スウェーデンのストックホルムの精神科医であるアンデシュ・ハンセンさんがお書きになった「運動脳」。
これを三枚おろしにかけている。
その前は「70歳が老化の分かれ道」詩想社新書、和田秀樹先生。
もう大注目の心の病の先生。
この両方の本とも、さすがお医者さんだけあって言っていることは同じ。
和田先生はザックリという感じだが、ハンセンさんはちょっと専門的。
人間の脳の方から考えておられる。
前頭葉、物事を考えたり出来事を比べたりする考え事の前頭葉。
前頭葉や前頭前皮質など、ストレスを抑える脳の部位は、最後に完成する。−中略−25歳ぐらいになるまで完成しない。いっぽう扁桃体のようなストレスを生み出す部位は、17歳ぐらいでほぼ完成する。(88頁)
扁桃体を切除されたサルたちには、恐怖を感じたり警戒したりする様子がまったく見られなかった。
それどころか、興味津々でヘビをつかんで振りまわし、おもちゃにしてあそんだのである。(92頁)
この扁桃体が過剰に働き過ぎるとカッとなって闘い方を忘れて「相手の耳かじっちゃった」みたいなことをしでかしてしまうという。
とにかく脳というものは扁桃体・海馬・前頭葉この三者で共通の仕事をしており、ストレス、不安を耐えつつ生存の為にバランスをとる。
余りにも扁桃体にストレスがかかり過ぎると海馬も前頭葉もコルチゾールという脳内ホルモンが出て、縮みあがってしまって失敗を繰り返す。
だからあんまり叱られ過ぎるとかえって同じ失敗をするというのはこのこと。
このへん、叱る方も是非気を付けていただきたい。
叱られ続けるということは脳の萎縮を招くらしくて、認知機能に大きな影響を与えて、認知機能の衰えを早めてしまう引き金になる。
物は言いようなので、なにとぞ優しくご指導のほどを。
このコルチゾールというストレス濃度にブレーキを外からかけられる術。
それがスポーツ。
つまり運動をして動くことしかコルチゾールを減らすというブレーキ役は無い。
ではなぜ運動をするとストレスは減少するのか?
この例えがこの先生の面白いところで、
それはサバンナのサルの時代にまで遡る。
武田先生はこの「サバンナのサル」という言葉が好き。
アフリカの東海岸が草原になる。
その草原の中で森がら出てきたサルは生きなければならない。
だが彼には森が無くなったお陰で身を守る術がない。
牙もなければ爪もない。
ただ遠くを見渡す為にこのサルは立ち上がった。
それで立ち上がったところから進化が始まったという。
これはサバンナで立ち上がったサルの特徴なのだが、100mを数秒で走るケモノにはとてもとてもこのサルは勝てない。
ところが、ここから。
このサバンナで立ち上がったサル。
これは獲物を追いかけ始めると数日間、飲まず喰わずで追いかけることができたという。
このサルの脳の中に側坐核という豆粒代の脳内ホルモンの為の部位があり、追跡にくたびれるとそこから励ましの神経伝達物質が分泌される。
ランニングハイ。
(番組内ではずっと「ランニングハイ」と言っているのでそのまま記述するが、本では「ランナーズハイ」)
くたびれているのだが、スパーッと気持ちよくなる。
ランニングハイという現象なのだが、ドーパミンというのが脳内ホルモンで左右していて、苦痛が彼に逆に集中力を与え、充実感、心地よい達成感を与えてくれる。
だからサバンナで立ち上がったサル
これはドーパミンが出るので気持ちよくなって更に追いかけることができるという。
もうまさに「ランニングハイ」。
苦しければ苦しいほど気持ちよくなるという。
そして人間というのがこのへんから生まれてきたのだろう。
苦痛と快感が結びついてしまうという。
これは凄い特徴。
苦痛であればある程、ドーパミンの分泌量は増えるワケで、草原のサルは運動による苦痛を快感の始まりとした。
サバンナのサルはここから獲物の為だったらどこまでも追いかけて行こうと思ったという。
それがアフリカから歩き出した「旅するサル」に人間を変えたという。
サルを人間にしたという。
このドーパミンは歩くことにより増やせるが、簡単にもっと増やせる方法がある。
それがランニングハイ、走ること。
走るとドーパミンの分泌量が一挙に増える。
(このあたりの説明は本の内容とは異なる)
アンデシュ・ハンセンさんの「運動脳」を三枚におろしているワケだが、このアンデシュ・ハンセンドクターは走ることの素晴らしさを延々と勧め続けるという。
