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2020年01月11日

2019年6月3〜14日◆街場の天皇論(後編)

これの続きです。

天皇論を語っている。
日本国の天皇という存在が非常に世界の歴史の中でも独特の形態。
しかも日本国の天皇は神話の彼方からやってきたという、もの凄い長い歴史を持っている天皇家、ファミリー。
その天皇だが、戦中戦前の陸海軍のてっぺんに立っているという権力者であった。
そして敗戦。
天皇は自ら人間宣言をした。
それで戦後の民主主義はスタートした。
この本の著者である内田樹氏。
日本国憲法を認めたのは裕仁天皇である。
この人から民主主義が始まったんだ。
その順逆を忘れてはいけない。
日本国民がいて、天皇を象徴にしたのではない、と。
天皇自らが象徴になるということを認め、日本国民を作り上げたのだ。

天皇はいたわり、慰めの声はかけられるが、国民から声をかけられても返事をしてはいけないという立場が憲法7条である。
ある意味で天皇にとって、この日本国憲法は民主的ではない。
彼には発言を認めないという。
それが平和憲法なのだ、ということ。
とてもショックなのは、内田さんがおっしゃっている。
昭和の軍人さんたちが日本の中枢、政権を乗っ取るために天皇を利用したという。

自分たちの行動を批判した昭和天皇に対する怒りと憎しみを隠しませんでした。磯部は「天皇陛下 何と云ふ御失政でありますか 何と云ふザマです、皇祖皇宗に御あやまりなされませ」という「叱責」の言さえ書き残しています。(42頁)

天皇は権力者にとっての「玉」に過ぎない、統治のために利用する「神輿」でいいと、そう思っている。−中略−彼等はただ国民の感情的なエネルギーを動員するための政治的「ツール」として天皇制をどう利用するかしか考えていない。(24頁)

これはドキッとするが、内田さんはこうおっしゃっている。
昭和の陸海軍のエリートコースの軍人たちは明治維新の時の薩長をまねて昭和維新を名乗った。
この昭和維新というのは300万人以上の死者を出し、帝国陸海軍はセンシン(と言ったように聞こえたが、何を言っているかは不明)の大敗北。
みっともないぐらいの敗北を喫し、原爆を二つも落とされ東京裁判にかけられて。
A級戦犯の者は28人死罪になっている。
東条英機、板垣征四郎。それから陸軍指導者であった石原莞爾。
この人たちは軍人たちの軍閥内の権力抗争が明治からの国家を灰にした、と内田氏はおっしゃっている。

戦後、昭和天皇は心のうちを語る方ではない。
問いかけても「ああ、そう。ああ、そう」と返事をなさったという方で。
象徴の務めを模索なさった方。
昭和天皇は巡幸を繰り返し、各地で働く人々を励まし続けられた。
それが彼なりの戦争の責任の取り方だったのだろう。
そして懸命に戦争で死んだ方の鎮魂をなさっておったのであろうと。
園遊会に功労者やスポーツ功績者、芸能人が招かれるよう、これは裕仁天皇自らがお声をおかけになったという。
そういうことで武田先生たち芸人も園遊会に招かれるということが多くなった。
多くの人たちが余りにも天皇が側に来られるので、国民主権という考え方を取り間違え、誤解し、まるで我々が天皇を人間の位置に戻してあげたというような、主権の座の取り間違いが生じている。
それが数々の天皇に対する粗相になっているのではないだろうか、と内田氏がおっしゃっている。
だから決して非難しているワケではない。
上皇が側におられるのに手紙を渡そうとした国会議員の方がいらっしゃった。
もらった勲章をコンサートでお客さんに見せたという方もいらっしゃった。
それから上皇に向かって「今度はぜひあの国に行ってください」と注文を付けた方もいらっしゃった。
またこれはもう報道で流れたので名前を出すが、安倍総理。

 2013年に開催された政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」で、天皇と皇后が退席されようとした際に、安倍首相をはじめとする国会議員たちが突然、予定になかった「天皇陛下万歳!」を三唱し(41頁)

