(二週間で三冊を取り上げたのだが、その中の二冊目の本の箇所に該当する四日間弱の部分だけを抜き出した形で掲載する)
小さな本だが何かタイトルと表紙のデザインがいい。
筆者は曹洞宗住職・枡野俊明(ますの・しゅんみょう)さん。
三笠書房で170万部を突破したという「(仕事も人間関係もうまくいく)放っておく力」。

夏休みでゴロゴロしている少年や少女達がいたら耳を傾けてもらえないかなぁと思ってお送りしている「夏休み特番」。
この枡野さんがおっしゃっているのは「放っておく力」。
それを夏休みの間に付けたらどうかな?という。
この本のツカミだが、読者を誘うような文章が書いてあるのだが「いろんなことがこう世の中あるよな。だけどいちいち気にしない。反応しない。関わらない。そういう『放っておく力』っていうのは今、大事なんじゃないの?」と曹洞宗のお坊さんがおっしゃっている。
放っておいていいことは放っておきましょう。
私達はSNS、ネット炎上、いろんなことに、巻き込まれ過ぎていて疲れている。
いろんなニュースがバーッとヤッホー(Yahoo!)なんかに並んでいるが、あれなんぞはどう見たって、アナタに99%関係ない。
「まず関係ないっていうことを知りなさい」という。
関係があるものもある気がする水谷譲。
どのくらいあるか?
この曹洞宗のご住職は「それをはっきりさせましょう」と言っている。
水谷譲が「関係あることもありますよね」と言うが、このご住職は「それでも99%、アナタに何の関係もない。アナタは9%(「1%」の誤りか?)関係があることを探る為に、99%の無駄を仕入れている。
よく考えたらどれもこれも実は知らなくてもいいニュースなんじゃないの?
今、ニュースが商売になっている時代。
武田先生はそう思う。
枡野住職がおっしゃっている言葉の中に、こんな言葉があった。
「身内の不幸で泣いている方がいる。みんないろいろ声をかける。でも私は余りにも気の毒なので言葉が浮かばずにジーッとその人のそばで座っていただけでした。何年かするとその泣いていた人が『あの時黙ってそばにいてくれてありがとう』と言われた。世の中にはほ放っておいてくれているということが有難いと思う時もあるんだよ」という。
「黙ってそばにいる」っていう。
それだけが涙が出るぐらい有難い時もあるのだ。
その時に必要なのは何だ?
放っておく力。
人と人とはそう簡単にわかり合えるものではない。
半分わかってもらえれば上等。
「たとえ家族といえども違う人間」だということを決して忘れてはいけません。(25頁)
こう言われると何か凄くホッとする。
「子供の気持ちがわからない」とか「女房は何であんなこと言うんだ」「どうして俺のことわかってくれないんだ」。
「わからなくていいじゃない」とおっしゃる。
気持ちに踏ん切りを付ければきっと楽になると思う水谷譲。
どうしても理解できない部分は無理して合わせようとせず、放置しておけばいい。(27頁)
職場でもそうですよ。
住職は言う。
「深く関係を結ぼうとすると息苦しくなる」
ちょっと言葉は悪いが坊さんの話は時々身に沁みる時がある。
お坊さんはいいことを言う。
特にいまは「ドライ」であることが求められる時代ともいえます。なぜなら、「ウエット」が行きすぎると、そこにパワハラ・モラハラ・セクハラなどのハラスメントが生じないとも限らないからです。(29頁)
今は「カジハラ」がある。
上手く(家事を)できない亭主を奥さんが叱りつけるというようなハラスメント。
ハラスメントだらけ。
これは何でこんなにハラスメント出てくるのか?
それは深い関係を保とうとするからだ。
つまらないことだが、高校の時に四文字熟語の好きな先生がいて、出来の悪い生徒に向かって「オマエみたいなヤツのことを『厚顔無恥』と言う」。
そうしたらソイツが「やめてください!急所を攻めるのは」と言った。
「睾丸鞭」
考えてみたら痛そう。
先生が「バカー!」と言ったのを覚えている。
つまり「放っておく力」。
かえって探り合うことによって言葉がどんどんもつれる。
人間、一番大事なことは何か?
