(番組の冒頭は
QloveR(クローバー)の入会キャンペーンの宣伝)
まな板の上は「ヒト、犬に会う」。
(「犬と出会う」と言ったが多分「犬に会う」)
今年の夏の初めのことなのだが、合気道を教わっているのだが道場に行って、その合気道の若い指導者を「若先生」と呼んでいる。
若先生が突然思い出話で飼っていたシェパードの話をなさって、若先生が小学生時分、散歩に出た。
くたびれてどこかの川べりの土手の上で犬と一緒に座り込んでぼんやり休んでいた。
飼っていた犬はシェパード。
子供としてとてもその犬を愛しておられたらしいのだが、シェパードの顔を見ながら思ったそうだ。
「オマエは犬だからいいよなぁ。宿題は無ぇし、合気道の練習をお父さんからやれって言われることもなくて、飯ばっかり喰って長いベロ出してりゃ一日が終わるからオマエいいよなぁ」と犬にそう思ったか言葉がこぼれたかも知れない。
その瞬間、そのシェパードが若先生の顔を見つめてベロを横に出したまんま深いため息をついたという。
それが若先生には犬に思えなかったという。
人間の表情そっくりだったという。
その時にそのシェパードがもし言葉が話せたら「だからオマエは子供なんだ。俺が夜中にどんなに苦労してるか知らないだろ?オマエが寝相悪くゴロンゴロンゴロンゴロン転がって寝てる時、俺は物音聞いたら『あっ!不審の者』とかっていってパッと目覚ましたりなんかしてんだぜ。一日だって気を抜いたことは無ぇぜ。だって俺はシェパードだもん」。
それで若先生はそこからちょっといささか強引だったが(話を)合気道に持っていって「ご家族にね『こんな暑いのに何が合気道だ』って言われてる方もいらっしゃるかも知れませんが、いつか役に立つ、いつか家族を守れる手段になるんじゃないかと思って、今日も合気道の練習に励みましょう。まずは押さえ技、一教から」。
そこから(合気道の稽古に)入った。
武田先生はその話が凄く印象に残って。
武田先生自身も犬好きだが、YouTubeなんかでパンチラとか何かそういうのを見るのだが、YouTubeで一番多いのは「飼っていた犬のご報告」というのがある。
不思議なのは「赤ちゃんと犬」「幼児と犬」という組み合わせで、その時に犬の表情を見ていると殆ど人間と変わりない。
散歩を嫌がる柴犬とか、お風呂が嫌らしくてお父さんの声で「おい、入るぞ」と言うと顔をそむける。
台所に立っている奥様の足首のところから鼻と目を出して、お風呂をあきらめるお父さんを待っているという。
可愛い。
その他にも赤ん坊が泣きだすとあやす犬とか。
(赤ん坊が)ワーンと泣くと(犬が)ワォ〜ン!と鳴く。
それで赤ちゃんが泣きやむという。
人間の解釈でそれは「子守をしてくれる」というのだが、本当に子守してるんじゃ無ぇかなと。
それでバッタリ本屋さんで目が合ったのが(著者は)島泰三さん。
講談社選書メチエ「ヒト、犬に会う」。

それはどんな出来事がそこにあったのだろうか?という。
最初の前提を言っておくが、人と犬の関係は利害関係だけではないぞ、と。
もっと深い出来事で人と犬は繋がっているんだ。
というのは、犬は殆ど間違いない定説だがオオカミから犬になったらしい。
イヌが家畜化されて脳容量を二〇%減らし、同時にヒトも脳容量を一〇%減らしたことの意味を問い詰めた。その結果「犬に作用した力が同時に人間に作用しないわけはない。−中略−
それぞれが相手を変えたのだ」(4頁)
(番組では犬が20%で人間が10%と言っているが、本によると上記のように逆)
だから犬に出会っていなかったら人はサルから人になれなかった、という。
こんな奇妙な仕事をなさっている人がいる。
著者はその人を紹介しておられる。
豊後と日向の国境に、その人の終の棲家があった。−中略−
この人里離れた世界で、石井さんはイノシシ猟用の犬を創ることに専念してきた。(14頁)
今回出動するのは七頭。うち二頭は一歳少々の見習い犬である。主導する一頭にはGPS発信器の装備をつける。−中略−
犬の準備をおえてから、銃を取り出す。−中略−
石井さんは短刀でイノシシのトドメを刺してきた。銃でも数十cmの至近距離で撃つ。(16頁)
凄い。
紀州犬。
もの凄く旦那さん思いというか、人間との約束を守る犬で、仕えるご主人は一人という。
それで五頭一組でイノシシを追う。
追う時にリーダーがジャッジするらしい。
何をジャッジするかというと深い谷に逃げ込んだイノシシに関しては、そこでイノシシを倒しても、この後やってきた旦那が谷を降りてとどめを刺すというのも狭い谷間では旦那も大変。
しかもその後担いでイノシシを持って上げなければならない。
どうするかというと、リーダー犬が谷にいるヤツは上に追い上げるそうだ。
それを徹底して仕込む。
そして殺すのにふさわしい広さのあるエリアを選ぶ。
それで何をやるか?
