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2020年04月05日

2019年5月6〜24日◆バカシリーズ(後編)

これの続きです。

日本には「バカの系譜」という、自分のバカさ加減を笑うというジャンルがあるが、松田聖子さんの登場によってJ-POPアイドル路線を取り入れてグッと曲がっていく。
「自虐」「己を笑う」というようなジャンルがどんどん色あせていく。
あみん『待つわ』。
そして『夢をあきらめないで』等々で「バカだ」と自嘲する女性像が否定され、時代を画したと思う武田先生。
そして、ご本人はそう思っていないかも知れないから放送を聞かれたらびっくりなさるかも知れないが1990年の『愛は勝つ』。

愛は勝つ



水谷譲は何げなく「あの歌がどこが革命的?」とか思っているだろう。
ここ。
J-POPはこのKANさんのラインに乗ってくる。

心配ないからね君の想いが
誰かにとどく明日がきっとある
どんなに困難でくじけそうでも
信じることを決してやめないで
Carry on carry out
傷つけ傷ついて 愛する切なさに
すこしつかれても Oh...


この中には自虐なんか一行もない。
「心配ないからね。君の勇気が。誰かにとどく明日はきっとある。どんなに困難でくじけそうでも、信じることさ。最後に必ず愛は勝つ」
「応援ソングの走り」みたいな感じだと思う水谷譲。
これは「応援」というよりも「自画自賛ソング」。
誰も応援していない。
「己をほめたたえる」という歌。
そしてこのKANさんの歌声から、日本の歌謡界から低音の人が消えうせる。
駆逐される。
かつてあれほど日本人は低音が好きだったが、このKANさんの歌声から男性の声も女性の声も高いところを目指して張られる。
そして自画自賛。
自分に関して光り輝くような内容。
これがJ-POPの主流となるワケだが。
そしてこの『愛は勝つ』のすぐ後、トレンディドラマの中から先頭集団が形成される。
そのトップに躍り出たのが『101回目のプロポーズ』から『SAY YES』。

SAY YES



少しくらいの嘘やワガママも
まるで僕をためすような
恋人のフレイズになる
このままふたりで 夢をそろえて
何げなく暮らさないか
愛には愛で感じ合おうよ
硝子ケースに並ばないように
何度も言うよ 残さず言うよ
君があふれてる


CHAGE&ASKA 1991年『SAY YES』
これはビッグセールス。
この流れに続いてJ-POPの女王が誕生する。
『CAN YOU CELEBRATE?』

CAN YOU CELEBRATE?



Can you celebrate?
Can you kiss me tonight?
We will love long,long time
永遠ていう言葉なんて 知らなかったよね


安室奈美恵さん。
なんと明治期から70年代まであれほど支持され続けた自虐の系譜は、このビッグセールスによって息の根を止められた。
そして「自虐の歌」「バカの系譜」はオッサンやジイサンのカラオケの宴か、歌謡番組の歴史か何かでひっそりと繋がれるというような、もう「隠れキリシタン」のような暮らしに追いやられた。
追いやった二曲が『SAY YES』と『CAN YOU CELEBRATE?』。
武田先生の運命は何と不思議なことに、このビッグセールスの二曲のドラマにそれぞれ共演者として出ていること。
ここで自虐は絶滅し、己を「バカ」と呼び捨てる自虐は、若き世代に激しく否定されたワケだが。
しかし、何でこんなことになったのか?
なぜ日本人は、いつから看板であった「自虐」を捨て、自画自賛するような国民になったのか。

80〜90年代にかけての日本の歌謡界「自虐の系譜」。
「自分は悲しい」「辛い」とか「アナタを恨まない」とかというのは全部消え失せる。
そして自画自賛。
とにかく「君を励ます」「僕を励ます」というJ-POPが天下を獲る。
己を「バカ」と呼び捨てる自虐は否定され「私待つわ」「あきらめないで」「信じることさ」「迷わずに」「CAN YOU CELEBRATE」。
ひたすら自己を肯定し、他者であるアナタを激励していく自画自賛ソング。
何でこれが天下を獲れたのか?
これを80〜90年代、20年間に亘って考え続ける武田先生。
なぜ80年代に始まり2000年を過ぎてもまだ主流をとっているのか?
その謎が解けないまま、心中にしまっていた。
時は過ぎ、2011年。
あの解けなかった最大の謎「なぜ『自虐』は捨てられたのか?」という。
それをひと言で言い当てた人に、本を探しているうちに武田先生は出会う。
これはショックだった。
「この人は何という冴えた勘を持った人だろう」と。
武田先生が言うから皆さんも大体お名前はおわかりだろうと思うが。
哲学者、内田樹氏。
この彼の著作の中でギクリとした指摘がある。

呪いの時代



(内田樹氏の『呪いの時代』は単行本と文庫本が発行されているのだが、ページの番号は単行本の方で紹介する)

「呪い」の言説が際だってきたのは、1980年代半ば、ニュー・アカデミズムの切れ味のいい批評的知性が登場してきた頃からでした。この頃から、「知性の冴え」がほとんど「攻撃性」と同義になり、「辛口」や「毒舌」という言葉がコラムのタイトルに頻出するようになります。(16頁)

「あみん」の登場とぴったり。
このことを80年代から出現してきた奇妙な明るいJ-POP現象と重ねると、そういうこと。
一般社会の言葉遣いが呪いの言葉じみてくる。
それ故に、歌はひたすらその呪いにかからないように、明るい言葉を使い始める。
もちろん内田氏は哲学の側から日本を語っておられる。
武田先生は芸能の立場から歌の流れを辿っている。
この1980年代から日本に訪れた時代は「呪いの時代」だという。
ちょうどバブルの時。
人を攻撃する言葉が激しくなった。
それも、ちょっとナイフのようにとがらせて。
そういう時代になったが故に、「自虐」を追いやって「他責」、人を責めるというのが80年代半ばからしきりにもてはやされる。

 ネット上のやりとりにおいては「批評に応えて、自説を撤回した人」や「自説と他社の理説をすり合わせて、落としどころで合意形成した対話」をほとんど見ることがありません。−中略−
「私が正しいか、おまえが正しいか、二つに一つだ」というような場面というのは現実にはまずありません。
−中略−けれども、「私は正しい、おまえたちは間違っている」とただ棒読みのように繰り返すだけの言葉づかいは何かを壊すことはできますけれど、何かを創造することはできません。(15頁)

このへんが武田先生の「バカの系譜」とピッタリ合う。
世の中の一般の言葉遣いそのものが非常に鋭い呪いの言葉になった、という。
「呪いの言葉」というのは今で言う「ヘイトスピーチ」にまで発展していく。
ああいうものが発展したのも80年代スタートだ、という。
だから呪いをかけられないようにJ-POPはひたすら明るい言葉遣いを。
そして歌の主流をとったJ-POPは他責。
人のことをバカにする、見下す、上から目線のネット社会と相性がよく、自己を強く肯定し、甲高く呼びかける、という。
そういう歌が主流となり、歌謡界に歌姫や王子を次々と誕生させた、という。
そして90年代が過ぎ、新世紀の二千年代の初め、ネット上ではもうほとんど言葉というのは他人に振りかざす刃物のような形になる。

 ネット上では相手を傷つける能力、相手を沈黙に追い込む能力が、ほとんどそれだけが競われています。もっとも少ない言葉で、もっとも効果的に他者を傷つけることのできる人間がネット論壇では英雄視される。(14頁)

そういうことを考えると、この間に社会で大きな事件が起こった。

「弱者」たちは救済を求めて呪いの言葉を吐き、「被害者」たちは償いを求めて呪いの言葉を吐き、「正義の人」たちは公正な社会の実現を求めて呪いの言葉を吐く。(11頁)

この時代、呪いは濁流となって政治の世界、あるいは世俗の愛憎にまで及んでいる。
国際社会を渦巻く言葉も、もう今や「呪いの言葉」。
宗教での対立も含めて「呪い」。
今こそ「呪いの時代」。
これは暗い気持ちで言っているのではない。
その「呪い」というのを深く考えていこう。
「呪いの言葉」に近づいてはいけない。

あの事件。
子育て中の主婦が・・・。
武田先生に向かって「気持ちわかるな、この人の」と言っていた水谷譲。
わが子が保育園に入らない。
彼女がSNSの社会を利用して叫んだ言葉が「保育園落ちた 日本死ね」。
「保育園落ちた日本死ね!」 匿名ブロガーに記者接触:朝日新聞デジタル
自分の子が保育園に入れないという現状で、一億数千万人の日本人が全員死ぬことを祈る。
これは「呪いの時代」。
インチキがなければ母親が吐いた言葉。
これほど暗い言葉はない。
水谷譲は「保育園落ちた無念はそれぐらいの気持ちになります」と武田先生に教えてくれた。
武田先生はこの人を認めない。
あの子(この時に保育園に入れなかった子)もいくつぐらいになっただろう?
(調べてみたところ、おそらく現在5歳)
あの「日本死ね」と望んだお母さんはあの子が中学校に落ちても、高校に落ちても、大学に落ちても「日本死ね」と呪うのだろう。
という意見に反論する水谷譲。
中学高校大学とは違う。
保育園は入れたくても入れられない。
中学高校はとりあえず公立だったら入れるので(保育園とは)ちょっと違う気がする。
でも武田先生は「呪いの言葉」だと思う。
あれがなぜ「呪い」かと言うと、そのことを国会で取り上げて与党に詰め寄った女性議員がいらっしゃった。
ものすごい呪いのシステム。
あの方はあの一言で、すごいポストが用意された瞬間にヒゲを生やした弁護士さんのことを「文春」なんていうヤツらがいて、彼女に「呪い返し」をやった。
山尾志桜里衆院議員が倉持弁護士と「国会に無届け海外旅行」 | 文春オンライン
このことを家でしゃべっていたらお嬢さんがすごく嫌がって「そんな『呪い呪い』って言わなくていいよ!」と怒られた武田先生。
でも「呪いは伝染する力がある」という日本のことわざを絶対に忘れちゃいけない。
やっぱり「人を呪わば穴二つ」。
「墓穴を二つ、呪う側も呪われる側も用意しろ」というのは。
やっぱり呪いは凄まじい威力があって「触れた者も呪われる」という。
だからこそ呪いの言葉遣いを使っちゃいけないと思う武田先生。
日本に同化した日系の半島の人たちに対するヘイトスピーチも、言葉そのものは呪い。
でも、基地問題に反対するために「ヤンキー ゴーホーム」と書くのも「呪いの文法」だと思う。

芸能というのは呪いにはものすごくもろい。
一番もろいのがアイドル。
アイドルは呪いにかからないようにいくつものバリアを貼っている。
それが少女アイドル集団。
あれも呪いがかからないようにバリアが張ってある。

願いごとの持ち腐れ



すべて(すべて)消えるだろう
願いごとの持ち腐れ
一度きりの魔法なんて
あれもこれも欲が出て


あの人たち(AKB48)のグループの人数。
48人。
もう一つは46人。
欅坂46。

風に吹かれても



風に吹かれても 何も始まらない
ただどこか運ばれるだけ
こんな関係も 時にはいいんじゃない?
愛だって 移りゆくものでしょ?


このアイドルの人数の数字を見てください。
46と48で結成されている。
何が避けられているか?
何を飛び抜かしているか?
何で47を避けるか?
「呪い」だから。

「47」の集団といえば、日本でもっとも有名な「四十七士」。
赤穂浪士。
討ち死にするから出てこない。
(武田説)
でも、前からおかしくて仕方がない。
「セブン」は響きがいい。
でも少女集団に関しては「47」を避ける。
これは「全員切腹」という運命から、忌むために「物忌み」というが、不吉が呪いかからないように避けてネーミングにしてあるのではないだろうか?
除霊。
基本的にこの少女集団は必ず「散る」ことを前提にしている。
一種「散る」ことが彼女たちの最高のクライマックス。
つまり「引退します」「卒業します」ということ。
それがゆっくり進むように、赤穂浪士のように一斉に散るということのないように、呪いがこっち側に来ないように、一名足すか引くか、という。
ファンとのトラブルが、あっちこっちの48なんかで起こったりして、坂上(忍)さんが怒ってらっしゃる。
あの方は怒ってばかりいる。
目があんなに腫れてしまって大丈夫ですか。
坂上さん寝てますか?
坂上さんが怒るくらいだが、事務局とうまくいっていないとか、そういう闇が、という。
何でああいう揉め方をするのか?
また、アイドルが特定のファンと付き合ったということで必ずスキャンダルが「文春」「新潮」が張り切ってまたやる。
48、46のアイドル集団の人から男子グループのアイドル集団まで、騒ぎが大きくなる。
そんなのばっかり。
そういうものが渦巻きやすい。
それゆえに歌だけが妙に口実的になってしまう。
「傷つけてはいけない」「傷つけたら呪いをかけられる」というのが、実はJ-POPの主流になっているのではないだろうか?

これは武田先生が考えたのではない。
内田先生がおっしゃるのですごく頷いた武田先生。
「呪い」に対して水谷譲はどうするか。
気にしないか、お祓いに行って気持ちをちょっと落ち着かせる。
内田先生がおっしゃっているのはそうではない。

 呪いを解除する方法は祝福しかありません。(36頁)

そのことだけがアナタが呪いから脱出できる唯一の道である、と。
これは逆転の論説で、パラドックス。
ちょっとわかりやすく言う。
自分が緊張している時には深呼吸をするという水谷譲。
自分に「落ち着け」と命令する。
でも内田先生は武道家で、ものすごくうまいことをおっしゃった。
自分が緊張していたら、目の前にいる人の緊張を解いてあげる。
そうしたら自分の緊張が解ける。
自分が求めているものを他者に施しなさい。
それがアナタがそれを手にする唯一の道だ。
一番呪いたくなる人に向かって祝福をしてあげる。
「アンタ間違ってないよ」とか「そうそう、俺のこと恨んでるよね?」とか。
「でもきっと幸せになるよ」とかと祝福してあげること。
呪いではない。
呪いの逆をいくこと。
それが呪いから脱出する方法。
そして内田先生はこんないい言葉をおっしゃっている。

多くの人が誤解していることですが、僕たちの時代にこれほど利己的で攻撃的なふるまいが増えたのは、人々が「自分をあまりに愛している」からではありません。逆です。自分を愛するということがどういうことかを忘れてしまったせいです。(36〜37頁)

自分を愛するということがどういうことか忘れてしまった。
自分を愛していない。
だから愛されるに特化したアイドルが欲しくなる。
呪いの病根は「自分を愛せないから」。
自分を愛せないから他を愛し、他に去られれば憎み、呪う。
「自分を愛する」とは実に困難な事業。
では、呪いをいかにして自愛、自分を愛する心に転ずるか?

内田先生の言葉に戻る。
今、時代は「呪いの言葉」である、と。
外交問題から隣国とのもめごと。
それから遠い地ではあるが異国で起こった宗教対立等々。
すべて呪いが原動力となっているという。
その「呪いの時代」。
その呪いを解除する方法は、内田先生は一つしかない「祝福することです」という。
誰を祝福するか?
自分か?
違う。
それだったら「自画自賛」の武田先生と同じになってしまう。
誰を祝福すればいいのか?
アナタ。
それも私にひどいことをして去って行こうとする人に対して「いや、私がバカなんです」と自責する。
自らを責める。
そして愛したであろうアナタに対して、むごく私を捨てて去って行こうとするアナタに対して「いいんです」と。
「アナタのいない寂しさを罰として私は受けます。どうぞアナタは幸せになってください」と祝福するところに呪いを解除する唯一の道がある。
何が言いたいか?
今や話は振りだしに戻った。

新宿の女



バカだな バカだな
だまされちゃって


もう一度「バカだなぁ」と自分を自虐するところの歌に戻っていけば、呪いは解除できる、という提案。
だから今、日本の歌謡曲界が一番飢えているのは、あるいは人々の心を打つ歌とか物語は「自虐」。
その予兆が映画『ボヘミアン・ラプソディ』の大ヒットではないか?

ボヘミアン・ラプソディ (字幕版)



フレディ・マーキュリーさんはものすごく一途なバカ。
仲間三人に自分の病気を告白する。
それで最後にあの例の大舞台に立って、お客を。
フレディ・マーキュリーがやっている事は何か?
あれはやっぱり、他者を祝福している。
「ドン・ドン・パ」もそう。
「ウィー・アー・ザ・チャンピオン♪」という。

We Are The Champions



自分も含めて「俺たちが世界のチャンピオンなんだ」ていう。
あれは「祝福」。
つまり自分を含めてあなたをも祝福すること。
それが呪いを終わらせる唯一の方法。

We Are The Champions



We are the champions
We are the champions
No time for losers
Cause we are the champions
Of the world

(『WE ARE THE CHAMPIONS』QUEEN)

「もう一度、自虐ソングで面白いヒット曲が生まれないかな?」と思う武田先生。
自虐ソングをコツコツやっている「音楽界の奇跡」ともいわれるグループがいる。
「海援隊」
『そうだ病院へ行こう』

そうだ病院へ行こう



そうだ病院へゆこう
今朝もひとりで夜明けの町を 健康作りで走り廻れば
また捕まった職務質問
(お名前を言えますか?もう一回!)
誰より元気と威張りたいけど ひとりぼっちのラジオ体操
離れ小島のロビンソン


あれはお世辞ではなく「名曲だ」と思う水谷譲。
あれの二曲目ができた。
パート2。
これがいい。
歌った会場では必ず100人前後の盛り上がりがある。
小規模な盛り上がり。
その歌こそ『尿管結石ロックンロール』。
これが自虐、己を苛む。
実はこれこそ自分を愛するただ一つの道ではなかろうか。
若き詩人よ、バカに戻ろう!
そういうテーマでお送りした「バカシリーズ」だった。

やっぱりすべての歌はここに帰っていくのではないか。
高倉健『網走番外地』

東映傑作シリーズ 高倉 健 VOL.2 「網走番外地」



馬鹿を馬鹿を承知のこの稼業
赤い夕陽に背を向けて 無理に笑った渡り鳥
その名も網走番外地


posted by ひと at 10:43| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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