これはやってはいけない。
粗相。
なぜならば天皇はそのことに反応してはいけないということが決まっている。
私達が平気で憲法を破り、天皇のみが懸命に7条の中に座っておられる、という。
その粗相は勘違いから出たこと。
誰でもがあることだと思う。
私達も昭和天皇に対しては気やすく「天ちゃん」と呼んだり、そんなことだった。
でも戦後は昭和天皇の「憲法を受け入れる」という受諾から戦後日本がスタートした、と。
そのことを絶対に私達は忘れてはならない、という。
これは内田先生の熱き思い。

武田先生は昭和という時代に生まれた。
昭和34年のこと。
武田先生は小学校4年生、10歳だった。
1959年、博多の町はずれの貧しい家。
タバコ屋だった武田先生の家。
なんでこんなにクッキリ思い出せるのか?
鉄工所から帰ってきた父親が丸いちゃぶ台を前にして座り込み、焼酎を飲みながらとんでもないことを口走った。
「テレビば買うぞ」
父親がとんでもない高い商品を買うと言い出した。
テレビなんていうのは遠い夢のこと。
「母がまた、吠えるように泣きながら反対するなぁ」と武田先生も覚悟した。
内職の針縫い仕事をやっていた母は、一瞬針は止めたものの、そのまま黙々と針を動かしていた。
テレビは我が家にとって縁のない「未来」。
それがやってくるという。
おそらくもの凄い負担だっただろうと思う。
6万円ぐらいだった。
父の給料が(当時)1万円。
どんでもなく遠かった。
テレビを買うということは負担を背負うこと。
旋盤工であった父はどうしてもテレビを買う、と。
なぜか?
それは皇太子殿下と美智子様がご結婚なさる。
その中継をテレビで見るんだ、と。
それぐらい皇太子様と美智子様のご成婚というのは、本当に大きな出来事だった。
武田先生は本当に忘れない。
父はご成婚パレードをテレビで見ることを夢見ている。
我が家についにテレビがやってきた。
テレビを点けると白黒の画面に「カラー」と書いてあるのだが。
白黒テレビが4〜5万(円)で買えたのだが、カラーテレビはその当時「×10」だった。
50万円ぐらい。
だから白黒で武田先生は幸せだった。
やっぱり父親は自慢だったのだろう。
テレビが来てからはまっすぐ工場から帰ってくるようになった。
テレビを点けるとご成婚のニュースが次々と流れる。
その白黒の画面の中に「正田家をお出になる美智子様」というカットがあった。
ご家族、品のいい方がズラーッと石塀のところに並ばれて、美智子様が肩をショールか何かで覆われて出てこられるのだが、武田先生はまだ忘れない。
「世の中にこんな綺麗な人が遠い街にいるのか!」
あの美しさは忘れない。
その時に小学校4年生の武田先生に焼酎を飲みながら父親がつぶやいた言葉。
「鉄矢、見て見ろ美智子様をば!こん人は日本で一番偉か人ぞ。豊臣秀吉がなんか?あ〜天下取ったところで所詮、太閤たい。一般庶民から出て美智子様は今度、皇后になられるとぞ」
父は天皇を神と信じていた。
そのことは決して口外しなかったが、彼は軍人勅諭と歴代天皇を諳んじている、全て言えるということが得意の人だった。
帝国陸軍で二等兵で終わった父だが。
天皇について初めて発言したのは皇太子殿下御成婚の夜だった。
武田先生は10歳だったが日本は学校で「間違った戦争をし、日本はアメリカに負けてやっと正気に戻りました」と、そう教えられた。
だから父の天皇についての発言は全て間違いであると武田先生は思っていた。
しかし美智子様のおかげでテレビが我が家にやってきたという、この事実だけは頭にクッキリと。
今でも覚えているが父親が美智子様の映像を見ながら涙を拭いていた。
それで涙を拳で拭いた父親が「日本はようなるぞ」と。
あの戦争に負けて死ななかったその父親から、あんなに明るい言葉がこぼれていたのを初めて目撃した。
それはもう本当に奇跡のような昭和の一日。
日本が戦に破れて14年。
その戦争の一兵士であった父がこの惨敗の国の中に14年生きて、初めて希望を感じたのは美智子様だった。
それで武田先生の家は(テレビの代金)6万円の借金を背負った。
これは返すのに2〜3年かかる。
ところがたちまち返した。
1年ぐらい経つと父の給料が上がり始めた。
経済が成長した。
その時にダミ声の宰相が叫んだ。
「所得倍増!」
倍増まではいかなかったが。
日本はゆっくり豊かになっていく手応えが、あのご成婚から始まったのだ。
それが武田先生が天皇に触れた初めての出来事。

