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2025年03月19日

2025年2月17〜28日◆治したくない(後編)

これの続きです。

襟裳岬の根本の町、浦河の町・東町に診療所ができる。
精神医療の為の診療所。
ここに川村先生という名物先生がいて、この先生が往診はやるのだが入院は無い。
「自宅で治しなさい。それが一番いいことなんだよ」という。
分別し隔離するという精神医療、「そんな時代は終わったんだ」ということ。
その代わり訪問診療をしてくれる。
しかも北海道は広いから先生の往診は

一日の走行距離が百キロを超えることもあり(131頁)

北海道は老々介護の農家が多いそうで、川村先生の診察は先生が来てくれるのでもう有難くてたまらない。

 訪問先の一軒は兼業農家だった。−中略−車から降りてまず裏のビニールハウスに向かっている。−中略−
 この家の八十代の「父さん」は、認知症でもう働けない。けれど「母さん」はしっかり家を切り盛りしている。ビニールハウスを見ればそれがわかる。
(131〜132頁)

 台所から今に来て座った母さんが、そうそうとうなずく。−中略−
 「やっぱり寝れるからでない? 夜」
 「なんで寝れるようになったんだろ」
 「この人が寝れるから」
 父さんが寝てくれるので、母さんも寝られるようになった。
(133頁)

父さんはいつしか畳の上に寝そべっていた。その顔を見ながら、先生が誰にともなくいう。
「我が家にいるって顔してるね。穏やかだもん」
(134頁)

ということで、本日の診療お終い。

 別な日、先生たちは−中略−八木国男さんの家に往診に行った。
 統合失調症の八木さんは、数年前、自宅の敷地内に自分で小屋を建て、そこに立てこもったことがある。母屋にいると幻聴が聞こえるからだ。いっしょに暮らしている兄の車を壊すなどのトラブルを起こすようになり、一時は駐在所の警察官のお世話になった。
(135頁)

 母屋の裏手に八木さんが自分で建てた小屋がある。−中略−その小屋を指さしながら先生がいう。
「これ自分でつくったって、自作でしょ。そこにわたしたちはまず感動したんですよ」
(138頁)

 塚田さんはこの前の年、八木家の空いている畑に先輩看護師の竹越さんとトウモロコシを植えた。(139頁)

それを芽が出たらヤギさんも人の撒いた種なのでちょっと責任感を感じて面倒を見ているうちにすくすく育って、まあそのトウモロコシのその年の出来がいいこと。
(このあたりは本の内容とは異なる)
これが先例になって統合失調症の八木さんも先生がやってくると野菜の出来をまず見せて、症状を見てもらうという。
ある意味、それはモチベーションになっていると思う水谷譲。
だから「今日は大丈夫だ」と言ってもらう為にとにかく頑張って野菜を作るようになったら統合失調症の幻覚・幻聴が静まっていったという。

今度は南の方に回って道南の海辺沿いには漁師さんで統合失調症の方、或いは認知症の方がおられる。

先生は訪問診療についてこういっていた。
「訪問に歩いているのは、安心を配達しに歩いているだけなんですわ。
(137頁)

こういう往診の風景。
この著作はこのように筆の運びで川村先生の診療を記録している。
往診に出かけては患者と話し込む川村先生。
そうすると患者さんの内側にあるものが見えてくるという。

こんな婆さんがいたそうだ。
この方は認知症かもしかすると統合失調症もちょっとあるのかも知れない。
(本によるとクマの話をした人は認知症でも統合失調症でも無いようだ)

「浜にクマが来たの? 昆布拾いに?」
「来た、採りに来たの。それ、おれのだからよこせ、って」
−中略−
 クマが浜に来て昆布を拾っていった。いや人間から取っていった。
 ある日、往診に出かけた先生がソファに寝そべっているばあちゃん相手にバカ話を楽しんでいる。
(141頁)

これはクマを害獣として扱うのではなくて「隣人としてクマを感じる」という婆ちゃん。
その自然に対する感性。
「狂っている」と言うかも知れないが、クマの声が聞こえるというのは、まるで宮沢賢治のような。

もう一人の患者さんを説明する。

じいちゃんは長年漁師として暮らしてきた。八十歳を超え認知症を病んでも(142頁)

 船に乗っているとき、腹のぐあいが悪くなり薬を飲んだ、でもよくならない、そこまではわかる。しかしつづいてこういうのである。(143頁)

 病院に行ったら盲腸だといわれた。ところがそこから話は飛んで、船長が「おまえ、どうした」と尋ねてくる。(143〜144頁)

 「すろうと」の「船の親方」に、盲腸を「しゃあねえ、やってもらうよ」と「切ったぎった」されたのか。(144頁)

 そこでようやく概要が見える。じいちゃんは船の上で腹が痛くなった、船長が盲腸じゃないか、といったけれど、医者でもない「すろうと」のいうことで「切ったぎった」になるのはかなわない。おびえながらも陸に上がり、結局病院で医者に手術してもらった。そういう経過が飛び飛びに、前後を入れ替えながら語られている。(145頁)

先生はじっと話を聞くそうだ。
そして先生は思う。

病の深さっていうのを知ってるんだよね。(151頁)

この言葉がなかなか意味深でいい言葉。

北海道・浦河にある精神医療の先生の話をしている。
精神障害にしろ認知症にしろ、病には深さがある。
と、こんなことをおっしゃる。
脳の部位、いろんな部分があるが、そこが幻覚・幻聴を引き起こす。
或いは認知症の場合だと時間の消失、それから人間関係の図式の記録、そういうものを失う。
それは確かに正常ではない。
「狂気」と呼んでいるワケだが、だからといって正気に戻るのがよいことなのか?
精神障害の場合はそう簡単にその答えが出せない。
川村先生は「狂気の中に人間の心の力学が狂気の中にあるのではないだろうか?」「心理の深いところにある原始の未分化の命を励ますものが心の奥底に実は眠っているのではないか?」という。
「狂気を防ぐ」とか「狂気が表に出てこないように抑え込む」とかそんなことはできないという。

