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2018年12月31日

2018年9月3〜14日◆スキャンダル 突き落とされた人々(前編)

78歳のご老人が「○○が金メダル獲ったのはオレが裏で動いたせいた」と言ってバァン!と胸を張って、テレビがウワーッと詰めかけていって。
山根会長、村田諒太の批判に反論「生意気」「1人でメダルを取れる力はありません」― スポニチ Sponichi Annex 格闘技
その人が右往左往しているうちに同じ78歳が、たった30分で山に姿を消した子供を見つけ出して「助けてくれたお礼に食事でも」と言ったら「いや、それはいただけんのですわー」と言いながら別のボランティア活動に出かけていって。
2歳男児救助のスーパーボランティア・尾畠春夫さん、「お金かかる?」に「お金は余分にいらない」 自宅から生中継「とくダネ!」で : スポーツ報知
同じ78。
様々な78歳を、という。

今日、まな板の上に置いたのは、この番組らしく、平成12年(西暦2000年)のスキャンダルの中心人物。
18年前。
毎日新聞のスクープで日本中が大騒動になった。
旧石器捏造事件。
「ゴッドハンド」という摩訶不思議な人がいて、この人が「この辺にあるんじゃないかな〜」と言って掘ると旧石器が。
あの「大判小判がザクザク」ふうに見つかるというので、ついたあだ名が「ゴッドハンド」。
もう日本の歴史教科書の1ページ目が「この人が全部書きかえるんじゃないか」という大騒動に。
それが毎日新聞がこの人がしゃがんで埋めているところの白黒写真を撮って「発掘じゃない。埋めて掘りくり返してるだけだ」というので。
でもあのときに思わなかったか?
「よく毎日新聞わかったな」と。
物陰に隠れてあの写真を撮っているワケだから。
だから「あのへんに穴掘って埋めるぞ」というのを前夜からわかっていた新聞記者なのだろう。
この大騒動でこのゴッドハンドの人は叩き落されて引きずり出されて。
この方の人生そのものは突き落とされても続いている。
その人物の所に行ってあの時の事情を訊いたルポルタージュの記者がいる。

時々自分の運命をそうやってジイッと足元を見つめたことがある武田先生。
神様は突き落とすためにわざと登らせることがある。
何回も見てきた。
ちょうどいい高さになるとポーン!と後ろから背中を押す。
そうすると闇空間に人の絶叫が聞こえて。
途中で岩を登っているヤツの真横を悲鳴がサーッと下へ流れ落ちていく、という。
億稼ぐタレントが、とあることをきっかけに次の日からピッタリとテレビに出なくなる。
もう今、いくらでもあるワケだから。

そんな意味でこのスキャンダルに突き落とされて運命の底まで落ちた人。
その落ちた人を追跡調査して「なぜ、あなたはその細道を登ろうとしたのか?」を問い直すという。

発掘狂騒史: 「岩宿」から「神の手」まで (新潮文庫)



上原善広さん。
新潮文庫。
(『石の虚塔: 発見と捏造、考古学に憑かれた男たち』の改題)

実に奇妙な訪問からこの本は始まる。

 インターホンがないので、私が玄関のガラス戸を叩きながら「すみません、すみません」と呼びかけた。ガラス越しに、大きな男が立ったのがわかった。
 男は「なんですかあッ」と大声でこたえた。
「新一さんですよね」
 藤村新一は姓を変えていたので、私は下の名前で彼を呼んだ。
「そうですけど、おたく、どなた」
「相澤さんと芹沢さんについて、お話を聞かせていただきたいのですが」
「……帰ってけろ。病気で何も覚えてないんだから。幻覚、幻聴。うつにもなったからッ」
(10頁)

その男は今、姓を変え、福島の海辺に住んでいるらしい。
その男のところへこの記者は訪ねていって例の捏造事件をインタビューする。
「あなたのことじゃないんです!芹沢さんと相澤さんのことを私に教えてください」
この一言が通じて、その人物がインタビューに応じるという。
ということはゴッドハンドのその先に「相澤」という別の男の歴史があったということで。
スキャンダルはただ一回の出来事ではなくて、前哨として深い根を持つというのがこの『発掘狂騒史』の面白いところ。

