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2014年11月05日

自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心

自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心



以前紹介したテレビ番組君が僕の息子について教えてくれたことで取り上げられていた本がようやく読めたので感想を。
この本の著者の東田直樹氏の本は以前にも読んだことがある。
風になる−−自閉症の僕が生きていく風景
その時には「ずいぶん自分とは違う」と思ったので、同じ「発達障害」という種類の生物であっても、脳の障害がある部位が異なるなどの理由で(周囲の環境とか、その人自身の個性とかっていうレベルじゃなしに)私とは違うかな?って感じだった。
でも、今回の本を読んで、見方が全く変わった。
同じだねぇ・・・。
すごくわかる部分が多い。
もちろん「全然違うな」っていう部分もあるけど。
自分と同じ種類であるハズのアスペルガーが主題の本でも、ちょっとADHDの話が混ざったりされると「この本で私を理解してもらうのは無理だろうな」っていう部分が多かったりするのだが、この本は私が誰かに自分のことを理解してもらいたいと思った時にも役に立つんじゃないかと思う。
すごく根本的っていうか基本的な部分で、定型発達者とは違う部分が説明されている。
「手記」みたいなのをまとめた本なんかだと、確かに「わかる」部分はあるんだけど、過去のつらかった体験まで思い出させられて読むのがすごくつらかったりするけど、この本を読んでもそういうつらさはない。
全体に文字も少ないし、わかりやすい言葉で書かれているので読むのにも時間があまりかからなかった。

小さい子に言うような言葉使いの方が分かりやすいですか?
 僕たちだって成長しているのに、いつまでたっても赤ちゃん扱いされます。

−中略−
 僕が言いたいのは、難しい言葉をつかって話をして欲しいと言っているわけではありません。年齢相応の態度で接して欲しいのです。(22頁)

私に障害があることを知る前からの知人であれば、私のことを突然子ども扱いなんていうことはないんだけど、職業訓練などで最初から私のことを「障害者」として接する人からは「子ども扱いしているな」と感じさせられることが多々ある。
そのことで腹を立てたりは別段しないけど「この人、私よりはるかに年下だけどな」とは思う。
多分、無意識のうちにやっていることなんだろうと思うんだけどね。

どうして目を見て話さないのですか?
−中略−
 声は見えるものではありませんが、僕らは全ての感覚器官を使って話を聞こうとするのです。
 相手が何を言っているのか聞き取ろうと真剣に耳をそばだてていると、何も見えなくなるのです。目に映ってはいますが、それは何かを意識できません。意識できないということは、見ても見ていないのと同じです。
 僕がずっと困っているのは、目を見ていれば相手の話をちゃんと聞いていると、みんなが思い込んでいることです。
(34頁)

私はさすがに周囲が見えていないってところまではいかないけど、見ようとすると気が散るっていうか、話には集中できないよねぇ。
定型発達者同士だと「目を見ているのは話を聞いている証拠」ぐらいに思っているみたいだけど、迷惑な話だ。
私はそれを悪用?して「話を聞いているふり」をするのは得意になったけど。

どうして言われてもすぐにやらないのですか?
−中略−
 自分がやりたくても、やれない時もあります。体がいうことをきいてくれない時です。体がどこか悪いのではありません。なのに、まるで魂以外は別の人間の体のように、自分の思い通りにはならないのです。それは、みんなには想像できないほどの苦しみです。
(56頁)

定型発達者ってのは、自分の体(っていうか体に命令を出す脳みたいな部分)と、心が一致しているのかな?って思う。
思うだけで実際はどうなのか知らない。
自分では「これやってちゃイカン。切り上げて支度せんと!」みたいに思って焦っていたりする。
私の「体」は、それをガン無視。
そういう自分の体を何とか説得して、言うことをきかせるのがどれだけ大変なことか。

 僕たちは、おかしいほどいつもそわそわしています。
 一年中まるで夏の気分なのです。
−中略−
 時間の流れに乗れない僕たちは、いつも不安なのです。太陽が昇って沈むまで、ずっと泣き続けるしかないのです。
(88頁)

常に落ち着かないというか不安というか。
逆にそうじゃない時ってまずないよねぇ。
だから、それが「普通」な感じかな。

自由時間は楽しいですか?
−中略−
 僕たちにとって自由というのは、とても不自由な時間なのです。
「好きなことをしてもいいよ」
と言われたとします。けれども、好きなことと言われても、何をしたらいいのかを探すのが大変です。
(112頁)

学校の休み時間に発達障害者が孤立して困るって話はよく聞くし、実際私もかなり困った方だから、発達障害者全般に言えることだろうねぇ。
会社の休み時間もやっぱり困るよねぇ。
変な「空き時間」みたいなものって本当に困る。
周りに人が一切いなけりゃあ好き勝手にできるけど、他人が周囲にいる状態で何かできるもんじゃないし、無駄話は疲れるだけだ。

なぜくり返し同じことをやるのですか?
 自閉症の人が繰り返しを好きなのは、自分のやっていることが好きだとか、楽しいからではないのです。
 まるで、何かにとりつかれたかのような態度に驚く人もいると思います。
−中略−
 たぶん、脳がそう命令するのです。
 それをやっている間は、とても気持ち良くすごく安心できます。
 だから、僕らから見れば自分の気持ちに正直で、なんにでも取り組める普通の人がとても羨ましいのです。
 自分の気持ちとは関係なく、いつも脳はいろんなことを僕に要求します。
(124頁)

同じパターンってのは「先が読める」から楽なんだよね。
「決まっている」っていうか。
それ以外のことをやるのってめちゃくちゃ苦痛。
読めないし、決まっていないし。
なにかに取り組もうとするときに、シナリオみたいなものがないと進めない。
「最後まで頭の中で構築されている状態」っていうものになって初めて、落ち着いて取り組める。
子供の頃、おもちゃで遊ぼうとしている時に、途中から他の子供がそれを「貸して」って言って来たり、大人から「みんなで遊びなさい」なんて言われたら、自分が作った「一人で、このおもちゃで遊ぶ」というシナリオの変更を余儀なくされる。
私たちはそれには対応できない。
頑なに「自分のシナリオ」を守ろうとするか、パニックになって泣きわめくか。
どっちにしても「わがままな子」ってことで片付けられる。
私はずっと「わがまま」「自分勝手」と言われ続けてとてもつらかった。
そういうふうにしているつもりは全くないのに。
どうしてそう言われるのか?
何十年も経ってようやく「そういう障害だった」ってわかっても、何も救われない。
本当に大人になってしまってから「どうにかできること」なんて何もないと思う。

この本が私にはとても当てはまるというか、ためになる本だなと思えても、私以外の自閉スペクトラム症(この名称に変更になったハズなのだが、調べても「自閉症スペクトラム障害」どまりなんだけど?間違ってないよね)の人にどの程度あてはまるかは疑問。
考えてみたら、私はとびきり「自閉度」は高いタイプなんだよね。
もしかしたら「自閉度」の低い人だと、あんまりあてはまらないのかも知れないと思う。

私は自分の障害が判明してから、いろいろとできる限りのことはやりつくしてきたつもりだけど、結果的にもう「定型発達者たちとうまいことやっていく」みたいなのはあきらめてしまっている。
もう無理をして「普通の人間のふり」をするつもりもない。
でも、東田さんはあきらめていない。
それでも理解しあって先に進もうとしている。
私も若いころに「自分の障害」を知っていたらそうなっていたかねぇ?

posted by ひと at 11:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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