今年の正月・元旦に「ヘビの記憶」というのをやっていた。
子供に9九枚組の写真を(見せる)。
その9枚の写真の中に花とか木とかがあるのだが、ヘビが一匹混じっている。
その「9枚の写真の中のヘビを当てなさい」という。
そうすると幼稚園の子でもヘビを見抜く。
そんなに難しいヤツじゃない。
今度は逆にすると8枚がヘビの絵で1枚だけ花がある。
その中で「花を見つけなさい」と言うと時間がかかる。
9枚の写真のうち1枚だけがヘビということになると、すぐに小さい子供でも見つける。
これはなぜゆえか?という。
番組でちょっとお叱りを受けたけれども、木の上に人間がサル然として生きていた頃、襲われたのがヘビ。
だからヘビに対する警戒心、「すぐにヘビを見つける」という能力は遺伝子であるということ。

白川(静)博士。
武田先生が大好きな漢字の博士が「中国人を動かしている民族のエネルギーは何だろうか?」。
その質問に対して「狂」と言っている。
毛沢東みたいな英雄が、秦の始皇帝みたいな英雄が現れると中華民族というのはその英雄の足元にひれ伏す。
一種「狂」である。
韓国はどうか?
ここは「恨(ハン)」の文化。
恨みを民族のエネルギーにしている。
日本は何だろうか?
何かもっと穏やかなものだと思う水谷譲。
違う。
日本人も凄いのが。
武田先生は「悪」だと思う。
悪のエネルギー。
生きる為に悪を敢えて選ぶということ。
それを日本人は決して否定しない。

川村先生の言葉に戻る。

「自分のなかから思わず行動が引き出されるから、誰が何をしたっていう感覚が、した、されたっていう関係がないんですよね。(そこで)思わずおもしろいものが見える」(164頁)

「目指さない。その面白いものとは出会うんですよ。期待したものとは違う。違うものと出会う。だからそれを面白がるか否かなんですよ」

正しい答があってそこに進めばいいのではないから、迷い悩み、考える。考えながらなお、目の前に起きている事象にいまこの時点での対応をする。(165頁)

「それが生きていくことですよ。答えなんか探しちゃダメなんですよ。そしてその出くわした事象、出来事に対してそれが決定打ではなくて、それもまた流れている。そういう状況を面白がることなんですよ」
答えをきちんと持たない。
「答えも流れているということが難問に遭遇した時の心がけですよ」とおっしゃっている。
このへんからかなり先生の話は文学みを帯びてくるが、それゆえに武田先生は面白くて仕方がない。

昨日は川村先生の哲学的な「求めてはいけない。答えには出会うんだ」と。
難しい表現になるが、でもこの先生も精神の病の人達にと対峙するうちにいろんなことを考えたのだろう。
答えを固定化してはいけない。
「流れている状況というものを答えにしましょう」
そして流れてまたその答えは変わってゆく。
そんなふうにして我々の日々、人生というのは日常を作ってゆくのではないだろうか。

 価値は、力のある人が力を発揮して何事かを成しとげるところにあるのではない。−中略−人びとのなかに入り、自分の力を抑えることで人びとを生かし、人びととともにいること。そこで生まれることにこそ「うんと」価値がある。(168頁)

たった一人のトランプ大統領の出現で世界が変わるとは思えない。
この後、彼もいろんなことをやっていくだろうが。

そこで患者は「ある種、こっちに合わせてくれる」ようなことがなくなり、患者も医療者も、精神科とは何かを考えることがそれまでより自由にできるようになる。(168〜169頁)

こんなことをおっしゃっている。
「物語は精神障害を持った人の病態に似ている」
そう。
おどろおどろしい物語が多い。
特にアメリカ映画はピンチに次ぐピンチ。
「まあよくもここまで考えたな」というぐらいピンチが続く。
バイアスがあり飛躍があり敵がある。
そして意外な展開が用意されて物語ができていく。
自分の内側に狂気というものがあるとすれば向き合いたいなと思う。
自分の狂気は見てみたいと思う水谷譲。
昔、70年代だが読もうと思って買わなかった本に「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」というのがあって、タイトルが武田先生は凄く好きで。

われらの狂気を生き延びる道を教えよ(新潮文庫)



これをいつか歌にしたかった。
他には「されどわれらが日々」とか。

新装版 されどわれらが日々 (文春文庫) (文春文庫 し 4-3)



そういう文学作品があった。
フォークシンガーで吉田拓郎さんが歌っていた。

されど私の人生 (Live)



されど私の人生は(吉田拓郎「されど私の人生」)

そんなフォークソング。
「軍旗はためく下に」というのを泉谷しげるさんが「国旗はためく下に」という一字しか変えなかったという。

軍旗はためく下に-増補新版 (中公文庫 ゆ 2-23)



国旗はためく下に(Live)



そういうのもあった。
ごめんなさい。
しょうもない話。

都市部をうろついていても、時々妙チクリンな人と出会うことがある。
それは「ふてほど(不適切にもほどがある!)」なんかにも出てくるが、ある日のこと、バス停を降りたらお姉ちゃんがずっとかまぼこ板にずっと話をしているという。