平成12年(西暦)2000年のこと、「旧石器捏造事件」というスキャンダルがあった。
毎日新聞のスクープでゴッドハンドとまで謳われたアマチュアの遺跡発掘名人が実は石器を埋めていたという。
その埋めている姿を写真に撮られたことで、ゴッドハンドから詐欺師ということになり、毎日新聞が一面に全国に報道した。
このゴッドハンドが名前は藤村さんと言うのだが、その人の捏造をひっそりとシャッターを押し、ドカーン!と全国紙に載せてゴッドから詐欺師へ突き落した毎日新聞。
それは痛快かも知れないが残酷な気もした。

小学校でそういう目に遭ったことがある武田先生。
小学校の女先生。
あえて学年は言わない。
「みなさん、お顔を伏せてください。学校の備品である○○が昨日の夕方なくなりました。今、正直に言う人を先生は責めません。盗んだ人は手を挙げてください」
「武田くんでしたー」という。
汚いやり方。
そういうのがある。
無邪気な子供が巧みな先生の罠にはまるという。
そのやり口を思い出した。
もちろん藤村という人も嫌い。
やったことは悪い事。
だけど物陰に隠れてシャッターを切って「ウソつきー!」とかというのは「あ、正直に手を挙げました。武田くんでした」。
教師としてやることが何かあるのではないか?
小学校低学年だったがそう思った。

その突き落とされたスキャンダルの主。
その主人公である藤村氏は「捏造」という鎖で縛られたまま姓を変えて、大震災前の福島の海辺の町に再婚をして密やかに生きていたという。
ある意味でその後、本当に壮絶に悲惨な人生を送ってらっしゃる。
しかし著者はここで、ひどく気になる一文をこの本の中で書いている。

 藤村が起こした事件は、この相澤忠洋の人生を模倣した結果だと言われている。(12頁)

藤村が起こした捏造事件というのは、彼が師と仰いだ人のマネをした結果ではないか?
一体あの捏造の裏で何があったのだろう?
そして藤村が師と叫んだ相澤とはどんな人物だったのだろう?
これは相澤さんがひどく気になる。
掘りくり返している考古学の世界を逆に、堀りくり返してみよう、と。
詐欺師に突き落とされたその人にも何か深い事情があったはずで、案外人間の断層がそこに見え隠れするのではないか?と。

 藤村から「オレたちの神様」と呼ばれた相澤忠洋は、教科書にも掲載されるほど有名なアマチュア考古学者だ。(12頁)

 一九四九年(昭和二四)七月、群馬県新田郡笠懸村稲荷山切り通しの坂を、復員服を着た若い男が一人、自転車で上がっていた。−中略−
 男は坂の上で自転車から降りると、切り拓かれた稲荷山の断層に近づいた。断面上部は黒土だったが、その下に赤茶けた太い断層がぼんやりと残っている。
−中略−
 赤茶けた崖面の辺りを見つめていた男は、断面の切れ目に人の頭ほどの大きな石があるのを見つけた。
−中略−
「赤土の下部の粘土層から河原の石が出てくるなんておかしいな。
−中略−やがて小さく光るものが突き刺さっているのに気がついた。指で動かしながら抜き取ってみると、比較的大きな、尖った石片である。
 男は軽く震えながら、土や粘土にまみれた石片をじっと凝視した。
−中略−
 洗ってみると、半透明に黒い沸がもえている。長さ七センチ、幅三センチほどの細長いひし形をしており、一端は鋭くとがり、もう一端はナイフのようになっていた。
(26〜27頁)

 ガラスのような石片は黒曜石と呼ばれるもので(28頁)

これが古代史を一変させるという大発見にやがて繋がっていく。

相澤忠洋という23歳の若い青年。
この子はたった一つの趣味が考古学。
土器発見の喜びの人が、ある断層から黒光りする石を見つけた。
間違いなくそれは黒曜石である。
黒曜石というのは弥生縄文よりさらに上、石器時代におそらくそのあたりに住んでいたであろう旧日本人が使った道具ではないか?と。

 この石器が出た地点は、稲荷山の切り通し崖面の、関東ローム層といわれている赤茶けた地層だった。関東ローム層とは、約一万年以上前、主に富士山の噴火によって積もった火山灰のことだ。−中略−
 これら一連の噴火によって、約一万年以上前の日本列島は、関東以西にかけて一面を火山灰に覆われ寒冷化がすすみ、草木も生えず、動物や人も生きていけない「死の世界」だったと考えられていた。そのため当時は発掘調査で一万年以上前を示す赤土の関東ローム層が出てくると、「ここからは何も出ないから」と埋め戻されていた。
(28〜29頁)

生き物の影はその原野になかった。
その「死の地層」にケモノを殺すための刃としての黒曜石をくくりつけた道具を持って生き物を追った人たちの痕跡がある。
あるいは、捕まえた生き物の腹を割くための石のナイフがあった。
「これは死の世界ではなくて、人間が暮らしていた痕跡ではないか?」と相澤は夢見る。
でもその当時の常識からして、日本のそこにあってはならない石器だった。

 考古学という学問もまた、戦後になって一般に注目されるようになった。太平洋戦争中は「皇国史観」が信じられてきたからだ。(31頁)

それまで日本は神々とされたイザナギ・イザナミという大陸からの渡来した人々が土器を携えて渡ってきて稲作が可能になり、その稲作から国家が出来たという「史観」。
だからその前「人影はこの列島にはなかった」と。
それが戦後、その神々そのものへの興味が切れて考古学ブームが起きている。
戦争に負けて3〜4年で。
その考古学ブームを牽引したというか、大きな大流行にしたのが素人の青年たち。
とにかく遺跡さえ見つかればひっくり返るワケだから。
発見する喜びがある。
だからアマチュア考古学者というのは胸のときめく趣味。
もちろん日本の、いわゆる大学の方でも慶応、明治。
明治大学では芹沢。
慶応では江坂さんという方がいらして。
この方は大学をそれぞれ卒業した後も大学に残って考古学を勉強している。
そういうエリートたちもいる。
考古学は始まったばかりの学問なのでアマチュアも研究家も仲がよかったのだろう。
そこに迷い込んだのが闇市で懸命に働き、素人で一生懸命発掘している相澤という青年。
この相澤がその石片、黒曜石を手にして、これが石器時代の石器かどうかというのを迷う。
やっぱり専門家に訊かないとわからない。
彼はたまらなくなって慶応大学を訪ねている。
その時に対応に出たのが江坂くん。
まったくどこの大学に行ってもアマチュアなので「日本に旧石器なんかあるわけがない」と追い返される。
そうしたら江坂さんというのはよい青年だったのだろう。
「うちの先生に見せてごらんよ。君の見つけたもの」というので案内してやっている。
(本によると「江坂は以前から群馬の発掘調査で面識のあった相澤を、気軽に自宅に招き入れた」とあり、番組の内容とは異なる)
その時にその明大の芹沢もいて「先生を紹介した」という。
(番組ではその時に石器も見せているように紹介しているが、本によると別の日)

 応接室に通された相澤は、三年かけて稲荷山の赤土層から採取した石器を一つずつ机に並べ始めた。芹沢も一つ一つ石器を手に取り、注意深く見ていく。『満蒙学術調査研究団報告』など、大陸の旧石器について書かれた文献を出してきて、そこに掲載されている写真と、相澤が採取した小さな石器とを一つ一つ比較して、思わず唸った。
「これはすごい、うり二つだ」
 相澤が持ってきた細石刃は、モンゴルやロシアなどで発掘された旧石器時代のものと同じ形だった。
(42頁)

若い三人が「おぉい!」ということ。
(本によると江坂には内密にということにしてあるし、その場には二人しかいない)
「これが本物だったら日本の教科書の一ページ目は変わる」という。
「縄文から始まっていた歴史を石器時代から始めないといけない」という胸のときめき。
ついに先生の所に相澤は行く。

この考古学ボーイ(相澤)。
大学を卒業したその二人(芹沢・江坂)に導かれて、もの凄い人物に相澤くんは会うことになる。

 当時、明治大学助教授だった杉原荘介は、一九一三年(大正二)生まれの三五歳。−中略−静岡県の登呂遺跡発掘が国を挙げて行われると、杉原は自ら調査主任となって活躍した。(60頁)

日本の弥生式の時代を発掘するという。
この人の牽引で日本考古学界は機関車の如く進んでいる。
だから杉原という人は考古学界のトップランナー。
でもこの人は旧石器時代が予感としてあったのだろう。
そこに人間がいたのかどうかというのを何かで確認できないだろうか?と思っているような人だったのだろう。
二人の大学生がこの先生に「黒曜石発見」ということを知らせると杉原は登呂遺跡から飛んで帰ってきたという。
だからやはり「直感だ」という。
これで四人になった。
(この時点でも江坂には内密にしているので四人ではない。杉原は登呂遺跡から飛んで帰ってくるということもしていないので、相澤は杉原が戻ってくるのを何日も東京で待っていた)
杉原は相澤から黒曜石の砕石場を見せられる。
そして杉原はできればそこを自分の手で発掘し、同系の採石場が見つかれば石器時代まで日本の歴史は遡る、と。

 一九四九年(昭和二四)、九月一〇日午後二時。
 浅草駅で相澤は杉原荘介、芹沢長介、岡本勇の明大関係者らと落合、桐生へ一緒に向かった。
−中略−
 翌一一日午前八時過ぎ、杉原、芹沢を入れた明大関係者三名は、両毛線桐生駅から高崎行列車に乗った。
−中略−稲荷の切り通しへ向かった。
 同じ頃、地元の考古学ボーイである加藤と堀越の少年二人は、すでに自転車で現地について相澤たちを待っていた。相澤と付き合い始めてから数年がたち、中学生だった二人も、すでに高校生になっていた。
(63〜64頁)

 最初は六人が散らばって好き勝手に掘っていたのだが、何も出てこない。そこで相澤が槍先形石器を見つけた斜面を集中的に掘ることにしたて、六人全員が横位一列に並べられるように土を盛り、その上に乗って並んで斜面を削っていくことにした。(65頁)

(番組では先に横並びで掘って午後からバラバラと言っているが、本によると先にバラバラに掘っている)
スコップで辺りを一枚一枚、雲母の石片をはがすが如く赤土をはがすという作業に移っていく。
体力のこともあり五時を作業の刻限として削っていった。
ところがこの人数で削っても、相澤の示している地点からはなかなか出ない。
秋の気配のする場所なのだが、ついていないことに四時過ぎから雨が降り出す。

あと一〇分で午後五時になる。もはやこれまでかと、皆が思ったその瞬間、杉原のスコップにカチッという音がした。
 隣で掘っていた岡本勇が最初に気がつき、驚いて振り返ると、杉原はにやりと笑い「旧石器の音を聞けよ」と言って、さらに石をカチカチと叩いた。そしてゆっくりとゴールデンバットに火を付け、深く吸い込むと、仁王立ちになって叫んだ。
「出たぞー、石器が出たぞッ」
 みなが驚いて、杉原の元に集まってきた。
 杉原の手には、粘土にまみれた青っぽい石器が握られていた。楕円形のハンドアックス(握斧)と呼ばれるもので
(67頁)

縄文より古い旧石器の発見が日本の群馬県新田郡笠懸村稲荷山切り通しで発見されたという。
これはすごい。
相澤の黒曜石の砕石場と二つ重ねて、ここには間違いなく縄文以前の石器を使う原人たちの存在があったことは間違いない。
日本人のルーツは縄文ではない。
弥生でもない。
「旧石器まで遡ることができるのだ」という断言を彼は持ったワケで。
以降、その切り通しは岩宿遺跡という名前に取って代わる。
これは発見者がアマの相澤だったことがメディアでも珍しがられ、発見のプロデュースはすべて杉原が引き受け「自分の手柄」と言わずに「相澤の手柄」と言い続ける。
それで水谷譲が知るがごとく教科書の1ページ目に載る人物になる。
人によって発見者は扱いが変わる。
このあたりに考古学のいびつな人間関係がある。

相澤忠洋の黒曜石の砕石場と杉原が見つけた握り斧。
この二つが日本に石器時代があったことを証明し、手斧発見はアジアで初めて。
東洋史を揺るがす大発見になった。
ついこのあいだまで土器拾いの現場だった稲荷山の切り通しが「岩宿遺跡」となるワケだから。
風景が一変する。
しかし、考古学界ではこの杉原の発見も含めて「ちょっと先走りである」と。
後期旧石器の発見は激しく疑われた。

