これの続きです。
エラ・アル=シャマヒーさん。
この方は進化人類生物学者。
学者さん。
ただ片一方ではタレント業もやっておられて、女性の方だと思うのだが違っていたらごめんなさい。
アラブ世界の方らしくて、その方がイギリスで出された本。
シェイクハンド、「人はなぜ握手をするのか」。
コロナパンデミックのお陰ですっかり悪者にされた握手だが、握手にも深い歴史があるのだよという。
握手が巻き起こした出来事というか、握手の歴史を振り返ってみようという。
先週の締めくくりは、ダイアナ妃のHIVの患者さんとの握手が世界的に衝撃を与えて、差別とか偏見があったHIVの患者さんに対してダイアナ妃が率先して握手したことによって新しい潮流を作り始めたという握手。
今日はこれをいってみようかなと思って。
水谷譲はお若いからあまりよく覚えていないか。
マルコムXとマーティン・ルーサー・キングは、共にアフリカ系アメリカ人で、公民権運動をリードした巨人である。ただし、アメリカで人種的平等をいかにして実現するかについては(控えめに言えば)必ずしも意見が一致していなかった。−中略−
1964年3月25日、−中略−マルコムXは、人種差別に関する上院の公聴会を傍聴するため議会を訪れた。するとそこに、マーティン・ルーサー・キングの姿もあった。マルコムXはキングに近づき握手をすると、こう言った。「私は公民権運動の渦中に身を投じるつもりです」。2人の次の会談は1965年2月に予定されていたが、キングが仲間とともにセルマで逮捕されたため、実現することはなかった。そして、2月25日、マルコムXは暗殺された。(148頁)
(番組での説明は本の内容とは若干異なる)
実らなかった握手だが、本当に悔しい、惜しむべき二人の握手であったという。
果たせなかったのは無念だが一つの握手がこれ程の歴史を変えるかも知れないというような一瞬であったというところに、我々は希望を見つけていこうというふうに思う。
握手はかくの如く西洋社会に於いては重大なる接触儀礼。
「握手」で、今週は歴史に残っている名握手、珍握手を取り上げていこうかなと思う。
昨年のことだがお亡くなりになったエリザベス女王。
この方の名握手はもう何といってもイギリスの方は忘れないだろう。
IRA(アイルランド共和軍)。
これはもう大英帝国とこのアイルランドは仲が悪かった。
歴史的にも凄い対立があって。
ところが偉大なる儀礼だが
2012年のイギリス女王エリザベス2世と元IRA司令官(当時はシンフェイン党副党首)マーティン・マクギネスの握手は「過去を水に流す握手」の際たる例と言えるのだ。(149頁)
これは女王と握手だから、イギリス社会にとってもの凄く重大。
去年もちょっと騒ぎになっていた。
ポール・マッカートニーのお嬢さんがエリザベス女王の前に行ったらあがってしまって、エリザベス女王と握手してしまった。
(正式には)エリザベス女王の前に行ったら右手を胸に置いて、目線を伏せてちょこんとかがむ。
それなのだが「女王だ」というので緊張し過ぎてしまって、(女王が)出てきたら何もかも忘れて握手をしてしまって。
あの女王は人当たりは抜群の人だから(女王も握手を返した)。
ポール・マッカートニーのお嬢さんはもっとあがってしまって、現代っ子だったのでエリザベス女王に抱き着いてしまった。
やってはいけないことを全部やったというので。
だがもう、おどおどなさっているのがはっきりわかっているので、もの凄く彼女の愛嬌になったというような。
重大であるといえば、これは映画の名場面を見ているような気がする。
1995年のこと、南アフリカに重大な政局の変化がある。
というのも、ずっとアパルトヘイトで黒人を差別してきた南アフリカ、そこにネルソン・マンデラという黒人の大統領が誕生したという。
これは大変なもの。
そんな中、ネルソン・マンデラが、ヨハネスブルグで開催されたラグビーワールドカップ決勝戦の会場に現れた。(151頁)
