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2025年04月30日

障害年金、不支給が倍増3万人に 24年度、幹部交代で厳格化か

【独自】障害年金、不支給が倍増3万人に 24年度、幹部交代で厳格化か|47NEWS(よんななニュース)
 障害者に支給される国の障害年金を申請して2024年度に不支給と判定された人が、23年度の2倍以上に急増し約3万人に上ることが28日、共同通信が入手した日本年金機構の内部資料で分かった。機構が統計を取り始めた19年度以降で最多。審査された6人に1人程度が不支給になった計算で、割合も前年度の約2倍に増え、過去最大となる見通し。
 判定基準の変更はなく、急増の要因について年金機構の複数の関係者は担当部署のトップが厳しい考え方の人間に代わったことを指摘。属人的な要素で判断が左右される余地が制度にあり、信頼性が揺らぎそうだ。
 障害年金は、機構の「障害年金センター」に診断書などの申請書類が送られ、職員が事前に審査。委託を受けた医師が職員とやりとりして最終的に判定する。
 同センター職員によると、23年10月の人事異動で就任したセンター長が書類の要件を厳格化。職員が判定医に低い等級や「等級非該当」と提案するケースが増えたという。
 センター長は取材に「審査を厳しくするように言ったことはない」と話した。


数か月前から障害年金の審査が厳しくなっているみたいな話が流れていたけれども、その時点では変に申請数が増えちゃって結果的に落とされちゃう割合が増えただけなのか、本当に厳しくなっているかの判断ができかねる情報だったんだけれども、これで決定ってことかな?
障害年金に関しては前々から、変に審査が通りづらい時期とそうじゃない時期があるってことだったからな。
結局は障害年金が支給されるかされないか、等級がどうなるかなんて運しだいだよなぁ。
もちろん運次第なんかじゃダメなことだとは思うのだけれども、厚生年金か国民年金かみたいなのも運に左右されるからな。

マンガでわかる!発達障害とグレーゾーンの人が見ている世界大全



posted by ひと at 19:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夢二カフェ 港や 青池保子展「エロイカより愛をこめて」コラボメニュー

青池保子展を堪能した後は、併設されている喫茶店みたいなところに入る。
コラボメニューがあるので。

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せっかくなので両方とも頼んでみた。

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エーベルバッハ少佐の
いのししカプチーノ
700円(税込)

エーベルバッハ少佐の
ドイツ伝統のイモ<Pーキ
カルトフェルトルテ
700円(税込)


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注文してから出てくるまで結構時間がかかったのだけれども、「いのししカプチーノ」はまるっきりメニューの写真通りの素晴らしい仕上がりで、これは時間喰うよなぁという感じ。
温かいのと冷たいのとを選べたが、暑かったから冷たい方にした。
黄色い星みたいな部分は金平糖みたいな甘い味の菓子みたいな。

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「カルトフェルトルテ」とやらは、じゃがいもと卵と砂糖だけを使っているということで。
ジャガイモ版のスイートポテトみたいな感じかな。
すげぇボロボロくずれてフォークでは食べづらかった。
なかなか美味しいけれども、ケーキのようなケーキじゃないようなっていう感じがしてしまった。
付け合わせのフライドポテトスナックとやらは、「スナック」が付くからか、全然フライドポテトではなく「じゃがりこ」みたいな。
ってことで、これもフォークが刺さらないので食べづらいし手づかみもしたくないし。
使い捨ての紙ナプキンもくれたけれども、やっぱり手で触りたくないじゃん。
ポテトチップスでさえ箸で喰うというのに。
で、ひらめいたのだけれども、旗の爪楊枝の部分で刺せばいいんだ!ってことで。
ベーコンは、まあベーコンだねって感じの。
それほどカリカリな感じはしなかったけれども。
全体にもうちょっと大きいのかな?と思ったら案外小さかった。

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1品に1枚「エロイカより愛をこめて」
名場面コースター(PET素材)をプレゼント!

ということで、全2種類だからこれで全種類ということだな。
たまにこういうコラボなんかで紙製のヤツのことがあるが、紙だと濡らしちゃったりして汚れるからPET素材ってのはいいよな。
ただ、コースターとしての性能って話になると意味がない気はするけれども。

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伝票に小さい洗濯ばさみみたいなのが付けてあるのだけれども、いつも可愛いなぁ〜と思って見ている。
百円ショップなんかに似たような小さい洗濯ばさみが売っているけれども、可愛いとは思っても、実際に買ったところで使い道も無いしな。

エロイカより愛をこめて コミック 1-39巻セット (プリンセスコミックス)



posted by ひと at 19:07| Comment(0) | TrackBack(0) | おでかけ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

弥生美術館 漫画家生活60周年記念 青池保子展 Contrail 航跡のかがやき

弥生美術館・竹久夢二美術館 | 開催中の展覧会
漫画家生活60周年記念 青池保子展 Contrail 航跡のかがやき
会   期 2025(令和7)年2月1日(土)〜6月1日(日)
前期:2月1日(土)〜 3月30日(日)
後期:4月2日(水)〜 6月1日(日)
開 館 時 間 午前10時〜午後5時(最終入館午後4時半迄)
休 館 日 月曜日〔ただし2月24日、4月28日、5月5日 開館〕2月25日、4月1日(火)休館
料   金 一般1200円/大・高生1000円/中・小生500円
*竹久夢二美術館と併せてご覧いただけます
※ 当館でのお支払いは、現金のみとなります ※


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開館してすぐぐらいに到着する予定だったが、東京駅で寄り道をした上に、ちゃんと根津駅の1番出口から出たのに変な方へ行ってしまったらしく、十時は結構過ぎての到着だった。
障害者手帳を使ったので確か700円だったと思う。
で、受付でカネを払って中に入る。
一階から見ていったのだけれども、一応今日は平日だから混み具合はどうだろうな?と思ったら、結構混んでいて。
一階に大勢いたのは、開館してすぐに来た人達がすごく時間をかけて見ていたと思われ。
二階からはそんなに混んでいなかったので。
来ている人は女の人しかいなかったな。

基本的に撮影不可なのだけれども、一部撮影可の場所もあった。

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展示は貴重な生原稿なんかが大量にあった。
この会場限定の展示もあった。
カラー原稿もたくさんあったのだけれども、どうやったって絶対こんなの描けないよなぁ〜って感じ。
「カシオミニ」も展示されていた。

一階に絵葉書やグッズなどが売っていたので絵葉書でも買いたいなと思ったが、絵葉書は青池保子のは無く。
青池保子関連グッズは恐ろしいお値段で。
ちょっと手が出なかった。
ということでここでは何も買わず。

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ここがフォトスポットになっていて、スマートホンを置く為の台なんかもあったが、一人で撮ってもな・・・ってことで。

漫画家生活60周年記念青池保子画集 Contrail航跡のかがやき



posted by ひと at 18:42| Comment(0) | TrackBack(0) | おでかけ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『アウト老のすすめ』発売記念みうらじゅんフェア feat.モコゾウ @ SPBS本店

『アウト老のすすめ』発売記念みうらじゅんフェア feat.モコゾウ @ SPBS本店 | SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS(SPBS)
■ 会期:2025年4月26日(土)〜5月18日(日)
*最終日は18時までの販売となります
■ 場所:SPBS本店ウィンドウ(東京都渋谷区神山町17-3 テラス神山1F)


他のところに寄ってから行ったのだけれども、これを先にご紹介する。
渋谷駅から十分ほどという、ちょっと行くのが面倒な場所にある。

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小さい書店みたいな。
本以外のものも売っていたけれども。
で、「アウト老のすすめ」という本を買おうと思ったので図書カードを用意して行ったのだけれども、結論から申し上げますと売り切れでした!
この本だけならAmazonでもどこでも買えるのだけれども、わざわざ行ったのは缶バッジも買いたかったから。
で、こちらも売り切れでした!!!!!
ってことで、目的のものが一切ないということで。
他にもグッズ類とか本とかも売っていたけれども、欲しいものも無かったので、また渋谷駅まで戻るのも結構大変だなぁ・・・と思いつつ帰りましたとさ。

アウト老のすすめ (文春e-book)



posted by ひと at 18:12| Comment(0) | TrackBack(0) | おでかけ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月29日

2025年1月20〜31日◆降りてゆく生き方Part2(後編)

これの続きです。

この向谷地さんの本を読んでいたら「この人のことラジオで喋っていいのかな?」という、そういう思いを。
そうしたら向谷地さんは「いいんじゃ無ぇの」とかと強気で言うものだから。
ご迷惑をかけないように心して語るつもりでいるが。

元大学の教授でありつつ、予備校にて論文試験の講師などもやっておられるという(最首悟氏と)、文化人類学の教授の方で辻信一さんとの対談。
これも知らない人の名前ばっかり続いて申し訳ない。
ザックリした言い方をすると、そういう方がおられてそんな話をなさったという。
その途中でこの最首さんはある重大な殺人犯との交流を語られる。
これは衝撃的。
人間を見る深いまなざし。
ただラジオで語るにはご本人の許可が必要かと思ったという。
しかしその本を編集した人から聞いたら「本に書いてあることなんで」という。
ただ、この最首悟さんというこの方の一種畏怖を感じる。

最首 私は現在八五歳になりまして(二〇二二年)。私が四〇歳のときにダウン症の星子が生まれました。三人上に子がいて(一男二女)、星子はその四番目の三女ということになります。
 現在(二〇二二年)星子は四五歳になるわけです。
(169頁)

(番組では「星子」を「ほしこ」と紹介しているが、本の振り仮名によると「せいこ」)

 当時はダウン症の子は、早死にするという。生きても三〇代とかということだったんですけど。今はもう六〇代まで生きる人も出てきて(169頁)

八歳の頃、白内障の手術が失敗したんですね。−中略−それで星子は全盲ということになって。−中略−
 何もできないというか、物を掴まない、食べるのも食べさせてもらう、そして噛まないで丸のみにするんです。
(169〜170頁)

一九七六年というのは、大変な子どもが本当に多く生まれている年で、四月には乙武君も生まれてるんですね。(170頁)

胎児性の病ということで。
最首さんはその時代、星子さんと生きてこられた。

星子は、頼らなくては行きていけない存在ですよね。鉢植えの草花っていうようなイメージで。やっぱり、水を三日やらないと枯れてしまうようなことで。(171頁)

他の力がいるんですみたいな。そのように頼られている。私たちが頼ってるっていうのは、頼られてることの、別名かと思ったりします。頼るというのと、頼られるという、これは相互関係ですよね。関係っていうのは、一方通行ではないんだ、そういう気もするんです。(172頁)

 将来、よく幼い子どもを持っている人に「将来が楽しみですね」というふうに声をかけるのが挨拶としてありますよね。(172頁)

「私も星子の将来に対しては楽しみでならないんですよ。そういう恩恵をこの子から貰っている」

今日という日と、明日という日はそんなに変わらない。
 じゃあ、未来はないんですかとはっきり言われるとね、そうは考えてないな、というような感じなんですね。
(173頁)

それも立派な将来なのだ、と。
何かそんなことを目指して生きておられるそうだ。

変化はあるんですよ。そりゃあもう、少しの変化だけで本当に嬉しいし。星子は便秘気味でしてね。なるべく薬を使わないっていうことになると、一〇日くらいぶりの排便になります。家中もう臭いんですよ。それが、何とも、母親と私とで、うきうきした気分になって、そういうのが良いですね。(174頁)

「私共はそういう生活をちっとも不幸とは思わない」「この排便の臭いをさせてくれる星子という存在が無ければ私どもの暮らしには喜びはありません」という、そういう方。
誰のものでもない出来事が私を喜ばせている。
その成り行きには人称の主語がない。
また日本語の不思議さ。
「成り行き」の不思議さ。

茶碗が割れた、ガラスが割れたという。それ割っちゃったっていうよりも、割れたっていうんですよね。(177頁)

こういう言い方をして、人影を言葉から消して、そういう流れであるという「成り行き」。
それが星子さんとの間に交わされることの嬉しさがとても幸せだとおっしゃる最首さんだが、その最首さんの身辺に実に不穏な影が忍び寄る。

余談だが不思議な日本語の言い回し。
「居る」という単語。
「そこに居る」という成り行き。

 リビングルームも居間ですしね、居留守を使うとか、居酒屋とかね。その居るっていう落ち着き方というかね、その場にいるっていうことなんだ、みたいな。驚いたのは、西洋語に、居るっていう表現がないっていうんですよ。(178頁)

「居る」というのは不思議な表現。
「そこに座っていた」とかそういう言い方をしないで「居る」という。
これは一種の成り行きで、流れのうちにある行動。
意志でそこにいたのではなくて、そこにいるような運命であったということで「いやぁ〜家に居たよ」、それから「居酒屋にいた」。
「アイツどこに居た?」「居酒屋に居るよ」という。
居る事情、成り行きを持っているという。
それを一瞬のうちに伝える。
哲学用語で言うと「私はそこに存在している」。
不思議な言い方がある。
「仕事は何やってるの」
「あ、学生してます」という。
あれも妙な言い方。

 風が吹くと桶屋が儲かる、そういう辿り方ができないんじゃないかと。−中略−私たち、成り行くというと、ちょっとって枠組みが取れない。(〜頁)

この最首さんのダウン症の娘さんに寄せる思いというのは、能力で人を分けなくなった。
「星子がそこにいる。それだけで幸せなんである」という。
そのことをこの最首さんという老境の大学教授が本にお書きになった。
これが評判を呼んだらしい。
評判を呼んだ最首さんのところに、ある日、手紙が舞い込んだ。
手紙を見て最首さんはびっくりなさる。
これが死刑囚・植松聡から。
事件当時26歳だった植松からの手紙だった。
覚えておられますか?皆さん。
相模原施設19人殺害事件、植松被告に死刑判決 - BBCニュース
やまゆり学園で重症心身の障害者の方45人を殺傷したという。
もう死刑判決は降りているが。
その彼からの手紙だった。
それで何が書いてあったかというと「この国にあって生産能力の全くないものを支援することはできない」。
丁寧な文章で差別の正当性を訴えてきた。
死刑囚・植松は著者と星子さんの関係が嘘に満ちていると手紙で告発してきた。

 一点目は、「奥さんがどんなに苦労してるのか、あんたわかるのか」ということ。−中略−あんたも大学人なら優生思想だろう。それと、星子のような子どもを育てるのは矛盾している。(180頁)

最首 会いに行きました(180頁)

「あの野郎」と言いたくなるが、あの死刑囚・植松聡。
報道キャメラが彼を撮ろうとした時に、車の中で笑い転げていた。

 その印象はどうでした。
最首 輪郭がはっきりしなくて、ぼけていて、この青年が、あれ程のことができるのかと思うような人でしたね。
(180頁)

そこでこの死刑囚と語り合うことになった。
植松は世界を割り切ろうとする。
「世界というのは単純化すべきなんだ。単純な支配、それが世界を動かしてるんだ」

IQ二〇以下は人間じゃない、もう人間扱いしないようにしよう(183頁)

「そういうふうに割り切った方が日本という国をもっと豊かにできるんだ」という。

それで、私は「割り切れないよ」っていうことを言い続ける覚悟というか、そんな簡単に、この命ということで、私たちは、命を生きたりなんかしてない。(183頁)

「自立している命が一つずつ世界にばらまかれているワケではないんだ。両足で立つもの、片足で立つもの、座るもの、うずくまるもの、様々な姿の命がある。弱くてフラフラしているものだってあるよ。そこでその命は誰かに頼る。命はそれ故に成立するんだよ」

「人のあいだ」を人と言う。(185頁)

「二人の間」の君と私であって、「二つの私」ではないという。
凄い。
それを直接本人に言いに行った。
この最首さんは論客で。
「よく考えてみてくれよ。単独としての個人なんていようはずがない。何かこう世界というものはそういう人達でできてるんだ。人間で一番孤独ではないということじゃないか?」と。
ここからこの方は壮絶な討論をこの死刑囚と始める。

最首さんはこの死刑囚と語り合うことになった。
植松は「生産能力の全くないものを支援することはできない」差別の正当性を訴えてきた。
最首さんと植松で往復書簡があったらしいのだが、結果から言うと植松の方が面会しなくなってしまう。
最首さんはいつでも会っていいと思ってらっしゃるのだが。
手紙の方も交換を最初はしていたのだが、植松は逃げ出して、一切返事をくれなくなった。
だから最首さんは定期的に手紙をきちんと書いておられる。
凄まじい、おどろおどろしい事件は「時のかなた」みたいに思ってしまうが、まだ皆さん、世の中であの男と戦っておられる方がいる。
あの男に何べん言ってもわからない。
最首さんのエッセーで中に凄まじいと思うのは、星子が今日は自力で便を出したというその臭いが家の中に残っていることですら最首さんにとっては喜びであったということ。
「汚い」とか「嫌な臭い」。
そうじゃない。
「いい臭い」「悪い臭い」は個人のもの。
そういう個人というものをとても大事に。
この最首さんのおっしゃっている「個人」は「一人」ということではない。
星子さんに支えられて二人が個人になっている。
西洋の思想の中で明治以来日本人がもの凄く苦闘したのがこの「個人」という考え方。
「個人」になる為にいろいろ日本人は必死になって頑張ってきた。
ところが「個人」で頑張ろうと福沢諭吉さんなんかが立ち上がるのだが反乱がおきると薩摩という、藩の人達がまた集まって問題を起こしたり。
その後は長州閥とか言って「閥」が。
今でもある。
卒業した大学の「閥」とかっていうのが法曹界にはある。
政治の世界ではというと、今度個人になるべきはずで投票は個人でやるべきなのだが「〇〇派」という「派」があって、という。
その「派」では学生運動の派閥があって。
ここでは殺し合いもしている。
「〇〇赤軍何とか」とあった。
それから「それはそれ、これはこれ」というので関係を個人にしようとするギャグ。

 そんなの関係ねぇって、コメディアンの小島なんとかさんは、裸で叫ぶ。カラスの勝手でしょとかね(191頁)