イノシシの前足を噛むそうだ。
前足を噛み砕く。
それで動けなくなったらリーダー犬が人間を呼ぶ。
ウォ〜〜ン!と吠えて旦那がやってきて、犬に当たらない為に30cmの至近距離ぐらいで撃って眉間一発だけ。
或いはもう完璧に動けないとわかったら特性のナイフを出して頸動脈を切るという。
そして血抜きをそこでやって担いで帰る。
ひどい時にはイノシシは100kgを超える。
だからやはり道具が無いとダメなので。
やはり凄いのは、犬が全部そこまでリードしてイノシシを狩る
リーダーにはGPSが付いているので、だいたいわかる。
それから見習い犬が二匹いるワケだが、そいつらは犬笛で呼び集めるという。
『和犬は点で追う』ということです。洋犬は、獲物の臭跡を追跡するので、鼻を地面につけてフンフンいって臭いの痕を線で追うけれど、彼らはそうではない。見ているでしょう。臭いだけでなく、和犬は耳と目も使ってイノシシを点で追う。(18〜19頁)
だからリーダー犬がいて、バーッと下から谷底から捕まえ易い平場の峰の上まで追い上げるとすると、その追い上げているリーダーの犬を見たらどこのポイントかを察して先に噛むヤツが隠れる。
それでイノシシが上がってきたらもういきなり首根っこにという。
首根っこを払おうとしたところに前足を他の犬が噛むという。
調教する人も凄いと思う水谷譲。
これほどの大がかりなアレなのだが、鳥獣被害で困ってらっしゃる方は夢見ることになると思うが、これは本によるとこの難度の高いイノシシ猟を犬達は一時間でやるそうだ。
今、依頼の方が殺到しているという。
この紀州犬をここまで仕込むと何でも使える。
クマ、サル、シカ、そういうものから、今はもう市町村を守る為にこの犬というのはこれから絶大なる力を持つのではなかろうかと。
期待したい。
これは石井さんは頑張っていい犬を育てて欲しい。
犬の歴史にここから入っていく。
犬というヤツがどのようにして人に会ったかという。
イヌは一万五〇〇〇年前頃に、他の家畜にほとんど五〇〇〇年間も先駆けて家畜化された。(24頁)
人間と共生し始めたのはトップバッター。
犬の起源はオオカミかジャッカルか?と言われていたが、研究が進んでどうも犬というのはオオカミの亜種らしい。
オオカミからの流れの生き物。
オオカミと犬は違う。
どこが違うかはまた後で発表する。
このオオカミと違うところがまた重大。
オオカミとイヌの共通祖先は一〇〇万年前頃に確立したが、それはネアンデルタールとヒトの共通祖先の時代だった。(〜頁)
オオカミは時速60キロで走れる。
最大、一日70キロ移動できて、10キロ泳ぐことができるという。
これがオオカミ。
ヒトはどうかというと人はオオカミ程の牙というような武器は何も持っていない。
直立歩行で、これはいつ滅んでもいいようなサルだった。
ところがここでサルの特徴を捨ててしまう。
それが脱毛。
「何で毛を捨ててしまったのかな」というのが武田先生の不思議だったのだが。
この本を読んで「この説が正しいんだろうな」と思ったのだが、全身から毛を抜いたのは汗の調節の為のようだ。
毛が生えていると温度を調節するというのは難しい。
それで毛を抜いてしまって汗の調節が可能になったという
この汗の調節が可能になったことによって長距離を歩くこと、或いは走ることができるようになったという。
それで汗の調節ができるので、しつこく獲物をずっと追いかけていく。
それで穴ぼこか何かに落としておいて、みんなで石か何かで殺すというような。
最後はマンモスまで殺してしまうワケだから。