もちろん歩くと健康にいい。
だが「走るともっといい」というのがハンセンさんの言い分。
これは走るとなんでもっといいのかを確かめる為に、いつもの歩いているところを走ってみた。
「走る」と「歩く」。
「何が違うのかな?」と思って。
水谷譲はマラソンが苦手。
疲れるだけ。
歩くのは好き。
だが、「歩く」と「走る」はやはり違う。
これは自分の体で確かめたことで、何でこのハンセンドクターがこんなに勧めるのかと思うと、走るとわかるが歩くよりも注意力が必要になる。
これは自分でやってみたのだが、歩くよりも走ると集中力が必要で、視覚、或いは肌からの情報を取り入れ、解析していかなければ走れない。
「走れない」というのは極端だが、凸凹した野原とか道とか歩道とか全部を交えて走ると思ってください。
そこには傾斜がある。
季節によって路面も変わる。
そうすると歩いているとワリと目線が遠くを見る。
数十m先を見る。
あまり足元を見ない。
これが走ると足元に注意を向けておかないと次の4〜5歩先に何があるかというのを絶えず情報で入れておかないと、けつまづいたり、滑ったり、つんのめったり、高低差でたたらを踏んだり、それが出てくる。
ということは、注意力の鋭さが走りにはある。
その視覚情報、目で見るのは大事。
聴覚も。
車のブーブーの音が後ろから来たら「車、来るな」。
走っていると気になる。
もう一つ武田先生は「これがデカいんじゃないかな」と思う。
皮膚。
走っていると頬とか、夏場の季節のいい頃は腿とかをすり抜けてゆく大気に関して過敏になる。
この皮膚を感じることによって環境の情報を取り入れるということが、凄く人間の考える能力、前頭葉を刺激するのではないだろうか?
サバンナで狩りをするサル達。
それが前頭葉をどんどん膨らませたという。
前頭葉は考えなければならない。
何を考えるか?
獲物をこのまま追い続けるか、ここらへんで諦める。
その為には集中しなければならないので、このあたりで人間の脳が「情報をどう分析するか」の能力が高められた。
このハンセン博士の面白いところは、人間の捉え方がサバンナで立ち上がったサルとして捉えてある。
それでハンセン博士はこんなことを言っている。
現代の子供の中に集中力欠如の発達障害がある。
これは多動性障害と呼ばれる
最近よく話題になる。
これは現代では「発達障害」として扱われているのだが、ハンセン博士は発達障害ではなくて人間が持っていた能力をそのまま維持している人ではないか?という。
私達がADHDの症状だと考える特性、つまり衝動性は多動性は、迅速な決断が必要な活動的な環境で暮らす狩猟民族にとっては有利になるということだ。(153頁)
歩きまわり、狩りをし、食べ物がなくなれば別の場所に移動するといった生活のなかでは、じっとしていられずに思いつきで行動することが、「行動力があって迅速に判断を下す」ことと同じ意味なのかもしれない。−中略−
人類の歴史のほとんどで、私たちはそういった環境で暮らしていた。(154頁)
人間はサバンナで立ち上がったサルの時から、全部同じにならないように一生懸命獲物を追うヤツもいれば、キョロキョロしながら新しい出来事を探すヤツもいるという。
いろんなタイプがいないと群れがキープできなかったという。
こういう発想は面白い。
人間が進歩していく上で必要な人ということ。
様々な能力というのを現代では一方だけしか使わないので。
でも、それは生き物として非常に危険。
「発達障害」と呼ばれているのも実は人間が生き残る為に用意された才能の持ち主であると考えると様々、人間がいるということの面白さがあるような気がする。
人類は東アフリカを発祥の地とし、10万年かけて地球上に徐々に広がっていった。(154頁)
そのサルの時の記憶を持っているという。
今、その時代と比べて変わったのは定住が基本になっている。
昔は定住がない。
移動する為には様々な人がいなければならなかったという。
それが人類の面白さ。
私達が今、ここにきて肝に銘ずべきことは
私たちの脳は100年経っても1万2000年経っても、さほど大きく変化していない。(31頁)
だからサバンナのサルが爽快になることをやれば、私達も爽快になるという。
サルの如く生きるという。
このアンデシュ・ハンセン博士の言葉の中に「うつ病になって薬物を服用する。そんなことも現代社会ではあるかも知れんが、それだったらば歩いてみること。もっといいのは走ってみること」。
