これの続きです。
人間の間違えてしまう「思考の穴」。
考えたことが落とし穴になってしまったというようなヒューマンエラー。
それをまな板の上に置いている。
「ついそんなふうに思ってしまう」という人間のバイアス、歪み。
先週最後の話題がニュース番組。
だいたい3時半、或いは4時ぐらいから始まってだいた5時〜5時半ぐらいまでは硬いニュース。
「国会であの人がこう言った、どう言った」とか、「経済界でこの人がああいった、どう言った」とかと。
5時半ぐらいになるとバタッと表情を変えて季節の味覚、或いは街角の人気店を紹介したり。
ニュースに必ず食べ物を添える。
これが民放のニュース番組は全部構成が同じ。
これが武田先生は不思議だったのだが。
「何か理由があるんだろうな」と思って。
考えてみれば見せるものが無い分ニュースは成立しない。
テレビの場合はそうだと思う水谷譲。
解説を入れるのが耳だから「聴覚」。
ここをさんざん使わせておいて、一息入れさせる為に「嗅覚」「味覚」を使わせるという。
これでバランスというか、飽きがこないように。
そういう工夫が番組全体でされているから、どうしても食べ物の話題をしなければならない。
全部の感覚を刺激しているということだと思う水谷譲。
これは一つだけ抜けているのがある。
「触覚」
こればっかりはどうしても、映像メディアというのは再現できない。
このあたり皆さん、日ごとのニュースというのを触覚で捉える、これが一種フェイクを見抜く手立てになるのではないかなと。
これは武田先生の考え。
皮膚でどう感じるか?
その発想で見るというのが事の本質を突けるような気がする。
フェイクというのはとにかくそれを見て、音声等を聞いて視覚・聴覚で飛び込んできたニュースであなたがびっくりする。
これは間違いなくフェイク。
何でかというとフェイクというのはびっくりさせる為の仕掛け。
フェイクの最大の特徴は驚かせること。
それがエサ。
あなたの感情を揺らす為の罠。
ならばあなたはどうするか?
いつも驚くことに慣れておくべきだ。
その驚くことを皮膚を通して驚く習慣を持つ。
そうするとフェイクを見破れるようになる。
まず何をするか?
皮膚で風を感じる。
皮膚で季節を感じる、雨を感じる。
そういう一日の時間を大切にしてください。
その皮膚から人を感じ命を感じるという。
そういう常識があなたの皮膚に宿った時、あなたはもうフェイクに騙されることはない。
何か難しそうだと思う水谷譲。
武田先生もそう思う。
ただ、皮膚を鍛えるということに関しては学習法がある。
これも本には書いていない。
武田先生の独創。
夏井(いつき)先生。
俳句を作る。
俳句は皮膚情報。
五七五の文字を詠んで皮膚に何か感じることができたら、それはあなたの皮膚が順調に成長していること。
夏井先生も褒めてくれる俳句は皮膚情報に伝わってくるヤツ。
確かに夏井先生が添削してから詠み返すと「おっ!伝わる!」と思う水谷譲。
「あ、風感じるよ、こっちの方が」みたいなのがある水谷譲。
時々あの番組に呼ばれることがある武田先生。
(
「プレバト!!」)
その時にやはりしみじみ思った。
俳句というのは皮膚感情なんだ。
皮膚に伝わる感情なんだ。
前もドナルド・キーンさんの時に水谷譲に小林一茶という俳人が上手いという話しをした。
あの人の句の中で「雪とけて村いっぱいの子どもかな」。
皮膚を感じる。
三月、これぐらいになると冬の厳しいところでも「雪とけて村いっぱいの子どもかな」、皮膚に訴えかける情報が入ってくる、
温度も感じるし、聴覚で子供達のキャー!という声、陽射し、それから雪が溶けて真っ黒い地面が出てきた土の臭い。
俳句というのは、歌というのはそもそも皮膚情報のことではないかな?という。
だから皮膚で感じるものというのは伝えられるニュースの本質をいとも簡単に捕まえてしまって言葉で解説される、その必要がなくなる。
その為には皮膚を鍛えましょう。
それが人間の思考の穴をふさぐ唯一の手立てだと思う。
著者はアン・ウーキョンさんという大学教授だが、この方は人間の考えごと、誤謬は何で間違ってしまうか?
