いささか硬いタイトルで申し訳ございません。
ただ、こんなのもやってみたいなと思って繰り広げるワケで。
もちろん仕込みネタがあって、尊敬するフランス哲学と合気道をやっておられる内田樹先生の「街場シリーズ」。
「街場の米中論」
(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
アメリカと中国、それについて語ろうと。
東洋経済新報社から出ている。
水谷譲に言いかけて水谷譲から一発で足蹴りされたのだが、この本を読んだ時の思いをポツンとラジオで言ったのだが言い方が悪かったので。
「国家っていう時代が終わりつつあるんじゃないか?」
もちろん水谷譲が言っている方が正しくて。
(水谷譲は)「国家が無くなったら国民がいなくなっちゃいますよ。ワケわかんなくなります」
長い前段があって。
武田先生は上手く答えられなかったのでずっと引っかかっていた。
「人にワケのわかんないこと言った」という記憶はきちんとある。
武田先生がその時に水谷譲に言いかけたのは、夕方のニュース番組とか日曜日の「一週間の出来事を」なんていう、そういうニュース番組のラジオ・テレビがあるが「少し捉え方がおかしいんじゃ無ぇか?」というのがある。
愚痴っぽくなるが。
そのニュースが流れる度に「もういいよ」と思わず自分で。
これはテレビだが、ニュースで思わず言った。
円安で成田空港で訊いている。
これから海外旅行をする人にとって円安、円の値打ちが落ちて海外に行くワケで、それは困るワケで。
でも「円安」というのは国内の出来事なので「わざわざ成田に行って訊かないでナントカ不動尊とかに行って訊いた方がいいんじゃ無ぇか」という。
経済学者で頭のいい人が「日本はアジアの最低国になった」と罵っておられる方も。
こっちはよくわからないから「日本っていうのは最低なんだ」という。
インバウンドのお客はいっぱい来て。
「それは安いから来てるんだよ」
今は海外から来た人は二千円ぐらいの丼ランチとか「安いです。美味しいです」、我々からしたら「いや、高い高い!」と思う水谷譲。
でもよく考えてみたらインバウンドの人がお客として、その二千円の定食を喰ってくれればレストランの人は美味しい。
「円」というものを考える時に儲かっているところと儲かっていないところがある、と。
もう一つ。
とあるお医者さんが「バカヤロー」と言って本の中で怒鳴っておられたが「年寄りのツラ見りゃあ免許返上しろ返上しろって言う。どこで訊いてるんだ?お婆ちゃんの原宿って言われるあそこに行って『免許返上しませんか?』って訊いてる。おいおいおいおい!待て!おんなじ質問を『ポツンと一軒家』の人にしてみろよ」。
つまり人の意見を訊くというのはそういうところで。
どこで訊くかということ。
ほんのちよっと訊く場所を変えると物の見方が変わってくるという。
水谷譲に武田先生が言いかけたのは内田先生が「街場の米中論」の中で
現実のうちには「太古から存在するもの」、「数百年前から存在するもの」、「ごく最近になって登場したもの」などが混在しています。それらは区別しなければいけません。−中略−
「太古から存在したもの」はたぶんこのあとも人類が存在する限り存在すると思います。「数世紀前に登場したもの」は数世紀後には存在しなくなるかも知れない。「ちょっと前に登場したもの」は10年後にはもう誰もその名前さえ覚えていないかも知れない。(17〜18頁)
そういう「問題と時間」という消費期限があるんだ。
だから事件の消費期限をそれぞれが知るべきではなかろうか?という。
武田先生があの時言いたかったのは「ニュースを全部、一列に並べちゃイカン」ということ。
例えばイスラエル・アラブ戦争。
これは何千前から続いているのか?