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するとあのオッサンが「どうしたんだい?耳ん中にうどん入れて」とかと。
でも知らない人にとって、やはり狂気。
かまぼこ板に向かってずっと話している人というのは、どこから見ても。
「スマートホンを持たずに話をしている人を「あれ?この人大丈夫かな?と一瞬思う水谷譲」。
「独り言・・・?ああ違う電話してんだ」みたいに思う水谷譲。
随分デカい独り言の人もいるし、我々は「スマートホン持ってるか持ってないか」でジャッジしている。
やはり「人を見る目」というのがいろんなところに拡散してしまっているものだから、その人の狂気というのが非常に危険であるという、それを確認できない。
そんなことを考えてみると、やはり小さな田舎町のこのトライ、挑戦というのがいかに素晴らしいことか本当にわかる。

ここでわかりやすくいく。

 診療所の薪ストーブの前で、早坂潔さんと川村先生が話をしている。
 早坂さんは自称「精神バラバラ状態」、
−中略− 先生は、早坂さんとは三十年以上のつきあいだ。(180頁)

(番組では「ハヤカワキヨシ」と言っているようだが、本によると「早坂潔」。この後も番組内では「ハヤカワ」と言っているが本に従って全て「早坂」にしておく)

「先生はね、潔どんたちといっしょにいい精神科をつくりたいなって。−中略−
 ちょっと頭のおかしい人でも、暮らしやすい「いい精神科」をつくりたい。
(182頁)

早坂さんが、間髪を入れずに答える。
「いや、そんなに治さなくてもいい、っていった」
「そうだ、ほんとに、ははは。すっかり病気なくなったらおれ困るなあって」
「困るなって、いったわ」
「川村先生くらいでいい、すっかり治されても困るものぉ、っていったんだよ。
(183頁)

実は本のタイトル「治したくない」はここから来ていること。

早坂さんの顔を見ながらふっと、ことばが川村先生の口をついた。
 「半分治したから、あとの半分はみんなに治してもらえ」
(183頁)

この「半分治す」というところが。
潔さんと語り合ううちに思わず出てしまった言葉ということなのだが、川村先生は「完治を目指すことが精神障害者にとっては本当によいことなのか?」。
潔さんは「医者に任せっきりにした自分は楽しくない」。

 精神病の経験から早坂さんが学んだことは、自分自身で「考えたり悩んだり」することだった。(190頁)

その弱さについて仲間と語り合う。
「それが凄く楽しいんだ」という。

そして一人の女性の話になる。

 「名古屋から来た患者さんが、ある日救急外来に来て。日赤時代。なんか幻聴も聞こえると不調を訴えて、精神的余裕なっくなってきて」−中略−
 「苦しくなって、休みの日にやっぱり救急外来に「注射してください」って来たんです。で、ぼく「注射しないよ」っていったんですよ。彼女も一生懸命粘って、「病院なのにどうして注射してくれないんですか、わたしは名古屋でこういうときはいつも注射してもらったんです」と、けっこう粘るわけです」
 くり返し自分のつらさを訴え、強硬に彼女は注射を求めた。先生は答えた。
 「ここで名古屋とおなじことしたいんだったら、名古屋に帰んなさいっていったんです。
(212〜213頁)

 浦河では有名な林園子さんのエピソードである。林さんはその後、統合失調症という自分の病気を仲間とともに考え、話し、克明なメモを取りながら注射に変わる対処法を編みだしていった。(213頁)

ところが不思議なことに、このノートが他の患者さん、仲間達にも役に立つようになったという。(213頁)

彼女の苦労はやがて浦河で、「当事者研究」と呼ばれる病気とのかかわり方に発展していった。(213頁)

そしてついに「もうこれ以上、わたしの病気を治さないでください」というまでになる。(213頁)

 その数年後、彼女は自室で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。生きていればさらに多くどれほどのことばを残してくれたかと思うと、彼女の不在は埋めようのない空洞になったというほかはない。(213頁)

「悩むこと、考えることは生きていく上で重大なことである」「苦労するということが命にとってはとても大事なことだ」という。
これは武田先生はギクッとしたが、これはV.E.フランクル。
V.E.フランクルというのは深層心理学の方に出てくる方。
「夜と霧」

夜と霧 新版



アウシュビッツで次々処刑になる同胞を見守りつつも「人間の精神の支えになるのは何か?」そのことを突き止めようとした心理学者。
このV.E.フランクルの名言の中にあるのは「人間は苦悩する才能がある」という。
人間だけだと思う水谷譲。
「苦悩とは生きていく条件だ」と言っている。
潔さんという方、精神に疾患のある方でこの方はもうこの病にかかって50年以上。
向き合えることが凄い、向き合って名前まで付けるほど自覚ができるということが凄いと思う水谷譲。
武田先生がべてるの家の文化祭で「自分に精神的な病があるとして名前は何にしますか?」と(問われた)時に「過剰適応症です」と言ったら、もっとも同情してくれたのが潔さんだった。
「鉄ちゃんも大変だ」と言われた。
狂気というのは遠いものではない。

斉藤道雄さん「治したくない ひがし町診療所の日々」、みすず書房の一冊。
斉藤道雄さんこの方が本の終わりの方で、難解極まりないフランスの哲学者を取り上げて。
レヴィナス。
レヴィナスは武田先生が勝手に師と仰ぐ、内田樹先生が師と仰ぐフランスの哲学者がレヴィナス。
このレヴィナスがこんなことを言っている。
これは難解な言葉なので気持ちが半分逃げているが。

〈他者〉を打つ力に対抗することが可能であるのは、抵抗の力によってではない。対抗が可能であるのは、〈他者〉の反応が予見不可能であるからにほかならない。(237頁)