それはたった一つの答えを求めるからだ。
思考に穴が空かない、考え事をしてもいいが穴が空かない。
そういう方法があります。
それをお教えしましょう。
人間は正しい答えを求めようとすると考えに罠というか穴ぼこに落ちてそこから動けなくなってしまう。
正しいことというのはそういう意味ではたくさんの人を間違った方向に導き出したエサであるし、罠。
その穴をとにかくふさぎましょう。
若い人、年よりのお爺さんの言うことだが、どこか頭の隅に置いておいてください。
思考の穴に落ち込まない為に。
日々の生活のなかで、明らかに理屈に合わない判断を下さないようにするためには、そうした資料の数字をより深く理解する必要があり、−中略−
そのために知っておくべき概念が少なくとも3つある。−中略−
「大数の法則」「平均への回帰」「ベイズの定理」だ。(163頁)
大数の法則は、−中略−
「データは多いほどいい」という意味である。(164頁)
平均気温、二酸化炭素濃度、海面上昇、そういう情報をかみ合わせて「温暖化」という事象を見ましょう、と。
事実なのでデータは大切だと思う水谷譲。
そういうこと。
このデータ、それも少なくてはダメ。
この中で面白いのはアメリカでいた。
「地球が暖かくなってるなんて嘘ですよ。だって私は今日、寒かったですから!(165頁)
でも大数の法則で言えば温暖化、平均気温、二酸化炭素濃度、海面上昇等々を見るともう間違いない事実で対策を打たねばならないということ。
これが「大数の法則」。
二つ目「平均への回帰」。
(以下の「平均への回帰」の説明の内容は本の内容とは異なる)
百人のアンケートの平均よりも、街頭インタビュー・動画の方に人間はつい影響を受けてしまう。
動画の方に強い印象を受けてしまうのは、これは「平均を無視する」という歪みが生じているんだ。
インタビューで特に政治的な意見を求める時は少数意見を併記する。
これはテレビがよくやっていること。
でもこれは「何人のうちのいくつの意見だ」ということを言わない。
「分母を言わないとダメよ」という。
それは見ていて思う水谷譲。
テレビは必ず両論を両方並べる。
少数意見を併記する。
しかしこれでは見た印象からするとまるで両論が拮抗しているような、街の五分五分の意見のような印象を残す。
データのスケール、つまり分母をしっかり語る、これが「平均の回帰」なんだという。
そしてもう一つが「ベイズの定義」と言われていて。
これは人間の思考、考え方の悪癖。
あなたの目の前に別の何かがあり、それは動物だということしかわからない。動物であることを踏まえるなら、その何かがコアラである確率はどのくらいになるか?
それは絶対に100パーセントではない。(185頁)
「でもシルエットから見ればコアラかな?でもこれは違う場合もある」という。
こういうシルエットでこう断じてしまったら「コアラ」と、こう断定する。
そうするとそのシルエットの向こう側の動物が全てコアラになってしまうというように頭は偏ってしまうんだ、という。
これはちょっと今、あまりいい例ではない。
こっちの方がわかりやすい。
こんなことがアメリカであった。
2001年9月11日のテロ攻撃を鮮明に覚えている。−中略−
痛ましいことに、その怒りの矛先の一部がアメリカに暮らすムスリムに向けられた。−中略−
ムスリムに対するヘイトクライムは激しさを増していった。(183頁)
9.11直後から2016年末までに起きた、死者を出したテロ事件の数が掲載されていて、−中略−
アメリカで死者を出す事件を起こしたテロリストの数は、−中略−
報告書のなかで数えたところ、その人数は16人だった。(194頁)
(番組内で「9.11」を「3.11」と言っているが、4月15日の番組内で訂正があった)
ムスリムのテロリストの数である16を、アメリカに暮らす成人ムスリムの総数である220万で割ればいい。そうすると、答えは−中略−
0.00073パーセントとなる。これは、FBIが1万人の成人ムスリムを拘束したとしても、そのなかにテロリストがいる可能性は限りなくゼロに近いことを意味する。(195頁)
これがコアラの見方と同じ。
似ているからといってそのものではない。
そのことをよく覚えておかないといけないという。
アメリカではこういうヘイト、まあ日本もそうだが。
必ず分母で見よう。
分子だけ見ないで分母を見る。
そうすると「何分の何」という確率が出る。
このように誤謬を正す、当たり前を使ってバイアス、歪みを矯正する。
データの分母と分子で印象操作をされることは結構多いと思う水谷譲。
水谷譲は「印象操作」という生々しい言葉を使う。
今は「印象操作」と言う。
アンケートの結果でも「いい」「悪い」とか「賛成」「反対」のその中間のものがそれをどっちに寄せるかで全く数が違ってくることがあると思う水谷譲。
「印象で操作する」というのはもの凄く感じる時がある。
このあたり、我々は真剣に考えましょう。
あなたは医師で、あなたの患者の胃には悪性の腫瘍がある。−中略−
一度に腫瘍全体にそのX線を高強度で照射すれば、腫瘍は死滅する。ただし、それほどの強度で照射すれば、腫瘍に到達するまでにX線が触れた健康な組織も死滅してしまう。
X線の強度を下げれば健康な組織は無事だが、それでは腫瘍に効果がない。(197頁)
ではどうするか?
医学的問題。
どうする?
そういうコマーシャルがあった
「どうする?」
腫瘍に向かって複数の方向からX線を照射すればよい。(189頁)
それから何回かに分けるとか、いろんな場所から当てるとか、そういう複数のストーリーを作ることが大事なんだ。
今、世界が求めているのは複数のストーリーなのだろう。
一つのストーリーに縛るということが難しくなった時代。
まったく同じことでも、ネガティブな切り取り方をされていると避けるが、ポジティブな切り取り方をされていると喜んで受け入れる(206頁)
牛挽き肉に関するものだ。
脂肪25パーセント、というとかなり身体に悪そうに感じる。−中略−
ところが、赤身75パーセントとなると、意味はまったく同じでも、ずいぶんと健康的で身体によさそうに思える。(207頁)
カーディーラーを訪れる。−中略−
販売員曰く、車体の本体価格は2万5000ドルだが、オプションXは1500ドル、オプションYは500ドルというように、さまざまな機能を追加できるという。−中略−
別のディーラーのやり手の販売員は、正反対のアプローチをとる。彼女はまず、すべてのオプションをつけた3万ドルのモデルを提示する。そのうえで、安産性を高めるオプションXを諦めるなら、価格は2万8000ドルになり、縦列駐車をサポートするオプションYも取れば、2万8000ドルになると説明する。(219頁)
実際に引いてみせると引いて見せたところで「買う」という人が多という。
心理的にはわかる水谷譲。
これも明らかにバイアス。
ここから武田先生。
ちょっと愚痴っぽいのが入っているが、すみません。
人間というのは、本当に始末が悪いのはネガティブに惹かれる。
明るい予感と暗い予感があると暗い予感の方を聞いてしまう。
そういう傾向がある。
中野信子先生の脳の本を読んでいた。
武田先生みたいなヤツでも、年取って夜中に目が覚めるといろいろ考えてしまって眠れなくなる時がある。
それを中野先生はたった一言「あっ、普通ですよ」と言われた。
「そういうもんですよ、年を取るっていうのは」
それを聞いてホッとする。
「あ、なんだ」と思ってしまう。
ネガティブな情報、これを少しおびえながら生きているというのがどうも人間の生き方である、と。
それはおそらく長い人類の歴史の中、それこそ遺伝子の記憶の中でそれで上手くいった経験が何回かある。
悪い方の予感が当たっちゃったみたいな。
この人間の殆ど本能に近いものを利用しているのがフェイクとか辛辣な侮辱記事。
最初は思わず武田先生もギクッとして見ていたのだが、YouTubeの情報は絶妙。
例えば武田先生が見たヤツだが「嫌いな司会者ベスト10」それとか「もうやめてもいい長寿番組」とか。
それでいっぱい芸能人の悪口が書いてある。
「アイツは酷いヤツだ」とか「どこどこで遊んでた」とか「ほんと、凄ぇセコいヤツだ」とか。
ある日のこと、タラタラ指先でやっていたら、付き合っているお笑い芸人がいた。
そいつの名前が上がっってパっと見たら、そいつがろくでもないことをやっている。
「こんなことをアイツやってたのか」と思ってしまって。
こんな悪い噂を立てられて。
YouTubeなんて信用していないけど一瞬「付き合いを考えようかな」と。
それでまた他の人の悪口を探していたら「嫌われているベテラン芸能人」というのがあった。
「オイオイオイ誰だよ?」と思ったら三位が武田先生だった。
もう人間の勝手さ。
その時にパーン!とスマートホンを捨てた。
ギクシャクするネガティブな情報がある。
どうしてもそのネガティブな情報に触れなければならない。
そういうネガティブな話題を相手に仕掛ける時はどうぞ皆さん、一つのフレーミング効果を活用すること。
もう武田先生なんかも典型。
墓穴ばかり掘っている。
子供、或いは女房に対する問いかけ。
怒りを買う。
奥様の不機嫌を買ってしまう。
どういう言葉遣いか、どういうネガティブ会話かというと「おい、その服買ったの?」「宿題終わったか」「え?今日のご飯これだけ?」。
これでもう、何の考えもなく見たまま言っている。
もの凄い反撃をされる。
これはフレームの問題。
この会話を投げかけたその「フレーム」「額縁」が滅茶苦茶悪い。
皆さん、お考えになったことがあるでしょう。
ちょいと額縁がいいと何だか深い絵画に見えたり。
これと同じ。
フレーム、額縁。
人と会話する時はこのフレームを大事にすることです。
「その服買ったのか?」と言わずに「いやぁ〜、色いいね」。
褒めるところから問うてみる。
「宿題終わったか?」そう言わず「さぁ〜遊べるね」。
終わった後の楽しさから入る。
びっくりするぐらい量の少ない夕飯が出た。
「えっ?今日これだけ?」と言わずに「十分、十分」。
二つ重ねるとこれで通過できるという。
このあたり習慣が支配する。
武田先生も一生懸命自分で習慣づけている。
こういう習慣が無いから悪いフレームに言葉を入れて送ってしまうものだから、凄く怒られる。
フレーミングを意識しておくことだなと。
解釈するのは脳である。
脳が殆ど勝手に判断していく。
解釈にバイアスがかかることは絶対に止められないと理解しよう。歪んだ解釈の危険性に立ち向かうために何ができるかを考えるには、この認識を持つことが最初の一歩としてふさわしい。(273頁)
歌にしようかなと思って狙っているのだが、恋愛の難しさ。
そんな歌を博多弁で作ろうかなと。
「一番好いとう人に女は時々いっちょん好かんて言うもんね」
大好きな人間に向かって「一番嫌いだ」と言ってしまうのが女心ですよ、とか、そういうもっともっと高度な複雑なもの。
とにかく人間の言葉のフレームを磨いていくというか。
「因果の刷り込み」という名前までつけた。(242頁)
最初に思い込んだことを信じ続けようとするという。
自分の持っている情報で全てを考えてしまおうとする。
その情報は世界の人々が知っていると思っているという。
人は相手の視点から考えることはできない。
やはりそう。
人の立場に立ってものを考えるということは人間にとってもの凄く難しい。
思考の穴を著者は様々に展開し、いくつもの心理実験で、考えることによってかえって思考の穴を大きくしてしまう、或いは増やしてしまうという。
それが本の後半の方で実験で示してあるのだが、やめてしまって。
でもここまで広げただけでもおわかりだろうと思うが、脳がそのような傾向にあるとわかっただけでも違う。
若い時に恋をして、その恋をした相手の人と所帯を持って50年以上の歳月を一緒に生きてきて、時々振り返ると「あの若さでよくこの人と結婚しようと思ったな」とかと思う。
その時に人間の心理の複雑さだが、やはり何べん考えても恋をした人を人生の終わりまで幸せにするという自信は無かった。
「人を幸せにする自信」というのは無い。
ある人がいたら会ってみたい水谷譲。
その自信はどこからくるんだろうと思う水谷譲。
ではあの時に「結婚しよう」という一言を言わしめたのは何なんだろう?と思う。
「勢い」ではないかと思う水谷譲。
もちろん。
その勢いは何か?
それは「この人とだったら不幸せになってもいい」という、その覚悟ではないか?
これは歌にしたらいかがかと思う水谷譲。
これこそ本当の愛の歌。
もう一曲だけラブソングを作って死にたい。
何か最近そう思ってきた。
そう思うと、とても幸せな人生。
世の中で「不幸せになってもいい」と思うことほど幸せなことはない。
「歪んだ鏡」の大まとめ。
これは万人に当てはまるという話題ではないが、この本の中、ダイヤモンド社から出ている「イェール大学集中講義 思考の穴」。
「よりよく生きる為にはいかによく考えるか?」という。
講義の本。
この方、著者のアン・ウーキョンさんがおっしゃっている例だが、こんな女性がアメリカの大学にいたらしい。
私の友人の友人の友人は生物学の博士号を取得していながら、mRNAワクチンが遺伝子に致命的な損傷を与えるという複雑で誤った理論を展開している。
それでも、彼女の大学生になる娘は、キャンパスに戻る条件として大学からワクチン接種を求められたため、結局ワクチンを接種した。(278頁)
(番組では親ではなく娘の側がワクチン拒否しているという話になっている)
これは、たとえ人々の意見が大きく分かれていようとも、システムレベルで変えれば公衆衛生が守られるという一例だ。(278頁)
またいくつもの「誤信念」「知識の呪い」「自己中心性バイアス」または相手にわかりやすく話すことで「わからせている」と思う思い上がり、という弊害が人間には付きまとう。
なるほど身につまされる。
武田先生も偉そうに話していて、わからない人に「え?わかんないの?」とかと言ってしまうタイプなので。
思春期中期での自己管理レベルが高い子ほど、青年期になったときに免疫細胞に老化の兆しが多く表れたのだ。(361頁)
自分の人生をもの凄く巧みに管理している人、この人達に共通しているのは何か?
これも相当数が集まったから書いておられるのだろう。
免疫システムの性能が落ちる。
何が著者は言いたいかというと、しくじりや失敗の多い人程、人生の敗北感に耐える力が付いており、実は失敗に対する耐性が付いて、かえって生命力を高めているという。
(本の説明とは異なる)
一番最初、水谷譲に言ったネガティブ・ケイパビリティという。
不愉快な人が隣にいる、或いは隣の国がスッゲぇ不愉快な国。
でもそれがマイナスにならず、何となくその国と隣同士で生きてゆくという力。
そういう力もあるんですよ、という。
最後に実につましい、しかし重大な当たり前を説いている。
これが面白かった。
ヨガ教室でラクダのポーズに挑戦するときは、インストラクターの「呼吸」という言葉に耳を傾ける。ポーズをとるべく床に膝をついて背骨をそらし、とうてい届きそうになりかかとをつかもうと手を伸ばすとき、インストラクターが「呼吸」と呼びかける。それは、自分を追い込む度合いを各自に呼吸で判断させるためだ。呼吸がしづらければ、それ以上無理をしてはいけない。−中略−
ポーズが完璧にできなくても、呼吸を維持しながら、背骨が目を覚ます感覚や、血液が頭にめぐる感覚を味わうことはできる。−中略−
目標のために自分で自分を傷つけていると感じたり、達成がすべてで過程は楽しくないと感じたりするようであれば、いったん立ち止まってみるべきだ。(364〜365頁)
人は、自分を卑下するべきではない。−中略−
また、自分を過信するのもフェアではない。(367頁)
他者を操らず、思い通りにはいかない、そのことを当たり前と思って生きていく。
その当たり前が人間にとってはもの凄く大事なんだ。
最後に著者はまたこれも当たり前の名言を言う。
「結果に飛びつかず、過程を楽しめ」(364頁)
「そうすると思考の穴を避けて、あなたは人生を歩いてゆくことができます」という。
ここまで皆さんにお話しをしてハタと気が付いた。
最初の合気道道場の話。
サボってばかりの女性がある日、突然昇段して合気道稽古に熱心な道場生となったというあのエピソード。
これと今の話を合わせると、終章でピタっと話が合う。
彼女は三段を目標とせず、ポツリポツリでも道場に通い続けた。
それが管長の目にとまり黒帯、三段の段位を贈られた。
楽しく、それが厳しい武道修行を続ける一番大事な要素であるという。
(武田先生のノートに)書いている。
「話の初めと終わりが見事な円になった。何て見事な終わり方でしょう」とノートに書いてあって、その下に「トントントン」と書いてある。