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2025年04月15日

いきなり!ステーキ US産ブレードミートステーキ

いきなり!ステーキ「US産ブレードミートステーキ」が帰ってきた! | いきなり!ステーキ

2025年3月14日(金)~ 2025年5月6日(火)まで、US産ブレードミートステーキの販売を全店で実施いたします。

過去に販売し、販売終了後も多くのお客様から熱いご要望をいただきました。その声にお応えするかたちで、今回は「マッシュポテト」を追加トッピングしてご提供いたします。

牛一頭から、わずか1sほどしか取れない希少な赤身肉となるため、今回も期間限定での販売とさせていただきます。是非この機会にご賞味ください。

<店頭販売期間>
2025年3月14日(金)~ 2025年5月6日(火)
※ランチ・ディナー共に終日販売致します。
※平日ランチタイムは+200円でセット付き
※本商品は、無くなり次第終了となります。

<販売価格>
(単品)
150g 1,340 円(税込)
200g 1,740 円(税込)
300g 2,340 円(税込)
450g 3,140 円(税込)

(平日ランチ)
150g 1,540 円(税込)
200g 1,940 円(税込)
300g 2,540 円(税込)
450g 3,340 円(税込)

デリバリー(単品)
150g 2,070 円(税込)
200g 2,680 円(税込)
300g 3,610 円(税込)
450g 4,840 円(税込)

<販売店舗>
いきなり!ステーキ 全店


歯が悪いのでいつもはハンバーグばかり頼んでいるのだけれども、高い肉なら硬くないかな?と思って期間限定だし食べてみた。

IMG_7275.JPG

ランチにしたのだけれども150gじゃあ足りないだろうと思ったので200gにした。
もちろんライスは大盛。
米価が高いけれども、ライスのお替りとか今でもやってんのかな?

肉は「ワイルドステーキ」みたいに変に硬くて噛み切れないみたいな感じではないので、多少は歯が悪くても大丈夫な感じ。
変な筋みたいなのも無いし。
肉の味はあんまりよくわからないが、美味しい気がする。
付け合わせの「マッシュポテト」は、まあじゃがいもだねっていう味。
「いきなり!ステーキ」の商品としては高いかなという感じはするが、ランチでこの値段で肉も硬くないからいいかなと思う。

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posted by ひと at 18:57| Comment(0) | TrackBack(0) | おでかけ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

NHK「ハートネットTV」の再放送があります

前回、まだ発表がなかったのでお知らせできていなかった「ハートネットTV フクチッチ(62)自閉スペクトラム症 後編」の再放送ね。

ハートネットTV フクチッチ(62)自閉スペクトラム症 後編
初回放送日:2025年4月14日
再放送 NHK Eテレ 4月22日 (火) 午前0:30〜午前1:00(30分)

番組概要
福祉の知識をイチから学ぶ「フクチッチ」。「自閉スペクトラム症」後編では、てれび戦士が当事者の世界をVRで疑似体験。さらに特性を生かして働く当事者に密着します。
番組詳細
“福祉の知識をイチから学べる”教養トークバラエティー。「自閉スペクトラム症」後編では、てれび戦士がVRを使って当事者の世界を疑似体験。聴覚過敏や視覚過敏の感じ方を知り、当事者が日常生活で直面する悩みについて考えます。さらに生き生きと働く当事者の日常に密着。松尾日出海さんにとってワクワクする場所は「職場」。そこには特性を生かしながら松尾さんらしく働くための工夫がありました。
【出演】風間俊介,ブルボンヌ,たけうちほのか,たける(東京ホテイソン),【語り】伊倉一恵


内容は発達障害を知らないぐらいの人が見てもわかりやすかったと思う。
これで少しは理解してくれていろいろ対応を考えてくれる人が増えればいいけれども、知ったところで「なんでそんな配慮しなきゃいけないんだよ」みたいに思う人もいるだろうなぁ。
今はみんな余裕が無いからな。
ちなみに番組には児童精神科医の吉川徹氏がご出演なのだけれども、なぜか出演者の中に名前が無いな。
一緒に劇団主宰の「不破ふわお」という人も出るのだけれども、この人の情報も無いな。
何でだろう?


日常診療における成人発達障害の支援:10分間で何ができるか



posted by ひと at 18:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年3月17〜28日◆希望の歴史・下巻(後編)

これの続きです。

ルトガー・ブレグマンの「希望の歴史」を三枚におろしている。
その第16章。
変わったタイトルが付いている。
「テロリストとお茶を飲む」
この中でまたルトガーはルトガーらしい希望の見つけ方を語っている。
これは読むとハッとする思いに駆られる。
それぐらいルトガーには説得力がある。
そのルトガーが激しく疑った定説こそ「割れ窓理論」。

 ハーバード大学の政治学教授だったウィルソン(162頁)

 一九八二年、ウィルソンは−中略−こう記した。「割れた窓をそのまま放置したら、じきに他の窓もすべて破壊されるだろう」。−中略−道端に散らかるゴミ、路上の浮浪者、壁の落書き。そうしたものは全て、殺人や暴力の前兆だ。割れた窓が一枚でもあると、ここでは秩序が守られていない、もっとやっていい、というメッセージが犯罪者に送られる。したがって、重罪と戦うのであれば、割れた窓を修理するところから始めなければならない。(163〜164頁)

これは結構、一世を風靡した。

ブラットンは−中略−ニューヨーク市警察の交通部門のトップに任命された。彼はウィルソンの理論の熱烈な信奉者で(165頁)

ブラットンがしようとしていたのは、窓の修繕だけではなかった。ニューヨークの秩序を立て直したかったのだ。−中略−最初にその標的となったのは、地下鉄の無賃乗車だ。取り締まりは強化され、一.二五ドルの切符を提示できなかった人は、鉄道警察に逮捕され、−中略−逮捕者の数は以前の五倍になった。(165頁)