皇太子殿下と美智子様のご成婚の模様。
武田先生は10歳だったが忘れない。
武田先生の誕生日が4月11日でご成婚が4月10日。
コマツ先生のクラスだった。
式の模様を見たらホームルーム、学級会は「印象を語れ」という。
コマツ先生が「昨日はご成婚ば見て、どげなふうに思うたか、一人ずつ語ってください」。
頭が悪い鉄矢君は真っ先に手を上げて「仲がよかったと思います」なんか言いながら。
やっぱりあのあたり。
昭和34年4月10日。
あのあたりから本当に日本は明るくなっていく。
それに東京には東京タワーが出来たと言う。
それで次の年ぐらいか。
テレビを見ると面白いおじさんたちが出てくる。
「ちょっこらちょいと、ぱーにはなりゃしねーえ」(調べてみたが何の歌かわからなかった。「スーダラ節」の一部っぽいがそういう歌詞はなかった)というのがあって。
「ほーら、スイスイスーダララッタスラスラスイスイスイー」というのがあって。



笑った笑った。
同じテレビを見ていたらニキビだらけのお兄ちゃんが「上を向〜いて」。



昭和。
好きな女の子が初めてできた。
オグラスミエさんという方だった。
その人の顔を思い浮かべながら小学校6年生。
顔の大きな小学生だった武田鉄矢、菜の花畑を歩いていた。

著者である内田氏も武田先生とだいたい同じ。
武田先生は10歳だが内田先生は9歳。
そしてこの内田先生が天皇制理解に関しては「かなりこの人は劣っている」と叱ってらっしゃる安倍晋三。
昭和34年は5歳。
粗相を週刊誌に叩かれた例のミュージシャンはまだ3歳だから、その年齢差ではどうしても・・・
武田先生はテレビの一件があるものだから、上皇后を見る度に、その日にフィードバック(「フラッシュバック」と言いたかったのかとも思うが、フラッシュバックでも意味は合わないが)するものだから。

自分の人生の中でまたすごいこともあった。
武田先生は何十年も麺類のコマーシャルをやっている。
そこの社長さんがお得意さんを集めてゴルフのコンペをやり、参加した。
それで「鉄ちゃん、この人と回って」と会長に頼まれたものだから「はいはい」とかと言って。
長身の方で、すごく品のいい方で、武田先生の前に来て「粉屋でございます」とかと言って頭を下げられる。
「あ〜そうですか」
「はい、原料買っていただいておりますんで、感謝しておりますよ。東洋水産さんには」と言う。
どこかで見たことがある。
3ホールぐらい回って気づいた。
あの玄関に立ってらした詰襟の青年。
正田家のご長男さんだった。
(長男は正田巌氏なのだが、日清製粉を次いでおられるのは次男の正田英三郎氏。巌氏も何か会社に関わっていて、武田先生とお会いになったのが巌氏という可能性も無くはないけど、多分次男の英三郎氏。)
ズキッときた。
この後、武田先生は美智子様ともお会いできるという。
本当にカーッとなるというか。
嬉しかった。

我々は子供の頃から「日本の未来、憧れはアメリカである」と、そういうふうに教えられた。
戦後日本はアメリカというバーをいかに飛び越えるか、くぐるか。
はたまた、そっと目を逸らすか。
内田氏はこの中で凄まじいことを言い始める。
これは驚く。
内田先生は日本人の魂の一番奥底に尊王攘夷があるんじゃないか?とおっしゃる。
天皇制とはアメリカなどというバーとは比較にならないほどの力がある、という。
その力こそ内田氏は「天皇が持つ霊性」スピリチュアルとおっしゃっている。
と、言われても「霊性」というような力があるだろうか?と思いつつ、胸に手を当てて思い返すと、実はしっかり目撃している。
その時にそう感じているのだが、言葉で表す能力がないから、見て「あ〜」とかという感じで終わっている。

2011年3月11日。
あの東日本大震災の時、菅直人という総理がいた。
その時に日本国民の中で誰もが腹の中で思ったこと。
「役に立たねー!」
もう本当に菅さんに申し訳ないが、そう思ってしまった。
イライラ八つ当たりなさったり、東京電力の職員たちを並べておいて「何やってる!早く消せ!」という態度。
あの時の日本の不安と不満というのはもの凄かった。
誰の胸の中にもきっとあったと思う。

