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2019年09月25日

2019年2月11〜22日◆勘違いさせる力(後編)

これの続きです。

(番組冒頭は以前番組で取り上げた『フォッサマグナ』の件なので割愛)

フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体 (ブルーバックス)



この方(著者のむろむだ氏)が面白いことを言っている。
(以下の内容は本の中に見つけられなかった)
アナタががもしデザイナーだとします。
ひたすらFacebook、LINEで成功した一つの実体験と、デザイナーということだけを情報として流してください。
その他、アナタは何も言ってはいけません。
それが服飾か工業デザインか商業デザインか、何も話すな。
自分の仕事で喜ばれた成功例を一つ。
一つだけ。
それとデザイナーであるという話のみ。
それをいろんなところに広げていく。
「錯覚の網を投げて世間に広めるのだ。チャンスはやってくる」という。
これは妙に喋ると限定される。
与える情報は大雑把に。
そして広がらないように。
はっきり実体をさせないように。
錯覚の網が広がって人に勘違いをさせる、という。

この人(著者)のセリフの中で一番驚いたセリフ。

「成功は、運よりも、実力によって決まる」と思いこむ思考の錯覚のせいだ。(229頁)

チャレンジして成功するかどうかなんて、運次第だから、たくさんチャレンジするしかない。サイコロで当たりを出すのに一番効果的な方法は、たくさんの回数、サイコロを振ることだからだ。(92頁)

人間というのは振る回数を忘れて「あ!あの人また勝った。また勝ったよ!」と。
それが100回目か1000回目であっても、人のことをうらやましがるという。
自ら勘違いさせているんだ、という。

 フェスティンガーとカールスミスは、次のような実験を行なった。
《ステップ1》
 被験者は、1時間、つまらない作業をやらされた。
《ステップ2》
 被験者は、2つのグループに分けられた。
 被験者は実験担当者から「次に作業を行なう人に『面白い作業だった』と言ってください」と指示された。
 そして、それを言う報酬として、それぞれ次の金額が与えられた。
・【グループ1】20ドル
・【グループ2】1ドル

《ステップ3》
 被験者は、実験担当者から、作業が面白かったかどうかを尋ねられた。
 すると、1ドルをもらった被験者のほうが、20ドルをもらった被験者より、「面白かった」と答える傾向が強かったんだ。
(239〜240頁)

面白くない仕事をやって20ドル貰った人は、それは実につまらない仕事だったワケだ。
でも20ドル貰っているワケだから「まあつまらない仕事だったけど20ドル貰ったからいいや」というので、あんまり熱心じゃなく「え〜よかった〜よ〜」というようなもので。
「つまらない仕事を20ドルでやった」というのは理屈に合うこと。
整合性がある。

だから、報酬を20ドルもらった被験者の脳内は、穏やかなままだ。(241頁)

 だから報酬を1ドルしかもらえなかった被験者の脳内では葛藤が生じる。
「なんで俺は、こんな少ない報酬で、こんなつまらない仕事をしてしまったんだろう」
(242頁)

その自分が自分を叱る惨めさから逃げるためには、悪意をむき出しにして、これからやるヤツに「面白かった」と散々元気いっぱい嘘をつくことによって「俺はバカかもしんないけど、コイツもバカだ」という。
(番組では意図的に嘘を言うように説明しているが、本によると無意識に記憶を書き換えてしまった結果言っている)
こういうことを人間の心理は折れ曲がってやってしまう。
こういう話を聞くと人間と言うのは自分が惨めだと、人を惨めにさせないと気が済まない、ということで、このあたりのブラックさ。

「勘違いさせる力」
いいにつけ悪いにつけ「人間の裏の裏を読む」という、そのブラックさでは超一級の本ではないかなぁと思う武田先生。
これはもう一回繰り返しておく。
自分の売り込みになるが、武田先生もこれに近いテーマで一冊書き物をしていた。
『聞く力』のあの人(阿川佐和子)の影響。

聞く力―心をひらく35のヒント ((文春新書))



「聞く力」「見る力」
「力シリーズ」があるが。
そういうのが力だったら「誤解する力」ってあるんじゃないか?

「学歴で人を判断しない」と無闇に主張する人がいる。
しかしこの人はまず間違いなく、相当学歴で人を差別する人だ、と。
そう見てかまわない。
「東大だからと言って別に優秀じゃないんだよ!」「何が『わぁ♪東大』だよオメェ!同じ人間だよ!」という。
この人は無意識のうちに相当東大のことを意識している。
「東大入りたかった〜入れなかった〜」みたいなことをいつも思ってらっしゃるという。
「東大なんて」という人は認知的不協和音(「認知的不協和」のことを言っていると思われる)と言い、自分の心理を騙しているのだ、と。
東大。
それを否定せず「その東大をどう使うか」と考える人が、勘違いさせる力を持っている人だ、と。
東大をどう使うか。
これはもう最近テレビで最高の例がある。
あれはあの番組を企画した人が相当「勘違いさせる力」を持っている。
あるテレビ番組だが「東大生にクイズを作らせる」という。
これはもう「くすぐり」。
「東大なんて」と思っている人にも「わ!東大だ」と思う人にも、東大という名に反応した人は全てこの番組に巻き込まれていって、「東大生が作ったクイズ番組だったらやってみようか」という気にさせる。
できれば東大をバカにし、できなければ「さすが東大」と、拍手の一つもすれば東大生も喜ぶワケで。
東大生が作ったクイズというのは魅力的。
しかも女性の東大生がめちゃめちゃ可愛く「こんなに可愛くて頭が良くて感じのいい子がいるんだ。天は二物を与えるんだ〜」と思う水谷譲。
でも武田先生の不安は「最近オメェら、ノーベル賞獲ってねぇぞ!」という。
本当に関西方面に負けて、クイズを作っている場合か!
だが、東大生にクイズを作らせた人は、東大生よりも頭がいい人で。
東大は凄いのだが「東大生にクイズを作らせる頭の良さを持った人」が世の中にいるということを、まずホルダーの中に入れておきましょう。

 この実験は、模擬裁判のようなものだと思って欲しい。−中略−
 被験者は、事件の概要を聞かされた後、3つのグループに分けられ、それぞれ、次のように話を聞いた。
・グループ1:原告側の弁護士の話だけを聞いた。
・グループ2:被告側の弁護士の話だけを聞いた。
・グループ3:原告側と被告側の両方の弁護士の話を聞いた。
(264〜265頁)

注目すべきは、このABC(本の中では123)のグループに、どれ一つとして真実がない。
こういうことが人間の心理では起きる。
真実は一つじゃない。
真実はそもそも存在しない。
これは面白いことは、原告の話を聞いたAグループはBグループの悪口だけを言い続ける。
被告側の話だけ聞いたのは原告の話を聞いたAグループのことを罵倒する。
両方から話を聞いた人は断定できなくなる。
だから真実が消えてしまう。
本当のことを言ってしまうと、皆、心理の深いところでは葛藤の少ない一貫した、偏った物語の方が正しいと判断しやすい。
これはつまり「正しい判断」というのは「説得力」でなく、ズバリ「面白くなる話」。
これはドキッとする。
今、いっぱいある。
大きな自動車会社さんとか、そういうのがいっぱいある。
どれが真実かわからない、という。
みなさん方が世界全体を見る時に、真実とか正義とか「一つの基準で物事を見る」ということは、アナタの中で相当な誤解が巻き起こされていると思った方がいい。
そういう自分にしないためにどうするか?

この人の本は話が素直に落ちないところがいい。
この人が「人に勘違いさせろ」と「自分で勘違いするな」という。
そういうことをおっしゃる。
「勘違いしちゃダメなんだよ」
その言い方の中でこういうことをおっしゃっている。
この人はこういう人なのだろう。
自分が勘違いしないために生きるために「何が大事か」というとニュースショーなんかで外交とか事件とか、芸能スキャンダルが取り上げられる。
あの手の番組はやっぱり人に渡しやすくニュースを包装紙に包んでいるワケだから、パッケージしているワケだから。
いかな悲劇であろうとニュースが「商品」。
それはテレビ局が作ったニュース番組というところの商品なのだが、その時に必ずわかりやすいストーリーにしてあるんだ、と。
そう疑え、と。
「本当かいな?」と必ず考えろ、と。
悲劇の主人公あるいはやり玉に挙がった悪のヒール等々。
「話は逆で」とか。
「逆なんじゃねぇか?」という。
そんなふうにして考えると、君の錯覚資産が貯まる。
錯覚に対して君は強くなれるんだ、という。
「そんなふうに世の中見た方が、君自身得だぜ」という。
「お願いだからまんま引き受けるなよ」という。

実践編でこんなことを言っている。
まず、出合った人で有能な人か無能な人かを見分けてしまえ、と。
でもとりあえずこの人は有能な部類、この人は無能な部類。
そういう二つの態度を持っておきなさい、と。
一つ「よどみなく話す人。これを疑うこと」
(このあたりの話は本の中には発見できず)
よどみのない人はほとんど何も考えず喋っている可能性が高い。
だいたいよどみなく喋れるというのは自分で考えていないから。
武田先生なんていうのはほとんど本当にそれの自転車操業みたいな男。
人から借りた言葉を人に話したがる人。
こういう人はおそらく無能な人なんだ、と。
煮え切らず言葉につまる人で、足を止めて考えてしまっている人。
こういう人は実は有能な人なんだ。
考えるから時間が必要。
だからテレビのコメンテーターは皆、ふられたら何か言う。
武田先生もその一人。
武田先生もだいたい受け売り。

難しい問題が出てくると必ず、人間にはギクシャクした思考の面が現れる。
例えば、これは不適当な例かも知れないが、あえて言ってしまう。
「原子力発電のメリット、デメリットを語りなさい」「風力、太陽光発電のメリット、デメリットを話しなさい」「トランプか習近平か。日本にとってはどっちの人物がメリットかデメリット。これを語りなさい」というふうに話を持っていく。
メリットの大きさをわりと大声で言って、デメリットを少なく語る人。
この人を無能な人だとはじきなさい。
(このあたりの説明は本の内容とはかなりズレていると思う)

 心理学者のポール・スロビックのチームは、次のような実験を行なった。
 まず、被験者に、次のような技術について、「個人的好き嫌い」を答えてもらった。
・水道水へのフッ素添加
・化学プラント
・食品防腐剤
・自動車

 次に、それぞれのメリットとリスクを書き出してもらった。
(282頁)

このメリット、デメリットは個人の好き嫌いによって無意識に変化し、辻褄を合わせるために「トレードオフ」作り変えられるそうで。

 自分が個人的に嫌いなものは、常に邪悪だし、間違っているし、ろくなメリットがなく、リスクが高いのだ。(293頁)

 このような人間の判断方法を「感情ヒューリスティック」と呼ぶ。(294頁)

難しい問いには簡単に、かつ高速で答え、それもほとんど気分で決定している。
こういう人がいる。
訊くとポンポン答えていって。
「錯覚資産」「換金可能だ」と。
「お金になるんだ」とこの著者は言ってる。

誤解させる力を使って世の中の不条理と戦っていこうと思う。
脳には過剰性が引き起こす三つの認知的バイアス、圧力がかかる。
事態をゆがめて見るという「誤解する」という過剰性という力がある。

 次の3つの脳の過剰性が引き起こしていると考える考えると理解しやすい。
・【一貫性】…過剰に一貫性を求める。
・【原因】…過剰に原因を求める。
・【結論】…過剰に結論を急ぐ。
(309頁)

過剰さゆえに一度だけ成功し、そのハロー効果、後光効果でその後、その座に君臨し続ける方。
思い当たる。
そっちの方がわかりやすいから、あえて名前を挙げてしまう。
「この人たちはパワハラ、セクハラ」と言っているのではない。
だが、そんなふうにして物議を醸した人たちなので、お名前を挙げさせていただく。
これがいずれも過去にものすごく偉大な成績を残した方。
日大・内田先生、体操・塚原さん、ボクシング・山根さん、女子レスリング・栄さん。
こういう方々がパワハラで凄まじい勢いで糾弾されたのだが、この方々が何故に共通点があるかというと「過去、すごい成功体験をお持ち」という。
それからその地位にあり続ける。
具志堅用高さんの反対。
あの人は相当ベルトを持っている。
それでタレントとしても成功なさっている。
アナタがもし、日大の内田さん、体操の塚原さん、ボクシングの山根さん、女子レスリングの栄さん。
そういう方々に何かを教わる、あるいは会社でこの方々を上司に迎えた時、どうするか?
著者は社会問題にしなくても、この人たちを正しく指導できる力があったんじゃないか?
これは武田先生が考えたこと。
もしこの方々がコーチとして、あるいは監督として、あるいは上司として水谷譲の上に君臨した場合、世間に発信していく。
アナタはTBSのラジオ局の裏口か何かに潜んで、向こうの女子アナに後ろからタックルする。
そうやって潰す。
それは内田さんから教えて頂いた方法で。
次の週から口を痛め、歯を痛めた女子アナライバルがいなくなった。
「やった!」と「みんな先生のおかげです」と。
それから伸びてきそうな女子アナがこの局内にいたら給湯室か何かで呼び出す。
それでアコーディオンカーテンをバァン!と閉めて、お茶碗か何かでこうやって体をつついたりなんかして。
山根さんとか栄さんとか。
それぞれの指導方法で印象に残ることを体現し「その人たちがあった故に」と発信していく。
CMのようにその人たちから教えてもらったことを何度も繰り返す。
とにかくアナタの手持ちの発信方法で。
今はもう書き込めば世界中に広がるワケだから。
そうやって更に広げていく。
フォロワー数が増えたところでアナタは環境を変えて、彼らから命じられていないことで実力を蓄え、彼らを置き去りにする。
つまりアナタ自身がそのことによって成功すること。
そして彼らを置き去りにすること。
これは面白い。
「TBSの女子アナにタックルするのはできない」という水谷譲。
それで自分のブログ等々で「成功した」とか。
そういうことを威張る。
この方法はいい。
この誤解に関しては悲鳴は上げない、絶賛する。
そこから始めたらどうでしょう?

そして認知バイアス、知的近眼の方々に対しては、実は怯える言葉が二つある。
「アナタの指導は役に立たない」
これが一つ。
もう一つ。
「アナタがやって見せてください」
この二つでその方々のパワハラ、セクハラ度を試す、という。
やっぱり「役に立たない」と言われると、彼らはたじろぐだろうし。
「そんなことはない!」と言ったら「やって見せてください」と言う。
この言葉をいつも用意しておくことではないかなぁというふうに思う武田先生。
内田さんとか塚原さんの話が出てきたところは、この本を読んで武田先生が会得したパワハラ、セクハラに関する対抗策。
人間は物事を歪んでみるという事に関しては著者だが、それを応用する方法は武田先生が考えた。
あまりピタッとこないところが、かなり無理があったと思う。
武田先生も必死になって生きているから。

この「勘違いさせる力」を読みながら、あるいは漫画が多いので見ながら、思ったのだが「勘違いさせる力」ではなくて、人間というのはもともと「勘違いしたがる生き物」なのではないか?
勘違いというのは啓発されるべき力ではなくて、人間の本能に即した力なのではないか?と。
そういう意味で、お聞きのみなさん、武田鉄矢がこの「勘違いさせる」をさらに発展、進化させた形で「誤解する力」を書きあげるので待っていてください。

最後に著者を褒めておかなければいけない。
著者は錯覚資産を図形の体積で証明し、指数関数的に証明していく。
図がものすごく多い。
著者が一番最後のページで宣言していることこそが、なかなかたくましい。
勘違いさせる力を説いた本だから、この本は勘違いでベストセラーにならないといけない。
それはもうこのご本人が言っている。
「私は読者を勘違いさせるためにすべての努力をした」と。
「ですから後はベストセラーになることだけを楽しみに待っている」という。
その宣言でこの本は終わる。
(という記述は見当たらず)
なるよう祈っています。
それで「お手伝いしたいな」と思った。
だいたい同じ趣向だから。

この著者の言っていることの中でギクッとした。
今、日本のニュース報道でしきりに言われている「世界を動かす大国」とか「強国」とか「米中」とかと。
それをこのふろむださんが「本当に実力あんのか?」と言っている。
(という記述も見当たらず)
これも、日本という国に強国、大国と誤解させる力があるから「彼らは大国ぶってるんじゃないか?」という。
彼らは実は錯覚資産で自分たちは世界の中心にいて、世界を回しているという説を勝手に作っているのではないか?と。
我々は気づこう、と。
二十一世紀の日本はガリレオでありたい、と。
「大地は動いている」と地面を叩こう、という。
そういう締めくくりの心意気をすごく買った武田先生。
ふろむださん、ベストセラーになることを心より祈っております。

武田先生も宣言をしておくが「私はあなたのフォロワーです」。
今の流行りの言葉で言うと。
しかし一個だけふろむださんに訊きたかったことは「一発目の成功をどうするか」は何一つ書いていない。
「一発目の成功は大事だ」と言うが「一発目の成功をどうするか」という、それがあってからの話。

世田谷に住んでいる武田先生。
世田谷を朝、散歩していたら、ある神社の前でタヌキとバッタリ会った。
野生のタヌキ。
武田先生は驚いた。
百○十万人が住んでいる街で、タヌキが早朝の街の横断歩道を歩いている。
それで目が合って。
面白いことだったので日記に書こうと思って、例のスマートフォンで「今朝タヌキに会った」と書いた。
そうしたら出てきた英文が「This morning I met a cunning person.」と出た。
「ずるがしこいヤツ」
考えてみたらタヌキは日本では多義で。
誤解する。
それはそのSiri君という武田先生の英語機能も勘違いしていて。
「タヌキ」と書いたものだからアニマルではなくて「ずるがしこいヤツ」。
でもタヌキという言葉を今度はうどん屋さんで使うと麺類になる。
日本史を語っている時にタヌキと言えば徳川家康になるという。
タヌキだって四つぐらいの意味がある。
何でこんなに日本語はややこしいのか?
それから英語を教えてもらっていた英国娘から言われたのだが、日本語は一つの言葉が多義すぎ、意味が多すぎて。
それもあべこべの意味がある。
結婚した二人は「おめでとう」。
待望の赤ちゃんが産まれると「わぁ、おめでた」で。
それで何十年か銀婚式・金婚式で「おめでとう」があるのだが、バカな夫婦の場合は「おめでたいヤツらだ」と、こうなるワケで。
日本語で、この言葉づかいは一体なんだろう?と。
それは「誤解するため」ではないか?
つまりよく話し込まないとどっちの意味かわからない言葉をあえて使うことによってコミュニケーションに時間や手間をかけようという意図が「一語多義」、あるいは「あべこべ言葉」を国語の中に持っている、という。
「いい加減」だっていい方の「いい加減」も悪い方の「いい加減」も日本は話し込むことによってどっちかにジャッジしていく、という。
「誤解する」ということが実は日本語の中ではとっても大事な言語のセンスではなかろうか?と。
誤解というのは日本人の暮らしを、いや、人類の暮らしをうまく回していく力なのではないだろうか?と。

posted by ひと at 20:02| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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