これの続きです。
「アフォーダンス理論」なのだが、「環境から影響を受けて人間は人間らしくなったんだ」というこの理屈が何となく武田先生は惹き付けられた。
人間の体もそんなふうにできているそうで、私達はその環境から学んで体を作った。
その体が心を作った、とそう言う。
では「人間の体についてみてみましょう」というワケだが、人間というのは骨というものがあって、その骨に中心棒がない。
中心の棒が無くてバラバラの骨が筋肉・筋(すじ)で結ばれていて
筋は、−中略−
ゴムのように伸び縮みしている。運動に使われる横紋筋も、骨を「引く」ことはできるが、柔らかいので「押す」ことはできない。力を伝えるために弾性素材を用いる場合、引く力は不安定であり、それで骨を特定の軌道上を正確に動かすようなことは困難である。(100頁)
この「引く力」しかないというのが人間に力を出させるパワーというか、技をいくつもこさえた。
この間、YouTubeで格闘技に入ってしまった。
合気道のお手本か何かを見ていたらYouTubeが気を利かせて格闘技ばかり並べる。
その中で沖縄空手とキックボクシングの対戦を見せる。
それの対戦を見ていて沖縄の○○空手を習った人がやたらと強い。
(普通の空手とは)違うように見えた。
動きがブルース・リーっぽいというのか。
詠春拳(えいしゅんけん)とかという中国独特の拳法があるのだが、それに似て。
沖縄空手もいっぱいあるようだ。
だからどれがどれだかわからないが、その中で解説の人が思わず言った「彼のやっている沖縄空手の流派は夫婦(みょうと)手という特有の体の使い方がありましてね」と。
アッパーカットで敵を殴っていると思ってください。
普通ボクシングはアッパーカットと片一方の腕でガーン!とかち揚げる。
その人は丸くかち揚げる。
例えば左右一個一個バラバラにしないで、腕を丸い円にしておいて左右に振っていく。
アッパーカットもそれを縦にしておいて・・・
上からやったら下からもやるという。
常に両腕が円を描いている状態でアッパーとかフックのパンチがあったりする。
その動きが独特で強い。
これが何でかというと左右の両手を同時に動かすことによってパワーアップするそうだ。
皆さんもちょっとやってみて下さい。
武田先生も今ちょっと試していて、左右バラバラに使わない、一緒に使う。
それを「夫婦手」「女房と亭主が一緒に行動している」という。
「何かに似てるな」と思ったらゴルフのスイングに似ている。
「ゴルフは沖縄空手でいうところの夫婦手なのか」と思って。
そういえばそんなふうにも名選手の動きは見える。
体を捻じり上げるアップとダウンからフォロースルーまで一瞬のうちに両手が回転していく。
こうなると力学の世界だと思う水谷譲。
それでアフォーダンス理論というのはそういう力学がある。
今言った「夫婦手」もそうだが「引く力」のパワーアップなのだ。
夫婦手は右手で殴りに行くということは左手が右手を引くということ。
そうすると体にこめられた「引く力」というのを存分に使えるという。
この夫婦手の方法で今度は弓を引く。
弓は右手と左手、別々の動きをする。
右手で引いたら左手は押す。
ここで弓で的を狙う時の初心者と熟練者の違いは何か?
初心者の場合には、一つの関節での動きは、他の関節にそのまま伝わり、結果として全身の動揺を大きくしている。一方、熟練者では、たとえば手首での垂直方向へのぐらつきが肩での拮抗する方向への動きによって相殺されるというように、特定の関節群の動揺が他の多数の関節群の動きに「吸収」され、結果として手首の動揺が小さくなる。(102頁)
これがアフォーダンス能力なのだという。
手先の揺れを少なくするために、もう一つの技を獲得している。それは視覚のスキルである。運動スキルが向上すると周囲の「見え方」が変わる、それが、「視野(注意)が広がる」こととして体験されると述べる熟練者は多い。(106頁)
こういう例え方もある。
これはトランポリンの選手、あれは模様で判断するそうだ。
トランポリンの選手は真っ直ぐにピョンピョン飛び上がる。
あの時は世界全体を縦縞にする。
その縦縞をなぞる。
そうすると真っ直ぐ上昇している。
自分を円筒形の筒の中に入れる。
それから捻りをてっぺんで得て回転して降りてくる。
あの時は世界を横縞にする。
自分の世界を縞模様にしてしまう。
それで回転して世界を作り変えるという。
こういうのは面白い。
円筒形の筒の中にいる。
そこに自分が真ん中に立っていて円筒形の中で上下する。
今度は「右に回転する」「左に回転する」は、らせんで落ちていく。
そういう模様で世界を捉えるという。
こういうふうにして、世界の見え方が変わることによって自分の動きを決めるという。
これは普通の人間にもあって、それが錯覚。
自分が列車に乗って横の列車が動くと自分の列車が動いたように思ってしまう。
洗車をする時に自分の車が動いているように見えるが実は動いていない、プルプルと掃除機の方が動いていると思う水谷譲。
それを支配しているのがまさしくアフォーダンス理論。
壁全体が床から切り離され、前後左右に揺らすことのできる部屋に参加者が入る。参加者が壁を見たときをみはからって、壁をほんのわずか数cm動かす。すると参加者の姿勢が変化する。−中略−
参加者の姿勢は壁の微妙な動きに同調するように動く。−中略−
壁が遠ざかる方向に動いたとき、乳児は前に倒れ、乳児のほうに迫るように動いたときには後ろに倒れることが多かった。(107〜108頁)
そういうのもいわゆる「アフォードしなければならない」という体の命令に言うことを聞いてしまう。
昔、遊園地にビックリハウスというのがあったと思う水谷譲。
あれもきっとそう。
ここを支配しているのがいわゆる「アフォード」「環境が変わるからオマエは変わる」という。
そして赤ちゃんがハイハイから立ち上がって歩き出す。
この歩き出す時に赤ちゃんには歩く筋肉は一切無い。
この間まで這っていたワケだから。
ところが一回立ち上がると歩こうとする。
それは赤ちゃんに何が起こったかというと、環境が赤ちゃんに対して「歩け」とアフォードして歩行させる。
わかりにくいかも知れないが、例えると操り人形。
これは上から吊られている。
だから操り人形は歩いているように見える。
では赤ちゃんが歩くことはどういうことかというと、下から吊られているという。
重力。
赤ちゃんが立ち上がった。
筋力は何も持っていない。
でも、尻を落とせば座ってしまう。
でも尻を上げている。
そして感じているのは下から引っ張られている。
そして立っている。
歩く。
歩くと出した足の方から急激に重力が彼を引っ張ってくる。
だからそちら側に体重を乗せて次の足を出すという。
操り人形は上から吊られ、赤ちゃんは下から吊られて歩くことを覚える。
こうやって環境の中に適応する自分を見つけてゆくという。
その時に赤ちゃんに何が一体課題として与えられるか?というのを(武田先生は)日付まで書いてある。
2024年6月12日
(武田先生が行っている合気道の道場の)オザキ五段と道場で脱力の話になった。
