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2017年09月06日

2016年11月21〜25日◆嘘ついたら針千本

『三枚おろし』初めての公開録音。
東京、水道橋の日本大学法学部の講堂。

『天皇の料理番』で日大法学部の教授の役を演じた武田先生。

天皇の料理番 [DVD]



何の教授なのかを知らずに演じていた。
周りの小道具を見ると、法律関係の小道具がいっぱいあった。
実在する大学教授ということでご縁があった。
そのご縁がある日大。
せっかく日大法学部の方でやるのだから「法律に関係することを」ということで依頼された武田先生。
依頼されるとちょっとムキになる性格なので「できない」とは言わないということを信条にしている。

経済で読み解く明治維新 江戸の発展と維新成功の謎を「経済の掟」で解明する



時を遡って江戸時代まで「法律の根」を探して旅をしてみようと思う。
「徳川幕藩体制」と言うと一色で時代を考えてしまいそうだが徳川時代は実に多彩な時代だったようだ。
将軍家光、犬将軍と言われた綱吉、「暴れん坊将軍」吉宗、「天保の改革」の家慶、最後の将軍の慶喜。
経済学者の方から言わせると違いがあるらしい。
例えば三大将軍の家光、犬将軍の綱吉。
この頃は徳川家は結構カネを持っていた。
これはなぜかと言うと家康という江戸幕府を始めた方が天下を取って金銀財宝が湧き出る山、その手のものを全部徳川家のものにした。
だからカネを持っていた。
ところが徳川家康というのは天下を取るが、完璧には天下を取っていない。
道路整備等々のインフラは信長のものをいただいてる。
それから経済については秀吉。
この人は面白いことを考えた。
日本の商売を考える上で「商売をやるという中心があった方がいい」というので、それを大坂に置いた。
諸国の物は全部一回大坂に集まる。
とにかく一回全部大坂に集めて、大坂で値段を決めて、それをまた諸国にばらまく。
例えば山形の「紅花」。
女性の口紅になったりなんかする。
あの原料の紅花は山形が作っていいのだが、口紅は作っちゃダメ。
一回大坂に集められて紅花の値段が決まったら京都に行って京都で加工する。
それで口紅ができる。
その口紅を山形の人は買う。
そうするとお金がグルグル回る。
お金がグルグル回ることによって国中の景気を良くしようという。
これは秀吉が考えたらしい。

お金のことを俗語で「お足」。
小判のデザインは俗説では俵の形。
ところがよく見るとワラジに似ているという。
だからお金というのはグルグル旅をすると景気が良くなる。
お金が足を止めちゃうと景気が悪くなる。
お金というのは回っていればいい。
だから「お金を使う人」じゃないとダメ。
高須クリニックの高須先生のようにドバイか何かへ行ってヘリコプターを操縦して、何の関係もないが女の人を呼んで高いシャンパンを飲ませているという。
最後ににっこり笑って「高須クリニック」という。
ああいうふうにしてお金をたくさん使う人のことを「お金持ち」という。
そういう経済のシステムを考えたのが秀吉。
じゃあ、家康は何をやったか。
何もしない。
「今のまんまにしといてあげるから、天下は一応俺のものということにしてくれ」という。
国を小さく分けることによって「徳川幕藩体制」という体制を作った。
最初のうちは佐渡からは小判はザクザク出てくるし、石見の方では銀が。
江戸期初期は世界で有数の金銀の産出国だった。
ところがこれがゆっくりと減っていって・・・。
徳川の政権の初期の方は全国の金山銀山を持っていた。
莫大な金銀を使うことができたという。
だから東照宮なんかができた。

特に家光のド派手な浪費は有名で、東照宮の造営に57万両もの大金をかけ、参拝すること10回、そのたびに10万両を使い切ったと言われています。(61頁)

同時期に起こった「島原の乱」では、戦費として40万両を使っています。(61頁)

カネのあるうちは徳川政権はかっこいい。
実はもう徳川は四代、五代ぐらいでパワーダウンしてしまう。
ところが政府がお金をいっぱい使ってくれて日本に小判をばらまいたので民間は元気がよくなったという。
そんなふうにして、ゆっくりと経済の主人公というのが民間に移っていく。

 百姓とは、農民および非農業民(商業、運輸業、サービスに従事する人々)を含む庶民の総称であって、決して農民というわけではありません。(46頁)