わけがわからない。
〈他者〉に対抗する力がある。
それは抵抗することによってではない。
対抗が可能であるのは〈他者〉の反応が予見不可能であるからである。
この言葉をレヴィナスはどこで言っているかというと、ナチス時代のアウシュビッツを取り上げて言っている。
ナチスによる弾圧によってアウシュビッツで殺されたユダヤ人が何百万人といる。
その事実を見たユダヤ人の中で「神はいない」と言い切る人が出てきて、ユダヤ教を離れる人がいっぱい出た。
それに対してレヴィナスは「違う」と言う。
「神は一人も救ってくれなかった。だけど、そのいわゆる予見不可能な神の態度こそが我々が神を考える為の最高の材料じゃないか」という。
「神が何もしないことによって神たるべき」という。

向谷地さん、それから川村先生。
この人達は実は解決しない。

 精神障害が何であるか、精神障害者とは誰なのか、それは「無限なもの」のなかにあって見通すことはできない。精神障害にどう応じればいいのか正しい答はないし(240頁)

「無限なもの」を考えつづけること、人間を、また人間と人間のあいだを見つめることだったのだと思う。(238頁)

無限なものとは「捉え難く、絶対に思いどおりにはなりません」ともいっている。(239頁)

「でもその無限に耐えて人間は迂回しながら考えるんだ」
こういうこと。
難しいように聞こえて、川村先生や向谷地さんがやっていることはまさにそれだと思う水谷譲。
そう。
「真っすぐ解決に行くな。遠回りしろ、迂回しろ。その迂回から見えてくることがある」
向谷地さんと話していて、武田先生は「面白い言葉遣いするな」と思うのだが、この人は精神障害を持つ人に殴られたり蹴られたりしている。
でも殴られたり蹴られたりしながらじっと耐えながら、自分の中の何事かを伝えようとする。
向谷地さんの苦労話の中で本当に目も当てられない惨憺たる人はいる。
その人の思い出を語る時に向谷地さんの使う不思議な言葉遣いで「いやぁ〜あの人には鍛えられた」。
「あの人に迷惑を被った」と言わない。
そこにもの凄い彼のスピリッツを感じる。
川村先生もそう。
人口1万2千ばかりの浦河から、日本どころか世界を変える力を持つ。
小さな町の精神科の診療所が、いくつもいくつも探り当てているこの現状を皆さん方に伝えたくて無我夢中の喋りとなったが。
べてるの家はこれからどうなっていくのかと思う水谷譲。
日赤で精神科がどんどん縮んでいく。
ところが面白いことに縮んでいくとそこで鍛えられた人、精神障害を持つ人達に鍛えられた人達が職を求めてよその町に行く。
そうしたらべてるのメソッドがよその町に広がってゆくという。
つまり「一面で不幸を見ちゃダメだよ」という
川村先生は子供が野球ができる球場を作ったり。
浦河の町は町としては縮んでいる。
だが川村先生のところにはいろんな人が集まってきて「これはいいですね」とか。
一番当たったのはあの統合失調症の女性の為に作った墓地。
あれは「私も入りたい。私も入りたい」で、べてる経営の霊園墓地ができそうで。
ある意味経営も強化されている。
それで潔さんに「武田さんもこっち来て入ればいいじゃん」と言われて、武田先生はその墓地を見に行った。
いい環境。
つまり希望と絶望は同時進行。

折に触れて、また新しい便りがあったら必ずお伝えしたいと思う。


2025年2月17〜28日◆治したくない(前編)

まな板の上に乗せたのは「治したくない」という不思議なフレーズだが、実はこれはまた北海道。
北海道・襟裳岬の付け根にある人口1万2千ばかりの浦河町「べてるの家」ということで、何度も話題に。
そこの町で生きる、あるお医者様に注目したという著作が、みすず書房「治したくない ひがし町診療所の日々」。

治したくない??ひがし町診療所の日々



(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
斉藤道雄さんという方が書いておられるのだが、これが読み応えがあったのだが、まずは初めて聞かれる方の為に浦河という町の風景からご説明する。
町の背中は日高山脈で目の前には北海道の南の海が広がっている。
日高の山々。
傾斜地が多いのだが、その一番緩やかなところには浦河の有名な産業であるが競馬馬の生産をやっておられて。
ここは南の海が温かいものだから海洋性気候で霧が発生しやすい。
その分、冬の厳しさもある程度緩やかだという場所。
これは行くとわかるが日高山脈は緩やかな裾野には馬の牧場が広がっていて、牛の方はワリとバリケードでバーっと巡らしている。
馬牧場の方は白い柵がずらーっと並んでいて、何かこう歌が聞こえてくる・・・



「ルンナ♪白い何とかのルンナ♪」というような。
牧舎も全然スケールが。
この浦河の町に今、インドの出稼ぎの方が凄い勢いで増えているという。
インドというのは昔、イギリスの植民地でイギリスが、ポロとかで競馬もそうだが、とても馬競技を大事にしたので、馬の飼育に関してプロが多い。
人手不足を補う為に浦河の町にインド人の方がやってきて、という。
このインド人の方々の技術というのは日本競馬会「JRA(日本中央競馬会)」でもスタッフとして有名だそうだ。
とにかく海は豊か、山は豊かという浦河。
ここは日高昆布の集積所、集まる市場がある。
人口1万2千の本当に小さな町に、何度でも紹介しているが、精神障害者のグループホームの「べてるの家」があって。
精神障害の方が精神障害の方と一緒に暮らしながら、いわゆる精神障害を治そうという医療の挑戦。
精神の方の病は様々あるが、長い人類の歴史の中でこの精神の病というのは無くなったことはない。
確かに存在する。

 日本の精神科の入院患者は三十一万人(196頁)

