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2025年03月08日

2025年2月3〜14日◆希望の歴史・上巻(後編)

これの続きです。

先週はとても大きな問題を提出して。
かつてニホンザル、ゴリラ、チンパンジー、様々なサルが。
あれと同じで人間もホモ・エレクトス、ホモ・フローレシエンス、ホモ・デニソワンなどいろんな種類別があった。
それが現生人類、今の私達のみが生き残って、他はみんな死に絶えた。
では何で我々は生き残ったのか?
弱肉強食説というのがあって「喰っちゃったんじゃないか?」と。
もういっぱい説があったのだが、どれもぴったりこない。
そこでこんな実験をやった人がいるそうだ。

 ここで話は一九五八年の春にさかのぼる。モスクワ大学で生物学を学ぶリュドミラ・トルートは、ドミトリー・ベリャーエフ教授の部屋のドアをノックした。動物学と遺伝学を専門とするベリャーエフは、野心的な研究を計画しており、そのための助手を探していた。(89頁)

彼らが解こうとしていたのは、どうすれば、どう猛な捕食動物をフレンドリーなペットに変えられるか、というシンプルな謎だった。−中略−家畜にはいくつか注目すべき類似点があることを指摘していた。まず、それらは野生の先祖より体が小さい、また、脳と歯も野生の祖先より小さく、多くの場合、耳は垂れ、尾はくるりと巻き上がり、−中略−生涯にわたって幼く、可愛らしく見えることだ。
 これは長年ベリャーエフを悩ませてきた謎だった。なぜ家畜化された動物は、そのように見えるのだろう。
(90頁)

 そしてベリャーエフは、−中略−人間を怖がらない個体だけを交配させて、野生の動物を、飼いならされたペットのように変えるのだ。最初に試す動物として、ギンギツネを選んだ。(90頁)

選択交配の四世代目で、キツネはしっぽを振り始めた。(91頁)

耳は垂れ、しっぽは丸くカールし(92頁)

人間を見ると寄ってくるキツネ。

「ひと懐っこいキツネほど、ストレス・ホルモンの分泌が少なく、セロトニン(幸せホルモン)とオキシトシン(愛情ホルモン)の分泌が多いのです」(93頁)

この家畜化できたキツネというのはどういう風貌かというと愛嬌があり人懐っこい。

発生生物学の用語を使えば、幼形成熟ネオテニー(おとなになっても幼体の特徴を保つこと)した。簡単に言えば、子どものようになったのである。(94頁)

これはいわゆる今、女性が好む、水谷譲なんかが求めている「小顔の子」。
全体的に丸っこくて歯が小さいという。
脳は小さく、頭蓋骨は小さくて、いわゆる小顔で、耳は垂れ、尾も丸く、共通項があるのだが家畜化された生き物は目に愛嬌があって、目がパッチリしているという。
沖縄の安室ちゃん。
安室ちゃんがいわゆる進化系。
「家畜化」と言う言葉を悪い意味にとらないでください。
これは人懐っこくて雰囲気全体に子供の特徴を持っている。
それがいわゆる家畜化には必要で

ドミトリー・ベリャーエフは、人間は飼いならされた類人猿だと言っているのだ。−中略−人間の進化は、「フレンドリーな人ほど生き残りやすい」というルールの上に成り立っていた、というのが彼の主張だ。(93頁)

今の女性アイドルの方はそういう感じが多いと思う水谷譲。
みんな人懐っこい。
それで様々な人間の種類がいる時に、現生人類はこの「人懐っこそうな顔」というのが生き残りの原因になったのではないか?
これがまさしく希望の人類史。
つまり「愛される」ということが生き残りの戦略に成り得るという。
我々は「少年の顔をした大人」に弱いし、今もそうだが「少女の顔をした成熟した女性」に弱い。
武田先生も成人週刊誌に連載を持っているから言うが、若いお嬢さん方の魅力的な水着とか半裸のカラーグラビア。

週刊大衆 2025年3月17日号[雑誌]



あれは「一体何かな?」と思ったらそれ。
幼形成熟。
肉体そのものは40、50の女性を思わせつつ、顔は少女の風貌というのに男性は弱い。
ここで一人の男、つまり幼形成熟のネオテニーの見本のような男が頭の中に思い浮かぶ。
アメリカの野球界で最もギャラの高い人(大谷翔平)。
あれは大人ではない。
(顔は)少年。
あの彼が、あのゴツいメジャーリーグの世界で、敵地からも好かれるような人気選手になったのは幼形成熟、東洋系の少年が持つ純真さが30(歳)の彼の顔にあるから。
そう思うと彼のそのいわゆる天文学的な800億円とかいうギャランティもわからないでもないし、メジャーリーグの選手を見るとゴツい。
恐ろしい。
はっきりいって大谷選手は怖くない。
しかも選んだ奥様がいい。
あれはもうバスケット少女。
あの二人は誰も何も言えないと思う水谷譲。
大谷の周りには金髪のいい女とかもいただろうに、そっちに行かなくて彼女を射止めたというのはまるで少年と少女のような。
しかも耳の垂れた犬を飼っているという。
これがまた「よく言うことを聞くんだ」という。
そうやって考えると幼形成熟説はまんざらでもない。
「我々は人懐っこい風貌をしているから生き残ったのではないだろうか?」という。
私達は集団で暮らす命、そういう命をデザインされている生き物。
そのためには自分の集団を愛するホルモン、オキシトシンとセロトニン、「愛情と幸せのホルモン」を体内の中にたくさん蓄えている。
他にいろんな人類もいただろうが、私達、現生人類が最もたくさんオキシトシンとセロトニンを与えられた種だったのではないだろうか。
最大の欠点は何か?
これはこの本の著者が言っている実に鋭いところだが。
このオキシトシンとセロトニンが多ければ多いほど愛情と幸せをきちんと知っているという、そいういうホルモンが多ければ多いほど他の集団に対して残酷になる。
やはり自分とこの集団がかわいらしいから。
しかしルトガーというこの著者は、希望を説く。