今や、誰でも、ほんの些細な違反でも、逮捕される可能性が出てきた。公の場で酒を飲んだ、マリファナを所持していた、警官に軽口を叩いた、というだけで。ブラットン自身の言葉によれば、「街路で小便をしたら、刑務所行きだ」。(165〜166頁)

とにかく「割れ窓理論」に乗っかって街を綺麗にする、浄化運動を始めた。

犯罪率は急落した。殺人は? 一九九〇年から二〇〇〇年の間に六三パーセント減少した。強盗は? 六四パーセント減少。車泥棒は? 七一パーセント減少。(166頁)

大きい効果だと思う水谷譲。
この「割れ窓理論」はニューヨークを安全な街にする為の重大な秩序となった。
ところがルトガーさんはこの「割れ窓理論」の影の部分を見つける。
2000年代に入ると「割れ窓理論」そのものにヒビ割れが入り始めた。

 ……ブルックリン・パークでドーナツを食べていた女性。インウッドの公園でチェスをしていた人、午前四時に座席に足をのせていた地下鉄の乗客。そして、凍った寒い夜、必要になった処方薬を車で買いに行く時にシートベルトをしていなかったクイーンズ地区の老夫婦。−中略−その後、夫は心臓発作を起こして亡くなった。(168頁)

(亡くなった経緯は番組の内容とは異なる)
本当に薬が無ければダメだった。

割れ窓戦略は人種差別と同義語であることも判明した。データによると、軽犯罪で連行された人のうち白人はわずか一〇パーセントだった。(169頁)

そうするうちに大変なことが起きてしまう。

二〇一四年に煙草を密売した疑いで拘束され窒息死したエリック・ガーナーの事件のような、致命的な結果を招いた。「あんたらは、俺を見るたびに、ちょっかいを出したがる」とガーナーは抗議した。−中略−
 しかし、警官は彼を地面に倒し、締め技をかけた。ガーナーの最期の言葉は「息ができない」だった。
(169〜170頁)

例のアメリカの大暴動のきっかけになるという。
あれは全ての始まりは「割れ窓理論」に則っての警察の行動だった。
ここから「割れ窓理論」にヒビが入っていくワケで。
1982年、ハーバード大学JAウイルソン教授から始まった「割れ窓理論」からいつの間にかそれが人種的特権を含む過剰な取り調べになったという。
水谷譲に言った。
「割れ窓理論」を利用して殺人は63%、強盗は64%、車泥棒は71%も十年間で減ったという。
でも怪しい。

警官たちは、できるだけ多く罰金を科し、召喚状を発行するよう、駆り立てられた。彼らは違反の捏造さえ始めた。(169頁)

だからガーナーさんがお気の毒なのは、何回も嫌な目に遭っている。
「友だちに煙草を一箱あげるのが何で麻薬の密売になるんだ」という、それが反抗的態度ということで窒息死という亡くなり方をしたということ。

ルトガーさんは「希望をどう持つか」ということでこんな例を出されている。

「もしあなたが、女性を誘拐して五年間ラジエーターに鎖でつなぐ男の映画を作ったら──おそらくそんなことは、歴史上、一度しか起きていないだろうが、──それは社会を現実的に分析した映画だと、褒めそやされる。−中略−恋に落ちる人々を描いく映画を作ったら、今日の英国ではおよそ一〇〇万人が恋に落ちているにもかかわらず、非現実的な世界を感傷的に描いた映画だと言われるだろう」
    リチャード・カーティス(映画監督・脚本家)
(214頁)

(上記の話は細部が番組の内容とは異なる)
「平凡が大事なんじゃないの?」という。
今、異常なことが起きると異常さを強調するニュースの並べ方をする。
「そこにリアルはないんだよ」というのをルトガーさんが言っている。
著者は平凡にリアルを求めるという、それを希望にするという、そういうものを持ってないと今、世の中どんどん暗く見えちゃいますよ、という。
これは人間の心の内側にあるネガティブ・バイアスという本能で、人間が危険に遭わない為に追い込まれた心理。

人間には「ネガティビティ・バイアス」があることを述べた。(216頁)

「暗い方に物事を考える」という。
だから、あなたが被害に遭わない為にニュースは連呼するのだが、メディアの役割は何かというと「警戒して」。
リアルは何かというと人間は常に警戒できない。
ではリアルはどこにあるかというと時々騙される。
これが人間のリアルなんだ。

時々は騙されるという事実を受け入れたほうがはるかに良い、と彼女は言う。(218頁)

そうした方が人間というのは希望を見つけられるのではないだろうか?
これはハッとする指摘。
武田先生は「騙す」という字が最近、気になって一生懸命字源を・・・
「騙」
これは「だます」と読むのだが、違う読み方で「かたる」と読む。
武田先生が放送しているのは、これは「語り」。
でも「だます」ことも「かたる」と言う。
つまり皆さん、武田先生の喋りには「語る」と「騙る」が両方混じっているということを忘れないでください。
特に武田先生にはどっちもあると思う水谷譲。
つまり「語っている」時に思わず「騙ってしまう」ということがある。
だから常に「騙されるか」と思ってこの番組を聞いていただくよりも、敢えて「時々騙されてやろう」と思って聞いた方があなたの暮らしの中で希望が見つかることがある。
ルトガーさんは抜群の名言を残しておられる。

もしあなたが一度も騙されたことがないのなら、基本的に人を信じる気持ちが足りないのではないか、と自問すべきだろう。(218頁)

この逆説が成立するところにルトガーがいる。

「希望」それを手探りしている。

ドナルド・トランプは−中略−こうアドバイスする。「相手ではなく、自分に勝ち目があるうちに、敵を粉砕し、自分のためになるものを奪い取れ」。(219頁)

