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2020年01月11日

2019年6月3〜14日◆街場の天皇論(前編)

(今回も本の内容とかみ合わない感じの部分もある)

武田先生が尊敬している思想家で合気道家の内田樹先生の本。

街場の天皇論



これは「街場」シリーズ。

増補版 街場の中国論



街場の教育論



その中でこの内田先生がフランス哲学構造主義の頭で「天皇」というものを考えてみよう、という。
これはだいぶ前に用意していたが、ずっと寝かしていた。
一つは平成の世の中において、上皇様自らが「退位をしたい」ということをおっしゃって「時代」が変わった。
もう今日(番組収録時点)で一か月だが。
そういう出来事が起こったものだから、これは「ちょっと事が落ち着いてから取り上げた方がいいのかなぁ?」と思って寝かしていた。

天皇を語るというのは大変。
緊張する。
「天皇」という一語に触ると、もの凄くたくさんの言葉を用意しないと、語ることなどできない、という。
これは内田先生もそう覚悟してらっしゃるのだろう。
ただし、内田氏は武道で鍛えた思索家、思想家だけあって実に腰の据わった天皇論が語られている。
これで天皇というものを考えていただくと、令和の世の中にも役に立つのではなかろうかと思う。
本自体は240ページほどの本で、内田師範が「象徴天皇とは一体何なのか?」という。
自ら語り出す。
内田先生も言葉を尽くして語ってらっしゃるのだが、この方も思想家なので敵対する思想を持つ人に関しては実に過激な発言が。
それをラジオ(この番組)で喋ろうか喋るまいか。
「喋らないと(内田)先生に怒られちゃうんじゃないか?」とかといろいろ思っていた。
そういう思いで途中でくたびれてしまった。
天皇の持っている「影の力」と言うか。
例えば職能芸人とかと深く結ばれておられる。
流浪の芸人さんたちの集団が室町期にものすごく強く結ばれていたとか。
天皇とある村の人々が強く結ばれているとか。
古代がかったものがどんどん出てくる。
八瀬童子(番組では「はせのどうじ」と言っているが「やせどうじ」「はせどうじ」などと読むようだ)。
(天皇が)お亡くなりになられた時に籠を担ぐということで、そのことを職能とする、自分たちの特権となさって天皇家に仕える人たちがいる。
みんなそれは天皇家に仕える人の職能、仕事。
みんな技を持ってかつて天皇家に仕えた、という。

三島由紀夫の死はショックだった。
武田先生が二十歳の頃。
異様な事件。
ノーベル文学賞を貰うかも知れないという人が、自衛隊の基地に突入していって「一緒に革命を起そう」と言って割腹自殺。

三島由紀夫が佐世保闘争の1年後に、全共闘の学生たちに向かって、「天皇という言葉を一言彼等が言えば、私は喜んで一緒にとじこもったであろうし、喜んで一緒にやったと思う」と言ったのは決して唐突なことではなかったのである。(238頁)

そこまで発言した三島由紀夫の言葉に、内田師範も囚われながら天皇というものを考えてらっしゃる。
『街場の天皇論』というのはもちろんみなさんにぜひ読んでいただきたいのだが、なかなか説明しにくい。
そこで武田先生は逆さまから読んだ。
頭から読んでいくと政治論が出てくるので。
武田先生は弱いので、反対に「あとがき」(「あとがきにかえて」ということで書かれている「『日本的情況を見くびらない』ということ」)から読んだ。
なんとなくケツから読むと武田先生でもわかりやすかった。
その「あとがき」で内田師範はこんな言葉をつぶやいてらっしゃる。
武田鉄矢がズキリとした一語。
「日本的情況を見くびらない方がいい」
「日本的情況」とは何か?
天皇。
「『天皇』というものをあんまり軽く考えないほうがいいよ。実は『天皇』という二文字の中に重大なものが込められているんだ」という。
その一言を謎の一言にしてずっと逆から読みあがっていった。
その「日本的情況」というのを考えてみたい。