「見守る」ことに徹するようにしましょう。(35頁)
大事なことは何か?
それは一人の時間を大切にすること。
アナタの一人の時間、私の一人の時間も大切にする。
その時、お互いどうするか?
放っておく。
そして次に思う。
放っておいた後、どうなるか?
何かあればそれがご縁。
それがなければ「ああ〜ご縁が無かった」
自分が歳取ってきたというせいもあるのだが、つくづく思うのだが、気持ちの切り替えが早い人というのは、それだけで「才能あるなぁ」と思う。
我々は根に持ってしまったりするのだが、サラーッと流す人が世の中にはいる。
結局そういう人が結果的には得というかNo.1。
「生き方上手」というのはそういう人のこと。
ラジオで話すつもりはなかったのだが、ザッとだけ話す。
事細かには話さない。
もの凄く不愉快なことがあった。
ちょっと武田先生は珍しく、ローカルの路線の地下鉄に乗っていた。
旅の途中だった。
ある地下鉄の駅で座っていたら、そこにもの凄く大きな荷物を持った外国の方が来られたので、立ち上がって席を譲った。
余りにも大きい荷物だったもので。
中年というかプロレスラーみたいにガタイの大きい方で。
ただ、余りにも大きいトランクだったもので。
外国の方なのでインバウンドを楽しんでらっしゃる方だから、ちょっと武田先生の胸の中に「ジャポニズムを楽しんでいただきたい」「旅のエピソードにならないか」と思って武田先生が立ち上がって「Please!」と言いながらお招きした。
その方が「(三人掛けの椅子なのだから、一度に)三人座れるじゃないか。今、一人座っているけどアナタ立つことないんだ。一緒に座りましょう」
その人はデカい。
だから「どうぞどうぞご自由に」と言ってすすめたら、怒り始めて。
「何で座れないんだ」と。
それで「Don't worry.」とか何かと言っていたら「何で私に英語で話すんだ?」。
外国の方だからそうしているだけなのだが。
ちょっと武田先生も心情はよくわからない。
それでちょっと向こうの血相が変わっていて、飛び掛からんばかりの勢いというか殺気充分だったので「そこまでおっしゃるんだったら」と言って日本語で言って三人で座った。
一番端っこのお兄ちゃんも縮みあがっている。
その外国の方が座ったものでギッチギチ。
武田先生ももう、左のケツを掛けているだけ。
たかだか二駅ぐらいだったのだが。
その人の尻の肉の温かさが伝わるのが嫌で。
それで、その方が先に降りられたのだが、一言も言葉もなく降りて行かれた。
普通「ありがとう」が先だと思う水谷譲。
見事な日本語で「何で英語で話しかけるんですか?私に」。
その言い方がもう剣呑で。
どこから見ても西洋人の方。
何か辛いことがあったのだろう。
こっちは席を「どうぞご自由に」と言っているだけで、日本のよい思い出にして欲しかったのだが。
もの凄く武田先生も不愉快で、その時に自分に向かって言った。
「これを二日経って忘れていたら俺は偉い」
本当は(地下鉄を)降りたらすぐに忘れられているのがいいのだが、余りの不快さに「これは一週間ぐらいかかるな」と思ったから、敢えて自分で「二日」と決めて。
二日経ってだいたい忘れていた。
また皆さんにゆっくりお話しするが、実は古里の方にお墓を探しに。
(この霊園を巡った時のことは
「霊園巡り」の回で詳しく語られている)
個人の旅でその旅の途中だった。
でも、霊園を巡っているうちに気持ちがスッと落ち着いて。
この時に思ったのは「忘れ上手」というのがいかに大事か。
放っておくという。
その人のことを考えるだけでもう何かカッとなりそうなので。
放置力。
合気道がやっぱり出てきた。
かわす。
「敵味方で色を付けるんじゃないよ、今、起こっている出来事に。向こうが押してきたんだろ?もう引けばいいじゃないか?」
こういう考え方。
これは一カ月半早く聞きたかった水谷譲。
かわせなかった。
武田先生も危なかった。
根に持ってはいけないと思う水谷譲。
特にちょっと前だったものだから、まだ地下鉄の中ではマスクするというのが当然で、その外国の方はしていらっしゃらなかったけれども。
今、顔を思い出すだけでも腹が立つ。
でも、何か辛い出来事があったのだろう。
でも、著者である曹洞宗の枡野俊明住職がおっしゃっている。
