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2016年12月12日

NHKスペシャル 自閉症の君が教えてくれたこと

以前にも東田直樹氏を取り上げた番組が放送されていたが、今回はその続編ということで。
もっと早く放送される予定だったのだが、トランプ氏の件で放送延期ということで、ようやく昨日放送された。
因みに前回のがこれね。

NHKスペシャル | 自閉症の君が教えてくれたこと
今回見逃したという方は再放送もあります。
12月14日(水) 午前0時15分〜

今回の内容はディレクターの丸山氏なる人物の話とか出てきて、文字で書いても分かりづらいかな?って感じはするのだが、一応書き起こしたので。
全部読んでもらうのもしんどいかなと思うので、最初に感想だけ書いておくか。

丸山氏がガンになって「ハンディキャップを背負った」ってのと、東田氏の生まれつきのハンディキャップってのとを絡めて仕上げたかったんだろうけど、噛み合ってないっつーか、全然意味ない感じがした(個人の感想です)
丸山氏はいわゆる「感動ポルノ」を求めているのかな?っていう感じもしたのだが。
東田氏の言動から「勇気をもらいました」的な展開を求めているのかな?と
でも、感動ポルノではなしに「一人の作家」として認められることを望んでいる東田氏との間にズレが生じているというような感じか。

今回もアスペルガーを「軽度」って言っちゃってるねぇ。
前回も同じことをして叩かれたと思うのだけど。
アスペルガーかどうかってことと「自閉度」の軽さとは関係ないからねぇ。
因みに私は自閉度はかなり重度だ。

番組中で「自閉症スペクトラム障害」っていう表現を使っているけど、これって「自閉スペクトラム症」に変更になったんじゃなかったっけ?

前回も見ていて「自閉症の人が全員同じ考えを持っているワケではないだろう」って思ったんだけど、今回も自閉症のお子さんをお持ちのミッチェルさんは「直樹のおかげで自分の息子の考えがわかった!」的な。
うん。
私も同じ種類の(かどうかようわからんが)カタワなんだけど、少なくとも頭の中は東田氏とは大幅に異なるよな。
あんな「人間性の豊かな健常者」みたいな心は持っていない。
だからといって私は心がないってことではないんだけどね。
「心の内容」が健常者とは大幅に違う感じかな。
だから、この番組を見たり、東田氏の本を読んだりした人が私に対して、おんなじようなものだって思われると困るな。

この番組を見て、自閉症のお子さんをお持ちの親御さんが「うちの子もっ!作家にっ!」とかならないことを祈る。
彼のように文才がある自閉症者はあんまりいないと思われ。
この前のピアニストになった人とかみたいに、結局は親がいろいろサポートできるだけの時間的、経済的な余裕があるかないかってのもネックだと思うし。

ってことで番組の内容に入る。

彼は人と会話することができません。
自分の衝動を抑えることもできません。
重度の自閉症である東田直樹さん、24歳。
しかし、東田さんは文字盤を前にした途端話せるようになります。
自閉症者が高い表現力を持つのは世界的には極めてまれなことです。

東田「パソコンの変換のように次々と言葉が浮かんでくれる」
2年前、私達は東田さんを取材したドキュメンタリーを制作しました。
東田さんの言葉を通して、これまで闇に包まれていた自閉症の世界を明らかにし大きな反響を呼びました。
物語の始まりは東田さんのエッセー

自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心



この本を読んだ多くの人が初めて自閉症者の心の内を知りました。

何が一番辛いですか?
何かしでかすたびに謝ることもできず、怒られたり笑われたりして、自分がいやになって絶望することも何度もあります。
そばにいてくれる人は、どうか僕たちのことで悩まないでください。
自分がつらいのは我慢できます。
しかし自分がいることで、周りを不幸にしていることには僕たちは耐えられないのです。

(『自閉症の僕が跳びはねる理由』より)

このエッセーは多くの言語に翻訳され、30か国以上で出版されました。
そして自閉症の子供を持つ多くの人に希望を与えました。
子供が何を考えているかわからず、途方に暮れていた人たちが初めて自分の子供に備わった愛情や知性を信じられるようになったのです。
「私は直樹さんの本を通して息子の心の中に入りました。息子の声を聞き、彼の感じていることがわかりました。そして『息子よ、すまなかった』と何度もつぶやきました。」
それから2年、今、東田直樹さんはプロの作家として歩み始めています。
自閉症である自分の内面世界だけでなく、障害、認知症、病気などさまざまなハンディキャップを抱える人全体にも視野を広げ、エッセーや小説を書いています。
東田「文章を書くことは生きることそのもの」
苦しみを抱えた人がどう幸せを見つけていけばいいのか。
新たな挑戦を始めた一人の自閉症の作家の迷いと成長の物語です。