道場の先輩で段位が上の、技術的に凄いところに行っている人で、師範も勤まるという方がおっしゃった。
「赤ちゃんというのは歩く為の筋肉を持っていないのに、環境にアフォードされて歩こうとするという。この時、赤ちゃんを支配しているのは重力である。重力は命令する。赤ちゃんに何を命令しているかというと『脱力せよ』。全身から脱力する。脱力して次の足を出す。そうすると歩行に向いてくる。そこに力が加わるとすぐに倒れる」
「アフォーダンス理論」なんていうのに触れていると、人間の根本を考える。
この本だが「新版 アフォーダンス」(著者は)佐々木正人さん、岩波(科学)ライブラリー。
この「アフォーダンス理論」というのは面白い本。
そんなことを言うのは何だが、合気道をやっておいてよかった。
いつも叱られる。
「武田さん、ほら、また力入ってますよ。脱力脱力」と。
「脱力」の意味がわからなくて。
「力を抜く」というのは考えたら難しい。
ただ、上手い人を見ていると「あ、脱力してるな、この人」というのはわかる。
ゴルフファンが一人スタジオで退屈そうな顔をしているので、つまんない話ですいませんでした。
ゴルフの話をするとカッと目を開く人なので話してしまうが。
8月ぐらいだったか、本当にこんな、か弱い子が、川崎春花だったか箱根という非常にキツめのゴルフ場で戦っている。
この人がパットが上手い。
カッポンカッポン入れる。
この人のストローク、パターを見ていると力が入っていないのがわかる。
例の夫婦手。
パターのフォームが夫婦手になっている。
右手でも打っていない、左手でも打っていない。
両手で輪をキープしながら打っている。
その時に小さい動作の中に、もの凄い鍛錬とか、もの凄い覚悟とか奥義みたいなものを感じた。
だから「小さい動きって大事だな」と。
でもその小さい動きに関して肩を叩いてくれたのは合気道という武道で。
これは敵がいない武道なのでオリンピックの種目でもないのだが、でも武道が持っている何事かを考えるにはもってこいの武道だな、と。
オザキ五段に「脱力が難しい」と言ったら「一番最初に、でも我々は脱力から始まったんですよ」とオザキ先輩が言ったので「どういう意味ですか?」と言ったら「ハイハイしてた赤ちゃんが立ち上がって歩く筋肉持っていないのに一歩、二歩歩くというのは脱力のパワーですよ」。
下から引く重力に身を任すという、そういうもの凄く大胆不敵なことができるという。
我々は意思を持って歩こうとする。
歩行の一番重大なことは「重力に身を任せる」という。
「その次に大事なことは何でしょうね?」と言ったら「中心線を真っ直ぐ持つことです」。
この中心線がまた西洋の「気を付け」と違う。
「体幹」でもいいかも知れない。
「正中線がしっかりしている」「真っ直ぐ前を向いている」という。
赤ん坊は斜めに歩いたりしない。
一歩、二歩、三歩と上手くいく時は正中線が真ん中で。
武田先生は正中線が歪んでいて真っ直ぐ立てない。
下手くそな柔道をやっていたから、弱いから腰を引いてしまう。
オリンピックでもそう。
真っ直ぐ正中線を広げて相手を取るという人はいない。
みんな横。
外国はもう柔道というのはローマ字の「JUDO」だから真っ直ぐなんて一人もいない。
正面を向いているのは日本選手だけ。
何で横を向くか?
あれは投げられない為。
「そんな度胸ではダメだ」と柔道は言っている。
合気道はそう。
「絶えず相手に対して真っ直ぐ向きなさい」という。
でも真っ直ぐ向くと投げられてしまう。
知っている。
武田先生は何回も投げられた。
「よし、来い」と言って何遍投げられたか。
それで歪む。
斜に構えてしまう。
斜に構えると、うちの指導者は厳しい。
「正中線歪んでます。力入ってますよ」と言う。
「脱力」「正中線」
何だ?