関係性で回りを断ち切ろうとする。
そこまでして個人を目指すのだが、なんだか上手くいかない。
それから流行った言葉。
「自己責任」
「自己責任」をわかりやすく説明した「テメェのケツはテメェで拭け」という汚い言い方があるが。
これなんかが「自己責任」で。
でもケツの拭けない人もいる。
もう腹をくくって他人のケツを拭く人がいる。
だったらその意味での自己責任も言葉として日本人には理解できていないワケで。
どうも明治以来、日本は個人というものに関して勘違いしている。
そのまま大きくなっている。
ではその個人とは一体何だろうかという、自信が無くなっているのが今の日本ではなかろうか?
最首さんは「その個人は見つからない」「人間は個人ではありえない。やっぱり人間は人間なんだ」。
「間」
関係の中に生きている、それが人間。
「自分は今、星子から頼られている。だが頼られることによって私は個人として立つことができるから。『おたくの娘さんは人間として扱いませんよ』あなたが言うこっちゃないよ!」という。
最首さんの堂々たる論理。
重症心身障害者の娘に頼られる時、私は頼る娘を頼りにして、私であるという。
植松の方から殆ど最近は面会も謝絶で、刑務所の方から聞くと受け取りを拒否して溜り続けているという。
(本には「死刑囚は、一般人からの手紙を読むことはできない」とある)
もともとは自分から出しているのにと思う水谷譲。
植松という人の正義というのはかくのごとく非常に孤独で。
武田先生も反省文で書いている。
「朝のラジオで喋るつもりだが、しかし、重すぎるのではないだろうか?この放送をどうお聞きになるか?とにかくあなたが孤独ではないことを祈りつつ、私は聞いてくださるあなたを頼りにしております。これは決して『私の正論』とか『私の言いたいこと』ではなくて、聞いてくださるあなたへの放送で」
三枚放送。
この成り行きの中に私個人が成立しているワケで、最首さんの言葉をお借りし、最首さんから学んだ言葉を今聞いてらっしゃる方に語り掛けている。
最首さんもおっしゃっているのだが、武田先生も締めくくりにこの言葉で今日を締めくくろうと思う。

『君あり故に我あり』(189頁)

君あり、故に我あり (講談社学術文庫 1706)



昨日のところで本の方の語りは一応お終いというこで、ここから先はフリートーク。
日記風に書いている。
「2024年10月の物思い」ということで書いていたのだが「10月の4、5、6を費やして浦河べてるの家、べてる文化祭へ行く」と。
帯広を降りて車で二時間、初秋の旅。
道南、襟裳岬の根本の町、浦河へ着く。
数か月ぶり、向谷地さんに会う。
そしてもう馴染みの統合失調症の(早坂)潔さん。
この方とも会う。
ちょっと浦河の原野に食べ物屋さんがあったりして、そこでべてるのスタッフと向谷地さんのところのご家族と。
向谷地の言葉遣いが好きで。
向谷地がソーシャルワーカーとして浦河にやってきて、生活が破綻した方がおられて、それを福祉で救おうとする。
お爺ちゃんがアル中で、お父さんがアル中で、せがれもアル中でという。
三代アル中。
その一家と向谷地が苦闘するのだが、向谷地の使う言葉は「いやぁ〜、あの親子三代には鍛えられました」
「鍛えられました」と発言するところは、この人のいいところ。
こんなふうにして水谷譲にも言ったことがあったか、この話。
べてるの文化祭に出ていた時に、統合失調症の方もいれば精神障害の方もおられて、そういう人達と一緒に混じって舞台の上に立っている時に、精神障害を持っておられる方から「武田さんも自分が精神障害者としてどんな病名を自分に付けますか?」。
べてるの家では自分の精神障害に自分で病名を付けなければいけない。
それで言われたので、遠い昔に、落ち着きのない武田先生を見て、ある人間ドッグのお医者さんが武田先生に病名を付けてくださった。
その名前が「過剰適応症」。
過剰に環境に適応しようとする為に、自分本人の何かを忘れているという。
「過剰適応症」と言ったら周りの精神障害の人達がもの凄く同情してくれる。
「大変ですねぇ」とか何か言われて。
それで武田先生もちょっと自分に自信が無くなって。
周りの方は「武田鉄矢」という目で見ているのか?「この人はテレビに出ている人だ」とかと思う水谷譲。
そういうことは皆さんわかっておられて、その上に「この人にも障害はあるんだ」という目で見てくださる。
そう言われてみると自分に自信が無くなる。
武田先生がが作る歌は変。
「あんたが大将」

あんたが大将



こんなの博多の戯言。
それが歌になると思うところも変と言えば変。
「贈る言葉」なんか泣きじゃくった恋の思い出。

贈る言葉



それを卒業式の歌と勘違いされるような抒情詩に仕上げるワケで。
才能と言えば才能だが、狂気と言えば狂気。
「私はちょっと変なんじゃないか?」
でも「自分は人として完璧なんだ」と思っている人こそ変だ、そんな怪しい人はいないと思う水谷譲。
そういう過剰適応症追及という、せっかく遠い昔、人間ドッグのお医者さんから貰った適応障害なので、自分で研究してみようと思って、今、適応障害の人達の本を読んでいる。
これはまた皆さんに必ずご報告すると思う。
もうちょっと待っていてください。

いよいよ話が長くなったが「べてるの家」で様々なことを学びつつ、東京へ二泊三日の旅を終えて帰ることになったのだが、向谷地さんが凄く気を遣ってくれて、浦河赤十字病院精神科の医長、精神科の長であるところの川村敏明先生に会わせてくれた。
川村先生とは前にも会ったことがあるのだが、この方と武田先生は同じ年。
団塊の世代で。
この川村先生は令和の今も現役。
初めに会った時の印象と殆ど変わらなくて、もう殆どヒグマのような風貌の先生でヒゲボーボー。
自宅近くの広大な庭で何十人もの来客を迎えて、ちょうど講話を、お話をするという会をやっておられた。
武田先生が(川村)先生のところに挨拶に行って「いやぁ〜!武田さ〜ん!」と言いながら手を振ってくれて
「こっちこっち!」と言いながら。
この川村先生は「べてるの家」と共に生きた方。
もちろん病院の先生なのだが。
まぶしい程の人で活き活きとしておられる。
何か知らないが豊かな人。
この人が小さな丸太小屋に武田先生を案内して「ちょっと世間話でもしましょうよ」と言いながらいくつか話をしたのだが。
締めにこの川村先生との会話を皆さんに聞いていただこう。
というワケで「べてるの家」と共に浦河の町での精神障害者の人達の暮らしを支える精神科医の川村先生とお会いして話していて、こういう人は落ち着く。
その時にべてるの文化祭で聞いた話。
UFOがしきりにテレパシーを送ってきて「宇宙に飛び立とう」という。
そのUFOに向かって走り出したものだからみんなで止めて。
そうしたら「べてるの家」だから、もう殆ど全員がUFOに乗ったことがある人で、みんなでミーティングをやって、その「宇宙人の中で免許証持ってないヤツもいるから危ない」とかそういう話になって、自然と流れは「アンタもUFOの免許取った方がいい」ということで川村先生は病院におられて精神科医で。
診断の結果、一週間の入院という。
入院生活をし始めると円盤の声がゆっくり遠ざかっていって、だんだん親和的、つまり向こうも慣れ親しんでくるという。
話す内容も変わってきて。
円盤の宇宙人の方から「いや、アンタやっぱり地球にいた方がいいよ」なんて真逆なことを言われてしまって。
それで症状が落ち着いたところでまた町へ帰ってくる
その時に「はい。免許取る為に入院ね」と言ったのが川村先生。
川村先生にその時の印象を聞いたのだが、やはり川村先生は医者。
武田先生がその人の狂気についてお尋ねすると、川村先生はサラっと「狂気の人も少し気がついている。幻覚や幻聴を見て、現実として狂気を語るんだけども、どこかで『ちょっとおかしい』と思う」。
だからバーっと寄ってたかって「オマエは間違ってる」と言うと狂気が強くなる。
そうすると幻覚と幻聴が生々しくなる。
ところが「そうだそうだ」と言いながらみんなで幻覚と幻聴を盛り上げると、幻覚と幻聴がゆっくりと薄くなってゆくという。
「違う」と言わずに「そうだそうだ」と一緒に乗っかると狂気の方がだんだん「いや、このままじゃまずいな」とか「みんな言ってること変だよ」とかと狂気が狂気に向かって説教し始めるという。
「そういうのを見抜くのが我々の仕事なんですよ」とえおっしゃる。
「私共も狂気を演じるんだ」と川村先生は言う。
つまり狂気の奥底には芸能にもつながるいわゆる「芸術の何か」があるという。
川村先生の近況を聞いたら、日赤でまだやってらっしゃると思う。
医長としての仕事、その局の中の長としての仕事と、それから縛られるのも何だからと言うので独立して医療の町医者を始められた。
そうしたらやはり、いろんな人がたくさん来る。
川村先生の腕がいいのを見込んで。
これが面白い。
誰かドラマにしてくれないか?
最後の仕事で、武田先生に川村先生の役をやらせてくれないか。
何が面白いかというと、人間というものを考える。
それと芸能人はやはりちょっと変じゃないとできない。
個性の塊じゃないきゃいけないし、どこかに狂気もなくちゃいけないし、癖もなくちゃいけないし、平板な人じゃ生きていけないと思う水谷譲。
そういう意味ではそっちの方面でも励まされたような気がした。
その時に最後に川村先生と盛り上がって向谷地さんも目を輝かしていたのだが、日本はこの浦河から先進の精神障害等々の治療が今、どんどん発見されている。
一万人ちょっとの小さな町。
でも世界に通じる町。
これからの「べてるの家」に期待してください。
どういう方が「べてるの家」に入れるのかと思う水谷譲。
やはり本人の決断。
「入れてください」から始まる。
ここに行くと、とにかく考え込む。
いろんな適応障害、精神障害を持った人がこの町に集まってきていて、それをべてるの文化祭で見たのだが、人から心を読まれると悩んでいる人がいる。
この人にとって必要なのは「心の壁」を持つことで、壁を持たないと他人が入ってくるという。
彼女の相談相手に向谷地さんが選んだ人が自閉症の人。
自閉症で引きこもりの青年が、この精神障害を持った女性に対して「どうやったら人との間に壁を作るか」「どうやったら閉じこもることができるか」を教えている。
面白い。
この子に向谷地が「作業は進んでる?」と言うと「はい。だいぶ壁ができるようになりました、彼女も」と言う。
彼はスタッフとして働いてる。
「人との間に壁を作る名人」「引きこもりの達人」という。
こういう発想が抜群で。
「人間というもの」というのが、どのように支え合って、ある意味で言うと硬い言葉で有機的に結びついていくか。
その人間の実験場として「べてるの家」というのは面白くて、チャンスがあったらここからまた川村先生の川村先生診療譚というのは、別個の「(今朝の)三枚おろし」で触れたいと思うのでこうご期待。
(川村敏明氏については2025年2月17〜28日◆治したくないで取り上げた)
「降りてゆく生き方Part2」を締めくくる。
来週はまた別のネタで。


2025年1月20〜31日◆降りてゆく生き方Part2(前編)

これの続きです。

弱さの情報公開?つなぐー



「降りてゆく生き方Part2」ということで、申し訳ない。
これは本当に山ほどネタを仕込んでしまって、たった二泊三日の旅だったが、いい旅を事務所スタッフからさせてもらって、いいネタをたくさんそこで見かけることができた。
「どのへんから話を始めようかなぁ」と思って言うが、昨日ちょこっと起こったことから話す。
とある長い長いバラエティー番組に呼ばれて。
「何時間続くんだ?」というような長さだったのだが、それの収録をしていた。
(2月23日放送のTBS「ベスコングルメ」のことかと思われる)
それで声のいい麒麟の川島(明)さんが番組を回しておられる。
武田先生の使い道など無いのだが、川島君はいい子だから(話を)振る。
それで昭和の思い出話をする。
あんまり詳しくないから、武田先生の話せる範囲内は決まっている。
「101回目のプロポーズ」の前後とか「金八先生」とか、昭和の深い時代に終わった人気番組のこと。
川島さんが振るのだが、振りにもう無理がある。
全然わからない。
テレビゲームの話とかになる。
武田先生は「インベーダーゲーム」で終わっている。
「名古屋撃ち」とかそういうのでもう終わっていて、「〇〇ファンタジー」とかもうわからない。
それを若い人達が盛り上がるという。
そうしたら話が、今もブームが続いているらしいが「たまごっち」になった。
また再燃。
そんなのは全然知らない。
川島さんがよせばいいのに武田先生にたまごっちを振る。
武田先生はやったこともなければ興味も無い。
面白いとも思わない。
金八先生で「たまごっち禁止」という、そういうものを物語の中で扱ったことがある。
そうしたら川島さんが残念そうにあのいい声で「いやぁ武田さんご存じかと思ったけど、ご存じないんだ」とかと言うから「日本人は何でこんな奇妙なものが突然大ブームになるんだろう?」。
これは凄い。
たまごっちだけで二百億、三百億円の経済効果があった。
何で起こっているのか誰もわからないのに大ヒットしているという。
(川島さんが)「日本人て不思議ですよね」とおっしゃるから、日本人はそういう不思議なブームを巻き起こすことがあるというので、思わず「あ、俺らガキん時によくやってた赤土団子っていうのがあった」。
赤土団子を知らない水谷譲。
知るワケがない。
武田先生達は子供の時、小学校低学年の時、何も遊び道具が無い。
それで何をするかといったら、赤土を指でほじって、それをガラス板の上で丸める。
それを金属の玉みたいにテッカテッカにする。
それがパチンコの玉みたいに、もう赤土が金属に見えるぐらい光り始める。
それを「泥団子」と呼んでいた水谷譲。
それでその硬さとか光沢を仲間同士で競い合う。
それで何回も校長先生が朝礼で禁止条例を出す。
赤土が見当たらないから運動場の隅にある子供相撲の土俵の赤土を指でほじって。
運動場の隅に土俵があったのを不思議に思う水谷譲。
昔は相撲文化だから、それを指でほじる。
ところが全校生徒千人近くいるワケで、男の子は全員毎日ほじるものだから、土俵にボコッと横穴が空いてしまって、もう校長先生が烈火のごとく怒っているのだがやめない。
それから「ギンナン笛」。
校門の横にギンナンの木が立っていて実が落ちる。
その実のアレを取って、あのタネで笛を作る。
ところがそれをやると子供だからギンナンに負けてしまって発疹だらけになる。
そうしたら低学年の子は全員ブツブツ。
「やめろ」というのだがやめない。
いったん流行り出すとやり続ける。
これが「降りてゆく生き方」にどうつなげていくかわからないのだが。

LGBTの方がレインボー運動をやっておられる。
今、アメリカなんか凄い。
トランプさんが大統領になるが、あの中で、またLGBT嫌いな人が一人いる。
あれはまた揉める。
だが日本は意外とみんな許容している。
多様性は認めている国だと思う水谷譲。
それが考えてみたら文化の中にある。
歌舞伎はやっぱり女形が芸のうちになるし、宝塚は女性が男性を演じるところに美しさがある。
こういう「ジェンダーを入れ替える」というのは、平安の昔からあった。
「とりかへばや物語」というのが源氏物語と同じぐらいの時期に物語としてあって、男の子を女の子に、女の子を男の子にして育てるという物語が平安時代にある。

とりかへばや物語 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)



そういう文化の中で、異国のLGBT問題と日本は少し違うんじゃないか?という。
「日本という国が独特の文化を持っている」というところから「降りてゆく生き方」「べてる」のあり方みたいなものを探ってゆこうと思う今週。

「降りてゆく生き方Part2」ということで北海道・襟裳岬の根本の町「べてるの家」。
ここに向谷地さん。
武田先生と同世代の方がいらっしゃる。
その方が教えてくれた「べてるの家」の活動みたいなもの。
これがなかなか武田先生の後半の人生にとって非常に深い意味を持っているような気がして。
「そのへんを語ってみたいなぁ」と。
「降りてゆく生き方」は素敵な言葉。
これは60(歳)の頃出会った言葉だったが「なるほど」と思った。
この「降りてゆく生き方」は多分、向谷地さんが作った言葉ではないか?
違ったらごめんね向谷地さん。

パウル・ティリッヒ(アメリカの神学者・思想家)があります。『存在への勇気』という非常に難解な本でしたけれども、そこから私が得たものは、ティリッヒの「人生曲線」だったんですね。−中略−今を生きる高さから、私たちは毎日、死ぬという低さに向かって降りている、という考え方を教えられるわけですね。ここから私の中で「降りていく生き方」というキーワードが与えられ(212〜213頁)

それを生きているうちに模索しようではないか。
それから向谷地さんは読書傾向が似ていて

V・フランクルの本を示されるわけです。名著と呼ばれる『夜と霧』−中略−このフランクルの「ホモ・パティエンス」の考え方もそうですね。まさに人間は「苦悩する存在」であるということですね。この「苦悩」を人間存在の根本的なものとして捉えた。(213頁)

ものごとを「楽」とか「安らぎ」で解こうとするから、ものごとはどんどん絡まってくる。
全ての解決を苦労で解いてゆく、そういう生き方をすることだ。
「毎日みんなで苦労しようぜ」という。
そう覚悟したら人生は違ったものになる。
この言葉に向谷地という人は惹かれたらしい。
だから苦悩が義務であるから、毎日苦労してしているかどうかが問題なんだ、と。
強靭な意志。
それでこの方は社会の福祉に尽くす福祉人として精神病を患っている人と暮らしを共にする。
「精神障害の人達を病院に閉じ込めないで町に出て労働する、そこに解決策を見出そうぜ」という。

「社会復帰」っていう切り口からでなくて「社会進出」の発想でチャレンジする。(216頁)

精神的に障害を持った人が社会に進出していく、そういう生き方を探ろうということで小さな小さな浦河の町で地元産の昆布の商品化とか板金工、或いはパン屋さんをやったり、それからいわゆる道路補修等々の公益の事業に就いたりして一緒に苦労したという。

風呂に行くのを節約して早坂潔さんと雨の中で風呂代わりに体を洗って(209頁)

「苦労」への参画ということです。(216頁)

もう「今日も苦労。明日も苦労しようね」と言いながら苦労に参加していくと、次々新しい発見がある。
ここから向谷地さんは絶妙のことを言う。
何かというと精神障害を抱えたその人達が、毎日苦労するということを体験しているうちに幻聴や幻覚が質的に変化する。

私達が機嫌良くなると、幻聴さんも機嫌が良くなる。私達が仲良くなると、この幻覚も私達に対して親和的なものになるということが徐々に分かってきたんです。(216頁)

つまり幻覚や幻聴、特に幻聴が強い人が「オマエなど死ね」という言葉がどこからか聞こえてくるという幻聴に苦しんでいる。
それがここで毎日の苦労を覚悟して日々、肉体を使って働くと「頑張ろうよ」と言い出す。
つまり幻聴も変化する、という。
幻覚も変化していく。
この時に起こった事件が「空飛ぶ円盤で誘いに来た宇宙人」が、あの例の話。
みんなで語り合って、宇宙に連れていかない為にはどうするか?
そうしたら彼を入院させて、それで出てきたら幻聴が遠のいた。
あれからも、宇宙人からのテレパシーで幻聴があったそうだ。
そうしたら内容が変わってしまって、宇宙人の幻聴が「なるべく地球に残った方がいいよ」と言い出した。
これは向谷地は「もしかしたら大変なことが実は起こってんのかも知んない」という。
それで彼はソーシャルワーカーとして頑張るのだが。

