カテゴリ


2019年05月31日

2018年10月29〜11月8日◆Boys and Girls Be Cool(後編)

これの続きです。

「これからどんな職場で働こうか」とか「働きつつ何を目指そうか」とかと思っている諸君に、一番必要なものは何だろうか?
コミュニケーション能力とかクラフト「腕前」。
自分の手で何ができるか?とかあるが「美意識」「美しさを求めるという心」がないとうまくいきませんよ、という。

先週、お話でオウム真理教という宗教集団があって、その人たちが偏差値ではすごい、学歴社会に最も通用する方々。
その方々があれほど大量に死刑判決を受けるという、あのオウム真理教とは一体何だったのか?
それは頭がよかったんだけど美意識がなかった。
何が美しいか。
何が醜いか。
何が清潔か。
何が汚いか。
それがジャッジできなかった。
その不幸があの巨大な犯罪を生んだのではないだろうか?

日本をすべて捨て去り、自分たちの手により新しい日本を作ること。
それを信じたというところにオウム真理教の悲劇がある、と。

システムを全否定し、それに代わる新しいシステムへリプレースしようという運動は、それこそ星の数ほど限りなく行われてきました。先述したオウム真理教もまた、そのような運動の一つと考えることができますし(183〜184頁)

列車を止めて別の線路を敷いて、その上を走ろうとした、という。
しかしとんでもない間違い。
システムを変えられる者は、システムに今、従っている者。
新しい列車で行くにしても、新しい旅は今ある線路の向こう側にしかない。
新しい線路を敷き直すなんてことはできない。
ダイナマイトとトンカチで新しい道を建設できると思ったら大間違い。
ではどうするか?
美を身に付ける。
自分の直観として人には説明できない何か。
「私はこれが美しく、つい見とれて足を止め、気づくと微笑んでいるんだ」という感性や感情を持つこと。
これが美意識を持つことではなかろうか?
水谷譲にとって「いつのまにか気が付くと見ている。足が止まっている。そして微笑んでいる」というものは「子供」。
だから子供のことを忘れたら人間はどんな醜いことでもできるということ。

花を見ても空を見ても立ち止まる能力、微笑む能力。
これを繰り返している人こそが哲学者になれるんだ、と。
哲学の本質とは何か?

現代社会を生きるエリートが、哲学を学ぶことの意味合いのほとんどが、実は過去の哲学者たちの「1.コンテンツ」ではなく、むしろ「2.プロセス」や「3.モード」にあるということです。(235頁)

すぐに役立つ知識はすぐに役立たなくなる」と言って基礎教養の重要性を訴え続けましたが、哲学の学習にも同じことが言えます。(235頁)

朝からこんな話をしているのは武田先生たちだけ。
日本中「シーン」としてるのだろう。
みんな「安倍政権」とか、そんなことを話しているのに。
「すぐに役立つ結論はすぐに役立たなくなる。すぐに役立つ知識はすぐに役に立たない知識になる」
「シーン・・・」
でも若い方はもしかしてこれを今、電車の中で聞いて「そうかー」と思っているかも知れない。
新聞を読む手がスッと脱力して、その若者は風景に目をやっているかもしれない。
今はみなさん新聞よりスマホだと思う水谷譲。
「(新聞を)畳めないよ!こんな満員じゃ!」と言っている人はいないのか?
それでは今、フッとスマホの手を休めて、フッとあなたの目が車窓の向こう側に行った若者にこの言葉をお送りしましょう。

大正末期から昭和にかけて駐日フランス大使を務めたポール・クローデルでしょう。−中略−
 クローデルは1921年から1927年にかけての6年間、フランスの駐日大使として日本で過ごした後、アメリカとベルギーの大使を務め、外交官を退官します。その後、ご存じのように日本は泥沼の戦争に突き進んでいくわけですが、敗色も濃厚になった1943年の秋、パリで行われたパーティにおいて、クローデルは多くの参加者の前で次のようなスピーチをしたと言われています。
 私がどうしても滅びて欲しくないと思う一つの民族があります。それは日本人です。あれほど古い文明をそのままに今に伝えている民族はありません。彼らはたしかに貧しい、しかし高貴なのです。
(114〜115頁)