それをバッタリ両方見た。
それが「柔」を歌っている美空ひばりが出てくる。
美空ひばりが姿三四郎の恰好をして歌っている。
姿三四郎の恰好をしているから袴の結び目が分かるのだが、真っ直ぐ前を向いている。
それでマイクが垂直に立っている例の古い時代のヤツ。
それとブレない。
彼女の顔が正中線からわずかに横に振るだけ。
もう一つ、呼吸が違う。
あの袴を履いている帯、これが息をする為に上下しない。
腹式の深いヤツ。
特殊な呼吸法がある。
吸っていないのに吐き続ける。
その時に袴を履いているとその声が出しやすいらしい。
恐らく袴が彼女に特有の呼吸法をさせている。
ベルトではない。
ベルトと帯は違う。
これはやるとわかるが、帯を結ぶと腹が前に出る。
その時に骨盤が少し後ろに反りくり返って腹が付き出る。
優勝した横綱が優勝カップを抱いて記念写真に収まるあのお腹。
この時に美空ひばりは真っ直ぐ正中線を客席に向ける。
袴の帯の結び目が正面のマイクと重なって左右にブレない。
ちょっと話が横道に逸れたが、人間の基本を考えてゆくとアフォーダンス理論というのは大浮上してくる。
脱力の難しさ、そのことを話しているうちに、いつの間にか美空ひばりさんの歌い方みたいなところまで行ってしまったのだが元に戻す。
人間の基本的な動きの中に「体が貯えた知恵」というのがある。
それが我々は思い出せない。
例えば生まれたばかりの赤ちゃんを見てみよう。
これはアフォーダンス。
典型的に環境から学ぼうとしている。
新生児は誕生後ほどなくミルクを吸い、嚥下(飲みこむ)する。二つの運動リズムは協調している。「吸う」と「飲む」の協調が安全な栄養摂取をもたらしている。(113頁)
ミルクを吸う時、通常は舌の先端が下がり、後端が上がる。舌がちょうどこの「しなるムチ」のような状態の時に、口蓋の奥が広く開き、ミルクが食道へと押し出されるなら誤嚥は起こらない。(113頁)
無意識にそれをやっている。
でも分解するとこれくらい難度が高い。
この「吸う」「飲む」は二拍子である。
このリズムの獲得に問題をもつ一部の早産児や運動障害児では、誤嚥が起こり重篤な肺炎につながることもある。(113頁)
赤ちゃんにとって誤嚥というのは命の危険だが、年寄りにとってもそう。
このへんもパッと頭にひらめいたのだが、赤ちゃんと年寄りは似てくる。
武田先生はそういうふうに読んでしまった。
誤嚥ということを警戒する為に、母親が「吸う」「飲む」の二拍子を体を叩いて赤ちゃんに教えること。
トントン。
あのミルクを飲ませながらトントンと叩くのは「吸う・飲む、吸う・飲む・・・」。
そのリズムに乗って赤ちゃんは「吸う」「飲む」を繰り返す。
だからお母さんの手のひらはそのリズムを知っている。
これぞまさしくアフォーダンス理論。
こういうアフォードされることによって体が学習していく。
そういうふうに考えないと、人間というものは理解できないという。
この本を読みながら「俺が今、脱力に関してこんなに興味を持ったのは何か?」。
年を取ったから。
つまり赤ちゃんと同じ課題を与えられているという。
これから先、きっと「脱力する」という能力が年を取ってからもの凄く重大になる。
それは二拍子で、もう一度ものを噛むとか飲み込むとかやらないと、若い人間をきどって喰いながら喋ったり、言いかけておいて飲み込もうとしたりという二つ動作を重ねようとした時に・・・
飲みながら顔を向けたりするとむせると思う水谷譲。
ということは、これから学ぶべきは「赤ちゃんの時に授けられた、体が覚えた知恵をもう一度なぞらないと年取ってはいけないよ」という。
なぜ躓くかというと力が入っているから。
そうやって考えると「生まれたばかり」と「老い先」というのは非常に形が似てくるるぞ、と。
そんなふうにして自分に言い聞かせるとアフォーダンス理論というのがぐっと身近に迫ってくるような気がする。
そしてこれから先、「脱力する」という能力が年取ってからもの凄く重大になる。
ゴルフにしてもそうだと思う水谷譲。
柔道もそう。
一瞬に脱力をどう使うか?
