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2024年09月04日

ネオ甲を買ってみた

津軽三味線の本体もそうだけれども、それ以上にバチが高騰しまくりで。
まあ、象牙とかべっ甲とか昨今では使いづらい素材なワケで。
多分十年ぐらい前に三万円前後で買っていたかなぁ。
今は同じぐらいのグレード(正直三味線のバチとしては全然ハイレベルではない部類)でも十万ぐらいするんじゃないかと思う。
しかも恐ろしいことに!
割れるんだよねぇ。

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こうなってしまったら、もうどうにもしようがない。
そんな何万円もするヤツが気軽にどんどん割れてもらうと非常に困るのだけれども、今後はますます入手困難&価格高騰だろうから、何かいいのはないかと。
で樹脂製の安いヤツで評判がいいから〜なんて思って使ってみたら数十分で割れて使い物にならなくなるという。
高い樹脂製のヤツも同様だったので、かなり不安ではあったけれども、バチの大きさが自分の手に合っていないなというのもあって、ちょっと高いお値段の樹脂製のヤツを買ってみることに。

海宝堂というところで作っている「ネオ甲」。
自分が使っているバチの寸法を測って、それより小さめのサイズのものをということで、まずは「小型モデル」というヤツを買った。
開き:約91mm 全長:約165mm 才尻:24mm×20mm
重量:約120g前後
撥先の硬さ:普通
手元材質:合成樹脂
バチ先材質:天然樹脂(動物性)

うん。
ちょっと小さすぎて逆に持ちづらい。
調節の為に厚みのあるテープを巻いて使ってみたら、まあまあ使えるかなぐらいの。
今までバチの重さなんて意識していなかったけれども、確かに普通のヤツよりは軽いな。
硬さは「普通」って書いてあるが、あんまりしならないのでかなり硬い感じがする。
そして、このバチで通算で何時間も弾いているが今のところ割れる感じはなく。
他のは1時間持たなかったからな。

で、同じバチの「標準モデル」の寸法を見たら、あんまり変わらないなと思って。
開き:約92mm前後 全長:168mm 才尻:25mm×22mm
重量:約145〜150g
撥先の硬さ:やや硬い〜硬い
手元材質:合成樹脂
バチ先材質:天然樹脂(動物性)

ひょっとしてこっちの方が手の大きさに合うのでは?なんて思ったので、こっちも買ってみた。
結論から申しますと、わずかに大きいかなぁという感じはしないでもないが、こっちの方が私の手には合っていた。
これも結構硬くて、硬いせいなんだろうけれども、長時間弾いていると手が疲れるな。
重さは多分普通のバチぐらいだから、重さで疲れるってことはないと思うが。
こっちも今のところ割れていない。
以前使っていたバチは私の手には大きすぎて握りづらかったのだけれども、標準の大きさってのはこのぐらいなのかな?
前のは標準じゃなかったのか。

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右が「標準サイズ」。

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重ねてみると厚みがかなり違うのがわかる。

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幅は1mmだけしか違わないので、比べて見るとこんな感じ。

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開きの方も1mm違うか違わないかみたなことなので、見た目には殆ど変わらない感じ。

他のすぐに割れるバチに比べるといい商品だなと思う。
もうちょっとサイズの種類があるともっといいな。
とにかく全然しならなくて硬いので、硬くてもいいっていう人にはいいかと思うが、しならないと弾けない!っていうタイプの人には向かないな。

再お 極上 津軽三味線 撥 バチ 鼈甲



posted by ひと at 12:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

電車のつり革が「CHEETAH WiFi」

昨日なのだけれども、京急のダイヤがぐだぐだになって「帰れるのかな?」なんて思いつつ電車を待っておりましたら一応来た。
まあ、車両は京急じゃなくて都営浅草線的なヤツだったのだけれども。
で、つり革の所に何か書いてあるなぁ〜と思ってよく見てみた。

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チャージ式モバイルWi-Fiの新ブランド「CHEETAH WiFi」の広告だった模様。
つり革以外は別段これの中吊りみたいなものもなく。

月額料金0円、契約不要の【チーター WiFi】が都営線吊手(つり革)をジャック! | 株式会社Seegramのプレスリリース
株式会社Seegram(本社:大阪市淀川区、代表取締役:山下浩司、以下Seegram)は、「CHEETAH WiFi」の吊手(つり革)広告を、都営線4車両(浅草線1車両・三田線1車両・大江戸線2車両)で掲出いたします。
吊手(つり革)広告概要
■掲出場所
都営線 浅草線1車両・三田線1車両・大江戸線2車両 ※つり手(つり革)部分
掲載期間:2023年12月〜1年間


検索したら普通に出て来たな。
去年からあるのか。
前と違って滅多に東京にも行かないしな。
全然知らなかった。

CHEETAH WiFi チーターワイファイ モバイル ポケット Wi-Fi ルーター モバイルルーター 月額料なし・契約なし・開通作業不要 電源オンで即時使える 追加ギガ リチャージ 可能 海外対応 (100ギガ付き365日間有効)



posted by ひと at 11:33| Comment(0) | TrackBack(0) | おでかけ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年6月10〜21日◆街場の米中論(後編)

これの続きです。

「街場の米中論」
いよいよ今週からは中国の方に入ろうかなというふうに思う。
内田先生の「街場の米中論」。
東洋経済新報社から出ていて9章から成る。
245ページの本だがアメリカに費やしたページ数が177ページ。
中国は9章あるうちの1章のみで僅か44ページ。
これはちょっと不公平ではないかとは思うが、そこはそれ内田先生。
そんな不公平を敢えてなさるワケがない。
公平に扱ってもその枚数で収まるところに中国の特徴がある。
建国以来の歴史年数はアメリカが231年、中国75年。
(中国は)武田先生と同じ年。
それが中華人民共和国。
もちろん中国という国は歴史が四千年もあるワケだが、それは中華人民共和国とは違い秦・漢・元・明とか、そういうもの。
たくさんあり過ぎる。
もう思い出せないぐらい。
だから中華人民共和国に関しては、はっきり言って75年しか無い。
アメリカというのは、色紙で鶴を折る。
それを広げてまた一枚の紙に戻しても最初の折り方で鶴を折るという。
ではこの喩え通り中国を色紙、折り紙に喩える。
するとどういう形になるか?
元に戻すこともあるだろう。
時々広げて使わなければいけない時もある。
これは二つに折るだけ。
これが中華人民共和国という折り紙。
簡単。
だから内田先生は44ページで説明なさったのではないか。
その折り紙の中身を見てみましょう。
中華人民共和国というその二つに折った折り紙だが