ラグビーは白人のスポーツであり、南アフリカ代表チーム、スプリングボクスは人種差別主義政権の象徴的存在であった。(150頁)
この人種差別の国、南アフリカ。
その会場にマンデラ大統領がやってくる。
もうそれだけで場内騒然という感じ。
ところが会場に現れたマンデラを見て観衆は喝采と歓声で彼を迎えた。
グリーンのスプリングボクスのユニフォームとキャップを身に付け−中略−キャプテンのフランソワ・ピナールは(151頁)
その試合で南アフリカはニュージーランドを破り、優勝を決めた。試合後、表彰台でネルソン・マンデラはフランソワ・ピナールと握手を交わし、優勝トロフィーを手渡した。(151頁)
「ありがとう、フランソワ。君たちがこの国のために成し遂げたことに感謝しているよ」。私は飛び上がって彼にハグしたい気持ちを抑えて、こう言った。「−中略−
あなたが私たちの国のためになさったことに感謝しています」(151頁)
できたばかりの新しい国家だが、この握手一発で南アフリカは国としてまとまったという。
武田先生の言い方は品がない。
「一発で」
(握手ではなく)バウではダメ。
バウでは何かが伝わらない。
この「握手であった」という。
しかもマンデラさんは白人ラグビーチームのユニフォームを着ておられた。
その白人ラグビーチームのユニフォームに付いた
背番号は代表キャプテンと同じ6番だった。(151頁)
集まった観客−中略−誰もが強い感銘を受け、スタンドから「ネルソン、ネルソン」のシュプレヒコールが沸き起こった。(151頁)
一国をまとめあげた一つの握手。
アパルトヘイトなんていうのは大変な問題を抱えるのだが、このへんに人種問題の根深さがあるが、アメリカにもこういう日々が来るといい。
作者のアル=シャマヒーさんがおっしゃっているのはシンプルな握手というジェスチャーで、これ程多くの人々を感動させる動作、仕草、儀礼はこの世にはない。
1936年、ナチスの支配下で行なわれたベルリンオリンピックは、−中略−
アフリカ系アメリカ人選手のジェシー・オーエンスは4つの金メダルと獲得したが−中略−
オリンピック初日、ヒトラーは金メダルを獲得したドイツ人選手とフィンランド人選手とは握手をしたが、アフリカ系アメリカ人で同じく金メダルを獲得したコーネリアス・ジョンソンとは握手をしないまま競技場を後にした。(161頁)
(番組では初日にヒトラーが握手をしなかった相手をオーエンスであるように説明しているが、本によると上記のように別の選手)
ヒトラーは握手をする代わりに何をしたかというと、ナチス式敬礼をして彼の前を通り過ぎたという。
ここから人種問題はややこしい。
このヒトラーをオーエンスは決して恨まなかった。
この握手拒否問題に関して、ジェシー・オーエンスが次のように述べている点だ。「ヒトラーは私を無視してはいない。無視したのは(アメリカの)ルーズベルト大統領だ。大統領は電報の一本もよこさなかった」。(162頁)
ニューヨークでは彼の勝利を祝してパレードと祝賀会が催されたが、オーエンスは自分の祝賀会に出席するというのに、会場となったホテル、ウォルドルフ=アストリアでは業務用エレベーターを使わなければならなかった。アフリカ系アメリカ人が同ホテルの正面玄関を使うのは禁止されていたからだ。(162頁)
ジェシー・オーエンスは4個の金メダルを獲った方なのだが、ヒトラーよりもルーズベルトを激しく批判し続けたという。
それにつけても握手というのは波紋を広げる。
虚しい握手もある。
1972年、当時のアメリカ大統領ニクソンが、25年にわたる米中の対立に終止符を打ち、新たな外交関係を構築する第一歩として、空路中国入りした。滑走路でニクソンを迎えたのは周恩来首相であった。(156頁)
固い握手。
もうあの瞬間に「敵対する国はソ連だけだ」というような感情になった。
決定的な瞬間。
「もう世界平和は80%以上完成した」そう世界中の人が思った。
だが米中対立は少しも治まらず対立したまま。
ではニクソンと周恩来のあの握手は何だったのか?
つまりこういうことだ。周恩来は首相であって、中華人民共和国の最高指導者ではない。最高指導者は毛沢東主席だったのだから。(157頁)
周恩来というのは二番手の人なので中国との握手にはカウントされない。
だが国家というものが握手というものを平和条約を結んでハンコを押すよりも強く激しく感じているところなのだろう。
見ているとわかるが、皇室は握手をしない。
天皇陛下は握手をしない。
それは「国政ではない」ということ。
外国からお客様が来て宮中晩餐会が開かれる
日本は料理はフランス料理。
その時はシャンパンで乾杯。
武田先生は知らなかったが、グラスをぶつけてはいけない。
国際的な礼儀で、グラスを接触させない。
フランス料理はグラスをぶつけない。
カチンと言わせない。
そういうことは品がない。
会釈するだけ。
悲劇の握手というのもある。
アメリカ大統領ウィリアム・マッキンリーは、「マッキンリー握り」という超効率的な握手で知られている。彼はこの握手のおかげで、選挙遊説中、1分間に50人と握手ができたという。(170頁)
1901年9月6日まで続いた。この日、ニューヨーク州バッファローで開かれていた博覧会を訪れた彼は、レオン・チョルゴッシュという男に撃たれてしまう。チョルゴッシュは握手をするふりをしてマッキンリー大統領に近づいたのだ。(170頁)
午後4時7分にチョルゴッシュが右手をハンカチでくるんで近づいたとき、マッキンリー大統領は彼が怪我をしていると思い、暗殺者の左手を取ろうと手を伸ばした。チョルゴッシュは大統領に向かって2度発砲した。(171頁)
マッキンリーは握手をするのだけで人気を得た人で、最も得意技で死んでしまったという。
しかし、お気の毒な。
暗殺がその頃、多かったのだろう。
2020年の始め、握手はコロナにより危険な習慣とされ公衆衛生の為、世界で禁止された。
人の命を脅かす握手はヒステリックに否定された。
しかし、握手が否定されたのは歴史上、これが初めてではない。
紀元541年から542年に発生したユスティニアヌスのペストでは2500万人から1億人の死者が出たと言われ、−中略−
現代人の記憶に(かすかに)残るものとしては、1918年のスペイン風邪があり、全世界で5000万人以上が死亡した。(174頁)
2020年3月、ドイツのアンゲラ・メルケル首相とホルスト・ゼーホーファー内務大臣のこんなやり取りがカメラに収められた。最初、首相は握手をしようと手を差し出したのだが、大臣は少し戸惑ったような表情でこれを拒んだ。(176頁)
オランダのマルク・ルッテ首相は、全国的に握手をやめるという方針を発表した直後に、そばにいた保健当局者と握手をしてしまった。(176頁)
やっぱりそれぐらいナチュラルな儀礼。
それをやっぱり「コロナだから禁止する」というのはやっぱりむごい気がする。
気の毒なのはデンマークで市民権を申請した人々だ。彼らは申請が正式に認められない状態でいつまでも待たされることになった。というのも、デンマークでは帰化を認めるセレモニーで握手をすることが法的に求められているからだ。(177頁)
向こうの人達にとって「握手」という接触というのは、もの凄い重要なことで、
システィーナ礼拝堂にあるミケランジェロの有名なフレスコ画、『アダムの創造』は、神とアダムが今まさに指先を触れあおうとしている場面を描いている。(67頁)
「神との接触から人間は生まれた」という、そういう文明と宗教を持っていると「接する」というのがいかに重大か。
我々はバウの国に住んでいるので、ヨーロッパではやっぱり握手できない息苦しさというのは・・・
二週に亘って握手の文化史というか歴史を振り返りつつ、いろいろとよもやまの話をした。
かつて握手は700万年前の人類も握手の習慣を持っていたという。
恐らく、サルの時代、類人猿の時代から人々は手と手を握り合うという仕草を仲間内で持っていたのだろう。
理屈は様々あるかと思うが、これはもう人間の生き物としての証のような儀礼ではないかというふうに思う。