精神障害を持っておられる方、症状としてよくあるのが「幻聴」幻の声が聞こえる、
或いは「幻覚」神が目の前に出てくるとか、そういうことがある。
ところが向谷地さんはキリスト教徒なので、聖書なんかよく読んでらっしゃる。
その向谷地さんが気が付いた。
「そういえば幻覚・幻聴っていうのはキリスト教の中では聖書に書いてあるな」
有名な話がある。
熱心なユダヤ教徒であるパウロ。
彼は新興のキリスト教徒を激しく憎んで捕えては次々と処刑するという「キリスト教迫害者」だった。
ある日のこと、急に視力を失って気が付いたらキリストの声が聞こえた。
「パウロ、パウロよ、なぜわたしを迫害するのか」とキリストが責めたという。
(この時点ではパウロの名前は「サウロ」)
それからパウロは目からうろこが落ちたような状態になり自らキリスト教徒になったという。
それから、武田先生はこの話が大好き。
アピアン街道の話。
これはペテロ。
キリストが処刑されるのを見届け、それから熱心にキリストを神の子だと信じるようになったペテロ。
だんだんお爺ちゃんになってしまって。
その頃キリスト教徒も増えたのだが、ネロという恐ろしい皇帝様がローマ帝国の長になられると、キリスト教徒を遊び半分で殺す。
恐ろしくなったペテロは、命が惜しくて逃げる。
ローマからギリシャ方面に逃げようとしたのか。
そこでアピアン街道というところを走って逃げていた。
そうしたら向こう側からパンツ一枚で危険なローマに向かって走る若者を見る。
彼は急いでいる。
よく見たら何のことはない、若い時お別れしたイエス・キリスト。
それで彼はその若者、あの死んでしまったイエスに向かって声をかける「Quo vadis, Domine?」「主、汝いずこへ行きたまう」「イエスはどこへ行かれるんですか」。
そうしたらイエスが怒った目で、キッ!と睨んだのだろう。
「オマエはまた裏切るの?」という。
「最期の晩餐の時もそうだったじゃん。アンタ裏切って逃げたでしょ?私がよみがえって永遠の命を見せたのに今度またアンタ命惜しさに。何べん言ったらわかるの」みたいな、イエスは厳しい目つきだったのだろう。
そこでナヨナヨナヨと倒れたペテロは「申し訳ない。ちゃんと死にますから許して」と言いながらローマに取って返して十字架にかかるのだが、普通にかかったら、ご主人のイエス様に申し訳ないので「私を逆さにして磔にしてください」ということで磔のさかさまで死んでいったという。
そのペテロの逆さ吊りの十字架の跡に立ったのがセント・ピエトロ寺院(サン・ピエトロ大聖堂)。
でもこれはいずれにしてもパウロ、そしてペテロも怒りの声。
神様からの怒りの声。
これを幻覚・幻聴で聞いてしまう。
「べてるの家」の精神障害の人達は仲間と共に頑張ると幻覚・幻聴が明るく変わってくるという。
水谷譲に一回言ったことがある。
2024年7月8〜19日◆老害2024年8月19〜30日◆ヒト、犬に会うで遅刻する夢の話が出た)
幻覚・幻聴、或いは悪夢の傾向があるという。
武田先生があの時言った。
「遅れる」という夢を見る。
今でもしょっちゅう見る水谷譲。
武田先生も今だ、遅れる(夢を見ることが)めっちゃ多い。
試験会場に遅れる、国際線に乗り遅れる、新幹線に乗り遅れる、どんどん遅れてゆくという。
「生放送に遅れる」というのをしょっちゅう見る水谷譲。
自分の内側に眠っている狂気に向かって聞いてみた。
「何で俺はこんなに遅れる夢ばっかり見るんだろう?」
そうしたら気が付いたのだが、日本人の文化の中、物語の中に「遅れる」ということがいっぱいある。
宮本武蔵と佐々木小次郎。
巌流島の決闘で武蔵はわざと遅れてゆく。
それから堀部安兵衛の決闘高田馬場では自分が遅れるという。
それで自分の親戚のおじさんか何かが切り殺されてしまうので、堀部安兵衛がもの凄い勢いで高田馬場まで走って行った。
走ってゆくといえば何回も話が出ているが、太宰治の「走れメロス」も約束を守る為に遅れを取り返そうとするとか。
昭和の戦前のことだが、国際社会に対してだんだん不満を持った日本。
それが非常に焦ってきて、ヨーロッパと肩を並べられない自分達、我が国日本に対して「バスに乗り遅れるな」。
それからミッドウェー海戦では爆弾を入れ替えようとした時の「あと五分で出撃できます」。
その隙に飛行機が攻めてきた。
日本では間に合うか間に合わないか、これが大事な・・・
この「遅れる」という恐怖感。
これが日本人の体の奥に宿っているのではなかろうかと。
ただ一瞬だけ奇怪なことがあった。
武田先生は、この向谷地さんの本を読んでいて、遅れる夢を見た。
その時に「何で遅れる夢ばっか俺見るんだろう?」と夢に訊いた。
そうしたら、それから何か月間か遅れる夢を見なくなった。
「また遅れる夢か」
そうしたら向こうが「見抜かれるぞ」みたいな。
そうしたら何か月間か見なかった。
だいたい夢の中で遅れそうで慌て始めたら「夢かも」というふうに自分で疑ってみるという。
このあたり、人間の奥の奥にある何事か。
これは恐らく民族的な遺伝子ではないだろうか。
だって「キリスト教の神と出会った」というのはアメリカの人達に影響を与えている。
マイケル・ジャクソンが亡くなった時に、凄い言葉だなと思ったのだが「王がいない国の人達は神の真似をしたがる」と。
どこかの心理学者(の言葉)だと思うのだが。
王様がいる国というのは、狂気の人は王様の真似をする。
それで、王様がいない国は神様の真似をしたがる。
だからキリストの真似をして死にたがる傾向を持つとか。
そういえばアメリカの凄いアイドル、ジェームズ・ディーンとかも若くして死す。
マイケル・ジャクソンも。
あれは神様の真似をしたがったのではないか、という。
そういう例え方が凄く面白くて。
この日本人の「遅れることへの恐怖感」というのは、どこから来ているんだろうか?と本当に真剣に考えたことがあった。
今も考えている。
これはやはり稲作を中心とした社会。
季節に間に合わないと、完璧に遅れる。
人が田植えを始めたら自分も田植えを始めないと、乗り遅れると、真夏がやってくると雨が降らないという時期がくるワケで、そういう意味では「遅れる」ということが死につながる。
なんせこの国は桜が咲いたら新聞のトップだから。
「花が咲く」ということがトップニュースになるというのは、こんな国はない。
咲かなければ咲かないでそれもトップニュースになると思う水谷譲。
それは天気にしてみれば「暑い時だってあるよ」「ちょっと俺が遅れたぐらいで『遅れたろ?』」という。
何かそういう「遅れること」に対する恐怖心というのが、自然とか天然・自然の災害とか、そういうものによってしつけられている。
集団の足並みを乱すことへの罪意識。
他の民族と違ってもの凄く日本人は重大な罪として。
電車が二分ぐらい遅れただけで「大変申し訳ありません」という放送が流れたりすると思う水谷譲。
東京駅でよく見かける風景だが、新幹線が時間通り発車しているのを時計と発車のパネルを撮って出ていく新幹線と三つキャメラにおさめている人がいる。
だから九時発の新幹線が九時に出ているというのは彼らにとっては異常なこと。
武田先生はそういう意味で「遅れる」ということに対する社会の問題化というのが日本人の心の中には相当深くあるようで、一種狂気として「遅れることへの怯え」があるのではないだろうか?と。
子供の頃から「時間は必ず守れ」と言われたと思う水谷譲。
10分以上遅れたらぼろくそに言われた。
こういうふうにして自分の狂気をジーッと見つめていると民族全体の遺伝子の流れみたいなものを感じて仕方がない。
そうなってくると向谷地さんとどう結びつくのか?という。

向谷地さんに戻ろうと思うが、この人の話を聞くといつも感動してしまう。
この方は25年間、「べてるの家」の体験で20万件の精神障害の人達と語り合ったという。
彼は「べてるの家」の実践から狂気への取り組み方を会得している。
これはこの人のおっしゃっていることだが、その人が持っている狂気に関して、研究する時に最も大切なのは「対話型」「語り合うことだ」という。
障害者と治療者、お医者さんと患者さん。
上下を付けないで語り合う。
なぜその幻聴はきたのか?
その幻覚はどうやったら出現するのか?
そういうことを徹底的に語り合う。
「そうするとだんだん正体がわかってきますよ」ということ。
向谷地さんの言葉遣いの面白いところは、精神障害がワリと重篤で治療困難という方がおられると、向谷地さんは武田先生の前でも使ったが「この人は手ごわかったんですよ」と。
「手ごわい」という。
それからさんざん迷惑をかけられた精神障害の人に対しては「いやぁ〜勉強させられました」と言う。
この向谷地というのはいい人。
とにかく徹底的に語り合う。
それで裏の裏を見抜くという。

統合失調症を持つAさんを紹介します。−中略−安全保障問題から政治情勢まで、機関銃のように話題が口から出てくるんですね。例えば病棟の看護師長さん今度は知事になるとか、自分は自民党の政調会長になるとかそんな話を延々とするわけですね。(225頁)

これは武田先生ではない。
向谷地さんの本の中で書いていた一言だが、精神障害の人と付き合ってるとわかるが、そういう人達が政治を語るっていうのは病気が酷くなっている時。
これはちょっとごめんなさいね。
国会の為に頑張って働いてらっしゃる方を決して軽蔑してるのではない。
前にお話しした神様との契約をしてるというその人と、政治を語る裏側に何があるのかと思って向谷地はずっと探索していくと彼の神様がいた。
2024年11月25〜12月6日◆人生、待っていたのはに出て来た話)

神様からのテレパシーで送られてくる命令の内容が、何と一四種類あって、その中に、「新聞を読むな」「テレビを見るな」なんと「部屋から出るな」っていうテレパシーもあるんですね。ちゃんと神様のテレパシーを守ってるんですね。−中略−私はそれを聞いて言いました。「神様もいろいろいるけどあなたのその神様ひどいじゃないですか、その神様に苦情を申し立てたい」っていうふうに言いましたら、「Aさんはそれはやめてくれ」という事で、私は「ぜひ神様に嘆願書を出しませんか」とスタッフの人に言ったら、看護師さんはそれはいいねって言ってくれて、看護師さん達は見事な嘆願書を作ってくれました。それで署名欄まで作ってくれて、スタッフの方たちや入院患者さんの一部の方たちも含めて四〇人以上の人が署名してくれて、Aさんにそれを見せたんです。これを絶対神様に届けようねって言ったらものすごく喜んでくれました。
 すると、不思議なことに、あっという間に縛りが一四から五つにまで減りました。私は五つの縛りの中身がちょっと気になりまして、
−中略−「あんまり看護師さんの胸を見るな」なんて声がちゃんとあると言って大笑いしたことがあります。(225〜226頁)

これを向谷地は「狂気を共有すると狂気の方もこっち側を見ている」という。
これでアジア圏から注目する人がいる。

メールをいただき私はべてるのスタッフ、メンバーとアジアの最貧国のバングラディシュへの「家庭訪問」を決行しました。
 檻の中で家畜同然のように暮らす女性と鎖につながれている女の子の家に家庭訪問をしました。
−中略−五年ぶりに檻から出ていただきました。しかし、シラミのために髪の毛はバリカンで丸坊主にせざるを得ませんでした。庭に出た彼女は何かに怒ってまして、私は挨拶した途端に回し蹴りとパンチをくらいました。−中略−私は一緒に彼女と塀の外へ出ました。−中略−一緒にリキシャに乗ってですね、町を一緒に散策しました。(233〜234頁)

特に鎖につながれていた女の子は何かに恐怖していると思いました。−中略−次の日、地域の会館を借りて一緒に当事者研究をしました。彼女はかぼちゃのおばけに苦しんでいたことがわかりました。−中略−彼女にとって必要だったのはですね、一緒に苦労について対話できる仲間だったんですね。私たちはこれからもアジアの精神保健福祉の現状を変えるためにアクションを続けたいと思っています。(234頁)

(番組では話を混ぜてしまっているが、向谷地氏に暴力をふるった人とかぼちゃのおばけに悩まされている人とは異なる)
この向谷地が語る狂気への向き合い方、これを知れば知るほどこの人は本当に偉大な人だと思うし、精神障害の人達のことも知れば知るほど狂気というものが格別の障害になるとは思えなくなる。
政治、宗教、思想、恋愛、芸能、そういうものにみんな狂気の片鱗がある。
それでちょっと面白いことを考えた。
武田先生の中にもそれ(狂気)はあるなと考えて、「心身症」とか呼ばれるヤツの人の本を読んでいたら、武田先生はピッタリ。
それはまた別に話す。
つまり精神にある「バイアス」「歪みとか傾きを持つ」というのは意外と人間、あるのではなかろうかと思った次第。
来週だが、もの凄く大きい問題に突入していく。


2025年04月28日

キッコーマン デルモンテ リコピンリッチ トマトケチャップ

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デルモンテ リコピンリッチ トマトケチャップ | キッコーマン株式会社
つけ、かけはもちろん、調理にもお使いいただける万能タイプのケチャップです。パイナップルビネガーを使用していますので、フルーティーな甘みと香りが特徴です。リコピン1.5倍(当社JAS特級トマトケチャップと比較)

内容量 285g
希望小売価格 オープン価格
100gあたりエネルギー113kcal

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袋の裏側にメニュー的なものが載っている。
下の方にレシピのQRコードなどもある。
この商品のサイトの方にも、いろいろとレシピが掲載されていて、その中に簡単に作れそうだなぁというものもあったので挑戦してみたい気も無くは無かったが、時間が無いのでね・・・。

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キャップの色が変わってるな〜と思ったのだけれども。

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容器の大きさが違うので上手く写せなかったけれども、普通のケチャップは出口が中央なのだけれども、この商品は中心からずれた位置にある。
何か意味があるのかな?

ちょっとだけそのまま舐めてみた。
甘さがあって美味しい!
もちろんケチャップの味なのだけれども、普通のケチャップとはだいぶ味が違う感じ。

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味がわかりやすいかな?と思ったのでオムレツみたいなものを作ってかけてみた。
濃いということなのだけれども、むしろ硬さ的には緩い感じ。
でももちろん味が薄いとか水っぽいとかってことではないので、ちょっと不思議な感じがした。
もちろん、オムレツに合わないなんてこともなく美味しい。
美味しいだけでなく、リコピンが1.5倍ということなので体にもいいんだろうな〜ということで。

キッコーマン デルモンテ リコピンリッチトマトケチャップ 285g



posted by ひと at 18:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年11月11〜22日◆降りてゆく生き方Part1(後編)

これの続きです。

依存症をどうやって治すか?
精神科医の先生の論文を元にしてお話をしている。
(本によると論文ではなく「SHIGETAの学校での講演」)
論文の書き手、松本俊彦先生という方。
精神医療の方。
この方が依存症を治すという。
「依存」が付くものは全部、治療の対象となりうる。
薬物依存、アルコール依存、ギャンブル依存。
それから水谷譲が思いついてくれたがセックス依存症。
その「依存症」というのは精神のどこから来てるんだ?という。
この松本先生が紹介なさったネズミの実験というのがあって、このネズミの実験というのが驚きで。

 オスメス同数のネズミ、三二匹、トータル三二匹ですね。それを用意します。そしてその三二匹をランダムに二つのグループに分けます。一つ目のグループは、一匹ずつ檻の中に閉じ込めます。−中略−エサや水は決められた時間に決められた量しか与えられません。−中略−
 それからもう一方のグループは、一六匹まとめて一箇所に集めました。ネズミたちのために作った人工的な楽園に置いたんです。
−中略−広々とした場所です。そして床にはおがくずが敷かれていて、ふかふかしてとてもあったかいです。エサや水は欲しいときに欲しいだけ摂取することができます。そしていろんなガラクタが置いてあります。このガラクタで遊んだりじゃれあったり、いろんなことをします。−中略−ネズミたちはあっという間に恋に落ちます。−中略−恋におちるやいなや交尾を始めます。(101〜102頁)

これが毎日繰り広げられて、
面白いものでメスに気に入られる為に、オスは空いた時間はクルクルクルクル回るヤツで足腰鍛えているという。
メスはメスでオスとの恋を楽しむという。
グループAの16匹は体はたいして動かせない。
うずくまり、ただ水とエサの時間を待つだけという日々を過ごすという。

 この二つのグループ−中略−のネズミに二つの飲み物を与えます。一つは普通の水です。もう一つはモルヒネ入りの水です。(102〜103頁)

この二つの飲み物を、二つのグループのネズミたちに与えて、五七日間観察します。−中略−どちらのグループのネズミのほうが、このモルヒネ水を好むネズミの数が多いか? こういう実験です。−中略−実際の結果は、圧倒的に一匹ずつ檻に入れられたネズミでした。この檻に入れられたネズミ一六匹中一六匹が普通の水よりもモルヒネ水を好みました。しかもモルヒネ水の消費量は、この実験中どんどん増えていきました。(103頁)

(番組ではモルヒネの濃度を濃くしたように説明しているが、濃度は一定で消費量が変わったようだ)

 一方、楽園に置かれたネズミたちは−中略− こんな状態でモルヒネ水を摂取したら、ラリッてしまって足腰が立たずに、乱交パーティの相手が見つからない、モテ度が下がってしまう。そのことを危惧したのかもしれません。一匹だけモルヒネに対して嗜好を示すネズミはいました。しかしながら、檻の中のネズミに比べると、モルヒネの消費量は二〇分の一以下だったことがわかっています。(103〜104頁)

かくのごとく57日間でもAとBを比べると、もの凄い差が出る。
つまり依存症とはこういうことなのである。

薬物を摂取すると、以前からずっと悩んでいた、痛みや悩みが一時的に消えるんです。苦痛が緩和されること、これが報酬となるってことなんです。(104頁)

大事なことは「快感」を求めているのではない。
痛みの和らぐことを求めて「依存している」という自分を積み重ねてゆく。
だから依存症というのは、努力しないと依存症になれない。
これは武田先生はハッとしたのだが松本先生は凄いことを言う。
依存症の本質、依存症が求めているのは快感ではない。
苦しみや痛み、これを緩和するところに喜びがある。
一番大事なことは苦痛を完全に消すことは困ることで、緩和されるということが快感なのである。
だから苦痛を大事にとっているんだ、と。

 快感だったら飽きるかもしれません。しかし、以前からずっと悩んでいた苦痛がいっとき和らぐ。これは飽きないと思います。(104頁)

だから「苦しい」が終わらないように、「苦しい」を感じない時間があってまた苦しくなるということが依存症の一番大事なところで。
変な男で失敗してもまた同じ男に行ってしまうようなものかと思う水谷譲。
フロイトが言っていた。
3回、4回結婚しても女房がだいたい似たタイプという男がいる。
誰かが四度目の結婚式場に出て小さい声で「あの野郎、雪道に迷いやがった」と言っている。
グルグルグルグル同じところを回っているというのがいる。
芸能人の中。
(名前を出したいが)我慢する。
言ってはいけない。

