでいき、50代、60代くらいから、思い込みが激しくなってきた、頑固になってきた(75頁)

頑固とは何かというと、自分が変化できない。
そういうことで頑固老人が出来上がるというワケで。
暮らしの傾向が似てしまって昨日と今日の違いがわからないという。
このへんは武田先生も思い当たる。
武田先生は仕事をされているから刺激的なのではないかと思う水谷譲。
刺激もどんどん落ちてきた。
反応する力がない。
ここで名言。
40代くらいから脳の部位の萎縮が始まる。
それで70になると暮らしが平凡になってしまって毎日の違いがわからなくなる。
そうすると頑固老人が出来上がって「生き方一つ」というような老人が出来上がるのだが、今、近くにメモ用紙等々をお持ちの方はぜひ書きつけて。
「年老いたから変わらないのではない。変わらないから年老いたのだ」
これは内田(樹)先生の名言であった。
若い時はあんなにこなれたいい人だったのに、歳を取ると一徹頑固になる人がいる。
何人か体験したことがある。
「どうしたんだ?」と言いたくなるようなご老人に接したことがある。
それは「若い時のままだから」。
老いたら老いたで変わらないと。
歳を取って一番嫌なのは変わらないこと。
柔軟性。

 何か学びたいことがあるなら独学はせず、スクールやサークルなど何人かの集まりに参加して学ぶほうが、まだ、前頭葉を使います。(79〜80頁)

 本を読んでインプットする行為よりも、会話などのアウトプットの行為のほうが前頭葉は活性化され、老化の防止になるのです。(79頁)

「物知りな人」より、「話の面白い人」を目指すことが前頭葉の老化防止には効果的です。(83頁)

まるで武田先生のこと。
「(今朝の)三枚おろし」というのは自分で本を読んでアレをするわけだが、やはり「アウトプット」「入れて出す」という、それの毎日だから。
本当はこっちから文化放送にお金を出さなければいけないぐらいなのだが。
何十年も続けて・・・
でも、何かを学びたいなら一人で勉強するな、グループで勉強しろ。
合気道を始めたのはきっとこれ。
楽しい。
中学生に交じって練習していると、もうジジイだからゼイゼイいう。
だが「元気が回復する」で行きたくなる。
それはやはり中学生と仲間になれるからだろう。
それから「物知り」よりも「面白い人」を目指してください。
これは(武田先生のモノマネをする)三又又三が「三枚おろし」の印象を「みんな『三枚おろし』を教養番組で物知り番組だと思って聞いているけれど、あんなものは所詮、武田の騙り番組ですよ。正確かどうかわかりゃしない。武田が面白おかしく話すところが芸で、教養番組だと思ったら大間違いですよ」と一杯呑んで啖呵を切ったことがある。
武田先生は又三からそんなことを言われてギクッとした。
武田先生は物事を「語(かた)って」いるのだが、詐欺師が素人の人を騙すことも「騙(かた)る」と言う。
その真実と嘘も含めて武田先生にとっては「かたる」こと。
水谷譲が言うのも何だが、三又さんが武田先生にそういうことをおっしゃって武田先生が「何だ!その言い方は」と怒らずに「あ、そうかもね」と思える柔軟性を持っている武田先生はいい歳の取り方をしていると思う水谷譲。
安く使おうと思って持ち上げる。
仕事をいっぱい、安いのを運んでくる。
「物知りより面白い人を」と同じで「あなたの人生を分ける70代で最も重大なことは健康よりも免疫力だ。血圧がいいぞとか尿酸値がいいぞとかではない。免疫力があるかないかだ。食事はとても大事です」ともちろん和田さんはおっしゃっている。

重い病気を患っていて、どうしても制限しなければならない場合は我慢も必要でしょう。しかし、「ちょっとコレステロールが高いから」だとか、「尿酸値が気になるから」などといったくらいの理由なら、70代になったら、好物を我慢する必要など、もうありません。
 暴飲暴食は身体によくありませんが、そうでなければ好きなものを我慢せず食べていいのです。
(96頁)

食べたいものを我慢するという生活は、動脈硬化は防ぐかもしれませんが、免疫機能を低下させてしまうのです。(98頁)

食べたいものを食べること、おいしいと感じることのほうが、免疫機能を高めて健康のためになります。(99頁)

運動したほうがいいと勧められても、どうしてもしたくないのなら、やらなくていいのです。ストレスは老化の大敵ですから。(103〜104頁)

これはちょいと覚えておいてもいいかなと思う。
好きな物があればどんどん食べなさい。
ドクター和田はこうおっしゃる。

無理をして嫌々ながらにやっても、過度のストレスがかかって、あなたの免疫力を低下させたり、身体と心にダメージを与えてしまいます。−中略−
 本当に嫌なことはなるべくやらない。これが、70代の生き方としては大切です。
(104頁)

和田先生自らが自分の健康を数値できちんとおっしゃって。
凄い。
ドクター和田「病院でね、人間ドックとか行くと血圧、血糖値、やたらコントロールしたがる。結果を見て『あ!下がった』『お!上がった』

 私は血圧も高く−中略−薬を飲まないと220くらいですが、こちらも少々高めですが、170くらいに薬でコントロールしています。(112頁)

日本の医師は、長生きの専門家ではなく、自分が担当する臓器のスペシャリストにしかすぎないということです。(120頁)

日本には、長生きを専門とする医師はいないのです。人間の身体全体を見て、どうすることが身体によくて、どうすれば身体に悪いのか言ってくれる医師はほとんどいないでしょう。(121頁)

 そもそも医学とは、不完全なものです。そのときどきの最新の研究結果が常識となっているだけで、数年後にはまったく役に立たなかったり、まったく逆の評価に変わることもよくあることです。(124頁)

医師は長生きの専門家ではありません。(126頁)

「心臓が得意」とか「糖尿担当」「腎臓専門」とかいらっしゃるが「長生き専門」というのはいない。
「私は長生き専門です」という医者はいらっしゃらならい。

医師の平均寿命は一般の人たちより短いのです。(126頁)

やはり激務だから。

100歳を過ぎても現役だった日野原重明先生のような医師に診てもらったら、元気に長生きをするためのアドバイスをしてくれるかもしれません。(126頁)

「70の人が、まだ50とか60ぐらいで医者やってるようなヤツを信用しちゃダメだ。ソイツはアンタが大学生の時、小学生だったんですよ」と。
「俺が中3の時、プーチン6年生」とか、そういうふうに考えると、たいしたヤツに思えなくなる。

私たちが長生きをしたいと考えたとき、何に頼ったらいいのでしょうか。私がまず頼りになると考えているのは「統計データ」です。(123頁)

100歳まで生きるような長寿の人は、どんな生活をしているのか、どんなものを食べているのか、その実態を調べています。(126頁)

「そう言やぁ、あの百歳の婆ちゃんは硬いもん好きでよく食べてたね」とかそれは信用する。
だが「『血圧は118だった』とか、そんな日々変化するもの、血圧なんていうものは」とドクター和田は言う。
ドクターはまだ60代。
ドクター和田のおっしゃりたいことは、我々70代が気にしなければならないのは、何よりも「免疫」。
これが高いかどうかの自分と、あともう一つが、これは武田先生はハッとした。
うつ。
老人性うつ。

心の病は−中略−人口の3%、65歳を過ぎると人口の5%がうつ病だと言われています。(140頁)

和田先生が問題になさっているのは、放置すれば自殺率が高くなる。
「一番心配なのはうつなんだ」とおっしゃる。
「アルツハイマーとかあるかも知れないが。皆さん、平べったく考えてごらん。何もかも覚えている老人なんていうのは悲劇だよ。忘れた人もいるからこそ老人ではないか?」

認知症は、病気ではなく、老化現象の1つと考えたほうがいいと私は思います。(145頁)

少なくとも本人にとっては、うつ病で死ぬよりも、認知症で死ぬほうがよほど幸せだと思えます。(145〜146頁)

これは歳を取ると思い当たる。
いいコラムがある。
婆ちゃんがだんだんテンセイ語(天声語?)でいいのか、この世の言葉ではない言葉を使い出すことを、昔の人はそんなに嫌がっていない。
「婆ちゃん、どげんしたとな」と声をかけた。
婆ちゃんが振り返る
「いいや、さっき爺さんが来なはった」という。
何十年か前に死んだお爺ちゃんがそこにいたとかおっしゃる。
それから「あんた、びっくりしたばい。観音様がそこにおんなはるたい」と虚空を指す。
「松の木の上に観音様が足をブラブラさせながら私を見てる」とおっしゃるという。
それを「この世の言葉ではない言葉で婆ちゃんはこの世を語っている」と昔の人はそんなふうに言った。
「ああ、ボケた」とかそんな言い方はしなかった。
このあたり、面白いというふうに思う。

歳を取るといろんなところが悪くなる。
その悪くなる原因を追ってみたいと思う。

 高齢者をよく診察していると、うつ病とまでは言わなくても、「セロトニン不足症候群」と言えるような人もかなりの数います。
 セロトニンが足りなくなると、痛みの刺激に敏感になったり、不安感が高まったりします。そのため、四六時中不安感が強くて、あそこが痛い、ここが調子が悪いと、ひっきりなしに不調を訴えるようになります。
(177頁)

よく覚えているが、王貞治会長と福岡に監督さんでいらっしゃった時に友だちと一緒にゴルフで遊んだことがある。
そうしたら本当に、にこやかにサラッとおっしゃる。
「昨日あんまり眠れなくてね」
ちょっと笑顔。
「どうなさったんですか?」と言ったら「いやぁ、古傷よ。もう何だか背中が痛くて眠れなかった」。
笑顔でおっしゃる。
その時に思ったのは「痛みに強い」。
「痛くて眠れない」というのはそれだけで恐怖で不安。
スポーツ選手は痛みに耐えながら眠る。
やはり今のトッププレーヤーを見てもそう。
とにかく歳を取ると痛みに敏感になる。
このことを忘れないでください。

みなさんにお勧めしたいのは「肉を食べる」ということです。(67頁)

粗食なんかやめてしまえ。

 一日一度は部屋の外に出て、陽の光を浴びればそれでいいのです。一番手軽な方法は、散歩でしょう。(72頁)

独特な和田先生のお考えで。
食事のことを書いておられるが、ここではあまり触れない。
なぜか?
奥様から指導されている武田先生の食事とは余りにも違い過ぎるものだから。
やはり、触れるのはやめておこうかなと思って。
「動物性のタンパク質は老いの病を呼び寄せる」という考えを奥様は持っているので、武田先生としては奥様の納得に付き合って。
また人間ドックの先生も非常にいい先生なので、血圧・血糖、そういうのをうんと気にしながら。
グラフに書いている。
月に3〜4回血圧を測っている。
それも朝10時半と夕方の6時。
二回測って血圧を週1回、月に4回。
昔は血糖値も測っていたが、もう指に針で刺すのが嫌で、ちょっとやめてしまった。
「本当はそこまでしていただきたい」と言われているのだが。
和田先生は「一切しなくていい、そんなことは。数値眺めて健康になるか?」という、こういう方。
いいところだけ学ぼうというふうに思う。
おっしゃっていることはよくわかる。
誰が正しいと健康に関しては言えないんだ、と。
人はそれぞれに人生観もあるし。
武田先生がドクター和田の説で最も支持したいのは「70歳から人生で良いことは何か?」。
これはハッとした。
70になって何かいいことはあるか?
これはある。
これは武田先生にピッタリ合った。
一人でいても、だれも私をいぶかしいとは思わない。
70代の老人というのは一人遊びができる年齢だ。
これはわかる。
これは名言だと思った。
幼児・少年は一人で何かやっていると「何やってんの?」とかと。
思春期から青年は犯罪を疑われ、壮年期から中年は「よからぬたくらみを抱いている不審者」と見られることがある。
若い人だと「この人、友達いないのかな」となるが、70代の方は一人が当たり前で、それが凄くサマになっているというのがある水谷譲。
一人で遊ぶ姿が、いわゆる自由とイコールになっている。
例えば少年や子供達が川べりで釣りをしていると「お父さんとかお母さん、誰かにそばにいてもらいなさい」とか。
だが、爺さんが一人で座り込んで釣り竿を振っていると絵。
和田先生が最後におしゃっているのは一人で遊べる年齢になるまで人間は70年かかる。
これはいい言葉。
大変短いが、先生の素晴らしい本をお読みしてそれで三枚におろした。
「70歳が老化の分かれ道」和田秀樹先生、詩想社新書。
いろいろキュッと詰めるとだいたい木曜日でお終いぐらいの本。
非常に読みやすい本だから。
是非お読みになれば。
売れている本。
もう山積みにしてある。

金曜日は違うネタでいく。
これも無茶苦茶今、売れている本。
「和田先生の後を継いで語り継ぐにはいいかなぁ」と思って。
体に関係する本。
それも老いに関する本で。
和田先生はしきりに言った。
「うつにさせない為に老人の体内にセロトニンを。セロトニンの為にまず第一条件は太陽の光を浴び、その次に運動すること。そうすると70歳、健康に向かって歩きだす」
同じことをスウェーデン・ストックホルムの精神科の先生がおっしゃっている。
これもバカ売れ。
サンマーク出版「運動脳」。

運動脳



この方は大ベストセラー作家で、そのほかにも「スマホ脳」「ストレス脳」と脳に関する問題を取り上げておられる。

スマホ脳 (新潮新書)



