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2020年06月27日

2020年1月6〜17日◆あわいの時代(後編)

これの続きです。

 『論語』の中でもっとも有名な章句は「四十にして惑わず(四十而不惑)」でしょう。−中略−そんなに有名な「不惑」ですが、孔子が生きていた時代には、不惑の「惑」の字がありませんでした。(8頁)

 孔子は「不或」と言った。それを弟子たちが五〇〇年の間、口承で伝えてきて、文字化するときに、同音の「不惑」にしてしまったのではないか、そう推測ができるのです。−中略−
 つまり孔子は、「四十にして惑わず」ではなく、「四十にして或らず」と言った。
 すなわち、四十歳くらい(現代でいえば五十歳から六十歳くらい)になったら、「自分はこういう人間だ」、「自分ができるのはこれくらいだ」と限定しがちになる。それに気をつけなければならない、そう孔子は言ったのではないか、そう推測ができるのです。
(10頁)

この『論語』はお弟子さんが書いた言行録で。
孔子伝を書いた人が司馬遷という人。
司馬遷の『史記』という中国の人がバイブルのように大事にしている本なのだが、白川(静)先生は「司馬遷だけの作品じゃない」と言っている。
「誰かの作品、こっち側に持ってきて、書き写してる」という。
そういうカラクリも含めて『論語』というのはなかなか謎の多い書物だ、ということは覚えておいてください。

孔子というこの偉人が、心を得るために、つまり立派な君子になるために「六つの学び」を提案している。

六芸というのは「礼・楽・射・馭(御)・書・数」の六つです(『周礼』)。(77頁)

身体拡張装置としての六芸を身につければ、自己の身体の拡張だけでなく、ふつうだったら意思の疎通ができない対象とのコミュニケーションも可能になり(77頁)

礼・楽。
これは何かと言うと「礼」は礼儀、「楽」は音楽。
(本によると「礼」は礼儀とは異なる)

 「御」というのは、言葉が通じない馬を操る技術であり、「射」というのは自分の手を離れた矢を操る技術です。(79頁)

「礼・楽・射・馭(御)・書・数」この六つ。
この六つを学ぶことがコミュニケーションツールである、と。
六つの芸「六芸」と呼ばれていて。
この六つを磨かないと立派な君子にはなれませんよ、という。
それでは「一番大事だ」という「礼」から見ていこう。

 「礼」は旧字体では「禮」と書きます。古い字形では右側の「豊」だけです。−中略−
 この字は、食器である「豆」の上に穀物や草などのお供え物を盛った形です。
(103頁)

 また「禮」の左の「示」偏は甲骨文字では次のように書きます。−中略−
 この文字は、祭卓の上に置かれた生け贄から血がたらたらと滴る形です。
 すなわち「礼(禮)」という字は、生け贄を備え、酒を飲むことによって、神がかりして神霊や祖霊とコミュニケーションをするということが原義であり、そこから神霊とのコミュニケーションの方法を「礼(禮)」というようになりました。
 姿のない神霊という、通常ではコミュニケーションができない相手との交流をするという「礼」の機能は、六芸すべてに通底するものです。
(103〜104頁)

今もオロオロしながら教わっているが、合気道をやる。
道場に入る時に一礼する。
何気ないのだが一礼する。
道場から一旦出る時も必ず一礼。
それから稽古が始まる時も一礼。
終わった時も一礼。
全部「礼」。
師範たちが言うが「やってるうちに何か身に付きますから」という。
決して勇猛果敢な話ではない。

この間、自分でも自分にびっくりしたのだが、行列のできる麺類屋さんで昼間食べようと狭い道に(並んだ)。
人気店なので、ずっと並んでいる。
もう本当に車一台、やっと通れるという。
だから車なんかほとんど通らない。
人がいっぱい並んでいる。
そこで(武田先生は)一人で並んでいた。
そうしたら、ちょっと気の荒い人の運転する車が道ギリギリでやってきて、そのお兄ちゃんが窓を開けて、関東の人だろうと思うのだが、大阪弁で「コラ!どかんかいアホー!」。
ものすごい言い方をなさる。
カチーンとくる。
しかもこの人は関西の人じゃないのはもう気配でわかる。
困ったことに、そういう時だけ関西弁を使いたがる人がいる。
「コラ!どかんかいアホー!」
その言い方が。
その時に武田先生の口から出た言葉。
「あ・・・申し訳ありません」
そうではなくて、武道の練習とかしているワケだから「フッハッハッハッハッ・・・お兄ちゃん、降りてらっしゃい。その今の言い方」とかと出てこない。
逆に礼儀正しく「申し訳ありません」と言われた方が、向こうも何も言えなくなる。
その時に言ったはいいけれど、並んでいる人がずっといる。
曲がり端で「コラ!どかんかい、どアホー!」で、曲がったら並んでいる人が十人ぐらいでその兄ちゃんを見る。
そこから何かその人はわりと早めにスーッと通り過ぎて、そのお店のすぐ隣の駐車場に車を入れた。
それで大回りして違う店に入って行った。
気持ち悪かったのだろう。
武田先生も「よく(そういう言葉が)出たな」と思った。
腹の中でムカーッときたのだが。
でも、それが師匠が言っていたことなのかな?と思った。
自分がその人に向かって失礼なことをした。
バーン!と肩がぶつかった。
その時に何も言わず「フン!」と言いながら通り過ぎるのと「あ〜悪い悪い!」と言いながら通り過ぎるのと、どっちがいいか?
何か一言声をかけたほうがいいかなぁ?と思うだろう。
でも武田先生を教えてくれる若い合気道の先生は「両方ともダメです」と。
黙って行くのもダメ。
ヘラ笑いで「あ〜悪い悪い!」と謝るのもダメ。
謝るんだったらはっきり謝る。
「すいませんでした」
頭を一回、きれいに下げる。
全てそこから始まる。
「私たちは合気道を、そのために練習してるんですよ」というようなことをおっしゃった。
申し訳ないのはそっちだと思う。
あんな細い道に、こすれそうな車を突っ込んできて。
それで「どけどけどけ〜!」という。
それも関東弁じゃなくて、わざわざ大阪の、大阪の人だって聞くと気持ち悪くなるような言葉を。
でも「礼儀」はきっとそういうことなんだなぁと思う。

武田先生がいつも思うこと。
水谷譲も息子さんを合気道をやらせているので思うだろう。
状況が悪くなくても「申し訳ありませんでした」という時に、人間は不思議と攻撃できない、という。
攻撃してくる人がいたら、これはもう相当おかしい人なのでボッコボコにやっつけていい。
そのチョイスの分かれ道が「申し訳ありませんでした」の一礼。
つまりこれを論語にかぶせると、目に見えないもの、コミュニケーションが取れないものに対して、その一礼さえ知っていれば相手を開錠できる、という。
これはとてつもなく深いもので。
「礼儀」というコミュニケーションツールを持って相対すれば、それを追い払うことができる。
孔子というのはそのことが言いたかったのではなかろうか?

『論語』の中にこんな出来事が著してある。
孔子が理想とした人物。
それは魯の周公という方。
これは武田鉄矢が坂本龍馬が大好きなように、孔子というのは500年前の偉人の魯の周公という人が大好き。
この人の夢を見て、この人のファン。
理想の人格。

 魯の周公の霊廟(大廟)に入ったときのことです。孔子は、大廟内の礼儀をひとつひとつ問いました。するとある人が「鄹の役人の子(孔子のこと)が礼を知っているなんて誰が言ったんだ。大廟の中でことごとに問うている」と揶揄しました。それを聞いた孔子は「問うこと、それこそが礼なのです」と答えました【3-15】。(146頁)

これはジンと来るというか、ハッとする。
わからないことがあったら訊くこと。
これはもう人生の基本。
また礼儀の基本。
とくに周公のように偉人で、もう亡くなっているワケで。
この人と繋がるためには絶対に礼が必要。
中国の古典ではお酒と肉を捧げること。
捧げて彼に正しく問う。
それが作法なのである、と。
だから両手を合わせてお祈りをする。
それからお花をあげる、お酒をあげるのも大事だが「問う」。
死者に向かって何かを訊く。
それが礼儀の一つ。

 正しい「問い」を立てる、それが温故知新の最初にすべきことであり、そしてしっかりと時間をかけることなのです。(149頁)

 子曰わく、故きを温めて新しきを知る、以て師となるべし。
 (子曰、温故而知新、可以爲師矣。)【2-11】
(140頁)

