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2019年01月14日

2018年9月24日〜10月5日◆感情的になるなよ(後編)

これの続きです。

重大なことはまず情動、感情が動くこと。
その「情動」が価値に変化を与える。

先週は印象派の絵に関して。
「キリストを描け」「ギリシャの神話を描け」と西洋絵画が流れてきて。
ところがお茶をフランスか何かに配達する時に緩衝剤、詰め物。
それに浮世絵が入っていた。
お茶を販売する時の「包み紙」だった。
ところがその包み紙を広げて「美しい」と感情を動かしたフランス人がいて、これがパリで大ブームを呼ぶ。
それがジャポニズムのスタート。
ヨーロッパ、とくにフランスの画壇が揺れるほどの衝撃が北斎から始まった。
雨がバーッと降っている中、橋の上を頭を押さえて人が走っている(歌川広重『名所江戸百景・大はし あたけの夕立』 )とか。
紙か何か持った人の紙がビラビラと風に舞っている(葛飾北斎『富嶽三十六景・駿洲江尻』)とか。
本当にそういう意味では「意味がない」。
ところがそれを見たフランスのアーティストたちは「見たまま描いていいんだ、オレたちは」「絵の中に意味なんか無理やりこめるんじゃない」「見たまま描いてその中に感情がこもっていれば、これはアートなんだ」。
ジャポニズムから新しい美術運動が興った、という。
これがこの著者の言葉の通り。
「重大なことはまず感情が動くこと。その感情、情動が価値へ変化を与える。それは大きく価値判断の体系の再編成をしてくれるものだ」という。
高みへ登ろうとする時、情動、感情が動かない限り階段を上ることはできない、という。

この「情動」「感情」というヤツはまた同じ力で人を階段から突き落とすこともあるという。
これは「悲劇的ディレンマ」と呼ばれている。
ある努力をした。
それは懸命な努力であった。
もう今年の夏に、もう本当に。
一生懸命、家を建てた。
ところが突然やってきた。
日本は災害が多い。
嵐、そして火山、爆発等々、大地の揺れ等々で、それが倒壊して壊れてしまった。
そのことで犠牲者が出た。
大変だった。
その「悲劇的ディレンマ」を文学作品として描いたのがウィリアム・スタイロンの『ソフィーの選択』。

ソフィーの選択 (字幕版)



 ウィリアム・スタイロンの小説『ソフィーの選択』のなかで、幼い息子と娘とともにナチスによってアウシュビッツに送り込まれたソフィーは、ガス室行きかどうかの選別を行う親衛隊軍医から、恐るべき選択の「特権」を与えられる。二人の子供のうち、一人は助けてやるから、どちらを助けるかを選べ、というのだ。選べない、とソフィーが泣き叫ぶと、選ばなければ、二人ともガス室に送るぞ、と軍医は選択を迫る。それでも、選べない、とソフィーが言うと、軍医は、二人ともあっちへやれ、と部下に命じる。そのとき、ソフィーはとっさに娘を投げ出して、この子を連れていって、と叫ぶ。(101頁)

これは軍医が考えた悪魔的苦痛の与え方だったという。
しかし、ソフィーは錯乱と極限の苦痛を味わいながらも、サバイバーズ・ギルトに耐えるという。
(番組内で「ギルド」と言ったようだが「ギルト」)
「生きるための罪」というのを背負い込む、ということ。
その悪魔的選択を正気で続けることが彼女が悪魔のような軍医に立ち向かう、ただ一つの選択であったという。
「苦しもう」と。
そう決心した時に彼女の情動がピタリと静まった。
やるかやらないかで悩むよりも、この苦しみを引き受けて苦しむ。
「そういう人生を私は選ぼう」と思った瞬間、彼女の情動は動かなくなった、という。
これはすごい。

65歳から「人生最後の武道修行」だと思って合気道を習っている武田先生。
ちょっと自慢だが二段になった。
真剣に教えてくださる教授方がいらっしゃる。
この合気道は何が面白いかというと言っていることがトンチンカン。
水谷譲の息子も合気道をやっている。
やればやるほど不思議な武道。
そういう意味では問題の多いボクシング、柔道。
アジア大会で韓国の人が怒ってもめていた。
それからさっぱり勝てなかったレスリング。
相手に接触しながら相手をやっつけるという、武道ではないにしても体術の競技がある。
ところが合気道は実践じゃなく「型」修行で見取り稽古。
お師匠さんが見せてくれるその技を、自分がどれほどスムーズにできるかという。
練習場に行くと先生が見本を見せてくれる。
それを同門の人に頭を下げて「お願いします」と言って、四本掛けて四本掛けられてワンセット。
それを許可が出るまで繰り返す、という。
いわゆる「かたち」を稽古する。
ここに不思議な鉄則があって有段者は相手の人を怪我させちゃいけない。
ここが不思議。
勝ち負けがない。
技的には相手の手首を折り肘を割り肩を抜く、という。
武道なので「相手の骨なんか折っちゃうぞ」という技で。
でも稽古の時に先生から無闇に言われるのは「絶対に怪我させるな」「稽古の途中で怪我をさせたら、それは合気道じゃない」。
武田先生の道場はなかなか厳しくて、壁にぶつかったりすると優しい先生が「しっかり見てないからだ!」とか言われてしまう。
ちょっと怖い。
この「相手に怪我をさせない」。
これはどうも合気道をお作りになった植芝盛平さんという大先生がいらっしゃるのだが、この方が「合気道は相手を愛する武道だ」という。
柔道もレスリングもボクシングも全部相手を倒すため。
ところが合気道は敵と仮定するものに対して、手首、腕、肩を逆に取り、打ち負かすポジションを取りながら「傷つけない」という情動を感情をキープしなさい、という。
これはソフィーではないが、かなりのジレンマ。
しかしうちの先生はいいことを言うのだが「このジレンマのうちに、技そのものが柔らかくなるんだ」と。
先生の口真似をすると「強いっていうことは固いことじゃないですよ。強いってのは太いってことじゃないですよ。強いってのは重いってことじゃないですよ。強いってのはね、柔らかいことです。勝てないんですよ、柔らかい人には」と。
「丈夫かもしれんが、嵐が来ると折れたりします。折れない木は何か?柳です。吹かれちゃうんですよ。合気道は押してくる人には押されるんです。引っ張る人には引っ張られるんです。そのわずかな差から生まれてくる技。それが合気道なんです。だから『合気道』なんです。『気』を合わせるんですよ」
そこにこの武道の本質がある、という。
柔らかさはジレンマに自ら飛び込むことによってしか醸成されない。
醸すことはできない。
特に力んでしまうタイプの武田先生はそればかり言われる。
肩から力を抜くのがいかに難しいか。
四年やってもまだ抜けない。
やっぱり「肩から力を抜きなさい」と実際やるとなったら難しい。

いくら償っても、けっして赦しえない悪、許すことが正当にはなりえない悪も存在するだろう。(120頁)

連続殺人とか、お年寄りを、とか。
体の不自由な方を、とかっていう人たちに対して。
我々はその悪に対して「許しがたい」と思ってしまうのだが、「許しがたい」ともう一つ「それでも許さねば」というジレンマにあえて自らを置きましょう、と。
そこでしか柔らかさは醸成されない、醸すことができません、という。
こういうことをこの本の方では言っている。
それで合気道の先生の言っていることを思い出した。
『ソフィーの選択』のソフィー。
ソフィーと軍医の関係は「二人称の道徳」だ。
歪みは権利の偽造からソフィーに殺人について関与させ、ユダヤ人のどちらかを殺す資格を与えて、拒否すればどちらも殺すという矛盾にソフィーを突き落とし苦しませた。
ソフィーは軍人に対し憎しみ、ゲシュタポは憎まれるということによって苦しむソフィーを面白がるのである、と。
残酷なもの。
今もある「残忍な加害者」と「傷の癒えない被害者」という、こういう二人の関係があるとすれば、我々はどうすればいいんだと言うと情動的には「三人称を求めるんだ」。

今年(2018年)もスポーツ界の揉めごとがいくつもあって。
でもジイッと見ると全部配役が似ている。
加害者の人はみんな太っている。
みんな似たようなキャラ。
そういう人たちとの対立があるのだが、その対立を「三人称で眺めていこう」と。
三つの事件とも落とし方が全部同じ。
第三者委員会。
これがこの著者の言うところの「三人称で語りませんか」と。
ここからまた変わったところに問題は入っていく。

人と対立する。
「言った」「言わない」の問題なのだが、著者は二人の関係の二人称の道徳から脱出する。
三人称の道徳にしてしまえ。
客観的な人物をそこに置け、と。

三人称的になってしまった道徳はもはや私たちが実践している道徳とは言えないだろう。(159頁)

この言い切りは何だろうか?

自分の情動を洗練する。
これは不思議な言葉。
武田先生には意味がわからないが本に書いてあったので著者の方は武田先生が読み間違えていたなら抗議のハガキをください。
(本を読んでみたが、それらしい文章が発見できなかったので、ぜひハガキを!)
文章がこうあった。
自分の情動を洗練するためには、自分の心を見つめないことだ。
自分の価値的状況を他人に教えてもらう関係を取り結ぶことである。
(本の中には「自分の情動がどのようなものかを理解することを他人に委託してもかまわないのだろうか。明らかにそうではないだろう」とある)

春から続いた大学構内での揉めごと。
それからボクシングで起こったこと。
それからナショナルトレーニングセンターで起こったこと。
等々あるが。
自分の心を全部言うとものすごい傷つけ合い方になる。
そういうことを著者は言っているのだろうか。
つまり「自分の心のままに語ってはならないんだ」と。
「自分の情動がいかなものかというのは、他人に教えてもらう関係を取り結ぶことが、その対立している人との関係を何とか切り抜ける方法である」という。

感情を情動と呼ぶというこの本の著者の如く、哲学用語というのは時々面白い言葉を使うもので「こんな言葉、本当にあるんだ」と思った武田先生。
今、日本で一番多い労働者。
どんな労働に従事しているかというと「感情労働」。
いわゆる「サービス業」のこと。
哲学で言うと感情労働。
まあ、第三次産業。
武田先生は「芸能」、水谷譲は「メディア」の方の、そういうポジションにいて感情労働をしている。
つまり自分の感情ではなく職業の感情で生計を立てている。
水谷譲は自分の感情ではなく職業の感情で「こんなジジイと話したくもねぇよ」と思いながら「理屈っぽーい!このクソジジイ!」「まだ喋ってるコイツ」。
我慢して「ふんふん。なるほどー」とかという、そういう感情労働。

 今日では、接客業に従事する人たちだけではなく、医師もまた、聖職者や教師などとならんで、感情労働に従事する人とみなされる。(169頁)

自分の情動をそのまま患者に伝えることは職業倫理として許されない。
「あと一か月だね」
その真実を言うか言わないか。
職業倫理として自分の感情に走ることは許されない、という。
告知なら告知でタイミング等々を図らなければならない、という。

有用なサービスであっても、それが感情労働であるかぎり、不適切な情動を抱かなければならないが、そのような情動を抱く必要があるのは、顧客の優越性の承認欲求を満たすためである。(175〜176頁)

「うるせぇ客だなぁ」と腹の中で思いながらも「とんでもございません、お客様」とかと。
だからそのお客が目の前で何か抗議しているのだったら、その優越性に関して自分は感情を抑え込む。
情動を抑えて屈しなければならない。
屈するところから職業が始まる。
そういう意味では「優越性を承認しなければならない」という。

ちょうどこれをやっている時にその手の問題があった。
大韓航空やアシアナ航空の社長や親族は、その社員に対して強く優越性を強制した。
これは大韓航空どころではない。
日本のスポーツ界にも一番偉い方がこの優越性をなさる。

生きるために自分を卑下して、客の優越性を承認しなければならない。(177頁)

ストレス、苦痛を訴える人が非常に多い。
これは自分の情動を不明瞭にすることの苦痛だ、という。
「ワーッ!」と言いたくなることがある。

元キャビンアテンダントの健康社会学者の河合薫さん
CAさんは感情労働者の典型。
ムカッ腹立つこともあるだろう。
コジマ君というスタッフと福岡へ行く武田先生。
コジマ君は態度がデカい。
「新聞いりませんか?」と来る時にケンモホロロの返事をするヤツがいる。
「え?」という。
態度のデカいヤツ。
ちらっとキャビンアテンダントを見る武田先生。
腹の中は「この野郎!」と思っているのではないか。
あるテレビ番組で、話をツッコむお笑いの人がいた。
「お客さんから電話番号もらったりすることないんですか?」
受け取るのは受け取るそうだ。
その場で突っ返したりは絶対しない、という。
だからやっぱり彼らは感情労働で抑えている。
普通の道で会ったら「何するんですか!」と目の前で破られちゃうと思うが、機内ではスチュワーデスの、CAのちゃんと制服を着てらっしゃるから、自分の情動を抑えるのだろうが。
そういう非常にストレスの多い優越性の下に屈服している彼女たち。
あるテレビ番組で、バラエティのツッコみの失礼な質問に答えながら、彼女たちが生き生きと語りだした勤務実態があった。
彼女たちが何が生き生き話しているかというと、CAさんというのは「待機」という任務がある。
「待機」というのを会社から命令されると、彼女たちは制服を着てメイクを済ませて二時間でその飛行機へ搭乗できる宿で待つ。
宿か自宅、住まいで待つ。
「もしかすると」と思ったのだが、その「待機」という緊張が彼女たちの価値的状況を作っているのではないか?
これはあまりふさわしくないかも知れない。
フッとそんな気がした武田先生。
消防士の人がいる。
彼らがジャン!と鳴ったら飛び出して行くが、彼らが最も消防士としてプライドを持っている時間は何か?と思ったら、「待機の時間」だと思う武田先生。
消防署でベッドに横になって「待機」というか眠っている時、ウーン!と鳴ったらブワーッと着替えて鉄柱にぶら下がって下にストーンと。
一種あの「待機」はプライドを保持してくれるのではないか?
「無駄に寝てるんじゃない」という。
寝ている時も「俺たちは準備してるんだ」という。
その緊張というのが、実は職業に対して深い意味を感じさせ、情動を強く刺激しているのではないか?
二時間以内に行ける場所で待機を命じられたCAさんはメイクと制服を着てジイッと待つ。
本を読んでももちろんいいのだが。
でもその時に「仕事が待っているかもしれない」という「待機」というのは一種「張りつめたものを張ったまま、普段通りに過ごす自分」というので全部タガが緩んじゃった人よりも遥かに情動に一本筋が通っていると思う。
「情動」を刺激しているのではないか?
こういうことはもの凄く人間をある意味で動かしているのではないかと思う武田先生の勘。

喜び、充実、やる気、注目などは情動として好ましく、私を弾ませる「正の情動」である、感情である。

悲しみ、憎悪、嫉妬、罪悪感のような好ましくない情動に満ち溢れた人生は、非常に不幸であろう。−中略−好ましくないものは負の情動と呼ばれる。−中略−おおまかに言えば、正の価をもつ情動が多いほど、人生は幸福であり、負の価をもつ情動が多いほど人生は不幸であろう。情動価は人生の幸不幸と深い関係がある。(191〜192頁)

だから正の情動で日々を満たせば人は幸せになれるのか?
そう限らないのが人間なのだ、と。
「先輩の○○さんはあの時も笑顔でおられた」とかっていう、そういうこの「マイナスをプラスに変えていく」という情動がある限り、いつも正の情動で満たされるよりも、時として屈辱的なことが彼女たちの正の情動を刺激するんじゃないか?と

情動哲学者のプリンツ。
情動価値「感情が決めた値段というのは意識では動かせない」という。
(本に登場するのは「情動価」で、プリンツは内的強化子説を主張しているが「感情が決めた値段」といった話ではない)
そう思っちゃったらもう情動は動かない。

ワールドカップでの勝敗を見て感じたこと。
韓国と日本を比べる。
情動に差があるような気がする。
一勝二敗と一勝一敗一引き分け。
これはほとんど韓国と日本は差がない。
ところが帰国した選手団に関して迎え撃つサッカーファンの感情は天地の差があった。
0.5しか違わないが。
韓国は例の飛行場に降りた瞬間に生卵が。
日本は成田に帰った選手団に拍手喝采。
これは情動価値の差。
決勝に進んだ日本がベルギーに敗れた。
これも負けた。
ところが日本人は3対2、一点差で負けたことに関して正の情動で引き受けた。
韓国はというと、韓国はすごい。
2敗の後のドイツ戦で2−0で勝っている。
ドイツは前の大会で優勝したところ。
これを韓国の人たちは負の情動として受け止めて「生卵」になるワケだから。
喝采と生卵の、その出迎え。
ここに両国の情動価値の差があるような気がする。
あの選手を見ると腹が立ったのだろう。
韓国の人は負で捉えたその情動は動かない。

本著は負の価値的あり方を表層する情動能力が実は負けでありながら、正の動機づけとして捉える人間の奇妙さを説明している。

日本人は何で負けを感激するのか?
武田流の解釈。
それは自然災害。
日本列島は本当に時々可哀想になる。
今年(2018年)は9月になってもダラダラ一週間おきに(台風が)来やがって「ずっとまっすぐ行け!」と思ってしまったり。
それが必ず日本に。
天気予報の台風の進路を見ていると、まるで日本は朝鮮半島の人たちのために海に置かれた台風がぶつかってくる「壁」のよう。
台風だけではない。
今年の夏の初めは関西方面で地震もあった。
それから火山活動もあった。
いろんな山から煙が上がって。
自然災害の火、水、大地の不幸。
何と日本は全世界の半分くらいをこの小さなエリアで受けている。
我々はそういう非常に不幸の多いプレートの上に乗っかった列島に宿命として生きている。
感情として負の情動は「日常」。
もうあの天気予報の方の口ぶりを聞いていてもわかるが、不幸を予言することが予報。
あの人たちはいいことは決して言わない。
時々腹が立つ時があるが。
日本人は「不幸が起こる」ということに関して発想が違って「不幸が起こればその次はいいことが起きる」という。
そういう発想を日本人は持っている。
水谷譲もお子さんに体験させたことがある。
お正月に獅子舞がやってくると泣いている子供を捕まえて「噛んでもらいなさい!噛んでもらいなさい!」。
あれが負の情動の予祝。
「獅子に元旦噛まれると、もう噛まれることはない」という。
仮定で獅子に噛まれておくと、本当に噛まれることはない。
つまりすべての出来事は負から始まる。
つまづいた、負けた、屈辱的な目に遭った。
そのことによって日本はその次に勝つ。
正の情動を手に入れた。

たまに「今、幸せすぎて怖い」みたいなことを聞いて、それがわかる水谷譲。
つまりこれは獅子に噛まれることと同じで「不幸を予感することによって、幸せの方角を」。
日本人の発想。
台風が来ても地震が来ても頑張って生きていきましょう。

posted by ひと at 10:44| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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