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2019年05月31日

2018年10月29〜11月8日◆Boys and Girls Be Cool(前編)

(去年放送された分なので、内容がずいぶん古いけど)

(今回のタイトルは)「Boys and Girls Be Cool」
少年少女たちよ!Be Cool!
「カッコよさ」を目指せというタイトルでまな板の上に乗せた。

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (光文社新書)



なんでこんなこと(この手の本を取り上げること)をやるかというと、ちょっと「高齢者のための保健体育」とか、そっちのほうにわりと最近偏りつつあるから。
話題が高齢化していた。
だから若い方にも、それも社会に出て今、働き始めたばっかりのフレッシュマンたちに『(今朝の)三枚おろし』を、二週ばかりお送りしてみようかと。

この方なんかも大変な大物さん。
剛力彩芽さんの恋人の方。
ZOZO(ゾゾ)の前澤(友作)社長。
今度月を一周なさるそうでこの間、全世界に向かって記者会見をやってらっしゃったが、あのへんの人がよくわからない。
堀江(貴文)さんぐらいからわからない武田先生。
堀江さんの本も読んでいる。
それからZOZOの人も。
何かヒゲの生え方が半端。
彼は世界の企業エリートに入るぐらいの凄い方なのだが、絵なんかもすごく造詣が深い。
いろんな高い絵も購入されている。
そういう、そのZOZOの方なんかとフッと像が結んだ。
「美意識をエリートは鍛えないとダメなんだ」という。
今の若い起業を目指す若者たちなんかに『三枚おろし』を、という。
この本はビジネスの本なのだが、もうビジネスが終わっているような人が読む本ではない。
でも、世界の企業エリートがオープンカレッジなどでしきりに美術を学ぶという、そういう現象があるそうだ。
ビジネスの成功のカギとして「アートの美意識を鍛えねば」との新しい潮流が世界で渦巻始めている、と。

 さて、では「他の人と戦略が同じ」という場合、勝つためには何が必要になるでしょうか?
 答えは二つしかありません。「スピード」と「コスト」です。実は「論理と理性」に軸足をおいた多くの日本企業が、長いあいだ追及してきたのがまさにこの二つでした。
(49〜50頁)

例えば車。
車を生産する企業がこれをより早く、より安く作れる会社が世界企業に成長できた、と。
より具体的に言えば、お客さんの欲望、そして社会の展望をサイエンスで分析し、評価し、次に「クラフト」技術。
これで生産していくという。
戦後日本はこの二つで経済成長を果たしてきた、と。
「サイエンス」と「クラフト」による成長は、現在は中国によって更に磨かれ、中国は何と、このクラフト&サイエンスで世界第二位の経済大国に成り上がり、今やもう「世界に君臨している」と言っても過言ではない。
サイエンスとクラフトはアカウンタビリティによって支えられている。

アカウンタビリティというのは、「なぜそのようにしたのか?」という理由を、後でちゃんと説明できるということです。(57頁)

かのNHK『プロジェクトX』のような再現ドラマ、物語にしても立派なドラマができるような、今そういう説明がつかないとダメなんだ、と。

「この包丁は良い包丁だ」と言うとき、人はその「良さ」を「モノを切るという包丁の目的」に沿って理解する。(28頁)

殺人者が「この包丁いいね」と言うと別の物語になっちゃう、という。
「この日本刀いいね」というのは、日本刀の美しさを言うんであって、切れ味は横に置いとこう、という。

 日本・米国で長く活躍しているイチロー選手は、通算安打数世界記録を達成した際に、次のような言葉を残しています。
 僕は天才ではありません。なぜかというと、自分が、どうしてヒットを打てるかを説明できるからです。
(58頁)

イチロー選手は、自分がヒットを打てた理由、打てなかった理由について合理的に説明できる。これはつまり、自分のバッティングについてアカウンタビリティを持っているということです。そして、このアカウンタビリティゆえに、イチロー選手は「自分は天才ではない」と言っているわけです。(59頁)

 一方で、では天才はどうなのかというと、天才はアカウンタビリティを持てない。つまり、自分がヒットを打てた理由、打てなかった理由について、合理的に説明できないということです。天才バッターと言われた長嶋茂雄氏は、その指導のわかりにくさでも有名でした。「ボールがスーッと来たら、腰をガッといく」といった、相手を煙に巻くような指導をして、しばしば周囲を困惑させていたという逸話が残っています。(59頁)