9割は漢民族ですが、モンゴル族(600万人)、チベット族(550万人)、ウイグル族(1350万人)、満州族(10000万人)、朝鮮族(180万人)、チワン族(1600万人)、回族(1000万人)など55の少数民族がいます。(180頁)

 いまの中国は人口14億人を超えています。(180頁)

 中国における統治モデルは「華夷秩序」です。世界の中心に中華皇帝がいて、そこから「王化の光」が同心円的に放出されている。(181頁)

今でいう北京。
その中華人民共和国の周りに国があるのだが、そこに世界はひれ伏すという。

 中国では王朝の交代は繰り返し行われました。−中略−天子の徳がなくなれば、天命により別姓の天子が代わる。(182頁)

これを四千年繰り返している。
今は中国共産党。
ズバリ言うと習近平。
「習」という名前なのだろう。
「秦」の次は「習」。
一時期「毛」というのがあったのだが、今は「習」さんが皇帝であるという。
中国は王朝成立と王朝が滅びる、これが同じパターンで繰り返されているからとてもわかりやすい。
だから44ページで収まってしまうという。

 中国史ではこのパターンが何度も繰り返されてきました。扮装と舞台装置が変わるだけで、−中略−同一です。(182頁)

いい喩えだと思う水谷譲。
「折り鶴」の次に「山」。
今もそう。
私達は中国という国をどうしても肌で感じることができないのだが、中国が一番警戒しているのは何かというとこの統制、上からの圧力をかけて民を縛るということ。
それが緩むとダメだと。
それから農民、これを生活苦に追い込むと反乱を起こしやすい。
それから流民、戸籍を失った人が国中を流れ歩くとこれが蜂起に繋がって革命が起きる。
これを注意しているという。

 中国では農村と都市で戸籍が分かれており、農村から都市への移動は厳しく制限されています。(183頁)

だから武田先生が福岡県、地方、農村に住んでいる人間だとする。
東京へ来る。
そうすると東京の病院には行けない。
福岡県に帰らないとダメ。
それから帰る時もちゃんと東京の世田谷区に願い出て「福岡に帰ります」と言って許可を貰わないと帰れない。
不自由。
それでも農村で喰えない人は都市部にいるわけだが、扱いは農村労働者ということで買い叩かれる。
習近平主席が都市部、例えば上海なら上海、北京なら北京、香港なら香港で「オリンピックやるぞ」「万博やるぞ」国際的な大事業をやろう」と言うと安い労働力が欲しいのでこの人達は便利に使われる。
そこで上手く乗って大金持ちになる人もいる。
これが「チャイニーズドリーム」「中国の夢」。

「農民工」とは農村部から都市部に出稼ぎのために出て来た人たちのことです。−中略−農民工は2億8171万人。人口の5人に1人が農民工という計算になります。(183頁)

とにかく14億の民がいて3億近くが労働力として都市部に住み着いている。
今、仕事が無くなって大変なようだ。
だから農村部と都市部ではもう生活の格差が酷い。
農業地帯からの労働者。
彼等は年収が約二千元。
三万二千円。
上海でデカいイベントをやる。
そうなると習近平が「こことここ、道路を造れ」と言う。
土地の権利は市民にはないから。
全部中国共産党のものだから。
習近平さんが「ここ」と言うと全部立ち退き。
その時にウヮーっと労働者が必要になって、それで金持ちになったという農民工、最下層の労働者の方もいる。
だからもうみんな、習近平さんの顔色を見ている。
人口増加、これが資本主義にとても有利で、中国は大いに儲かったのだが、これが2015年ぐらいから人口が減り始めた。
(本によると減ったのは人口ではなく生産年齢人口)
しかももう一つの問題は

65歳以上の高齢者人口は2040年までに3億2500万人に増加。(188頁)

繰り返す。
2040年までに老人が三億。
これはデカい。
一人っ子政策の失敗部分かと思う水谷譲。
何の失敗かはわからない。
日本に住んでらっしゃる中国人の方々の中華街で暮らしぶりなんか見ると一家の家族の塊が凄くしっかりしている。
中華料理店とか。
それは「一人目の息子は店を継がせたけど、二人目は〇〇大学にやっております」とかと言って、家族の結集をもの凄く大事にする。
ご本家の中国でこれが無い。
(水谷譲が)「え?」と言うのは当然。

 中国では伝統的に個人の経済リスクは親族ネットワークがセーフティネットとして機能してきましたが、都市部で暮らす若者の中には「2世代続けての一人っ子」がいます。彼らは兄弟姉妹もいないし、おじおばもいとこもいません。(189頁)