ストレス脳 (新潮新書)



今日扱うのは「運動脳」。
このアンデシュ・ハンセンさんはどんな人かといえば日本の和田秀樹ドクターにそっくりな方。
だいたい同じようなことを言っておられる。
この方の方が理屈っぽい。
ハンセンさんは精神を病む人々を診療・診断するという日々を送っておられる。
診療に当たっているうちに、精神科医としてある傾向に気づく。
それは認知機能、主体的に計画を立てて注意力を制御して日常を送っている人、認知機能がしっかりした人、そういう人というのがわかるようになる。
病院に来て初診の人が座る。
その人を見ていると「これが最後になる人」というのがわかる。
もう「帰ったらこの人、健康になるな」というのと、「この人は入院だな」というのがわかる。
それはその人の体が持っている一種オーラらしいのだが、そのオーラはどこから来ているかというと「この人はよく歩く人だ」という気配があるとだいたいそれきりで。
このハンセンさんのおっしゃっていることで凄く興味深いのは

運動によって脳は物理的に変えられる(35頁)

「運動することによって脳を変えることができる」という。
彼の推論なのだが「物理が心理を動かすのでは?」という仮説を思いつかれたという。
体が持っている理屈が心理を動かしている。
心が体を動かしているのではないんだ。
「体が心を動かしているんだ」と。
この仮説が非常に面白いなと思って。

 脳を操作しているのは私たちであって、脳が私たちを操作しているのではない。(44頁)

そう考えるべきで「脳」と「私」を混同してはいけない。
では脳の構造に分け入ってみよう。
繰り返す。
これはちょっとややこしいのだが、生存に欠かせない脳の部位・部品に扁桃体というのがある。

 扁桃体は、側頭葉の奥深くにあるアーモンド形の部位である。扁桃体は2つあり、脳の左右に一つずつ備わっている。(67頁)

扁桃体はアラーム。
どこで発達したかというとサバンナを歩くサルとして活動している時に、草むらに伏せたライオンなんかに襲われる。
その時に「ライオンだ〜!」と警報が扁桃体。
その瞬間に副腎からコルチゾールというホルモンが分泌され、逃げるか闘うか、これを決定しなければならない。
この警報が鳴り止み、上手く逃げると海馬というタツノオトシゴのような部位のところに今の出来事が情報として送られ、海馬まで行くとコルチゾールの分泌がストーンと落ちる。
これはアラームが鳴っている最中に出てくる脳内ホルモンなので、どこかでほっとしないと出過ぎるとパニックが続く。
これがタツノオトシゴみたいな海馬に入ると「休め」という号令がかかり、コルチゾールのフタがキュッキュッと閉められる。
そうこうしているうちにその出来事を前頭葉という脳の部位に送り、もう二度と襲われない為に何をしたらいいかということを、ここから考え始める。
コルチゾールというのがなかなかの曲者で、これをきちんと閉めないといつでもパニックになっているような状態。
どうするか?
コントロールする為の練習があるか
これが運動。

 筋肉を適切に動かすためには、より多くのエネルギーや酸素が必要なので、血流を増やそうとして心臓の鼓動は激しくなる。そして心拍数と血圧が上昇する。−中略−運動が終われば、身体はもうストレス反応を必要としないので、コルチゾールの分泌量は減り、さらにランニングを始める前のレベルにまで下がっていく(72頁)

 定期的に運動を続けていると、運動以外のことが原因のストレスを抱えているときでも、コルチゾールの分泌量はわずかしか上がらなくなっていく(73頁)

扁桃体がアクセルを、海馬がブレーキを踏んでいる状態である。(69頁)

このブレーキから判断してどうするかを考えるのが前頭葉。
「逃げてよかった」或いは「闘ってよかった」等々を考える。
この考える時に「こんなことは前にもあったなぁ」「あの時は逃げずに闘ったから今の俺があるんだ」とかといろいろ思い出を。
「前頭葉」「海馬」「偏桃体」この三つを上手に回ることがストレスのない生き方らしい。

ストレスによって萎縮するのは海馬だけではないからだ。前頭葉も、やはりストレスによって萎縮する(77頁)

だから励まさなければならない。
励ますことのできる策は運動しかない。
体が脳を育てるのだ。
運動というのは歩くとかそういう運動でいいのかと思う水谷譲。
これがいろいろ条件付き。

来週もということになるが、「運動と脳」或いは「健康」「体」。
これを高齢者の方々の為に来週も引き続きやってみたいと思う。