張本(勲)さんがおっしゃったこと。
「王は失投をホームランにする。『打てないだろ!打ってみろ長嶋!』という玉を長嶋は打つ。それが二人の野球の違いです」

 例えば、江戸時代の武芸家である松浦静山は「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉を残していますが、これも同様の指摘ですね。プロ野球の野村克也監督が好んで用いたこともあって−中略−
 まず「勝ちに不思議の勝ちあり」という指摘について考えてみましょう。「不思議」というのはつまり、「論理で説明ができない」ということです。ですから「勝ちに不思議の勝ちあり」というのは、「論理ではうまく説明できない勝利がある」という指摘です。
−中略−
 一方で「負けに不思議の負けなし」という指摘はつまり
−中略−負けは常に、負けにつながる論理的な要因があるということです。(38〜41頁)

経営においても同然で、経営はアートとサイエンス。

当番組でもよく扱っているスティーブ・ジョブズが亡くなられたが、その人の言葉。

インドの田舎にいる人々は僕らのように知力で生きているのではなく、直感で生きている。そして彼らの直観は、ダントツで世界一というほどに発達している。直感はとってもパワフルなんだ。僕は、知力よりもパワフルだと思う。(37頁)

スティーブ・ジョブズはハーバードとか行かないで、禅もやっている。
鈴木(俊隆)さんという禅宗、永平寺の方のお師匠さんにくっついて、よくお勉強したりなさっていた方らしい。
こんなことがあったらしい。
このスティーブ・ジョブズは天才と言われた経営者。
この方は一時期「狂気の経営者」と言わた。
ジョン・スカリーなる人物が経営権を奪取した。
彼からアップルを取り上げた。
そしてアップルを作ったジョブズを追放した。

 ジョブズの辞任を受け、アップルの株価は7パーセント近く、ほぼ1ポイントも上昇した。−中略−アタリ創業者のノーラン・ブッシュネルは、タイム誌の取材に、ジョブズがいなくなったのは大きな損失だと答えている。
「今後、アップルはどこからインスピレーションを得るのでしょうか。ペプシの新ブランドという飾りでも付けるのでしょうか」
(68〜69頁)

いろんな企業を当てているノーラン・ブッシュネルさんも、この発言の時は「あの人もトンチンカンになっちゃったね」とかと言われたらしい。
ところが本当にここからアップルは急激に業績を落とす。
そして呼び戻されたスティーブ・ジョブズ。

ジョブズがアップルに復帰した直後に販売したiMacでは、発売直後に5色のカラーを追加していますが、この意思決定の際に、ジョブズは製造コストや在庫のシミュレーションを行うことなく、デザイナーからの提案を受けた「その場」で即断しています。−中略−もともと1色しかなかった製品に5色を追加するというのは、ロジスティクス全体の管理の難易度を飛躍的に高めることになるので、慎重な分析とシミュレーションを経て行われるのが常識です。−中略−実際にiMacは、アップル復活を象徴する大ヒットとなりました。(37〜38頁)

彼の本なんか読んであげてくださいね。

ペーパーバック版 スティーブ・ジョブズ 1



今やっているわけのわからない時代劇でチックタック(「TikTok(ティックトック)」のことを指している)とか意味がわからない。
「『チックトック』って何だよ?これ漫才師か何かか?」と聞いた武田先生。
「知らないですか?」
「知らねぇよ、そんなの。俺、ここんとこのセリフ言いたくねぇからカットする」
「やめてください。願いです!」だって。
出てくる用語の4〜5が全然わからない。
そういうのがバンバン(セリフに)出てくる。

クックバッド戦争。

 2016年の3月、レシピサイトを運営するクックパッドの創業者が現社長に不信任を突きつけ、経営陣の総入れ替えを提案して世間も耳目を集めました。(60頁)

創業者である佐野氏から経営のバトンを渡された穐田誉輝氏はもともとベンチャーキャピタリストで、特に「食」への強い思い入れがあるわけではありません。−中略−「熱いロマン」よりも「冷たいソロバン」が優先する人です。−中略−穐田氏は、この期待に応えるために「食」とはなんら関係のない分野でM&Aを繰り返していきます。一方で創業者である佐野氏のロマンと言っていい「食」に関する事業については、投資対効果の問題から積極的な投資は行いませんでした。−中略−
 創業者である自分が追及したい「食」のビジネスへ、なかなか積極的な投資をしようとしない経営トップに対して業を煮やした創業者の佐野氏は、最後には議決権の4割以上を握る大株主という立場から、穐田氏の解任及び取締役の総入れ替えという大ナタを振るわざるを得ない状況に追い込まれたわけです。
(61〜62頁)

