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2020年02月24日

2019年6月17〜28日◆吃音(後編)

これの続きです。

吃音。
いい言い方ではないが「どもる」というか。
これは非常に困ったことに発声筋肉の問題なのか、あるいは息を継ぐ横隔膜の問題なのか、声帯の問題なのか、心理的なものなのか、身体的なものなのか。
発達障害の原因というのはまだわかっていない。
そういう意味で非常に複雑な障害ではないだろうか?ということ。

どもること、吃音の苦しさみたいなことを語っていたが、話が横道にそれたところ。
それはどういうことかというと現代の会話。
この番組(『今朝の三枚おろし』)もそうだが、ある速さが求められる。
時間等々があるので。
時間に追われる芸能活動と言えばCMというのがあるが、一つの文章を5秒間で言えないとコマーシャルは成立しない。
「マルちゃん。赤いきつねと緑のたぬき」
これで武田先生は4秒行っていないと思う。
40年以上やっているので感覚でわかる。
これを4秒手前で収めるのが至上命令で来る。
その他、水谷譲が言っていたが原稿用紙400字でだいたい1分ちょっと。
それがNHK。
NHKと民放ではスピードが違う。
NHKの方がゆっくり。
水谷譲たちが求められているのは違う。
テンポアップ。
だから民放では速さというのは技術の一つ。
そして水谷譲も言っていたがアナウンサーだからニュース原稿を読むときは「噛む」というミステイクがあると力量不足と見做される。
一回噛んで失敗すると、また次も恐怖心で噛むという心理的なものだと語る水谷譲。
「一文字も間違えずに、この原稿を読め」というのは非常にストレスが多い。
そしてもう少し話を続ける。
武田先生も柄にもなく時々コメンテーターの席に座る。
コメンテーターというのは重大。
司会者から振られて自分の言いたいこと。
これを15秒以内で言えない人は仕事を失くす。
坂上忍さんのところに出ているお笑い芸人さんたちの顔を見てください。
顔がひきつっている。
坂上さんは振りが速い。
振りが速いし、取り返すのが速い。
まず15秒でその事件に対して自分の感想を言えない人は、呼ばれなくなる。
そのまんま東さんはコメンテーターの仕事が多いから、頭がもうハゲてしまって。
あれは本当に抜け毛だと思う。
気の毒に。

AD君は疲れ切った人種がいる。
今はだいぶ楽になったようだが。
昔は立ったまま眠っているヤツがいた。
それで彼らが大きい画用紙にCMとか書いて、バッとメインの司会者に出して。
喋っている武田先生と目が合うとゆっくり小指で渦を書く。
嫌。
トンボじゃあるまいし。
クルクル回されて。
「急げ」という。
その急ぎ方も半端ではない。
2秒、3秒だから。
2秒あたりでキレイに収めると皆さん方は知らないだろうが、コマーシャルに入ったスタジオに拍手が響く。
TBSの朝の報道番組とか。
タイトルは言わないが。
それはやっぱり時間内に言葉を押し込む能力。
あれは発言に意味がなくてもいい。
押し込むかどうかの能力。
かくのごとくおしゃべりに関しては自分のスピードでしゃべるという人は一人もいない。
皆、ある事情を抱えて。

そこで先週、最後に申し上げたのは政治家の失言というのは、もしかするとスピードについていけない。
質問者から質問を受けておいて、同じスピードで返そうとするというところになると、失言がポンと飛び出すという。
だからやっぱり言葉を間違う。
言っちゃいけない言葉がフッと出てきたりする。
野党からの質問を受けて「東京オリンピック、パラリンピック」とかという早口言葉。
「アメリカンドッグ」より難しい言葉で囲まれたりなんかすると言葉が詰まってしまうという方がオリンピック担当大臣(東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣)にいらっしゃった。
なぜああいうときに政治家の人がミスをするかというと、あれは右脳しゃべりになるからだそう。
言語は左脳でしゃべらなきゃいけないのに、映像中心の右脳しゃべりだから「言っちゃダメよ」とかと×を書いた言葉に頭が行ってしまう。
だから「震災復興も大事ですが、この人の当選も大事です」と「も」と一言入れればいいのに「よりも」と言ってしまった。
桜田五輪相を更迭 被災地議員を「復興以上に大事」発言:朝日新聞デジタル
そういうことだと思う。
つい右脳しゃべりになったおかげで、ケチョンパンにやられてしまうという。
吃音の話題だが、目を転じるとこれは世の中全体、メディア全体に通底する言葉のリズム、テンポ。
そういう意味合いでおしゃべりというのは今は何かを忘れている。
そういう病理が日本の社会にあるのではなかろうか?と。