ちょっと汚い言い方になるが、(武田先生には)姪とか甥は山ほどいる。
何かみんな集めると頼もしい。
福岡に帰った時に姪の子供、「大姪」というのか知らないが、姪が生んだ子。
(調べてみたが「姪孫(てっそん)」「又姪(まためい)」あたりらしい)
それから兄の子達。
それから甥がそれぞれ子供を産んでいる。
それを集めて飯を喰わせるのだが、その時に「鉄矢おじさま」と呼ばれている。
ウチの広がりを感じて。
自分が一人っ子なので、子供は水谷譲側のおじ・おば・いとこがいないので可哀想だなと思う水谷譲。
中国は水谷譲みたいな子ばっかり。
おじ・おばがいない。
甥・姪がいない。
13億、14億いる中で7億ぐらいは親戚がいないというのは凄い。
申し訳ない。
武田先生は上手いこと水谷譲に答えられなかった。
「それは一人っ子政策のせいですか?」とかと訊かれた時に打てば響くように答えられなかった。
それはなぜか?
その例が世界史にない。
国というものがあったらあるパターンが「どこかに似ている」とか「〇〇時代に似ている」とか言えるのだが、七億の人間がいて、親戚がいない中国人というのは歴史の中にもない。
中国は「さあ、どうする?」。
どこにも手本がない。
これは、もの凄く辛いことだと思う。
権力者という人達はみんなそうだが「何かいいモデルはないか」と考える。
トランプさんが考えたのはアメリカ独立戦争の時。
戦争をイギリスとやるやらないでアメリカが分断された。
「やるヤツだけ集まりゃあいいんだ」という。
それがトランプさん。
初期に返る。
最初の折り紙に。
習さんは折り紙に返るしかない。
最初に中国を山折りにした人。
その人に習うこと。
それは誰か?
毛沢東。
毛沢東さんに還る。
僅か75年前。
その毛沢東のマネをすることが、習さんの「多分救うんじゃないかな」と思われる方法がそこにはある。
とにかく一番大事なのは毛沢東さんもそうだったが中国共産党を守ること。
その為には裏切者は許さない。
とにかく一番国の大事なところは全部、中国共産党で占めてしまう。
これが中国。
わかりやすい。
75年続いている中華人民共和国。
そのトップに今、立っておられる習近平さん。
中国で一番大事なのは中国共産党。
これを守ること。
とにかく中国共産党。
これが習近平さんの夢、中国の夢。
それ故に裏切者は許さない。
これが中国共産党のまとまり。
そして大事な仕事は全部中国共産党の党員の人。
製造業、金融、建設、共産党幹部が社長の条件。
TikTokとかある。
この人達は中国共産党員ではないと思うが。
でも「言うことを訊かないとどんな目に遭わせるかわかんないぞ」という
ビシッと全員、中国共産党の息がかかっているという。
ただ、ちょっとよそ見をするとすぐ賄賂とかを貰ってしまう。
(日本の)自由民主党の方も聞いてください。
組織腐敗が非常に起こりやすい中国。
それ故に厳罰が下る。

 かつて重慶で「独立王国」を築いてのちに失脚した薄熙来という人がいたことをご記憶でしょうか。−中略−外資導入で驚異的な経済成長を成し遂げ(193頁)

薄熙来自身の共産党員としての月給は1万元(当時のレートで13万円)でしたが、逮捕後に判明した薄一族の不正蓄財は60億ドルに達していました。(194頁)

それを黙ってポッケに入れちゃったという。
習近平は彼を逮捕して投獄したという。
この人は今、刑務所に入っておられる。
凄かった。
スラッとした方で身長が高い。
1m80(cm)ぐらいあるスマートな人。
逮捕する時にお巡りさんで2m級を用意したという。
少しでも低く見せる為に。
そこまで習さんというのは演出にこだわる人。
小さい男が引きずり回されているというみっともなさ。
それでこの薄熙来さんを刑務所に放り込んだという。
自民党の方に申し上げたい。
4800億。
「15万とかやめて」という。
せこい。
規模が小さすぎる。
みっともない。

国家というものは三つの要素から国民を鼓舞する。
国家は「中国人でよかった」と満足させなければならない。

フランス革命の標語は「自由−中略−」と「平等−中略−」の他にもう一つ「友愛−中略−」という第三の原理を掲げていたことです。(236頁)

これが国民国家の原動力になったワケだが、なかなか三つは揃わない。
自由・平等・博愛。
国旗にそう刻んだものの、この三つ揃えるというのはもう本当に麻雀の何とかというのと同じぐらい揃わないという。
アメリカはどうか。
これはもう最初に挙げたのだが言った通り。
「自由」は何とかなるのだが「平等」が上手くいかない。
稼ぐヤツの所に自由がいっぱいいって「稼げないヤツは不平等に泣いてもらうしかないよなぁ」という。
では中国はどうか?
毛沢東のあの建国以来、中華人民共和国。
これは同士全て平等
だから平等を実現して中華人民共和国は生まれた。
ただし大事なこと。
習近平の元の平等にする為には自由を認めてはいけない。
自由になろうとすると「その国まで追いかけていって拉致するぞ」みたいな。
中国の方で日本で教育関係に携わっている方が姿を消したりなんかする。
自由は許さない。
習近平の元の平等という。
これは毛沢東が始めたことだが、毛沢東がいろいろ功罪共々ある方なのだが、この人が中国共産党の共産党軍を作った時の軍規、軍の法律を作っている。
この人は農民に対しては平等・博愛。
もの凄く農民を大事にした。
これは習さんも早く見習った方がいい。
これは中国の軍隊の法律の中に書いてある。

(1)人家を離れる時には、すべての戸をもとどおりにすること
(2)自分の寝た藁筵は巻いてかえすこと
(3)人民に対して礼儀を厚くし、丁寧にし、できるだけ彼らを助けること
(4)借りたものはすべて返却すること
(5)こわしたものはすべて弁償すること
(6)農民とのすべての取引にあたって誠実であること
(7)買ったものにはすべて代金を払うこと
(8)衛生を重んじ、特に便所を建てる場合には人家から十分な距離を離すこと
(213〜214頁)

 第1項の「戸を返す」というのは、当時、中国の民家の戸は簡単に外せるので、夜の間それを引き剥がして即席のベッドに使うことが兵士の間でよく行われていたからです。(214頁)

