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2020年08月13日

2019年9月30〜10月11日◆磐井の乱(前編)

これの続きです。

(番組冒頭は、前回までの放送の内容に間違いがあったので著者から指摘の手紙と著書を頂いた話)
磐井の乱。

磐井の乱の謎



 継体二十一年(五二七)六月−中略−筑紫国造・筑紫君磐井が、反旗を翻したのだ。(1頁)

なにゆえにその反乱を起こしたかと言うと、朝鮮半島問題。

高句麗、百済、新羅、伽耶の存亡をかけた争いの渦に、巻きこまれた。その中で磐井はヤマト政権の外交政策を批判し、ヤマト政権が手を組んでいた百済ではなく、新羅を選ぶべきだと主張したのである。(1頁)

そのことで連合ヤマトから戦を仕掛けられたのだが、不思議なことに息子が詫びると許している。
磐井は殺されたのだが。

『日本書紀』に従えば、磐井の子の葛子が糟屋屯倉を献上しただけで、許されたとあり、実際考古学者も、筑紫君らの眠る八女古墳群は岩戸山古墳ののちも継続したことをあきらかにしている。(173頁)

反逆者だから徹底してやっつけるかと思いきや、連合ヤマトは何を考えたかと言うと「やっぱり北部九州は怖い」。
こういう時代。
関さんから2〜3か所「これは違ってる」と注意されたが、武田先生の語り口調でしばしお聞きください。
間違ったところはまた第三弾でお詫びしたいと思う。
この関さんのおかげで、昔から古代史が好きだったのだが、やっぱり面白くなった。
ただし、ややこしい。
武田先生のお嬢さんが高校の時に使っていた日本史の年表を持ってきた。
これは便利がいい。
これは出来事だけがザーッと年表で縦に書いてあるもので。
でも書いてあることが相当古い。
だから相当改定されているのだが。
とにかく縦に物事が並べられているというのが武田先生にとって便利がいい。

前回にお話ししたのは、関さんがお書きになった本の前の方までだった。
6世紀に起こった磐井の反乱。
その前にどういう事情があったかと言うと、日本にはいろんな豪族がいて、その豪族たちが連合体を作り始めた。
防衛上の立場から西側が見えやすく東側が逃げやすいという奈良の地が選ばれた、ということ。
この連合ヤマトは奈良桜井の纒向というところにコンベンションセンターを置いて、主に東海、山陰、山陽の豪族たちがそこに集まって、その議長に天皇というポジションを置いた。
十代目の崇神は理由があって天皇の地位をしっかり固めようということになった。
これはこんなことを考えもしなかった。
北部九州がある。
そこは朝鮮半島との交流が盛んで、特に新羅と仲がよくて。
もう片一方の百済、朝鮮半島の左側はヤマトと仲が良かった。
その朝鮮半島から新しい文化とか、特に鉄が入って来る。
これがもうたまらなく魅力的。
とにかく鉄の武器を持っていれば最強の武器になるから。
新羅は何を持っていたかといったら「しら」だから「金」。
そういう鉱物資源に半島は恵まれていた。
それで朝鮮半島から生まれるものがものすごく貴重だったし、それで強力な国もできるのだが、もう一つ。
これは関さんの発想だと思うが病も入ってきた。
これが天然痘。
これは国を開く時に必ず伝染病が入ってくる。
ペリーの時はコレラ。
『JIN-仁-』でやっていた。

JIN-仁- DVD-BOX



とにかく外国から入ってきた病があまりにも悪さをするので、連合ヤマトは何か心のよりどころが欲しかった。
それが天皇ではないか?

いわゆる日韓問題がすごかった。
韓国の大統領も言葉遣いは激しい。
一国の大統領が日本国の首相に向かって「盗人猛々しい」というような表現をお使いになる。
こちらの翻訳がそうなってた。
韓国のこと、あるいは朝鮮半島のことを考えましょう。

昔から、韓国の方、朝鮮の方は日本のことをバカにして、とある隠語で日本人のことを呼ぶ。
前に話したことがあった。
例えば日本のガラの悪い人がアメリカ人を差別的に「ヤンキー」とかというような呼び名で。
韓国あるいは朝鮮では日本人のことを「ウェノム(왜놈、倭놈)」と言う。
これは「倭の野郎」というヤツ。
だから今話している話なのだが、韓国あるいは朝鮮の人が我々を罵倒する時の思いは倭国まで遡る。
金印で威張っている場合ではない。
「なんだ!ハンコ一つ貰ってデカい顔しやがって!盗人猛々しいとは!倭の野郎!」という。
「根性が曲がっている」というような意味で「ウェノム」と言う。
これは向こうの人も血相を変える。
一回だけ試したことがあった。
韓国の子に「俺たちは『ウェノム』だから」「ソレハ言ッテダメ!」と言われた。
それは強烈な言葉なのだが。
倭の特徴というのが、すぐ裸になりたがる。
これを韓国の人はものすごく軽蔑する。
日本人はホテルとか旅館に行って一杯やり始めると袖をまくる。
あれをものすごく軽蔑する。
なぜか?
これがいわゆる「儒礼」儒教にかなった礼儀作法。
いかに正しく服装を崩さず着て。
ところが日本人はリラックスしたら袖まくりはする。
何かもめごとがあって、ケンカにでもなろうものならガバッと脱いでしまう。
高倉健は殴り込みで必ず上を脱ぐ。
向こうの人はあきれ返って野蛮人ウェノムと思っているだろうけれども。
皇室の皇太子でさえも学校行事で遠泳の時、ふんどし一つで泳ぐ。
あれはもう、考えられない。
貴族がふんどし。
ふんどしなんて海賊の恰好。
それが平気。
それだけではない。
国技と言われているスポーツがふんどし(マワシ)一つ。
祭りと言えば北島(三郎)さんも歌ってらっしゃるが。

風雪ながれ旅/北の漁場/まつり



白い褌 ひきしめた
裸若衆に雪が舞う
祭りだ 祭りだ 祭りだ 豊年祭り
(北島三郎『まつり』)

祭りというのは神前で執り行う宗教行事。
その時に裸になる。
それだけではない。
「私は苦労して頑張った」という形容詞がよく使う。
「私は裸一貫からここまでやってきた!」というと日本人は「お〜!あの人は裸一貫だ!」「ロックで言えば矢沢永吉じゃん!」みたいな。
つまり裸になるということに関して隣国である半島の人たちと我々はことほど左様に違う。
向こうから見ると無礼。
裸の付き合いはしてはいけない。
そんなことをするから何回も何回も「慰謝料出せ!」とか「心から謝れ!」とか言われてしまう。
つまり我々は隣国でありながら裸という概念もこれほど違う。
日本は美的。
危機に際した時、ふんどし一つになるというのは自分の勇気を示すこと。
これほど違う半島と日本。
その皇太子でさえもふんどしになる。
何でか?
海人族の血ではないか?
農耕と中華文明で生きてきた半島の人たちに対して、我々ヤマトの人間は遥か海からやって来たという。
だから神話の中にも何人も乙姫様が出てくる。
私たちの体の血の中には海人族の血が混じっている。
それが決定的に文化の質を変えたのではないか?と。

前にお話ししたのは大陸から疫病。
パンデミック。
いわゆる疫病の大流行が襲ってくる。
これは国を開くと必ずそういう病が来る。
それは天然痘に関しては奈良県の連合ヤマトのエリア内で住民の半分が死んだというのだから、いかに恐ろしかったかわかる。
だから何とかして疫病を鎮めて欲しいということで、そこで頼ったのが海人族の血。
天孫族といわれるヤマトの王子はことごとく海人族の娘と結婚する。
天皇家というのは海の血が混じったまとめ役ということで独特の神話、伝説を作り始めた。

 三世紀後半から四世紀にかけて−中略−各地の首長(王)たちが新たな埋葬文化を受け入れ、ゆるやかな連合体が生まれた。これがヤマト建国だ。−中略−ヤマトは北部九州を潰しにかかっていたし(89頁)