『暴力の人類史』である。(110頁)

暴力の人類史 上



二一か所の遺跡で見つかった骨の中で、暴力による死の兆候を示すものの比率は? 一五パーセント。今も狩猟採取の生活を続ける八つの部族における暴力による死の比率は? 一四パーセント。二つの大戦を含む二〇世紀全体での暴力による死の比率は? 三パーセント。現在のその比率は?
 一パーセント。
(111頁)

確実に減っている。
希望はある。

番組冒頭からこんなことを言うのも何だが、もし通学途中でこの番組を聞いている若い人がいたら、短い時間だから今日は最後まで聞いていってね。
そんな話をしたいと思う。
この本の著者ルトガーさん、オランダ人の方。
人間について徹底して調べている。
この人は戦場に行って兵士にインタビューしている。

 一九四三年一一月二二日の夜半、太平洋のギルバート諸島のブタリタリ環礁−中略−では、−中略−米軍と日本軍との戦闘が始まった。米軍の攻撃は計画通りに進んでいたが、奇妙なことが起きた。
 大佐で歴史家のサミュエル・マーシャルは、陸軍公認の戦史家として従軍していた。
(112頁)

日が落ちると日本軍が奇襲攻撃を仕掛けてきた。−中略−日本軍は人数こそ少なかったが、米軍の戦列を崩すことにほぼ成功した。
 翌日、マーシャルは、何が悪かったのかと考えた。
(112頁)

兵士全員を集めて、グループに分け、自由に話すことを求めたのである。−中略−こうしてマーシャルが知ったのは、驚くべき事実だった。
 昨晩、ほとんどの兵士は一度も発砲していなかったのだ。
(112〜113頁)

アメリカ軍で上官から「撃て!」と命令されて真っ暗闇の中でそういう命令が下ったのだが、突っ込んでくる日本兵に向かって銃を撃った人がいなかった。
これ。

 マーシャル大佐は、最初は太平洋戦線で、次にヨーロッパの戦場で、兵士たちとのグループ・インタビューを重ねるにつれて、戦場で銃を撃ったことのある兵士は全体の一五〜二五パーセントしかいないことを知った。−中略−「彼らが撃ったのは、わたしや他の上官が見ている時だけだった」(113頁)

理由は一つ。

普段は意識していないが、人を殺すことに抵抗があり、自分の意志で人を殺そうとはしない」(114頁)

これは今もウクライナの戦線あたりではある話ではないか。
このマーシャルさんの説はアメリカ国防省が躍起になって否定したそうだ。
「そんなことがあるか!」
ところがマーシャルさんが言いだすと他の大佐や中佐も加わって「俺んとこもそうなんだよ」と言い始めた。
戦場に於ける銃撃戦は凄い。
何であの撃ち合うイメージなのか?
これをルトガーさんは「ハリウッド映画の影響だ」という。
確かに今、思い浮かぶ光景というのは映画の光景だから、リアルな戦場は見ていないからわからないと思う水谷譲。
ニュースでも「ウクライナ戦争を撮影しろ」と言ったら大砲を撃っているところを撮りに行く。
ところが意外と静かで撃ち合わないという。
戦場に於ける銃撃戦のイメージは半分ぐらいハリウッド映画によって作られたイメージではないだろうか?
この後、若い人、聞いて。
学校に行ったら友達に話して。

ハリウッド映画によって作り上げられた暴力のイメージと現実の暴力は、ポルノと現実のセックスが違うのと同じくらい違う。(119頁)

これはごめんなさい。
ハッとした。
アダルトビデオとか見ると信じてしまう。
十代の時「はっはぁ〜!こうなってんのか」とか思った。
それをお手本にする方も多いんじゃないかと思う水谷譲。
それはそんなふうに思う。
このルトガーさんがはっきりおっしゃっているのは「戦場に於ける銃撃戦とポルノ映画のセックスシーンは現実には殆ど無い」。
それは長い人生を振り返って、あれは無い。
それをやはり十代の時は信じた。
「はっはぁ〜!」「あそことあそこを責めるのか」という。
こういうことで「人類の本能、殺人の本能とか、性の本能とかというのもメディアの誇張が入ってますよ」という。
ルトガーはそのことをメディアリテラシーというのか、メディアを読む力で持っておかないとダメで、若い諸君に言いたいのは「アダルトビデオなんかで見かけるシーンは君の人生に殆ど起きません。そのことを覚えておこう」。
人類というのは本当に面白いもので「強さ」「賢さ」「狡さ」とかいっぱい人類の特徴が。
「それゆえに生き残った」と言うが、人類史の中でルトガーが確認したのは「人類が生き残ったのは人懐っこいから」。
「人懐っこい」というはどういうことか?
これは若者、聞いてくれよ。
これはルトガーが叫んでいることだが、それは「協力します」と顔に書いてある人が「人懐っこい」。
「何に関しても協力しますよ」という顔をした子。
今、我々に要求されていることはこういうことで、この間も深夜の討論会で「トランプ外交に石破で大丈夫か」というのを激論するのでおっしゃっていたが、武田先生は石破さんの中に愛嬌を感じる。
あの人の微笑みは何だか石仏みたいな笑顔でいい。
「石仏」というのも何だが。
頑張って欲しい。
人の容貌はけなすより褒めてあげよう。