これはなかなか身に堪える。
それでもマラソンはやはり苦手な水谷譲。
どこかで思い切ってちょっと速足で歩き出す。
もの凄いのはダメ。
ちょっと速足でいい。
それで疲れたらすぐ止まる。
武田先生も(走ることは)始めたばかりだから
だが、走ることがいかにいいかどうかは、更に自分の体を使って勉強しながら皆さんにご報告したいと思う。
すべての人の脳は少しずつ縮んでいる。25歳ごろから、1年で約0.5%ずつ小さくなっているのだ。(187頁)
これが65を過ぎ、70を過ぎるとうつ状態が加速する。
これに対抗するのは運動しかない。
運動すると脳細胞が作れる。
これは凄い。
運動をする体は脳を作るそうだ。
記憶中枢といわれる海馬は、ちょうど親指ほどの大きさで、タツノオトシゴに似た形をしている。海馬も、やはり年齢を重ねるにつれて縮んでいき(210頁)
縮むことが物忘れの元凶。
最近物忘れがとても多くなってきた水谷譲。
眼鏡を失くすのが嫌になる武田先生。
どこに置いたかわからない。
「さっきまでここにあったのに」が見えなくなる。
これはまさしく海馬。
海馬が縮んでいる。
海馬というのは「これちゃんと覚えときますか?」「それともすぐ忘れますか?」それを決定する部位。
「これを覚えとけよ」というとそこから前頭葉に行って記憶になって長期保存される。
「あの男への恨み」とか。
そういうことで記憶される。
海馬はとにかくすぐ忘れるかいつまでも覚えているかを選択するという。
BDNFの仕事は−中略−脳の細胞間のつながりを強化し、学習や記憶の力を高めている。(184頁)
水谷譲が前に武田先生を叱りつけたハンガーの架け方。
武田先生はカギ棒のところを手前にしてしまう。
あれは「取り出す時に必ず逆になってしまうのでカギ棒を奥に向けて引っ掛けなさい」。
そんなのは男はわからない。
それと同じで海馬がそう行動するように条件付けしてある。
だから条件付けというのが一種の運動。
何か月か前になるが、そういう番組に出たのであの無念を忘れない。
クイズ番組がキツい。
「脳を鍛える」みたいな。
頭のいい国立に行っている大学生が考えたクイズをやらせる番組がある。
いじわるな二人組のコンビで回している。
あれに出た武田先生。
(「今夜はナゾトレ」を指しているものと思われる)
そうすると出題は歴史と漢字。
ずっと武田先生はトップ。
得意分野。
他のいわゆるお笑い芸人達が次々と転ぶ中、ずっと答え続けて。
武田先生は答えた問題が十問中間違えたのは一問も無かった。
全部当てた。
それにわからない人の時に、武田先生はわかったものだから手を挙げた。
そうしたら司会者の何とかというシワだらけの人(上田晋也を指していると思われる)が「クイズ番組ですよ。クイズ番組で自分がわかるからって手を挙げる人はいませんよ!番組のことも考えてください!」。
ジジイなのでわかると嬉しくて「ハイ!ハイ!ハイ!」。
違う人が答えなければいけないのだが、わかったものだから手を挙げてしまった。
それで最後に認知トレーニングの為の「脳トレ」とかというクイズができなくて。
最下位。
まあ、あのシワだらけの司会者が喜ぶ喜ぶ。
バカにするする。
トップだったのに。
この脳トレが果たして度忘れを防ぐ為のトレーニングになるかどうか。
これはアンデシュ・ハンセンさんが本の中に書いてある。
昨日ちょっと話を引っ張り過ぎたのだが、今、また本屋に行って(クイズ番組に)今度また呼ばれた時の為に番組の勉強をしようと思って。
脳トレの本を出る前に一冊丸ごとやっている。
それでもできない。
脳トレのクイズは難しいと思う水谷譲。
「あじさい」を「朝顔」と言うぐらいのバカ。
その誰かが見ただけで解く。
使っている脳の場所が違うということだと思う。
出される問題の意味がわからない。
問題はそこ。
問題の意味がわからない。
それを十人ぐらいのゲストがいてどんどん解いて、武田先生一人。
一番最後まで残ったのが高畑淳子。
それで向こうへ行ってしまって武田先生一人。
司会者がどれほど武田先生をあざ笑うか。
話はこれではない。
それはそれでしっかり自分で勉強する。
脳トレ関連のコンピュータゲームの売り上げは、年間で100億ドル以上にものぼるという。(244頁)
「コンピュータゲームが本当に脳の認知能力を高めるのか」という問いに答えが出たのである。(245頁)