そういう人たちが経済の主体になっているという。
徳川幕府というのは、考えてみれば不思議な政権。
価値の基準がお米。
だから「◯万石」という国の実力、経済的なスケールを表現する。
「加賀百万石」とか。
だから米さえ採れれば「カネを持っている」ということ。
日本の「庶民」というのはたいしたもの。
税金だけは米で納めるのだが、庶民は何をやり始めたかというと、畑を作ってそこに大豆とか小豆とか別のもので金儲けをし始める。
武士というのは困ったもので、「◯万石」なので米を収入源にしている。
ところが米が豊作になると、武士のところにカネが回ってこない。
その間に庶民の方が金儲けが上手い。

つまり大豆を作ることによって豆腐なんか作る。
豆腐が高く売れてしまう。
徳川幕府は頭がカチンカチン。

 白石が捉われていた頑迷な考えを「貴穀賤金」と言います。これは「米などの農産物は貨幣よりも貴く、お金は賤しいものだ。だから農業以外の産業は仮の需要でありバブルである」という極めて間違った考え方です。(82頁)

しかし、そういうトンチンカンなことでは庶民は全く納得しない。
やっぱり醤油をかけて豆腐を喰いたがる。
侍の偉い方は頭が固いので、「贅沢禁止令」と称して何回も何回もやる。
織物も「色物はダメだ」と命令する。

 もともと譜代大名が着けていた裃のプリントから発展した江戸小紋は、遠くから見ると無地に見える細かい模様の型染めが特徴です。贅沢禁止令が定める素材や色の規制の中で、なぜか鼠色は「お構いなしの色」とされていたことをうまく逆手に取りました。(103頁)

「贅沢を内側に隠す」という「粋」の文化、江戸文化を生んでいく。

法律の「法」。
サンズイはもちろん「川の流れ」を表しているのだろう。
「去」。
「法を守れないヤツは川の流れに『去』らせる」という意味。
漢字の語源そのものからすると古代、三千年前。
非常に怖い意味なのだが、不思議なことに日本にはスっと定着していく。
国民性なのだろう。
子供の「はやし」の言葉、遊びの言葉の中に「指切りげんまん」という、指を結んで約束をする。
その約束が守れない場合は「嘘ついたら針千本飲ます」という。
考えてみれば「遵法精神」「法律を守らねば人は美しくない」という、そういう文化がもうすでに江戸期に小さな子供たちの間にもあったという。
「経済がゆっくり庶民の手によって膨らんでいった」というのと、その中から道徳として「決まり事は守らねば人としては美しくないぞ」という、ささやかなる遵法精神。
そういうものが芽生えていったということ。

江戸小紋とかというのはお侍さんの厳しい贅沢禁止令の中から工夫で生まれていったという。
つまり今、外国の方が来てくださって日本のことを「クールジャパン」と褒めてくださるのは、江戸期の文化遺産。
そうやって考えるとやっぱり「江戸」というのは非常に興味深い時代。
「金銭は賤しい」ということで、激しく経済を回す人たちへの軽蔑が続く。
経済を回していく人たちはそんなことに関係なしに力を貯めていく。

明治維新が大好きな武田先生。
岩崎弥太郎のエピソードで遭遇した「嘘ついたら針千本飲ます」とよく似たエピソード。
維新後のこと、明治の世になってのことだが、土佐下級武士から身を起こして、ちょっと今、車の方ではけつまづいているあの大三菱を起こした岩崎弥太郎。
この人は商売をするための船を購入する。
それで莫大な借金をする。
その時に抵当がなかった。
つまり「返せなかった場合は、こういう物を代わりにあなたにあげます」という抵当がなかったという。
岩崎弥太郎がお金を借りた相手にしたのは何かというと、証文の末尾に「返せなかったら、どうぞ私を笑って下さい」。
これが抵当になりえた。
つまり「約束を守らない」ということが日本人にとってどれほど不名誉なことか。

江戸期経済を回していくエネルギー、パワーというのが徳川幕府ではなくて、ゆっくりと民間人に移っていく。
日本の民間人というのは優秀。
民間人がゆっくりと経済を回していく。
その民間人たちの中で、ベンチャーで次々と参加する者が多かったのが海運業。
「物を運ぶ」というのは江戸時代は儲かった。
海運業というのがゆっくり全国のネットワークになっていく。
最初の方は海運業は太平洋側にはなく、日本海側で「北前船」といって繁盛したらしい。
この北前船のネットワークのパワーが太平洋側にも移り、太平洋側にも航路が。

1670(寛文10)年には幕府の委託を受けて、東回りの航路の整備事業を始めました。
 東回り航路とは、江戸から小湊、銚子、那珂湊、平潟、小名浜を経由して、荒浜(現在の宮城県亘理郡亘理町荒浜)に至る航路です。
(147頁)