これに加えて昨今では、鬱、引きこもり、そして認知症等も加わって、15年前から2.6倍の患者の方がおられるということ。
認知症等は高齢者の14%がこの病に罹っているということで、とにかく体を統合する心を病み、或いは暮らしを認識する能力を失うというこの病は世界的にも増加傾向にあるということ。
アジアでは韓国社会もその人数が増えているし、韓国では「どうやって治すか」の模索が続いていて、武田先生もお会いしたが、韓国からの医療の方々がここで勉強しておられる。
やはり中国の方も早く勉強をスタートした方がいいんじゃないだろうか?
認知症が中国では加わっていくから。
本当に「景気のどうのこうの」言っていないで、この勉強を開始した方がいいのではないか?と。
浦河というのはアジアが注目する精神医療の最前線基地になっている。
これは日本の方もご存じないかと思うが、やはりこの浦河の挑戦というのは凄く今、ヨーロッパが注目している。
「べてるの家」というのはそれほど価値のあるものだが、実はこのべてるの家を支えるのに奇跡のような人物がいる。
それが精神医療者、病院の先生で川村敏明先生という先生がおられる。
この方は浦河赤十字病院の精神科医をしながら、浦河の病院に精神に病があって入院してくる人達を町に出しているという。
精神に病を持った人を入院という形で病院に閉じ込めてしまうとどんどん悪くなる。
川村先生は逆に町に出して普通の暮らしを、働いて生きていくという暮らしをさせた方が病の為にはいいということで通院を求めるという。
この今回は川村先生のこの精神医療に対する日々の取り組みをご紹介したいと思って語り始めたワケで。

北海道浦河、赤十字病院の川村先生の話。
精神に病を持つ方がやってくるのだが、先生は「町で共同生活をしなさい」
その町には「べてるの家」という福祉法人があるワケで。
「そっちの方が治りが早い」というのを川村先生はおっしゃる。
そうすると浦河の赤十字の精神科の方の入院のベッドが空いてしまう。
矛盾している。
そうするとお国の方から「縮小しろ」と。
「入院患者を引き受けないんだったらベッドはいらないだろ」

 精神科病棟を老人病棟にしろという要求は、−中略−地域からの方が強かった。(7頁)

川村先生は「認知症も隔離しておいて治すということはできないんだ」という。
かといって治るものでもない。
はっきり言って認知症は治らない。
今は薬も出始めているが、始まったばかりだから。
それでその日赤の人間として立場も苦しい川村先生が考えたのが、「診療所を作ろう」という。
だから「入院設備はない」という。
自分が診療する。
そうすると、この先生は何か凄い評判がいい人で、看護師さんたちも「川村先生と一緒だったら私、定年退職したら先生の診療所に行く」と言って何人も力を貸してくれる。
とにかく精神医療というのはなかなか偏見もあって難しい。
それで病院で隔離せずに町に出してしまう川村先生にも凄い非難が集まるのだが、べてるの家というこの福祉施設がしっかりしていて、町との折り合いがいいものだから、ワリと上手くいっている。

「結局、(精神科は)赤字だから患者さんを集めてベッドを埋めるか、やめるかだっていわれたんですよ、経営コンサルタントに。で、集めるっていったら高齢者、それこそ認知症の人たちで埋めるって話で、それはもう」−中略−こんどは老人の「収容施設」になるなんて耐えられない。(6〜7頁)

これでもう廃止が決まってしまう。
入院病棟を持っていると国から6億円出るのだが、先生はどんどん(病院から)出してしまうので6億円が入ってこない。
(本によると、浦河日赤では入院患者の減少で国の医療保険が毎年六億円の節約になったという試算があるということが書かれてあるので、このあたりの話は事実とは異なる)
それでその認知症の老人達はどうするかというと、入院施設の無い先生の診療室に行く。
それでこの先生は何をやったかというと、自分で車に乗って看護師さんを連れて二人で自宅を診て歩く。
認知症の老人達のところを。
それが斉藤道雄さんがお書きになった「治したくない ひがし町診療所の日々」に書いてある。
それが「こんなことをやってる人がいるのか」と思うだけでなんだか心がウォームアップ(「ハートウォーミング」ということを言いたかったのだと思われる)というか温かくなってくる。
その認知症の老人達の話は後回しにして、一番最初にその診療所が扱った問題を。
(以下の内容は2017年に始まったようなので、診療所のオープンが2014年であることから考えると「一番最初に扱った」というのは誤りだと思われる)

 大貫恵さんは統合失調症だ。かつて子どもを二人産んだが育てることはできず、児童相談所が介入して施設に預けなければならなかった。親はアルコール依存症、きょうだいも頼りになるどころか逆に大貫さんの生活保護費をあてにするありさまだった。大貫さん自身も幻聴や幻覚が強く、パチンコや男性依存から抜けられない−中略−川村先生の患者だったが、二年前に浦河から姿を消し、隣町に行ったといわれていた。(45頁)

(番組内では浦河から姿を消したのは数か月であるように言っているが、上記のように二年)

 その大貫さんが妊娠したと一報が入ったのは三月だった。子どもは浦河で産みたいと、浦河日赤まで受診に来たのである。ところが四十代の高齢出産だというのに準備がまったくできていない。所持金もなく(45頁)

 母親は精神障害、自活能力はなく、頼れる友人家族はひとりもいない。−中略−子どもが生まれたらはじめから児童相談所に任せるというのが一般的な判断だろう。(45頁)

 長年大貫さんとかかわった経験のあるワーカーの伊藤恵里子さんは、「チャンスだと思った」とふり返っている。高田大志ワーカーも「もうパパっと動きましたよ」といい、川村先生も「これはビッグ・イベントだ」と腰を浮かせた。(46頁)

家族に取りあげられていた預金通帳を取り返すこと、そこに振り込まれる生活保護費を自分で受けとれるようにすること(47頁)