真ん中に「而」。
「しかして」あるいは「しこうして」という一文字がある。
だから「温故知新」という四文字ではなく、実は五文字で「温故而知新」。

 さて、「温故而知新」のレシピをまとめておきましょう。「知」の過程です。
 (一)問いを立てる
 (二)さまざまな「識(知識)」を脳内に(鍋、ぬか床)に投げ込む
 (三)「温」をする(ぐつぐつ煮る、かき回す)
 (四)忘れる(煮ること、かき回すことは忘れずに)
 (五)「新(まったく新しい知見)」が突然出現する。
(149頁)

だからデリケートに訳さないとダメ。
古から新を作るためには、新しいものを作るためには時をかけなさい、と。
己の体でしっかり温めて、古から新しいものを作りなさい。
これが孔子の本当に言いたかったことなのです、と。
だから「待つことが大事ですよ」。
「読書量を増やしたい」といたが、そういうこと。
知識を入れておいて、今すぐに役に立つ知識なんて、本当の新しいものを生む知識にはならない。
新しいものを生み出すためには長いこと抱いておいて温めて、発酵させるという時間が必要なので。
ぜひ、そういう本の読み方をなさるといいのではなかと。

「切磋琢磨」
「努力して練習したりお稽古したり、自分を磨いていくことが大切」という意味ではない。

「切磋琢磨」の四文字はすべて、素材を加工して付加価値のある「何か」を作り上げる方法のことですが、素材がそれぞれ違います。「切」は玉を、「磨」は石をみがく方法をいいます。骨・象牙・玉・石を加工するには、おのおのに合った方法があります。その方法を間違うと美しく仕上げることができないどころか材料をダメにしかねません。ダイヤモンドを研磨するもので真珠を磨いたりすると、うまく磨けないどころか下手をすると真珠を壊してしまいます。
 その素材に合った方法を見つけ、それによって素材を磨く、それが「切磋琢磨」です。
(161〜162頁)

「仁」は君子とともに孔子にとってもっとも重要な概念のひとつでした。(vii頁)

あんまりいい響きはないかも知れないが「仁義」とか。
あるいは「仁術」医学のこと。
どういう言葉に「仁」というのは使われるかと言うと人間の関係の理想。
だから人の横に「二」と書く。
これは「人と人」という関係の一文字で、人間関係が一番うまくいっているということを孔子が言いたくて自ら作った造語ではなかろうか?といのだが。
そんな単純なものではないのではないか?というのが安田さんの主張。

「仁というのは人≠ニ二≠ゥら成る文字なんですよ」と話したら、ドミニクさんは即座に「あ、ヒューマン2.0ですね」と言いました。(215頁)

ヒューマン、人間らしさ、人間。
それが「2.0」。
「二倍」とも解すことができるし「二人寄ってる」とも解せる。
この中で出てくるのが「あわい」。
漢字一文字で「間」。
これを「あわい」と読む。
人と人との「あわい」。
その部分のことを実は孔子は「ヒューマン」「人間」と呼んだのではないか?
ここに「あいだ」が出てくる。
人は一人であった場合は「人」という字はそういう字。
立って歩く人間の横から見た。
しかしわざわざ「人間」という文字を作ったのは「人と人とのあいだ」「あわい」。
水谷譲と武田先生は今、人と人。
一文字・一文字。
だが、語り合うと水谷譲と武田先生の真ん中に立つものがある。
それが「人間」。
水谷譲でもなければ武田先生でもない。
しかし武田先生でもありつつ水谷譲でもあるもの。
それを「人間」。
孔子はこの「人間」という言葉の中に人と人とが重なり合う、特異点の存在を予感したのではないだろうか?。
そこにこそ人間がいる、という。
そういうものを直感的に彼は人と人との「あわい」という意味合いで「仁」と呼んだという。
(このあたりの話は本の内容とは異なる)

 仁について辞書を引いてみれば、「儒教における最高の徳」とし、「いつくしみ」や「思いやり」などと書いてあります。しかし、どうもそんなに簡単なものではなさそうです。
 ちなみに『論語』での「仁」の出現回数は一〇九回と非常に多く
(168頁)

(二)仁は非常に重要なものであり、手に入れるのは難しい。しかし、仁を手に入れるのは簡単でもある。
(三)君子は常に仁とともにある。しかし、仁をキープすることは難しい。
(四)仁は自分の内部にある。しかし、仁は選択することが大切。
(五)仁への道は自分の身近なところにある。しかし、仁への道は遠い。
(六)仁の基礎として礼がある。しかし、礼も楽も仁がなければ機能しない。
Aだといえば、非Aがある。なんとも不可解です。
(169頁)

イエスが説いた「天国」のような、そんな言葉に思えた武田先生。
イエスが使う「天国」という言葉は難しい。
「神様の許に行くのは簡単だ」と言いながら「身を尽くし心を尽くし、狭き門より出で」とか。
「汝、子供のごとくならねばパラダイスには行けぬ」とか。
「すぐ行ける」というようなことを言ったかと思ったら「オマエでは行けない」とか。
武田先生にはイエスが言う「天国」という単語に満ち満ちたもの、孔子は「簡単に手に入る人間関係のようなものではない」と論語の中ではしきりに繰り返している。
これはやっぱりすごい文字。
安田さんはものすごく「仁」を深く理解しようとなさっている。

 「依」の甲骨文字は「衣」の中に「人」が入る形で書かれます。−中略−仁に「依」るということも、霊衣をまとうように仁に包まれることを意味し(174頁)

 孔子は「道に志し、徳に據り、仁に依り、藝に游ぶ」といいます【7-6】。(174頁)

この道を行こうと志し、徳目、人間としての徳を十分に発揮し、仁に依る。
仁に依るの「依」がニンベンに「衣」で。
仁を衣服を着るがごとく着なさい。
そして藝に遊べ、と。

 白川静氏によれば、この衣はもともとは受霊に用いる霊衣で、それを身につけることによって、その霊に依り、これを承継することができたといいます。仁に「依」るということも、霊衣をまとうように仁に包まれることを意味し(174頁)

 日本で天皇が即位後最初に行う一世一度の新嘗祭である「大嘗祭」でも、衣は重要な意味を持ちます。−中略−
 また平安朝期の大嘗祭の形態を伝える『儀式 践祚大嘗祭儀』(思文閣出版)によると大嘗祭当日の戌の刻に、天皇は廻立殿で湯浴をされますが、そのときにまず「天の羽衣」を着て背中を流されたあと、その衣を湯殿に置いたまま出て、別の衣に着替えます。
「天の羽衣」は
−中略−これを着ると過去を忘れ、違う人格に変容する、すなわち人間としての天皇から現人神としての天皇に変容するための衣でもあります。(193頁)

だからそのあとの年内のお墓参りもすごかった。
神武天皇から始まって明治維新の時の天皇から明治帝、大正、昭和の天皇まで全部墓参り。
そのようにして天皇霊が彼に宿っていくという。
これが衣の儀式から始まるワケだから。
「仁」もそのようにして新しい人格がその人に乗り移る。
異世界からの新しい人格がその人を変えていくんだ。

 実は「仁」という漢字は孔子の時代にはありませんでした。しかし「仁」ではないかと思われる文字はあります。これです。
0120_01.png
 しかし、この文字を「仁」と読むかどうかは意見が分かれるところです。この字はせむしの人の下半身に二本の線を加えた形です。
(213頁)

武田先生の解釈も入る。
安田さんは慎重に書いてらっしゃるが、ちょっとそれでは(番組の)時間内にしゃべりが追い付かないもので。
「仁」という一文字の中にはまず「二」と書く。
一人は間違いなく「私」なのだ。
もう一人。
それが「死者の国からやってきた誰か」。
その二つを合わせてアナタはアナタになりなさい、というのが実は「仁」という文字であるという。
孔子は周の国の周公という人を理想にした。
その人の霊と自分が重なったのが自分の「理想の私」なのである。
だから「仁」というのは人が二人とか「ヒューマン2.0」で「仁」。
一人の人の中に二人の人間が生きている、という。
そう考えると例えば武田先生は坂本龍馬と、ということ。
自分が実は自分だけでもっていない、という。
自分の中にもう一つ世界があるんじゃないか?と。
その自分の内側にあるもう一つの世界と、今生きているこの世界。
その二つの間にオマエは生きているんだ、という。
この世界に生きている「私」ともう一つ別世界にいる「私」。
その二つが重なりあったところに私が目指すべき「私」がいると言った。
この「もう一つある世界」というのが、物理学で「本当にある」と学者さんたちが言い出した。
それが「マルチバース」という考え方で。
今まで物理学では「ユニバース」だった。
一つの世界。
ところが宇宙論を調べていくうちに「もう一つあるんじゃないか」という。
それがこの安田さんの言う「ヒューマン2.0」というのと、本屋で偶然見つけた「スペース2.0」というのが「2.0」で武田先生の中で重なった。
翌週からの宇宙論と、今言ったこととは結構重なる。


posted by ひと at 10:36| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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