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2020年09月19日

2019年12月16〜27日◆タコ(前編)

タコの心身問題??頭足類から考える意識の起源



「頭足類から考える意識の起源」という副題が付いている。
ピーター・ゴドフリー=スミスさんという方の科学本、レポート。
夏目大さんの訳で。
あの真面目な本で有名なみすず書房。
本屋をブラブラ歩いていて、ツカミの腰帯の文章が、何やら武田先生には奇怪に読めた。
曰く

進化はまったく違う経路で
心を少なくとも二度、つくった。
(本の帯)

一つは人や鳥類などの脊椎動物。
もう一つがタコやイカを含む頭足類。
この「心」というヤツ。
AKB(48)とかが「失恋した」とかと歌っているヤツ。
乃木坂(46)は強気に男の子の気持ちで「僕はそんなんじゃない」とか。
そんなふうに「心」を歌っているワケだが。
その「心」というのは「進化」というデカい俯瞰の見ると二回作られた。
その一番最初の心を作った、というか持ったのが「タコ」。
最初武田先生も「これで果たして『(今朝の)三枚おろし』おろせるのかな?」と思ったことがある。
とにかくこの方は生物哲学者で、生物を通して哲学を考える、という。
とにかくこのスミスさん、スキューバーダイビングが大好きなオーストラリアの生物学者で、哲学もやってらっしゃるという方。
この人はタコを見ているうちに「タコを思う、ゆえに我あり」という。
こういう哲学的な立場にお立ちになった。

 本書の原題はOther Mindsである。−中略−❝other minds❞は、「(人間とは)別の心、あるいは知性たち」という意味だ。(252頁)

どうやら心は私たち人間ばかりのものではないというのが彼の主張。
その心は「タコ」にあるとおっしゃる。
タコは「タコ焼き」とか。
「ひどいことするな」と人間のことを思っているのだろう。
「大阪のヤツは俺たちのことを焼きやがって!」とか。
そういうことを思っているかも知れない。
ということで「違う心を持っている生き物」ということで、思わずこの『三枚おろし』のまな板の上に置いてみた。

このスミスさんの不思議な不思議な研究所と言うか書斎に参りましょうか。
オーストラリア東海岸。
シドニーのある湾の海中へスミスさんは書斎に入るがごとくスキューバーダイビングで海底へ潜って行く。

ホタテ貝の散在する平坦な砂地の海底を何度か漂ううち、ローレンスは不思議なものに出くわした。積み上げられたホタテ貝の貝殻の山だ。何千という数の貝殻が積み重なっている。−中略−その貝殻の「ベッド」の上には、一〇匹を超えるタコがいた。(2〜3頁)

彼らはホタテを喰いながら、ついでにマンションまで建設するという。
非常にエコ。
そこにブクブクブク〜と潜った著者は、タコを観察する。
そこでこのスミスさんがタコに心をわしづかみにされたのは、タコは寄って来てツンツン触る。
決して獲物を捕まえるのではない。
探っている。
材質とかタコのイボにくっつきやすいとかチェックをする。
スキューバーの腕あたりを触る時と水中メガネのガラスを触る時とは違うので。
「あ、ここはくっつくんだ」とか「ここはあんまくっつかねぇな」とか。
「探る」という、そいういう仕草をする。
手というか脚で触ってくる繊細な動きを見ながら、このスミスさんという生物哲学者は「これは心だ」「心がそうさせてるんだ」。
タコがピュアな生き物であれば材質を調べない。
つまり「食べられる」か「食べられない」かだけ。
ところがこのタコは明らかに触って「コイツは何者だろう?」と考えているふう。
ということはスミスさん曰く「タコには心がある」そう思っていい。
ではこのタコの心はどうやって生まれたのか?
心を持っている生き物は実は地球上にいくらでもいるんだ、というスミスさんの発想。

「タコにも心がある」という、そういう著者の主張。
ピーター・ゴドフリー=スミスが書いた『タコの心身問題』。
ネコとか犬は「心があるなぁ」と思って触れ合うが、タコとかイカとかホタテには心を感じたことはないという水谷譲。
この『タコの心身問題』を読んでいて思ったが、この本を読んだ後はタコをおいそれと喰えなくなる武田先生。

著者は生命樹を遡る。
生命の分かれ道。

 地球は現在、約四六億歳と言われている。生物の歴史は約三八億年前に始まったとされる。−中略−動物の誕生は約一〇億年前か、それより後と言われている。(15頁)

(番組では「生物の歴史は36億年」と言ったようだが、本によると38億年)
その動物とは多細胞動物。

 神経系は多数の部分からなるが、中でも特に重要なのは、「ニューロン」と呼ばれる特異な形状をした細胞だ。−中略−もう一つは「化学物質の放出とその感知」だ。(25頁)