ディレクター丸山拓也(33)
6月、私は東田直樹さんのもとを2年ぶりに訪れた。
直樹さんは、エッセーや詩集など20冊の著作があり、既にプロの作家として身を立てている。
自閉症は状況の変化にうまく対応したり対人関係を築くことが難しい脳の先天的な機能障害である。


自閉症スペクトラム障害
アスペルガー症候群など、症状の軽いものを含めた自閉症の総称。
軽度のものも含め自閉症スペクトラム障害と診断されるのは100人に1人と言われている。


自分の気持ちをコントロールするのが難しい直樹さんは、母親がそばにいると気持ちが落ち着く。
この2年間で直樹さんは作家としての幅を広げた。
自閉症のみならずハンディキャップを抱える人全体がどう幸せを築けばいいのか、メッセージを発し続けている。
実は私には直樹さんを再び取材したいという特別な理由があった。
私自身も思わぬハンディキャップを抱えてしまったのだ。
丸山「直樹さんちょっと最初に伺いたいんですが、僕ががんという病気で闘病していたことはご存じですか?」
東田「はい。すごく心配していました。つらいときに大変だと思います」
前回の番組を制作した直後、私は胚細胞腫瘍というがんと診断された。
既に肺や肝臓にも転移し、5年生存率は5割以下と告げられた。
大量の抗がん剤と手術。
闘病は1年間続いた。
治療の甲斐があって、がん細胞は死滅した。
しかし再発の不安、治療の後遺症が残った。
そして去年11月、職場復帰した。
突然背負うことになったハンディキャップと私はどう生きていけばいいのか。
私は直樹さんの姿をもう一度見つめ直したいと思った。
直樹さんも、私の闘病について詳しく知りたがっていた。
東田「生きていく上での価値観は、死を前にした時に変わりました?」
丸山「率直に言うと(価値観は)やっぱり変わりました。というのは今までよりも今ある生活とか見の回りのことがいかに大切かということを感じるようになって」
東田「僕は人の価値観は、そんなに簡単に変わらない。(価値観は)積み重ねた人格のようなものだからです。」
丸山「なるほど」
いきなりガツンとやられた気がした。
私はどこか借り物の言葉で語っていたのかも知れない。
作家として自信をつけてきた直樹さんの成長を実感した。
私も覚悟を決めて話始めた。
丸山「自分を産んでくれた親よりもおばあちゃんよりも、もしかしたら先に死んじゃうのかなと考えて、普通は命って繋いでいかなきゃいけない。もしかしたら繋げないのかなと感じて」
東田「丸山さんは生きる上で大切なことは何だと思われます?」
丸山「いや、いろいろ結構考えるんですけど」
東田「命のバトンもその一つですか?僕は人の一生は繋げるものではなく、一人ずつが完結するものだと思っています」
取材の翌日、直樹さんは私に話したことに、更に思索を加えた文章を送ってくれた。


僕は命というものは、大切だからこそつなぐものではなく完結するものだと考えている。
命がつなぐものであるなら、つなげなくなった人はどうなるのだろう。
バトンを握りしめて泣いているのか、途方にくれているのか。
それを思うだけで僕は悲しい気持ちになる。
人生を生き切る。
残された人はその姿を見て自分の人生を生き続ける。


日本から9000キロ離れたアイルランド。
直樹さんの存在が世界で知られるようになったのは、ここに住む一人の作家との出会いでした。
「クラウド・アトラス」などの作品で知られる作家、デイヴィッド・ミッチェルさん。
ミッチェルさんにも10歳になる会話のできない自閉症の息子がいます。
息子が何を考えているのかわからず、子育てに半ば絶望していたミッチェルさんは、4年前、直樹さんのエッセーの存在を知りました。
日本で英語教師として8年間過ごし、日本語が読めたことが幸運でした。
なぜ息子は床に頭を打ちつけるのか、突然パニックを起こすのか。
全ての答えがそこにありました。
ミッチェルさんはすぐさま翻訳に取り掛かりました。
それがまた他の言語にも翻訳され、世界30か国で読まれるようになったのです。
今、ミッチェルさんと直樹さんは、往復書簡を交わしています。
直樹さんの言葉を通して、コミュニケーションがとれない息子のことを知ろうとしていました。
ミッチェル「自閉症者の子育てはおそらく健常者の子育てより“長い旅”です。その途中に高い山や深い谷があるのです。直樹のおかげで息子が成長した姿を頭に描くことができるようになりました。直樹の言葉で私たちはつらい道のりを耐えられるのです。」


(ミッチェル)
直樹、朝目覚めた時、夢を覚えているかい?
自分が自閉症ではない人になった夢をみたことがあるかな?


(東田)
僕はよく自分が普通の子どもになった夢を見ていました。
クラスのみんなとおしゃべりしたりふざけ合ったり。
とても幸せそうに笑っているのです。
しばらくして夢だったことがわかると僕はひどく落ち込みました。
今、僕が見る夢に健常者の僕は登場しません。
自閉症のままいろいろなところに遊びに行ったり、相変わらず騒動を起こしたりしているのです。
夢から覚めていつもと変わらない朝に感謝することから僕の一日は始まります。


二人の往復書簡の中にも
がんとともに生きる私が学べるものがあるのではないか。
私はそう考えていた。
この日ミッチェルさんから新しい質問が届いていた。
「if you could email advice to your 13year-old self what would you tell him?」
ラジオ講座を聞き続けたおかげで直樹さんは英語を読むことができる。
ミッチェルさんの質問は「13歳の時の自分にアドバイスするならどんな言葉を送るか」というものだった。
直樹さんが障害を抱えていることを自覚したのが13歳の時だった。
小学校の授業についていけず、知能が遅れているとみなされ、特別支援学校に進路を変えざるをえなかった。
自分には知能がある、心がある。
そう言いたくても訴える手段はなかった。
そんな13歳の頃の自分に送ったのは「ありのままでいい」という言葉だった。
しかしその後、当時のつらさを一つ一つ思い出した時、直樹さんの頭に違う言葉が浮かんだ。
「ありのままでいい」という言葉を消して書いたのは「人生は短い」という言葉だった。


僕が13歳の頃の自分に、何かアドバイスできるのであるなら、それは励ましの言葉ではありません。
つらすぎる毎日を送っている僕の耳には届かないと思います。
僕は人生は短いという事実を伝えたいです。
当時の僕にとって、過ぎ行く時の経過は果てしなく、いつまでも降りられないブランコに乗っているみたいでした。
君が乗っているブランコもいつかは止まる。
それまで一生懸命にこぎ続ければ、同じ景色も違って見えると僕は教えてあげたいです。


がんと生きる私もまた、いつ落ちるか分からない不安定なブランコに乗せられている気がする。
どうこぎ続ければ止まるのか、見える風景が変わる時はあるのだろうか。


直樹さんはこの夏、母親の実家がある北九州に帰省しました。
ここには認知症となった祖母が暮らしています。
祖母の認知症を母親は嘆いていました。
しかし直樹さんは悲しむべきことではないと考えていました。
悲しいと思うのは周囲の人の勝手な思い込みではないか。
自分なら認知症の祖母の幸せを見出せる自信がありました。

79歳になる祖母の京子さん。
7年前から記憶を失い始めています。

祖母の京子さんは早速直樹さんの大好物だったホットケーキを作ろうとしていました。
料理上手だった祖母。
以前、作ってくれていたホットケーキはいつもこんがりきつね色でした。
東田「昔の味と少し違います。でもそんなことは関係なくおいしかったです」
直樹さんは祖母の認知症を温かく受け止めようとしていました。
しかしその変わりようは想像以上でした。
探し物をしているうちに、何を探しているのか分からなくなる。
やかんの火を点けたり消したりを繰り返す。
会う前は自分なら祖母の幸せを見出せると考えていた直樹さんは、実際に過ごして見て「おばあちゃんはそれでも幸せなはずだ」と言い切れなくなっていました。
東田「現実をなかなか受け入れることがきません。僕はおばあちゃんが変わっていないと思い込みたかったのです」