この貧しさを平等に農民と分かち合ったこの友愛から共産党政権というのは農民によって支えられるワケで。

ちょっと断定的な言い方になるが、これは(内田氏の)ご本というよりも武田先生がそう直感しているからで。
習近平さんに残された道は毛沢東になるしかない。
折り紙をやる時にペタッと二つに折って「山」という、そういう折り方の国家だから、それがペターッと広がってきたらもう一回一つ折りの山を作るしかない。
習近平さんが今展開しているのは「友愛」。
これは毛沢東が専門にした。
毛沢東もそうだが習近平さんは当然の如く許さないのが「自由」。
自由だけは与えられないという。
これは平等を与えられないトランプさんも同様で、トランプさんも平等を与えてしまうと彼を支持する人がいなくなってしまう。
全部が両立するということは難しいと思う水谷譲。
武田先生は「折り紙の喩え」はよくできたなと思う。
鶴さえ折れたら何枚でも色紙が貰えるアメリカ。
(中国は)とにかく二つ折りにするしかない毛沢東の折り方で折っていくしか、13億、14億をまとめるにはそれしかないんだな、という習近平さん。
ではロシアはどうか?
これは武田先生が内田先生の本を読みながら作った言葉だが。
ロシア、プーチンという方が今、支配しておられる。
ヨーロッパ、フランスあたりがしきりに胸を張る「自由・平等・博愛」。
これは一つも揃えないのがプーチン。
彼は自由も平等も博愛も認めない。
彼が民を従えるのは「監視・特権・暗殺」と言ってもいいのではないか?
それがロシアを一つにまとめる力だと彼は信じている。
そうやって考えてみると秋口に大統領になるかも知れないトランプさん。
バイデンさんになるかも知れないがいずれにしろ。
それから中国、習近平さんの毛沢東還り。
それと「監視・特権・暗殺」、この三つを生かしてロシアをまとめようとなさるプーチンさんという。

長いことかかって水谷譲をお待たせした。
これが「滅びのスパンに入っているんじゃ無ぇの?国民国家は」という。
その内田先生の発言になるワケで。
17世紀、フランス革命で立ち起こった国民国家という理想は4世紀を経て未だ「自由・平等・博愛」、これが実現できていない。
どこでもそうだが国家というのは国民を兵士にして世界のあっちこっちで大戦を起こしている。
戦争の火種を国民国家がばらまいているではないか?という。
今、世界中の人達が何を考えているか?
それは「人間をまとめる方法としての折り紙の折り方は一体何だ?」。
その模索が始まったのではないかな?という。
ここ。
今日もここ(文化放送)に来る途中、そういう集団(インバウンド)を事務所の社長と目撃したのだが、道路脇にたたずんで中華系の方々が道端で写真を撮ってらっしゃる。
「何が珍しくて道路の脇に立って写真を撮っているのかな?」
東京タワーを撮ってらっしゃる。
あれが面白いのだろう。
ここまできてフッと思ったのは、中華系だけではない。
外国から旅人がやってきているというのは若しかしたら・・・
ここは武田説。
申し訳ありません内田先生。
内田先生は非常に今の日本を不安がっておられる。
武田先生は内田先生の本を読みながら「国民国家というのは戦争ばっかりやってダメだから違う折り方無ぇのかな」と「そのモデル探しが日本旅行じゃないか?」。
そういう気がして仕方がない。
日本はモデルになるのか?と疑問に思う水谷譲。
問題はそれ。
内田先生もご本はそんなふうにおっしゃっている。
だが「人が集まるということは、何だろう?日本の何かが今度人間をまとめる為の重大な要素をどこかに持っているから、日本はたくさんの旅行客がやってくるような国になっちゃったのかな?」と思ったりなんかしている。
日本がモデルになっているというのは悪いことではないと思う水谷譲。
武田先生の飛躍かも知れない。
だが日本という国を振り返ろう。
日本は国民国家を坂本龍馬が活躍した明治維新を通して作った。
それでそれはそれなりに明治の国民国家というのはまとまりがあった。
何せ世界の超大国、清国とロシアに勝っているのだから。
それで大人しくしておけばいいものをアホタレが。
海を挟んで次の相手はアメリカだと言って、そこから・・・
その後日本はバラバラになったのだが、そんな日本が民を治める要素があろうハズがないのだがちょっとクールに。

日本が一番気になる水谷譲。
言っておくが、今日で結論が出ないかも知れない。
「(今朝の)三枚おろし」が続く限り、日本というのをどこかでテーマにしたい。
内田先生はお取り上げになっていないのだが、この間も体験としてあったのだが、世田谷に豪徳寺というお寺さんがあって猫が人を招いたというので「招き猫の発祥の地」と言われる凄い・・・
とにかく土日にかけて数千人単位で異国の人が。
それもヨーロッパ系の方、中華系の方ももちろんいらっしゃるのだが。
そこをこの間、電車に乗ってちょっと覗きに行ったりした。
それで凄く面白い体験が一個だけあって、その豪徳寺に近い駅でのことだが、ヨーロッパから来た4人の旅行客の方がクスクス笑いながら武田先生の方を見ている。
武田先生がどうのこうのではなくて、彼等は日本に来てカルチャーショックを受けたらしくて、そのカルチャーショックを「ちょっとみんなで試してみようや」という。
その4人の異国から来た若者が武田先生とすれ違う時、一斉にバウ、お辞儀する。
武田先生はお辞儀した。
本能。
彼等がもの凄い笑顔で手を叩いて笑っている。
つまり日本人がしきりにバウする、お辞儀をするというのが彼等にとっては凄く奇妙な習慣で、でも悪い習慣ではない。
それが楽しいらしい。
それからちょっと親戚の子がYouTubeで見せてくれたのだが、どこかのヨーロッパのジムがあってバーベルとかを上げているのだが、そのバーベルを動かす手が全員止まっている。
それでその体を鍛えるスタジオの隅っこにある大画面の絵をみんな喰い入るように見ている。
何が映っている?
「ドラゴンボール」が映っている。
親戚の子が教えてくれたのだが、悟空がスーパーサイヤ人になるという。
彼等は何か凄く盛り上がるらしい。
武田先生はよくわからないが、それをみんな喰い入るように見ている。
「ドラゴンボールZ」にもの凄く魅せられている。
そういう日本の惹きつけるものがあるからこそ、彼等は小さな猫寺にやってきたり、それからハチ公と一緒に写真を撮ったり。
それからスカイツリーではダメ、東京と一目でわかる東京タワー。
そこに行きたがる。
それは何事かを探しに来ている。
Looking for Japanese.
日本を探している
富士山でも凄い。
富士山が見える角度というのをコンビニエンスの向こうに綺麗に富士山が見えるところで数百人が写真を撮って。
「コンビニの上に富士山」外国人に人気のスポットに黒幕…「ちょっとさみしい」「良い対策」 : 読売新聞
「あれは何だ?」ということ。
つまり日本が元々持っている「伝統美」というものが、もしかして次の人をまとめる基準、折り紙になるのではないか?
では日本の伝統美で人々をまとめるもの、それは言葉で言えば何だ?
平安時代から営々と続いた日本人の伝統美に関する条件は何だ?
「もののあわれ」
直訳すれば「可愛そうなものが美しい」。
だから桜の価値観はどこにあるかというと風と一緒に散っていくと美しい。
では「あわれ」とは何かというと「かわいそう」。
「かわいそうな」という感情から生まれた言葉が「かわいい」。
ズバリ言うと可愛いものは可哀想じゃないとダメ。
「あわれ」「可哀想なもの」が美しいんだ。
ここに国民国家が主導した「強いもの」が「醜い」。
そして平安時代が見つけた伝統美が「あわれ」だったらば、鎌倉が見つけたよく似た響きの言葉は何だ?
平安が「もののあわれ」だったら「あっぱれ」。
「あっぱれ」は鎌倉時代。
平安の貴族は桜が散っていくところを「あわれ」「美しい」と言った。
鎌倉武士団は何かというと「あっぱれ」。
異国の人、彼等が探しているのは「あわれ」と「あっぱれ」。
「あわれ」「あっぱれ」なものはアメリカにも中国にもない。
これがインバウンドが増えている武田流の解釈なのだが、内田先生の論文を借りて、米中だけでは飽き足らず、最後は日本になってしまったが。
鉄矢論はなかなかよろしいと思う水谷譲。