この海運業は太平洋側、日本海側で競って伸びていく。
百姓(ヒャクセイ)の人たち。
様々な姓を持つ人たちが参加する。
この時に一番大事だったのは法律。
「◯月◯日までにこれを必ずあなたのところにお届けします」ということを守らないと海運業というのは成立しない。
それゆえに「約束を守る」「法律を守る」という、資本主義の基礎みたいなものが、江戸時代の封建制度の中で日本人が鍛えられていく。
そして北前船が行き来するという中で米ばかりではなく、移動するのが地方の特産品。
そしてついに北前船においては北海道蝦夷地の昆布。
沖縄料理のダシを取るものは蝦夷地の昆布。
江戸時代から沖縄の人は蝦夷地の昆布を使っている。
沖縄の人たちはその北海道の昆布をどうやって手に入れたかというと砂糖。
これが江戸時代からあったということだから、北海道から昆布を運んだヤツがいる。
そして高い純白の砂糖を手に入れて各地で売ったのだろう。
かつて江戸の人たちは昆布を北海道で仕入れて、点々と港を福井ぐらいまで下りてくる。
福井ぐらいまで下りてくると、昆布が大量に福井で降ろされて、とろろ昆布とかサバに昆布を巻きつけてお寿司が出来たりする。
すごく武田先生がワクワクするのは、ぐるっと瀬戸内を回って大坂経由よりも、福井で降ろしちゃって「直に京都に運ぼう」というせっかち人がいて京都に運ぶ。
これがすごい。
鰹節と一緒に昆布を料理のだし汁に使う。
合わせ出汁。
この鰹節と昆布をダシにするという京都人の発明は、今の日本料理の基礎を作る。
だからそれを考えたヤツは名前もないヤツだが偉いと思う武田先生。

海運業の方から「約束を守る」ということが日本の商業の中に染み込んでいく。
そして独特の日本の経済用語が生まれる。
切符(きりふ)手形。
もちろん「切符」なので「合鍵のように合わせる」という意味合いもあるのだろう。
「切手」という響きの中から日本人がイメージできるのは「嘘ついたら針千本飲ます」という。
つまり「◯月◯日までに切符手形で約束したこの日時に物品を納入しないと片手を切り落とすことをあなたと約束します」というような、ちょっと「武士道」に似た「商道」、商人たちの道徳みたいなものが生まれていく。
そういうものが日本人の基礎になっていく。
「約束を守らねば」という思いが「遵法」、法を守るという精神にゆっくりと・・・という。
それが江戸期の中にもう培われていたという。

幕末に起こる事件。
幕末は世界中の国が日本にやって来る。
日本では攘夷運動が起きる。
「外国人なんか」という。
その攘夷運動から面白い侍たちも出てくる。
土佐の田舎町に一人の青年がいる。
名前は坂本龍馬という。
その大好きな友達で武市半平太(武市瑞山)が「グループ作ろう」というのでグループの名が「土佐勤王党」。
檜垣清治という勤王の同心と江戸の町でばったり会った坂本龍馬。
その時に檜垣清治が龍馬の腰の物、刀を見て愕然とする。
びっくりするぐらい短い。
檜垣清治が龍馬に「おまん、そがいな短い刀では尊王攘夷はできんぜよ」と言うと「何を言うちゅうがーじゃ」と龍馬は言う。
龍馬の理屈は、これからは外で戦うのではなくて室内戦「家の中で戦う」というのが多くなるので刀は短い方がいい。
「長い刀を持っているとその辺の柱に喰いこんでなかなか取れなくなるぞ。俺は短い刀だ」と言って檜垣に突きだした刀が陸奥守吉行といって二尺二寸しかなかったという非常に短い刀。
檜垣清治は龍馬の真似をして短い刀を手に入れる。
それでまたばったり坂本龍馬に会う。
龍馬に「ほら、俺もこんなに短い刀にしちゃったよ」と言うと、龍馬がニタッと笑って「時代遅れ、チッチッチッ」と言いながら「おまんがそがいなものじゃ尊皇攘夷はできんぜよ。これからの世は刀ではない。これの時代じゃ」と言いながら、懐からスミス&ウェッソン社製の32口径のピストルを出して彼に見せた。
檜垣は燃えた。
彼も苦労して長崎なんかを散々歩き回り、やっとスミス社製のピストルを手に入れる。
三度目、ばったりまた坂本龍馬に会う。
坂本龍馬に檜垣が「俺も手に入れたぜ龍馬、ピストルぜよ」と見せると龍馬が「チッチッチッ。檜垣、ピストルの時代は終わったがよ」。
「これからは何だ」というと彼が懐から出したのが「万国公法」という国際法の書であったという。
つまり坂本は次の世は「法律が最強の武器になる」ということを予見した。
これはレジェンド風に聞こえるが、全くのデタラメではない。
彼は後に海運業に乗り出す。
独立部隊を彼自身が作りあげる。
名を「海援隊」と言う。
この海援隊という秘密結社を興した時に、懐に入れた法律の本がいかに強力な武器であったかという歴史的事実を残す。
とうとう「出る人が出た」という感じ。