ただ、スタートは2019年(末)でいいのか、中国から始まったコロナ・パンデミックによって接触というのが凄く嫌われて握手は禁止になった。
拳と拳を合わせたり肘と肘で軽く触れあうとか、そういうことが大ヒットしたのだが。コロナが弱毒性になると、まず西洋社会が取り戻したのが握手。
西洋の文化の中にこれがないと成立しないのだろう。
ウクライナに攻め込んだロシア。
昨年のクールなプーチン大統領が大宴会場の端と端で話すみたいな。
長いテーブルの先に部下を置いて。
これは何を意味しているかというと、やっぱり接触。
移されるのが怖くて、そういう体制をなさったのだろう。
コロナもそうだし、人をあまり近くに寄せたくないという「狙われている」とか恐怖心みたいなものがあるのではないかと思う水谷譲。
武田先生がプーチンさんでよく覚えているのが、安倍さんのところに遅刻してこられたことがある。
わざと遅れて。
本当に人を待たせるのが平気な素晴らしい人だった。
武田先生達はその時丁度、山口のあのあたりを歌でブラブラ歩いていた。
何が凄いかというと、プーチンが通った国道がある。
脇に竹藪とか茂みとか一切なかった。
「どこからか茂みに隠れて」というのを警戒して。
あれは要求なさったのだろう。
山口県の茂みを全部切ってしまったようだ。
自分の安全に関してはもう凄いナーバスな。
だから側近に会う時でさえもテーブルの遥か向こう側に座らせて。
ところがあれほど孤高の人だったのだが、そのプーチン氏が男たちと肩を組んで握手を連発する。
去年のこと。
ドネツク、ルハンスク、ザポリージャ、ヘルソン、4州をロシアに編入した時。
(「編入賛成が約87〜99%」ロシア、ウクライナ4州を併合手続きへ 国際社会の理解は得られず:東京新聞 TOKYO Web)
その四人の州知事というか一番偉いさんを呼んで「これからロシアになります」と彼等が宣言したその中央にプーチン大統領は立っていて「これからその州はロシアのものだ」という時にその知事達と固い握手をなさって、もう肩を抱き寄せ合ってフラッシュを焚かれておられた。
よっぽど嬉しかったのだろう。
その4州もいまやガタガタ。
「ウクライナが取り返した」とは言わないが、この4州に関して世界のどの国もロシアのものと認めていない。
だが、あのあたりの興奮でプーチンさんはカーッと血が昇ったのだろう。
以外と小男。
大男の多いロシアの人々の間でプーチンさんは小男。
今まで気づかなかった。
体をがっちり鍛えていることばかり強調されて。
ところがザポリージャとかヘルソン州のデッカい知事に囲まれると。
うち一人は交通事故で死んでしまったが。
何で死んだのだろう?
あのグループは死にまつわる話題が多すぎる。
だがあの大男に囲まれると「ああ、小男だなぁ」という。
その「並ぶと小男に見える」という見た目さえも忘れるぐらいあの時にプーチンさんは高揚なさっていて、接触も厭わず握手を繰り返されておったというのは、ある意味冷静さを失った。
「あの接触を大嫌いな方でさえも」という。
とにかく儀礼として握手が取り上げられたヨーロッパ世界というのがいかに大きく揺れたかというのはわかったろうと思う。
様々な出来事を引き起こす、それは握手。
その握手がやめられないというのは人類の遺伝子の中に深く刻まれた接触に対する本能というか。
そうやって考えると「危ない」とか「感染症の元だ」とおっしゃるかも知れないが、ウィズ・コロナの時代、ウイルスやバクテリアと共に人類も生きてゆくのだという意味で握手というのは大事な習慣ではなかろうか。
接触は人類にとって、それほど大事な感覚であるという。
そのことをクルクル話を回しながら終わった今週。
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2023年01月25日
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