2024年6月10〜21日◆街場の米中論(前編)

いささか硬いタイトルで申し訳ございません。
ただ、こんなのもやってみたいなと思って繰り広げるワケで。
もちろん仕込みネタがあって、尊敬するフランス哲学と合気道をやっておられる内田樹先生の「街場シリーズ」。
「街場の米中論」

街場の米中論



(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
アメリカと中国、それについて語ろうと。
東洋経済新報社から出ている。
水谷譲に言いかけて水谷譲から一発で足蹴りされたのだが、この本を読んだ時の思いをポツンとラジオで言ったのだが言い方が悪かったので。
「国家っていう時代が終わりつつあるんじゃないか?」
もちろん水谷譲が言っている方が正しくて。
(水谷譲は)「国家が無くなったら国民がいなくなっちゃいますよ。ワケわかんなくなります」
長い前段があって。
武田先生は上手く答えられなかったのでずっと引っかかっていた。
「人にワケのわかんないこと言った」という記憶はきちんとある。
武田先生がその時に水谷譲に言いかけたのは、夕方のニュース番組とか日曜日の「一週間の出来事を」なんていう、そういうニュース番組のラジオ・テレビがあるが「少し捉え方がおかしいんじゃ無ぇか?」というのがある。
愚痴っぽくなるが。
そのニュースが流れる度に「もういいよ」と思わず自分で。
これはテレビだが、ニュースで思わず言った。
円安で成田空港で訊いている。
これから海外旅行をする人にとって円安、円の値打ちが落ちて海外に行くワケで、それは困るワケで。
でも「円安」というのは国内の出来事なので「わざわざ成田に行って訊かないでナントカ不動尊とかに行って訊いた方がいいんじゃ無ぇか」という。
経済学者で頭のいい人が「日本はアジアの最低国になった」と罵っておられる方も。
こっちはよくわからないから「日本っていうのは最低なんだ」という。
インバウンドのお客はいっぱい来て。
「それは安いから来てるんだよ」
今は海外から来た人は二千円ぐらいの丼ランチとか「安いです。美味しいです」、我々からしたら「いや、高い高い!」と思う水谷譲。
でもよく考えてみたらインバウンドの人がお客として、その二千円の定食を喰ってくれればレストランの人は美味しい。
「円」というものを考える時に儲かっているところと儲かっていないところがある、と。
もう一つ。
とあるお医者さんが「バカヤロー」と言って本の中で怒鳴っておられたが「年寄りのツラ見りゃあ免許返上しろ返上しろって言う。どこで訊いてるんだ?お婆ちゃんの原宿って言われるあそこに行って『免許返上しませんか?』って訊いてる。おいおいおいおい!待て!おんなじ質問を『ポツンと一軒家』の人にしてみろよ」。
つまり人の意見を訊くというのはそういうところで。
どこで訊くかということ。
ほんのちよっと訊く場所を変えると物の見方が変わってくるという。
水谷譲に武田先生が言いかけたのは内田先生が「街場の米中論」の中で

現実のうちには「太古から存在するもの」、「数百年前から存在するもの」、「ごく最近になって登場したもの」などが混在しています。それらは区別しなければいけません。−中略−「太古から存在したもの」はたぶんこのあとも人類が存在する限り存在すると思います。「数世紀前に登場したもの」は数世紀後には存在しなくなるかも知れない。「ちょっと前に登場したもの」は10年後にはもう誰もその名前さえ覚えていないかも知れない。(17〜18頁)

そういう「問題と時間」という消費期限があるんだ。
だから事件の消費期限をそれぞれが知るべきではなかろうか?という。
武田先生があの時言いたかったのは「ニュースを全部、一列に並べちゃイカン」ということ。
例えばイスラエル・アラブ戦争。
これは何千前から続いているのか?
これは簡単に解決しない。
この後百年、二百年続くと思った方がいい。
ウクライナ・ロシア戦争。
これは中世。
ウクライナがロシアの一部であったというのは中世。
信長や秀吉の頃。
そうすると百年かかるかも知れないが百年かからないかも知れない。
この中で一番ドキッとしたのが、このセリフ。
この「街場の米中論」の中で内田先生がおっしゃっている。
17世紀に新しい政治単位として国民国家というものが採用された。
これはフランス。

長いタイムスパンで見れば、いずれ国民国家は消滅するはずです。(19頁)

何でそう言えるのかというと、国家が国民を少しも幸せにしていない。
そういう意味でもう一度、国家というものを考えてみませんか?
若しかしたらこの現代、今という時代は国家が消えてゆく始まりかも知れないという。
そういう意味で言った。
軽々しく水谷譲に訊いて、水谷譲からうっちゃかれたのだが。
実は水谷譲に言いたかったのは、ここから営々と始まる国家論。
ちょっと今週は硬いが(三枚に)おろしたいと思う。

大上段に振りかぶってしまった。
娯楽性から遠くなってしまうかも知れないが「国家というのは何だろう?」ということを考えてみたいなというふうに思う。
内田先生の考え方は昨日お話した通り。
イスラエル・アラブ戦争、ウクライナ・ロシア戦争、台湾・中国紛争等々いろいろあるが、それぞれに問題の質が違っている。
イスラエル・アラブ戦争。
この戦いは神々の戦いである。
ロシア・ウクライナ戦争。
これは国盗り物語である。
そして台湾・中国問題。
これは毛沢東の戦いである、と。
「台湾はウチのもんよ」という。
古代から、近世から、そして現代から「問題の発生の時間のポイントが違いますよ」という。
その中で内田先生がおっしゃっているのが、それぞれみんな国家が戦っている、国家が国民を従えて戦っているという。
こんなことは考えたこともない。

では国民国家から考えていく。
国民国家とは17世紀、フランスの一画で生まれた形。
国民国家は400年を生きている。
大きくなり過ぎた恐竜のように、国家が誰も幸せにしないという。
生命史がそうであるように、巨大になったものというのは滅びる。
これはダーウィンの言っている通り。
巨大な生き物というのは強そうに見えるが、環境が僅かに変化すると滅んでいく。
気候の変化、海水温、海流の変化、植生の変化、そのような変化があると巨大な体を持つ生き物というのは維持できなくなる。
そして全滅。
「カタストロフィ」と言って種全体が滅んでいくということが起きる。
内田氏は現代の恐竜を国家に喩えていて、一番デカいのは米国、アメリカ。
二番目が中国。
この二匹の恐竜を成立から見てみようという。
これは面白い内田先生の見方だと思う。
恐竜に喩える。
この間、皆さんは「たいくつだな。日本はどうなの?」という方もいらっしゃると思うが、これはやがて日本論になっていくので、ちょっと待っていてください。

まずは世界を動かしている二匹の恐竜、米・中という国家を見てゆこうと思う。
米国とは、アメリカとは一体何であるか?

「アメリカというのは一つのアイディアなんだ」というアメリカ人作家の言葉をどこかで柴田元幸さんが紹介していましたけれど、本当にそういうものだと思うんです。アメリカというのは一つのアイディアであって、アメリカ人というのも一つのアイディアである。(58頁)

つまり国の形の理想を求めて提案された一つの実験。
上手くいくかどうかまだ確認されていない。
どんな実験かというと、アメリカは何かで迷うと最初に戻る。
アメリカというのは何かで問題が起きると「アメリカはどうやってできたか?」に戻る。
これは武田先生が上手いことを言っている。
紙で鶴を一回折る。
その鶴を折った紙を広げてまた平べったくする。
そうするとなんとなく折り目が付いていて折り鶴になろうとする。
アメリカという折り鶴はいつできたかというと、これはアメリカ独立戦争。
新大陸にはネイティブ・アメリカンの人を除いてイギリスの他スペイン、フランス等々様々な国がバラバラに国を作っていた。
宗主国イギリスに対しての反乱で。
もの凄く大事なアメリカの本質。
徴兵でもなく常備された軍隊でもなく、アメリカ独立の為に闘った兵士達は仕事着のまま来た。
軍服を持っていなかった。
だから土仕事をやっている人はニッカポッカとか、牛を飼っている人はカウボーイスタイルで。
それでアメリカ独立運動を起こした。
それがアメリカ人のプライド。

誰にも命令されず、自分の意思で、自分で調達した武器を手に、自分で組織した兵士たちを引き連れて戦いに来たわけですから、帰るのも自由。(34頁)

仕事現場から手の空いた市民が駆け付けてイギリス軍をやっつけようと。
他にはスペインからやってきたとかフランスからやってきたとか、イギリスばかりではない。
だからスペインとかフランスの人もいるので、その人達はイギリスからやってきたヤツがコテンパンにやっつけられると結構喜んでいた。
北部の人達はイギリス系の人が多かったのだが南の人達はフランス系が多かった。
そうすると北部のイギリス系のアメリカ人の人達がやっつけられると南部は大喜び。
みんな手を叩いていた。
バージニア州が米国軍にコテンパンにやっつけられるとコネチカット州は大喜びした。
それくらいバラバラだった。
そんなことを繰り返すうちに「これじゃイカン」というので13の州が力を合わせてイギリスに勝ちえたのがアメリカ。
この仕事の合間に兵士だった人達が興した国がアメリカ。
ここから話しが始まる。
アメリカは確かにいろんな国が集まっているような大国だが、元々がそういう始まりだったというのが習っていなかったと思う水谷譲。
武器を持つにしてもそれは自分の私物。
私物で兵隊さんの服を着ないで作業着で戦った。
ある意味ではバラバラの植民地、イギリスの植民地の部分、スペインの植民地、フランスの植民地、バラバラだった。
余りにもイギリスが無理難題を言うものだからある州が戦争を始めた。
その戦火がゆっくり広がって13州が集まってイギリスに対抗し、独立戦争を起こした。
そうしたら何と驚くなかれ、イギリスに勝ってしまった。
全ての始まりはここ。
「やった〜!俺達凄いじゃん!」と「じゃあバイバイな」と13州がまたバラバラになればいいのだが、誰かが「何かあったらまた集まんない?」と言った。
「でも何かない時にはそれぞれ自由にやろうよ」
まとまることを嫌がった州もあったのだが13州は懸命に語り合った。
それで「何かあった時は力を併せるが、普段は13州バラバラでいこう」。
危機に対しては平等に力を出し合う、貸し合うが普段はそれぞれに自由であるという。
アメリカで一番大事なのは「自由」。
この後に憲法を作ったりしていくうちに「平等」というのが出て来るのだが、これはどう考えても欲張り過ぎ。

自由と平等は食い合わせが悪い(91頁)

自由である、そしてみんな平等というのは裏腹なもの。
平等である為には少し自由を我慢しないと。
一番大事なことは「自由」で、「平等」は後回しにしてそのうちできるようになんじゃ無ぇの?と
それで軍隊の一件にも話が及んで「国家が軍隊を持つ?やめようやめよう」。
必要な時、市民が武装して招集に応じる。
それで市民に認めたのが

 独立宣言には武装権・抵抗権・革命権が明記されています。(101頁)

これも市民にある。
だから大統領が気に入らなかったら撃っていい。
憲法でもう認められている。
「銃で武装してよい」「政府が気に入らなかったら倒していい」
そういう自由が認められている以上、大統領を殺す権利が国民にある。
何人殺されたか?
自由が一番大事ということ。
凄い国家観。

 アメリカの独立は常備軍によってではなく、自発的に銃を執った市民たちによって勝ち取られました。だから、国を守るのは行政府に属する軍隊ではなく、「武装した市民」でなければならないというのはアメリカの揺るがすことのできない国是です。(34頁)

だからもし侵略を受けた場合は市民に武装させて闘うかどうかは市民の代表の議会で決定する。
そういうこと。
ここからアメリカがスタートした。
これが凄い。
アメリカが出来たのは1783年、今から240年前のこと。
日本はというと徳川、天明三年の年で浅間山が噴火した、その年にアメリカができたという。
この自由と平等「そのうちにみんな平等になるんじゃ無ぇの」というのがなかなか平等にならない。
今もまだ苦しんでいる。
「平等が実現できない!」と苦しむと「最初に戻ろう」という。
ここまで話すと現代史がわかる。
トランプさん。
「13州バラバラになってもいい」というその自由がアメリカ人にはある。
だから日本の新聞社の人が深刻な顔をして「トランプ元大統領のお陰でアメリカはすっかり分断されました」。
(アメリカは)最初から分断されている。
最初に戻って、最初の折り紙をトランプさんは折っている。
それが何か恥ずかしくて言えないような「アメリカをもう一度偉大な国にする」という。
でもあれは「もう一回折り鶴を折ろう」ということで。
わかりやすい。
もう一回折り鶴を折ろうと言っている。
だからあの人にとっては「自由」と「平等」なんて両立させる気なんかさらさら無い。
平等を成立させようとすると自由が制限を受ける。
だからトランプを支持する。
それは自由。
人からガタガタ言われる必要はない、という。
これでわかる。
それがアメリカ人達は無意識のうちに元に戻ろうとしているということ。
当たり前。
トランプさんが大好きな人がいる。
そうすると国家がトランプさんを大統領にしない。
それは議会に詰めかけてトランプ支持派は議会を壊す。
だって革命権を認められているから。
だからトランプさんは平等になると困る。
「私を応援してくれる人だけが生き残ればいい。後はどんな目に遭おうと」
それがトランプさん
だからああいうことになるという。
そうやって考えるとストーンと落ちる。
でもこのアメリカはやっぱりトランプさんになってもまだ魅力がある。
その魅力とは何か?

アメリカは一番大事なのは「自由」である。
そしてアメリカ市民には銃を持って自分の自由を確保する為に闘うことができる。
それがアメリカを作ったエネルギー。
だからトランプ人気というのはそういうこと。
トランプさんははっきり言って自由を絶対的に信奉している人で、この人にとって「平等」なんかどうでもいい。
だから彼の暴徒と言われている支持者は今でも裁判になっているが、連邦議会におし寄せた。
そして滅茶苦茶にここを壊したトランプ支持派。
銃はスーパーマーケットに売っているから、お金を出せば買える。

銃犯罪の多発によって繰り返し法規制が求められていながら、憲法修正第二条が認める武装携行の権利がいまだに抑制されないのは、「市民の武装権」を否定するということは、国家の本義を否定することだという考えをする人たちがそれだけ多く存在するからです。(34頁)

銃の乱射事件や黒人差別に関しても「そりゃあやめた方がいいんじゃない?」「よした方がいいんじゃない?」「平等の方がいいんじゃない?」と言うが「自由」と「平等」が相戦うようにできているのがアメリカ。
トランプさんの実例を挙げる。
これは内田先生が書き抜いておられて、このままとは言えないかも知れないが。
内田先生はトランプさんをこんなふうに非難しておられる。
2019年から続いたコロナ・パンデミックでの死者はアメリカで120万近くいる。

感染拡大が始まったときの大統領はドナルド・トランプでした。彼は「コロナはたいした病気ではない。すぐに治まる」と何の根拠もなく言い張り、まともな危機管理をしませんでした。そのせいでアメリカは初期に感染爆発を招き、−中略−世界最悪の感染者数・死者数を記録しました。(32頁)

それで自分が罹ったら(ワクチンを)すぐ打った。
それは自由。

コロナ対策でも、反マスク、反ワクチンを主張する市民たちが依拠するのは「自由」です。(160頁)

アメリカでコロナパンデミックで120万の人が亡くなった。
これは世界で最大の死者。

第二次世界大戦の死者40万人(161頁)

それでも「トランプさんの失政による死者だ」と誰も責めない。
アメリカは自由。
この百万人を超えるコロナパンデミックによる死者の殆どは病院に行くことのできない無保険者、保険証を持たない人達。
アメリカでは4600万人いる。
人口の15.4%。
このうちの100万人がコロナで死亡した。
病院に行かない人がコロナで死んだ。
誰の責任でもない。
アメリカはそんなふうに折られた国家。
「独立戦争で自分のお金で銃を手にしてイギリスと戦った」人達には、アメリカ市民としての保護が与えられる。
でも「銃を買わなかった、イギリスと戦わなかった」人達は除外される。
保険、或いは教育、福祉、そこから全部弾かれる。
それは最初に作った時にそうだった。
ではアメリカの自由と平等を理解して「あ、アメリカそういう国なんだ」と納得して折り鶴が折れたらアメリカの特典は何か?
「私は折り紙折れますよ」と言ってちゃんと鶴を折った。
そうしたらアメリカ社会ではどうなるか?
ここがアメリカの実はやはり素晴らしいところ。
別の色紙を貰える。
鶴じゃなくていい。
何を折ってもいい。
奴さんを折ってもいいし、兜を折ってもいいし、船を折ってもいい。
そういう国造りは楽しい。
最初に鶴さえ折れたら新しい色紙を貰える。
そこがアメリカに勝てない。
大谷翔平君。
どんどん折り紙が貰える。
あの子はメジャー・リーグというところで持ってらっしゃる。
奥様からハワイの別荘から、もう保険から外車から、もらった色紙で何でも折れる。
これはやはり申し訳ない。
「平等」ではない。
一選手に対して天文学的な数字で。
大谷さんは偉い。
偉いがあの大盤振る舞いの色紙。
本当に大谷というのはアメリカン・ドリーム。
しかもこの間、菊池雄星と大谷がピッチャーマウンドとバッターボックスで戦う。
あの時に向こうのアナウンサーも言っていた。
「ハナマキヒガシ」
花巻東(花巻東高校)の野球部の二人が。
二人とも東京出身ではない。
あの巨漢の二人が大喝采。
あれはアメリカの人は色紙を投げつける。
「持ってけ!」
飼っている犬の似顔絵をシャツに付けただけで1ドルのシャツが50ドルで売れる。
これは色紙をくれる。