 やがて明治大学による翌年四月までのさらなる発掘調査により、岩宿には二つの時代にまたがる文化があったことが判明した。−中略−
 約二万年前の層から出た石器群は「岩宿U」と名付けられた。さらに岩宿の発見から一年半後の一九五一年(昭和二六)、ついに一六歳の少年である瀧澤浩が、東京板橋区の茂呂遺跡から旧石器時代のものと思われる石器を発見した。
(79頁)

板橋のど真ん中で石器が見つかる。
そうすると関東は富士山の灰が降っている死の世界ではなくて、人間が明らかにケモノを追って生きてたという、緑の沃野だったのではないかということで。
ついに文部省も態度を変えて日本史の1ページ目が全部書き換えられた。
1ページ目には岩宿遺跡の相澤忠洋。
彼が黒曜石を見つけたので旧石器発見への火が灯ったということで、サポートをしてくださった杉原という明大の教授さんもみんなお譲りになるものだから。
彼はマスコミの大ヒーローになる。
しかも独学の人。
日本人が一番好むタイプ。

今、よく言われる話。
金銭の差で「親がカネを持っているか持っていないかで子供の学力が決まる」とか。
バカじゃねぇか。
文科省か何かにお父さんが勤めていて、そこの家の息子が難しい医学の大学校に行ったらやっぱり「裏から手回したんじゃないの?」と思うのが世間。
現実にそういうことはあったし。
でもはっきりしているのは、世間はその子を「優秀」と認めない。
「勉強机も持っていないのにあの子は東大に入った」ということが「あの子は頭がいい」という。
親がカネを持っていて休みの日にポロンポロンピアノを弾いている家のお譲ちゃんが東大に行ってもそんなのは当たり前。
「タンパク質なんか摂ってないんだけど妙に頭がいい」とか。
鯛とかマグロを喰って作った頭じゃなくて「ジャコをかじりながら優秀な頭を作った」というのを「優秀」って言うんだろ?
「トンビがタカを産んだ」ということが偉いこと。
タカがタカを産んで何が面白いのか?

相澤忠洋さんにウワーッとメディアがたかるのは、戦争の時に兵隊にとられて勉強できなかった青年が、闇市でバイトをしながら遺跡発見に燃えて日本史を変えるような大発見をしたという。
こういう人こそがやっぱり「ヒーロー」。

 日本に旧石器時代があることを初めて証明した相澤忠洋は、一九二六年(大正一五)六月二一日、東京府羽田猟師町で生まれた。父忠三郎の一族は芸能一家で、とくに忠三郎は囃子方で笛(横笛)をよくした。(82頁)

ところが日中戦争から太平洋戦争の拡大で暮らしは窮迫し、11歳で浅草の履物屋へ丁稚奉公。
この貧しさよ。
休日は骨董屋の店先に並んだ古い物を見ると妙に胸がときめく。
ひそやかに夜間学校に通いつつ、自分が手にいれた石斧を「先生これは何ですか?」と聞いたりなんかすると、その先生が「オマエは珍しいものを持っているなー。それは縄文時代の石斧ではないか?」とかと言う。
そのうちに彼は考古学に魅せられていって上野の博物館に通うようになる。
その上野の博物館にもとっても素敵なお兄さんがいて。
上野の帝室博物館(現国立博物館)へ行くと土器石器が並んでいる。
見ているうちに若い館員さんが出てきて、戦前のことだから袴か何か履いていたのだろう。
「閉館だけど君だったらもう少し見てっていいよ」なんて優しい言葉をかけてくれて、親しくなったという。
(本によると声をかけてくれたのは「二〇代ぐらいの守衛」。「もう少し見ていっていい」とは言っていない)
このお兄さんが「だったらさ、○○へ行ってごらん?」と言って東京で土器が見つかる場所を教えてくれる。
地図を書いてくれる。
(本によると数野というこの人物が見せてくれた博物館の陳列目録に「板橋区小豆沢」から出土した土器片があることを知り、行ける場所だったので後日出かけた。「地図も持っていなかった」)
そこで相澤青年はそこへ丁稚奉公の休みのたびに小っちゃなスコップを持って出かける少年となった、という。
こういう人のことを「優秀」という。

posted by ひと at 10:54| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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