何度も何度もヤマトはこの北部九州に「従え」「俺たちの仲間になろう」と言うのだが、北部九州はなかなか言うことを聞かないという。
筑紫には独特の王女がいた。
これが卑弥呼。
この卑弥呼を倒した。
そして奴国、伊都国も従えたのだが、また時が経つとこの奴国、伊都国、筑紫の国あたりが言うことを聞かない。
その一つが磐井の乱で、百済と手を結ぼうというヤマトに対して磐井は「ダメだ」「我々は新羅の方を応援する」という。
つまり朝鮮半島にあった反日勢力と親日勢力の激突。
それが磐井の乱を招いたんだ、と。
これが六世紀のこと。
ちょっとややこしい。
著者の関さんからも「アンタこことここが違うよ」と言われたのだが。
申し訳ないが関さんの御本は読んでいてわかりにくい。
横に年表を置いておかないと時代がどこに行ったのかわからなくなる。
でもなんとかとにかく上手に皆さん方にお話しを聞かせたいなと。
というのはやっぱり面白い。

連合ヤマト。
そのヤマトの国は天皇という「巫祝(ふしゅく)王」。
いわゆる祈りを力に変えるパワーを持った霊力を持った天皇家を作ってゆく。
その時に磐井が反乱を起こす。
これに対してヤマト軍が糸島方面からやってきて、豊前、大分方面から物部の兵が乗り込んで、激戦のうちに磐井を打ち破る、というワケで。
これはいっぱい出来事がある。
任那(番組では何度か「みなま」と言っているが「みまな」)。
これは日本が朝鮮半島に持っていたポリス国家。
小さなエリアを所有していた。
これが新羅に攻め込まれてピンチになった。
537年。
サエキシ(と聞こえたが「大伴連狭手彦」あたりのことか?)百済へ救援に出かける。
百済王が戦死する。
任那日本府が滅ぼされる。
ここは日本府という出先機関、領事館を持っていたのだが、それが562年に滅ぼされる。
海峡を挟んで日本と朝鮮半島の三つの勢力、高句麗、百済、そして新羅と絶えず戦闘状態にあったという。
そういうことが続いたのだろう。
この混乱の極みの中、連合ヤマトが百済対新羅の争いに巻き込まれているうちに高句麗が力を付けて南下を開始する。
これは今で言うとさらにわかりやすい。
韓国が反日と親日に分かれる。
今の状況と同じ。
高句麗というのは北朝鮮だと思ってください。
ワイドショーではないが、朝鮮情勢を語っていた。
辺真一(ピョン・ジンイル)さんは気の毒。
気のいい方なのに。
周りの人から「どうしようもないですねぇ」なんて、自分の祖国に向かって言いたくないだろう。
可愛そうに。
聞くなよそんなこと。
デーブ・スペクターははっきりと「韓国のことをこんなに熱心にニュースにしているのは日本だけですよ。北朝鮮もそんなに報道してないし、中国もほとんど報道してないし、ロシアもそんなに報道してないし。アメリカABC見てもあんまり出てきませんよ」と。
本当におっしゃるとおりかも知れない。
水谷譲の息子も言っていた。
「なんでこんなに韓国のことをやってんの?」と。
「ほっといてあげてもいいんじゃないかなぁ?」とも思ったりするのだが。
しかし申し訳ないが話を聞いていると面白い。
ごめんなさい、韓国の人。
辺さんがおっしゃった名言で、法務大臣の゙國(チョ・グク)さん。
色々問題があるのだろう。
辺さんがたった一言「一番の問題はですね、娘が頭が悪いっていうことですよ」。
本当にそう。
もしかしたらただそれだけのことかも知れない。
みんな大騒ぎをするが、法的問題よりも「娘ができが悪い」というのが。
通信簿まで公表するというようなザマなので。
まあそれはもう向こうに任せておいた方がいいんじゃないか?
でも大変悪いが、向こうの人たちが私たちのことを「このふんどし野郎」と言っても、司馬遼太郎さんがハラを抱えて笑う。
「ふんどし野郎」という侮蔑語を。
そのとおり。
私たちはふんどし民族。
男の戦闘態勢。
締め込みをした方が力が湧いてくる民族なので。
それはそれで別にいい。
何と言われようと。
だから「ウェノム」というのは言い当てている。
そんなふうに思う。

日本はどうも5〜6世紀、多重外交だったという。
朝鮮半島に対して新羅と仲良くする北部九州の国々と、それからその隣の百済と仲良くする連合ヤマト。
二つの外交勢力があった。
相反する外交体制にあったのではないか?
それで、高句麗、百済、新羅に任那とヤマトというので半島で大騒ぎしていたが、わりとスッと収まる。
何で収まったか?
それどころじゃなくなった。
中国に強力な大帝国ができた。
隋ができる。
何となく今と似ている。
それで皇帝の煬帝(ようだい)は半島情勢に乗り出してきた。
何と高句麗を隋がやっつけた。
今で言うと北朝鮮と中国が戦争を開始した。
その隋がぐんぐん半島を降りてくる。
もう連合ヤマト真っ青。
言うことを聞かない北部九州を横に置いておいて「とにかく集まれ」「みんな集まれ」
「隋てのが出てきたぞ」というワケで。
この時にその日本の連合ヤマトの方で力を持ったのが推古天皇。
これは女帝。
そして聖徳太子。
とにかく補佐役に回ってクイーンとプリンスで日本を守る。
とにかく北部九州は放っておこうと。
「お前たちいい。そのかわり他のとこしっかり集まれ」と言って強力に結び付く。
それ故にプリンス聖徳が言った名言が「和を以て貴しとする」という和の精神。
隋が起こったことにより日本を隋に気に入られる国にしなければならない。
それは何か?
仏教。
その仏教導入と共に百済が「仏教なら任せて」。
「お経はこう読む」「仏像はこう造る」というノウハウを教え始めてプリンス聖徳のお気に入りになっていく。
新羅の方もプレゼントを持って連合ヤマトに奈良まで挨拶に来ている。
それは隋が怖いから。
聖徳は推古天皇の補佐をしながら何を思ったかというと「絶対に隋とはケンカすまい」。
ところが北部九州が二重外交だから、しょうもない手紙を隋の煬帝に送っている。
その北部九州が送った文章が「日出る処の天子、日沈む処の天子にこれを送る。つつがなきや(日出處天子致書日沒處天子無恙云云)」。
すごい。
上から目線で。
「日が昇ってくるという勢いのいい我が国。オメェんところには日が沈んでゆく。どうだ、元気かい?」という。
それを見せられた煬帝が呆れかえっちゃって部下に言った名言がこう。
「蕃夷の書に無礼あらば、また以て聞するなかれ(帝覽之不ス 謂鴻臚卿曰 蠻夷書有無禮者 勿復以聞)」
「わぁ〜コイツらホント馬鹿だなぁ。まあ、無礼にもほどがある。よっ!俺の秘書。二度と持ってくんじゃない。俺んとこ見せに」と呆れかえってしまう。
これで呆れかえってくれたおかげで戦争にはならなかったけれども。
とにかく聖徳は真っ青になりながら、すぐに隋にお勉強。
それで小野妹子が出かける。
だから煬帝も日本が二重外交の国だとある程度知っていた。
そう思うとパアッと解けると思う。
それで小野妹子を派遣したら「OK!OK!」と向こうが言うワケだから。
それで「仏教導入OK。勉強すんのよ」というもので。
それで百済からやって来ていた百済人が一生懸命仏教を日本に教え始めたという。

ところが前にも御柱のところで話した。
どんどん仏教が入ってくると物部がふくれ始めた。
「なに?うち、神道あるけど?」「いや、そんなもんいいじゃないですか。神道なんかいらない。もう仏教勉強しなきゃダメ。国際的になれない」
今で言うと、そのころの仏教というのは「Can you speak English?」 みたいなもの。
ところは物部は自分のところはちゃんと神様を持っているのだから「別に俺、やんなくていいよ」というようなもの。
この対立の中から物部対聖徳太子の対立の構図になってゆく。
連合ヤマトは百済と仲良くして仏教、そして鉄を手に入れたい。
新羅と結びついた磐井の反乱が6世紀。
それはペッチャンコに押しつぶしたのだが、百済系の人々はその頃はたくさんヤマトに紛れ込んでいた。
ところがその中でちょっと至らぬことをする人もいる。
嘘情報を流す百済人が出始めた。
ミスリード。
操る。
そういうことが奈良の地、連合ヤマトのコンベンションセンターで起こり始めた古代。