本の腰帯がよかった。
同じように少しどもるという障害を持った方のひと言だろうと思うが。
(作家の重松清の言葉)
「よくぞここまで吃音と向き合ってくれました。吃音を持つ者として、最敬礼。」

近藤雄生さんという著者の方。
この方も吃音に苦しんで、思いがけない方法で克服をした人。
著者は吃音故に対人の仕事、人を相手にコミュニケーションをとるというような仕事をあきらめて、書物を職業としていきたいと願っていた。

私は学生時代から付き合っていた女性と結婚した。−中略−
 彼女に対しては吃音はほとんど出なかったが
(153頁)

著者はライターとして、筆を持つ人間として腕を磨くため、彼女を世界を旅する取材旅行へ誘う。
貧乏旅行をしながらルポルタージュ。

その間に私は、興味あることを見つけては取材して記事を書き、日本の雑誌に送ったりした。(154頁)

日本を出て二年半ほどになり、中国の雲南省で暮らし始めて一年近くが経った二〇〇五年の終わりころ、吃音の状況に突然変化が起きたのだ。−中略−
 ある日、行きつけのカフェに行き、顔見知りの店員にいつもどおりにコーヒーを注文した。
「一杯珈琲(イーベイカーフェー)」
−中略−
その翌日も、そのまた翌日も、あまりどもらず過ごすことができた。
(156〜157頁)

彼はその時の自分の自覚を発声するたびにがんじがらめに縛られていた吃音の不快な喉周りのよどみがだんだん薄れてゆくのが自覚できた、という。
(ということは本には書かれていない)
突然やってきた改善。
これがまた不思議。

 なぜ、日本を離れて中国で暮らしていたときにこんな変化が起きたのか、原因はなんだったのか、それははっきりとはわからない。−中略−他言語圏にいる気楽さもあり、さらには旅をしながら生きていく自分なりの方法が身についたことによる自信のようなものも、あるいは影響していたのかもしれない。(158〜159頁)

ハッと気がつくと、もう人前で気にすることのないようなスピードで話せるようになっていた。
一体なぜ消えたのか。
そして吃音というあの障害は、その苦しみは何であったのか?というのを考えこむという著者。
不思議。
「何でか」というのが全然わからない。
100万人いれば100万通りの症状があるという。
だから治し方もやっぱり100万通り、という。

年と共に少し言葉に詰まるようになってきた武田先生。
言葉が出てこない、単語が出てこない。
少しどもるようになった。
それは多分老人性のもの。
誰もが体験するようなこと。
若いときほどトントンいかない。
これは体力というか、声帯の周りの筋肉が落ちているせいだろう。
実は内心思っているところは、あんまり急がないしゃべりをしようというのは自覚している。
あんまり飛ばす人はくたびれる。
もう「聞く力」がない。
聞く力もないし、しゃべる力も衰えてくる。
のっけからものすごく怒っている人のラジオのしゃべりというのがものすごく朝から疲れる。
それと本当のことを言うと(明石家)さんまさんがしゃべっているスピードの1/3が理解できない。
無茶苦茶速い。
ほとんど惰性で笑っている。
さんまさんが何事かを叫んでスタジオの床に倒れると「ハハハ・・・」と笑っている。
何でおかしいのかよくわかっていない。
「立て板に水」で同じテンションで明るくしゃべっている人の内容は全く入ってこない水谷譲。
何の障害もなく「ツツツツー」。
俳優さんでも台詞を言う人がいる。
耳が弾いている。
言葉につかえた人の言葉から耳はパッと向ける。
人間は「立て板に水」というのは実はほとんど聞いていない証拠なのではないか?

武田先生が最近一番打たれた言葉は内田樹さんの名言。
人間はあまりにもスムーズな言葉の並べ方をする人がいると、その人の言っていることを弾いちゃう、という。
立て板に水というのは説得力ではない、という。
言葉に詰まったところからその人の話に耳を傾けるという。
とある人から言われたのだが「一番大事な台詞は小さな声で」。
そこを張る俳優さんがいるのだが、ものすごくウザい。
舞台をやっている時に若い女優さんにちょっと怒鳴ってしまったのだが。
「台詞覚えたぞ!」という感じで張る。
そのくせ水戸黄門というのは「立て板水」じゃないとダメ。
水戸黄門というのは悪をやっつける台詞にしても何にしても、サラサラ流れているところにあの時代劇特有の良さがある。
誰というと傷つくから言えないが、深く台詞を工夫する人がいて「みんなの迷惑になった」というのがある。
「今朝、ご老公にお会いした時、ご老公何気なくご機嫌が悪ぅてのぉ。さてさて困ったものだと思うておったが、急にご機嫌がようなられて。全くこれからの悪事、幸先がよいわい。」という台詞があるのだが、これを一行ずつ「今朝・・・ご老公に会うた時・・・何気なくご機嫌が・・・悪ぅてのぉ・・・」とかと言われると「いいから早く言えよ!」。
みんな待っているのは「静まれ静まれ!この方を誰と思召す。先の副将軍、水戸光圀公なるぞ!」。
その定番を待っている。
その前にやたら持つ。
「そんときワシは・・・フッ・・・と怯えてな・・・だが、今日お会いした時・・・ご機嫌がよく・・・これは幸先・・・」
早く言え!
芝居は緩急。

著者のすごいところはこの「どもる」ということの苦しさ、悲しさを何と10年の歳月をかけて吃音に悩む人々から聞き取り、一冊の本にしている。
(本によると2013年に吃音の取材に着手している。本の出版は2019年なので10年はかかっていない)
その取材も一度だけではない。
一回聞けばもうそれでおしまいではなくて、数年置いてまた聞きに行ったりしている。
取材態度からして、この人はいい書き手になるのではないか。

 七〇代で吃音のある男性が、ある日羽佐田竜二のもとを訪ねてきた。−中略− 羽佐田は答えた。年齢を考えれば、これからの人生の時間を訓練に使うより、吃音があるままでもご自分のしたいことに使う方がいいのではないですか、と。するとその男性はこう言った。
「残り、時間が……、少ないから、こそ、私は、訓練をしたいんです。死ぬ、までに、どうしても、思うように、話すという経験、を、してみたいの、です」
 おそらくこの言葉にこそ、一〇〇万人の人たちの思いが詰まっているのではないかと思う。
(207頁)

(番組では著者の近藤さんが訊ねたことになっているが、本によると羽佐田さん)

どもることの苦しみ、これは原因、治療法、そして困ったことに治るか治らないか。
これがわからない。
ものすごく手っ取り早く言うと、本当にこれほど人を苦しめている吃音でありながら、ヒントのような、あるいは奇跡のような吃音の治し方に成功した人の例が。
だからこそ悔しくて仕方がない、ということなのだろう。
ではその吃音を治す不思議なヒントとはどこにあるか?

奥様から本棚を整理しろと言われて、いろんな本を一生懸命捨てている武田先生。
そうしないと大変なことになってしまう。
床が抜けるというところまで行ってしまっている。
でもどうしても捨てがたい人がいる。

司馬遼太郎
河合隼雄
灰谷健次郎
内田樹
白川静

大好きな五人。
その人たちの本を捨てがたいから眺めていたら「あれ?共通してんな〜」と思った。
全部関西の人。
五人挙げたうち四人が学校の先生。
中学校の先生だけがいなくて、小学校、高校、大学の先生。
もう一つ、何でこんなにこの人たちのことが好きなんだろうと思ったら五人のうち四人が京都で生活をしたことのある人。
何が言いたいかというと、五人とも「手仕事」の人。
資料を自分の手で集めて、調べて書くという。
いわゆる職人みたいな人。
「俺の共通項てここなんだ」と思うと、自分が何を求めているかが薄っすらぼんやりわかってきたような気がした。