戦前の日本に駐日大使としてやってきて、日本人とすれ違ったのだろう。
確かに軍部の跳梁跋扈とかがあり、日本はおかしな方向に進んでいくのだが。
しかし一般庶民と接した欧米人の中で、日本に関して深く傾倒した人はいっぱいいるらしい。

本とは関係のない話。
テレビを見ていて「訪日客」は多い。
特に中華の人が多い。
10月前半に向こうに大きいお休みがある。
国慶節。
それで700〜800万人の海外旅行客がいて、半分以上が日本に着ている。
特に福岡でレギュラーを持っている武田先生。
まあ、来るわ来るわ。
ビビデバビデブー。
本当に。
その中で欧米の人たち。
この間「あなたのお土産は何ですか?」みたいな特番をやっていた。
ドイツ人がお好み焼きを引っくり返すヘラをかっぱ橋で求めている。
それを一本手に入れて幸せそうに握りしめて「ドイツで売ってないんだ」とか言っている。
あの人たちはお好み焼きをやっているのだろうか。
彼らが「日本はクールだ。カッコイイよ」という。
なぜ日本をそんなふうに褒めてくれるのか?
それが一体どこの点なのか?というのは知りたい。

とあるテレビ番組で見た異国の人の話。
これに出てきたテレ東『YOUは何しに日本へ?』の話かと思われる)
この人はポーランドの人で。
日本に「金継ぎ」という技術がある。
金継ぎというのは割れた陶器とか漆器などの割れ目、裂け目を漆などで繋ぐ。
それから別の陶器の割れたものを持ってきて、そこにはめて継ぐ。
そこに薄く金の張物を、金箔などをするところから「金継ぎ」と言われているが修理する技術。
ところがすごく面白いことに、もう先に事実から言ってしまうが、割れた茶碗で金継ぎをしたら、割れていない茶碗より値段が上がる。
こういう美意識に魅せられたヨーロッパの一人の青年がいて、その青年は今、小さな会社を興しているのだが、お金が貯まると日本にやってきて、金継ぎを勉強しながら金継ぎの傑作を買い求める。
「何でそんなこと知ったんですか?」と言ったら「インターネットで見たんだ」と。
戦国時代、割れた湯呑茶碗に金継ぎがしてあって。
「織部」とかだろう。
それがものすごい価値を呼んで。
彼はもう「アートだ」と言う。
お茶碗もアートだけど、金継ぎしたお茶碗はもっとアートだ。
ヨーロッパにも同じように割れたガラスとか何とかを直す方法もあるが、ヨーロッパではもう二度と使わない。
日本人は使うことを目的に修理する。
それでその修理の仕方を技術として持っている。
若い方、覚えておいてください。
金継ぎ。
みなさん方に日本の別の面を教えてくれますから。

京都なんかに行ってちょっと無理して二万円ぐらいの懐石を食べよう。
そうしたら器がいっぺんによくなる。
京都は器で値段を取る。
その時にひび割れたようなところに継いだヤツがあるから「金継ぎですね」と言うと女将が出てきて説明してくれる。
京都へ行って黄門さま(ドラマ『水戸黄門』)をやっている時に、その手の1万5千円以上の京懐石を食べた。
そうしたらやっぱり出す。
それで「天保のだす」とか言いながら。
天保は坂本龍馬が生まれた年。

それでこのポーランドの男性はうっとりしている。
金継ぎの技術を教えてくれる学校もある。
金継ぎのテクニックを教えてくれる学校で彼が勉強しているところがテレビに映されていたのだが、円く欠けているお茶碗に別の欠けたヤツを持ってきて漆でくっ付ける。
何回も何回も塗って。
最後に金箔を、その欠けたところに乗っける。
先生が「見立て」といって金箔を乗っけた半円型のところを指さして「it's a moon」と言う。
そういう新しい風情を入れて「○○のようには見えないか?」と言うと、ポーランドの彼が「it's Cool!」と言う。
「割れたら割れた価値が、別の角度から見るとあるんだ」というので。
これが「美」。

