カテゴリ


2018年04月13日

2017年7月17〜28日◆人体5億年の記憶(後編)

これの続きです。

武田先生の整体師さん。
その人が武田先生の体を触りながら親指を入れる時などに「どこの筋肉か」というのを口走る。
頸椎かなんかを指で押す時も「○番目を押してます」とか「ここ押すと○○に繋がってます」とか。
一番不思議で仕方がないのは「腰が重い」というとお腹から親指を入れる。
これが痛い。
ナイフで突き刺すみたいな感じで。
その代り、その親指が無くなった瞬間にスーッと痛みが消えている。
それにはもう、本当に痛いのだが文句が言えない。
それからもう一つ、女性の方にはできない「本当はできるといいんでるけどねぇ」と残念そうにおっしゃるのは肛門のまわり。
肛門のまわりに何点かツボがある。
これが痛い。
呪いの藁人形の釘打ちみたいな感じ。
「うっ、う〜ん・・・う〜ん・・・」というヤツ。
肛門の真横なんて人間はなかなか触れるところではない。
だが、そういうふうにして「結び目」みたいなものが潜んでいる。

とある方の本を読んで「すごく面白いなぁ」と思ったのは、その人がずっと人体の筋肉図ばかりを描いていた。
哲学を志している方。
筋肉を描いておいて、女体を描いた。
前より上達している。
人体の筋肉というのを勉強して女性の裸を描こうとすると、やっぱり「しっかり筋肉の動きを見る」という腕の筆のさばきになる。

合気道の先生から教わった名言。
合気道の先生曰く「武田くん。殴りかかってくる人はですね、必ずですね、息を吸います」。
感動した武田先生。
殴る瞬間「スッ」(息を吸う音)。
絶対する。
だから「あ、吸った」と思えばいい。
瞬間のことだが、練習しているうちに見抜けるようになる。
合気道的身体の動きはどうするかというと「吸った」と思った瞬間、こっちは吐く。
そうしたら全部、自分の手足が自在に動く。 
吐くと肩から力が抜けるから、抜く動きの中で動きを模索する。
合気道は吐く練習の武道。
それから息だけで言うと、お相撲さんはぶつかりあって組み合う。
そうすると何を待っているかというと、相手が息を吐く瞬間を待つ。
息を吐くと力が抜ける。
その瞬間を見定めて一気に押していく。
呼吸の一息の中にほとんど格闘の妙味がある。

呼吸というのはただ単に吸う、吐くを繰り返す。

 「吸う方には横隔膜があるが、吐く方には、これに相当する専用筋のないことがわかる。(164頁)

肺が息詰まれば、心も息詰まる。さらに呼吸が息詰まる。悪循環いなる。そのためには、詰まった息を吐かないといけない。
 三木はこれを「息抜き」と言った。
(165頁)

臓器的には「吸う」には横隔膜という専用の筋肉があるが、「吐く」には特化した専用の筋肉はない。

吸うは易く、吐くは難し≠ニいわれるゆえんであろう。」(『海・呼吸・古代形象』26ページ)(164頁)

「息抜きが必要」とかと言われるのは「息を抜く、息を吐く、それを練習しなさい」という。
だから温泉なんかに浸かったりすると人間はやたらと吐いてばかりいる。
今時分(放送当時)、キンキンに冷えたビールを夕方、キューッ!と一杯飲んで「カーッ!」というのも「吐く」という方向に意識を持っていくという。

 「数百万年にもおよぶ水辺の生活の中で、いつしか刻みこまれたであろう波打ちのリズムが、私にはどうしても人間の呼吸のリズムに深いかかわりがあるように思えてならないのです。(167頁)

 内臓の感覚は微妙だ。その微妙な差異を味わってこその内臓感覚だ。たとえば肛門のあたりがむずむずして、中身が出そうになる。それがガスなのか、実(!)なのか、お尻のあたりの感覚を澄ましてみるとわかる。(195頁)

昔、人間ドッグにいって女医さんに肛門チェックで人差し指を入れられた武田先生。
あれは最初、慣れない。
意識、つまり脳の方では「開け!」と言うのだが、アソコが茶巾に絞ってしまう。
それでケツを叩かれて「力抜いて。武田さん。力抜いてください。入りませんから。力抜いて」。
でも絞ると、もう緩めようと思っても全然コントロールが効かないと時がある。
あれはやっぱり心と意識は違う。
あれだけ絞っているのだから。
何回ケツをペチャペチャ叩かれたことか。
「リラックスしてください」
リラックスと言われるとリラックスできない。

 「胎児は、受胎の日から指折り数えて三〇日を過ぎてから僅か一週間で、あの一億年を費やした脊椎動物の上陸誌を夢のごとくに再現する」(『胎児の世界』、107ページ)(208頁)

胎児の世界とは、「三十数億年の生命進化の圧縮」なのだ。(208頁)

男性の精子を受け入れて、精子が女性の肉体の中を入っていく。
あの時に、免疫システムは「開放しろ」と言う。
女の人の体の中に精子が入ってくることに関して「警戒するな。入れてやれ、入れてやれ」と言う。
そのくせ、精子を体の中に導こうとした瞬間に免疫システムは精子を迎えるために「解除!解除!」と叫ぶのだが、精神的に意識下で(水谷)加奈さんは他の精子が混入することをすごく警戒する。
だからその時に気持ちが不安定になったりする。
妊娠前期のまだ気づかないうちの心の揺れがある。
あれは精神面での「警戒せよ」というのと肉体の「解放せよ」の葛藤。
女の人は複雑にできている。
すごくイライラしたり、何を見ても怒りを覚えることが結構あったという水谷譲。
精神と肉体で体の中でぶつかり合う。
その卵子が生命体になる。
一億年の変化を再現して10か月間。
妊娠というのはもう、神がかったこと。
女性の体の不思議。

約一か月間、胎児の風貌、顔つきは変わる。
見ると恐ろしくなるような。
三木成夫さんはその胎児の顔を「恨みを含んだ狛犬のような顔」とおっしゃっている。
(この本にはそう書いている個所は発見できず。38日目の顔を「狛犬の鼻づら」と表記している)

 そもそも生物の上陸への進化についても、それをバリスカン造山運動と重ねる見方がある。大地の上昇・下降により、海が陸になり、陸が海になる。そのような大天変地異に対応して、海の生物が陸で暮らすようになったというのだ。−中略−
 ともあれ、アルプス造山運動という天変地異も、生物に苦難をもたらしたことだろう。ちょうどその頃に当たる胎児の顔に、苦行僧のような悩める顔を見て、三木がいう「秋霜烈日」が、そのような地質年代と合致することもなくはないであろう。
(214〜215頁)

(番組では胎児の狛犬の風貌の時期とバリスカン造山運動の時期を一緒にしているが、本によると狛犬の方は38日だし、バリスカンは60日〜90日)

 「ここで初めて、ドラマチックにつわりが起こる」(『生命とリズム』、51ページ)−中略−
よくあるテレビドラマのシーンで、嫁と姑さんがいて、嫁が台所でゲーゲー吐いている。それを度会うの隙間から見たお姑が「この人、もしかして?」と妊娠に思いをはせる。
−中略−そのときにお嫁さん(=母親)の胎内にいるのが、まさにこの上陸のドラマを繰り広げている胎児なのだ。胎児も、そのからだが、水中仕様から陸上仕様へと変貌し、必死でそのからだの変化を生き抜いている。その苦闘が「つわり」となって現れる。三木は、そんなふうに考えた。(212〜213頁)

やがて安定期に入って、その後は出産。
お母さんの膣の中を今度は赤ちゃんが出てくる。
これがまた重大。
その時にお母さんの膣の中に生きている微生物を全身に浴びる。
これが一時期すごくないがしろにされていたが、ものすごく重大で、赤ちゃんはその菌を一部取り込んで腸内細菌、(腸内)フローラにする。
だからこのシステムはすごい。
こういう三木さんのまなざしはすごい。
彼(新生児)はサルと同じ四つん這いで歩き、そしてよたよたしながら。
考えたらすごい。
立ち上がる。
彼はついに直立歩行の人類として立ち上がる。
感動的。
つわりは「わっ」とちょっと男は引いてしまうが「宇宙的なゲロ」なんだと思うと、宇宙と結びつけると感動する。

赤ちゃんは生まれてきてだいたい二年後に直立歩行人として、彼はついに立ち上がる。
立ち上がった後はもう、凄まじい勢いで人間であることを学ぶために発音、発声を繰り返し、原稿を作ったり開いたりしながら人間としての歴史をなぞる。
この子供たちの本能の中ですごく面白いことがある。
どんな小さな子でも綺麗なお姉さんが好き。
綺麗というか、優しい雰囲気を持っていて優しい声を出してくれる人に子供が惹かれていると思う水谷譲。
表情は大切。
これはなぜかと言うと「表情は内臓」。
小さい子が表情に惹かれるのは「あ、この人、内臓いいんだ」ということが本能的にわかるから。