自分の胸に手を当てて考えてみると、武田先生たち戦後世代、日本が戦争に負けて育った団塊の世代というものは、天皇という「日本的情況」をはっきり言ってかなり見くびっている。
武田先生もそれを認める。
内田さんが実に鋭いところを突いてきている。
こんなことがあった。
天皇皇后両陛下のお側近くにいるという立場を利用して。
宴で春秋おやりになる(園遊会)。
あれの時に手紙を渡そうとした人がいた。
山本太郎氏、天皇陛下に直訴 園遊会で手紙を手渡し 請願法違反の可能性も | ハフポスト
それから天皇と会話をする時に天皇の好みを訊いたり。
「お好きですか?」とか訊いて。
それから「ぜひよければ中国に行ってあげてください」とか注文をつけている。
それからご褒美で勲章をいただいたのだが、それをコンサートで歌っている最中、お客さんに見せびらかすという。
サザン桑田が「紫綬褒章」パフォーマンスを謝罪 |東スポWeb
そういうこともあった。
はっきり言って武田先生たちの世代、団塊の世代のこの前後は天皇を近しく感じることが民主主義だと思っている。
人として天皇と会話ができると思っている。

これで思い出したこと。
武田先生には三人の姉がいて、一番下の姉というのは卓球が上手だった。
ダブルスの国体で優勝するほどの腕前だった。
彼女は国体に出る度に貴賓席に座っておられる天皇皇后両陛下に対して、家に帰ってくると「ああ、今回も『天ちゃん』ば見てきた〜」。
そんなことを言っている。

 私が記憶する限り、戦後間もない時期が最も天皇制に対する関心は低かったと思います。−中略−冷笑的に「天ちゃん」と呼ぶ人もいた。−中略−東京育ちの私の周囲には、天皇に対する素朴な崇敬の念を口にする人はほとんどいませんでした。(26頁)

それはいい。
「そういう呼び方は失礼じゃないか」と言わないから。
こういう天皇皇后両陛下の立場にある方に対する出会い。
例えばどこかの駅でお降りになると大声で名前を呼んだり叫んだりという。
そういうことに対して内田氏が「しまった!」という思いを込めておられる。
自分たちが大学生の頃「君たちが一言、天皇のためにと言えば、私達は君たちと共闘しよう」と言った三島の言葉に対して。
三島はわかっていた。
俺たちはわからなかった。
理解していなかった。
その三島の残した謎の言葉から天皇制というものが日本人にとって「感性」。
そして天皇というのは「霊性」も持っているんだ。
「霊性」というのはスピリチュアルということ。
つまり天皇というのは日本人の霊性を宿しているんだ。
内田氏は用心深い方なので本を読むときちんと自分のことをおっしゃる。

これらを一読して私を「還暦を過ぎたあたりで急に復古的になる、よくあるタイプの伝統主義者」だと見なして、本を投げ捨てる人もいるかも知れない。たぶん、いると思う。こういう本を編めば、そういうリスクを伴うことはよく承知している。(244頁)

なぜならこの天皇制という民族的資料はその参考になるものがどこにもない。
内田氏が何をおっしゃっているかと言うと、天皇という存在を持っている国が世界にない。
日本だけ。
だから日本人は宿命として考えざるを得ない。
先例がない。
いや、イギリスにあるじゃないか?
皆さん、歴史が違いすぎます。
イギリスは確か、フランスから渡ってきた一族のうちだった王国がイギリスという国になる。
日本の天皇というロイヤルファミリーは神話からやってきた。
神話と言えばギリシャにゼウスの末裔の方がいるというような。
ギリシャは、ゼウスの末裔の方とかいらっしゃらない。
だから(日本の皇室は)神話の彼方からやってきたファミリー。
いつも「イギリスのロイヤルファミリーみたいに日本ももっと親しくなればいいのにな〜」と思っていた水谷譲。
それは無理。
その分のことを自覚しておられるのは天皇家の皆様だけ。
日本の天皇は違う。
彼ら一族は神話の闇の彼方からやってきた。
その淵源、源を知ることはできない。
その126代目の天皇は今、東京都に住んでおられる。
その不思議さの中に天皇制の深さがある。

日本の天皇はイギリスともタイともオランダとも違う。
何が違うか?
彼らは歴史的事実の中からロイヤルファミリーを立ちおこしてきた。
日本は違うんだ。
神話から来ているんだ、と。
そう言われてみると日本の天皇というのは神話の闇の彼方からやってきた。
神武から始まったワケだから。
ウガヤフキアエズ(鸕鶿草葺不合尊)とか、海彦山彦。
何か「民話」。
「日本昔ばなし」の中からやってきた人が今、末裔として東京都に住んでおられる。

この方は姓をお持ちにならない。
姓は日本では古舘(伊知郎)さんも番組をやってらっしゃるが。
ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ! - NHK
この間、エレベーターの中で会ったが。
姓を辿っていけば、どこの地方に生まれ、どんな仕事をやっていたかというのが姓でわかるようになっている。
そんなふうにして系譜を辿れるが、天皇は違う。
天皇はただ一人の人だから「名」しか持たない、という。
そういう存在。
例えば中国では世の移り変わりを姓で呼ぶ。
あれは「姓」。
「殷」「周」「秦」「漢」「元」「明」「清」
その国名、時代名はその時代を呼び寄せた人の姓。
支配者が変わると時代の姓が変わる、名が変わる。
その移り変わりのことを「易姓革命」と言う。
それが中国。
今は中国は中華人民共和国だが、中国の歴史に沿って語ると、今は「習」の時代。
「殷」「周」「漢」「元」「明」「秦」・・・いろいろあって「習」という時代。
習金平という人が今、中国という家に住んでいる。
この人の力がなくなって倒れれば別の人の姓になるという。
日本は違う。
日本は平成から令和の世に変わっても天皇の座は渡っていく。
こんな国は世界のどこを探しても無い。
私達にとっては参考にする国がない以上、日本的情況というのを宿命として考えなければならない。
日本人は絶えず天皇と自分というものを考えるというポジションにあるんだ、と。
アメリカには民主主義がある。
フランスには共和制。
中国は共産主義。
ロシアは連邦大統領独裁制。
イギリスは立憲君主制。
日本はそのどれも採用しなかった。
むろん「立憲」。
しかしその立憲民主を担保しているのは「天皇」。
これは内田氏が鋭いところを突いてきている。
日本国憲法。
安倍さんが変えたくて今、うずうずしてらっしゃるが、これは戦勝国アメリカの指導の下「日本国民がこの憲法を作った」ということでスタートしたのだが。
何をおっしゃる。

 憲法前文が起草された時点で、憲法の制定主体となりうるような「日本国民」は存在しなかった。いなくて当然である。憲法施行の前日まで全日本人は「大日本帝国臣民」だったからである。憲法を確定するほどの政治的実力を有した「日本国民」なるものは、権利上も事実上も、憲法施行時点では日本のどこにも存在しなかった。(113頁)

マッカーサーと戦後日本を民主国家へ歩ませるという方角に一番最初に一歩目を踏み出した人がいる。
その方は誰か?
昭和天皇。
昭和天皇が「この憲法を守る」と誓ったところから日本国憲法が発動した。
多分聞いてらっしゃらないと思うが一応呼びかけだけ。
「ね?そうですよね麻生さん」
麻生太郎という方がいらしゃるが、お祖父さまがその前後を担当した吉田茂という方。
この方は書面で己のポジションを記す時、「臣 吉田茂」と書いた。
「天皇の家来の吉田茂」と書いた。
当時の決まりではなく彼自らが自発的に。
つまり戦後民主主義をスタートさせたといわれている吉田茂という宰相は、「天皇の従者である」ということを生涯の名乗りとした。
つまり天皇の臣が戦後憲法を作ることに参加し、その天皇がこの憲法を私が守ると誓ったところから平和憲法は成立した。
我ら戦後世代は我らが憲法を考え、我らが占領軍と交渉し、この憲法を作ったと教えられ続けた。
しかし違う。
この憲法を認めて了承した第一人者は実は昭和天皇だった。
そう考えてみると天皇の存在は実に重大。

進駐軍が戦後やってきて敗戦国日本。
その日本に対して平和憲法にした。
その平和憲法は「国民がこの憲法を作ったんだ」ということを宣言したが、「天皇がその憲法を認めた」ということによって日本国民になれた。
理屈っぽいかも知れないが、この理屈は大事。
戦後日本の戦闘に立ち、歩き始めたのは他ならぬ124代裕仁天皇であった、と内田氏はこう指摘する。
戦後の平和憲法の日本というのは、まず天皇によってはじめられた。
この事実から日本人は逃げてはいけない。

では天皇制とは一体何か?
わかりやすく内田氏は「天皇制とは古代です」と言っている。
古代。
全部公表されていないが、月のうち半分ぐらいはお祈りをされている。
天皇家独自の真っ暗い闇の中で祈りごとをしたり、田植が始まる時は農耕を始めるので、天皇自らが田んぼに籾殻を蒔いたり。
刈り入れをやってちゃんと先祖伝来、自分の先祖に向かってお米をあげたりという、そういうことをなさっている。
だから忙しい。
そういう「宗教行事としての天皇」というのをやってらっしゃる。
それは古代から儀式。
古代である天皇制と欧州型の立憲民主制が、とりあえず齟齬なく、何とか噛みあって、古代と近代、その混ぜたもので国を成立させている国。
そういう国は世界のどこにも無い。
日本だけ。
その矛盾みたいなものを我々はよく自分たちて噛みしめていないので、天皇というと向こうが親しくしてこられるので、こっちも親しくしていいと思っている。
もちろん親しくしていいでしょう。
しかしその親しさの中にプライベートで手紙をこっそり宴の途中で渡そうとしたり、いただいた勲章を人の前で見せびらかしたり。
後に問題になったことだが、天皇から声をかけられた瞬間に「○○の国、私大好きなんですが、ぜひ行ってくださいよ」なんて注文をつけた。
また問題にこれもなった。

 2013年に開催された政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」で、天皇と皇后が退席されようとした際に、安倍首相をはじめとする国会議員たちが突然、予定になかった「天皇陛下万歳!」を三唱し(41頁)

それは余計なこと。
粗相。
そういう「個人的な讃辞を送ります」ということは言ってはいけない。
なぜならば天皇はそれに答えてはならないと憲法に書いてある。
天皇には聞いてはいけない。
向こうが聞くから答える。
憲法にそう書いてある。
そのことを昭和天皇が守るとおっしゃったから戦後民主主義はスタートした。
最初の言葉に戻るが「日本的情況を舐めてはいけない」と。
平和憲法成立時の天皇の働きがあったればこそ、日本国民は誕生した。
勝者としてやってきたマッカーサーの横に立ち、人間宣言をしてくれた。
そして内田氏は言う。
人間宣言をした天皇として歩み始めたのだが、天皇がやれることは「鎮魂」と「慰藉」。
亡くなった方の魂を鎮めることと、傷ついてらっしゃる方を慰め、いたわること。

 憲法第7条には、天皇の国事行為として、法律などの公布、国会の召集、大臣や大使などの認証、外国大使や公使の接受などが列挙されており、最後に「儀式を行ふこと」とあります。(15頁)

憲法7条を守ることで「象徴」というポジションに天皇自らが就かれた。
だから日本憲法は成立した。
内田氏は言う。
慰めといたわりの声をかけられるが、国民から声をかけられても返事してはいけないというのが日本憲法の第7条。

『昭和天皇物語』という劇画があった。

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そういうシーンが出てくる。
昭和天皇が進駐軍に会って命令される。
「民主主義を勉強してもらいます」と日本語のわかる米軍人から言われる。
その時に漫画の中で、天皇が小っちゃい声で「民主主義は知っておる」とつぶやく。
それはそうだ。
明治憲法に書いてあった。
五箇条の御誓文。
「上下議政局ヲ設ケ」
(「上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フべシ」のことか?)
これからは合議で語り合いによって国を運営していく、と。
明治憲法にもう合議制というか、立憲。
それをアメリカ軍人から偉そうに「民主主義を」と。
知っていた。
「それがかなわなかったから今度の大戦に引っ張り込まれたんだ」という無念みたいなものを天皇が語る一言がすごくよくて。

五箇条の御誓文は坂本龍馬が作った。
船中八策。
坂本龍馬が日本を近代国家にするために8つ策を考えた。
その中にある。
「上下議政局ヲ設ケ」
公議に、国の方針は公の議論によって決定すべき。
坂本龍馬は偉い。

その小さなつぶやきがジーンときた武田先生。
とにかく日本は大戦でコテンパンにアメリカに負けた。
これほどみっともない負け方はないぐらい。
原爆を二発落とされた。
死者300万人。
その無念の中で天皇は自ら人間宣言をする。
そして日本国民の存在を認め「私がその日本国民の象徴となりましょう」と。
彼のポジションは憲法7条を守ることで象徴的行為とされたワケだが、その象徴的行為の中に、彼自身が慰めの声をかけたりすることはいいけれども、国民から声をかけられたら返事をしてはいけない。
だから日本国民が、もし天皇に対してそういう思いがあるんだったら、悪口を言いたかったら言っていい。
でもアンフェアなのは天皇は言い返せない。
それはアンフェア。
つまり日本国憲法というのはある意味で、天皇一人にとっては実は民主的ではない。
「民主的ではない」というポジションを天皇は受け入れることによって平和憲法は成立した。
まるで自分で考えているみたいに言っているが。
このへんの内田氏の指摘は深い。

日本の歴史の中で天皇を最高権力者にして得をしたいとたくらむ人がいた。
大正、昭和を経るうちに陸軍の暴走というのが、天皇を巧みに利用することで日本国を大戦に引っ張り込んでしまったというのが実情。

日本の歴史で天皇を政治利用しようとした人々のふるまい方はつねに同じです。天皇を担いで、自分の敵勢力を「朝敵」と名指して倒してきた。倒幕運動のとき、天皇は「玉」と呼ばれていました。
 二・二六事件の青年将校たちは天皇の軍を許可なく動かし、天皇が任命した重臣たちを殺害することに何のためらいも感じませんでした。そのひとり磯部浅一は獄中にあって、自分たちの行動を批判した昭和天皇に対する怒りと憎しみを隠しませんでした。磯部は「天皇陛下 何と云ふ御失政でありますか 何と云ふザマです、皇祖皇宗に御あやまりなされませ」という「叱責」の言さえ書き残しています。
(42頁)

つまり「天皇陛下のため」と言いつつ彼らは言うことを聞かなければ本当に天皇自らがおっしゃっているのだが、「その生命も」というようなところまでいっている。
彼らは完璧に維新史を勘違いしている。
薩長というものが天皇という錦旗の御旗を手に入れて、それを振りかざし、佐幕藩の会津を先頭にして東北をさんざ痛めつけた。
だから天皇に巻きつき「天皇さえ利用すれば日本を動かせる力が俺たちに手に入る」と思ったのが昭和の軍人。
お気を付けあそばせ。

posted by ひと at 10:41| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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