年の始めということもあって「運」というものを三枚におろそうかなぁと思っている。
これは驚かないでください。
何と一年間寝かせたネタということで。
ズバリ言うと2023年の暮れに仕込んだネタ。
2024年、丸一年発表せずに2025年の新春に、という。
(寝かせていた理由は)「ウケ無ぇんじゃねぇかな」「ちょっとベタ過ぎるかな」と思った。
ところが武田先生の雑記帳を覗き込んでみると何となく「面白いな」と思ったもので「ヨシ!2025年の新春にやろう」ということで。
こんなことをメモで走り書きしている。
「年の始め、前の年を振り返った。何ともツキの無い一年だった。よく考えてみるとでもまあツキは無かったけど、それでもいいこともあったかなと思いが交錯する。三枚におろすつもりだったがあまりにも平凡なネタかと思い、机に置いたまま数か月過ぎた」
ネタの本はある。
(著者は)中野信子先生、サンマーク出版「科学がつきとめた『運のいい人』」 。

(番組の中で言及がないので、ここでは全て「新版」の内容でご紹介するが、この本は単行本と文庫本も発行されている)
だが科学で「運がいい」をつきとめるというのが面白がってもらえるのかなぁ?と思って手を出さなかった。
中野先生、申し訳ございません。
気分でいろいろネタを取り上げているもので。
中野先生はまずこんなところから「運」というものを語り始めておられる。
これはミュンスターバーグ錯視。
錯覚の一つ。
水谷譲も一年を振り返る時「ついてない」という年がある。
でも不思議なことによく考えると「まあそれでもいいこともあったよな」とかと少し混乱する。
いいことと悪いことが
「これでチャラかなぁ」と思ったりする水谷譲。
何でそんなふうに考えてしまうのか?
それをミュンスターバーグ錯視で中野信子先生はこう説明しておられる。
みなさんは「錯覚」をご存じでしょう。たとえば、こんなものがあります。何本かの平行な横線を描き、その上下に、黒・白の正方形を、上下ズラすように描く。すると、最初に描いた、平行なはずの線分が、めちゃくちゃにゆがんで見えるのです。−中略−
これは、ミュンスターバーグ錯視と呼ばれる有名な錯視ですが、このような、錯視と同様のメカニズムが、人生に起こってくる事件を観察していくうえでも、つい働いてしまうのです。つまり、運がいい、悪い、というのは、脳がそうとらえているだけで、冷徹に現象面だけを分析すれば、まったくの錯覚にすぎない、ということになります。(13頁)
武田先生のグニャグニャを振り返る。
新年明けて「何てついていなかった去年だろう」と振り返った年があった。
それが2023年。
これは仕事もしんどくて、毎週出演者が一人ずつ死んでいくというドラマをずっと冬からやっていた。
(
「ダ・カーポしませんか?」)
それでその年はコロナが広がっていてこれに罹患。
何と妻と娘に感染させてしまって家族から激怒を買うという。
それで大好きだった友達が二人、この年の春にコロナが終わったと思ったら死んじゃったという。
何と秋になったら新幹線に財布を忘れて大騒動。
それも皆さんにご報告した。
キャッシュカード、保険証、免許証、通院カードの5枚をいっぺんに無くすという。
スタッフがもう足元がフラフラの武田先生を支えてコロナ禍の中、マスクをしながら全部作り直した。
鮫洲(運転免許試験場)に行って運転免許証の再発行をしてもらい、銀行の方にもキャッシュカードを止めて作り直す大変さ。
一か月間本当に・・・
ところが何と驚くなかれ、一か月ちょうど経った頃、その財布が家の中から見つかったという。
いつも置く棚の横の箱の中に落ちた。
それで奥様から「ボーっと生きてんじゃ無ぇよ!」という。
秋になったらコンサートをやっていたら海援隊の仲間の一人、中牟田(俊男)の様子がおかしくて立ち上がれなくなってしまって、すぐにコロナ検査薬を試したら真っ赤だったという。
それで家の方に連絡をして「中牟田がね」と伝えたら奥様の方からはっきりと「帰ってこないで」。
それで東京にいるのに都内のホテルに四日連続で宿泊するという無残さ。
何だか寂しかった。
でも考えようによっては贅沢だと思う水谷譲。
いいホテルに泊まっている。
ただ、書いてある。
「一日500m歩くこと二回」
500mだけ歩いて帰ってくるという。
ちょっと歩きたい。
マスクをして。
それでホテルの周りを一周するという。
それを二回繰り返して・・・本当に缶詰だった。
奥様から「出歩くな」という。
それはもうおっしゃる通り。
それでそれが終わって、やっと家に帰れたと思って愛車・トヨタのハリアーでウロウロしていたら、ボディに悪意に満ちた引っ掻き傷。
これは引っ掻き傷が一周していて。
これが保険でセーフだったのだが、直すのに20万円。
明らかにいたずら。
これはやはりどう考えても2023年「ついて無いわ。運の悪い年だわ」。
ところが新年明けになってその2023年を振り返ると運命を縦で見ないで横で見ると、武田先生はこの年、合気道四段に昇格している。
エッセーで「向かい風に進む力」を書き下ろして本屋さんで発売。

しかも「演歌を頼む」という作詞依頼が相次いで、水森かおりさんとか鳥羽一郎さんの歌詞を書いている。
四日間のホテル暮らしで演歌の詞を四つぐらい書いた。
やることが何も無いので。
それから月に一回か二回のトーク&ライブというステージに立つのだが、この年は不思議なことにどこに行っても満員。
だから縦ではグニャグニャしているのだが、横で見るとワリと・・・
そんな感じだから、運命を横で見るか縦で見るかでグニャグニャの度合いが。
それで「運を少しよくする為に中野先生の本を読み始めたんだから、拾い書きだけしてみよう」と思って書き出したのが今回のネタ。
ただし、中野先生、申し訳ございません。
運に関する本は鵜呑みは危険である。
そう思う。
ここに書かれていることは、運のいい人によるハウツー「こうすれば運がよくなりますよ」というような方法ではない。
運をどう考えるか、横で見るか縦で見るかという、科学的に見る方法。
この一冊には宝くじに当たるようなつかみ方は一切書いていない。
「グニャグニャに見える人生の中でよく見るとあなたの人生の中にも真っすぐ伸びた一本の横線があるハズだ。その横線を見つけることが運の良さを見つけることなんですよ」と。
横線を見つけた人が中野先生のいう「運のいい人」。
縦だけで人生を見ない。
自分を大切に扱う──。(34頁)
他人の尺度でなく、自分の尺度で行動する。他人がどう思うかではなく、自分が心の底から「心地よい」「気持ちよい」と思える行動をするのです。(41頁)
いい加減な人は、社会の価値観とズレている部分もあるかもしれませんが、−中略−
柔軟性があると、不測の事態に速やかに対応できます。考えが硬直していないので、不測の事態にどう対処するか、その発想が豊かになるのです。(52〜53頁)
「そういう人が運がいい人、横線をしっかり持っている人なんですよ」という。
中野先生は具体例を挙げる。
ある好みを持ち、科学的に見てその好みは脳と進化論に裏付けされている。
人間はそういう横線をいっぱい体の中に持っているということ。
男性にとって、女性というのは好みのタイプがある。
これを科学的に言うところがこの中野先生のクールなところ。
男性は、ヒップとウエストの比が1対0.6から1対0.7の女性をもっとも好む傾向があることがわかったのです。−中略−
ヒップがおよそ92センチから108センチの間の女性、ということですね。(55頁)
これはもちろんアメリカで出した平均でいささか大きいが、日本で言うと87〜88ぐらいだろう。
おなかにつく脂肪は、オメガ6脂肪酸というもの。一方、お尻や太ももにつく脂肪は、オメガ3脂肪酸というものです。同じ脂肪でも質が違うのです。
ところで、人間の脳の大部分は脂肪です。−中略−
お尻や太ももにつく脂肪と脳を成長させる脂肪は同じもの。(56〜57頁)
この横線に操られて男は女を選ぶという。
だからそれで男は本能的に横線としてそういう女性に執着を持つという、そういう生命理論に男は操られているんだ、という。
なるほど。
武田先生が「理想的だなぁ」「この二人はほんと似合いだなぁ」と思うカップルに大谷夫婦がいる。
奥さんはベッピン。
「大谷の為に用意されたイブ」みたいな感じがして。
お二人が醸し出す空気が違う。
にこやかに笑って、あのグーでタッチしてらっしゃるという、ああいうのを去年の末にさんざんスポーツニュースでやっていたが、何か「奥さんの為に用意された旦那」「ダンナの為に用意された奥さん」という感じがして。
顔と体全体の比率が夫婦揃って同じという。
しかし人んちの奥さんながら、やはり憧れてしまう。
まるで少年のような旦那さんと、まるで少女のような奥様という。
では女性は?とお考えください。
生命理論の横の線。
女性はどんな男を求めるか?
やはり胸板の厚い感じがいいと思う水谷譲。
女性が男性を選ぶ場合は、記憶、つまり、その言動に矛盾がないかどうかを重視するといわれています。たとえば約束をきちんと守ったかどうかなどに、女性はとくに強く反応するのです。
これはその男性が「エサをきちんと持って帰ってくるかどうか」の判断にもつながります。ずいぶん現金なようにも感じますが、生き延びるには、とくに狩猟時代などには必要な資質だったでしょう。(57頁)
「尻が大きい」「きちんとエサを持って帰ってくる」という、これが男女が惹き合うとても大事な条件なのである。
中野先生はこういうもの凄いことをサラリとおっしゃる。
私たちの脳にはセロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンなどの神経伝達物質が存在しますが、この量には個人差があります。
これらは、私たちの情動に働きかけ、気持ちを動かす物質です。セロトニンは、−中略−
安心感、安定感、落ち着きをもたらしてくれます。ドーパミンは「やる気」のもととなり、−中略−
ノルアドレナリンは、集中力を高めてくれるなどします。(29頁)
全体量を調整するモノアミン酸化酵素という物質があります。(29頁)
バランスで落ち着かせるという。
さじ加減をいちいちきちんと測って「今は安心していい」「安心しちゃいけない」これをきちんとダイヤルを回しているという、そういうモノアミン酸化酵素というのが脳の中にあるという。
これが個性として、このさじ加減のバルブがあるのだが、これがしっかり締まる人と緩い人がいて、緩い人は脳内ホルモンがダダ漏れという。
そういう人もいる。
この「バルブの締め加減を女性は見ているみたいだ」と。
このバルブが緩い人は脳内神経伝達物質が漏れやすく安心・やる気・集中力が脳内にいつも流れ出ている。
この分解の度合いが低いタイプの女性の脳は、幸福を感じやすい脳といわれ、−中略−
なかでもとくに低いタイプの人は、幸福感が高いと同時に、援助交際のような反社会的行動をとりやすいともいわれています。(30頁)
こういう多幸感に溢れた人は騙しやすく、やる気満々、詐欺犯罪に引っかかったり詐欺犯罪に走ったりするという。
困ったことにこのダダ漏れの人はカネを貢ぐことで幸せを感じるという。
そういう人がこの間捕まっていた。
片一方からは詐欺でお金を何億円も巻き上げて、自分の入れ込んだホストには何億円も貢いだという。
あれはバルブが緩い。
そうやって考えてみると面白い。
そのあたりの理屈を中野先生は厳しく問い詰めておられる。
男性の場合は、モノアミン酸化酵素の分解の度合いが低いと攻撃的なタイプになるといわれています。(31頁)
不安というのはとても嫌なもの。
不安感は先を見通す力、将来を考える力があるからこそ芽生えます。(30頁)
故にそのような自分を励まし続けること、バルブの硬い人は自分のことを臆病者だと決めたりしているが、でもこの臆病者だという不安から「将来を見通す力」というのができてくる。
このへん、人間存在なかなか一辺倒ではいかないということ。
怖いもの知らずの性格は、営業や大きな金融取引などの仕事に生かせるかも知れません。−中略−
攻撃的なタイプの人は、弁護士など舌戦を必要とする職業で実力を発揮するかもしれないし(32頁)
何と「芸能人に向いているんだ」と。
(本には書かれていない)
武田先生はやはり緩い。
先の話になるが「べてる」(浦河べてるの家)の人達との付き合いがあって去年文化祭に行った。
そこで精神障害を持った人達と一緒に壇上に上がっていろいろイベントをこなしていた。
そこのべてるの家は面白くて自分の病名は自分で付けなければいけない。
「愛欠乏症」とか、自分で付けている。
その時に精神障害の人から「武田さん、自分に精神的な病気があるとしたら、どんな病名付けます?」と言われた。
武田先生は30代の時に人間ドックの医師から性格に於ける障害を付けられたことがある。
「あなたに病名を挙げるとすると、現在の精神の障害は何かというと『過剰適応症』」
これは先生の作り事かと思ったのだが、どうもあるみたいで。
武田先生は適応障害。
この「過剰適応症」というのは場に応じて自分を遮二無二適応させようとする。
だからテレビドラマの現場で「セリフ覚えなきゃ。子供懐かせないと」とかとあの頃、もう30代だったから、その場ごと、シーンごとで自分を切り替えなきゃいけないので「過剰に適応する」という。
役者さんというのは全部「適応障害」。
それも過剰の。
でないと刑事と犯人・人殺しが同時にできるなんて。
縦線で見るとあの人の人生は間違っている。
でも横線は役者。
だから商店主をやったりヤクザ者をやったり。
でもそれは適応しているだけであって、その人の横線は「役者」という「演じている」という。
そういうことがあって、あらゆる人々が障害を持っているのではないか?と。
その障害度に応じて人生を作っていけたらいい。
それを自覚することが大切だと思う水谷譲。
武田先生が「過剰適応症」と言ったら「あいうえお症」という「愛に飢えた症状」を持ってらっしゃるキヨシさん(浦河べてるの家の副理事長を務める早坂潔氏を指しているものと思われる)という、50年間ベテランの精神障害者がいる。
その人がしみじみ武田先生に同情して「武田さんもきついねぇ・・・」か何か言われると。
武田先生が「過剰適応症」と言ったら横にいたベテルの責任者の向谷地(生良)さんが言った「私はその逆だな。過小適応症」。
演じられる役が決まっていて、それ以外、一切演じないという。
この人は頑固。
向谷地さん、怒らないで。
ちょっと話の傾向が暗い。
「いやぁ〜浦河も発展してきましたね」「人口はどんどんどんどん減るばっかし」とか、何千人しか減っていないのだが暗く語るという。
向谷地はそう言っておいてじっと下を向いて瞬きばかりしているから、武田先生の過剰適応症について自分が過小適応症と言ったことが自分で言いながら胸に突き刺さったのだろう。
キヨシさんから慰められて「頑張ってくださいね。適応障害の人」と言われて。
こういうことはまた別個にやるのでちょっと待っていて。
ずっと過剰適応症が武田先生の頭の中に40年間あった病名。
そういう意味では武田先生を助けてくれた病名で。
中野信子先生がお書きになった「運のいい人」という本を三枚におろしている。
中野先生は「こうやったら宝くじ当たりますよ」とかそんなことではない。
「運のいい」という傾向を人生に取り入れる為にどうしたらいいか?
これを科学的に。
中野先生が懸命におっしゃっているのは運のいい人になる為には自分を大切に扱うという。
昨日水谷譲と二人で病名のことで盛り上がったが、不思議なもので、このべてるの家というところがやっている方法だが、自分の病気について自分が名前を付けると愛着が湧く。
病の自分に愛着を持つということは凄くいいようだ。
上手く付き合っていけると思う水谷譲。
では、「自分を大切にする」とはどうするか?
このへんは中野先生は見事。
運のいい人は、必ず、自分なりの「しあわせのものさし」をもっています。−中略−
たとえばカフェでくつろぎながら読書をする時間が何よりもしあわせ、という人もいるでしょう。(39頁)
他人の尺度でなく、自分の尺度で行動する。他人がどう思うかではなく、自分が心の底から「心地よい」「気持ちよい」と思える行動をするのです。(41頁)
これは大谷を見ていて思う。
この人はもの凄く眠りを大切になさっている。
だから眠りを犠牲にしてまで飲食したくないとか、宴会に行きたくないとか。
あの人は一人で練習をする。
巨人軍元監督の原監督がおっしゃっていたのだが、後楽園に野球の選手為の小さなジムがあるらしい。
その機材か何かが気に入って大谷が一人で三時間練習していた。
武田先生は無理。
人が見ていないと嫌。
(高倉)健さんからも注意を受けたことがあるが、人が見ているところで頑張りたい。
大谷は一人で練習をするのが幸せ。
そういうところがある。
「一人でいることの幸せ」みたいなものをきちんと持っている。
野球選手で素晴らしい人で松井(秀喜)がいた。
あの人の高校時代のエピソードを地元の(石川県)根上という古里の町で聞いたことがあるのだが、ゴジラ(松井選手の愛称)が高校生の頃、ちょっと悪ふざけをしたもので、先生が「この野郎!」なんて怒って「オマエ、そこで素振りやってろ」と言って体育館の隅で素振りを命じた。
それでランニングをやっている選手もいるので先生が見に行って「素振りしてろ」と言ったその松井を忘れてしまった。
先生は家に帰って風呂に入ってしまって、その湯舟の中で「いけね!俺、松井に素振りしてろって言った」と思い出して、もう一回学校を見に行った。
そうしたら体育館の隅で4〜5時間、松井は素振りをしていた。
これは松井は一人で素振りしても楽しかった人。
「松井、やめていいぞ」と言ったら「あ、どうも」と言いながら汗を拭いて真っすぐおうちに帰ったという。
この一途さなのだろう。
だから「幸せのカウント」、これを自分で持っている
面白そうと感じるなら、或いは思えるなら一人でも嬉々としてやり続ける、自分のものさしに合う幸せ度を絶えず持っていないとダメだ、という。
この自分のものさしに合う幸せ度を特に中年から高齢の段階で持っている人は免疫系のバランスが良くなる。
「いやいややらされている」ということは免疫系の衰えとしてまずい。
子どもは一日平均300回笑いますが、大人は17回、70歳以上になると2回しか笑わなくなるそうです。(63〜64頁)
これは皆さん、ちょっと考えましょう。
やはり2回ではダメ。
とにかく70歳以上、ご同輩の方々はプラスあと10回、とりあえず何か笑いましょう。
何でもいい。
「トランプがゴルフやってる」とか、それで笑いましょう。
「プーチンがお風呂に入った」とかそれだけでもいいから、とにかく笑いましょう。
そこらあたりから、その人の持っている運の流れがガラッと変わってくるそうで70代以上の方、プラス10回、成人の方はあと20回、子供達はもう自在に任せましょう。
この笑いの少なさ、そのものが免疫系の能力を落とすという。
このあたりを考えると「運のいい・悪い」というのは自分の幸せのものさしの大事さ、そのことをぜひ皆さん確認しながら向かってまいりましょう。