ニューロンをはたらかせ、維持するためには、大変な量のエネルギーが必要になる。−中略−私たち人間は、−中略−そのエネルギーの四分の一近くを、ただ脳の正常な活動を維持するためだけに消費している。(26頁)

とても綺麗な女優さんが妙なクスリで逮捕されたが、これはこの脳の中に薬物を入れてしまうという。
はっきり言って綺麗な方だが頭はタコ以下。
タコだって薬物は使わない。

ごく普通のタコ(マダコ)の身体には、合計で約五億個のニューロンがある。(59頁)

マダコは喰うと美味い。
刺身か何かで喰う。
あれは人間の頭で言うところの「脳神経」というのを5億持っている。

人間のニューロンの数はそれよりはるかに多い──約一〇〇〇億個だ−中略−タコのニューロン数は、犬にかなり近い。(59頁)

だから(タコに)名前を付けたら覚えるかも知れない。
「オクトパス!」とかと言うと「何?」と言いながらヌッと出て来たりする可能性がある。
だからニューロンだけで言えばタコはほとんど犬に近いというワケだから、脊椎を持たない生物の中で頭足類は異常なほど神経のスケールが大きい。
これは面白い。
人間の引き起こした何事かによって地球環境が変わっていく。
そのことに対して我々人類はすごい恐怖を持っているが、地球に安心して住んだことなんて生物はない。
地球とか大自然というのはいつも生き物を脅威に晒す。
「喰うか喰われるか」の世界。
その「喰うか喰われるか」のところからタコを見てみたい、と。
考えてくれ!タコのことを。
全裸で生きている。
タコの全裸は生々しい。
タコの先祖はオウムガイ。
(と番組では言っているが、本によるとオウムガイは共通の先祖であって、直接の先祖ではない)
原始の海に浮かんでいたと言われるオウムガイという、グルグル巻いたヤツがいる。
殻を捨ててタコになった。
潔い。
あれだけの鎧を捨てて全裸になったというのは、よっぽどの事情がある。
元々は着ていたものを捨てているワケだから、そこにタコの進化がある。
ちゃんと鎧を持っていたくせに、環境に適応するために、あえて危険な全裸になったという。
そこがタコに感動するところ。
「やるな!タコ」というヤツ。
約5億4千2百万年前のこと、カンブリア紀という時代を迎える。
タコ・イカというのは別の姿をしていて、その別の姿こそカメロケラスという古いタイプのオウムガイの形をしていた。
(カメロケラスも先祖はタコ・イカと共通だが、タコ・イカの先祖ではない)
それが何故にかあの姿に。
このあたりの進化の妙。

地球環境自体が比較的おとなしくなって生物たちが様々な種類に分かれていく。
それがカンブリア紀。
まずは海の中、カメロケラスという巻貝の一種だったタコの先祖もそこを生きていた。
「海の中」と言うと、これは基本が「喰う」「喰われる」。
とにかく襲われたら固い身(「殻」の間違いか?)の中に身を潜らせて助かるというようなことをやっていたら、今度は歯の丈夫なヤツが出てきて。
サメみたいなヤツが殻ごと喰っちゃう。
「これはたまらんなぁ」というもので。
何でこのサメみたいなヤツが出来たかというと、これは脊椎動物。
水の中で速く動くために表に持っていた殻を体の内側に取り込んで、真ん中に芯を作ってくねらせるという。
最初の頃はみんな鎧を外に着ていたが、だんだん内側に着るようになってくねらせて推進力を得るようになった。
そう考えると進化はすごい。
だから「何が幸いか」「何が不幸か」というのは生き物は決められない。
国際情勢もそう。
そんなふうに朝から色々とニュースが年末に飛び込んでいる。
何が幸か不幸かわからない。
非情な不幸が、ある幸せのスタートになったりする。
カメロケラスという巻貝はもうひたすら喰われた。
殻が固くて重い。
だから歯が弱いヤツには大丈夫。
丈夫なヤツには捕まって喰われちゃう。
このへんはやっぱり生きていくのは難しいもの。
このカンブリア紀に何とか歯の丈夫な魚に負けないようなものになりたいと思ったのがオウムガイ。
オウムガイは海を浅く深くが潜水艦みたいに微調整できる。
深海を上下しながらオウムガイはあきらめた。
他の生き物の刺身を喰うのをあきらめて「俺は死んだヤツをもっぱら喰おう」ということで海底の死んだ魚を餌にするようになった。
そこからオウムガイは今でも生きている。
このカンブリア紀から2億年経っても今でも生きている。
「生きてる化石」と言われている。
そう言われるのも切ないが。
「ひっそり生きていこう」とオウムガイは思った。
その中でとんでもないことを考えた一派がいた。
それがお待ちかね、軟体動物「タコ」。
タコは何を思ったか。
「身を守るために重い殻を着るという考え方が間違ってた。もういらない!もう鎧なんかいらない!俺は素っ裸で生きていく」
カッコイイ。
日本人にぴったり。
日本人はピンチになると裸になりたがる。
例えば高倉健さんが片肌を脱いで。
それからジャーン!と火事場で火の手がバーッと上がると一心助みたいな若造がスパーッと上半身裸になってマトイを振るう。
「遠山の金さん」だって犯人を追い詰める時には必ず上半身を脱ぐ。
半身を脱ぐというのはやっぱりすごい決意。
紀伊国屋文左衛門。
ミカンを運んでいる途中、大波が来る度に念仏を唱えながら裸になる。
何かあるとフンドシ一つになる。
総理大臣で偉かった新潟出身の人。
「(田中角栄のマネで)裸一貫!一生懸命生きてまいりました!」
「裸一貫」というのはもういよいよ最後のサバイバルに賭ける生き物の姿。
それがタコなんだ。
カンブリア紀にタコは脱いだ。
「冗談じゃねぇや!ここまでは俺は!」とブワーッと脱いだのがタコ。
タコは偉い。
タコが考えたことはただ一つ。
身を守るために鎧を着るのではない。
それよりも身を守るんだったらば、逃げるスピードを上げることなんだ。
これはすごい。
この「裸一貫になる・ならない」が朝鮮半島の文化と日本の違い。
朝鮮文化、韓国の人は裸になる人を嫌う。
ものすごく軽蔑なさる。
向こうは礼儀の国。
私たちは野蛮な国、ということで。
華夷秩序、中国が決めた秩序の中では日本は最下位の国。
それはちゃんと韓国の教科書に書いてある。
そういう国宝もある。
アジアじゅうの種族が中国の皇帝の宮殿に招かれた。
その一番端にフンドシのヤツがいる。
そのヤツの頭のところに「倭」と書いてある。
我々のこと。
日本人はとにかく裸になりたがる。
祭りでも裸になる。
だから日本人はタコと相性がいい。
だからお正月の重箱に酢だこが入っているという?

タコとイカは違う。
イカは貝であった頃の殻の一部をほんのわずかだが体内に留めている。
凄まじいのはタコ。
タコは殻を全部捨てた。

殻がなくなると、攻撃に対しては弱くなるが、その代わりに行動の自由度は高まる。(55頁)

 頭足類の身体が現在の形状へと進化する過程で、もう一つの変かも同時に起きた。一部の頭足類が賢くなっていったのである。(59頁)

これは知性があると言っていい。
知性というものの評価は難しいが、彼ら頭足類は目を持つ。

タコを含む頭足類は非常に優れた目を持っている。目のつくりは、大まかには私たち人間のものと同じである。−中略−だが、目の背後にある神経系のつくりは、タコと人間では大きく異なっている。(60頁)

人間は脳の中で組み立て直す。
目から入ってきた情報を形にしたり色にしたり。
スクリーンがないのに映写機だけ立派なヤツを持っているみたいな。
それで博多はイカが大好き。
とにかくおもてなしは透き通ったイカ。
お刺身で出す。
必ず丸ごと一匹。
頭が付いている。
(タコの)足が酒を飲ませて少し動かないと博多のお客さんが喜ばない。
目ん玉でこっちを見ているワケだから「この野郎!喰いやがって!」とかと思っているのだろう。
この目からの情報は脊椎動物の場合は脳から繋がって束ねられている。
タコの場合、目の情報は八本の腕、それぞれに行く。
脳が一か所にない。
タコは合議制。
タコが一匹で民主主義。
メリットはそれぞれに判断できる。
八個脳がある。
一匹が「餌かも知んねぇな」と思う。
それで触って「喰える!」というと他の手足の方も「え?喰えんの?」「喰えるの?」と足が寄ってくる。
そういう合議制で全体が動いている。

 タコに関する研究は、初期にはほとんどイタリアのナポリ海洋研究所で行われていた。−中略−
 一九五九年、
−中略−デューズは三匹のタコを訓練した。その結果、タコは三匹とも、レバーを操作して食物を得ることができるようになっている。タコがレバーを引くと、ライトが光り、報酬としてイワシの小片が与えられる。デューズによれば、三匹のタコのうちの二匹、アルバートとバートラムはかなり一貫して期待された行動をとることができたという。ところがもう一匹のタコ、チャールズはあとの二匹とは違っていた。−中略−チャールズは何度も腕をライトに巻きつけて、かなり強い力を加えた。(62〜63頁)