「この国はこのまま滅びるんじゃないか?」
現実に滅びる一歩手前だったのかも知れない。
あの時に我々は何を希望としたか。
これは内田氏の指摘だが、指摘されて武田先生も思い当たる。
あの時、間違いなく日本を支えたのは天皇であった。

上皇と上皇后様が被災地に行かれて被災者を励まされているという、その風景に接した時に、上皇上皇后に続いて自分たちも慰めねば、励まさねばと、そう思った。
上皇、そして上皇后がともに体育館に訪れて励まされた。
あの図が実は天皇の霊性を私達に見せた、ということ。
どこの被災地の体育館かわからないが、お二人が体育館の入り口にいらっしゃった時のそのシーンを今でも覚えている水谷譲。
「良かった」とテレビを見ながら思った。
上皇后が被災に遭われた娘さんに声をかけられて「大変だったですね」とおっしゃる。
心理学者の話から聞いたら、天皇皇后両陛下がいらっしゃって、その方が「大変だったですね」と言うと「泣いていいんだ」と思う。
市長さんとか町長さんはスリッパを履いているのに、上皇上皇后両陛下は履いていらっしゃらない。
そのことに後で気づく。
上皇上皇后両陛下が「大変でしたね」。
それは全然響きが違う。
「泣いていいんだ」という。
泣くところから復興が始められる。
天皇皇后両陛下がもしいらしていなかったらずっと我慢して内にこもってしまう。
ワーン!と泣けるところが、という。
それはやっぱりこの内田先生が言うところの「スピリチュアル」なのではないか。
「天皇には霊的なパワーがある」と、そんなふうに解釈した方がいいのではないか?
泣くことで「浄化」される。
神聖な気持ちになれる。
心理学の人が言っていたが「泣く」ということが悲しみの中でものすごく大事。
その涙を存分に流させてくれる「装置」いわゆる「スピリチュアルな仕掛け」として天皇皇后両陛下というのは「最高のペアなんだ」と言う。

そして武田先生は別個の意味でまたすごく思ったのだが、三陸の海に向かってお二人が深々・・・
もちろんそれは彼らの眼前には津波にあって被災した打ち砕かれた街がある。
でも、上皇上皇后両陛下が頭をお下げになった時に、その街の向こう側に向かって頭を下げているような。
「海の神様に祈願しているんじゃないか?」という。
「この方々は大事な民である。我が名にかけて彼らにこれ以上の責め苦は与えないでください。海よ静まれ。大地よ静まれ」
陸と海に向かって何かを願う、という。
そういう力を持った人は天皇家しかない。
それを内田氏は「スピリチュアル」という「霊性」と考えていいのではないだろうか?という。
それはもうまさしく「神話」。
ヤマトタケルにも出てくる。
海が荒れる時にヤマトタケルの奥さん(弟橘媛)自らが海に飛び込むと、海神(ワダツミ)が収める。
天皇家には歴代『古事記』『日本書紀』に伝わるがごとく、その手の霊性が宿っている。
だから上皇上皇后というのは象徴というポジションをそこまでお考えになっていたのではないだろうか?

更に彼らの慰霊の旅は続いて、あのご高齢で本当に「もうよろしいのに」と言いたくなるのだが、サイパンにも行かれ、パラオにも行かれ。
パラオでも高崎の兵隊さんだったと思うが「オレンジコースト」という海岸があって。
つまり日本兵の血がそこで染まっていたというから、その名前が付いている。
その海岸に向かって上皇上皇后が深々と頭をおさげになる。
生き残った兵隊さんが見て、泣きながら「死んだ戦友が喜んでおります」と。
死者を喜ばせる霊力を持った人は彼らしかいない。

──戦後70年の戦没者慰霊のため、天皇、皇后両陛下が2015年4月上旬、旧日本兵1万人が全滅した激戦地、パラオのペリリュー島を訪れて献花した、という報道がありました。(76頁)

「きっと喜んでいると思います」
平成を惜しもう。
よくやってくださった。
最後の最後まで本当にありがたい。
天皇というのはそのようにして「霊性」というのを持っている「スピリチュアル」というものを持っているという存在で考えていったらいかがかなぁとも思う。
そういう提案。

『街場の天皇論』
内田樹氏がお書きになった。
これはなかなか考えさせられる。
1ページ目から読むのはしんどかったので240ページほどの本なのだが、逆に逆さに読んでいくと非常にわかりやすかった。
日本の歴史全体に関して、まだ他に書いてある。
「天皇家をどう理解するか」というようなことが。
だが、バッサリとそのへんを落として。
元号も変わったところで。
平成を運んでくださった上皇上皇后に対する敬意をこめて、本とはちょっと飛躍しつつお届けしている。
ただ、内田氏が言う「天皇というものに対しては霊性があるんだ」と。
そういうことを平成の世に我々はたくさん見た。
パラオでフィリピンでグアムでサイパンで。
そして沖縄で。
このお二人は本当に沖縄を大事になさっている。
初めて訪れた時、洞窟の中に隠れ潜んでいた過激派の学生から火炎瓶を投げ付けられたというお二人。
浮足立つことなくキチンと行事を。
そして沖縄に対する格別の思いというのは歌にまで詠まれたという。
昭和天皇が出来なかったことを上皇は「やらねば」と。

とにかく天皇というものが世界のどの国にもない。
日本的霊性の中心にお立ちになっておられる。

陛下は「象徴天皇には果たすべき具体的な行為があり、それは死者と苦しむものの傍らに寄り添う鎮魂と慰藉の旅のことである」という「儀式」の新たな解釈を採られた。(16頁)

上皇はこの象徴である天皇というのは一体どうすればいいのかというのを本当に命を削るようにして考えておられた。

「おことば」にある「即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました」というのは、陛下の偽らざる実感だと思います。(19頁)

これは官僚の文章では書ける言葉ではない。
上皇はどれほど思いつめて天皇制についてお考えになられたのか、自ら告白なさったという。
そんな一語に感じられて仕方がない。
戦後70年、古代の制度を抱え込んだ、ある意味では非常に矛盾している「國體(こくたい)」国の形。
しかし天皇制と立憲君主制。
この矛盾している、それを巧みに両立している国など世界にはない。
これは内田氏の言。
その内田氏が断言なさることは、天皇皇后の努力によって「國體」国のイメージはかなっているんだ、と。

80歳を超えられて大変だろうと思う。
上皇と上皇后が平成の最後の方で噴火か何かで非常に苦しんだ鹿児島県の小さい島に行かれた。
これは島民が数百人。
それでも行かれた。
「漏らすことのないように」ということなのだろう。
そのわずかな数百人の島民のために遥々と上皇上皇后は足を運ばれた。
喜んだ島民が夕刻、お泊りのホテルの前で提灯行列でお二人を歓迎した。
上皇と上皇后が受けるのではない。
お二人も提灯を持って振られた。
つまり「見事だなぁ」と思うのは、自分の思うところ、行動できるところは全部行動して。
つまり「提灯行列を見下ろす天皇皇后であってはならない」と。
「提灯行列をしてくれる民がおるならば、共に提灯を持ってそこに立とうではないか」という。
これは上皇、上皇后がお決めになったことで。
我々はその好意に甘えてはいけない、と武田先生自身もそう。
天皇制というものに関して考えが浅く。

令和の時代になった。
天皇皇后両陛下はまたいろんな所を旅なさると思うが。
スマートフォンで写真を撮ってもいい。
写真を撮ってもいいし、手を振られてもいいし。
「徳仁様〜」とか「雅子様〜」とかと呼びかけるのもOK。
だけどみなさん、スマートフォンで写真を撮る時、一礼だけはしませんか?
一回だけ会釈で頭を下げませんか?
天皇が持っている霊性というものに、私達も自らも霊性を感度高く受けるために。
どこかお二人を名前で呼ぶ、それか写真を撮るというその一つ前に、日本人らしい行動を、決して忘れぬ日本国民でありたいとは思いませんか?
そういうことを思う武田先生。

一番最初に話が戻るが、三島が言っていた「舐めてはいけない」「天皇というのは霊性を持っているんだ」。
もちろん天皇自らがそのことを自分で振りかざすことはないのだが。
しかし、日本国民の本性の中に天皇の霊性に対する敬意みたいなもの、このことをきちんと持っていることが、日本国民たる証拠ではないだろうか?

posted by ひと at 10:55| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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