人間の中にあるもので希望を見つけようという。

仮に文明が始まってから今日までの年月を一日に置き換えてみれば、二三時四五分まで、人々は実に惨めな暮らしを送っていた。(150頁)

(番組では11時55分と言っているが、どこから出てきた数字なのかは不明)
その中で人類はとてつもない残酷なこともやったワケで、アウシュビッツ、ホロコースト、そして専制者による悲劇が続いていて。
だから人間というのは天使ではない。
「天使ではないから悪魔なんだ」という方もおられる。

こんな実験。
科学はいくつもの悪の証拠を実験で提出している。

 一九七一年八月−中略−その日の午後、若い犯罪者たち(本当は無実の学生たち)は、スタンフォード大学の四二〇号棟の石の階段を降りて、心理学部の地下室へ向かった。「スタンフォード郡監獄」という表示が彼らを迎える。階段の下で彼らを待っていたのは、九人の学生からなる別の集団で、全員が看守の制服を着て、−中略−ほんの数日で、スタンフォード監獄実験は制御不能に陥るのだ。(183頁)

これは「人間の心の中に悪魔があるからだ」という結論。

 スタンフォード監獄実験よりさらに有名な心理学実験があり、−中略−スタンレー・ミルグラムだ。−中略−一般人五〇〇人を募集する、と書かれていた。−中略−被験者は二人一組になり、くじを引いて、一人は「先生」役、もう一人は「生徒」役になる。先生は大きな装置の前に座るよう指示され、それは電気ショック発生器だと教わる。−中略−生徒は隣の部屋で椅子に縛られており、声だけが先生に聞こえるようになっている。こうして記憶テストが始まるが、生徒が答えを間違えると、先生は研究スタッフの指示通りにスイッチを押して、生徒に電気ショックを与えなければならない。(204〜205頁)

 電気ショックは一五ボルトという弱い電圧から始まる。(205頁)

その裁量は先生に全て委ねられていて、450ボルトまでの威力があるそうで、450というのは命の危険があるから相当不味い。

被験者の六五パーセントが電圧を上げ、ついには最大となる四五〇ボルトの電気ショックを生徒に与えたのだ。−中略−見知らぬ人を感電死させてもかまわないと思ったのである。(205〜206頁)

 ミルグラムは−中略−最初からこの研究を、ホロコーストの究極の説明として発表した。−中略−人間は命令に無批判に従う動物だ、と彼は言う。(206頁)

「ミルグラムの実験」というので、これは人間の残酷さを示す実験として非常に有名で。
これが面白い。
2017年のことだが、著者ルトガーはこの実験が信じられなかった。
ルトガーはしつこい。
実験に参加した500人を探し求めて詳しく実験の中身を聞いたそうだ。
この人は人間のいわゆる希望に対して執念の人。
このミルグラムの電気ショック心理実験は今でも取り上げられて、人間の心理の奥底に潜む残酷さの証明実験に使われるのだが、何と驚くなかれミルグラムはこの実験を始める前に台本があったそうだ。
そして電気は入っていなかった。
先生役で死を意味する450ボルト以上上げた人も500人の中にいた。
(最大が450ボルトなので、それ以上上げることはできないと思われる)
ところがこれは横にいたミルグラムが「上げれば。上げれば」と指示したという。
電流が本当は入っていないということを直感した人もいたし、直感できなかった人もいるのだが、直感できなかった人は「ミルグラムさんからそう言われたから上げた」。
やらせみたいなことだと思う水谷譲。
そしてプラス450まで上げた人はギャラを貰ってすぐに帰れた。
それだったら武田先生だってすぐ450にする。
ギャラが何ドルか(一時間につき4ドル)貰えるワケで。
この450を一発で上げてさっさと帰る人もいたというので、人間の残酷さとは全く関係のない実験がミルグラムの電圧実験。
スタンフォード実験も追試者を集めると、こういう結果にしたいという旨が博士から伝えられていた。
こういうのを考えると人間の残酷さというのを、すぐにナチスを持ち出して例えて考えるのはあまりよくないぜ、と。

そしてこのルトガーはさらにナチのアイヒマンの裁判記録を丁寧に調べる。

元ナチス親衛隊中佐(218頁)

大量虐殺。
アイヒマンとかいう人は600万人ぐらい殺しているワケで

アドルフ・ヒトラーか上官の誰かからの明確な指示がなければ、私は何もしなかった」と、アイヒマンは法廷で証言した。−中略−同じ嘘を、後に無数のナチス党員が繰り返すことになる。「わたしはただ命令に従っただけだ」と。(219頁)

公式の命令はめったに出されなかったので、ヒトラーの信奉者たちは自らの創造性に頼らざるを得なかった。彼らはただ指導者に従うのではなく、総統の精神に沿う行動をして「ヒトラーに近づこうと努めた」(220頁)

ミルグラムの被験者と同じく、自分は善を行っていると確信していたので、悪を行ったのだ。(219頁)

この人(著者のルトガー)は徹底して個別の問題を扱っている。
事実というものを見つめ直すと違うものがどんどん浮き出てくるぞ、という。
その事件の一つ一つを書いてあるものだから、ページ数がもの凄く必要。

一九六四年三月一三日、午前三時一五分。キャサリン・スーザン・ジェノヴィーズは−中略−オースティン・ストリートの、地下鉄の駅にほど近いパーキングに車を停めた。−中略−
 誰もがキティと呼ぶ彼女は、
−中略−二八歳、−中略−アパートへ急いで戻るところだった。(230頁)

 三時一九分、夜の街に叫び声が響いた。−中略−
 暴漢はいったん姿を消したが、また戻ってきた。男は再びキティを刺した。
−中略−
 誰も出てこない。
−中略−近隣の数十人は、−中略−窓から眺めるだけだ。−中略−
 男が再度、戻ってきた。キティは自分のアパートの建物のすぐ内側にある階段の下に横たわっていた。
−中略−
 男はキティを何度も刺した。
 三時五〇分、警察署に最初の通報があった。
−中略−二分以内に警官が到着したが、もはや手遅れだった。(230〜2301頁)

三月二七日、−中略−ニューヨーク・タイムズ紙の一面には「殺人を目撃した三七人は警察を呼ばなかった」の見出しが掲げられた。記事はこう始まる。「クイーンズ地区キューガーデンの遵法精神に富む立派な市民三八人は、三〇分以上にわたって、殺人犯が女性を三度襲うのを見ていた」。そして記事は、キティは今も生きていたかも知れない、と語る。刑事の一人が言うように、「通報の電話がありさえすれば」。(231頁)

国内のメディアはニューヨーク・タイムズをきっかけとして目撃者38人を罵倒する。

牧師は、アメリカ社会は「イエスを十字架にかけた人々と同じくらい病んでいる」と語った。(232頁)

日本、イランを含む世界各国で、キティの死は大々的に報じられた。ソ連の新聞、イズベスチヤはこの事件は資本主義の「ジャングルにおけるモラルの欠如」の証拠だと記した。(232頁)

この事件を説明する時に最も応用されたのが、昨日も言ったスタンフォード大学の監獄実験とか電気ショック事件だそうだ。
「ほら、見てごらん。人間の心なんざ、悪なんだよ」という。
この実験がこの事件を挟んで、世界中で有名になったという。
著者は凄いことにこのメディアの報道した悪についてもう一度自分で調べ直している。
この著者は凄い。
社会心理学者の人達と一緒にこの事件をもう一度調べ直すと違う側面が見えてくる。
窓を開いた住人達。
その駐車場が見下ろせた人達の38人は全員その物音と気配、ただならぬ様子を「これは不味いな」と思って。
だから誰かが警察に電話をすればよかったのだが、何と38人の人が同時に「誰かが電話してる」と思ってしまった。
もの凄い悲劇なのだが、これがただ一人の人が聞いていたら直ぐに警察に電話している。
しかし38人が窓を開けて見下ろしているので、「誰かが電話しているハズだ」と。
それで、38人が誰一人とも電話しなかったという事実を作り出している。

彼女の夫は警察に通報しようとしたが、彼女は夫を引き留めた。「通報の電話はもう三〇本以上、かかっているはずよ」と言って。(235頁)

その奥さんがさめざめと泣いて「ああ・・・しとけばよかった」と言う。
(という話は本の中には無い)

被験者は大学生で、閉めきった部屋に一人で座り、同年代の学生数人とインターコムで学生生活についておしゃべりするよう指示される。−中略−まもなく、誰かがうめき始める。−中略−この叫びを聞いたのは自分だけだと思った被験者は、廊下に駆け出した。−中略−しかし、最初に、近くの部屋に他に五人の学生がいると説明され、その五人も叫び声を聞いていると思い込んだ被験者では、六二パーセントしか行動を起こさなかった。これが傍観者効果だ。(234〜235頁)

それは何かというと「あんな大きな声だもの、誰かが行っている」。
これは人間性とは全く関係がなく、著者ルトガーは「隣人を信じられる」と主張している。
ホッブスの人間闘争進化論、ダーウィンの自然淘汰、ドーキンスの利己的遺伝子、アダム・スミスのホモ・エコノミクス「カネのことを考えることで生き残った」と、人間の性善説を激しく否定する理論とされているけれども、人間は経済を離れて、利己的遺伝子を離れて、弱肉強食を離れて、闘争進化論を離れて性善の「善」を持っている。
「そう信じようではありませんか」とルトガーは説く。
これが上巻。
下巻の方はまた折を見て、来週はまた別のネタで。




2025年2月3〜14日◆希望の歴史・上巻(前編)

大きいタイトルの本。
これはもうそのものズバリ
文藝春秋社、上下巻。
ルトガー・ブレグマンさんという方が書いた「Humankind(希望の歴史 )人類(が善き未来をつくるための18章)」という大きいタイトルの本。

Humankind 希望の歴史 上 人類が善き未来をつくるための18章



副題が「希望の歴史」。
(多分副題ではない)
人間というのをどう見るか?
大上段。
こういう本を見るとうずく武田先生。
でっかいタイトルが好きなので、自分の些末な出来事を一瞬忘れさせてしまう大きいテーマの本。
これはどんなふうに水谷譲に説明しようかなと思ったのだが、とにかく1ページ目から書いてあることをそのまま水谷譲にわたしていく。

 一九四〇年九月七日、三四八機のドイツの爆撃機がイギリス海峡を越えた。(13頁)

ヒトラーは司令官らに攻撃計画を伝えた。「然るべき時に、ドイツ空軍によって容赦ない攻撃をしかければ、英国人の戦意をくじくことができるだろう」と。(13頁)

数百万の市民が恐怖心に圧倒されるだろう。ヒステリックな暴動が起きるから、−中略−とチャーチルは予測した。(12頁)

ぎりぎりのタイミングで、精神病院がいくつか郊外に急造された。(13頁)

続く九か月間、ロンドンだけで八万超の爆弾が落とされた。−中略−数か月にわたって爆撃を受けたら−中略−市民はヒステリックになっただろうか。野蛮人のようにふるまっただろうか。(14頁)

空襲下のロンドン市民はどのようにパニックになったか?というのを記録として残っていないかと探す。
これが不思議なことに死者4万人を出しているのだが、さしたるパニックが起こっていない。
みんな空襲の警報が鳴るとバーっと地下に隠れて逃げて、通り過ぎるのを待つということを繰り返す。
空襲下に於いても空襲警報が鳴るまで普通の商売をやっていた。

空襲で破壊されたデパートが、「営業中。本日から入り口を拡張しました」とユーモアあふれるポスターを掲示したのは有名な話だ。また、あるパブの経営者は、空襲の日々にこんな広告を出した。「窓はなくなりましたが、当店のスピリッツ(アルコール、精神の意味もある)は一流です。中に入ってお試しください」(15頁)

「ドイツ人が爆弾を落とすならその下でみんな飲もうや」という。
こういう類例がたくさんあがってきた。

精神への影響はどうだったのだろう。専門家が予測したように、数百万人が心に傷を負っただろうか。不思議なことに、そのような人はどこにもいなかった。確かに悲しみと憤りはあった。−中略−この時期、英国人のメンタルヘルスはむしろ向上した。アルコール依存症は減り、自殺者数は平時より少なかった。(15頁)

「空襲の時期、隣人たちはすばらしく協力的だった」(19頁)

「英国の社会は大空襲によっていろいろな意味で強くなった」と、英国の歴史学者は後に書いている。「その結果を知って、ヒトラーはがっかりした」(16頁)

イギリス空軍も慣れてきて迎撃されるようになってしまう。
こういうことを前提にすると「人間の見方そのものが、今まで少し間違ってるんじゃないか?」という。
空襲は効果がないということをヒトラーに人々は学ぶべきだ
空から攻撃すれば人民は怯え続けると思っているという。
これは伝え方が悪いんじゃないか?とルトガーはこんなことを言う。
実はこの伝わっていないものの中に人類の希望があるのではないか?
だから不幸というのをもっと正確に読み込んでみようや、という。
ここから皆さん、早春なので希望のある話が続く。
是非春先の希望、これを当番組(「今朝の三枚おろし」)で見つけていただければと思う。

これはどの番組でもそうだが、武田先生も時々間違えて呼ばれて。
時事問題を扱うワイドショーの番組に呼ばれたりするのだが「103万円の壁」とかという話題になると何も発言できない。
ああいう話になると東野幸治君とか強い。
それからEXITの髪の毛を染めた人(恐らく兼近大樹)。
とにかくあんな若いのにやたら強い。
ごめんなさい。
本当、(武田先生が坂本金八役で出演した「3年B組金八先生」で山田麗子役だった)「三原じゅん子議員」しか知らない。
センスが無い。
ごめんなさい。

自分を反省している時に見つけたのがこの「希望の歴史」だった。
このルトガーというのはオランダの人なのだが、この人が声を大にしておっしゃっているのが

 人間は本質的に利己的で攻撃的で、すぐパニックを起こす、という根強い神話がある。(24頁)

そのことを一番叫んでいるのは何か?
メディアである。

わたしが「ニュース」と呼ぶのは、偶発的でセンセーショナルな事件を報じる、最も一般的なジャーナリズムだ。欧米の成人の一〇人に八人は、毎日ニュースを見たり読んだりする。ニュースを知るために平均で一日に一時間を費やしている。(37頁)

しかし、それが本当かどうか検証した人は一人もいない。
ルトガーという人はここに疑問を持った。

 二〇〇五年八月二九日、ハリケーン・カトリーナがニューオーリンズを襲った。市を守るはずだった堤防と防潮壁が壊れた。家屋の八〇パーセントが浸水し、少なくとも一八三六人が亡くなった。カトリーナは米国史上最も破壊的な自然災害の一つになった。
 それからの一週間、新聞の紙面は、ニューオーリンズで起きたレイプや発砲事件のニュースで埋まった。うろつくギャング、略奪行為、
−中略−最大の避難所になったスーパードームには、−中略−二人の幼児がのどを切られ、七歳の子どもがレイプされて殺された、と新聞が報じた。
 警察署長は、市は無政府状態に陥っていると語り、ルイジアナ州知事も同じことを恐れた。
(24頁)

ガーディアン紙に寄せたコラムにおいて、多くの人の考えを代弁した。−中略−人間は数時間内にホッブズが唱える自然状態に戻ってしまう。すなわち、万人の万人に対する闘争という状態だ……。−中略−大半の人はサルに戻る」−中略−ニューオーリンズは、「人間の本性も含む、自然という沸き返るマグマを覆っている薄い地殻に、小さな穴をあけた」(25頁)

 およそ一か月後、ジャーナリストが去り、−中略−研究者たちはようやく、ニューオーリンズで本当は何が起きたかを知った。
 銃声のように聞こえたのは、ガソリンタンクの安全弁がはずれる音だった。スーパードームで亡くなったのは六人。うち四人は自然死で、一人は薬物の過剰摂取、もう一人は自殺だった。警察署長は、レイプや殺人に関する公式の報告は一件もなかったことをしぶしぶ認めた。実をいうと、略奪は起きたが、ほとんどは、生き延びるためにチームを組んで行ったもので、一部は警察が協力していた。
(25頁)

(亡くなった人数等は番組の内容とは異なる)
それを「集団略奪が起こった」と新聞が書いてしまった。
ニューオリンズの洪水の犯罪報道の大半が社会の為の非常時行動であって、その結論を数年後メディアに報告した。
この科学者達、研究者達が「あの記事間違ってます」「この記事間違ってます」というのをことがちゃんとわかって数年後。
調べるまで数年かかったらしい。
それこそフェイクだった。
それを訂正すべきだったのだが、もう2年近く経っているので「もう今更訂正しても」みたいな。
そういうことだったらしい。
(このあたりの話は本には無い)
これをこの本の著者は「こんなことでいいのだろうか?」と。
そしてもう一つ、私達が肝に銘じなければならないのがメディアがニュースになると思って飛びつくのは悪の報道であって、この事実にルトガーは「気づけ」というワケで。
こんなことを言っているのはこの番組だけ。

この本は武田先生にとってショックだった。
文藝春秋社刊だが「Humankind 希望の歴史」という上下巻。
オランダのジャーナリスト・歴史家のルトガーさんという方が書いた本。
今、希望の無い時代に生きていて、経済学者の方はもう「日本もどんどんどんどん経済的に落ちていって、もう先進国から零れ落ちる」という。
年明け早々からトランプ旋風を警戒してみんな身構えている。
ニュースを見ていても悪いニュースとか嫌なニュースが続いた後に「お爺ちゃん・お婆ちゃん達が集まって餅つき大会が開かれました」みたいなの(が始まると)一回「ま、いっか」と思って席を立って、そのニュースは見ず、また戻ってきてスポーツニュースが始まる水谷譲。
トップニュースはだいたい殺人系列。
「爺さん婆さん殺された」とか「爺さん婆さんが殺した」とかそういうニュース。
「若いヤツが詐欺やってるぞ」とか「まあいよいよ不況が始まったぞ」とか「隣の国のCという国が日本の領土近くに船を出して」とか「隣国のあの国は大揉めに揉めてるぞ」というような。
これは何か?
何でこんなに水谷譲の周りには暗いニュースが多いのか?
それは「暗いニュースを敢えて強く流しているから」というのと、「私達が実は暗いニュースを欲している」と思う水谷譲。
実は水谷譲が陰惨なニュースを毎日、朝起きてすぐ探しておられる。
これは水谷譲のせいではない。
水谷譲の体の奥底にある遠い遠い縄文の頃からの知恵で。
遺伝子の中に入っていて、今日起きる悪いことをざっと想定して一日を始める。

心理学者が「ネガティビティ・バイアス」と呼ぶものだ。わたしたちは良いことよりも悪いことのほうに敏感だ。狩猟採集の時代に戻れば、クモやヘビを一〇〇回怖がったほうが、一回しか怖がらないより身のためになった。人は怖がりすぎても死なないが、恐れ知らずだと死ぬ可能性が高くなる。(37頁)

 二つ目の理由は、アベイラビリティ・バイアス、つまり手に入りやすい(アベイラブル)情報だけをもとに意思決定する傾向である。何らかの情報を思い出しやすいと、それはよく起きることだと、わたしたちは思い込む。(37頁)

ニュースラインを読んでみてください。
あれは悪いことからずっと流れてくる。
悪いニュースから流していく。
だから悪いニュースがたくさんの人に読まれやすい。
悪いニュースは画面に溢れているのではなくて、溢れるように画面が構成している。
ニュースはタダが一番で。
だから噂を聞くとバーっと広がる。
フェイクはそう。
「動物園からライオンが逃げ出したらしいぜ」というのが載っていると信頼性が無くてもすぐ信用していまう。
これは典型的。
縄文時代と同じ。
「あそこの道は毒蛇が多いよ」というようなもの。
「〇〇動物園から地震の際にライオンが逃げ出した」なんていうのは、誰でもすぐに「逃げ出したらしいよ」と人に伝える。
たちまちフェイクが広がってしまう。
つまり私達は悪いニュースを探しながら生きている。
だから「そのことを前提に生きていかなやダメですよ」という。
これは考えさせられる。

もう一つ人間の面白い本能。
今、時代の中で顕著に出ている。
悪い物語が好き。
NetflixとかDisney+とか相撲界の裏側、「地面師(たち)」。
つまり人間は悪い物語が好き。
こういう話をルトガーは挙げている。

一九五一年に英国のウイリアム・ゴールディングが書いた小説だ。−中略−「無人島で暮らす少年たちの話を書いて、彼らがどんな行動をとるのかを描くというのは、良い考えだと思わないかい?」
 その著書、『蝿の王』
(47頁)

これはイギリスに於いて大ヒットする。
少年達が深作(欣二)さんがやろうとした「バトル・ロワイアル」。

バトル・ロワイアル



少年少女達の殺し合い。
これが大ヒットした。
少年達が相争って命をかけて戦うというのが、イギリスは伝統的に大好き。

三〇を超す言語に翻訳され(47頁)

やがてゴールディングはノーベル文学賞を受賞した。(48頁)

では「蝿の王」というこの大ヒットの物語はどんな物語か?
今、映画化するとこれは受ける。
漂流した少年達の対立と殺し合い、生存の殺し合いを描いた物語で大ベストセラーになる。
これは何でこういう本が売れたかというと1951年、第二次大戦が終わって、ナチスのアウシュビッツ等々の悪が暴露されると「人間てのはこんな悪魔みたいなことができるのか」ということで、人間が実は心の奥底にもの凄くドロドロした汚い悪を隠している生き物であるという。
それが少年もケダモノになるという。
今も人気の「ハリー・ポッター」。
博多弁で「ハリー・ボッター」。
博多弁とか関係ないと思う水谷譲。

ハリー・ポッターと賢者の石 (吹替版)



これはでも、凄い言葉。
ハリー・ポッターが言った名言だが「呪われた子」。
パート1でハリー・ポッターは「呪われた子である」という。
それがいじめの現場でしょっちゅう使われるようになったという。
ハリー・ポッターの影響らしい。
私達はこういう暗い悪の物語を好む傾向にあるという。
このルトガーという人を「信じてみようかな」と思ったのは、この「蝿の王」という、少年が「バトル・ロワイアル」、漂流少年が「命を賭けて生存の為に殺し合う」という。

無人島に子どもたちしかいない時に、彼らがどう行動するかを、実際に調べた人はいないのだろうか?(49頁)

 こうして、わたしの現実の『蝿の王』探しが始まった。(49頁)

この人の執念は凄い。

しばらくウェブ上を探し回った末に、−中略−興味深い話を見つけた。「−中略−六人の少年がトンガから釣り旅行に出かけた。……大きな嵐に遭い、船が難破して、少年たちは無人島にたどりついた。(50頁)

8日間の漂流の末、アタという岩だけの孤島に流れ着いた。
そこで1年3か月、その岩だけの孤島で過ごした6人の少年がいたという。
子供6人だけでそんな何にもないとこで生きられるワケがないと思う水谷譲。
水谷譲は「ハエ」だと思っている。
1年3か月後、この6人全員助かっている。
(この後の説明はところどころ本の内容とは異なる)
何でトンガから出航したかというと子供らしくて「〇〇の海まで行くと魚が釣れる」というので人んちの船を持ち出している。
それが嵐に遭っている。
それで8日間漂流した末にアタなる岩だらけの孤島に流れ着き、彼等は上陸した後、流木で火を作り、6人のうち誰かが何時間毎に起きるということで火を守り続け、島のココナツの殻を集めて浜辺に敷いて雨水を貯める貯水タンクを作り、火も一点だけだと危険なので一個火ができると点々と島のあちこちに火をくべて火を保存。
船と一緒だったものだから、それにあった野菜、そういうものをわずかな土に植えて、畑を作り、罠で捕らえた鳥を飼い卵を手にし、魚を釣り浜の生け簀で保存。

変わったダンベルのあるジムと、バドミントンのコートと、鶏舎があり(59頁)

子供にそんなドラマや映画みたいなことはできないと思う水谷譲。

流木と半分に割ったココナッツの殻−中略−を使って、ギターを作り、それを弾いて仲間を励ました。(59頁)

そして1年3か月後、商船に発見されトンガに戻り、トンガに戻った後、6人全員少年感化院に入れられている。
「人んちの船、勝手に持ち出した」というので。
かわいそう。
それで窃盗で取り調べと刑期を終えて出てくるのだが、トンガの町で評判になる。
(本によると救出した船長の機転ですぐに監獄から出ている)
何が評判になったかというと「よく6人で生きてたね。ウソ!」というおばさん達とか。
いつの間にか彼等は町の人気者になったという。
これはルトガーは言っている。

 アタ島の六人の男の子の心温まる物語は、例外的なものだろうか。それとも深遠な真実を語っているのだろうか。他に例のない逸話だろうか。(69頁)

しかし小説「蝿の王」では他者、友達のことは考えない「汚物にたかるハエ」になる。
だが、事実としてあるのは誰も命令していないのに蜜を集め、見事な巣を作った。
人間はハエであるかハチであるか?
これは人間について今も続く論争であって結論は出ていない。
しかし、「ハチになった少年」という事実は消えない。
このへん、ルトガーの面白さ。
子供達の漂流の話は、にわかに信じがたい思う水谷譲。
水谷譲が信じられない話がある。

最近、ちょっと武田先生はスカタンこく。
「スカタンこく」というのは「乗りそこなう」とか「失敗する」とか「すべる」。
博多弁で言うと「スカタンこいた」。
何か「ズレちゃった」という。
この間、何かの番組に出た時(の話)。
子供は変な遊びをやる。
「赤粘土の玉づくり」という、そういう遊びがあった。
平成、令和の人にはわからない。
武田先生は昭和の貧しい子。
何か遊びたくてしようがないので「赤玉作り」というのがあった。
これは何かというと赤土を持ってきてガラスの板にこすりつけて丸くする。
それをパチンコの玉よりも硬くして、綺麗なキンキラキンの金属みたいな光を持つ赤粘土の玉を作る。
それをみんな小学校の生徒達が机の下の手でずっと授業中も回している。
何であんなことをやっていたのか?
それで赤土はどこにでも無くて一か所だけ小学校に赤土がある場所がある。
それが校庭の隅にある相撲の土俵。
そこから指でバッと赤土を盗んできて丸める。
ところがその小学校の男子生徒が全員赤玉作りをやるものだから、ボコッと削げた。
そこで校長先生が「赤玉作りはやめなさい!」という朝礼をやっても、それでもまだやっていたという。
いい話だと思う水谷譲。
それがスタジオで全く受けなかった。
麒麟の川島(明)さんといういい声の人から静かな声で「もう終わりました?」と言われて、「ああ、スカタンこいた」と思った武田先生。
結構あること。
こうやって時代とだんだんチグハグになってゆくという。

人間がハエであるかハチであるかという論争は続いている。

 これは、何百年にもわたって哲学者が取り組んできた問いだ。英国の哲学者トマス・ホッブズ(69頁)

自然状態における人間の生活は、「−中略−おぞましく、野蛮で−中略−
 その結果は? ホッブズによれば「万人の万人に対する闘争」
−中略−混乱を抑制し、平和な社会を築くことは可能だ。−中略−体と心を、ただ一人の君主に委ねるのである。ホッブズはこの独裁者を、聖書に登場する海の怪獣にちなんで「リバイアサン」と名づけた。(71頁)

これがトマス・ホッブズの考え方。
ところがすぐに同じ17世紀にフランスではジャン=ジャック・ルソーが生まれた。

 官僚や王が生まれる前、すべてはもっと良い状態だったとルソーは主張する。「自然状態」でいたころ、人間は思いやりのある生き物だった。(73頁)

「アダムが畑を耕し、イブが機を織っていた時、誰が貴族であったか?」
(という言葉は本の中には無い)
このトマス・ホッブズとジャン=ジャック・ルソーの戦いは今もまだ続いている。
これは科学でもそう。
ダーウィンの「弱肉強食」。
「弱いヤツを喰って生き残ったヤツが今なんだ」という。

英国の生物学者リチャード・ドーキンスは、遺伝子が進化に果たす役割を述べた自らの最高傑作『利己的な遺伝子』を出版した。それを読むと、わたしは気が滅入ってくる。−中略−「わたしたちは利己的に生まれついているのだから(79頁)

このダーウィンの「弱肉強食」、ドーキンスの「利己的遺伝子」の中から学説として現生人類、今の人類の始まりはネアンデルタール人を喰ったんじゃ無ぇかという。

ドイツ、ケルンの北にある石炭岩の採石場で、二人の鉱夫が生涯忘れられない発見をした。それはかつてこの地上を歩いた動物の中でも最も激しい議論を呼び起こすことになる動物の骨だった。−中略−
 その週、地元の新聞は、ネアンデル谷での驚くべき「フラットヘッド(平たい頭)族」の発見について報じた。
−中略−
 その骨は現生人類のものではなく、異なる人類のものだ、と。
(84〜85頁)

 現在、多くのヒト族が発見されている。ホモ・エレクトス、ホモ・フローレシエンス、ホモ・デニソワン(86頁)

私達だけが生き残っている。
「何で生き残ったんだよ?」というのが現代科学の謎。
一つは「強かったから」「賢かったから」「宗教を持っていた」「国を作ることができた」「協力する集団であった」。
集団で他の集団を殺すような集団であったから現生人類が生き残った。
もしかしたら旧人類を食料として喰ったのかも知れない。

イスラエル人の歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは推測する。「サピエンスがネアンデルタール人に出会った後に起きたことは、史上初の、最も凄まじい民族浄化作戦だった可能性が高い」(88頁)

(本によると食人に関する話はハラリではなくレイモンド・ダート)
ところがこれは最近崩れた。
ネアンデルタール人を現生人類が喰ったというのだが、ネアンデルタール人の骨がきちんと出てくる。
皆さんもケンタッキーフライドチキンを喰った後、鶏の形に綺麗に骨を埋めたりしない。
喰うと骨はバラバラ。
ところがネアンデルタール人の骨は綺麗に骨が繋がって出てくるので、「喰った」というのは無いのではなかろうかという。
「ではなぜ俺達は人間になれたんだ?」というのは、興味深い。
こんなことを言っていたら現代の番組から浮く。
スカタンこく。
ではスカタンこき続けの武田先生が、このルトガーさんの説に従って人類の希望を見つけていこうと思う。