立ち上げた会社を2年間で10社も倒産させ、直後に足を骨折という黒歴史を持つYOU。「人生最悪」って時にネットで見つけたのが金継ぎだった。壊れても美しく生まれ変わる様を見て、「自分もまだやれる!」と一念発起して起こした会社が、5年目でなんと年商11億の企業に急成長。つまり、今の成功は金継ぎから始まったというから好きすぎるのも納得〜。
夏だ、祭りだ、絶景だ!”日本の伝統LOVE”で猛暑をぶっ飛ばせSP:YOUは何しに日本へ?|Youは何しに日本へ?:テレビ東京

彼は深いことを言う。
「欧州にもお皿やグラスを修理するという技術はあります。しかしもう一度使用しようという、そういうことは目指しません。ヨーロッパにある修理技術は、ただ飾るためだけのものです。だから非常に高価な物だけしか割れた物を修理しようとはしません。しかし日本の金継ぎは違います。自分が愛している器だったら割れても金継ぎで修繕し、ほとんど永遠に使用しようとする情熱があります。そして日本のすごいところは、割れなかったよりも、割れて金継ぎされた物の方がアートとして遥かに優れ、価値も上がるということです。驚くべき美意識です。私の人生をこれに重ね、私は金継ぎから勇気をもらいました。私は何度もひび割れた陶器です。
しかし金継ぎで今やっと5つ目の会社で成功し、私も少し値段を上げています。」
日本の美の探訪ということで、どこぞに行って金継ぎの器か何かでぜひ。
私達も「美」を、自分の「美を感じる能力」というのを鍛えていきましょう。
「これは美しい」と思う。
これは私だけにしか宿らない。
その美で仲間と集団を見つけることが美の鍛え方です。
「美を感じるモノサシを自分の中に持ちましょう」ということ。

 モーツァルトを愛し、どこに旅行に行くにも必ず愛用のバイオリンを携えていたアルバート・アインシュタインのエピソードは有名ですし、物理学の分野での先端的な研究をしながら、ユーモア溢れるエッセイを数多く生み出したリチャード・ファインマンには高い文学的素養がありました。(214頁)

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)



ルドヴィゴ・チーゴリにデッサンを習い、水彩画で陰影を表現する技術を身につけていたガリレオ・ガリレイは、だからこそ低倍率の望遠鏡で「月のデコボコ」を発見することができましたし(214頁)

20世紀の歴史において最も強力なリーダーシップを発揮した二人の政治家、すなわちウィンストン・チャーチルとアドルフ・ヒトラーがともに本格的な絵描きであったことは偶然ではありません。(70頁)

「日本は汚い」と革命を叫んだ人々がいた。
今も激しく日本のシステムを罵る人。
そういう方が現われる。
だが「ゼロ・オア・ナッシング」では何もできない。

 重要なのは、システムの要求に適合しながら、システムを批判的に見る。ということです。なぜこれが重要かというと、システムを修正できるのはシステムに適応している人だけだからです。(184頁)

そして発言力、影響力を身に付けながら、システムの改変を試みる人こそがエリートなのだ、という。
我々は乗った列車、走らせながらその列車を改良していくという、そういう離れワザを演じるという能力を持っていなければ。
止めて全部ぶっ壊して線路からやり直すなんて、そんなことが可能なはずがない。
それは無理。
まず発言というのは「美しく」なければ。

美しい言葉を持とう。
詩。
詩人の友だちを持つこと。
スピーチにおいて、レトリック「飾る言葉」として、メタファーとして、喩える言葉を豊かに持っている人。
そういう人たちが美意識があるんだ、と。
壊れた物を美しく直す金継ぎの言葉の技、そういうものも持っていないとダメなんだ。

 このような「メタファーの力」は、多くの優れたリーダーが残した名言にも、見て取ることができます。
 例えば、本書を執筆している2017年2月現在、米国で大きな問題となっているトランプ大統領の移民政策に対して、アップルのティム・クックCEOは、マーティン・ルーサー・キング牧師の「私たちは違う船でやってきた。しかし、いまは同じ船に乗っている」という言葉を引用して、この政策を支持しないことを明言しています。
 指摘するまでもありませんが、キング牧師は、人種政策で割れる米国を「同じ船」というメタファーで表現しているわけです。
(246頁)