べてるの家が持っているグループホームを借りて中古の冷蔵庫を一台買うとその冷蔵庫にセイコーマートで買えるだけの食品を詰め込んで、本人に「おなかの子の為にこの中にある食品を喰え!」という。
(本によると既にあった冷蔵庫の中へ「近くのスーパー」から買ってきたものを入れたことになっている)
町の福祉が「子供産むの無理だよ」と言う。

役場の担当者はときに声を荒げたという。
「支援、支援っていうけど、いつまで支援できるんですか。
−中略−あなた方、骨を拾うところまで援助できるっていうんですか」(47頁)

川村先生は凄い。
病院内で骨を拾う順番を決めたという。
「私がまず拾って」という。
(という話は本にはない)
「どこに埋めるんですか?」と言ったら何人か入れる墓を購入したというから凄い。
行政担当者からしてみれば福祉の枠組みからはみ出す行為を川村先生はやる。
しかし川村先生の後ろ側にはべてるの家があって、それで出産させたという。
ここからまた凄まじい福祉の戦いのような活動が始まる。
というワケで精神障害のある恵さんに子供を産ませた。
産まれてくる子供にとって何が幸せなのかがわからないから、ちょっと今のところどうなるかが凄く不安だと思う水谷譲。
男の子だったらしく、「タック」という名前だそうだ。
(番組の中で「タックン」と言っているようだが、本の内容に従って全て「タック」と表記する。この後の内容も本の内容とはかなり異なっている)
子育ては診療所でである。
診療所の待合室にこの子を置いてみんなで面倒を見るという。
手の空いた人が散歩に連れて行ったり、夜は夜で日赤保健所の人、或いはベテルの家の精神障害を持った人がおしめを替えたりして24時間体制のシフトを組んだという。
グループホームの精神障害者の人が育児に協力し、精神障害を持っておられるから「睡眠が大切」ということで夜は川村先生と川村先生の奥さんが面倒を見続けた。
朝はそのまま先生は診療室に行って診療室の待合にタックを置いておくと心に病がある人がやってきてタックのお守りをしてくれる。
最初は育児放棄があったらしい。
ところが本当に「不思議なことが起きる」としか言いようがない。
だんだんタックがそういう人達に慣れてくると、恵さんの中にお母さんが芽生え始めて、面倒を見られるように成長していく。
子供が母を育てる。
育児放棄が始まったりするとスタッフ、或いは精神障害の症状が軽い人が順番に面倒を見る。
そしてグループホームへ連れてゆく。
とにかく手の空いた人がタックを家に連れていく。
そして寄り添う。
子育てに最も大事なのは手の多さであって、育児は手さえあれば何とかなるんだ、と。

 ひがし町診療所の「みんなの子育て」は、法律や制度に縛られず、「パパっと動く」人びとの自然な思いが可能にしたことだった。(50頁)

そして一番重大なことは「責任者を置かない」。
責任者を置くとその人が支点になって重圧を被ることになる。
今まで話を聞きながら「誰が責任取るんだろう?」というふうに思っていた水谷譲。
最後は川村先生が取るのだろう。

責任論に巻き込まれない。「正しさ」や「常識」で考えようともしない。(50頁)

とにかく調子のいい人がタックの面倒を見るという。
調子のいい人が誰もいないということはあり得ないのかと思う水谷譲。
これが百人以上いるので、何とか回転する。
つまり責任者の責任ではなくて、手の多さが育児を回していく。

「(援助するのが)ひとり二人だったらね、(受ける方は)すごく不安なんです。どっさり人がいるんです。ふふふ。質より量です」
 わかりますか? 援助ってのはね、質より量なんです。
(57頁)

こういう発想。
そして一個だけ川村先生らしいのは月に一回必ず支援ミーティング。
(本によると「応援ミーティング」)
タックの子育てに関して反省、これからのスケジュール、そしてこれからの希望をみんなで検討する。
責任者よりもこれら頼りないべてるの人々が実は援助の中心になっていく。
そしてそのベテルの人達を地域社会は取り囲んでいる。

タックが育つにしたがい、大貫さんの暮らしも病状も行ったり来たりしながらではあったけれど少しずつ落ち着いている。(49頁)

「ちゃらんぽらんだったけど、母親らしくなった」(49頁)

凄いことに、恵さんの狂気も子育てに協力し始める。
これは川村さんも、それから向谷地さんも言っていたが、狂気もこっち側を見ているらしくて、だんだん小さくなる。
面白い。

 ひがし町診療所がオープンした二〇一四年五月一日、−中略−なんの宣伝もしないのにこんなに患者がやって来るのは見たことがないと、製薬会社の営業担当が驚いたという。過疎の町だというのに、開設から五年半のあいだに訪れた患者の数は千八百人を超えている。(23頁)

こんなに繁盛している精神科の病院はちょっと類がないらしい。
川村先生の診療というのは、この姿勢で心の病に対応していく。

 たとえば自分たちで田植えをし米づくりをする、−中略−石窯をつくってピザを焼くといったようなことだ。−中略−山をひとつ買って−中略−そこに「哲学の道」や「幻聴の広場」をつくりたい、あるいはヤギを飼いたい(24頁)

 医者が患者を診ているのと同時に、患者もまた医者を見ている。(26頁)

川村先生のこれは名言。
患者は医師に希望を探る。
希望を感じない医者はいつか患者から捨てられる。

どれだけ治さなくてすむかっていうか、世間が考える医療的な部分をどれだけ減らしてもやっていけるか」
 むしろ、そちらの方向を考える。
(28頁)

これを伝えて提案するのが医療の道ではないか?
この川村先生の言う

「どれだけ治さなくてもすむか」(28頁)