これは日本史の教科書に載っていない。
こんなことがあった。
日本書紀によれば磐井の死から50年後の583年。
連合ヤマトに出入りしている百済の日羅(にちら)が連合ヤマトに密告をしている。

「百済人が策謀して、三百隻の船で筑紫(九州)の領土を奪おうと思っています。−中略−その時、壱岐や対馬に伏兵を置き、殺してください。要害の地には、固い要塞を築いてください」(189頁)

田中臣は、次のように述べた。
「百済は是反復多き国なり(百済は信用ならない国だ)」
 というのだ。すぐに、約束を違え、道路の距離も欺す人たちだと批判している。
(190頁)

(番組では上記は日羅の言葉と言っているが、本によると蘇我系豪族の田中臣)
古代日本では百済系の人たち、いわゆる半島の人たちが朝廷に潜り込んでロビイストとして活躍しながら、半島情勢を伝えたり仏教を伝えたりしながらも、結構日本を動かしていた、という。
百済の人たちにとっては仏教を教えることによって日本を支配できないかと思ったのだろう。
そんなこともあったのではないか。
それで帝に百済の王族たちは接近していく。
ところが国の中心である天皇というのは力としては大したことがないのだが、神の祈りを力に変えるパワーを持った、霊力を持った代表者として日本をまとめていく。
仏教が入って来る。
その時に独特の仏教を天皇家自らが作り始める。
仏教に完璧に帰依しない。
驚くなかれ、日本の神道と仏教をくっつけてしまう。
よくやった。
時々お祈りをする時に「南無八幡大菩薩」と言う。
とにかくこの神様の奇妙さは「八幡様」という日本にいる神様、それが大菩薩とくっついている。
だから「八幡大菩薩」。
これは日本の至る所で見られるのだが、日本の神と向こうの神様、インドの神様がドッキングする。
「お稲荷さん」もそう。
ハイエナらしい。
死んだ肉でも平気で喰う。
その生命力にあこがれてサンスクリット語で「ダキーニ(荼枳尼)」。
そういう神様になった。
ところがハイエナは日本にはいない。
一番似ているのは狐だった。
そんなふうにして日本独特の仏教にどんどん変えていく。
隋が誕生することによって聖徳太子は連合ヤマトに対して和を呼びかける。
外交を百済に牛耳られた連合ヤマト。
その聖徳太子に対して蘇我氏が対抗し、蘇我馬子が連合ヤマトの実権を握る。
この裏には聖徳太子があまりにも百済のロビイストに偏りすぎて「仏教に熱心である」という反発もあり、蘇我とか他の豪族たちも反発するのだが。
その蘇我入鹿は暗殺されている。
この隋が起こったのでやっと収まりかけていたのだが、その隋が滅びる。
これはいいチャンスかなぁ?と思いきや、何ととんでもないことに新羅が隋が滅んだ後の唐と外交を結ぶ。
つまり半島情勢は今、中国は無口にしているが、やはり後ろ側に必ず中国がいる。
古代から何も図式は変わっていない。
新羅が唐と結んだことで百済は日本にすがりつく。
「一緒に戦ってくれ」と。
それで半島に乗り出して行って連合ヤマトは662年のこと、白村江の戦いで川が血に染まるような大敗北を喫してしまう。
それで百済国はペッタンコに潰されて。
いい人がいっぱいいたのだろう。
連合ヤマトは「百済の人が可愛そうだ」というので大量に亡命する人たちを受け入れている。
百済王族は天皇のすぐ近くに仕える家臣にして。
二千人単位の半島人がヤマトまでやって来たというから、ヤマトは優しいもの。
これで百済の影響が日本から消えたということにならない。
ここからが関さんの説が面白い。

posted by ひと at 21:45| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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