トランプ大統領の大変さは、絶えず敵がいないと成立しない。
この人は敵が必要。

 良いことをすると気分が良くなる世界に生きているというのは、素晴らしいことだ。−中略−人助けが好きなのは、他者がいないと自分もいなくなるからだ。(219頁)

他人がいるから自分という名乗りができるのであって、他人がいないと自分も消えてしまう。
敵を憎み、反感や悪意を抱くと、体の中がそうだがエネルギーの消費が跳ね上がるそうだ。
憎悪というのはくたびれる。
そんなものから自分を解放したければ許すこと。

 世界史上のほぼすべての哲学に共通する黄金律ゴールデンルールは、「自分がされたくないことを人にしてはいけない」というものだ。−中略−孔子がすでに述べている。(220頁)

その通り。

 黄金律のこのバリエーションは、「白金律プラチナルール」と呼ばれるが、ジョージ・バーナード・ショーがその本質をうまく言い当てている。「自分がしてもらいたいと思うことを他人にしてはいけない。その人の好みが自分と同じとは限らないからだ」(221頁)

当然のことだが、このへんを時々人間は鼻が高くなったり、ちょっとした権力を握ったりなんかすると忘れてしまう。
大国、大きな国というのは周辺の小さな国に対して「尊敬しろ」、尊敬を求める。
巨大な文明をもたらすのは強大な王の国、キングダム。
だからこそ小国に対して威張る。
「大国だからといって尊敬されると思うな。このバカチンが」と教授はおっしゃっている。
何かやたらと偉大さを振り回す人というのはいる。
「我が国は偉大だ。我が国は偉大だ」という。
今、人間の精神活動はMRI等のスキャン技術でモニター画面で脳の活性を見ることができたりする。
何を考えているかというのは脳をスキャンしてみるとわかるそうだ。
これは面白いことに、世界の独裁者はこのスキャンをもの凄く嫌うそうだ。
バレてしまうから。
このスキャンではっきりわかることがある。
大国同士が手を結ぶ時、共通の敵を探し出して憎む。
その「憎む」という心で共感を結び合う。
しかし「憎むことで手を結ぶとくたびれるよ」という。
それは本当。
敵を想定すると前頭前野、耳のすぐ後ろにある脳の領域がいつも緊張する。
「恐怖に耐えよ」そう命じる脳の部位がここらへんにあるらしい。
人間が一番くたびれるのは何か?
これはルトガーさんが調べたのだろう。
「愛国心」
愛国心というのは脳がくたびれる。
脳の消耗が著しくなる。
愛国心はどこかでふんばらないと。
今で言うところの「ギガ」が重いのだろう。

今、光っているのは、線条体と眼窩前頭皮質だった。−中略−わたしたちが「思いやり」と呼ぶものだ。共感と違って思いやりはエネルギーを搾りとらない。(223頁)

だから意志が続く。
キープすることが可能。
敵に対してどうすれば敵対の心を鎮めることができるのか?
それは敵に対して思いやりを描くことだ、という。
確かに愛国心が強すぎるとそれも戦いに導かれちゃったりすると思う水谷譲。
愛国心はやはり怖い。
これは同士、同じ愛国心を抱く人にとっては凄く重大なことかも知れないけれども、敵に回された人にとっては何回殺されるかわからないという。
今もある。
愛国心ゆえに追い詰めるだけ追い詰めて人間を殺しているという。
やはり体がそうであるように、心の健康を保持する為にも、私達には「思いやり」という心を健康にする働きをしている感情があるよ、という。

 わたしたちは人を区別する。えこひいきするし、身内や自分に似た人々のことをより気にかける。それは恥ずかしいことではない──それがわたしたちを人間にしているのだ。それでも理解しなければならないのは、他の人々、遠くの見知らぬ人々にも、愛する家族がいることだ。そして彼らもまた、あらゆる点でわたしたちと同じ人間であることだ。(228頁)

この「当たり前のリアル」。
「ここから考えよう」という。

「希望の歴史」上下巻に亘って触れてきたのだが、最後の方になってこのルトガーさんがもの凄いことを言いだす。
著者はギクリとするようなことを終章に向かって書いている。
希望を見つける10の心得(本によると「人生の指針とすべき10のルール」)。
希望を見つけるテクニックは十個ある。
その七番目にこんなことを書いている。
「ニュースを避けよう」
それを言われてしまうと立つ瀬がない。
だがルトガーさんの考え方だけはちょっと皆さんにお伝えしておく。
「ニュースを見るのやめましょう」と言っている。
確かに最近そう思う水谷譲。
ちょっと言い方が悪いがムナクソ悪くなってきていることがある水谷譲。
(「ムナクソ悪い」という表現は)「いい言葉」「べらぼう」だと思う武田先生。
ルトガーさんは言う。
「日常の中でニュース見るのやめよう、聞くのやめよう」

実のところニュースは、あなたの世界を歪めている。−中略−ニュースは往々にして、「腐ったリンゴ」に焦点を絞る。(229頁)

「とにかくリンゴの中で腐ったものを選んで『ホラ汚い』『ホラ腐ってる』って騒いだ方が見るんだよ。悪ければ悪いほど注目を集めるのがニュースなんだ」

ソーシャルメディアについても同じことが言える。少数の不良が遠くで叫んだヘイトスピーチが、アルゴリズムによってフェイスブックやツイッターのフィードの上部にプッシュされる。これらのデジタル・プラットフォームはわたしたちのネガティビティ・バイアスを利用して儲けていて、人々の行動が悪くなればなるほど、利益が増える。なぜなら、悪い行動は人々の注目を集めて、クリック数を増やし、クリック数が多ければ多いほど、広告費は上がるからだ。このことがソーシャルメディアを、人間の最悪の性質を増幅するシステムに変えた。(229頁)

「まずはそのニュースに近づかないことさ」
武田先生は何だかすっかり気持ちよく読んでいるが、そんなことを言っていない。
ルトガーさんに成り切ったつもりで続けましょう。