私は月に一度、検査を受けなければならない。
自分が病気というハンディキャップを背負っていることを強く自覚する瞬間である。
医師「黄色いところが最初にあったがんの転移のところ。結論からいくと今回の再発はありません。大丈夫ですね。何か生活に困っていることは?」
丸山「やっぱりしびれですね」
幸い再発はなかった。
これでまた一カ月生きられると安堵する。
直樹さんはしばしば「自閉症でよかった」という言葉を語っていた。
直樹さんは障害を自分の強さに変えることができた。
私にも「がんになってよかった」そう思える日が来るのだろうか。
取材を始めて3か月。直樹さんは私達の取材にいらだっているように見えた。
自閉症をどう強さに変えたのか。
繰り返し聞く私に対して直樹さんは「自閉症者としてではなく作家である今の自分に注目して欲しい」と訴えてきた。
東田「丸山さんがなぜそこ(自閉症)にこだわりがあるのですか」
丸山「少しさっきと重複するかもしれないんですけど、直樹さんにしか言えない言葉を聞きたいんですよね」
東田「僕が自閉症で苦しんだのは事実ですが、生み出す言葉と直接関係はないと思っています」
直樹さんはこれから幅広く読者を獲得し、プロの作家として生き残っていくためには自閉症の作家という特殊な目で見られたくないと考えていた。
直樹さんの言葉に私は戸惑っていた。
自閉症であれ、がんであれ、ハンディはハンディでしかない、そう言われた気がした。


8月中旬、直樹さんは往復書簡を交わすミッチェルさんからアイルランドに招かれた。
是非自分の家族に会って欲しいというのだ。
2年前、日本で出会って以来の再会。
ミッチェルさんは、自分の自閉症の息子と直接会ってもらうことで自分にはなかなか見えない息子の心のうちを知りたいと思っていた。

ミッチェルさんの重度の自閉症の息子は今10歳。
子供の成長は親にとっては喜びのはずだが、ミッチェルさんには不安の方が膨らむ。
ミッチェル「うちの息子は今、10歳です。友達ができるのが結構難しいです。今から友情というものは、もっと簡単になる可能性がありますか?」
東田「それは友達ができて欲しいから言っているのですか?」
ミッチェル「自分の息子に友達ができたらいいなと思って質問してみたんだ」
東田「僕に友達はいない。僕のことは不幸に見えますか?」
ミッチェル「けっこう幸せそうみたいです」
東田「僕たちが感じているのは『友達がいないと、かわいそうで気の毒だ』と思っている人たちの勘違いです」
ミッチェル「多分、私の息子の友達不足は私の息子の問題ではなく、息子の友達不足は私の問題です。今からこういう立場で考えようとしています」
ミッチェルさんは自閉症の息子の幸せを自分の尺度でとらえようとしていたことに気付かされた。

ミッチェル「直樹は何を考えているのか表現するのがとてもうまくなりました。いい意味で少し生意気になりましたね。すごく良いことだと思います」
この日、ミッチェルさん一家と直樹さんたちの食事会が開かれた。
息子のノア君も一緒だった。
ミッチェルさんからはノア君の意思を確かめることができないため、撮影は遠慮して欲しいと言われた。
ノア君も直樹さんに会うことを楽しみにしていた。
しかし食事会の場に入れず外のベンチに座って母親と気持ちを落ち着かせていた。
30分が経ち、ようやくノア君が部屋に入ってきた。
3時間の食事会で直樹さんとノア君が言葉を交わすことはなかった。
期待していた友情の芽生えはかなわなかった。

食事会が終わり、家族同士が別れようとする時のことだった。
ノア君が直樹さんに近づいてきてその手を取り、お別れの挨拶を交わしたのだ。

ミッチェル「二人の間に何らかの“以心伝心”があったと思います。多くの人に自閉症者には感情がないといまだに思っていますが、あの瞬間はその誤解を打ち砕きました。二人が手を握り合っている姿は大きな喜びをもたらしました。私はこの記憶をいつまでも宝物として持ち続けるでしょう」

ミッチェルさんがふだん見ることのできないノア君の心を直樹さんが引きだしてくれた。
東田「(ノア君は)昔の僕に似ています」

ミッチェルさんには直樹さんが日本に帰る前に伝えておきたいことがあった。
ミッチェル「直樹君、何千万読者、世界中、ある意味では直樹君の自閉症はつらいです。ある人たちに私達にも。悪いことじゃない。もちろん自閉症が大変とよく知っています。本当に直樹君の自閉症に感謝しています。ありがとう」
旅に出る前「自閉症にばかり注目しないで欲しい」と訴えていた直樹さん。
ミッチェルさんの言葉をじっとかみしめているようだった。

2週間後、直樹さんは再び北九州の祖母を尋ねました。
アイルランドの旅は直樹さんに、自分にしか見えないものがあることを改めて気づかせてくれました。
夏に帰省した時には認知症になった祖母の京子さんのことをつらがっていた直樹さん。
京子さんの家事は相変わらずの危なっかしさです。
それでも京子さんが丁寧に入れてくれたお茶の味は格別でした。
自分もまた、知らず知らずのうちに、世間一般の物差しで祖母のことを見ていたのではないか。
そう思い直し始めていました。
それを確かめるために、直樹さんは一つの質問を用意していました。
東田「もしおばあちゃんが迷子の子供を見つけたら、何て声をかけるかな?」
京子「お母さんを一緒におばあちゃんは探してあげる」
記憶をなくしていようと、京子さんの優しさは昔のままでした。
おばあちゃんは変わっていない。
不幸だと決めつけていたのは、自分んも含めた周りの人ではないか。
直樹さんはそう確信していました。

祖母自身も物忘れがひどくなっていることは自覚しているけれど、周りの人には「お茶いれようか」「座布団どうぞ」など普通の人以上に気遣いをする。
悩むのは本人以上に周囲の人々なのかも知れない。
おばあちゃんの目に映っている風景を僕は知りたい。
なぜならそれはいつの日か、僕が目にする風景だと思うから。


直樹さんは今、作家として新しい挑戦を始めている。
これまで書いたことがない、長い小説の執筆である。
タイトルは『自閉症のうた』。
交通事故に遭った自閉症の少女が入院先の病院で、患者、看護師や医師、さまざまな人と出会いながら恋し、傷つき、成長していく物語だ。
ミッチェルさんは作家としても人間としても成長した直樹さんに、本格的に小説に挑戦することを勧めていた。
直樹さんにしか見えないものを誰もが共感できる物語に置き換えることを目指している。
取材の最後、私は一番聞きたかったことをストレートに聞いてみた。
丸山「僕の人生にとって前を向いて生きるために大切なことを教えて欲しいなと思っていたんですけど」
直樹さんはじっと考えていた。
数十秒後、その言葉は私に勇気を与えてくれた。
東田「人はどんな困難を抱えていても、幸せを見つけ生きることができる」


自閉症と僕を切り離して考えることはできません。
僕が自閉症でなければ、きっと今の僕ではなくなるからです。
僕たちは、かわいそうだとか気の毒だと思われたいわけではありません。
ただ、みんなと一緒に生きていたいのです。
みんなの未来と僕たちの未来が、どうか同じ場所にありますように。


番組の最後に東田氏が言っている言葉は「しおやきそば」って聞こえるけどわからん。

いつになったらマスメディアは「心が美しくない障害者」(これはもうZ武氏がやってくれたかな?)とか「周囲から嫌われまくっている障害者」「生活に困窮している障害者」「何の才能もない障害者」「家が貧乏で才能を潰された障害者」「家族から厄介者扱いの障害者」「作業所のシャレならん低い工賃で細々とやっている障害者」とか扱ってくれるんでしょうね?
まあ、その気配が全くないけど。

自閉症の僕が跳びはねる理由 (2) (角川文庫)



posted by ひと at 15:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは。ブログへのコメントありがとうございます。
私は周囲の情報を鵜呑みにしやすいので、東田さんの番組を見て、私の知る自閉症者も・・・と思ってしまいました。

コメントくれて、本当に良かったです。

因みに私も、アスペルガーを軽度と表現されるのは甚だ遺憾に感じました。
Posted by マキプ→ at 2016年12月12日 23:31
こちらこそコメントありがとうございます。
東田さんに限らず、テレビなどで扱う自閉症者は「特殊な例」ばかりです。
そのせいで、より誤解を拡大させてしまっているように感じています。
今の日本では障害者の存在は、所詮は「感動ポルノ」のためのエサでしかないのが現状なんでしょうね。
Posted by ひと at 2016年12月13日 07:32
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