ここから依存症は奥につっこんでいきましょう。

実は依存症というのは、「安心して人に依存できない病」だという気がするんです。(109頁)

薬物であろうとドラッグであろうとギャンブルであろうと、女性依存、或いはセックス依存というような依存症というのは「安心して人に頼れない私」。
「そこから始まるんだ」というと「あの依存症の人もそんな顔、してたなぁ」という気になってくる。
この「依存」の反対語は何かというと「自立」。
「自立」とは何かというと自分で根を張って生きているということで、植物に例えると、四方に根を持つ。
例えば桜とかそういうもの。
では依存症の植物は何かというとツル。
誰かに巻き付いている。
その人の脇で巻き付いて生きていくというような性格、或いはキャラクターの人が依存症になりやすいようだ。

初めて依存症の専門外来にやってきた方たち、治療開始から三か月後にも治療を続けている人がどのくらいいるのかを調べてみました。なんと七割が治療を中断していました−中略−この三割の方に聞きました。−中略−この三か月間に一回でも覚せい剤を使った? 聞いてみると、なんと九六パーセントが一回も使ってないんですよ。(111頁)

その三割の人に「なぜ頑張れたのか」と聞くと「三か月もやめているということを誰かに自慢したかった」という。
その「誰か」がお医者さん。
「アンタ三か月辞めたのか!」とそういう喜びを分かち合える人がいると、その笑顔に会う為に我慢できる。
(番組では三割の人は医者から褒めてもらえることで覚せい剤をやめられているというような話になっているが、本ではやめることができている三割の人が自慢をしに病院に来ているだけという内容)
とにかくこの松本さんというお医者さんがおっしゃっている。
これはちょっと乱暴な言い方。
でも皆さん、検討しましょう。

 安心してシャブを使いながら参加できるプログラム。(113頁)

こういうのをプログラム診療所といって、様子を見ながら治療していくという。
どんなことでも急に「やめろ」と言われたら苦しいと思う水谷譲。
武田先生もタバコをやめてしまった。
三箱吸っていたのに。
(やめた理由は)病院の入院生活が忙しくて。
心臓病の手術をやって入院していた。
それでも頑張って吸いに行っていた。
病院を抜け出して近くの児童公園の滑り台の下で。
そこは他の患者さんもいっぱい隠れて吸いに来ている。
糖尿病の人とか。
その中には、ちょっと反社の人とかもいる。
だから何分待ったら吸えるのかが読めない。
それから競馬のノミ屋さんとか、電話で連絡している。
並んだ並木道の陰に隠れて彼らが去るのを待つのだが、あの人達は話好きが多いから話が長い。
反社の人とノミ屋さんが独占している。
それでだんだん行くのが面倒臭くなって。
ある日ハッと気づくと「あれ?俺いけ無ぇ!タバコ吸うの忘れてた」と思って。
それで手術したばかりの痛い腹を押さえながらまたブランコのところに行ったら、反社の人がまたいる。
「退院が間近だ」とお話になっていて。
本当に「早く退院してくれ」と思った
そうしたら武田先生の方が退院が早くて。
「やめた!雨も降ってるし今日行か無ぇ」と思った雨の日が三日、四日続くと(タバコを吸うことを)すっかり忘れてしまって。
だから禁煙なんていう思いがない。
「タバコを吸うのを忘れちゃった」という日々が十数年続いているという。
助かった。
それからやはりお医者さん(の存在)がデカかった。
手術直前に「武田さん、あの、ざっとでいいですけどタバコ何か月前におやめになりました?」
その時にいい先生だったもので「え?タバコですか?昨日やめました」とはっきり嘘とわかる顔で言った。
その人が悲しそうに下を向いて「そうですか・・・」。
それが結構残像で強かった。
奥様からあんなに厳しく言われても、奥様には悪いのだが、武田先生にタバコを止めさせたのはあの反社のウエットスーツ(スウェットスーツのことか?)を着てらっしゃる方とか、競馬のノミ屋さんをやっておられて借金の取り立てをやっておられる方、そしてあの真面目な心臓外科医の〇〇先生、この三人のお陰でタバコが辞められたという。
よかった。
いい人に会った。
本当に反社感激!
それは「感謝(感激)」だと思う水谷譲。

先ほど示したネズミさんの実験を紹介したいことがあります。五七日間檻の中でモルヒネ漬けになって、すっかり薬物依存になってしまったネズミさんを、一匹だけ楽園のほうに移します。−中略−数日経つと完全に乱交パーティグループのレギュラーメンバーになって、みんなと一生に乱交しています。そのころから、このネズミに大きな変化が出るんですよ。それまでモルヒネ水を吸っていたネズミは、他のグループのメンバーの真似をして、普通の水を飲むようになるんです。−中略−急ににモルヒネをやめるので、激しい禁断症状が出てきます。水を吸いながら痙攣発作を起こしています。でも、二、三日我慢するとその禁断症状もとれで、三日目以降は、どのネズミが元々檻の中にいた薬物依存症ネズミか、もはや区別がつかなくなっています。(115〜116頁)

だから取り囲むというのは大事。
松本さんというこのお医者さんはいいことをおっしゃっている。
なんでもいろんな目で考えてみましょう。

アディクション、これは酒や薬に溺れた状態、あるいは依存症を意味する言葉です。じゃあアディクションの反対はなに?(116頁)

 アディクションの反対はコネクションですよね。−中略−酒や薬は止まらなくてもまずは繋がることです。(116頁)

日本語だと「依存・自立」だが英語は「繋がり」「コネクション」。
ということは依存症というのは繋がりに弱い。
仲間がいて、その繋がりができれば依存は治まる。
だから著者は言う。
「覚せい剤やめますか。それとも人間やめますか。」とか「ダメ。ゼッタイ。」とか。
こういう標語は役に立たないんだという。
考える。

この「ダメ。ゼッタイ。」は、国連が出した Yes to Life, No to Drug の和訳なんですよ。−中略−半分訳し残してるからまず間違いなくバツですよね。(120頁)

「Yes to Life」、これが無いんだという。
では「Yes to Life, No to Drug」、これを何と武田先生だったら訳すか?
「おいで人生、さよならドラッグ」
そういうふうな訳の方がいいんじゃないだろうかと。
「Yes to Life」、こっちの方を大事にしないとダメなんだという。
だから松本さんという方は面白いことを考える。

「人間は薬物を使う生き物ですから」と答えています。−中略−ケシの花からアヘンを抽出するだけではなく、ヘロインまで作りました。でもその一方で、アオカビからペニシリンを作り、それから柳の木の樹皮からアスピリンを作った。−中略−人間は薬物を使う生き物です。(121頁)

トータルで一番害が大きい薬物はなにか、ダントツでアルコールなんです。(123頁)

お医者さんだからそうおっしゃる。
宗教の中でもアルコールに関して非常に厳しい宗教がある。

こんな薬物がコンビニで売っています。(124頁)

それなのに覚せい剤に関してはいかにも暗く暗く考えてしまうという。
「言っときますけどね、コロナと同じですよ」と松本さんはおっしゃる。

薬物問題と感染症の問題ってすごく共通点があるなと思います。(124頁)

天然痘、インフルエンザ、コロナ、手足口病、HIV、A・B・C型の肝炎、エボラ出血熱、コレラ、破傷風、ペスト、どれも根絶できないんだ、と。
自然界には病原体がいっぱいいる。
それを「ダメ絶対」、これが通用しないんだ。
それだったらば薬物依存に陥っている人に一緒に社会を明るい方角に。
とにかくアメリカ禁酒法の失敗、禁酒法を繰り返すと社会の中にカポネら違法ヤカラが蔓延することになる。

中国の明の時代に煙草を規制したら今度はみんながアヘンを吸うようになる。(124頁)

(番組では清が煙草を規制したように言っているが、本によると煙草を規制したのは明でアヘンを規制したのが清)
日本では薬物がダメ。
だったらば市販薬を大量に飲んでしまって、トランスとか変性意識に憧れる若い人達がいっぱいいる。
何でこんな人達が出現するんだ?
昔もあった。
何かアンプルに入った液体をチュッチュッチュと吸うと元気が湧いてきて。
エナジードリンク。
それを吸いながら「ドンドコドンドコ効いてきた♪」というのがあって。
小学校の子供達がみんな真似をした。
「ドンドコドンドコ効いてきた♪」
アンプルの強壮剤。
(亜細亜製薬の「強力ベルベ」を指しているものと思われる)
依存症になるならないを全部横に置いておいて。
薬物とかというのを暗い目で見ないで、仲間がいると非常にそういう依存症になる人が少ないよという。
そこの観点から依存症というのを考えてはもらえないだろうか?という。
治療法の一つとしてそういう方法もあるよ、ということかと思う水谷譲。
もちろん法として取り締まりというのは大事。
でも言葉狩りのように、ある行為に関してもの凄く厳しくすると人間は歪んでくるという、そこの一点を忘れてはなりませんぞ、という。
弱さについて語っているが、人間の弱さはまだまだある。
語りあかしましょう。
人間の弱さというものを辿ってゆく。

それから話は移って、薬物に依存、ギャンブルに依存するアルコールに依存するという依存症の方々、その弱さを訪ねていく時に遭遇するのが加齢による弱さ。

ドイツの老人保養施設の中で、利用している人たちの自殺が群発してしまうっていうことがあったんですね。これを防ぐために、スタッフはいろんな工夫をしたんです。精神科医を呼んで、うつ病のスクリーニングをやったりとか、心理カウンセラーを入れて、困っていそうな人にカウンセリングを強要したりとか。いろいろやったんだけど、全然自殺が減らなかったんですね。最終的にいちばん効果があったのは、お金を払って利用している老人たちに、役割を与えて厨房を手伝わせたり、庭掃除を手伝わせたりとか、そういう係を決めて責任を持たせてやらせたんですよね。そうしたら、自殺が減ったっていうんです。(130頁)

老人にとって責任ある仕事こそが居場所であるという。
それがまた繋がりにもなる。
一緒に仕事をしている仲間こそが、まさに命を繋ぎ合う関係であるという。
それを踏まえて、ドイツの老人保護施設で認知症カフェを開くと、その町のよき集会所になってたちまち人気のカフェになったという。
これはべてるがやった「人間を強さではなく弱さで結びつける」という。
認知症の方がやっているカフェが、日本でもあると思う水谷譲。
多分モデルケースはここではないか。
(番組では「認知症カフェ」をドイツの話として紹介しているが、本には日本での事例が紹介されているのみ)
彼らに仕事がある。
その仕事をやりながら自分の病と闘うワケで。
確かに効果があるのだが、注意すべきこともある。

これまでうまく人に依存できなかった人が依存し始めるときには、この人依存しても良いんだと思った瞬間に、全体重が乗っかってきたりすることがあるんですよ。−中略−だから、そこでチームを作るっていうこと、一人でしないっていうこと、多機関で支えるとか、チームで支えるっていうことをポリシーにする。(142頁)

ドイツのその上手くいっている、水谷譲が日本にあるといった認知症カフェもそうで、凄く人気がある。
注文したコーヒーがなかなか届かなくても思い出して持っていくと「すいません」「いやぁ〜アタシもあるわよ」でゲタゲタ笑うという、この「弱さ」。
だがそれは「集団で無ければダメですよ」。
この中でハッとする。
人間関係に柱を作らない。
ヒモでつながるようにするという。
キャンプのテントを張るように、ヒモで引っ張って。

大事なのが説得術。
ちょっと紹介しておく。

FBIのネゴシエーターのテクニックなんです。−中略−
 よく言うのはピウス(PIUS)かな。まずPはポジティブ。肯定的に言う。
−中略−次のIは愛メッセージ。お前こうこうしろっていうふうに、二人称単数で言うと、人は反発するんですよ。そうじゃなくて、自分の気持ちを一人称単数で言って、あなたがこんな泥酔状態になっちゃうと悲しいって、私は悲しいっていうふうに言うのが大事とかね。それからUは、アンダースタンディングだ。−中略−そして最後のSはシェアですよね。責任の一帯を担ってあげる。あなたにこんなふうに飲ましちゃうなんて、何か私も至らないところがあったのかもしれない。私に何かできることないかしら。(143頁)

これが人間を説得していくんだという。
依存症、或いは鬱、精神疾患、その問題にその個人が追い込まれる。
そこまでを理解しないといけないんじゃないかな?という。
「それをいとも簡単に、自殺をしようとした人はすぐ警察に電話、薬物違反これも警察、みんな警察に行っちゃうだろ?その前に一手、我々の仲間で何か手を打とうよ」「そうなるまでにきっと何かあったんだよ」という考え方。
それが大事なんじゃなかろうかなぁと。
鬱、依存に自分で好んでなったんじゃなく、そういうところにゆっくり落ちていった。
薬物がやめられないんだったら、やめられないまま当事者として自分を記録していく。
そういう自分を記録するところに解決策が見つかるという。
この時、最も人を励ます言葉は何か?
これは「べてるの家」のテーマだが「安心して絶望できる人生」。
でも皆さん「、安心して絶望できる」というのも希望に成り得るような気がする。

この間、孤独死の話題が上がっていて、孤独死の人というのはもの凄い人数。
「ここにお金置いておきますんで焼いてください」とか遺書に書いてらっしゃる方もいるようだ。
ところが孤独死なさる方の財産というのが結構凄い金額だそうだ。
びっくりしたのだが没収財産。
(番組では「没収」と表現しているが「残余財産の国庫への帰属」というものらしいので「没収」ということではない)
孤独死なさった方が残されたものがある。
それをまとめると、武田先生が聞いたラジオ番組では700億円と言っていた。
(2021年度に647億円、2022年が1015億円)
没収財産。
没収して国庫、国に入ってゆく。
孤独死なさる方が命が細っていく中で、火葬場の費用とか無縁仏に収める費用とか数百億円の財産を国に残しておられるワケで。
そういう意味では日本の死者達というのは働き者。
没収財産だけでそれだけの金額になるというワケだから。

精神に病を持つ方、それから依存症の方、そして認知症を取り上げてみたのだが、何でこんな話をしたかというと今、性的な少数者が世界的に人権を獲得している。
このLGBTの方々、性的少数者の方々というのが二十世紀初頭はもの凄く差別された方々で。

ミシェル・フーコー(フランスの哲学者−中略−フーコーは自身の同性愛という性的嗜好についてずっと苦悩していました。そこから生まれた考察のひとつが「標準」をめぐる「権力」の研究です。医療は医学に基づいて、教育は教育学などに基づいて実践されていると思いますが、−中略−人間の身体と精神を「標準化」させようとする不可視の装置であると論じたのです。(78頁)

フーコーの言う「大監獄時代」へと突入していきます。−中略−霊的な存在と一緒に「標準から外れた人間」もまた組織的に排除されるようになったのです。そこには「狂人」だけではなく、あらゆる障害者や病人、同性愛者なども含まれていました。(79頁)

言われてみたらその通り。

「狂気は白日のもとで大いに活躍していた。『リヤ王』も『ドン・キホーテ』もそうだ。しかし、それから半世紀も経たないうちに、狂気は押し込められてしまった。強制収容の城塞の中で、『理性』と、道徳の諸規則と、それがもたらす彩のない暗がりに縛り付けられてしまったのである」(78頁)

狂気の歴史<新装版>: 古典主義時代における



今や彼らを解放すべきである。
日本では芥川龍之介。
芥川龍之介もやはり一種の狂気
「河童」とか「藪の中」とか、あれは狂気が書かせた。

河童



藪の中



つまり狂気はかつて文学であったという。
それを全部監獄の中に入れて、檻の中にいれて囲い込みをやって、服従・管理を求めた。
「そうじゃないんだ」という。
国民の安全と家族の負担等々を軽くするという名目で、それらの人達を世界から隔離してしまった。
LGBTの人達もまた己の性を隠して二十世紀生きてきた。
もうその時代がゆっくり終わりつつある、という。
そうやって考えると襟裳岬の根っこにある浦河という小さな小さな「べてるの家」というところが、実は小さな地方の片隅から日本を大きく変革すべき新しいアイデアを秘めている。
そんなふうに。
「べてるの家」の向谷地さんがやっていることは本当に面白いと思う水谷譲。
皆さん喝采を送りましょう。
武田先生は文化祭に行ってくるので。
べてるの文化祭(「べてるまつり」)がある。
「妄想大賞」(「幻覚&妄想大会」)とかといって愉快。
凄い妄想を見た人に、「円盤がやってきた」とか、毎年新しい妄想が出てくるのだが、その人に表彰状をあげるという「べてるの家」の文化祭がある。
それにちょっとゲストで参加しようかなというふうに思う。
そういう人達を片隅に追いやらないで。
浦河も人口流失が、町がどんどん縮小してしまって、つい暗く考えがち。
向谷地さんは明るく語る。
「べてるの家」でやっていたスタッフが、町が小さくなるので、それだけの人数がいらないので、「べてる」を出ていく。
それは悲しいこと。
ところが向谷地は「いやぁ助かるんですよ」、
「なんで」と聞いたら「よその町に行ってべてるをやる」。
タンポポの穂みたいに飛んでいくのだが「落ちたところで『べてる』というやり方が活躍できるようになりました」。
そんなのを聞くと向谷地という人のタフネスさが嬉しくなってしまって。
「降りてゆく生き方」
ここまでにしておく。
二週続けた。
来週はまた別のネタでご機嫌伺いたいと思う。


2024年11月11〜22日◆降りてゆく生き方Part1(前編)

(この時の放送では「降りてゆく生き方」というタイトルだったが、2025年1月に放送された続きのタイトルが「降りてゆく生き方Part2」なので、こちらを「降りてゆく生き方Part1」にしておく)
(この週のポッドキャストは一日分ごとに間に「STORIES〜アルモノガタリ〜」のCMが入る)

遠い昔の個人的な話から始めようかなというふうに思う。
実は久しぶりに向谷地さんと会って「あら懐かしや」でずいぶん話が弾んだ。
唐突な話で申し訳ない。

向谷地生良
−中略−社会福祉法人浦河べてるの家理事長。(237頁)