もっと繊細な新聞の日曜版や、もっと掘り下げた著述を読む。−中略−自分の体に与える食べ物と同じくらい、心に与える情報についても慎重になる。(230頁)

「ラジオでおすすめは『(今朝の)三枚おろし』だね」(とルトガー氏は)言わ無ぇよ、嘘言うなよ。
だからオマエは「騙り屋」って言われるんだ。(自分で自分にツッコみ)
とにかく明るい方へ物事を見よう。
武田先生はバカだから信じてしまう。
最高傑作はニュースで「信用でき無ぇな」と思ってスクロールして次のニュースを見た。
そうしたら「芸能界で意外と嫌われているベテラン」というのが出てきてそれの第三位が武田先生だった。
その瞬間に「こんなん信用でき無ぇよ!」。
自分が出てきたら「信用でき無ぇ」。
本当に人間というのは浅はかなもの。
人の悪いニュースは率先して取り入れて、自分が同じことをやられたら「誰だ!こんなこと書いたのは!」と被害者面をして。
「PTSDになったらどうするんだ!」とか使ったことも無いような、PTSDの意味も知らず。
知っているのは「DDT」だけという。
(「DDT」は)戦後の話。
武田先生はメモ書きしていて今度ご披露するが、本当にいろんな言葉を知らない。
ニュースは、そういう横文字を三つ並べて使う。
ずっと同じ状態が続くこと「持続可能社会」「SDGs」。
「SKD」だったら知っているが。
言葉が分かりにくい。
「インフルエンサー」は「風邪をひいて人に移す人」のことかと思った。
「インフルエンス」に「er」が付いているのだろう。
「(インフルエン)サ」も「ザ」も変わりはしない。
咳をしながら移す爺さんがいる。
「あのジジイ、インフルエンサーだ」と言いながら。
そういうのがある。
それから「ダイバーシティ」。
武田先生はフジテレビのことかと思った。
あれは「お台場」だと思う水谷譲。
でも「台場」の「シティ」。
「台場シティ」と言ったら「フジテレビ」に決まっている。
(意味は)「多様性」だと思う水谷譲。
それから「LGBTQ」。
それから「ChatGPT」。
でも「YKKファスナー」と「ChatGPT」は語感は一緒。
そんなもの、年寄はわかりはしない。
かくのごとく「メディアというのはわかりにくいぞ」という。
「あんまり信用しちゃダメだよ」とルトガーさんは言うという。
その中でもルトガーさんが最後にとても愉快な希望の話題を持ってくる。

「希望の歴史」いよいよ終章。
本の方はまだたっぷりあるのだが、武田先生がとりあげたのはこの出来事。
ルトガーさんの言葉。
不安で出来事を語り、それをニュースにして語る人がいる。
ネガティブは売り物になる。
批判、不満、不安、ニュースは自分達が正しいという証拠になる。
批判とか不満とか不安を言えばそれは商売になるんだ。
それに対して希望について相手にしない。
希望は商売にならない。
彼らは批判と不満と不安をなるべく短い言葉でまとめてこれをリピート、繰り返すことで商売にしている。
ナチス、アウシュビッツ、日本帝国主義、そういう用語を何度も繰り返し使えば人を不安にさせることができる。
つまりニュースの用語そのものが売り物になるから。
ルトガーはこんなニュースを伝えている。

ヒトラーの腹心だったルドルフ・ヘスが獄中で自殺し、ヴンジーデルの墓地に埋葬されると、その町はネオナチの聖地になった。現在でも、毎年ヘスの命日である八月一七日には、スキンヘッドのネオナチが暴動や暴力が起きるのを期待しつつ、町中を行進する。
 そして毎年、まさにそのタイミングで、反ファシズム主義者がこの町にやってきて、ネオナチの望みどおりの状況をもたらす。
−中略−ナチを殴っても彼らを力づけるだけだ。彼らはそれを自分たちの正当性の裏づけと見なし、新兵の勧誘がしやすくなる。−中略−絶妙なアイデアを思い付いた。ルドルフ・ヘスのための行進をチャリティウォークにしたらどうだろう?−中略−ネオナチが歩いた一メートル毎に、町の人々は一〇ユーロをEXIT-Deutschlandに寄付するのである。そのお金は極右グループからの脱退の支援に使われる。(231頁)

(細かい部分は番組の内容とは異なる)

彼の組織はドイツの過激なロックフェスティバルで、Tシャツを配った。極右のシンボルが派手に描かれたそのシャツは、ネオナチの思想を支持しているかのように見えた。しかし、洗濯すると、別のメッセージが現れた。「Tシャツにできることは、きみにもできる。わたしたちは、きみが極右から自由になれるのを助けよう」(232頁)

こんなふうにしてこのジョークがドイツ中では評判になっている。
このユーモアには説得力がある。
批判、不安、不満ではなくてジョークで返せるだけの余裕があるということが大事なこと。

最後にルトガーはもう愚直に叫んでいる。

現在、現実主義者という言葉は、冷笑的の同義語になっているようだ──とりわけ、悲観的な物の見方をする人にとっては。(236頁)
 
「現実を見る」とは人の善を信じることだ。
人が時に友好的で他人を命をかけて救い、懸命に助けようとする、そういう生き物であること、そこから人間を考えてみよう。
「一番大事なことは無知から脱出すること。それが人間の希望の歴史なんだ」という。
スケールの大きい話になったが。
こんなことを話しているのは武田先生達だけ。
がんばりましょう。

ということで「希望の歴史」ルトガーさんの考えだった。
来週また別のネタでご機嫌伺いたいと思う。


2025年3月17〜28日◆希望の歴史・下巻(前編)

(今回は以前放送された「希望の歴史」の続きの内容となる。前回も今回もタイトルは「希望の歴史」なので、それぞれのネタ本に従って「上巻」「下巻」としておく)

上巻をお送りしたばっかりという感じだが「希望の歴史」下巻の方に入りたいと思う。
「これは善だ」「これは悪だ」
「我々は善悪で行動を決定しているが、ちょっとその考え方、あんまり急ぐのやめた方がいいぜ」というルトガー・ブレグマンさんがお書きになった「希望の歴史」、文藝春秋社刊。

Humankind 希望の歴史 下 人類が善き未来をつくるための18章



(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
歴史の中で「悪だ」と思われていることがあるが、よく見つめると実はそれが「善」だったりするという。
文藝春秋はいい本を出す。
「善悪はそう簡単に決められるものではない」というご本。
ルトガーさん。
アメリカの研究者。
下巻の方はというと「権力はいかにして腐敗するか」。
ここから始まる。
(下巻は「共感はいかにして人の目を塞ぐか」から始まり、「権力はいかにして腐敗するか」は二番目)
この本はもの凄く丁寧で膨大。
だから申し訳ありませんが、皆さんにご報告というか、「(今朝の)三枚におろし」で語るのは武田先生の興味のあるところだけを切り取って出しているので、どうぞ御容赦のほどよろしくお願いいたします。

これは下巻の40ページから続く章だったのだが「権力はいかに(して)腐敗するか」「権力というのは非常に腐敗しやすいものなのだ」と。

 一五一三年の冬、一人の落ちぶれた官吏が、パブで長い夜を過ごした後、小論の執筆に取り掛かった。(40頁)

「こうやりゃ間違いないんだ。バカ野郎!」「てやんでぇ」というようなもの。
何で江戸っ子なのかがわからない水谷譲。

後にその官吏、すなわちマキャヴェッリは、その小論を『君主論』と名づけた。(40頁)

君主論 - 新版 (中公文庫 マ 2-4)




彼は次のように記している。権力を得たければ、つかみとらなければならない。図太くなれ。原則やモラルに縛られる必要はない。(41頁)

この1513年の前後の頃に日本では、ちょっと暴君と見間違えるような織田信長が生まれいてる。
それで、戦国時代がこれでようやく終わる為の始まりが信長から始まるという。
「君主論」というのはそういう意味では見事に世界情勢を言い当てたという一冊になっているワケで、「善悪には縛られない。権謀術数に長け、目的の為に手段を選ばない。そういう君主がいいんだ」という。
ある意味ではちょっと皮肉な言い方だが、現代がまさしくそういう時代で。
暴君と言えるような人が国のまとまりを作るという。

権力を手に入れて維持するには、厚かましく嘘をつき、人を騙さなければならないのだろうか。(41頁)

「ちょっとした気まぐれ」とマキャヴェッリが呼ぶこの小論は後に、西洋史上、最も影響力を持つ著作の一つになる。『君主論』は、皇帝カール五世、ルイ一四世、スターリン書記長のベッドサイドに置かれた。ドイツ首相オットー・フォン・ビスマルクも、チャーチルもムッソリーニもヒトラーも同書を持っていた。ワーテルローで敗北を喫した直後のナポレオンの馬車の中にもあった。(41頁)

この系譜はザーッと今も習近平、トランプさんに続くワケで。
悪の使い方こそが「マキャヴェリズム」と呼ばれるもので、今も権力はこれを目指している。
だから「君主論」というのはプーチンさんなんかは熱心に読んでいるのだろう。
「なるほど〜」とかという感じで勉強なさっているのだろう。

ケルトナーは、人が権力を得るとどうなるかについても研究した。−中略−「クッキーモンスター研究」だ。『セサミストリート』に登場する毛むくじゃらの青いマペット、クッキーモンスターにちなんでの命名である。−中略−被験者を三人ずつのグループにして、ランダムに選んだ一人をリーダーに指名した。そして全員を退屈な作業に取り組ませた。まもなく実験助手が、「皆さんでどうぞ」と、五枚のクッキーを乗せた皿を持ってきた。どのグループも最後の一枚を皿に残した(マナーの黄金律だ)。しかし、ほぼすべてのグループで四枚目のクッキーはリーダーが食べた。さらに、ケルトナーが指導する博士課程の学生は、リーダーたちの食べ方がだらしないことに気づいた。−中略−これらの「クッキーモンスター」たちは、往々にして口を開いたまま、大きな音を立てて食べ、シャツにこぼすことも多かった。(42〜43頁)

ニキ SESAME STREET(セサミストリート)/クッキーモンスター クラシック 25? 3041956




(番組では四人グループということになっているが、本によると上記のように三人)
自分がリーダーに選ばれたら「最後の一枚はみんなでわけようね」とならないのかと思う水谷譲。
クッキーモンスター実験ではならなかった。
かくのごとく人間の奥底に眠っている「特別な人間になった」という思いが高圧的な上から目線の態度になってしまうという。
「こういうのが人間の実態にあるんだぞ」とルトガーが教えてくれる。

実験は更に続く。
このあたりから水谷譲には興味を持ってもらおうと思うが
次なる、権力というものに乗っかった人間の心理の変化。
これはアメリカの方が書いた本だが

ケルトナーらのチームが行った別の研究では、高級車の心理的影響を調べた。第一グループの被験者は、古びた三菱車かフォード・ピント(小型車)の運転を課せられた。横断歩道を渡ろうとする歩行者を見かけると、彼らは皆、法に従って一時停止した。
 しかし第二グループの被験者は、素敵なメルセデスを与えられた。今回、四五パーセントの人は、歩行者のために一時停止しなかった。そして車が高価になればなるほど、運転マナーは乱暴になった。
(43〜44頁)

ここからルトガーさんの面白いところ。
それで「世界の権力者達の行動と表情を観察しよう」という。
様々な政治家が世界にはおられる。
政治家の中で強い権力を持っている人。
プーチンさん、トランプさん、習近平さん。
そのあたりを皆さん、イメージしてください。

権力者はあまりミラーリングをしない。(44頁)

共感において重要な役割を果たす精神プロセス「ミラーリング」(他者の行動や態度を無意識に模倣すること)(44頁)

誰かが笑うと思わず笑っている。
誰かがあくびをするとあくびに誘われてしまう。
こういうふうにして「集団との繋がり」というものが表情に出るという。
これが絶対的な権力者になればなるほど殆ど出ない。
強い権力を持っている人は場の雰囲気で笑ったりしない。
その表情は他者に対して否定的。
それが権力者の特徴である。
そういえばやはり読みにくい。
トランプさんとか。
「腹の中では何を考えてらっしゃるんだろうな」的な表情だと思う水谷譲。
世界の政治家の中で最も表情が少ないのは習近平さんだろう。
それからトランプさんは、もの凄く人々が笑顔で拍手を送っているのに、彼のみが怒った顔で「アメリカを偉大にする」とか。
ましてプーチンさんはあくびが移るような顔をしていない。
そんなふうにして考えると、このルトガーさんの指摘がわかるような気がする。
権力の無い人はどういうことかというと、もの凄く公平を好む。
だから食べ物が手に入ると「分けようとする」という本能がある。
ところが権力を持つと変わる。

わずか三歳の子どもでも、ケーキを平等に分けようとするし(49頁)

これは人間の特徴で言われてみれば思い当たる。
類人猿、チンパンジー等々がそうだが、人間に一番近いと言われるボノボというサルには見られる傾向だが「食事の奪い合いをしない」という。
チンパンジーなんか食べ物の取り合いをする。
ところが人間はしない。
「人が喰ってるもん横から取るヤツ」というのはよっぽどのこと。
それはマナーとして守っているワケで。
食事の奪い合いをしないということと、それからズバリ言うと「食事をしている人に声をかけるのも失礼だ」というマナーを持っている。
公平に分け合うこと、それが人の本能である。
本能に根差した感覚に反した時、「マナーに違反したな」と思った時は口ごもったり、人間の最大の特徴は赤面する。
赤面というのがもの凄く人間的な行為として大事。
だから漢字でも意味深。
「耳」の横に「心」を書いて「恥」だから。
ほっぺたを赤くする「恥じ入る」というのは人間の最大の特徴。

 権力を握る人々にも、同じ傾向がみられる。−中略−
 つまり彼らは赤面しないのだ。
(44頁)

言われてみれば赤面している権力者は見たことがない水谷譲。
トランプさん、プーチンさん。
あの人は屁をこいても全然恥ずかしそうな顔をしないような、そんな感じが。
ごめんなさいね、プーチンさん。
例が悪くて。
そういう恥じらいみたいなもの。
恥じらいがあるところが人間らしさなのだが、権力を手にすると恥じらいを消してしまうという。
この奥の方に眠る権力とは何か?
ルトガーさんのこれは文書にあった言葉だが興味深いのは「専制独裁者は赤面しない」「彼らは羞恥心が無いことで生き残って来た例外の人々である」。

診断可能な社会病質者は、一般の人々では一パーセントしかいない(59頁)

だから「赤面しない」というのは独裁者になるかどうかのテストになるという。
赤面した瞬間にもうその人の偉さは無くなってしまうから、厚顔無恥でいてくれないとと思う水谷譲。
高校の友だちに「急所を攻めるのはやめてください」と言ったヤツがいた。
「オマエみたいなバカを『厚顔無恥』と言うったい。わかっとっとかイトウ」「先生!急所を攻めるのはやめてください」
イトウ君はあの時、顔が真っ赤だった。
睾丸を鞭で攻めているのが想像できたのだろう。

ここからルトガーさんの逆説に満ち満ちた希望の見つけ方が始まる。
V.E.フランクルさん。
この方は文明的な人。
アウシュビッツまで行ったという。
この方が本の中でこういうことを掲げてある。

「それゆえわたしたちはある意味、理想主義者でなければならないが、それは、そうなって初めて、真の現実主義者になれるからだ」
         ヴィクトール・フランクル
(72頁)

「理想主義者でなければ現実主義者にはなれないよ」こうおっしゃっている。
一体に人を疑うことと人を信じること、どちらが人生で役に立つでだろうか?
「人を信じること」だと思う水谷譲。
V.E.フランクルさんは、人生をそう喝破なさった。
政治家にも同じことを求められるという。
政治を批判する人も「人を信じる」ということで現実を知らなければならない。
ルトガーさんはそれをわかりやすく、こんなふうに説明する。

 友情を取り上げよう。もしあなたがある人を疑っていたら、その人に嫌われるような振る舞いをするはずだ。友情や愛や忠誠心といったものは、わたしたちがそれらを信じる「からこそ」真実になる。ジェイムズは、信じていたことが後に誤りだとわかることもある、としながらも、「希望の末の欺瞞」の方が「恐れの末の欺瞞」より好ましい、と主張した。(75頁)

現実を変える力となるのは疑うことではない。
信じることなんだ。
これはちょっと「武田が明るいこと言っとるな」とお思いの方もいらっしゃるだろうし、武田先生もなかなかそこまでの達観はできないが、最近YouTubeなんかで人の悪口が凄い。
あれは気が滅入ってくる。
「ある組織体の裏側はこうなっている」とか、もの凄い暗いことが書いてある。
危険な言葉が飛び交って。
「こんなこと書いていいのかな」というようなことが書いてある。
でもそのYouTubeから何も力は出てこない。

 新学期が始まった時、スプルース小学校の教師たちは、ローゼンタール博士という高名な科学者が、自校の児童を対象として知能テストを行うことを知らされた。この「習得度想定テスト」は、今後一年で最も成績が伸びる児童を割り出すためのテストだと説明された。
 実を言うとそれはごく普通の知能テストで
(77頁)

全部偽物。
そんなのわかるワケがない。
そういうテストをやったそうだ。
「一年後、この子が伸びるかそれとも成績が落ちていくかを今ジャッジできるという知能テストです」ということでやった。
その心理学者がその結果を教師に渡した。
教師は悪い人ではないのだろう。

教師たちは「成績が伸びる」と言われた子どもたちに、より多くの関心を寄せ、より多くの励ましと称賛を与え、結果として子どもが自分をどう見るかを変えた。−中略−知能指数は、一年で平均二七ポイントも上昇した。(78頁)

反対に「あんたは下がる」と言った子は本当に下がった。

 ローゼンタールは自分の発見を「ピグマリオン効果」と名づけた。−中略−わたしたちが抱く信念は、真実であっても想像であっても、同様に命が吹き込まれ、世界に変化をもたらす。(78頁)

彼は二〇人の孤児を二つのグループに分け、一方のグループには、きみたちは上手にはっきり話すことができる、と語り、もう一方のグループには、きみたちは将来どもるようになる、と語った。−中略−数人の孤児に生涯続く発音障害を残した。(79〜80頁)

ピグマリオン効果の裏面はゴーレム効果と呼ばれる。(79頁)

今の社会はこのゴーレム効果を試す人が多くて、とにかく一回後ろから突き飛ばして落としてみるという感じ。
まあそういうのが好きな人がいるのだろうが、突き落とすのが好きな人はどんな人生になってしまうのだろう?
武田先生がどっちを信じるかというと、ごめんなさいね皆さん。
ピグマリオン効果を信じる。
何でかというと、実は武田先生にも確かにピグマリオン効果があった。。
ピグマリオン効果について我が人生を振り返って、武田先生はまさしくこれだった
27歳の時に本当に三流のフォークシンガーで喰い詰め直前までいっていたのに、一本の映画「幸福の黄色いハンカチ」に抜擢されて武田先生は俳優の道を歩き出す。

幸福の黄色いハンカチ デジタルリマスター2010



そこで凄い人、高倉健さんとか渥美清さんに会って。
初めて役者の世界を、芝居の世界を見るワケだが。
何よりも最大の出来事は山田洋二監督という演出家に出会ったこと。
本当に忘れないが、この監督さんから「ここが上手くいかないんだよ。君ならどうするね?」と、そう依頼を受けて、「自分がみっともない男で、強くなりたいから柔道をやって、足が短くなった」というそんな話を映画の中でアドリブでやったら、そのシーンが終わった後だが「君にはセリフをつくる不思議な才能がある」。
これは生涯忘れない。
親もそんなことを一回も言ったことがなかった。
親も気づいてくれないのに人様から、しかも大変な映画の監督さんから「セリフをつくる能力がある」と褒められたその一言がピグマリオン効果になって。
それから5〜6年後には台本を書いていたから。
それでテレビのレギュラーが入ってきたら、頼まれもしないのに40分アドリブでやったり。
「オマエさ、極端だろ」というようなものだが、人間はきっとなる。
それはいい結果だと思う水谷譲。
だからこのルトガーさんあたりの本を読んでいると、そのへんの自分が交錯していく。
だからピグマリオン効果はどこかで信じている。
激しく否定する人よりも、とりあえず褒めてくれた人の言葉をいつまでも覚えているタイプというのは。
褒めて伸びるタイプだと思う水谷譲。
それから親戚のおばさんから言われた「鉄矢は大器晩成やけん」というのが。
「大器晩成」というのが大好きだった。
もう頭の悪い子の唯一の希望「大器晩成」。
だから龍馬が好きになった。
坂本龍馬は子供の時「知的な才能が無い」と。
「坂本のよばいたれ」とか、「おねしょばっかりしている」とか「愚鈍」とかさんざん罵倒される。
「常識が無い」とか。
それが小学校6年ぐらいから剣道場に通い始めたら人変わりしたという。
それで17〜18(歳)ぐらいになると剣の才能が芽生えてきて、いっぱしの男としての風格を持つようになったという。
その愚鈍の部分がもの凄く惹き付けられた。
「俺も龍馬になるぞ」という。
ピグマリオン効果というのは確かにあるような気がする。

第13章「内なるモチベーションの力」。

二〇世紀の二つの主要なイデオロギーである資本主義と共産主義が、この人間観を共有していたことだ。資本主義者も共産主義者も、人を行動させるには二つの方法しかない、それはニンジンと棍棒だ、と語る。資本主義者がニンジン(つまり、金)に頼る一方、共産主義者は主に棍棒(つまり、罰)に頼った。(88頁)

「外因性インセンティブ・バイアス」と呼ぶ。つまり、人にやる気を起こさせるには報酬を与えるしかないと、わたしたちは決めつけているのだ。(88頁)

 資本主義の基盤になっているのは、この冷笑的な人間観だ。(88頁)

それからこの間テレビで仕入れた言葉だが、最近の若い人はあんなことを言う。
政治家が人民を操るコツ「サーカスとパン」。
サーカスと喰い物を与えていると人民はついてくるという。
それを「サーカスとパン」というそうだ。
この国の全ての政党は同じことしか言わない。
「あなたの時給と休憩時間を増やそう」これが現代の政治家の主張である、と。

 そしてわたしたちは幾度となく、他の人は自分のことしか考えていないと決めつける。つまり、目の前に報酬がなければ、人はだらだら過ごすのを好む、と思い込んでいるのだ。(93頁)

それが政治家の人間観であるという。
しかしこれはルトガー曰く、人間をつかみそこなってるんじゃないか?
私達には人間について新しいリアリズムを今、書き直す時なんだ。
そんなもので人間は動いてないよ。
高い収入のニンジンがなければ人は上手くいかない。
そんなふうに思っているけれども、そうか?
上手くいってるとこだってあるぞ。
我々が今、新しい人間観をつかむ為に、「人間はこういうものだ」と見つける為に必要なものは収入が十分でないにも関わらずやりたくなるという仕事をやっている人。
そういう人を見つめることなんだ。
そこに新しい人間のリアリズムがある。
これはハッとする。

まずは子供の世界を見てみよう。
子供にとって教育される場所の学校に待っているのは監視と成績の順位である。
この二つが子供達にとって飴か鞭かということになっている。
しかし急いで大人になること、それがいいことのように言っているがそんなことはないぞ。
しっかり遊ばないといい大人にならない。
まずはしっかり遊ぼう。
遊ぶとは一体どういうことか?
ここからまたルトガーが細かに入っていく。
興味ある方、明日も聞いてね
「しっかり子供は遊ばないと立派な子供にはならないぞ」「遊びが子供を作ってゆくんだ」という。
これは思い当たる
おっしゃる通りだと思う水谷譲。
「遊び」とは何かというとルールがある
それからそのルールを当たり前だが守ること。
基本的に遊びのルールは自分の内側に眠っている勇気を奮い起し、仲間達に親切で結び合い、違反には正直に告白するという。
これは前にもお話した少年マガジンのルール。
「鉄腕アトム」にしろ「ジャングル大帝」にしろ「鉄人28号」にしろ、皆、この少年の遊びのルールを守った。
その遊びのルールとは「勇気」「正直」「親切」。
この三つを守って遊ぶという。
だから我々の少年時代のヒーローは勇気に溢れ、正直で親切という。
「タイガーマスク」とかそう。
一番最後はみなしごの子達につくして、最後は死んでゆく。
かわいそうに。
交通事故で死んでゆくのだが、タイガーマスクであることを隠す為に彼はマスクを捨てる。
そして別の人間として死んでいき、「タイガーはどこかで生きている」というレジェンドを残すという。
そういうラスト。
最後は交通事故で死ぬ。
その時に薄れゆく意識の中で胸ポケットに入っているタイガーのマスクをドブ川に捨てる。
そうすると「伊達(直人)」で死んでいける。
タイガーは生き残るという。
これは泣ける。
初めてニュースで聞いた時、武田先生は泣いてしまった。
みなしごの方ばかりが集団で暮らしている施設の前にランドセルが置いてあって「タイガーマスクより」と書いてある。
ランドセル寄付の「タイガーマスク」張本人が語る...「子供時代は偏見にさらされていた」(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース
たまらない。
つまり「勇気」「正直」「親切」。
これが遊びの徳目だったが、遊びもどんどん広がって守るべき徳目も変わってきて少年ジャンプの徳目「友情」「努力」「勝利」。
これが少年ヒーローの目指すべき徳目になる。
だからこの「友情」「努力」「勝利」で「鬼滅の刃」「ワンピース」「進撃の巨人」「呪術回戦」等々のストーリーが展開していく。
「スラムダンク」とかみんなそう。
集団劇。
「友情」「努力」「勝利」
これを子供達は体験しないとダメなんだ。
だから読み間違えてしまって悪い方につるんだりなんかしてしまって。
闇バイトなんか友達と一緒に参加したりなんかして。
「ルールをしっかり守る」という、これが遊びにとって大事なんだ、という。
武田先生はまだしつこくゴルフなんかやっているのだが、遊び飽きない爺さん達が朝早く打ちっぱなしに行くと同じぐらいの年齢の人が、舌打ちをしながら練習をしている。
まだゴルフ場から魂が帰ってこない。
ゴルフで試されるのもやはり「勇気」「正直」「親切」。
あれは嘘をつくと面白くもなんともない。
一打ごまかしたりなんかすると。
ルールを一本通さないと遊びは面白くない。
「なんでもやっていい遊び」というのは面白くない。
そうやって考えていくと子供にとって「遊ぶ」ということがどれほど大人になる為のよい勉強か、ということ。
その例としてルトガーはいじめを例に挙げている。
「いじめは同じ場所、同じ条件で発生する歪んだ狂気である」と。
だいたい同じような場所、条件でいじめが発生するそうだ。

・全員が同じ場所に住み、ただ一つの権威の支配下にある。
・すべての活動が共同で行われ、全員が同じタスクに取り組む。
−中略−
・権威者に課される、明確で形式張ったルールのシステムがある。
(117頁)

こういう条件が続くといじめが発生するそうだ。
このような場所は日本の社会のどこにでもある。
まずは「学校」

その究極の例は刑務所で、そこにいじめがはびこっている。−中略−老人ホームなど他の場所でも見られる。(117頁)

ではいじめの場所・条件を突き崩す為に何をすればよいか。
これが実に簡単で、もう一度泥んこになって遊ぶ子供と同じ環境になればいいんだ、と。
自由を与え、ある年代と様々な能力を持つ子供達がそこに混じり、そしてしっかりしたコーチとプレーリーダーが支援する場所。
そこで子供達はよく学ぶという。
これはやはりそのルールのしっかりした「遊び」とその場所、そこで子供は最もよく学ぶというのは大人も同じこと。
そんなふうにして考えると、このルトガーさんが言っておられる「希望のある場所」というのはそういうところだなというふうに思う。

ルトガーさんの面白いところは、今まで私達が「これが人間に関する定説だ」と思うことをひっくり返していくところにある。
権力に憧れて、人を上から目線で突き動かしたいという欲望はそれは誰の胸の中にもあるのだが、しっかりした遊びをやった子供というのはそれを乗り越えてゆける、という。
遊びの中で自分を鍛えるということが、自分を作っていくということが、いかに大事かというルトガーさんのこの説に従って、さあ我々が信じ切っているこの世界の中、どう変えていけばいいのか?
その希望の源、歴史を訪ねたいと思う。
同じタイトルでまた来週頑張りたいと思う。