これは一つカギがあって、ちょっと勉強しないとわからない。
黒人差別をする人、黒人差別をなくそうとする人たち。
黒人と白人は、違う船でやってきた。
しかし今、同じ「アメリカ」という同じ船に乗っているではないか?
ルーサー・キングが言いたかったのは「ピューリタンの移民船メイフラワー号で白人たちはやって来、私達黒人は奴隷船ブルックス号でやってきた。船は違う。だけど今乗っている船は『United States of America』という名前の船ではないか?」。
「I have a dream that one day」に続く。
やっぱりスピーチの力。
美。

(今回の本は)唐突なタイトル。
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』というタイトルなのだが「エリートになるために美しいもの、いっぱい見なきゃいけませんよ」というのはすごく納得できる。

リーダーがやれる仕事というのは徹頭徹尾「コミュニケーション」でしかない、ということになります。(249頁)

コミュニケーションのためには言葉をアートとして磨くというくらいの強さを持っていないとダメですよ、と。
この(著者の)山口さんは面白いことを言う。
「詩を口ずさむ若者になっててください」と。
だから昨日話したキング牧師の演説なんて英語で2〜3行呟けるように。

武田先生からのオススメ。
『プレバト!!』
俳句の先生(夏井いつき)の言葉に感動する時がある。
五七五のここ、ちょっと入れ替えたりなんかするだけで、ものすごいいい句になっていくという。
五七五だけで深々とものを描き伝えた詩人たちは日本にいる。
やはり俳句は「世界最短のポエム」。
だからああいうのを見て言葉を。
そういう意味で、みなさん(松尾)芭蕉と(与謝)蕪村は読みましょう。
蕪村がオススメな武田先生。
一句だけ紹介。
つまみたる夢見心地の胡蝶哉
(「うつつなきつまみごころの胡蝶哉」のことを言っているのかと思われる)
ヒラヒラヒラヒラ庭に蝶々が飛んできた。
指でパッとつまんだ。
あんまりにも羽が薄いので夢で蝶々を捕まえたよう。
人差し指と親指の腹の熱を感じて幻を捕まえたよう。
でもこれが例の老子の『胡蝶の夢』に引っかかっている。
(番組では「老子」と言っているが「荘子」らしい)

老子・荘子 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 中国の古典)



遠い遠い三千年くらい前、老子という哲学者がいて、荘周という男が夢を見る。
それは蝶々になった夢で。
夢から覚めた後、荘周はフッと思う。
「本当は蝶々が俺の夢を見てるんじゃないかな」と。
俺が蝶の夢を見たんじゃなくて。
人生はいかにも反転する。
そのことを踏まえて「夢見心地の胡蝶哉」。
深々とした奥行きを五七五の中に、という。
これはご同輩にも訴えましょう。
中期・後期高齢者の皆さま方。
やっぱり言葉というのは必要な生存術。
その中で特に若い方にわかりやすくオススメしましょう。
自分の好きな詩句、語句、言葉を持つこと。
それがAKBの歌でも構わない。

会いたかった



紅 (シングル・ロングヴァージョン)



ただ一つだけ若い方に条件を。
AKBの歌でもX JAPANNの歌詞でも構わない。
それは君の詩になりうる。
ただし一つ条件がある。
君がその言葉をつぶやき、そのつぶやきを聞いた誰かが「いいね。今の一言」という言葉じゃないと詩ではない。
誰か一人の心が動くという、それが詩であることの条件で「この詩が好き」だけじゃダメ。
「響く」ということが人の胸で試された言葉でないとダメ。
コウホウ(と言っているように聞こえたがわからなかった)はあくまでも人を介して。

この本の中で一番好きだったのは一番最後のたった一言。
これは抜群にいい。
一番最後にオスカー・ワイルドの言葉でこの本は結ばれている。
(実際には本の中では一番最後ではないのだが)
オスカー・ワイルドは詩人であり作家。
童話もある。

幸福な王子―ワイルド童話全集 (新潮文庫)



 俺たちはみんなドブの中を這っている。しかし、そこから星を見上げている奴だっているんだ。    オスカー・ワイルド(239頁)

何という美しい言葉でありましょうや。

(最終日の11月9日は今回の本のことではなくこのあたりのことについての予告的な内容なので割愛)

posted by ひと at 19:47| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: