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2019年03月18日

2018年12月3〜14日◆フォッサマグナ(前編)

(今回は一週目の途中で次の本に移行する。本ごとに分割しようかと思ったけど、それだと後半がすごく長くなるし、別の本からの引用も登場したりもするので、いつも通り一週間分ずつ区切る)

フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体 (ブルーバックス)



フォッサマグナ。
小学校の時に教科書に出てきて「わ!こんなのがあるんだ」と思った水谷譲。
その時は「日本を割ってる線があるんだな」みたいな感じだった。
糸魚川から静岡にかけて。
この正体は一体何だ?ということ。
このフォッサマグナを語る時に、どこから始めるかと言うと、西南戦争からまた話を始める。
西南戦争とフォッサマグナ。
この「地質の話が何で結びつくんだ?」というところを聞いていただければ語り手のよろこび。

 1875(明治8)年の夏、文明開化の波押し寄せる日本の横浜港に、一人のドイツ人の青年が降り立ちました。(18頁)

武田風に言うと坂本龍馬が死んでまだ7年ぐらいしか経っていないという日本。
この明治8年の日本というのは6〜7週に渡って(この番組で)語り続けた、西南戦争の外交問題で日本政府の陸軍大将西郷隆盛と内務卿の大久保、そして参議の木戸孝允の対立が明治8年、激しくなってきた。
そんな時代。

 青年の名はエドムント・ナウマン。(18頁)

象みたいな名前。

 エドムント・ナウマンは1854(嘉永7)年9月11日に、ドイツ・ザクセン王国の陶器で有名な町マイセンに生まれました。ミュンヘン大学に学び、20歳で博士の学位を受けると、恩師のギュンベル教授とともに地質調査事業に従事して、地質図を作成していました。とくに輝緑岩という変質したドレライト(粗粒玄武岩)の化学組成の研究をしていましたが、やがて教授から、「日本に行って地質学の教授にならないか」という話をもちかけられます。日本の新しい政府が、西洋文明の取得のために外国人教師を招聘しているというのです。いわゆる「お雇い外国人」です。
 ナウマンは二つ返事で、輝緑岩の分析も何もかも放り出し、2ヵ月後には日本に到着しました。
(18〜19頁)

武田先生の直観では「大久保利通がいるのではないか?」と。
大久保も忙しい。
考えたら気の毒なほど。
大親友の西郷さんと朝鮮半島問題でケンカをしながら、鹿児島県の扱いに関して桂小五郎さんとケンカしながら「ドイツから学者ば呼ばないかん」「日本は進歩せんばい」と思った。
何でドイツか?
理由は簡単。
大久保さんはドイツが大好き。
この人は2〜3年前にドイツ旅行をして、ドイツの一番偉いさんが会ってくれている。
その人の名前がビスマルク。
「鉄血宰相」と呼ばれたこのビスマルクさんが「アンタ方の国はドイツに学ぶとよかたい」とかと言われている。
大久保さんはもうドイツが大好きになった。
ドイツのようにガッチりした官僚で国家を創り、その官僚のエリートたちが庶民を指導するという官僚体制を大久保さんはイメージした。
これが桂さんとの大ゲンカ。
桂さんはフランスが好き。
「ショボーン」とかと言いながら。
西郷さんはまた両方が嫌い。
フランスも嫌い。
ドイツも嫌い。
ロシア大嫌い。
「島乗っ取りに来るっちゃけん。ロシアは」
五島列島が危なかった。
一回ロシアが住み着いている。
それを西郷さんが叩き出している。
ロシア人はまず住み着く。
みなさん、歴史から学びましょう。

ナウマン君は夏に到着している。
ドイツから二か月半くらいかかったか。
たどり着いたナウマン君。
降りた瞬間に、この日本列島の石が好きになった。
風雲急を告げる明治8年から10年にかけて、このナウマン君は日本の珍しい石を集めて信州方面を歩き回った。
突然明治史、西南戦争の頃合いに紛れ込んだナウマン君の青春やいかに?

大久保はドイツから学ぼうと官僚システムを東京政府に作ろうとしている。
明治8年のこと。
西郷隆盛は南下してくるロシアに対して「あんヤツばここに住まわせてはいかん!必ず島ば乗っ取って住み着いて『おがもん』て言うったい!アイツらが」。
やり口はほとんど変わっていない。
桂さんは桂さんで「選挙たい!大統領ばつくるったい!」。
もうバラバラ。
そんな風雲急を告げる明治8年。
二年後には西南戦争という大戦争が始まる。

 さて、ここでナウマンが来日した1875(明治8)年に時間を戻します。
 この年の11月4日、ナウマンは早くも、最初の地質調査旅行に出かけていました。それは従者と通訳を従えただけの単独行でした。
 馬車で東京を出たナウマンは、高崎から碓氷峠を越えて中山道を下り、追分(現在の軽井沢町)の宿場を数日滞在して、浅間山へ登っています。
−中略−
 その後、現在のJR小海線に沿って千曲川沿いに進み、鉄道最高点のある野辺山に至ると南下して、獅子岩を超えて平沢という小さな集落に泊まります。
(23〜24頁)

平沢という村に来た時に「ダシテンタルケン!(でたらめな薩摩弁風のドイツ語)よか仕事ばしとらすごたるですな」というような。

宿としたのは、古い民家でした。
 その夜は、嵐に見舞われました。木の板だけの壁はガタガタと揺れて、いまにも壊れそうでした。
(24頁)

(以下、本の内容とは無関係な武田先生の想像)
食べ物といっても、カリカリに焼いたトーストとかはない。
「焼き米」とか。
保存食用の米。
薄く焼いてある。
それにちょっと砂糖がまぶしてあって、それを口いっぱい頬張ると。
昔の戦国時代の呼び方では「干し飯(ほしいい)」とかという。
お腹の中に入ると水っ気を含んで膨らむ。
そんなのを喰っていたのだろう。
あるいは水で溶かして喰ったか。

ろくに眠れないまま一夜を過ごしたナウマンは、夜が明けるとともに宿を出ました。風は止み、青空がのぞいていました。そして峠から南西を見下ろしたとき、ナウマンは言葉を失いました。
 彼の目に飛び込んできたのは、はるか眼下に釜無川の流れる平坦な大地の向こうに、2000m以上もの高さのある南アルプスの鳳凰や駒ヶ岳が、ちょうど壁のように突っ立っている姿でした。そして、その南東の奥には富士山がさらに高く威容を見せつけていました。
「こんな光景がこの世にあるのだろうか。こんな大きな構造は見たこともない」
 ナウマンは言い知れぬ感動を覚えたといいます。と、同時に、なぜいきなりあんなに高い山が聳え立っているのか、なぜこのように大きな構造ができるのだろうか、という疑問も抱いたに違いありません。そして彼は、いま自分が立っているのは地面にできた巨大な溝のような場所ではないかと考えたのです。
(24頁)

1876(明治9)年からだが、西南の地、鹿児島、薩摩辺りで風雲が立ち興り、(明治)10年には何と西南戦争が勃発する。
ナウマン君には関係ない。
「石ばっか見て歩く」という。
これは面白い。
西郷や大久保や桂が命がけで戦っているのに、ドイツ青年ナウマン君は地面の石ばっかり見て歩いたというのが「何ともはやおかしい」と思う武田先生。
彼は西南戦争が起こった年も信州を歩き回っている。
そして赤石山脈、関東山地、丹沢。
その地形が彼にとってはもう不思議で不思議で仕方がない。
「おかしかばい!」
ドイツ弁でそう言いながら。
彼はますます日本のジオに惹かれていく。
(番組中「ジオ」という単語に別段説明がされないが、本によると「大地の」の意)
彼が最も惹かれたのが赤石岳という。
これは赤石山脈。
何に一体彼は驚いたか?

ドイツから明治8年にやってきたエドムント・ナウマン君。
九州の方では西南戦争という戦争が勃発するが一切注意も向けず。
ナウマン君は日本の地形が面白くて面白くて仕方がない。
山脈を調べていくとギョッとするような発見がある。
彼は玄武岩の研究家。
玄武岩というのは地底の奥深い所でできる石。
これは後の発見でもあるが、赤石山脈でナウマン君がひっくり返る。
「ウソぉ!」

赤石山脈という名前のもとになったのは、赤い「チャート」です。チャートとは、遠洋の深海底に棲む放散虫(プランクトンの一種)の死骸が体積して岩石となったもので(89頁)

(番組では「珪藻とかサンゴのかけら」と言っているが本によると赤いのは放散虫)

海のない場所でこうした海洋生物の化石が出てくることは、それらが伊豆・小笠原弧の衝突によって深海から陸に乗り上げ、付加したことを物語っています。(90頁)

彼はそういう発見をしながら日本の地質に惹かれていく。
とにかくあれが忘れられない。
あの信州で見た南アルプスの光景が。
駒ヶ岳の光景が彼は忘れられない。
このナウマン君はずっと歩く。
南アルプス、北アルプス。
その間を。
そこで彼が発見したのは「西南の日本から続いてきた古い地質が新潟糸魚川から静岡清水で本州を横断するように深い溝がある」という。
「その深い溝が松本等々の盆地になっているんだ」
松本辺りのその山脈と山脈の間にある窪地は掘っていくと岩石が出てくるはず。
掘るが、到達できないぐらい深い。
ということは、これはどんなことが想像できるかというと「山」。

フォッサマグナ地域の東西では約1〜3億年前の古い岩石が分布しているのに対し、フォッサマグナ地域の内部は、約2000万年以降の新しい岩石でできているのです(34頁)

ラテン語の「Fossa Magna」に変更しました。(29頁)

そのジオ、地勢に名前を付けた。
この巨大な溝は現代で言うと糸魚川から静岡清水までの250km。
この溝は両岸の山々から少なくとも250万年ほど前の時をかけ、土砂が流れ込んできたわけで土砂の川底を目指している。

現在ではボーリング調査によって、フォッサマグナは地下6000m以上もの溝であることがわかっています。(34頁)

だから一番最初にその溝ができた時からの風景を想像すると、松本の6千mの下から見上げると南アルプスはヒマラヤを超える1万mの山になる。
1万mの山と山。
松本はそれに挟まれている。
今で言うとインドの平野からヒマラヤが両側に立っている。
この巨大な溝。
ラテン語で「巨大な溝」という「フォッサマグナ」とは何だったのか?
こんな地形は世界中、ナウマン君の予感通り世界に一つしかない。
これは面白い。
そんな所に住んでいる。

この間ちょっと温泉に行った武田先生。
飛騨の方の温泉に行くために松本でレンタカーを借りた。
山越えをして日本平、飛騨、穂高に行った。
その時にちょっとこれを勉強していたものだから「今、フォッサマグナの上を走っているんだ」と思うと、何かものすごく不思議な気がした。
あんなことは行くと何も考えないものだが、やはりこの手の本を読むとハッとする。
そのたどり着いた温泉の露天風呂の脇に「このあたりからよく貝殻の化石が出ます」とあるのだが「あ!赤石山脈と同じか!」とか。
それから女将と話したが、穂高はまだ山が伸びるらしい。
押してきている力があるそうだ。
だから何cmかずつ伸びている。
私達はそういう所に住んでいる。
もしかすると日本列島は「ひょっこりひょうたん島」かも知れない、という。

特に今年(2018年)は秋口に気が滅入って仕方がない武田先生。
それはなぜかと言うと「この列島に住んでいる」ということが時々嫌になることがある。
別にこれは政治的なグチでもなんでもない。
この列島は天災が多すぎる。
2011〜2018年で福島、岩手、福岡、熊本、長野、北海道、大阪。
水害では本当に言いたくもない福岡、岡山、広島。
台風は宮崎、高知、沖縄。
その上に火山の爆発。
どうしてもムカッ腹が立って。
本当に許せない。
木曾の御嶽山は卑怯。
ずっとレベル1ぐらいでおとなしくしていて、たくさんの人がとても気持ちよくてっぺんを極めたらいきなり水蒸気爆発。
やることが卑怯。
今年もまた追悼の式典か何かのニュースに触れるとハラワタが煮えくり返る。
もうオレは許さない!
やり口が汚い!
「オマエそれでも山か!?」とアイツに向かって言いたい。
本当に憂鬱がたまる。
台風がいっぱい来た。
台風が来る度に思う。
「まっすぐ行けよ!」
何で沖縄からカックーン!と上に上がっていく。
狙っているのではないか?
本当に「オマエそれでも熱帯性低気圧か?」と言いたい。
お百姓さんの茫然たる顔なんか見ているともう本当に「どこか大陸の隅っこに住みたくなる」というふうに思う。

『水戸黄門』でよく頑張ったので夏休みに家族旅行で穂高方面、飛騨の方に旅行に行った時「この国に住むことが嫌になるなぁ」というのを車の中でつぶやいたら上のお譲さんが「それは違うんじゃないの?パパ」「何でだ?」「ここ生きてんのよ、地面が。私達は地面が生きてる所に住んでるのよ」と言われて、ふっと「そうか。オレたちは『ひょっこりひょうたん島みたいな所に住んでんだ』と思った時に「え?ということは・・・ここは『ひょっこりひょうたん島』みたいに泳いでるのか」と思った。



これがすごい。
日本列島は泳いでいる。
ここで本を乗り換える。
(と言っているが、妙に前の本からの引用が多が、ここから先は『日本列島100万年史』からの引用はいつも通りにページ数のみ『フォッサマグナ』からの引用はいちいち『フォッサマグナ』と記して区別する)

日本列島100万年史 大地に刻まれた壮大な物語 (ブルーバックス)



この一冊から教えて頂いたこと。
この『日本列島100万年史』曰く、沖縄八重山から北海道歯舞色丹まで、この島は何と大陸に住むのが嫌でここまで泳いで来た。
泳いで集まったのが日本列島。
(という文章は本の中には発見できず)
日本列島は「ひょっこりひょうたん島」だった。
「ひょっこりひょうたん島」に住んでいることが火山列島であるし地震大国であるし、そういう地の特徴というのは「泳ぐ島」だったから。
これはウェゲナーの大陸移動説。
ここからすごい話になる。
今日一番のニュース。
違うニュースで一番という方がいらっしゃるかも知れないが。
1900万年前、日本は大陸の東端にあった海岸だった。
ユーラシア大陸の隅っこにあって、朝鮮半島もロシアも中国もべったりくっついていた。
明らかな事実。
100万年前まで遡ると、山崎博士、あるいは久保博士によると日本はユーラシア大陸の端にあった。
生き物で言えばヒラメのエンガワ。
そういうのがペロンとくっついていて、そのペロンが日本だった。

アルフレート・ウェゲナー(1880〜1930)が大陸移動説を提唱したのは1912年のことで(『フォッサマグナ』69頁)

1900万年前、日本は大陸の東端にあった海岸であった。
それが千切れて1500万年前に今の位置まで泳いできた。
当然のように大陸から千切れてやって来るには原動力がいるが。
ここからが「ジオ」。
これは例えて言うと「神様」と呼ぼう。
「ジオ」という名前の「ジオ神」というのがこの地表の下に住んでいると思ってください。
地球の一番深い所に「マントル」という神がいる。
マントルは対流する。
炎の海が真ん中にあるが、それが燃えながらゆっくり動いている。
横にも動くし、縦にも動く。
この真っ赤に焼けたマントル。
これが冷えると潜る。
熱くなると浮かび上がってくるという、「対流」という運動を繰り返している。
このマントル対流は浮かんできたマントルが地下670kmの浅いところで地面の底を焼く。
地面の底を火が焼いている。

丸い形の餅を焼くところを思い出すと、イメージしやすいと思います。餅は真ん中がふくらんで、そのあとひび割れができてきます。大地が裂けるときも、このようなひび割れが等間隔に3本できるというのが、オラーコジンという考え方です(『フォッサマグナ』174頁)

オラーコジンでは3本のリフトは「T字形」に「進化」していくそうです。2本は一直線につながり、もう1本が直交する形です。私は日本海の拡大に寄与したのはつながった2本のリフトで、もう1本のリフトが南へと延びていき、日本列島の真ん中を貫いて北部フォッサマグナをつくったのではないかと考えています。−中略−
 日本海の拡大とともに、東北日本側のリフトは反時計回りに回転し、西南日本側のリフトは逆に時計回りに回転しました。
(『フォッサマグナ』180頁)

(ここで番組では時計回りを逆に説明しているが、後で訂正される)
フォッサマグナというジオ、地形に関しては世界でただ一つ。
今、「マントルの火が焼いた」と言った。
マントルの火の炎のことを武田先生は「火の鳥」と例える。
その日の鳥が溶接機の炎のように切った。
それで千切れてピタッとくっついた。

日本列島の島弧の方向が、フォッサマグナのところで逆「く」の字に曲がっているのは、これで説明できると考えます。(『フォッサマグナ』180頁)

 西南日本の沖合にあるフィリピン海プレートの海底岩盤は、伊豆・小笠原弧を載せたまま北上して、南海トラフや相模トラフで本州の下に沈み込んでいます。1年間におよそ4cmの速度で北上し、ついに本州に激突しました。伊豆・小笠原弧の「北上」は、その後も続きます。プレートに押され、本州の下に沈み込んでいったのです。しかし、伊豆・小笠原弧の地殻は20km以上の厚みがあったので、上層部は沈み込めずにはぎとられて、本州に押し付けられるように付け加わります。これを「付加体」といいます。こうして伊豆半島ができました。(『フォッサマグナ』82頁)

地球の真ん中にマントルという炎がある。
そのマントルは時々ブァーッと炎をあげて、地表に向かって火の鳥を飛ばす。
火の鳥は地面の底を焼き、エネルギーが無くなって冷えたら潜っていく。
炎は冷えたら潜っていく。
炎は熱くなったら上がってくる。
このことを覚えると日本はプルームという火の鳥が作った諸島。
島の連続衝突によってできた非常に珍しい、世界にただ一つの地勢、地形。

posted by ひと at 20:15| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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