つまり好奇心が餌ではなくてライトの方を優先させた。
これはやっぱり「不思議なものに触れたい」という「心」の痕跡がある。
実験者の方もタコがライトをいたずらするのでひっぱがそうとしたらしい。
ライトをいたずらされると感電とかいろいろあるので。
そうしたらその人に向かってタコが水をかけた。
あわててその人が飛びのくとタコは腕を離して水槽の奥の方に沈んでおとなしくなった。
以降、タコはこの人が来る度にいちいち潜るようになった。
(このあたりの内容はかなり本とは異なる)
つまり見ていて認識している。
「コイツ、俺がライト触ろうとした時にひっぺがしたヤツだ」という。
ということは、別人か同一人物かをジャッジして、それ以降の行動を予測できる。
これはちょっとすごい。
これは全世界の学者さんが確認した化学的事実。
タコはただのタコではない。

二〇〇九年、インドネシアのある研究者グループは、野生のタコが半分に割れたココナツの殻を二つ抱えて歩いているのを発見して驚いた。なんと、その殻をタコは持ち運び可能なシェルターとして利用していたのだ。殻は綺麗に真っ二つに割れていたので、間違いなく人間が二つに割ってから捨てたものだろう。タコは偶然それを拾ってうまく役立てたわけだ。一方の殻をもう一方の殻の中に入れることもある。それを身体の下に抱えて海底を歩くのだ。−中略−殻を二つ合わせて球にし、自分がその中に入ることもある。(77頁)

これで「カラス級の知恵があるんじゃないか?」という。
それからもう一つだが、そこの土産物店の近くだったのだろう。
ナタデココが瓶売りか何かしていて誰かがポーンと投げたのだろう。
海の底にナタデココが沈んでいたらタコが腕で抱えて一本だけ手を入れて拾って喰っていたという。
(という話は本にはない)
だから手が八本あるので、入りやすい腕を選んでナタデココを1個ずつ喰っていたという。
ガラス容器の細い管の奥の奥にある餌を目で見て、腕の一本のみを管を通し這わせて獲得する。
これは何が重大か、というと明らかに脳で考え、目で確認しつつ、腕にある支店の脳に依頼して餌を獲るという、何重もの思考を経て喰っていた。
この筆者の形容詞だが「タコは八頭立ての馬に牽かれて走る、御者が操る生き物である」と。
これは面白い。
目に浮かぶ。

(葛飾)北斎なんかもそうだが、タコをやたらと描きたがる。
女の人を誘惑して、指先でもてあそんでいるタコとか。
春画でいやらしい方だが。
日本人は「タコの八ちゃん」じゃないが、タコに妙に人格を宿す。
タコの「知」みたいな。
知識。
タコの脳みたいなことに昔から直感で気づいていたのではないか。
でも人に文句を言う時に「このタコ!」と言うので、もっとタコをリスペクトしてもいいと思う水谷譲。
だがタコと(人間を)同列に置く。
「このタコ」というのは上から目線だが、少なくとも完全否定ではない。
「この犬野郎」というよりも「このタコ」と言われた方が・・・

タコの心臓は一つではなく、三つだ。また、その心臓が送り出す血液は赤ではなく、青緑色をしている。酸素を運ぶのに鉄ではなく、胴を使うからだ。(90頁)

時として自分の腕の動きを他人のように見つめることがある。

タコにも、一応、脳という指揮者はいる。−中略−指揮者からはおおまかな、全般的な司令は受けるが、演奏の細かい部分をどうするのが最適かはプレーヤーを信頼しプレーヤー自信に判断させる。(130頁)

 頭足類は一般に(すべてではないが、その多くが)身体の色を変える能力に長けている。−中略−頭足類の変色は、カメレオンより速いし、色の種類も豊富だ。大型のコウイカは、その身体全体が、色のついた模様を映し出すスクリーンのようになっていると言っていい。−中略−まるでネオンサインか雲のようだ。(132〜133頁)

皮膚にはまず、最も外側の層がある。−中略−一つ下の層には色素胞という組織がある。−中略−
 一つの色素胞が発するのは一色だけだ。同じ頭足類でも使える色は、種によって異なるが、ほぼどの種でも基本になる色は三つだ。ジャイアント・カトルフィッシュは、赤、黄色、黒/茶色という三種類の色素胞を持つ。
(134〜135頁)

ところがこのイカは、他にも数多くの色を発することができる。たとえば、青や緑紫、銀白色など、この仕組みでは出せないはずの色を出すのだ。こうした色を発するのは、さらに下の層にある機構である。この層には、何種類かの、光を反射する細胞がある。−中略−この仕組みによって、色素胞では出せない、緑や青を発することも可能になる。(135頁)

ここにもまた、タコ・イカの不思議がある。

posted by ひと at 07:35| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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