カテゴリ

2024年06月21日

2024年5月27〜6月7日◆鬼の筆〈後〉(後編)(7月12日追記)

これの続きです。

先週は松竹作品の「ゼロの焦点」まで話をした。
「ゼロの焦点」
松本清張さんの原作なのだが、橋本忍はこれを映画化するにあたって、後半の方は全く変えてしまう。
かつて売春をやっていた女性が過去を知っている人間を殺してゆくという。
サリーという元売春婦の仲間だった女性を殺す時は吊り橋から突き落として殺すのだが、これを橋本忍はやめてサリーが佐知子に同情を寄せると佐知子の中から悪で染まっていた心が晴れて泣き出してしまう。
「あんたも苦労したんだねえ。過去を隠す為にどのくらい苦労したか、ホント可哀想だよアンタ。よくわかるよ」と言われると泣き崩れるという。
それで「もう人は殺さない。あたしこれから警察に自首して出る」と言って警察に向かう途中、前の男を殺した毒入りウイスキーを後ろの座席でサリーが飲んでバックミラーで見た瞬間「あっ!」と声を上げて急ブレーキを踏むとサリーはその毒で倒れてしまう。
殺す気は全く無く、ここから善を始めようと思っていたという。
それが善を掴み損ねるというその悲劇。
急停車の車、中から「ウワーッ!」と女の泣き声が聞こえてくる悲劇。
このへんはやはり映画にする時にワクワクする。
やはりワクワクするようなストーリーを作らなければならない。

橋本忍というのは上手いこと言っている。

「小國さんの言うことにはね。シナリオライターというのは指先で書く奴と、手のひら全体で書く奴がいる。でも橋本お前はどちらでもない。腕で書いている。(252頁)

橋本は腕力を使う。その腕力による圧倒的な筆致により登場人物をねじ伏せて意のままに動かし、同時に観客の心をもねじ伏せる。(252頁)

佐知子がサリーを吊り橋から突き落とす。
「簡単だよ印象は。これじゃあ映画にはならない。なぜならば観客は悪に慣れるんだよ。慣れてしまうと悪に退屈する。そうするともう悪なんて描きようはないんだ。だから一端悪から抜け出してもう一度悪に落ちるというところを悲劇にする。これが映画なんだよ」
原作と違う。
ところが松本清張という人はわかっていたのだろう。
橋本忍にどんどん頼んでくる。
これは付け足しておくが、原作はまた、原作ということで売れる。
それは事実。
映画の方はというと、これはロケーションをやったのだが、石川県の東尋坊での犯人を追及する人妻との対決シーンで断崖絶壁で女二人が対決するという。
(追記:7月8日放送分の中で訂正。「東尋坊」ではなく「ヤセの断崖」。「東尋坊」は福井県)
この「断崖絶壁で語り合う」というのがサスペンスの定番になるというワケで、このあたりもやっぱり橋本の知恵。
「断崖絶壁で対決する」という。

清張は橋本や野村を招いて食事会を開いていた。そしてある時、橋本にこう語りかけてきたという。
「橋本さん、
−中略−これをぜひ映画にしてください。−中略−
 この時の新聞連載こそ、『砂の器』だった。
(215頁)

砂の器 デジタルリマスター版



この時も橋本忍さんは「変えますよ」ということはおっしゃっている。
砂の器も変えていきますよということを前提にして作品を読みだす。
ところが三分の一もいかないうちに橋本のつぶやき「(映画としては)全く面白くない」。
松竹が乗り出してきた。
東宝もヒットメーカーの橋本を手放すということはできなくて「いやいや!ウチでやろうよ!『砂の器』はウチでやろうよぉ」と誘う。
松竹の方はもうカッカ燃えているので「放すもんか」。
「松本清張・橋本忍・松竹」これをやりたかった。
それで松竹はとっておきを出した。
「アンタも一人で脚本大変でしょ。助手付けるから、アシスタント。コイツもね、ホン書けるの。まだ若いんだけど、これから伸びるヤツだから、ねぇ橋本さん。アンタんとこでシナリオの勉強させて伸ばしてやってくれよコイツを。山田洋次っていうんだ」
山田洋次監督。
フウテンの寅「男はつらいよ」で喜劇作品を手掛けているのだが、その喜劇を書いてるヤツは腕がいい。
喜劇というのは巧妙に仕掛けないと笑わないから。
作品の方はどういうことかというと、高名なクラシックの指揮者がいる。
その男には隠さなければならない過去がある。

 ハンセン病を患ってしまったために理不尽な差別を受け、お遍路姿で流浪することになった本浦千代吉(加藤嘉)と、それについていく幼い息子。行く先々で邪険に扱う人々と、それにめげない父子の触れ合い(212頁)

高名な指揮者がいる。
その男の父は皮膚病で村を追われた人。
息子と二人で日本を放浪の旅をしているワケだが伝染性ではない。
だが伝染するということでもの凄く激しい患者差別が日本にはあった。
この皮膚病に罹ると徹底した隔離が行なわれ、その人は一生涯人里離れた療養所でただ死を待つのみの暮らしを強制されたという。
その死んだお父さんのことを隠したい。
ところが有名な指揮者・ピアニストになった後に、そのことを知っている彼等を保護した正義感溢れる田舎の村の巡査さんが現われて「お前は息子だろ!」と言う。
「俺の過去を知っている」ということでその男を殺してしまった。
そういう物語。
これは松本清張さんが病に関する偏見がどれほど日本社会にはびこり、どれほど人を苦しめたかを小説で訴えた作品。
それが「砂の器」。
ところが読んでも読んでも橋本はちっとも感動しない。
まず泣けない。
若い演出家である山田洋次という青年も「病に関する偏見に対する怒りというのは映画で一時間以上訴え続けて物語にするのは難しいなぁ」というふうに思うようになった。
それで二人とも音を上げて「映画化不可能」ということで一回引く。

 六三年になり、事態が動く。橋本の父・徳治が死の病に倒れたのだ。故郷の鶴居に見舞いに行くと、その枕元には二冊の台本が置いてあったという。−中略−もう一冊が『砂の器』だった。
 病床の父は、橋本にこう語りかける。
−中略−『砂の器』のほうが好きだ」と。そして最後にこう付け加えた。
「忍よ、これは当たるよ」
 橋本は、父の博才に惚れ込んでおり、特に「当たる興行」を見抜く目を信頼していた。
(219頁)

お父さんは凄く面白い人で、どこの一座も12月は「忠臣蔵」をやりたがる。
武田先生も(「忠臣蔵」は)好き。

考え込んだ末に徳治の出した答えは、意外なものだった。−中略−
「『忠臣蔵』はやっぱりやめとくわ」
−中略−「一人が四十七人斬った話なら面白いけど、四十七人かかって一人のジジイを斬って、どこが面白いんだ」(220頁)

『砂の器』は当たる──。そんな父の言葉を受けた橋本は、東京に戻るとすぐに『砂の器』の脚本を読み返す。(222頁)

ここからが橋本忍の才能。

橋本はあるアイデアを思いつく。
「そういえば、小説にはあの父子の旅について二十行くらいで書かれていたよな。《その旅がどのようなものだったか、彼ら二人しか知らない》って」
(217頁)

これを橋本が読んだ瞬間「これだ!」と。
この一行だけ。
「その旅がどのようなものだったか、彼ら二人しか知らない」
これは丹波哲郎がセリフで言う。
それで回想に入っていく。
橋本の頭の中にブァーッと浮かんだ。
これをメインにする。
そしてこの間、原作に親子の会話なんか何も書いていないから無言劇にする。
無言劇にしておいて旅しているだけの二人を追う。
しかもワンシーズンじゃダメだ
「その旅がどのようなものだったか、(彼ら)二人しか知らない」それを日本の四季で描いてゆく。
「砂の器」といったらそのシーンがまず思い浮かぶ水谷譲。
それでそこを丁寧に描いていったら映画になるかも知れない。
「これは無言劇だが泣ける」という。
橋本忍はもっと凄いことを考える。
無言劇だからセリフがない。
どうするか。

『砂の器』の構成について考える上で、橋本が重要視していたものがもう一つある。それが文楽だ。−中略−
 文楽はまたの名を人形浄瑠璃ともいう。
−中略−この構図を「父子の旅」で使えないか──と橋本は考えた。つまり、人形遣いの操る人形が「旅をする父と子」、三味線が主題曲「宿命」、そして義太夫が捜査会議の今西。これにより、文楽のような荘厳で情感あふれる表現ができる。それが橋本の考えだった。(262頁)

一点突破するとブレイクスルー。
そうすると橋本の悲劇の予感が震え始める。
これに更に悲劇を盛り付ける。
悲劇をどう盛り付けるか?

この「父子の旅」の中で橋本が施した、ある脚色である。それは、幼き和賀と旅を続けた父・本浦千代吉の扱いだ。
 今西が捜査を始めた時点で、原作での千代吉は既に死亡している。が、橋本はそこを変える。千代吉は生きていた──という設定にして、今西と対面させているのである。
(263頁)

生かしてさらにお客を泣かせる要素を持ってくるという。
「砂の器」製作の裏側。
「その旅がどのようなものだったか、彼ら二人しか知らない」
この一行二十字からあの巡礼姿で四季を歩き続ける名場面が生まれる。

橋本はそこでのセリフを全てカットした。(234頁)

「砂の器」の原作を読んでいない水谷譲。
(武田先生は原作を読んで)頭を読んで一番ケツにもう行ってしまた。
もう退屈で。
(映画の内容とは)全く違う。
武田先生は一生懸命巡礼のところを探した。
巡礼は出てこない。
巡礼のイメージしかない水谷譲。
巡礼じゃないとダメ。
あれを考えたのは橋本忍。
恐らく兵庫の人なので、四国の八十八ヶ所に渡ってゆくお遍路さんの残像が橋本さんにあったのではないか?
それともう一つ、この春日さんの本には直接書いていなかったのだが、八十八ヶ所巡礼の歴史を訪ねると「裏遍路」という別道があったようだ。
それがどうやらその手の方達の為の道だったようだ。
哀れに思う人はそこにそっと喰いものを置いてあげて、お接待としたというということで成立させる。
橋本は昨日言った通り、仕掛けの為に原作では死んでいる父を殺さない。
これはまた後でお話しする。
まずは巡礼の親子二人が日本中を歩く、四季を歩くというシーンの撮影に入る。
ところがここ。
映画は大変。
四季・一年間を通して親子の道歩きを撮ると言った瞬間、松竹の会長さんが激怒。
「バカか?オマエらは。そんな撮影ができるワケないだろ〜!」
それはそうで、映画の撮影部隊となると50人から100人ぐらい。
しかも4シーズン。
日本のいいところを点々と狙う。
はっきりいって「製作費いくらかかると思ってんだ」という。
今だったらCGで何でもできるが、当時は現実に春なら春まで待って夏には一番暑い夏を待って戦前の日本の風景を探さなければらない。
それだけで大変。
それで製作中止になる。
そうしたら東宝さんがやってきて「ウチ、頂戴よ」と言うのだが、四季を狙うとなったら東宝さんも「黒澤だって二つしかシーズン撮ったことないのに、橋本さんの本で四つは・・・」という。
それともう一つ、橋本忍さんの憂鬱は監督さんも野村芳太郎と決まっているので、もし東宝で強行するならば松竹の野村芳太郎が会社を辞めて東宝に入らなければならないと思って。
ここからが橋本忍という人の執念深さ。
もう正しく鬼。
そして何と四季を撮る。
松竹も東宝も諦めて橋本プロという映画製作会社を興す。
カネがないと人間、考えるもの。
何を考えたか?
撮影スタッフは普通50人から100人がかかるのだが、撮影スタッフを10人にした。
10人で撮影している。
出演者二人。
それも巡礼姿で引き絵が多いから本人を連れていかなくても子供とそれなりの大人がいればどこでも回せる。
そのかわり、徹底して風景にこだわる。
戦前の日本の農村の風景。
それでこのあたりを考え始めると若き監督の山田洋次が燃えて、いい候補地を挙げる。
彼は別の映画で日本中のいい景色を知っている。
寅さんがフラフラ歩く道で。
「菜の花畑はあそこですよ」とか「満開の頃はいつだ」とか。
それで10人でOK。
ロケバス一台で間に合う。
それで4シーズン撮り切る。
それがかなってカネがかからないとわかったら松竹は「いや、ウチがやるよ。ウチがやるよ」と出て来たという。
ここは凄く面白いのだが、山田洋次監督もリアルなのがお好きな方なので橋本忍さんに「放浪の旅をする人の特徴で橋本先生。あの、こういう放浪の旅をする人は寒い時は暖かい所に行く。暑くなってきたら涼しい所に行くのが、だいたいこの手の旅のパターンですよ」と教える。
橋本さんも何か直感があったのだろう。
本には(山田洋次監督のことは)「洋ちゃん」と書いてあった。
「なあ洋ちゃん。一か所だけ裏切っていいか?寒い時に寒い所を歩かしたいんだ。一か所だけでいいんだよ」
山田監督がまだ若いから「ああ、そうですか?」とかと言って乗らない。
横に置かれてその撮影が強硬された。
いい。
親子が北陸の海岸を歩いている。
タイトルに「砂の器」と入れると・・・それがポスターになる。
象徴になる。
映画というのはわからない。
こういう偶然の中から中止を命じられた作品が人数を絞ることで回転し始めた。
いい話。
ここから橋本忍は仕上げにかかる。
春日太一さんの「鬼の筆」橋本忍伝ということでお送りした「砂の器」
感想から言うと巡礼の親子二人が旅する日本の四季の美しさ。
菜の花畑のシーン。
一本道いを歩いていると村の子が石をバーッと投げつける。
それを黙々と二人は歩いてゆく。
そして寒い冬、神社の床下か何かで親子が抱き合って眠っている。
泣ける。
この描き方は凄い
脚本ばかりではない。
監督の野村芳太郎さん、共同脚本の山田洋次さんの才能も込みで素晴らしい。
本当に泣けた。
何でお父さんを殺さなかったか?
橋本忍に言わせると「悲劇が足りない」。

 捜査の末に療養所にいる千代吉にたどり着いた今西は、千代吉に音楽家として活躍する和賀の写真を見せる。(263頁)

五体を震わせ、波打たせ、激しく慟哭する。そして声を振り絞って叫ぶ。
千代吉「シ、シ、知らん! 知らん、ヒ、ヒ、人だァッ!!」
(265頁)

あの加藤(嘉)さんの熱演。
「知らん」と言う度にどれほど知っているかという父親の情愛。
森田健作(吉村弘)と丹波哲郎(今西栄太郎)が逮捕に行く。
彼は「宿命」という曲を演奏している。
森田さんが「何を考えてんですかね、あいつ」と言ったら丹波さんが「今、父親と会っている」。
銀座(の映画館)で見て泣けた武田先生。
丁度武田先生も子供を持ったばかりだった。
感情移入してしまう。
「親になるっていうのはこういうことなのか」とか。
泣けた。
もう一回繰り返す。
原作では父親は死んでいる。
しかし映画では死んでいない。
なぜならば悲劇性。
腕力で観客をねじ伏せる。
その橋本脚本の妙というのがこの映画の中で生きている。
もう一回繰り返すが原作の「砂の器」と映画「砂の器」は違う。
でも映画にするというのはそういうこと。
何回もアンコール上映がされたし、皆さんもご存じだろうがこの作品はTBSの福澤(克雄)さんの手で原田芳雄さんがお父さん役をやって中居君主演で連続テレビドラマになった。

砂の器 DVD-BOX



この「砂の器」の成功を受けて映画会社が橋本忍のところに寄って来る。
「砂の器」が終わると同時に「先生!こっち」と言って橋本忍をかっさらった映画会社が東宝。
大変な作品。

八甲田山 <4Kリマスターブルーレイ> [Blu-ray]



「八甲田山」に取り掛かる。
タフな人。
橋本忍という人は肺結核で死にかかった人。
その方が高齢になって引き受けた作品が「八甲田山」。
「八甲田山」のキャスティングはもちろんだがロケにも付き合うという。
これはもう喋っても大丈夫だと思うところだけ喋るが、主演・高倉健というのは決まっていた。
「相方の神田大尉を誰にするか」というので、なかなかキャスティングが決まらずに最後は健さんが決めたようだ。
「誰がいいですか?」と訊かれて、ご指名なさったのが北大路欣也。
それで決まったという。
凄い撮影。
八甲田山。
寒かったろう。
ここでも橋本忍は工夫を繰り返す。
これは現地に行った人でないとわからない
「八甲田山」
ストーリーを今日は説明しておく。

陸軍第八師団は青森県の八甲田山系での雪中行軍を実施する。だが、雪の八甲田に突入した青森歩兵第五連隊は大雪と猛吹雪の中で道を失い遭難、最終的には参加二百十名のうち百九十九名が死亡するという悲惨な結果になってしまう。−中略−新田次郎が『八甲田山死の彷徨』として小説化し(332頁)

八甲田山死の彷徨(新潮文庫)



橋本という脚本家はいろんな工夫をして、軍隊の集団が片一方は全滅に近い遭難事故を引き起こし、片一方は上手く八甲田を下山してきたという対比をもって描こうとした。
事実はそうではない。
事実はいろいろ解釈があって事実と違うのだが。
どうやって大遭難が起こったかというのを克明に描く。
ただ橋本は気づいている。
これが面白い。
雪の中で撮影をやるのはいい。
ただし、考えたらそう。

映像はひたすら真っ白な雪に囲まれてしまうことが想定された。(337頁)

(普通は)そんな心配なんかしない。
考えたこともなかった。
それで橋本が思ったのは、時々回想を入れて白のに脅威を増すように前の回想は緑の山を描いておいて真っ白にするという。
「それを繰り返さないと、この映画はもたない」という。
このへんは凄い。
だから小説の文字と違って、映像化というのはこういうことがある。

映画「八甲田山」、脚本・橋本忍。
遭難していく悲劇を描くのだが。
八甲田山の山のふもとか何かに神田大尉ら遭難した兵士達の死体がずらっと並んで棺桶の中に神田大尉は入っている。
そこへ健さん・徳島大尉がやってきて棺桶のすぐそばに栗原小巻さんの奥さんが立っている。

徳島へはつ子がしみじみと
はつ子(※神田の妻)「八甲田では三十一連隊の徳島様に逢える……それだけが、今度の雪中行軍の楽しみだと申しておりましたのに」
徳島「いや、雪の八甲田で逢った! 自分は間違いなく神田大尉に!!」
  同時に両眼からどっと涙が噴き出してくる。
  涙はあとからあとから噴き出してとまらない。
(343頁)

隠れた話だが、棺の中を見て健さんがパッと寄りに行って泣くのだが、あの映らない棺の中に北大路さんがいた。
顔をちゃんと白く塗って死体として。
そこにかかるまで何時間かかかっている。
それを北大路さんは健さんの為にジーッと待っていたという。
健さんは棺の蓋を開けた瞬間に北大路さんがいるので「俺の為に死体を演じてくれてるんだ」と思う。
もうそれだけでこみ上げてきた。
(それは映像には)映っていない。
でも北大路さんが死体を演じてくれたというところに「俺はあいつを共演者に選んでよかった」という。
それぐらい過酷なロケだった。
それでここから話を手短にする為にバッサリ切ってしまうが、この八甲田山が終わった後の健さんの次の仕事「幸福の黄色いハンカチ」の撮影現場。

幸福の黄色いハンカチ デジタルリマスター2010



健さんは例のマツダの赤い車(4代目のFRファミリア)の中でこんなことをおっしゃっていた。
「監督っていうのは凄いもんだなぁ。この山田監督も凄いけど、前の監督さん、台本にないシーンが入っててびっくりしたんだ」
「何ですか?」
「俺の少年時代の回想が入ってくるんだよ。俺が吹雪道でボーッとしてる時にポーンと子供に戻った俺の思い出は父ちゃんと母ちゃんが田植えしてるところなんだ。青森の夏の日照りの中で。俺は汗を拭いて働く父と母を見てるんだ。そこをポーンとなんだけど、何だか泣けてさぁ」
「へぇ〜」と思って「監督さんというのはポンと入れたりするんだ」とかと・・・
ところが、この春日さんの本を読んだら違った。
台本にあった。
これは健さんは忘れているとしか言いようがない。
そこは重大なシーン。
どうして重大かというと、そこのシーンが強烈に訴えられていなかったということが橋本さんは生涯の後悔。

八甲田へ進む前。神田大尉が青森から、弘前の徳島大尉を訪ねる場面なんだ。神田は『雪中行軍の辛い時には、子どもの時を思い出す』っていう話をする。それに対して徳島は『俺はそんなこと、思わんな』と言う。(344頁)

健さんはやったのを忘れている。
でもこれは脚本家の橋本忍にとってはもの凄く大事なシーン。
昨日言った。
白い雪山が続くので緑を時々混ぜ込まないと白の恐怖が伝わらない。
橋本はそこをちゃんと計算した。
ところが監督さんとキャメラマンは何気ない会話で終わっている。
橋本忍は割って欲しかった。
北大路がポツンとつぶやく「寒さで辛い時は、子どもの時を思い出して耐えましょうよ」。
そうしたら健さんが「俺はそんなことは思わんよ。そんな子どもの時の思い出なんかにすがらないよ」。
でも死の彷徨の最中、徳島を救ったのは「神田の言った通り子供の時のあの夏の思い出が吹雪の中で俺を救ってくれた」という。
その目で神田を見た時に「済まなかった・・・お前の言う通りだ」。

ここでの二人の交流により、終盤の「泣かせ」の芝居に繋がってくると計算したのだ。
 だが この出発前の場面が想定より印象の薄いものになったため、終盤の「泣かせ」が弱くなってしまった。それが橋本の見解だった。
(345頁)

橋本さんが証言で残されている無念さというのもこの本、春日さんがタイトルを付けた通りだが「鬼の筆」。
話はこの後もまだまだ続いて、この八甲田山が成功したことにより今度は「砂の器」で成功した松竹は「橋本さん、こっちに来てよ」で引っ張られて行く。
次の作品は「八つ墓村」

八つ墓村



それにしても凄いもの。
「羅生門」から始まって、日本映画のヒット作の殆どに携わったという大脚本家。

2024年5月27〜6月7日◆鬼の筆〈後〉(前編)

これの続きです。
(一冊の本を二週ずつ二回に分けて取り上げていて、どちらも「鬼の筆」というタイトルだったので、一回目を「鬼の筆〈前〉」二回目を「鬼の筆〈後〉」としておく)
(番組の冒頭はQloveR(クローバー)の宣伝)

まな板の上、「鬼の筆」が乗っている。
丁度一か月前ぐらいだが「鬼の筆」橋本忍伝ということでお送りした。

鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折



(今回もいつも以上に番組内で本の内容と大幅に違うことを言っているが、個別に指摘しないことにする)
(この本は「橋本へのインタビューによる証言と、創作ノートからの引用箇所は全て太字」ということなので、引用箇所も同様に表記する)

春日太一さんの大著。
本当に面白かった。
取れ高が余りにも素晴らしいもので後編に行くのだが、後編でもこの一冊を全部お話しできない。
珍しくこんな弱音を吐くが、後は読んでください。
何となくこの本を読んで思ったのだが、春日さんにも申し訳なくて。
武田先生の場合は(著書の)ネタばらしをやってしまうワケだがから。
とにかくこの本、「鬼の筆」を店頭で取ったのはもう数か月前のことで、読み出した理由はというと漫画原作の方とテレビ脚本家の方がテレビドラマを作るにあたって脚本をいじりすぎるとか、原作者の思う通りに行かないということで漫画原作者とテレビ制作者の揉め合いみたいなのがあったもので。

セクシー田中さん コミック 1-7巻セット



武田先生も先生もので結構変えている。
ワリとよく変えてしまうタイプだと思う水谷譲。
(水谷譲の評価に対して)「うるせぇ」と言ってはいけないのだが。
それは脚本家としては原作者としてはお怒りの(方が)いらっしゃったのではないか。
「白夜行」とかあのへんも・・・

白夜行 完全版 Blu-ray BOX(4枚組)



「白夜行」では親鸞の「歎異抄」をつぶやく。
あんなのは脚本に一行もない。
「ここ俺こうやるから」と高圧的に出ないと。
監督さんは横を向いて「あ・・・はい・・・」と言いながら目を合わせようとしないという。
山田(孝之)君は寄ってこないし、綾瀬(はるか)も来ないし、監督も知らん顔をしているから。
でもドラマ自体がそういう設定。
向こうは犯罪を犯して逃げていく犯人で(刑事役の)武田先生が追いかけるから。
でも高く評価してくださった。
お世辞ではなく本当にドラマは面白かったと思う水谷譲。
(原作者の)東野圭吾さんには打ち上げの時にちゃんと詫びた。

白夜行 (集英社文庫)



(原作では)武田先生は中途で殺されている刑事。
それをずっと生かした。
そこがもう(原作との)決定的な違い。
前のあの時も言ったが、漫画をドラマ化する場合は漫画そのものがもう視覚情報になっているので、ドラマ化した場合、ドラマと余りにも違うとファンの方は怒る。
文字で書かれた原作の場合は、映像化する為に工夫しないと原作をそのままできない。
これはちょっと武田先生が言うのは不適当かも知れないが、そのあたり、橋本忍というこの巨大な脚本家は原作を変える変える。
橋本忍という脚本家としてのスタートは、映画監督の中に黒澤明さんという天才的な方がいる。
この方から共同脚本を申し入れられて「羅生門」「生きる」「七人の侍」、戦後邦画の最高傑作を三本渡り歩いている。
本当のことを言うと、もう一本だけでも凄い。
黒澤明という天才的な監督さんとくっついてそのままずっと・・・という生き方もできるのだが、橋本さんの大胆不敵なところは「俺は台本工夫してもトロフィーみんな黒澤さんが持っていくな」ということに気付く。
単独で自分の作品で自分の存在みたいなものを世の中に訴えたい。
この人は大胆不敵な方。
そして橋本忍という人は文学が嫌い。
この人は何が好きかというと大衆演劇が好き。
村芝居が。
それで戦後日本の映像芸術に乗り出していくワケだが。
ちょっと言葉が悪くてごめんなさい。
非常に下世話。
だけど下世話というのはパワー。
この人は「羅生門」「生きる」「七人の侍」を作った後、自分で企画に乗り出す。
橋本忍氏が手掛けた作品のスタート「私は貝になりたい」。
この人は映画を作りたかったのだが、映画になっていない。
この「私は貝になりたい」を映画にしたのはTBS・福澤克雄氏の手により中居正広君主演で映画化した。
映画の為に作った脚本をなぜ映画にしないで、今頃になってSMAPの中居さんが演じているんだろう?という謎。

昨日の謎だが、スタジオでもグシャグシャな話になって。
「『私は貝になりたい』ってあれは中居正広主演のテレビでしょ」
「いや、違う。それは『砂の器』」
これは解きほぐしてゆくので「え?違うんじゃないの」と思わず、まずは聞いてください。
橋本忍という脚本家は黒澤明の手を離れて一人独歩で生きて行こうと思う。
あれほどの名作を残したけれども「何だ。栄光は全部黒澤にいっちゃうんじゃ無ぇか。俺の苦労は何だ」。
そういう大胆不敵な方。

 実は、『私は貝になりたい』には原型となる脚本があった−中略−
 戦時中に書いた脚本の題名は、『三郎床』という。
(157頁)

「三郎床」を書いて伊丹万作先生に賞められた。実に人のいゝ散髪屋が応召して戦死する話である。十数年来、常にこれを何らかの形で発表したいと念願にしていた。(161頁)

ある記事と出会う。それは、『週刊朝日』の五八年八月十七日号の終戦記念特集に掲載されていた記事だった。そこには、処刑された戦犯の遺書として、次のような文章が掲載されていた。
「どうしても生まれかわらねばならないのなら、私は貝になりたいと思います」
−中略−
 これを読んで、橋本は閃く。この処刑された戦犯と、床屋の三郎を繋げれば、一つの物語になるのではないか──と。
(161頁)

それは田舎の小さな三郎という名の床屋さん、或いは床屋の経営者が、戦争に駆り出されて、ただ隊長から命令されて米軍捕虜を殺したのに、戦後絞死刑になるという。
それで脚本を書く。
「三郎床」と「私は貝になりたい」のその遺書をくっつけて。
それで映画化の話がトントン進む。
ところがここで大きなミスが。

『私は貝になりたい』には「原作者」がいた。それが加藤哲太郎だ。(163頁)

「八月終戦号の『週刊朝日』でね、ある戦犯の手記として書かれていたんだ。−中略−『週刊朝日』が出典を明記してないから、わからなかったんだ。だから、本当にそういう戦犯の人がいたと思った。ところが後になって、それを実際に書いた人が出て来たということなんだよね」(164〜165頁)

これが事実のB級戦犯のつぶやきだったらば脚本のセリフはOK。
ところがこれが「作ったものを取って作った」となると盗作になる。
この「B級戦犯の遺書」というのは加藤哲太郎という方の体験を踏まえた創作作品で小説の中の文章。
それを橋本忍はニュースのネタだと思ったのだが、週刊朝日も悪くて。
ごめんなさいね、週刊朝日の方。

たしかにその記事には出典の明示はなく、記者が「加藤の創作」ではなく「本当の戦犯の遺書」だと勘違いして記事にしてしまったとある。(165頁)

「こんな悲しいセリフがあった」みたいなことを書いたものだから。

 加藤は−中略−「狂える戦犯死刑囚」を執筆、それが−中略−『あれから七年──学徒戦犯の獄中からの手紙』に収録された。その「狂える〜」には、次のような文章が記されている。
「どうしても生まれかわらねばならないのなら、私は貝になりたいと思います。
(163〜164頁)

そうつぶやいた人は、はっきり言えば世の中にいない。
そんな人はいなかった。
それを事実として拾った橋本は盗作で作者の加藤さんに訴えられる。
「知らなかった」では済まされないということ。
それでもう土下座せんばかりに詫びを入れて

以降は、『私は貝になりたい』の「題名・遺書」として加藤の名前がクレジットされることになった。(166頁)

それで汚名をそそぐ為にもいい脚本にしたのだが映画会社が「ミソ付けちゃったからぁ〜。裁判で揉めたヤツを映画にするのはぁ〜先生、難しいっスよ」ということになった。
そうしたら東京のテレビ局が「テレビでやりましょうよ。カネ出しますよ、ウチ」という。
これも橋本さんの知恵だろう。
それで主役を細やかなリズミカルな演技で有名な元ドラマーの俳優・フランキー堺に頼む。

私は貝になりたい



それでフランキーに命じられたのは「手錠で縛られて演技しろ」。
その時に動きを封じられたフランキーさんが実に深い心情芝居をやる。
これはもう皆さんもご存じだと思うがTBSテレビのドラマ史上、テレビドラマ史上を歴史に残る傑作となったという。
この話をずっと後まで引っ張っていくと橋本さんの胸の疼きの中に「映画化したかったなぁ」という。
そうしたらそこに2mもあるような福澤さんというTBSの社員さん、ディレクターさんがやってきて「中居正広君でドラマ化したい」という。
それが映画化になったという。

私は貝になりたい



その時は新しいメディアだから、テレビはやっぱり凄かった。
ドァ〜ッと流れ込むように橋本忍のところに脚本の依頼が集中するという。

今日の橋本作品は1960年代、今井正監督による「真昼の暗黒」という東映作品に乗り出す。

真昼の暗黒 [DVD]



これは武田先生も見たことがない。
ただこれは、本当に春日太一さんの本を読んでいて面白かった。

 一九五一年に山口県で実際に起きた強盗殺人事件を題材にした裁判劇だ。−中略−四名は無実を訴えるも、高裁で有罪判決を受けてしまう。映画は最高裁の公判の最中に製作された。
 そして驚くことに、まだ最高裁の係争中であるにもかかわらず、本作の製作陣は四人を「冤罪」と断定して描いているのだ。
−中略−
 身に覚えのない罪状により逮捕され、警察や検察の立証の甘さを弁護士が突くも裁判官に採用されない──。そうした中で苦しむ容疑者やその家族の悲劇が、法廷ドラマとしてのミステリー性を交えて描かれた。
(129〜130頁)

これは橋本さんというのはそのへんは凄く大胆。
これはもう、今で言うところの「昭和の人」。
「昭和の常識・令和の非常識」と言われる、そのパターン。
今井正はそれで描いていく。
民間人が無実の罪に落とされて、どのくらい苦しんでいるかというのを。
これは裁判は係争中なのだが、映画は「無罪に間違いない」ということで封切ってしまう。

そのため最高裁や映倫から製作中止の圧力がかかり、公開前から大きな話題を呼んだ。(130頁)

『真昼の暗黒』『私は貝になりたい』と、橋本は司法や国家権力の横暴を暴く作品で名を馳せた。
 そのため、左翼的なイデオロギーの持ち主、あるいは共産党系──と思われがちだ。
(172頁)

それはちょっと共産党の方に悪いが、この当時の60年代の言い方。
共産主義を酷く日本が嫌っていて、宗教団体が「共産主義は間違っている」なんていうのをしきりに街角で喧伝していた時代。
「橋本は社会正義の為にこういう裁判告発ものを作ったんだ」「今井もそうだが橋本も共産主義者」という。

『真昼の暗黒』に臨んだスタンスについて改めて尋ねた際、橋本から発せられたのは、あまりに思わぬ言葉だった。−中略−
「国の裁判制度を批判しようとか、そんなことを狙って書いたものじゃないんだ。
(146頁)

橋本は何を狙ったか?
「泣ける」

 それを踏まえると、ラストシーンの見え方も変わってくる。高裁でも有罪判決が出て、容疑者の一人・植村を母・つなが拘置所に訪ねる場面だ。
 面会室で言葉もなく、ただ涙を流しながら向き合う母子。そして、母は去る。その背中に向かって、植村は叫ぶ。
「おっかさん! おっかさん!」
「おっかさん、まだ最高裁判所があるんだ! まだ最高裁判所があるんだ!」
 必死にそう叫ぶ植村を看守たちが押さえつけながら、映画は終盤を迎える。
(149頁)

これはもう裁判所とか警察の大反感を買う。
過去の出来事を解釈を変えて今の映画やドラマにするというのだったらわかるが当時、起こっていた出来事を平行して(映画化するのは)凄いことだと思う水谷譲。
それで橋本がはっきり言っているのは「社会正義なんかじゃ無ぇ。泣けるからいいんだ」。
橋本は断固として言う。
「泣けないと映画なんか見に来るヤツは居無ぇぞ」
冤罪事件を泣けるエンターテインメントとしてとらえているということ。
物語というのは、彼にとってはそういうもの。
橋本は何よりも「何が当たるか」を考える。
この「真昼の暗黒」をシナリオで書いた時代はというと大栄映画が当たっていた。

 母もの映画とは、大映が三益愛子を主演に作った「母」がタイトルにつく一連の映画を指す。−中略−「お涙頂戴もの」として人気を博していた。
 橋本は、『真昼の暗黒』でそれを狙ったというのだ。
(148頁)

『今度の『裁判官』というのは、無実の罪になってる人が四人いるんだ。それにみんな母親や恋人がいる。つまり、四倍泣けます、母もの映画だ』と言ったら、ワーッと飛び上がって、『すぐやれ!』ってことになったわけ。(148頁)

裁判の結果がどうなったかが一行も書いていない。
でも橋本忍はそういう人。
それはそれで見事な生き方。

人間は案外他人の不幸を一番喜ぶものである」(182頁)

認めましょう。
スキャンダルはお金になる。
そのことは絶対。
売り上げが伸びるのだから。

映画が興行的に当たるか、外れるか。内容的に名作となるか、駄作となるか──。その見通しが立たないスリリングさに身を投じることに、橋本はギャンブル的な刺激を求めていた。(302頁)

当たる作品に敏感だったらば当たらない作品にも敏感。
試写室で作品を見て小さい声で「これダメだ」「外れた」とつぶやくような。
その代表作が1967年に公開された「日本のいちばん長い日」。

日本のいちばん長い日



映画以上にこの方自体が面白い。
(映画の内容は)昭和最大の不幸。

 日本がポツダム宣言を受諾してから玉音放送が流れるまでの、一九四五年八月十四日と十五日の内閣や軍部の動きを追った作品である。(189頁)

徹底したリアリズムで、暗い映画。
記録映画という感じ。

『日本のいちばん長い日』を僕のところに持って来たのは東宝の田中友幸プロデューサー。(192頁)

この人は何で名を馳せたかというと、東宝の栄光に寄与している人だがゴジラの発案者。
田中友幸さんが考えた。
黒澤さんが東宝の撮影所のセットを全部使ってしまうものだから、空いていた一個だけを使ってゴジラを・・・
「日本のいちばん長い日」の監督はというとアクションものが得意な岡本喜八監督。
出演は三船敏郎さん等。
東宝としてはオールスターの配役で準備して、敗戦処理に向けての戦いを描くサスペンスタッチ。
まさに日本人の不幸を若い世代に伝える為の映画であったという。
しかしオールラッシュで出来上がりを見て橋本忍さんが思ったことはたった一つ「暗い」。
もっと泣き場が欲しかったのに泣かない。
一種の「狂気ののたうち」みたいな。
しかも各俳優張り切り過ぎ。
黒沢年男さんも凄い。
狂気の青年将校。
「日本が負けるワケない!」とか何か言う。
それからもの凄く立派にやってしまった三船さんの陸軍大将の割腹シーン。
あそこなんかもセンチにやって悲し気にやってくれればいいのだが、三船さんは凄い。
昭和天皇からいただいたワイシャツ。
それをはだけて「一死、大罪を謝す」と言いながら、侍。
それでお腹を切っていく。
見事な最期だと思う水谷譲。
後ろから若いのが「介錯を介錯を」。
「まだまだ!まだまだ!」と言う。
それが涙を誘わない。
水谷譲が言う通りカッコいい。
そんなふうに橋本さんもシナリオに書いているのだが、涙を誘うと思ったところで全然涙が出てこない。
それで思わずつぶやいた反省が「やり過ぎた」。

『こういう映画は当たり外れがあって、外れるかもしれないけれども、国民の一人としてこういう戦争意識とか何とか持たなきゃいけないから、作るのに意義があるから──』とか何とか、もう外れたときの言い訳というのがちゃんとできている。上から下まで、全部外れると思っているんだ。僕も外れると思っていたんだけれども。(197頁)

「公開日はズバリ8月15日敗戦の日にしてください」そういうことで橋本さんの心中のつぶやきを知らないものだからどんどんやっていって。
宣伝会議に橋本忍もいて、腹の中では「外れた、外れた」と思っているのだが

八月十五日の封切の始まる二、三日前──宣伝部の林というのが担当だったんだけど──その林が、『橋本さんね、ちょっとおかしい』と言うんだ。『『いちばん長い日』だけど、あれ入るんじゃないか』って言い出したの。−中略−僕は『ええ? そうかな──』と疑っていたんだけれど、−中略−営業が言うには『東映のファンが来ました』と。『なんでわかるんだ』と聞いたら、『何十%かゲタ履きのお客だった』という。当時の東映はヤクザ映画をやっていたから、そういう客ばかりだったんだよ。(198頁)

東映の任侠ものと勘違いをして。
任侠ものの悲劇「総長の首」とか「○○組三代目」とか「親分さんがそこまでおっしゃるんだったら・・・」とかとそれの勢いで(「日本のいちばん長い日」に客が)来ているんだという。
一種のアウトロー映画、そのヤクザ映画で8月15日の軍人さんを見るという目で見るとこれはなかなか面白い作品で、ヤクザ映画のある組織の壊滅ストーリ。
それを楽しみにみんな見に来ているみたいで「東映のお客、喰ってますぜ」という話。
この林部長が武田先生にとっては懐かしい方。
この後、林さんもずっと偉くなってしまうのだが「刑事物語」の宣伝をやってくれた方。

刑事物語



「無茶苦茶で面白いですよ。あの映画は」と言いながら。
いいおじいちゃんで、ゴルフをやる時は必ず日本酒を呑んでいるから、なかなかボールに当たらない。
武田先生はこの本を読みながら「林さん!」と声を上げて本の中に向かって呼んだ。
この人が大好き。

昨日は個人的な出来事も込みで懐かしい林部長の話なんかを交えてお送りした橋本忍伝だが、この「日本のいちばん長い日」の成功によって田中友幸さんは橋本忍をめっちゃ買う。
一種、組織が壊滅していく物語。
「その最大のものを作ってくれ」と言って、これは六年後、70年代に入ってすぐだが1972年に頼んだ作品が「日本沈没」。
これは面白い。
これも大ヒット。
この春日さんの調べ方が細かいので、山ほどネタがある。
戦後最も文芸界で映画になった小説家。
この人が一番多い方。
サスペンスと言えばこの人しかいない。
松本清張。
橋本という脚本家は、はっきり言ってしまうとびっくりするくらい原作を変える癖がある。
やはり令和で仕事をやらずによかった。
昭和だったからよかった。
ある意味で完璧に原作を離れて映画作品として価値を持つという。
そこまで高めないと文章は映像にならないと頑なに信じた方。
橋本さんはこの「鬼の筆」の中でこんなことを春日太一・インタビュアーに語っている。

「原作の中にいい素材があれば、あとは殺して捨ててしまう。血だけ欲しいんだよ。(239頁)

「原作を映像する」とは整形や移植ではない。
血を原作から抜き出して別の作品に輸血してゆく。
それが映画作品なんだ。

「牛が一頭いるんです」−中略−一撃で殺してしまうんです」
「もし、殺し損ねると牛が暴れ出して手がつけられなくなる。一撃で殺さないといけないんです。そして鋭利な刃物で頸動脈を切り、流れ出す血をバケツに受け、それを持って帰り、仕事をするんです。原作の姿や形はどうでもいい、欲しいのは生血だけなんです」
(238〜239頁)

清張原作を映画化した六一年の『ゼロの焦点』−中略−が、まさにそうだ。
 主人公の偵子はお見合いを経て結婚するが、新婚早々に夫は赴任先の金沢で疾走する。偵子は金沢で夫の行方を追う。そうしているうちに、関係者が次々と殺されていく。
(244頁)

ゼロの焦点



偵子−中略−は全てを理解した状況で犯人の前に現れる。そして断崖絶壁に真犯人を呼び出すと、これまでの自らの捜査と推理で得た犯人と夫との過去の物語を語っていく。−中略−その模様が回想シーンを通して綴られる。(245頁)

金沢だから断崖絶壁がどこかわかる。
これをやったのがこの「ゼロの焦点」。
偵子は、次々と殺されていく人間達に共通点があるのがわかった。

 戦後すぐの米軍基地のある立川で「エミー」と名乗って米兵相手に売春をしていた佐知子−中略−は、過去を隠して金沢で有数の大会社の社長夫人に収まった。そして、過去を隠すために、罪を重ねる。最後には売春仲間だった「サリー」−中略−も手にかける。(248頁)

原作は吊り橋からサリーを突き落とす。
ところが映画はそうしていない。

久子「でもねえ。エミー、お前も可哀想だね」
佐知子「え?」
久子「(しんみり)あたいはよく分かるよ……今までにいろいろ苦労したろうねえ」
−中略−
 こうした久子の言葉を受け、佐知子は思わぬ行動に出るのだ。
−中略−
  「サリー! そ、その通りよ!
−中略−(ボロボロ涙が流れだす)(249〜250頁)

原作は突き落とすのだが、殺せずにサリーに抱き付いて泣いてしまう。
ここからが凄い。
「あたし自首する」と言い出す。
それで車にサリーを乗せて警察署に向かう。

 運転を続ける佐知子。
 久子、唄いながらウイスキーの蓋を廻して開ける。運転を続ける佐知子。
 久子の唄が途切れる。
 「エミー、遠慮なくご馳走になるよ!」
 佐知子、ハッと振返える。
 途端に「アッ!」と叫んでブレーキを踏む。
 キキキ……軋って停る車。
 だが、久子、もうウイスキーを呑んで、座席へ横様に倒れている。その凄まじい断末魔の有様。
 佐知子、呆然とその有様を見ている。
 やがて、久子絶命する──。
−中略−
 ウイスキー瓶には、これまで何人もの命を奪ってきた毒が盛ってあったのだ。そうとは知らず、久子はそれを呑んでしまった
−中略−
 この一連の場面では、佐知子が口封じのために久子をすんなり殺せば、それで終わる話だ。
(251頁)

橋本忍は「それじゃあつまんない」と言う。
一回善人に戻して結果的には殺すという悲劇。
その悲しみがないとお客は泣かない。
この「ゼロの焦点」はこれでバカ当たり。
それで「これは面白い」と言って松本清張さんの「ゼロの焦点」を読んだ人は「あれ?」。
この後、さんざん橋本さんがやる手段で。



2024年4月15〜26日◆鬼の筆〈前〉(後編)

これの続きです。

脚本家・橋本忍を語っている。
「鬼の筆」という春日太一さんの著作。
今、語っているのはデビュー。
何せ橋本忍はデビューが凄い。
「羅生門」
あれの台本を27(歳)の若さで書けた。
洛中の入り口である荒れ果てた羅生門。
流れて来る音楽
皆さん、ボレロ。
(ここで本放送では「羅生門」のサウンドトラックが流れる)
この羅生門は始まる。
その羅生門に三人の人物が雨宿りしている。
死体から衣服を剥ぎ取る盗人、薪を売る木樵、そして旅の僧。
その三人が武士と盗賊と美しい貴族の妻の三人の間で起こった殺人事件の真相を語り合う。
しかし事の真相は藪の中。
人間の心の中などはわかるものではない。
そう人間への不信を、戦後の日本は戦争に負けて四年か五年の日本だから「それを三人が語り合うということで終わろうかな」と思ったのだが、共同脚本で黒澤か橋本どちらかが「やっぱり希望も語りましょう」ということになったらしい。
これは真相が全然わからない。
とにかくどちらかが思いついた。

羅生門には赤ん坊が捨てられており、下人はその赤ん坊から着物を奪い取ると去っていく。肌着だけになった赤ん坊に木樵が手をのばす。−中略−木樵は「俺には子供が六人いる。六人育てるのも七人育てるのも同じだ」として、赤ん坊を抱いて去っていく(81頁)

真っ暗闇の人間の世界なのだが、そこに「善意の小さな明りはあるんだ」ということを最後のメッセージにするという。
いいオチ。
それでお二人のお書きになった後のエッセーを読むと両方とも「私が考えた」とおっしゃっているという。
真相は「藪の中」という。
二人ともそのことでケンカすることはなかった。
何でか?
この「羅生門」の評判が凄かった。
ヨーロッパに出品したら、戦争に負けて5年。

『羅生門』はヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞した。−中略−この受賞により黒澤明は「世界のクロサワ」と称されるようになる。(86頁)

ご本人も「俺は世界のクロサワかも知んない」とかと・・・
でもこの人のこの思い上がりというか熱くなるところが作品にマイナスしない。
外国で平安の時代劇が受けた。
「よし、勝負しよう。戦後の日本に主人公持ってこよう」
「橋本!」
呼びつけられた。
黒澤から提案があった。
「次の映画はな、もう来年取り掛かるぞ」

 黒澤からの指示は、以下の三点だった。−中略−
・あと七十五日しか生きられない男
・男の職業はなんでもいいが、ヤクザは駄目
・ペラ二枚か三枚で簡単なストーリーだけを書く
(97頁)

黒澤は「羅生門」でウケたヒューマンな映画、それを現代の日本に置き直して描きたかった。
頭の中にあった。
文学青年の三十代の黒澤はロシアのトルストイに憧れていた。

トルストイの『イワン・イリッチの死』をやるから(96頁)

イワン・イリッチの死 (岩波文庫 赤 619-3)



貴族で高級官僚の男が何か月かのうちに死んでしまうという業病を背負って一生を振り返るという。
これを意識した。
だから設定としては70日しか生きられない男、高級官僚の男がしみじみ人生を振り返って「俺の人生は何だったんだ」という。
これが面白い。
橋本忍はロシア文学が大嫌い。
橋本は黒澤が持っている文学青年の臭いが嫌い。
「高級官僚が悩む?悩むか?」という。
「俺ぁ結核の病棟で見て来たよ。寿命何年て言われて生きていかなきゃいけない。それは身分の低い兵隊達の苦悩に落とした方がいいんだ。何が高級官僚だよ。いっそのことさ、市役所の地味な仕事してるジジイがいいよ。主人公は」
そこで考えた。
70日しか生きられない男。
それが「胃癌だ」ということが病院での立ち聞きでわかるという。
そしてあてにしている一人息子、一生懸命育てた息子にも言おうと思うのだが、父親の話を聞いてくれないという孤独の中で「一体私は何の為に生きてきたんだ」。
「生きる」そのことを真剣に考え始めるという。
さあ、ここから台本作りが始まったが、これが壮絶なケンカで。
何でケンカになったか?
もう一人脚本家が入る。
黒澤は世界的評価を狙っていた。
(脚本家が)三人になってしまう。
だからケンカが凄い。
その凄いケンカがいかなるケンカか。

というワケで70日しか生きられない男の物語が始まる。
ロシア文学の影響を受けている黒澤はトルストイの短編をベースにしているのだが、相対したのは橋本忍で「そんな気取ったものを描いてどうすんだ」という。
それで黒澤がもう一人脚本家を呼んだ。
この黒澤という人は凄い。
だから「世界のクロサワ」なのだが。
「橋本もそうだし自分もそうだけれども、つい物語の流れに流されてしまう。監督の私は画面に惚れてストーリーをゆがめる可能性がある。国際的評価を得られるような映画を作る為にはそれに真理がちゃんと語れる才能が必要だ」というのでもう一人、小國(英雄)を入れる。
三人での共同脚本なのだが、何と一日に七時間書く。
橋本と黒澤がストーリーを練る。
夕方、小國はやってくる。
それで矛盾点を突く。
最初の設定が70日しか生きられない男で、生きがいを見つけて一生懸命打ち込む。
だが、生きがいを達成した後、死んでしまう。
葬式で終わってしまう。
「後はどうすんだ?」
黒澤曰く「いや、それは息子がさ、日記を見るんだよ。日記を」。
日記に「癌だった」というのが書いてある。
三分の二で主人公が死んでしまう映画の三分の一。
小國は「どうやって主人公の心中を描けばいいんだ」と言う。

 小國の指摘を受けた黒澤は「憤怒で真っ赤」になり、これまで書かれた原稿用紙をびりびりに引き裂いてしまったのだ。(107頁)

ここがまた偉い。
引き破った後、橋本の肩を叩いて「初めっからやり直しだ」。
大変。
人から否定されるというのも頭にくる。
しょうもない映画しか作っていないが。
でもわかる。
この我慢強さがあるか無いか。
そこでまた橋本。
物語がある。
それを別の物語の中にはめ込む。
同じ手を使う。
男は癌で死んでしまう。
最後はブランコに揺られながら雪の日に死ぬ。
死んだ後、葬式が始まる。
あれが額縁。
そして男の回想シーンが始まる。
回想で男の心理を解き明かしていくという。
一本の映画で主人公が途中で死ぬ。
それでもう映画は完了してしまう。
日記で息子がその日記を知って読むとか、遺書で死の真相を知る。
そんな陳腐な結末なんかダメなんだ。
それで書き直してやったのが映画の途中で「主人公は死んでいる」ということを前提に、その主人公の心の内をみんなで語り合ううちに「男が命をかけてあの小さな小さな公園を作った」という、あの葬式の名場面。
今でこそ、そういう構成はあるが当時はそんなものはなかったと思う水谷譲。
黒澤は凄く用心深くて「回想は危険だ」と知っている。
映画は縦に時間が流れていく。
それが「昔に戻りました」というのは絶対説明になるから。
それを橋本がブチ破る。
「絶対いける」と。
「羅生門」と同じ。
物語を物語で包む。
ラスト、事の真相がわかる。
それは夜回りのお巡りさんが目撃したシーンで志村(喬)の名演技。
雪が降る中歌う。

いのち短し(「ゴンドラの唄」)

(本放送ではここで「ゴンドラの唄」が流れる)



渡辺を演じる志村さんのセリフが聞き取りにくい。
「(かすれた声で)私は、そんなつもりで言ったんじゃないんです。ただ・・・」
あれは病院の先生から聞いた話。
胃癌をやられてしまうと、声帯がいきなり弱くなるので。
あの人は、それでガリガリに痩せている。
黒澤から「太り過ぎだよ」と言われて。
飯を喰わなくて。
それで一番最後は晴れやかな表情でブランコに揺られて。
これが大評判。
「生きる」は傑作。
もう見事。
もう本当に工夫している。
男が「何で君はそんなに生き生きしてるんだ」。
喫茶店で話す。
そうしたら小田切みきの若い女が「何か生きがいのあること探してご覧よ、課長さんも」と言って。
志村が歩き出す。
階段を降りてゆく。
そうしたら反対側の喫茶店に若い娘がバースデーケーキを抱えながら「ハッピバースデートゥーユー♪」で昇っていく。
降りる男と昇る若者達。
「生きる」
語っていても志村喬さんの名演技が見えてきて
一番最後、白黒映画だが夕焼けの中を小さな公園を渡辺を思い出した部下が見下ろしているという、あそこはいい。
黒澤の映画というのは、もの凄い情報量だし、もの凄い熱演を蓄えているので、一度や二度で通過できない。
それぐらい凄い作品。
癌進行の志村が演じた演技のリアルさ。
実存主義。
「人間は何に命を使うか」ということを求め続けるサルトルが言った言葉なのだが、そんなのはもう黒澤が「生きる」の中で描いている。
小さな町の公園を作る為に彼は進行癌でありつつも、遂に成し遂げるという人間の尊厳。
それは「誰も見てなかったけど確かにあった話です」という。
これはもう世界的に大評判なのだが、黒澤さんにとっては外国での評判が今一つだったのだろう
武田先生はそう思う。
黒澤さんはウケた理由はわかっている。
志村に命じたあのリアルな演技。
リアルに人間を描き出す。
リアルが根本じゃないと。
それと頭をかすめるのが「羅生門」の成功。
やはり時代劇の恰好をすると「サムライ!サムライ」と言いながら外国人が見る。
「侍、バッと出すか」
それで「橋本!橋本!」。
また呼ばれてしまう。
「何でしょう?」
「もう一本作るぞ。来年作るぞ。これから脚本書くからオマエ叩き台だけ作れ」
「どんな物語にしましょうか?」
「『生きる』で受けたから、リアルで行こう、リアルで。例えばさぁ、侍の一日。ある侍が朝起きて、朝飯喰ってお城行って、昔の侍、三時ぐらいに家に帰ってきたらしいから。日のあるうちに。とにかく侍の一日っての調べろ。一番の謎で調べても俺も調べたけどよくわからないのが昼飯なんだよ。侍、あれは昼飯どうしてんだ?侍っていうのは。弁当持って行くのか、家から。それとも出前取るのかなぁ?」
「お城で出前は取らない・・・」
「あっ!そうだ。『侍食堂』とかっていうのはあるのかな?とにかくオマエはさぁ、資料を読むだけ読んで侍の一日、特に昼飯はどうしているかっていうのを調べろ」
これで橋本は調べる。
東宝の文芸部も手伝って国立図書館から何から一生懸命、侍の一日を調べる。
ところが昼飯をどうしてるのかわからない。

 だが、東宝の文芸部員の調べでは、時代背景として設定した江戸初期には「侍は一日三食ではなく二食」だったというのだ。三食になったのは文化文政以降だ。つまり、この物語の時点では昼食はとらない。(113頁)

「時代劇作りたくても、それを守らないとリアルさは無くなりますよ。『何年ぐらいの物語です』って言わないと」
グズグズ黒澤が「昼飯、どうしてるのかな」とまだ言うものだから橋本青年は怒ってしまう。

「我が国には事件の歴史はある。しかし、生活の歴史はないんです!」(115頁)

実は橋本の中にムラムラするものがあって、それは「この人はどこまでも文学で人間を考えてる。日本人が好きなのは講談だよ」

時に元禄十五年十二月十四日、
江戸の夜風をふるわせて響くは山鹿流儀の陣太鼓、
しかも一打ち二打ち三流れ、思わずハッと立ち上がり、
耳を澄ませて太鼓を数え「おう、正しく赤穂浪士の討ち入りじゃ」
(三波春夫「俵星玄蕃」)

長編歌謡浪曲 元禄名槍譜 俵星玄蕃



これを全部覚えた武田先生。
「映画にするんだったら講談の要素がないとダメなんだ」
黒澤さんとは口もきかない。
人間は戦い。
物事を作る。
何日かして昼飯がどうたったかわからないという黒澤が突然「おい、橋本。弁当の話はやめた」。

黒澤は「ところで橋本君……武者修行って、いったいなんだったんだろうね」と問いかける。全国を武者修行の旅に出ていた兵法者たちは、その旅費をいかにして稼いでいたのか──。−中略−「行く先々の道場で手合わせをすれば、晩飯を食べさせてくれるし、出立する際には乾飯を一握りくれる。−中略−道場も寺もなければ、百姓が夜盗の番として雇ってくれる」ということが分かった。
 百姓が侍を雇う──。その視点に黒澤も橋本も興味を示し、それが『七人の侍』に繋がっていった。
(114〜115頁)

七人の侍



侍というのは武者修行がある。
その武者修行の間、時々は治安の悪い町なんかでは腕を買われてそこでガードしていたとかまた農村部に行くと盗賊なんかがやってくる。
そこでガードマンをしながら侍たちはご飯を食べるという。
それをある小説家から聞いた。
黒澤は「百姓に雇われる」というこの一行が気に入って

橋本「できました。百姓が雇う侍の数は何人にします」
黒澤「三、四人は少なすぎる。五、六人から七、八人……いや、八人は多い、七人、ぐらいだな」
橋本「じゃ、侍は七人ですね」
黒澤「そう、七人の侍だ!」
(119頁)

そうすると橋本が設定を考えた。
毎年秋になると盗賊に襲われる山辺の小さな村。
その村の長老が百姓を送り出して「侍を雇ってこい」という。
そして七人侍を雇って盗賊対七人の侍、村人、この三者がぶつかり合うというストーリー。
黒澤はこのストーリーにまたリアルを求めた。
よくできている。
これは(武田先生が)昔、台本を書いている時に映画の関係者の方がいっぱいいて教えてくれたのだが、これはまた小國も入れて書くのだが、それぞれ三人別の部屋に旅館をとって、別の部屋で書く。
その時に決める。
「今日、オマエ侍な」
「じゃ、今日俺百姓側書くわ」
橋本が「じゃあ、私野伏せり、盗賊書きます」。
それでざっとの打ち合わせで村の絵図面を広げておいて「野武士がこことここにいて、七人の侍はここ。合戦の開始が七時としてどう守る?」。
それで三人部屋に分かれてそれで台本を書いて夕方合わせる。
(合わなかったら)またやる。
「やり直そう」というヤツ。
凄い。
この話はよく聞いた。
「俺達はこう攻める」というと、七人の侍と百姓は「じゃあ俺達はこことここを防いでこっちの道から入れよう」とかと。
そうやって台本を作るのは楽しいだろう。
上手くいかないと映像が見えてこないが、上手くいった時に映像が見えてくる。
その映像の作り方の中にも橋本さんも同じことを言っているのだが、シナリオに三つの書き方がある。
「指で書く」「手で書く」三番目が「腕で書く」。
こだわる瞬間と、流れを気にする手の時間と、「力で押していけ」という、そういう物語全体に向かってタクトを振る瞬間。
もういっぱいエピソードがあるのだが、そのへんは飛ばす。
何とこのシナリオ、何か月かかったか?

『七人の侍』のシナリオの執筆は計八カ月を要した。(122頁)

八か月間旅館に泊まっていた。
そしてこの後、撮影に一年。

完成作品の総上映時間は約三時間半。(122頁)

年始めに撮影に入り、秋公開だった。
できるワケがない。
それで公開が延期になったという。
時間もあったしお金もあったと思う水谷譲。
ここもまた戦い。
黒澤がやっている「七人の侍」はさっぱりできてこない。
「公開だ」というのに「できてません」とそれしかない。
東宝の社長さんは頭にきて「じゃやめろ、もう撮影は。カネばっかり喰いやがって。一体いくらかかってんだ?撮影中止。黒澤来い」。
試写室に呼びつけられた。
「出来てるところまで見せろ」
黒澤が粗編で粗く繋いで、できているところまで見せた。
これはもう間違いないと思うのだが、映画に詳しい方から聞いた話。
志村喬が「決戦は明日だ」。
三船敏郎がヒヤーと飛び上がって「きたきたきたきた!来やがった!」とバーッと指さすので、そこから真っ白になってザーッと白い・・・
「黒澤、この先は!?」
「これからなんですよ」
コントみたいだと思う水谷譲。
昔の人は命懸け。
それで社長は立ち上がって「撮影続けろ!」。
いい話ばっかり。
これはこぼれ話であった。
シナリオが出来上がるのに八か月かかった。
その時に三人で乾杯をやっている。
橋本も「やっと完成しましたね!おうちに帰れるわ」と言ったら黒澤が寂しそうに「俺はこれからこれを撮影するんだよ」と言った。
大変。

大脚本家である橋本忍さん。
その方の作品を辿っている。
初期作品で昭和20年代、三本の傑作をこの方はシナリオを書いておられる。
「羅生門」「生きる」そして「七人の侍」。
七人のキャラクターがある。
男はどれか一つやりたい。
7パターンの侍のうち一つ憧れる役がある。
(武田先生が憧れるのは)志村さん(島田勘兵衛)。
野武せりが襲ってくる。
そうするとちょっと今の国際情勢に似ているが、川向うと川のこっち側があって、川向うの三軒というのが、本体の方の村がある人達と折り合いが悪くなって。
何故かというと侍がその川を掘り代わりに使って野武せりを防ぐという。
そうすると三軒は捨てるということが決定するワケで、怒って去っていく。
「守ってもらえ無ぇのに竹槍持たされて戦うことは無ぇ。川向うの者はこれじゃあグルだ!」と行って竹槍を捨てて去ってゆこうとすると志村が抜刀する。
腰低く走って早坂(文雄)のトランペットをパンパンパパ〜ン♪パンパンパ〜ン♪パパパ〜ン♪
(ここで本放送では「七人の侍」のサウンドトラックが流れる)
「列に戻れ!三軒を守る為に50軒を焼くワケにはいかん。戦とはそういうものだ」
もうたまらない。
もう好きだった。
あの志村の役を坂本龍馬でやりたかった武田先生。
七人の侍のような「龍馬伝」を作りたかった。
長州の奇兵隊という百姓上がりの侍達を坂本が率いて闘うという。
その時に志村けん(志村喬の誤りか)のような芝居を
「七人の侍」七人いるが(好みが)各国によって違う。
志村喬の侍大将。
あれはイギリスで一番ウケる。
それから剣術の強いヤツ、最初に決闘か何かやって「おう、残念。相打ちだったな」「いや、お主の負けだ」。
あの侍。
あれはフランスで(ウケる)。
それで三船敏郎さん(菊千代)はアメリカでめっちゃウケるという。
各国によって侍の・・・
加東(大介)さんの役(七郎次)もいいし・・・
千秋実さんのあのとぼけた侍(林田平八)もいい。
あの旗を作るヤツ。
セリフがいい。
「何を作ってるんだい、オメぇ」「旗だよ旗。戦の最中はなぁ気が塞ぐでな。何か翻るものが欲しい」
何回見たか忘れるぐらい何回も見ている武田先生。
というワケで、この「七人の侍」はもうご存じの方も多いのだが、追伸で伝えておく。
これがハリウッドに渡って「荒野の七人」になる。

荒野の七人 [Blu-ray]



西部劇の傑作と言われている「荒野の七人」はこの「七人の侍」のガンマン版。
おかしい話が残っていて、七人の侍に感動したハリウッドのプロデューサーがユル・ブリンナー以下、スティーブ・マックイーンを呼んで、それで「七人の侍」を見せる。
ユル・ブリンナーなんかカーッと燃えてスティーブ・マックイーンだけ何か怪訝そうな顔をしている。
プロデューサーが「この『七人の侍』を西部劇にするぞ」と言ったらスティーブ・マックイーンが「俺、ちょんまげは嫌だな」と言った。
これは何か笑い話であった。
それにしても脚本作りに八か月、宿に泊まり込んでの執筆。
橋本はこの間、僅か三年、四年の間に鍛え上げられる。
ドラマを作る為の脚本とは大変な作業で、映画でもテレビでも人と人、ドラマを作る為に連動する。
連動するとは、チームワークよろしく製作者、原作者、脚本、監督、役者、これが一本に揃って撮影作業をやる。
そんなものではない。
各現場でケンカ。
だから「七人の侍」も現場は相当揉めたようだ。
「ズビズバー♪」のお百姓さんがいた。



左卜全さんはずっと黒澤さんの悪口を言い続けた。
「何だ。人に何させるんだ。『走れ無ぇ』ってるじゃ無ぇか」
だから皆さんもお分かりだろうと思うが、どんなドラマも対立・葛藤が生じる。
それでもその一本の糸が切れないところに物語作りの躍動がある。
「天才的な誰かがいて一本が完成」なんて無い。
戦後最大の脚本家、橋本忍にして激しく黒澤明と対立している。
この人は何を面白いと思ったかというと最初に話した。
お父さんが旅の一座を呼んで芝居をやらせる。
大衆演劇が持っている大衆性こそが日本人の感動を揺さぶるエキスを持ってるんだ。
まだ(映画を)三本しか語っていない。
この人はヒットした作品だけであと20本ぐらいある。
これは前編ということで後編、外堀が冷めましたらお送りしたいと思う。




2024年4月15〜26日◆鬼の筆〈前〉(前編)

(一冊の本を二週ずつ二回に分けて取り上げていて、どちらも「鬼の筆」というタイトルだったので、一回目を「鬼の筆〈前〉」二回目を「鬼の筆〈後〉」としておく)
(番組の最初に以前の放送の訂正)

さてまな板の上「鬼の筆」。

鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折



(今回はいつも以上に番組内で本の内容と大幅に違うことを言っているが、個別に指摘しないことにする)
(この本は「橋本へのインタビューによる証言と、創作ノートからの引用箇所は全て太字」ということなので、引用箇所も同様に表記する)

鬼が筆を握っているという。
いかな鬼か?
著者は春日太一。
しばしば当番組で彼の作品を取り上げているが、映画製作現場のルポルタージュ。
この方の筆はたいしたもので、この本は抜群に面白い。
相当飛ばす。
相当飛ばさないと、全部話していると二か月ぐらいかかる。
何の話をしているのかわからなくなるかも知れないがそのあたり、どっしり構えて聞いていただければと。
ズバリ申しまして平成の方、あまり面白くないかも知れない。
というのは、この橋本作品というのをたくさんご覧になった方なんていうのも少ないと思うので。
ただし、昭和の方、それも団塊の世代。
まあ付き合っちゃってよ。
橋本忍が携わった脚本の作品。
ザッと触れてみる。
黒澤作品「羅生門」「生きる」「七人の侍」、その上に「日本沈没」「白い巨塔」「私は貝になりたい」「砂の器」、松本作品でいうと「黒い画集(あるサラリーマンの証言)」「霧の旗」、そして「八つ墓村」「八甲田山」も・・・
とにかく必聴の「(今朝の)三枚おろし」になる。
前期三枚おろし、多分最高傑作。
これは何で「やってみようかな」と思ったのかというと、折も折だがテレビ連続ドラマで地味な女事務員さんがちょっと怪しげな衣装を着てアラブ風の踊りをやるという作品があって、それが原作・脚本・撮影・俳優さんとのコミュニケーションがちょっと上手くいかなかったようで大きな事故が起きてしまった。

セクシー田中さん コミック 1-7巻セット



そうしたら続いて「これ言われちゃったらキツイだろうなぁ」と思ったのだが、救急出動して人を救うコミックが映画化された時に、その原作の方が現場に行ったら主役の男がケンモホロロな対応をしたので出来上がった作品に対して原作者の漫画家の方がもう言いたくもないが「クソ映画」とおっしゃった。

海猿 完全版 1



とにかく原作者の考えたストーリー、或いはセリフを勝手に変えるというのが令和の世の中で大きく揺れていて「原作者とか脚本家が書いたセリフを勝手に変えちゃイカンよ」と言いかけたのだが、「セリフを変える」といえば武田先生。
結構お叱りを受けている。

白夜行 完全版 DVD-BOX



40分間一人で(セリフを)言う。
(刑事役の時に親鸞の言葉をアドリブで入れて)嫌われた武田先生。
あの監督さんは武田先生をほったらかしだった。
「そこらへんでやってください」みたいなもので。
だから脚本を勝手に変えるとか原作を変えるとかというのは本当にスネにいくらでも傷がある。
武田先生の場合は文春ネタとかにならなかったから・・・
でも「鬼の筆」をやってみようと思ったのは、ラジオをお聞きの皆さんに映画の脚本というのはどんなふうにして生まれてくるのかというのをお話すると面白いかなと思った。
ここは勘違いなさらないでください。
テレビの映像化、コミックの映像化の方で問題になっているのと、映画では違う。
映画の方は原作というのがあって、それを脚本化する。
だがコミック、或いは漫画というのは既に映像化されている。
映像化されてファンを惹きつけたものを実写化した場合、余りにも違うと見ている人が怒るという。
既に絵コンテが出来ているものと文字を絵コンテにしていくものとでは違うので、同列に並べることは不可能。
でも台本を変えた人間としては、言い訳をしているワケではない。
脚本作りは半分ケンカ。
「いい・悪い」は作ってみないとわからない。
例えば小さい作品。
武田鉄矢がハンガーを振り回す「刑事物語」。

刑事物語



あれは武田先生の脚本。
もう渡辺祐介監督とケンカ。
渡辺さんがラストが気に入らない。
耳の聞こえない娘さん(三沢ひさ子)と片山(武田先生の演じる主人公の片山刑事)が最後は事件が終わって仲良く違う街へ二人で流れてゆくという結末だった。
そうしたら祐介監督が「結末がこれじゃ、何の為の苦労かわかんない」と言う。
「どうするんですか」と言ったら「別れなきゃダメですよ」。
それで耳の聞こえないお嬢さんは耳の聞こえない男に恋をして片山刑事は捨てられる。
「それを耐えて一人で歩き出すところに武田さんが描きたい男があるんですよ」
「いや、それじゃあ・・・」とかと言って・・・
でも結局、祐介さんの言うことを聞いてそのラストにしたからパート5までできた。
そういう「脚本のせめぎ合い」というのをちょっと折も折ではあるが、橋本忍という脚本家の妙というか。

ドラマの制作現場。
そこではどんなことが起こっているのか?
春日太一の「鬼の筆」。
この本の中には橋本忍の制作現場がびっしり詰まっている。
春日さんが

計九回、総インタビュー時間は二十時間を超えた。(17頁)

それで本になった。
読んでいると時々知り合いが出て来る。
橋本忍は脚本家。
いかな人生を歩かれた方なのか?
ここからちょっと脚本から離れる。
橋本忍、その人生の始まりから振り出す。

 一九一八(大正七)年四月十八日、脚本家・橋本忍はこの鶴居の町で生まれ、そして育った。(20頁)

 橋本が生まれた際、−中略−鶴居駅前に職住兼備の家を建て、そこで小料理屋を営むことにした。(21頁)

お父さん・徳治という方はちょっと変わった方で小料理屋を営みながらも

 徳治は毎年、お盆の季節になると、自腹で旅回りの大衆演劇の一座を呼び、独自に芝居の興行を開くようになる。(21頁)

資金が必要で芝居小屋の設置から演目の決定、興行中の一座のあご・あし・寝床までの面倒を見なければならない。

入れば大儲けできるし、外れれば財産を失う。それが興行だ。(21頁)

しかし興行に熱中している父親を見るのが忍少年は大好きだったという。

 向かう先は、芝居小屋の楽屋だ。−中略−そこで二十人ほどの役者たちが筵の上に座り込んで向かい合い、化粧をしていた。(24頁)

そういう楽屋裏を覗くともう異世界で、橋本少年は演劇の持つ異世界に胸をときめかせ眺めていた。
でも何せ中央から遠い田舎町。
劇的なことなど起こらないという非常にのどかな村だったのだが、江戸から明治に変わったばかりの頃、姫路の山奥の村でも近代化というか現金で税金を払わなければいけないのが凄く負担だった。
それまではお米でよかった。
ところが現金なのでお百姓さんが扱ったことがないので、それでこの鶴居の村で税の重たさに耐えかねて百姓一揆が起きたという。
それで鶴居一帯、生野の百姓が一揆を起した。
ところがたちまち警察に取り囲まれて首謀者は官憲に逮捕、そして処刑されたそうだ。

 首謀者たちの処刑は、早朝から生野峠で執り行われることになった。−中略−村人たちの斬首は粛々と進行していく。−中略−
 その中から一人飛び出したのは、鶴居に住む若い女性・いさ。いさは斬り飛ばされた結婚間もない夫の首を抱き上げ、胴体に駆け寄る。そして、予め用意していた両端の尖った木を胴体の切り口に突き入れ、その先端に首を差し込み、首と胴を繋いでしまうのだ。周囲が唖然とする中、いさは棺桶を持ってこさせ、そこに死骸を入れると男たちに担がせて峠を去っていった。
(27〜28頁)

あまりの異様さに首を落とした官憲も後ずさりして息を飲んだという。
その棺桶に収めて帰って行ったという。

 橋本はこの血なまぐさい物語を、−中略−毎日のように祖母の家の縁側に通い、せっついた。(28頁)

この時に忍少年は「この世の中には鬼のようなものたちがいるんだ。鬼というのは実在するんだ。その鬼のしうちに血まみれになりながら耐えている。そこに人間の美しさがあるんだ」。
涙を流しながら杭で自分の亭主の首と胴体を繋いで遺体を大八車に載せて帰る娘・若妻。
「これは凄いなぁ」と無意識の中に溶け込んだのだろう。
「生きていく」ということが。
この話から忍少年は鬼に歯向かう反逆の人生、「そういうものが人生にはあるんだ」と。
ここから橋本忍少年、或いは青年と鬼との対決が始まる。

 一九三七年、日本は中国との戦争を始める。(33頁)

鳥取歩兵四十連隊は初年兵として、二千人の若者を現役招集した。その若者たちの中に、当時二十歳で国鉄竹田駅に勤務していた橋本もいた。三カ月の訓練を終えたら、橋本も連隊の一員として中国戦線に向かうことになっていた。(33頁)

 出征の直前、−中略−即日入院となったのだ。三日後の検査で結核菌が検出、「肺結核」と診断された。(34頁)

戦場で死のうかと思っている時に「オマエは結核なんで、軍隊には入れない。すぐに荷物を畳んで療養所に行け」というお国の命令で、この方は結核患者として別の戦いの道に・・・
召集令状が来て鳥取の連隊、陸軍に入るのだが、「これから出征するぞ」と思った矢先、最後の健康診断に彼の肺の中から結核菌が見付かって除隊命令が下る。
これはおうちにも帰れない。
感染症だから

 疾病軍人岡山療養所は、瀬戸内海に突き出た児島半島の付け根にあり(34頁)

粟粒結核だったんだ。それは、当時の医学では絶対に治らないという病名だった。
 大きな結核菌の巣ではなくて、蜂の巣みたいな小さな傷がいっぱいある結核菌なの。
−中略−病巣の菌が一つ動き出したら全部が一斉に動くから、もう派手に血を吐いて三日ほどで死ぬというんだよ。(37〜38頁)

これはやっぱり死亡宣言が出たようなもの。
お医者さんの診立てだが余命二年。
はっきり言われたという。
ここからこの人の人生は二年どころではない。
70年、80年続く。
とにかく彼は二十歳の若さで余命が二年と決まった絶望の命を生きる。
しかし絶望の命も二年生きなければならない。
死ぬまで生きていなければならない。
療養所というところで暮らすワケだが、ここの暮らしがいいワケがない。

 療養所に行ったときにはもう愕然とした。食事の粗末さにね。(39頁)

とにかく寝ていること。
寝てばかりいる。
医療処置というのも殆ど無い。
ほったらかしの状態という。
横でも結核の戦友がいる。
戦友達は看守の看護婦さんもいないので、療養所を抜け出してしまう。
それで街まで行って食堂で飯を喰っている。
感染源になるのでは?と思う水谷譲。
「黙っときゃわかんない。わかんない」で。
それでカネのないヤツは野辺だから畑はいくらでもあるから果物とか野菜とかを盗みに行ってしまう。
ここの療養所の中で青年橋本は命の矛盾をいくつも目撃する。
何も治療法がない。
だから医者の言う通り、とにかく寝ている。
ところが体験から得た知識だろう。

『治らない』と言われた奴でも治ってるの。大人しく寝てた奴は、みんな死んだ。(39頁)

このへんは何が正しいとかわからない。
これに対して脱走して街の食堂で飯を喰ったり、畑に入って果物でマスカットを喰うヤツがいる。

 山を下りて山一つ離れた集落を見たらさ、温室があるの。何だろうと行ってみたら、マスカット。(41頁)

中には凄い奴もいたよ。そいつは『〈出征兵士遺族慰問〉をやってる』というんだ。
 旦那が出征して奥さんが一人住まいの家を訪ねて、その奥さんを落とす。狙ったら、必ず関係するの。
(39頁)

タチが悪い。
戦争未亡人を口説いて「可愛そうに」とか言うと奥さんもコロッ。
そいつらが結構回復する。
橋本もそういうのを見ると「何だい!鬼は俺の命、もて遊んでるんだ。だったら俺も楽しくやろう」というので仲間と一緒に飯を喰いに行ったり、畑に入って果物を盗んだりという。
見つかったら酷い目に遭うのだが、あと二年の命だからどうなろうとかまわないから怖いものは何もない。
だが橋本というのはもともとそういう人だったのだろう。

それは分厚い雑誌で、表紙には『日本映画』とある。−中略−巻末に掲載されたシナリオが目に止まる。
 これが橋本が初めて目にした、映画のシナリオである。
−中略−
「これが映画のシナリオというものですか」
−中略−
「実に簡単なものですね──この程度なら、自分でも書けそうな気がする」
−中略−
「いや、この程度なら、自分のほうがうまく書ける……これを書く人で、日本で一番偉い人はなんという人ですか?」
−中略−
成田伊介は躊躇うことなく答えた。
「伊丹万作という人です」
−中略−
名作時代劇を撮った監督で、
−中略−『無法松の一生』−中略−にはシナリオを提供するなど、脚本家としても高い評判を得ていた。(36頁)

ご存じの方はおわかりだが(伊丹万作は)伊丹(十三)さんのお父さん。
天才と言われた方。

 その名前を聞いた橋本は、少し勢いこんでこう言い放ったという。
「では、私は自分でシナリオを書いて、その伊丹万作という人に見てもらいます」
(37頁)

とにかく橋本は暇なのでコツコツと脚本を書き始める。
ネタはある。
何のネタか?
この肺病兵士達の絶望、運命に翻弄される命と、それを操っている鬼を書いてみようというので

橋本の人生初のシナリオが『山の兵隊』だった。(54頁)

戦地・戦場や海戦の海では戦わず、田舎の山の隔離病棟で肺病と戦う兵士の物語、という。
「出来上がったよ」と言って同病の成田に報告すると、成田は「伊丹万作っていうのはよ、ワリと岡山に近くの京都にいるらしいんだ。だから送ったら何とかなるんじゃ無ぇの?」と言って住所を探してくれて。
その当時はワリと個人情報がモロに漏れるという時代だから、そこに送ってしまう。

 そして橋本は、成田伊介との約束通り、伊丹万作にそのシナリオを送った。(54頁)

(普通は伊丹万作は)読む筈がない。
大脚本家だから。
何故か読んでくれる。
この「何でか読んでくれる」がまた鬼の仕業。
ところが本当にこういうことがある。
奇蹟のようなことが起きる。
送ってから数日すると、返事が来た。
そしてびっしりボロカスに書いてあった。
伊丹万作の評は「エピソードが多すぎる。書き方が粗雑だよ」「人に読んでもらおうというのに、君、誤字が多すぎるよ」。
とにかくびっしり細かい注文が。
だが、橋本の喜びはそれどころではない。
伊丹万作が返事をくれたという。
これはそうだろう。
高名な小説家の方に素人が何か小説を書いて出しても読んではいただけない。
ここから面白い。

なぜ返信をくれたのか−中略−伊丹さんにあのシナリオを読ませる気持ちをおこさせたものは、その内容が療養所に材をとったからではなかったろうか」
「新しい療養のやり方などに、興味を持たれたのではないかと思われる」
−中略−
 伊丹も同じ結核患者であるため、『山の兵隊』に記された結核治療の実態や、病状の具体的な描写に関心を抱いたのではないか
(56〜57頁)

鬼に憑りつかれた橋本なのだが、伊丹も肺病だったということで、同じく鬼に憑りつかれた伊丹万作を引き合わせるという、どこの馬の骨ともわからない橋本の脚本を読んでくれた。
だが「シナリオというのは甘くないぞ」。
橋本はこのことを励みにしてまたシナリオを書く。
伊丹とのやり取りが続く。
橋本はこの頃になると死ぬということが横を通り過ぎて二年過ぎてしまう。
その二年が経ったら、橋本の肺から結核菌が出なくなってしまった。
それで1941年に12月になって橋本は「療養所から出てよい」ということになったのだが

四一年十二月八日の真珠湾攻撃を皮切りに、日本は太平洋戦争へ突入する。(51頁)

 当時の橋本は軍需徴用により、姫路にある海軍の管理工場・中尾工業に勤めていた。本社で経理を担当した(52頁)

仕事の関係で京都や大阪の出張というのもあったから、そのときに時間を繰り合わせて行っていたんだ。大阪の仕事を済ませちゃって、そのまま京都の伊丹さんのお宅へ行くということはあった。(69頁)

 これまで脚本家としての弟子を持たなかった伊丹が、橋本を弟子として迎え入れた。(67頁)

シナリオを書いては、それを伊丹に送っていた。伊丹もまた橋本に必ず返信を送っていた。そこには、必ず先に挙げたような具体的なアドバイスが記されており(68頁)

そうするとやはり腕は上がっていくのだが、映画化はされない。
映画化されなくても伊丹を独占できたという喜び。
橋本と伊丹。
師弟関係になってしまう。
皮肉というのは凄いもので、鬼のからかいというか、何と三年も過ぎた。
まだ生きている。
「俺、死な無ぇじゃん」と思う。

 一九四五年八月十五日、戦争が終わる。そして日本はアメリカを中心とした連合国軍の占領下に入るのだが(70頁)

敗戦から約一年が経った四六年九月、長く療養生活を送っていた師、伊丹万作が死去したのだ。(70頁)

「何ということだ」と。
戦争には負けるわ、師は亡くすわ。
ところがまた不思議なことに、姫路に帰った。

「軍需会社だから、二年ごとに検診があるんだよ。−中略−レントゲン撮るたびにやっぱり引っかかってた。医官に言われた三年はもったけど、いつ死ぬかわからない状況には変わりなかった。
 でも戦争に負けて、アメリカからストレプトマイシンが入ってきたんだよ。それで、いっぺんに治ってしまった」
(70頁)

伊丹さんには間に合わなかったが、田舎にいたお陰で橋本には間に合った。
それで病院に通って治療を受けると胸の肺病が消える。
何だよこの人生は?
戦場で死なず、300万人の死者を巻き込んだ世界大戦に敗北すると、運命の鬼が橋本だけには70年の寿命をくれた。
さあ、数奇な数奇な人生は続く。

この人は肺病から救われた。
だがもう先生はいないから。

 この頃、西播磨地区にある企業を対象にした実業団野球大会が開催され、橋本の勤める中尾工業もこれに参戦。橋本もチームの一員として出場することになる。ランナーとして塁に出た際、ホーム突入時に捕手と激突、椎間板ヘルニアの大けがを負ってしまったのだ。(71頁)

 会社も欠勤せざるをえなくなった橋本は、自宅療養のため空いた時間に再びシナリオを書き進めることにした。そして、原作になりそうな小説を求めているうちに、書店で芥川龍之介の全集を目にする。(71〜72頁)

芥川龍之介の「藪の中」。

藪の中



「真実なんか誰もわかりゃしねぇや」という芥川の平安を舞台にした時代劇。

『藪の中』と題された小説に、橋本は心惹かれた。(72頁)

 これを脚本にしようと思い立った橋本は、一気呵成に書き始める(72頁)

盗賊と武士とその妻。
武士が殺されて事の真相を語り合うのだが、三人三様でどれが真相かわからないという「藪の中」。
「真実なんて誰もわかりゃしねぇや」という作品。

(二百字詰めの原稿用紙)で九十三枚(73頁)

京都の仁和寺で伊丹万作の一周忌の法要が執り行われる。これには橋本も出席していた。法要が終わると、伊丹夫人が橋本を呼び止め、一人の男を紹介する。
 佐伯清。助監督時代に伊丹に師事し、当時は東宝を経て新興の新東宝で監督として活躍していた。
(73頁)

約一年の間に橋本は十本近い脚本を書きあげたという。(73頁)

「『藪の中』っていうの面白いね。今、うちで伸び盛りの若い監督いるんだよ。そいつにね、コレちょっと読ませて映画にしねぇか」という。
何と伊丹の死の縁。
思わず橋本は気を付け。
「あの、若い監督っていう方は何というお名前で?」
「ああ、いろいろワガママを言うんだけど面白いヤツでね。黒澤明っていうんだ」
その頃、黒澤は頭角をグングン表していた。
「虎の尾を踏む(男達)」、戦前は「姿三四郎」なんかの独特の画風で、それから「わが青春に悔いなし」なんていうのがあって。
「あの黒澤が、まさかなぁ?俺なんて相手にするワケないよなぁ」とかと思っていたら電報。
黒澤明から「急ぎ上京せよ。シナリオの件」。
「ええ?」というようなもの。
会社に事情を説明して東京に行った。
いた。
黒澤明。
とにかく礼儀とか無い。
いきなりドーンと映画の話。
「ねぇねえ。この『藪の中』っての面白いんだけどさ、200字詰めの原稿用紙で93枚。これアンタ映画にしたら40分でお終いだよ。どうするんだい?」
初めて会ったのに不機嫌そうに怒るという。
「ああ・・・すみません。じゃあちょっと考えさせてください」
それで橋本は考える。
その時に橋本は絶妙なことを考える。

橋本が考えたのは、『羅生門』の下人のエピソードを『藪の中』の盗賊・多襄丸の前日譚とすることだった。(80頁)

(本放送ではここで「羅生門」のサウンドトラックが流れる)

 原作の『羅生門』は、飢餓と疫病で荒廃した平安京が舞台。盗賊の住処となった羅生門の楼内には捨て場のない死骸が投げ込まれていた。そこに、奉公先を解雇された下人がやってくる。彼は楼で女の死骸の頭から髪の毛を抜く老婆を見つける。−中略−下人はその老婆から着衣を奪い取り、羅生門を去る。(77〜78頁)

子沢山の木樵(きこり)と、世の中をすっかり絶望しきった僧が羅生門で雨宿りをする。
そこにズバリ、藪の中の話を三人でするという。
「彼はこう言ってた」「彼はこう言ってた」というのを三人で絶望を語り合う。
まだ戦争に負けてまだ四年か五年ぐらい。
もう世の中は暗い話ばかり。
人殺しだとか子供は捨てるとか米兵が婦女子を暴行する。
暴行されても誰も助けない。
そんな殺伐たる戦後。
殺伐たる作品「羅生門」。
荒れ果てた日本。
「これ行こう!」
ここからが大事なことで、ここからが春日太一という人が立派な方で、これはいろいろ調べた。
橋本先生は「私が考えた」と言う。
「『藪の中』と『羅生門』をくっ付けよう」
黒澤は「あれは私が考えた」。
共同脚本をやると必ずこれが出て来る。
スフィンクスみたいに下半身ライオン、頭は人間みたいな感じでいわゆる共同脚本というのは二匹のケモノが一匹になっているワケで「どっちが考えた」なんてわからない。
春日さんは非常にクールな方で、どっちがこれをくっつけようと言って見事くっつけたのかは、結果的には

『藪の中』の映画化をめぐる顛末もまた、「藪の中」を地でいく話だったのだ。(79頁)

これで「羅生門」の中に「藪の中」が入るという、「藪の中」の額縁が「羅生門」という全く新しい映画の手法を橋本は脚本として考える。
撮影はというと黒澤が抜群のアイディア。
三船敏郎が「暑い暑い!全く」と言ってパッと空を見上げると(映画のカット割りに)太陽が入る。
映画の世界で太陽を撮ったのは黒澤が初めて。
あのカット。
それで暑さを表現する。
それで今でも砂漠を歩いて水が切れてハーッと空を見上げるとカッと一発だけ太陽を入れるというのはその「羅生門」から始まる。
しかも「羅生門」はアメリカでバカ当たりをする。
さあ、いよいよ始まった橋本忍の脚本の修行の旅。

羅生門 デジタル完全版