彼との縁は何かというと武田先生が60歳になる前。
だからもう15年以上前のこと、一般公開無しの自主製作映画に主演したことがあって。
降りてゆく生き方 | 映画&総合情報 公式サイト
変わった主演映画だった
プロの俳優が2〜3人しかいない。
後はオールアマチュアで、通行人を含めて俳優さんは全員一般市民のボランティアからオーディションをやって選ぶという。
映画のテーマはというと日本の地方が乱開発等々が進んでいて、地方がボロボロになってゆく。
或いは農業衰退、人口流出、限界集落の問題等々を見据えて地方のエネルギーがいっぱいたまった映画を一本作りたい。
これをどうするかというと「東京なんかでやらないで地方で自主で公開していこう」。
自分達で映画を公開していく。
その時になにがしかのお金を貰って、それをその製作費に回そうではないかということ。
プロが非常に少ないので、監督もテレビで演出をやっているという方だったのだが、とにかく「武田さん、よろしく」というというようなもので。
脚本づくりから加わったのだが、硬いテーマをいかに柔らかくするかが映画作りの妙。
武田先生が地方を守る守り手になるとストーリーが流れ過ぎる。
ストーリーが上手く流れ過ぎる。
それでは映画はダメ。
映画というのはひっかかりで、前も「(今朝の)三枚おろし」で言っていたが「いないいないばあ」で。
2024年9月16〜26日◆いないいないばあ
「ないない」というところから「ばあ」と何かが大きく変わる。
そういう物語でないといけないので、主役の武田先生は地方を舐めきっているヤツで。
外国資本の手先となり日本の土地を買い漁るある国の使い走り。
(武田先生の役は)悪者。
村を買い占めて、そこにリゾートを作って周辺の村人を全員叩き出すという。
大悪党の手先の子悪党で。
武田先生は、山村の人達に取り入って調子よく騙しながら村を買い占めるという不動産屋の役を演じた。
これは場所はどこかというと新潟。
新潟の方はもの凄く、県知事さんも市長さんも協力してくださってこの映画作り。
だから安い映画のワリにはスケールが凄く大きくて、町の通り一本を貸し切りで「ヨーイ、ハイ!」を言ったりというような、非常に贅沢な撮影をやらせてもらった。
この映画の中にちょっと面白い仕掛けがあって、「リアルでいきたい」というので地方に住んで地方をもう一回立ち上がらせたい、古里を創生したいという本物さんを呼んでミーティングをやっているところをキャメラを回そうという。
米作りを農薬を一切使わない、自然栽培。
この人のお米はデンプンが体質で合わなくて摂れない人も食べても大丈夫という。
そういう米作りの達人から、体がご不自由なのだが地方について「こうやればいい地方ができる」と頑張っている論客、そういう人達を何人も呼び集めて新潟市長も含めて「ローカルを語り合う」というシーンを撮った。
その「ローカルを語り合う」というシーンの一人に、さっきお話した向谷地さんというのがいる。
この人のやっている社会活動が重大。
この人は襟裳岬の根本の町、浦河というところに住んでおられて「べてるの家」という社会福祉法人をやっておられる。
何の為かというと、精神障害で悩んでいる幻覚や幻聴で悩むというような人達がいる。
その人達を精神病院に閉じ込める、入院してもらっているのだが、「それじゃあダメだ」という。
「彼らは病人であるときと病人でない時があるので、病人で無い時に何で病院に入れるんだ」
凄い発想。
それでこの浦河という町に住み着いて、生活を一緒にしながら病気の兆候が現れたらすぐに病院に移動してもらう。
病院の院内と院外を往復することによって病気を治そうという。
この向谷地さんがその精神障害の人達の治し方、治療法で考えたのが「当事者研究」。
お医者さんではない。
精神障害を持っておられる方を精神障害の人と語り合いながら治してゆく。
これは凄い発想。
遠い遠い北海道の「何もない春です」の襟裳岬の根本なので、あまり騒ぎにもならなかったのだが、この向谷地さんの研究にだんだんヨーロッパが注目し始めた。

襟裳岬



そうすると精神障害の治療法が革命的に変わったという。
向谷地さんからドサッと紙袋で「読んでみます?うちの本」とかと渡された。
そのうちの一冊が「弱さの情報公開」で出版社はくんぷる。

弱さの情報公開?つなぐー



この一冊はタイトルの通り。
人間の弱さについての対談・鼎談・座談会を収めてある。
主催者の向谷地さんがいて、ゲストを迎えて「べてるの家」の精神障害を抱えつつ生活をするべてるの人々、それから若い社会福祉家達と一緒に対談をやっている。
何とその丸テーブルの中にアっと驚く人が一人混じっている。
その人の名前は「吉田知那美」さん。
女子カーリング競技、銀メダルの選手。
この人がいる。
「べてる」のある襟裳岬の根本と、彼らがいる北海道のオホーツクの東側の常呂町。
車で行ったら4〜5時間かかるのか。
縁の大元はわからないのだが、とにかくその吉田さんが「べてる」のミーティングによく顔を出しているという。
(どういう経緯かは本の中には書かれている)
それで座談会で発言しておられる。
彼女がべてるの様子を見て「本当に助かった」という。
何で助かるんだろう?
そこから語りが始まるのだが、

オリンピックとなると、オリンピックが掲げているスローガンというのが「より強く、より高く、より早く」。(16頁)

「べてるの家」とは全く無縁な世界の戦いである。
ところが戦っていくうちにだんだん吉田さんが、戦うことがつらくなってきた。

他のチームを見て「強さで繋がってるチームっていうのは、すごくもろいな」と感じたのです。(17頁)

そのことを思った時に、自分達もそうで「凄く力あるぞ」と言われているのだが、その中に凄い脆さを見た。

日本代表決定戦っていうのがありました。−中略−同じチームと五回戦って、三回勝った方が日本代表になるルール。オリンピックに出場するチームを決定する試合なので、−中略−なんと、最初二連敗してしまって。−中略−次、負けたら、「オリンピック出場終わり」という。(18頁)

それでパニックになってしまって「あと一つ、あと一つ」と言っているうちに一緒に競技をやっていく連中の表情がどんどん硬くなる。
「何でこんなにあたし達は脆いんだろう」
その時に吉田さんは「べてる」の人達と語り合った時に「べてる」の人達が一番大事にしているのが「弱さ」。
「弱さを口にすること」なんだ。
弱さを全員で分け合う。
そうしたら弱さで結ばれた人は強く結ばれる。
そこでこの方が提案したかどうかはわからないが、もう「あと一回勝たないとオリンピックに行けないと言った」時に、覚えてらっしゃいますか、皆さん。
タカハシ(と聞こえるが不明)さんに向かって「あたし達さ、もっと楽しくやってたじゃない?オリンピックに出たいとか金メダル獲りたいとか言ってるうちに、あたし達のカーリングは楽しくないよ。小学校・中学校の時のカーリングのこと思い出して楽しくやろう。その為にはまず何が弱いかを声出してしまおう」「秘密の謎のチームの強さなんかそんなもの、あてにしちゃダメなんだ。『まだまだ、まだまだアンタできるよ』って言ってたけど、それを『十分だ十分だ』って言おう、切り替えよう。そっちの方が力出るんだよ。子供みたいにはしゃぎながらやろう、カーリングを。不調な時に口、閉ざすのやめて不安とか心配とか失敗とか大声で仲間で叫びあったら強い絆ができるよ。わたしね、『べてる』っていうところで見てきたの。そこの人達、そういうことで結ばれてるんだ」と言ったらタカハシさんがダーっと涙を流した。
自分達の弱さを、なんでも公開しよう。
だから愚痴を言い合う休憩時間。

モグモグタイムって、他のスポーツだったら、たぶんロッカーに帰って、見えないところでやってたりはすると思うんですけど、私たちのチームはカメラの前で作戦会議も、そのまま見せちゃうし(51頁)

あれはこの方のアイデアらしい。
そうしたら勝った。
勝った時の感想が「楽しかったね〜」になった。
それが後にメダルになっていくという。
精神を病んだ方の為の治療方法がスポーツの世界でも使えるんじゃないか?
人間は弱さで結ばれる。
弱さで結ばれた人間の方が強い絆で結ばれるという。
彼女達が「そだね〜」みたいな、それが凄くみんな可愛いなと思って見ていた水谷譲。
「そだね」もそう。
これを吉田さんが学んだのが「べてるの家」だったという。
また向谷地さんが考えたキャッチコピーが凄い

『安心して絶望できる人生』(15頁)

新・安心して絶望できる人生 「当事者研究」という世界



ではいかな人生か?
向谷地さんの言う「安心して絶望できる人生」。
ギクッとする文句。
絶望していい。
では「どう絶望するか」というのを精神障害、その病と闘う人達から学ぼう、と。
「べてる」の人達は自分の精神障害を通して自分を研究するという日々を送っておられる。
故に彼らは専門医に任せずに自分で自分の病名を付ける。
自分の弱さに、自分の病に名前を付ける。

チャーミーはあだ名です。私の自己病名は、躁は買い物、うつは体のストライキな躁うつ病のチャーミーです。(39頁)

早坂さんは「あい うえお」といって。「愛に飢えてる男」でね。(41頁)

(早坂潔さんとは)武田先生もお会いしたことがあって、映画にも出演してもらった。
早坂さんは精神障害を持っておられるのだが、何か頼りがいのある人で、親分格。
普通にコミュニケーションをとっている時に何か違いは感じるのかと思う水谷譲。
何も感じない。
この「べてる」の人達と付き合うと、いろんなことを考える。
それが早坂さん。
(佐藤)太一さんという方がおられるのだが、この方は幻聴。
べてるの家ではこれに「さん」を付けて「幻聴さん」と呼ぶのだが。
この方は四人の声が聞こえるという。
それぞれ四人とも性格が違うもので、この四人の中にいい人もいれば悪い人もいるという。
さっきお話した早坂さんは一途な方で、ロコ・ソラーレを夢中で応援なさっていて、毎日お祈りをする。
それが早坂さんの習慣。
早坂さんは山根(耕平)さんという弟子がいる。
その山根さんから指摘されているが、カーリングがよくわかっていない。
スポーツの中身をわからずに「勝て!勝て!」と言っているらしい。

向谷地 いわゆる弱さの文化というか、これは非常に、もしかしたら日本的、東洋的な文化かもしれないなって思うんです。海外いって弱さの情報公開をすると、たとえば自分はこんな病気を持ってますという話をすると、なんでそんな自虐的なんだとか、お前はもっとこういう良いところがあるじゃないかとか、そんな自分のダメなところに目を向けないほうが良いよみたいな、私たちが弱さの情報公開をしても上手に伝わらないもどかしさみたいなのを、海外でたまに経験することがあって(52頁)

私が思ったのは、いわゆる私たちがとりあえず弱さと言っているものって、実はものすごく大事なもので、大切なもので、私たちはまだそこに価値を見いだせていないだけであって、だからこそ独り占めしないでみんなで分かち合う大事なものだという(52頁)

これは面白い発想。

山根 −中略−僕はサッカーをずっと、大人になるまでずっとやっていて、なんでも努力すれば、勉強もスポーツも努力すればうまくいくものだと思っていたんですけど、この統合失調症って病気については、努力すればするほどどんどん悪くなっちゃう。なにしてもダメだと思ったときに、早坂さんに弱さの情報公開をしたら、お前も苦労してんだなって言われて、でも俺とか他の先輩が同じような苦労をして失敗してるから、お前も失敗しても大丈夫だっていう(53頁)

これが「弱さの情報公開」であるし、「安心して絶望できる人生」という。
もう一方、精神を患った方で自殺癖のある方がいる。
木村さんという方がいる。
この人の話が面白い。

チャーミー 何年か前、一〇年ぐらいか、七、八年前に死にたいんですと向谷地さんに言ったら、向谷地さん「ああ、そうですか」という感じで、「あー、そうですか」って、ただそれだけだって、聞いてくれたんだよね。でもそのときに「あー、死んじゃダメだよ」とかって、そういうんじゃなくて、「あ、そうですかって」淡々言われたことで(58〜29頁)

(木村さんではなくチャーミーさんの話。「死んじゃダメ」と言われたと番組で言っているが本によると上記のように言っていない)
(ここから先は「木村」さんではなく「木林」さんの話。番組ではチャーミーさんの話と混同している)

向谷地 木林さんは死にたくなって、海に。−中略−海が近いから、港にいってね、テトラポットという波消しの上に向かったら、するっと苔というか、海藻で足が滑ったんだもんね。そしたら、−中略−
木林 
−中略−そのとき滑って、ぞっとして、「あー死ぬかと思った」と。死のうと思っていったのにね。(59頁)

そうしたら水谷譲も笑っておられるが、本人が笑い始めた。
この話は笑う。
笑っていい。
この木村さんも笑い出して。
人間は面白いもので、笑い話というのは誰かに話したくなる。
それで自分に冷たくした向谷地さんにだけはこの話はしておきたいなと思ったら、ハッと気が付いたらべてるの家に戻っていく自分がいた。
(それは「治った」とは)言わない。
「治る」「治らない」は言わない。
「それは死ななきゃダメよ。思い切って」「いや、死ねませんよぉ」とかと「死」というのを仲間と笑い転げていくうちに、彼の中でほんの僅かの変化は死への衝動がだんだん薄くなっていったという。
この「薄く」なるというところに当事者研究の妙がある。
時々酷い発作の時には、彼はまた自殺の方向に走るかも知れないが、その勢いがだんだん薄まってきたという。
そのへんが当事者研究の面白いところ。
それから向谷地さんの報告なのだが、自傷の人。
セメントの壁に自分の頭を打ち付けるし、こぶしを握り締めて自分の顔を殴る。
そういう人が「べてるの家」に来た。
それで向谷地さんが「ん〜」とかとうなっていると、早坂さんを含めて精神障害を持ってらっしゃる方が、その女性を囲んで「どうすべぇか」を語り合った。
何を思い付いたか?
これが病院の先生では思いつかない。
普通だったら「手を縛ろう」とか「拘束しなくちゃいけないよね」というふうになると思う水谷譲。
病院はそれ。
これは早坂さん、達精神病の先輩達がその人が自傷行為に入った瞬間、六人がかりでコチョコチョやる。
とにかく発作が起きたら周りにいるべてるの仲間が一斉にくすぐる。
コチョコチョ・・・と擬音を立てながらだろう。
本人は真剣にアゴを殴ったり目を殴ったりしているのだが、あいた隙間の脇とかまたぐら、足の裏、それを6〜7人でくすぐるから、自傷行為が途中で止んで本人も「アハハ〜ん!」と笑いだす。
これが効果があって、自傷行為の頻度がだんだん減っていったという。
「弱さ」というのを隠さないで公表するところに分かち合う分があって、分かち合った弱さは絆になるという。
共通しているのはこの当事者研究、精神に病を持つ人は精神に病を持つ人を治療に当たるというここの特典は、一種のその人を支配していた狂気がどんどん薄くなる。
この時に向谷地さんはもの凄い重大なことに気づく。
前に水谷譲に説明したことがある。
今、インバウンドの人がいっぱい集まってくる。
あれは一種、「弱さの文化」へのあこがれではないだろうか?
諸外国はみんな「強くないと生きていけない」「自己主張が強い人が生き残る」という文化の中で、日本にはまだかすかに「弱さの文化」がある。
そういう日本の風土の「弱さの文化」。
咲き誇る桜より散ってゆく桜、それを「美しい」と言ってしまう。
その「弱さの文化」に諸外国の人達は憧れを持ったのではないだろうか?
前にお話ししたロコ・ソラーレの吉田さん。
吉田さんもそのあたりを「べてる」から学んだ。
「弱さ」というのを隠さないで公表するところに分かち合う分があって、分かち合った弱さは必ず絆になるという。
そうやって考えると、あわれな物語を日本の文化は十分に持っている。
咲く花よりも散る花の方が美しい。
そしてもう一つ、たとえ負け戦であっても最後まで立派に戦ったもの、これを「あわれ」の反対語で「あっぱれ」という。
この「あわれ」と「あっぱれ」の文化は実は弱さの連帯から生まれたものではないだろうか?と。
このへんは面白い。
かくのごとく話、「降りてゆく生き方」は続く。

「べてるの家」の話。
ちゃんと病院と連携して、病の方が重くなっていたらそのまま入院で軽くなったら出てくる。
社会と結びつくということが、いかに精神障害の人達にとって大事か。
そういうことを向谷地さんは切々と訴える。
武田先生よりも若い人だが、この人には頭が上がらないところがあって「偉いなぁ」と思う。
この本の面白さ。
この「弱さの情報公開」。

ここまでお話したのは精神に病を持つ方、鬱病とか自傷とか、鬱とかというそういう重度の精神に病を持つ方。
中には統合失調症、幻覚や幻聴に苦しむ人達もいるのだが。

第四章なのだが、これは依存、薬物依存。
その依存症の専門のお医者さん達の。
これが本当に読みながら深く考えた。
薬物依存を中心とする依存症の専門医、松本俊彦さんという方の主張なのだが、申し訳ない。
面白かった。
「面白い」と言ったら失礼だが、本当に考えた。
この方ははっきりおっしゃっている。
皆さん、覚せい剤、あるいは危険ドラッグ、脱法ハーブ、深刻化している。
薬物依存によって意識障害、けいれん、昏睡、肝障害、或いは死亡等々が増えているのではないだろうか?

もしかすると刑罰が悪い結果をもたらしている可能性はないのかということ(88頁)

 もっとも有名な前例は、一九二〇年から一九三三年の間、米国において行われた禁酒法です。あの禁酒法が行われた一三年間、アメリカ国民のアルコール問題はまったく問題が解決しなかったことがわかっています。それどころか、反社会勢力が酒の密売をしたために、アルカポネをはじめとした反社会勢力が巨利を得たということがわかっています。−中略−メチルアルコールが含まれた密造酒が出回ってしまって、それを飲んだ人が失明をしたり、死亡したりという、深刻な健康被害が続出したんです。(96頁)

著者は依存症の人々に対して「ダメ。ゼッタイ。」というのが合言葉だが「ダメ。ゼッタイ。」が効果があったことが一度も無いぞ、という。
ここに薬物依存の問題も見つけていくという。

危険ドラッグは危険な薬物でした。−中略−しょうがないから通院だけ続けなさいということで言うと、わかりましたということで、しぶしぶ通院するといったところがせいぜいでした。−中略−治療を開始して一年後、多くの方たちが薬物をやめていたんです。(97〜98頁)

脱法ハーブはドラッグよりも成績がよくて、この中で依存症で成績が悪いのが覚せい剤。
脱法ハーブ、ドラッグ、それからオーバードーズ。
そういうものが青少年に流行ったりなんか・・・
これはやがて覚せい剤で大変な大沼にはまってしまう入り口になってしまうから、そこに落ちてゆくからというのだが、人が絡めば治りやすい。
そういうことを考えると「ダメ。ゼッタイ。」「人間やめますか」、覚せい剤に相対する対し方というのはもう一手何か考えればという。
とにかく覚せい剤に関しては「人間やめますか。覚せい剤やめますか」だから丁半しかない。
病院に通院するだけでだんだん依存が治ってくるというのはどういうことかというと、これがもう「べてる」と同じ。
やめて何か月間かは禁断症状に耐えると先生が褒めてくれる。
だからやる気になる。
モチベーションが上がる。
覚せい剤の方は「またやった」となると、警察に連絡してしまう。
それで病院に来なくて再び手を出すという。
この松本先生曰くだが、とにかく病院まで来てくれて医者と接触してくれたら、依存症は治る。

覚せい剤の違法薬物を使っている方たちは、はじめて覚せい剤を使ってから専門病院に繋がるまで、−中略−平均すると約一五年と言われています。(98頁)

芸能人でやった人もいるが、本当に長い。
何度も何度も逮捕されている。
覚せい剤の人は薬から抜け出すまで20年から30年かかる。

脱法ハーブがなんでこんなにも早く治療にアクセスできるかというと、違法ではないからなんです。(99頁)

著者は「犯罪にされるか、職場、家族、恋人、病院が関係の中に入って『やめなよ』と言ってくれる人を回りにいっぱい持っているかがこの差なんだ」という。
これがこの松本先生は凄いことを言う。
もう松本先生は何の凄いことかというと、本当に実践だと思う。
だからどうすればいいかというと、覚せい剤をやっている人がいる。
その覚せい剤の量をゆっくりと減らしていく努力。
つまり「ダメ。ゼッタイ。」では絶対に効果がないという。
「人間やめますか。覚せい剤やめますか」では両方共やめられる人はいない。
人間はやりたいわ、覚せい剤はやりたいわ。
この松本先生がちょっと身に堪えるような動物実験を本の中で披露している。
これは動物の実験なので、人間に当てはまるかどうかはわからないが、どんな実験結果が出たかは来週の続きとしましょう。


2025年04月27日

カルビー ポテトチップス ナポリタン味 90g

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ポテトチップス ナポリタン味 90g | オーケーネットスーパー 食料品・日用品がネットでも『高品質・Everyday Low Price』
トマトの酸味とまろやかな旨みがギュッ!本格的なナポリタンの味わいです。

発売日不明。
本体135円(税込145.80円)。
オーケーオリジナル商品。
内容量90g。
1袋当たりエネルギー498kcal。

数量限定と書かれた見たことが無い商品だったので買ってみたけれども、どうやら去年の11月ぐらいに発売になったようだ。
知らないうちにレギュラーのポテトチップスも量が減らされて微妙に値上がりしているな。
それでもまだ他社のポテトチップスに比べたら量が多くてお求めやすいお値段かな。
袋の大きさは縦が27cmで横が20cmぐらい。

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あんまりポテトチップスで「ナポリタン味」ってのは聞かないよな〜ということで。

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見た目は普通のポテトチップス。
味はナポリタン味ということで、ナポリタンっぽい味はする。
ちょっと奇抜な味かな?と思ったが、それほど奇抜な感じもせずに普通に美味しく食べられる味。

三州総本舗 パスタスナック Pasta Snack カリカリ食感 お菓子 おつまみ (トマト味 業務用1kg)



posted by ひと at 18:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年11月25〜12月6日◆人生、待っていたのは(後編)

これの続きです。

(この週は、番組の冒頭はQloveR(クローバー)の入会キャンペーンの宣伝)

大変な事件が起こって、どんな事件かというと同じネタをやりそうになった。
そのことに水谷譲が気づいて「同じ話をなさっているんじゃないですか?」という静かな口調の軽蔑のまなざしで。
それで慌てて自分の身の上に起こった「待っていたもの」を語ろうかなという流れに。
アメリカの心理学者のトーマスさんという方の説を。
でもそれは前の前の放送で語っていた。
申し訳ございません。

先週は自分の青春時代の話でまとめて、小さな屋台で22歳の武田先生はホラばかり吹いていた。
ホラというか理想、夢を語っていたと思う水谷譲。
「俺は歌だけでは終わらない。人気は吉田拓郎に次ぐぐらいのフォークの人気で映画なんかにも出演する俳優にもなるんだ」とか。
「将来それでカネ貯めたら俺は坂本龍馬を演じるんだ」という。
でも皆さん本当、笑わないでください。
これは全部やってしまう。
そこが凄いと思う水谷譲。
武田先生はその頃、いつも大学に通うカバンの中に酒井和歌子さんのブロマイドを入れていた。
好きで
酒井和歌子さんが。
でも考えてみたら「刑事物語パート2」で共演者に選んだ。

刑事物語2 りんごの詩



こんなふうにしてことごとく武田先生は屋台で語ったことの夢をなぞるような後半の人生になる。
この頃の武田先生のエピソードで、さっぱり女性にモテなくて。
本当にモテなかった。
よく振られる話は伺う水谷譲。
いろんな人から嫌われて。
女性から「武田鉄矢の印象は?」というと「気持ち悪かぁ」という、そういう感じだった。
でも辛抱強い子がいて時々長く付き合ってくれる子がいたのだが、最後の詰めがダメで
告白して「恋人にならんね」と誘うと下を向いて「なりきらん。武田さんの恋人にはなりきらん」「なんで?アンタは俺と手ぇつないだやないね!?」「手は誰とでもつなぐ。フォークソングとおんなじやけん」「そらフォークダンスやろ」みたいなもので。
その一人の女の子、が今でも忘れないが、言った言葉の中にあったのが「言うことがとんでもない」と。
「東京に出ていって『フーテンの寅さん』に出る」とか「吉田拓郎とコンサートをジョイントでやる」とか。
それこそホラだと思う水谷譲。
「そげな武田さんの夢を聞きよったら、つきあいきらんと思う」「そげなこと言う人は福岡にだ〜れもおらんよ」という。
確かに現実を見ていないというか夢を追いすぎて「大丈夫か?この男」とは思うかもしれないと思う水谷譲。
遠い昔、余計なことをしたがるテレビ局が。
武田先生を振ったという女性十人にアンケートをとってくれた。
それで出た結論。
10人中7人が同じことを言っている。
「武田鉄矢をなぜ選ばなかったか」
第1位「将来性がない」。
女の人というのは将来を考える。
当たり前か?
ごめんなさい。
それは見抜けなかった。
そんな武田先生だった。
でも屋台のラーメンの湯気の中で語った夢というのを、それはジュンというのが聞き役で「アンタはその後それば全部やった」と言った。
それでそのジュンから出たアイデアが「もう一回湯気ば俺が立てるけん、語らんね」。
彼は今、小さな飲食店をやっている。
そこでなるべくおでんを中心に湯気を立てるような料理をやるので「福岡の知り合いとか友達の前でもう一回夢ば語らんね」。
「でもそげんいくつもないよ?」と言ったら「アンタやったらあるハズ。それば語るったい。湯気ん中でアンタ夢あっためたら、アンタそれ必ず実現する」と言う。
もう本当にドラマのワンシーンのようだと思う水谷譲。
それをこの間、福岡に帰った時にちょっと話した。
そうしたら店にホリケンが来ていた。
博多のローカルタレントが青木さやかさんと一緒に。
それをジュンと話していたらバーっと出てきて「湯気の中に入れてもらってよかですか?聞きたかぁ〜!」という。
そういう出来事があったから、このネタを選んだ。
そうしたら一回喋ったネタでした。
ごめんなさい。
もう一つ二日間の短い旅で経験した出来事がある。
「自分の人生にこれも待ってた出来事だなぁ」と思ったことは明日からお話しましょう。

「人生待っていたものは」
自分としてはそこを通過したつもり。
例えば先週お話したように博多の警固(けご)神社のすぐ脇にあった屋台の湯気の中。
それは青春の一ページだったのだが、九州福岡の友だちが「もう一回その湯気の中に戻って武田、夢ば語らんか?」。
自分としては通過したつもり。
ところが戻ってゆくというか、何かそういうのがある。

(この後は「弱さの情報公開−つなぐ−」に書かれている部分があるので引用を入れる)

弱さの情報公開?つなぐー



ここから先はまた別の話になる。
ちょっと放送では使いにくい、表現しにくいこともあるのだが、なるべく皆さんに伝わりやすく話さなければならないが。
15年前になるが武田先生は60歳のおりに一本の映画に出演している。
これは一般公開無しの巡回映画と言って「その映画を見たいという人が数百人集まったらその映画を公開します」という、そういう変わった映画で。
「降りてゆく生き方」という映画に出演した。
降りてゆく生き方 | 映画&総合情報 公式サイト
その映画に出てくる出演人物たちはプロで俳優さんという方が4〜5人しかいない。
後は全部新潟のアマチュアの方に出演してもらって物語にしていくという。
脚本の段階から入ったのだが、そのアマチュアの方が台本を書くというのでプロさが全くない。
「どんな話にしましょうか?」と、「そこから話に乗ってくれ」というような映画だった。
それで新潟県のある町の再生、それを有志達が集まって「志があるものが集まって素晴らしいローカルを作ろうじゃないか」という。
そういうローカルストーリーにするという。
それで「武田さんにはその中心人物になって欲しい」と言われたのだが、まず良い人達を描いてしまうと、良い映画にならない。
武田先生は悪い役に回らないとダメだ。
「いい人達に付き合っていくうちに良くなってしまう私」という、そういう映画の作りの方が面白いいんじゃないの?という。
どこかの国が日本の国土を金で買収していく。
それで武田先生は日本の田舎を売りまくるという、その手先。
それで田舎の人達を武田先生は口八丁手八丁で騙くらかして、次々用地を買収していって、その国の人達の為の町を作るという計画に乗る。
ところが付き合っていくうちにいっぱいいい人がいるもので、だんだんそっちの方に武田先生は引き込まれていって味方してしまうという、そういう映画。
これが「降りてゆく生き方」。
いろんなところから俳優さんを集めるのだが、それは真面目にローカルで生きている人達。
そういう人達を率先して集めた。
新潟県で山奥の田んぼで、「不耕起」「田んぼを耕さない」という新しい農業の方法で素晴らしいお米を作っておられるお百姓さんとか。
老人のケアセンターの中で老人達を懸命に励ます若い人達のグループとか。
酒造りを辞めてしまった酒屋さん。
その酒造会社を貸し切って撮影をやっていた。
そうしたらそこの酒屋さんが映画の撮影をやっているうちに、やる気になってしまって。
また再開し始めた。
それから千葉県の方ではお酒を造っておられる酒メーカーの方とか。
そういう人達と仲良くなった。
その中に「浦河べてるの家」の人達がいた。
「べてる」の人達を上手いこと紹介しないといけないのだが、精神障害の団体。
その精神障害の人達が共同で精神障害と戦いながら、そこにいるソーシャルワーカーの方たちの守りもあって、精神障害者同士が精神障害者の人を助けて町で生きていく、生活していくという、そういう運動をやってらっしゃる。
そこで知り合ったのが北海道・襟裳岬の根本の町、浦河という交通の要所があって、ここに居を構える「浦河べてるの家」。
ここは凄い。
幻覚や幻聴がある、そういう人達が町の人達と一緒に生活している。
だが幻覚や幻聴が襲ってくるワケで「大丈夫なのかな?病院に入院しとかないで」。
「大丈夫だ」という浦河べてるの家。
そこで知り合ったのが向谷地(生良)さんという方。
これはもう話した。
あの時はまだ行っていなかったのだが、秋口、この「浦河べてるの家」で文化祭(「べてるまつり」)をやるので「ゲストに来い」という話になって「行くよ」というようなもので行った。
十数年ぶりで「べてるの家」に行って、久しぶりに昔、映画で共演した人達と再会したのだが、そこでも考えさせられることが次々あって。
15年ぶりぐらいに「べてる」に行って向谷地さんに「べてるの家」の現状を聞いたりなんかした。
浦河べてるの家「べてるまつり」。
妄想大賞(「幻覚&妄想大会」)。
精神障害を持ってらっしゃる方というのは時として幻聴が聞こえたり、幻覚が見えたりする。
それで、もの凄い幻覚、素敵な幻覚を見た人には、その年の年間大賞をあげるという。
ちょっとこれは「大丈夫かね?」と思うのだが、これが皆さん、楽しい。
今年は、コロナでしばらく会えなかったから「盛り上げようぜ」というようなもので、これまでの傑作妄想、これを「べてるの家」の精神障害を持った人達が力を合わせてショートコント、舞台劇にしてある。
これは面白かった。
前にも水谷譲にお話しした「べてるの家」の精神障害者の方。
この方が襟裳岬の先端にUFOを降ろす。
その幻聴に誘われて彼が走り出すと向谷地さんが「ちょっと待て」と。
「一人で行っちゃだめじゃないか。みんなに相談しようよ、一回」と言いながら、べてるの町に引き戻してミーティング。
5〜6人集まってUFOから聞こえた声がある
「どう対処したらいいか、みんなどう思う?」
それで向谷地さんがその6人に向かって「今までUFOなんていうのは乗ったことのある人いる?」と言ったら殆ど全員が手を上げたという。
UFOはみんなある。
それでみんなから今、走り出した人に向かって「いろいろ注意することがあったら」という。
そうしたら一人の人が「免許証確認したか?」という。
「ライセンス持ってないと危ない」
そうしたら別の女性が手を上げて「私、無免許の人に乗ったことがある。墜落したのよ、白神山中に」という。
そういう方がおられて最後に出た結論が「円盤のライセンス、オマエも取れ」。
そういう話。
運転に疲れたりなんかすると、宇宙人が「途中で代われ」という。
長い宇宙の旅なんで「オマエもやってくれ」とかと言う。
操作が難しいからチョチョチョっと覚えただけではダメで「だからオマエもライセンスを取らなきゃダメだ」。
それが凄い。
日赤病院の精神科の川村先生。
「ここに行くと日本国が隠している『空飛ぶ円盤練習場』というのが別にあるんで、そこに行ってライセンスを取れ」
それですぐに行って川村先生に。
そうしたら川村先生がたった一言「わかった。免許頑張って取るように。まずは一週間の入院」と言うので入院したらしい。
でもそれは我々は本当にUFOのことを知らないだけで、本当にみなさん乗ってらっしゃるかも知れないと思う水谷譲。
これは内話がある。
本当に素敵な話。
それで一週間入院している。
そうしたら幻聴は消えていく。
これは本当に面白いと思う。
幻聴は振り切ろうとすると強くなる。
仲良くなろうとすると薄くなる。
入院している間は何もしない。
川村先生が「どう?まだ円盤の声聞こえる?」「はっきり聞こえるようじゃ逆にまずいんだな」とかと。
「いわゆる練習場とか何かが秘密基地にあるから、円盤からそこ、探査されるとまずい」と言って、入院して二週間ぐらいで全く幻聴が聞こえなくなったんで「はい、町に帰っていいよ」で帰ったという。
ただ、それだけの話。
この文化祭の面白いところは、その幻聴を見た人が審査員席に座っている。
それで司会者が訊いた。
「君の幻聴を舞台化してみたんだけどどうだろう?」
その人が「バっカみたいですねぇ」と。
それが妄想・幻覚であるというのはもうわかっている。
単純ではない。
今日、喋ってしまうかな。
川村先生が「一週間入院」とおっしゃった。
その後、武田先生は川村先生に会っている。
川村先生は忙しくて文化祭に出てこられなかったのだが、帰る日に川村先生に会って。
「先生あれ面白かったです。一週間入院は大爆笑だったよ」
そうしたら川村先生は教えてくれた。
いわゆる「狂気」というものが襲ってくる。
振り切ろうとすると近寄ってくる。
だからみんなで 狂気に寄り添う。
そうするとその狂気に取り憑かれた人が気づく。
みんなで空飛ぶ円盤の話をする。
川村先生に言っても「秘密基地の資格として一週間入院」とか言う。
今までそんな話をするとさんざんバカにされたのに、ここはみんな狂気に協力してくれる。
協力すると狂気は小さくなっていく。
川村先生の名言で、本当に感動した。
幻聴、幻覚でどんなに頭の中がグシャグシャになっても、20%ぐらいの自分がいて、正気があって「変だな」というのはわかっている。
だけど周りから「オマエが変だ変だ」と言うとどんどん正気が小さくなって狂気が大きくなる。
逆に狂気に付き合ってあげると狂気がだんだん萎縮して狂気が人間に合わせようとする。
この精神障害によって幻覚・幻聴の話を聞くと人間観がゆっくり変わってきて、この話はまた明日続ける。

ネタを忘れてしまったというミスがあるので、これも終わった話かも知れないが「いい話だな」と思ったので続ける。
向谷地さんからいただいた本を読んでいて感心したのだが、向谷地さんが「べてるの家」で一緒に生きている精神障害の人。
(番組の中で「べてるの家」にいる人として紹介しているが、本によると別の場所での話のようだ)

統合失調症を持つAさんを紹介します。−中略−その方の後ろには「神様」がいて、そのテレパシーをいつも感じていること、−中略−神様からのテレパシーで送られてくる命令の内容が、何と一四種類あって、その中に、「新聞を読むな」「テレビを見るな」なんと「部屋から出るな」っていうテレパシーもあるんですね。ちゃんと神様のテレパシーを守ってるんですね。−中略−私はそれを聞いて言いました。「神様もいろいろいるけどあなたのその神様ひどいじゃないですか、その神様に苦情を申し立てたい」っていうふうに言いましたら、「Aさんはそれはやめてくれ」という事で、私は「ぜひ神様に嘆願書を出しませんか」とスタッフの人に言ったら、看護師さんはそれはいいねって言ってくれて、看護師さん達は見事な嘆願書を作ってくれました。それで署名欄まで作ってくれて、スタッフの方たちや入院患者さんの一部の方たちも含めて四〇人以上の人が署名してくれて、Aさんにそれを見せたんです。これを絶対神様に届けようねって言ったらものすごく喜んでくれました。
 すると、不思議なことに、あっという間に縛りが一四から五つにまで減りました。私は五つの縛りの中身がちょっと気になりまして、
−中略−「あんまり看護師さんの胸を見るな」なんて声がちゃんとあると言って大笑いしたことがあります。(225〜226頁)

(番組では神様からの命令が15、署名に応じた人数が50名)
だんだん神様の声が聞こえなくなっていった。
つまり向谷地は昨日話したとおり。
狂気を否定するんじゃない。
狂気に寄り添おうとする。
その文化祭というのは凄い女性が出て来た。
その人も過去の(妄想)大賞を獲った人で。
この人は恋愛に命を賭けるというタイプの妄想で、小泉(純一郎)さんに恋してしまう。
何と恋心のすさまじさで体がちぎれてしまう。
半分だけの彼女が小泉純一郎のところに会いにいった。
小泉さんもいい人なんで会ってくれた。
凄く大喜びしていたらしいのだが、浦河の町に半分だけで生きていくのが辛いので向谷地に頼んで、それでそのまま妄想も酷いので一回病院に行ったら、病院の川村先生ではなく精神科医ではなく、内科医の若い先生がおられて、今度は何とその人に恋した。
毎日会いたい。
恋愛病だから。
向谷地に相談する。
「毎日会いたいんだけど、どうしたらいいんだろう?」
そうしたら向谷地が「毎日会いたいっていうのは難しい。一番いいのは糖尿病だ。だから糖尿病になれ」という。
それで頑張って糖尿病になって毎日会いに行くようになったという。
それが治療。
「一つの病を作り出す」ということも精神障害に対しては、治療になる可能性がある。
この「べてる」が教えてくれることはそういうこと。
そういう精神医療がある、という。
そのことの重大さ。
非常に危険かも知れないが、人間はそのようにして正気を。