その答えは、容赦なく否定的なものだった。コンピュータゲームやアプリが提供する様々な認知トレーニングは、−中略−知能が高くなったり、集中力や創造性が改善されたり、あるいは記憶力が向上したりといった効果はないことがわかったのである。(245頁)
本当に番組で叫びたい。
それはできない。
脳を生き生きと使う為には、視床下部という脳の部位があるのだが、情報のフィルターを強靭にして前頭葉に送るという。
脳が考え事をする時は、星座をつくるみたいに、何か一つ思いついたら、それが次々に結びついていって「ヒシャクの形をしている」という、そういう記憶で残ってゆく。
だから、脳は縮むのだが新しいアイデアは結び付きによって無限に広がってゆくので、結びつくように物事を発想していきましょうという。
ワケのわからない「脳トレ」で厳しく当たられても腐らずにその脳トレができない自分から脳をトレーニングしてゆくという、そういうことが大事。
ちょっと具体的に言いにくい。
「自分が広がってゆく」ということ。
「コッチ方面苦手だから」と避けないで。
脳が急速に成長を始めたのは、わずか100万年ほど前だ。タンパク質の摂取量が増えて、栄養状態がよくなったからだろう。
そして、たったの10万年前に、私たちの祖先の思考能力は飛躍的に進歩し──この時期は一般的に「認知革命」と呼ばれる(331頁)
サバンナのサルがヒトという種になり、地球上のあらゆる場所へ旅立った。
その環境は厳しいものだったが、彼等は優れた旅人として自分を鍛えた。
ハンセン博士はおっしゃる。
「遠くへ行くほど認知力が増したんです」
遠くまで走ることができる動物の脳は大きいことがわかったのだ。(338頁)
これは面白い。
ここに人間の原型がある。
およそ1万年前、私たちの祖先は狩猟採集生活をやめて農耕生活に転じた。−中略−1か所に定住する生活に変わったのだ。−中略−狩猟時代ほどに動きまわることは少なくなったはずだ。−中略−わずか200年で、世の中は農耕社会から工業化社会に変わり、それがデジタル化社会に取って変わられ(339頁)
ここが200年前から(歩行距離が)50%も減っている。
歩くことに殆ど意味を見出さなくなったからだ。
生物学的には、私たちの脳と身体は今もサバンナにいる。(344頁)
その為にはまず歩くことだ。
そしてもっとよいのは走ることだ。
これが人間を人間たらしめる動きなのだ、という。
これは考えさせられる。
ちょっと理屈っぽくなるかも知れないが、武田先生はハンセン博士の考えを文章にした。
座って動かないのは生き物として危険だ。
脳の萎縮が始まる。
動かないのが日常だと判断してしまうと脳を使わなくなる。
脳はなぜ考えるようになったかを考えよう。
簡単。
それは動く為。
だったら脳を鍛える為には動くこと。
コロナの「在宅」とかはあまりよくない。
たいして売れはしないのに出版社の人が声をかけてくださって「本を出しませんか?」と。
その本を今、書いている最中なのだが、その方から注文を受けて「このことを書いてくれませんか」というので武田先生がどこかの文章で書いていたらしいのだが「今の人間、肌で考えるということがなくなったんじゃないか」という。
その出版社の方が「そういえば甲野善紀(番組では「コウノゼンキ」と言ったが「コウノヨシノリ」らしい)という武道研究家の方、それから武田先生が尊敬している内田樹先生も『肌で考える』とか『皮膚で感じる』とかと書いてらっしゃるし、それからブルー・スリーも『考えるな。感じろ』と言っている。その武道家が言う「肌」とか「皮膚」とかって何でしょう?」と。
それは「動いていることの自覚みたいなことなんじゃないかな」と思って。
これからまたゆっくり考えるが、フッとよぎったのは「肌じゃないか?」。
アンデシュ・ハンセンさん、「BRAIN」という原題だが「運動脳」。
これを「三枚おろし」にかけている。
当番組で繰り返したフレーズは、人間の体はサバンナで立ち上がったサルである。
そこに終始したように思う。
この三枚おろしで何を意識しているかというと「そもそも」。
それを意識している。
今、もの凄く忙しい時代なので「そもそも」が出てこない。
その「そもそも」をこだわってみようかなと思って。
もうちょっと落ち着いてからの方がいいかなと思うが、ウクライナというのは何なのだろう。
そもそもウクライナとは何か?
ゼレンスキーのあのロシアに対する怒りみたいなものは何だろう?
あの憎悪は凄い。
そもそもどういう歴史があったかということから我々は勉強しなくてはいけない。
今、少し勉強し始めたのだが、それぞれ思いがあるらしいのだがウクライナの人は「国としてでき上ったのはウクライナが先だった。その時、郡部だったのがモスクワだ」とおっしゃる。
でも、モスクワの人は「いいや。郡部はウクライナだった」という。
よくそれで殺し合える。
その分かれ道がどこになっているのか、その「そもそも」を探していこうかと。
今週と先週は何をやったかというと「人間というものはそもそもどこから始まったんだ」という。
ごめんなさい。
「そもそも」が好き。
また、そもそもを刺激する本によくめぐり合う武田先生。
一部はこの番組で扱ったことがあるのだが、このサバンナのサルが立ち上がった。
そして二足歩行を始めたところから人間になった。
これが進化論。
ところがアフォーダンス理論というのが。
これは繰り返し言っている。
「人間は環境に適応するうちに人間になった」という。
サバンナのサルは生まれた時、森でお母さんに抱かれていた
その時、上を見上げるとお母さんと空があって、それが全世界。
やがてそのサルが草原に置かれた。
上を見ているのだが、力がついてきたものだから、後ろを感じて一回転、クルッと回った。
そうすると水平の世界が広がった。
その水平の世界を這い始めた。
平面をずっと行ったら何かものにぶつかる。
ぶつかった時、この草原のサルがそのぶつかったものもハイハイしようと思った。
それで前足で手繰っていったら立ってしまった。
そこからキョロキョロしているうちに横の方にも水平のものがあるので、それを掴もうとした。
その瞬間に二足歩行が開始されたという。
凄く面白いと思う。
「そもそも」を聞いた時に感動する武田先生。
もう一つの説が「水生人類説」というのがあって。
サルだった。
それが東海岸に出てしまって、海がある。
水の中に入ってしまった。
そうしたら貝があったので喰っていた。
どんどん貝を求めて歩き回るうちに、海が歩行器になってしまって、二足歩行がもの凄く上手になったという。
海が彼を立たせたという「水生人類説」というのがあって。
そういうのをアレするともうワクワクする。
(新生児は)一番最初に寝かされていて、半回転してハイハイを始める。
記憶に残っている。
回転が好き。
(人間は)クルッと回るのが好き。
だから綺麗に回転する人を見ると尊敬する。
それが羽生結弦だったり。
それからハーフパイプで大きい円の中をスノーボードで回る人とか。
体操選手の内村航平とか全部回転。
回転が好きなもので、AKBもクルクル回るし、エグザイルも回るという。
回転に対する永遠の憧れ。
道具を回転させるのも好き。
大谷翔平とかバットを回転させてホームランを打ってしまう。
大坂なおみはラケットを回転させてボールを打ってしまう。
そういう回転するものに対する異様な興奮。
そこで(水谷譲の)倅がやっている合気道。
あれは回転技術。
そうすると人類がまず目覚めたのは回転からだ。
世界中の子供達で遊び道具が無い時に何をするかというと、一人で回り始める。
子供はクルクル回っている。
目が回るのが楽しい。
何でも回っていた。
ディズニーランドも回っているし。
何でも回る。
遊具も回る遊具がある。
そこにアフリカのサバンナで半回転したサルの興奮が。
これは鉄矢論。
寂しいもの。
奥様にも話すのだが「ハイハイハイ、回転ね、回転回転」。
無闇に長い話になって何なのだが、年末はまた、別の形でリラックスしていただこうと思う。