著者はここで企業というもの、仕事というものが「なかなか難しい」と。
佐野さんは自分の持っている料理への「熱い思い」というのを「アカウンタビリティ」説明できない。
説明できないことでそういう揉め事が起こっている、と。
でも、この本の著者は「説明できないものを胸に抱えている人でないと企業なんかできませんよ」と。
「熱いロマンと冷たいソロバンは全然違う」「一緒くたにしないでくれ」という。
「企業乗っ取りなんかで儲かるような、そんなことでレシピサイトのクックパッドの企業精神は成立しないんだ!」という彼の雄叫びは何となく。

ビジネスにおけるアートとは一体何か?
それは何を選び、何を捨てるか?
「これがはっきりしない人はダメなんだ」ということ。

なにをしないのか決めるのは、なにをするのか決めるのと同じくらい大事だ。会社についてもそうだし、製品についてもそうだ。    スティーブ・ジョブズ(80頁)

目を転じてニュース、ワイドショーなんかで取り上げられている企業スキャンダル。
今年(2018年)も多かった。
それから政界スキャンダル。
それから医大スキャンダル。
医大というのは何かちょっと言い方がよくわらかないが。
それから大学スキャンダルでは日大。
それからアマ(チュア)ボクシング。
それから体操女子強化合宿。
それから官僚と学長の問題。
今年ギッシリだった。
全てに共通する一語は何か?
大雑把な言い方をすると「美しくない」。
醜い。
ちっとも美しくない。
アメフトもそう。
「美しくない」どころか「おかしい」。
全員だが、取材陣のマイクが伸びてくればお話ができる方ばっかり。
よくしゃべる「美しくない人たち」だった。
だから彼らには説明能力はある。
ただ、喋れば喋るほどみっともない感じ。
責任の自覚がないだけで説明の能力はある、という。
そういう人たちに対してはやっぱり「美しくない」としか言いようがない。
「美意識がない」としか言いようがない。

棋士の羽生氏はまた「将棋における美意識」に関連して次のようなことを述べておられます。
 美しい手を指す、美しさを目指すことが、結果として正しい手を指すことにつながると思う。
(88頁)

捨てる力 (PHP文庫)



つまり勝負事に関して、若きビジネスマンたち、聞いてください。
「美しさ」というのは大事。
これは武田先生の個人的な発言だが繰り返す。
私は日本の企業、組織、政界を批判。
それをみなさんに聞いて欲しいということではありません。
様々なメディアが正しさを求めて、スキャンダル、政治経済をいろいろ批判しております。
「正しさを求める」ということは専門の方にお任せしましょう。
私は当番組も含めまして、何がやりたいかと言うと「日本的美しさを探したい」と。
こんなふうに考えている。

今、取り上げたスキャンダル。
ザッと「騒がれた人々」。
共通しているのは「美しくない」。
ではなぜ美しくないのか?
それを考えていきましょう。
彼らが美しくないのはなぜか?
そうです。
日本のスキャンダルの主人公たちに美しくない共通点がある。
それは彼らは「日本は美しくない」と思っている。
大臣の方も学長の方も、それをお願いに行った官僚の一番エライさんも「日本は汚い。その汚い日本の中で私のやっていることは、汚さとしてはあんまり汚くない」。
だから「これぐらいやってもいいんじゃない?」という。
「だって汚いんだもん、ニッポン!」「そん中で、オレ割ときれいな方じゃない?」という。
「美しい」と思っていたら自分のやっていることが「恥」。
「日本が美しい」と思っていないということ。
ディズニーランドにゴミが落ちていないのと同じ。
「日本は美しくない」と言うんだったら、私はいつも「ホウキは持ってよう」と思う。
美しくない人たちに共通しているのは、この人たちはホウキも持たなければ袋も持たない。
汚いゴミを舌打ちしながら「誰だよ!こんなとこ!汚ったねー!こんなとこ捨てて!」とかと言いながら車の中のゴミをザーッとそこに捨てて「これっくらいはイイじゃん」とか「これ捨てたヤツに比べればオレ、少ないよ?」とかと。
さあみなさん。
小さなホウキでも結構です。
とにかくホウキを持ちましょう。
そしてなぜこの話をしたかというと、この本の中で一番武田先生が賛同したのは「日本は美しくない。だからオレたちは・・・」という、この発想こそがオウム真理教なんです、という。
ここに行くところが深く頷いた武田先生。
若い人たちにはちょっと難しいかも知れない。
でもオジサン(武田先生)たちはオウム真理教の人たちとすれ違った。
そこで半分おじいさんになった「オジサン」が感じたことも込みで、若い方にこの話ができればなと思う。

若いビジネスマンたちに美意識がいかに大事か、美意識がないとどういうことになるかというと、スキャンダルで大騒ぎ。
いろんな企業が企業スキャンダル。
政界には政界スキャンダル。
美しくないからなのではないだろうか?と。
彼らがなぜそんな美しくないことをやったかというと「むしろオレの方が汚い日本よりきれいなんじゃないか?」とかという美的水準の低さみたいなものが、こういうスキャンダルを起こしている。
そのスタートとして、この本の著者、山口さんの慧眼。
ギクッとした。
オウム真理教事件を挙げてらっしゃる。

 オウム真理教という宗教集団の特徴の一つとして、幹部が極めて高学歴の人間によって占められていた、という点が挙げられます。−中略−おそらく平均の偏差値が70を超えるのではないかというくらい、高学歴の人物を幹部に据えていたことがわかります。(166頁)

だから世に言う日本の中で言う「頭のいい人たち」。
頭のいい人たちが何であんな、あれだけの死刑囚を出したワケだから。
あれから23年経って、大量に死刑囚を生んだ宗教団体。
まずは概要から言う。
急成長する集団。
それは企業でもいいし、若い方、聞いておいてください。
それはシステムがものすごく荒い。

通常の企業ではだいたい8〜9程度の等級が設定されていることが多いのですが、コンサルティング会社には基本的に4階層しかありません。(172頁)

オウム真理教では、修行のステージが、小乗から大乗、大乗から金剛乗へと上がっていくという非常に単純でわかりやすい階層を呈示した上で、教祖の主張する修行を行えば、あっという間に階層を上りきって解脱できる、と語られていました。(167頁)

最後の金剛乗にたどり着くと、もう超人が生まれて、空中に浮かび、水中で息をすることができるという。
「これとこれとこれができれば、これができるはず」というようなシステムで、オウム真理教と同じようなシステムを採用している新興ベンチャーというのが、こういう集団。
通常の会社では8〜12もある等級、出世の階段があるのに、そのシンプルさを自慢する。
それで落差を付ける。
エリートが持つ一歩の幅がデカい階段を設けるという。
何かできれば、その一段を上がれるという。
そこを魅力にして集団を固めてゆく。
そしてその集団のシステムを非難すること、これは「絶対悪」。
この粗い階段の組織作りというのは、ナチスドイツがそうだった。
マークが一個入るか入らないかで天と地ぐらいの差が、という。
そんなことをして人間をまとめていく。
その偏差値の高い者が一辺に寄ってしまうこの集団のシステム作り。
ところが「オウムは変じゃないか?」と見ただけでそう思った人がいた。
オウム真理教の人を見ただけで「この人たちは変だ」「この人たちは何か間違ってる」と言う人がいた。

小説家の宮内勝典氏は著書『善悪の彼岸へ』の中で、次のように指摘しています。
 オウム・シスターズの舞いを見たとき、あまりの下手さに驚いた。
−中略−オウムの記者会見のとき、背後に映しだされるマンダラがあまりにも稚拙すぎることが、無意識のままずっと心にひっかかっていたからだ。(中略)
 麻原彰晃の著作、オウム真理教のメディア表現に通底している特徴を端的に言えば、「美」がないということに尽きるだろう。出家者たちの集う僧院であるはずのサティアンが、美意識などかけらもない工場のような建物であったことを思い出して欲しい。
(168〜169頁)

それと使われた、もう思い出すのも嫌だが彰晃を讃える歌のメロディのヘタクソさ。
あれは全然遊んだことのない人。
「しょーこーしょーこーしょこしょこしょーこー♪」
そして衣装の粗末さ。
そして大きな麻原彰晃のお面。
あの下手さ。
宮内さんが一発で見破られたのは「美しくない」。
美意識が全くない。
そして彼がつくづく思ったのは、オウム真理教が発案したヘッドギア。
あのグシャグシャのコード。
「美しくまとめることすらできないのか」ということで、デザイン能力がまったくない。
(この本の中にはヘッドギアのことは出てこない)
こうなってくると「本物と偽物の違いを美で分ける」というこの本の著者の目はなかなかのものだと思いませんか?