これは簡単に解決しない。
この後百年、二百年続くと思った方がいい。
ウクライナ・ロシア戦争。
これは中世。
ウクライナがロシアの一部であったというのは中世。
信長や秀吉の頃。
そうすると百年かかるかも知れないが百年かからないかも知れない。
この中で一番ドキッとしたのが、このセリフ。
この「街場の米中論」の中で内田先生がおっしゃっている。
17世紀に新しい政治単位として国民国家というものが採用された。
これはフランス。
長いタイムスパンで見れば、いずれ国民国家は消滅するはずです。(19頁)
何でそう言えるのかというと、国家が国民を少しも幸せにしていない。
そういう意味でもう一度、国家というものを考えてみませんか?
若しかしたらこの現代、今という時代は国家が消えてゆく始まりかも知れないという。
そういう意味で言った。
軽々しく水谷譲に訊いて、水谷譲からうっちゃかれたのだが。
実は水谷譲に言いたかったのは、ここから営々と始まる国家論。
ちょっと今週は硬いが(三枚に)おろしたいと思う。
大上段に振りかぶってしまった。
娯楽性から遠くなってしまうかも知れないが「国家というのは何だろう?」ということを考えてみたいなというふうに思う。
内田先生の考え方は昨日お話した通り。
イスラエル・アラブ戦争、ウクライナ・ロシア戦争、台湾・中国紛争等々いろいろあるが、それぞれに問題の質が違っている。
イスラエル・アラブ戦争。
この戦いは神々の戦いである。
ロシア・ウクライナ戦争。
これは国盗り物語である。
そして台湾・中国問題。
これは毛沢東の戦いである、と。
「台湾はウチのもんよ」という。
古代から、近世から、そして現代から「問題の発生の時間のポイントが違いますよ」という。
その中で内田先生がおっしゃっているのが、それぞれみんな国家が戦っている、国家が国民を従えて戦っているという。
こんなことは考えたこともない。
では国民国家から考えていく。
国民国家とは17世紀、フランスの一画で生まれた形。
国民国家は400年を生きている。
大きくなり過ぎた恐竜のように、国家が誰も幸せにしないという。
生命史がそうであるように、巨大になったものというのは滅びる。
これはダーウィンの言っている通り。
巨大な生き物というのは強そうに見えるが、環境が僅かに変化すると滅んでいく。
気候の変化、海水温、海流の変化、植生の変化、そのような変化があると巨大な体を持つ生き物というのは維持できなくなる。
そして全滅。
「カタストロフィ」と言って種全体が滅んでいくということが起きる。
内田氏は現代の恐竜を国家に喩えていて、一番デカいのは米国、アメリカ。
二番目が中国。
この二匹の恐竜を成立から見てみようという。
これは面白い内田先生の見方だと思う。
恐竜に喩える。
この間、皆さんは「たいくつだな。日本はどうなの?」という方もいらっしゃると思うが、これはやがて日本論になっていくので、ちょっと待っていてください。
まずは世界を動かしている二匹の恐竜、米・中という国家を見てゆこうと思う。
米国とは、アメリカとは一体何であるか?
「アメリカというのは一つのアイディアなんだ」というアメリカ人作家の言葉をどこかで柴田元幸さんが紹介していましたけれど、本当にそういうものだと思うんです。アメリカというのは一つのアイディアであって、アメリカ人というのも一つのアイディアである。(58頁)
つまり国の形の理想を求めて提案された一つの実験。
上手くいくかどうかまだ確認されていない。
どんな実験かというと、アメリカは何かで迷うと最初に戻る。
アメリカというのは何かで問題が起きると「アメリカはどうやってできたか?」に戻る。
これは武田先生が上手いことを言っている。
紙で鶴を一回折る。
その鶴を折った紙を広げてまた平べったくする。
そうするとなんとなく折り目が付いていて折り鶴になろうとする。
アメリカという折り鶴はいつできたかというと、これはアメリカ独立戦争。
新大陸にはネイティブ・アメリカンの人を除いてイギリスの他スペイン、フランス等々様々な国がバラバラに国を作っていた。
宗主国イギリスに対しての反乱で。
もの凄く大事なアメリカの本質。
徴兵でもなく常備された軍隊でもなく、アメリカ独立の為に闘った兵士達は仕事着のまま来た。
軍服を持っていなかった。
だから土仕事をやっている人はニッカポッカとか、牛を飼っている人はカウボーイスタイルで。
それでアメリカ独立運動を起こした。
それがアメリカ人のプライド。
誰にも命令されず、自分の意思で、自分で調達した武器を手に、自分で組織した兵士たちを引き連れて戦いに来たわけですから、帰るのも自由。(34頁)
仕事現場から手の空いた市民が駆け付けてイギリス軍をやっつけようと。
他にはスペインからやってきたとかフランスからやってきたとか、イギリスばかりではない。
だからスペインとかフランスの人もいるので、その人達はイギリスからやってきたヤツがコテンパンにやっつけられると結構喜んでいた。
北部の人達はイギリス系の人が多かったのだが南の人達はフランス系が多かった。
そうすると北部のイギリス系のアメリカ人の人達がやっつけられると南部は大喜び。
みんな手を叩いていた。
バージニア州が米国軍にコテンパンにやっつけられるとコネチカット州は大喜びした。
それくらいバラバラだった。
そんなことを繰り返すうちに「これじゃイカン」というので13の州が力を合わせてイギリスに勝ちえたのがアメリカ。
この仕事の合間に兵士だった人達が興した国がアメリカ。
ここから話しが始まる。
アメリカは確かにいろんな国が集まっているような大国だが、元々がそういう始まりだったというのが習っていなかったと思う水谷譲。
武器を持つにしてもそれは自分の私物。
私物で兵隊さんの服を着ないで作業着で戦った。
ある意味ではバラバラの植民地、イギリスの植民地の部分、スペインの植民地、フランスの植民地、バラバラだった。
余りにもイギリスが無理難題を言うものだからある州が戦争を始めた。
その戦火がゆっくり広がって13州が集まってイギリスに対抗し、独立戦争を起こした。
そうしたら何と驚くなかれ、イギリスに勝ってしまった。
全ての始まりはここ。
「やった〜!俺達凄いじゃん!」と「じゃあバイバイな」と13州がまたバラバラになればいいのだが、誰かが「何かあったらまた集まんない?」と言った。
「でも何かない時にはそれぞれ自由にやろうよ」
まとまることを嫌がった州もあったのだが13州は懸命に語り合った。
それで「何かあった時は力を併せるが、普段は13州バラバラでいこう」。
危機に対しては平等に力を出し合う、貸し合うが普段はそれぞれに自由であるという。
アメリカで一番大事なのは「自由」。
この後に憲法を作ったりしていくうちに「平等」というのが出て来るのだが、これはどう考えても欲張り過ぎ。
自由と平等は食い合わせが悪い。(91頁)
自由である、そしてみんな平等というのは裏腹なもの。
平等である為には少し自由を我慢しないと。
一番大事なことは「自由」で、「平等」は後回しにしてそのうちできるようになんじゃ無ぇの?と
それで軍隊の一件にも話が及んで「国家が軍隊を持つ?やめようやめよう」。
必要な時、市民が武装して招集に応じる。
それで市民に認めたのが
独立宣言には武装権・抵抗権・革命権が明記されています。(101頁)
これも市民にある。
だから大統領が気に入らなかったら撃っていい。
憲法でもう認められている。
「銃で武装してよい」「政府が気に入らなかったら倒していい」
そういう自由が認められている以上、大統領を殺す権利が国民にある。
何人殺されたか?
自由が一番大事ということ。
凄い国家観。
アメリカの独立は常備軍によってではなく、自発的に銃を執った市民たちによって勝ち取られました。だから、国を守るのは行政府に属する軍隊ではなく、「武装した市民」でなければならないというのはアメリカの揺るがすことのできない国是です。(34頁)
だからもし侵略を受けた場合は市民に武装させて闘うかどうかは市民の代表の議会で決定する。
そういうこと。
ここからアメリカがスタートした。
これが凄い。
アメリカが出来たのは1783年、今から240年前のこと。
日本はというと徳川、天明三年の年で浅間山が噴火した、その年にアメリカができたという。
この自由と平等「そのうちにみんな平等になるんじゃ無ぇの」というのがなかなか平等にならない。
今もまだ苦しんでいる。
「平等が実現できない!」と苦しむと「最初に戻ろう」という。
ここまで話すと現代史がわかる。
トランプさん。
「13州バラバラになってもいい」というその自由がアメリカ人にはある。
だから日本の新聞社の人が深刻な顔をして「トランプ元大統領のお陰でアメリカはすっかり分断されました」。
(アメリカは)最初から分断されている。
最初に戻って、最初の折り紙をトランプさんは折っている。
それが何か恥ずかしくて言えないような「アメリカをもう一度偉大な国にする」という。
でもあれは「もう一回折り鶴を折ろう」ということで。
わかりやすい。
もう一回折り鶴を折ろうと言っている。
だからあの人にとっては「自由」と「平等」なんて両立させる気なんかさらさら無い。
平等を成立させようとすると自由が制限を受ける。
だからトランプを支持する。
それは自由。
人からガタガタ言われる必要はない、という。
これでわかる。
それがアメリカ人達は無意識のうちに元に戻ろうとしているということ。
当たり前。
トランプさんが大好きな人がいる。
そうすると国家がトランプさんを大統領にしない。
それは議会に詰めかけてトランプ支持派は議会を壊す。
だって革命権を認められているから。
だからトランプさんは平等になると困る。
「私を応援してくれる人だけが生き残ればいい。後はどんな目に遭おうと」
それがトランプさん
だからああいうことになるという。
そうやって考えるとストーンと落ちる。
でもこのアメリカはやっぱりトランプさんになってもまだ魅力がある。
その魅力とは何か?
アメリカは一番大事なのは「自由」である。
そしてアメリカ市民には銃を持って自分の自由を確保する為に闘うことができる。
それがアメリカを作ったエネルギー。
だからトランプ人気というのはそういうこと。
トランプさんははっきり言って自由を絶対的に信奉している人で、この人にとって「平等」なんかどうでもいい。
だから彼の暴徒と言われている支持者は今でも裁判になっているが、連邦議会におし寄せた。
そして滅茶苦茶にここを壊したトランプ支持派。
銃はスーパーマーケットに売っているから、お金を出せば買える。
銃犯罪の多発によって繰り返し法規制が求められていながら、憲法修正第二条が認める武装携行の権利がいまだに抑制されないのは、「市民の武装権」を否定するということは、国家の本義を否定することだという考えをする人たちがそれだけ多く存在するからです。(34頁)
銃の乱射事件や黒人差別に関しても「そりゃあやめた方がいいんじゃない?」「よした方がいいんじゃない?」「平等の方がいいんじゃない?」と言うが「自由」と「平等」が相戦うようにできているのがアメリカ。
トランプさんの実例を挙げる。
これは内田先生が書き抜いておられて、このままとは言えないかも知れないが。
内田先生はトランプさんをこんなふうに非難しておられる。
2019年から続いたコロナ・パンデミックでの死者はアメリカで120万近くいる。
感染拡大が始まったときの大統領はドナルド・トランプでした。彼は「コロナはたいした病気ではない。すぐに治まる」と何の根拠もなく言い張り、まともな危機管理をしませんでした。そのせいでアメリカは初期に感染爆発を招き、−中略−
世界最悪の感染者数・死者数を記録しました。(32頁)
それで自分が罹ったら(ワクチンを)すぐ打った。
それは自由。
コロナ対策でも、反マスク、反ワクチンを主張する市民たちが依拠するのは「自由」です。(160頁)
アメリカでコロナパンデミックで120万の人が亡くなった。
これは世界で最大の死者。
第二次世界大戦の死者40万人(161頁)
それでも「トランプさんの失政による死者だ」と誰も責めない。
アメリカは自由。
この百万人を超えるコロナパンデミックによる死者の殆どは病院に行くことのできない無保険者、保険証を持たない人達。
アメリカでは4600万人いる。
人口の15.4%。
このうちの100万人がコロナで死亡した。
病院に行かない人がコロナで死んだ。
誰の責任でもない。
アメリカはそんなふうに折られた国家。
「独立戦争で自分のお金で銃を手にしてイギリスと戦った」人達には、アメリカ市民としての保護が与えられる。
でも「銃を買わなかった、イギリスと戦わなかった」人達は除外される。
保険、或いは教育、福祉、そこから全部弾かれる。
それは最初に作った時にそうだった。
ではアメリカの自由と平等を理解して「あ、アメリカそういう国なんだ」と納得して折り鶴が折れたらアメリカの特典は何か?
「私は折り紙折れますよ」と言ってちゃんと鶴を折った。
そうしたらアメリカ社会ではどうなるか?
ここがアメリカの実はやはり素晴らしいところ。
別の色紙を貰える。
鶴じゃなくていい。
何を折ってもいい。
奴さんを折ってもいいし、兜を折ってもいいし、船を折ってもいい。
そういう国造りは楽しい。
最初に鶴さえ折れたら新しい色紙を貰える。
そこがアメリカに勝てない。
大谷翔平君。
どんどん折り紙が貰える。
あの子はメジャー・リーグというところで持ってらっしゃる。
奥様からハワイの別荘から、もう保険から外車から、もらった色紙で何でも折れる。
これはやはり申し訳ない。
「平等」ではない。
一選手に対して天文学的な数字で。
大谷さんは偉い。
偉いがあの大盤振る舞いの色紙。
本当に大谷というのはアメリカン・ドリーム。
しかもこの間、菊池雄星と大谷がピッチャーマウンドとバッターボックスで戦う。
あの時に向こうのアナウンサーも言っていた。
「ハナマキヒガシ」
花巻東(花巻東高校)の野球部の二人が。
二人とも東京出身ではない。
あの巨漢の二人が大喝采。
あれはアメリカの人は色紙を投げつける。
「持ってけ!」
飼っている犬の似顔絵をシャツに付けただけで1ドルのシャツが50ドルで売れる。
これは色紙をくれる。
アメリカの始まりを語っている。
知ると違ったアングルでニュースを見られるかなという気がする水谷譲。
ちょっとそれで「(今朝の)三枚おろし」が役に立てばなと思っている。
「三枚おろし」を聞いていると常時流れて来るニュースに関して感じ方が変わってくるかも知れない。
アメリカが生んだ人物の中で理想の人物とは誰か?
例えばジョン・F・ケネディ。
凄く面白いのだが、(学業の)成績が抜群という程ではない。
アメリカの大統領はそういう人が多い。
そのくせケネディさんは「犬に追いかけられて100m9秒で走った」とか。
都市伝説。
そういうのがある。
アメリカの人は頭のいい人があんまり好きじゃない。
日本人はとにかく丸くて温厚な人が好きなのだが。
アメリカは尖っていて頭で物事を考えない人というのが好き。
ここからはちょっと古い時代のアメリカかも知れないが、アメリカ人が大変好むので映画にした「アラモ」。
デイヴィー・クロケット−中略−
がいます。映画『アラモ』でジョン・ウェインが演じていました。(60頁)
アラモの砦の中にアメリカ人がこもってアメリカのプライドを守ったという。
一種の伝説。
この中でジョン・ウェインが演じたのがデイヴィー・クロケット。
日本語で言うと「源の金太郎」みたいな。
名前からして英雄。
デイヴィー・クロケット。
テネシー生まれの 快男児
その名はデビイ・クロケット
わずか三つで 熊退治
その名を西部に轟かす
デビイ デビイ・クロケット(「Ballad Of Davy Crockett(デビィ・クロケットの唄) 」)
(番組内では「テキサス生まれ」と歌っているが、正しくは「テネシー」のようだ)
テネシー生まれの猟師で、−中略−
インディアン相手の戦闘で軍功を重ねて、−中略−
その民衆的な人気を背景に1821年、35歳でテネシー州議会の議員に選ばれ、のち連邦下院議員に当選し、33年には大統領選出馬の可能性さえ噂されました。−中略−
テキサス独立戦争のアラモの戦い(1836年)に参加し、圧倒的多数のメキシコ軍と戦って死に、死後国民的英雄となりました。(60頁)
(番組では32年と言っているが、本によると33年)
あの日の山 あの日の雲(「The Green Leaves of Summer(遥かなるアラモ) 」)
デイヴィー・クロケットはどんな人か?
伝説だけではなくて、ちゃんと残っている。
クロケットは自ら「無学な野人」ぶりを強調しました。−中略−
彼はまたインディアンや黒人奴隷に対する激しい人種的偏見を隠しませんでした。(60〜61頁)
無教養、豪胆、暴力性、東部のエスタブリッシュメントに対する激しい不信、剥き出しの人種差別、性差別、そしてある種のイノセンスとおおらかな人柄……これがデイヴィー・クロケットの伝説的な人気をかたちづくりました。(61頁)
差別主義者。
でもアメリカ人は好き。
アメリカ人の根本の生理の中にあるのはカウボーイが好き。
そういう男達の持っている荒々しさがアメリカ国民の理想像。
それに似通った人を大統領にしたがる。
この原型は今もアメリカ国民の深層心理を支配していて、そのデイビー・クロケットに似ている、何となくアメリカ人の心を支配しているのが秋口に大統領選に名を挙げられるトランプ大統領候補。
デイヴィー・クロケットというのはそういうタイプの人。
欠点がある。
アメリカの偉人というのは探っていくと、もの凄い差別主義者だったり。
でもそういう臭いの人をアメリカ人は凄く好きになってしまうというか、英雄に祭り上げる。
アメリカは「自由」と「平等」の根源的葛藤を抱え込んでいます。この二つはアメリカの統治理念の根本をなす原理なのですが、自由と平等は食い合わせが悪い
。(91頁)
これはどういうことかというと氷の天ぷらを作るようなもので、実現していないという。
その葛藤を国が生まれた時からずっと繰り返している。
とにかくまずは鶴を折ること。
鶴さえ折れたら後はどんどん折り紙は貰えるという。
これが今、世界を支配している国だと思うと、皆さん方の見方も変わるんではなかろうかと。
では日本はどうしたらいいのか?
ちょっと待ってください。
それよりももう一匹の恐竜を語りましょう。
その恐竜こそが「街場の米中論」中国、中華人民共和国。
これは正直に言うが、この内田樹先生の「街場の米中論」。
これは9つの章、245ページから成る本だがアメリカについては177ページを費やし、中国については9章のうちの1章のみの44ページ。
「米」「中」論なのに。
アメリカは8章に渡って語って中国に対しては1章のみ。
これは余りにもページ数が違い過ぎる。
でも内田先生はそれしか書きようがなかったのだろう。
中国はシンプル。
建国から今までの年数。
アメリカが231年。
ところが中国、中華人民共和国は75年。
「中国○千年の歴史」は中国ではない。
あれは「秦(しん)」とか「漢(かん)」とか。
中華人民共和国は75年で武田先生と同じ年。
武田先生が生まれた年にできたのが中華人民共和国。
だから75年だとさすがに話すことがない。
この中華人民共和国とはいかなる国かというと、75年前に毛沢東が「中国共産党、一党独裁」これを宣言してできた国。
簡単に辿ることができる。
来週いよいよ中国について語りたいというふうに思う。