明治大学の経済学者で飯田泰之さんが仰っている。
「経済では江戸期までに日本はすでに十分世界水準に達するまで成熟していた」
この一言で感動した武田先生。
民間人の方たちが海運業を通して新しいアイディアを。
もうこの時に保険の制度とか北前船の船主さんで思いつく人がいた。
このあたり、日本人というのが閉ざされた日本国内というところでありながら、民間だけの力で経済の本質みたいなものを学んでいたという。
日本は海運業。
北前船とか太平洋航路の樽廻船で「流通業」。
流通業はやがて発達して商社的な力、も持つ。
例えばミカンが江戸には無いので「ミカンを運べ!」とミカンを一発運ぶだけで億万長者になって吉原でパーッと遊んで帰ったというような、いわゆる「海運業のベンチャーの人たち」の活躍がある。

遠い思い出になるがハンサムな福山(雅治)君と『龍馬伝』というのをやった武田先生。

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坂本龍馬というのは黒船をパッと見た瞬間に「使える」と思ったのだろう。
「これは商売に使える」という。
この商売に使うために何を勉強するか?
もちろんそれは、黒船の動かし方もあるだろうが、黒船を操ることだけではなくてやっぱり法律。
『万国公法』という国際法の法律書を懐に入れていた龍馬。
慶応三年のこと、彼自身が「いろは丸」という160トン、小さな外輪船を回す黒船に乗り、45馬力、小さな船で瀬戸内海を航海中に紀州船の「明光丸」887トンと激突し、海上事故を起こしている。
この時に勤王の志士であればカーッとなって、憎き徳川幕府の御三家のひとつだからケンカの一つも売りたいところだろうが、龍馬という人はケンカを売らない。
何をしたか?
国際法の万国公法を楯にとって裁判をやる。
坂本のケンカのやり方は独特で、長崎奉行所にこの海難事故を持ち込み、イギリス東洋艦隊の艦長をオブザーバーに、そこで海上侵犯の裁判を展開している。
(番組内で上記のように「東洋艦隊」と言っているように聞こえるのだが、「東洋艦隊」は1941年かららしいので、この時代には存在しないものと思われる。この時の裁判に参加したのはイギリス領事とイギリス海軍提督)
ケンカするよりも裁判で勝つということが、いかに利益に結びつくか。
七万両という賠償金を紀州藩からせしめる。
このあたり、刀よりもピストルよりも「法が最強の武器である」という国際時代に龍馬は入ったことを既に知っていた。
この七万両を手にしたのだが、坂本龍馬はその年の暮れに暗殺されてしまう。
もったいない。
七万両あるので、それを横からガサーッとかっぱらったのが岩崎弥太郎というヤツで、それを資金にして三菱を作る。
悪いヤツ。
こんなふうにして龍馬が発揮したのは「法がピストルよりも刀よりも力を持ちうる」そういう時代に入った。
そういうことを彼は「いろは丸事件」で我等に教えたということ。
彼が倒幕後の「統一国家を作らねば」ということで友達に託した。
後藤象二郎という友達に日本がこれから進むべき八つの方策を授けている。
その第五策に坂本龍馬は日本がこれから辿るべき未来の図としてこんな一言を残している。

古来ノ律令ヲ折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事。(船中八策)

「今までの法律を全部集めて、その中から新しき法を持つこと。そのことがこの国の未来にとって重大なことなのである」と龍馬は高らかにそう謳っている。

日大学祖、山田顕義。
長州の人。
1881(明治14)年、何と驚くなかれ、この若さで憲法の私案を作成したという。
「時の政府なんかに任せない。自分でとりあえず勉強して、自分で憲法を作ってみる」
このガッツ。
彼は日本の伝統、習慣、文化を踏まえ、法律学校を構想し、明治22年「日本法律学校」という学校を創立し、これが後の皆様方が所属しておられる日大へと発展する。
「約束を守る」というその精神がこの日本に「法」というものをもたらしたのではなかろうか。


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posted by ひと at 14:44| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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