 「人間の言葉というものは、こうしてみますと、なんと、あの魚の鰓呼吸の筋肉で生み出されたものだ、ということがわかる。……人間の言葉が、どれほどはらわた≠ノ近縁なものであるか……それは、露出した腸管の蠕動運動というより、もはや°ソきと化した内臓表情≠ニいったほうがいい。なんのことはない──はらわたの声≠サのものだったのです」(232頁)

優れた言葉の形成、これも内臓の感受性から生まれる。
だから内臓がやっぱり鈍感な人というのは言葉づかいでトンチンカンで失言が多くなるし、上から目線みたな発言に、という。
「失言」の方は表情が悪い。

 「あたま≠ヘこころ≠フ目ざめを助ける。
やげて独り言が無声化してゆく三歳児の世界でついに一人立ちし、ここに『自己』が産声を上げる。
(235頁)

内臓は植物の機能が宿り、内臓という森は宇宙リズムと呼応し波打つという興味深いエッセイをこの三木さんは残しているので『胎児の世界』などをお読みになるといいと思う武田先生。
(この本は以前番組でも取り上げている武田鉄矢・今朝の三枚おろし(8月26〜30日)◆胎児の世界(前編)

胎児の世界―人類の生命記憶 (中公新書 (691))



 「わたしたちは、あの昆虫網を斜めに構えて赤トンボを追う男児のまなざしに、遠い狩猟時代のおもかげを見はしないか。当時の感覚は、たとえば、釣竿を伝わる、獲物の筋肉攣縮のなかにも息づいているはずだ。わたしたちはまた、初雪のなかを生き返ったようにイヌと戯れる幼児の姿に、その大氷河時代の郷愁をおぼえるのではないか。(240頁)

 「幼稚園のジャングルジムに群がる園児たち。鉄棒、吊り輪、あん馬、平行棒に見せる体操選手の見事な「腕技」などなど。これらは第三紀の樹上時代に鍛え抜かれた「腕わたりbrachiation」のやむにやまれぬ復活といったところか」(240頁)

ヒトではなくニワトリの卵(や胎児)、それにサンショウウオなどを使って研究していた。生きたニワトリの胎児に、その心臓をめがけて、注射針で墨を入れる。すると血管の流れに沿って、墨は体に行き渡る。胎児の成長とともに、体は、血管は、どのような変化を遂げていくのか、そのような研究をしていた。(205頁)

ニワトリやサンショウウオではなく、ヒトの、「その胎児への墨の注入という問題にまで発展」(同前)してくる。(206頁)

 そして、医師仲間から、堕胎したヒトの胎児が提供され、研究室に運ばれてくる。三木は注入の実験を試みるが、要領を得ずに失敗する。
 その頃から、科学者としての三木の心境に変化が生じる。ちょうど妻の妊娠とも重なる。
(205〜206頁)

三木先生は著作の中で「人の発生には人がその目で決して見てはいけない瞬間があるんだ」と、そう自分に言い聞かせたそうで断念なさったと。
自分のお子さんがお産まれになった時に「やっぱりやらなくてよかった」としみじみお思いになった。
(というのはこの本にはない)

「三枚おろし」を本にしてくれた出版社があった。

人間力を高める読書法



(この本のことを言っていると思われる)
それを自分で読んで結構面白いと思った武田先生。
何が面白かったかというと、途中でポロッと自分が自分の考え方を言っている。
「この人のここが好きだなぁ」みたいな。
それが面白かった。
だからやっぱりそれを入れていかないといけないと思う武田先生。

三木成夫さんの世界はもう四回ぐらい(「今朝の三枚おろし」で)取り上げている。
もう亡くなられているが、この三木さんという解剖学者の方の順々と命を解き明かしていくという姿勢が好きだと思う武田先生。
この人(三木)が言ってらっしゃる「内臓世界」。
人間には意識の世界があって、これは脳が支配している。
だけど、もう一つ人間には世界があるぞ。
ものを考える、それが内臓世界だ。
その内臓世界というのは植物相、植物と同じなんだ、というようなこと。
「え〜?お腹ん中は植物と同じなのか?」と思っていたら違う本を読むと「小腸内に住んでいる細菌のことは腸内フローラと言います」と。
「あ、お花畑だったら…あ、三木さん正確な物言いだったんだ」という。
そういう発見。
小腸の中で花開いている花々、植物層は、実は太陽や月、星々とシンクロ、同期している。
植物はいつも空を見ている。
宇宙の方角を。
そうやって考えると「さらに学んでいきたいなぁ」と思う。

(最後はアンガールズの山根良顕氏との話。これは何度か他の回でも登場しているが今回は割愛する。2017年9月4〜15日◆来たるべきバカ(前編)

posted by ひと at 20:11| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: