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2020年07月07日

2019年11月4〜15日◆日本語を学ぶ(前編)

白川静さんに学ぶ これが日本語



白川静さんは『字統』『字訓』『字通』という大部な三つの字書を一人で書いてしまったことで知られます。このうちの『字統』は漢字の字源字書、『字通』は漢字の総合字書ですが、でも『字訓』は日本語の語源に関する字書なのです。(i頁)

(『字訓』は)日本語の誕生からその一語がどう育ち、意味を広げて派生し、他の言葉へ広がっていったか、変容したかという。
これが調べるとなかなか面白い。
だからちょっと『字訓』もやってみないといけない。

日本人は外国の文字である漢字を中国語に近い音読みで使い、さらに日本語の読みである訓読みをし、片仮名、平仮名を生み出して、それらを組み合わせながら日本語を書き記してきました。(iii頁)

これにローマ字を加えると日本には文字が四種類もあるという。
こんな複雑な文章を綴る民族は世界に一つもない。
日本語と漢字の関係を維持したまま、二千年に近い歳月をその輸入した文字と自分たちの今の言葉と抱き合わせにして使っている民族は世界にこの民族しかいない。

中国の一番偉い人「習近平(シュウキンペイ)」と言う。
でも中国の読み方は「シー・チンピン」。
これは何でこんなに違うのか。
中国は支配者によって漢字の読みが変わってくる。
支配者の人がそう読んだらそれが国語になる。
だから何回も支配者が代わっているので、それで読み方が色々ある。
我々の読み方、例えば「習近平」というこの文字の読み方は唐の時代。
私たちは楊貴妃とかあのへんの人たちと同じ漢字の読み方。
私たちの漢字の読み方は唐とか隋。
そのへんの古い読み方がそのまま残っている。
だが中国は度々権力者が代わったので変化していく。
だから昔は「上海(シャンハイ)」のことは「ジョウカイ」と読んでいた。
「香港(ホンコン)」は「コウコウ」と読んでいた。
それが支配者が代わって漢字の読み方が「ホンコン」になったりしている。
そういう中国の歴史の中でも我々は、音読みでは漢とか唐の時代の古い読み方を漢字にそのまま残している。

白川静さんの元々の出発は『万葉集』を研究する国文学者でした。(i頁)

ものすごい「もの知り」の方。
この「もの知り」というのもよく見つめると面白い。
「もの」を知っているワケで。
何「者」。
人物の「もの」。

『もののけ姫』の「もののけ」のほうは「物の怪」などとも書きますが、これは人にとり憑いて悩まし、病気にしたり、死にいたらせたりする死霊、生霊、妖怪のことです。(4頁)

「もの」は「鬼」「霊」など霊力をもったものを言い、「もとは超現実の世界を語るという意味であった」(5頁)

 古代の大富豪に、軍事・警察・裁判などをつかさどる物部氏がありました。−中略−天皇の親衛軍を率いた、この「もののべし」も、元々は精霊をつかさどり、邪悪な霊を祓うのが職務の集団だったと思われます。(5頁)

「もののふ」は朝廷に仕えるもろもろの集団の意味です。後に「武士」と書いて、戦士たちの意味となりました。−中略−この「もの」も元々は「霊」の意味で、「もののふ」は悪い邪霊を祓う集団のことでした。(4頁)

だから一つの言葉からバアッといろんな言葉が、日本語が溢れてきている。
例えば「もののけ」。
「もののけ」になるには、やっぱりもののけになるだけの理由がある。
「私は幽霊ですけども、何年前に殺されて」とかという。
それを「物語(ものがたり)」。
(このあたりは本の内容とは異なる)
それで日本語の微妙なニュアンスで頭のいい人とか科学的な人を「もの知り」とは言わない。
微妙な違いがある。

精霊の世界、お化けの世界をよく知っている者が「もの知り」です。(3頁)

広い知識のことを「もの知り」と言って特化した。
「あ・・・それCO2ですね」なんていうのは「もの知り」とは言わない。
「あのおばあさんはもの知りよ」ということになる。
そうやって考えると日本語というのはまことに興味深いもので、一言の中にたくさんの歴史、時間を秘めている。

本書は白川静さんの字書『字訓』を読み、学びながら、それらの本の日本語編として書いたものです。(iii頁)

一つの言葉で大体1ページがおしまいということなのだが、やっぱり漢字を日本に引き入れる時に、例えば一日の「日」という字があるが、これを大和言葉では「ひ」と言うというので「ひ」とか。
そんなふうにいちいち読み方を変えた。
葉っぱの「葉」と書いて「は」でいいのに「よう」と読んでいるとか。
そういうことで漢字を日本に引き入れる時に「日本語でそれを言う場合」というのをいっぺんにやった。
だから私たちは「『けん』と書いてあるもののことは『犬』と呼ぶんだ」という。
この民族は、よくまあ、そんなややこしいことで生きてきた。
もし外国人で日本語の勉強をする人がいたら大変なので、日本人に生まれてよかったと思う水谷譲。
(日本語は)言葉の発音としては簡単。
英語は大変。
英語は500種類ぐらいあるらしい。
「シュシャシュシュシュ」みたいなヤツが。
私たちの耳にはわからない。
ネイティブが使う英語の発音は聞こえない。
聞きなれた音楽を聞いていても、聞き間違えていることがいっぱいある。
よく聞くと非常に単純なのだが、でも耳から入って来る時に「何を言っているのかさっぱりわからない」という。

日本語では「裏」と「表」。
こういう対立した表現がある。
布切れの「表」「裏」なのだが。
この「表」「裏」というのがどんどん広がっていく。
感情面でもこの「裏」とか「表」というのを使うようになる。
つまり「表の心」「裏の心」。
これで枝分かれしていく。
嫉妬。
女偏があるので漢字の人は女性特有の感情だと絡めたのだろう。
ところが日本人は性を絡ませない。
心がしつこくそのことを思い続けること。
これを心の状態になりきって「病(やまい)」と読んだ。
(このあたりは本の内容とは異なる)

 「うらやむ」とは「心病(うらや)む」の意味です。(14頁)

よくできている。
「心の裏側」のこと。
口に出しては言わないけれども、実は腹の中で「ばかやろう」「このやろう」「死ねばいいのに」と呪うヤツ。
「いつまで肉喰ってるんだよ」というのも。

 この「心(うら)」を動詞化した言葉が「うらむ」です。−中略−
 さらに関連する日本語を紹介すると、「うれふ」(憂う)も「心(うら)」を活用した動詞形で
(15頁)

小さく怒り、憎しみのために「心」が震えているのだろう。
そして、ついその人のことを思って心が震えるのだろう。

 落ちぶれた様子や見た目のみすぼらしさをいう「うらぶれる」という言葉がありますが(15頁)

口では威勢がいいのだが、心の中では小さく感情の高ぶりが震えている。
「心(うら)」が震えている。
「うら・ぶれる」
(本によると「震えている」のではなく「ぶる」は「触る」)

「他人にうれしいことがあると」の「うれし」の「うれ」も「心(うら)」のことです。
「し」は「良」「吉」の意味で「心」の形容詞化した言葉です。
(16頁)

それから心の中で懸命に祈ること。
心を「うら」と思ってください。
懸命に祈る。
思いを積み重ねるというか編んでいくというか。
「占う(うら・なう)」
(本によると「うらなう」の「なう」は動詞化する「なう」)

「心(うら)」「裏(うら)」と同じ語源の日本語「浦(うら)」について記しておきましょう。「浦」は海や湖などの岸が、湾曲して陸地の方に入り込むところです。−中略−
 東京ディズニーリゾートが千葉県浦安市にあります。
(17頁)

ものには「うら」と「おもて」がある。
そういう日本語の解釈が発展して心理、感情も表すようになる。
「うら寂しい」なんていうのは「心が寂しい」。
「隠しているのだが、実は寂しい」という。
心の奥底のことを「うら」という表現で隠している。

今度は「おもて」。
一番単純なこと。
これがなんと「思う」。

漢字の「思」の「田」は頭脳の形で、頭がくたくたする意味。(20頁)

考えがぐるぐる巡り「重たい」。
考えていることが「重たい」ということで「思う」。
(とは本には書いていない)

「念」の「今」の部分はモノにふたをする形で、じっと気持ちを抑えている意味です。(20頁)

「念ずる」というのは手のひらでグゥッと頭を押さえつけられているような、という(ことは本には出てこない)。
「面白い」
これは表情のこと。
顔の「おもて」。
表情のこと。
(このあたりも本の内容とは異なる)

 その「趣き」も「面(おも)」の関連語です。−中略−「おもぶく(おもむく)」は「面向く」の意味で、ある方向に向かって進むことです。−中略−
「趣き」もある方向へ向かっていくことから、心がある方向に動いていくこと、心の動きの意味となり、さらに事柄のだいたいの方向、趣旨などの意味になりました。
−中略−
「おもねる」です。人にへつらいこびることですが、これは面(おも)を向けて機嫌をとる動作を言う言葉です。
「おもねる」意味の漢字「佞・阿」。白川静さんによると「佞」も「阿」も、もとは神に祈る時の言葉巧みな、またねだるような姿態を言う語です。
(21頁)

「おもて」と「うら」というのは日本人にとっては重大な言葉。
あまりいい意味ではない。

武田先生の傷。
昨日、合気道の練習の時にマスダさんという握力の強いおじさんがいて、腕のつかみ合いをするので内出血する。
「痣(あざ)」
昔の人も手や足にあざができたのだろう。
ガァン!と打ったりなんかして。
この負傷するところを「あざ」で青紫の傷が残る。
「痣」
中は「志」。
ヤマイダレ。
「病」の上の部分を書いておいてそこに「志」。
「あざ」というのは「あやまった心」という意味。
その人の欠点から皮膚に残った打撲のあと。
これを「青あざ」と言うが、意図として「こいつに痣の一つも作らせてやろうか」と思う人がいるとする。
それが言葉になって「欺く(あざむく)」。

「欺く」は「『あざ』『向く』の複合語とみてよい」と白川静さんは説明しています。(46頁)

そしてうまく騙せたので物陰でヒヒヒと笑う。

 相手の欠点とするところを言葉に出して、明確に指摘し、嘲笑することを「あざける」と言います。(46頁)

うまいこと人を罠にはめたのでもう面白くて仕方がない。
「いやぁ、うまくいったな〜」というのを「鮮やか(あざやか)」に。
これもおそらく傷口から生まれた言葉ではないか。
見事に入るから。
「鮮やか」に「痣」が。

「詐欺」
「詐」は「木の枝を曲げて細工している」ということ。
「言葉を曲げてウソをついている」という意味。

左の「其」は「四角形」のものを意味する文字です。つまり「欺」は四角い、怖い鬼の面をかぶり、声を発して相手を驚かせて「あざむく」の意味の字です。(48頁)

言葉を曲げてお面をかぶって大声を出すというのは詐欺の特徴。
「おばあちゃん!200万円失くした!」とかというのを電話口で叫んだりなんかするという。
いずれにしろ顔を隠して声で伝えてくるもの。

「期」は少し抽象的な四角形ですが、ついでに紹介しておきましょう。「其」には四角形のものという意味から発して「一定の大きさのもの」という意味があるのです。そこから「時間の一定の大きさ」を「期」と言います。これは「時間を四角形の升」で、はかっていく感じですね。(49頁)

武田先生たちは団塊の世代。
「運が悪くてひどい国に生まれましたね」というのが小学校で教わったこと。
アジアの人たちにいっぱい迷惑をかけて、原子爆弾を二つも落とされて、戦争にボロ負けした国、という。
何も恨みも何もしていないが、小学校5年の時に、講堂に集められて月に何回か映画を見せてもらえるのだが、それが見た映画の中で覚えているのは『チョンリマ』だった。
(1964年8月末に封切りされた『チョンリマ(千里馬) 社会主義朝鮮の記録』のことを指していると思われる)
『チョンリマ』という北朝鮮の映画。
それでフィルムの中に収められた北朝鮮は素晴らしい国。
金日成という指導者がいて、毎年豊作。
お国の真ん中に「チョンリマ」といって天を駆ける馬がいる。
「とにかく日本でひどい目に遭ったりなんかしている朝鮮民族の人は帰りましょう」というキャンペーンの映画だった。
新聞社が応援していたし。
今でも残っている大きな新聞社がそのキャンペーンを応援している。
日本中で「北朝鮮にみんなで帰ろう」という。
「日本人も来てもいいんじゃないの?」「受け入れてくれるんじゃないの?」というような映画の内容。
私有財産もないからおじいさんは三匹のガチョウを飼っているのだが、そのガチョウを大事に育てている、という。
そのナレーションまで覚えている。
「このおじいさんの私有財産はガチョウが三匹。とても愉快なおじいさんと三匹のガチョウの暮らしです」
科学は進んでいる。
住宅は完璧。
農民はイキイキとして鎌で麦か何かを肩に背負いで「マンセー(만세)!」と言いながら広場に集まって。
収穫祭が終わればチマチョゴリを着てみんなでフォークダンス。
それでナレーションが「この朝鮮民主主義人民共和国は、そうです!『地上の楽園』と呼ばれています!」という。
ちょっとマインドコントロール的な映画。
でも日本はボロボロで、それに比べて北朝鮮は地上の楽園。
工業も科学も農業も全部発達している。
「あんたがたひどい国に生まれたね」という。
武田先生たちはそんなふうに思っていた。
「ろくな国に生まれていない」と思っていた。
高校時代にヒットしたベストセラーが『みにくい日本人』といって、国際社会で日本人がどのくらい嫌われているかを大使館の人が書いたという本で。
『万葉集の記号』だったか「万葉集を作ったのは朝鮮半島からやってきた亡命渡来人である」という本で、ベストセラーになった。
大和の王族、天皇家がすごくひどいことをして、日本の民をいじめているというのを万葉集の歌の中に隠して暗号で書いて。
それで万葉集をハングルで読んだらその暗号が解けて、日本の王族がやった非道なことが全部浮かび上がってくる、という。
そういう本がベストセラーになった。
その中で「日本の言葉は大半が朝鮮語でできている」という説で。
「祭り」というのは笛と太鼓のことを朝鮮語で「マトゥリ」。
朝鮮では「国」というのを向こうは「ナラ」という。
それで日本の都は「奈良」になった。
だから「日本語のほとんどは朝鮮の言葉です」ということがその本に書いてあった。
(その説を)「面白いなぁ」と思っていた武田先生。
ところがこの本は歴史家の人から「噴飯もの」という折り紙がつく。
なんでかというと万葉集が生まれた頃、朝鮮半島の王朝は漢字を朝鮮読みにしていて、ハングルは無い。
つまりハングルで読めば暗号が解けるというのはナンセンス。
それで「祭り」というのは朝鮮語ではない、日本語だ、と。
「奈良」も違う。
ところが武田先生がラジオでしゃべった。
「朝鮮語の『笛と太鼓』マトゥリが日本の『祭り』になったんだ」と。
それを学生だった、今社長をやっているイトウさんが聞いて感動したらしい。
それで学校に行って「俺らが使ってる言葉の半分ぐらいは朝鮮語なんだ」と言ったらクラス中が静まり返った、という。
あれから40年。
僕、間違ってました!
白川静先生によると「祭り」は「笛と太鼓」ではありません。
樹木の「松」です。

ゴロゴロ引いて歩くアレ(キャリーバッグのようなものを指していると思われる)が嫌いな武田先生。
みんな引いて歩いている。
男が引くというのに関して、引いて歩くのは嫌い。
女だったらいい。
「007」が旅をする時にあれを引いていたらおかしい。
人間には何かやっぱりシルエットがあるのではないか。
007がイギリスからアメリカに行く時にアレをガラガラ引きながら。
おかしい。
やっぱりアタッシュケースにしておいて欲しい。
「寅さん」だってそう。
寅さんがカートを引いていたらおかしい。
やっぱりトランクを提げていないと。
インディ・ジョーンズが(キャリーバッグを)引いてたらおかしい。

インディ・ジョーンズ/レイダース 失われたアーク《聖櫃》 (字幕版)



悪いヤツと戦っている時にアレを引きながら過ぎていったら。
やはり雑嚢っぽいので飛んで歩かないと。

正確には覚えていないのだが、武田先生は遠い昔、違う放送局で深夜放送の番組の中、本を読んで感動したので、そのことを喋った
万葉集を書いたのは亡命渡来人、朝鮮系の人たちで、その人たちが日本の貴族の悪さを告発する意味で万葉集の歌に書いた。
ハングルで読めばそれが分かる、という。
たとえば笛と太鼓。
それは朝鮮読みにすると「マトゥリ」「笛と太鼓」になる。
だから「お祭り」という。
それを信用したら、それをちょっとうっかりラジオでしゃべったら後にウソだとわかった。
では「祭り」とは何か。
樹木の「松」。

 白川静さんの『字訓』には「松」は「神を待つ木の意味であろうか」とあります。(50頁)

「り」はちょっとわからないが「まつ・り」。
これはどうして「祀」とか「奉」になったかというと、樹木の松なのだが、そこに神様が降りなきゃいけない。
そこで降りてくるまで待っている、という。
樹木の「松」という名称と、祈る人がそこで待っているということで「まつる」。
「いいことがありますように」とみんなで祈る。
それが「政(まつりごと)」という。
「政治」ということの別の読み方にもなった、という。

 その「まつる」の語尾に反復や継続を表す「ふ(う)」を加えた形の言葉に「まつろふ(まつろう)」があります。この「まつる」は奉ずることです。「まつろう」は継続的に奉ずることから服従する意味になりました。「まつろう」の漢字は「伏・服」です。(51〜52頁)

「待」には「寺」がありますが、この「寺」を含む文字の多くに「ものを保有し、その状態を継続する(保ち続ける)」意味があります。もともと「寺」が「持」の最初の字形ですが、この「寺」に「扌」(手)を加えた「持」は「手にもち続ける」意味の文字です。−中略−
「侍」は「はべる」「つかえる」と読む文字ですが
(52〜53頁)

「寺」という字は「土」の下に「寸」。
「寸」は手の形。
物を掴もうとする手の形のことが「寸」。
見えてくるとどんどん見えてくる。
例えば「尋」。
下に「寸」がある。
「ヨ」を書いて「エ」「ロ」と書いて「寸」。
「ヨ」は箱の片側が外れて中で異変が起こっている。
つまりこれは神様の祭壇みたいなところ。
そこの壁が外れてしまっている。
手前に書いてある「エ」「ロ」というのは貢物。
貢物を二つ置いた。
その手がまだ残っているので神様に「尋」ねる。

「祭」は「月」と「又」と「示」でできた文字です。「又」は「手」を表す字です。特に「右手」の形です。「月」は夜空の月ではなく、一枚の肉を表す「にくづき」です。「月」の字形内にある二つの横線は肉の筋の部分。そして「示」は神へのお供えものをのせるテーブルの形です。−中略−
 つまり「祭」は神への捧げものをのせるテーブル「示」の上に、お供えの「肉(月)」を「右手(又)」で置いて、神へのお祭りをするという意味の漢字です。
(53頁)

もう一回繰り返すが、朝鮮語の「笛と太鼓」は何の関係もなかった。


posted by ひと at 20:37| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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