それと今年の2024年の妄想大賞が素晴らしかった。
聞いて、もう泣きそうになってしまって。
旦那様がアルコール中毒で生活力もなくて奥様は妄想とか幻覚のあるという精神障害を持っておられて、お子様もいらっしゃるのだが養護施設に預けて懸命に働くのだがその二人がある寒い日に酷いケンカをした。
旦那様がアルコールの依存の為に暴れ始めて、彼女は裸足で飛び出して初冬の北海道の浦河の冬道を歩いていた。
ここでの生活は何が大変かというと、その女性が証言なさっていたが、灯油と電気を切られたそうで。
北海道で電気を切られて灯油を切られたら無理。
凍え死んでしまうと思う水谷譲。
待ち受けているのは、そういう貧しさだった。
それで彼女は夜道へ飛び出して歩いていた。
そうしたらもともと妄想・幻覚のある精神障害を持った方なのだが、そこに幻覚が降りてきたという。
その幻覚が何と凄い。
道路の真ん中にいたらしいのだが、キツネ。
(キツネの)子供を引き連れているそうだ。
そしてそのキツネが彼女に向かって話しかけてきた。
それは「頑張るんだよ。頑張るんだよ」とキツネが言う。
それで彼女は「頑張ろう」と思って、ソーシャルワーカーの向谷地のところまで走っていったという妄想。
「面白い」と言ったら失礼だが面白い。
狂気が励ましている。
私共にとっては狂気というのは恐ろしいもの。
幻覚とか幻聴とかというのは正気を失うワケだから。
ところが狂気というのは時として、その人に「生きてゆけ」と励ますという。
そういう狂気もあるんだというので、その方が2024の大賞を受賞なさった。
その狂気のキツネが目に見える。
「狂気が生き延びる術を語りかけてくる」という強烈なものを武田先生はそこに感じた。
それと向谷地さんも重い声で言っていたが、日本にまだ命がけの貧困があるということ。
悪い循環で、このアルコール依存症の旦那がいらっしゃった。
お父さんもアルコール依存、お爺ちゃんもアルコール依存。
生きてゆくのが大変なのだろう。
そういう貧しさを引き受けながら狂気と折り合って生きている、そういう女性がいるということ。
この浦河・日赤、浦河の「べてるの家」というのは幻覚・幻聴の人達を町の人と同列に、同じように共に生活者として生きていくワケで。
それで上手くいっている。
何かトラブルとか無いのかなぁと思う水谷譲。
ある。
都会では妄想に取り憑かれた人が起こした犯罪がある。
でも向谷地さんは言葉にはしないが「狂気との付き合い方を都会の人が忘れてるからじゃないか?」という。
現代を生きていく命に関する力不足。
忙しさにかまけて今日の自分の用事にせかされて忘れちゃってる、というのが。
確かに都会だと隣に誰が住んでいるのかも興味が無かったりするとそういう関係性も薄いと思う水谷譲。
「だから関係性をどう作る」というのがもの凄く人間の命に大切で。

驚くなかれ、武田先生は感動してしまったが、今年の浦河の「べてるまつり」の「べてるの家」の文化祭なのだが、韓国から見学の人が来ていた。
「べてるのやり方を学ぼう」という人達が韓国にいる。
それと「狂気の住む場所というのは昔はあった」という。
前も「べてる」の時に言った。
文学者の人は狂気と一緒に住んでいたという。
シェイクスピアも、カフカも変だし芥川龍之介も変。
でもそれが文学になっていた。
ところがその今、入院させて檻の中に閉じ込めている。
向谷地は「これから俺はアジアに乗り出そう」。
だから彼はバングラデシュなんかに行っている。
そこの精神科の医療を訪ねて。
ちょっと嫌な言い方になるが、指導にかかっている。
彼が一番興味を持っているのは中国。
中国みたいなしっかりした社会は狂気の住む場所がない。
しかも町中に監視カメラがあるので、そういう社会というのはすぐに檻の中に入れる。
そういうことが習慣づくと出て来た狂気は本当に暴れる。
そういう事件があった。
そういう意味合いで「べてる」というのが、小さな町だが世界に向かって何かこう、道しるべみたいなものを。
武田先生はその時、フッと思ったのは「この話を九州の友達にしたいなぁ」と思った。

ということで、「ネタを家に忘れた」というところから始まった二週だったが語ってみたというワケで。
ちょっとフリートークで言葉もいろいろ不適切な言葉もあっただろうかと思うが不適切な表現を借りねば語れないこともあるもので、そのへんどうぞ御容赦のほど。
来週はまた立て板に水でお送りしたいと思いますんでよろしくお願いします。



2024年11月25〜12月6日◆人生、待っていたのは(前編)

(この週は、番組の冒頭はQloveR(クローバー)の入会キャンペーンの宣伝)

個人的なことだが、夏のことだが名古屋という街で共に苦労をしてきたツチダという名前のスタッフがいて訃報が入って。
ちょっと71(歳)という若さで逝ったものだからツチダを偲びつつ。
皆さんには関係の無いことなので個人的な思い。
今週、まな板の上に置いたのは「人生、待っていたのは」。
もう武田先生の身辺にもいろいろちょっと「アイツが死んだ」とかという報が入る。
武田先生も人生の決してもう真ん中ではないので、最後の直線コースに入っているワケだが、友人の後輩の死か何かを聞いて本屋さんに行って見つけた本だが。
これは本のタイトル「男はなぜ孤独死するのか」。

男はなぜ孤独死するのか 男たちの成功の代償



もちろんこれは武田先生の後輩、スタッフとは何の関係も無いのだが、そういえば孤独死、最近よく聞くこと。
その本は非常に気になる副題が付いていてトーマス・ジョイナーさんという方がお書きになった晶文社の本だが「男たちの成功の代償」。
フロリダ州立大学心理学者であるトーマス。
専門のテーマは自殺。
360ページを超える大著で。
もの凄くいろんなことがたくさん書いてあるので「やめようかな」と思ったことも何度かあったのだが、この本は困ったことに十ページに一行必ずいいことが書いてある。
それでその一行を求めてめくっていくうちに、だんだん身に沁みてきたという。
何が一番、身に沁みたかというと、ドキッとするのだが男の人生である程度の成功を収めた人ほど、晩年自殺しやすいという。
これはアメリカの話。
皆さん、アメリカの話だと思って聞いてください。
そういう人がアメリカには多い。
人生である程度成功を収めた男が晩年に自殺しやすい。
アメリカで起こっているかも知れないが、非常に気になる文章で。
「人生である程度成功を収めた」というのは武田先生の身の回りにいっぱいいる。
武田先生自身のことを考えたらそう。
博多のイモ兄ちゃんが一発ヒット曲が生まれたかと思ったら、その後、先生役か何かでずっと生きていることになって。
大成功だと思う水谷譲。
そういう「成功した男」ほど自殺の傾向が激しいという。
これは気になる。
しかもこのトーマスさんの調べ方は徹底していて、この傾向は女性に比べて遥かに自殺する確率は高齢になればなるほど男性が高くなる。
その一つの要因に男性が孤独になりやすい性質を生まれながらに持っている。
なぜ男は孤独に陥るのか?
これは凄く気になる。
年取った男が非常に脆いというのは・・・
男性で奥様を先に亡くしたりすると、とても脆くなるなという方はよく見かける水谷譲。

こういう話がアメリカにあったそうだ。

 1991年、10月の太陽がオークランドとバークレーの丘に昇る頃、−中略−火災は数分以内に住宅街に及び、最も激しい時には11秒に一軒の割合で燃え広がり、家の所有者たちは命からがら家から逃げ出すことを余儀なくされた。(10〜11頁)

新しい家の窓が上向きに設計されていたため、火事の影響やほかの人の家を見ずに済むという事実が語られていなかった。要は建築によって意図的に作られた絶縁空間だったのだ。−中略−火災は、数週間にわたる励まし合いとともに、その後の貪欲さと卑劣さと対立という気の遠くなるような試練をもたらした。(13頁)

皆さん何をなさっているかというと、建て直した家に関しては懸命に孤独を守ろうとなさっていたという。
人間、何か一つあると孤独を守りたがるという。
この「孤独」が問題。
訃報を聞いて見つけた本だがトーマス・ジョイナーさんという方がお書きになった晶文社の本「男はなぜ孤独死するのか 男たちの成功の代償」。
成功した男性であればあるほど、自殺の確率が高くなるというアメリカの心理実験。

老いを生きている昨今だが人生の中で待っていたもの、それが明るく希望に満ちたものであればいいのだが、老いてゆく自分を見つめるというのはなかなかしんどい作業。
そんなことを話そうかなと思ったのだが、バラしてしまうがこのネタは(この番組で過去に)やった。
2024年10月28〜11月8日◆男の唯一無二
昨日「デジャブっぽいな」と思いながら話を聞いていた水谷譲。
一回出したヤツをまた出してしまった。
武田先生の勉強部屋のノートの置き方が悪かった。
一番上にあったヤツを「これだこれだ」「これやりたかったんだ」と思ったら一回やったヤツをもう一回引いてしまったという。
それで水谷譲が「一回聞きました」と言うものだから。
年を取るとダメ。

とある決心をさせることが、一回目をやっておいてなった。
前のタイトルは「男の唯一無二」。
男は山のてっぺんの一か所を目指して登ってゆく。
その生き方を人生に例えるとだんだん孤独になってゆく。
女はどうかというと、てっぺんを目指さない。
山の裾野をグルグル回っているものだから、いつも山全体を見渡している。
それが女性の力である。
そういう男女差の違いが、男が一か所を目指したばかりに孤独に陥って、もう山を下りなければならないのにまだ頂にいる為にどんどん孤独になっていくという。
これは本当に正直に話すが、昨今の自分の心境。
自分も唯一無二の個性を求めてずっと生きてきたし、男にとって唯一無二の個性を発揮した人生は充実していると思って、70代になると結構寂しい。
この本の中に書いてあった「昔の友人に電話しろ」という。
そんなことを話した。
同じ話。それで電話をした。
それでその友人に会いに行った。
博多。
そうしたら博多のいつもの同級生達が集まって武田先生のことを囲んでくれた。
武田先生のことに関していろいろ話すうちに、自分の初心を思い出したというか。
それは前に話した通り。
それはもう仲間にも言われたこと。
「武田さんはいつも『ライバルはチューリップの財津さんだ』『ソロで上手い井上陽水さんだ』って言う。だけど武田さんはね、違うと。陽水さんも財津さんも歌ば歌いよる。武田さんはアマチュアの頃から歌、歌ったことない。語ってた。歌を歌っても武田さんはメロディーは付いてるけど武田さんの歌い方は語りよ。目指してるもんが全然違うから武田さんは陽水さんや財津さんに負けまいと思って歌、作ったワリには似ても似つかない歌ができる」
(どういう仲間なのかというと)武田先生にアマチュアの頃、音楽仲間、(「海援隊」の)千葉(和臣)・中牟田(俊男)の他にもう一人ジュンというヤツ。
そのジュンというヤツと一緒に海援隊の練習が終わった後、ナケナシのカネを合わせて二人で屋台に行く。
そこでラーメン一杯とビールを大事そうにチビチビ飲みながら、寒い時には熱燗一本だけを貰って二人で「オマエから先に呑んでよかぜ」とかと博多弁で言い合っこしながら二つに分けたお酒を呑みあっていた。
その貧乏な学生と、ジュン君は喫茶店を自分で出すことが夢なオーナーになることを目標にしている労働青年だった。
語り合っているうちに武田先生は駄ボラをこく。
「俺は映画に出る。博多から出てきた田舎者の武田鉄矢は演技力は凄かぞ」
ホラをこいて喋る。
そうしたら屋台なので、ラーメン屋のオヤジさんがラーメンを湯がいている。
その湯気の向こう側からその屋台のオヤジさんが「その先はどげんなったと?」と聞く。
そこでさんざんホラ話をする。
そうするとみんな「面白か」とかと。
3、4日してまたそこの屋台に行って、そこのラーメンを湯がくオヤジが「あの続きはどうなったと?」と言う。
気づくとお客さんがいる。
そのお客さんは武田先生の話を聞きたいばかりに通い続けている。
その時にジュンが「アンタには不思議な力があるよ」と言った。
それがポッと心に灯って「東京行きたかぁ〜!」という。
結局それが実現していると思う水谷譲。
ネタが重なったので、武田先生の終わりを語りたくて二度に亘って。

同じネタを持ってきてしまったもので、自分の人生を待っていたものをアドリブで喋りたいという非常に苦しい一週間だがお付き合いのほどよろしくお願いします。
昨日のお話は何か、その光景自体がドラマのワンシーンみたいな感じがした水谷譲。
その22歳の若者だった武田先生も今、75歳だが、ふっと人生を振り返ると屋台の明かりが見えてくる。
その頃のことを話しましょう。

福岡は音楽の青春を選んだ若者達が非常に多かった。
武田先生がよく通っていた屋台から歩いて5分ぐらいのところにフォーク喫茶「照和」というライブハウスがあって。
繰り返しになるが、そこには強力な音楽仲間というか、ライバルがいて、チューリップの財津さんがいて、チューリップはもう完璧なコーラスで。
それから時々ソロで歌いながらコーヒーを運ぶ役が「甲斐バンド」の甲斐(よしひろ)君。
お客さんの中には聞くところによると長渕剛さんがいらっしゃって、「風」の正やん・伊勢正三さんがそこを観客席にいて何ブロックか先に喫茶店があってそのマスターがタモリさん。
タモリさんはいたずらばかりしていたという。
お客さんが「何が美味いか教えてください」。
「あ、ウインナーコーヒーですね」と言いながらコーヒーにウインナーを入れて出したという。
そのタモリさんの勤めていた喫茶店のちょっと先、大橋を渡った反対側の中州ではペドロ&カプリシャスが歌っている。
そんな渦。
その中で我が身の「海援隊」はというと、パっとしない。
また仲間もよく付き合った。
武田先生達は変なパロディソングを作っていて
海援隊で初めて作ったパロディソングが「大学ボタン」といって。
ここでも一度ご紹介したことがあると思うが。
2024年8月12〜16日◆俵星玄蕃
60年代に大ヒットしていた高倉健の「唐獅子牡丹」の替え歌を「大学ボタン」といって。
健さんの「唐獅子牡丹」は任侠映画で

義理と人情を 秤にかけりゃ−中略−
背中(せな)で吠えてる 唐獅子牡丹
(高倉健「唐獅子牡丹」)



と、こうくる。
武田先生達の「大学ボタン」は70年代の学生運動をパロディに選んで

辞書とゲバ棒 はかりにかけりゃ
ゲバ棒が重たい 学生の世界
背中(せな)で吠えてる 第四機動隊


と歌う。
田舎のフォークグループだから、これしきでもウケる。
その演歌仕立てが。
その頃のフォークは爽やかで

人は誰もただ一人(はしだのりひことシューベルツ「風」)



とか、その中で「♪辞書と・・・」と(ステージに)出るとワーッと。
その程度。
井上陽水さんの前座をやった。
陽水さん、勘弁してくださいね。
ちょっとお話します、あなたのことを。
福岡から車で一時間以上かかる佐賀県の田舎。
その当時は田舎だった。
佐賀の人、勘弁してください。
唐津の人、勘弁してください。
唐津という町がある。
そこの公民館の前で唐津大漁祭りとかというのがあって、提灯がぶら下がっている下で朝礼台みたいな台を置いてフォークシンガーが歌を歌う。
陽水さんが出た。
その時の陽水さんはまだ全然売れていなくて。
まだヒット前。
「アンドレ・カンドレ」を辞めて「井上陽水」になったばかりで、彼も自分でオリジナルを作り、ため始めた頃だった。
だから何曲か自作の歌を歌うのだが、これが後に日本を席巻するニューミュージックの先駆け。
「サキガケ」はやはり「先が崖」。
余り受けなかった。
何でかというと公民館の前。
青空の下で後ろは松林でガーッと風で揺れている。
そこで陽水さんが日本の社会の闇を歌う。
彼のテーマは「青年の孤独」。
唐津青年団とかが見ている中で都会の青年の憂鬱を歌う。

都会では自殺する若者が増えている(井上陽水「傘がない」)

傘がない (Remastered 2018)



田舎の人はびっくりする。
「東京では若者が自殺しようと!?」という。
サビが凄い。

行かなくちゃ−中略−
傘がない
(井上陽水「傘がない」)

と言う。
唐津の青年団は理解できない。
「雨の中、君に逢いに行かなくちゃ」なのに「傘がない」というのは。
小さな声が会場に沸き起こった。
ある意味でどうしても言いたかった村の青年達のつぶやきだろう。
「濡れて行けばいいやな」
それぐらい文化ギャップがある中で苦戦なさっていた。
この後、武田先生達「海援隊」。

そんなこんなで文化差が東京エリアと博多・福岡ではあの当時あった。
60年代、70年代の初めのことだから。
だから陽水さんのあの都会派、アーバンなニューミュージックというのは受けなかったというかあんまり反応がよくなかった。
それに比べて武田先生達(海援隊)は泥付きの地方ローカルバンドだから盛り上がる。
演歌がかったフォークか何かでみんな村民の手拍子で。
そういうところが仲間たちは「武田は少し誤解しているんじゃないか?武田はフォークソングでも何でもない」。
武田先生は勝手に「ライバルだ」とかと呼んでいた人達は武田先生達のことを何とも思っていないワケで。
余りにも違い過ぎるから。
「母に捧げるバラード」を作った。

母に捧げるバラード



その時に音楽記者の方から「どうしてお母さんのことを歌おうなんて思いついたんですか?発想の原点は何ですか?」と言うから、その当時の流行言葉で「やっぱりビートルズですかねぇ」という。
ジョン・レノンの「マザー」。

ジョンの魂:アルティメイト・コレクション<1CDエディション> (通常盤)(SHM-CD)



Mother,you had me(ジョンレノン「Mother」)

ああいうのを聞いて「母親のことを歌おう」。
「やっぱり影響はジョン・レノンですね」と言った。
そうしたら遠くで聞いていた井上陽水さんが「アンタ達はね、『ビートルズの影響』とか言うけどな〜んも受けとらんよ。ビートルズはおらんでもアンタは『母に捧げるバラード』は作っとう」と言われた。
それは当たっている。
誉め言葉だと思う水谷譲。
その時は(誉め言葉だとは)思わなかった。
吉田拓郎とかに憧れていたし。
それがずっと引っかかっていて「バカにしとうなコイツは」とかと思っていたのだが。

