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医学書院。
前は吃音。
(2019年6月17〜28日◆吃音)
ああいうのを取り上げた同じ出版社。
武田先生には面白かった。
(本の)腰帯に
人間は、
食べて出すだけの
一本の管。
(だが、悩める管だ・・・・・。)
今回、取り上げた病は「潰瘍性大腸炎」。
どこかで聞いたことはないか?
安倍(晋三)さん。
この潰瘍性大腸炎というのはメディアを通じて伝わってきたが、この潰瘍性大腸炎、政治局面を転換させたという病。
その同じ病に苦しむ著者が、その病についていろんな考察を巡らしたという。
はっきり言う。
食事と排泄。
これは生物にとって当たり前のことなのだが、この食事と排泄を奪ってしまうという。
これは絶望の病。
この頭木さんという方の呻吟、苦しみ、うめき声、それが文章の奥から伝わってくるようで。
フッとお辞めになったあの首相の顔と重なった時に、この潰瘍性大腸炎というのが「いかに不条理の病か」ということを教えてくれる。
この頭木さん、著者の体験というのも重大なのだが、朝から申し訳ないが、この本の中には排泄にまつわる体験エピソードが出てくるのだが、人間としての営みということで、不快がらずにお付き合いのほど、とお願いする次第。
潰瘍性大腸炎。
大学三年の二十歳のときだった。
それまではとても健康だった。(13頁)
自分の大腸がどこにあるかも知らない、普通の元気な若者であった。
ある日のこと、突然下痢がきた。
下痢が続いていた。−中略−ある日、赤い便が出た。(12頁)
そんなことから「出すこと」に関する不調が続く。
本人は自己診断で「痔の一種ではないか?」。
(ということは本にはない)
病院というのは、遠い存在だった。誰かが行くところであり、自分が行くところではなかった。(13頁)
さらに消化のいいものを食べるようにして摂生を続けていた。(12頁)
するとある日、出血がとまった。−中略−下痢も治まった。(13頁)
それでまた、大学に通うという青春が続く。
あとになって知ったことだが、これこそが潰瘍性大腸炎の典型的な症状だった。何もしないでも、いったん治ったりすることがあるのだ。(14頁)
薬も飲まずに「一旦、元に戻った」という、この希望はデカい。
「ただの下痢だったんだ」「ほっとけば治るじゃん」というのは病人にとっては最高の希望だから。
普通の状態に戻っていたのは、一週間くらいだったと思う。(14頁)
それまで元気いっぱいで過ごしていたのだが、その一週間が過ぎると、突然の下痢。
しかも血が混じる。
その血の混じり方が半端ではない。
大出血。
潰瘍性大腸炎。
名前の通り、大腸の粘膜に炎症が起きて、潰瘍ができる。(25頁)
潰瘍性大腸炎の患者は毎年増加していて、一九八〇年には約四四〇〇人だったのが−中略−二〇一九年には二〇万人以上に。−中略−欧米ではもっと多く、日本の十倍程度の発症率らしい。(25頁)
直腸の長さは約二十センチ。大腸全体の長さは平均一.六メートル。(26頁)
大腸は「?」の下の点をとったような形をしているようだ。(26頁)
潰瘍性大腸炎はいったんなると、もう一生、直らない。(27頁)
炎症がどれくらい激しいか、炎症が治まるかどうか、薬が効くかどうかなど、いろいろある。(27頁)
炎症が治まることはある。これを「寛解」と呼ぶ。そして、また炎症が起きることを「再燃」と呼ぶ。
寛解と再燃をくり返すのが一般的で(27頁)
潰瘍性大腸炎の原因はわかっていない。
自己免疫反応の異常という説が有力なようで(29頁)
遺伝に関しては、何らかの遺伝的因子が関与していると考えられているが、潰瘍性大腸炎の患者の子どもが潰瘍性大腸炎になったりするわけではなく、まだよくわかっていないようだ。(30頁)
覚えてらっしゃいますか?
コロナ禍の大騒ぎの中、突然安倍元総理が総理の座を降りられたワケだが、そんなことも込みで、皆さんにはいささか遠い病かも知れないが、潰瘍性大腸炎、いかに人間をくじくか、少し考えてみたいと思う。
頭木さんの本を読んでいて、身に迫ってくるのが排泄をコントロールできない苦しさ。
これは凄い。
この潰瘍性大腸炎は出血と下痢の苦しみだそうで。
著者はもちろん、ぶり返した下痢に関して不審に思って病院に行く。
ところが診断を受けるため、着替えをしている最中に漏らしてしまう。
はっきり言ってストッパーが効かない。
ザーッと出てくる。
それで汚したところを拭いて、汚れた下着を隠して医者の所へ行くのだが、行って座っても座っている椅子にしてしまう。
これはキツい。
それで即刻入院ということ。
(上記の入院に至る経緯は本の内容とは異なる)
親を呼ばなければいけないと医師に言われた。
しかし、親のいる郷里は山口県で遠く−中略−親に電話をした。病院の公衆電話からかけた。−中略−受話器を持つのが重くて、−中略−そのときの私には、鉄アレイのようだった。(20〜21頁)
下血しているもので、もの凄い勢いで体力が消えていくそうだ。
わずかでも風が吹くと、本当によろけた。(21頁)
このショッキングな入院から彼は「食べること」「出すこと」の闘いのような闘病生活が始まる。
入院して、まず最初に行われたのが「絶食」。−中略−
水も飲まないほうがいいと言われた。(36頁)
目的は、潰瘍のできている大腸を休めることにある。(36頁)
「中心静脈栄養」というのをすることになった。これも点滴なのだが、−中略−鎖骨の上あたりの血管をメスで切って、そこから管を入れていく。(37頁)
それでも便が出るというから凄い。
腸自体の細胞の入れ替わりなどによる老廃物や、腸内細菌の死体だけでもかなりの量あるとのこと。(42頁)
絶食は、一か月以上続いた。(42頁)
一週間もすると、なんだかおかしな感じになってきた。−中略−
なにか不一致で、違和感があるのだ。体のどこかが「?」を発信している。(43頁)
食欲に関係なく、とにかく口で何かを噛みたい。
この「噛みたい」というのは武田先生もわかる。
歯が悪くて部分入れ歯・入れ歯でも、何か固いものを噛みたい。
サクサクという骨に響く音というのは生きている実感。
ところが、噛むことができない。
とにかく胃も喉も顎も動かさず。
お腹は空かないらしい。
恐怖。
糞便が自分の肛門で調節できずにストーンと落ちてくるという「あの屈辱」というのはそこまで人間を食物から遠ざける。
なんといっても強烈だったのが、舌。
何か味がしてほしいのだ。(45頁)
「バナナ味とかの歯磨き粉を使ってみたら?」とアドバイスしてくれた人がいて、−中略−これはまったくダメだった。
不自然なバナナの味は、とても不快で、歯を磨く間、我慢することさえ無理だった。(49〜50頁)
これは、舌が敏感になって人工的化学成分で原料を見抜ける。
水谷譲は達者だからない。
武田先生はある。
よく覚えているが、心臓病で一か月(入院を)した。
(病院から)出てきてからお医者さんから「ちょこっとだけだったらアルコールも」と言われた。
それでいつも飲んでいる焼酎を飲んだ。
臭くて飲めない。
焼酎も商売なので純粋な焼酎というのは難しい。
ちょっと処理してある。
それを味で感じてしまう。
ワインなんかは薬臭くてダメ。
舌が敏感になりすぎて、純粋なものしか入らない。
それで嘔吐する。
この人の言っていることはわかる。
そして一か月以上の絶食治療がやっと終了して、お父さんお母さんが駆けつけて
まず最初は、ヨーグルトを食べていいということになった。−中略−
その頃はまだ生きていた父が、病院の売店にはいいヨーグルトがないからと、知らない土地でかなり歩き回って、質のいいヨーグルトを探してきてくれた。
ふたを開けて、ひとさじすくった。−中略−
すると、そのとたん、口の中で爆発が起きた!(51頁)
味の爆発だ。おいしいとか、そういうなまやさしいものではなく、とんでもなく強烈に味がしたのだ。(52頁)
ここから著者は壮絶な生活に入っていく。
(CM前のコーナーで新型コロナウイルスの蔓延による健康志向で「植物肉」が身近になったという話題。武田先生の家ではコロナ以前からレンコンで作ったハンバーグを(不満ながら)食べている。その話に引き続いて)
「レンコンのハンバーグは美味しい」と思う水谷譲。
この方(著者)はICUを出て入院生活も終わってシャバに戻ってくる。
もう「シャバ」という言い方がいい。
いわゆる「世間」に出てくるのだが、ここからがまた大変。
この方、頭木さんの病院から出た後の退院生活。
それを語る。
「三食」「三回食べる」ということは暮らしの基本になるワケだが、ここでも潰瘍性大腸炎の人は「大腸に負担をかけない」これが条件。
すると潰瘍性大腸炎の場合は、世間の「体によい食品」あるいは「大腸によい食品」こういうものは一変する。
水谷譲は今、「レンコン」とかと言ったが潰瘍性大腸炎は(レンコンは)ダメ。
繊維のきつい野菜もとらないほうがいいと言われた。ゴボウとかレンコンとかタケノコとか。食べていいのは、ほうれん草の葉先とか、やわらかいものだけ。
キノコ類はすべて不可。
イカやタコも、不消化だからよくないと言われた。(66頁)
刺激物もダメだと言われた。コショウやトウガラシというレベルはもちろん、コーヒーや紅茶もよくない。アルコールはもちろん厳禁。甘い物もやめておいたほうがいいと言われた。−中略−
お腹の中に傷があるわけで、そこにしみるものはダメということなのだろうか。(66頁)
果物も、イチゴのように種が取り除けないものはダメ(67頁)
「じゃあ食べるもの、ないじゃないか?」と言ったら僅かにある。
豆腐、半熟卵、細かく切ったササミ。
これを食べて生きるという。
凄い。
私は十三年間、ずっと「豆腐と半熟卵とササミの日々」だった。(76頁)
だからわかる。
一国の総理ができるワケがない。
会食も多いし、異国に行って「いや、豆腐しかダメなんですよ」とは言えない。
もちろん重症・軽症があるので一概ではないのかも知れないが、注意なさっていることは同じではないかと思うと本当に不自由な生活。
つらかったのは「噛み心地に飽きる」ということだった。(77頁)
大腸に食べ物のカスが行かなければいいわけで、だったら、口でもぐもぐして、その後、出してしまえばいいのではないかと思った。−中略−大きなボウルを小脇に置いて、思う存分、口で舌で歯で顎で味わって、汚い話で恐縮だが、ボウルの中に吐き出した。−中略−
しかし、後がよくなかった。おかしな感じになってしまった。
頭だけがなんだかカッカッする。−中略−
口では味がしっかりしたのに、身体の中には何も入ってこないから、信号の不一致で脳や身体が混乱したのかもしれない。(80〜81頁)
いつも心の中で思っていたことは「食べることは命の危険」。
そういう緊張に晒されるそうだ。
うまく食べられない人間は、うまく生きることもできないのではないだろうか。(90頁)
筆者はこのあたりで不条理を感じ、文学的にはカフカの作品に惹かれ始める。
彼の作品の中に自分と同じ病の同じ症状を感じるので、カフカも何か病態があったのではないだろうか、という。
そのカフカの目で世間を見ると、「物を喰う」ということに関して、他者に対して自分の生命力を見せつけようとする浅ましさがある。
若い人の無闇な食欲を見ていると。
だんだん神経がとがってくるのだ。
食べることによって「死を忘れよう」とか、「死から遠ざかろう」という本能が人間にはあるような気がする、と。
たしかに、葬式でも人は大いに飲み食いする。(93頁)
あれはやっぱり「喰うこと」によって慰めを。
そう言われてみると武田先生もハッとしたが、民放のニュースを見ていたら「コロナで〇人死にました」とか「〇〇では火事で子供が焼け死にました」「事故で老人がまた暴走して〇人死にました」死の情報をニュース番組でやる。
死者の報道の後は番組の締めくくり「食べ物の特集」と「天気予報」で終わる。
あれは、それを挟み込まないと「生きていく」という活力が番組から伝えられないかも知れないから「食べる」ということは死を遠ざける、ある意味では唯一の方法。
そういう儀式なのかも知れないとは、この方は鋭い感性。
しかし、人と一緒に食べるということを禁じられた苦しさがいかなるものか。
我々が気づかないことを頭木さんの文章は教えてくれる。
この方は「出すこと」排便の方に潰瘍性大腸炎で障害が。
「食べること」が制御される。
食べることを制御することで生きていくことがいかに困難か。
これはやっぱり頭木さんの「病の目」というのが我々の暮らしを、その本質を教えてくれる。
この頭木さんがおっしゃっているのは「人と人との間には、いつも食べ物が置かれている」。
「食べる」「飲む」というのは人間関係のことだ。
これは鋭い。
この頭木さんがおっしゃるのは大腸に病が取り付くと日本人の同調圧力をもの凄く感じるそうだ。
食物、あるいはビールの一杯は「踏み絵」となる、という。
頭木さんは、潰瘍性大腸炎の苦しみを飲む席でもやむなく告白するそうだ。
「すみません。これはちょっと無理でして」と返事をする。難病のことは知っているので、むこうも「ああそうですか。それは残念です」と引き下がってくれる。
ところが、少しすると、何事もなかったかのように、また勧めてくるのである。ねんのために、「病気で無理で……」とあらめて(原文ママ。「あらためて」か?)説明する。
それでも、「少しくらいなら大丈夫なんじゃないですか」と妙にしつこい。(113頁)
「飲めない」ということを、言葉で説明することの困難さ。
これを二度三度断ると座がスーッと暗くなる、という。
座で共に食べること「共食」は日本ではほとんど宗教儀式だ。
「共に食べない」ということがタブーだ、という。
彼がいかに食事が辛かったかをわかる。
こんな思いをして生きている人も世の中にはいる。
世間は広い。
皆さん、忘れまいぞ。
そんな頭木さんだが、ある年のこと、安らぎの時が訪れる。
2020年春先ぐらいからホッとする。
何でかというと新型コロナによるパンデミックの緊急事態宣言。
これでお国自らが「固まって食事しないでくれ」。
その時に彼は心から安堵した。
個食でないと食べられない人もいる。
もうズバリ言うと「突然の下痢」というのは時に激しくて、下血した場合、トイレで気を失うこともある。
トイレに間に合ってする。
その時によく便器を見ていないと。
真っ赤な血が染まる時は何かに掴まっていないと。
というのは、そのまま気を失って立ち上がれなくなることがある。
この症状を軽減するために免疫力を抑え込む。
大腸が異常反応をしている。
食物をばい菌だと思う。
それで、免疫が作動して自分で大腸を攻撃する。
そういう病。
病気の治療のために使っているプレドニンという薬には、免疫力を低下させるという副作用があり、人の病気が移りやすくなるからだ。電車で隣の席の人がゴホンと言っただけで、もう数日後にはカゼで寝込んだりする。−中略−水疱瘡を移されて入院したときには(254頁)
電車の中で、カゼをひいているのにマスクもせず、セキやクシャミを連発している人がいると、どうしても怒りを感じてしまう。(255頁)
ところがこのコロナのパンデミックの中では、マスクをしているので比較的プレドニンが使えたという。
ホッとすることができた。
これあたりを聞くと、もちろん病気だから軽い・重いがある。
この方、著者の方は相当重たい方なので、ズバリ同じ病だからといって同じ苦しみをということではないのだが、とにかくこの厄介さ、たまらない。
潰瘍性大腸炎という非常に厄介な病気についての『(今朝の)三枚おろし』。
排泄にまつわることなので、朝から何ではあるが、罹っていない方には関係ないかも知れないが「大変な病だなぁ」というふうに思う。
この頭木さんの文章の書き方が実に率直で真に迫っている。
排泄に関してコントロールが効かないというのは生き物としてつらい。
特に日本などでは排泄についてはひどく個室に籠りたがる。
でないとやっぱり出ないと思うし。
便のことをどうのこうのと言われると屈辱を感じる。
家族なんて容赦がないから。
武田先生の愚痴。
本当に申し訳ないと思うが、歳を取って便の臭いがきついらしく、奥様から便所の外で「臭〜い!」とかと言われるともう何か・・・
本当に生きる力を奪われるような気が。
だが不思議なもので、奥様(が作った)食事をしていると臭くない。
やっぱり食物繊維系統を摂ると。
武田先生の家は玄関にすぐ(トイレが)あるのだが(奥様から)「アァタ昨日、肉、食べなかった?」と言われると・・・
「あれ?昨日何食べたんだろう」というような時がある水谷譲。
植物系を食べていると(便の)臭いがない。
我が家の鉄則。
「アァタは四回水を流して」
臭いが残るから。
家族は注文が細かくなる。
「出したらすぐ流して!パパ臭うと思って溜めてない?やめて!」とかと。
もう、本当に細かくなる。
コマーシャルでしきりに言う。
「奥さん、飛び散っているんですよ」というヤツがいる。
「こんなところまで臭いは飛び散っているんですよ」
もう「飛び散っている」ばっかり言われる。
「アァタ!飛び散っているのよ!」
でも考えたら飛び散っていない。
(便器の上を)塞いでいるのは武田先生の尻なのだから飛び散りようがない。
(トイレを立ってすると)トイレを閉めた後で(残尿が)出てくる。
男のアレというのはUの字に曲がっているので、少し残る。
立ってすると最後まで・・・
一回出した後、まだ残っている。
出し切ってからゆっくり出てきてもらいたいと思う水谷譲。
座っていたら出ない。
いろいろこっちだってある。
パンツを履いた後、アッ!と出てくるのが嫌。
この頭木さんの指摘が「出すことは絶えず笑いに結びつけられた」とおっしゃる。
これは身に迫る。
昔、ドリフターズの加藤茶に「うんこちんちん」というギャグがあった。
『クレヨンしんちゃん』でも、ぶりぶりざえもんが人気で、「拭いていないお尻攻撃」が得意技だったりする。
『うんこ漢字ドリル』−中略−
下ネタは、いつの時代も人気がある。(139頁)
「出す」とは生命にとって重大ではあるが、「出す姿」はこっけいであり、排泄というのは人に見せない工夫で姿を晒すことなく、人と動物の羞恥の差で分けられる。
人は排泄を人に見せない。
犬は見せるということで羞恥の壁はそこにあるのだ。
つまり、その人の持っている人間というものが崩れていく前提が「排泄を人に任せる」という。
これはきつい例えだが書いてあったので取り上げる。
新選組の沖田総司などは、咳だから色気があるわけで、あれがもし下痢で、斬り合いの最中に咳き込んでいるのではなく、漏れそうになっていたとしたら、色気もなにもあったものではない。−中略−悲劇なのに、喜劇っぽいというのは、当人にとっては、よけい悲劇なのだ。(151頁)
私たちは潰瘍性大腸炎ではないものだから、こうやってお話ができるのだが。
「こういう病もある」ということを頭の隅に置いておきましょう。
そして「元総理がそのような病であった」ということを考えれば「お気の毒」・・・
「ウソをついたことと病気をしたことは別に考えたい」と思う水谷譲。
(公式サイトでは翌週の26日まで「食べること 出すこと」となっているが、実際には次のテーマ)