「放っておく」というかわし方。
「これはなかなかのもんだな」というふうに思う。
(番組冒頭は武田先生の新刊の紹介)

枡野俊明さん、「放っておく力」。
「放っておくというのはもの凄く大事なことですよ」とおっしゃるこの枡野さんの説というのは凄く頷けるような気がする。
ところが我が人生はというと、放っておけない環境。
何か首を突っ込んだりということがある。
たいした炎上はしていないが、武田先生もよくわからずに喋ってしまって、後で炎上とかという。
何でそこで炎上するのかわからない。
そういう炎上がある。
やはりどこかで武田先生のことを「嫌いな人いるんだろうな」と思っている。
絶対人間はうぬぼれてはダメ。
武田先生がテレビに出た瞬間に「何だコイツ!」と言いながら(チャンネルを)切り替える人がいるのだろう。
それが人気の秘密だと思う水谷譲。
(好きな人も嫌いな人も)どっちもいるということが。
平均的に好かれるということが、タレントとしてできない。
不可能。
そんな人はタレントにはなれないと思う水谷譲。
放っておけばいいのだが、そうもいかない。
特に絡まれたりしなければ、突っ込まれたりしなければ成立しないというのが我が商売。
テレビというのは武田先生達にとっての職場だから。
やはり放っておくというワケにはいかないので。
問題を出されたら答えなければならない。
昔は「おバカキャラ」というのがあった。
少し抜けていても何となく放っておかれて、それが結構番組のアクセントになった。
最近、本当に言葉が悪いがバカがいない。
自分の無知を面白いことに仕立て上げるというのは相当な力がいる。
最近、そういう人がいない。
金髪の人なんか凄い。
お笑いタレントのカズレーザー。
あの人は頭がいい。
それとかクイズ番組の常連さん。
宮崎美子さんとかあのへんも一連、名回答者がいる。
どんどん番組自体は難度を増す。
武田先生が一番苦手だと思うのは東大生が考えたトンチ問題。
「東大脳トレ」と言われているが、もう大嫌い。
難しい。
あの番組に出るので、東大脳トレを買って7冊ぐらいやった。
それでも根性がなくて、すぐ解答欄を見てしまう。
出演者の中で一人だけ出来ないというみっともなさは結構傷付いて、自宅に帰っても眠れないことがある。
最近のテレビ番組はそういうのが多い。
もう一つ「一週間以内に俳句を作れ」という番組。
これも厳しい番組。
考えてみたら大衆演劇の座長さん(梅沢富美男)とか、漫才師の方なんかが一句作るのだが上手い。
また女師匠(夏井いつき)という方が厳しい方で。
酷評されるとマジで心が折れる。
あれは本当に皆、悲鳴を上げている。
必死。
更に別の番組ではコメンテーターで世の中の出来事に対して意見を言うワケだが、時々トンチンカンなことを言ったり的を外したり、それで炎上になったり。
時々朝起きて、ちょっと目の前が暗くなる時がある。
「エラい騒いでますよ」とか何かいう嫌な知らせが関係者から入る。
水谷譲達も「あ、これ鉄矢さん大丈夫かな?」思うことがよくある。
落ち込む、折れる、へこむ。
皆さん方は「じゃ、出なけりゃいいじゃねぇか」と言うだろうが、それではテレビタレントは務まらない。
このへんがややこしい。
これは仕事だから。
もう今、話しても怒らないから話してしまう。
本当にしみじみわかったのだが、江頭(2:50)。
凄まじいタレントがいる。
あの人が何か素人のイベントに行って、何かやっていたら全裸になってしまったという事件が昔あった。
(
エガちゃん、全裸で客席ダイブ!胴上げ!! - 産経ニュース)
それでいわゆる猥褻罪で。
遠い昔。
その時に彼が言ったのだが、彼はウケなかった時に裸になってしまう。
もちろんタイツを履いていて上を脱いでしまう。
そうすると何となく笑いが。
ところが困ったことに素人で「それぐらいだったら俺もできる」と上を脱ぐ人がいる。
その時に彼がその素人に対してプロである自分はどうするかというと「全部脱ぐしかない」。
「素人の人はやらないことをやるんだというのがプロなんだ」という。
「それがいわゆる公然猥褻であろうが、そこで意地を張らないと何の為のプロなんだ」という。
それがやっぱり凄く心情が伝わってくる。
曹洞宗住職・枡野俊明さんの「放っておく力」。
世の中で一番大事なことは何か?
人との違いを面白がること。
もし比べたかったら人と比べるな。
本日より、自己評価の基準を「他人の目」から「昨日の自分」に変える。(81頁)
現代を生きる人、老いも若きも生活スタイルを守る為にやらなければならないことがある。
情報ともソーシャル・ディスタンスを(104頁)
いまは、情報が機銃掃射≠キる勢いで、無数の人々に襲いかかってくる時代です。ぼーっとしていたら、いつの間にか、自分にとってなんの関係もなければ、必要性もない有象無象の情報の山に埋もれてしまいかねません。−中略−
日常生活で、要不要、軽重に関係なく無差別に情報シャワー≠浴びていると、−中略−
自分にとって一番大切な時間とエネルギーが無駄に消費されてしまいます。
欲しい情報、必要な情報は自分から取りに行く。
情報とはそのくらいで、ちょうどいい「ソーシャル・ディスタンス」が取れると思います。(105頁)
「それ知らない」
そういうことが実はアナタにとってとっても大事なひと言なんじゃないかな?という。
必要ないと思ったら「ああ、そう」で放っておきなさい。
受け取りをはっきり拒否する。
「ノーサンキュー」という言葉を覚えましょう。
情報もそうです。
暴飲暴食は危険ですよ。
人生は「やってみなければわからない」ことの連続です。やる前に「こうすればいいかな。ああすればいいかな。どの選択肢を選ぶのが正解かな」なとどいくら考えても、ほとんど意味はありません。(191頁)
正論は−中略−
まったく通じない場合もあるからです。(211頁)
正しい意見がいつも通じる世の中ではないし、正しい意見、正論が人を説得できる主張でもない。
「納得した主張が正論になっていくだけのことですよ」という。
住職は締めくくる。
「私ができるのは人事を尽くすことだけで、結果がどうなるかを決めるのは私ではない。だから事が終われば、心をわずらわせることは何もない」ということです。
この「人事を尽くして天命を待つ」というのは(221頁)
「放っておく」
これが一番大事なことですよ、という。
「放っておく力」
言葉の響きが好き。
結論を出してはいけない。
放っておけるなら放っておきたいと思う水谷譲。
「放っておけない」という気持ちこそが一番危険。
人間との縁なんていうのは典型的。
知り合って「この人と縁があるな」と思うが、縁があるかどうか確かめる為にはしばらく放っておかないとダメ。
恋だってそう。
最初に会った。
あんまり好きなタイプじゃない。
ところが二度目に会うとこの人が何となく好もしい。
でもそれが恋か、恋が愛になるかというと、放っておかないと確認のしようがない。
これは内田樹さんの言葉の中で、その手の言葉が一番感動したのがそれだった。
人間は訂正しない限りそのことに注目できない。
一回目パッと見る。
「あ、好きなタイプじゃないな」という言葉でその人を外しておいて、二度目に会った時に「好きじゃないな」というその言葉に二重の線を引いて否定する。
だから一番最初に「好きじゃないな」と言わないと本気で好きになれないんだ。
人間はそんなふうにしてその人との関係を深めるという。
人間の心はそういうことが凄く大事らしい。
だから、この住職のおっしゃっている「放っておく力」というのは頷ける。