治すことばっかりを考える医療。
それを我々は当然と思っているが「いや、全部治しちゃダメだ」という。
治すパーセンテージを決めるという。
こういう川村先生の発想というのは凄い。
先生は言う。
医療を抑えると思いがけないことが症状に起きる。
それが完治より患者を励ますことがある。
つまり病院があったり医者が手を出すと医者の思う通りになる場合もある。
しかし、医者の思い通りにならない時にそのことが患者をより励ますことがあるという。
これはちょっとこの先生の説はややこしい。
それが待てるかどうかが医師の腕だ。
医師が何かをする、或いは何かをしない。
そのことによって病状が変化する。
よいふうにも悪いふうにも。
よいふうになった、悪いふうになった。
この二つを見極めるところに医師の腕がある、という。
これは精神障害だから、何がどうなるかわからない。

昔、水谷譲に話した。
河合隼雄という深層心理学の先生が、自殺しかかった青年をなぐさめる為に「何か言わなきゃ、この子は自殺する」という電話か何かのやり取りで。
何も思い浮かばない。
「生きなきゃダメだよ」とかそんなこと聞きそうにない子。
先生がその時に東京駅のみどりの窓口で駅員から言われた一言をポッと言った。
「のぞみは無いがひかりはある」
そうしたらその青年は態度を変えたという。
言葉はそんなもの。
これはJRの人のつぶやいた言葉。
「のぞみは無いがひかりはある」というのは列車のこと。
のぞみが無い時でもひかりはある。
それを自殺する子には何よりの希望の言葉として繋がった。
「思想家 河合隼雄」の時にも紹介されていた話)
そういうその言葉しか伝えられない何か。
それが言葉の面白さ。
そのたとえが分かるかわからないか。
ゴルフなんか典型的。
「手で打つバカがあるか!腰で打つ」って「打て無ぇよ。打ってみろ腰で」。
その「何か」に出会うまで人は模索しなければ。
それが待てるかどうかが医者の腕なんだ、という。

統合失調症の女性が出産し、子育てをする。
これは危険この上無い。
反対する福祉事務所を押し切って出産した。
母親は幻覚・幻聴があり育児放棄もあった。
だがそこに百人のサポーターが集まってみんなで育児を続行した。
するとこの統合失調症の女性の恵さんは三か月で症状が治まったという。
(このあたりも本の内容とは異なる)
夜任せられるようになった。
誰がどう責任を負うか。
そんなことではない。
「責任者決めてるようじゃダメなんだよ。入院させればみんな安心する。管理してる、収容してるという、そんな言葉で」
それが長い精神障害の治療であった。
そんな方法はすぐに役に立たなくなる。
数千万人いる高齢者の4人に1人が認知症になる時代に、隔離・管理で消すことはできない、という。
「認知症と共に生きていく」という腹をくくることが大事なんだ。
「今、のどかに景気のいいことを言っているが、プーチンさん。アンタんとこだって大変だよ、あれ。一億ちょっとの人口いますけど戦争やったPTSD等々を含めると、もの凄い人が心を傷付けてますよ」
皆さん、ここが面白い。
「来るべき未来の為に」と川村先生は言う。
来るべき未来の為にまずは地方が悩もう。
大都市でできないことが浦河ではできる。
だから率先して日本の問題を地方の浦河、人口1万2千が悩む。
解決することはもちろんできない。
しかし「何かにたどり着くことはできるよ」「ローカルが日本の為に悩むんだ」という。
ローカルが率先して日本の為に。
とにかく日本の問題を過疎のこの小さな町が先に悩むこと。
そうすると前進があるという。
人口1万2千の浦河がゆっくりと日本の未来の問題を解決する、或いは打つべき手をいくつも思いついているという。
高齢者の認知症も含めて精神障害というのは人類が抱えた宿痾・業病である。
「命の宿命」なんだという。
そのことを引き受ける。
そういう小さなローカルを持つことがいかに大事かという。
武田先生の熱量は凄い。
何かこういう希望を持っている人の姿を見たり語り合うと安らぐ。
これだけは皆さん、覚えておいてね。
「責任者を置かない」
良い言葉。
もうスタジオ中、みんな頷いている。
みんな責任者になりたくない。

北海道・襟裳岬の根本の町、浦河。
その浦河で精神医療に関して小さな診療所を始めた川村先生。
この川村医師が始めた精神障害者に対する町ぐるみの対処の姿勢を並べてみましょう。

ここでは誰もがみな対等だ。常勤医師は川村先生ひとり、あとは看護師、ワーカー、事務職員などで、非常勤を含めれば三十人ほどのスタッフがいるけれど、その全員がほぼ対等な関係にある。−中略−より個性的になって、その人でなければできない役割を担うようになる。(70頁)

問題と解決を結びつけない。

幻聴が聞こえるといえば薬を増やすのが一般的な時代に、川村先生は増やさないどころかときには減らしている。「低脳薬」になった患者は自分を語るようになり、その語りが「治療」の風景を変えていった。(77頁)