アメリカの始まりを語っている。
知ると違ったアングルでニュースを見られるかなという気がする水谷譲。
ちょっとそれで「(今朝の)三枚おろし」が役に立てばなと思っている。
「三枚おろし」を聞いていると常時流れて来るニュースに関して感じ方が変わってくるかも知れない。

アメリカが生んだ人物の中で理想の人物とは誰か?
例えばジョン・F・ケネディ。
凄く面白いのだが、(学業の)成績が抜群という程ではない。
アメリカの大統領はそういう人が多い。
そのくせケネディさんは「犬に追いかけられて100m9秒で走った」とか。
都市伝説。
そういうのがある。
アメリカの人は頭のいい人があんまり好きじゃない。
日本人はとにかく丸くて温厚な人が好きなのだが。
アメリカは尖っていて頭で物事を考えない人というのが好き。
ここからはちょっと古い時代のアメリカかも知れないが、アメリカ人が大変好むので映画にした「アラモ」。

デイヴィー・クロケット−中略−がいます。映画『アラモ』でジョン・ウェインが演じていました。(60頁)

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アラモの砦の中にアメリカ人がこもってアメリカのプライドを守ったという。
一種の伝説。
この中でジョン・ウェインが演じたのがデイヴィー・クロケット。
日本語で言うと「源の金太郎」みたいな。
名前からして英雄。
デイヴィー・クロケット。

テネシー生まれの 快男児
その名はデビイ・クロケット
わずか三つで 熊退治
その名を西部に轟かす
デビイ デビイ・クロケット
(「Ballad Of Davy Crockett(デビィ・クロケットの唄) 」)

(番組内では「テキサス生まれ」と歌っているが、正しくは「テネシー」のようだ)



テネシー生まれの猟師で、−中略−インディアン相手の戦闘で軍功を重ねて、−中略−その民衆的な人気を背景に1821年、35歳でテネシー州議会の議員に選ばれ、のち連邦下院議員に当選し、33年には大統領選出馬の可能性さえ噂されました。−中略−テキサス独立戦争のアラモの戦い(1836年)に参加し、圧倒的多数のメキシコ軍と戦って死に、死後国民的英雄となりました。(60頁)

(番組では32年と言っているが、本によると33年)

あの日の山 あの日の雲(「The Green Leaves of Summer(遥かなるアラモ) 」)

デイヴィー・クロケットはどんな人か?
伝説だけではなくて、ちゃんと残っている。

 クロケットは自ら「無学な野人」ぶりを強調しました。−中略−
 彼はまたインディアンや黒人奴隷に対する激しい人種的偏見を隠しませんでした。
(60〜61頁)

 無教養、豪胆、暴力性、東部のエスタブリッシュメントに対する激しい不信、剥き出しの人種差別、性差別、そしてある種のイノセンスとおおらかな人柄……これがデイヴィー・クロケットの伝説的な人気をかたちづくりました。(61頁)

差別主義者。
でもアメリカ人は好き。
アメリカ人の根本の生理の中にあるのはカウボーイが好き。
そういう男達の持っている荒々しさがアメリカ国民の理想像。
それに似通った人を大統領にしたがる。
この原型は今もアメリカ国民の深層心理を支配していて、そのデイビー・クロケットに似ている、何となくアメリカ人の心を支配しているのが秋口に大統領選に名を挙げられるトランプ大統領候補。
デイヴィー・クロケットというのはそういうタイプの人。
欠点がある。
アメリカの偉人というのは探っていくと、もの凄い差別主義者だったり。
でもそういう臭いの人をアメリカ人は凄く好きになってしまうというか、英雄に祭り上げる。

アメリカは「自由」と「平等」の根源的葛藤を抱え込んでいます。この二つはアメリカの統治理念の根本をなす原理なのですが、自由と平等は食い合わせが悪い
(91頁)

これはどういうことかというと氷の天ぷらを作るようなもので、実現していないという。
その葛藤を国が生まれた時からずっと繰り返している。
とにかくまずは鶴を折ること。
鶴さえ折れたら後はどんどん折り紙は貰えるという。
これが今、世界を支配している国だと思うと、皆さん方の見方も変わるんではなかろうかと。

では日本はどうしたらいいのか?
ちょっと待ってください。
それよりももう一匹の恐竜を語りましょう。
その恐竜こそが「街場の米中論」中国、中華人民共和国。
これは正直に言うが、この内田樹先生の「街場の米中論」。
これは9つの章、245ページから成る本だがアメリカについては177ページを費やし、中国については9章のうちの1章のみの44ページ。
「米」「中」論なのに。
アメリカは8章に渡って語って中国に対しては1章のみ。
これは余りにもページ数が違い過ぎる。
でも内田先生はそれしか書きようがなかったのだろう。
中国はシンプル。
建国から今までの年数。
アメリカが231年。
ところが中国、中華人民共和国は75年。
「中国○千年の歴史」は中国ではない。
あれは「秦(しん)」とか「漢(かん)」とか。
中華人民共和国は75年で武田先生と同じ年。
武田先生が生まれた年にできたのが中華人民共和国。
だから75年だとさすがに話すことがない。
この中華人民共和国とはいかなる国かというと、75年前に毛沢東が「中国共産党、一党独裁」これを宣言してできた国。
簡単に辿ることができる。
来週いよいよ中国について語りたいというふうに思う。