これの続きです。
(この週は、番組の冒頭は
QloveR(クローバー)の入会キャンペーンの宣伝)
大変な事件が起こって、どんな事件かというと同じネタをやりそうになった。
そのことに水谷譲が気づいて「同じ話をなさっているんじゃないですか?」という静かな口調の軽蔑のまなざしで。
それで慌てて自分の身の上に起こった「待っていたもの」を語ろうかなという流れに。
アメリカの心理学者のトーマスさんという方の説を。
でもそれは前の前の放送で語っていた。
申し訳ございません。
先週は自分の青春時代の話でまとめて、小さな屋台で22歳の武田先生はホラばかり吹いていた。
ホラというか理想、夢を語っていたと思う水谷譲。
「俺は歌だけでは終わらない。人気は吉田拓郎に次ぐぐらいのフォークの人気で映画なんかにも出演する俳優にもなるんだ」とか。
「将来それでカネ貯めたら俺は坂本龍馬を演じるんだ」という。
でも皆さん本当、笑わないでください。
これは全部やってしまう。
そこが凄いと思う水谷譲。
武田先生はその頃、いつも大学に通うカバンの中に酒井和歌子さんのブロマイドを入れていた。
好きで
酒井和歌子さんが。
でも考えてみたら「刑事物語パート2」で共演者に選んだ。

こんなふうにしてことごとく武田先生は屋台で語ったことの夢をなぞるような後半の人生になる。
この頃の武田先生のエピソードで、さっぱり女性にモテなくて。
本当にモテなかった。
よく振られる話は伺う水谷譲。
いろんな人から嫌われて。
女性から「武田鉄矢の印象は?」というと「気持ち悪かぁ」という、そういう感じだった。
でも辛抱強い子がいて時々長く付き合ってくれる子がいたのだが、最後の詰めがダメで
告白して「恋人にならんね」と誘うと下を向いて「なりきらん。武田さんの恋人にはなりきらん」「なんで?アンタは俺と手ぇつないだやないね!?」「手は誰とでもつなぐ。フォークソングとおんなじやけん」「そらフォークダンスやろ」みたいなもので。
その一人の女の子、が今でも忘れないが、言った言葉の中にあったのが「言うことがとんでもない」と。
「東京に出ていって『フーテンの寅さん』に出る」とか「吉田拓郎とコンサートをジョイントでやる」とか。
それこそホラだと思う水谷譲。
「そげな武田さんの夢を聞きよったら、つきあいきらんと思う」「そげなこと言う人は福岡にだ〜れもおらんよ」という。
確かに現実を見ていないというか夢を追いすぎて「大丈夫か?この男」とは思うかもしれないと思う水谷譲。
遠い昔、余計なことをしたがるテレビ局が。
武田先生を振ったという女性十人にアンケートをとってくれた。
それで出た結論。
10人中7人が同じことを言っている。
「武田鉄矢をなぜ選ばなかったか」
第1位「将来性がない」。
女の人というのは将来を考える。
当たり前か?
ごめんなさい。
それは見抜けなかった。
そんな武田先生だった。
でも屋台のラーメンの湯気の中で語った夢というのを、それはジュンというのが聞き役で「アンタはその後それば全部やった」と言った。
それでそのジュンから出たアイデアが「もう一回湯気ば俺が立てるけん、語らんね」。
彼は今、小さな飲食店をやっている。
そこでなるべくおでんを中心に湯気を立てるような料理をやるので「福岡の知り合いとか友達の前でもう一回夢ば語らんね」。
「でもそげんいくつもないよ?」と言ったら「アンタやったらあるハズ。それば語るったい。湯気ん中でアンタ夢あっためたら、アンタそれ必ず実現する」と言う。
もう本当にドラマのワンシーンのようだと思う水谷譲。
それをこの間、福岡に帰った時にちょっと話した。
そうしたら店にホリケンが来ていた。
博多のローカルタレントが青木さやかさんと一緒に。
それをジュンと話していたらバーっと出てきて「湯気の中に入れてもらってよかですか?聞きたかぁ〜!」という。
そういう出来事があったから、このネタを選んだ。
そうしたら一回喋ったネタでした。
ごめんなさい。
もう一つ二日間の短い旅で経験した出来事がある。
「自分の人生にこれも待ってた出来事だなぁ」と思ったことは明日からお話しましょう。
「人生待っていたものは」
自分としてはそこを通過したつもり。
例えば先週お話したように博多の警固(けご)神社のすぐ脇にあった屋台の湯気の中。
それは青春の一ページだったのだが、九州福岡の友だちが「もう一回その湯気の中に戻って武田、夢ば語らんか?」。
自分としては通過したつもり。
ところが戻ってゆくというか、何かそういうのがある。
(この後は「弱さの情報公開−つなぐ−」に書かれている部分があるので引用を入れる)

ここから先はまた別の話になる。
ちょっと放送では使いにくい、表現しにくいこともあるのだが、なるべく皆さんに伝わりやすく話さなければならないが。
15年前になるが武田先生は60歳のおりに一本の映画に出演している。
これは一般公開無しの巡回映画と言って「その映画を見たいという人が数百人集まったらその映画を公開します」という、そういう変わった映画で。
「降りてゆく生き方」という映画に出演した。
(
降りてゆく生き方 | 映画&総合情報 公式サイト)
その映画に出てくる出演人物たちはプロで俳優さんという方が4〜5人しかいない。
後は全部新潟のアマチュアの方に出演してもらって物語にしていくという。
脚本の段階から入ったのだが、そのアマチュアの方が台本を書くというのでプロさが全くない。
「どんな話にしましょうか?」と、「そこから話に乗ってくれ」というような映画だった。
それで新潟県のある町の再生、それを有志達が集まって「志があるものが集まって素晴らしいローカルを作ろうじゃないか」という。
そういうローカルストーリーにするという。
それで「武田さんにはその中心人物になって欲しい」と言われたのだが、まず良い人達を描いてしまうと、良い映画にならない。
武田先生は悪い役に回らないとダメだ。
「いい人達に付き合っていくうちに良くなってしまう私」という、そういう映画の作りの方が面白いいんじゃないの?という。
どこかの国が日本の国土を金で買収していく。
それで武田先生は日本の田舎を売りまくるという、その手先。
それで田舎の人達を武田先生は口八丁手八丁で騙くらかして、次々用地を買収していって、その国の人達の為の町を作るという計画に乗る。
ところが付き合っていくうちにいっぱいいい人がいるもので、だんだんそっちの方に武田先生は引き込まれていって味方してしまうという、そういう映画。
これが「降りてゆく生き方」。
いろんなところから俳優さんを集めるのだが、それは真面目にローカルで生きている人達。
そういう人達を率先して集めた。
新潟県で山奥の田んぼで、「不耕起」「田んぼを耕さない」という新しい農業の方法で素晴らしいお米を作っておられるお百姓さんとか。
老人のケアセンターの中で老人達を懸命に励ます若い人達のグループとか。
酒造りを辞めてしまった酒屋さん。
その酒造会社を貸し切って撮影をやっていた。
そうしたらそこの酒屋さんが映画の撮影をやっているうちに、やる気になってしまって。
また再開し始めた。
それから千葉県の方ではお酒を造っておられる酒メーカーの方とか。
そういう人達と仲良くなった。
その中に「浦河べてるの家」の人達がいた。
「べてる」の人達を上手いこと紹介しないといけないのだが、精神障害の団体。
その精神障害の人達が共同で精神障害と戦いながら、そこにいるソーシャルワーカーの方たちの守りもあって、精神障害者同士が精神障害者の人を助けて町で生きていく、生活していくという、そういう運動をやってらっしゃる。
そこで知り合ったのが北海道・襟裳岬の根本の町、浦河という交通の要所があって、ここに居を構える「浦河べてるの家」。
ここは凄い。
幻覚や幻聴がある、そういう人達が町の人達と一緒に生活している。
だが幻覚や幻聴が襲ってくるワケで「大丈夫なのかな?病院に入院しとかないで」。
「大丈夫だ」という浦河べてるの家。
そこで知り合ったのが向谷地(生良)さんという方。
これはもう話した。
あの時はまだ行っていなかったのだが、秋口、この「浦河べてるの家」で文化祭(「べてるまつり」)をやるので「ゲストに来い」という話になって「行くよ」というようなもので行った。
十数年ぶりで「べてるの家」に行って、久しぶりに昔、映画で共演した人達と再会したのだが、そこでも考えさせられることが次々あって。
15年ぶりぐらいに「べてる」に行って向谷地さんに「べてるの家」の現状を聞いたりなんかした。
浦河べてるの家「べてるまつり」。
妄想大賞(「幻覚&妄想大会」)。
精神障害を持ってらっしゃる方というのは時として幻聴が聞こえたり、幻覚が見えたりする。
それで、もの凄い幻覚、素敵な幻覚を見た人には、その年の年間大賞をあげるという。
ちょっとこれは「大丈夫かね?」と思うのだが、これが皆さん、楽しい。
今年は、コロナでしばらく会えなかったから「盛り上げようぜ」というようなもので、これまでの傑作妄想、これを「べてるの家」の精神障害を持った人達が力を合わせてショートコント、舞台劇にしてある。
これは面白かった。
前にも水谷譲にお話しした「べてるの家」の精神障害者の方。
この方が襟裳岬の先端にUFOを降ろす。
その幻聴に誘われて彼が走り出すと向谷地さんが「ちょっと待て」と。
「一人で行っちゃだめじゃないか。みんなに相談しようよ、一回」と言いながら、べてるの町に引き戻してミーティング。
5〜6人集まってUFOから聞こえた声がある
「どう対処したらいいか、みんなどう思う?」
それで向谷地さんがその6人に向かって「今までUFOなんていうのは乗ったことのある人いる?」と言ったら殆ど全員が手を上げたという。
UFOはみんなある。
それでみんなから今、走り出した人に向かって「いろいろ注意することがあったら」という。
そうしたら一人の人が「免許証確認したか?」という。
「ライセンス持ってないと危ない」
そうしたら別の女性が手を上げて「私、無免許の人に乗ったことがある。墜落したのよ、白神山中に」という。
そういう方がおられて最後に出た結論が「円盤のライセンス、オマエも取れ」。
そういう話。
運転に疲れたりなんかすると、宇宙人が「途中で代われ」という。
長い宇宙の旅なんで「オマエもやってくれ」とかと言う。
操作が難しいからチョチョチョっと覚えただけではダメで「だからオマエもライセンスを取らなきゃダメだ」。
それが凄い。
日赤病院の精神科の川村先生。
「ここに行くと日本国が隠している『空飛ぶ円盤練習場』というのが別にあるんで、そこに行ってライセンスを取れ」
それですぐに行って川村先生に。
そうしたら川村先生がたった一言「わかった。免許頑張って取るように。まずは一週間の入院」と言うので入院したらしい。
でもそれは我々は本当にUFOのことを知らないだけで、本当にみなさん乗ってらっしゃるかも知れないと思う水谷譲。
これは内話がある。
本当に素敵な話。
それで一週間入院している。
そうしたら幻聴は消えていく。
これは本当に面白いと思う。
幻聴は振り切ろうとすると強くなる。
仲良くなろうとすると薄くなる。
入院している間は何もしない。
川村先生が「どう?まだ円盤の声聞こえる?」「はっきり聞こえるようじゃ逆にまずいんだな」とかと。
「いわゆる練習場とか何かが秘密基地にあるから、円盤からそこ、探査されるとまずい」と言って、入院して二週間ぐらいで全く幻聴が聞こえなくなったんで「はい、町に帰っていいよ」で帰ったという。
ただ、それだけの話。
この文化祭の面白いところは、その幻聴を見た人が審査員席に座っている。
それで司会者が訊いた。
「君の幻聴を舞台化してみたんだけどどうだろう?」
その人が「バっカみたいですねぇ」と。
それが妄想・幻覚であるというのはもうわかっている。
単純ではない。
今日、喋ってしまうかな。
川村先生が「一週間入院」とおっしゃった。
その後、武田先生は川村先生に会っている。
川村先生は忙しくて文化祭に出てこられなかったのだが、帰る日に川村先生に会って。
「先生あれ面白かったです。一週間入院は大爆笑だったよ」
そうしたら川村先生は教えてくれた。
いわゆる「狂気」というものが襲ってくる。
振り切ろうとすると近寄ってくる。
だからみんなで 狂気に寄り添う。
そうするとその狂気に取り憑かれた人が気づく。
みんなで空飛ぶ円盤の話をする。
川村先生に言っても「秘密基地の資格として一週間入院」とか言う。
今までそんな話をするとさんざんバカにされたのに、ここはみんな狂気に協力してくれる。
協力すると狂気は小さくなっていく。
川村先生の名言で、本当に感動した。
幻聴、幻覚でどんなに頭の中がグシャグシャになっても、20%ぐらいの自分がいて、正気があって「変だな」というのはわかっている。
だけど周りから「オマエが変だ変だ」と言うとどんどん正気が小さくなって狂気が大きくなる。
逆に狂気に付き合ってあげると狂気がだんだん萎縮して狂気が人間に合わせようとする。
この精神障害によって幻覚・幻聴の話を聞くと人間観がゆっくり変わってきて、この話はまた明日続ける。
ネタを忘れてしまったというミスがあるので、これも終わった話かも知れないが「いい話だな」と思ったので続ける。
向谷地さんからいただいた本を読んでいて感心したのだが、向谷地さんが「べてるの家」で一緒に生きている精神障害の人。
(番組の中で「べてるの家」にいる人として紹介しているが、本によると別の場所での話のようだ)
統合失調症を持つAさんを紹介します。−中略−
その方の後ろには「神様」がいて、そのテレパシーをいつも感じていること、−中略−
神様からのテレパシーで送られてくる命令の内容が、何と一四種類あって、その中に、「新聞を読むな」「テレビを見るな」なんと「部屋から出るな」っていうテレパシーもあるんですね。ちゃんと神様のテレパシーを守ってるんですね。−中略−
私はそれを聞いて言いました。「神様もいろいろいるけどあなたのその神様ひどいじゃないですか、その神様に苦情を申し立てたい」っていうふうに言いましたら、「Aさんはそれはやめてくれ」という事で、私は「ぜひ神様に嘆願書を出しませんか」とスタッフの人に言ったら、看護師さんはそれはいいねって言ってくれて、看護師さん達は見事な嘆願書を作ってくれました。それで署名欄まで作ってくれて、スタッフの方たちや入院患者さんの一部の方たちも含めて四〇人以上の人が署名してくれて、Aさんにそれを見せたんです。これを絶対神様に届けようねって言ったらものすごく喜んでくれました。
すると、不思議なことに、あっという間に縛りが一四から五つにまで減りました。私は五つの縛りの中身がちょっと気になりまして、−中略−
「あんまり看護師さんの胸を見るな」なんて声がちゃんとあると言って大笑いしたことがあります。(225〜226頁)
(番組では神様からの命令が15、署名に応じた人数が50名)
だんだん神様の声が聞こえなくなっていった。
つまり向谷地は昨日話したとおり。
狂気を否定するんじゃない。
狂気に寄り添おうとする。
その文化祭というのは凄い女性が出て来た。
その人も過去の(妄想)大賞を獲った人で。
この人は恋愛に命を賭けるというタイプの妄想で、小泉(純一郎)さんに恋してしまう。
何と恋心のすさまじさで体がちぎれてしまう。
半分だけの彼女が小泉純一郎のところに会いにいった。
小泉さんもいい人なんで会ってくれた。
凄く大喜びしていたらしいのだが、浦河の町に半分だけで生きていくのが辛いので向谷地に頼んで、それでそのまま妄想も酷いので一回病院に行ったら、病院の川村先生ではなく精神科医ではなく、内科医の若い先生がおられて、今度は何とその人に恋した。
毎日会いたい。
恋愛病だから。
向谷地に相談する。
「毎日会いたいんだけど、どうしたらいいんだろう?」
そうしたら向谷地が「毎日会いたいっていうのは難しい。一番いいのは糖尿病だ。だから糖尿病になれ」という。
それで頑張って糖尿病になって毎日会いに行くようになったという。
それが治療。
「一つの病を作り出す」ということも精神障害に対しては、治療になる可能性がある。
この「べてる」が教えてくれることはそういうこと。
そういう精神医療がある、という。
そのことの重大さ。
非常に危険かも知れないが、人間はそのようにして正気を。
それと今年の2024年の妄想大賞が素晴らしかった。
聞いて、もう泣きそうになってしまって。
旦那様がアルコール中毒で生活力もなくて奥様は妄想とか幻覚のあるという精神障害を持っておられて、お子様もいらっしゃるのだが養護施設に預けて懸命に働くのだがその二人がある寒い日に酷いケンカをした。
旦那様がアルコールの依存の為に暴れ始めて、彼女は裸足で飛び出して初冬の北海道の浦河の冬道を歩いていた。
ここでの生活は何が大変かというと、その女性が証言なさっていたが、灯油と電気を切られたそうで。
北海道で電気を切られて灯油を切られたら無理。
凍え死んでしまうと思う水谷譲。
待ち受けているのは、そういう貧しさだった。
それで彼女は夜道へ飛び出して歩いていた。
そうしたらもともと妄想・幻覚のある精神障害を持った方なのだが、そこに幻覚が降りてきたという。
その幻覚が何と凄い。
道路の真ん中にいたらしいのだが、キツネ。
(キツネの)子供を引き連れているそうだ。
そしてそのキツネが彼女に向かって話しかけてきた。
それは「頑張るんだよ。頑張るんだよ」とキツネが言う。
それで彼女は「頑張ろう」と思って、ソーシャルワーカーの向谷地のところまで走っていったという妄想。
「面白い」と言ったら失礼だが面白い。
狂気が励ましている。
私共にとっては狂気というのは恐ろしいもの。
幻覚とか幻聴とかというのは正気を失うワケだから。
ところが狂気というのは時として、その人に「生きてゆけ」と励ますという。
そういう狂気もあるんだというので、その方が2024の大賞を受賞なさった。
その狂気のキツネが目に見える。
「狂気が生き延びる術を語りかけてくる」という強烈なものを武田先生はそこに感じた。
それと向谷地さんも重い声で言っていたが、日本にまだ命がけの貧困があるということ。
悪い循環で、このアルコール依存症の旦那がいらっしゃった。
お父さんもアルコール依存、お爺ちゃんもアルコール依存。
生きてゆくのが大変なのだろう。
そういう貧しさを引き受けながら狂気と折り合って生きている、そういう女性がいるということ。
この浦河・日赤、浦河の「べてるの家」というのは幻覚・幻聴の人達を町の人と同列に、同じように共に生活者として生きていくワケで。
それで上手くいっている。
何かトラブルとか無いのかなぁと思う水谷譲。
ある。
都会では妄想に取り憑かれた人が起こした犯罪がある。
でも向谷地さんは言葉にはしないが「狂気との付き合い方を都会の人が忘れてるからじゃないか?」という。
現代を生きていく命に関する力不足。
忙しさにかまけて今日の自分の用事にせかされて忘れちゃってる、というのが。
確かに都会だと隣に誰が住んでいるのかも興味が無かったりするとそういう関係性も薄いと思う水谷譲。
「だから関係性をどう作る」というのがもの凄く人間の命に大切で。
驚くなかれ、武田先生は感動してしまったが、今年の浦河の「べてるまつり」の「べてるの家」の文化祭なのだが、韓国から見学の人が来ていた。
「べてるのやり方を学ぼう」という人達が韓国にいる。
それと「狂気の住む場所というのは昔はあった」という。
前も「べてる」の時に言った。
文学者の人は狂気と一緒に住んでいたという。
シェイクスピアも、カフカも変だし芥川龍之介も変。
でもそれが文学になっていた。
ところがその今、入院させて檻の中に閉じ込めている。
向谷地は「これから俺はアジアに乗り出そう」。
だから彼はバングラデシュなんかに行っている。
そこの精神科の医療を訪ねて。
ちょっと嫌な言い方になるが、指導にかかっている。
彼が一番興味を持っているのは中国。
中国みたいなしっかりした社会は狂気の住む場所がない。
しかも町中に監視カメラがあるので、そういう社会というのはすぐに檻の中に入れる。
そういうことが習慣づくと出て来た狂気は本当に暴れる。
そういう事件があった。
そういう意味合いで「べてる」というのが、小さな町だが世界に向かって何かこう、道しるべみたいなものを。
武田先生はその時、フッと思ったのは「この話を九州の友達にしたいなぁ」と思った。
ということで、「ネタを家に忘れた」というところから始まった二週だったが語ってみたというワケで。
ちょっとフリートークで言葉もいろいろ不適切な言葉もあっただろうかと思うが不適切な表現を借りねば語れないこともあるもので、そのへんどうぞ御容赦のほど。
来週はまた立て板に水でお送りしたいと思いますんでよろしくお願いします。