新潮社の方に言っておくが(『吃音』という本は)いい本。
いい本をお作りになった。
「伝えられないもどかしさ」
この「伝えられないもどかしさ」に苦しんでいる方はたくさんいらっしゃる。
昨日ちょっとお約束した「吃音」という発達障害なのだが、不思議な先例があるということ。
吃音のわりと重症の障害を抱えならが教壇に立つ先生。
小学校の先生という方がこの本の中に登場する。
この方は一般の暮らしは吃音がひどいのだが、クラスに入って子供たちを前にすると吃音がスッと和らぐ。
(205ページに書かれている吃音の教員は中学校の教師で授業中も吃音のまま。上記の話がどの箇所を指しているのかは不明)
水谷譲が会った先生。
古文の先生だったが、ちょっと吃音があるのだが「この世のなごり 夜もなごり」(『曽根崎心中』の道行の冒頭の詞章)と読み始めるとスラーッと読んでくれる。
それでちょっとびっくりしていて。
面白い先生だった。

ミーガン・ワシントンというオーストラリア出身のミュージシャンがいる。彼女は、二〇一四年、世界的な講演イベントであるTEDで、自分が吃音で悩んできたことを告白した。そしてその講演の中で、歌を歌うときにはどもらないことに気がついて歌手を志すようになったという話をした後に(211頁)

歌の持っている力はすごい。
歌というのはそういう意味で訛りとかどもる、吃音とかを治してくれる不思議な息遣いになる。
こういうのは面白い。

そしてもう一つ。
事実としてあったことだからご報告する。
卓球をやるとどもらない。
(172ページあたりに卓球をやっている最中にはどもりが見られなくなった子供の話が出てくる)
これは特に子供の改善者が多くて、障害度が和らぐ。
(という内容ではなくて、本に紹介されているのは一人の例だけ)
吃音、どもる人というのは、ある社会通念のうちに「このスピードで話さないと生きていけませんよ」というような、それに合わせようとしてどもってしまうということがあるのだろう。

これは本当かどうか必死になって探したようだ。
だが、万能ではない。
子供を相手にお話しをする、ということ。
歌を歌う、ということ。
卓球をする、ということ。
これで吃音、どもりが改善することがあるのだが、それがすべて通用するワケではないところに難度がある。

吃音の研究の方は着々と進んでいる。
悩んでらっしゃる方は希望を捨てないでください。

神経生理学の観点から吃音について研究してきた米ミシガン大学のスウン・チャン(Soo-Eun Chang)らは−中略−複数の神経画像の技術を用いて脳の様子を撮影し、その状態を観察・分析している。−中略−
 脳には、言語を発することと理解することをそれぞれ司るブローカ野とウェルニッケ野という二つの領域がある(多くの場合左半球にある)。その両者をつなぐ「弓状束」という神経線維が集まった経路のような部分があるが、吃音のある子は、ない子に比べて弓状束の神経線維の密度が低いなど、何らかの傾向があることを示唆する結果が得られている。
(217〜218頁)

 吃音は一般に男性に多く、成人では男女の比は四対一ほどと言われている。(135頁)

女性が少ないということは、どういうことかというと、右脳と左脳を結ぶ真ん中の「脳梁」。
これが太い。
だから右脳と左脳を同時に使えるという強みではないだろうか?ということ。
相対的に吃音に関して、どもることに関しては男性。
男が苦しんでいるということ。
水谷譲も言っていたが、子供の時にわりと吃音がひどかったのが、成長するとスーッと治るという。
そういうことは本当にあるらしいが、自然治癒のメカニズムというのはまだ謎のままということ。

全国に目を転じてみる。

文部科学省の調査によれば、小学校におけるその設置校数は−中略−障害種別で見ると言語障害のある子どもが最も多く(三万六四一三名、約四一%)(168頁)

この3万6千人の中で半分ほどの人数は誰かのサポートが必要らしい。
この中にかなりの数で吃音があるようだ。
会話のスピードは社会全体の通念で決まっている。
昔の漫才なんか聞いていて、びっくりするぐらい遅いのに驚いたり。
当時、「速すぎてよくわかんない」と言われた落語家に林家三平という先代がいたので「あの人は速い」と言って。
武田先生たちにはちょうどいい。
父母は林家三平をすごく嫌っていた。
「なんば言いよ〜か!な〜んもわかりゃせん、これが。のぼせもんたい!」と言いながら軽蔑して。
その頃、看板の方は(古今亭)志ん生とかあのへん。
「え〜・・・そのあたり、ヒョイ・・と見ますと」という。
これが三平のスピードになると「ヨシコさ〜ん!ヨシコさ〜ん!」になる。

正直に告白する。
テレビでバラエティの司会者とかコメディアンの人たちがしゃべっている。
武田先生が「テンポが合うな」と思うのは内村(光良)さん。
ウッチャンぐらいは聞き取れる。
あとは所(ジョージ)さんが時々わからなくなる時がある。
だから所さん以上の方はもうわからない。
これはちょっと悩ましいのだが『(今朝の)三枚おろし』というのは「もうちょっと静かにやってもいいかな」と自分で思う時がある。
武田先生は疲れている。
古代史などに乗ってしゃべるともう本当に疲れる。
川を二度上った鮭みたいになる。
たまに「今日、力入ってんな〜」みたいな時があると思う水谷譲。
肩を落として帰っているだろう。
ある元気が朝なので、必要なので。
武田先生も必死になってしゃべっているが。
言葉自体も、近頃は詰まったり噛んだり。
少しどもることもある。
ある年齢から自分を許すことにした。
「それはオメェの年取った味じゃねぇの?」と。
歌もそう。
どんどん若い頃の声の色艶は落ちていく。
それで一緒にコンサートをやっても、みんな落ちている。
年を取ってからスピードアップしたり声高らかになったら気持ち悪い、それが自然と思う水谷譲。
そういうふうにして自分のしゃべりのスピード等々を、若い時と違うことを自分に許すと、やっと番組が楽しくなってきた。
前は苦行だった。
何回も言うが、本当にギャラが低い番組で。
ただ、皆さんがほめてくださるので頑張っているだけで。

逆にこの番組全体もそう。
6時台の番組、7時台の番組、8時台の番組。
ラジオにいろんな番組があるが、もしかしたらラジオというメディアに関しては、番組ごとで、それぞれのしゃべりのスピードがあってもいいんじゃないか。
それがラジオの役割ではないかな?と。
テレビというのはものすごく統一されている。
ラジオはそこのところ、様々なしゃべり、テンポがあってもいいのではないか。
それこそクイーンの『ラジオガガ(Radio Ga Ga)』で

RADIO GA GA (ライヴ・エイド、ウェンブリー・スタジアム、ロンドン、1985年7月13日)



「お前はまだ歌っているか、ラジオよ」とクイーンが歌っている。
あれはいい歌。
「お前、役にも立たないこと言ってねぇか」と言っている。
まあ、年に順じて武田先生もしゃべりのスピードを作っていこうというふうに思う。

この一冊。
著者近藤雄生さん。
これは実に丁寧な取材。
文章もまことに誠実。
本当に吃音、どもりの苦しさがしっかりと伝わってくる。
そしてこの著者は一番最後にこんなシーンをおいて、この本を締めくくっている。
それは若い母親が吃音、どもり矯正の診療室に子供を連れて来て、子供のどもりを一生懸命治そうと努力している。
学校に行ったらどもるものだから、みんなにからかわれて辛い思いをしている子供を母親が守っている。
吃音について「苦しいでしょう?」と著者が訊くと、その若いお母さんはこうおっしゃったそうだ。

でも、いまは、苦労がある人、悩みがある人が、世の中をいいところにしているんじゃないかとも思うのです」(179頁)

よくできた若いお母さん。
その上にも増して、その言葉を見つけた著者の能力、感性に敬服するのみ。


posted by ひと at 14:17| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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