「何かビジネスを起そう」とか「起業してみたい」とか思っている少年や少女たち、ぜひBE COOL、美しくあってください。
恰好よくあってください。
なぜならば美しくない人には何も企業はおこせませんよ。
ということで二十代の方はもうほとんど知らないと思うが日本で起きた犯罪史に残る大事件だが、地下鉄サリン事件。
それを行っていたオウム真理教。
本当に大騒ぎになった。
誰を殺した彼を殺した。
本当にご同情申し上げて、一緒に泣いた。
オウムと闘う弁護士の坂本さんという方が殺された。
坂本龍彦ちゃんという男の子。
赤ちゃんまで殺しちゃった。
その坂本龍彦ちゃんの文字を見るたびに「坂本さんは龍馬が好きだったんだな」と思って同じ龍馬好きとして胸が痛い武田先生。

宮内(勝典)さんは「オウムって変だ」と見抜いた。
それは「美しくない」。
この一点において「この集団はおかしい」と。
「この集団は異様だ」ということを見抜かれた。
だから「異様かどうかを見抜くために『美しいか美しくないか』というのはもの凄く大事な、あなたを守るための術になりますよ」ということ。
宮内さんはおっしゃる。
あのオウム真理教。
あの髪の毛をだらりと長くしたパジャマのような服を着たオウム衣装を着たお嬢さんたちが駅前で「しょーこしょーこ」と言いながら踊ってらした。
その踊りがあまりにも下手糞。
そして麻原彰晃を讃える歌の幼さ。
しかも彼らが修行のためと称してヘッドギアを付けているけれども、あの配線コードグシャグシャの。
これはやっぱり「美意識の欠如」。
どんなに偏差値がよくても「美」というものを完璧に忘れた集団であった。
そして(オウムの)広報の方が上祐(史浩)さん。
今でもがんばってらっしゃるが。
あの方が記者会見のたびに後ろにマンダラが置かれる。
それを宮内さんが「下手」とおっしゃる。
「美意識」というのがこの団体にはない。
そして宮内氏が「これ、宗教団体でもなんでもない」と見抜くのはサティアン。
あの道場。
汚い。
清潔でない道場を持つ宗教なんてありえない。
それから麻原彰晃が信者の人に読ませるために本を出している。
表紙のデザインが下手。
若い方はピンとこないかも知れないが、その頃から世田谷に住んでいる武田先生。
「淡島通り」という通りがあって、そこの中途にオウム真理教の弁当屋さんがあった。
「オウムの弁当屋さん」という看板を揚げて。
信者の方があのテロンテロンを着て「ほっかほっか」か何かに対抗して弁当を売ってらっしゃった。
すぐに潰れてしまう。
汚いから。
麻原彰晃の顔が看板に描いてある。
下手。
下手なミッキーマウスを描いた軽食屋さんとかは嫌。
中国の方が描いたミッキーマウスみたいな。
中国の方が描いたドラえもんみたいな。
考えてみたら淡島通りの人たちは美意識があったのだ。
買に行かなかった。
こういうものの見方をする人というのは、宮内勝典さんという方だが、頭のいい方なのだ。
オウムに感じた違和はまさに「不潔さ」「美しくない」というその一点であった、という。
集団のシステムにすべて従う時に、これはもうどうしようもないことだが、水道管に水垢が付くように、いかな集団のシステム、あるいはルールに従っていても、垢が付いていく。
だから自分の内側に「美」というモノサシを持ちながら、コツコツ水道管を掃除していくしかない。
本当に困ったことにオウムのエリートたちは、自分たちの手によって別の日本を作ることを目指した。
でも、そういう日本が作れるワケがない。
何かそういうことを言う人がいる。
「日本の学校教育はなっとらん」「全員先生クビにして、もう一回新しく作り直そう」という。
時々そういうことを言う人がいる。
出来るワケがない。
今日も明日も子供たちを学校に送りながら「コツコツと学校を変える」という「そういう提案をする」ということこそがオノレの内側に美を持つことではないでしょうか。


posted by ひと at 19:28| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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