すると幻覚・幻聴が当然だがひどくなる。
ひどくなると面白いことに患者とはどんな幻覚・幻聴なのかを耐えられずに人に話すようになる。
目の前に宇宙人が見えたりなんかするというのは恥ずかしい。
人に話すと「バカじゃ無ぇの」とかと言われてしまうのが嫌。
ところが酷くなるとそれを思わず話したくなる。
話し出したら先生はそれをとにかく聞く。
看護師さん達もそれを聞く。
その幻覚・幻聴の変化を記録するそうだ。
そうすると少しずつ幻覚・幻聴が物語になる。
「そうかそうか。へぇ〜。そういうふうに出た?幻覚が。ふーん。どうなるんだろう?」先生がそうやって励ますとだんだん幻覚・幻聴が整い始める。
物語っぽくなってゆく。
そこで「面白いけど面白過ぎない?」と先生から言われると狂気も考えるらしくて狂気が訂正してくる。
それでそういう話をしているうちにその人が何を隠しているかがわかってくる。
つまり人間の弱さがだんだんはっきりしてくると、見えてくるものがある。
とどのつまり先生が言いたいのは「健常者などどこにもいない」という。
狂気の人の幻覚・幻聴を聞くうちに「その幻覚だったら俺も見たことがある」とつい言いたくなるような事態になってしまう。
そうなった時に自分の異常さとその精神の病を得た人のそれが重なる。
そういうことがある。
それがはっきりした後でどうするかというと、患者自らが自分の病名を決める。
お医者さんが診断して決めるんじゃなくて、患者さんが自分の。
それを彼の病名としてカルテに書き込むんだそうだ。
例えばどういう病名が?
「あいうえお病」というのが(早坂)潔さんがよく言っていた。
「愛に飢えている」「あいうえお病」とか、「男好き好き病」とかという、そういうの。
水谷譲に言ったのだが、武田先生も精神障害の人から「武田さんも何か病気持ってますか?」と言われて、人間ドックに通い始めた時に主治医から「過剰適応症ですね」と言われて。
「過剰適応症」というのは先生でもないのに先生のふりをという凄いストレスを感じつつ演じているという。

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役者さんはみんな過剰適応症になっている。
そうやって考えると狂気というのと物語とかそういうものがどんどん似通ってくる。
役者さんの根性なんていうのは一種狂気。
だから考えてみればスタントの人なんてそれ。
キャメラのアングルを探しておいて、そこで最も危険なことをやりたがるというのは、彼の中に狂気が無いとそんなことはできやしない。
一種異常とも言えると思う水谷譲。
その異常が芸術を生んでるんじゃないか?とかと考えると、精神の病には統合失調症、鬱病、双極性障害とか不安、発達障害等々あるのだが、自分も一種の狂気を帯びていると思えば思い当たることはいくらでもある。
女の人に恋をすることはやはり狂気。
女の人はいっぱいいる。
それを「あれじゃなきゃダメだ」と言うのだから「いい加減にしろよ」(と自分で自分に言う武田先生)
「アンタと一緒になれなきゃ死んじゃう」なんていうのがいるのだから。
かくのごとく狂気というのは遠い存在ではなくて内側に誰にでも突発的に出てくることがある。

 幻覚や妄想は、一対一で聞いてもつまらない。けれどみんなのなかで話せば、こんなおもしろいことはないというときがある。(219頁)

このみんなの笑いが精神障害者にとってどれほど重大か?
お笑い芸人にお笑いを頼るのではなくて、笑いを自分達の手で作ってみる。
そのことが実はもの凄く大事なことなのではなかろうか?と。

これで今週はお終い。
水谷譲の声を殆どふさぐようにして喋っているが、何かこの話は素敵。
皆さんもちょっと不適当な言葉がポンポン出たかも知れないが、ごめんなさい。
川村先生を語っていると、このような言葉になってしまう。
ここからまた更に面白い。
今度はこの川村先生が認知症の老人のそういうものに乗り出すという。
これは来週はお年寄りの方は聞いてね。



NHK「キラキラムチュー」16と17の再放送があります

紹介済みだけれども、先日放送された16の再放送が今日あります。

キラキラムチュー(16)“ゴルフ”が宝物
再放送 [Eテレ] 3月19日(水)午前9:30〜午前10:00(30分)
番組概要
“ゴルフ”に夢中の拓海くん(8)。コースではナイスショットを連発!おしゃべりが止められないという特性がある拓海くんだけど、「お静かに」というマナーを守れるかな?
番組詳細
“ゴルフ”に夢中の拓海くん(8)。毎日ドライバーやパターの練習に励み、ショートコースではナイスショットを連発!そんな拓海くんには、おしゃべりしたくなるとなかなか止められないという特性がある。「プレー中は静かに」などゴルフはルールやマナーがいっぱい。大好きなゴルフをみんなと楽しみたい拓海くんは、ゴルフ教室の先生やお父さんとレッスンを繰り返しながら、ルールやマナーを身につけようとがんばる!
【語り】高橋克典


これは現在「NHK+」からも視聴できます。
配信期限 : 3/25(火) 午後8:00 まで
https://plus.nhk.jp/watch/st/e1_2025031826591


17の本放送がまだではあるけれども、本放送のお知らせをした時点で再放送の情報は無かったので本放送も含めてご紹介。

キラキラムチュー(17)サポート特別編2025
[Eテレ] 3月20日(木)午前9:30〜午前10:00(30分)
再放送 [Eテレ] 3月25日(火) 午後7:30〜午後8:00(30分)

番組概要
今回はスペシャル版!発達障害の特性による困りごとを精神科医・本田秀夫さんら専門家がアドバイス。子どもたちがラクに生活できる、とっておきのサポート法が満載!
番組詳細
今回はスペシャル版!これまでに出演した3人の子どもたちの「発達障害の特性」による困りごとを精神科医・本田秀夫さんと臨床心理士・日戸由刈さんが分析・アドバイスする。「コミュニケーションが苦手」「気持ちを切り替えづらい」「イメージ通りに体を動かすことが難しい」といった特性に対して、どうすればいいのか?子どもたちがラクに生活できる、“目からウロコ”のサポートの方法や考え方をたっぷりお届け!
【語り】高橋克典


子どもの発達障害 子育てで大切なこと、やってはいけないこと (SB新書)



posted by ひと at 06:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする