『「できる」と「できない」の間の人』というタイトル。
(著者は)樋口直美さん。
昭文社。
この方の本を取り上げている。
彼女自身はレビー小体型認知症という幻覚が見えたり幻聴がしたりという、そういう脳の病を抱えておられるのだが、その自分の病と付き合いながら「病の中にも才能と呼べるようなものもあるのではないだろうか」という、冷たい水の中に砂金を見つけるような一冊。
そしておっしゃっているのが「こうあるべき」とか「正しい」ということはこういうことだとか自己責任だとかいろんなことがあるが、「命にとって一番大事なことはみっともなくてもいい。生きてゆこうとそう決意した命」という
内田樹先生がおっしゃっている。
「一番大事なのは生命活動の中心にあるもの。そう『生きる力』。それをどう励ますかなんだ」という。
力強い言葉。
「認知症」といってもその原因となる病気は、60種類以上ある。一番患者数が多い病気がアルツハイマー型認知症、次に多いのがレビー小体型認知症ということになっていて(161頁)
とにかくその原因は一つではない。
全ての認知症のスタートは物忘れ。
ものだったらいいのだが重篤になると生きていることさえも忘れてしまうという病態まであるということ。
これは凄いことに老いても若くてもなる人がいるという。
この著者の樋口さんなんかもそう。
若いうちにレビー小体型認知症と言われている。
現代と昔を比較してみましょう。
100歳は、−中略−1963年には全国で153人だったようだ(162頁)
戦争が終わって15年ぐらい。
昭和の真っ盛りの頃。
それはやはり長寿長寿ともてはやされたものだ。
ところが現代は
100歳は、−中略−8万6千人もいる(162頁)
そんな時代。
我々が生きているのは
もう長寿というのは奇跡でもなんでもなくなったという
1962年の平均寿命を調べると、66歳だ。(163頁)
もうお年寄りが少ないものだから「ボケた」とか「モウロクしたねぇ」とかという乱暴な言葉にできたのだが、もう今はできない。
日本の90歳以上の女性の認知症有病率は71.8%。(169頁)
認知症の最大の困ったところはとどのつまりは人間関係。
人に対して反応できなくなる。
認知症に於いて重大なのは何かというと「居場所があるかどうか」。
昔は認知症になっても居場所がいっぱいあった。
居場所がある。
家の中にいればよかった。
「ボケ」とか「モウロクした」とか言うが、そのことは病気ではなかった。
その一例として昔なんか婆さんとか爺さんがボケたことを言うと「天声語使い始めた」という。
天の声を使い始めた。
つまり爺ちゃんとか婆ちゃんはもう、だんだん死ぬのが迫ってきたので天での会話を現世に持ち込むようになったという。
「天声語、天声語」と言っていた。
だからモウロクとかボケというのはちっとも不吉なことではない。
もう「当然だ」という受け取り方があった、
ところが最近はやっぱり人間関係、対人関係に於いて症状の一つなのが物が無くなると「取られた」と怒る。
そのことあたりが人間関係を波立たせるワケだが。
「取られた」という人は初めから無かったという事態が想定できない。
だからどうしても結論は「アンタが盗んだんだろう」なんて言いながら嫁さんに喰ってかかるものだからトラブルがという。
暴言がある。
暴力、暴れたりなんかなさる。
それから幻覚がある、妄想がある、そして徘徊がある。
これがやっぱり「異常、異常」ということでひとくくりにされる。
でも、間違いなく言えることは百歳まで生きればほとんどの人は認知症になる。
軽度を横に置いておいて。
老いの先に待っているのはその姿。
それは命のゴールの証。
一番重大な共通点は死に対する恐怖感がゼロ。
幻覚とか幻聴とかということをしきりに言っているが、そのほかにもまだまだ脳には不思議な側面がある。
認知症の問題点は脳を調べると「これが主な原因である」と断定できないという。
脳の部位によって全く違う症状が出たりなんかするものだから特定できない。
一つの理屈で脳を説明することは不可能。
脳の中にあるのはもしかすると様々な扉。
それが脳の中にあるのではないだろうか?
その中の一つに宮沢賢治のイーハトーブに通じるような
それから芥川龍之介のように架空世界と現実世界を比べるというような「河童」の世界に招いたりという
いずれも脳の扉。
どの扉に辿り着くかで不思議な世界というのが変わってゆくという。
失礼な言い方ながら病の人の文章というのはまことに興味深いもの。
今日からご紹介する方は別の病の方。
前に一回取り上げたことがある。
潰瘍性大腸炎。
この病のすさまじさは何かというと、腹痛、血便、下痢で。
最も鬱陶しいであろうことだが、下痢が自分で制御できない、コントロールできない。
成人男子でありつつ、便を漏らしてしまうという粗相の屈辱に耐えなければ生活できないという。
それから食事も自由に摂れない。
だからサラリーマンで「メシでも喰おうや」というのが社交の第一段階。
でも、世間のものを食べると下痢がいつ始まるかという
頭木弘樹さん、創元社から出ている「自分疲れ」。
これもなかなかの興味深い本。
この方の文章の中で前にご紹介したヤツ(「食べること 出すこと」の回のことを指していると思われる)で一番切なかったのは病院に行く。
診察を受けているその隙間に下痢をしてしまう。
これは凄く切ない。
自分で自覚できない。
サラサラと水のように肛門から糞便をしてしまって。
発見した看護婦さんにモップを差し出された屈辱。
この時この方は二十歳だから。
この病は辛かったろうなと思う。
頭木さんがおっしゃるのに、この潰瘍性大腸炎というのは悪化と軽快、普通の人の生活ができるという、それを繰り返す。
だから軽快になった時に「治った」という実感がある。
ところがまた元に戻ってくる落胆というのがもの凄く不快らしい。
さっぱり従ってくれない体に対して心の自分が疲れてしまうという。
その本のタイトルが「自分疲れ」。
このタイトル「自分疲れ」。
表題はまことに説得力がある。
著者はその書物の中でこんなことを言っている。
健康なとき、人はほとんど体を意識しない。
胃が痛くなって、初めて胃を意識するように、不調になって初めて、その臓器の存在を意識する。
つまり、体についていちばんよく知っているのは、体に問題が起きた人なのだ。(9頁)
武田先生はその典型。
内臓が丈夫なばっかりに。
胃なんか意識したことがない。
だから心臓もそう。
(二尖弁が発見された時に体調の変化は)何もない。
日常の生活は無理でも何でもできる。
現実に無理をしていた。
昼夜二回公演の大衆演劇の舞台とかで四十数ステージとかというのを二十日間ぐらいでやっていたから。
これはもう一日の労働時間は十数時間を超えている。
そんな暮らしをしても心臓に異常を感じることはない。
お医者さんから言われた時は「オーバーだな〜」とかと思っていた。
ちょっと鼻風邪を引いた。
それが風邪なのかインフルエンザなのか。
ドラマをやっている最中だったというので、スタッフの一人が「インフルエンザじゃないっていう証明だけ欲しいんですよ」と言ってロケ地の先の市民病院にいやがる武田先生を引っ張っていった。
そうしたら若いお医者さんだった。
聴診器を胸に当てながら「心臓に異常ありません?」という。
若い医者だが凄く耳のいい人というか、腕のいい・・・
その心臓の鼓動だけでポンプが送り出した血がどこかの弁で逆流している音が心音として聞こえた。
それで「半年に一回必ずテストを受けてくれ」ということになって、心臓の様子を記録する機械を付けたり。
一番最後は麻酔をかけてチューブを入れて覗くという。
泊まり込みでやったのだが。
あの不安な日々・・・
そこでわかってよかったと思う水谷譲。
わからないままだったらどうなっていたかという。
それで半年に一回行くうちにお医者さんがわかりやすく信号の色で説明してくれる。
黄色点滅から始まった。
「黄色点滅ですよ」
だから「徐行」。
その次が「黄色」。
それで「赤点滅」と言われた。
「命に関わるんでどっかで決心してくれ」という。
そのお医者さんも、もの凄くいい方で「私が信用できなかったらセカンドオピニオンで訪ねてください」と。
そうしたら「うちの病院に腕のいいのがおりますんで、その彼に相談してください」と。
この執刀医の先生がよかった。
感謝している。
疑問は「自覚症状も何にもないのに、何で『手術しないと死にますよ』なんて言われるんですか?」と。
そうしたらそのお医者さんは「心臓はねぇ、武田さんに似てるんですよ。頑張り屋さんなんです。弱音を吐かないんです。吐いてくれるといいんですけどねぇ」と言われた時に「いいかぁ。この人に付いて行こう」と思ってそれで手術を受ける決心をという。
十数年前の出来事だが、本当に健康な時に臓器なんか一切気にしない。
この方の言う通りだが、この頭木さんの潰瘍性大腸炎による気づきをご紹介していこうと思う。
病の方のご本。
頭木弘樹さん「自分疲れ」。
この方は潰瘍性大腸炎。
人というものを理解する為に人は人を身と心に分けた。
著者はそう言っている。
その二つの重なりを「私」と呼ぶことにした。
ところが心を頭脳として体との関係を考えても奇怪なことが起こる。
それがこの番組ではよく取り上げている「幻肢」。
「幻肢」とは、事故や病気などで手や足を切断した人が、まだ手や足があるように感じる現象のことだ。当人の感覚としては、手や足がちゃんと存在していて、動かすことができたり、痛みを感じたりするのだ。(38頁)
著者は「面白い体験」と言っては何だが、興味深い体験をこの本の中で紹介してある。
この幻肢というのは腕とか足ばかりではないんだ、と。
内臓にもあるんだ、と。
私は−中略−大腸を手術して摘出している。大腸がなくなると、どんな感じなのかなと思っていたが、手術後も変化がなかった。なんかごろごろしたり、大腸があるような感じがした。−中略−「もしかすると、大腸の幻肢かも!」と思いあたった。(39頁)
作家の内田春菊が、肛門での幻肢の体験をエッセイに書いていた。病気のため「肛門を閉じてしまい、左わき腹にストーマ(人工肛門)を増設しました」「が、手術が終わってしばらくした頃、もとの肛門部分が、お腹をこわした時のようにしくしく痛みだしました。−中略−「主治医に相談したところ、−中略−それは幻肢痛ですね。なくした腕や足が痛むという話があるでしょう。それと同じで、なくした肛門があるかのように傷むんです』(38〜39頁)
こういう幻視の痛みというのが内臓でも起こり得るという。
もの凄く乱暴に言えば「心と体は一致していないぞ」。
心と体がずれている。
それが「私」という事実なんだ、という。
だけど心にとって体はなければ困るし、体がないと心の不快という感情も湧き起らない。
どんなふうに考えればいいのだろうか。
考えてみれば心臓、肝臓、腎臓。
呼び名があるように、心もまた、呼び方が変わる。
心を指す言葉はたくさんある。
「意識」「魂」「精神」「頭」「脳」……
これらは同じことなのか?
それとも別のものを指しているのか?(68頁)
「大和魂」だと突撃しそうだが、「大和心」だとお茶でもたてそうだ。(69頁)
今言ったのは覚えておいてください。
闘う時は「大和魂」とか「開拓者魂」とか。
ズルしない、正々堂々と戦う精神。
それから「アイツは頭がいい」とか「いや、彼切れるねぇとかというのは「頭」。
医学的には「脳」。
かくのごとく心の中にも様々な呼び名で呼ばないとピタッと納得できない心臓、肝臓、腎臓のような部分があるのではないだろうか?
基本的には全部「脳」だと思う水谷譲。
考えたり何だりするワケで。
人を好きになるのも脳。
それで心臓がドキドキする。
(脳と心臓が)結ばれている。
ところが何年か付き合ううちに全然ドキドキしなくなる。
あれは何なのだろう?
何十年も一緒に住んでいると「何だコイツは?」と思ったりするという。
ドキドキどころではない
「何でコイツと一緒になったんだろう?」なんて考えてしまう人間になってしまう。
それは一体何なのだろう?
武田先生はいつも思うのだが、日本の結婚式は上手くできているなと思うのだが、結婚する時に親族が打ち揃う。
それではっきり言って自分の惚れたその女はこんなに美しいのに「これが親戚?」みたいな。
「いいの当たった」とかと思う。
そうすると何十年か暮らしているとあの美しかった女房が、或いは格好良かった亭主がグングンその親戚になる。
一種若さが見せた幻覚みたいにして、その人の血脈を歳を取れば取るほど見せてくれる。
だからやはり結婚というのは凄く頭がしっかりした人はできない。
やはり勢いがないとダメ。
考えたら結婚というのは実は恐ろしいこと。
幻なのかも知れないと思う水谷譲。
やはり相手を誤解しないと、「この子は永遠にこの顔のまんまだ」とかと思わないととてもとても踏み切れるものではないという。
ちょっと話をもったいぶったが、興味深い症状・病態を皆さんにご報告する。
こんなことが世の中にある。
こっちの方がよっぽど不思議。
この本の70ページに「意識」という章がある。
(そんな章はない)
ここで頭木さんが報告しているのは事故などで頭を強く打った人の体験談。
『交通事故で頭を強打したらどうなるか?』(大和ハジメ、KADOKAWA)という、著者が実際に体験したことを描いているノンフィクション・コミックエッセイだ。
著者はトラックとぶつかって、体のケガは軽症だったが、脳に損傷を受け、意識不明となる。
そして、36日が経過し、「病院で目が覚めた」。
彼はそう感じた。そのとき、初めて意識が戻ったと。
しかし、じつは事故から14日目には、すでに意識が戻り、会話をしていたのだ。食事もし、リハビリもし、囲碁もし、ピアノも弾いていた。(71頁)
「私は私を動かしている」というのは、この人にとっては事実ではない。
つまり人間は「意識=私」というのだが、彼の中の違う部分が先に目を覚まして、生命活動を開始し、趣味や娯楽に遊びリハビリも開始しているのだが、36日目に目覚めた今までを思い出させる「私」が目を覚ました時、その14日目に目を覚ました「私」がどこにもいない。
これは、重大なことなので警戒して言葉を使わなければならないのだが、まずは「不思議な出来事」でいいだろう。
しかし、こう考えたらどうでしょう?
「私の中」に脳という器官が存在するのではない
「脳」の一部の機能として私が存在するに過ぎないのだ(72頁)
「意識=私」ではない。
「私」の中にいるのは一人ではない。
この「三枚おろし」でも取り上げたが三木成夫(みきしげお)という人間の生命進化を研究した学者さんがいらっしゃる。
人間の顔は、元は魚の鰓(えら)だそうだ−中略−人間では、元は鰓の筋肉だったものが、顔を覆い、表情筋になったのだ)。(74頁)
「台所でお魚をおろす時、このはらわたを出すでしょう。これが『内臓系』です」「そして残った食べる部分が『体壁系』です」(75頁)
これと同じように、生き物には「内」と「外」があるのではないか?
これは三木成夫さんという方がおっしゃっている。
「内臓系の中心に心臓が、体壁系の中枢に頭脳がそれぞれ位する」(ちなみに、死には「脳死」と「心臓死」があるが、それぞれ体壁系の死、内臓系の死ということになる)。(75頁)
だからこの頭を強く打った方の出来事というのは、先に内臓系が目を覚ました。
最初に内臓系が目を覚まして、その次に筋肉系が目を覚まして全部の記憶を・・・
これはまた話が出てくるが合気道というのはそういうことを教えてくれる。
「あなたはそんなふうに動きなさい。そしたら体はこう動きますから」
つまり「あなたがそう動けば体はそこからこう動く」という。
このへんが武道とよく似ている。
ちょっと合気道と混じってしまったが言いたかったことはそういうこと。
三木成夫さんという解剖学者で生命進化を研究なさった方。
もうお亡くなりになっているが、この方がおっしゃった名言をこの潰瘍性大腸炎の頭木弘樹さんが紹介しておられる。
切れるあたま≠ニはいうが、切れるこころ≠ニはいわない。また温かいこころ≠ヘあっても温かいあたま≠ヘない。つまり前者の「あたま」というのは、判断とか行為といった世界に君臨するのに対して、後者の「こころ」は、感応とか共鳴といった心情の世界を形成する──一言でいえば、あたまは考えるもの、そしてこころは感じるもの、ということです。(76頁)
「あたま」に住む「私」と内臓に住む「私」とは違うようである。
どうも「私」の中には様々な「私」が住んでいると思いましょうよ。
「切れるあたま」と言うが「切れるこころ」とは言わない。
「温かいこころ」はあるが「温かいあたま」はない。
これは人間、どこかで気づいているのだろう。
「いろんな側面があるぞ」という。
100歳の女性のこんなエピソードが載っている。
お婆さんは夜中になると2〜3歳の幼児になった。
「おかあさ〜ん、おかあさ〜ん」と今にも泣きだしそうな甘えた声を上げる。(中略)−中略−
夜勤者は22歳の女性。彼女はお母さん的対応をとった。
「どうしたの、フミちゃん」
お婆さんは、「ああ、お母さん来てくれた!」と大喜びし、彼女の首に抱き付いた。そして、こうささやいた。
「お母さん、入れ歯がないの」
このとき、この100歳の女性は、2歳でもあり100歳でもあったわけだ。(84〜85頁)
すべての世代の「わたし」が生き続けているのではないだろうか。(85頁)
考えさせられる文章。
頭木さんは食事や排便の苦痛を本の中で訴えている。
この病と共に生きねばならない苦痛を報告し、自分に疲れるのだが正直にそれを告白する。
そうすると少し自分が元気になるような。
武田先生も加齢の途上にあって時々歳を取っていく自分を暗く振り返ることがある。
加齢と共に暗くなる部分がある。
「でもね」と頭木さんがおっしゃって「私達は年齢を積み上げることによって年齢の分だけ心豊かにしてるから腹くくりましょうや」と。
著者は終わりにこんなことを言う。
「弱いロボット」をつくっている人がいる。
そばにいる人が手助けをしてあげないといけないロボットだ。
たとえば〈ゴミ箱ロボット〉は、自分ではゴミがひろえなくて、ヨタヨタしている。−中略−
ロボットがなんでもやってくれるのではなく、人のやさしさや能力を引き出すのだ。
その弱いロボットをつくっている豊橋技術科学大学の岡田美智男教授(148頁)
何かが上手くできない。
そのロボットを見ると人間は体が動く。
だからある意味でこれはリハビリに使える。
ヨタヨタ歩いているロボットを先にやらせておいて、足のリハビリをやっている老人を歩かせると、そのヨタヨタロボットを支え始めるというような。
岡田美智男教授が、インタビューで、自分の著書について「読んでくださる方が新たな解釈をつけ加えてくれて、はじめて完結するような『弱い本』なのだと思った」と語っていた−中略−
私はいつもこの「弱い本」をめざしている。(148頁)
弱い本の書き手のほうがたくさんの人々を励ますんではないだろうか?
この頭木さんの考えを受けると、私達が加齢と共に体が弱くなって、ヨタヨタの弱いロボットになってゆくのは、そのヨタヨタの中に希望を見付けなさいという摂理があるのではないだろうか?という。
名古屋の松坂屋がある。
あれはどんな歴史がある会社か?
信長の家来に伊藤蘭丸という人がいて。
信長は自分が可愛がっているお小姓の少年達に全部同じ名前を付けた。
それが「蘭丸」。
だから「森蘭丸」「伊藤蘭丸」「早川蘭丸」。
同じ名前で三人「蘭丸」。
ところが本能寺の変があって、森蘭丸は殿の為に闘って死んでしまう。
伊藤蘭丸君はその場にいなかったか、早川蘭丸君と一緒に逃げたか。
それで逃げた先が三重の松坂だった。
そこでこの蘭丸君は侍を辞めてしまった。
それで呉服屋を始めた。
それで名古屋に本店を出す。
それで名前を「松坂屋」にした。
武田先生はこんなふうにして歴史の裏側に沈んでいったとか、弱いものが強いものになるのではないか?という。
というワケで「病」二本のお話だった。