それはやはり毛を抜いたというのは凄い。
サルからヒトに変化した人間と、オオカミから変化したイヌという生き物、共通点は何かというとしつこい狩りをする。
オオカミもそう。
「送りオオカミ」とか。
送りオオカミはずっとくたびれるまで付けていく。
だからその手の男のことを「送りオオカミ」と言うのだが、オオカミはそういう狩りをやる生き物。
それで人になりつつあるヒトとオオカミから犬になりつつあるイヌというのがしつこい狩りをするというので共通項があったのだが、大きな歴史的大事件に巻き込まれてゆく。
地球規模での寒冷気候に突入した。七万年前からの寒冷期はきびしく、−中略−
五万年前頃にはユーラシア大陸と北アメリカ大陸を隔てていたベーリング海峡が陸橋になり、−中略−
この陸橋は、マンモスやカリブーなど草食獣とそれを追うオオカミたちなどの捕食者も移動するルートとなり(69頁)
ところが寒くて寒くてたまらない。
そこでアフリカからやってきたサルから進んだ人も、ヨーロッパの山脈で生まれたオオカミという種類も寒いものだから、この島泰三という人は面白いことを言う。
だんだん生き物が住めるエリアが狭まってきて、ある一点ぐらいの狭さになったという。
居住空間がない
それで寒いものだから赤道近くに集まる。
そこは一か所だけらしいが、生き物で溢れかえってしまう。
この発想は面白い。
引き金がある。
この寒冷気候の引き金になったと考えられるのは、七万年前に大爆発を起こしたスマトラ島のトバ火山で(70頁)
イタリア半島中部でカンパニアン・イグニンブライト噴火−中略−
と呼ばれる−中略−
巨大噴火があった。(70頁)
日本の九州南部で姶良カルデラ大噴火−中略−
があり(70頁)
噴煙に覆われて太陽が射さないものだから、また人間の、或いは生き物の住める場所が狭くなってしまった。
だから生き物という生き物は地球上のある一点に集まった。
この発想は面白い。
旧約聖書のいうノアの方舟というのは実在したんじゃないか?という。
地球のとある一点に生命圏があった。
その中に生き物が入ってきた。
その場所を著者である島泰三さんはインドシナ半島に求めた。
ここの一点、その川沿いに生き物が住んだたという。
インドシナ半島が突き出ているのだが、その丁度首根っこのところに川が流れている。
長大な川。
これは中国の奥地の方から流れていて、ここに生き物が終結したという。
オオカミの南下集団(イヌ)は、凍りついたヒマラヤ山脈とチベット高原の外縁を回りこみ、雲南省とシャン高原を経由して、エイヤワディ川流域の草原地帯に狩場を発見した。(76頁)
同じ頃、ヒトもエイヤワディ川の流域で村を作った。(76頁)
とにかく一本の川のほとりに地球上の全ての生き物が集まったという時代があったことをイメージしてください。
水谷譲がこういう性格の人。
「それは著者の仮説ですよね」
実際どうなのかなと思う水谷譲。
仮説だろう。
でもこの仮説はもの凄くイメージしやすい。
別個の本だったが、人類というのは一番最初に数を減らして、二万人ぐらいの時があった。
人と呼べる生き物が二万人しか生きられなかったという状況が地球上にあったという。
武田先生はそれがここなのではないかと思ったので、この仮説を疑わないでどんどん読んでしまったのだが。
とにかくここ。
エイヤワディ川の流域。
(番組内で「エイヤワディ川」を「ヤワディ川」と言っている箇所があるが、全て「エイヤワディ川」に統一しておく)
この一本だけに生き物がバーッと集まってきた。
これは赤道の近くで他の寒冷地に比べて暖かいというのと、この川の恵み、様々な生き物が生きていることができたという。
その川岸には、生活に必要なものはすべて揃っていた。イモ類、果樹、イノシシやシカやウサギやサル類、魚もエビやカニも貝類も、きれいな水もあった。(75〜76頁)
だから食物連鎖が成立した。
ここだけで喰っていけたワケで。
特に悪食のサルである人間はデンプン質は摂れるわ、魚は摂れるわ、動物の肉も摂れるワケで。
何冊も本を読んできたので印象的な文章が武田先生の場合は次々と連続発火する。
岡潔という数学者が、シンガポールを旅しているうちに、懐かしさで泣きそうになったという。
(以前この番組で取り上げた「春宵十話」の話だと思われる。
武田鉄矢・今朝の三枚おろし(12月1〜10日)◆『春宵十話』『春風夏雨』岡潔)

岡潔の直感。
数学者の人が「俺達は一回ここ通ったな」と言っていて。
南に行くとそういう光景にバッタリ出会う。
例えばハワイで何か息をいっぱい吸い込んで昼寝か何かして昼寝からパッと目が覚めた時にもの凄く懐かしい。
懐かしいというか「ここが私の居場所だ」と思う水谷譲。
恐らくシンガポールのどこかのアレで空とか山を見ているうちに岡さんという数学教師は「俺、一回ここ歩いたことあるわ」「俺は覚えてないけど、俺の遺伝子が覚えている」というような言い方を。
そういうアジア的懐かしさ。
それがこの(エイヤワディ川の)ほとりにあった。
ここではケダモノはケダモノを喰い、ケダモノは魚を喰い、魚はエビを喰い、エビは植物性のプランクトンを喰いという完璧な食物連鎖が成立した。
だから誰も喰い物に困らないという不思議な生命の循環が。
この循環の時にこの島さんのイメージはいい。
ある日、彼らヒトとイヌが出会った。(76頁)
その出会った時は人はサルに近く、犬はオオカミに近かった。
ところが、何となく惹かれた。
当時は犬とサルだから「犬猿の仲」。
だから出会ったサルとオオカミはそれぞれの特徴を10%ずつ捨てた。
10%をサルが捨てたら人間になった。
オオカミが10%捨てたら犬になった。
捨てたもの同士。
ここでもの凄い進化が起こる。
これは進化というか退化といっていいかわからないが、オオカミは肉しか喰わない。
ところがオオカミを少し捨てたら犬はイモが喰えるようになった。
イヌのゲノムからオオカミにはないデンプン質の消化能力が発見された(108頁)
これらの犬の消化能力は、初期のオオカミ亜種のイヌとヒトとの関係が決定的な段階を通り抜けたことを示している。−中略−
ヒトが定住して食べるようになったデンプン質の食物を共有できることこそ、イヌがヒト社会の一員となる決定的要件だった。(108頁)
それでサル(恐らく「イヌ」と言いたかったものと思われる)とヒトは出会うのだが、ここが武田先生のイメージ。
最初に穀物が喰えるようになった犬が出会った人はどんな人か?
子供ではないか?
大人の人間に出会わずに、人間の子供に最初の犬が接近した。
その子供はオオカミの亜種とは知らずに犬を呼んだ。
危ない。
ところがどこかのヤツがイモを渡したのではないか?
そうするとそれを喰いながら「コイツ、イモくれるんだ」という。
そこに言葉が両者の間で成立したというところから、犬と人との付き合いが生まれたのではないだろうかという仮説。
オオカミであるところの犬が人間に接近する。
その人間の中でも特に子供とのコミュニケーションの中に犬達は希望を見つけた。
犬はやはり表情がある。
それは犬の方も、人間を見ながら思っているのではないか?
「あらぁ、コイツ表情あるなぁ」という。
武田先生はそう思う。
向こうも向こうで見ている。
一番最初に若先生の話をした。
犬のことをやや上から目線で「オマエはいいなぁ。勉強しなくていいし、合気道の練習も無ぇから」と言ったらシェパードの犬がジーッと横目で見て下を向いたという。
ここで著者の島さんは「犬というものと人というものの共生生活が始まった」という。
長い長い付き合いになった。
犬の起源というのは様々世界中にあって、そういう話、ああいう話があるが、武田先生にとってはこのエイヤワディ川の話のような、このインドシナ半島の一本の川のほとりというのが納得がいく。
このエイヤワディ川のほとりから文明が立ち起こっていく。
それはだんだん天候が治まってくる。
縄文海進とかと言って、氷が溶けてゆっくり海が広がっていくという過程で、地球がだんだん生き物に優しい環境を世界中に広げ始めると、一か所に集中していた人達が次々に旅立って行く。
恐らくこのことも踏まえてこの人はエイヤワディ川が犬と人とを出合わせた場所ではないかとおっしゃっている。
ここには両方ある。
イモの話をしたが、ここはイモだけではない。
サトウキビも原種があった。
ここには小麦の原種がある。
米の原種がある。
デンプン質なんかではもう殆どのタネが。
サトウキビは強烈で「噛めば甘い」というのはもの凄く人類の体格を良くする。
ここから人類は世界に広がっていく。
その時に麦の苗を握りしめて西に行った人達がメソポタミア文明を興す。
米を握りしめて東へ行っていた人達が黄河文明を興す。
これが面白さ。
恐らくこの両方の原種みたいなものがこの川のほとりにはあったのだろう。
というワケで、西に行く人と東へ行く人がこの川のほとりで世界中に広がっていったという。
まずは西へ行った人達、メソポタミア文明を興した人達から話を片付けていく。
この人達は麦の穂から小麦を作り始めた。
乾燥した大地があるので、そこで小麦を。
小麦の一番便利なところは、倉庫に保存できる。
これは文明。
ところが困ったことにこの西へ行った人達、もう犬はいらない。
平野が、広いところが小麦栽培にはもってこいなので。
ケモノに突然森の中で襲われるということがないから、もう暮らしに犬は余り必要としなかった
だが、倉庫を作ったら大変。
ねずみ(の害)。
「参ったなぁ」といったら猫を見つけた。
それでペルシャ猫とかという、倉庫を守る為の猫文化が発達したという。
(元々はペルシャ猫が倉庫を守っていたかどうかは)知らない。
エジプトでもどこでも必ず、犬より猫が神様の顔をして出てくる。
あれはやはり猫文化というのは「小麦の倉庫を守る為」というのがあったのではないか?
今度は東に行った人達はどうしたか?
黄河文明を興す。
この人達は広い水田を見つける。
それでエイヤワディ川のほとりと全く同じように。
稲作は私達はやっているが、あれは古里を思い出させて騙している。
米を作るということは古里を思い出させること。
田植えをする。
あれこそエイヤワディ川の川岸。
「ホラホラホラホラ、エイヤワディ川よ」と言いながら農業をやっている人は植えていく。
そうすると稲の方は「懐かしいな。エイヤワディ川だ」とかと言って大きくなる。
そうすると当然雨期。
どんどん上に伸びないと水に浸かってしまうから、それで背丈を伸ばす。
人間が切りやすいところまで出たら水を抜いてしまう。
そうしたら稲のヤツは「あ!乾期だ」と思って実を実らせようと思ったのがコシヒカリになる。
つまり稲の中の遺伝子がそれを覚えている。
だから日本の稲は茎が短い。
あれがインドに行くと洪水が多いものだから二倍、三倍になってしまう。
その土地の気候。
でも彼等に「エイヤワディ川のほとりに住んでますよ」と夢を見させることが稲作りの基本。
だから季節は二つ。
雨期と乾期。
それを体験させる。
ここから日本で独自に発展した犬文化というのを振り返ってみて。
時間いっぱい。
いいところで終わって申し訳ない。
犬を連れてお散歩をなさっている方も聞いてください。