全部力が入っていたら、相手の技にかかってしまう。
ローマ字の「JUDO」と漢字の「柔道」が今、こんがらがってしまっていて、どうもローマ字のJUDOの方がオリンピックでは武器になり得るのだが、でも私達はオリンピックでメダルを獲る為の柔道を「柔(やわら)」とは呼ばなかった。
「柔」は「柔かい道」。
美空ひばりが「柔」という歌を歌っていた。
勝つと思うな 思えば負けよ(「柔」美空ひばり)
メダルを獲るなんてどこも柔は目指してないぞ。
(この歌の)二番が凄い。
人は人なり、迷いもする。
メダルも欲しくなるだろう。
でも人は人なり、迷いもあるけれども、そんな自分を捨てると自分という限界を超えてゆくことができますよ、という。
ここから学びましょう。
人間の手の骨格は、27本の小さな骨から構成されている。指と手根骨部分(手のひらの骨)だけでも15の関節があり、そこの自由度は20である。−中略−
腕には、関節が7、筋が26、各筋ごとに運動ユニットが約100あると言われる。したがって、筋のレベルだけで2600の自由度がある。(99頁)
これに肘、肩が付いているワケだから、動かし方は2600×300で78万通りの動かし方ができる。
これでピアノ演奏なんかをやるから「なるほど」。
考えたら演奏というのがいかに凄いか。
これを動かしているのがアフォーダンス。
「環境から与えられて」という。
ちょっと武田先生も根拠がよくわからないのだが、人間が部分で作られているという。
それで水谷譲に見せたかったもの。
水谷譲の為に組み立てた。
これはテンセグリティ構造。
テンセグリメントといって中心の棒がない。
直径10cmぐらいの丸い板が上と下にある。
それを繋いでいるのが四本の鎖と一本のゴム。
上から斜めに出ている柱と下から斜めに出ている柱をゴムが繋いでいる。
これはどういう力加減かというと、下の丸い板に釘付けられた柱は、相棒の木の杭を上げようとしている。
上げようとする柱と、今度は逆に上にくっついていて下げようとする柱がゴムで結ばれている。
そうすると中心の棒はないのに、物を乗せる台ができるという。
柱がない。
これが何を意味しているかというと、さっき言った肩。
肩というのは、背中の骨と繋がってない。
筋肉というゴムで結ばれている。
そのことによって自在に動くことが可能。
だから脱臼すると思う水谷譲。
柱があると固定されてしまって折れてしまったらお終いだが、これで自在に動くことが可能。
不安定に見えるが実は安定している。
これは「テンセグリティ構造」といって近代建築なんかにも今、取り入れられているという。
バラバラな部品を筋肉の筋を思わせる糸で結んでゆく。
そうすると全く違う構造の建物ができる。
一番最後に佐々木さんが面白いロボットの話を。
これは架空ではない。
1988年の段階で「研究所をうろつき回り、ドアの開いた部屋を見つけて入り、机の上から空き缶を回収し、それを物置場にもって行く」ことを目標とする14層からなるクリーチャーが動いていた。−中略−
クリーチャーは、−中略−
火星での鉱物探索用ロボットとして開発された。従来型のロボットが、地形や自己位置の同定、目標までの経路プランの計算のために、数時間をかけて1mを進むのがやっとだったのに対して、クリーチャーは人間の歩行とほぼ同じ速度でサンプルの収集を行うことができた。21世紀になって、クリーチャーの開発者らは会社を設立し、家庭用掃除ロボット「ルンバ」を制作した。ルンバでは「壁伝いに動く」、「障害物にぶつかったら移動角度をランダムに変更して、そこから脱する」、「段差を検知して、転倒や落下する前に方向を変える」などの多層モジュールが並列し、競合し、結果として部屋の中を動き回り、ほこりや小さなごみをかき出して吸い込み、一定時間掃除をすると充電器(「ホーム」)を探して戻る。(116〜117頁)
(番組内で話された「NASAの人が定年退職になったので、クリーチャーをお掃除ロボットにした」という話は本の中には出てこない)
そうやって考えると皆さんにお話ししているアフォーダンス理論というのがルンバになったとも思えば「愉快であろうなぁ」というふうに思う。
というワケで語り尽くしたアフォーダンス理論。