もうこんな話もしましょうか。
もう今や、誰に恨まれるワケでもないだろう。
(19)70年、或いは71年。
その70年代の始まったばかりの頃に博多にも大変な騒動が起きる。
フォーク喫茶「照和」にレコード会社が来ている。
びっくりして。
それは何かといったら「チューリップ」。
チューリップの上手さがもう他の都道府県にも響いていて、日本で新しい音楽を起こそうとしている東芝EMI。
そこからスカウトが覗きに来ている。
その時に財津さんの顔色が変わった。
「武田君」と呼ばれて行って相談された。
「僕達とジョイントばしてくれん?」
その当時は武田先生達にとっては非常に晴れの舞台だったのだが、渡辺通という大通りがあって、その脇に電気ホールというホールがあった。
お客さんが千人ちょっとか。
そこを財津さんは満員にしたかった。
ちょっと自信が無かったのだろう。
もう一つ、或いは二つ、三つ。
仲間を誘ってやって自分達がトリを取ったら満員に、という。
その満員にできる可能性のサポートは、客を呼んでくれそうなのは「海援隊」というローカルコミックバンド。
それで武田先生に「ジョイントばせん?」と。
その時に財津さんは「頼むけん」と頭を下げた。
やはり彼は東芝EMIのオーディション、シンコーミュージックというところがプロダクションなのだが、そのディレクターと社長さんの前で福岡での人気を見せたかった。
満員ということを前提に。
それでチューリップをトリにしておいてコントをやったりする。
チューリップが主人公のコントをやった。
コントとか好きだから、武田先生も出たかった。
そうしたら「武田君はいらんけん」と言われて。
妙に出してウケるとヤバいと思って。
コントはチューリップ全員でやる。
武田先生達は武田先生達で演歌臭いのを歌って、それでチューリップがトリを取って。
そうしたらディレクターさんが舞台袖で見ていた。
東芝EMI、切れ者で有名な新田(和長)さんという。
その時に武田先生もちょっと見て「ああ、この人か。東芝の偉い人は」。
田舎者が東芝ならドキドキする。
その人がパっと見て「さっき出てたの君?」と言うから「はい、そうです」その方が「君さぁ。面白いね」とおっしゃった。
だがそんなことを言われても困るし。
チューリップが目立つべき。
「僕達は福岡でずっと歌うていきますけん」とかと言いながら武田先生はそこを引き上げた。
そこから時間が経つ。
その後、その場にいらっしゃった東芝EMIの新田さんと50年ぶりに会った。
去年のこと。
これがまた不思議なご縁で。
ピート・ハミルという方がおられて。
この方はニューヨークでライターをやっておられて。
ニューヨークタイムズにエッセーを書いておられた。
そのピート・ハミルさんがお書きになったエッセーのタイトルが「幸せの黄色いリボン」。
これはアメリカの町で本当にあったことらしいのだが、長距離バスに乗り合わせた若者と一人の中年男がいて中年男が横にいる若者に「実は俺、刑務所を出てきたばっかりなんだ」と言う。
「ああ、そうですか」というような話をしているうちに、だんだん打ち解けて「彼女はきっと幸せに暮らしていると思うけども、私が家に帰って欲しくなかったら俺んちの前に樫木が一本あって、その樫木に何も掲げないでくれ。でも私をもし待っててくれたらその樫木に黄色いリボンを結んどいてくれないか」という。
これは本当にあった話。
バスがその家の前を通った時に男はじっと下を向いていて、若者が「ありましたよ。ハンカチ」と指さすと樫木いっぱいにリボンが結んであったというアメリカの小さな田舎町のエピソードをニューヨークタイムズに書いた。
それがフォークソングの「幸せの黄色いリボン」という歌になった。



それを映画女優である倍賞千恵子さんが歌っていた。
傍におられた山田洋二監督が「倍賞君、その歌どういう意味なの?」と言ったら倍賞さんは「この歌、綺麗な歌なんですよ」とバーっと話したら山田監督がじーっと考えて「これは映画になるねぇ」という。
松竹はちゃんと許可を貰って、これを日本版で山田洋二監督が脚本をお書きになって「映画にしよう」。
いろんな候補があったけれどもやはり「あの人がいいなぁ」ということで高倉健。
問題は若者(の役)。
「若者は現代風の人がいい」というので女性は桃井かおり。
「じゃ男性は」といろんな人が挙がったらしい。
だがそのうちに山田さんが突然「武田鉄矢でいこうか」という。
武田先生をどこで見ていたのかと思う水谷譲。
永遠の謎。
最近も訊いているが監督はお答えにならない。
ただ「君を使うことに於いては賭けだった」といつもおっしゃる。
ただ山田監督のこだわりは何かというと、フォークソングでいきたかった。
だからフォークを歌っているヤツがいい。
プラス田舎臭いヤツがいい。
山田さんの胸の中にフッと沸いたのは、健さんがその若者と古里の言葉訛りで語り合うという。
「あ!武田といえば訛りだな」というようなもので、フォークソングと古里に救われたというのは武田先生のこと。
それで武田先生にお呼びがかかってあの映画に。
飛ばす。
あの映画は成功裏に終わった。
お陰で武田先生もやっと喰っていけるようになった。
二年後には荒川の土手を歩く中学校の先生役が舞い込む。

3年B組金八先生第2シリーズ DVD-BOX [DVD]



歳月が流れた。
また(話は)戻る。
武田先生に声をかけた東芝EMIの新田さん。
友達がいる。
新田さんがピート・ハミルさんの奥さん(青木冨貴子)と知り合いだった。
ピート・ハミルさんはもう亡くなってしまったのだが(奥さんは)実は日本人だった。
しかもこの人は日本で音楽雑誌記者をやっていた。
この人が初めて駆け出しの頃にインタビューしたのが「海援隊」。
その方が日本に一旦戻ってこられた。
新田さんと音楽仲間だった。
それで新田さんに「武田君と一杯やりたいね」という話になった。7
武田先生が通っている合気道場に彼の「テカ」(と聞こえるが何を意味しているかは不明)が通っていた。
それでピート・ハミルさんの奥さんの青木さんと「会おう」という話になって、ピート・ハミルの奥さんと新田さんと武田先生と三軒茶屋で一杯やった。
武田先生は高倉健という俳優が懸命に打ち込んでいたか、山田洋二が真剣にあの一本の映画に演出をやっていたというお話をしたら、ピート・ハミルの奥さんである青木さんが泣きながら聞いてくださる。
ピート・ハミルさんも映画の仕上がりを見てくださっていた。
武田先生がお気に入りだったらしい。
武田先生のニックネームが(映画の中で)車を運転していたから「ドライバー」というのだが、ウンコをしてティッシュペーパーの箱を抱えて走るところはハミルさんが笑っていた。
それを話してくださって。
その宴席の一番最後に新田さんがおっしゃった一言が「人生で待っていたものは」。
「あん時、アンタもスカウトしとけばよかった」
長大な話だが、こんな話もちょっと続けてみる。



2025年04月26日

セブンプレミアム カレー揚げせん 57g

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カレー揚げせん 57g | セブンプレミアム公式
かつおとこんぶのおだしを活かした和風カレー味のせんべいです。

発売日不明。
価格127円(税込)。
内容量57g。
1袋当たりエネルギー297kcal。
製造者ぼんち株式会社。

新発売のようだったので買ってみた。
袋の大きさは縦が20cmで横が15cmぐらい。

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長さが5cmで幅が1.5cmぐらい。

味は歌舞伎揚っぽいかな。
「ぼんち揚」により近いのかも知れないが、多分それは食べたことが無いので比較ができない。
歌舞伎揚みたいな甘さとしょっぱさのある味の濃い感じの煎餅で、ちょっとカレーの風味かなみたいな。
辛さは無いな。
まあ、食べやすい感じの味かな。
形状も食べやすいと思う。

天乃屋 スペシャル歌舞伎揚 1枚×15個



posted by ひと at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

昨年放送された「ETV特集」の再放送があります

昨年放送されて、その後再放送もあったNHKの「ETV特集」がまた再放送されるようなのでご紹介する。
見たことがあると思うが、どんな内容だったかも記憶に無く。
今回は正式なタイトルが「ETV特集 選 子と親の“むぎのこ村”」。

子と親の“むぎのこ村” - ETV特集 - NHK
初回放送日:2024年6月1日
[Eテレ] 5月3日 (土) 午後11:00〜午前0:00(1時間0分)

発達障害などの子どもを療育する札幌の通園施設。40年かけて地域に支援拠点を増やし、親子を包み込む“村”のようになった。注目は、全国でも珍しい虐待した親の支援だ。
出演者ほか
【語り】内田也哉子
詳細
札幌の住宅街にちょっと変わった“村”がある。1キロ四方のエリアに50以上の支援拠点が並ぶ、通称“むぎのこ村”。中心は、発達障害などの子どもたちを療育する児童発達支援センターだが、“村”が支援するのは子どもだけでない。親も孤立しないよう、あの手この手で支える。中でも珍しいのは虐待した親たちの支援。「虐待自助グループ」も開催している。虐待を防ぐ取り組みを中心に“むぎのこ村”の日常をみつめた。



この番組でナレーションをしている内田也哉子さんのインタビューも掲載されている。

『子と親の“むぎのこ村”』 ナレーションを担当した内田也哉子さんのインタビュー - ETV特集 - NHK

説明するまでもないと思うが、内田也哉子さんは父が内田裕也さん、母が樹木希林さん、夫が本木雅弘さん。

GOLDEN☆BEST/シブがき隊



posted by ひと at 07:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月25日

湖池屋 クラッシュスコーン よくばりサラダ

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「クラッシュスコーン よくばりサラダ」 「クラッシュカラムーチョ ホットチリ味」 (4月14日発売) | ニュースリリース | 日清食品グループ
株式会社湖池屋 (社長:佐藤章) は、多層のサクサク食感が好評の「クラッシュシリーズ」をフルリニューアルし、「クラッシュスコーン よくばりサラダ」「クラッシュカラムーチョ ホットチリ味」の2品を2025年4月7日(月)に全国コンビニエンスストア、2025年4月14日(月)に全国スーパーマーケット等一般チャネルで発売します。

・「クラッシュスコーン よくばりサラダ」
スコーンブランドの独自価値である「軽快」×「濃密」のさらなる強点強化。
10種類の野菜とベーコンを爽やかな酸味であわせた、満足感のあるよくばりな美味しさ!!
アクセントのガーリックの余韻がやみつきになる、軽やかで満足感のある味わいです。


4月7日から全国のコンビニエンスストアで先行発売。
4月14日から全国のスーパーマーケット他一般チャネルで発売。
クリエイトSDで89円(税別)で購入。
オープン価格。
参考小売価格150円前後(税抜き)。
内容量40g。
1袋当たりエネルギー218kcal。

袋の大きさは縦が23cmで横が16cmぐらい。
ホットチリ味」と一緒に発売になったヤツ。

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これも袋の裏側の端に
『クラッシュ』は、
江崎グリコ株式会社の登録商標です

と書いてある。

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見た目はホットチリ味と同じ感じだな。
一個が約3cm。
で、何に似ているか思い出したというか、たまたま店頭で見かけたワケだが。
「エアリアル」だね。
生地の形状とか食感が「エアリアル」に似ている。
袋から出すとまず酸っぱい感じの臭いがする。
食べてみてもやっぱり酸味がある。
塩味がしっかりっていう系統の味ではないな。
あっさり系ってことかな。
野菜とベーコンの味ということなのだけれども。
ちょっと変わった味で、これが野菜とベーコンの味なのかなと思うが、スナック菓子として美味しいのはこっちよりもホットチリ味の方かな。

ヤマザキビスケット エアリアル焼きとうもろこし味 65g×12袋



posted by ひと at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ドムドムハンバーガー かつ丼バーガー

トピックス|ドムドムハンバーガー【公式サイト】
春の新商品は、食べ応えのあるあのメニューがバーガーに!!

4月25日(金)販売スタート!「かつ丼バーガー」

サクサクに揚がった三元豚ロースかつに、出汁のきいたとろとろのたまごをたっぷりと合わせました。肉厚なとんかつに絡むまろやかなたまごの優しい味付け、きざみ海苔の風味…ごはんは入っていませんが、これはまさにかつ丼!?意外とバンズにも合うから不思議です♪

千切りキャベツの歯ごたえがアクセントになってぱくぱくと食べ進められる、満足感のあるバーガーが完成しました!

期間限定となっておりますので、この機会をお見逃しなく!

【期間限定メニュー】
◆商品名:かつ丼バーガー

◆価格:単品   680円(税込)
    セット  1,090円(税込)

※浅草花やしき店・市原ぞうの国店は、単品の販売となります。
※笹丘店では、バンズの仕様が異なります。

【販売店舗】
全国のドムドムハンバーガーにて2025年4月25日より販売開始

※下記店舗では販売いたしません。予めご了承ください。
・G×DOMDOM(ジー・ドムドム)


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留めてあるテープってこれだったっけ?
前は違うヤツだった気がするのだけれども。

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買ってから時間も経ってしまっているのでもう寸法も測らない。

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上のバンズをはがすとこんな感じ。
カツが結構デカい。

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カツをよけると下はこんな感じ。

冷えたままだと美味しくなかろうと思ってレンジで温め直して食べた。
そのせいなのか、ちょっと玉子の食感がチュルチュルした感じに。
多分、出来立てだと半生みたいなのだったんだろうと思うが。
それをレンジに入れたから、こんな妙な感じになったんだろうな。
中身は、このままご飯の上に乗せてもとても美味しいのではないかと思うような味。
カツも比較的柔らかい。
歯が悪くても噛みづらい感じは無かったので。
とても食べ応えもあって美味しい。
味の濃さがバンズと一緒に食べてちょうどいい感じで、食べる前は「かつ丼?」って思ったけれども、とても美味しいと思う。
値段が高いことは高いけれども、かなりボリュームもある。

福井名物 ソースカツ丼 (冷凍) 2個入りセット



posted by ひと at 14:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月24日

湖池屋 クラッシュカラムーチョ ホットチリ味

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「クラッシュスコーン よくばりサラダ」 「クラッシュカラムーチョ ホットチリ味」 (4月14日発売) | ニュースリリース | 日清食品グループ
株式会社湖池屋 (社長:佐藤章) は、多層のサクサク食感が好評の「クラッシュシリーズ」をフルリニューアルし、「クラッシュスコーン よくばりサラダ」「クラッシュカラムーチョ ホットチリ味」の2品を2025年4月7日(月)に全国コンビニエンスストア、2025年4月14日(月)に全国スーパーマーケット等一般チャネルで発売します。

・「クラッシュカラムーチョ ホットチリ味」
カラムーチョらしいチキンやガーリックの旨み、味にボリューム感をプラス。
コーン生地にあわせて酸味・甘みを調整し、ポテトチップスとは異なるクラッシュならではの カラムーチョらしい美味しさに仕上げました。


4月7日から全国のコンビニエンスストアで先行発売。
4月14日から全国のスーパーマーケット他一般チャネルで発売。
クリエイトSDで89円(税別)で購入。
オープン価格。
参考小売価格150円前後(税抜き)。
内容量40g。
1袋当たりエネルギー218kcal。

袋の大きさは縦が23cmで横が16cmぐらい。

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袋の裏側の端に
『クラッシュ』は、
江崎グリコ株式会社の登録商標です

と書いてある。
商品名にわざわざ他社が登録している名前を使わなくてもと思いうのだけれども。
どうしても「クラッシュ」って付けたかったのかな?

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フルリニューアルということで、以前にも同じ名称の商品が販売されていたようだが、そっちは多分食べていないので比較もでけんのだけれども。
一個が約3cmで、一口で食べやすいし、箸でもつかみやすい。
こんな感じの形状の菓子は前にもあったよなぁと思うが、何だったか記憶は無く。
見た目が同じなだけではなくて食感なんかも同じ感じなんだけれども。
「カラムーチョ」というからポテトチップスっぽいものを想像していたが、コーンスナックだな。
サクサクパリパリした感じ。
味は辛いことは辛いが辛すぎて喰いづらい的な感じでもなく。
食べやすくて美味しいコーンスナックだねってことで。
たった40gしか入っていないので、参考小売価格150円前後ってのは厳しい価格設定だなと思うが、物価を考えるとそんなものなのかな。
まあ、その値段じゃあ買わないよねぇ。

湖池屋 クラッシュカラムーチョ ホットチリ味 40g?12袋



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2025年04月22日

ペットボトルで育てている水栽培のトマト

で、トマトですね。
今年は奮発してお高いタネですよ!
これも3月20日に植えたヤツね。

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最初の方に生えた葉っぱが枯れている感じなので、アブラムシでも付いたかな?と思ってよく見てみたが、何も付いていないようだ。
直射日光が強すぎるのかな?
まだ四月なのに、今のうちから日光が強すぎるとか言われたら先が思いやられるよなぁ。

ミニトマト 種 【 ミニトマト甘っこ 】 種子 小袋 約10粒



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あんまり育っていないはつか大根とスイートバジル

土に植えたはつか大根。
植えたのは3月20日ということで、一か月以上が経過。
ということで、当然もう丸々としたはつか大根が!ってことは全く無く。

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何が悪いのかなぁ?
タネを多めに植えて、後で間引きしようと思っていたのだけれども、最初のうちは天気が悪くて寒い日も多かったのでビニールで覆っていたら湿気て枯れたのか生えてきたヤツが何本もお亡くなりに。
ってことで、一度も間引きしていないのだけれども、間引きしなくていいかなっていう程度しか生えていないのでそのままにしている。

同じ日に植えたスイートバジルね。
こっちもはつか大根と同様にビニールをかぶせていたのがよくなかったのか、タネは多く植えたがダメになったヤツもいたので、二本しか生えていない状態に。

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もっと何本か生やしたいと思って後からタネを撒いたが、なぜか一つも発芽せず今日に至る。

種 野菜たね ダイコン 赤丸二十日大根 1袋(10ml) / 国華園 25年春商品



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ヤマザキ スフレロールケーキ【チョコクリーム】

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発売日不明。
クリエイトSD限定商品。
クリエイトSDで298円(税別)で購入。
内容量5枚。
1パック当たり熱量578kcal。
要冷蔵。

柔らかそうなので、中身の寸法を測るのは困難かな?と思ったので容器の外側の寸法だけだけれども、横が17cmで縦が12cmぐらい。
クリエイトSD限定って書いて売っていたので買ってみたけれども、量も多いが結構なお値段ということで。
いつものようにヤマザキのサイトには情報は無く。

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とっても柔らかい。
食感とか味とかはヤマザキの「ふわふわスフレ」のチョコのヤツみたいな。
それと違う部分は表面に結構な量のココアがまぶされていることかな。
甘くて柔らかくて美味しいと思う。

ティラミスロール&半熟スフレセット【洋生菓子詰め合わせ】ロールケーキ チーズケーキ ショコラ 冷凍



posted by ひと at 16:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする